日本基督教団南大阪教会(大阪市阿倍野区)・村野藤吾設計の塔屋・さっちゃんの歌の碑。「東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かす」か「慶應に行ったら女たらしに『教育』されて悪影響うける」かー南大阪教会とその付近・界隈【2/ 】

[第697回]
  大阪市阿倍野区の 大阪メトロ御堂筋線が南北に地下を走っている「あびこ筋」の少し西の南北の通りの西側に 日本キリスト教団南大阪教会はあります。↓
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「あびこ筋」より東側が阿倍野区昭和町、西側が阿倍野区阪南町で、南大阪教会は阿倍野区阪南町の側にあります。

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↑ これが南大阪教会の教会堂の塔屋部分で、村野藤吾 設計、1928年(昭和3年)〔「人、苦しみ苛む(1931)、満州事変」の3年前〕の建物で「建築家」業界の人には村野藤吾の初期の建物として有名なものです。 「塔屋部分」ということは教会堂の本体の方は違うのかというと、教会堂の本体の部分も同じ時に村野藤吾の設計で建てられたのだけれども、後に建て替えられていて、今、存在する教会堂は後に建て替えられた方のもので、後から建て替えられた際にも村野藤吾の設計によるのだけれども、「建築家」業界の人の間では「村野藤吾の初期の設計による建物」として塔屋部分の方が知られているようです。 そのあたりが「クリスチャン」と言われる人の間の評価と「建築家」業界の人の評価で評価のしかたが異なるようで、「クリスチャン」と言われる人は教会堂と塔屋とは一体のものとして理解していると思うのですが、「建築家」業界の人というのは、あらかじめ「名建築」と言われるものが頭にインプットされていて、「名建築」とインプットされているものだと「すご~い」と感心するけれども、そうでないものだと無視する・・というそういう思考が叩き込まれている・・というそういう思考形式の人たちみたいで、そういう人を「建築家」と言うみたいです。
※ ウィキペディアー村野藤吾https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E9%87%8E%E8%97%A4%E5%90%BE
  村野藤吾の設計の建物としては、今はなくなってしまった 大阪市中央区の心斎橋の「そごう」(「そごう大阪本店」だったらしい)(1935年)があり、《アール・デコ様式の建物》とウィキペディアに出ていますが、そんな感じの建物でした。知らずに利用したことがある建物としては近鉄の樫原神宮前駅(1940年)があります。 早稲田大学文学部校舎31号館・32号館(1962年)〔早稲田大学HP ユニバーサルデザインマップhttps://www.waseda.jp/inst/diversity/support/accessibility-map/ 〕というのもウィキペディアに出ていますが、早稲田大学の文学部は法学部・政治経済学部・商学部などとは道を隔てたはす向かいのような位置、戸山キャンパスという所にあるのですが、戸山キャンパスにはいくつかの建物が建っていて戸山キャンパスのすべての建物が村野藤吾の設計ということではなくて31号館と32号館が村野藤吾の設計ということで、今は昔、そこに試験を受けに行ったこともあるが、どの建物のことなのか、よくわからない〔まあ、試験を受けに行った時にその試験会場の近くにその建物があったはず・・なんてのは、一般に試験受けてる時に建物がどうかなんて考えてる余裕はないので記憶にない場合が多いけれども〕。 南大阪教会だけでなく教会の建物もけっこう設計しているようですがプロテスタントの教会に限るわけではなく、兵庫県宝塚市の宝塚カトリック教会(1965年)の建物の設計もしているようです。
※ ウィキペディアーそごう大阪店 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9D%E3%81%94%E3%81%86%E5%BF%83%E6%96%8E%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E5%BA%97#%E3%81%9D%E3%81%94%E3%81%86%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%97 

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↑ こちらが教会堂の本体の方なのですが、1960年代、子供の頃、一度だけ内部に入らせてもらったことがあるのですが、今、外観を見ると、「建築家」業界の人が塔屋の方だけ注目するだけあって、外観は塔屋は教会の建物らしい塔屋ではあるけれども、教会堂の本体の方は、外観については、言っちゃなんだけれども、悪いとは言わんが特に注目する内容のものでもないような・・・・。
村野藤吾建築案内 - 村野藤吾研究会, 村野藤吾研究会
村野藤吾建築案内 - 村野藤吾研究会, 村野藤吾研究会

  私は1960年代の後半の後半、小学校の3年から4年にかけて、ここの教会学校に日曜ごとに通ったのですが、教会堂の南側に南大阪幼稚園があり、教会学校は幼稚園の建物でおこなわれていたので、幼稚園はここの幼稚園ではなく東住吉区の別の幼稚園に行きましたが、ここの幼稚園の場所には親しみがあり、又、教会学校の先生は私が小学校の3年の時は幼稚園の女性の先生2人がされていて、4年になるとその片方の方は教会学校の先生はやめられて、かわりに男性で会社員をされていた方が教会学校の先生をされるようになりました。
  教会学校に通った頃、「先生」は小学校の先生とか塾の先生とかと同じように、「先生」という仕事をされている人みたいに思って、好き放題にさせてもらっていたのですが、嫌がることなく遊び相手にもなってもらい楽しく過ごさせてもらいましたが、今はどうされていることでしょう。
  教会学校の建物は今の建物はその頃のものとは異なるものではないかと思いますが、ここの幼稚園には通ったことはありませんが小学生の時に幼稚園の建物を使用して実施されていた教会学校に通ったことがあるので、この場所には愛着と親しみがあります。

  私が教会学校に通った1960年代の後半の後半にはなかったもので、今、あるのが南東のカドにある ↓ です。
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↑ 「さっちゃんの歌の碑」です。 南大阪幼稚園は詩人で文学者の阪田寛夫(さかた ひろお)さん(1925年ー2005年)が通った幼稚園で、南大阪教会も阪田さんが通った教会だったらしく、その阪田寛夫さんの「さっちゃんの歌」の碑が立っています。 南大阪教会の幼稚園は詩人で文学者の阪田寛夫さんのお父さんが初代の園長先生をされていた幼稚園だったらしい。
  阪田寛夫さんの作詞による歌というと、「さっちゃんの歌」のほか、「おなかがへる歌」(「どうして、お腹はへるのかな・・」)とか、ほのぼのとした温かみのある歌詞のものが多いように思ったのですが、それに混声合唱曲の「あひるのスリッパ」(「あひる~のスリッパ、どろん~こスリッパ♪」)も阪田寛夫作詞のような気がしたのですが「あひるのスリッパ」は今、インターネットで検索すると「作詩:武鹿悦子」と書かれているので私の記憶違いだったのか。音楽之友社から発行されている『合唱サークル名曲選25 湯山昭作品集2 合唱組曲「子どもの時間」』(1968.5.30.音楽之友社)には、合唱組曲『子どもの時間』として「あひるのスリッパ」「こわれたすいどう」「かずのうた」「ラッパのこびと」「こんぺいとう」「道は友だち」の6曲が収録されているのですが、作曲者は6曲とも湯山昭ですが作詞者はそれぞれ異なり、第1曲の「あひるのスリッパ」は武鹿悦子作詩で、第3曲の「かずのうた」が阪田寛男作詞だったようです。
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(↑ 『合唱サークル名曲選25 湯山昭作品集2 合唱組曲「子どもの時間」』1968.5.30.音楽之友社 )
※ ウィキペディアー阪田寛夫 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%94%B0%E5%AF%9B%E5%A4%AB
※ YouTube-あひるのスリッパ https://www.youtube.com/watch?v=GEVr4Q8ObaI
※ YouTube-童謡 おなかのへるうたhttps://www.youtube.com/watch?v=WPiGdIJRnaw
※ YouTube-童謡 さっちゃんhttps://www.youtube.com/watch?v=MBF9gAjIqHo 
※ 阪田寛男作詞・湯山昭作曲「かずのうた」・・なんてYouTubeにないだろうと思って検索したら、あったわ・・・
YouTube-かずのうた 作詩:阪田寛夫 作曲:湯山昭https://www.youtube.com/watch?v=AqxZfhHgTrA  
  「猫踏んじゃった」は《NHK『みんなのうた』では阪田寛夫が作った歌詞が使われた》が 《この曲は作曲者も発祥国も明らかになっていない》らしく《この曲は世界中で親しまれており、国や地域ごとに様々な歌詞や曲名が付けられている》(ウィキペディアー猫踏んじゃったhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%AB%E8%B8%8F%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%A3%E3%81%9F )というものらしい。
※  YouTube-ねこふんじゃった【童謡】作詞: 阪田寛夫氏/作曲:不詳 The Flea Waltz🐈‍⬛振り&歌詞付き♪ みんなのうた♪https://www.youtube.com/watch?v=FvbDa298PCc

