桃山学院高校が嫌いな理由1「女子大生がいたら慶應の学生証を顔の前に突きつけてやろうか」という「水戸黄門の印籠」男( 一一) 貧困なる精神――南大阪教会の周囲・界隈【4/ 】

[第700回]
  大阪市阿倍野区の日本キリスト教団 南大阪教会の少し南、大阪メトロ御堂筋線「昭和町」駅の南東、JR阪和線「南田辺」駅の北西に 桃山学院高校と中学校があります。桃山学院大学という大学もあるようですが、かつては堺市東区の南海高野線「北野田」駅から南に歩いたあたりと大阪市南部の和泉市とにあったらしいが今は北野田の所はなくなって和泉市にあるらしく、大学の場所は大阪市阿倍野区昭和町ではありません。私はよく知らなかったのだけれども、プール女学院高校とともに桃山学院高校というのは、イギリス国教会の流れの聖公会のミッションスクールだったらしい。プール女学院は大阪の私立高校の中では比較的成績のいい女の子の行く学校という印象でしたが、桃山学院の方は「ぴん高(ぴんこう)」と言って少々バカにしていました。「ぴんこう」の「こう」は高校の「こう」で「ぴん」は桃⇒ピンク⇒ぴん です。なんで、我が家ではバカにしていたかというと、一番大きな理由はうちの母の弟(私からすると叔父)がここの高校に行っていたから、だから、あのおっさんの行ってた学校・・・というのがあった。 ここの学校に行っている人には申し訳ないけれども、大阪府の私立高校の中で私が最も嫌いな高校です。何の理由もなく嫌いであるわけではありません。きっちりと理由があります。
それを述べる。

【1】 必殺「水戸黄門の印籠」男。
  「水戸黄門の印籠」て知ってますか? 
水戸黄門印籠ガスライター
水戸黄門印籠ガスライター
↑ これですよ、これ、これ。  常磐自動車道の「水戸」インターチェンジを降りて国道50号に出てすぐの所に駐車場のあるけっこう大きな土産物店があって、そこに「水戸黄門の印籠」型のタバコケースが売っていたのを覚えています。↑ はライターで、アマゾンではほかにもいろいろ売っているみたいです。
 「じ~んせい、ゆう~きが、ひ~つよおだ~あ♪ くじけりぁ誰かが先にゆく~う。 あ~とか~らあ、来~た~の~に、追~い越され~、パカパパンパン♪ 泣くのが嫌なら、さ~あ、あ~ゆ~め~え♪」てやつです。
「助さん、格さん、懲らしめてやんなさい」てやつ。
※ YouTube-【高音質】水戸黄門オープニング ああ人生に涙あり 御三家(29部~32部)https://www.youtube.com/watch?v=-uFpqpepegE
※ YouTube-黄門様の印籠https://www.youtube.com/watch?v=eKkBWRJ-07A
※ YouTubre-【水戸黄門】この紋所が目に入らぬか!!https://www.youtube.com/watch?v=s7hiAVEzZR4

  横浜市港北区日吉 、東急東横線「日吉(ひよし)」駅のすぐ東側に慶應大学 日吉キャンパスがあり、そのすぐ南に消防署があってその南に日吉台学生ハイツ というものがかつてありました。昔は池だった場所だと聞きましたが、かつては池だったというだけに東急東横線の線路やその脇の道より少し低い場所に建っていましたが8階建ての十字型の棟が2つあってその継ぎ目の位置に入口がありました。東日本大震災の後、戸田建設が耐震補強工事をおこなっているのが見られましたが、それから何年か後、日吉台学生ハイツは閉鎖されたようにインターネット上に出ていました。
  一見、良さそうに見えて実はそうではない。元防衛庁・元自衛隊の人間で亜細亜大卒とかの人が運営していたことから、「はっきり言って・・右翼です」という宿舎でした。伊藤忠がやっていたという話もあったようですが、元防衛庁・元自衛隊のアホウと結託してあんな運営をしていたというのを見ると、伊藤忠て「ピーナツ、ピーシズ」とかロッキード事件起こすだけあって、あんまり一流企業じゃないなという感じがしました。
〔 ロッキード事件に関与していた商社は丸紅と伊藤忠だったように記憶していたのですが、又、当時、伊藤忠・丸紅と報道されていたように覚えているのですが、今、インターネットで検索すると、関与していたのは丸紅で伊藤忠は直接関与していなかったと出ているものがあります・・が、印象としてそういう印象があったのは事実です。〕
1981年8月、東京駅から新大阪駅まで新幹線に乗った際、隣の席に座った男が伊藤忠の社員だと尋ねもしないのに言ってきて、そして、その下品な男が東京から新大阪まで3時間10分、こちらが嫌がっているのにおかまいなしに「お〇んこ、おま〇こ」とそんなことばっかり話しかけてきて閉口したことがありました。だから、慶應大学の学生には伊藤忠に就職が決まったら「ちょっと自慢」みたいに思っていた人があったようですが、私はむしろ、伊藤忠という会社も伊藤忠という会社の従業員も軽蔑していました。だいたい、新幹線に乗ったら隣席の人間が嫌がっているのに、東京から新大阪までひっきりなしに「おま〇こ、お〇んこ・・」言いまくってしかたのない男、そういう下品な人間が自分は伊藤忠の社員だときかれもしないのに言って、伊藤忠の社員だからえらいんだみたいな態度をとる男というのは、そういうのは人間として一流の人間か・・というと違うように思えました。
  又、日吉台学生ハイツの元自衛隊の職員を見て、日本の自衛隊なんて役に立たんやろうなあ、むしろ、あいつらに武器を持たせるのは、いわゆる「きちがいに刃物」であり、それこそ、日吉台学生ハイツの「カウンセラー」の新倉(にいくら)〔男。亜細亜大卒らしい〕など見ると、あいつらに武器を持たせたならば、それは国民に向ける可能性が大きいのではないか、と思われました。
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  中島健蔵『昭和時代』(1957.5.17.岩波新書)には、
《 (1925年〔大正14年〕頃)軍に対する批判もまだまったく不可能ではなく、軍部の方でも当然予想される批判を警戒して、帝大などの軍事教官としては、とくに参謀本部、軍令部あたりの人間をよこしていたようである。学生の中でも、甲種合格で当然軍隊にはいらなければならない人間は、軍教(学生に対する軍事教育)に出席しておかないと損をするので出席していたが、その他の学生は、どうでもよかったし、よほどものずきでなければ出席しなかったが。 わたくしも、一度だけ友だちに誘われて軍教の講義を聞いた覚えがある。海軍の軍人が制服のまま教壇に上って、講義をしていたが、そのときは、日露戦争の日本海海戦のときの、、日本海軍の作戦と実際の戦闘の経過との解説であった。戦史の講義で、別に学生に「気合をかける」というふうでもなく、軍教とはこんなものかなと思ったことを覚えている。・・・》
といったことが出ているが、最近、ロシア連邦軍のウクライナ侵攻について報道番組に「元自衛隊◇◇方面幕僚長」とかそういった肩書の人が出て解説をしているのを見ることがあるが、感想として「元自衛隊にしては、けっこうまともじゃないか」と感じた。たとえば、トルコ共和国はダータネルス海峡・ボスポラス海峡を戦争中の国の軍艦が通行することを禁止して通行させないようにしているらしいが、ロシア連邦の軍艦・潜水艦が千島列島からウラジオストク方面に津軽海峡の中央部を通過したという件について、アナウンサーが「日本がそれを阻止するわけにはいかないのでしょうか」と言うと、「もし、それやったら日本が交戦国になりますよ。日本は今、中立国であって交戦国ではありませんから」と冷静に発言した、ということがあった。むしろ、そこではアナウンサーの方が冷静さを欠いた発言をしていた。別の元自衛隊の人は、アメリカ合衆国が日本に迎撃用ミサイルを渡してもらいたいと要望してきている件について、「それをアメリカ合衆国内でのみ使用することという条件をつけるということはできないのでしょういか」とアナウンサーが発言したのに対して、「できないということはないでしょうけれども、これまでの日本とアメリカ(合衆国)との政治的関係から考えて、はたして、それが通るかどうかという問題ですね」とこれも冷静に分析して発言していた。元自衛隊にしては案外、まともじゃないか・・というのが私の感想・印象だった。
  だから、中島健蔵が『昭和時代』(岩波新書)で《軍部の方でも当然予想される批判を警戒して、帝大などの軍事教官には、とくに参謀本部、軍令部あたりの人間をよこしていたようである。》 《 わたくしも、一度だけ友だちに誘われて軍教の講義を聞いた覚えがある。海軍の軍人が制服のまま教壇に上って、講義をしていたが、そのときは、日露戦争の日本海海戦のときの、日本海軍の作戦と実際の戦闘の経過との解説であった。戦史の講義で、別に学生に「気合をかける」というふうでもなく》と述べているように、1925年(大正14年)頃において、東京帝国大学(現 東京大学)あたりに「軍教」に来る軍人は軍人の中でも比較的まともな人・比較的穏健な人が来て科学的な分析を話すようなものにしていたようで、現在においてもテレビの報道番組でウクライナ情勢についての分析を述べるために出ている元自衛隊の人というのも、元自衛隊の人の中では比較的まともな人・比較的穏健な人が出ていて、その逆が日吉台学生ハイツだった・・ということかもしれない。 人間は学歴だけで決まるわけでもないのだろうけれども、しかし、テレビの報道番組に出てウクライナ情勢についての分析を述べていた人は防衛大卒かそうでない場合でも旧帝大系国立大学卒とかの人のはずで、日吉台学生ハイツにいたのは亜細亜大卒のおっさん( 一一) やったわけで、やっぱり、そんなもんか・・て感じがしないでもない・・というよりも、「亜細亜大学卒・元自衛隊」というのは、まったくつくづく程度低いなあ・・・と思いました。人間として「程度低い」と思いました。
  但し、報道番組で元自衛隊のある人が「ベトコンは・・」といった表現をしたことがあったが、「ベトコン」というのはベトナム戦争の時にアメリカ合衆国軍が「ベトナムのコミュニスト」という意味で呼んだ蔑称であり、正式名称は「ベトナム南部開放民族戦線」と言っていて「コミュニスト(共産主義者)」という意味はない。「ベトナム南部開放戦線」の人たちの中には「コミュニスト」もいたかもしれないがそうではない人もいたらしく、「ベトナム南部開放戦線」の人自身は「ベトナムのコミュニスト」とか「ベトコン」と言った表現を自分たちについてしておらず、現在はベトナム民主共和国とアメリカ合衆国との間も融和的関係になってきている状況において「ベトコン」といったかつてベトナム戦争の時にアメリカ合衆国軍が使った蔑称をテレビで日本人が発言するというのはいかがなものかと思ったし、「やっぱり自衛隊かな」とも思った。
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  その日吉台学生ハイツには地下に食堂がありましたが、1981年3月頃、そこで食事をしていたところ、私の席から少し離れた所に、桃山学院高校卒で慶應大商学部に入学して3年目の井上という男とその連れの男2人がいて談笑しており、特に聞き耳なんかたてていませんが、聴覚障碍者ではないのでそいつらの話が聞こえてきました。
  井上(男。当時、20代前半。桃山学院高校卒⇒慶應大学商学部 )とその連れの男2人は何を話していたか。 井上はこう言いよったのです。「慶應の大学の名前さえ出せば、女なんかいくらでも手にはいる」と・・・( 一一)
それに同席していたほかの2人が相づちを打つのでした( 一一)
井上はこういう口をきいたのです。「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して目の前につきつけて『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」と。
・・あきれた。あきれた。あきれた。
こういうのを「慶應ボーイ」というのです。「ギャルにもてもて」とか言うのです。

(1) なんて思いあがった人間なんだ。 私が北野高校の3年の時、夜、自宅で学習していると、うちの母親「こいつ、東大に通ったら思いあがった人間になって、女を泣かすから、な~にがなんでも、こいつ、落としてやらんといかん」と言い、「落ちろ、こいつ~つ。落ちろお~お」と叫んで、ホウキで背後からボコボコ殴りつけてきました。そして、服の後ろの部分をつかんで椅子を背後にひっくり返し、さらに、私が使用していた部屋の電気を洗面所にあったブレーカーを落としてつかなくして学習できなくしました。 背後からボコボコなぐりつけた上で、階段を大急ぎで降りて行って、そして、「こいつに階段から突き落とされた、こいつに階段から突き落とされた。怖いこわい怖いこわい。こいつ、母親を階段から突き落としよる」とか叫ぶのでした。
・・ああいうことをされるのはこたえました。北野高校の先生というのは、まがりなりにも高校の教諭なら少しくらい力になってくれてもいいのではないのか、そういう親に苦労している生徒のために高校の教諭ならば少しくらい力になってくれてもいいのではないのか・・と思いましたが、何の力にもなってくれませんでした。まったく、助けてくれませんでした。
  うちの母親は、うちの父親にいじめられてきたと考えていたようでしたが、同時に「夫に逆らえない女」であり、そして「クリスチャン」でしたから、「クリスチャン」の教えとして「ロバの子の努力」という考え方があったのです。「わたしたちはロバの子です。馬のように速く走れない。ライオンのような力なんかない。ただの小さなロバの子です。走れなくても、強くなくても、いつもイエスさまがいてくださる。わたしたちはロバの子です。神さまのために~、働きます」というキリスト教の歌がありましたが、イエスがエルサレムに入場する際にロバの子の背にまたがって入場した、イエスさまをエルサレムにお連れしたのは「馬のように速く走れない」「ライオンのような力なんかない」ただの小さなロバの子であったように、特に能力がない人でも神さまのお役に立つことができるという考え方です。それがキリスト教の考え方ですから、だから、世の中にいる「男」という悪いやつをやっつけるのがキリスト教徒の女性の勤めですが、「悪いやつ」というのは、たいてい、何らかの力があるから「悪いやつ」やってることができるわけで、簡単にやっつけることはできません。又、夫の横暴を懲らしめたいと思っても、夫に経済的に依存していますし、夫をやっつけることは「妻は夫に従わないといけない」という戦前の道徳・修身で育った人にはできませんから、だから、「男」という悪いやつをやっつけるのは「クリスチャン」の女性のつとめですが、自分にやっつけることができる「男」をやっつければ、神さまはそれでいいと言ってくださるのです。「ロバの子」は馬のように速く走ることができないし、ライオンのような力なんかないが、ロバの子にできるだけのことをすればいい、というのが「クリスチャン」の考え方です。だから、うちの母は自分にやっつけることができる「男」を「クリスチャン」の使命としてやっつけようと考えたのです。うちの母にやっつけることができる「男」というと、私しかいません。なにしろ、息子はいくらギッタギタにやっつけても反撃してきませんから、安心してやっつけることができます。だから、私がギッタギタにやっつけられることになったのです。
  「わたし~たちは~ロバの子~です、馬のように速く走~れない、ライオンのような力なんかない、ただの小さなロバの子です~♪」という歌は、たしか『イエスさまが一番2』という歌集に入っていたように思います。その歌の通り、「クリスチャン」は自分の力が及ばない相手と戦う必要はないのです。新根室プロレスのおじさんたちが「無理しない、怪我しない、あしたも仕事♪」を合言葉にしていたように、「無理しない」のが「クリスチャン」の考え方ですから、だから、「男」という「悪いやつ」をやっつけるのが「クリスチャン」の任務であっても、攻撃すると反撃してきそうな相当強いやつをやっつける必要はないのです。自分がやっつけることができる「男」をやっつければそれでいい、それで神さまは喜んでくださる、というのがキリスト教の考え方なのです。だから、私はうちの母にやっつけられるのです。うちの母にやっつけることができる「男」なんて、私しかいないのですから。そして、息子はいくらやっつけても絶対に反撃してきませんから、だから、いっくらでも好きなだけやっつけることができるのです。そうやって「クリスチャン」のつとめを果たすことができるのです。
・・・きらいだ、キリスト教は。本当に嫌いだ。そういう考え方が嫌いだ。とことんやっつけられた息子としては、そんな教えの宗教は嫌いだ。
※ YouTube-子供賛美「わたしたちはロバの子です」https://www.youtube.com/watch?v=kjZmGUOMnXI
  その「ロバの子」の歌なんてYouTube にないだろうと思ったら、ありました。↑ この歌、嫌いなんです。無神経な歌だと思います。その「ロバの子」にやっつけられる息子の気持ちも百回に一回くらい考えてもらえないものかと思いますが、キリスト教の神さまというのは絶対に考えてくれません。 「子供」帝国主義のヒーロー・アンパンマンが「子供のやることに間違いはないんだあ。バイキンマンをやっつけろお~お!」と言って「バイキンマン」をやっつける時にバイキンマンの立場なんかちっとも考えてないのと似ています。
〔 なにが「子供のやることに間違いはないのだあ」じゃ、勝手なこと言うな、アンパンマン。子供のやることに間違いはあるよ。そんなアンパンマンみたいな態度は子供のためにも絶対によくないよ  アンパンマンこそ反社会的勢力ではないか。
「反社会的勢力 アンパンマンをやっつけろお! は~ひふ~へほ~お!!!」 〕
この歌、嫌いです。「ロバの子」として自分がやっつけることができる人間をやっつければいいというキリスト教の教えを実行して神さまに喜んでもらおうという人にとっては楽しいうれしい歌でしょうけれども、そうやってやっつけられる息子の立場なんてちっとも考えない歌です。

  「こいつ、東大に取ったら思いあがった人間になって女を泣かす人間になりよるから、な~にがなんでも落としてやらんといかん」とうちの母親は言うのでしたが、しかし、どう考えても、東大に行った人というのが「思いあがった人間」というようには思えなかった、むしろ、慶應大なんかの方が「女たらしの大学」という印象がありました。
  東大に行った人として思い浮かんだ有名人としては、夏目漱石・森鴎外・阿部次郎・久米正雄・寺田虎彦・矢内原忠雄・中島健蔵・安倍公房・庄司薫・大塚久雄・正岡子規・亀井勝一郎・・といったところでしたが、阿部次郎『合本=三太郎の日記』(角川選書)とか読んでみて、阿部次郎が「思いあがっている」というようには思えなかったのです。慶應大卒の人でも遠藤周作なんかは親しみの持てる作家でしたが、遠藤周作は悪くないけれども、一般に慶應大卒の人というと、会社の経営者になってメカケを何人ももってる、すごい♪ ・・・とかそういう話の人が多かった。どうも、うちの母はそんな人が好きだったみたいでした・・が、私はそういう人が嫌いでしたし、又、自分はそんなガラじゃないと思っていたのです。阿部次郎『合本=三太郎の日記』(角川選書)の著者が「思いあがっている」というようには思えなかったのですが、「そういうのだけはやめときや」とうちの母親は言うのでした。それだと、これまで何のために同級生が遊んでいる時も勉強してきたのかわからないことになります。
・・・・
新版 合本 三太郎の日記 (角川選書 1) - 阿部 次郎
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生活の貧しさと心の貧しさ - 大塚 久雄
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  そして、結果として、2年浪人しても東大の試験には落ちてしまい、どうでもいいわ・・みたいな気持ちで受けて通った慶應大商学部にいやいや入学させられたのでしたが、そこで住まされた日吉台学生ハイツの食堂で見かけた、耳に入ったのが井上とその連れ2人の会話でした。
「女みたいなもん、慶應の名前さえ出せば、いっくらでも手にはいる」そうでした。阿部次郎とかを「東大に行ってるから思いあがってる」と言い、井上みたいなそういう人のことを「謙虚や」と言うそうでした。なんでやねん。
「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」だそうです。本当にやるのか「やってやろうか」と考えただけなのかわかりませんが、そういう人を「東大じゃなくて慶應の学生だから謙虚や」と言うそうです。なんで、そんなのが「謙虚」なのですか?
※ YouTube-黄門様の印籠https://www.youtube.com/watch?v=eKkBWRJ-07A
YouTube-【水戸黄門】この紋所が目に入らぬか!!https://www.youtube.com/watch?v=s7hiAVEzZR4
「助さん、格さん、もう、いいでしょう」ではなくて、「もうけっこう」です。小学校の1年から同級生が遊んでいる時もひたすら勉強してきて、あげくのはてに、そういう「水戸黄門の印籠」男の大学に行かされるはめになってしまった。
「じ~んせい、楽ありぁ苦もあるさ~」ではなくて、「苦」に押し込められた。
「天地は広いというが、私にとっては狭くなってしまったのか」(『貧窮問答歌』)
「天は我を見放した~」(映画『八甲田山』)
※ YouTube-八甲田山 「天は・・・天は我々を見放したァァァ」 北大路欣也https://www.youtube.com/watch?v=VHCTSmyJcNg 
やっぱり、東大の人間よりも慶應の人間の方が傲慢で思いあがった人間が多かったな。そう確信しました。

