特に関係ない高校をけなしたがるおっさん( 一一) 異なる入学基準で入れば卒業後も異なるのは当然。地方の人間は根性があるか、農作業やると根性がついて数学の問題がとけるか‐——桃山学院高校が嫌いな理由4・受講生にデタラメ吹きこむ予備校が淘汰されるのは当然

[第703回]
  うちの母方の叔父のラグビー屋のおっさん(男。桃山学院高校⇒日体大)は、なぜか私が嫌いで、まあ、あのおっさんに特別好かれなくてもいいし、何より、祖母のお葬式の際のあのおっさんの態度・言動を見て、この人とは関わりたくないと思うようになったのだが、それにしても、そんなことまで言って悪口言ったつもりなのか・・とあきれるというのか、あほくさくなることもあった。
  「北野高校の卒業生でも女の子でうちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに行く女の子、おんねんでえ」という発言、それに「(福島県いわき市にある)磐城高校からうちの大学(大阪経済大学)に行くやつおるんやで」などと言って、それで私をけなしたつもりでいるみたいだった( 一一)  アタマがラグビーのおっさんがそういうことを言いよった時には「だから、何やのん」と言ってやればいいと思うのだが、うちの母親は言えない人間だった。だから、ますます、しょーもないこと言いまくるのだった。その場で即座に「だから、何やのん」と突き放しておけば終わりのものが、それを言えないと、ますますからんでくるので疲れる( 一一)

  最近、私立高校では、たとえば、比較的最近できた新設高校の大阪桐蔭高校なんてのは、スポーツクラスと進学クラスがあって、スポーツクラスの野球部は毎年のように甲子園大会に出場してしばしば優勝してプロ野球選手にも何人もなっていて、片方で進学クラスからは京大や阪大に合格する人間が毎年、何十人か出ているようだが、それは「文武分業」であって野球で全国優勝するやつが京大や阪大に通っているわけではない。 私などが高校生だった1970年代後半においては福島商業高校と言っていた高校が今は履正社学園高校と言っている・・というより、前から履正社学園福島商業高校だったのではないかと思うのだが、大阪市福島区にかつてあって商業高校だったことから福島商業高校と言っていたが、私が高校生だった頃は大阪府豊中市に移転していて普通科ができていたようだったが、福島商業高校の人に何の怨みもないけれども、申し訳ないが、およそ大学に進学するような高校ではなく、スポーツも特に強い学校ではなく、1978年に卒業した野球部員で阪急ブレーブスに入団した三浦投手という選手がまあまあ活躍したが、大阪府大会でもそんなに勝ち進む学校でもなかったが、それが「福島商業高校」という名前は改めて履正社学園高校になった今ではスポーツクラスの野球部は大阪桐蔭の次に大阪で強い高校になってプロ野球選手にも何人もなり、進学クラスからは京大や阪大に合格者が出る年もあるという高校になった。ずいぶんと変わるもんだが、そういうスポーツクラスと進学クラスがある高校、あるいはスポーツクラスと進学クラスとそれ以外クラスがある高校というのが私立高校ではあるようで、それらは同じ校名の学校でも入試の基準は異なる。 栃木県佐野市で勤めていた時、佐野市付近では佐野市の西隣の足利市にあった県立足利高校が「あしたか」と言って付近では進学校で、「うちの息子はあしたかを出てましてね」とか親が言う場合は「ちょっと自慢」みたいなニュアンスがあったのだが、佐野市には佐野日大高校という私立高校があって、かつては「自分の名前を書くことができれば合格」という学校だったらしいが、最近は東大に合格者が出る年もあるという高校になり、片方で時々、野球部が甲子園大会に出場するみたいだが、これも進学クラスとスポーツクラスとそれ以外クラスがあるみたいで、もしかして、もっと何種類もあったかもしれんが、そういう高校というのは、それぞれのクラスによって入試難易度は異なるわけで、そういう私立高校では、たとえ、東大や京大に合格する人が進学クラスから出たとしても、スポーツクラスの野球部のやつが甲子園大会に出場してプロ野球選手になるやつがいたとしても、スポーツクラスの人間が東大や京大に通ったわけではないし、進学クラスの人間が野球で甲子園大会に出てプロ野球選手になったわけではないのだ。
  かつての公立伝統校の場合はそうではなくて「文武分業」ではなくて「文武両道」で、甲子園大会で優勝したような者が京大に通ったりしていたもので、戦後すぐに北野高校の野球部が選抜大会で全国優勝した時に4番を打っていた山本さんという人が北野高校の文化祭に講演に来てくれたことがあったけれども、山本さんは京大の法学部に進学して弁護士になったらしかったし、かつてはそういう人はいた。うちのラグビー屋の叔父と大阪教育大付属小学校だか中学校だかで一緒だった井石さんという人はプロ野球のロッテオリオンズに入って1970年にロッテオリオンズが優勝した年は日本シリーズでけっこう活躍したけれども、ウィキペディアー井石礼司https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E7%9F%B3%E7%A4%BC%E5%8F%B8 によると、大阪府立天王寺高校卒らしく、天王寺高校を卒業して慶應大に進んだ後にロッテオリオンズに入団したそうだ。2000年頃だったかサッカーの日本代表の監督やっていた岡田なんとかさんも天王寺高校卒だったようで、かつては進学校が同時にスポーツが強い学校でもあった時代があったが、今では進学校が同時にスポーツでもスポーツ専門校と同じように勝ち進むのは簡単ではなくなってきたようだが、北野高校や天王寺高校は大阪府立であり、大阪桐蔭高校や履正社学園高校のように進学クラスとスポーツクラスがあるわけではないが、だからといって、すべての生徒が同じ条件の試験に合格して入学していたわけではないのだ。ラグビー屋のおっさんはおのれやおのれの息子は北野高校や天王寺高校に入れるわけない人間だったとしても大阪府の人間なのだからわかって良さそうにも思えたが「わかってたまるか」という男だったようだ( 一一)

  兵庫県神戸市に灘高校という私立高校があって、元々は神戸市灘区の造り酒屋が造り酒屋の息子を行かせるために作った学校だったらしいが、遠藤周作が行っていた頃は神戸高校あたりを落ちた人間を入れてくれる高校だったのが、1970年頃だったか、東大合格者数が東京の日比谷高校と同数1位になり、その後、東京の都立高校が「学校群」というものを取り入れて日比谷高校の東大合格者数が減り、灘高校が東大合格者数全国1位をしばらく続けたが、その後、灘高校には阪神間の医者屋の息子が多く行くようになったのか、東大合格者数全国1位は開成高校とか筑波大付属駒場高校とかに譲り、それにかわって国立大学の医学部の合格者を多く出すようになり、さらにその後、大阪府の公立高校が学区が小さくなって定員を増やしたことから進学成績を低下させたことと対応してか、京大合格者もある程度出すようになったが、灘高校というのは実は私立なので、いわゆる「裏口」というものもあったみたいで、灘高校卒の人に聞いた話では、明らかに一般入試に合格して入学した人とは違う人というのがいたらしい。1980年の大学入試で早稲田大学の商学部で入試に「不正」があったと新聞に出たが、その年、慶應大学の日吉キャンパスのトイレに
「どうして、あそこだけ、あんなことがあったのだろう――外部生
どうして、あそこだけ、あんなことがばれたのだろう――内部生」