  ウィキペディアー大中 恩(おおなか めぐみ)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B8%AD%E6%81%A9 によると、「さっちゃんの歌」「おなかのへる歌」はどちらも作曲者は大中 恩(おおなか めぐみ)らしい。 大中 恩(おおなか めぐみ)というと、政治的社会的なものから遠ざかる遠ざける「人畜無害」型の作曲家という印象があったのですが、阪田寛夫のいとこ で、「名も知らぬ、遠き島より・・」という「椰子の実の歌」の作曲者の大中 寅二(作詞者は島崎藤村)の息子で、大中 寅二は東京都港区の霊南坂教会のオルガニスト兼合唱指揮者だったらしい。

  「さっちゃん」は誰なのか、ということがけっこう言われたらしいけれども、阪田寛夫は「天王寺動物園のチンパンジーの名前だ」とか言って正確に誰のことだとは言わなかったらしい。南大阪幼稚園にいた女の子なのか、近所の女の子なのかとも言われたらしく、自分じゃないかと名乗り出た女性もいたらしいが阪田寛夫は違うと言ったらしい。
  いつだったか、インターネットに出ていた話では、阪田寛夫の子供で交通事故で小さいうちに亡くなってしまった女の子がいて、「さっちゃんがね。遠くへ行っちゃうてほんとかな。だけど、ちっちゃいから僕のこと忘れてしまうかな。さびしいな」という「僕」は「さっちゃん」の近所に住んでいた男の子ではなくて、「さっちゃん」のお父さんの阪田寛夫のことだ・・ということでしたが、今、その記事を捜しても見つかりません。もしかして、そういうことがあったけれども、そういうことは自分だけがわかっておればいいことで、ひとは幼稚園の同級生の女の子が遠くへ引っ越していく話か何かだと思って歌ってくれればいいことと思ったのか・・・どうなのか、それはわかりません。おそらく、天王寺動物園のチンパンジーの名前ではないでしょう。