  私は井上(桃山学院高校卒⇒慶應大商学部)の日吉台学生ハイツの食堂での傲慢な発言をうちの母親に話したのです。慶應大の学生が東大の学生より謙虚などということはない、むしろ、傲慢だということを。そうすると、「クリスチャン」のうちの母親はこう言ったのでした。
「わたし、そういう人、好きっ♪
ものすごい好きっ、
だ~いすきい~い、
べろべろべろ~お♪」と。
・・・「天は我を見放した~あ」

  慶應の人の基準では、この井上のような態度のことを「謙虚」とか「スマート」とか言うらしく、また「独立自尊」とか「福沢精神」とか言うみたいです。そして、「慶應心理学」では私のように「なんだ、こいつは」と思う人間のことを「思考の硬さが気にかかります」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということです」とか「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うというkもとです」とか「診断」するようです。
  なんでやねん!・・とどう考えても理解できなかった・・・が、もとより「慶應心理学」というのは「慶應内部進学心理学」であり、慶應の内部進学の人がやっているものですから、内部進学の人の世界観と信条でできているものですから、「(慶應義塾の)外部の者」の世界観から考えて「なんでやねん」と思っても、それを内部進学者様に対して口にしてはいけなかったのです。私は最初、それがわからなかった。


(2)  この井上のような傲慢な態度がなぜ「福沢精神」なのか。 最近、神居古潭(カムイコタン)という「アイヌの聖地」で女子高校生が橋から落とされて殺されたという事件のほか、十代の女性などが死亡する事件が続いている北海道の旭川市は三浦綾子さんが住んでいた所で、今も三浦綾子記念館があるらしい。
※ 三浦綾子記念文学館HP https://www.hyouten.com/
  『しろばんば』『夏草冬濤』『北の海』『あすなろ物語』『天平の甍』などの作品がある井上靖は伊豆の湯ヶ島の生まれだと思っていたら、実家は湯ヶ島の医者の家だったらしいが、井上靖は軍医だった父が旭川にいた時に産まれた人だったらしく、旭川市には井上靖記念館があるらしい。
※ 井上靖記念館HP https://www.inoue.abs-tomonokai.jp/
  三浦綾子の作品には、これはすばらしいと思えるものと、どうかなと思うものとがあるのだけれども、『氷点』『続氷点』(朝日文庫)はこれは名作だと私は思っている。その氷点にも旭川は出てくるが、登場人物の会話で、旭川に「福沢諭吉の恋人の孫」という人が住んでいるという話が出てくる。「福沢諭吉の恋人の孫」であって「福沢諭吉の孫」ではないというのはどういうことかというと、福沢諭吉は大分県の中津藩の下級氏族の息子で、福沢諭吉自身は洋学者として評価されて幕臣になったが、幕臣になっても下級氏族であり、それに対して相手は貴族だかの娘だったらしく結婚できなかったらしい。「なるほど、『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』と言いたくなるわけだな」と登場人物が語る場面がある・・が、それが「福沢精神」なのか、それとも「電車に女子大生が乗っていたら慶應の学生証を目の前に突きつけて『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」というのが「福沢精神」なのか。 ・・私は最初、三浦綾子『氷点(上・下)』『続氷点(上・下)』(朝日文庫)で登場人物が語るようなものが「福沢精神」であって、井上やその仲間の態度は福沢精神に反するものと思い込んでいた・・のだが、どうも違ったみたいなのだ。慶應義塾においては「福沢精神」というのは実際に生きた福沢諭吉という人の著作や生き様とは何の関係もないものであり、実際の福沢諭吉とは正反対の態度をとりまくる慶應の内部進学の人たちやその追随者が「福沢精神」であり、実際の福沢諭吉が著作で述べているものや実際の福沢諭吉の生きざまが慶應の内部進学の人やその追随者にとって気に入らないものである場合には福沢諭吉の方が「福沢精神を身につけていない」という「診断」になるみたいだったのだ。慶應の人の言う「福沢精神」は実際の福沢諭吉とは何の関係もないものだったのだ。私はそのあたりを勘違いしていた。
氷点 (上) (朝日文庫 み 1-1) - 三浦 綾子
氷点 (上) (朝日文庫 み 1-1) - 三浦 綾子
学問のすゝめ (岩波文庫) - 福沢 諭吉
学問のすゝめ (岩波文庫) - 福沢 諭吉
おのれのやっていることは福沢諭吉が著作で述べている内容や福沢諭吉の生きざまとは正反対のものでありながら「福沢精神」とか「独立自尊」とか言いまくるあつかましさと反学問的態度・反科学的態度。そんな人間がなぜ大学に行くのか。
  私は浪人中に、うちの父親の「親友」の医者屋の女川(めがわ)〔男。1980年頃当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だがおそらく嘘だろう。当時、大阪府豊中市在住。〕の同僚の医者屋の勝田(かつた)という女から「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育とちゃうんやから、あんたなんか高校には行ってはいかんはずや。そやのにからにあんたが北野高校に行ったというのは、それはあんたが甘ったれているからであって思いあがっているからであってづけあがっているからであって思考が硬いからであって根性がないからであって苦労がたらんからや。本来、高校には行ってはならない人間であるのに北野高校に行ったということで、あんたはすでに罪を犯しているんや。ましてや、あんたは大学には行ってはいかん人間や」とそう言われた。それならば、勝田のバカ息子がアホ大学に2つも行ったというのはそれはいいのか? ・・というといいらしいのだ。勝田のバカ息子については「そやから、うちの息子なんか大学を2つも行ってるんやから、一生懸命勉強せんといかんし一生懸命勉強させてやらんといかんということやな」という結論にもっていき、公立で大阪府で一番の高校に行った私には「あんたは大学には行ってはいかんのや」という結論に持っていくのだった。それを聞いてうちの父親の「親友」の女川(めがわ)が「そうじゃ、その通りじゃ。きみは高校には行ってはならない人間なんじゃ。それをきみが北野高校に行ったというのは、それはきみが甘ったれておるからであって思いあがっておるからであってつけあがっておるからであって、のぼせあがっておるからであって思考の柔軟さが不足しておるからであって、素直さがないからであって苦労がなくて考えが甘いからなんじゃ。その点、わしなんかは苦労人(くろうにん)で世の中のことを何でも何でも知ってる人間で百戦錬磨でめったにおめにかかることができない名医中の名医なんじゃ。義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないんやから、きみが北野高校に行ったというのは余計なんじゃ。甘ったれておってつけあがっておるから北野高校に行ったんじゃ。ましてや、きみは大学には行ってはいかん人間なんじゃ」とおっしゃるのだった。それならば女川(めがわ)のドバカ息子が私立高校から私立金権関西医大にう裏口入学で行ったのはそれはいいのか? ・・というと、いいらしいのだ。「なにしろ、うちの息子なんか裏口入学なもんじゃから、そやから、一生懸命勉強させてやらんといかんというこっちゃ♪」とおっしゃるのだった。「立派な立派な勝田先生」「えらいえらい名医中の名医の女川先生」のおっしゃることというのは「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではない」という前提は私に対しても勝田や女川の息子に対しても共通するのだが、導き出される結論が正反対で私には「あんたなんか高校には行ってはいかんはずや。そやのにからに北野高校に行ったというのは、それは甘ったれているからであって思いあがっているからであってつけあがっているからであってのぼせあがっているからであって思考が硬いからであって柔軟さがないからであって素直さがないからや。ましてや、あんたは大学には行ってはいかん人間のはずや」という結論に持っていくのに対して、勝田のアホ息子や女川のドバカ息子は「そやから一生懸命勉強させてやらんといかんということや」という結論に持っていくのだった。私がその時の私の親なら「あんたら、何を勝手なこと言ってるんや」と怒りますが、ところがどっこいうちのい父親はそうではなくて「さすがは医者の先生や。ええ~えこと言いはるっ♪ ほんま、その通りや」と言って大喜びしたのでした。
  その「さすがは医者の先生のおっしゃることや。その通りや」という勝田先生や女川先生のおっしゃる理屈から考えるならば、井上ら実際の福沢諭吉の著作での主張や生き様とは正反対のことをやっておいて「福沢精神」だの「独立自尊」だのとい言いまくるような傲慢であるとといもに非科学的・非論理的・非学問的な人間なんか当然のことながら「義務教育でないからには大学には行ってはいかんはずや」であるはずであったし、「義務教育でないからには高校には行ってはいかんはずや」というはずだった・・のに、なんで、井上は桃山学院高校みたいなもんに行ったんだ? ウルトラ甘ったれておって・ウルトラつけあがっておって・ウルトラ思考が硬いからであって・ウルトラのぼせあがっておって・ウルトラ素直さがないからであって・ウルトラ根性ねじくれまがっておるからではないのか。勝田先生や女川先生のおっしゃる理屈からいけば、井上なんぞ義務教育であろうがなかろうが絶対に「中学校に行ったのは余計じゃ」のはずだった。それなのに、桃山学院高校しか行けないくせしやがってからに義務教育ではないの思いあがっておるから高校に行って、そして慶應大にしか行けないくせしてからに「大学」にウルトラつけあがっておるから行きよった。なんで、行くの? 義務教育でないからには行ってはならないのではないのか?!?

  1980年代の慶應大学の商学部の学生の間でよく名前を知られている経済学者というと、アダム=スミス・リカードゥ・マルサス・ケインズ・ガルブレイズとか、それにカール=マルクス・フリードリヒ=エンゲルス、そして、日本人だと最もよく知られている経済学者は西川俊作・・だった。ただし、他大学の人だと「西川俊作て、誰やねん?」と思うかもしれないが慶應大学の商学部の学生にとっては西川俊作という名前は最も有名な経済学者の名前だった。西川俊作とは誰かというと『経済学(第2版)』(東洋経済新報社)の著者なのだ。この本が慶應大学の商学部の「経済学」という必修科目の教科書だったのだ。だから、慶應大学の商学部の学生の間で「最も有名な日本人の経済学者は?」というと、なんと言っても西川俊作・・だったのだ。その西川俊作教授は『経済学(第2版)』(東洋経済新報社)の作者であるとともに、福沢諭吉の研究もされていたらしく、ゼミの説明会の際に「福沢諭吉の研究は、他大学の人のものの方がいいものがある」と話された、ということがあったが、慶應でこんなこと言っていいのいか・・と不安を感じたが、教授になっている方が言われるのだから私なんかが言うのと違って大丈夫なのだろう。私なんかはまさにそのように思っていたが、慶應でうかつにそういうことを口にするとどこやらから殴りかかられそうで怖かったので、それで、だんだんと正直に口をきかなくなっていったのだったが、西川教授はマア、教授になっておられる方だからそういうことをい口にしても大丈夫だったのだろうが、実際、これは慶應という大学がいいか悪いかとは別の問題として、どうしても、その学校の創設者の研究というのは、その大学の人は制約をいくらかなりとも受けてしまうところがあり、その点において他大学の人のものの方がそういった制約を受けることなくできることから「いいものがある」結果になりやすかったと思われる。これは福沢諭吉に限ったことではなく、他大学の創設者についても同様のところがあるのではないかと思う。
  だから、そのゼミの説明会の時に西川俊作教授が「福沢諭吉の研究については他大学の人のものの方がいいものがある」と言われたように、同教授は「内部進学の人がやることが福沢精神」ではなくて福沢諭吉の著作や福沢諭吉の生きざまといったものを科学的に研究して、そこから出てくるものが福沢精神という考え方を取られているみたいな感じの発言だった。だから、「電車に乗って女子大生が乗っていたら慶應の学生証を出して顔の前につきつけて『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」という男が「福沢精神」なのか、そうではなくて、旭川市に「福沢諭吉の恋人の孫」が住んでいたという『氷点(上・下)』『続氷点(上・下)』の登場人物が語っていたような、そういう福沢諭吉の思いが福沢精神なのか、誰もが「電車に乗って女子大生が乗っていたら慶應の学生証を出して顔の前につきつけて『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」の方だと考えていたということでもないようだった。

  私が井上のような人間(「慶應タイプ」)が嫌いな理由は、
(1) 傲慢な人間であること、それも、やっとこせえで慶應大に入ったくらいの人間でもとより東大なんか受けても通るわけない人間であったにもかかわらず傲慢な人間で、それであるにもかかわらず、「東大に行かずに慶應大に行ったから謙虚」とか勝手な主張をする人間であること、
(2) 実際の福沢諭吉の著作での主張や福沢諭吉の生きざまとは正反対の態度をとっておきながら、「福沢精神」と言いまくる人間であること、

(慶應にはそういう人間が多い。特に内部進学の人間にはそういう人間が多い。)
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(イエスは)彼ら(パリサイ人と聖書学者)に答えられた。・・・
 偽善者たち! イザヤはあなた達のことをこう言って預言しているが、うまいものである――
””この民は口先でわたし(神)を敬いながら
その心は遠くわたしから離れている。

彼らは熱心にわたしを拝むが無駄である。
彼らが教えとしているのは、人間の作った規則であるから。””
(『新約聖書 福音書』塚本虎二訳。岩波クラシックス。 「マタイ福音書」15章7—9節)
偽善者たち!
慶應タイプは口先で福沢諭吉を敬いながら
その心は遠く福沢諭吉から離れている。

新約聖書 福音書 (岩波文庫) - 塚本 虎二
新約聖書 福音書 (岩波文庫) - 塚本 虎二
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この2つが気に入らない点2つであるが、もうひとつある。

(3)  それは、「大学の名前しか取り柄のない人間」であるという点である。

  ジャン=ポール=サルトルがノーベル文学賞を辞退したというのは、どういう理由によるものか。私が調べた限りにおいては、理由は2つあったようだ。
  ひとつは、サルトルはノーベル賞に限らず「賞」というもの自体について、元からあまり肯定的ではなかったようだ。「私はノーベル賞作家といったものによって規定されない。私は私だ」という考え方があったようだ。実際には生きていくにおいて、肩書で評価されることは「ないことはない」だろうけれども、(株)一条工務店の経営者は「今の時代は肩書で人を評価する世の中だ」と考えていたようで、そう話していたようだったが、だから、高卒の自分は実際より低い評価なんだ・・と言いたいらしかった( 一一)  1990年代終わり、栃木県地域の営業社員が集まった場で、栃木県地域の営業所長だった五十嵐さん(男。当時、50歳くらい? 最終学歴:高卒)が「今の時代は人を肩書で評価する世の中だ」と言い出し、ああ、なるほど、だから、高卒の自分は本来はもっと高く評価してもらっていいのにそれより低い評価なんだと言いたいんだな・・なるほど。言わなきゃいいことを言わずにおれない症候群、ちっぽけなおっさんだな・・・この人は営業の仕事については努力して実績を残した人かと思ったが「””しょせんは高卒”” のおっさんやな」・・と思ったことがあった。これは五十嵐さんだけではなくて、(株)一条工務店の「初代社長」の大澄賢二郎や、その他の高卒の所長が似たようなことを言いたがっていたようだった・・・が、それを言わなきゃそれなりに評価してもらえるのに、わざわざ言わなきゃいいこと言っておのれの評価を下げなきゃおれないシンドロームのおっさんども・・( 一一)  で、2000年頃だったと思うのだが、(株)一条工務店は「杉山英男賞」と名づけた木構造の研究者で東大の農学部の名誉教授だった杉山英男先生の名前をつけた「賞」を設けましたあ・・と社内報で言ってきたのだったが、それで、「第1回の受賞者」は誰かというと・・・、「(株)一条工務店 初代社長大澄賢二郎」が受賞しましたあ・・て、あほくさ。 自分で「賞」を作って自分に受賞させて世話ないわ( 一一) てものだった( 一一)  バッカじゃなかろかルンバ♪
  「賞」というものは常に絶対に悪いということではないとしても、「何何賞受賞者」となると、その「何何賞受賞者」としてその人が規定されてしまう、という面がある。だから、サルトルは「私はノーベル賞作家といったものによって規定されない。私は私だ」と述べたようだ。
  私は住宅建築業の業界に長く勤めた者だが、住宅建築業の業界では「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人と最初から試験なんかない無試験よ~こ~「建築専門学校卒」の人には「いっきゅうけんちくしい~い」と矢鱈と言いたがる人間シンドロームの人が多く、又、「一級建築士に通らないものだから二級建築士と言いたがってしかたがない人間症候群」の人もけっこういるのだが、そういう「いっきゅうけんちくしい~い」とか「二級建築士」と言えば人は評価してくれると思い込んでる人間症候群は「建築専門学校卒」の人に多い。愛知産業大学の通信課程の建築学科に在学した時にスクーリングの際に守屋先生から「建築士の資格は取って悪いということはないけれども、建築士の資格があるかどうかよりも、仕事ができるかどうかの方が大事」と言われ、又、「大学の建築学科が建築士の資格試験の内容にカリキュラムや講義の内容を建築士の資格試験に合わせるというのはおかしい。どちらかがどちらかに合わせるのなら、建築士の資格試験の方が大学の建築学科に合わせるべきだ」と話されたことがあったが、正論だとは思うが就職の際に一級建築士・二級建築士を持っているかどうかは影響するので、建築業界で勤める人はできれば建築士の資格は持っていた方が有利だとは思うが、一般に「大学」となっている所の建築学科の場合は建築士の資格を取って悪いということはないが、大学は建築士の資格取得のための受験指導予備校ではなく、建築士の資格と関係ないことでも必要と思われることはやるという姿勢の所が多く、それに対して、三田のJR「田町」駅を陸側に出てすぐ正面の読売理工医療福祉専門学校がかつてあったが〔インターネットで検索すると、今は文京区の小石川に移転したらしい〕、そこには「一級建築士・二級建築士合格最短近道」と書いたでっかい看板がかかっていたが、4年制大学の建築学科を卒業した後、日建学院とか建築士試験受験のための受験予備校に通って建築士の資格を取る人があるのだが、4年制大学の建築学科を卒業すると実務経験なしで二級建築士の受験資格を得ることができ、実務経験2年で二級建築士に通っていなくても一級建築士の受験資格が得られるので、学歴なしなら7年の実務経験がないと二級建築士を受けられないのに対して有利ではあるが4年制大学の建築学科は愛知産業大学の守屋先生が言われたように建築士試験の受験のために大学は存在しているのではないので、それならば、「専門学校」で受験資格を取るとともに建築士受験の学習ができる所があれば最短で合格できるというのが、それが読売理工医療福祉専門学校がかかげていた「一級建築士・二級建築士合格最短近道」というものだったように思える。本来は愛知産業大学で守屋先生が言われたように「建築士の資格よりも仕事ができるかどうかの方が大事」で「建築士の試験の内容に大学のカリキュラムや授業の内容を合わせるというのはおかしい。どちらかがどちらかに合わせるのなら建築士の試験の方が大学に合わせるべきだ」というのが正論だとは思うが、建築学科以外の学部学科を卒業して建築業界に勤めて、建築士の資格を持たないとこの業界では損だと考えて、なんでもいいからともかく少しでも早く建築士の資格をとりたいということなら「一級建築士・二級建築士合格最短近道」の方がもしかすると向いているのかもしれない。そういうこともあるのかもしれないとして、片方で矢鱈と「いっきゅうけんちくしい~い」と言いたがる症候群の人・「一級建築士に通らないから二級建築士と言うてますシンドローム」の人というのは、それしか売りにするものないのか、独立自尊の精神に欠けた人間というのは「建築専門学校卒」の人に多い。普通に考えて、肩書を言いまくることで自分を高く評価してほしいと思ったならば、東大工学部建築学科卒とか京大工学部建築学科卒の人なら「いっきゅうけんちくしい~い」と言うよりも卒業した大学の方を言った方が評価は高いはずで、「東大出の女」というへんてこりんな職業についている菊川怜なんてのは東大工学部建築学科卒らしいが、「東大出の女」という菊川怜がやってきた職業には一級建築士・二級建築士の資格は別に必要ない。「いっきゅうけんちくしい~い」と矢鱈と言いたがるほとんどビョーキ症候群の人というのは「建築専門学校卒」の人に多く、そうでない場合でも「バカでも入れる私大の建築学科」卒の人に多く、そういう人はサルトルが「私はノーベル賞作家といったものによって規定されない」と言ってノーベル文学賞を辞退したのとは逆に「いっきゅうけんちくしい~い」とか「一級建築士に通らないから二級建築士」というものによって規定されたがっている人なのだ。たしかに、この資格を持ってますよと言って悪いということはないし、いくらかなりともプラスの評価は受けるかもしれないが、それによって規定されたがり、そして、それしかないという人はむしろ評価できない
   「作家で精神科医」の なだ いなだ は『娘の学校』(中公文庫)において、「どのような賞を受賞しているかによって人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかによって賞の値打ちが決まるのだ」と述べていたが、まさにその通りだと思う。・・もっとも、なだ いなだ が娘にそう話したところ、2人の娘はじい~っと父親の顔を見て「そうかあ、そうだったのかあ。なるほど~お。だから、パパはノーベル文学賞を受賞しないんだな」とそう言った・・・というのだけれども(^O^)
サルトル全集〈第29巻〉言葉 (1964年)
サルトル全集〈第29巻〉言葉 (1964年)
娘の学校 (ちくま文庫 な-2-14) - なだ いなだ
娘の学校 (ちくま文庫 な-2-14) - なだ いなだ

