大聖寺[3/4]不動堂の北側の池。大六天王(山倉さま)? 石段前の像は阿修羅像なのか。阿舎羅山の山号は阿修羅からか不動明王・シバ神の別名 アチャラ・アチャラナータか―照願寺・大聖寺【7/8】

[第680回]
  千葉県いすみ市大原 の 関東36不動霊場 第35番 の 千葉県いすみ市大原 の大聖寺阿舎羅山 不動院 大聖寺)(波切不動)(天台宗)参拝の3回目です。
  大聖寺では、室町時代に施工されたと思われる重要文化財に指定されている茅葺きの不動堂があって、その後ろに1973年(昭和48年)に建てられた鉄筋コンクリート造の本堂があり、重要文化財に指定されている茅葺きの不動堂の方ではなく、鉄筋コンクリート造の建物の方が本堂のようです。
  不動堂および本堂は小山というのか丘というのかの上にありますが、その下のあたりに池があります。↓
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  池には水鳥が泳いでいるのが見えます。↓
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  赤い橋 ↓
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・・を渡った所に、お堂なのか祠なのかがあります。↓
池の中の島・・というのかに橋を渡った所にあるお堂なのか祠なのかなので、又、橋も赤い色の橋ですので、弁天さんかと思ったのですが、そうではなさそうです。
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大聖寺 - 千葉県いすみ市 - 不動堂は重要文化財 - 大原駅14分https://www.visiting-japan.com/ja/articles/chiba/j12is-daishoji.htm には、
《 門前にある大聖寺堰には、大六天王(山倉様)が祀られている。》
と書かれているのだが。
  「大六天王「山倉さま」とは。
ウィキペディアー第六天神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE とは、
《 第六天神社(だいろくてんじんしゃ)は、関東地方(旧武蔵国)を中心としてその周辺に存在する神社。なお、神社によっては第六天を「大六天」と表記する場合もある。》
《 元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代における第六代のオモダル・アヤカシコネ(面足命・惶根命)に祭神を変更した。》
《 第六天神社が所在する分布にも大きな特徴があり、東日本において関東の旧武蔵国を中心に旧相模国、旧伊豆国などに存在するが、西日本では皆無となっている。これは神奈川県神社庁の 『かながわの神社ガイドブック』(1997年、かなしん出版)によると、戦国時代の覇者である織田信長が篤く信奉していたとされることから、天下統一の跡を継いだ豊臣秀吉が第六天の神威(しんい)を恐れ、拠点としていた西日本の第六天神社を尽く廃社したためという。なお、信長が信奉し自ら「第六天魔王」と名乗っていたとされるのは、イエズス会宣教師ルイス・フロイスの書簡の中で紹介されている、武田信玄と信長が書状のやり取りをした際の話からきており、それによると「信玄がテンダイノザス・シャモン・シンゲン(天台座主沙門信玄)と署名したのに対して、信長は仏教に反対する悪魔の王、ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガ(第六天魔王信長)と署名して返した」とされるが、実際に自ら名乗っていたという文献などは他に存在しない。》
とある。「山倉さま」と「大六天魔王」はどう関係あるのかというと、
ウィキペディアー山倉大神 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%80%89%E5%A4%A7%E7%A5%9E には、
《 山倉大神(やまくらだいじん)は、千葉県香取市山倉(下総国香取郡)にある神社。》
《 弘仁2年(811年)の創建で、大六天王社の総社として古くから人々の信仰を集めている。現本殿は安永7年(1778年)に建立されたもの。江戸期までは真言宗山倉山観福寺別当であったが、明治の神仏分離令により大六天王を観福寺に遷座、明治3年(1871年)山倉大神と改め、高皇産霊大神、建速須佐男大神、大国主大神を祭神とした。》
と出ている。 
  「仏教に反対する悪魔の王」が天台宗の不動明王を祀るお堂のすぐ前の池の対岸で祀られているのか?