  阪田寛夫は東大の文学部国史学科卒だったらしい。私が高校3年の時、うちの母親が「こいつ、東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かせよるから、こいつ、絶対に落としてやらんといかん。落ちろお、こいつう。落ちろ、落ちろ、落ちろお~お!」と叫んで、私が夜、家で学習していると背後からホウキでボコボコ殴りつけたり、私が使用している部屋の電気を配電盤のブレーカーを落として使えないようにして私の使用していた部屋の照明を消して学習を妨害したり、又、高校から家に帰ると家の玄関も勝手口も扉に鍵をかけて、窓は雨戸を閉めてインタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして締め出し、困ったなと外にいるとその間に高校に電話して「息子が帰ってきませんね~ん」と言ったり、又、私が学習している後ろからホウキでボコボコ殴りつけた上で「怖い、こわい、怖い、こわ~い」と言って走りさると「こいつに階段から突き落とされた。こいつに階段から突き落とされた」などと根も葉もないことを叫んだりといったことをしました。北野高校の教諭はまがりなりにも高校の教師ならば少しくらい助けてくれてもいいのではないかと思ったのでしたが何もしてくれませんでした。懇談でも会うのだし、「そういうことはやめてあげてもらえませんか」と一言くらい言ってくれてもいいのではないか、とも思ったが一言として言ってくれなかった。能力的にも人間的にも無能なやつにいくらかなりとも期待した私がアホやった。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「能力的にも人間的にも優秀な教師というのは、実は多くの人間が思っているよりはるかに少ない」と書いていたが今は私もその通りだと思っている。
東京大学機械的合格法 アップグレード版: 難関大学を突破する超合理的勉強術 - 柴田 孝之
東京大学機械的合格法 アップグレード版: 難関大学を突破する超合理的勉強術 - 柴田 孝之
今になって考えてみると、北野高校の教諭どもというのは、なんで、あいつらあんなにアホなのか・・と思うが、そういう人たちだったようだ。3年の時の担任だった大谷郁三(男。1970年代後半当時、40代前半)は「大学受験の指導は高校の教師の仕事と違う」などと言っていたが、2000年代だったと思うが大谷郁三が退職する際に送別会をやりましょうと企画した卒業生がいたらしいが、そんなものには絶対に参加してはならないと私は思ったし、又、物好きなやつというのか、不適切な行動をとるやつがいるもんだと思った。「大学受験の指導は高校の教師の仕事と違う」のならば、「送別会は卒業生の仕事とは違う」はずだ。なんで、そんなものやってやらなきゃならんのだ。そう思わないか?
   それらのうちの母親の行為はすべて、「東大に通ったら思いあがった人間になって女を泣かす」からそうならないようにという「親心」から「な~んとしてでも落としてやる」と思ってやったことだったらしい。その時は、そんなことされても「なにくそお」と思って、少しくらいのハンデがあっても「負けるものかあ」と思いましたが、今となってみると、ああいうことをされてこたえない人間なんかないと思います。 そうやって落ちると、「こいつが大学に現役で通ったらお父さんと離婚しようと思っていたのに、こいつが浪人したおかげで離婚できなくされた。こいつに離婚できんようにされたんや」と言われました。そうすると、うちの父親が「そうや♪ その通りや。すべてすべて、悪いのんはこいつや♪」と私を指さして言いました。そうやって「離婚の危機」を二人は乗り越えました。「すべて、悪いのんはこいつや。わしは悪ないねん!」とうちの父親は言いました。「クリスチャン」というのはそういう人たちでした。それが「クリスチャン」の離婚防止解決法でした。「悪いのんはすべておまえやねん」とうちの父親は毎日毎日私を指さして言いました。「ひとのせいにすんなよお」と。ひとのせいにしているのはあんたと違うのか・・と思いましたが、「ひとのせいにする人間は人間として最低やぞお」とうちの父親は何度も何度も言うのでした。
  「東大に現役で行ったら思いあがった人間になって女を泣かせよる」かというと、どうも、そんな感じはしなかったのです。阪田寛夫さんとは直接会ったことはないのですが、阪田寛夫さんは東大の文学部卒だけれども、その詩については「思いあがった人間」になって「女を泣かす」という感じではありませんでした。むしろ、「慶應タイプ」の男の方が「女たらし」という印象があり、慶應の方が「女たらしの大学」
という印象がありました。慶應大学に行ってみると、実際、「女たらしの大学」でした。特に内部進学の人間には女子大生を騙して集めて強制わいせつ行為を繰り返している連中がおり、そういう人間が「思考が柔軟な慶大性」とか「スマート」とか言っていました。「慶應心理学」はそういう人間のことを「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「独立自尊の精神」とか言っていました。「なんでやねん」「逆と違うのか」と思いましたが、口に出してそう言うと「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということです」とか「心理学」によって内部進学心理学者から「診断」されます。小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのに、不良の行く大学・女たらしの大学みたいなものに行かされて、そして、強姦摩養成所みたいな慶應義塾高校卒の男から「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」とおまえこそ教育されなきゃならん人間だろうがと見るからに思える連中から言われることになりました。「産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたという罪びと」はそういう報いを受けるということだったのでしょうか。 慶應には「悪影響うける」からつきあいたくないと思える人間がいましたが、そういう人間に限って「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などと思いあがった口をきくのでした。種無しブドウを自分で房からちぎって口に入れて食べるのではなくて、ひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う人、「慶應幼稚舎流たねなしブドウの食べ方」やる男が「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などと言うのです。教育されなければならんのはおまえだろうが、お、ま、え!!! と思いましたが、そういう人が幅をきかせている学校が慶應です。慶應はそういう人の学校であり、大学だけ行った人間というのは「そういう人たちの家の軒先の先っぽの下に入れてもらってる」みたいな存在なのです。小学校の1年から同級生が遊んでいる時も只管勉強してきて、そんな程度の低い人間の下男にならされるための大学(慶應)なんぞに行かされるとは、そんな学校に行かされて「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などと叫んでいる「自我が確立されている」と「心理学」が「診断」する連中に悪影響うけさせられるくらいなら大学なんか行かない方がマシだと思いました。
  阪田寛夫さんとは直接会ったこともないけれども、その詩は好きでした。「東大に行ったら思いあがった人間になるから、こいつ、な~にがなんでも落としてやらんといかん。落ちろお、落ちろお、落~ちろ~お♪」と言って、母は何度も何度もホウキで私は殴りつけましたが、「人にもよる」という点も少しはあるかもしれないけれども、全般としては「東大に行った人」と「慶應に行った人」とでは絶対に「慶應タイプ」の方が「思いあがっている」と思えましたし、「慶應の人間」の方が「女を泣かせよる」「女をいじめよる」と思えました。絶対にそれは間違っていないと思えました・・が、事実を言うと「自我が確立されていないから、だからそういうことを言うということですね」と「慶應内部進学心理学者」から言われることになりました。
  しかし、いくらかは「人にもよる」ということもあるかもしれないけれども、何をされても「東大に行った人間」と「慶應の人間」ならば「慶應の人間」の方が「思いあがった人間」は多いと思われたし、「女を泣かせよる」男も多いというのは事実でした。なんとか、わかってもらいたいと思いましたが、母は永遠にわかってくれなかったようでした。
※ YouTube-鶴 https://www.youtube.com/watch?v=CYoC7ngoxgY
〔 ↑ はロシアの「鶴」という歌です。 東大の先端技術研究所准教授の小泉悠さんが報道番組で「ロシアの文学とか音楽とかを専門にしている人は、今回のロシア軍のウクライナ侵攻について『どうしてロシアはあんなことするのだろう』と言う人がいますが、私のようにロシアの軍事を専門にしている者からすれば、ロシアというのは元々そういう国だし、時々おかしなことをする国だし、何ら不思議なことはないですね」と話していたことがありましたが、ロシアの音楽が好きな者としては、ロシア軍のウクライナ侵攻は悲しい。
  1917年のロシア革命によって「等しい権限をもつ15の連邦共和国から構成されるロシア連邦」が成立したはずで、その後、1991年にソビエト連邦が解消されて、15の連邦共和国は独立国となったが、スターリンやフルシチョフやブレジネフやゴルバチョフは15の連邦共和国からなるソビエト連邦の共産党の書記長で15の連邦共和国全体を代表する政治家だったのに対して、エリツィンやプーチンはスターリン・フルシチョフ・ブレジネフやゴルバチョフなどとは違ってあくまでも15の共和国の中の1つ、ロシア連邦共和国の大統領であってエストニア・ラトビア・リトアニアやウクライナ・ベラルーシ・モルドバやジョージア(グルジア)やアルメニア・アゼルバイジャンやタジキスタン・キルギスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・カザフスタンの大統領ではなく、旧ソ連全体の大統領ではないはずで、ソビエト連邦は「等しい権限をもつ15の共和国による連邦」であったはずでロシア社会主義共和国⇒ロシア連邦共和国はそれ以外の旧ソ連を構成していた国に対して何ら優越的立場にはなかったはずなのだがそれを理解できていないかのような態度をとっているのは、プーチンはわかっていなくてやっているのか、わかっていてやっているのか、理解に苦しむところだが、ソ連・ロシアのアネクドートに「レーニンは絵空事でも統治できると証明した。スターリンは一人でも統治できると証明した。フルシチョフはバカでも統治できると証明した。エリツィンは家族でも統治できると証明した。プーチンはスパイでも統治できると証明した」というものがあるらしいが、「しょせんはスパイ」でしかない人であって、経済や政治についての構想が自分自身できっちりと頭の中にない人なのだろうか。佐藤優が「プーチンと同じように考える必要はないけれども、プーチンが何を考えているのか考える必要はある」と話していたが、それはそうだろうけれども、「プーチンが何を考えているのか」考えてみても、何を考えてるんだ・・と思えてくる・・というのは、プーチン自身、元々が「スパイ」だった人で経済的政治的な構想を自分自身できっちりと持てている人ではないから、「プーチンが何を考えているのか」というものがある程度以上明確にないのではないか。「プーチンが何を考えているのか」がないから、だから、「プーチンが何を考えているのか」考えても何を考えているのかわからない・・ということはないか。 佐藤優は鈴木宗男が「外務省のラスプーチン」と呼んだという「ラスプーチン」というのは誉め言葉だったらしく、ラスプーチンという人の一面として「その時代において誰よりも世界の政治情勢について理解していた人」と評価して、それで「外務省のラスプーチン」と言ったそうで、たしかに鋭い指摘もある。北朝鮮が送ったゴミ風船を笑っている人はおめでたい人で、もしも、本当にウイルスとかサリンとか入れて飛ばされたなら、それを防ぐのはけっこう大変で、風はその時によって西から東にも東から西にも吹くけれども地球の自転によって全般的には西から東に吹くのであって、北朝鮮と韓国との「軍事境界線」では北朝鮮の方が西側にあり、そして日本もまた北朝鮮より東側にあるということを考えると、笑ってられるものではないのに、それを笑ってる人というのはおめでたたい・・というのは、それは私もそうではないかと思う。しかし、「プーチンが何を考えているか」考えていないのではなくて、「何を考えているか」考えても理解できないようなことをここしばらくプーチンがやっているのではないか。 野村じいさんは「捕手 野村」として近鉄の羽田選手が苦手でよく打たれたらしく、なぜ苦手かというと、何を考えてるのか、どう考えてるのか見抜こうと思って考えても考えても、羽田選手の考えていることがわからず困ったというのだが、ある時、記者にそれを話したところ、「ノムさん、考えすぎですよ」と言われたそうで、「だって、あいつ、何も考えてませんもん」と言われてわかった、「そうか、そうだったのか。あいつ、何も考えてなかったのか。なるほど~お。それで、何を考えてるのか見抜こうと思って考えても考えてもわからんかったのか。何も考えとらんかったんかあ~あ」とわかった・・とどこでだったか書いておったが、ほんまかいやあ~あ・・(笑)  これと似ているような気がするのだ。佐藤優は「プーチンと同じように考える必要はないけれども、プーチンが何を考えてるのか考える必要はある」と話していたが、それはたしかにそうだと思うのだが、「プーチンが何を考えてるのか」考えても考えても、何を考えとるのやらわからん・・・、もしかして、何も考えとれへんかった・・なんてこと、ないか? 
  やはり、ロシアのアネクドートで「ゼレンスキーは元々はコメディアンだったが、ロシア軍のウクライナ侵攻によって優秀な政治家になった。プーチンは元々は優秀な政治家だったがロシア軍のウクライナ侵攻によってコメディアンになった」というものがあるらしいが、理解しようとしても理解できないことをプーチンがここしばらくやっているから理解しようとしても理解できないのであり、佐藤優はそれを理解できていないのではないのか。・・ロシアのアネクドートで「プーチンはスパイでも国を統治できるということを証明した」というが、舛添がロシアではKGBというのは日本なら東大出身者に該当するようなものすごい優秀な人がなっていると話していたが、『弁護士の頼み方』だったかそんな感じの題名の本で読んだのだが、いい弁護士に巡り合うにはどうすればいいのか・・という問題で、ひとつの意見として「東大法学部卒の弁護士にろくなのいない」という説があったのだが、片方で潮見敏隆『法律家』(岩波新書)を読むと、裁判官は上級審に行けば行くほど東大法学部卒の人間の割合が大きくなるが、これには、あくまでも東大法学部卒の人に優秀な人が多いからそうなっているのであって「学閥によるひいき」とかそういうものによるのではないという説もあるといい、実際のところ、特定の大学学部の出身者の割合が大きかったとしても、その大学学部の出身者に優秀な人が多いからそうなっているのか「学閥」によるものなのか、どちらなのか判別はなかなか難しいところがあると思われるが、ここで東大法学部卒の人に優秀な人が多かったとしても、それは裁判官とか検事になった場合に優秀な人であって、弁護士の場合に優秀な人ということでもないのではない、ということはあるかもしれない。うちの父親の知り合いだった大阪府のある弁護士のおっさんは戦前に北野高校の前身の旧制北野中学校を何年か留年した上で(大学で留年する人はあるけれども高校で留年する人はそう多くないのだけれども、おっさんは留年しよったらしく)卒業して大学に行ったものの、それも東大とか京大とかではなく中央大学で、学徒動員で軍隊に行ったが軍隊では東大・京大の学生に比べて中央大の学生なんてのは下の扱いだったらしいが、卒業後に何やってたかというと東京の吉祥寺のあたりで八百屋やっていて30代なかばになってから弁護士になるぞと考えて司法試験を受けて合格して弁護士になったとか、まあ、おもろい人生おくっとるおっさんやったが、弁護士とかそういう仕事は、東大法学部卒の人が絶対だめということでもないだろうけれども、すんなり東大文科一類に合格して入学して在学中に司法試験に高得点で合格して・・とかいう人よりも多少なりとも変わった人生送ってきたような人間の方が向いている仕事みたいなところがあるかと思うのだ。司法試験合格者でも裁判官や検事になる人として優秀かというのと弁護士として優秀かというのは違うように思うのだ。これと同じと考えていいかどうかはわからんが、プーチンがもしもKGBとして優秀であったとしても、あくまでも「スパイ」として優秀であったということであって、政治的経済的見解が優秀なのかというと別の問題ではないか・・という感じがする。・・そもそも、今は昔、八切止夫という人が『徳川家康は2人いた』なんて本を出したことがあったが、中村逸郎先生は「プーチンは3人いた」なんて言っているし、言われてみてプーチンの写真をインターネット上で見ると、最初に登場した頃の写真と今のプーチンとは部分的に似ている部分もあっても相当顔立ちが違うし、最初に出てきた頃から何年も経っているにしては今の顔は若々しく、別人だと言われると「そうかもしれない」て感じがしてくる。 
  プーチンがKGBとして優秀な人であったとしてもあくまでも「スパイとして優秀な人」であって政治的経済的構想というものについて優秀ではない人ではないのか。クリストファー=ヒル『レーニンとロシア革命』(岩波新書)くらいに書かれている内容すらもプーチンは理解できていない人ではないのか、と思えてしかたがない。「シビリアンコントロール」と言って、日本でも軍人が軍事上の問題について見解を述べるのはいいが、軍人が政治を支配するべきではないとされ、毛沢東もまた「党が軍隊に命令するのであって、軍隊が党に命令すべきではない」と述べているのだが、同様に政治がKGBに命令するならともかくKGBが政治に命令すべきではない・・のが逆転しているところに問題があるのではないか。〕
レーニンとロシヤ革命 (岩波新書 青版 219) - クリストファー ヒル, 岡 稔
レーニンとロシヤ革命 (岩波新書 青版 219) - クリストファー ヒル, 岡 稔