 もうひとつだが。 ノーベル賞というものをサルトルは胡散臭いものと見ていたようで、だから、ノーベル賞は辞退したかった、ということもあったようだ。要するに、ノーベル賞はアメリカ合衆国の政治的意向を強く受けた賞で、西側においてアメリカ(合衆国)的自由主義の尊重に貢献した人か、それとも東側において「赤い国の抑圧」と闘った人に送られる極めて政治的色彩の強い賞である、と見ていたということがあったらしい。
  佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したことについて、佐藤栄作なんかがノーベル平和賞を受賞するとはけしからんと怒った人があったが、本多勝一がどこでだったか述べていたが、佐藤栄作がノーベル平和賞を受賞したことをけしからんと怒る人というのはノーベル賞、特にノーベル平和賞というものを相当すばらしいものと考えている人だが、もともと、ノーベル賞、特にノーベル平和賞というのはそんなにすばらしい賞ではない、もしも、う〇こ に 小便をかけたなら堆肥(たいひ)であって悪いことはなく、ごはん にカレーをかけたらカレーライスで、これも悪いことはない。悪いのは ごはん に小便をかけるか、う〇こ にカレーをかけるかであり、佐藤栄作にノーベル平和賞を受賞させるというのをけしからんと怒る人というのは、う〇こ にカレーをかけるとはけしからんと怒っているような人だが、そうではなくて、う〇こ に小便をかけていると考えれば「いかにもふさわしい」「いかにも好ましい」と考えられる・・というのだった。
  もしも、私が東大工学部建築学科か京大工学部建築学科を卒業して一級建築士か二級建築士の資格を取得していたならば、名刺には「一級建築士」「二級建築士」とは入れたくないな。「二級建築士」と入れると「なんだ、一級じゃないのか」と思われるからということもあるが、それよりも《””「建築専門学校卒」の人と一緒”” という「小便」をかけられる「う〇こ」》になってしまうからだ。
  日本人でノーベル文学賞を受賞した人というと、川端康成と大江健三郎。 川端康成が受賞した時には日本人の候補者が何人かいたらしいが、そんなに候補者が何人かいたならば、翌年や翌翌年に川端康成以外の候補者が選ばれても良さそうなものだったが選ばれない。なぜ、そうなったかというと、日本人から誰かひとりにノーベル文学賞を受賞させようということが先に決まって、それから誰に受賞させるのがいいか・・という議論になった・・ということによるみたいだ。
  候補者は何人かいたようだが、志賀直哉はノーベル賞というものを胡散臭いものと見ていたらしく、そういう人間に受賞させてサルトルみたいに辞退されてはかなわん。三島由紀夫という人は日本刀ひっさげて自衛隊の駐屯地に乗り込んで割腹自殺とかやりかねない「あぶない系」の人だから、「ノーベル賞作家」にそういうことされたのではかなわんから忌避した方がいい。その点、井上靖は左翼とかではない「リベラル」で比較的穏健な人で、三島由紀夫みたいな「あぶない系」でもないし、良さそうだけれども、『天平の甍』とか『敦煌』とか『青き狼』とか中国を題材とした小説を書いていて社会主義国だった中国の人間とつきあいがあるということは、避けた方が良さそう・・で、こういったことを考えたところ消去法で選んで、人畜無害なのが川端康成で、又、川端康成は元A級戦犯にて船舶振興会会長の笹川了一と小学校の時の同級生だったらしい・・てこともあって、ノーベル文学賞作家は川端康成に決定・・・したのかどうか、ありそうなことではあるが、そうであるのかないのかは、知らん。
  実際のところ、ノーベル文学賞を受賞した作品だという川端康成『雪国』(岩波文庫)なんてのは、もしも、ノーベル文学賞を受賞していなかったら、今頃は新刊では廃版になっていて、中古本だとアマゾンで注文して手に入れることはできるかな・・というくらいの小説だろう。そんなもん・・と思う。そもそも、川端康成という人は産まれてすぐに両親が他界して祖父母に育てられたが、祖父母が医者屋だったか金持ちで、金持ちの孫として育った人で、それが書いた小説というのが『伊豆の踊子』というなんかこう「上から目線」というのか、そんな小説で、登場人物の主人公の男が歳をいって「踊り子」の女性も歳をいって踊り子ではなくて芸者になったのが『雪国』・・みたいなそんな小説で、まあ、そういうのが好きな人が好きであっても好きにすればいい・・のだけれども、そんな「ノーベル文学賞」とかたいそうなこと言うほどの小説でもないのじゃないか・・と私なんかは思う小説だ。その程度の作家がなんで自殺すんねん・・というと、三島由紀夫と同程度のナルシストだったのか? ・・どうか知らんが、川端康成の小説がすべてだめだとかは言わないが、他の小説家と比較してそこまでものすごい優秀かというとそうでもないように思うし、川端康成の小説でも私なら『山の音』などの方が『雪国』よりは評価したい。