なんて書かれた落書きが書かれているのを見たが、「外部生」というのは、慶應の内部進学の人が自分たち内部進学の人間を「(慶應義塾の)内部の人間」と言い、大学から入った人間のことを「(慶應義塾の)外部の者」「(慶應義塾の)外部のやつら」と言い、その表現で書かれたものだったから、おそらく、内部進学の人が書いたものだったのではないかと思われるが、高校でも大学でも私立の学校の場合は多いか少ないかはともかく「裏口」という人はおられるみたいだ。
  1970年代終わり、うちの父親の親友で医者屋で新興宗教の教祖だった女川(めがわ)(男。1970年代終わり当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが、おそらく嘘だろう。当時、大阪府豊中市在住)は「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでドバカ息子を私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢していたが・・・裏口入学した・させたなんて、たとえ、やるとしても・やったとしても「こそっと」「恥ずかしそうに」するものではないのか、ドバカ息子を裏口入学させたなんて自慢するものなのか? と思ったが、女川の場合は自慢していた。「なんちゅうたって、思考が柔軟なもんじゃから裏口入学なんじゃ」と何度も何度も言うておったが、そして、うちの父親なんぞは私に「女川先生の息子さんは裏口入学やねんぞお~お。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違って裏口やぞ、裏口。裏口入学した人の爪の垢を飲みなさい」と私に何度も何度も言ったものだった。
  私は言ったのだ。「なんで、裏口入学したらエライのですか?」と。 そうすると、うちの父親は言うのだった。
「裏口入学ということは、思考が柔軟やっちゅうことなんじゃ。わからんのか!」と。それで、私は言ったのだ。
「なんで、思考が柔軟なら裏口入学しなきゃならんのですか?  そんなに思考が柔軟ならば、その柔軟な思考力を活かして、狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でも実力で現役でさっさと通って行けばいいのと違うのですか? なんで、思考が柔軟な人が、そんな関西医大やなんて、いったいどこの馬の骨かわからんような所に、裏口入学やなんて汚らわしいことやって行かなきゃならんのですか」と。すると、うちの父親は言うのだった。
「そのあたりがおまえは思考が硬いんじゃ。女川先生の息子さんは思考が柔軟なもんじゃから裏口入学なんじゃ。わからんのか」とおっしゃるのだった・・・が、どんなに考えても考えても、なんで、「思考が柔軟」なら裏口入学しなきゃならんのか、さっぱりわからんかった。
「わからんのか、おまえはそんなことも」とおっしゃるので、
「はあ、どうも、ぼく、頭悪いからなんか、なんで、思考が柔軟なら裏口入学しなきゃならんのか、どうも、ようわかりまへんな~あ」と言ったのだったが、なんで思考が柔軟なら裏口入学しなきゃならんのか、ようわからんかった。単に、できが悪いからと違うんかい・・・と思ったのだが、そう言うと「そのあたりがきみは思考が硬いんじゃ」とかまた言われるであろうから言えなかったが、今もって、なんで思考が柔軟なら裏口入学しなきゃならんのか、さっぱりわからん。
   うちの父親の親友で医者屋の女川のドバカ息子は父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権関西医大に裏口入学したそうだったが、高校は灘高校卒だと父親の女川は言いまくっていたので、私は最初にそれを聞いた時、「ははあ~ん、灘高校も裏口やな」と思ったのだった・・・が、それから10年以上経って考えてみて、そうではなくて、「灘高校卒」というのは詐称であって実際は関西地域の灘高校よりも進学成績が低い私立高校の裏口入学ではないか・・・と思うようになった。
  なぜ、見方を変えたかというと理由がある。
(1) まず、関西医大と灘高校はどちらも私立の学校であっても、系列が違う。最近は灘高校は国立大学の医学部に合格者を多く出しているようで医者屋が息子を行かせることが多いようだが、別に私立医大の系列校ではなく、設立者は神戸市の灘地区の造り酒屋だったらしく、私立金権医大と系列関係にはないはずなのだ。 だから、医者屋の女川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権関西医大にドバカ息子を裏口入学させたというのは、なるほど・・と思えるが、いかに「裏口好き」の一家であったとしても、灘高校は私立なので裏口の人が中にあるとはいえ誰でも彼でもカネさえ出せば裏口で入れるわけでもないはずで、医者屋の系列の学校でもない灘高校に医者屋の女川が裏口入学させることができたのか、疑問である。
(2) 私は、高校生くらいまで、学歴を詐称する人というのは世の中にあるみたいだとは思っていたが、そんなにそのへんにいっぱいいるとは思っていなかったのだが、実はそうではないらしいと気づいた。会社という所に勤めてみると、学歴詐称する人なんて、そのへんにいっぱいいるのだ( 一一)  また、日頃の女川の言動から考えても、女川の息子が「灘高校卒」というお話は、本当のことの可能性と嘘の可能性ならば当然、嘘の可能性の方が断然大きいと考えるべきであろう・・と思われた。
(3) そして、「裏口」にも2通りある。 もしも、灘高校の入試に落ちた人でも、ぎりぎり落ちたというくらいの人が、もしも親が縁故があって、「ぎりぎり落ちた」ものを合格にしてもらえたとするならば、それは「裏口」とはいえ、入学後、正規入学の人間と特に変わらないでやっていけるのではないか、と思われるのだが、そうではなく、「箸にも棒にもかからない」ようなものを裏口で入学させた・・というほどでなくても、合格最低点に相当の差がある人を入学させた場合には、正規に入試に合格して入った人と同じようにはいかない。日本では大学が学歴における「すごろくのあがり」みたいになってしまっている面があるが、慶應の内部進学の高校に入ったならば裏口であっても大学まで行ける可能性が大きいだろうけれども、灘高校には系列の大学はないので、灘高校から東大に何人通ろうが灘高校に裏口で入っても裏口で東大に行けるわけではない。
  うちの父親の友人で大阪府立の高校の英語の先生をやっていたという人の話だが、入学時の試験の成績というのが相当大きいというのだが、それは、入学時の成績がけっこういい者は入学後、一時的に成績が下がることがあっても、また、戻ることが多いというのだ。だから、悪い成績を取った、ということがあったとしても、入学時の成績が良かった者が中間考査・期末考査の試験で悪い成績を取ったという場合と、最初から悪い成績の者が悪い成績を取ったという場合とでは事情が違うということだった。
  これは私もそういうことはあると思う。もし、百点満点で「普通にやったら60点取れる」という人がいたとして、その人に「普通にやる」ことができない事情・状況があったことから、20点か30点の成績を取ったという場合、どうすべきかというと、それは「普通にやる」ことができる状況を回復することだ。「普通にやる」ことができるようになれば、その人は「普通にやったら60点取れる」人なのだから、60点程度取れるだろう。それに対して、20点なり30点なりの成績を取ったとしても「普通にやったら」20点なり30点なりの人はそうはいかない。「普通にやったら60点取れる」人は「必死でやったら」70点取れる。その時、入学試験の合格最低点が65点であったら合格だ。おめでとう。しかし、「普通にやったら、60点取れる」人が「必死でやって」70点取ったにもかかわらず、合格最低点が75点であったとしたら、必死でやったにもかかわらず不合格になる。それで、どうするか。ひとつの方法は合格最低点が70点以下の所を受けるように目標修正することだが、目標修正したくないならば、「野球は頭でやるもんや」てもので、「受験は頭でやるもんや」と、何らかの工夫をする必要が出てくる。野村じいさんはプロ野球の選手になって1年後に解雇だと言われ、「今、やめさせられたのでは食べていけません。辞めさせられるのなら南海電車に飛び込みます」と言ってもう1年置いてもらったところ、2年目に二軍で打撃において成績を残すことができて、又、捕手としては肩が弱い方だったが、肩を強くする練習法を考えて二塁への送球がよくなり、その時の二軍監督が一軍監督の鶴岡に売り込んでくれて、入団2年後にハワイにチームが遠征した際に捕手3人を連れて行くことになった際に3人目として選んでもらえた。ハワイでは2番手捕手は、夜、飲み歩き、宿舎にハワイの若い女性が「ハーイ」と言って訪ねてくることもあり、監督の鶴岡は苦々しく思っていたのに対して、野村は夜になると意図的に監督室の窓のすぐ外で素振りを繰り返したそうで、そのうち、監督室の窓が開いて鶴岡が顔を出して「こんな時間まで素振りしてるのは誰や。野村か」と言って窓を閉めるということがあったらしく、そのうち、正捕手が怪我をしたが、正捕手が怪我をしても2番手の捕手が出るものと思っていたら、毎夜、飲み歩いていた二番手の捕手ではなくて三番手の野村に「野村、出い」と言って鶴岡が試合に出してくれて、ハワイのチームは野球のレベルがそれほど高くなかったことから試合で成果を出せたが、日本に帰ってきて、公式戦が始まる直前に正捕手が「治りました」と言って戻ってきたが、「治りました」と言えば出してもらえて当たり前みたいな態度に鶴岡は不快感を持ったのか、正捕手の怪我が治ってもそれでも野村を試合に出してくれて、そしてレギュラーの捕手になれた。しかし、レギュラー捕手になれたとしても、打率は2割5分程度しか打てず、これではまた他の選手にレギュラーを奪われるかもしれない、3割打つことができれば「一流選手」という評価を得てレギュラーを奪われる可能性は小さい、どうすれば3割打つことができるか、3割打者と2割5分の打者はどう違うか、100回、打席に入って25本ヒットを打つのが2割5分の打者で、30本ヒットを打つのが3割打者だ、あと5本だ、プロ野球の投手が投げるすべての球をヒット打たないといけないとか、すべての打席でヒット打たないといけないとかいうなら難しいが「あと5本」なら工夫すれば何とかなるかもしれない・・と考えて、投手がどういう球を投げるかあらかじめわかっておれば打ちやすいのではないかと考えて、投手のくせを観察したり配球のパターンを考えたり、さらに、カーブが苦手でどんなにしても打てなかったが、それならいっそのことカーブは打たないようにしてはどうか、野球の投手は最低3球はストライクを投げないと打者を三振にとることはできない、3球ともカーブであることは少ない、それならカーブは打たないようにしてそれ以外の球種を打つようにしてはどうか・・とか考えてやって3割打った・・そうだ(もっとも、YouTube の今浪チャンネルで元日本ハム・元ヤクルトの「今浪さん」はこの「あと5本多く打つ」というのは決してそんなに簡単ではない、相当大変なことだと話していたけれども)、野球のことはさておき、大学入試においても、「普通にやったら60点とれる」人は「必死にやったら70点とれる」が、「普通にやったら60点とれる」人が「必死にやって70点とった」にもかかわらず、合格最低点が75点だった・・という場合、目標修正してひとまわり合格最低点が低い所を受けるというのは嫌だとなったなら、その場合は「受験は頭でやるもんや」と、その「あと5点」上げる方法を考える・・ということになる。「さらに必死でやる」というのはだめだ。もう、すでに相当「必死でやった」後なのだから。「すべての問題を正答する必要はない。あくまで合格最低点を上回る点数をとればよい」のであり、又、「一番で通る」必要はない。合格者中最下位での合格でもいっこうにかまわない。一番で通って入学式に総代で出たいという人がいるなら、どうぞどうぞ出てくださいてものだ。大事なのは合格最低点を上回ることができるかどうか、それだけだ。「受験は頭でやるもんや」と何らかの工夫が必要になる。 千代の富士は八百長が多かったらしいが弱かったわけではなくて、むしろ、八百長しなくても相当強かったので千代の富士から八百長で負けてくれと頼まれた力士は「どうせ、ガチンコでとっても勝てないのだから八百長で負けてカネもらった方がいい」と八百長を受けたのであって、本当に弱い力士から「今場所負けてもらえれば来場所負けます」と言われてもガチンコでとったら今場所も来場所も勝てる相手になんで片方負けてやらなきゃならんのだということになり八百長は成立しないところが千代の富士の場合は成立したらしかったが、幕内上位に上がってきた頃、最初、琴風に6番くらいだったか連続で負けた。琴風のような体が大きくて押す力士が千代の富士は苦手だったが、この相手に勝てるようになりたいと琴風がいた佐渡ヶ嶽部屋に出稽古に通い続けて琴風に勝てるようになった。解説者の親方の話では、最初、千代の富士は身体が小さいにもかかわらず体が大きい力士がとるような相撲をとっていたので、琴風のような体が大きくて押す力士にとってはもってこいだったが、千代の富士はそれに気づいて相撲を変えたらしく、その後、逆に千代の富士は琴風に絶対負けなくなった。琴風だけではなくて、琴風のようなタイプの力士に勝てるようになり、その分だけ勝ち星は多くなった。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(’実業之日本社)で人間はできるものをやる方が楽しいので、つい、できる問題を多くやりがちだが、それではだめで、過去の問題でも正答できた問題はどうでもいいから、間違えた問題を、なぜ間違えたのか、どうすれば正答できたのかを考えて、間違えずに解けるようにするべきだと述べていたが、その通りで、相撲取りならばそれまで勝てなかった相手に勝てるようになればその分だけ勝ち星は増えるのと同じく、それまでに正答できなかった問題をとけるようになったならば、その分だけ点数は上がるはずで、そういったことを考えずに闇雲にやるのではなく、そういったことを考えてそれを実行すれば、その分だけ点数は上がることが考えられるわけで、そうすれば、「普通にやったら60点とれる」人が「必死でやって70点とった」がまだ5点不足しているというケースにおいて、あと6点か7点アップさせて合格最低点を上回る成績を取れる可能性が考えられる。少なくとも、理屈からいけばそういうことになるし、この理屈は理屈として間違っていないはずである。1970年代後半に行ったYMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスはこういったことを全く考えないもので、考える能力もなければ考えようという意志もない人間が運営していた。そんなことだから、YMCA予備校は駿台・代ゼミ・河合塾が大阪に進出してくると、あっと言う間に淘汰された。 「あと5点少々」上げることができれば合格というために、それまで、どうすれば正答を得ることができるかわからなかった問題の解き方を指導してくれるのが、それが「京大東大文系クラス」と違うのか・・てものだが、YMCA予備校の京大東大文系クラスはそういうものは何もなく、そうではなくて、「京大東大文系クラス」となづけることで高校卒業時に学力がある生徒を集めた上で高校卒業時に受けた所よりも難易度が低い所を受けさせて「YMCA予備校のおかげで合格」と言いまくってやろうという魂胆の卑怯者の予備校だった「看板に偽りありだな」と何人もが口にしていたが、そうだった。真面目にその仕事に取り組む姿勢がない者は淘汰されて当然である。
弱者が勝者になるために: ノムダス2 - 野村 克也
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「功なき者」を活かす 時代を超えた人材活用の極意 (朝日文庫) - 野村克也, 筑紫哲也
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東京大学機械的合格法 アップグレード版: 難関大学を突破する超合理的勉強術 - 柴田 孝之
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  それで、だ。 YouTube で灘高校卒だが同校在学中はあまり成績が良くなかったという人が、1浪して東大の文科三類に合格して進学したという話を述べていたが、入学時の成績でそれぞれの地域でトップの高校に入学できるくらいの成績をあげて入学した人ならば、高校に入学後の成績が一時的に良くなかったとしても、その後、回復することは一般に可能であり、1浪で東大の文科三類に行ったとか、東大でなくても、どこか行けて良さそうなものなのだ。それを、女川のドバカ息子は2年浪人したあげくに私立金権関西医大裏口入学・・・というのは、どこかに嘘がある・・と考えるのが自然だ。
  遠山啓(ひらく)『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で遠山啓は「父親とは」家族の中で一番「世間知」というものを持っている者であり、息子を外敵から守ってくれる存在である・・などと書いていたが、それは「違うだろ、このボケ~え!」〔⇒YouTube- このハゲ〜!違うだろ!違うだろ!違うだろ! https://www.youtube.com/watch?v=vOWQvoBC9D4〕 そういう父親も世の中のどこかにいるのかもしれないが、そうでない父親もいる。遠山啓はこの程度のこともわからんのか、「このボケ~え!」  ・・女川みたいにおのれと息子の学歴詐称する男を見抜けない父親・・というのがうちの父親だった。どこが「家族で一番、世間知がある人間」だ。遠山啓はアホか。
  もしも、ぴったしカンカンであてるならば、女川のドバカ息子が行った高校は「高槻中学校・高槻高校裏口入学卒」ではないか、と思う。 高槻高校というのは公立みたいな名前だが私立で、大阪府高槻市にある大阪医大(私立)の系列の私立高校だ。 私立の受験校がいいか公立伝統校がいいか、私などは基本的には公立でいいだろうけれども、「コストと利益を比較考量して」考えて私立の学校の方が優れた点が多いのならば絶対に私立はだめということはない・・というくらいの「どちらかといえば公立派」だが、医者屋の場合は慶應の教授とともに「理屈ぬきに相当強烈に私立派」という人間が多い。 関西で「ともかく私立がいい」「カネだけは『患者』を薬漬けにすればいくらでもわいてくる・「患者」というカネのなる木を所有しているから、カネだけはありあまってるからなあ」という医者屋が息子を行かせたがるのが灘高校だが、灘高校は最近では入学難易度がけっこう高くなっており、なおかつ、カネさえ出せば誰でも彼でも裏口入学で入れてくれるてものでもない・・となると、その灘高校の下位互換、もしくは下位互換の下位互換みたいな私立高校・・で医者屋つながりで裏口がききそうな所で大阪府豊中市から通える所となると・・・高槻高校・高槻中学校なんか妥当かな・・・というのが、ぴったしカンカンによる予想だ・・・が、あくまでもぴったしカンカンなので違う可能性もないとは言えないけれども、まあ、「そんなもん」ではないかと思う。 少なくとも、女川のようないいかげんな男が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権関西医大に裏口入学させたドバカ息子を「うちの息子は灘高校に行っておったんじゃけど」と言ったならば、実際は灘高校ではなくて灘高校の下位互換みたいな性質のある私立高校の裏口入学ではないか、灘高校の下位互換の私立高校となるとどこだろうか、医者屋つながりで裏口入学がありそうなところというと高槻高校あたりかな・・と ぴったしカンカンやるのと、女川が「うちの息子は灘高校に行っておったんじゃけど」と言ったとすると灘高校を卒業したのだとぴったしカンカンやるのとどっちがぴったしカンカンとして的中率が高そうか・・というと前者の方のはずだ。大人ならそのくらい考えろよ・・と思うが考えられないのがうちの父親だった。
☆ ぴったしカンカン を知らない人は⇒YouTube-原田知世 (ぴったしカンカン)https://www.youtube.com/watch?v=tfJGIc8eatQ
「うちの息子は灘高校に行っておったんじゃけども」と女川が言ったからといって、そのまま信じてあげなければならない義務はない。 そのあたり、「ええおとな」なら考えろよ・・と思うのだが、考えられないのがうちの父親だった。
  それで、灘高校に裏口入学した人は、灘高校に入学しても灘高校から東大にどんなに多くの人が行っていても行けない。そういう人はどこに行くかというと、青山学院とか・・そんな所に行くことが多い・・と私が聞いた灘高校卒の人は行っていたのだが、その青山学院も正規に入試に合格してのものかどうかわからないが、青山くらいなら裏口の人がいても「別にいいだろ」て感じだが、同時に、青山ぐらいなら「別に、正規に合格したという可能性だってあって悪くないだろ」て感じもする・・・が女川の息子はそういう所も行けずに私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学した・・・てことは、まず「うちの息子は灘高校に行っておったんじゃけど」というお話からして詐称であって、実際はどのくらいのところかというと・・・、ぴったしカンカンで予想するなら「高槻中学校・高槻高校 裏口入学卒」・・とか、そんなところではないか・・・と私はぴったしカンカンで予想する。少なくとも女川が口にしている「灘高校に行っておったんじゃけども」よりは本当である確率は高いと考える。そもそも、「うちの息子は・・・に行っておったんじゃけども」と言うやつがおったとして、そうであるかもしれないが、そうではないかもしれない・・・と考えるべきであって、そのまま信じないといけない義務なんかないだろうが・・と、わからんのかと思うが、わからんのがうちの父親だった( 一一)