  計算してみると、かつて、ここの教会学校に通った頃から55年ほど経ちました。一緒に教会学校に来ていた人はどうしておられるものか。その頃は努力すれば、きっといいことがあるだろうと勝手に思っていましたが、ありませんでした。
  うちの父親から「よくも、産まれてきよってからに。よくも、産まれてきやがってからに」と毎日毎日、指で眼を突き刺すようにして言われてきました。「『産まれてきて申し訳ございませんでした』と言いなさい」と毎日のように言われてきました。なぜ、「産まれてこなかったらよかった人間」をその「天の神さま」という「えらいお方」は産んだのか。産まなかったらよかったのではないのか・・とも思いましたが、そういうことを言うと「外罰的性格」と「心理学」から「診断」されます。「産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたのはおまえだろうが。産まれてこなかったらよかったのに産まれてきておいてからに、産まれてこなかったらよかった子供なら産まないでくれたらよかったのになどと勝手なことぬかすなチャンコロろすけイタコ!」と何度も何度も言われました。「おまえは、産まれてこなかったらよかったのに産まれてきた、というその点において、まず産まれてきた時点において罪を犯しておるんじゃ。自覚しろお!」と何度も言われてきました。「産まれてきて申し訳ございませんでしたと言いなさい」と何度も言われてきました。「産まれなかったらよかったのに」と何度も思いました。吉野弘の詩で「I was born」というものがあって小学校の4年だったかその頃の「国語」の教科書に掲載されていたように思います。「受け身なんだね」と。「産まれる」というのは英語では受動態になっているように受け身なんだと。だから、産まれてからのことはさておき、「産まれた」ということについては産まれた者の責任ではなくて産んだ者の方の責任ではないのか・・と思ったのでしたが、そういうことを口にすると「外罰的性格」と「心理学」から「診断」されることになります。 「診断」されると次に「治療」される危険があります。ロボトミーとか電気ショックとかされる危険がありますから、「診断」されないようにするには「産まれてからのことについてはともかく、『産まれた』ということについては、それは『産まれた』者の責任ではなくて、『産んだ』者の方の責任ではないのですか」などと言うわけにはいきません。
なんで、産まれてしまったのだろうなあ、たとえ産まれるにしても死産で生まれればよかったのに。そうすれば「みんなが幸せになったのに」と何度も何度も思ってきました。「産まれなければよかったのに」と私の眼を指で突き刺すようにして何度も何度も叫んできた父親が「召天」してから、すでに私が「産まれなければ良かったのに産まれた」時から父親が「召天」した年なでの年数より長くなりました。産まれなければ良かったのに。「産まれなかったら良かったのに産まれてきたっという点で、おまえはその時点において、まず、天の神さまに対して罪を犯しておるんじゃ。自覚しろチャンコロ!!!」と何度も何度も言われてきました。なんで、産まれてしまったのでしょうね。産まれなかったら良かったのに・・などと言うと、「産まれてこなかったらよかった人間を産んでやってやってあげてやって、いただいてもらってくださってやってあげてやってもらっていただいてくださってあげてもらってやってやっていただいてくださったわしに感謝しろお、チャンコロ~お。産まれてこなかったらよかった罪びとであるおまえを産んでやってやって、やあってやって、やあってやっていただいてくださってもらってあげてやってやっていただいてくださってあげてもらってくださった聖人で英雄でスーパーマンのわしに感謝の気持ちを持てえ~え!」と怒られます。「『感謝します』と言いなさい」と言われて、言わなかったら「感謝の気持ちを持てない欠陥人間」と「診断」されますから、ロボトミーとか電気ショックとかされたくなければ「感謝します、感謝してます、感謝しますう」と言わなければいけません。「クリスチャン」の教えというのはそういう厳しいものです。小学校の3年から4年にかけて教会学校に来ていた頃はキリスト教も教会も嫌いではなかったのですが、いつしか、「クリスチャン」と「クリスチャン」の教えが嫌いになりました・・・。
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滅びよ、わたしが生まれた日、
男の子がはらまれたと言ったその夜。
その日には――時間あれよ、
上なる神その日を忘れ
光その上に照るな。
暗き闇とそれを取り返せ。
黒雲その上にとどまり
昼間の暗黒その日を驚かせよ。
その日は年の日の中に加わるな。
月の数の中にもはいるな。
その夜は―‐真暗闇がこれをとらえよ。
見よ、その夜は不妊の夜となり
喜びの声はあがらず、
呪えよ、これを、日を呪う者、
レビヤタンを起こすに巧みな者が。
夜明けの星も暗くなれ。
光を待つとも無駄で、
曙の輝きにもあうことなかれ。
わが母の胎の戸を閉ざさず
苦しみをわが眼から隠さなかった故に。

何故わたしは腹から出て死なず
胎から出たまま息絶えなかったか。
何故わたしは死産の子のように
光を見ない赤子のようにならなかったか。
何の故に膝があってわたしを受け、
乳房があってわたしは吸ったのか。
でなければわたしは安らかに伏し
眠りに入って安きを得たろう。
・・・・
( 『旧約聖書 ヨブ記』関根正雄訳。3章3節ー13節。 岩波文庫)
旧約聖書 ヨブ記 (岩波文庫 青 801-4) - 関根 正雄
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ヨブ記講演 (岩波文庫) - 内村 鑑三
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阪田寛夫詩集 (ハルキ文庫 さ 13-1) - 阪田 寛夫
阪田寛夫詩集 (ハルキ文庫 さ 13-1) - 阪田 寛夫

