葬式があると必ず何かやる男。うちはあんたに何か頼むことは今後絶対にないんやからと言って息子の結婚式に出てくれと頼む男。ひとの経歴は「この人がこう言ったら実際はこんなところか」という思考で見ることが必要・・という世間知がない男—ー桃山桃山学院高校が嫌いな理由3

[第702回]
   私が中学生の時にうちのお姉さん2人は結婚して家を出ていったが、扱いにくい親2人を弟にくくりつけて2人よって千葉県まで逃げていきよった・・ような感じだった。 後から聞いた話では、できるだけ遠くに行きたかったと思っていたということだったが、私が思ったことと似たことを2人とも思ったようだった。この人から離れたいと思われていたうちの父親は「わしいほどエッライえっらいエッライえっらい魅力たっぷりの人間はおらんねんぞお~お」と日夜、叫んでいた。自分が息子と娘から嫌がられていた、ということについて自覚がない・「病識がない」人だった。「わしは、ものごっついものごっつい魅力的な魅力的な人間なもんやから、そやから、あんたはわしの近くにおりたいおりたいと思っておるのやけども、それでも東京に住みたいというくらいに東京という所があんたにとって魅力的な所やねん」とおっさんが言うので、「違いますよ。そんなこと思ってませんよ。そんなこと思いませんよ。私は関西人ですからそんなこと思いませんよ」と言ったのだが、「いや、違うことないねん。あんたにとっては東京という所がものごっつい魅力のある所やねん。そやから、わしいのようなものごっつい立派な立派な魅力たっぷり魅力たっぷり魅力たっぷりのおとうさんの近くにおりたいおりたいおりたいねえという気持ちがありながら、あんたは東京におるわけや。専門家の先生のおっしゃることやねん、専門家。絶対間違いあらへん。専門家がそうおっしゃってくださっていただいうてますねんでえ、専門家があ」とおっしゃるので、「その『専門家』とおっしゃる方が何とおっしゃっていても、私がそんなこと思ってませんと自分で言ってるのですから思ってませんて」と言っても、「そやから、あんたは自分では思ってないつもりでも実は心の底では思ってんねん。 専門家がおっしゃっておるのんじゃ、専門家があ! 専門家の先生がおっしゃってることやというて教えてやってやってやったっとんのんじゃ。わからんのか」とおっしゃるのだったが、「ですから、その『専門家』とおっしゃる方が何と言われても、私がそんなこと思ってませんと言ってるのですから思ってませんて。心の表面でも心の底でも絶対に思ってませんて」と言っても言っても、「そやから専門家が、あんたはわしのような魅力のあるすんばらしいおとうさんのそばにおりたいおりたいおりたいと心の底から強烈に思っておるのやけども、それでも東京におりたいというくらいに東京という所があんたにとって魅力がある所なんやあというて教えてくださっておるんじゃ。わからんのか。専門家の先生がおっしゃってることなんじゃ。わからんのか、おまえは」と言ってきかない人だった( 一一) 疲れるおっさんやった( 一一) 
  もしも、その「あんたは・・・と思ってるねん。専門家の先生がおっしゃってることやねん」「あんたが自分では思ってないと思っていても、実は思ってんねん。専門家のおっしゃることやねん」と言い張って、「そんなこと私は思ってませんと言ってるでしょ」と言っても言っても認めないというそういう「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」の主張が通るのならば、強制性交罪などという犯罪は成立しない。「あんたはわしと性交やりたいやりたいやりたいと心の底から思ってるねんいうて専門家の先生がおっしゃっておるんじゃ、わからんのか、わからんのか」と主張すれば「私はそんなこと思ってません。絶対に絶対に思ってません」と言っても言っても「専門家の先生が言われておるんじゃ、専門家の先生があ。あんたは自分では思ってないつもりでも、実は心の底では思ってるねん。専門家の先生がそうおっしゃってるんやいうて教えてやってやってやってやってやってやったっとんのんじゃ、わからんのか! もっと素直になれえ!」と言えば強制性交行為をおこなっても「本人がものごっつい希望しておったことなんや。専門家の先生がおっしゃっておりましてんでえ」という主張が通ることになる。その「専門家の先生のおっしゃること」というのは本当に難儀だ( 一一) 「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」は実に厄介な存在だ。「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」は本当に扱いにくい。「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」なのか、””「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」の専門家”” と称するイカサマ師なのか・・・。””「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」と称するイカサマ”” なのか、元々、「心理学」「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」がイカサマなのか・・。
  「専門家の先生が診断してくださったことや。絶対に間違いあらへん。わしは英雄で聖人で人格者で超人でスーパーマンで修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタで、『四十にして惑わず』の孔子で孟子であって、ひとこと命じれば水が葡萄酒に変わる、山に命じれば山が空を飛んで海に入るキリストで、産まれてくることを万民が待ち望んで生まれてきたメサイヤやね~ん。専門家の先生がおっしゃることやでえ。専門家の先生がおっしゃること。名医の先生がおっしゃること。専門家、せんもんか、専門家、せんもんか」と叫んでいた。「専門家の先生」とはうちの父親の親友の医者屋の女川(めがわ)〔 男。1980年頃当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だがまず嘘だろう。ドバカ息子を「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢にしていたので、女川自身も私立金権関西医大裏口入学卒かもしれない。そうでなかったとしても、「かわいいキンタマ」(川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大=かわいいキンタマ)かそこら卒ではないか。「京都の大学卒」を「京都大学卒」のようなニュアンスで言う人とか「神戸の大学卒」を「神戸大学卒」のようなニュアンスで言う人というのはけっこうあるのだが、大阪の人間が「金沢大医学部卒」と言っているということは「金沢」という地名と何か関係あるのかもしれないとすると、金沢大医学部卒ではなくて金沢医大卒かもしれない。自称「専門は内科」。1980年頃当時、大阪府豊中市在住。「柔道三段・剣道三段」とも言っていたが、それも嘘だろう。ドバカ息子は「灘高校卒」だと言っていたがそれも嘘だろう。灘高校というのは私立なので「この人は裏口やな」とわかる人がいると同校卒の人に聞いたことがあったので、それかなと思ったのだが、しかし、灘高校にしてもカネさえ出せば誰でも彼でも裏口入学させるわけではないだろうから、カネだけでなくコネも必要なはずで、女川が関西医大だけでなくそんなにどことでもコネクションがあったとも思えないし・・と考えると、そのでドバカ息子が灘高校に行っていたというのも詐称の可能性が大きいと思われる。実際は灘高校よりも進学成績の低い関西圏の私立高校だろうと思うようになったが、どこだろうなあと思ったが、ぴったしカンカンであてるならば、「高槻中学校・高槻高校裏口入学卒」てとこではないかな・・と思う。高槻高校というのは大阪府高槻市の大阪医大の関係の私立高校で、私なんかは中学生くらいの頃はそういう学校があるということを知らなかったが、昔から中高一貫校だったので、「普通の中学校」でない学校がいいと思っている人(慶應の教授や医者屋に多い)で「普通の中学校」でない中学校に息子を行かせたいが息子は灘中学校などに入れる学力はないという人が行かせることがあるという学校だった。それと違うかな・・と思う。「高槻中学校・高槻高校裏口入学卒」の方はぴったしカンカンだけれども、「この相手がこう言ったのなら実際はこんなところかな」と推測する思考によるならば、女川という男が「うちの息子なんか灘高校に行っておったんじゃけど」と言って、灘高校に行ったにしては私立金権関西医大裏口入学・・て、灘高校で何やっとってん・・て感じだが、実際はその「灘高校に行っておった」というのが詐称の可能性が大きいと思う。大阪では北野高校・天王寺高校など公立伝統校は高校自体が評価されるが・・それゆえに北野高校でたと言いたがる城崎温泉大好きの野々村さんとかも出てくるのだけれども、灘高校というのは東大合格者は多かったとしても、東日本では評価が高くても、大阪では「変な学校」と言われていて、東大に進学するにはよくても灘高校出身者は「離婚率が高い」とか言われたり、「関西の学校なのに顔が東の方を向いている」とも言われるようで、「あんな学校行っていいことない」と言う人がけっこう多い学校で、東大に行くか、もしくは国立大学の医学部に合格してこそ価値があり、いわば「どこそこの予備校に行っていた」みたいな「学歴」であり、「予備校みたいな高校」と言われていた学校で、その高校に行ったということ自体は評価されない高校で、私立金権関西医大裏口入学なんぞしたのでは意味がない学校だったが、それを「灘高校に行っておったんじゃけど」としきりに言うというのは、それは公立伝統校を好むか私立受験校を好むか、「好みの問題」という部分で医者屋というのは慶應の教授と一緒で私立の学校を志向する人間が多いことからかと思う。うちの父親というのは私の言うことは絶対にきかないがよその人間の言うことはよくきく男で、それも「しょーもないやつ」の言うことをよくきく男で胡散臭いやつの言うことを本当によく信じる男だった。世の中には学歴を詐称する人・資格を詐称する人とかなんていっぱいいるのであり、「この人間がこう言ったら実際はこんなところかな」・・といった思考ができてこそ大人ではないのか・・と思うが、その点においてうちの父親というのは「大人になれない大人」だった。
  遠山啓(ひらく)が『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)で、「父親というものは」として、父親というものは「息子を外敵から守ってくれる存在である」、父親というものは「家族の中で最も世間知を持つ存在で」「息子に世間知というものを教えてくれる存在である」などと書いていたが、寝言は寝てから言ってもらいたいものだと思う。世の中には、息子を外敵から守ってくれる父親というものもいるのかもしれないけれども、外敵から守る能力などなく、むしろ、外敵を引っ張り込んでくる父親というものもいる。そして、世間知を家族の誰よりも持っているという父親もいるのかもしれないけれども、そうではなくて、世間知なんか持ち合わせていない父親もおり、息子に世間知なんか教える能力なんかない父親もおり、息子が実際に人生を生きて痛い目にあって学んだ世間知をその父親に教えても教えても理解しない父親というものもいる。 私は中学生や高校生くらいまで、学歴を詐称する人とか資格を詐称する人とかは世の中にいることはいるけれども、そんなにいっぱいいるわけではないだろうと思っていたけれども、会社という所に勤めてみると、学歴や資格を詐称する人なんて、いっぱいいるのだ。だから、自分はこうだこうだと自慢たらしく経歴を述べ立てる人がいたとしても、本当のことをそのまま言う人もいるかもしれないけれども、そうでない人もいるわけで、この人がこのように言ったなら、実際はこんなところかな・・という思考というもの、見方というものがないといけない。 戦前の「国史」の授業は『古事記』『日本書紀』をもとに、神話を歴史として教えていて、戦後はそれは歴史ではないと否定されたが、しかし、『古事記』『日本書紀』といったものをそのまま歴史だと考えるなら適切ではないが、歴史を考えるヒントになるものがそこに含まれている可能性はあるかもしれない・・と見るならばそれは悪くはないであろう。同様に、自分の経歴を自慢たらしく言う人の話というものは、そのまま信じてあげないといけない義務はないわけで、それは『古事記』『日本書紀』みたいなもので、史実そのものではない、と認識した方がいい場合がある。 あるいは戦国武将の話とかでも、江戸時代になって作られたお話とかは創作によるものであって史実ではないものが多いと言われるが、創作だろうと思っていると案外、実際にあった話だったりする場合もあるらしいが、ともかく、そういうものは「言っていること」と実際はどこが同じでどこが違うかを考える思考というものが必要だろう。それと同様に、女川のような人間が「わしは苦労人(くろうにん)なんじゃ」だの何だのかんだの言っても、「ああ、そうですか」とかわした上で、実際はどういうものだったのか、実際はまあ、こんなところかな・・と考える思考が必要だと思うのだが、そして、それも「世間知」のひとつだと思うのだが、ところが、うちの父親というのはそういう世間知がまったくない男だった( 一一)  アホとちゃうか・・と思うが、「ちゃうか」ではなくアホだったのではないかと思う。
  それを「わしぁ、真面目やねん」などとおっさんは言っていたが、物は言いようなのか、そういうのを「真面目だっさかいなあ」と言って持ち上げてくれる人がいたようだが、『シャレード』という映画で、オードリー=ヘプバーンが演じる女性の相手役の男性が「男はある程度以上の年齢になると『真面目』と言われると居心地が悪いものなんだ」と語る場面があったが、その言葉の意味がわかった。「・・は真面目だっさかいなあ」とか言われてほめてもらったと思って喜んでいるおっさん、そう言ってもらって「わしぁ真面目やねん」などと言ってそれがプラスの評価だと思っているおっさん・・というのは「男はある程度以上の年齢になると『真面目』と言われると居心地が悪いものなんだ」と認識できる思考レベルに達していない、成熟度が十分と言えない人か・・・という感じがする。「心理学」では「未成熟」という「専門用語」を使うようだが、「心理学」の大きな問題点として、そういった「専門用語」を使う側が「心理学者」とか「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」とか称する者の側に独占され、「診断」する側と「診断」される側に分かれてしまって、「診断」する側はやりたい放題になる、「心理学者」「精神科医」「精神分析家」「カウンセラー」「セラピスト」等と称する人間は安全地帯に自分を置いて、安全な場所から「患者」「来談者」「相談者」等々とされた人間を攻撃することができる、というところが大きな問題で、「診断」される側にされると何されてもされ放題になってしまう、「診断」する側と「診断」される側が意図的に分けられている、というところに問題があり、その結果、「心理学」(および「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」等)は害がある状況になっている。
※ YouTube-「シャレード Charade」サウンド・トラック~ アンディ・ウィリアムスhttps://www.youtube.com/watch?v=RZdHxsSQ4Sw
   さらに、裏口入学した・裏口入学させたなんて、自慢するものなのか?  裏口入学した・させたなんてのは、たとえ、やるにしても・やったにしても「こそっと」「はずかしそうに」やるものと違うんかい・・と思うのだが、それを自慢しまくる男だった。女川は午前9時00分から「診療時間」の「病院」において毎朝、午前9時40分頃に出勤していたが、そして「何しろ、医者というものは忙しいものじゃからな」と言っていたのだが、今、考えてみると「なんか、弁護士みたいなこと言う男やな」と思う。弁護士というのも依頼者と約束すると必ず遅刻する。「弁護士は忙しいですから」と言うのだが、忙しいから「午後2時から」打ち合わせができないなら「午後2時30分から」の約束にすれば良さそうなものだが、「午後2時から」の約束にしてけっこう高い金額を払って頼んでくれている依頼者に午後1時45分くらいから待たせた上で午後2時15分くらいに「どうも、遅れましてすいません」と言うのではなく「どおもお」などと言うが、言う文句が違うのではないのか、ひとと約束した時刻に遅れた者が言う文句は「どおもお」ではなくて「すいません」と違うのか、おまえの親はどういう教育を息子にしてきたのか、そんな仕事に対する態度で給料もらえるのか・・と思うと弁護士はもらえるわけだ。そもそも、法廷に遅刻してくる弁護士というのはいったい何に忙しいのか、というものだが、女川もまた、同様だ。診療時刻に毎朝、30分以上遅刻して出勤する医者屋というのは「医者というものは、なにしろ忙しいもんじゃからな。医者ちゅうもんは普通の人間とは違って人格者で謙虚で教養豊かで苦労人(くろうにん)で社会経験豊富なえらい人間なもんじゃからな」とか言いまくるのだが、そんなに「人格者」ならとりあえず十回に一回くらいは始業時刻までに出勤してみてはいかがなものか・・と思うが、遅刻常習で「なにしろ、医者というのはほかの人間とはちごうて忙しいもんじゃからな。特にわしのような名医中の名医になると忙しいからな」とか言いまくるのだが、そんなに「名医」ならとりあえず診療開始時刻より前には出勤するというくらいのことはしてはいかがかと思うがやらない・・という男だった。弁護士が依頼者と打ち合わせをしましょうと言うと約束の時刻に毎回遅刻する、法廷にも遅刻してくる、こいつ、いったい何のために報酬もらってるんだ・・という態度をとるというのを改めさせようとしても無理・・というのと同様に、「なにしろ、医者というものは普通の人間とは違って人格者で謙虚でえらいもんじゃからな」とか言いまくる男に「そんなに人格者なら、とりあえず、始業時刻に遅刻しないように出勤しろよお」と言っても無理であるのは明白だった。大工に対する悪口として、「たたき大工」(継手・仕口といった加工をすることができず、何でも釘でたたいて接合しようとする大工)とか「せっちん大工」(座敷の仕事なんてさせられない、便所でもやらせておくしかないという大工)とかいう言葉があり、「ツーバイフォー大工」「型枠大工」というのはツーバイフォー工法をやる大工・鉄筋コンクリート造の建物のコンクリートを流し込む型枠を作る大工のことを言う職種名だが、在来木造をやる大工からすると、在来木造の大工よりもツーバイフォー工法の大工や型枠大工は下だという意識があって蔑称のニュアンスで言う人もいるらしいが、はっきりと蔑称なのが「口大工(くちだいく)」というもので、普通、大工というのは腕で仕事をするもののはずだが、腕で仕事せずに口で仕事しよる・・というのを「口大工(くちだいく)」と言うが、女川の場合は「口医者」だったが、うちの父親はそれを「神さまのようなお方や。こういうえらい先生は崇拝せんといかん」などと言っていた( 一一)  『味いちもんめ』という板前を描いた漫画では花板の熊野さんが「『職業に貴賤はない』というのはほんまや。それぞれの職業の中に貴賤がある。真面目に仕事に取り組むやつもおれば、卑しい勤め方のやつもおる」と話す場面があったが、まさに、それぞれの職業に「腕で仕事しないで口で仕事するやつ」がいるのかもしれない・・が、医者屋の場合は「口で仕事するやつ」をありがたがる人間もまたいるみたいだ・・( 一一) 〕のことだが、どうも、医者屋とか整体師とかそういう職業の人には新興宗教の教祖になりたがる人というのがいるようだが、医者屋とかそういう職業の人間に「新興宗教の教祖」を求める人間がいるからそういう人間が出現するという面もあるのかもしれない( 一一) 