  それで、だ。灘高校から東大に何人通ろうが、裏口入学で灘高校に行った人も東大に行けるわけではないし、ましてや、医者屋裏口民族の好みとしては灘高校になるが、その医者屋裏口民族のドバカ息子の学力では灘高校には行けず、なおかつ医者屋つながりでのコネもないということで、医者屋つながりのコネがある私立高校として高槻中学校・高槻高校裏口入学・・だったのかどうか断定はできないとしても「そんなところ」だろうという人もまた東大とか国立大学の医学部には行けない。  それに対して、北野高校・天王寺高校というのは大阪府立なので裏口はない・・はずだし、スポーツ入学もないし「スポーツクラス」もない、内部進学もないから、だから、誰もが同じ条件での入試に通って入学しているのかというと、そうではないのだ。 うちの母親のラグビー屋のおっさんは「北野高校からでも女の子でうちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来るもん、おるんやで」とか、そういうことを言って私をけなしているつもりだったようだが、おっさんは「北野高校の生徒」は誰もが同じ条件の入試に通って入っているみたいに勘違いして言っていたわけだが、違うのだ
   まず、今もそうかどうかはわからないが、私が北野高校に入学した1970年代の半ば頃およびその前後頃は、大阪府の府立高校というのは、数学・英語・国語・理科・社会科の5教科と保健体育・音楽・美術・技術過程の4科目についての「内申書」を卒業する中学校が高校に提出して、入学試験の日に実施される数学・英語・国語・理科・社会科の5教科の筆記試験の成績とミックスして合否が決められていたのであり、「内申書」の成績は10段階の相対評価であったので、その結果、卒業する中学校の学力水準が高い場合は「内申書」の成績は高くなりにくいのに対して、卒業する中学校の学力水準が低い場合は「内申書」の成績は高くなりやすいので、その結果、入学試験で取れる点数が同じくらいならば学力水準が低い中学校の卒業生の方が有利になるという入試制度だったのだ。 私が北野高校を受けた1970年代半ばにおいては北野高校を受けることができたのは、大阪府の豊中市・池田市・箕面市と豊能郡豊能町・豊能郡能勢町の豊能地区と大阪市西淀川区・淀川区・東淀川区・大淀区(大淀区は今は北区の一部分)・北区だったが、私が卒業した北摂地区の中学校はその中では学力水準は高い方の中学校だったが、一般に豊能地区と淀川地区では豊能地区の中学校の方が淀川地区の中学校よりも学力水準は高く、たとえば、北野高校の1年の時に同じクラスだった淀川区の三国のあたりの中学校卒のB所などは私よりずっと低い点数で入学していたはずで、入学試験の点数が低いからといって保健体育・音楽・美術・技術家庭の能力が私より上だったのかというとそうではなく、私なんかは「体育以外の増位山」で音楽・美術の方が「主要五教科」より良かったくらいのものだが、淀川地区の中学校では音楽の授業はまともに音楽やっていなかった中学校が多かったようだった。だから、この《「所属中学校における相対評価での内申書」+入試当日の主要五教科の筆記試験の点数》で合否を決める方式が取られていたことから、私が卒業した中学校なら二番手校の豊中高校くらいに合格できたかできなかったかというくらいの人が淀川地区の中学校卒の人では北野高校に来ていたのだった。 だから、この点で入学の基準は学力水準が低い中学校出身者と学力水準が高い中学校出身者で異なり、2種類あったことになる。
   そして、北野高校や天王寺高校は戦前は男子校だったが、戦後、男女共学になったが、その男女共学は「男でも女でも関係なく合格最低点より高い点数を取った者は合格と認めて入学させる」という大学型の男女共学ではなくて、戦前の「男女七歳にして席を同じうせず」という孔子の道徳による男女別学は不自然なもので、男女は共に過ごして育ってこそ人間性豊かな人間に育つことができるという考え方のもとで、男女比がそれほど大きく変わらないようにという配慮による男女共学で、入学試験の合格最低点も男女で異なったのであり、北野高校の場合は最近では女性でも東大や京大に進学する人が増えてきているので今はどうかわからないが、私が北野高校に入学した1970年代の半ばくらいにおいては、男性は大阪府で最難関の高校だったけれども、女性の場合は定員割れで「ともかく、入試の日に試験会場まで行って氏名と受験番号を書けば合格」という高校だったのだ。しかし、女性は受けさえすれば通る学校だからといって、公立高校の一番易しい所に通るかどうかくらいの学力の人が男なら大阪府で最難関の高校を受けて行くのがいいのか・・というと、それは良くないと私が卒業した北摂地区の中学校では中学校の先生も親も考えていた。 だから、男なら一番手校の北野高校は難しいが二番手校の豊中高校くらいなら行けそうという成績の女子生徒が女なら一番手校の北野高校でも合格できるから北野高校に行くというくらいは本人が望むなら行ってもいいとしても、受ければ通るからといってあんまり成績が下の方の人が行くのはいいとは言えないだろう・・・と北摂地区の中学校では考えていて、そういうことをする人はあまりなかった。又、「女が北野高校に行くと婚期遅れる」というお話があったりもして、加藤登紀子が東大を受ける時に加藤登紀子のお父さんが「男なら東大でも行けばいいけれども、女が東大になんか行ってもいいことないぞ」と言ったけれども、加藤登紀子はそれでも東大に行きたいと思って東大を受けて行ったらしかったが、北野高校も女が行ってもいいことないみたいに見られていて、それでも行きたいと思って腹くくって行こうと決心した人でなかったら「豊中高校くらいにしておいたらどうか」みたいに言われることがある高校だった。 ところが、そういう思考は北摂地区の中学校と北摂地区の中学校に行っていた人とその親の認識・世界観で、淀川地区の中学校の人にはそういった認識・世界観はなかったようで、行けるなら行けばいいじゃないかみたいに北野高校を受けて入学する人があったみたいなのだ。だから、女子生徒には男であったとしても合格したであろうという女子生徒と、男なら合格しなかったが女だったから合格して入学したという人がいて、淀川地区の中学校出身の女子生徒には男だったなら三番手校でも通らなかったのではないか・・という人が現実に来ていたと思うのだ。だから、北野高校の入試の合格基準は3種類あったのだ。
   「試験日に入試会場まで行って氏名と受験番号さえ書いてくれば合格」ということで入学した女子生徒の人が、大阪府で最難関の入試に合格して入学した男子生徒や、もしも男であったとしても合格できた成績で入学した女子生徒と卒業後に同じような大学に合格することができるかというと、それは灘高校に裏口で入った人が正規に入学試験に合格して入った人と同じというわけにはいかないのと同様に、一般的には無理だろう。大阪府で最難関の入試に合格して入学した人だって入学後に悪い成績をとってしまうことはあるだろうけれども、最初から大阪府で最難関の入試になんか通っていない人とは事情は違う。 「普通にやったら60点とれる人」が何らかの事情で「普通にやる」ことができずに20点か30点を取った場合とは違って、「普通にやった」場合には60点とれないし、「必死でやった」としても60点や70点は取れない。 中には、男なら通らない成績だったけれども女だったから通ったという人で「うまく合った」人で神戸大あたりに合格して行く人もあったようで、2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんなんかはそれだったのではないかと私は思っているのだが、なんというのか「うまくあった」人で高校入学時の学力から考えると相当難関の大学に通って行く人もあったみたいだが、一般には大阪府で最難関の入試に合格して入った人とは大学を受ける際には同じというわけにはいかない。大阪桐蔭高校とかでスポーツクラスで入学した人が進学クラスに入学した人と同様に京大や阪大には行けないのは当然のこと(同様にスポーツクラスで入ってプロ野球選手になる人が何人もいても、特にスポーツができるわけではない進学クラスの生徒がプロ野球選手になれるわけではないのも当然のこと)、灘高校に裏口入学した人・実際には灘高校の下位互換みたいな私立高校に裏口入学の人で「灘高校に行っておった」と言っている人とが正規に合格して入学した人ととが同じ様に東大に行けないのは当たり前というのと同じことで、大阪府の高校で最難関の入試に合格して入った者と受けさえすれば女性は誰でも合格という入試で入った者と一緒ではないのは当然のこと、入学時点において「普通にやったら60点とれる」者と普通にやったら20点の人が同じ高校に入っても同じになるわけではないのは当然のことだ。
  大学入試はその科目についての学習とその大学学部の試験問題に対しての対策との両方によって合否は決まるので、『ドラゴン桜』の話は「あれは漫画」であって、いくらなんでも高校3年の初めの時点で中学校程度の内容を理解できていない人が1年後に東大の理科一類に合格するというのは簡単ではない・・と思うけれども、「傾向と対策」を考えて「試験に出る」部分を「出る順」に学ぶようにするならば、そういったことを考えずに闇雲に努力するだけの人と違って、一般的な学力から考えてこのくらいの所に行けるだろうという所よりも難易度は上だと考えられている所に合格できる可能性はあると思われるけれども、又、慶應大学あたりにはそれだけで合格して入学しよったなあ・・てやつもけっこういたけれども、それにしても、高校に入学時において、合格基準が違う人は卒業後に合格できる所も違って当然のことだ。
  だから、うちの母方の叔父(母の弟)のラグビー屋のおっさんが「北野高校の卒業生でも、女の子でうちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来るやつがおんねんで」などと言って、それで私も大阪経済大学に行くやつと同じだみたいに言ってやろうという魂胆だったようだが、何をしょーもないこと言うとんねん・・・てものだった。 大阪経済大学に行った北野高校卒の女子生徒というのが本当にいたのかどうか知らないし、一般にはあまり成績が良くない女子生徒でも大阪経済大学ではなくて、同程度の入試難易度の私立大学でも大阪経済大学ではなくてどこかほかの所にしそうに思うのだが(女性の場合ならば、大阪経大ならば、それこそ、金蘭短大の方がまだいいのではないのかと思うが)北野高校が大阪府で最難関の高校だったというのは男子生徒の場合であって、女子生徒は「受けさえすれば誰でも通る」高校だったのだから、それほど難易度が高くない私立大学に行く人が中にあったとしても不思議はない。 何をしょーもないこと言うとんねん・・・てものだが、アタマがラグビーでできている人の言うことというのは「そんなもの」だったようだった( 一一)
アタマがラグビーでできている人は、一生、ラグビーだけやってろ、それ以外のことに口出すな・・・て感じがする。