  大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)など読んでも、「東大に行った人は思いあがっている」から「女をいじめる」「女を泣かせよる」という感じはしません。むしろ、この世で誰が一番思いあがっているかというと、有名人で私が「思いあがっている」と思う人間というと、なんと言っても「揺り籠から墓場まで慶應症候群」小此木啓吾こそ「思いあがっている」と思えます。
生活の貧しさと心の貧しさ - 大塚 久雄
生活の貧しさと心の貧しさ - 大塚 久雄
  2年浪人して東大を受けた時、試験の前日、すでに何度も東大の駒場キャンパスには行ったことがあったのですが、それでも試験日の前日に行ってみた帰り、京王帝都電鉄井の頭線に「駒場東大前」駅から乗って「渋谷」駅で降りようとした時、電車の扉付近で、私より1歳年下で同じ市立中学校から同じ府立北野高校に行って現役で東大の文科三類に通って行ったUくんと会いました。「来てもらえたらうれしいです。ぜひ、頑張って通ってください」とUくんは言ってくれましたが、それでも私はまた落ちてしまった。
  それに対して、慶應大学にいやいや入学したところ、同じ年齢で同じ市立中学校から同じ府立北野高校に行って慶應大の経済学部に現役で行った阪本彰という男は私に「小学校の時も中学校の時も高校の時もおまえの方が俺よりも成績良かったかもしれないけれども、これで俺はいつでも好きな時に好きなだけ、おまえに『三べん回ってワン』と言わす権利があるんだ」と、阪本はそう言ったのだった。東大に行った人間のUくんと慶應大に行った阪本彰とはこういう違いがあったのです。東大の学生と慶應の学生にはこれだけの違いがあったのです。小学校の時の同級生に向かってそういう口をきくというのが「慶應タイプ」です。今から考えてみると、あの阪本という男は小学生の時からそういう人間、「慶應タイプ」だったように思います。だから、あの男は慶應大学に行って「ちょうど似合い」だったでしょう。
  『シェイプアップ乱』という漫画があって、高校生の乱ちゃんという女の子の家に東大受験のために浪人する男性が下宿することになった・・というので乱ちゃんはどんなに素敵なお兄ちゃんが来るのか・・と思ったら、来たのは「もっこりのお兄ちゃん」だった・・。「もっこりのお兄ちゃん」は1年間、浪人生活をして東大の文科三類を受けるがまた落ちてしまった。そして、2浪を経た後、3回目の受験の後、東大の文科三類を受けて合格発表を見に行ったら、ついにそこに「もっこりのお兄ちゃん」の受験番号があった。「あった、あった、俺の受験番号があったあ」と言って「もっこりのお兄ちゃん」が喜んでいると、向こうから「もっこりのお兄ちゃん」と同じ高校で同級生だった「東京大学理科一類現役合格の秀才」という男がやってきたので「もっこりのお兄ちゃん」は懐かしがって「お~い、何何~」と言って手を振ると、やってきた男は「フン、たかだか東大の入試みたいなもんに2年も浪人せんと通らんようなアホと口きけるかあ」と言い、「もっこりのお兄ちゃん」は「やかましいわ」と言うが、私だってもしも東大に現役で通っていたらその「東京大学理科一類現役合格の秀才」みたいに言ったということはないとは言えないが、言ったとしてもそれは冗談だ。少し前、京大の卒業式の動画がインターネット上に出ていたが、4浪で京大に入学して卒業する人がいて、京大のまわりの同級生が「よんろ~お、よんろ~お♪」と言い、「うるさ~い!」と言われた方が言っていたのが映っていたが、それなんかも「よんろ~お」とか言ってもそれも冗談だ。それに対して「慶應タイプ」の阪本は「慶應タイプ」だけあって小学校の同級生に向かって本気で「小学校の時も中学校の時も高校の時もおまえの方が俺よりも成績良かったかもしれないけれども、これで俺はいつでも好きな時に好きなだけ、おまえに『三べん回ってワン』と言わす権利があるんだ」という口をきいたのだった。阪本は小学生の時からそういう人間(「慶應タイプ」)だったが、慶應という学校は試験を受けて通ったり落ちたりして行くのではなく試験なんか受けずに入学する人(内部進学)の人の大学であり、そういう入学試験なんか受けずに入学する人の大学の軒の先っぽの下にお情けで入れていただいている、ありがたく思え・・という大学であるから、だから、東大や京大の人間とは感覚が違うのだろう。そういえば、2浪の時に模擬試験を受けに行った際、模擬試験会場で前年、YMCA予備校高槻校の京大東大文系クラス・K1クラスで一緒のクラスにいた人と会うことがあったが、その際、「2浪やろお。実は俺、3浪やね~ん」なんて教えてくれたのだったが、京大の文学部に行きたいと言っていたあの人は通ったのだろうか。小学校の1年から真面目に努力して勉強してきて京大なり東大なりに行こうとした人間は慶應なんか行くもんじゃないなあ・・と思う。又、慶應に行かされるのなら、不良の行く大学みたいなもんに行かされるのなら、何も小学校の1年から同級生が遊んでいる時にあんなに勉強することなんかなかった。私は小学校の3年の時の健康診断では両眼とも1.5見えたが、その後、近視になってしまい、0.1見えるかどうかくらいになってしまった。私が中学生の時、うちの母親は私に「眼えみたいなもん、つぶれてもかまわん! 受験がすべてや」とそう言ったのだ。そんなこと親が言うかなあ・・と思ったのだったがうちの親はそう言った。そして、浪人したあげくに、そんなに勉強せん人間が行く大学に行かされてしまった。慶應みたいなもんに行かされるのなら、あんなに勉強する必要もなかったし近視になることもなかったのに。50代の前半から老眼が少し出てきて50代の後半からはっきりと老眼になった。老眼と近視と両方というのはけっこう大変で、せめて、どちらか片方ならいいのにと思う。小学生の時からあんなに勉強しなかったら近視になることもなかったのにと思うと、なにゆえに私はドブに捨てさせられるための努力をあんなにさせられてしまったのだろうかと思う。