   うちの母親は、私が小学生の頃から「私は血圧が・・」とか言いだすようになったが、かなわんのは私が中学生の頃から近所の内科医に通うようになったのだが、内科医なんて何軒もあるはずなのだが、わざわざよりによって私の中学校の同級生の親で内科医やっている人の所に行きよるのだった。なんで、わざわざ、よりによって私の中学校の同級生の親の所に行くのか・・というと、「私は血圧が・・」「私は心臓が・・」と言って行くけれども、実質私の悪口を言うために行くわけだ。かなんなあ・・・と思ったが、その人は比較的良心的な人のようだなと思ったのは、うちの母親が「私は血圧が高いんです。息子のために」と言うと、どうされたかというと・・「それじゃ、計ってみましょうか」と言って血圧計を出してシュポシュポやって血圧をはかり、そして「高くないですね」・・とこう言われたらしいのだ。実際、医者屋の所に「私は誰それのために苦労が絶えないから血圧が高いんです」とか「私は誰それのおかげで苦労させられているから心臓が悪いんです」とか言いに行くけれども、実際は特別に血圧は高くない・・というような人というのはいるみたいだ( 一一)  その人の所にうちの母親が「息子のおかげで血圧が高い」「息子のおかげで心臓がどっどどっどどっどどっど」とか「息子のおかげで寝られん寝られん」とか言いに行っても、言われるままに薬を出したりはしない人だったようで、その点でその人は信頼できた・・・が、は自分の希望の通りに「診断」してくれて「悪いのんは息子ですねん」と言えば「そうじゃ、そうじゃ」と同意してくれて、そして、睡眠薬だの何だのかんだの大量にクスリを渡して飲ませる「医者」の方をありがたがる「患者」というのもいるようで、本人が希望するように「悪いやつ」を指定して、睡眠薬だの何だのを大量に飲ませる「医者」というのが、うちの父親の親友の女川(めがわ)だったのだ。女川のおかげで、うちの母親は睡眠薬中毒にされてしまった。「もう、90過ぎたおばあさんが夜、寝れなくても、あくる日、働きに行くわけでもないのだから、寝れないなら本でも読めばいいでしょ。もう、おばあさんが働きに行くわけじゃないのだから、眠くなった時に寝て、眼が覚めた時に起きればそれでいいでしょ」と言っても「寝れないとつらいじゃないの」と言って睡眠薬を欲しがるが、それは「わしはなんちゅうても、稀に見る名医なもんじゃからな」と言う女川に睡眠薬中毒にされてしまった結果だ。「夜、寝れないなら、それなら『聖書』でも読んだらどうですか」と言うと、「『聖書』のどこを読んだらいいの」と言うので、「そういう時のために牧師さんというのがいるのでしょう。牧師さんにきいてみたらどうですか」と言ったら、うちの母親は牧師さんに「夜、寝れない時に読むには『聖書』のどこを読んだらいいでしょうか」ときいたらしいのだが、そうすると牧師はどう言ったかというと「『聖書』はどこを読んでもいい」と、そう言いよったというのだ( 一一) なんか、うまいこと逃げよった( 一一)  そりぁ、「『聖書』はどこを読んでもいい」かもしれないけれども、牧師ならば「私なら、こういうところを読みます」とか「『聖書』はどこを読んでもいいですけれども、たとえば、ここなんかはどうでしょうか」とか、なんかそういったことを言ってはどうか、そういうことを言えるのが牧師とちゃうんかい・・とも思うのだが、どこの教会のどの人だったか忘れてしまったが、「『聖書』はどこを読んでもいい」と間違いではないとしても、なんか、うまいこと逃げよったな・・て感じのことを言いよったらしい。それで、私はヒルティ『眠られぬ夜のために』(岩波文庫)・遠藤周作『眠れぬ夜に読む本』(光文社文庫)を購入して「夜、寝られない時には、これを読み」と言ってうちの母に渡したのだが、それでも、医者屋の女川に睡眠薬中毒にされてしまった人は睡眠薬を欲しがるのだった。
眠られぬ夜のために 1 (岩波文庫 青 638-1) - ヒルティ,C.(カール), 草間 平作, 大和 邦太郎
眠られぬ夜のために 1 (岩波文庫 青 638-1) - ヒルティ,C.(カール), 草間 平作, 大和 邦太郎
眠れぬ夜に読む本 (光文社文庫 え 1-4) - 遠藤 周作
眠れぬ夜に読む本 (光文社文庫 え 1-4) - 遠藤 周作
  ヒルティ『眠られぬ夜のために』(岩波文庫)にしても遠藤周作『眠れぬ夜に読む本』(光文社文庫)にしても、もんのすごく有益な本かどうかはそんなことは知らんが、ともかく、睡眠薬飲みまくることと比べれば少なくとも害はないと思う・・が、医者屋は睡眠薬中毒の患者を増やした方が医者屋業として商売上手なのかもしれないし、医者屋のマーケティング戦略として女川は睡眠薬中毒を増やすし、小此木啓吾は役に立たない「ほとんどビョーキ」本を大量生産する(三笠書房は小此木啓吾と組んで相当もうけよったのと違うか)・・が、国民にとってはそういう「医者」は害があると思うが、そういう「医者」を欲しがる人間も現実にいる。
  世間には「眠りに導く音楽」とか「気持ちが落ち着く音楽」と言った名称のCDが売られており、それらは、モーツァルトとかバッハと比較的静かな音楽が編集されているようですが、はたして、そういうものがどれだけ効果があるものか、効果があるような気がしているだけかもしれませんが、それこそ、「作家で精神科医」の なだ いなだ がどこでだったか、最近、ストレスが多くなってきたとか、ストレス解消にこういうものをやるといいとかいった話がよくでるけれども、はたして、ストレスというものは本当に多くなってきているのか。そして、ストレス解消のために、座禅をする人・写経をする人・クラシック音楽を聴くといいと言う人・スポーツをするといいと言う人・絵を描く人・ハイキングに行くのがいいと言って行く人・青竹踏みをする人・・などさまざまなことをする人がいるけれども、はたして、そういうものは本当にストレスに効果があるのか、ストレスを口実にしてみんな、自分がやりたいことをやっているだけということはないのか・・といったことを述べていたものがあったが、そうかもしれない。そうかもしれないけれども、それがその人がやりたいことなので、やりたいことをやるとストレス解消になるのなら、それならそれでいいのかもしれない。 さらに、時々、ヤフーニュースとか見ると、痴漢で捕まったとか盗撮で捕まった人とかが、なぜ痴漢をしたのか、なぜ盗撮をしたのか・・というと「ストレスで」とか書かれていることがあるけれども、ストレスなんて誰でもあるわけで、ストレスがあったら盗撮するなら誰もが盗撮することになるがな・・・ということになるが、おそらくだが、警察の調書だかそういう書式に「なぜ、やったのか」という欄があるのではないかと思うのだ。私はスピード違反で捕まったことはあるけれども、十何キロという程度で、別に「なぜ、スピード違反をしたのか」と「なぜ」ときかれたことはないように思うのだが、1990年代、福島県いわき市で(株)一条工務店に勤めていた時のことだが、工務課の某くんがけっこう走りやすい道を40キロだか50キロだかオーバーで走って捕まったということがあったそうで、その際、「なぜ、スピード違反をしたのか」という欄があったそうで、「なぜ?」ときかれても、どう答えたらいいんだ・・と思って警察官に「これって、どう答えたらいいでしょうか」と言うと、「まあ、『急いでいたので』とかかな。『つい、うっかりと』はだめだよ。『つい、うっかりと』40キロ(だったか50キロだったか)はオーバーしないからね」と警察官は言い、言われたように書いたらしかった・・・が、実際、「なぜ、スピード違反をしたのか?」と「なぜ?」と言われても、どう答えたらいいのか・・となるだろうけれども、片方で警察官が答えを言って、言われたように書いたのでは、その欄の意味ないようにも思えるのだが、書式にそういう欄があったらしい。もしかして、盗撮やって捕まった人とかが「ストレスのために」とかヤフーニュースとかに出ているというのは、それは警察の調書だかの書式に「盗撮した理由」とかいう欄があるてことないか。そんなもん、「なぜ、盗撮したのか?」なんてきかれても、「なぜ?」言われても、こうこういう大事な目的がありましてえ・・・とかいう場合はあんまりないと思うのだ。1989年に、小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)〕の千葉支店の支店長になった渡邊士直(男。当時、40代。「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と何十年間言いまくってきた会社のはずなのだが、なぜか、最終学歴:熊本県の底辺の高校卒。)が女性社員の尻を何人もが見ている眼の前でなでまわした・・という件について、東京支店長の高倉(男。当時、40代くらい?)が「支店長のことだから、尻をなでまわしたというのは、きっと何か大事な目的があってなでまわされたのだと思うわあ。それを、何かいやらしい気持ちでなでまわしたとか言うというのは人間として決して許されないことやと思うなあ」と意味不明なこと言いよったことがあったが、それで「いったい、どんな『大事な目的』があったのですか?」と私は言ったのだったが、高倉が言うように「何か大事な目的があったのだろうから」ということならば、もんのすごい複雑な創意工夫をやって盗撮やった人とかいうのは、「きっと何か大事な目的があってされた」のだろうか? 違うと思うけどなあ・・(笑) そんなもん、「俺は支店長様なんじゃあ」「支店長様はいつでも誰でも好きな時に好きな人間に好きなだけ尻をなでまわす権利があるんじゃあ。中島社長がそうお決めになったんじゃあ」とか叫んでいる程度の低い人相の悪い高卒のおっさんに「何か大事な目的」なんぞ、あるわけないだろうが・・てものだが、盗撮で警察に捕まった人が「盗撮をした目的」「盗撮をした理由」なんて答えろと言われたって、いったい、どないこたえたらええねん・・・てことで、しょーことなしに出てきた答えが「ストレスのために」というものだったのではないかな。それが、ニュース記事にもそのまま掲載されて「ストレスのために」盗撮をおこなってきた、なんて書かれることになった・・てこと・・ではないかなと思う。盗撮やったら「ストレス解消」になるのかどうかは、やったことないから、それは知らん。むしろ、昔は高校生の女の子のスカート丈というのは「膝下まで」というものだったが最近はずいぶんと短いスカートはいてるやつがいて、どんなものをはこうが自由と思ってるかもしれないが、駅の階段なんかで矢鱈と後ろを気にしてカバンを尻の後ろにやってチラチラ後ろを見返りながら歩いてるやつとかいるが、そういうやつの後ろから階段を上がるはめになった時には、俺はお前のスカートの中みたいなもの見たいからここを歩いてるのじゃないぞ、俺がお前の後ろを歩いているのではなくて、おまえが俺の前を歩いているのだからなあ、そんなに気になるならもうちょっと長い丈のものをはけ、こんちくしょう、気分の悪いクソガキだ・・・と思うと、それこそ「ストレスがたまる」ことになる。・・で、そういうのを見たければそういう写真も売ってるから買って見ればいいのではないかとも思うのだが、「手作り感覚」で自作で盗撮したい、ホームメイドのものを手に入れたいという、別にええ歳して電車の写真なんか撮らんでも・・と思うものを撮りたがる「撮り鉄」とかいう人と同様、おねーちゃんのスカートの中なんて、一生懸命、涙ぐましい努力をして撮る・・て、いいか悪いかと別の問題として、私らはそれだけの労力をかける気力がないのだが、「頭が下がる努力」と言っていいのかどうかわからんけども、そういうことをやって「ストレス解消」になるのかどうかわからんけれども、そういったことをする人のことから考えるならば、実際にそれが「ストレス解消のために」役立つのかどうかにかかわらず、座禅をする人・写経をする人・クラシック音楽を聴く人・スポーツをする人・絵を描く人・ハイキングに行く人・青竹踏みをする人・・というのは、実際にストレス解消に役立つかどうかにかかわらず本人がやりたければやればいいじゃん・・となる(^O^)  だから、実際に効果がどれだけあったかわからないが、「癒しのバッハ」「ぐっすり眠れるモーツァルト」といったタイトルのCDを用意して母に「これを聴いてみたら」と言って渡したら、けっこう喜んで聴いていたみたいで、どれだけ効果があるかにかかわらず、別に特に害はない、少なくとも、睡眠薬を飲んで寝るよりも、「眠りに入る音楽」「気持ちが安らかになる音楽」というタイトルの音楽CDを聴いて眠りに入る方が害はないと思った・・が、そのうち、年齢が進むとともに自分でCDの操作ができなくなってしまったみたいだった。
  もうひとつ、睡眠薬を欲しがってしかたがない人に「風邪薬にも睡眠薬が入ってるから」と言って風邪でもないのに風邪薬を飲ませると、その後、風邪薬を睡眠薬かわりに飲むのが習慣になってしまうのでいいとは言い難いが、そうではなくて、睡眠薬ですよと言って、ポポンSなりアリナミンなりパンシロンなりビオフェルミンなり、もしくは、ブルーベリーが含まれるとかカルシウムが含まれるとか鉄分が含まれるとかいう「サプリ」の錠剤,、あるいは「きなこ」でも「はったいこ」でも「メリケン粉」でも「睡眠薬ですよ」と言って渡せば、睡眠薬だと思って飲んで寝るのではないのか・・と思ったのだ。人畜無害なものとして、ビオフェルミンとかなら別に必要なくても飲んでも特に害はないだろうから、そういうものを飲ませて寝た方が、実際に睡眠薬を飲んで寝るより健康にいいのではないかと思ったのだ。もっとも、ビオフェルミンだと普段から服用しているからばれる危険もあるかもしれんが。これを最近、かかっていた医者に話したところ、「それ、考えてるんです」ということで、それは「偽薬効果」といって医療として認められているものらしい。それこそ、女川みたいに言われるままに・・というのか、言われなくても医者の方が積極的に睡眠導入剤を大量に飲ませて儲ける、そのカネでドバカ息子を裏口入学させる医者と、睡眠薬を欲しがってしかたがない人にそれ以上、睡眠薬中毒が進まないように「偽薬効果」として人畜無害な薬を睡眠薬ですよと言って飲ませて寝かせようとする医者とでは、後者の方が良心的なはずだが、どうも、うちの母はうちの父親の親友の医者屋の女川という男のおかげで睡眠薬中毒にされてしまった。うちの父親は薬を大量に買わせようとする医者屋の女川、自称「金沢出身」ということだったので、実際にそうであるのかどうかわからないが、話に辻褄が合わない所があり実際は全然違う可能性だってあったと思うが、当人が「金沢出身」と言っていたのであるから、「富山の薬売り」ならぬ「金沢の薬売り」の医者屋を「名医やでえ、あの人はあ。ものごっつい名医やでえ」などと言って喜んでいたのだったが、アホやな・・と思うが、アホだったのだろう・・と思う。
脱病院化社会: 医療の限界 (晶文社クラシックス) - イヴァン イリッチ, Illich,Ivan, 嗣郎, 金子
脱病院化社会: 医療の限界 (晶文社クラシックス) - イヴァン イリッチ, Illich,Ivan, 嗣郎, 金子
    もうひとり、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当科目「国語」)もまた、「あなたのお父さんほどすばらしいお父さんはなかなかないわよ。私だったら、あ~んなものすごい立派な、あんなすばらしいいいお父さんがいたらものすごくうれしいわよ」などと言いまくり、そうすることで「あの先生はええ先生やでえ。ものごっついええ先生やでえ」だの何だの言ってもらっていた。うちの父親と旧姓作野礼子さんは互いにそういうことを言い合いしていた。「さすがは女でも北野高校でてられるだけのことあるでえ~え」などと言っていたが、北野高校というのは男女共学で「合格最低点を上回れば男でも女でも関係なく入学できる」という大学型の男女共学ではなくて、男女はともに育つべきだという考え方で男女比があまり大きく変わらないように入学時に男と女の入試の合格最低点を意図的に変えて入学させた小学校型の男女共学の学校で、男は大阪府で最難関の高校だったが女は「試験会場に行って氏名と受験番号さえ書けば誰でも合格する学校」だったわけだが、それでも「さすがは北野高校でてられるだけあるでえ~え」などとおっさんは言っていた。「作野先生は普通の先生ではなくて『北野高校の先生』という普通よりもえらい先生やねんでえ。わかってますのんかあ」などとおっさんは言っていたが、そのうち、旧姓作野礼子は無名高校に転任になり、「『北野高校の先生』という普通よりもえらい先生」から「無名校の先生」という「普通の先生」に格下げになりよった。ざまあみろ。