  私が卒業した後、1980年代だったか1990年代だったか、北野高校の進学成績が低下していた時期にラグビー屋のおっさんは「北野高校からうちの大学(大阪経大)みたいなもんに行く女の子、おんねんでえ」などと「北野高校に行っても大阪経大くらいにしか行かれへんことがあるんや」と言いたいみたいで「ざまあみろ」みたいに得意がって言っておったのだが、
1.上記のように、最近は少々違ってきているかもしれないが、私が行っていた1970年代後半などでは、私立高校に進学コース・スポーツコース・それ以外コースがある高校があるように、「灘高校出た」と称していた人には、実際に灘高校に正規の入試に通って入学して卒業した人・裏口入学で入って卒業した人・灘高校の下位互換の私立中学校高校の裏口入学卒で「灘高校でた」と称していた人の3種類あったように、北野高校に入学した人の入学基準は、比較的学力水準jが高い中学校卒で入学した人・学力水準が低い中学校卒で入学した人・受けさえすれば通るという入試で入学した女子生徒の3種類あったわけで、ラグビー屋のおっさんが言っていた「北野高校の生徒でも大阪経大みたいなもんに行く女の子がおんねんで」というのは、それは比較的学力水準が高い中学校卒で北野高校に入学した男子生徒が大阪経大に行ってのではなく、女子生徒でも男であっても北野高校の入試に合格した成績だった女子生徒が卒業後に大阪経大に行ったのでもなく、あくまでも「受けさえすれば女は誰でも通る」という入試に合格して入学して卒業した人が行ったのであり、ラグビー屋のおっさんがまるで「学力水準が比較的高い中学校卒で北野高校に入学した男子生徒」と同等の学力で入学した女子生徒が大阪経大に行ったかのように「ざまあみろ」という調子で言いまくっていたのは、それは実状と違うのだ。
2.中学校もしくは高校入試のレベルと高校もしくは大学入試レベルと内容が異なる、もしくはレベルが異なる科目とそれほど変わらない科目がある。社会科は何科目かから選択できるという大学が多く、共通一次試験⇒センター試験・共通試験では高校で学ぶことになっているすべての社会科の科目から選択することができるようになっていたはずだが、柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実用之日本社)で、東大の理工系学部をめざす人は「政治経済」を選択するというのがひとつの選択法だと書いていたが、その理由は「日本史」「世界史」は中学校の「歴史」と高校の「日本史」「世界史」とではレベルが違うが、中学校の「公民」と高校の「政治経済」はレベルに大きく差がないので中学校および高校入試の際に「公民」についてある程度以上勉強した人は、高校入学までに学んだもので大学入試の「政治経済」はある程度対応できる、というのが理由だ。私も高校時にそれは思った。 しかし、「政治経済」は1科目しかない。大学入試においては1979年の入試から共通一次試験が実施される前の1978年までの入試までは、国立大学の入試では京大・阪大・神戸大などでは理学部・工学部・医学部など理工系・医薬系学部では社会科は1科目のみだったので中学校および高校入試で中学校の「公民」をある程度以上学んだ人は大学入試で「政治経済」を選択するということができたが、1979年の入試から共通一次試験が実施されて社会科は全員が2科目受けなければならないことになった。1978年の入試までは東大の場合は東大が1次試験・2次試験をおこなっていたが、理科1類・2類・3類では社会科は1次試験のみで2科目あったが、地理A(系統地理)と地理B(地誌)で2科目選択というものが認められた。同じ中学校から灘高校に行って東大の理科一類に行ったNに聞いた話では灘高校では理科を受ける生徒には地理Aと地理Bの二科目選択を推奨していたようでNも地理Aと地理Bの2科目選択で理科一類を受けて通ったようだったが、京大合格者数全国1位でも東大には年間十何人しか通っていなかった北野高校では1978年の入試まで社会科は日本史と世界史の2科目選択が基本で理工系・医薬系では京大・阪大・神戸大は社会科は1科目だったので「日本史か世界史のどっちか」が普通でたまに政治経済を選択する人がいたが、高校の授業では入試を想定した授業をしていたのは日本史と世界史で政治経済を選択する人は自分でやってくれというものだったが、東大に進学する人が多い灘高校では地理Aと地理Bでの2科目選択という、実質、1.5科目というより1.3科目か1.4科目くらいの負担ではないかと思われる選択法を推奨していたみたいだった。学研から出ていた『どの大学が通りやすいか』(学研コースブックス)には「世界史を選択するのが有利」なんて書いてあったのだが、これは共通一次試験より前、1978年の入試までの国立大学の入試および私立大学の入試においては社会科の科目は大学によって選択可能の科目が異なったが倫理社会とかは選択可能の大学は少なかったのに対して「世界史」はたいていの大学で選択可能になっていたからという理由だった。私立大学では慶應大は法学部と商学部に社会科1科目が入試にあって経済学部と文学部には社会科はなかったが社会科の選択科目は日本史と世界史の2科目からどちらか選択になっていたが、法学部法律学科・法学部政治学科は数学・英語・国語と社会科が日本史か世界史のどちらか、商学部は数学・英語と社会科が日本史と世界史のどちらか1科目の選択だったが、これは法学部は卒業後に国家公務員・地方公務員の試験をめざす人があり、公務員試験にはけっこう広い範囲で出題されることから大学入試においても多くの科目を設定していたということがあるのではないかと思うが、商学部の方は経済学部は数学と英語のみだったのに対して商学部は数学と英語と社会科が日本史と世界史のどちらか1科目としていたのは、もともと、慶應の経済学部と商学部は同じ学部だったものを戦後に2つに分けたもので、かつて、理財科と言っていた学部を東大など国立大学の学部名に学部名を合わさないと「大学」と認めてもらえないという時期があって、その時に「経済学部」と改称した学部を、戦後に学部の定員を増やそうという話が出て、学部の定員を増やすのならいっそ学部を2つに分けてはどうかということで、「商業学・経営学・会計学など経済学以外も学ぶけれども経済学に比重が大きい学部」を経済学部、「経済学も学ぶけれども商業学・経営学・会計学など経済学以外の方に比重が大きい学部」を賞がk誦部としたというものだが、昔からあるものを2つに分けて片方に昔からの名称をそのままつけて他方に新たに別の名前をつけると、どうしても昔からの名前を名乗っている方がいいみたいに思う人がでてくるようで、特に慶應の内部進学の人は「名前をとる」傾向が強いので内部進学の人は経済学部と商学部なら経済学部に行く人が多く、商学部だと1年・2年の時のクラスで50人くらいのうちで内部進学の人は2人か3人くらいだったが経済学部になると3分の1以上が内部進学だったようで、内部進学の人の特徴として「なにかと群れる」「まとまったりまとめられたりするのが好き」という傾向がある(それを慶應心理学と慶應の内部進学の人は「独立自尊」とか「自我が確立されている」と言うのだが、なんでやねん、逆と違うのか・・と思うがそれを口に出して言うと「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響だと思います」とか「心理学者」から「診断」されることになり、「診断」されると次に「治療」される危険があるので怖いから言わない方がいい)ので3分の1以上が内部進学という経済学部が好きで多くの公立・私立の高校出身者とたいしてかわらない商学部は不愉快だったようだったが、経済学部と商学部の入試科目と配点を同じにすれば、その方が重複して受けてくれる受験生が多くなって受験料での収入は増やせるであろうけれども、どうしても、学部間での優劣ができて、また、複数学部に合格した人が自分が学びたい学部に行くのではなく入試難易度が高いと言われる学部に行ってしまうという傾向が出るが、入試科目を異なるものにしておけばどちらが上か下かわかりにくいということがあって慶應大は経済学部と商学部の入試科目を意図的に分けていたのではないかな・・と思うが、商学部の入試科目に社会科1科目あってのは日本史か世界史のどちらかであって、地理A・地理B・倫理社会・政治経済はなかったのは、それは「社会科から1科目」という考え方ではなくてのどちらかから1科目を選択というものだったと思う。北野高校で京大・阪大・神戸大の法学部・経済学部・文学部などを受ける人には社会科は日本史と世界史の2科目選択を推奨していたのは、ひとつは日本史と世界史はどちらも歴史であり、「日本の歴史を中心とした世界との関係での歴史」(日本史)か「日本の歴史を含めた世界の歴史」(世界史)は共通する部分・重複する部分がけっこうあるので、教科書の厚さを見ると、倫理社会・政治経済の教科書は薄く日本史・世界史の教科書はぶ厚かったのだが、日本史と世界史には共通する部分・重複する部分がけっこう多いので教科書はぶ厚くても両方合わせたものの何割引きかの学習で対応できたことと、学習する姿勢が共通する学習法でできたという点があったかと思う。それで、高校の日本史と世界史について、どちらか1科目を選択するという場合、どちらを選択する方がいいかという問題だが、最近のように社会が右傾化してネトウヨみたいのがウヨウヨするようになると、日本史は戦前回帰してきて学びにくいのに対して、世界史はネトウヨから襲撃されにくいので世界史の方がいいという面があるのだが、高校入学までに中学校および高校入試の「歴史」をある程度以上学んだ者にとっては、日本史と世界史だと中学校の「歴史」において学んだもので高校および大学入試においても通じるものが「日本史」においては多く、「世界史」では中学校および高校入試の「歴史」においては扱われなかったものがけっこうあったので、中学校および高校入試の「歴史」をある程度以上学んできた人は日本史の方を選択した方が高校入学までに学んできたもので活かせるものが多いと思われた。共通一次試験が始まると、共通一次試験では地理A(系統地理)と地理B(地誌)での2科目選択は不可になったので東大の文科1類・2類・3類を受ける人も地理Aと地理Bでの2科目選択はできなくなり、京大・阪大では法学部・経済学部・文学部などでも社会科は共通一次試験の点数をそのまま数学・英語・国語などの二次試験に合算するようにしたので共通一次試験で2科目選択になり、そうなると倫理社会と政治経済の2科目選択とした方が「教科書の厚さを比較すると」倫理社会と政治経済の教科書は薄く日本史・世界史の教科書はぶ厚いことを考えると、なおかつ、最近は平均点調整してくれるようになったらしいが、私が受けた最初の頃は平均点調整してくれなかったので、薄い教科書の科目を選択した方が得という面が現実にあった。日本史と世界史は思考が共通するのに対して政治経済と倫理社会は異なるけれども、倫理社会は現代国語と思考が共通する部分があり現代国語は国立大学ではたいていの大学で2次試験にあったし共通一次試験にもあったので、思考が異なる科目を2つということにもならなかったのではないか。
  それで、だ。比較的入学難易度が低い私立大学を受ける場合に、高校入試の段階で難易度が高い高校に進学した人が、もしも、高校入学後にあまり勉強しなかったとして、中学校および高校入試において学んだものだけで対応できるものかどうかというと、英語は高校入試の英語も大学入試の英語も「英語は英語」であり難易度が低い私立大学の入試の問題にはそんなに難しいものは出ないと思われるので、大阪経大くらいの入試問題の英語ならば、大阪府で最難関の高校に「比較的学力水準が高い中学校卒で入学した男子生徒」ならば、仮に高校でまったく何も勉強しなかったとしても、高校に入学するまでに学んだもので対応できる。
  国語もまた、「現代国語はしょせん、日本語」だから勉強してもたいして成績は変わらんという説があったがそれは嘘で、私は結局、2年浪人してしまったが特に2浪目には国語の成績は相当上がって東大の二次試験でも他の科目についてはともかく国語については東大の受験生の中でもいい方の成績を取れたのではないかと思っているのだが、それは東大とか京大とかそういう大学を受ける人の話であって、大阪経大とかそのくらいの私立大学を受けるのならば、現代国語だけでなく古文でも中学校および高校入試で学んだもので十分対応できると思われるのだ。
  数学とか物理とかいうのは、これは中学校および高校入試でどんなに力を入れて学び高得点を取っていたとしても、中学校の数学や中学校での「理科 第1分野」ではやっていないものが高校の数学・高校の物理にはあるので、これは高校入学までには相当勉強したけれども高校に入学後はまったく勉強しなかったという人がもしもいたならば、難易度が低い大学の入試でも解けない可能性が考えられる・・けれども、入試で数学や物理がある私立大学というのは早稲田大の理工学部・慶應大の医学部・慶應大の理工学部とか理工系・医薬系の学部であって、大阪経大とか経済学部の私立大学では、たいてい、英語と国語と社会科1科目で受けられたはずなのだ。
  ということは、大阪府で最難関の高校に比較的学力水準が高い中学校卒で合格・入学した人が、もしも高校入学後にまったく勉強しなかったということが、もしもあったとしても、大阪経大くらいならば、英語と国語は中学校および高校入試で学んだもので対応できるし、社会科1科目は日本史を選択すれば中学校の「歴史」で学んだもので対応できる、もしくは政治経済が選択科目にあったら中学校の「公民」で対応できる可能性が低くないと思われるのだ。
  だから、「大阪府で最難関の高校に比較的学力水準が高い中学校卒で入学した人」はもしも高校に入学してからまったく勉強しなかったとしても、大阪経大よりはましな所・・と言うと怒る人がいるかもしれないけれども、実際問題として大阪経大よりは難易度が高くて社会的評価も高い大学というくらいには合格できるはずなのだ。
  「北野高校からでも大阪経大に行くような女の子がおんねんでえ」というラグビー屋のおっさんの発言が本当なのかどうかわからんが、本当にどこでもいいと考えた人、たとえば、高校を卒業した後、何らかの理由で「大学なんか行くかあ」と思って大学に進学しなかった人が、卒業後、何年も経った後で、大学入試の問題を解く能力は高校卒業時より低下してしまった時点において、司法試験に合格して弁護士になったろ・・と考えたとして、これは柴田孝之が『司法試験機械的合格法』(実業之日本社)で書いておったことでもあるが、その頃の司法試験は1次試験に合格するか4年制大学の2年を修了するかで2次試験を受けることができたので、かつ、1次試験を免除してもらえる「4年制大学の2年修了」という大学は何も東大とか京大でなくてもいいわけで、又、法学部でなくてもいいわけで、短大はだめだが4年制大学なら何学部でもいいし、国公立でも私立でもいいし、「バカでも入れる私大」でもいいというものだったので、けっこう広い範囲から出題される司法試験1次試験に合格するのと「バカでも入れる私大」に入学して2年を修了するのとでは「バカでも入れる私大」に入学して2年を修了する方がやさしいので、「ともかく早く司法試験に合格するため」という視点で考えるならば、司法試験1次試験合格で司法試験2次試験を受けるよりも「4年制大学の2年修了」で受けた方がよく、かつ、「あんまり下の大学なんか行くのはプライドが許さん」とか言って東大とか京大に行くために何年も浪人するとかするよりも「バカでも入れる私大」にほとんど無試験みたいな試験に通って行って2年を修了する方が負担が軽い、司法試験に合格するまでの負担を考えればその「バカでも入れる私大」はできれば学費が安い大学がいい・・となると、私立大学の中では学費が安い! と言われている大阪経大は「司法試験2次試験受験資格取得最短近道」としてそれに該当するので、この際、プライドなんてものは押入か床下収納庫にでも置いておいて、もしくは小屋裏収納にでもなおしておいて、「バカでも入れる私大」の中で学費ができるだけ安い大学にほとんど無試験で通る大学入試を経て入学して「4年制大学の2年修了」により司法試験1次試験免除になって司法試験2次試験をめざそう・・・、もしくは司法試験と同様に「4年制大学の2年修了」で1次試験免除で2次試験を受けることができる公認会計士試験をめざす人が「バカでも入れる私大」の中で学費が安い所に行って「4年制大学の2年修了」の条件を獲得する・・・ということなら、「公認会計士試験2次試験受験資格取得最短近道」としてありうることだと思う。大阪経大には二部もあったし。
  そういう大学入試に失敗して行かなかったか、もしくは何らかの理由で「大学みたいなもん、行くかあ」という気持ちになって大学に行かなかった人が敗者復活戦みたいに司法試験なり公認会計士試験なりをめざすために、「ともかく負担が軽い大学」、この場合、「負担が軽い」というのは入試難易度が低くて間違いなく合格できるという意味と、入学後の学費が安いという意味の2通りで「負担が軽い」大学として大阪経大に行ったということなら、大阪経大は昔から私立大学の中では学費が安い大学と言われてきた大学なので、ありうることかと思う。
  それ以外だと、(実は今は昔、私もやったことがあるのだけれども)あほくさくなって入試の時に受験番号と氏名しか書かずに答案出して帰ってきたとかするやつがいて、不合格になると思ったら合格にされてしまった・・なんてことがこれは慶應大や早稲田大ならないと思うが難易度が相当低い私立大学ならないとは言えないかもしれない。
  北野高校の場合は、男子生徒は大阪府で最難関の高校だったが女子生徒は「受けさえすれば合格する高校」だったので女子生徒には入学時の学力が低い人はいたと思われるので、そういう人が卒業後にあまり評価が高くない大学にしか合格できないということはありうることで、あったと思うけれども、それにしても大阪経大よりはもうちっとましな所に行けんもんか・・と思うけれども、又、女性の場合は大阪経大くらいしか合格できる所がなかった場合でも、大阪経大よりも女性に向く大学・短大がほかにありそうにも思えたのだが(それこそ、女性なら、系列の金蘭千里高校に北野高校を退職した先生で再就職していた人が多かったことから北野高校の卒業生が行きたいと言えば電話1本で合格が決まると言われていた金蘭短大〔そういう話があったというこで、ほんまかどうか知らんで〕の方が良かったのではないのか)、それこそ、女性が東大とか京大とかに行ってもいいことあるか、それでも行くという人は行ってはいかんということはないが、女性で北野高校に行った人でも大学は女性なら神戸大か大阪外大(現 大阪大外国語学部)か大阪教育大かそのくらいでいいのではないか、私立大学で関学か神戸女学院かそこらでも別にええがな・・、同志社女子大とか京都女子大とかに行ったとしても、「ええ~え、京都女子大なんて箕面高校の子が行く所と違うのお~ん。北野高校まで行って京都女子大なんか行くのお~ん」とか言う人がいるかもしれないけれども、そういう時だが女性の場合は勉強ができて成績がいいと「女の子なのに、えらいわねえ~え」と言ってもらえるが、成績が悪いと「女の子だから、できなくてもいいの。きゃぴ」とか言って通じるわけで、男はそうはいかないのだが女性は通じる・・てなんかずっこいような気もせんことないのだけれども、卒業後、履歴書とか釣書(つりがき)とかに記入した場合、女性の場合は「京都女子大卒」とか「金蘭短大卒」と「大阪経済大学卒」ならば「京都女子大卒」か「金蘭短大卒」の方が印象がいいのと違うか・・・、男はいいかどうかの前に京都女子大とか金蘭短大とかは女性専用車だから入場できないけれども、そう考えると、「北野高校から女の子でうちの大学(大阪経大)みたいなもんに来るやつおるねんでえ」という話は、たとえ、女子生徒で大阪経大程度の大学しか合格できない人が本当にいたとしても、普通は大阪経大ではなくてどこか「受ければたいてい誰でも通る」女子大の方に行くのではないか・・と思うと、ほんまかいな・・と思えてくることだ
  もしも、本当に大阪経大に行った人があったのならば、それは「比較的学力水準が高い中学校卒で大阪府で最難関の試験に通って行った人」ではなくて「女性は受けさえすれば通る高校」に行った人だろう。ラグビー屋のおっさんは、そんなことで「比較的学力水準が高い中学校卒で大阪府で最難関の試験に通って行った人」で大阪経大に行ったやつがおんねんぞお~お・・と言うことで私に悪口言ったつもりだったようだったが、そういうものとは違う・・と普通はわかりそうなものだが、わからんのが「アタマがラグビー」のおっさんだった。