  そういえば、不動堂の石段の手前には、何本かの手を持つ仏さまが祀られていたが、↓
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↑ 何本もの手を持つ仏さまというと、千手観音かと思ったが、『古寺をめぐる50 東日本の霊場めぐり』(2008.2.5.小学館)を見ると、あるいはウィキペディアー大聖寺(いすみ市)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%AF%BA_(%E3%81%84%E3%81%99%E3%81%BF%E5%B8%82) を見ると、大聖寺の名前も「阿舎羅山 大聖寺」と出ており、もしかして、「阿舎羅(あしゃら)」は「阿修羅(あしゅら)」で、石段下で祀られている仏さまも「阿修羅像」で、丘の下に阿修羅、橋を渡った池の対岸に第六天魔王が祀られるのか・・?
  それとも、元々、阿修羅とか第六天魔王とか、少々、くせのある仏さまを祀っていた地区で、そこに丘の上に不動明王を祀ったのだろうか。
週刊 古寺を巡る 50号(2008/2/5) 東日本の霊場めぐり 豊かな自然と歴史をもつ多彩な東国巡礼 (小学館ウイークリーブック) - 小学館
週刊 古寺を巡る 50号(2008/2/5) 東日本の霊場めぐり 豊かな自然と歴史をもつ多彩な東国巡礼 (小学館ウイークリーブック) - 小学館
  阿修羅とは、「【仏像の知識】阿修羅とは? - 帝釈天との闘いに敗北後、仏教の守護神に」https://shishi-report-2.hatenablog.com/entry/kiso-asyura によると、
《 釈迦如来の教えを広める手助けをするグループ(八部衆)に所属する、阿修羅。
元は、血気さかんな戦闘神で、いつも帝釈天と争っていたといいます。
帝釈天との闘いに敗れたあと、釈迦の説法で改心し仏教の守護神となります。》
とある。
  コトバンクー不動明王 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%98%8E%E7%8E%8B-125428#goog_rewarded 「精選版 日本国語大辞典 「不動明王」の意味・読み・例文・類語」には、
《 ヒンドゥー教のシバ神の異名で、アチャラナータAcalanātaといい、漢音で阿遮羅嚢他(あしゃらのうた)とあてる。アチャラは無動尊の意。大日如来(だいにちにょらい)の命を受けて忿怒(ふんぬ)相に化身(けしん)したとされる像で、密教では行者に給仕して菩提(ぼだい)心をおこさせ悪を降(くだ)し、衆生(しゅじょう)を守る。五大明王、八大明王では中央に位置する主尊。》
と出ており、「阿舎羅山 大聖寺」の「阿舎羅」は不動明王・シバ神の「アチャラナータ」「アシャラノウタ」「アチャラ」のことなのかもしれない・・が、「阿舎羅(あしゃら)」と「阿修羅(あしゅら)」は音が似ており、何らかのつながりがあっても不思議でないようにも思えるのだが。・・それとも、もしかして、阿修羅と不動明王はもともとは同じものだった? ・・
 不動明王にしても阿修羅にしても第六天魔王にしても、何かと戦闘的・武闘派的な仏さんではあるが・・・。

  千葉県高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には、
《 またこの寺の裏山には、第二次世界大戦中に供出され、戦後アメリカから返還された旧 長栄寺(ちょうえいじ)梵鐘、通称「平和の鐘」がある。この鐘は「貞享(1686)年」銘があり、大原町に現存する最古の鐘である。》
と書かれており、同書記載の地図によると、「旧長栄寺梵鐘(平和の鐘)」は大聖寺の南の池の南側の丘にあるようだが、今回、行きそびれた。再度、足を運ぶ機会があれば、行って見たいが、足を運ぶ機会があるかどうかはわからない。
千葉県の歴史散歩 (歴史散歩 12) - 千葉県高等学校教育研究会歴史部会
千葉県の歴史散歩 (歴史散歩 12) - 千葉県高等学校教育研究会歴史部会

  インターネットで「大聖寺」と検索すると、大聖寺は千葉県いすみ市大原の大聖寺(天台宗)のほかに、京都市上京区の同志社大学の烏丸通をはさんだ西側にも臨済宗の大聖寺があり、京都市上京区の大聖寺の本堂は国登録有形文化財の指定を受けているらしい。
※ ウィキペディアー大聖寺(京都市)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%AF%BA_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82)