  それで、大学は行って悪いということはないが、あまりにもその大学によって規定されてしまう人間というのは人間としてどうなのか。サルトルのように「私は私だ」という意識・認識の人間ならば、「電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して顔に突きつけて『この印籠が目にはいらぬかあ』とやってやろうか」などと、そういう「慶應タイプ」みたいなことは考えないであろうし、口に出して言わないであろう・・と思うのだ。なんか、そのサルトルとは正反対の態度の井上を見て、情けないやつだなあ・・と思ったのだ・・が、慶應大学の学生にはそういう人間が大変多い。日本では早稲田と慶應の2つの大学がそういう人間が多い大学の双璧だと思う。
  私と同じ公立小学校・同じ公立中学校から同じ府立北野高校に行って、慶應大経済学部に行く時は現役で行った阪本彰という「なまたまご」を「なまなまこ」と発音する男がいたのだが、この阪本もまた井上タイプの男だった・・てことは「慶應タイプ」であり、「慶應ボーイ」型の人間、その点において私とは逆の人間だった。
  今は就職の際には「尊敬する人物は?」という質問は面接でしてはならない質問とされたらしいが、私が大学生だった頃、卒業する頃、1980年代はそうではなくて、「尊敬する人物は?」ときかれて答えられるようにしておかないといけない、と言われていた。
  いったい、誰をあげればよいのだろうか。そういう所でレーニンとか答えるとどうなるのだろう。そういう所で「尊敬する人物」として名前をあげるべき人間というと、要するにノーベル賞の授賞者に選ばれるような人、「西側においてアメリカ的自由主義に貢献した人」か「東側において『赤い国』の抑圧と闘った人」かどちらかをあげると採用担当者は喜びよるということか。それならば、実際にノーベル平和賞を受賞することになった金大中なんかはどうだろうか。
民主救国の道―講演と論文 1973-1980 (1980年)
民主救国の道―講演と論文 1973-1980 (1980年)
しかし、金大中だとネトウヨ的反韓主義者が採用担当者だとだめだろう。無難なのは、「リベラル」とか「ヒューマニスト」とか言われるような人で、大学入試の「英語」において読んでおくべき英文の作家として名前のあがっていたバートランド=ラッセルとかがいいか。マックス=ウェーバーなんてのは社会科学系学部卒の者が応募する際には良さそうかもしれないが、しかし、マックス=ウェーバーは資本制経済を擁護する側の良心的な思想家として見られている反面、帝国主義のチャンピオンとも見られているようで、相手がどう見ているかによって受け取り方も異なるであろう。ここは政治家とか社会科学的分野を専門とする人ではなくて文学者とかの方がいいか。それだと、サルトルは「たいした人間じゃない」と言っているロマン=ロランなんてどうだろうか。もしくは、キルケゴールとかは内村鑑三とかは。しかし、キルケゴールだと採用担当者が阪本みたいな「おまえはアーメンか」とか言うような慶應タイプの人間だと不採用にされるだろうから、採用担当者がその程度の人間であった場合を想定してキリスト教と関係のある人間は避けた方がいい。アンドレ=ジッドなんかはどうだろうか。アンドレ=ジッドの『狭き門』『女の学校』『ロベール』『田園交響楽』などは名作だが、採用担当者が慶應タイプのブタ人間だと、まさに「ブタに真珠」であり価値がある文学は毛嫌いするだろうから避けた方がいいだろう。又、アンドレ=ジッドは一時期、ソビエト連邦を好意的に見ていたがそういう人であったからロシア革命後のソ連から歓迎されて訪問したものの、実際にロシア革命後のソ連に行ってみると、フランスにいて思っていた内容とはずいぶんと異なり、『ソビエト紀行』(光文社文庫)を書いてそれを表したところ、「転向」したかのように非難を浴びたが、ジッドは「転向したのは私だろうか。そうではあるまい」と語るが、そうやって社会主義とはどういうものと考えるべきかと真面目に考えるような人は「尊敬する人物」として答えない方が良さそうだ。小泉信三なんてのはどうだろうか。小泉信三は資本制経済を擁護する側の経済学者だったが、批判は論拠をあげて論理的におこなうべきで、論拠に基づかない悪口雑言は慎むべきであると『共産主義批判の常識』(講談社学術文庫)の「序文」において述べており、戦後、革新政党が伸びた時期があったが、小泉信三はその逆の側の立場の人間ではあったが、しかし、革新政党の人には気概が感じられるのに対して、「保守」を名乗る者にはそれがなく、聞いていても学習しておらず耳を塞ぎたくなるような下品なことしか言えないような者がいる、そんな者を支持するつもりはない、という人であった・・というが、採用担当者がまさにその気概なんかまったくない下品なことしか言えないような「保守」の人間だったとしたら、まさに「慶應タイプ」が採用担当だったとしたら、小泉信三もまた「アカ」扱いされることになるであろうから避けた方が良さそうだ。無難そうな人として、杉原千畝(ちうね)なんかはどうだろうか。杉原千畝は東京タワーのふっとタウンにあった蝋人形の館にも蝋人形が設けられていた人で、第二次世界大戦中にリトアニアの領事として勤務していたが、ナチスによる迫害からリトアニアにのがれてきたユダヤ人に対して大量にビザを発行して助けたが、ナチスのドイツと同盟を結んでいた日本の本国から日本に召喚され、最後、リトアニアを離れる時に語った言葉は「ごめんなさい。すべての人を助けてあげることができず、ごめんなさい」だったという人だが、鈴木宗男が外務省の副大臣だったかの時にリトアニアの首相と対談した時に、杉原千畝の名前を残していただきたいとお願いしたところ、大いに喜ばれたという話が『憂国のラスプーチン』に出ていたが、リトアニアの首相は喜んでくれたらしいが、日本の企業の採用担当者が喜ぶかというと、慶應タイプのナチズム礼賛者が採用担当だと敵意を持たれるだろうし、うちの父親のように「わしは英雄ヒットラー総統やねんぞお~お」とか言ってるような人が採用担当者・経営者の会社だと嫌がられるだろうから避けた方が良さそうだ、実在した人間ではないが白土三平の『カムイ伝』『カムイ外伝』の登場人物のカムイは自由を求めて、忍びの世界の権力から追われ命を狙われても何がなんでも生き抜いてやると努力する姿勢・・は反権力として権力側の企業の採用担当者からは嫌われそうだから避けるとして・・となると、「尊敬する人物」として名前をあげていい人間なんて、な~かなかない・・、うちの父親は「尊敬する人物ちゅうたら、そりぁなんと言うてもわしや、わし、わし、わ~しい~い」とか叫んでいましたが、なんかよっぽどバカじゃないかて感じがする。実際のところ、こういったことを考えると「尊敬する人物は誰ですか?」ときかれて答えると良さそうな人物は誰か、なかなか難しい・・・が、よく考えてみると、な~んかあほなことやってるような気がしたのだ。そう思わないですか。結局のところ、「尊敬する人物は誰ですか」という質問は実質的に「あなたは、会社の面接において『尊敬する人物は誰ですか』ときかれて誰の名前をあげると会社の採用担当者・経営者からいいように思ってもらえると考えますか」と質問しているのと変わらないではないか。誰の名前をあげればいいと思ってもらえるのかと、一生懸命、考えて考えて、それで結局不採用にされる・・なんかあほくさいなあ・・・て、そういうことを採用する側はやりたいのか? そんなことやって何の価値があるのか?  そう思いませんか。
※ 杉原千畝 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
  中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)では「オヤジ」というのはその年代のその性別の人のことではなく「オヤジ」と言われるようなことをする人のことで、若い男性にもオヤジはいるし、女性にもオヤジはいると述べられており、私もそう思うのだが、それと似ていると言えば似ているもので、おっさんの特徴、これをやったらおっさんというものとして、
(1)必要ないのに野球とゴルフのたとえをする。 
(2)トイレで用を足した後、手を洗わない。 
(3)たいして親密になったわけでもない会社の若い女性社員に「ちゃん」づけで呼ぶ。 
(4)会社の女性社員とおミズのコンパニオンとの違いがわからない。
(5)戦国武将の話が好き。
・・この(1)~(5)は実際、私が勤めた会社にいたのだ、こういうおっさんが( 一一)  これをやるようになったら「おっさん」だなと思い、これはやりたくないなあ・・と思って生きてきたのだ。(1)についてはスポーツでも野球とゴルフ以外のものなら別にかまわないが、野球とゴルフのたとえを必要ないのにやる人というのは「おっさん」だ。 この(5)の「戦国武将の話が好き」というおっさんが採用担当者・経営者だった場合を考えて、戦国武将から「尊敬する人物」をあげると喜びよるかもしれん・・とすると誰がいいか、というと、井伊直政なんてのは、関ケ原の戦いの後、西軍の石田三成の居城の佐和山城を陥落させて城に入ったところ、石田三成は太閤の側近として「はぶりをみせて」いた立場だったのだから、さぞかし豪奢なものがあるのではないかと予想したら、佐和山城の中には実用的なものばかりで華美なもの・贅沢なものは何一つとしてなかった。「なるほど、こういう人だから、自分は20万石程度の中大名であっても200万石を超える徳川を相手として西軍を動かすことができたのかと感心した、というが、たとえ相手方の者でも優れた者・真面目に努力する者は評価しようという姿勢というのは尊敬できるのではないか。 又、本田忠勝は徳川の家臣の中では猛将として戦さで暴れまわる男の印象があるが、真田昌幸の長男・真田信繁(幸村)の兄の真田信之を婿としていたが、関ケ原の戦いの後真田信之の父の真田昌幸と弟の真田信繁(幸村)を斬首しようとする家康に助命を嘆願し、だめだという家康に「こうなったら、わしと殿とで一戦交えるしかないということかのお」と家康に言って、そこまで言うならしかたがないと真田昌幸と信繁(幸村)の命を助けた。戦場で暴れるだけの男のように言われ、又、本多でも家康の側近として仕えた本田正信が「賢い方の本多さん」と扱われたのに対して、暴れるだけの男のような評価に一見なっているが、婿の親と弟を助けるためにそうやって努力することができる人間だった、というのは尊敬できる・・とか。(もっとも、そうやって助命した真田信繁(幸村)が大阪の陣では豊臣方の武将として徳川を相手に奮戦することになるのだが。)これなら、「戦国武将好きのおっさん」が採用担当者なら喜びよるのではないか、あるいは関ヶ原の戦いで敗れた後に東軍に捕縛された後、「何か所望されるものはござらんか」と言われて「家康の首」と答え、「のどがかわいた。水がほしい」と言ったところ、水がなかったので「これでも召し上がれ」と言って柿を出したところ「柿はたんに悪い」と断り、「これから斬首される者がたんに悪いだのとは何を言うか」と東軍の兵士が笑ったところ、「優れた人間は最後の最後まであきらめないものだ」と言ったという石田三成とか・・、もっとも、こういう「お話」がどこまで本当かわからないが、たしかに最後の最後まであきらめずに健康に気を配る姿勢というのは評価されてよいのではないかとも思えたが、しかし、相手の戦国武将の推し(おし)が誰かわからんし、案外、関ケ原で寝返った脇坂泰治ら裏切り四人衆とかが好きっ♪ なんて人間かもしれないし、秀吉が他界後、もはや、豊臣は終わりだと見切ると素早く徳川にすりよった藤堂高虎とかが好き、「大人や」とか思っておるかもしれんし、関ヶ原の戦いの西軍の大将の毛利家の家臣でありながら南宮山に位置した西軍の舞台のうち、自分から先鋒をやると言いながら戦が始まると動かず、後ろの毛利秀元・安国寺恵瓊・長束正家・長曾我部盛親隊を参戦できないようにして、長束正家が毛利秀元を連れて「なぜ、参戦しないのか。参戦しないなら、せめて、そこをどけえ」と言いに行っても「ただいま、食事中」と言って動かずに東軍にこびを売った吉川広家とかが好きっ・・というよりも、いわば、ここぞという場面で裏切った脇坂泰治ら関ヶ原裏切り四人衆・徳川にいちはやくすりよった藤堂高虎・大将の家臣なのに相手側に通じて自分の側の軍の参戦を妨害した参戦しないならせめてそこをどけえという吉川広家とか、いわば、そんな感じの人間が採用担当者・人事部長かもしれないし~い( 一一)  「尊敬する人物」とあげた戦国武将と敵方の武将の子孫とか敵方の武将の地元の出身者とかかもわからない。「尊敬する人物は」てのは考えれば考えるほど難しい。
  うちの父親は「尊敬する人物ちゅうたら、そりぁ、わしや、わしや。わし~い♪」と叫んでました( 一一)  ああいうのが「尊敬する人物」だそうです( 一一)  「尊敬する人物はわし~い言うて答えなさい」とおっしゃってました。「わあしい~い」と( 一一)
よっぽどバカじゃないかと思いました。ちっぽけな野郎だなあ・・と思いました。
余の尊敬する人物 (岩波新書 赤版 65) - 矢内原 忠雄
余の尊敬する人物 (岩波新書 赤版 65) - 矢内原 忠雄
  ↑ 矢内原忠雄『余の尊敬する人物』(岩波新書)では、矢内原忠雄は、まず、エレミヤを「尊敬する人物」にあげ、ついで日蓮をあげて、新渡戸稲造をあげていたと思ったが、矢内原忠雄の日蓮についての解釈は正しいかどうかわからない。渡邊照宏『日本の仏教』(岩波新書)の著者の渡邊照宏氏は真言宗の関係の人であるということもあるけれども、鎌倉新仏教についての評価は低いが、渡邊照宏『日本の仏教』(岩波新書)を読んだ上で矢内原忠雄が言っていることを検討すると日蓮については誤解した上で実際の日蓮よりもいいように思いすぎているのではないかとも思える。エレミヤは実在した人物であっても、あくまでも『旧約聖書』の上でのエレミヤについて「尊敬する人物」と述べているものだが、言っちゃなんだが「しょせんは『先生』やってきた人の尊敬する人物」という感じがする。もしも、就職の面接で「あなたの尊敬する人物は?」ときかれて「エレミヤ」なんて答えると、同じ小学校・中学校から同じ北野高校に行って慶應大経済学部に行った阪本みたいな男が採用担当者だったら「おまえはアーメンか」と言われてマイナスの評価になるだろうし、「日蓮」なんて答えたなら矢内原忠雄はキリスト教徒であって日蓮宗ではないがそれでも「おまえは創価学会か」と言われてマイナスの評価になるだろう。たしか、阪本の方こそ創価学会に入っていた女性にひかれてその女の気をひくために創価学会に入ろうか考えていた時があったとかそんなことを言うておったように思うのだが、創価学会はおまえの方だろうが・・てものだが、ともかく就職においては採用する側が圧倒的に立場は強く、いわば「へこへこ関係」「ぺこぺこ関係」であるから、応募する側は「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「雨にも負けず、風にも負けず」「臥薪嘗胆」「韓信の股くぐり」「堪忍は無事長久のもと、いかりは敵と思ヘ」と心の中で唱え、「この野郎」と心の中では思いながらもい耐えに耐えて・・それで不採用にされたあかつきには、あれだけ我慢もして耐えたものをまどてもらいたいわ、返せ、この野郎て気持ちになる・・・が、矢内原忠雄『余の尊敬する人物』(岩波新書)は面接で応募する側の時に答えるためのものではなくて「大学の先生」が「えらい人」という立場で書いたものだから、面接で応募する際にはあまり参考にはならない。
高岡銅器 硯屏 徳川家康の遺訓 171-04
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  ・・もっとも、いくらなんでも、この人に私を面接させるのはいくらなんでも無礼ではないか・・という面接をする会社というものもある。私が経験した例としては、2000年代、中途採用の応募で、(株)木下工務店https://www.kinoshita-koumuten.co.jp/ という住宅建築業の会社に人材紹介会社を通じて応募して行った際には、千葉県八千代市の支店に来てくれと言われて行った時には、「ええ? いくらなんでも私をこんな程度の人に面接させるのお?」と思ったが、我慢してその人に面接を受けたて帰ったところ、そのおっさんに不採用にされたが、後から考えてみると、木下工務店はあの人に私を面接させたその時点で私をバカにしていたと思うのだ。だから、その時点でそのまま帰ってもよかったかもしれないと今は思っている。  やはり、2000年代、文化シャッターのグループ会社の BXゆとりフォーム(株)https://www.yutoriform.co.jp/ に「朝日新聞」の求人広告を見て応募した際には、履歴書等を郵送してくれというので郵送したところ、書類審査に合格しましたという通知が来て、面接に来てくださいと言うので、こちらは相当配慮して面接に訪問したにもかかわらず、正社員としての募集について「書類審査に合格した」はずなのに、人事部長だという男が「ゆとりウォームについては社長以外、全員が契約社員です」と言い出し、その人事部長と私立五流大学でて入社して2年目か3年目かという感じの男と2人で分かれて面接をやりますと言い出したので、私は、朝日新聞の求人広告ははっきりと「正社員募集」と明記はされていなかったが、普通に見て正社員の募集と受け取れるものであり、あくまでも正社員の募集に応募して書類審査に合格しましたと通知をもらって訪問したのであり、契約社員の募集に応募したのではないので、その日はそのまま帰らせてもらおうと思い、担当者にそう言って帰ろうと思ったのだが、その人事部長ともう一人の20代の若造が2人とも「面接」に入ってしまい、帰りますと言う相手がなくなってしまったので困っていたところ、私の「面接」の順番になってしまい、その見るからに私立五流大学でたばかりと顔に書いてある若造が私の面接をすると言うので、「私は正社員の募集だと思うから応募して来たのです」と言って、「契約社員ならば応募するつもりはありませんでしたので・・」と言おうとすると、その見るからに私立五流大学でたばかりという若造が「みんな、そう思ってます」などとい言い、私が「応募してません」とい言っているにもかかわらず勝手に「面接」を続けてしまい、いくらなんでも、私をこの若造に面接させるというのは文化シャッターは失礼だろう・・・と思って強く不快感を覚えた上で、「応募してません」とはっきりと言っているものを「面接」されてしまい、あげくのはてに、その若造に応募していないものを不採用にされてしまった。その人事部長だという男は「文化シャッターは一部上場ですからね」などと言いまくるのだったが、「一部上場」ならば正社員の募集だと思わせる求人広告をだして応募させて「(正社員の募集に)書類審査に合格しました」と通知を送って面接に来させて、来場させた上で「契約社員の募集です」と言い出し、「契約社員には応募していません」とはっきりと言っている相手に「みんな、そう思ってますよ」などと若造に言わせて、「応募してません」と言っている相手を無理矢理「面接」したあげくに不採用通知を郵便で送りつけるという無礼千万な行為はやめるべきであろう。だいたい、話を聞いていると、その人事部長の男が話す内容というのが「なんか、あんまり賢くないなあ」て感じのもので、矢鱈と「いっきゅうけんちくしい~い」というものをありがたがる変な一級建築士信仰を持っていて、リフォームに一級建築士の資格なんかほとんど関係ないのにとい思ったが、その「全員が一級建築士の店」と意味不明なことを売りにしていた「青山スタジオ」というのはさっさとつぶれたし、我が家から一番近い店だった船橋店も、ふと気づくとなくなっていたし、船橋店はなくなったのかと思って  ゆとりフォームのホームページ―を見ると「船橋店」と名づけた店はあるみたいだが、住所を見ると習志野市谷津 て、そこは船橋市じゃないだろうがという所、最寄駅もJR「津田沼」と京成「津田沼」のどっちからも遠いという、前に船橋店があった場所より条件の悪い所に引っ越したみたいだ。条件の悪い所に引っ越す会社というのはけっこうあるが、要するに「ジリ貧」てことだ。あんな対応しているような会社のくせして「一部上場ですからねえ」などと言いまくる会社というのは、やっぱり「ジリ貧」になっても不思議はないなあ・・て感じがする。「一部上場」だったら何なんだよ・・て相手は思っているのではないか・・と気づくこともできない男が人事部長の会社・・というのは、「その程度」だったのかもしれない。「この人に私を面接させるのは無礼であろう」という会社・・というのは他にも経験してきているが、ここであげるのはこの2例にとどめることにするが、そういう相手に「雨にも負けず、風にも負けず」「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」「臥薪嘗胆」「韓信の股くぐり」「堪忍は無事長久のもと、怒りは敵を思え」とやる必要もないように今は思うようになった。だいたい、BXゆとりフォーム(株)にはこちらは応募してないんだから。こっちばっかりが礼儀を尽くそうとしても、相手が礼儀を受け取る姿勢がないのだから。そんな会社だから、「青山スタジオ」もさっさとつぶれるし、「船橋店」もなくなって船橋市でもないそれまでより便利の悪い船橋市でない所に「船橋店」となづけた店を移転するはめになるのだろうけれども。そこは船橋市ではなくて習志野市だろうが・・てくらいもわからんのか、せめて習志野市ならば「習志野店」か「津田沼店」にすればどうかも思うが・・「一部上場ですからねえ」と言いまくるだけの能しかない会社なのかもしれない( 一一)  そういう会社はどうなるかというと⇒「ジリ貧」 ・・と思うよ。
  現在では「尊敬する人物は誰ですか?」という質問は仕事の内容と関係のない質問であり、就職において質問すべきではないものとされるようになりましたが、実際、↑ に述べたようなあほくさい、「あなたは、会社の面接において『尊敬する人物は誰ですか』ときかれて誰の名前をあげると会社の採用担当者・経営者からいいように思ってもらえると考えますか」なんて質問なんかしてもしかたがないと思う・・のですが、自分が応募する場合には、そんな「尊敬する人物は誰ですか」なんて思想調査されるというのは嫌だなあ・・と思ったものでしたが、自分が採用する側であるならば、その人はどういう人なのだろうか・・と考えた際に、能力的な面においては学歴・資格などを見て、どういうものを学んできたのか知り、どういう学力がある人か見ることはできるとして、人間的にどういう考え方の人か、又、直接仕事に関係ないとしても、どんな性格の人なのか、直接仕事に関係のないようなことでも採否を判断するのに知りたいと考えると、この人が「尊敬する人物」てどういう人なのだろうか・・知りたいようにも思う。「松下幸之助」とか答えるやつがいるらしいが、私が採用担当者なら「その程度の人間か」と思うが、そういう答えをする人間を喜ぶ「その程度」の経営者もいるのではないかと思う。そういう人は「この程度の人間にはこの程度の会社」と似合いの所が採用してくれるかもしれない。ひとのことならば、そんなちっぽけな人間を「尊敬する」のか・・とあきれるような人は、「その程度の会社」が採用するだろうから、似た者同士でいいかもしれない・・とか思うが、しかし、自分が応募する場合においては、あまりにも考え方が違う所に無理に採用してもらってもお互いにいいことない・・ということはあるかもしれないが、そう思って、不採用にされてもむしろ喜ばしいくらいだ・・なんて片っ端から不採用にされてどこも勤める所がなくなってしまっても困るから、だから、妥協せざるをえない結果、尊敬なんかしていない、むしろ、どちらかと言えば軽蔑しているような人間の名前を「尊敬する人物」としてあげて、それで採用してもらおうと、へこへこへこへこする・・・ということになりかねない。情けない・・が、採用される側は立場が弱いからへこへこへこへこするのもやむをえない・・・か。
  それで、だ。「尊敬する人物は誰ですか」という質問は今は就職の際の面接においておこなってはならない質問とされており、又、実際問題として、そういう質問をしても、実質、「あなたは、会社の面接において『尊敬する人物は誰ですか』ときかれて誰の名前をあげると会社の採用担当者・経営者からいいように思ってもらえると考えますか」に相手が一生懸命考えて答えたものを聞いても、それが何の意味があるのかよくわからないのだが、しかし、本当にその人が「尊敬する人物」、もしくは高く評価する人はどういう人なのかを知れば、その人の物事の考え方といったものがある程度わかるし、その人が「尊敬する人物」というのは、その人がいくらかなりとも似ている人物でもある場合が多いので、私が採用する側ならば「尊敬する人物は誰ですか」と尋ねても、実質、「あなたは、会社の面接において『尊敬する人物は誰ですか』ときかれて誰の名前をあげると会社の採用担当者・経営者からいいように思ってもらえると考えますか」という質問と変わらないのでそんな質問をしてもしかたがないと思うが、どういう人を高く評価する人なのか、というのはその人を知る上で参考になる。ちっぽけな人間を尊敬するような人はその人もその程度の人である場合が多い。たとえば、(株)一条工務店にいた時に、「座禅研修」だとして参加させられた静岡県浜松市北区奥山の深奥山方広寺の「研修所」の所長のムカイくんが「京セラの会長の稲森さんは・・」と京セラの会長の稲森をヨイショヨイショしまくったが、京セラの従業員は京セラから給料もらっているから、だから、会長があほなこと言いよっても、「はいはい」言わなきゃしかたがないが、(株)一条工務店の従業員は京セラからは1円としてカネもらってないのだから、稲盛をヨイショしてあげなければならない筋合いはなく、むしろ、その「研修」は(株)一条工務店の従業員の側がカネ払っているのであり、カネ払ってる側がカネはらってもいない者にヨイショさせられる筋合いはないはずであるにもかかわらず、「京セラの稲森会長は・・」とそういうことを無理矢理きかせて喜んでいたので、程度の低い男だなあと軽蔑したが、ちっぽけな人間を尊敬するような人はその人も「その程度の人」であり、深奥山方広寺の「所長」だと称するムカイくんもその程度の人間で、あの「病気」はそう簡単には治らないだろうなあ・・という感じがしたが、「友達を見ればその人間がどういう人間かわかる」などと言われることがあるようだが、プラスに評価される場合もマイナスに評価される場合も、その人がどういう人を高く評価するかを見れば、その人がどういう人間かある程度わかる。
  浜松市北区の深奥山方広寺の「所長」だというムカイくんは、ムカイくんにとって京セラの稲森が「尊敬する人物」なのかもしれないが、稲盛は仏教・臨済宗における人間ではないから、ムカイくんの個人的な好みをお話いただきたいと言って(株)一条工務店は深奥山方広寺にカネ払っていたわけではないのだから、勝手なことはやめた方がいいだろう。稲盛一夫は《 1997年に臨済宗円福寺の西片擔雪の下で在家得度(法名:大和)》(ウィキペディアー稲盛一夫https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%9B%9B%E5%92%8C%E5%A4%AB )らしいが、そんなことはここでは関係ない。・・ついでに、もしも、私が「今生きている人か少し前まで生きていた人で、あなたがきらいな有名人は誰ですか」という質問をされたら、有名人で私が嫌いな人間というと、
第一位は何と言っても小此木啓吾で、
第二位・第三位は同率二位で稲盛一夫と松下幸之助だ。

どこが嫌いかというと嫌いな理由はひとつではないが、一番に思いあがっているところだ。なおかつ、稲盛については人が自分の言うことをきいてくれるのは、それは自分が京セラの会長だからだということに必ずしも気づいていない、という点この点において「病識がない」という点で、もう老人性のぼけが出てきれいるかな・・という感じだったが、「老人性のぼけが出てているからしかたがない」という人なら表に出てこないでほしかったが、猫の首に鈴をつけるのは大変、老害の会長に鈴をつける役は誰もが嫌がる・・としても、それは京セラの会社内での話、京セラの従業員における話であり、京セラの従業員でもない者、京セラから1円でももらってない者にとってはう〇こでしかないじいさんなのだから、それを京セラから1円でももらっていないにもかかわらず、ムカイくんから講釈される筋合いはないはずであり、そのあたりを理解できないムカイくんはおのれの無見識を反省すべきであろう。深奥山方広寺のムカイくんが稲盛が好きなら好きで勝手にすればいいが、私ら嫌いな有名人を「座禅研修」で座禅と全然関係ないのに勝手な講釈するのはやめた方がいいだろう。深奥山方広寺とムカイくんは思い上がりも甚だしい。
  何より、静岡県浜松市北区の深奥山方広寺とムカイくんが「座禅研修」と称してやっていたことは、明らかに「信教の自由の侵害」であり、私は日本の裁判所というものをあまり信用していないが、少なくとも法律論理としては深奥山方広寺とムカイくんがやっていたことは「信教の自由の侵害」であり私たちは望まない宗教儀式への参加を強制されたわけであり慰謝料請求もできるはずだったのだが、ムカイくんにはそのあたりの自覚が欠落していた(「病識がない」状態だった)。

  「電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して顔に突きつけて『この印籠が目にはいらぬかあ』とやってやろうか」という桃山学院高校卒⇒慶應大商学部 の井上 なんてのは、おそらく、「尊敬する人物は」誰かというと、サルトルなんかあげないであろうし、そもそも、サルトルの本なんか一冊も読んだことはない人間であろうし、死ぬまでサルトルとは縁がないブタ人間であろう。「企業はそういう人間を喜ぶ」とか慶應では言うらしい。そうなのか? 「企業はそういう人間を喜ぶ」のか? 日本の企業て、大丈夫か?
そういう人間が「ギャルにもてもて」て話も慶應にはあったのだが、その「ギャル」とかいうやつ、よっぽどバカじゃないかて感じがするのだが、「ギャルにもてもて」てのは、マア、世の中、そういう男の裏返しみたいな女というのもいるわけで、男だから立派なんてことはないが、同じ意味で女だからいいというものでもないので、「この程度の男にはこの程度の女」というのがいるのは間違いない。⇒YouTube-水戸黄門第14部オープニング 里見浩太朗 伊吹吾朗https://www.youtube.com/watch?v=01mOvhkELJI 
   「電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して顔に突きつけて『この印籠が目にはいらぬかあ』とやってやろうか」とかいうのを、もしも本当にやったとして、それが通じるのか通じないのか私はよく知らないが、通じても通じなくても、又、それを本当にやるのか言うだけなのかにかかわらず、私はそういうことを考える人間というのが嫌いなのだ・・が、慶應タイプにはそういうのを「庶民的だ」とか言う人が少なくない。なんで、そんなのが「庶民的」なんだ。どこが「庶民的」なんだ、と思うが、そういう人と議論しても不毛なだけだ。そういう男と合う女というのも世の中にはいるみたいで、「慶應タイプ」の人が言う「ギャルにもてもて」というのは、「その程度の男にはその程度の女」に「もてもて」という意味ではないかと思う。

  ふと思ったのだが、浪人中のこと、それも2浪の時のこと、何気なしにロシア民謡の「バイカル湖のほとり」を歌っていたところ、それを聴いて「うまいですねえ」と言ってくれた女性がいた。今、あの人はどうしているのだろう。
  1982年、日吉台学生ハイツのロビーで水戸黄門の印籠男の井上が女性を連れているのを見かけたことがあった。「電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して顔に突きつけて『この印籠が目にはいらぬかあ』とやってやろうか」でくっついた女というのがあれだったのだろうか( 一一)  「電車に乗って女子大生がいたら、慶應の学生証を出して顔に突きつけて『この印籠が目にはいらぬかあ』とやってやろうか」という男とくっつく女というのは、女の方もそういう女だろう。あまり決めつけない方がいいのかもしれないが、そんな印象を受けた女だった。「バイカル湖のほとり」なんていいとは思わない女だろう、きっと死ぬまで。
※ YouTube-バイカル湖のほとりhttps://www.youtube.com/watch?v=d1dlJrpCWZU 
  そういえば、慶應大学のスチューデントカウンセラーズの部室で、大阪教育大付属高校卒の某とプッチーニのオペラ『トスカ』について話していたところ、開成高校卒で慶應大商学部の学生だったMがMには何も話していないのに横から口を出して「そんなもの、何の価値があるんだ」と文句を言ってきた。開成高校とか私立6年生受験校出身の人にはそういう人が多い。大学入試においてある程度の点数はとっても、あくまでも大学入試のために勉強してきただけであって、その学んでいるものがどう価値があるかなんか少しも考えていないし、小学校から高校までで扱っているものでも大学入試に出ないものは「そんなもの、何の価値があるんだ」と考えるように観念的に教えこまれてきた人たちだった。それと似ているのが慶應義塾高校卒の人だ。Mが「そんなもの、何の価値があるんだ」と言った時に同調したのが慶應義塾高校卒の男だった。私は大学という所はプッチーニのオペラ『トスカ』とかそういったものについて議論する所だと思い込んでいたが、開成高校卒の人間と慶應義塾高校卒の人間はその逆と考えていた。開成高校卒の人間と慶應義塾高校卒の人間とはプッチーニのオペラ『トスカ』などについて「そんなもの、何の価値があるんだ」と考えているという点で共通しているが、違うところは開成高校卒の男は「大学入試に出ないから価値がない」と考えているのに対して、慶應義塾高校卒の男はそうではなくて「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と教え込まれているという点だ。「そんなものは受験勉強だ」とか言われても、プッチーニのオペラ『トスカ』なんて大学入試に出ないけどね。大学入試に出ないものでも大学入試にない科目でも慶應義塾高校卒の人間にとっては「受験勉強なんだ。そんなものは」ということになる。彼らは自分たちが知らないもの・自分たちがわからないものはすべて「受験勉強だ」として、そして信念もって「害があるんだ」とする。なんか、この人たち、かわいそうな教育うけてきてるなあ・・と思ったが、そういう人たちが慶應では「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」と言うのだ。関わるとビョーキ移りそうなやつが。実際、慶應大学では大学から入った人には内部進学の人間と関わると「悪影響うける」から関わりたくないという人が少なからずいるのだが、その「悪影響うける」から関わりたくないと思われている人間が「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」と嫌がる相手に「教育」しようとするのだった。そういう「大学」だった( 一一)
※ YouTube-Puccini: Tosca - "E lucevan le stelle" (Live) https://www.youtube.com/watch?v=UuQdEyz6b6w