  1980年代なかばに母方の祖父が亡くなり、1995年、阪神淡路大震災のすぐ後で祖母が亡くなった。阪神淡路大震災の時、母は大阪府の家に住んでいたが、私と母は同一家計であり、いわば、私は「被災者」だったはずだが、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ はその「被災者」から給料天引きで「義援金」を徴収した。 徴収した「義援金」は誰にくれてやったのかというと、浜松の(株)一条工務店と神戸市の材木会社だったか何かと共同出資会社として設立していた(株)一条工務店神戸 にくれてやった・・・て、結局、阪神淡路大震災にかこつけて従業員の給料へつって自分の所の資本が入っている会社に納入した・・て、泥棒やんけ・・てことをやりよった。あれは「義援金」ではなくて「偽善金」であろう。

  母方の祖父が亡くなって約10年後に祖母が亡くなったが、その中間を少し過ぎたあたりでうちの父親が他界した。その際だが、うちの父親が「まっさんはひとがええね~ん」などと言っていた母方の叔父、母の弟のラグビー屋のおっさんはうちの父親の葬式の時に、こう言いよったのだ。「うちは、息子が2人いるから就職する際に保証人になるのもお互いになりあうことができるから、あんたに頼むことは絶対にないけれども、あんたは兄弟はねーちゃんしかおらんのやから、就職しようと思っても保証人はうちに頼むしか頼む相手ないんやから、今後はあんたはうちには絶対に頭あがらんのやから覚えておけよお。絶対に忘れてはいかんぞ。ええなあ。絶対に忘れるなよ。今後、あんたはうちに頼むことはあるけれども、うちは今後、あんたに何か頼むということは絶対にないんやからなあ。絶対に忘れてはいかんぞお」と、そう言いよったのだ。「まっさんはひとがええんやあ」というその「ひとがええ」という男はひとの親の葬式のまさにその日にそういう口をききよったのだった。へ~え、そういう態度のことを「ひとがええ」と言うのかあ~あ・・・。
  そして、それからたいして4年ほど後に祖母が亡くなったのだが、それよりも前だから、2年後か3年後かそこらということになるのではないか、その叔父が息子の結婚式に私に出てくれと頼んできよったのだ。あれ?  ・・「うちは、今後、あんたに何か頼むということは絶対にないんやからなあ。覚えておけよ。絶対に忘れるなよ」と何度も何度も執拗にひとの親の葬式の時に繰り返し繰り返しおっしゃったのは、どこのどなたでしたっけ?  「絶対に忘れるなよ。絶対に覚えておけよ」とおっしゃったものだから、これは忘れてはいかんなあ、これは覚えておかなきゃいかんな~あ・・と思って覚えていたのだが、息子の結婚式に出てくれと頼んでおられるのは、いったい、どの口が頼んでおられるのでしょうかなあ・・・・。

  又、1970年代前半、および後半、うちのお姉さん2人の結婚式を東京でおこなった際に、そのラグビー屋の叔父に東京での結婚式に来てもらった際には、うちの父親は新幹線の切符を渡した上で来てもらったようだが、それに対して、ラグビー屋の叔父は私が福島県いわき市の営業所に勤務して福島県いわき市に住んでいた時に、息子の大阪での結婚式に出てくれと頼んできよったが、福島空港から大阪伊丹空港までの往復の航空券代は私が出して出席した。結婚式に来てもらう場合に遠方にいる人に来てもらう場合に交通費を渡して来てもらうべきか、交通費は出席する人が出すべきか、というのは別に決まっていないとは思うが、ラグビー屋のおっさんはうちのお姉さんの結婚式には新幹線の切符をもらってそれに乗って出席したらしいのに、私に息子の結婚式に出てもらう際には福島空港から大阪伊丹空港までの日本航空の飛行機代を私に出させよった。「まっさんはひとがええね~ん」というその「まっさん」て、なんか、しみったれてるのお・・・。そう思えへんか。大学教授様て、そういうものなのか。そういうのを「ひとがええ」と言うのか?
  まあ、結婚式に出るというのは「来てもらう」という面と「呼んでもらえる」という面と両方の面があるとは思う。だから、「来てもらった」という面もあるだろうけれども「呼んでくれた」という面もあるとは思う。だから、イトコが自分の結婚式に私を「呼んでくれた」という点についてはうれしく思うが、片方で「来てもらった」という面だってあると思うのだ。そういうことを考えるならば、何がいかんかというと、結婚式に来てもらうことだってあるかもしれない相手に向かって、「うちは、今後、あんたに何か頼むということは絶対にないんやからなあ。覚えておけよ。絶対に忘れるなよ」などという口をきくということが一番いかんのだ・・が、ラグビー屋のおっさんというのは親からこういうことは教えられてないのか。学校の先生からこういうことは教えられなかったのか。おっさん、何の仕事やっとんねん・・というと、おっさんの仕事は「学校の先生」やった・・・( 一一)
  又、別に福島空港から大阪伊丹空港までの往復の飛行機代を出してもらわなくてもいいけれども、しかし、それなら、ラグビー屋のおっさんはうちのお姉さんの結婚式に出るのに大阪から東京まで行くのに、なんで新幹線代をうちの親に出してもらったのか・・・ということになるが、そういうのは「出してもらうもの」と思い込んでいるというのが「大学教授」なのだろうか・・・・。そういうのを「スポーツマンシップ」とか言うのだろうか。「ラガーマンだけあって、さわやか」とか言うのだろうか。

   そのラガーマンのおっさんには子供が3人あって、上と下が男で真ん中が女だった。上と下の男は「カエルの子はカエル」というのか、2人ともラグビー選手になり、上のイトコは日体大に行って父親と同じようにどこだったかの私立大学ラグビー部の監督になりよった。下の男は明治大学だったと思うがラグビーでスポーツ入学したみたいだった。・・で、真ん中の女の子だが、女はラグビーやるわけにもいかないので、それで「剣道やっとんねん」ということだった・・・が。
   剣道やって悪いということはないのだけれども、戦後、日本の格闘技は学校教育の体育で禁止された時期があった・・というのだが、それぞれの格闘技やってる人を見ると、GHQが禁止したというのも、わかる。
  まず、柔道やる人間というのは、例外なく、別に教えてくれなんて一言も言ってない柔道やってない人間に対して「柔道教えてやる」と言って柔道の技をかけようとしてしかたがない。病気みたいなものだ、これは。 ほんと、「柔道やってる人間」というのは例外なくこの病気にかかっている。
  そして、「空手やる人」というのは多くが右翼だ。右翼団体の7割は暴力団と重複しているというが、「空手の団体」もある程度以上、重複しているのではないか。 慶應大学に「愛塾」奨励空手会という「空手使いの右翼団体」があるが、自分たちの主張する「愛塾」が愛塾であってそれとは異なる愛塾は認めないという右翼団体で、合宿では「天皇陛下、ばんざーい」と叫んでいる( 一一)  創設者のひとりだという慶應内部進学のTは内部進学だけあって、種無し葡萄(デラウエア)はひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う、蜜柑はひとに皮むいてもらってカラスにしてもらってなら食う・・という「慶應幼稚舎流種無し葡萄の食べ方」「慶應幼稚舎流蜜柑の食べ方」をするという男で、やっぱり内部進学だなあ・・て感じ、いかにも「慶應ボーイ」て感じ、いかにも「福沢精神」「独立自尊」「自我が確立されている」て感じ、まさに「ギャルにもてもて」て感じの男だった。「空手やる人」には、その男のように種無し葡萄(デラウエア)を自分で房からちぎって自分の口に入れて食べることができない、蜜柑を自分で皮むいて食べることができない・・といった「慶應タイプ」みたいな人が多いように思われる。
  2003年の時だったか2005年の時だったか、阪神タイガースが優勝した時、朝日新聞で阪神ファンにおける自民党の支持者の割合と巨人ファンにおける自民党の支持者の割合を調査したということがあったようだが、それによると阪神ファンにおける自民党の支持者の割合と日本国民全体における自民党の支持者の割合はだいたい同じくらいだったらしいのだが、日本国民全体における自民党の支持者の割合よりも巨人ファンにおける自民党の支持者の割合は大きかったらしいのだ。なるほど。たしかに、巨人と自民党てなんか似てる(笑)  これと似た感じの見方で、日本国民全体における種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人の割合と、「空手やる人」における種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人の割合とでは、おそらく、「空手やる人」における種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿にもってもらってスプーンですくって食う人の割合の方が大きいと思われるのだ。これは巨人ファンと自民党の支持者の割合を朝日新聞が調査したものとは違って、別にそういった調査をおこなったことによるものではなく、あくまで、私の感覚なのだが、たぶん、間違ってないと思う(笑) 日本国民全体における種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人の割合と、慶應の内部進学の人における種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人の割合とでは、これも朝日新聞がやったような調査をおこなったわけではないけれども、慶應の内部進学の人における割合の方が絶対的に大きいと思われる。そういうのを「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「思考が柔軟」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「ギャルにもてもて」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか言うらしいけれども・・( 一一)  日本の「企業はそういう人間を喜ぶ」そうだけれども、なんか日本の企業て大丈夫なのか・・て気もせんことないけども、こういうことを慶應で口にすると殴りかかられるので命が惜しかったら口にしない方がいいみたいなのだが、「王様の耳はロバの耳」みたいなもので、どうも、言うたらいかん、言うたらいかん・・と思いつつ、つい口にしてしまうが〔YouTube-超豪華キャスト 王様の耳はロバの耳 山口祐一郎 保坂知寿ほかhttps://www.youtube.com/watch?v=YiL5TX8f3Mw 〕、「空手やる人」における「種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってスプーンですくって食う人」の割合と日本国民全体における「種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってスプーンですくって食う人」の割合とでは、朝日新聞がやったような手法で調査したわけではないけれども、「空手やる人」における割合の方が大きいと思うよ・・(^O^)
   そして、剣道だ。私は剣道もしくは剣術というもの自体は嫌いではないだが、「日本の剣道」というのは好きではない、「剣道やる人」というのは基本的には嫌いなのだ。どこが嫌いかというと、このうちの母方の叔父のラグビー屋のおっさんも言いよったのだ。「うちの娘は女やけども剣道やりよるねんでえ。負けてへんでえ。どうや、えらいやろ」と・・( 一一)   別に剣道やってもいいけれども、それはあくまでも「やりたきゃやれば」てものであって、やらなきゃならないものではないし、剣道やったからエライてものでもないのだ。「負けてへんで」て、誰と勝負しとるんじゃい( 一一)  そのあたりが、「剣道やる人」の特徴なのだ( 一一)
  慶應大学で「経済史」「産業史」を教えておられたU教授が話しておられたのだが、U教授が慶應大学の学生だった頃は戦中で、軍国主義の時代だったことから、「音楽なんてやるやつは女々しい奴だ」などと言われたらしいが、「何をばかなこと言ってるんだ」と思い、それで「ワグネルソサエティーに入って声楽とバイオリンをやった。何が悪いか」と言われたのだった。そのU教授の精神の反対がうちのラグビー屋のおっさんが言うところの「うちの娘は女だけれども剣道やっとるで。負けへんでえ。どうや、えらいやろ」という発言だ( 一一)  別に剣道やって悪いということはないが、剣道やったから「どうや、えらいやろ」とか、そういう発想、そういう思想というのは戦中の軍国主義の流れのものであり、「男なのに音楽をやるなんて、女女しい奴だ」と言われたという、そういう時代に「何をばかなこと言ってるんだ」と、「声楽とバイオリンをやってやった。何が悪いか」という人と、軍国主義の風潮に戦後においても影響されて「うちの娘は女だけれども剣道やっとるで。どうや、えらいやろ」などと言っているおっさんと、どっちが根性あるか・・?  「音楽をやって何が悪いか」と「声楽とバイオリンをやってやった。何が悪いか」という人の方が「根性ある」のではないか・・と思うのだが、ラグビー屋のおっさんというのは軍国主義に流される人、戦後においても戦中の軍国主義の影響を脱出できない剣道マンの方を「根性あんでえ」と言うのだった( 一一)

  私は剣道・剣術そのものは嫌いではないのだ。白土三平の『カムイ伝』『カムイ外伝』に登場する剣術家の話など魅力的であるし、又、ツボ療法家によると、木刀や竹刀を握って素振りを繰り返すと手のひらのツボを刺激して気持ちを落ち着ける働きがあり、内臓にもいいとされるらしい。だから、うちの父親が「イライラっとしたらかけたんねん」と言って電話してきた時には、「イライラしたいのですか、したくないのですか」と尋ね「イライラしたいわけないやろ」とおっしゃるので、「それなら、竹刀か木刀の素振りをしてみたらどうですか」と提案してあげたこともあった。
  ツボの本を読むと、竹刀とか木刀とかの素振りを何度もおこなうと、手のひらのツボを刺激して内臓によくて、手のひらの気持ちが落ち着くツボを刺激して気持ちが落ち着く・・とか書いてあるのだ。又、張本は自分の打撃フォームをノートに綿密に記録してスランプになると、どこが違うか照らし合わせて修正した、王貞治はスランプになると毎日毎日、バットの素振りを只管繰り返して気持ちを落ち着けた・・とかいう話がある(何かで読んだ)が、野球のバットの素振り・剣道の竹刀や木刀の素振りといった同じ動作を何度も繰り返す動きというのは気持ちを落ち着ける働きがある・・・という説があるらしい。ちなみに、長嶋は監督になって成績があがらないとベンチの壁を蹴り飛ばしてストレス解消につとめた、これを「まわし蹴り」と言う・・と書いてあったものもあったが、それはあんまり役に立たんのではないか。ツボ療法というのは、「押す」とか「もむ」とかはいくらかなりともプラスになりそうに思えるものがあるが、しかし、どれだけ役に立つかというと、その程度はそれほど画期的でもないかもしれない・・と思えるものもあるのだけれども、それにしても、怪しい薬物を医者屋に飲まされるのとは違って、野球のバットの素振りとか剣道の竹刀・木刀の素振りとかは、効果のほどがそれほど大きくなかったとしても、特に害はないと思うのだ。だから、怪しい薬を怪しい医者屋に処方されて飲むくらいなら、剣道の竹刀の素振りでも木刀の素振りでも、野球のバットの素振りでもやった方だ「健康的」と思うのだ。だから、「イライラっとしたらかけたんねん」と言ってしょっちゅう電話してくるおっさんに「それなら、竹刀か木刀の素振りをしてみたらどうですか」と提案してさしあげたのだった・・・が、やりよらんのだ、「いらいらっとしたらかけたんねん」というのをストレス解消法にしているおっさんは( 一一)