   福島県いわき市に県立磐城高校という進学校がある。私は1990年代に福島県いわき市に5年間、住んでいたが、私がいわき市に住んでいた頃までは磐城高校は男子校だったが、私がいわき市を離れてすぐ後くらいに共学になり、同じ頃、この地域の女子高では一番の進学校だったらしい磐城女子高も共学になって磐城桜が丘高校になったらしい。 もっとも、磐城女子高⇒磐城桜が丘高校は「いわき市の女子高の中では進学校」と言っても、いわき市に住んでいた時に勤めていた(株)一条工務店にいたいわき市生まれのおじさんが言うには「うちの近所に磐城女子高に行ってるやついるけんども、なんだか、パ~ンツの見えそうなスカートはいてからに、およそ、進学校の生徒て感じしねえなあ」とか言うておったから、そんなものかもしれない。
   磐城高校は1971年に野球部が甲子園大会に出場して決勝戦まで進み、1969年に太田幸治が投手の青森県の三沢高校が決勝戦まで進んだものの延長18回までやって引き分け再試合の2試合目に松山商業に敗れて準優勝に終わった後、東北勢として決勝戦に進み、それも進学校の公立高校が甲子園大会に決勝戦まで進んだということだったが、決勝戦は神奈川県の桐蔭学園高校との対戦になり、桐蔭学園高校は初出場で、初出場の桐蔭学園が優勝するのか東北勢初の優勝を公立進学校の磐城高校が勝ち取るのかと言われて、僅差で磐城高校は敗れたのをテレビ中継で見ていた記憶がある。前年の1970年は大阪府のPL学園高校が決勝戦まで進み、後に日本ハムファイターズに入団した新美投手が投げて、南海ホークス⇒近鉄バファローズに進んだ新井外野手が4番を打ち、大阪府大会から甲子園の全国大会を通じてチャンスで新井に打順がまわると必ずタイムリーヒットを打って勝ってきたPL学園の決勝戦の対戦相手はというと、東海大相撲(とうかいおおずもう?)て、野球なのか相撲なのかわからん名前の高校・・て、これはPLの優勝だな・・・と思いきや、東海大相撲 は野球も強くて、それまでチャンスに打順がまわると必ずタイムリーヒットを打った新井が東海大相撲 相手の決勝戦ではチャンスに凡退してPLは負けた。なんと、大相撲に負けた・・・と思ったのだが、どうやら、東海 大相撲(とうかい おおずもう)ではなくて、東海大 相模高校(とうかいだい さがみ こうこう)だったらしい・・と後に知った。「相撲(すもう)」ではなくて「相模(さがみ)」だったが、どっちかというと大阪のPL学園を応援するみたいに見ていたが、1971年は関西人としては「どっちかというと磐城高校を応援」みたいにテレビ中継を見ていた・・が、桐蔭学園高校が勝って優勝した。
  大阪府の公立高校は戦後すぐに男子校と女子高が生徒を交換して共学になったが、福島県の県立高校は1990年代においても磐城高校は男子校で磐城女子高は女子校だったが、2001年だかに磐城高校は男子校から共学に、磐城女子高は女子校から共学になったらしい。
  いわき市で勤務していた時、いわき駅の北西のあたりの道をクルマで走っていたら、なんだか、擬洋風建築というのか、風情のある外観の建物があったので、建築探偵団としては、あれはなんだろう・・と思ってクルマを降りて見にいってみると、磐城女子高の建物だったので、これはいかん、女子高なんか見に行って「や~い、へんた~い」なんて言われたのではたまらん、やっぱり、何と言っても建築屋は安全第一であり、女子高の建物なんて見に行くのは危険だ・・・と思って離れて、かわりに、(株)一条工務店の従業員で磐城女子高卒の人がいたので、あの建物は何なのでしょうかと質問してみたのだったが、質問されても要領得ない答えしか返ってこないみたいで、この相手に尋ねてもあかんみたいやな・・とあきらめた。 ウィキペディアー福島県立磐城桜が丘高等学校https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E7%A3%90%E5%9F%8E%E6%A1%9C%E3%81%8C%E4%B8%98%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 によると、図書館兼同窓会館の「桜丘会館」が2013年に有形文化財に指定されたそうなので、それではないかと思う。  今は共学になったらしいから、建物の見学に行ってもそう問題ないかもしれないが、擬洋風建築としては、私がいわき市に住んでいた1990年代において男子校だった高校では福島県郡山市にある安積(あさか)高校に明治時代の擬洋風建築の校舎があると、杉山英男『地震と木造住宅』(丸善)に出ていて、それで私も郡山市に行くことがあった際に安積高校まで行って外観だけだけれども見学してきたことがあったが、無理して女子高の建物なんか見に行く危険を冒すよりも男子校だった安積高校の建物を見に行く方が安全第一の建築屋の考え方に沿うものだった。
地震と木造住宅 - 杉山 英男
地震と木造住宅 - 杉山 英男
  杉山英男『地震と木造住宅』(1996.7.10.丸善)では、福島県立安積高校の建物は《開成館(福島県郡山市、1874年)》と出ており、《 (明治期の擬洋風建築は)洋風の道具立てを持ちながら、一方ではなまこ壁(平たい瓦を張り付け、その継目には小高く蒲鉾型に漆喰を塗った壁(新潟税関庁舎)、玄関の唐破風(開成館〔福島県郡山市〕・開智学校〔長野県松本市〕や入母屋破風(金透記念館〔旧金透小学校。福島県郡山市〕・旧東村山郡役所〔山形県天童市〕)・寺院を思わせる華頭窓などの純日本風の小道具が同居混在したものが多かった。》という擬洋風建築のうちで、洋風の道具立てを持ちながら純日本風の小道具として「玄関の唐破風」を持つ建物の例として出ているが、
ウィキペディアー福島県立安積高等学校https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E5%AE%89%E7%A9%8D%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1 によると、
県立安積高校の《 旧福島尋常中学校本部(旧本館)は1977年(昭和52年)に国の重要文化財に指定され、現在は安積歴史博物館となっている。》そうで、私は1990年代に現地まで行った時は高校の建物だと思っていたので外観を見るだけにして帰ってきたが、安積歴史博物館として公開されたらしいが、安積歴史博物館HPhttps://anrekihaku.or.jp/ を見ると、《令和3年(2021年)2月・令和4年3月の福島県沖地震により、旧福島県尋常中学校本館は被災しました》ことから長期休館中らしい。 
  1980年代、慶應大学に在籍した時に、福島県出身の人が「磐城高校は福島県では大学に行かなくても、磐城高校卒は大卒と同じ扱いの学校なんだから」と話していたことがあったので、1990年代に(株)一条工務店で いわき市の営業所に勤務した際に、同じ営業所にいた いわき市生まれの人に「磐城高校卒だとこの地域では大卒と同じ扱いになるそうですね」ときいてみたところ、「(この地域で’二番手校の)湯本高校卒でも早稲田大とかそのくらいの大学に行ったなら磐城高校卒で大学に行かなかった者よりも評価は高いけれども、無名の私立大学卒なら磐城高校卒で大学には行かなかったという方が評価は上ですね」という話だった。