   私はうちの下の姉を離婚させた人間らしいのだ。どういうことかというと、私が中学校2年の時に、下の姉が「お見合い」をして、一時、その人と結婚すると返事をしたのだったが、そのうち、嫌だと言い出した。うちの父親が「おまえ、相手は関西大学経済学部やぞお。おまえは短大しか出てないだろうが。どっちが上かあ、下かあ」と言うのを聞いて、その時から経済学部というのが絶対的に徹底的に嫌いになった。特にある程度以上の評価を世間でされているらしい大学の経済学部(及び商学部・経営学部)が嫌いになった。もともと経済学部は嫌いだったが、そういう所に行かされるくらいなら大学になんか行かない方がいいと思うようになった。特に、慶應タイプの近代経済学部は嫌いになったが、逆にそういうのが好きな人というのも世の中にはいるようだった。近づくとジンマシンが出てきそうな人が。
   それで、うちの父親が中学校2年だった私に「あんたはどう思うかあ」と言うので、「本人が嫌だと言うのならだめでしょう」と言ったのだ。すると、うちの父親は「そやけど、相手は関西大学、A子は短大やでえ。相手の方が上やでえ」と言うので、「上か下かなんか関係ありません。上でも下でも本人が嫌だというものはだめです」と言ったのだ。うちの父親は「そうかあ」と言うものの、「そやけども、いったん、その人と結婚しますと返事したんやでえ」と言うのだった。それはたしかにそうだ。いったん、その相手と結婚したいと返事をしたからには、そう返事をして進めかけたという点には責任がある。だから、断るのならきっちりと頭を下げて謝って断らないといけない。私は「本人が嫌だと言っているというのは、それは、はっきりと断りたいということなのか、それとも、嫌な部分があるということで、はっきりと断りたいということではないのか、どちらなのですか」と言ったのだ。「それが、どっちなのか、はっきりと言いよれへんねん」とうちの父親は言うのだった。それで、「それなら、どっちなのか、きけばどうですか。断ってほしいのか、それとも、嫌な部分があるけれども結婚自体は断りたくないのか、そこをはっきりときけばどうですか」とそう言ったのだった。しかし、後から考えてみると、うちの父親は「それが、はっきりとどっちか言いよれへんねん」と私に言ったのだが、うちの下の姉ははっきりと嫌だと言っていたのではないかと思う。うちの父親が「いったい、どこが嫌やねん?」と下の姉に言ったのに対して、下の姉は「顔が嫌や」と言ったのを聞いている。「顔が嫌や」とは言葉だけ聞いていると、おまえ、何様やねん、おまえはそんなに美人か・・と言いたくなるが、そうではなくて、それは「顔を見るのもいや」という意味だろう・・と思う。そうなったら、もうだめだと思うのだ。その相手の人にはその人にはその人に合う人がいるのではないかと思う。男女の関係は「上かあ、下かあ」と考えるべきものではなく、そうではなくて合うかどうかの問題だ。あんな女、どこがいいんだと思ってもその男にはいいのかもしれないし、逆もそうだと思う。だから、本人が嫌だと言うならだめなのだろう。その人がだめな人であるのかないのかという問題でもないと思う。しかし、軍隊的「上かあ、下かあ」思考しかできないおっさん症候群は理解しなかった。
  おっさんは「無理矢理やるとええと思うねんけど、そう思えへんか」と言うので「思えへん」と言ったのだ。「本人が嫌だというものを無理矢理結婚させるなんてことは絶対にしてはいけません」と私は言ったのだが、それでも「そうかあ。無理矢理やるとええと思うんやけどな。思えへんか、無理矢理やるとええと、無理矢理むりやり無理矢理むりやり」と言うので「思いません。本人が嫌だと思うものを無理矢理やるというようなことは絶対にだめです」と言ったのだった。しかし、この時点では私は、このおっさん何を言うとんねん・・とは思ったが、私がはっきりと「だめです。無理矢理やるなんてことはしてはいけません」と言ったことで、これだけ言ったからには本人が嫌だということを無理矢理やるなどということはだめだとわかっただろう・・と思い込んでしまったのだった・・が、甘かった。その程度で理解するような人ではなかった。あのおっさんは「無理矢理やるとええと思うねん、無理矢理むりやり無理矢理むりやり」というのに信念もっている男だった。 まさに「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさんやった。「お願い、そこだけはやめて」とか「かんにん。それだけは許して」なんて言おうものなら、ま~すますやりたくなってくる、ま~すますさせたくなってくる、というそういう男だった( 一一) そして、「無理矢理やるとええと思うねんけど、無理矢理やるとええと思えへんか」と言ったのは私にだけで私が「だめです。本人が嫌だと言っているものを無理矢理やるなんてことは絶対にしてはいけません」とはっきりときっちりと言ったからには理解しただろうと思い込んだが、それは考えが甘すぎた。おっさんがそういうことを言う相手は私だけではなく、ひとによっては、このおっさんは「そうです、そうです。そういうのは無理矢理されるのがよろしいでしょ。甘ったれるなあ言うてやりなはれ」とか言ってやれば喜ぶ人間だと見抜くと、そういうことを言って喜ばせてやろうとする人というのが世の中にはいたのだ。けっこういっぱい。「無理矢理やるのが好きなタイプ」のおっさんには「そりぁ、無理矢理やらはったらよろしいねん」とか何とか言って喜ばせてやろうとするクズども症候群が寄ってくるのだ。そのあたりに気づかなかったという点で中学校2年の時の私は認識が甘かった。

  しかし、それでも中学校2年の弟は姉を守ろうと頑張ったのだ。「だめです。本人が嫌だと言っているものは、上でも下でもだめです」と何度も言ったのだ。「上かあ、下かあ」しか考えられない軍隊的序列主義志向のおっさんに。その時から私は関西なら関関同立、東京なら早慶上智以上の私立大学、及び国立大学の経済学部というものが絶対的に嫌いになった。首をもがれても近代経済学部にだけは行かされたくないと思うようになった。特に「慶應の経済」と「神戸の経済」が一番嫌いだった。
  私は「どっちがはっきり言わないのなら、どっちなのかはっきりしろと言ったらどうですか」と言い、そして、「もしも、どうしても、どちらなのか決められないというのなら、とりあえず、結婚は少し待ってください、延期してくださいと言ったらどうですか」と言ったのだ。そうすると、うちの父親は「そんなん、待ってもらえるやろか」と言うので、「もし、待ってもらえないということならば、『申し訳ありませんが、このお話はなかったことにさせてください』と言うしかありませんね」と言ったのだ。すると、うちの父親は「そんなん、今さら断れるやろうか」と言うので、「ですから、ここまで来てお断りするのですから、だから、頭を下げて『申し訳ございませんが』と言ってお断りするしかありませんね」と言ったのだ。ここまでかんで含めるように言えば、父親ならわかると思い込んでしまった。それが間違っていた。
  私が「本人がはっきりと断ってほしいのか、それとも気に入らない部分があるけれども、はっきりと断りたいというのか判断つかないなら、とりあえず結婚は延期してもらうようにお願いしたらどうですか」と言ったことから、うちの父親が言いに行ったのか母親が言いに行ったのかどちらかわからないがそう言いに行ったらしいのだ。しかし、それに対して「そんなん、もう会社の人にも、何月何日に結婚式をあげますと言ってありますのに、今になって延期なんて言ったら女はともかく男の人は出世にさしつかえますからできません」と言われたというのだ。それならば「それなら、誠に申し訳ありませんが、このお話はなかったことにしていただきたい」と頭を下げて言うべきだと中学校2年の時の私はうちの父親に教えたはずだったのだ・・が、うちの父親は言えない男だった。「そうでんな~あ」と言って帰ってきたみたいだった。そういう人だった。
  そして、帰ってきて姉に言うのだった。「ええかげんにせえよ。A子。なんで、わしがこんなことでわずらわせれなければならんのじゃああ~あ。ぐああああ~あ」と。なんだ、このおっさんは。父親ならば、娘のために、そういう時にこそ頑張るものではないのか。それができなくて父親と言えるか・・と思ったが、そういう人だったのだ。「そんなこと言わないで」と私が言おうとしたまさにその時、下の姉が「ええねん、もうええねん。私が犠牲になったんねん。あんな男とでも結婚して私が犠牲になったんねん」とそうヤケクソみたいに言いよったのだ。それで、「そんなこと言わないで」と言おうとした私は、私がせっかく姉を守ろうと必死になってるのにそんなヤケクソみたいなこと言うのなら、それなら勝手にしろ・・と思ってしまったのが悪かった。それでヤケクソみたいに結婚して、そして新婚旅行から帰ってくるとすぐに離婚した。私が悪いそうだった。
  なんで、私のせいやねん・・と最初は思ったのだが、理由があった。「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれと言われたから、だから、あんな男とでも結婚して犠牲になったろと思ったから結婚に失敗したんや」と姉は言うのだった。私は「犠牲になってくれ」なんて一言も言ってないし、私が「高校に行くまでに結婚決めてくれ」なんて一言として言ったことなんかない。それでも、私が悪いそうだった。
  最近は30くらいになっても「まだ、若いんでえ」とか言ってる女性がけっこういるが、その頃はそうではなかった。「女はクリスマスケーキ」と言った時代であり、「クリスマスケーキ」というのは「24」までは売れやすいが「25」になると途端に売れにくくなる・・というのが「クリスマスケーキ」であり、私が高校1年になってすぐに下の姉は25の誕生日を迎えるので、それでうちの母だったのかうちの父親だったのかが「〇〇が高校に行くまでに(24のうちに)結婚決めてくれ」と下の姉に言ったらしいのだ。そのために「あんな男とでも結婚して犠牲になったろか」と思って結婚に失敗したそうで、だから、私が悪いそうだった。
  うちの父親から何度も何度も言われた。「おまえが悪いねんぞ。ひとのせいにしてはならんぞ、このチャンコロ!」と。「おまえが産まれてきさえしなかったら、わしい~いのようなエッライえっらいエッライえっらい特別に特別にえらいお父さんの娘であるA子さんが離婚するというようなことは、これは天地がひっくり返っても絶対にないことやったんや。そやのにからに離婚したということは、おまえのせいやちゅうこっちゃ。ひとのせいにすんなあ、このチャンコロろすけイタコ浪商!!!」と私の眼を指で突き刺すようにして、毎日毎日おっしゃるのだった。
  「この世にめったにいないすんばらしいものすごいものすごいエッライえっらいエッライえっらい特別にえらいドイツ人で慶應のお父さん」にとっては、そこまでものすごいエライお父さんの娘が離婚したということは、これは絶対に許せないことだったようだ。なにしろ、慶應だから。・・慶應という学校は大学だけ慶應に行った人の中にはそれほど慶應慶應していない人というのも中にはいるようだが、逆に小学校も中学校も高校も大学も大学院も慶應には行っていないのだけれども人格が慶應という人がけっこういる学校で、うちの父親も小学校も中学校も高校も大学も大学院も慶應には行っていない人だったが人格が慶應だった。いかにも慶應て感じのおっさんやった。
  「この世にめったにいないすんばらしいものすごいものすごいエッライえっらいエッライえっらい特別にえらいお父さん」というのは誰がうちの父親に言ったのかというと、そういうことを言うとこのアホは喜ぶと思うとそういうことを言って喜ばせてやろうとする人というのが何人も寄ってくるみたいだったが、中でも強烈だったのがうちの父親の「親友」で医者屋の女川という男(1980年頃当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だがおそらく嘘だろう)と北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。要するに、うちの下の姉と同年齢。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当科目「国語」)の2名だった。「あなたのお父さんほど、もんのすごいすばらしいお父さんはなかなかないわよ」と旧姓作野礼子さんはおっしゃるのだった。「あなたのお父さんみたいなものすごいすばらしいお父さんがいたら私だったらうれしいわよ」と言われるのだった。「私は両親が離婚したんだからねえ」「私は父親がいなかったんだからねえ」とおっしゃるのだった。だから、私が悪いそうだった。「おまえが悪いねんぞお、わしのような、もんのすごいエッライえっらいエッライえっらい神さまでキリストでメサイヤでゴータマシッダールタで孔子で孟子のお父さんの娘であるA子さんが離婚するというようなことは、これは天地が何度もひっくり返っても絶対にありえないことであるにもかかわらず離婚したっ・・てことは、おまえのせいやっちゅうこっちゃ。ひとのせいにすんな、このチャンコロ浪商、イタコろすけっ!!! 産まれてこなかったらよかったのに産まれてきおってからに、この浪商ろすけっ!!!」と。どうも、私の名前は戸籍上の名前は「俗名」で「チャンコロ」とか「浪商ろすけ」とかいうのが私の本名らしいのだ。
その「もんのすごいエッライえっらいエッライえっらい神さまでキリストでメサイヤでゴータマシッダールタで孔子で孟子のお父さん」という表現は誰が言ったかというとうちの父親の「親友」で医者屋で新興宗教「女川教(めがわきょう)」の教祖の女川という男が言った文句だ。その女川とどうやって知り合って「親友」になったかというと、大阪市北区に北野病院という不良病院があるが、そこの田附(たづけ)という院長だか副院長だかに紹介されて「親友」になったようだ。その「神さまである女川(めがわ)先生」がおっしゃったのだ。「お父さんのような孔子で孟子で聖徳太子でキリストでメサイヤでゴータマシッダールタで聖人で英雄で人格者でスーパーマンのような方は絶対に失敗されることはありえない」と。「そやのにからに失敗されることがあるっということは、こいつ(私)が悪いということや」と。「専門家の先生がおっしゃることや。絶対に間違いあらへん。悪いのんは、みんな、おまえや」と、そういうことになったのだ。
  「おまえさえ産まれてこなかったらA子さんに『〇〇が高校に行くまでに結婚きめてくれ』とは言わなかってんでえ。おまえが産まれてきたから、そやからA子さんに『〇〇が高校に行くまでに結婚きめてくれ』と言って、そのためにA子さんは離婚したんやでえ。そやから、すべて悪いのんはおまえやねんでえ。わかってますのんか~あ」とその「ドイツ人で慶應のお父さん」はおっしゃるのだった。「謝らんか、このチャンコロろすけっ! 『A子さんを離婚させて申し訳ございませんでした』と謝らんかあ、このチャンコロ~お」と「ドイツ人で慶應」はおっしゃるのだった。それで言ったのだ。「申し訳ございませんでした」と。
  「もっともっと何回も何回も『申し訳ございませんでした』と言わんかあ」とおっしゃるので言ったのだ。「申し訳ございませんでした。申し訳ございませんでした。申し訳ございませんでした」と。「ごめんなさいと言わんかあ」とおっしゃるので言ったのだ。「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」と。「こいつめえ、野口くんさえ産まれていたらA子さんは離婚しなかったのに、おまえが産まれたからA子さんは離婚してんでえ。わかってますのんかあ。『野口くんが生まれたらよかったのに、産まれなかったらよかったのに産まれてきた私が生まれて申し訳ございませんでした』と言いなさい」とおっしゃるので言ったのだ。「野口くんが産まれてきたらよかったのに、産まれてこなかったらよかった私が産まれてきて申し訳ございませんでした」と。「野口くん」というのは私と小学校・中学校が同じ学校で高校も同じ北野高校に行った人間で同じクラスになったことも何度かあった男で、こいつ、嫌なやつやなあ・・て男だった。その「こいつ、嫌なやつやなあ」という男がうちの父親は大好きだったのだだった。
  で、うちの下の姉が離婚したというのが、なんで中学校2年の弟のせいになるのか、なんかようわからんかったが、ともかく「えっらいエッライえっらいエッライもんのすごえらいお父さん」と女川先生と作野先生がおっしゃるから間違いないものすごいエライお父さんは「わしは悪いということは絶対にありえない人間やねん。専門家の先生がおっしゃってることやねん」ということなので、だから、他に「悪いやつ」がいるわけで、それが私らしかった。「よくも産まれやがったな、このチャンコロろすけイタコ浪商めがこのチャンコロ浪商!」ということらしかった。私が産まれなかったら「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれ」とは言わなかったからA子さんは結婚に失敗することはなかったにもかかわらず、私が産まれてきたために「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれ」と言ったがためにA子さんが離婚することになった、「野口くん」さえ産まれていたらそうは言わなかったのに私が産まれたから「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれ」と言ったのであって、だから、悪いのんはすべて私らしかった。
  中学校2年の弟は姉を守ろうと一生懸命頑張ったのだけれども、その弟がすべて悪いそうだった。「専門家の言うこと」だそうだった。
・・ちなみにその「北野高校の先生という普通ではない特別にえらい先生やねんでえ」という旧姓作野礼子先生は、しばらくして、大阪府の無名の高校に転任になり、「北野高校の先生という特別にえらい先生」から「無名校の先生という普通の先生」に格下げになった。
  「何でもおまえのせいやのにからに、それを『なんで、それが私のせいなんですかあ』とおまえみたいなこと言うやつのことを心理学では外罰的性格と言うねんぞ」と「エッライえっらいものごっついエライおとうさん」はおっしゃるのだったが、私は心理学に「外罰的性格」という概念があることは知っていたが、それは父親がしっかりせんから娘が結婚するかしないかの時に父親としての対応ができずに離婚することに至ったにもかかわらず、中学校2年の弟のせいにするような男のことを言うのだろうと思い込んでいたら、そうではなくて、「心理学」によると、「おまえのせいやっちゅうこっちゃ」と言われて「なんで、それが私のせいなんですかあ」と言うと、「なんで、それが私のせいになるんですかあ」と言う者が「外罰的性格」と「診断」されるらしかった。「心理学」とはそういうものだったようだ。