  私自身、1980年代途中に東京の神田神保町武道具屋で赤樫の中刀を買ってきて、毎日、10分、素振りをしてきた。なぜ、中刀の木刀かというと、竹刀は練習用であって実際に竹刀は強盗が侵入した時とかには役に立たないが木刀は日本刀の模擬のものという意味合いもあるかもしれないうが木刀自体が武具として役立つ。なぜ、中刀かというと、剣道の試合なら長刀が普通だが、長刀は屋内で振ると天井につかえる。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ では「上等の家は昔から天井が高いものですから」とか言っていたが、それは農家の場合であって武家は必ずしもそうとは限らない。武家の家では「狼藉者」が刀を抜いて殿さまに切りかかろうとしたような場合に刀が天井につかえるようにして殿様を守れるように意図的に天井は低めにして作られている場合がある。 沖田総士は「突き」を得意としたというが、これは屋内で斬り合いになった場合、「めん」「どう」「こて」といったふりかぶって打ち込む技だと刀が天井につかえるのに対して「突き」はふりかぶらずに前後に動く攻撃なので屋内での戦闘では「突き」は有利だという点があったらしい。そういったことから、まあ、実際に戦闘することはあまりないけれども、そういう場合をも想定して・・というよりも、その前に素振りするにしても長いものだと屋外に出てやらないとできないし、屋外といっても公園でやろうとすると公園では剣道の素振りは禁止とかされている公園もあってやりにくいので、それで、屋内でも振れるように中刀にしたのだ。 赤樫にしたのは神田神保町の武道具屋におかれていたのは赤樫のものと白樫のものともうひとつ何だっけ、3種類の樹木のものが置かれていたのだが、その中では赤樫が一番安かったのだ。高いものは買えなかったのでその3つの中では一番安かった赤樫のものにした。又、見た目も赤樫のものの方が、いかにも木刀て感じだった・・てこともあることはある。それで、体力づくり・健康増進としても何かやりたいと思い、そして、格闘技ならば、剣道が一番怪我が少ないのではないか、と考えた。スポーツを仕事とする人ならば、首から下の怪我は多少はやむをえないとかいうことがあるかもしれないが、ほかに仕事を持つ者としては本業に差し支えるようなものは困る。空手なんてのは指を痛めやすい。柔道も骨折したりすることがあるようだし、柔道畳に顔を打ちつけられて鼻がぺったんこになってしまう・・ことがあるようだが、整骨師の人に聞いた話では、柔道やると鼻が畳にう打ちつけられて鼻がぶぶれて「柔道顔」になると思っている人がいて、「柔道やってる」と見えるからそういう顔になりたいという人もいるけれども、実際はそれは弱いからやられてそういう顔になってしまうのであって、強い者は顔を畳に打ちつけられて「柔道顔」になるということはないんだ・・という話だったが、そういうこともあるらしいが、自分が強い側になるか弱い側になるかなんてわからないし、それより何よりも「柔道はくさい」という問題がある。くさいのだ、柔道は、ほんと。空手着もけっこうくさいけれども、空手着と柔道着なら柔道着はぶあついし、そんなにしょっちゅう洗濯しないから、くさいのだ。空手着と柔道着は見た目が似ているけれども、空手着は薄くて洗濯もしやすいのに対して柔道着はぶあつくて、簡単に洗濯できないから、くさいのだ。だから、それを職業にする人ならともかく、それで生活しているわけでもない者にとってはなんであんなくさいもんやらなきゃならんのだ、てことになる。「くさい」から柔道はいやだ・・ということを考えると、剣道だってそれなりに「くさい」かもしれないが柔道よりはくさくないように思うのだ。だから、剣道やろうか・・なんて考えたこともあったのだ。 もっとも、実際に「暴漢に襲われた」とかあった場合に近くに木刀なんてないことが多いからそういう場合に役立つためには素手でできる格闘技の方がいいのではないかとも思えるし、又、うかつに手を出してこちらが暴行罪とか傷害罪とか言われてもかなわんから、それを考えると合気道などがいいか。特に(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ なんて会社は「初代社長」が「男ちゅうもんは何かあった時にはおのれ腕でやりあって勝負つけるもんなんじゃい」と教えていたという「梁山泊の精神」という会社で、私も職場で暴力ふるわれて怪我させられたことは何度もあったが、そういう「梁山泊の精神」の会社に勤める者にとっては会社で身を守るために合気道を学ぶということは必須かもしれない・・とか考えたが、結局、そういった道場に通うだけの時間はなかった・・が、木刀は先に述べたように手元に持っていて毎日10分、振っている。格闘技として役に立たなくても、手のひらのツボを刺激して健康増進に役立ち・気持ちを落ち着ける働きがある・・とツボの本に書いてあるのだが、実際に気持ちが落ち着くのかどうかはようわからんが、別にマイナスにはならんだろう。
   そんなもんで、剣道・剣術そのものは私は嫌いではない・・のだけれども、「うちの娘は女やけれども、剣道やっとんでえ。どうや、えらいやろ」とか、そういう思想・世界観というのか、戦前回帰の反動の思想というのは、ともかく、あのおっさん見ると「うわ~あ」て感じがして嫌いだ。だいたい、母の妹(叔母)でそのラグビー屋のおっさんからすると姉になる叔母の息子で私からするとイトコに、おっさんはラグビーを伝染させて、報徳学園のラグビー部に行きよったのだが、報徳学園というのは1981年に野球部が全国優勝しよった時だって決勝戦の前にアナウンサーが「金村投手、あしたはいかがですか」ときくと「死んでも勝つ」と言いよった( 一一)  ・・ように、報徳学園の野球部やラグビー部の人間は必ず「死んでも勝つ」言いよるのだが、要するに「天皇へーか の徳に報いるために『死んでも勝つ』」いう意味であり、それを知らずに野球とかラグビーとかやってるうちにその「天皇へーかのいるために『死んでも勝つ』」と言わされるようになっているのであり、そういうのをわからんやつの集団が「スポーツマン」だったのだ( 一一) だから、スポーツそのものは嫌いではないし、剣道そのものも嫌いではないのだけれども、「天皇へーかの徳に報いるために『死んでも勝つ』」というのがそれが野球だとかラグビーだとか吹き込まれて、そういう思想を知らないうちに注入されられている連中、即ち「スポーツマン」てのは、いいように思えないのだ。「死んでも勝つ」てやつ。 死ななくていいよ。ボクシングの内藤が亀田中と対戦する前、亀田中が「俺は負けたら切腹する。おまえも切腹するか」とか言いよったので、内藤は「しない、しない」と答えたというのだが、そういう「切腹する」とか何とか簡単に言うやつというのは実際に負けても切腹とかしないものなのだ。「死んでも勝つ」とかそういうこと言うやつというのは、嫌いなんだよ、そういうこと言うやつというのは。死ななくていいって。ウクライナでも、ウクライナでは兵士が死亡したのでは、ロシア軍は「少数民族」を徴兵してウクライナと戦わせるからいくらでも死なせていいけれども、ウクライナの兵士はウクライナ人であってよその民族を徴兵した兵ではないから兵士が死亡しては戦力の低下になるから極力戦死しないように配慮しているというが、その通りで、死ななくていいよ、そんなもの。そういう「死んでも勝つ」とかそういう思想を野球やラグビーにかこつけて吹き込むやつというのが嫌いなんだ。もはや、戦後なのに、いまだに「男のくせして音楽をやるなんて女女しいやつだ。その点、うちの娘は女なのに剣道をやっている。どうだ、えらいだろ」とかそういう戦中軍国主義思想・反動の思想に洗脳されている一家というのは、関わるとビョーキ移りそうで嫌だ。
「死んでも勝つ」とか言うやつというのは、「きみ死にたもうことなかれ」とか言ったら怒りよるし・・・( 一一)
内臓を強くする手のひら健康法 (ゴマブックス 323) - 竹之内 診佐夫
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天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ イラスト版オリジナル 20) - 菅 孝行, 貝原 浩
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  中島健蔵『昭和時代』(1957.5.17.岩波新書)には、中島健蔵が東大の学生であった時の話が出ているが、
《 ・・高等学校では、登山のほかに、蹴球をやった。大学でも学友会のア式蹴球部の委員をしていた。文学とスポーツとは、当時の通念では両立しがたいように思われていた。しかも、学友会では予算もとらなけれbさならず、大きな試合のせわも必要だった。蹴球部の選手たちもそれほど単純ではなかったが、1926年(大正15年)の11月には、学友会の中央部直属であった社会科学研究会が、みずから独立を提案した。表面上は正式に予算を出せということで、わたしくしも11月25日の学生委員会に出席すると、この問題をめぐって大論争がおこなわれていた。社会科学研究会の要求に対して、東京帝大に1925年に発生した右翼団体の七生社がはげしく反対して動いたことはもちろんである。正面に建って反対したのは小銃射撃部剣道部などであり、学友会各部の歩調は必ずしも一致しなかった。ア式蹴球部は中立であった。
  会場は、学内の山上御殿である。・・・ 》
といったことも書かれている。 ラグビー屋のおっさんや「死んでも勝つ」とか言わされている報徳学園の野球部やラグビー部の人間などは、こういうことも知らんだろう。
昭和時代 (岩波新書) - 中島健蔵
昭和時代 (岩波新書) - 中島健蔵
  「ビッグコミックスペリオール」No.914 2024年16号( 2024.8.9.小学館)掲載の久部緑郎 作・河合単 画『らーめん再遊記』では、
(ありす)「まさか芹沢さん、覚えてないんですか?
松宮会長が杉井さんの奥さんを連れて来て、そういう話になったじゃないですか?
 「士は己を知る者のために死す」「漢が漢にそこまで惚れられて黙っているわけにいきません!!」「不肖芹沢!! 微力ながら、粉骨砕身の決意で尽力していく所存です!!」 」
(芹沢)「あうううう・・!!」
(ありす)「ど、どうしました!?」
(芹沢)「お、俺はなんと軽率な安請け合いを!!
しかも『士(し)』とか『漢(おとこ)』とか頭の悪い体育会系やヤンキーがドヤ顔で口走る常套句を、恥ずかしげもなく並べたてて・・・!! 」
(ありす)「思い出したようですね?」
(芹沢)「杉井の急死で珍しく感傷的になっていたところに深酒して、情緒がバグってしまっていたようだ。」
・・・・という、ありす涼 と らーめん禿 芹沢との電話での対話が出ているが、らーめん禿 芹沢が「頭の悪い体育会系やヤンキーがドヤ顔で口走る常套句・・」と認識しているものを、アタマがラグビー・アタマが剣道の人間は認識できていないばかりか、それを得意にしている・・( 一一) ( 一一) ( 一一)
ビッグコミックスペリオール 2024年16号(2024年7月26日発売) [雑誌] - ビッグコミックスペリオール編集部, 太田垣康男, 矢立肇, 富野由悠季, 九駄礁太, 久部緑郎, 河合単, 妹尾圭祐, 金城宗幸, 平本アキラ, nicolai, 山口貴由, とがしやすたか, くずしろ, 香川愛生女流四段, たかたけし, アキヤマヒデキ, 加納梨衣, 小麦ムギ, 松浦だるま, 安田佳澄, YORI, 倉田よしみ, あべ善太, 高橋龍二, 西原理恵子, 内澤旬子
ビッグコミックスペリオール 2024年16号(2024年7月26日発売) [雑誌] - ビッグコミックスペリオール編集部, 太田垣康男, 矢立肇, 富野由悠季, 九駄礁太, 久部緑郎, 河合単, 妹尾圭祐, 金城宗幸, 平本アキラ, nicolai, 山口貴由, とがしやすたか, くずしろ, 香川愛生女流四段, たかたけし, アキヤマヒデキ, 加納梨衣, 小麦ムギ, 松浦だるま, 安田佳澄, YORI, 倉田よしみ, あべ善太, 高橋龍二, 西原理恵子, 内澤旬子

  ラグビー屋のおっさんの娘は兄か弟かの知り合いなのか、ラグビー選手を診る整形外科医だったか医者と結婚しよったが、郵便局員の息子だった。郵便局員て給料高いみたいやなあ・・・。 私なんかは子供の頃から「親というものは、息子が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って、やりたいと思う勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思えばこそ、無理矢理でも勉強させようとするものなんや」と、うちの母親から言われて、そんな与太話を本気にしてしまって同級生が遊んでいる時も只管勉強したが、その結果、「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしのために、わしのために、わしのためにためにために。すべてをすべてをわしのために。わしのために、会社のために。会社のために、わしのために。すべてをすべてを犠牲にする、すべてをすべてを犠牲にする。犠牲になる、犠牲になる、わしのために犠牲になる、会社のために犠牲になる、わしのために、会社のために、会社のために、わしのためん。戸締り用心、火の用心。マッチ一本火事の元、とってちってたあ~あ♪」のために、すべてを奪い取られた。
「うちは医学部になんか行かすような金持ちとは違います。6年行かないといけない学部には行ってはいけません。4年で卒業できる学部にしなさい」
「うちは工学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「うちは司法試験なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「京大はアカやから行ってはいかん」
「うちは学校の先生になんかならせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「学校の先生でも、特に数学と英語以外の科目の先生はなってはいけません。数学か英語の先生でなかったら家庭教師のアルバイトはできませんから数学か英語以外の先生は特になってはいかん」
「国語や社会科の先生はアカやからなってはいかん」
「学校の先生は全員、アカやからなってはいかん」
「うちは大学院になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん」
「出版社は給料が安いから勤めてはいかん。岩波書店はアカやから勤めてはいかん。出版社はアカやから勤めてはいかん」
「うちは芸大だの音大だのに行かせるような金持ちとは違います」「
国家公務員は転勤が多いからなってはいかん」
「商社は海外勤務があるから勤めてはいかん」・・・ということで、結局、私の場合はいいものなんて、ほとんどなかった。それに対して、ラグビー屋の娘と結婚した郵便局員の息子というのは、どこだったか地方国立大学だったか公立大学だったかの医学部に行って卒業して医者屋になったようだったが、私なら少なくともそこよりは評価の高い国立大学の医学部に行けただろうと思われるのに、私なら「うちは医学部になんか行かせるような金持ちとは違います。甘ったれるなあ~あ!」と言われたものだが、そして「自治医大ならどうですか。自治医大ならタダですからいいでしょう」と言っても、「わしがそんなもん、行かんでもええ言うてますねんでえ。甘ったれるなチャンコロろすけイタコ!」と言われたものだった。郵便局員というのは給料高いみたいで国公立大学でも下の方の国公立大学の医学部しかよう行かんやつやのにからに、「6年間、行かないといけない大学」に行かせてもろうてふてぶてしくも医者屋になりよった。ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ、郵便局員の息子は家が金持ちでええなあ、ほんまにうらやましいなあ・・・わしぁ日陰の月見草や・・・と思ったものだった。ほんまにええなあ、うらやましいなあ、ほんまにうらやましいなあ、ほんまに・・・・・ラグビー屋のおっさんの娘の夫になったできの悪そうなガキはほんまにええなあ、うらやましいなあ、少なくともあいつよりは私の方が小学校の時も中学校の時も高校の時も大学受験の時も成績は良かったと思われるのにからに、郵便局員の息子に生まれたやつは郵便局員は親の年収が多くてええなあ、下の方の国立大学の医学部しか行かれへんくせしてからに医学部になんか行かせてもろうてからに、ほんまにほんまにうらやましいなあ・・・と心の底から思った。ラグビー屋の子供の一番上のやつが結婚した頃、郵便局はまだ国営だったが、郵便局員て、そんなに高い給料払ってやるべきなのだろうか・・・というよりも、私は1980年代前半、郵便局の窓口のアルバイトをしたことがあるが、決して給料は高くなかった。正局員のおねえさんから「もっと割のいいアルバイトがあっただろうに」なんて言われたりもした。イトコ(女)と結婚しよった男の父親というのは郵便局員でも相当出世したえらいさんの郵便局員だったのだろうか。なんで、あのガキの父親の郵便局員はそんなに給料高いのか。その頃、郵便局は国営事業だったはずだが、国からそんなに高い給料をもらっていたのか。
この長嶋みたいなやつ! とも思った。ID野球でこてんぱんにやっつけてやりたかった。
・・というよりも、私はうちの父親の親友の医者屋の女川の同僚の医者屋の勝田(女。1980年頃当時、40代くらい?)から「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないうんやから、あんたは高校には行ってはいかんはずやのにからに、そやのにからに、あんたが北野高校に行ったというのは、それはあんたが甘ったれているからであって、あんたがつけあがっているからで、あんたがのぼせあがっているからで、あんたの思考が硬いからであって、あんたの性格に素直さがないからやいうことやな。あんたはほんまは高校には行ってはいけない人間やのにからに、それを北野高校に行ったということで、あんたはそこで罪を犯しているわけや。反省せんとあかんで、あんたは。自分は高校に行ってはいけない人間やのにからに思いあがって北野高校に行ったということを常に自覚して自分はそこで罪を犯したということをいつでも常に反省せんとあかんで。ましてや、あんたは大学には行ってはいかんはずや」と言われたのだったが、私はラグビー屋のおっさんの娘の結婚相手が行った国立大学の医学部よりは評価の高い国立大学の医学部に行けた可能性が大きいにもかかわらず「大学には行ってはならない人間」で「北野高校に行ったというのは罪を犯したということや」と言われなければならず、それを聞いてうちの父親は「そうや♪ その通りや。勝田先生がおっしゃる通りや。ええ~えこと言いはるっ! ほんま、その通りやっ! 小学校と中学校は義務教育やから行かせてやってやってやらんとしかたがないけれども、高校は義務教育ではないんやから、おまえは高校には行ってはならない人間なんや。勝田先生がおっしゃった通りやっ。ほんま、ええ~えこと言いはるっ。さすがは医者の先生や。さすがや♪ 」とおっしゃったのだったが、その基準からすれば、ラグビー屋のおっさんの娘と結婚したガキなんか、当然のことながら「高校には行ってはならない人間」のはずであるし、義務教育であろうがなかろうが「中学校に行ったのは余計や」となるはずで、「『中学校に行った』ということで、あんたは罪を犯したんや」と耳鳴りするくらいに言ってやらなきゃならないはずだった。又、ラグビー屋の息子は日体大と明治大にスポーツ(ラグビー)で行きよったのだが、日体大だの明治大だの、そんなものに義務教育でもないのに行くことないはずであり、「罪の意識をきっちりと持てええ! とってちってたあ~あ!」と言ってやらなければならないはずだった。なんで、あいつら、日体大だの明治大だのにふんぞり返って行ってたんだあ? どう考えてもおかしいだろ。どう考えても。
※ YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA 
YouTube-【歌詞付き】商魂こめて (巨人ファン閲覧注意)https://www.youtube.com/watch?v=GdbqSM-Oc6k 
YouTube-【消えゆく応援風景】くたばれ読売そーれいけいけー!https://www.youtube.com/watch?v=FxjyKJ2cMa0


  そして、1995年1月、阪神淡路大震災のすぐ後に祖母は亡くなったが、あのお葬式はもしかして行く必要なかったかな・・と思ったが、小さい頃にかわいがってくれた祖母のお葬式であるからには行きたかったが、また、同じような思いで来ていた親戚のおばさんがいたが、おそらく、私と同じように、もう、この家の法事に来ることもないかな・・・と思ったのではないか。