  それで、だ。 うちの母方の叔父のラグビー屋のおっさんは、その磐城高校もけなしよるのだったが、磐城高校は私が卒業した高校でもなく、私が勤めた会社が私にその地域に勤務してくれと言うから勤務した地域の高校で、そこで知った人で磐城高校卒の人もおれば、息子が磐城高校に行ってる・弟が磐城高校に行ってるという人もいたので、全然関係のない高校よりは親しみは感じたし、そういえば、1971年に公立高校の進学校が甲子園の全国大会の決勝戦に出場してあと一歩で優勝ということがあったあの高校だな・・と思ったもので、住宅建築業の会社の営業の仕事をするとあちらこちらを動き回るのが仕事であり、磐城高校の近所にも行くことがあって、ここにあるのかあ・・なんて思ったこともあったけれども、そうであっても私がそこを卒業したわけでもなく、なんか私をけなしたいと思うと、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいに磐城高校の悪口まで言いよるのだったが、なんか、ようやる・・て感じやった。

  ラグビー頭のおっさんは何を言うのかというと「いわき に磐城高校て進学校があるやろ。あそこからでもうちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来るやつおるねんで」と。 だから、何やねん・・てものだが、磐城高校が私が住んでいた福島県いわき市にあるその地域では一番の進学校で、毎年、2人か3人か東大に行く人間がいる高校だけれども、そこから大阪経大みたいなもんに行くやつがおるということにすることで、それで私をけなしていることになると思ったみたいだった。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というものだが、だから、何やねん・・てものだ。
   
  まず、「地方の進学校」というものは東京圏の進学校・関西圏の進学校とは事情が違うということを理解していない人がいる。1978年、大阪府高槻市にあったYMCA予備校高槻校 の 京大東大文系クラスの「主事」という名称をなのっていた男性事務職員の藤井という男(当時、50くらい?)が「ガイダンス」として何人もを集めた場でマイクに向かって、「地方の国立大学を受けたら易しいと思っている者がいるけれども、地方の国立大学はその地方で優秀な人間が受けるんだから、地方の国立大学は決して易しくないんだからなあ」などと発言。又、「地方の人間はきみらと違って根性があるから、数学の問題でも根性で解くんだから、きみらとちがって泥臭い解き方でも根性で解くことができるんだから」と発言したのだったが、この男もまあ、次から次へといいかげんなことをよく言うもんだ・・とあきれた。
  まず、数学の問題て藤井が言ったような「根性で解く」なんてことできるのか? ・・・できるわけないだろうが。できたらおもろいわ( 一一)  よく「体育会系」の人間がそういうことを言うが、あほくさいことこの上ない。1980年代、慶應大学に「体育理論」という必修科目があって、そこで、体育会の教授がどういうあほくさいことを話すかというと、たとえば、「体育会の人間は学力はないが、根性がある。たとえば、この春に体育会陸上部に入った何何くんだが、4月に入った時はトラック1周を走るだけでぜいぜい言っていたが、半年ほど経つと、何周走ってもなんともなくなった。これは根性がついたということだ」などとおっしゃったのだ。私はそれを聞いて「せ~んせ~え。それって、『根性がついた』のではなくて『体力がついた』のと違うのですか~あ?」と言いたかった・・のだが、逆らうとうるさそうだったので言わなかったが、体育会の教授が言う「根性」というのはそんなものだ( 一一)
  大学受験には根性も必要だとか言って腕立て伏せとかやる人がいるけれども、腕立て伏せやりたかったらやってもいいが、私も10代から20代の頃はやっていたのだけれども、しかし、腕立て伏せをやるのに最初はひいひい言いながらやっていたのが、そのうち、慣れてきて楽々とできるようになったとしても、それは「根性がついた」のではなくて、腕立て伏せをやる部分の体力・腕力がついたのだと思う。大学受験において、健康管理に気を配るというのならそれはいいと思うし、毎日、それほど学習時間を奪わない程度に体力づくりをやるのも悪くはないとは思うが、腕立て伏せを相当何回もできるようになれば「根性がついた」ということで根性で数学の問題を解けるようになるだろう・・とか考えるのならば、そういう考え方はやめた方がいいと思う。数学の問題を解くためならば、腕立て伏せをやるよりも数学の勉強をやった方がいいと思う(^O^)  数学の問題を解くためならば、根性をつけるよりも数学の能力を身につけた方がいいと思う。