  もっとも、私がうちの姉の10歳程度年下に弟ではなくて、10歳程度年上の兄だったら、私に10歳程度年上の姉がいたのではなく10歳程度年下の妹がいたならば、それならば、妹のためにもっと力になってあげることができたと思う。私が20代の後半の後半か30代の前半の前半くらいの時(内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦くらいの年齢の時)に20歳すぎくらいの妹がいたならば、ええかっこしいはできても断りに行ってくださいと言っても「そんなもん、できるかあ」と言ってできない、お断りしたいというために1ミリとして頭を下げることができない男のかわりに〔うちの父親の勤め先の社長は「わしが頭を下げたらそれで解決するのなら、いくらでも頭さげたるでえ」と言って頭を下げたらしい。会社という所に勤めて仕事をすると、こちら側に非があって「あちゃ~、こりぁ相手が怒るのももっともや。困ったなあ」という時があったりするが、謝っても「おまえに謝られてもどうもならん。社長に顔ださせて頭さげて謝らせろ」とでも言う人があったとすると、うちの父親の勤め先の社長は「そうか。わしが頭さげて謝ったらええのか」と顔を出して頭さげて謝ったらしく、「もし、わしが頭さげたらそれで解決するならいくらでも頭さげたる」とそう言ったというのだ。それを聞いて「さすがは社長やなあ」とうちの父親は言っていたが、「さすがは社長やなあ」と言って感心しても自分はそれができない人だった〕、兄として行って頭を下げて断ってきてあげただろう。中学校2年の弟にはそれができなかったが,20代後半の後半か30代の前半の前半の私ならできた。だから、私が悪いのかどうかわからんが、もしも、私がうちの姉の10歳程度年下の弟ではなくて10歳程度年上の兄だったならば、私が父親のかわりをしてあげることができた・・と思う。うちのお姉さんは2人とも「弟なんか要らんかった。お兄ちゃんが欲しかった」と言いまくっていたが、結婚する時のことを考えると女性にとってはある程度歳の離れた弟がいるのが一番都合がいいはずだった。うちのお姉さんはお見合いする際にも常に「弟さんがおられるから養子さんをもらう必要はありませんね」と即座に言われたものだった。「弟がいる」というのはそういうメリットがある。もしも、弟ではなくてお兄ちゃんがいたならば、お兄ちゃんが先に結婚してしまうと、お嫁さんが一緒に家に住むとなると妹には「出ていってちょうだい」ということになる可能性があるが、ある程度歳の離れた弟ならそういうことはない。そして、私が中学校3年の時にうちの上の姉に娘が産まれると、「ちょっとこの子、抱いていてちょうだい」と言って私の膝の上に赤ん坊を載せてその間に上の姉は自分の用事をしたものだった。子供が生まれた時には中学生の弟がいるというのが一番便利だったはずだ。小学生だと世話させて大丈夫かどうか不安だ。特に小学生の女の子なんていると、赤ん坊というのは小学生の女の子にとっては「最高のお人形さん」であり、なおかつ小学生はまだ力が強くないからお人形さんなら持てなくなって落としてもお人形さんは怪我しないが、赤ん坊は落とすと大変だ。お人形さんと赤ん坊は一見似ているように見えるが、お人形さんは小学校に行くか行かないかくらいの女の子にでも持てるくらいの重さに軽く作られていることが多いのに対して赤ん坊はそうではなくて小学生くらいの女の子が持つには重いのだ。女の子が2人いたりすると、上の方の子は大きいから大丈夫だろうと思って上の方の子に抱かせて下の子にはあんたはまだ小さいからだめですと言うと、これが危ない。下の方の子は「なんで、私にはお人形さんを抱かせてくれないの」と不満をもち、誰もいない時に、こそお~っと抱いてやろう・・と考えたりすることがある。こそお~っと抱いてみると思いのほか重かった・・落とすとごろんごろんごろんと転がっていって・・・とかなりかねない・・というのか、実際、私が産まれた時に上の姉は小学校5年で下の姉は小学校3年で、5年生の子は大丈夫だろうけれども3年生の子に抱かせるのは危ないとうちの親は思って5年生の子には抱かせても3年生の子には抱かせなかったらしく、その3年生の子の方はそれを不満に思い、誰もいない時にこそお~っと抱いてみた・・ところ、思いのほか重かったことからどすんと落とすとごろんごろんと転がっていって和室の和机の脚に頭ぶつけて「びえええ~えん」と泣きよった・・そうだ。本人、その時はばれんようにしたものの、後から不安になって正直に話してくれたが、それで私の頭の左後ろの方にぺったんこの部分があったのがなぜかわかった。だから、その時はその程度ですんでまだ良かったが、小学生の女の子2人がいると、上の方の子はだいぶん大きいから大丈夫だろうなんて思って上の方の子にだけ抱かせると下の方の子がひとがいない時にこそおっと抱いて落としよる可能性があるから危ない。女の子が2人いる場合は下の方の子が赤ん坊を持つには小さい場合は上の方の子にも持たせない方が無難だ。そうでなくても、赤ん坊が生まれた時に小学生の女の子がいるというのは危ない。小学生の女の子にとっては赤ん坊というのは「最高のお人形さん」だから、抱きたいと思って抱いて持ち切れずに落としよる可能性が十分あって危ないのだ。その点、一番、安全安心なのが中学生の弟なのだ。まず、落とさないから。だから、うちのお姉さんにとっては10歳程度年下の弟はけっこう役に立ったところがあったと思ったのだが、「弟なんか要らんかった。お兄ちゃんが欲しかった」とか2人よって言いまくりよるのだった、勝手なこと言いやがってと思わないこともないが・・・、しかし、中学生の弟は父親が「無理矢理やるとええと思うねんけど、そう思えへんか。無理矢理むりやり無理矢理」と言いよった時には必死で頑張って「あかん。絶対にあかん。本人が嫌だというものを無理矢理結婚させるなんてことは絶対にしてはいかん。絶対にあかん」と言ったけれども、父親の代りになってなこうどさんの所と相手の人の所に行って「誠に申し訳ございませんが」と頭を下げに行くということは20代の後半の後半か30代の前半の前半の兄(内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦くらいの年齢の兄)であったらできたが、又、20代の後半の後半か30代の前半の前半の私だったらなこうどさんと相手の人の所にお断りに行って「そんなこと、今さら言われても困ります」と言われたなら、うちの父親みたいに「そうでんな~あ」などと言って帰ってくるようなことはせず、「たしかにその点については誠に申し訳ないと思います」と言って深々と頭を下げた上で、この話はなかったことにさせてくださいと話してきただろうけれども〔ここは頭を下げなきゃいかんところだと思えばさげるべきだと判断して下げるだろう、決して「なんでわしがそんなもん、させられんといかんのじゃああああ」などと言って叫ぶなどというどこかの父親みたいなことはしない、それをできてこそ父親であり兄ではないか。それができなくて何が「お父さん」じゃ、何が。何が「この世でめったにお目にかかることがないえらいえらいえらいえらいものごっついえらいお父さん」じゃ、何が。〕、中学生にはできなかった。
   遠藤周作『哀歌』(講談社文庫)という短編集に収録されていた『私のもの』という小説に遠藤周作自身とかなり経歴が重なるがそのままではない話が掲載されていた。満州の大連で暮らしていたが、両親が離婚することになり、妹とともに日本に帰ってきて母の妹の嫁ぎ先の神戸の医者の家に居候することになった。そこはけっこう裕福な家だったが、妹の姉が子供を2人も連れて転がり込んだことを喜ばなかった。毎夜、母は夫の悪口を言い続けた。その母が亡くなって父に引き取られた。その父が言った。「お父さんは結婚に失敗した。だから、おまえには結婚に失敗しないように、間違いのない娘を俺が選んでやる」と。それだけは何がなんでも受け入れられなかった。毎夜、泣きながら父の悪口を言う母の姿は醜かったが、もしも、父がいいというような女と父の言うように結婚したならば、その醜かった母の姿をさらにみじめにしてしまう、と思うと、いくらなんでも、それでは母がかわいそうすぎると思えた。だから、どんな女性でもいいからともかく父がいいという女性でない女性と結婚しようと考えた・・・という話だった・・が、私も中学校2年の時にうちの姉がいったんその人と結婚すると言ったものの、やっぱり嫌だと言い出して、その際にうちの父親が「ええかげんにせえよお。おまえは短大しか出ておらんんじゃないか。相手は関西大学経済学部やぞお。どっちが上かあ、下かあ」と言うのを横で聞いていて、それ以来、大学の経済学部というものが嫌いになり、大学に進学するにしても経済学部(および商学部・経営学部)だけは首をもがれても絶対に行かされたくないと思うようになったし、特に関西なら関関同立以上、東京なら早慶以上の私立大学もしくは国立大学の経済学部(および商学部・経営学部)には首をもがれても行かされてなるものかあ・・と思うようになったし、そんな所に行ったのでは姉に対する裏切り行為だと思った。中でも「神戸の経済」と「慶應の経済」がうちの父親は大好きで、逆に私は「神戸の経済」と「慶應の経済」が何より嫌い、そういう所に行っている人間・卒業した人間が近づくとジンマシンが出た。吐き気がした。
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  まだ憶えている。大連から母とカラス兄妹をのせた船は門司にむかっていた。・・・
・・・丸窓のむこう、風の吹く黒い海をみながらカラスは大連に残した父のことと黒い滿洲犬のことを考えた。母と父が決定的に別れたということは誰にきかされなくてもカラスにははっきりわかっている。彼と妹とは父親もやがて内地へ戻るのだと母から説明されていたが、その時の彼女の眼の動きでカラスは母がうそをついていることをすぐ知った。・・・
  ・・・・(略)・・・・
  その時、勝呂は二十八歳だった。中学四年の時、母が死んでから彼は妹と父の家に戻った。そうするより仕方がなかったのである。
「お前の結婚相手は、父さんが見つけてやる」
父は平生から口癖のように言った。
「父さんは結婚に失敗したからな。若いうちは女を見る眼がないもんだ。」
  勝呂はそんな時の満足そうな父親の顔と無神経な言葉が不愉快だった。それは自分の結婚相手を他人から左右されたくないという反撥心と共に、死んだ母を蔑むような父の言いかたのためだった。
彼は御影(みかげ)の叔父の家で毎夜毎夜、夫の悪口を言い、愚痴を叔父や叔母にこぼしていた母のみにくい泣顔を思いだした。あの泣顔はきたなかった。しかし、それにしても彼にとって、そのみにくい泣顔の女は母だった。父の気に入りそうな娘と結婚することは、それだけで死んだ母のあの泣顔をさらに孤独にするように思われるのだ。
  死んだ母の話は父の家に来て以来、勝呂兄妹はほとんど口に出さぬ。いつかこの家では、母が二人の兄妹に存在しなかったように生活が流れていく。アルバムから黄いばんだ母の写真は剝がされてしまうように、彼女が生きていたことさえ皆から無視されている。勝呂はそういう生活に妥協しながら、そんな自分がたまらなく不快だった。 
  ・・・(略)・・・
  次から次へと父が知人からもらってくる写真を勝呂は口実をつけて断った。たった一度だけ・・・ 
( 遠藤周作『私のもの』〔遠藤周作『哀歌』1972.8.15.講談社文庫 所収〕1963年、遠藤周作が40歳の年の作品。) 
哀歌 (講談社文芸文庫) - 遠藤周作
哀歌 (講談社文芸文庫) - 遠藤周作
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  うちの父親みたいな父親というのは世の中にいるようだった。違うところは、遠藤周作の父親は「お前の結婚相手は、父さんが見つけてやる」と言ってお見合いする相手を次々と父親が捜してきたのに対して、うちの父親はそうではなくて「あんたの結婚相手はわしと女川先生(うちの父親の親友で医者屋で新興宗教 女川教(めがわきょう)の教祖)とで決めたるわあ」とおっしゃるのだった。うちの下の姉は「何、言うてんのん。あの人にあんたの結婚相手なんか探してくる力なんかあるわけないでしょうが」と言うのだが、下の姉はとんちんかんなことを言っていた。うちの父親は私の結婚相手にいいと思う女性を見つけてくるなどとはまったく言っていないし、そんなことまったく考えていなかった。そうではなくて、「わしいと女川先生がお好みあそばす女を、とりあえず十人ほど用意せえ。とりあえず十人ほど用意してわしと女川先生の所に連れてこ~い。つきあってから連れてくるのと違うねんぞ。つきあう前に『この女とつきあってはどうでしょうか』と連れてくるねんぞ。思いあがったらならんぞチャンコロろすけ! チャンコロろすけが決めたらいかんねんぞ、チャンコロろすけ! どういう女とつきあうかはわしとか女川先生とかいった、えっらいエッライえっらいエッライ人間に決めてもらわんといかんねんぞ、チャンコロろすけ! わしとか女川先生とかのドイツ人に決めてもらうものやねんぞ。わかっとんのかチャンコロろすけ! わしはドイツ人で慶應、女川先生はドイツ人で医者やぞお~お。わかっとんのかチャンコロろすけ! そやから、わしとか女川先生とかいったドイツ人で慶應の人間とかドイツ人で医者の人間とかに決めてもらえるように、とりあえず、わしと女川先生とがお好みあそばす女を十人ほど用意して連れてこ~い。そん中から、どいつがええか決めたるわあ。そん中にええのんがおらんかったら『みんな、あか~ん』言うたるから、また別の十人を連れてこ~い。そん中にもわしと女川先生とが見てええのんがおらんかったら、『みんな、あか~ん』言うたるから、また別の十人を連れてこ~い。そうやって決めるのがええ」・・と、そうおっしゃるのだった。「わしはドイツ人で慶應やねんぞお」とおっしゃるだけあって、慶應みたいなおっさんやった( 一一)  私は「要りません」「けっこうです」と言ったのだが、そうすると「つっけあがるなよ、このチャンコロろすけイタコ浪商! わかっとんのかチャンコロ! わしはドイツ人で慶應、女川先生はドイツ人で医者やねんぞお。それに対して、おまえはチャンコロで浪商! 民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! のぼせあがるなあ~あ!!!」とそうおっしゃったのだった。「誰よりも謙虚、謙虚、謙虚な人間のお父さん」と自称されるお方が、「この世で誰よりも謙虚な人間なんじゃあ~あ」とおっしゃる親友の女川先生から指導されて。父親はまだしも、その「ドイツ人で医者やねんぞお。医者というのは普通の人間とは違う超能力があって、特に女川先生のような名医になると、パっと人の顔を見ただけでその人間の将来を予測する能力がおありになるんやぞお。そういうお方に、この女と結婚してよろしいか、どうでしょうかとおうかがいをたてて決めてもらうのがええ」とうちの父親はおっしゃるのだったが、その文鮮民みたいな男、いったい何様なんだ! 
  そもそも、「つきあってから連れてくるのとは違うねんぞ。つきあう前に連れてくるねんぞ」とおっしゃるのだったが、普通に考えて、つきあっている男性と結婚する前に親と会ってくれと言われたならば女は男性の親と会うべきであろうし、逆につきあっている女性と結婚する前に親と会ってくれと言われたならば男は女性の親と会うべきであろうけれども、つきあってもいない男から「この女とつきうあっていいか父親と女川先生とに判断してもらいたいので会ってくれ」などと言われて会いに行く女なんて、いるかあ?  「なんでやの~ん」と普通は言うのではないかと思う。又、「あんたは、この女とつきあっていいかと父親と女川先生に判断してもらいたいかもしれんけれども、うちは自分がつきあうかどうかという女を自分で判断しないで父親とかよくわからん『先生』とかに判断してもらおうなんて人とつきあいたいとは思うてへんから、『この女とつきあうのがええ』言われても困るねんけどお~お」とか言われるかもしれんし。また、「女川先生て誰やの~ん?」と言わないか。「女川先生というのは、うちの父親が尊敬して『このお方がおっしゃることは、どんなことでもどんなことでも何でも何でも全部きかんといかん。このお方は教養豊富で社会経験があって人格が優れておられる神さまであって、なにしろ、息子さんは関西医大裏口入学という思考が柔軟なお方で、このお方のおっしゃることは、なんでもなんでもなんでもなんでも服従せんといかん』と言って信仰している人なんですう」なんて言ったら、「ええわあ、そんな怪しい人なんか」とならないか。私ならば、もしも、全然知らないわけではないが特につきあっているわけでもない女性から、「うちの父親と父親が信仰している医者で神さまらしい人と会ってもらえませんか」と言われたなら、父親だけなら「なんでやの~ん」と言うだけだろうけれども、ましてや「うちの父親が信仰している医者で神さまの人と会ってもらえませんか」などと言われたなら、この怪しい危なそうな女とは「つきあう」とかとしてではなく一般の人間関係としてもかかわらん方がええかもしれんな・・と思うだろう。それをやれと、うちの父親は言うのだった( 一一)「のぼせあがったらならんぞ、チャンコロろすけ! チャンコロろすけがええと思ってもあかんねんぞ、チャンコロろすけ! ドイツ人で慶應のわしいとかドイツ人で医者の女川先生とかがええと思う女と結婚するのが、それがおまえにとっての幸せというものやねんぞチャンコロろすけ! おまえがええと思うかどうかはまったく関係のないことやねんぞ、わかっとんのかわかっとんのかチャンコロろすけ!」と「ドイツ人で慶應のお父さん」とおっしゃるお方は言われるのだった。「チャンコロろすけ」としましてはあ、「それなら、結婚なんかしなくていいです」と言ったのだが、そうすると「ドイツ人で慶應のお方」は「そうか。そしたら、結婚せんでもええ」とそうおっしゃった。「何と言うても、わしは女川先生と一緒で、もんのすごい寛容でもんのすごい人格者なもんやからなあ。あんたが結婚はしたくないと言うのなら、理解してやらんことないでえ~え。そんなら結婚すんなチャンコロろすけ!」とそうおっしゃるのだった。 「無理矢理やるのがええと思うねん、無理矢理」と言って、本人が嫌だと言う相手と結婚させて、それで下の姉はうまくいかなかったという経験をしたのだから、本人が嫌だと言う相手と結婚させてもうまくいかないとうちの父親も学んだかと思ったのだが、甘かった。その程度で「無理矢理やるのがええねん。無理矢理、むりやり、無理矢理、むりやり」という「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさんにその思考を改めさせるいことができると思ったのは甘すぎた。 遠藤周作『わたしのもの』に出てくる勝呂のお父さんのような父親というのはいるものだが、うちの父親は『わたしのもの』に出てくる勝呂の父親よりもそういう傾向がずっとパワーアップされた父親だった。それだけではなく、そういう人に「そうするべきです」と言って喜ばせる女川みたいな人間、うちの父親のそういう傾向をさらにパワーアップさせる男を紹介する大阪市北区の扇町あたりにある北野病院という怪しい病院の院長だか副院長だかの田附(たづけ)という男がいた。「無理矢理やるのがええねん、無理矢理、むりやり」と言いまくる「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさんには、「ぜひともそうされるのがよろしい」と言ってよりそういう傾向を強めさせようとする人間が寄ってくるのだった。うちの父親が「何であれ、本人が嫌やあ・納得いかんと言うものを無理矢理させてもうまくいくわけないんや」と言ったことが一度、あった。「え? この人がそんなこと言うの?」と驚いたのだったが、それに続いて「そやから、おまえはどんなに納得できんもんでも納得せんといかんいうこっちゃ♪ 納得いか~んなんて絶対に思うたらいかんねんぞ。おまえはどんなに納得いかんもんでも、無理にでも納得せんとあかんと、そういうこっちゃ♪」とそうおっしゃるのだった。なんか最初の一言は「何であれ、本人が嫌やあ・納得いかんと言うものを無理矢理させてもうまくいくわけないんや」だから、この人もまともな考え方をするのかと一瞬思ったが違った。そうではなくて、結論は「そやから、おまえはどんなに納得できんもんでも無理にでも納得せんといかんいうこっちゃ♪ どんなに納得いかんもんでも納得いか~んなんて絶対に思うたらいかんねんぞ」という結論に持っておいきになるのだった( 一一) 「無理矢理やるのが好きなタイプ」「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさんというのはそういうものだった。そういう人はそういうお店にでも行って「無理矢理」やってきてもらった方がこちらは助かるのだが、そうもいかないみたいだった(泣)
  何十年か経って別の問題に気づいた。「わしいと女川先生がお好みあそばす女を十人ほど用意して連れてこ~い」とおっしゃったのだったが、もしも、本当に「わしいと女川先生がお好みあそばす女を十人ほど」連れてきたとしたならば、それなら、何もそこから私の嫁を選ばなくても、「わしい」か「女川先生」かのメカケを選べばいいことと違うのか。そう思わないか? 別に何も「わしいと女川先生のお好みあそばす女」の中から私の嫁を選ばなくても、元々、《「わしい」と「女川先生」がお好みあそばす女》を選んだのだから、そこから選ぶのは「わしい」か「女川先生」のメカケを選ぶのがふさわしいのではないのか。さらに、そもそも、なんで私は「わしいと女川先生がお好みあそばす女」などというものを「十人ほど」用意させられなければならないんだ。アホか・・・と思いませんか。
  遠藤周作の『私のもの』が収録されている短編集『哀歌』は私が北野高校の1年だった時に読んだ。1970年代後半、大学入試の「現代国語」で「よく出る文学者」は文学・小説部門で森鴎外、評論部門で小林秀雄と言われていて、教学社から出ていた大学別過去問シリーズの「東大文科」の「各科目学習法」の「国語」では「読んでおくべき作家」として田中美知太郎と埴谷雄高と出ていたが〔もっとも、そう言われていたので、私はそういう作家の本を読まなきゃならんのかと思って相当頑張ってけっこう読んだけれども、私が受けた国立大学・私立大学のどの学部の試験においても、共通一次試験においても「現代国語」の問題において、森鴎外・小林秀雄・田中美知太郎・埴谷雄高の著書も亀井勝一郎の著書も遠藤周作の著書も、作者別ではなく作品別で「出題されるから読んでおくべき」と言われていた大野晋『日本語の文法を考える』(岩波新書)も、どこにおいても1題として出題されることはなかったが〕、1970年代なかば頃、高校入試の「国語」で頻出の文学者として亀井勝一郎と出ていたことから、中学校3年の時に亀井勝一郎の本を一冊は読んでおくべきかと思って亀井勝一郎『青春論』(角川文庫)を読んだのだが、そこに、中学校とか高校とかに進学する人には、その学校に行っている何年間かの間にひとりの作家の作品をすべて読むようにするということを勧めている、と書かれていた。又、北野高校に入学してすぐの頃、「現代国語」の担当だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。神戸大文学部卒)が「大学入試のためには問題集なんかやっても役に立ちませんから。それよりも、一人の文学者の作品を高校3年間の間にすべて読むということをするのを勧めます。これは3年になってからやろうと思ってももう遅いですから、1年の時からやらないといけません」と「現代国語」の授業の時に話したので、そうなのかと思い、それで誰の作品を読むことにしようかと考えて、「現代国語」の高校1年の教科書の最初の方に遠藤周作『聖書のなかの女性たち』より「ヴェロニカ」という作品が掲載されていて、遠藤周作というとおふざけのような文章を書く作家かと思っていたら、そうではない作品があり、また、難しいわかりにくい文章を書く作家がいるけれども遠藤周作の文章というのは大変読みやすいわかりやすい文章であり、「ひとりの作家の本をすべて読むことでその人の文章の書き方を学ぶことができる」と旧姓作野礼子にだったか他の誰かにだったか言われたことがあり、もしも、作家の文章の書き方を学ぶならば、わざとしかつめらしい文章を書くような人の書き方ではなく、遠藤周作のような読みやすいわかりやすい親しみやすい文章を身につけたいと思ったことから、遠藤周作の本を3年間かけて読むようにしようと考えて、それで読み始めたものの1冊が短編集『哀歌』で、その中の1つが『わたしのもの』だった。この「高校3年間かけて一人の作家の作品をすべて読む」というのがいいかどうかというと、その人の人格形成においてどうかという問題と大学入試において作戦としてどうかという問題とがあるのだが、後者の方としては、まるまる違うということはないがそこまでやらなくてもという面がある。YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスの担当の事務職員の藤井という男(1979年当時、50くらい?)は「こいつ、勉強してないなあ」と感じる男だったが、この男は少しでも骨のある文学・哲学の書物は読ませたくない、国民が自ら考えるようになるような書物は国民に読ませたくないと考えるファシスト人格の男だったが、こういう男は大学入試に役立つものでも読ませないようにしようとするのだったが、こいつはアホだからしかたがないとしても、また、1980年代に発行されていた早稲田経営出版だったかそういう出版社の発行の『司法試験合格のための本』だったかそういう本に「今年、司法試験に合格した人、百人にききました。司法試験に合格しない人のタイプというと、どういうものだ?  答えは7つ」とか、そういうアンケートを「今年、司法試験に合格した人」にとったところ、そこにあったものとして「あまりにもストイックな人」というのがあり、「あまりにもアカデミックな人」というのがあったのだが、これは司法試験にだけではなく大学入試においてもあてはまるのではないかと私は思ったのだが、学問好きが悪いということではないはずだが「あまりにもアカデミックな人」というのは大学入試においてかえってマイナスになってしまうことはありうることではないかと思ったのだが、しかし、あくまでも「あまりにも」であり、YMCA予備校高槻校の事務職員の藤井のように、少しでも骨があるような文学・哲学・宗教学の本は読ませてなるものか・・という姿勢だと、それが大学入試における「国語」にプラスになるか・・というと、ならないと思うのだ。というよりも、少しでも内容がある文学・哲学・宗教学の本は読んではいかん、読ませてなるものかあ・・というのでは、それでいったいどうやって「国語」の勉強すんの? となる。 いつだったか、野球解説者の張本が「最近、投手はあまり投げたらいかん、打者はバットをあまり振ってはいかんとか言う者がいるけれども、野球のピッチャーが練習でボール投げずに何やるんですか、バッターが練習でバット振らずに何やるんですか」と話していたことがあったけれども、「国語などの勉強のために、少しでも内容がある文学・哲学の本は読んではいかんと言われたあかつきには、いったいどうやって現代国語の勉強するんですか」ということになるはずだった・・が、YMCA予備校高槻校の事務職員の藤井はその程度のことすらもわからない人間だった。そういう人間が受講生相手にデマカセ・デタラメ言っていて、YMCA予備校のアルバイトの講師に来ていた京大・阪大あたりの大学院生は藤井のような三流大学卒の程度の低い事務職員から指示された内容通りに答え合わせみたいな授業をやって時間給を取得していた。京大の大学院生がそんな人に指示されて指示された通り、答え合わせみたいな授業やってるて、プライドが傷つかないか・・とも思うが、傷つかないか元からたいしたプライドはないからやっていたのか、アルバイトだからいいかげんでいいと思っていたか、YMCA予備校の講師というのはその程度の講師だった。そんな予備校の良心的でない藤井のことをうちの父親は「専門家やがな、専門家。専門家です、専門家。せ~んも~んくわぁ~あ!」と言い、私が「あんな男、専門家と違います」と言っても言ってもきかなかった。かつ、うちの母親は「『聖書』みたいなもん、あんなもん、いいことなんか何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん。『聖書』みたいなもん、あんなもん、読んではいかん。『聖書』なんか読まんでも、洗礼受けて献金はらって、あとは日曜ごとに教会に行って礼拝に出ておけば、『聖書』なんてあんなもん、読まんでもええんや、あんなも~ん。『聖書』なんか絶対に読んではいかん。ましてや、そこに書いてあることを実行しようなんてことは、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。特に若いうちに読んではいかん。たとえ、読むにしても歳いってから読んで『はあん、そんなもんか』と思えばええことであって、若いうちに読むということは絶対にしてはいかん。『聖書』なんてろくな本じゃないんだから」と日夜、伝道活動をおこない、「ぼくはクリスチャンだから」と言いまくる自称「クリスチャン」のことをうちの母親は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」などと言い、「あの人はYMCAで主事をやっているくらいだから、クリスチャンはクリスチャンでも並のクリスチャンではない。特にえらいクリスチャンのはずや」などと言っていた。その「YMCAの主事」というのはYMCA予備校の男性事務職員のうちで比較的年齢がいき、入社後の年数が長い人がもらう役職かと最初思っていたらそうではなくて、YMCA予備校の男性事務職員は全員が「主事」で、要するに、会社でもお客さんとかほかの会社の人間からいいように思ってもらうために従業員全員が「課長」だったり「部長」だったりする会社というのがあるがそれと同じ、三流大学卒の程度に低い男を京大や東大を受けて通ろうという受講生に対して箔漬けしようとして「主事」という名称をつけたというものであってYMCA予備校の男性事務職員は全員が「主事」であって「主事」だから他の職員よりもえらいとかいうことではなく、ましてや「クリスチャン」としてエライ人につけられた、たとえば、高山右近はカトリック教会から「福士」だかいう称号を受けたとか、そういったものではないのだったが、それでも、うちの母親は受講生にデマカセでデタラメ言いまくっていたYMCA予備校の「主事」と称する男性事務職員の藤井を「あの人はクリスチャンはクリスチャンでもYMCAで主事になってる人だから、クリスチャンの中でも相当にえらいクリスチャンのはずや」と「『聖書』みたいなもん、絶対に読んではいかん」「『聖書』なんかろくなこと書いてないんだから、あんなもん」「『聖書』なんか読まんでも、洗礼うけて献金はらっておいたらそれでええんや。そんで、あとは日曜ごとに教会に行って礼拝に出ておけばそれでええんや」とか日夜、言いまくっている男を「あの人はクリスチャンはクリスチャンでも相当敬虔なクリスチャンの人や」などと言っていたのだった( 一一)  疲れる親だった・・・が、世の中には反共思想のことを「キリスト教」だと思っている人がおり、反民主主義のことを民主主義だと思っている人もおり、反民主主義・体制迎合主義・権力随順主義のことを「キリスト教」だと思っている人がおり、藤井もまたその反民主主義・体制迎合主義・権力随順主義を民主主義でキリスト教だと信仰している「敬虔なクリスチャン」のひとりだったが、私はそれに気づき、けしからん男だなと思ったが、そういう男をうちの父親は「専門家やがな、専門家」と言ってきかず、うちの母親は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」と言ってきかなかったのだった。「『聖書』みたいなもん、読んではいかん」と信仰している自称「クリスチャン」にとっては「キリスト教」の洗礼を受けるという行為は、それを受けるとうちの母親みたいな人間から「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」などと評価してもらうことができて、YMCA予備校から雇ってもらえるという現世利益が得られるなんともけっこうな宗教だったみたいで、藤井にとっては献金にカネはらっても「コストと利益を比較考量して」考えれば十分に利益がコストを上回るようだった。なんとも、たいしたご利益宗教だ( 一一)  なんで、うちの親はこんななんだ・・と思ったし、そうでない親ならば大学受験ももう少しはやりやすいであろうに思ったがどうもならなかった。
  それで、「一人の文学者の作品を高校3年間をかけてすべてのものを読む」というのは、それは文学の学習としてプラスになるとしても、大学入試に合格するためとして見るならば「そこまでやらんでも」というのが私の結論で、しかも、理工系学部進学をめざすなら、たとえば京大の工学部とかに進学しようとするならば、私のように「現代国語」とかはもともと好きであって苦手ではない者は「そこまでやらんでも」理工系学部を受ける受験生の中では「現代国語」は悪くない方の成績を取れるから、そういう時間は数学・物理・化学などにまわした方が全体の点数アップにつながると思われた。逆に東大の文科一類・二類・三類に合格しようとするなら、東大の二次試験では英語と国語の比率が大きく「現代国語」でもある程度以上の得点をあげる必要があり、そして「現代国語なんかやっても差がつかない」とか言う人がいたけれどもそれは間違いで、私は結局、2浪してしまったが特に2浪目の年には「国語」特に「現代国語」の点数は飛躍的に伸びたしするのだが、東大の二次試験の「現代国語」で高得点を取ろうとするならば、「一人の作家を選んでその人の作品をすべて読む」といったことをするよりも、むしろ、過去問や模擬試験の問題など、どこを間違えたか考えて、どうすれば間違えなかったかを分析検討するという作業を徹底してやる方が効果があり、旧姓作野礼子が言った「問題集なんかやっても現代国語は大学入試には役に立ちません」というのは嘘で、学燈社から出ていた『現代国語難問をとける本』だったかを徹底してやって私は「現代国語」の点数がアップしたので「問題集なんかやっても現代国語の大学入試には役に立ちません」なんてことはない。しかし、大学進学を考えると、うちの父親は「会社のために、わしのために。会社のために、わしのために、すべてをすべてを捧げ尽くす、すべてをすべてを捧げ尽くす」と毎日叫びまくっていた男だったので、そういう親に経済学部(および商学部・経営学部)に行かされたくないならば、「国語」「社会科」の成績が良ければ、特に社会科の成績がいいと「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言われて「そこだけはいや!」という学部に無理矢理行かされることになるので、旧姓作野礼子が「現代国語」の授業中に勧めた「特定の作家を選んでその人の作品をすべて読む」といったことは、「高校の先生がやれと言うからにはやるべきなのだろう」と思ってやったが、それはやるべきではなかった。むしろ、数学・物理・化学と英語だけやって国語や社会科は手を抜くようにすれば「あなたはブンケーよ」と言われて首をもがれても行かされたくないと思っていた所に行かされずにすむ可能性があった・・が。片方で開成高校とか私立6年生受験校出身の人間は大学入試においてある程度の点数を取ったらしい人間でも、受験対策ばっかりやっていてある程度骨があるような文学作品は読んでいないことが多く、それは受験対策ではないと教えられてきたようで「そんなもの、何の価値があるんだ」と言う者が多く、他方で慶應義塾高校卒の人間は「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」とこれもそのように教えられてきたらしく、ある程度以上骨があるような文学・哲学の作品は「害がある」と観念的に教え込まれてきた人たちであり、そういった開成高校など私立6年生受験校卒の人や慶應義塾高校卒の人を見ると、「この人たち、かわいそうな教育うけてきてるなあ」という印象を受けたのだったが、それから考えると、片方で私は旧姓作野礼子さんの説と亀井勝一郎の説に従って高校3年間の間に遠藤周作の著作を多く読み、あれだけで大学の国文学科の卒論書けたのではないかと思うくらいなのだが、大学入試のためと考えるならば「あそこまでやる必要はなかった」のではないかと今になってみると思うし、旧姓作野礼子さんは大学入試について今一つわかってなかった、言ってしまうなら「しょせん、神戸大にしか合格できていなかった人」の受験論だった・・と思うが、遠藤周作の短編集『哀歌』の中の『わたしのもの』は、そういう経緯で高校1年の時に読んだ本だったが、旧姓作野礼子さんはまがりなりにも「国語」の教諭ならば、遠藤周作が『わたしのもの』などで描いている内容について理解できて良さそうにも思えたが、理解できない女だった。旧姓作野礼子さんを見ると、いったい何のための文学か・・とも思えたが、公立高校の教諭という親方日の丸の安定した休みが多いけっこうな職業を得るためのものだったか・・・。