  「東大に行ったら思いあがった人間になる」などといううちの母親が私が高校3年の時に行ってボコボコ私をホウキで殴りつけたその文句は正しくないと思う。うちの母の叔母に上と下が女で真ん中が男の子供がいて、長女の夫は東大法学部卒で、真ん中の息子は東大経済学部卒で、下の次女の夫だけが慶應大卒だそうだったが、その慶應大卒の人が「俺の方が(東大卒の2人よりも)年収が多いんだからな」としばしば言うそうだった。うちの母親はその話を聞いて「慶應卒の人の方が年収が多いんやてえ」などと言って「慶應大卒の人が東大卒の人より優れた成果を出した」みたいに解釈していたが、私は実際に慶應大学に行った者なので、その人とは会ったこともないので、その人は違うかもしれないけれども、慶應大卒の人には「年収自慢をする人」というのがけっこう多く「人はパンのみにて生きるものではない」という考え方がない「慶應タイプのブタ人間」というのが慶應の学生や慶應卒の人には多いということを知っている。ジャン=ポール=サルトル『自由への道』(人文書院)で登場人物が「こいつは両腕いっぱいにカネと生活をだかまえて生きていくやつだ」と言う場面があったが、
自由への道 (1) (岩波文庫 赤 N 508-1) - サルトル, 海老坂 武, 澤田 直
自由への道 (1) (岩波文庫 赤 N 508-1) - サルトル, 海老坂 武, 澤田 直
そういう「両腕いっぱいにカネと生活をだかまえて生きていく人間」即ち「慶應タイプ」が慶應大卒の人には大変多い、ということを知っているので、その人もそういう人なのか? ・・とか思ったりする。あるいは、大谷愛人(ひでひと)・泉治典『古典入門 キルケゴール『死に至る病』』(有斐閣新書)には「これらの作品は鏡のようなものだ。猿がのぞいても使徒の顔は浮かんでこない」という「キルケゴールが好んだレンテンマルクの言葉」というものが載っているのだが、まさにその「猿がのそいても使徒の顔は浮かんでこない」というその「猿」みたいな人間が慶應は大変多い大学だ。〔もっとも、こういうことをうかつに言うと「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか小此木啓吾のエピゴウネンに「診断」されそうだし、「自我が確立されていないからわざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「慶應心理学」に「診断」されることになるから、もう怖いこわい怖いこわい・・「心理学」(及び「精神医学」「精神分析学」「カウンセリング」)はもう怖いこわい怖いこわい怖いこわ~い!!! 怖いこわい怖いこわ~い!!! 〕
古典入門 キルケゴール 死にいたる病 - 大谷 愛人, 泉 治典
古典入門 キルケゴール 死にいたる病 - 大谷 愛人, 泉 治典
  「人はパンのみにて生きるものではない」などと言うと、「おまえ、何を甘ったれてるねん」とかうちの父親とか阪本とかいった「慶應タイプ」は言うであろう。「慶應タイプ」の人に「人はパンのみにて生きるものではない」などとうかつに言おうものなら「モラトリアム人間病」とか「診断」されて「治療」される危険がある。怖いこわい怖いこわい・・・。慶應には小此木啓吾内部進学独善主義の同類みたいなのがいっぱいいるから、そういうのには決して本音で話をしてはいけない。そいつらにうかつに本音で話したりすると、「診断」されるぞお!!! 怖いこわい怖いこわい・・・。 そういう人間が「慶應タイプ」であり、そこの学校に行くとそういうビョーキが移る・・・可能性がある・・と思うと私はそういうビョーキが移されそうな学校には行きたくなかった・・が、結局、行かされてしまい卒業した。今もそうかどうかわからないが、1970年代後半から1980年代にかけて、慶應大学はで法学部法律学科・法学部政治学科以外の学部には入試に「国語」がない「入試に国語がない大学」で、福沢諭吉が「実学の勧め」と言ったのはそれは文学・哲学にも実学と虚学があり、『脱亜論』などで朝鮮は学ぶものがない国だと福沢諭吉が言ったということに今も韓国の人は怒っているらしいが、福沢諭吉は西洋近代思想こそ学ぶべき実学であり、それに対して「孝」だの「忠」だのといった孔子の教えなどというものは社会を停滞させる虚学であって、そんなものを大事にしている朝鮮は「学ぶものがない国」だという意味で言ったはずで、これは中国では戦後に毛沢東らによる孔子批判がおこなわれたものと共通するものだと思われ、福沢諭吉が「虚学」を廃しと言ったのは決して文学・哲学は虚学で語学や簿記が実学だと言ったわけではないはずなのだけれども、慶應の人間には文学や哲学は虚学だと解釈して否定するブタ人間が大変多い・・のはひとつは「国語が入試にない大学」だったからということが原因にあり、又、慶應大の学生や卒業生に強姦摩が多いというのも「国語が入試にない大学」というのが原因としてあると私は思っている。 私が30代だった時、母の知り合いのおばさんが「おたくの坊ちゃんて北野高校を卒業した人なんですよね。北野高校を卒業して慶應大学に行った人なんですよね。それなのに、どうして、あんなに学校出てない女の子に優しいんですか」と言った人があったらしい・・・が、そうだとすると、それは私が「慶應タイプ」ではないからだ。(株)一条工務店で福島県いわき市の営業所に勤務していた時に、見込客の人から「〇〇さんはどこの大学出てられるんですか」ときかれて、正直に「慶應です」と答えたら、「へ~え。あんまり、そんな感じしませんね。東大かと思ってました」と言われたことがあったが、「うわ~あ、あ~あ・・」て感じの「慶應タイプ」みたいにはなりたくないなあ、ああいうビョーキ移されたくないなあ・・とずっと思ってきたから、だから、慶應大学の卒業証書はもらったけれども、影響をまったく受けなかったわけではないがそれほどは「慶應タイプ」にならずにすんだ・・てこと・・かもしれない。

  うちの母親は自分の息子に小学校の時からの同級生に向かって「小学校の時も中学校の時も高校の時もおまえの方が俺よりも成績良かったかもしれないけれども、もうこれからは俺の方がえらいんだから、俺はこれからいつでも好きな時に好きなだけ、おまえに『三べん回ってワン』と言わす権利があるんだ」と言うような男が「大好き」だったようだった。