  ラグビー関係者は失礼・無礼である。 自分たちスポーツ関係者はどんなに無礼な態度をとっても「スポーツマンらしい礼儀作法」だと主張するようだが、身勝手もいいところだ。「ラグビー葬」だと思っていたようだが、そうではない。あくまでも、故人のためのお葬式であり、息子の片方がラグビー関係者であっても、ラグビー関係者のために故人の親戚は来ているわけではなく、故人の親戚によるお葬式にラグビー関係者も来させてもらっているのだということを自覚・認識するべきものだが、「アタマがラグビー」の人にそれを理解させようとしても無理のようだった・・が、その程度のことも理解できなアホラグビー関係者は来るな! ひとのお葬式に失礼だからラグビー関係者は来るな!・・と思ったのは私だけではないのではないか、と思う。

  その前に、祖父の方のお葬式の際のこともあった。祖父のお葬式は伯父(母の兄)が喪主を勤めておこなっていたが、それから10年ほど後の祖母のお葬式はラグビー屋の叔父が喪主になったのはなぜかというと、伯父はキリスト教の洗礼を受けていたので、大阪市天王寺区のお寺の境内にあるお墓を相続することはできず、伯父もお寺の境内のお墓に入ることはできず、お寺の境内にある先祖からのお墓と仏壇はラグビー屋の叔父が相続することになるので、それで祖母のお葬式は伯父は出席していたけれども喪主の立場はラグビー屋の叔父に譲ったようだった。
  しかし、伯父が喪主をつとめてやっていた法事は「◇◇家の法事」であり、親戚の者が参加していい行事だったが、ラグビー屋の叔父が喪主になると「ラグビー葬」にしてしまった。もはや、ラグビー関係者でない親戚は参加する必要はないものにされてしまった。 なおかつ、ラグビー屋の叔父は相続の際に「これまでは、おまえがやってきたけれども、これからは俺がやっていくんだから全部俺に渡せ」と伯父に言いよったらしいが、「これからは俺がやっていくんやから」と言いよったわりに、一周忌も三回忌も何もやりよれへん。当然、十三回忌も三十回忌もやりよれへん。それで、「これからは俺が全部やっていくんやから」と言いよったようだ。スポーツ関係者だけあって上祐と一緒の「口だけの人間」だったようだ。ラグビーやると「口だけの人間」になるのか・・。

  先に祖父のお葬式の時の方を述べる。 大阪市天王寺区のお寺のお堂に親戚関係者一同が待機していたところ、わけのわからんことを大声で叫んで入ってきた男がいたのだ。 ラグビー屋の叔父だった。何を叫んでいたかというと、「香典、中身はいってないのん、2つあったでえ。そのうち、ひとつは☆さんらしいでえ~え」と大声で叫んで入ってきよったのだ。 そして、そこにその☆さんはおられたのだ。いったい、何なんだ、この人は・・とびっくりした。
  お香典に中に入れるお金を入れ忘れる人というのは時々でる。そういうことがあった場合に、どうしたものか迷うものだ。ほかの人がいない所で「申し訳ありませんが・・」として中にお金が入っていなかったことを話した方がいいか、それとも、悪気があって入れ忘れたわけでもないだろうからと言わずに入っていたことにした方がいいか、迷うものだ・・・が、「香典、中身はいってないのん、2つあったみたいやでえ~え。そのうち、1つは☆さんやったみたいやで~え」と、その☆さんがそこにいるのに、☆さんにだけ話すのならともかく、大声はりあげて誰もに聞こえるように叫んで入ってきよった( 一一)   いったい、何、この人・・・( 一一)
私は今までからこの人のことを「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった・・・( 一一)

  その☆さんは、「入れ忘れらようで申し訳ないけれども、入れる予定だった金額と同じだけのお金は財布に持ってるけれども、それを渡した方がいいか、どうしようか」と言われたらしかったが、どっちにしても、ほかの人がいない所で入れ忘れたらしい人にこっそりと話すのなら話していいと思うが、そうではなくて、何人もがいる所でその☆さんもいる所で「香典、中身はいってないのん、2つあったでえ。そのうち、ひとつは☆さんらしいでえ~え」と大声で叫んで入ってくる・・・て、小学生の子供でもそういうことをするのなら「ちょっと、静かにしなさい」と言って騙らせる・・とか考えられるだろうけれども、大の大人が、もう、その時、ラグビー屋のおっさんは私より20歳年上だから45だったと思うのだが、「この人、いったい何だ」「おかしいのか」という言動をとったのだった。大学教授だか助教授だかの人が。なんか、ああいうのを見ると、大学教授てよっぽどバカかという感じがしてくる。
  私は、この祖父のお葬式の頃まではこの叔父が(「特別に賢いとは思ってなかったけれども」)「ここまでアホとは思わんかった」が、この頃から、この人、まともか? ・・と疑問を感じるようになった。

  そして、うちの父親が危篤になった時のことだが、アンブローズ=ビアスは『いのちの半ば』(岩波文庫)なんて本を書いたりもしているが、ひとの生き死にの時にそのまわりに来た人間がどういう態度をとるかを見ると、普段、その人について気づいていなかったところが見えることがある。 うちの父親が亡くなる前にも、このラグビー屋の叔父ともうひとり、「へ~え、この人、こういう人だったのか」というものが見えた人がいた。
  この叔父の方だが、うちの父親は最初は大阪市天王寺区の病院に入院したが、後に大阪府吹田市の病院に転院した。治らない病気だと言われたが、治らないとしても、どのくらいもつかは人によって異なるという話だった。吹田市の病院では入口で靴を脱いでスリッパに履き替えて病棟に入り、病室に入る前には両手を消毒して入ることとされていたのだった・・・が、それを土足で部屋中までドカドカと入ってきた人がいたのだが、うちの母の弟のラグビー屋のおっさんだった。 悪気ではないだろうとは思ったし、せっかく来てくれたのだからとも思ったのだが、普通、人が入院している所に見舞いに行くならば、病棟に入る際に靴を脱いで入るものか靴のまま入っていいのか、入る前に考えるというくらいは大人の社会人ならするものだが、また、せっかくお見舞いに行ってかえって迷惑かけてはいけないと、そのあたりを考えるものだが、頭がラグビーでできている人はそういったことを考えることはできないみたいだった。
それでも、「来てくれた」のだと思っていたのだが。

  それだけではなかった。息子の私が「どうも、わざわざ来ていただきまして」と挨拶すると、挨拶しているこちらを無視するだけではなく、ひょいと顔をそらせて「T子ちゃん、T子ちゃん」と言って上の姉を捜すのだ。どうも、うちの3人の兄弟の中では息子の私と話したくないみたいで、私が中学生の時に結婚して家を出た上の姉とお話ししたいみたいで、うちの3人の兄弟で最後にやってきた上の姉を「T子ちゃん、T子ちゃん」と言って捜しよるのだ。 私がこちらから「どうも、わざわざ来ていただきまして」と挨拶しているのだから、挨拶している私に挨拶を返した上で、その上で「T子ちゃん」とも話をするのならしてもいいが、息子の私が「どうも、わざわざ来ていただきまして」と挨拶をしているのに、一言も口きかずにひょいと顔をそらせて「T子ちゃん、T子ちゃん」て、この人、何なの? ・・・と思った。

  そして、入口で靴を脱いでスリッパに履き替えてあがるようになっている病棟に土足のままであがりこみ、病室の中まで土足で入り込みよっただけではなくて、その病室は入口で両手を消毒した上で入るようになっていたにもかかわらず、このラグビー屋は両手の消毒もせずに病室の中まで入り込みよった( 一一)  誰しも不注意ということはある・・としても、このラグビー屋の場合は、土足で病棟に上がったという点と両手の消毒をせずに病室に入ったという点と2つやった、ということは、やはり、「誰でもある不注意」とは違うように思える。

  そこまでは不注意によるもので、マア、この人はラグビーを仕事にしているようなあんまり賢くない人だからしかたがない、それでも「来てくれる」というのはありがたいことなのだろう・・と思っていたのだったが、ところが。
  うちの父親は、最後、口をきけなくなってしまったのだったが、しかし、口をきけなくなってしまった病人というのは意識がないと思いこんでいる人がいるがそうとは決まっていない。うちの父親も、口をきけなくなっても、手を少し動かして、こうしてほしいといった合図をすることがあり、又、手を握れば握り返してきていたので意識はあったと思われるのだ。又、子供が最初に言葉を話す時、はっきりとすべての言葉を話せるようになる前に、ひとこと、二言、つぶやいたりすることがあり、うちの甥っ子(上の姉の息子)が産まれてまだ言葉を話せない時、何だったか探し物をしていて、「どこにやったかなあ」と言い、知ってるわけない子供に「あんた、知らんか」と冗談のように言うと、まだ話せないはずの子供がひとこと、「知らん」とつぶやきよった・・なんてこともあったが、その逆、口をきけなくなってしまったとはいえ、何かの拍子に言いたい言葉がひとことだけ口から出ることがあり、うちの母と姉2人と横にいて、「ずっとみんながついていてもしかたがないから、誰かがいて他の者は一度帰らせてもらってもいいのではないかな」と言うと、横で寝ていたうちの父親が「ええがな」とつぶやいた・・なんてこともあった。だから、口をきけなくなったとはいえ、だからといって意識がないわけではなく、眼は見えていて耳は聞こえていたと思われるのだ。
  その病人のすぐ横で、このラグビー屋のおっさんは土足であがってきた靴はぬいだものの、こう言いよったのだ。「もう、こうなったら、もう、あかんもんやと思わんといかん」と。何を言うんだ、このラグビーは・・と思い、「ちょっと、あなた、外に出てもらえないですか」と言ったものか迷った。
  本人は「もう、あかんもんや」とは思ってないのだ。かつ、もう、治ることはないとは医者は言っていたけれども、治らないものの、けっこう長く生きる人もあり、比較的早く亡くなる人もあり、それはわからないと医者は言っていて、本人は治って家に帰るつもりでいたのだ。それを「もう、あかんもんやと考えんといかん」とは病人のすぐ横で何を言うんだ、この人は・・と驚いたのだが、後から考えてみると、それがあのおっさんだったのだ。それが、あのラグビー屋の本質だったのだ。私はあのラグビー屋のおっさんを買いかぶっていた。実際よりもまとものように勘違いしていた。

  そして、葬式の日の当日になると、↑ で述べたように、「うちは、息子が2人いるから就職する際に保証人になるのもお互いになりあうことができるから、あんたに頼むことは絶対にないけれども、あんたは兄弟はねーちゃんしかおらんのやから、就職しようと思っても保証人はうちに頼むしか頼む相手ないんやから、今後はあんたはうちには絶対に頭あがらんのやから覚えておけよお。絶対に忘れてはいかんぞ。ええなあ。絶対に忘れるなよ。今後、あんたはうちに頼むことはあるけれども、うちは今後、あんたに何か頼むということは絶対にないんやからなあ。絶対に忘れてはいかんぞお」と、ひとの親の葬式の最中にそういうことを言いよったのだ。・・そして、それからたいして経たないうちに、息子の結婚式に出てくれと「あんたに何か頼むということはうちは絶対にないんやからなあ。覚えとけよ、絶対に忘れるなよ」とひとの親の葬式の最中に執拗に言った男が頼んできよったのだ( 一一) どの口が頼んどるんじゃい、どの口があ・・・。

  祖母がかわいそうだと思ったのだ。ラグビー屋の叔父が喪主をせずに伯父の方が喪主をしていたら、あんなことはしないと思ったのだが、ラグビー屋が喪主をするとあんなになってしまうのかと思った。 大阪市天王寺区のお寺でお葬式をやった後、大阪市大正区の斎場で火葬をおこなった後、叔父の運転するワゴン車に乗せてくれたのはいいが、火葬場の近くの駐車場のある喫茶店に乗り入れると、「ちょっと、そこに入っていこうやあ」とおっさんは言い出しよったのだが、当然、遺骨は持って入るものだろうと思っていたのだが、ところが、おっさんは遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて、クルマに鍵をかけて喫茶店に入ろうとしたのだ( 一一)  あれを見て、この人とはつきあいたくないなあ、この人とは関わりたくないなあ・・・と思ったのだ。
  えらいことしよるなあ・・・と思った。うちの母に話しても、「えらいことするなあと思った」と言うのだが、それならそう言えばどうかというものだが、その時点で、うちの母も70だったから「高齢者」の方になっていたかもしれないし、母はそういったことを言えないし、女性はその家を出た立場だから、お葬式とかはその家の人間である息子が決めてやることだからという遠慮があったかもしれない。伯父の方も同様に「えらいことしよるなあ」と思ったかもしれないが、伯父は自分がキリスト教の洗礼を受けていることからお墓と仏壇を継げないし、伯父は子供が娘しかいなかったので、息子がいる叔父に逆らえなかったようだった。・・しかし、それならば、私が言ってやるべきだった。私は祖母からすると外孫で、ラグビー屋のおっさんは祖母の息子になるけれども、そんなことは関係ない。あれではおばあちゃんがかわいそうだ。
  それから十年以上経ち、あの時、私はどうすれば良かったのかと思ったのだが、「どうぞ、喫茶店に入ってきてください。私はおばあちゃんと一緒にクルマで待ってますから」と言えば良かったのではないかと思う。季節は1月、あっついあっつい7月とか8月とかならクルマで待つということはできないであろうけれども、1月だったから「クルマで待つ」ということもできたであろう。
  少なくとも、あの男と一緒に行動すると、心ならずもあのアホと一緒の行動をさせられることになる危険が出てくることを意味するので、あのアホとはできる限り関わりたくない・・と思うに至った。

  ひとつ、問題点として、遺骨を持って喫茶店に入るという場合、喫茶店で嫌がられることはないか、という問題がある。その店は火葬場から遠くない場所にあり、普段から火葬場の帰りの人が立ち寄ることが多いのではないかと思われる店だったので、そういった問題には理解がありそうな感じがしたが、先に相談しておくべきだったのではないか。
  又、もしも、近所の喫茶店などで遺骨を持って入ることを嫌がられるようで、遺骨とともに入れる店が見つからなかったならば、それならば、斎場で火葬の後、少し、親戚の者が集まって過ごす場所はないか尋ねてみるか、さもなくば、お寺さんに火葬の後でもう一度、お寺の本堂を遣わせてもらえないか頼んでみるとかしてはどうだっただろうか。
  ラグビー屋のおっさんが、なぜ、喫茶店に入りたがったかというと、普通、火葬の後、「しあげ」とか「精進落とし」と言って、食事などふるまったりするものだが、祖父が亡くなった時は祖父母が住んでいた兵庫県尼崎市の家があったが、祖母がなくなった時にはその家は売却してなく、祖母は施設に入っていて、お骨は最終的にはお葬式をあげたお寺の境内の墓地に埋葬することになるけれども、それまでの間は大阪府高槻市のラグビー屋のおっさんの家に持ち帰ることになるので、ラグビー屋のおっさんの家に親戚の人間一同を何人も入れたくないと考えたのだろう。それで、喫茶店に入り、喫茶店代は「うちが出しとくわ」と言っておっさんが出して、それですませたことにしたのだろう。しかし、火葬の直後のお骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて平気で喫茶店に入る男・・・て、お骨の主はそのおっさんの母親だから、息子に「たたる」とかいうことはしないであろうけれども、祖母がかわいそうだ。私以外の人間がどう思ったかわからないが、あんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・ということをラグビー屋はやりよった。ああいうのを「スポーツマンシップ」とか「スポーツマンだけあって、まっすぐな性格」とか「スポーツマンだけに純心な心」とか言うのだろうか。「スポーツマン」というのは、ろくなもんじゃないな。
  もしも、火葬場の帰りに喫茶店などに入りたいが喫茶店でお骨を持って入るのを嫌がるということはないかと思うのならば、あらかじめ、入ろうと考える店に行って尋ねてみるべきだろう。火葬場の帰りにお骨とともに喫茶店などに入りたいという人はいると思うので、そういう場合にどうしたものか、葬儀社の人に相談してみてもよかったのではないか。ともかく、あれを見て、もう、この人とは関わりたくない・・と心から思った。

  祖母のお葬式の時のこのおっさんの言動はそれだけではないのだ。 このおっさんは、なぜか私に敵意を持っていて、うちのお姉さん2人はこの人に年賀状など出すと、この人もうちの姉に年賀状など出していたらしいのだ。ところが、私はこの人に何度も年賀状など出したのだが、出しても出しても、自分は「えらい人」だと思うのか、もらうだけで決してお返しを出してこない。 伯父の方は私が出すと毎回、律儀に伯父の方でも出してきてくれたものだったが、ところが、このラグビー屋の叔父は私が福島県いわき市の住所から何度も何度も年賀状など出しても出しても、絶対にお返しを出してこないという男だった。ただのラグビーのくせに( 一一)  今となっては20年ほど前になるか、なべつね恒夫が「たかが選手が」などと言ったことがあったが、「たかがラグビーが」と言ってやりたい。
  ともかく、このおっさんには私はずいぶんと何回も年賀状など出したが、1回としてお返しは来なかったのだが、私の方は福島県いわき市の住所を明記した年賀状などを何度も何度もこのおっさんの高槻市の住所に送り、このおっさんは当たり前のように受け取っていたのだった。
  ところが、祖母のお葬式の時になると、このおっさんは何度もこちらからの年賀状など受け取った私にこう言ったのだ。
「俺は、あんたが今、どこに住んでるのかもいっこうに知らんのやけどな」と( 一一)

知らんわけないだろうが。私からの年賀状など何度も何度も住所を明記したものを受け取っているのだから、知らんわけないだろうが。知らんわけないのに、間違いなく知っていて、それでわざわざ、「俺はあんたが今、どこに住んでるかもいっこうに知らんのやけどな」と、わざわざそう言いよったのだ。
   こういう態度というのは、これはもう、「喧嘩売ってる」と解釈するべきではないのか・・と思う。違うか?