   逆にうちの父親は私を騙して、そういう所に行かせようと画策した。北野高校の教諭はまがりなりにも高校の教諭ならば生徒のために尽力してくれていいのではないのかと思ったのだが、しかし、高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。神戸大文学部卒。担当科目「国語」)などはうちの父親に加担して「あなたはブンケー(経済学部)よ」と執拗に言って「会社のために犠牲になる」学部に私を行かせて子供の頃から同級生が遊んでいる時も只管勉強してきた私の努力をドブに捨てさせようと必死になった。
  私は中学校2年の時のことを見ていて、ともかく「会社」という所には勤めたくないと思っていた。又、小学校の1年から同級生が遊んでいる時もひたすら勉強してきたのに、なんで会社員になんかならされなければならないのかと思っていた。だから、ともかく「会社」以外の所がいいと思っていたが、ところが、うちの父親は「会社ちゅう所に勤めるのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる。専門家のおっしゃることやねんでえ」とおっしゃるのだった・・が、もしも、そうなら小此木啓吾こそ「会社ちゅうところに勤めるのを嫌がる人間」だから慶應大学医学部という「大学」という所と慶應病院という「病院」という所に勤めていた間違いなくモラトリアム人間病という病気のはずだった・・が、なぜか小此木啓吾は「病気」とは「診断」されなかった。八百長やんけ!!! その「診断」は八百長だろうが。
  特に「マーケティング」というのが嫌いだった。ただし、私は「マーケティング」というものについて誤解していたかもしれない。私が中学生の時に、うちの父親の勤め先の化粧品会社が、それまで、どちらかというとミセス中心の化粧品の会社だったのが、10代後半からハタチ過ぎくらいの女の子に買ってもらえるような化粧品を売り出そうと考えたらしいのだが、そのためのテレビコマーシャルを広告代理店、たしか、博報堂だったように思うのだが、に依頼して作ってもらったらしい。広告代理店は2種類作ったようだったが、ひとつは安西マリアという当時20歳くらいの歌謡曲の歌手を使い、バックミュージックとして安西マリアの新曲を流していた。もうひとつは、ローラー=ボーというアメリカ合衆国の白人のプロゴルファー兼グラビア女優 を使ったもので、ローラー=ボーが馬とともに両側に樹木が茂った道を歩くというもので、うちの父親はそれを気に入ったみたいで「ものすごい上品でええコマーシャルや」などと言っていたのいだったが、私はテレビでそれを見て「これは、当然、安西マリアの方でしょう」とうちの父親に言ったのだ。「10代から20代前半の女性に買ってもらおうという化粧品なんでしょ。それなら、文句なしに当然、安西マリアの方でしょう」と言ったのだが、「いや、それが安西マリアの新曲が流行らんかってん」とおっさんは言うので、「そんなもの関係ないでしょ。今一つ流行ってないならコマーシャルで何度も流して流行らせてあげればいいじゃないですか」と言ったのだったが、「いや、ローラー=ボーの方が絶対にいい」と言ってきかなかったのだ。もしも、その商品を売りたい相手が40代から50代の男性ならばローラー=ボーで悪くなかったかもしれない。しかし、10代後半から20代前半の女性に買ってもらおうと考えるのならば、「おっさん殺しのローラー=ボー」なんてだめに決まってるだろう。うちの父親は「プロゴルファーのグラビアタレント」(いわば、「東大出のAV女優」みたいなもんか)のローラー=ボーにおっさんとして魅力を感じたみたいだが、おっさんに売る商品じゃないでしょ。ローラー=ボーがいいか悪いかの問題ではなくて、10代後半から20代前半の女性に買ってもらおうと思うのならば、その年代の女性に「私もこれを使って、あんな感じにしてみようかしら」とか思ってもらえるような人を使わないといけない。そう考えるならば安西マリアはけっこう適していて、そしてローラー=ボーは問題外だ。「上品でええコマーシャルや」とおっさんは思ったかもしれないが、おっさんがどう思うかではなくて、10代後半から20代前半の女性に評価してもらえるようなコマーシャルにしないとだめだ。「おっさん殺しのローラー=ボー」なんて考えようによっては女性に反感買うかもしれないくらいだ。
  今となっては20年くらい前だが、週刊文春編集部編『女が嫌いな女』(文春新書)という本が出ていた。書店でぱらぱらと見ただけだったが、上位4位だったか5位だったかに小倉優子という名前が出ていた。今の小倉優子ではなくて二十歳くらいの時の小倉優子だ。どう書いてあったかというと、小倉優子の場合、男に好かれることは考えていても、もともと女に好かれようとは最初から考えてないはずで、小倉優子にとっては「女に嫌われる女」の上位に選ばれたとしても痛くもかゆくもないはずで、「女に嫌われる女」の上位に入賞したというのは小倉優子にとってはむしろほめられたようなものだ・・とそう書いてあったと思う。そうだと思う。それに対して、女優さんとかでも女性にも好かれることを考えてやっていた人もいたはずだし、「エビちゃん」とかいう女性モデルなんかは、むしろ、女性向けのファッション雑誌とかにで女性が見る時に評価されるようにしていて男性より女性の眼を意識していたのではないか。
女が嫌いな女 (文春新書) - 週刊文春編集部・編, 週刊文春編集部
女が嫌いな女 (文春新書) - 週刊文春編集部・編, 週刊文春編集部
それで、ローラー=ボーというのは、「プロゴルファーでモデル」と言っていたが、実質、モデルの方が本業で、「プロゴルファーで」という付加価値をつけることでモデルの本業の仕事をもらおうとしていた人であり、又、水着写真とかをおっさんが見る際に「紳士のスポーツのゴルファーなんだ」ということで「言い訳要素」として使えるようにしていた「おっさん殺しの女」「おやじ殺しの女」「中年殺しの女」だったはずで、「日本人は白人コンプレックスがあるから」というその系統の白人モデルだったはずなのだ。女性に好かれるかというと、むしろ、「女に嫌われる」方の女だったのではないか。なんで、10代後半から20代前半の女性に買ってもらおうという商品に「女に嫌われる女」を使うんだ? ・・というと、購買者の層に好かれるコマーシャルではなくて、会社の役員さんが喜ぶコマーシャルを選んでいたからだ。誰だ、そんな選び方をするのは・・というと、うちの父親だった( 一一) 
  それで、私は「マーケティング」というものが嫌いになったのだ。その商品を買ってもらおうとする人が受け入れてくれるようなコマーシャルを考えるのではなくて、その会社の常務さんが喜ぶような「おっさん殺しの女」を使ったコマーシャルを考えるようなそんな卑屈なえせ学問が「マーケティング」なんだ・・と思い、それで「マーケティング」というものが何より嫌いになったのだった。ただし、その理解が正しかったかというと、そうでもなかったかもしれない。まず、うちの父親は「マーケッティング」と小さい「ッ」を入れて中ほどにアクセントを置いて発音していたが、慶應大学の商学部の「日本産業論」という講義で助教授が「きみたち、お願いだから『マーケッティング』と小さい『ッ』を入れて中ほどにアクセントを置いて発音しないでくださいね。『マーケティング』には小さい『ッ』は入りませんからね。そして、アクセントは頭にありますから、『マーケティング』と発音してください。会社に勤めて『マーケッティング』なんて言ってたら、慶應大学の商学部の卒業生として恥ずかしいですからね」と言われたのだった。「マーケティング」が正しいのだが、その「日本産業論」の講義でうちの父親が「マーケッティング」と発音しておったのはあれは間違いなのだと知った。 しかし、難儀なのは、会社という所に勤めて「マーケティング」と言うと、「マーケティングなんて言いやがってからに腹立つなあ、おまえはあ。マーケッティングと言え!」と言って怒られるのだ。 どうも、「マーケティング」は慶應用語で「マーケッティング」が会社用語だったらしいのだ。ついでに、「会社のえらい人」というのは「バブル経済」のことを「バルブ経済」と言います。「バルブがはじけたからなあ」とおっしゃいます。「ちゃいまんがな、ちゃいまんがな。バルブやのうて、バブルでっしゃろ」なんて言うと怒りよるから言えません・・・が、だからといって「バルブ経済」とか「バルブがはじけたからなあ」とか言わされるのはなんというのか恥ずかしいというのか、言いたくないので、それで「会社ちゅうところ」では「マーケティング」と「バブル経済」という言葉は極力使わないようにしてきました。
  それで、私は「マーケティング」というものは、その会社の「えらい人」に喜んでもらうために、本来なら10代後半から20代前半くらいの女性に買ってもらいたいという商品のコマーシャルならば、その年代の女性が受け入れてくれる人を使ったものにするべきであっても、会社の「えらい人」であるおっさんが喜びそうな「おっさん殺しの女」を使ったコマーシャルを作って売り込むことだ・・・と思い込み、なんとも卑しい嫌な「学問」で精神的に卑しい嫌な仕事だなあ・・と思ったのでした・・・が、後から考えてみて、その解釈が正しいのかどうか、そうではなくて、10代後半から20代前半の女性に買ってもらおうという商品ならば、その年代の女性に好かれるような喜ばれるような人を使ったコマーシャルにするべきだ・・と考える方が「マーケティング」だったのではないのか・・・と思えないこともないのでした・・が、博報堂の担当者は、それで2種類作りよった・・のかもしれませんね。 ローラー=ボーは自分を使ってくれた会社の役員さんと一緒にゴルフのコースをまわるとか、なんというのか「枕営業の手前」みたいなこともやりよったらしいし、そうなると、おっさんはそっちに引っ張られるみたい・・( 一一)  だけれども、いったいどっちが「マーケティング」だったのか???  そういうのを見て、会社って嫌な所なんだなあ・・と思い、せっかく小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、なんで「会社」みたいなもんに勤めさせられなければならないんだ・・と思ったものでした。 いったいどっちが「マーケティング」だったのか、今もどうもよくわからない。