  YMCA予備校高槻校の藤井は「地方の人間は農業やってるから根性あるんだからなあ」とか言っていたが、農業やると根性つくのだろうか。ぼけっと聞いてると「そうかいなあ」とか思いそうだし、『巨人の星』に出てくる左門豊作なんて熊本県人はいかにも「農業やって根性つけた」みたいなキャラクターだが、農業やったら根性がついて数学の問題が解けるようになるのか? 数学の問題を解けるようになるには数学の勉強するよりも農業やったほうがいいのか? ・・・違うと思うぞ~お( 一一) 『巨人の星』では左門豊作はまき割りやっていたけれども、薪割りやると根性つきそうにも見えないことないが、薪割りやったら根性ついて数学の問題がとけるようになるか・・というと、違うと思う。逆に相当難しい数学の問題をとけるようになったら根性ついて左門豊作みたいに野球できるようになるかというと、それも違うと思う。
  それから、地方の人間は農業やってるのに対して、都会の人間は農業やってないから都会の人間よりも地方の人間は根性あるとYMCA予備校高槻校の藤井は言いたいようだったが、それも違う。 藤井は地方の「兼業農家」というのは週に5日か6日、農業やって週に1日か2日だけ「兼業」やってるみたいに思っていたようだったが、もしくは普段は農業やって農閑期だけ「兼業」しているみたいに思っているみたいだったが、現在の「兼業農家」というのはそうではなくて、農業以外をやっている日の方が多いのだ。福島県のいわき市やその周辺の「兼業農家」でも多くの人が正社員として会社勤めしていて、週末だけ田んぼの世話するとか、毎日、会社づとめしているけれども、時々、田んぼ見に行くとか、そんなもので、農業の方を優先するのは田植えと稲刈りの季節だけ・・というのが普通なのだ。藤井は何もわかっていない男であったにもかかわらず、「地方の人間は農業やってるからきみらみたいな都会の人間と違って根性あるから、根性で数学の問題解くんだからなあ」などと「ガイダンス」していたのだったが、そんなもの、嘘に決まっとるだろうが( 一一) そういう嘘つき男をうちの母親は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人ではない」などと寝言を言っていたのであり、うちの父親はそういう嘘つき男を「専門家の言うこと、専門家の言うこと。専門家です、専門家。せ~んも~んかあ~あ!」などと言って、私が「あんなやつ、専門家と違います」と言っても言ってもきかなかったのだった。
  そして、我が家は私が小学校4年の途中に、大阪市内から大阪府の北摂地区に転居したのだが、郊外で土地を購入して転居したことから大阪市内に住んでいた時よりは広い敷地の家に住むことになったが、それがいいような悪いようなで、毎週土日は朝から晩まで農作業させられた。庭でキュウリ・トマト・茄子・かいわれ菜など作る農作業を私はさせられたのだったが、同級生で集合住宅に住んでいた者なんかはそんなものやる庭なんかないから土日は自転車に乗って遊びに行き、野球やったりしていたのだったが、私だけが土日は常に農作業させられていた。だから、YMCA予備校の藤井が言うように地方の人間は「農業やってるから根性ある」のであり「根性あるから数学の問題も根性で解く」ということができるのならば、私も小学校の高学年から中学校にかけて、相当、農作業やらされたから、相当、根性ついたはずであり、根性で数学の問題とけるはずだったが、そのわりに根性がどうかにかかわらず、解ける問題は解けるが解けない問題は解けなかった。やっぱり、どんなに根性つけても根性で数学の問題は解けないと思う。 数学の問題を解けるようになりたかったら根性つけるよりも数学力をつけた方が効率的ではないか・・と思う。

  北摂地区の家では、私は小学生から中学生にかけて、キュウリ・トマト・茄子・かいわれ菜など作る農作業をさせられたが、それとともに芝の手入れもさせられた。うちの父親は私が手入れをした芝の上でゴルフのパットの練習やっておったが、私に手入れをさせた芝の上でゴルフのパットの練習やった上で「これまで、あんたがわしに世話になったこと・やってもらったことはいっぱいあるけれども、わしはあんたに何ひとつとしてやってもらったことはないし、今後もあんたに何かひとつでもやってもらうということは絶対にないんやからな。絶対にやぞ。覚えておけよ。忘れてはいかんぞ」と何度も何度も言いまくりよったけれども、そして、死後、おっさんが入っている墓の掃除やったり世話しているのは私だが、なんで、「今後とも、あんたにわしが世話になることは絶対にないんやからな。覚えておけよ。絶対に忘れるなよ」と言いまくったおっさんが入っている墓の世話しなきゃならんのかと思ったりもするが、私がやらなきゃやる人間ないからやってきたけれども、ああいう、私に芝刈りさせた芝の上でゴルフのパットの練習やっておいて「わしはあんたに何ひとつとしてやってもらったことはないんやからな」と言いまくるおっさんて「ええ根性してる」と思うが、息子に芝の手入れをさせると芝の手入れをした息子に「根性がつく」のではなくて、息子に芝の手入れをさせたおっさんに「根性がつく」のだろうか、「あんたはわしにやってもらったものはいっぱいあるけれども、わしはあんたに何かやってもらったというものは何ひとつとしてないんやからな。何ひとつやぞ。何ひとつ、何ひとつ。何、ひと~つ!」と言いまくるおっさんて、本当に「ええ根性しとる」と思うのだが、あれだけ「ええ根性してる」なら、藤井が言う「地方の人間は根性があるから根性で数学の問題とく」ことができるのならば、あのおっさんもまた、「ええ根性しとる」から根性でさぞかし数学の問題とけるのではないか、会社員やってるよりも数学者になった方が適性があったということはないか・・・と思ったりもするが、いかがなものだろうか。

  それから、「地方の人間」は誰もが農家ではないのだ。農家ではない人でも何らかの血縁の人間で農家がいて、田植え・稲刈りの季節になると「猫の手も借りたい」状態になる時には手伝いに行くという人は多いが、本格的な農家の人の息子と血縁で農家の人の手伝いに行くこともあるけれども農家ではない人の息子とで農家の息子の方が「根性ある」から数学の問題が解けるかというとそうではない。又、福島県にも全国企業の支店・営業所や工場があり、そういう所には都会で採用された全国社員の人が勤務していることもあるわけだが、都会で採用された全国社員の人間が地方に一時的に転勤しているという場合、都会から来た人間というのは、そこにしばらくいるうちに「ここは、いい所だなあ~あ」と思って人格が地方化して根づく人も時としてある、東京に「社会復帰」できなくなる人もいるみたいだが、一般的には都会から転勤で来た人間は「都会の人間」であり、「都会の人間」と昔からの地方の人間とでは「都会の人間」の方が教育熱心で全体としては「都会の人間」の方が学業成績はいい場合が多い。地方に住んでる「都会の人間」というのは都会の人間なのか地方の人間なのか、どちらと考えるべきなのかわからんが、「地方の人間」は藤井が言うように「根性がある」から「都会の人間」よりも学業成績がいいということもなければ、「根性で数学の問題とく」から数学ができるなんてこともない。又、私が住んでいた大阪府の北摂地区の市では私が卒業した中学校と東隣りの中学校では私が卒業した中学校の方が全体として幾分、学力水準が高かったが、それはサラリーマンの息子が多い地域で、東隣りの方が地元の人・家に家業がある人が多い地域だったからで、家に家業がある人で息子にそんなに尻叩いて勉強させなくても家業を継いでくれたらいいと思う人と家に家業がない人の息子とでは家業がない人の息子の多い地域の方が学力水準は高くなる傾向があり、進学も熱心になる傾向がある。地方で農地を持つ人で農地を息子に継いでほしいと思っている人は、息子の勉強ができない方がいいわけではないとしても、必死で勉強させて東大にでも行かせて卒業する時になったら「うち、田んぼあるから百姓継げ」なんて言ってやったのではかわいそうだろ・・と思うと、まあ、お勉強はできない方がいいわけではないとしても、そんなに必死になってやらなくても・・となる場合があるのではないか。そういうことを考えると、農地を持って農業やってる人の息子は根性あるから数学の問題ができるという藤井さんの主張はどう考えてもおかしいし、実状を見た上でのものとは思えない。毎度、デマカセ・デタラメ言いまくりの藤井さんの寝言はもう聞き飽きた・・が、うちの母親はそういういいかげんなこと言いの男を「あの人はクリスチャンなんだから悪い人であるわけがない」と言ってきかず、うちの父親は「専門家やがな、専門家。専門家の言うことです、専門家、せんもんか、センモンカ、せ~んも~んくわぁ~あ!」と言い、私が「あんなやつ、専門家と違います。あんな男が専門家なら私の方がウルトラ専門家です」と言っても断固として絶対にきかなかった。大学入試における「親の違い」というものを実感した。親の方があの男はおかしいと気づいて「あのアホは相手にするな」と息子に教える親と息子が親に教えてもきかない親とでは大学入試においてもどうしても差が出る。
  だいたい、そんなに根性あるなら、数学の勉強しないで根性で数学の問題とくのではなく、数学の勉強やって数学の問題とけるようにしろよ・・てもんだ。数学の勉強をする根性がない者が数学の問題を解く時になったら突然、根性を発揮するとは奇妙な発想だ。
  まったく、つくづくYMCA予備校の自称「敬虔なクリスチャン」は次から次へといいかげんなことばっかり言うものだった( 一一)  カール=マルクス『ユダヤ人問題によせて』(『ユダヤ人問題によせて・ヘーゲル法哲学批判序説』城塚 登訳。岩波文庫 所収)には、
《 われわれは、現実の世俗的なユダヤ人を見ることにしよう。すなわち、バウアーが見ているような安息日のユダヤ人ではなく、平日のユダヤ人を見よう。 ユダヤ人の秘密を彼らの宗教のなかに探るのではなく、その宗教の秘密を現実のユダヤ人のなかに探ることにしよう。 ユダヤ教の現世的基礎は何か? 実際的な欲求、私利である。 ユダヤ人の世俗的な祭祀は何か? あくどい商売である。彼の世俗的な神は何か? 貨幣である。・・・ 》
と書かれている。「敬虔なクリスチャン」というものをYMCA予備校高槻校の藤井さんのような人のことだと考えて、「クリスチャン」を『聖書』の記述のなかに探るのではなく、「敬虔なクリスチャン」であるというYMCA予備校高槻校の藤井さんのなかに探るならば、「敬虔なクリスチャン」というのは、ろくなもんじゃねえな・・・ということになる。
ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説 (岩波文庫 白 124-1) - カール・マルクス, 城塚 登
ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説 (岩波文庫 白 124-1) - カール・マルクス, 城塚 登
  数学の問題の解き方に「泥臭い解き方」とそうでない解き方、エレガントな解き方なんてあるのか・・というと、「泥臭い解き方だけれども根性でとく」なんて、そんなものあるか!・・と藤井の言うことを聞いた時には思ったのだが、柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「『大学への数学』に載っているようなエレガントな解き方」をしなくても解ければいい・・といったことを述べていたのを見て、これならある話だと思った。たしかに「大学への数学」(東京出版)という月刊誌には「エレガントな解き方」が載っていた。私も「大学への数学」でその解き方をある程度は身につけた。高校3年の時に代ゼミの東大模試を受けたところ、その解答を見ると、それまで自分が書いてきたもの、北野高校の数学の授業で数学の先生が板書していたものとか旺文社の『傾向と対策』とかに載っているようなものと異なる書き方がされていて、東大の入試の数学の問題はこのような書き方をしなければならないものなのだろうか・・・とか思ったことがあったのだが、問題集とか模擬試験の解答とかを見ると、その出版社や模擬試験実施者によって数学の答えの表現手法が異なることがあるみたいだが、基本的には「答えることができればいい」と考えるべきではないかと思う。 「大学への数学」(東京出版)に載っていた表現はたしかに柴田孝之が言うように「エレガント」な感じのものだったように思うが、それにはまりそうになるけれども、大事なのは「エレガントな感じ」かどうかではないと思う。「泥臭い表現」でも特に問題はないと思うが、その「エレガントな表現」か「泥臭い表現」かは「大学への数学」をやっていたかどうかは関係しても、地方の人間か都会の人間かは関係ない。まったくつくづく、YMCA予備校の藤井という男は受験生を混乱させるためなら何でもやる・何でも言うという男だった( 一一)