  さらに、これはお葬式の時に、私はその時の勤め先の(株)一条工務店の会社名を明記した勤務先の名刺を渡しているのだが、ところが、このラグビー屋のおっさんは私から会社名と勤務している営業所名と住所・電話番号が明記されている名刺を受け取った上で、それを手に持って、こう言ったのだ。
「俺は、あんたがどこの会社に勤めているかも、何やってる会社に勤めてるかも、いっこうにまったく知らんのやけどな」と( 一一)
・・・はあ?  おまえが手に持っているのは、それは何だ?
人から会社名を明記した名刺を受け取った上で、「俺は、あんたがどこの会社に勤めているかも、いっこうにまったく知らんのやけどな」とは何だ、その態度は

  どう考えても、喧嘩売ってるとしか思えないのだが、そうならないか。どう考えても、「喧嘩売ってる」と解釈するしかないのではないか。
  この時、ラグビー屋のおっさんは私より20歳年上だから、55歳だったはずだ。人間として、男として、社会人として最も能力を発揮できると世間では見られる年齢ではないのか。その年齢の男がその態度は何だ
  そういうのが「大学教授」らしいのだ( 一一)  なんか、大学教授て、よっぽいどバカじゃないのかて感じがする( 一一)

 ラグビー屋のおっさんは私から勤務先の会社名と勤務している営業所の住所・電話番号が明記されている名刺を受け取った上で、自分の名刺は私に渡さなかったのだ。それでいて「俺は、あんたがどこの会社に勤めているかも、何やってる会社に勤めてるかも、いっこうにまったく知らんのやけどな」という口をきいたのだ。
  まず、普通、ひとから名刺を受け取ったら、自分の名刺も相手に渡すものではないのか。それとも、おっさんは自分はよっぽど「えらい人」とでも思っていて、自分の名刺はプレミア付きで特別の相手にのみ渡すものだとか思っていたのか。何様だと思っているんだ。「たかがラグビーが」。
  もしも、ラグビー屋のおっさんが、自分は「えらい人」だと思っていて、それで甥にあたる私からは名刺はもらうだけで自分は渡すべきではない、年賀状・暑中見舞いは自分はもらうだけで自分は渡すべきではないと信念もっていたのであるならば、それならば、私だって、そんなラグビー頭のおっさんに別に名刺を渡す必要もなければ年賀状・暑中見舞いを送る必要もないことだった。だから、この男のこの態度を見て、この後はこの男には年賀状・暑中見舞いは送らないことにした。「おまえの年賀状・暑中見舞いは要らんわ」という態度をはっきりとこの男は私に取ったのだから。

  ここしばらく、母は私が今住んでいる千葉県船橋市の家とその近くの介護施設とを行き来する生活を送ってきたが、介護施設の方にいる時にこのラグビー屋の男が来ることが訪ねてくることがあったようで、来ると、名刺をほしいと言われてもいないのに、介護施設の人間に「名誉教授」と書かれた名刺をまいて帰りよるらしかった。 私が私の名刺を渡しても受け取るだけで自分の名刺を甥の私に渡さない男が、名刺をもらえませんかと頼まれもしない介護施設の職員に「名誉教授」と書いた名刺をまいて帰りよるらしかった( 一一)
  なんか、「名誉教授」てずいぶんと安っぽいもののように思えてしかたがなかった。
 「名誉教授」て、「そんなもん」なのだろうか・・・。

  うちの母が私に、「今度、M夫が来ると言うから、渡せるようにこのあたりのお土産を買ってきて」と言うので、「なんで、私があの人にそんなものを買ってくるんですか」と言ったのだ。「せっかく、来てくれるんだから」と言うので、「来なくていいです、あの男は」と言ったのだ。 「来ないでください」と言ったのだが、「そんなこと言わないで、あんたに頼まないと誰も買ってきてくれる人間いないから」と言うので、「それならお土産なんかやらなくていいです」と言ったのだ。
  「あの人は私の悪口を言うために来るんですよ。なんで、私が私の悪口を言うためにやってくる人に渡すお土産を買ってこないといけないのですか。おかしいでしょ」と言ったのだ。「あの男は、私の悪口を言うためならば、千里の道を通しとせず・万難を排して・取るもの取り合えずやってくる、というそういう男でしょ。なんで、私が私の悪口を言おうと、千里の道を遠しとせず・万難を排して・取るもの取り合えず やってくる男のためにお土産を買ってこなきゃならんのですか」と言ったのだ。「そんなこと言わないで。せっかく、来てくれるんだから」とうちの母親は言うので、「だから、来ないでもらいたいんです、あの人には。せっかく来ないでください。私の悪口を言おう言おうと思って、そのために必死になって来る男のために、なんで私がお土産を買ってこなきゃならんのですか。どう考えてもおかしいでしょ。『舌切り雀』の話のおばけの入ったつづらでも持ち帰らせてやりましょうか。それとも、『浦島太郎』の話にある老化が進む煙の出る箱でも持ち帰らせてやりましょうか」と言ったのだ。
  根負けしてしまって、私の悪口を言うために「千里の道を通しとせず」「万難を排して」「取るもの取り合えずやってくる男のために、船橋市から千葉県にかけての名産品をとりそろえたお土産セットを用意したが、やっぱり、あんなものをあの男に渡すべきではなかった。高齢の母親に頼まれて根負けしたが、あんなもの、あの男にやるべきではなかった。どうしても用意してくれと言うのならば、コンビニのレジの後ろあたりに置いてある、何十年か放置されているのではないのかと思われる二千円か三千円かの贈答品セットでも買ってきて渡してやればよかった。あの男にはそれでもやりすぎだ。 私の悪口を言うために「千里の道を通しとせず」「万難を排して」やってくる男に私がお土産を買ってくるというのは異常だ。 「せっかく来てくれるのだから」とうちの母親は言うのだが、私の悪口を言うために「千里の道を通しとせず」「万難を排して」やってくる男のこといを「せっかく来てくれる」と解釈するのは間違いだ。おまえは、来るな!  北朝鮮製の う〇こ爆弾みたいに、「う〇こ の詰め合わせ」でも持ち帰らせてやればよかったか。

  私は母に言ったのだ。「あの人(母の弟のラグビー屋のO本M夫)、うちのお父さんのお葬式の時に、私に『今後、あんたはうちに世話になることはあるけれども、うちは今後、あんたに何かやってもらうことは絶対に何ひとつとしてないんやからなあ。覚えておけよ、忘れるなよ、絶対に忘れてはいかんぞ』とひとの親の葬式の日に葬式の最中に何度も何度も言われましたよね。そう言われたものだから、私は、そりぁ忘れてはいかんなあ・・と思って忘れないようにしてきたのですが、そのすぐ後であの方、息子の結婚式に出てくれと私に頼まれましたよね。私は『うちは今後、絶対にあんたに何か頼むことはないんやからなあ』とうちの親の葬式の日に葬式の最中に何度も何度も言われた方が、なんで息子の結婚式に出てくれと頼まれるのか、なんともマカ不思議で理解しがたかったのですが、それでも出ましたよね。うちのお姉さんの結婚式にはあの方は新幹線の切符をうちからもらって大阪から東京まで来られたそうですけれども、私は福島空港から大阪伊丹空港までの日本航空の飛行機代を私が出してM也の結婚式に出ましたよね。そりぁ、結婚式は『来てもらった』という面もあれば『呼んでもらった』という面もあるでしょうから、呼んでもらえないよりも来てほしいと言ってもらう方がいいかもしれませんけれども、それにしても、『うちは今後、あんたに何か頼むことは絶対にないんやからなあ。忘れるなよ、絶対に覚えておけよ、絶対に忘れてはいかんぞ』とうちの親の葬式の日に葬式の最中に何度も何度も、あの方は私におっしゃいましたよね。聞いていたでしょ。私はあの方がそうおっしゃったものだから、これは忘れてはいかんなあと思ったずっと覚えていたのですよ。『うちは今後、あんたに何か頼むことは絶対にないんやからなあ。覚えておけよ、忘れるなよ、絶対に忘れてはいかんぞ』と何度も何度も言って、それで、なんで息子の結婚式に出てくれと頼むんでしょうね。ユニークな方ですねえ。それで、私は『絶対に忘れるなよ、絶対に覚えておけよ、絶対に忘れてはいかんぞ』とうちの親の葬式の時に葬式の最中に何度も何度も繰り返し繰り返しおっしゃったものですから、これは絶対に忘れてはいかんなあと思ってずっと覚えていますし、これは死ぬまで忘れませんし、死んでも忘れませんが、なんで、そういう方に私がお土産みたいなものを用意しないといけないのですか。『あんたに何かやってもらうことは今後一切絶対にないんやからなあ。絶対に忘れるなよ、絶対に覚えておけよ、絶対に忘れてはいかんぞ』と何度も何度もおっしゃったからには、そのお方にお土産なんか用意しなくていいじゃないですか。あの方が言われたことですよ。大学教授様がおっしゃったことですよ。大学教授てそんなにいいかげんなことを言うものなんですか。おもろい大学教授もあったもんですねえ」と言ったのだ。それでも、「そんなこと言わないで、お願いだから買ってきて」とおばあさんが言うものだから、しかたなしに買って用意したが、あんなやつに用意したのは、やっぱり間違っていたように思う。ああいう男には「う〇この詰め合わせ」でも持ち帰らせてやればよかった。もしくは、スポーツマンへのお土産らしく、せっかく大阪府から千葉県まで来てくれたことだから「ダンベルの詰め合わせ」でも千葉県から大阪府まで持って帰らせてやるとよかったか。
   昔々、近江の国で長浜城の城主になった羽柴秀吉が鷹狩りに出て喉が渇き、付近の寺に寄って「茶を所望」だか「湯を所望」だか言うと、小僧が出てきて大きな器にぬるい湯をなみなみとついで持ってきた。のどが渇いていたところに、それは実に心地よかった。さらに「もう一杯」所望したところ、次は最初よりも量が少なく、最初より熱めだった。「さらにもう一杯」所望したところ、三杯目は器も小さく舌が焼けるくらいに熱く、それが実に心地よかった。それを見て羽柴秀吉は「こいつは使える」と見てその小僧を召し抱えて使ったのが石田三成だった・・というお話があって、その寺がここだと言っている寺が滋賀県の長浜市と米原市に1つずつ、計2つあるらしいのだが、実際にあった話なのか後の時代の創作なのか、創作っぽいけれども創作と決まったわけでもない・・が、はたして、本当に石田三成は殿さんに気に入ってもらおうと思って、最初はぬるい湯を大きな器になみなみとついで出し、次は少な目の量で最初よりは熱いものを出し、三杯目は小さな器で舌が焼けるくらいに熱いものをだしたのか、もしかして、そうではなくて、三杯目には「なんだ、まだ飲むのかよお。もう、いいかげんに帰れよ、この猿~う!」と「ぶぶづけでもどないだすう」と嫌がらせであっつ~い舌が焼けるようなやつを出してやったところ、猿は逆に喜びよった・・・なんてこと、ないか(笑)  ・・とも思うのだが、「ダンベルの詰め合わせ」でも持たせてやれば、用意した側としては、さすがにそれだけされたら、自分は嫌がられている、自分は歓迎されていないと気づきよるやろう・・と思ったら、スポーツマンは一般人とは感じ方が違って「これはええわあ♪」と大喜びしよった・・・なんてこと、なんかありそうにも思えるのだが、一回、実験してみたい気もするのだが、残念ながら2018年の大阪府北部地震の少し前に、やってみるまえに野垂れ死にしてまいよった。
※ ウィキペディアー大阪府北部地震https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%8C%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87

  祖父のお葬式の時、「お香典、中身、入ってないのん、2通あったらしいで~え。そのうち、1通は☆さんらしいでえ~え」とお寺のお堂で大声でその☆さんがそこにいる場所で叫んだ男、祖母のお葬式の後、火葬場の帰りに祖母の遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて「そこ、入ろうや」と言って喫茶店に入ろうとした男、うちの父親の葬式のまさにその日に「うちは今後はあんたに何か世話になることは何ひとつとしてないんやからな。あんたはうちに世話になることはあるはずやから、あんたはうちには頭さげんといかんのや。うちはあんたに何か頼むことは今後、絶対に何ひとつとしてないんやから、覚えておけよ。忘れるなよ。絶対に忘れてはいかんぞ」と何度も言い、それからたいして経たないうちに「息子の結婚式に出てくれ」と頼んできた男、その男が母の所に来て、「お寺から檀家総代になってくれと頼まれてるんや」などと言いよったらしいが、わかった。はは~あん・・、わしは檀家総代になってくれとお寺から頼まれるくらいえらいねんぞお・・と言いたい、それを言いたいということやな・・とわかった。もう、あのアホが考えることなんて、わかるようになった・・というのか、わかるようになってしまった。元々は親戚だから、よくない部分がわかったら教えてあげるか、助けてあげるべきだと思っていたのだが、あのアホは助けようがない。「檀家総代になってくれと頼まれてるんや」とうちの高齢の母に言いにきたということは、「俺は檀家総代に頼まれるくらいえらいんやで」とアホは言いたい・・とそういうことだ( 一一)  もう、アホの考えることはわかった( 一一)
  大阪市天王寺区の浄土宗のうちの母方の実家が檀家になっていたお寺は、インターネットで検索すると、本堂が国登録有形文化財の指定を受けたらしい。何度か使用させてもらったあのお堂がそういう指定を受けるものだったらしい・・・が、そういう国登録有形文化財の指定を受けるお堂を持つようなお寺にしては、お葬式の時、「お香典、中身、入ってないのん、2通あったらしいで~え。そのうち、1通は☆さんらしいでえ~え」とお寺のお堂で大声でその☆さんがそこにいる場所で叫んだ男、祖母のお葬式の後、火葬場の帰りに祖母の遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて「そこ、入ろうや」と言って喫茶店に入ろうとした男、うちの父親の葬式のまさにその日に「うちは今後はあんたに何か世話になることは何ひとつとしてないんやからな。あんたはうちに世話になることはあるはずやから、あんたはうちには頭さげんといかんのや。うちはあんたに何か頼むことは今後、絶対に何ひとつとしてないんやから、覚えておけよ。忘れるなよ。絶対に忘れてはいかんぞ」と何度も言い、それからたいして経たないうちに「息子の結婚式に出てくれ」と頼んできた男、そして、浄土宗の数珠ではない数珠を持つ男に「檀家総代」になってくれと頼む・・て、国登録有形文化財もあんまりあてにならんな・・・( 一一)  とりあえず、「おっさん」(東京などでは「和尚さん」と言うものを関西では「おっさん(⤵)」と言うようだ。「おっさん(→)」ではなくて頭にアクセントがあって「おっさん(⤵)」と言う)は浄土宗の数珠はこういうものなんですと、まったくのヒラ檀家ならまだいいとして、「檀家総代」になってもらおうという人にならば、とりあえず、そのくらい教えてはいかがなものか・・と思うし、「檀家総代」があれだとお寺の品格も下がるてことないか・・・と思う・・がな・・。