  少々、話がそれたところもあるかもしれないが、こういった経緯で私は日本の大学では近代経済学部というのが一番きらいだったし、そういう所に行かされるのならば大学なんか行かない方が絶対にいいと思っていた。関西の国立大学では、京大の経済学部はマルクス経済学で神戸大の経済学部は近代経済学部・・と『蛍雪時代』(旺文社)に出ていたのを見て、特に神戸大の経済学部は嫌だなと前から思っていたがなおさら思うようになったが、中には「京大の経済学部はマルクス経済学で神戸大の経済学部は近代経済学」だから神戸大の経済学部に行こうとい「おっさんみたいなやつ」というのもいた。逆にうちの父親は私が高校3年になると「京大はアカやから行ってはいか~ん」などと言い出した。
  私は近代経済学部にだけは絶対に行かされたくない、そんな所に行かされるくらいなら大学なんか行かない方が絶対にいい、とずっと思ってきたが、そういうことを考えない人もいて、むしろ、そういう「おっさん経済学部」に行きたがる人というのもいたようで、そして、私はうちの父親が私が小学生の頃から、「結婚相手みたいなもん、一流大学に行って一流企業に勤めたら、女の方から『もろてくれ』『もろてくれ』言うてきよるわ」と言っていたので、それで、私はそういう女とだけは結婚させられたくない、と小学生の時からずっと思ってきた。
  そして、中学校2年の時に、うちの下の姉がいったんその人と結婚すると返事したものの、あの人は嫌だと言い出した時に、うちの父親が「相手は関西大学経済学部やぞお。おまえは短大しか出ておらんだろうが。どっちが上かあ、下かあ」と言いよったのをすぐ横で見ていて、それで、経済学部という所だけはずえったいに行かされたくない・・と思い、それ以来、ずっと思ってきた・・・が、人それぞれ、人生も違えば考えることも違うみたいで、たとえば、同じ小学校・同じ中学校から同じ北野高校に行って、慶應大経済学部に現役で行った阪本彰なんかは「人格がおっさん」だったみたいで、慶應大近代経済学部に行きたかったみたいで、そして、慶應大学には経済新人会という「『ハタチ前から中年おやじ』みたいなサークル」・「中年おやじの交友会みたいなサークル」があって、阪本は1年からそれに加入しよった・・が、私なんかから見ると、あんな中年オヤジみたいなサークルによう入るのお・・て感じやったし、そういう男にだけは私はなりたくなかったのだったが、阪本からするとそれが良かったみたいだった。

  それで、「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」の必殺「水戸黄門の印籠」男・桃山学院高校卒⇒慶應大商学部の井上とその連れ2人というのは、いったい、どこでこういう精神構造を身につけたのだろうか。 親の教育なのか? 桃山学院高校で「教育」されたものなのか? 慶應大で身につけたのか? その両方のミックスか? それが「福沢精神」か? それが聖公会の教えなのか? それがイギリス国教会の教えなのか? それがキリスト教精神なのか? それが福沢精神でキリスト教精神なのか?
   おそらく、どれかひとつだけではなく融合形だろうけれども、桃山学院高校が何の関係もないとは思えない。・・だから、私は桃山学院高校という高校が嫌いなのだ。これを読んでくださった方、あなたはそういうのが好きか?  「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」という男が好きか?
そういう物の考え方が好きか?
   私は嫌いだな。・・もっとも、こういうことを言うと、「おまえなんかより出世して、おまえなんかより多い収入えているはずだぞ」といか言われるかもしれんし、それゆえに、女性はもしも結婚するなら私なんかと結婚するよりも、そういう必殺「水戸黄門の印籠」男と結婚した方が「女のしあわせ」というものをつかめるであろうし、そういう男と結婚した方が女性にとっては絶対にいいだろう。これだけは間違いない。先に言っとく。この点についてだけは絶対の自信がある。
・・しかし、それでもやっぱり、私は「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」というようなそういう男が嫌いなのだ。あなたは好きか? もしも、あなたが女性ならば、そういう男と結婚したならば、きっと一流企業で出世して高収入を得ていい生活送れるだろうから、きっと「女の幸せ」というものを掴めると思うぞ。私なんかと結婚するよりも、そういう必殺「水戸黄門の印籠」男と結婚する方が絶対にいいぞ!!!
・・だが、それでもやっぱり、私は、「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」というような、そんな男は絶対に好きになれんな。そういう男のことを「東大に行かずに慶應に行ってるから謙虚」とか「クリスチャン」のうちの母親は言うみたいだが、どんなに「謙虚や」「謙虚や」と言われても、そういう人間を好きになれんな。
  そういう人間が好きだという「ギャル」もいるみたいだし、「企業はそういう人間を喜ぶ」と慶應では言っているらしいのだが、日本の企業てあほちゃうか・・・なんて言うと、「あほはおまえじゃ」とか言われるようだけれども、それでもやっぱり、私は「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」なんて男は好きになれんな。「たとえ、全世界を手に入れたとしても、自分自身を失ってしまっては何の価値があるでしょうか」という『聖書』の言葉のごとく、「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」という人間になったら「企業はそういう人間を喜ぶ」となって会社ちゅうところで高い役職につかせてもらえて高収入を得ることができたとしても、「自分自身を失ってしまっては何の価値があるでしょうか」・・と思うな・・。

  私は小学生の頃からうちの父親が「結婚相手みたいなもん、一流大学に行って一流企業に勤めたら、女の方から『もろてくれ』『もろてくれ』言うてきよるわ」と言っていたので、それを聞いて、そういう女とだけは結婚させられたくないもんだと、ずっと思ってきた。小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに、なんで、そんな女と結婚させられなきゃならんのだと思ってきた。学校の勉強はよくできたし、勉強は好きだったが、そんな目に合わされるために勉強しているつもりはなかったので、経済学部・商学部・経営学部といった学部にだけは行かされてなるものかあと、ずっと思ってきた。
  特に中学校2年の時に、うちの下の姉がその人と結婚するといったん言ったものの、あの人は嫌だと言い出し、それでも、うちの父親が「おまえは短大しか出ておらんだろうが。相手は関西大学経済学部。どっちが上かあ下かあ」と言ってきかなかったので、それを見て、特に経済学部(および商学部・経営学部)というものに嫌悪感を持った。それ以上にそういう大学に行って自分を「上」だとか思っているような男というのはこの世で最も嫌いな人間だった。
  私の知っている東大の学生・東大の卒業生で、やはり、私と同じように「男性を大学の名前でしか見ないような女性は、そういう人は嫌だ」と言う人間が何人もいたのだが、それに対して、慶應という大学はその逆で「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」というようなそんな人間だらけの大学だった。日本の大学で大学の名前を言いたがってしかたがない人間症候群が多い大学は早稲田と慶應の2つが双璧で、この2つの大学の人間のこのビョーキはそう簡単には治らない( 一一)  そこに行くと、そういう汚らわしいビョーキが移りそうで嫌だった。
  こういったことは、小学校から高校まで真面目に勉強してきた人間ならば誰でも思うことではないのかと私は思っていたのだった。まず、『旧約聖書 箴言』には「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りとを買え」という言葉があるが、学問は買うものであって売るものではない。もっとも、学問をしたことからそれが生活のために役立って悪いということはないが、学問は生活のために役立つこともあれば、それが現実の社会との間に「緊張関係」とでもいったものが発生することもある、ということは当然のことであったはずだった・・が、そういう「緊張関係」というものをまったく発生させないのが「思考が柔軟な慶大生」というやつで、それが「ギャルにもてもて」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか言うみたいだった。
  どっちにしても、私は「結婚相手みたいなもん、一流大学に行って一流企業に勤めたら、女の方から『もろてくれ』『もろてくれ』言うてきよるわ」とかそういう相手とは絶対に結婚させられたくないと小学生の時からずっと思ってきたが、ところが、そう思わない男というのが「慶應タイプ」にはいるらしかった。又、中学校2年の時から経済学部(および商学部・経営学部)といった所には絶対に行かされたくないと思ってきたし、そういう所に行くのはそれは姉に対する裏切り行為だと思っていたが、ところが、そういう感覚がない人というのがいたのだ。

  うちの父親の「無理矢理やるのがええと思うねん。無理矢理むりやり無理矢理むりやり」という根性、「無理矢理やるのが好きなタイプ」「いやがることをさせるのが好きなタイプ」というのはそう簡単に変わるものではなく、その後、私にも「本人が嫌がることをさせようとしても、絶対にうまくいくわけないんや」と言い出したことがあり、え? この人がそんなこと言うのか・・と思ったら、それに続いて、「本人が嫌がることをさせようとしても、絶対にうまくいくわけないんや。そやから、おまえはどんなに納得いかんことでも無理にでも納得せえ! これが一番大事やっちゅうこっちゃ♪ 納得いかん言うたらいかんねんぞ。どんなに納得できんことでもおまえは何でも何でも納得せんといかんねんぞ。わかっとるかチャンコロ。これが一番大事なことやねんぞ。わかっとるのんか。本人が納得できんことを無理にさせようとしても、絶対にうまくいかんのや。そやから、おまえはどんなに納得いかんようなことでも、何でも何でも納得せんといかんねんぞ。おまえはどんなことでも納得せえ。これが一番大事やっちゅうこっちゃ♪」とおっしゃるのだった  そうやって、私は努力の果実をすべて奪い取られるのだった。
   北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当科目「国語」)は「私は両親が離婚したんだからねえ」「私は父親がいなかったんだからねえ」というのを何より自慢にしていたが、「父親がいる」という人間はものすごい得しているみたいにおっしゃるのだったが、「父親がいる」ということはどういうことかというと、我が家の場合は「本人が納得できんもんを無理にさせようとしても絶対にうまいこと行くわけないんや。そやからやなあ、そやから、おまえはどんなに納得できんもんでも無理にでも何でも納得せえ! これが一番大事なことや。納得いかん言うたらいかんねんぞ。なんでもなんでも、どんなに納得いかんことでも無理にでも納得せえ!」とそうおっしゃるお方がいるということだ。そうやって努力の果実はすべて奪い取られる、すべて土足で踏みにじられるということを意味している。旧姓作野礼子は「あなたのお父さんほど、もんのすごいすばらしいお父さんはなかなかないわよ」などと言い、そう言ってもらってうちの父親は「さすがは作野先生は北野高校の先生だけのことはあるっ♪  作野先生におっしゃるように、わしはめったにおめにかかれないもんのすごいエッライえっらいエッライえっらいもんのすごいえらいえらいえらいお父さんやねんぞお~お。こういうエッライえっらいエッライえっらいお父さんには絶対服従、なんでも服従、絶対服従、なんでも服従、何でも何でもなんでもなんでも♪ わかっとるか、北野高校の先生という普通よりもえらい先生がおっしゃっておることやねんぞ。わかっとんのかチャンコロ♪」と毎日叫びまくっていた。そのうち、その「北野高校の先生という普通よりもエライ先生」という旧姓作野礼子は大阪府の無名高校の教諭に転任になり「普通よりえらい北野高校の先生」から「無名校の普通の先生」に格下げになった。

  「今度、電車に乗って女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して眼の前につきつけて水戸黄門の印籠みたいに『この印籠が目に入らぬかあ』とやってやろうか」という必殺「水戸黄門の印籠」男を卒業生として送り出しているのがイギリス国教会の流れの聖公会のミッションスクールからできた桃山学院高校(大阪市阿倍野区昭和町)だったのだ。
  こういうことを言うと、「ひとり、そういう人がいたからと言って学校について決めつけるという思考の硬さが気にかかります」とか「診断」されそうで怖いが、ひとりだけか?  ひとりだけだと言うのか?  ひとり、そういう人間が卒業生にいたというのは、学校は関係ないとでも言うのか???  違うと思うがな・・。関係ないようには思えないのだがなあ・・。おそらく、「ひとりだけ」ではないと思うし。むしろ、そういう人間が生まれる要素があったのではないのか。

  次回https://philoarchi2212.seesaa.net/article/504074622.html 、桃山学院高校が嫌いな理由[2]を述べる。まだまだ、嫌いな理由はあるのだ。まだまだ。
※ YouTube-水戸黄門 第21部OP(1話目)https://www.youtube.com/watch?v=a63EHyL5PiA

  それから、誤解している人が多いみたいだが、「印籠」というのは
《 いんろう【印籠】 長円形の三重ないし五重の小ばこ。左右両端に緒締(おじめ)・根付(ねつけ)をつけて、帯にはさむ。古くは印や印肉を入れたが、江戸時代は薬類を入れた。梨地(なしじ)蒔絵・螺鈿(らでん)・堆朱(ついしゅ)など、とりどりの意匠とあいまって、精巧な工芸品となる。》(新村出編『広辞苑 第二版』岩波書店)
というもの、印や印肉を入れたところから「印籠」と言い、江戸時代には薬類を入れて使用したものらしく、家紋を意匠として入れていても、本来、それを「この紋所が目に入らぬかあ」などとやるためのものではないのだ。
毎週毎週、「この紋所が眼に入らぬかあ」とやりたがるおっさん・・て、なんかあんまりいい趣味してないような気もする・・・。

  (2024.7.14.)

☆ 日本キリスト教団 南大阪教会 とその付近・界隈
1.寺西家長屋(大阪市)・昭和町駅付近、アルバイト漬けにされてもモラトリアム人間病で小此木啓吾やアルバイトなんか何もしない大学生はモラトリアム人間病ではないのは月5万円酒代使う男がアル中で10万円酒代使う男がアル中でないのと似ているhttps://philoarchi2212.seesaa.net/article/503680045.html
2.日本基督教団南大阪教会(大阪市阿倍野区)・村野藤吾設計の塔屋・さっちゃんの歌の碑。「東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かす」か「慶應に行ったら女たらしに『教育』されて悪影響うける」か https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503752327.html
3.文の里商店街と桃山学院高校・明浄学院高校。真夏に北野田駅から桃山学院大学まで歩いた思い出。「男の子は何でもさせてもらえてええなあ」なんて絶対嘘だ https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503810290.html
4.桃山学院高校が嫌いな理由[1]必殺「水戸黄門の印籠」男 〔今回〕
5.桃山学院高校が嫌いな理由[2]ラグビーのため「だけ」に生まれてきた男。おのれの立場を認識できない男https://philoarchi2212.seesaa.net/article/504074622.html
6.桃山学院高校が嫌いな理由[3]お葬式があると必ず何かやる男。うちはあんたに今後絶対に何か頼むことはないと言ってすぐ後で息子の結婚式に出てくれと頼む男 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/504126690.html 
7.桃山学院高校が嫌いな理由[4]嫌いな甥の悪口言うために関係ない高校をけなす男 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/504156267.html 
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