  それで、「地方の国立大学」は易しいのかそうでないのかというと、なんだかんだ言っても東大や京大よりは易しいだろう。しかし、あまりにも易しいだろうと思いすぎると、そこまで易しいわけではない、という場合もある。 もうひとつ、東大や京大を受けるつもりでいた者はその大学の問題を頭に描いて答えられるようにしてきたはずで、地方の大学の問題を頭に描いて対策をとってきていないはずで、大学入試はその科目に対してどれだけ学習したかとその試験問題についてどれだけ対策ととったかで点数は変わるのだが、試験問題について対策をとっていない大学の問題はそれまで受けるつもりにしていた所よりも一般的には易しい所であっても、試験問題に慣れていないことから、その点で易しいとは言えないという場合はある。
  そうは言っても、なんだかんだ言っても東大や京大・阪大などに比べて地方国立大学は入試難易度は低い場合が多いのであり、「地方の国立大学は地方の進学校の人間が受けるのだから、易しいことない」とか「地方の人間はきみらと違って根性があるから数学の問題でも根性で解くから」とかそういうアホな話はない。まったくつくづく、YMCA予備校の藤井という事務職員は受講生を混乱させるためならデマカセで何でも言う男で害がある人間だった( 一一)
  むしろ、地方の国立大学というのは、それぞれの地方と密着している場合が多いので、国立大学なら都会の大学と変わらないだろうと思って行くと、あまりにもその地方と密着した体質に違和感を覚えることが考えられ、入試の難易度が高いか低いかよりも、その地方とつながりがない人間が行った場合になじむことができるかどうかといったことも考える必要があり、又、卒業後の就職先も過去の実績を見るとその地方の企業が多いという大学が多いので、その地方とつながりがない人間が行った場合に勝手が違うということもあるはずであり、そのあたりを認識するようにした方がいいと思う。予備校はそのあたりを受講生に説明してあげるのが良心的と思うが、YMCA予備校と事務職員の藤井はデタラメ・デマカセの嘘ばっかり話して、そういった話はできない男だった。
  それから、旧帝大系国立大学というと東大・京大・阪大みたいなものだろうと思うかもしれないが、東北大は東大・京大・阪大の仲間と考えるよりも、岩手大・山形大・福島大・茨城大の仲間と考えた方がいいということはないか・・・と「何割か福島県人」としては思う。少なくとも、東大・京大・阪大の仲間だろうと思い込んでいると、岩手大・山形大・福島大・茨城大の仲間の性質が強いことに違和感を覚えるかもしれない。北海道大もそうかもしれない。そのあたりを東京圏・関西圏の受験生は頭に入れておいた方がいいと思う。慶應大学にいた時、ステューデントカウンセラーズというサークルに宮城県人と福島県人がいて、この2人が寄ると、「まったく、東北のいなかもんは東北大なんて落ちこぼれの行く大学をエリートだとか思いやがってからに。慶應の方が難関なのに」とかぶつぶつ言うておったのだが、慶應大と東大ならば、普通は東大の方が難関と考えるし、両方通ったら普通は東大に行くけれども、慶應大と東北大ならばひとによって評価は異なるくらいかと思うのだが、「東北のいなかもん」は東北大をずいぶんといいと思うと慶應大に来た人間は不満に思っていたらしいが、慶應大は「東京圏を中心とする全国大学」だけれども、東北大の場合は全国大学の性質がまったくないわけではないけれども「東北地方大学」の性質があるのではないか。だから、宮城県の人間が慶應大と東北大なら地元の東北大の方がいいと思って行くならいいだろうけれども、東京圏や関西圏の人間は東北大はどうしても「東北地方大学」の性質があるというそのあたりを考えた上で受けていいかどうか考えるべきではないか、と思うが、YMCA予備校というのはそういったことを受講生に教える能力は完全に欠落している予備校で「根性で数学の問題とく」とかデタラメばっかり言う予備校だった。そんなもん、根性で数学の問題なんかとけるか、あほくさ。

  それで、福島県には浜通りの いわき市に磐城高校、中通りの福島市に福島高校、郡山市に安積(あさか)高校があって、「サンデー毎日」とかの大学合格者数一覧とか見ると、会津若松市に会津高校という高校があって、この4つが福島県での進学校とされているらしい。1980年代、2浪で慶應大学に入学して東京六大学野球の慶應野球部で活躍して社会人野球に2年行った後、西武ライオンズに入団した鈴木哲投手は福島高校の出身だったはずです。1971年に磐城高校の野球部が全国大会で決勝戦まで進んだ時も「公立高校の進学校」の野球部が全国大会の決勝戦まで進んだ・・と言われたが、そして、これらは1990年代までは男子校でそれぞれの地域にそれに対応する女子高があったようだけれども、いわき市生まれの人に聞くと「前の勤め先に磐城高校の生徒がバイトに来ていたけれども、そんな賢そうな感じじゃなかったですよ」とか、さらには「うちの近所に磐城女子高に行ってるやついるけんども、な~んだか、パ~ンツの見えそうなスカートはきやがってからに、およそ、進学校の生徒て感じしねえなあ」とか、そういうことを言うのだった。それでも、磐城高校から毎年、東大に2人か3人通るみたいだけれども、「昔に比べると磐城高校から東大に合格する人間減ったよなあ」て話で、それは、磐城高校の近所の道を歩いてみると磐城高校に行く高校生のための下宿屋なんてのがあり、大阪や東京には大学に行くための下宿屋はあっても高校に行くための下宿屋というのはあまり見ないが磐城高校の近所にはあったというのは、それは福島県の浜通りというのはけっこう広くて、磐城高校はJRの磐城駅(旧 平〔たいら〕駅)の近所にあるわけではなく、バスの便はあることはあるだろうけれども、地方のバス便というのは本数もそう多いわけではなく、自動車を運転できれば都会より道は混まないけれども高校生はクルマを運転できないから、福島県の浜通り地区でも磐城高校まで通うのはけっこう大変で、どうせ下宿して行くのならば、東京の開成高校は西日暮里の駅の前にあることだから、開成高校に下宿して行くのも磐城高校に下宿して行くのもたいして変わらないのなら開成高校は私立高校で東京都民でなくても行くことはできるしするから、そっちの方がいいかと考える人もいるとか、その結果、「前の勤め先に磐城高校の生徒がバイトに来てたけれどもそんな賢そうに見えなかったですね」とか「うちの近所に磐城女子高に行ってるやつがいるけんども、なんだかパ~ンツの見えそうなスカートはきやがってからに、およそ進学校の生徒て感じしねえなあ」とか・・そういうことみたいだった。

   それで、YMCA予備校高槻校の事務職員の藤井は「地方の国立大学は地方の進学校の生徒が行くんだからなあ」と言い、「地方の進学校の生徒はきみら都会の人間と違って根性あるから数学の問題でも根性で解くんだから」とか無茶苦茶言うておったけれども、実際問題として、その「地方の進学校」というのは東京圏の進学校とか関西圏の進学校と比べると、たいした進学校ではなかったりするのだ。だから、磐城高校卒業した人で東大に合格して行く人も何人かいるとしても、片方で大学に進学するにしても、進学校の卒業生がそんな大学しか行けないの? ・・みたいな大学に行く人も現実にあるみたいだ。実際に大阪経大に磐城高校から行った人があったのかどうかは知らんが、うちのラグビー屋の叔父のおっさんは磐城高校卒で大阪経大に来るやつがおったと言うのだからいたのかもしれない。
   しかし、だから何なんだ・・てもんだ。 うちの母方の叔父のラグビー屋のおっさんは、そういうことを言うことで私の悪口を言っているつもりだったようなのだが、私がいわき市に住んでいたとしても、そこの高校は私が住んでいたアパートの家主さんの出身校で、職場の同僚とかで息子が行ってるとか弟が行ってるとか、近所のやつが行ってるとかいうことはあっても、私の出身校でもないし、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」みたいに言われてもどうしようもないのだ。まあ、関西の人間ならば、「まがりなりにも進学校の高校に行ったからには大阪経大ではなくて、もうちょっといい所に行けそうなものだけれども」と思うところのものを、福島県の人間にはそういう感覚がないのかもしれないが、私の感覚なら、もうちょっと何とかなりそうに思うが、おっさんの言うことが本当なら行った人があったのだろうが、「地方の進学校」というのは東京圏の進学校・関西圏の進学校とは事情が違うということくらいはわかって良さそうなものだが、アタマがラグビーでできている人はわからないみたいだった。

   まあ、北野高校の卒業生でも女の子で大阪経大に来た者がいたとか、磐城高校の卒業生で大阪経大に来たやつがいたとか、ほんまかいやあ・・・というのか、本当の話であったのなら、もうちょっとなんとかならんかったんか・・と思うが、その人は私の娘でも息子でもなく妹でも弟でもないのだから、もしも、本人がいいと思って行ったのなら、私がどうこう言えるものでもなく、結論として「知らんがな」てものだ。

   北野高校は最近は橋下徹が「進学重点校」として、大阪府の公立高校を10校指定して、又、学区を撤廃したことで進学成績が復活したみたいだけれども、私が卒業した後、黒田知事の時には高校を増設していたのを岸知事になって増設するのをやめて1校あたりの定員を増やしたことで、もしかすると、それまでなら入学できなかった成績の人が入学するようになった時期があり、そういう時期には男子生徒だけでなく元から無試験で入れた女子生徒も学力レベルのより低い人が入学した時期があったと思われ、もしかすると、そういう時期に大阪経大に行った人なんてのもいたのかもしれない・・・が、私が卒業した後でそうなった時期があったとしても、それで私の悪口言ってるつもりだったらしいが、「知らんがな」てものだった。 ラグビー頭のおっさんはわけわからんことでからんでくるので、疲れる( 一一)

数学の学び方・教え方 (岩波新書 青版 822) - 遠山 啓
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数学受験術指南 (中公文庫 も 32-1) - 森 毅
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  数学を学ぶのに、ものすごい大変な計算を大量にやって根性つけるとか、そういう「根性つける」ことで数学ができるようにしようという考え方はやめましょう・・というのは遠山啓も森毅も言っているが、私もそう思う。
元気が出る教育の話: 学校・世の中・自分 (中公新書 655) - 斎藤 次郎, 森 毅
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佐保利流数学のすすめ - 森毅
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  (2024.8.1.)

☆ 日本キリスト教団 南大阪教会 とその付近・界隈
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2.日本基督教団南大阪教会(大阪市阿倍野区)・村野藤吾設計の塔屋・さっちゃんの歌の碑。「東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かす」か「慶應に行ったら女たらしに『教育』されて悪影響うける」か https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503752327.html
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