   「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかでその人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と述べていたが、その通りだと思う。 会社という所に勤めて、これは「賞」だけではなくて会社の役職にもあてはまると実感した。「どのような役職につかせてもらっているかでその人の値打ちが決まるのではない。どのような人がその役職についているかでそのや役職の値打ちがきまるのだ」と言えると思うようになった。特に、高卒中卒優先主義の(株)一条工務店になんぞ勤めると、”” 自分は営業所長様だからえらいんだ・・と言いたい症候群の高卒のおっさん ”” というのが、わんさといて・・( 一一) て気持ちにならされることが何度も何度もあった。小堀住研(株)は「小堀住研は昔から大卒しか採らない会社なんですう」と1960年代から言い続けていたが、そのわりには入社してみると底辺の高校卒のおっさんが支店長と部長とかになっていた( 一一) なんで、その人がそこにいるのお~お? ・・と思ったし、大学新卒で勤めた者は大部分の人間が「なんで、あいつ、そこにいるんだ」と怒っていたが、「高卒」でもある程度の大学に行こうと思えば行けたが何らかの理由で大学に行かなかったという「高卒」ではなくて、およそ大学に行くような人と違うという「高卒」のおっさんが支店長とか部長とかになっていて、また、そういう人がえらそうにしていた。「なんで、あいつがそこにいるんだ」と多くの人間は思ったが、そういう人は自分はその役職についたからえらいと主張したいみたいだったが、そうではなくて、その人がその役職についたことでその役職がその人の程度のものになっただけだった。もしくは、遠くないうちに会社の方がその人がその役職につく程度の会社に社会的地位が下がるかだ。 高い役職についているかどうかでその人の値打ちが決まるのではなく、どのような人を高い役職につけているかでその会社がどの程度の会社かが決まる(もしくは、わかる) という面がある。 小堀住研(株)はエスバイエル(株)とよくわからん会社名に社名を変更した後、社会的地位が下がり、上場廃止になり、そして、つぶれた。〔ヤマダ電機が「いぬき」で買収して、ほかにも買収したリフォーム部門の「リフォームのナカヤマ」と合わせてヤマダホームズ(株)にしたが、いったん、つぶれた会社をヤマダ電機が買い取ったもので、2代目のアホの中島昭午は会社をつぶしよった。中島昭午の出身校の滋賀県立長浜北高校の応援部のホームページのコメント欄に中島昭午のことを「さっそうたるメンバー」などと書き込んでいた人がいたが、「会社をつぶしたアホの2代目」を「そうそうたるメンバー」とは笑止である。 〕
   私がここで述べたことはわかる人はわかると思うが、わからん人はわからんだろう。うちの叔父のラグビー屋のおっさんみたいに檀家総代になってくれと頼まれてるんだ」と言えば自分の値打ちが上がると思って言う人というのはいるだろう・・けれども、その前におのれの母親の遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて喫茶店に入ろうとするその態度をなんとかしろよ・・・てもので、そのあたりに無神経な男が檀家総代になっても、檀家総代が「その程度のもの」になるだけで、その男の値打ちが上がるものではない。母親の遺骨は粗末にすべきものではないと考えてそれなりの対応をする男であれば、檀家総代になってもならなくても価値がある。 この程度のことがわからない人だから「名誉教授」なんてものになっておったのかもしれない。「俺はあんたが今、どこに勤めてるのかも知らんのやけどな」という文句は私の方がこのおっさんに言う文句だ・・が、あのおっさんがどこに勤めていても、どっちでもいい。どっちであっても、おのれの母親の遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて喫茶店に入るような男なのだから。
娘の学校 (ちくま文庫 な-2-14) - なだ いなだ
娘の学校 (ちくま文庫 な-2-14) - なだ いなだ

 祖父・・私は25歳、ラグビーは45歳。
 父・・・私は31歳、ラグビーは52歳。
 祖母・・私は35歳、ラグビーは55歳。
・・だったが、45の時も52の時も65の時も、落ち着きのない男やった( 一一)
  その前にもう1件あった。うちの父方の祖母のお葬式の時だ。
 父方の祖母・・私は12歳、ラグビーは32歳。
   父方の祖母のお葬式の時、このラグビーは一家で葬式に我が家に来てくれたのだったが、その時は気づかなかったが後から気づいた。まだ、中学校1年に入ったばかりの私は数珠というものを持っていなかった。数珠は必ず持っていないといけないというものではないが、持っていた方がいいだろうけれども、中学生が持っていなくても、その後の人生を生きていく上で、自分で持ちたいと思った時に自分が納得のいくものを持てばいいことだ。私は我が家は浄土真宗本願寺派だったので、間違いなくその宗派のものを持ちたいと思い、京都の西本願寺まで行って西本願寺の売店で購入してきたものを今は持っている。それは相当気に入っている。
  1970年代前半、私が中学校1年の時、父方の祖母が他界したお葬式の時、ラグビー屋の叔父が息子に「〇ちゃんに数珠を貸してあげて」と言って2歳年下のイトコが持っていた数珠を私に渡させたのだった。 後になって、わかった。あのラグビー屋、相当おっさんのように思えたが、まだ、その時はラグビー屋のおっさんは32歳だったようだが、みんなの前でおのれの息子が持っている数珠を私に貸してみせることで、あんたは数珠も持っておらんのやろうが、うちの息子はきっちりと数珠を持って来ておるんやぞお・・ということをアピールしたかった・・ということだ。毎度、そういうことをやらなきゃおれない症候群のおっさんやった。まさに運動選手やなあ・・て感じだ。
  で、その「数珠を貸す」「数珠を借りる」という行為だが、日本の古寺研究会編『日本の古寺 100の秘密』(2018.9.18.差彩図社)の「60.数珠を使いまわすとばちがあたる?」には、次のように出ている。
《 現在では、数珠は持ち主と浄土世界との縁を強め、仏に自分の念をより強く送るために用いられている。故人や仏に感謝の想いを伝えるために、数珠の使用が奨励されているのである。》
《 忘れたときは数珠なしでもいいが、使いまわしは厳禁。数珠は持ち主を守護するものでもあるため、家族や親しい友人であっても、貸し借りはしないようにしよう。
と書かれている。もっとも、インターネットで検索すると、数珠の貸し借りはだめだと書かれたものと、そう気にしなくてもいいと書かれたものがあったように思うので、諸説あるのかもしれないが、数珠というものは「持ち主を守護するもの」と考えるならば、持ち主の一部分と考えるならば、持ち主の一部分であるものを他の者が使用するというのは不適切なものであろう・・が、息子に甥っ子に貸すように言うのならば、こういったことをある程度は考えた上で言うべきものであろうと思われるのだが、アタマがラグビーの人にそれを求めても、八百屋で魚を求めるような行為かもしれない。
  そして、これは後から気づいたのだが、そのイトコが私に貸してくれた数珠だが、母の実家は浄土宗であり、その息子であるラグビー屋のおっさんもその息子であるイトコもまた浄土宗のはずなのだが、あれは浄土宗の数珠ではなかった。数珠というのは宗派によって形が異なり、浄土宗では念仏をより多く唱えるほどよいという考え方があるみたいで数珠で念仏の回数を数えるらしいのだが、浄土真宗では念仏を唱える回数は数えない、何度も念仏を唱えることができる人は救われるが一度だけしか唱えることができない人は救われないといったものではない、一度だけしか唱えられない人でも、あるいは唱えたいと思ったというだけでも救われるという考え方であって、何回唱えたかは数えないので「数珠」と言わずに「お念誦」と言うらしいが、どう言うかは別として、宗派によって少しずつ違うのだが、お坊さんや仏具店の人ならすぐにわかるかもしれないが、一般の人間はひとが持っている数珠を見てもそれが何宗の数珠なのかわからないことの方が多いと思うのだけれども、浄土宗だけは他の宗派とは違って二連になっているという特徴があるので、特に僧でもなくお寺で仕事をしているわけでもない私のような者でもわかったのだ。中学校1年の時の記憶は残っていても、その時はその数珠が何宗の数珠かなんかわからなかったが、後に『一個人 完全保存版 仏教宗派入門』(2023.2.12.KKベストセラーズ )の「第十章 宗派で異なる仏事のしきたり」「数珠の作法」を見てわかったのだ。浄土宗以外の宗派については、どこがどう違うというのは書かれていても、お坊さんでもない者はひとの持っている数珠を見て瞬時に何宗の数珠なのか判別はできないのが普通だと思うが、浄土宗だけは「二連になっている」という他の宗派の数珠とは大きな違いがあるので、過去の記憶を思い出してみてもわかるのだ。あのおっさんが息子に持たせていた数珠は浄土宗の数珠ではなかった。「檀家総代になってくれと頼まれてるんだ」と言えば、おのれの値打ちがでるとか思ってるあさはかな男は、とりあえず、自分のところのお寺の宗派の数珠はどういうものか学んでからにしてはどうだろうか。
お寺の魅力と成り立ちがわかる 日本の古寺100の秘密 - 日本の古寺研究会
お寺の魅力と成り立ちがわかる 日本の古寺100の秘密 - 日本の古寺研究会
一個人別冊 仏教宗派入門 (ベストムックシリーズ・82)
一個人別冊 仏教宗派入門 (ベストムックシリーズ・82)

  そして、1985年(昭和60年)(阪神タイガースが優勝した年)、祖父が亡くなった時のお葬式の際、お通夜の後、高齢の祖母に我が家に来てもらって泊ってもらったのだが、祖母はお通夜まででもう疲れてしまい、お葬式はもう出席しないことにすると言い出したのだったが、朝、うちの母が私に「おばあさん、お葬式は出ないって」と言うので、「え?」と言い、
まず、「高齢のお婆さんが、もう疲れてしまったからお葬式は出席しないことにするというなら、それでもいいとは思うけれども、うちはどうするの?」と言ったのだ。「高齢のおばあさんをうちの家に1人で置いておくわけにもいかないでしょうから、お母さんがお婆さんと一緒にいて、私が一人でお葬式に出るということにするの? それとも、うちはお婆さんと一緒にお通夜には出たけれどもお葬式は欠席とするの?」と言ったのだ。「どうするのやろ」などと母が言うので、このお母さんも困ったもんやな・・と思ったが、うちの母親からしてもう若くなかったので、しかたがないのかと思った。
そして、「おばあさんがお葬式に行かないならそれでもいいとは思うけれども、お寺にいる喪主さんはおばあさんが来るものと思っているから、だから、おばあさんがお葬式に欠席するならするで、お寺に電話をして喪主のKさん(伯父)に話しておかないといけないのではないのですか」と言ったのだ。「そうやな」とうちの母は言ってお寺に電話を入れて伯父に話したところ、「来てもらわないと困るがな」と言うのだったが、母が「それなら、兄ちゃん、自分でそう話して」と言い、祖母は電話で伯父(祖母の息子)と話し、息子が「来てもらわないと困るがな」と言うと、「それなら行くわ」と言って行くことにしたのだった。高齢のおばあさんにとっては、祖父が亡くなるまでも大変だった上にお通夜とお葬式の両方に出るのは大変だったようだ。
  それで、私と母とは祖母をタクシーに乗せて大阪市天王寺区のお寺まで行ったのだが、そういったやりとりをしていたことから、少々、予定よりも到着が遅くなった・・けれども、それでもお葬式の開始時刻よりは前に到着することができた。 たとえ、ぎりぎりであっても、故人の奥さんである祖母と一緒にいる以上は、無視して進められるということはないであろう・・と私は思ったのだった・・が、そうではなかった。
  お葬式の集合写真を私たちが到着するより前に先に撮られてしまったのだ。 そんなおかしな話があるか!  私と母は、おばあさんを預かったがそのお婆さんがお葬式に行かないと言い、結局、行くことにしたことで家を出るのが少し遅れて、その結果、お寺に到着するのが遅めになったけれども、お葬式の開始時刻よりは前に着いていたのだ。 又、あまり余裕のない時刻についたとはいえ、それはおばあさんをあずかってお世話させてもらって、そのおばあさんがお葬式に行くか行かないかといった話をしていたからであって、うちの都合によるものではない。 何よりも、私と母はまだしも、故人の奥さんである祖母を入れずに集合写真を撮るとは何事か! 故人の奥さんである祖母を入れずに撮ったような葬式の集合写真なんぞ、葬式の集合写真とは言えないであろう。 又、我が家だってお香典は納めており、その「お葬式の写真」はもらったのだが、なんで、きっちりとお香典も納めている我が家は我が家の人間である私と母の入っていない写真を渡されなければならないのか。又、伯父はおばあさんにお葬式に来てもらわないと困ると電話で行って、それで高齢のおばあさんに少々無理してでも来てくれと言ってお寺に来させたのであり、そうであるにもかかわらず、祖母を入れずにお葬式の集合写真を撮るとは何事だ・・・と思ったのだ。
  それで、私はそれをうちの母に話したのだ。
(1)「うちは、何もうちが悪くてぎりぎりに着いたのと違う。おばあさんのお世話をうちがしていたからぎりぎりになったのであって、うちの都合によるものとは違う」
(2)「あまり余裕のない時刻だったとはいえ、お葬式の開始時刻と言われていた時刻より前に着いたはずで、お葬式の開始時刻は何時からですと言われていた時刻よりは前に着いているのに、なんで、お葬式の集合写真にうちは入れてもらえないのか」
(3)「うちは決して少なくない金額のお香典を納めているはずだけれども、それなのに集合写真に入れてもらえないというのは、香典のタダ取りか?」
(4)「何よりも、うちはまだしも、おばあさんのだんなのお葬式なのに、おばあさんを入れずにお葬式の集合写真を撮ってしまうというのはおかしい」「おばあさんの夫のお葬式なのに、おばあさんを入れずに撮ったような写真をおじいさんのお葬式の写真と言えるのか。その写真はいったい誰の葬式の写真なのか」
(5)「特に、おばあさんが『もうしんどいから』お葬式は欠席すると言っているのに、来てもらわないと困ると言って来させておいて、それで、体がきついと言っている高齢のおばあさんに無理に来させておいて、お葬式の集合写真をそのおばあさんを入れずに撮ってしまうというのは、いったいどういう了見なんだ」

と私はうちの母に話したのだ。そうすれば、うちの母が喪主にそれを話すと思ったのだった・・が、うちの母は「そんなもんや」などと言うので、しかたがないのかなあ・・とその時はあきらめた・・が、あきらめるべきではなかったと後に思うようになった。
  どう考えてもおかしいだろう。 しかし、喪主の伯父がそうしたのならば、おばあさんも私の祖母であっても伯父の母なのだから、伯父がそうしたのなら、しかたがないかと思ったのだったが、おそらく違うと思うようになった。伯父は特別にものすごい優秀かどうかはさておき、一般的に常識にのっとった人間だったと思うのだ。だから、伯父は自分の父親のお葬式の集合写真ならば、当然、自分の母親を入れて撮るべきもので、それ以外の親戚の者で写真に入らない人がいてもいいが、自分の父親のお葬式にその奥さんである自分の母が来るのに写真に入れずに撮ってしまうなどという非常識なことはするべきではないう、と考える人だったと思うのだ。
  おそらく・・だ。ラグビー屋の叔父が言いよったのではないかと思うのだ。「写真、先に撮っておこうや」と。それに対して伯父が「いや、まだ、おばあさんが来てないし、〇〇(私と母)もまだ来てないから」と伯父が言うと、「そんなもん、おばあさんと〇〇なんか入ってなくてもええやろ。それ以外のもんで写真、先に撮っておこうや」と言い張って撮ってしまいよった・・というものではないかと思う。 伯父は自分がキリスト教の洗礼を受けていることからお寺の境内にあるお墓と仏壇を相続できないことと子供は息子はなく娘しかないことから、「◇◇家」の墓と仏壇はラグビー屋の叔父とその息子に相続させるしかないということで、この頃から弱気になってきていたようなところがあったと思われるのだ。
  だから、この時、私はうちの母には「そんなおかしな話はないでしょう」と話したけれども、母が「そんなもんや」などと言うので、それ以上は言わなかったけれども、そうではなくて、伯父に「うちはまだしも、おばあちゃんのだんなのお葬式なのに、おばあちゃんがせっかく体力がきついのに無理してお葬式に来たのに、そのおばあちゃんを入れずに集合写真を撮ってしまうなんて、そんな理不尽なことないでしょう」と伯父に私が言うべきだった。そうすれば、おそらく「そうなんやけどな。M夫が先に撮れと言うて・・」とか言うのではないかと思うので、「それなら、もう一度、撮り直してもらえませんか」と言い、「費用が余計にかかることになるけれどども」と言うなら、「それなら、その余計にかかる分の費用をうちが出しましょう。それでいいですね」と言ってやるべきだった。 本来、余計に費用がかかるならば、祖父のお葬式なのに祖母が体力的にきついけれども無理して出席しているのに、その祖母を入れずに写真を撮ろうと主張したやつがその「余計にかかる分の費用」は出すべきものだが、それを「うちが出しますから、集合写真をもう一度、撮り直してください」と言ってやればよかった。そうでもしてやらないと、あのラグビー屋は自分がおかしなことをやっているということを認識できない。そうでもしないと自分がやっていることがおかしいと自覚できない(「精神医学」用語で表現するなら「病識がない」)男だった。
  それにしても、「アタマがラグビー」のおっさんというのは、毎度毎度、お葬式があると「変なこと」する男だった( 一一)