  小さい頃に見たものは大きく感じると言われます。1980年に東京都大田区田園調布の日本キリスト教団田園調布教会に母を連れていった際、うちの母が「南大阪教会より大きい」と言うので、「いや、南大阪教会の方が大きいでしょう」と言ったのだが、その後、南大阪教会に行ってみると、田園調布教会の方が南大阪教会よりも教会堂の大きさも大きく敷地の面積も広かった。子供の頃に見たものは大きく感じるということは実際にあったようだった。
  もっとも。 田園調布教会は、私は大学生という立場の時に行ったので礼拝に出た時には毎回100円払うだけだった。小学生の時は10円払っていたが大学生はさすがに10円ではいかんだろうが自分で生活費を稼いでいない大学生があまり高額を払うのはかえってよくないとも思い、毎回100円払っていたのでお金としてはたいした金額を払っていなかったが、しかし、何らかの行事がある時には椅子や机を並べたり、バザーのポスターを作成して貼りに行ったりとか労力は相当提供したはずだった、カネはたいした金額は払っていなかったが労力は相当提供したはずだった・・・が、少し行くことなく間があいて顔を出した際に牧師の高橋さんに「こんにちわ。ご無沙汰してしまいました」と挨拶したところ、彼はどうしたかというと、「あ・・」と言っただけであごを下から上へ1センチ程度上げただけだった。少しだけ下げたのなら「会釈した」と無理矢理解釈できないこともないかもしれないが、彼は「あ・・」と口から発しただけであごを「下から上へ」1センチ程度上げただけだった。その何年か前、田園調布教会でバザーをおこなった日の前日、バザーの飾り付けがされた教会堂を見て「何かやってるみたいだ」と思って入り込んできたおっさんがいたらしく、どうなっているんだと思って階段を登って和室に入ったまではいいが、酒が少々入っていたみたいで眠気がしたらしく押入に入って寝込んでしまったらしく、いびきが階下にいた高橋牧師まで聞こえてきたらしい。高橋さんはなんでいびきが聞こえるのかと思って階段をあがって「こそお~っと」押入の引き戸を開けてみると、そこでおっさんがいびきをかいて寝ていたらしい。「ちょっと、お父さん、そこは押入ですがな。そんな所で寝てもろうたら困りますがな」とでも言えば、「ああ、寝てしもうたのか。あ、どうもすいません」と言っておしまいだったのではないかという気がする・・のだが、高橋さんはどうしたかというと、「そこで、私はぬ~きあし、さ~しあし、し~のびあしで階段を降りまして、そして電話の所まで行って、ひゃくとおばん通報を・・したんですんねええ~え」とそうおっしゃったのだった。牧師先生さまが。ヴィクトル=ユーゴ―『レ・ミゼラブル』に登場する司教ならまずそんなことはしないだろう・・と思うが、『レ・ミゼラブル』に登場する司教と同じ対応をしないといけないということはないとしても、私はその場で見ていたわけでもないが、何もそんなことしなくてもいいのではないのか、110番通報までする必要があるとも思えないし、そのおっさんは何をしたかというと「寝ていた」だけではないか・・と思うのだが、田園調布教会の牧師はそういう対応をしたのだった。たとえ、110番通報したとしても「私も、ともかくも教会という所に来られた方を警察に引き渡すというのはいかがなものかとも思ったのですが、バザーの前日で皆様からお預かりした物もあることでしたので、迷いましたが110番通報させていただきました」とでも言うのならまだわからないでもないが、「ぬ~きあし、さ~しあし、し~のびあし♪」て、なんだそりぁ・・( 一一)  それが日本キリスト教団 田園調布教会の牧師だった。高橋さんの息子は私より少し年上だったが慶應義塾高校から慶應大学の医学部に進んでいたが、「牧師の息子が慶應義塾高校なんか行っていいのか」「牧師の息子が慶應大の医学部なんか行っていいのか」というのがその時の私の感想だった。『レ・ミゼラブル』に出てくる司教は「牧師が金持ちであるというのはおかしい」と言う。「牧師の息子が慶應義塾高校になんか行くのはおかしい」と私は思ったが高橋泰二さんもその息子も「牧師の息子が慶應義塾高校になんぞ行く」ということに何の抵抗も感じていないようだった。田園調布教会の牧師みたいなもんを『レ・ミゼラブル』に出てくる司教と比べることが第一に間違っているのだが、牧師の息子が慶應の内部進学の学校になんか行っていいのか? 極めて疑問を感じたものだった・・・が、それから何十年か経って気づいた。もしかして、あの人は自分自身が慶應の内部進学だったのではないのか、と。慶應の内部進学の人には私がその時に感じたような「牧師の息子が慶應の内部進学の学校になんか行っていいのか」という思考は存在しない。彼らは自分たちは常に正しいと思っており、彼らは自分たちは間違っていても正しいと思っており、彼らは自分たちは常に「教育する」側だと思っており、彼らは自分たちと異なる考えの物は「思考の硬さが気にかかります」で「自我が確立されていないからそういうことを言うということですね」と思っている。田園調布教会は東急東横線「田園調布」駅が最寄駅で、東急東横線で田園調布から西に何駅か行った「日吉」に慶應大日吉キャンパスがあって付近には慶應大の教員がけっこう住んでいたようで田園調布教会も「慶應の先生も来ておられます」という教会だったがその種の「塾風教徒キリスト派」みたいな人が来ていた教会だったようだった。慶應の内部進学の人間は「内と外」という思考・世界観が強固に身についており、大学だけ慶應に行った人間は「外部の者」と彼らは「外」と呼ぶのだが、田園調布教会の高橋さんもその思考・その世界観の人だったのではないか。だから、教会に来る人も「ぜひとも来てもらいたい人」(=「内」)の人が来ると「なになにすああああ~あん!」と声を裏返らせて「放蕩息子の帰還」の時の父親みたいに黒い牧師服をひるがえらせて風を巻いて飛んでいくが、私なんかがこちらから挨拶しても「あ」で終わり。さらに酔っ払いのおっさんがバザーのしつらえを見て「何かやってるみたいだな」と思って入ってきたのはいいが酒が入っていたことから押入に入って寝てしまうと「ぬきあし、さしあし、し~のびあし」と階段を降りて「ひゃくとおばん通報を、したんですんねええ~え」と、そういう対応になる。考えてみれば「わかりやすい男やなあ」てものだ。その酔っ払いのおっさんは「おまえは来るな」と意思表示されたのであり、私は「来たいなら追い出したりはしないけれども、別に来なくてもいいよ」という態度を取られたのであり、そして、田園調布付近の「大口のお客さん」「太客(ふときゃく)」のおばあさんが来ると、まだまだ遠くにいるのに「なになにすあああああ~あん」と叫んで「放蕩息子の帰還」の父親のごとく風を巻いて飛んでいく・・( 一一)  結論として私は田園調布教会の牧師から「来なくていい人」と認定されたのだから、そんな「けったくその悪い教会」みたいなもの、行かない方がいい、ということだ。「けったくその悪い教会」なんぞ。最近、田園調布教会は立て直したようなのだが、見に行ってみると、かつてはなかった「セコム」のシールが入口に目立つように貼られていた。それを見て思ったのだ。そのセコムのシールで私は「守られる側」なのか「排除される側」なのか、どちらなのだろうか、と。結論として「排除される側」だろうと思われた。「わかりやすい男」の高橋泰二さんから私は、私の方から挨拶しているのに「あ」とだけ口にしてあごを下から上に1センチ程度上げるだけという態度を取られたのだった。たしか、その時、夕拝だったと思うのだが「ああ、〇〇さん、こんばばんわ。元気にしてられますか」とそれだけ言うのに、いったいいくらかかるよ。その程度のことも言えないのか・・というと言えない・・というより言いたくないのが田園調布教会の牧師だったのだ。「太客(ふときゃく)」「大口のお客さん」が来ると、まだ遠くにいるのにその姿を見つけると「ああ~あ、何なにすああああ~あん」と叫んで「放蕩息子の帰還」の父親のごとく風をまいて飛んでいくのに対して、私がこちらから挨拶しても「こんにちわ」「こんばんわ」すらも言いよれへん。牧師って人から挨拶されても「こんにちわ」も「こんばんわ」も言わない言えない人間なのか・・・というと、すべての牧師がというわけではないが高橋泰二さんはそういう人だったのだ。「あ」でおしまい。私は「あ」でも言ってやればいい人間と、慶應内部進学か?・・という高橋泰二さんは判断したわけだ。それが田園調布教会の牧師だった。「あ・・」でも言ってもらえただけありがたいと思えてものだったか。110番通報されずにまだ良かった(笑)  警察呼ばれずに良かった(笑) 田園調布教会はそういう教会だった。もう、行くこともないだろう。あんな教会に労力を相当提供したというのが何より間違っていた。牧師が息子を慶應義塾高校に行かすということに何ら疑問を感じないような男が牧師をやっていたようなそんな教会に労力を提供した私が間違っていた。東急東横線「田園調布」駅の西側は「金持ちの住むいやったらしい所」て感じではなく「都市計画が計画的におこなわれた整頓されたきれいな町並み」であり、今後も時間があれば行ってみたい所だけれども、田園調布教会にはもう入ることは二度とないだろう。行くべきでない所に行ってしまったのだ。「塾風教徒キリスト派」みたいな人が行く、「息子を慶應義塾高校みたいなものに行かすような男が牧師をやってる教会」だった。それから考えれば南大阪教会の方がずっといいように思う。「普通の人」が行っていい教会ではないかと思う。

  最近、10代女性の死亡事件が続いている北海道の旭川市は三浦綾子が住んだ街で『氷点』『続氷点』の舞台としても登場する街だが、「リーゼント元刑事」とその相方がYouTubeチャンネルで「旭川は関係ないですからね」などとそうであるのかないのかろくに調べもしないで発言していたが、これだけ、事件が続いているということは何か、その地域もしくはその地域の機関に理由があると考える方が妥当であり、そこから眼をそらさせようとしているのか? ・・と思われる「元リーゼント刑事」秋山某は要注意・・と思われる。


  次回https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503810290.html は、南大阪教会とは「あびこ筋」を隔てた逆側(東側)の文の里商店街の方に行ってみます。

  (2024.6.26.)

☆ 日本キリスト教団 南大阪教会 とその付近・界隈
1.寺西家長屋(大阪市)・昭和町駅付近、アルバイト漬けにされてもモラトリアム人間病で小此木啓吾やアルバイトなんか何もしない大学生はモラトリアム人間病ではないのは月5万円酒代使う男がアル中で10万円酒代使う男がアル中でないのと似ているhttps://philoarchi2212.seesaa.net/article/503680045.html
2.日本基督教団南大阪教会・村野藤吾設計の塔屋・さっちゃんの歌の碑。「東大に行ったら思いあがった人間になって女を泣かす」か「慶應に行ったら女たらしに悪影響うけるか」〔今回〕
3.文の里商店街と桃山学院高校・明浄学院高校。真夏に北野田駅から桃山学院大学まで歩いた思い出。「男の子は何でもさせてもらえてええなあ」なんて絶対嘘だhttps://philoarchi2212.seesaa.net/article/503810290.html
4.桃山学院高校が嫌いな理由1「女子大生がいたら慶應の学生証を顔の前に突きつけてやろうか」という「水戸黄門の印籠」男( 一一) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503932251.html
5.桃山学院高校が嫌いな理由2ラグビーのため「だけ」に生まれてきた男。おのれの立場を認識できない男〔今回〕
6.桃山学院高校が嫌いな理由3お葬式があると必ず何かやる男。うちはあんたに今後絶対に何か頼むことはないと言ってすぐ後で息子の結婚式に出てくれと頼む男 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/504126690.html 
7.桃山学院高校が嫌いな理由4嫌いな甥の悪口言うために関係ない高校をけなす男 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/504156267.html 
8. 