1972年・32歳 父方の祖母(ラグビーの義兄の母)の葬式。 数珠を貸そう・借りさせようとする。浄土宗の数珠でない数珠を持っている。
1985年・45歳 母方の祖父(ラグビーの父)の葬式。「お香典、入ってないのん、2通あったみたいやでえ。そのうち、1通は☆さんみたいやでえ」と親戚一同がいるお堂で☆さんもいる所で大声張り上げる。
母方の祖父(ラグビーの父)の葬式の写真を祖母(ラグビーの母、故人の妻)を入れずに集合写真を撮ってしまう。
1991年・51歳 うちの父親(ラグビーの義兄)が危篤の時。土足厳禁の病室に土足で入場、両手消毒の上で入室の病室に消毒なく入室。意識はあったと思われる病人のすぐ横で「もう、あかんと考えんといかん」と大声で言う。 挨拶をしている長男を避けて、長女を捜す。
1991年・51歳 うちの父親(ラグビーの義兄)のお葬式。  葬式の最中に「あんたはうちに世話になるしかないんやけども、うちはあんたに世話になることは絶対にないんやからな。覚えておけよ、絶対に忘れるなよ」と何度も言う。
1994年頃・54歳 「うちはあんたに世話になることは絶対にないんやから、覚えておけよ。絶対に忘れるなよ」と何度も何度も言った男が、言った者は自分が言ったことをさっさと忘れたのか、息子の結婚式に出てくれと平気で頼んでくる。
姪の結婚式の時には大阪から東京までの新幹線の切符をもらって参加しておいて、おのれの息子の結婚式に甥に出席してもらう際には福島空港から大阪伊丹空港までの飛行機代は甥に出させて出席させる。
1990年代。50代。 甥(私)から何度も住所明記の年賀状など受け取るが受け取りっぱなしでお返しは絶対出さない。
1995年・55歳 母方の祖母(ラグビーの母)のお葬式。「俺はあんたがどこに住んでるのかも知らんねんけどな」と、何度も住所明記の年賀状など受け取った相手に言いまくる。 「俺はあんたがどこの会社に勤めてるのかもいっこうに知らんねんけどな」と勤務先の会社名と住所を明記した名刺を受け取った上で言う。 相手から勤め先の会社名を明記した名刺を受け取るだけ受け取って自分は名刺を渡さない。
母親の遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて喫茶店に入ろうとする。
2000年代。60代後半か70代?  介護施設に訪ねて、介護施設職員にほしいと求められもしないのに「名誉教授」と書かれた名刺をまいて帰る。「(母親の遺骨をクルマの助手席に放置して喫茶店に入る男が)檀家総代になってくれと頼まれてる」と言うことで自分はえらいんだと言いたいという態度を見せる。
・・・・いやあ、それにしても、ラガーマンというのは「さわやか」でんなあ、ほんま・・・感心しますわあ、ほんまあ・・・( 一一)


  うちの父親と母方の叔父のラグビー屋のおっさんとは大変仲がよかった。うちの父親には実の弟もいたのだが、実の弟よりも義理の弟の方が仲がいいくらいだった・・が、仲がいいだけによく似たところがあった。
  うちの父親は私に「わしがあんたにしてやったものは、それはいっぱいあるけれども、あんたがわしにしてくれたものは、これまでも何ひとつとしてないし、今後も永遠に絶対に何ひとつとしてないんやからな。覚えておけよ。絶対に忘れるなよ。忘れてはいかんぞ。絶対に覚えておけよ」と何度も何度も言いよったものだ。
  「わしがあんたにやってもらったというものは、何ひとつとしてないんやからな」とおっしゃるのだったが、そうか? 今では「かつおぶし」というのはすでに削ったものをパックに入れたものが売られていて、それを買って食べる方が一般的になってきたが、1960年代、私が子供の頃はパックに入ったすでに削った鰹節なんて売っていなくて、各家庭に鰹節削り器があって、毎度、それで塊の鰹節を削って食べたものだったが、1960年代、私がまだ小学校に行く前から、我が家では鰹節を削るのは小学校に行く前の私の仕事だったのだ。おっさんは私が削った鰹節を食ったはずなのだ。「わしがあんたに何かやってもらったというものは何ひとつとしてないんやからな」とおっしゃるけれども、あんた、私が削った鰹節を食っただろうが。 鰹節を鰹節削り器で削る際に引いて削るか押して削るか、私は子供の頃、うちの母親から手前に引いて削るものだと教えられてそうしてきたが、『築地魚河岸三代目』だったか『味いちもんめ』だったか『美味しんぼ(おいしんぼ)』だったかのどれかに押して削るのが正しい鰹節削り器の使い方で引いて削るのは間違いだと出ていたが、引いて削る方が削りやすいように思うし、削る者が削りやすいようにやればいいのではないか。私は手前に引いて削る方が削りやすいように思う。
  船瀬俊介『買ってもいい。 食卓偏』(ゴマブックス)によると、ゴマという食品は小さいながらも相当有益な栄養素を持っている食品らしいのだが、問題点として大変硬い殻に覆われているという点があり、それゆえに「必ず、すって食べる」ということが重要で、すらずに食べると消化されないまま排出されてしまう可能性が小さくないらしいのだ。 それで「すって食べる」必要があるゴマをする作業が「ゴマすり」で、やはり、1960年代、我が家ではその「ゴマをする」という作業は小学校に行く前の私の仕事だったのだ。おっさんは私がすったゴマを食ったはずなのだが、「わしがあんたに何かをやってもらったということは、何ひとつとしてないねんでえ」と言いまくりよるのだった。
買ってもいい 食卓編: 安心・こだわりの逸品厳選276 (カッパ・ブックス) - 船瀬 俊介
買ってもいい 食卓編: 安心・こだわりの逸品厳選276 (カッパ・ブックス) - 船瀬 俊介
  又、1960年代、住んでいた家は南側の廊下(広縁 ひろえん)を東の端まで行った南側に突き出たトイレがあったのだが、その広縁(ひろえん)を拭き掃除するのは小学校に行く前の私の仕事だったのだ・・が、おっさんはその廊下を通ってトイレに行ったと思うのだが、「わしはあんたに何かやってもらったというものは、何ひとつとしてないねんで。心得違いを起こしてはいかんぞチャンコロろすけイタコ!」とおっしゃるのだったが、そんなこと言うならう〇こ すんな! てもんだが、う〇こ しよったのだった。
  1960年代、私はカトリック系の幼稚園に通っていたのだが、キリスト教系の幼稚園でなくても「クリスマス」は幼稚園でおこなわれたらしいが、キリスト教系の幼稚園の方がキリスト教色が強いクリスマスがおこなわれたようだった。最近は幼稚園ではなく保育園が多くなり、また、3年保育が多くなったようだけれども、私が幼稚園に通っていた1960年代なかばにおいては保育園は少なくて幼稚園の方が多く、2年が普通で年少組・年長組の2年間で、たまに3年行く人がいたけれども、そういう人は年少組を2回やっていた。その年長組の時のクリスマスの時だったと思うのだが、幼稚園の先生が、幼稚園の廊下の片隅にテーブルを置き、そこに「イエスさまの寝床」なる者と、短い藁を用意して、「これから、クリスマスまでの間、毎日、何かひとつ、神さまのためにいいことをやりましょう」と言ったのだ。「一日一善、戸締り用心、火の用心」みたいなものか。「イエスさまは馬小屋で飼い葉桶の中でお生まれになりました。皆さんがひとつ、いいことをすれば、そのたびにイエスさまの寝床の藁が1本増えます。みんなで頑張って毎日、いいことをやってイエスさまの寝床を豊かにしましょう」とおっしゃったのだ。今から考えてみると、そういう考え方というのは、あんまりいいようには思わないけれども、ともかく、そういうことを幼稚園の先生がされたのだ。 さあ、頑張って「いいこと」やろう・・と考えたものの、「いいこと」て何だろう、と思ったものだ。家で「何を『いいこと』すればいいかなあ」とつぶやいたところ、うちの父親が「よし、新聞とってきてくれ」と言うので、郵便受けまで新聞の朝刊を取りに行ってそれをうちの父親に渡したのだ。うちの父親は私が郵便受けから取ってきた新聞を読みよった。「よし、神さまにいいことしたなあ。神さま、喜んでおられるわ。あしたも『いいこと』やれよ」とおっさんは言うのだった。そして、翌日、「きょうは何を『いいこと』しようかなあ」とつぶやくと、「よし、きょうは煙草を買ってこい」と言って、「十三間道路(じゅうさんげんどうろ)」と付近では言っていた片側3車線、両側で6車線あった道を信号がない横断歩道を渡って、その向こう側にあった煙草屋までうちの父親のためにハイライトだったか買いに行った。うちの父親のために煙草を買いに行ったのはその時だけではなく、買いに行ったタバコも最初はハイライトだったが、そのうち、セブンスターになり、マイルドセブンになった。幼稚園に行くと「〇〇くんは何をいいことやったあ?」と同級生と話題になったが、「きのうは煙草買ってきた。おととい(一昨日)は新聞とってきた」と言うと、同級生から「そういうのって、神さまのためにいいことしたと言うのお~お?」と言われた。そうだよな~あと思った。うちの父親は「よし、神さまのためにいいことしたなあ。明日も神さまのためにいいことやれよ」と言うのだったが、なんかおかしいように思った。煙草屋は片側3車線、両側で6車線ある道を信号がない横断歩道を渡った向こう側にあった。信号がない横断歩道を渡った所といっても、すぐ西にしょっちゅう閉まる阪和線の踏切があって、すぐ東に信号がある横断歩道があったから、信号と踏切の間の「信号がない横断歩道」というのは注意して渡れば渡れたのだけれども、それでも私が親ならば小学校に行く前の子供にそういう所を一人で渡らせて親が吸う煙草を買いに行かせたりはしないな。子供にできるだけ家の用事をさせないようにしようという親もあるようだが、うちの母親は、子供に少しずつ用事をさせてできる人間にしてあげようと考えたようで、それで、私は小学校に行く前から一筋東側にあったクリーニング屋にうちの父親の背広を取りに行ったし、少し西にあった米屋に食塩を買いに行ったりしたが、距離としてそのくらいなら大丈夫だろう、食塩なら買う物も値段も決まっているし、そこの米屋のおじさんはうちの下の姉の同級生のお父さんだし、子供に行かせても大丈夫だろうと行く場所買い物の内容を考えて子供に行かせたが、父親の方はそうではなくて、自分が吸う煙草が無くなったら子供に煙草を買いに行かせた。6車線もある交通量が多い道路を信号がない横断歩道を渡った向こう側にある煙草屋には私が父親なら小学校に行く前の子供に煙草を買いに行かせるということはしないし、又、クリーンニング屋に服を出したり受け取ったりとか米屋で食塩を買ったりとかは、こうするのだと覚えれば子供が大きくなった時にスムーズに自分でできるようになっていいが、煙草の買い方なんぞ覚えなくてよろしい。煙草の買い方を知っていると、その分だけ煙草を吸うことになる可能性が大きくなるが、煙草は健康にいいものではないから吸わない方がいいということを考えるなら、煙草を買う経験なんてなければ、10代後半くらいになった時に何パーセントかでも煙草を吸わない方の可能性が大きくなり、煙草を買う経験を子供の頃からしておれば何パーセントかでも煙草を吸うことに抵抗を感じにくくなる。だから、私が親なら子供にクリーニング屋に服を取りにいく経験とか米屋に食塩を買いに行く経験とか(今では食塩は米屋ではなくスーパーで買う方が普通になったようだが)はさせていいと思うが、煙草を買いに行かせるというのはやらさないと思う・・・がそれをさせるのがうちの父親だった。
  そんなもので、「わしがおまえのためにやってやってやってやったったものはいっぱいあるけれども、わしがおまえにやってもらったというものは、何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとして。何ひとつ、何ひとつ、何ひとつ」とおっさんは何度も何度もおっしゃるのだったが、おっさんは私が削った鰹節を食ったし、私がすったゴマを食ったし、私が水拭きした廊下を通ってトイレに行ってう〇こ しよったはずで、そして、私はおっさんのために「神さまのためにいいことする」ということで郵便受けま新聞とってきたし、「神さまのためにいいことする」ということで煙草買ってきたはずだった。
  それでも、ともかく、おっさんが働きに行ってもらってくる給料で食べさせてもらって成人したわけで、今もおっさんから相続した家に住んでいるわけだから、その点では感謝もするべきではあるだろうけれども、しかし、それなら、おっさんが働きに行って給料もらってきたということについては、私は何ひとつ貢献していなかったかというと、そうではない。大阪市東住吉区の家に住んでいた時、一筋、西側の筋にクリーニング屋があって、うちの父親が仕事に行く時に来ていた背広をクリーニングに出すのはうちの母親が私と一緒に行って出していたが、それを受け取りに行くのは小学校に行く前の私の役割だった。おっさんは私がクリーニング屋で受け取ってきた背広を着て仕事に行って給料もらってきたのだった。そうであるからには、おっさんが給料をもらってきたということについても、小学校に行く前の私もいくらかは貢献したはずだ。自営業で自宅で商売しているような家だと、子供でも家の商売を何らかの形で手伝うことがあっても、サラリーマンの家庭の子供は協力することは何もないと思っている人がいるけれども、そうでもない。小学校に行く前の私はおっさんが仕事に行く時に着る背広をクリーニング屋まで取りに行って持ち帰っていた。「お使いにきたの。えらいねえ」とクリーニング屋さんは言ってくれたが、それに対して、おっさんは「おまえがわしのためにやったことは、何ひとつとしてないんやぞ。何ひとつ、何ひとつ、何ひとつ。心得違いを起こしてはならんぞチャンコロろすけイタコ!」とおっしゃるのだったが、たとえ子供でも何ひとつとして役に立っていなかったということはないはずだ。
  そして、「これまでから、わしがお前にやってやってやってやったものはいっぱいあるけれども、わしがあんたにやってもらったというものは、何ひとつとしてないねんぞ。何ひとつ、何ひとつ、何ひと~つ。そんで、今後とも、わしはおまえに何かやってもらうということは未来永劫に渡って絶対に何ひとつとしてないねんからな。覚えておけよ。絶対に忘れるなよ。絶対に忘れてはいかんぞ」と何度も何度も何度も繰り返し繰り返し言いまくりよった・・・のだったが、おっさんが入っているお墓の掃除をしてお墓の管理をこれまでしてきたのは私だ。私がやらなければ誰もやらない。それでも、おっさんは「わしは今後とも永遠に絶対におまえに何かやってもらうことは何ひとつとしてないんや。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と言いまくりよるのだった。そんなこと言いまくりよったおっさんの入っているお墓の掃除なんて、なんでやらなきゃならんのか・・と思ったが、私がやらなきゃ誰もやらないので私が掃除してきた。
   うちの母方の叔父のラグビー屋のおっさんもよく似ている。よりによって、うちの父親のお葬式の日に「うちは今度、あんたに何か頼むようなことは何ひとつとして絶対にないんやからな。それに対して、あんたは会社に勤めるにしても保証人頼もうと思っても、うちは息子が2人いるから、あんたに頼まなくてもお互いになりあいすればいいことだけれども、あんたはあんた以外には兄弟はねーちゃんしかおらんのだから、頼むならうちに頼むしかないんやから、そやから、あんたは今後、うちには絶対に頭は上がらんのだから、覚えておけよ。うちはあんたに何か頼むということは今後何ひとつとして絶対にないんやからな。ええか、わかっとるか。絶対に忘れるなよ。覚えておけよ。絶対にあんたに何か頼むことはないんやからな。絶対にやぞ。忘れるなよ。覚えておけよ。絶対に忘れるなよ」とひとの親の葬式の日に葬式の最中に何度も何度も執拗に言いよった。・・そして、それからたいして経たないうちに「息子の結婚式に出てくれ」と頼んできよった( 一一)  「うちはあんたに何か頼むということは、今後絶対に何ひとつとしてないんやからな。覚えておけよ。絶対に忘れるなよ」とひとの親の葬式の日に葬式の最中に何度も何度も言ったのは、どこのどなたでしたっけ?  どのお口が頼んでおられるのでしょうかねえ・・・と思ったが、そういうおっさんやった( 一一)  それが「大学教授」だったのだ。その後、「名誉教授」になると、「名誉教授」と書かれた名刺をほしいと言ってもいない人間にまきよるのだ( 一一)  ああいうのを見ると、大学教授とか名誉教授とかって、よっぽどバカじゃないかと思えてくる・・・が、それにしても、うちの父親とうちの母親の弟である叔父とは、仲が良かっただけあって、言うこと・やること、ほんま、よう似とる( 一一)

   そのラグビー屋のおっさんが桃山学院高校卒だったのだが、あのおっさんがあんなになったのは桃山学院高校に原因があるのか、それより前の大阪教育大付属小学校に原因があるのか、それとも、ラグビーやるとアホになるのか、アホやからラグビーやりよるのか。どれなのか。 1970年代なかば、北野高校に入学した時、ラグビー部の人間が練習しているのを見て「いいなあ」と思ったのだけれども、私の場合は高校入学の時点でけっこう強度の近視になってしまっていたのでラグビーは無理だと思ってあきらめていたが、ラグビー部の練習を見ると「ええなあ」と思ったのだけれども、そして、北野高校の生徒で3年までラグビーやった上で京大の医学部に現役で通ったとかいう人の話を聞くとまた「ええなあ」と思ったのだけれども、その「ラグビー」の印象とうちの叔父のラグビー屋のおっさんのラグビーの印象は印象が大きく違って、うちの叔父のラグビー屋のおっさんを見ると、ラグビーやるとアホになるのか、アホやからラグビーやるのか、ラグビーやるとアホになるのか・・・両方なのか、どっちにしても、ラグビーとはあまり近づきたくないなあ・・という気持ちになってくる。
桃山学院高校は、あのおっさんがあんなになったことの原因なのかどうなのか、断定はできないが、桃山学院高校を見ると、あのおっさんの出身校なのかあ( 一一)  ああいうのが移ったらいややな・・て感じがする。

  桃山学院高校についてはいい印象がないのだが、これで終わりではなくて、まだまだある。

  (2024.7.26.)

☆ 日本キリスト教団 南大阪教会 とその付近・界隈
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