★ 日本の教会シリーズ
東京都
東京カテドラル聖マリア大聖堂[東京都文京区]
(「建築家」と「建築屋」と「建築士」はどう違うのでしょうか??? 〔引っ越し掲載〕)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201101article_3.html
日本キリスト教団 本郷中央教会[東京都文京区](ヴォーゲル)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201412article_1.html
日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂(ニコライ堂)(ミハイル=シチュールポフ・ジョサイヤ=コンドル) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201512article_2.html
サントリーホール背後の霊南坂教会十字架 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201612article_1.html
青山学院 1.ウェスレー像 他 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201702article_2.html
  2.ガウチャー記念礼拝堂・蔦のからまるチャペル 他 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201702article_3.html
新国立美術館 安藤忠雄展。「光の教会」(大阪府茨木市 日本キリスト教団 茨木春日丘教会 教会堂の「復元」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201711article_11.html
早稲田奉仕園 スコットホール・友愛学舎、信愛学舎 訪問。
1.スコットホール・奉仕園会館・友愛学舎・ベニンホフ像 他 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201801article_5.html
2.信愛学舎。「・・・のために」なしで生きられない人。いかさまの慈善。慶應の不良サークル。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201801article_6.html
3.聖書を否定する「敬虔なクリスチャン」。「クリスチャンの4大義務」。YMCA予備校はなぜだめか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201801article_7.html
4.「敬虔なクリスチャン」に取り上げられた聖書。入試で白紙で出して望みをかなえられた人と踏みにじられた者。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201801article_8.html
5.国立大学の哲学科・宗教学科に行かせてもらえなかった私、大阪経大とトーシンダイ(東京神学大学)に行った牧師。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201801article_9.html
6.私の親が私には出してくれなかったカネを「特別献金」で払ったカネで 私大出の男がトーシンダイに行った。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201801article_10.html
田園調布と田園調布の教会
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_2.html
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_4.html
5  日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_5.html
6.  同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_6.html
7.  同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_7.html
8.  同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_8.html
9.  同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_9.html
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_12.html
13.カトリック田園調布教会聖フランシスコ修道院 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_14.html 
救世軍 本営[東京都千代田区]https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201905article_2.html
明治学院礼拝堂と記念館・インプリー館[港区]https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201912article_3.html
「サンパウロ」「サンパオリーノ」[新宿区]https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_3.html
日本キリスト教団 番町教会 と 四谷界隈の「キリスト教」関連施設。
1.市ヶ谷駅から番町教会へ。「結婚式場専用教会」と日本キリスト教団の教会を一緒にする安藤忠雄。「教会」と名づけたパフォーマンス建築の丹下健三。教会の建物は特別の建物でなくてよいけれども「教会らしい」建物の方がいい。息子には出さないカネをよその息子に「特別献金」する親とそれを勧める牧師 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202207article_1.html
2.「さりげなく教会」型デザインの番町教会とさりげなく存在する十字架。背後から聴こえるオルガンはいかがか。「キリスト教系」学校出身者は慶應内部進学と共通点がある https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202207article_2.html
3.幼きイエス会・雙葉高校・上智大学・聖イグナチオ教会・女子パウロ会。「隅の親石」を捨てる戸建住宅建築業の会社。聖パウロ修道会が作ったらしい文化放送 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202207article_3.html
4.聖パウロ修道会「サンパウロ」と修道院製品店「サンパオリーノ」。大阪星光学院なんて受けなくてよかった。上智大西側の通りと堤。信仰するなら神と『聖書』を信仰すべきで、「聖職者」を信仰するな! 価値観は多様化なんてしてないと思うぞ https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202207article_4.html
※ (2016年4月) 東京のキリスト教書店1 「サンパウロ」「サンパオリーノ」及、四谷界隈。イナカモンの低俗「高級ホテル」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_3.html
日本キリスト教団 富士見町教会(東京都千代田区)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/501854311.html

神奈川県
慶應義塾大学 YMCAチャペル[横浜市港北区](ヴォーリズ)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_3.html
日本キリスト教団 清水が丘教会[横浜市南区]https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201309article_1.html

愛知県
豊橋ハリストス正教会(正使徒福音記者マトフェイ聖堂) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201609article_1.html

京都府
京都大学YMCA会館・地塩寮、京都府立医大橘井寮(ヴォーリズ)[京都市左京区] https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201705article_2.html
同志社 今出川校地
1.共学同志社見学。JRと京都地下鉄の駅名のつけ方。母親の自慢を本気にする男 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201902article_1.html
2.裏口入学は「庶民」か? 「思考が柔軟」か? 西門、彰栄館https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201902article_2.html
3.グリーン設計の礼拝堂。「パンのみにて生きるにあらず」を理解する者しない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201902article_3.html
4.「ハリス理化学館 同志社ギャラリー」、大学からなくなるスピーカーズコーナー https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_1.html
5.明徳館、『同志社のシンボルとなっている塔』のある建物。「美しき水車屋」の娘? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_2.html
6.千葉教会と同じリヒャルト=ゼール設計の「大志を抱け」とは別人のクラーク記念館 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_3.html
7.寒梅軒、牛の像と大日如来石碑。有終館、致遠館、正門からすぐの良心の碑 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_4.html
8.啓明館。ヴォーリズ設計は新島遺品庫。栂と黒松。京都御苑から相国寺 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_5.html
9.アーモスト館。パラディアンウインドウ、ギャンブレル屋根。「アマースト大学」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_6.html
10.同志社女子大栄光館。武田五一知ってる? 学校は建築家が完成させない方がいい https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_7.html
11.大丸ヴィラ・日本ナザレン教団上京教会・日本聖公会聖アグネス教会ほか https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201903article_9.html

大阪府
日本キリスト教団 南大阪教会[阿倍野区](村野藤吾)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_2.html

カトリック大阪梅田教会[北区]
《1》 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
《2》 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_5.html

高槻カトリック教会(高山右近記念聖堂)[高槻市] https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
日本キリスト教会高槻教会[高槻市]https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
日本基督教団東梅田教会(一粒社ヴォーリズ建築事務所) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_1.html
日本基督教団扇町教会 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_2.html
日本キリスト教団 箕面東教会[箕面市] https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201709article_2.html
ガラシア病院[箕面市] https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201710article_7.html

日本基督教団 箕面教会
1.一般的「洋風教会型建物」だが使える建物の箕面教会 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201811article_2.html
2.府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮
3.寺社と違って植木を刈らない牧師+「高卒のおっさん」との「競争」は災難 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201811article_4.html
4.「債権者に追われた」人て被害者ですか?「家が貧乏」なら慶應には行けませんか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201811article_5.html
5.「特別献金」でトーシンダイに行った男。「思考が柔軟だから」裏口入学の男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201811article_6.html

大阪クリスチャンセンター・日本キリスト教団大阪教区事務所・大阪女学院・カトリック玉造教会(聖マリア大聖堂)〔大阪市中央区〕
1.大阪クリスチャンセンター・日本キリスト教団大阪教区事務所・大阪女学院 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503467754.html
2.「芋畑なんか相手にしないのよ」てイメージの神戸女学院vsそうでもないイメージの大阪女学院https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503486093.html
3.大阪大司教区の司教座教会のカトリック玉造教会(大阪聖マリア大聖堂)、細川ガラシャの像があるのはhttps://philoarchi2212.seesaa.net/article/503513548.html
4.大阪聖マリア大聖堂、左側の高山右近像と右側の細川ガラシャ像。細川ガラシャの碑https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503526785.html
5.「ファティマの聖母と羊飼い」「師イエズス修道女会」による「典礼センター ピエタ」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/503580028.html

兵庫県
神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)[神戸市灘区](ウィグノ―ル)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201311article_1.html 
日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会[神戸市灘区]https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201312article_1.html
関西学院教会 関学 ランバス記念礼拝堂(一粒社ヴォーリズ建築事務所)、関学神学部棟(ヴォーリズ) 他[西宮市]https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
カトリック夙川教会[西宮市] https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201406article_1.html
ショファイユの幼きイエズス修道会 修道院・アンティエの家。 日本キリスト改革派宝塚教会。仁川学院。 [宝塚市] https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201706article_1.html
カルメル会修道院・日本基督教団甲東教会・仁川学院[西宮市] 

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