  千葉県高等学校教育研究会歴史部会編『千葉県の歴史散歩』(2006.5.31.山川出版社)には、
《 照願寺から5分ほど漁港方面にいくと、太平洋につきでた八幡岬にぶつかる。この岬は、戦国時代には小浜(こはま)城とよばれた塩田浦(しおたうら)(現在の大原漁港)を出入りする船と内海を監視する海城(うみじろ)である。現在は激しい浸食によって大部分の遺構が失われているが、主郭部や堀切の跡も確認できる。
  小浜城のある八幡岬をおりて先端部の海岸の近くにでると、洞穴が存在する。これは第二次世界大戦末期の1945(昭和20)年に、海軍によってつくられた水中特攻艇 回天(かいてん) 小浜基地の跡である。本土決戦を間近に控え、日本軍は最後の特攻作戦にでようと、1944(昭和19)年に海軍軍令部は9種類の特攻兵器の開発をすすめた。そのうちの1つが、人間魚雷回天である。現在では、基地跡入口の一部はふさがれているが、内部には格納庫跡や燃料庫跡などが当時のまま残っている(安全上の理由から内部にははいれない)。》
と出ている。 見に行ってみたかったが、2寺を訪れて疲れてしまい、今回は大原漁港に寄って駅まで戻ることにした。
  今となっては何十年も前になるが、戦中、うちの伯父がこの場所でではないが、回天の船の整備の作業をやったことがあったらしく(やりたくてやったのではなく命じられてやったのだが)、自分が整備した船で人が死にに行くのが嫌だったと話していたようだった。『花の応援団』だったか、そういった不良学生を描いた漫画で、「がくらん」に「回転」と大きく書いた服を着た「不良」喧嘩学生が登場していたが、その「回天」とは戦中の「海の特攻隊」の「回天」のことだと思うのだが、喜んで服に書き込んで着るような性質のものではないように思う。

  照願寺(浄土真宗 本願寺派)(「関東二十四輩」の念信の寺)・大聖寺(天台宗)(「関東三十六不動霊場」第35番、重要文化財に指定される不動堂がある寺)の北側の東西の道、県道175号を東に行くと大原漁港に出ます。 次回 は、大原漁港に行き、帰りは県道175号より北側の東西の道、国道455号を経てJR「大原」駅まで戻ります。

※ 千葉県HP 大聖寺不動堂 https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n111-007.html

  次回https://philoarchi2212.seesaa.net/article/502786070.html は、大原漁港から大原駅まで。

 (2024.3.26.)

☆ 照願寺(浄土真宗本願寺派)〔二十四輩の17 念信の寺〕・大聖寺(天台宗)(波切不動)〔関東36不動霊場35番〕〔千葉県いすみ市大原〕参拝
● 照願寺(浄土真宗本願寺派)(「関東二十四輩」第17 念信の寺)
1.上総一ノ宮駅から大原駅、大原駅の南の踏切へ。いすみ鉄道は魅力的だが大原から千葉・東京へ乗るには不便。上総一ノ宮から本数が減る外房線。照願寺は二十四輩の念信の寺。大聖寺(波切不動)は関東36不動霊場35番。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/501986394.html
2.大原駅から上総大原教会前・金毘羅大神を経て照願寺へ。。「二十四輩」性信(高沢氏信)ゆかりの小山御坊 照願寺・毘沙憧山 照願寺https://philoarchi2212.seesaa.net/article/502032156.html
3.小山御坊照願寺(いすみ市大原)参拝、門を入り左に鐘楼・正面に本堂。絵伝は国立博物館にある。八百長裏口医者屋民族は裏口から私は正面正門から。私なら行かせてもらえなかった文学部に行き、私ならならせてもらえない学校の先生・国語の先生になった女が「私は家が貧乏だったから」とはよく言うよ。「会社ちゅうところに勤めるのを嫌がるモラトリアム人間病」小此木啓吾を治療すべしhttps://philoarchi2212.seesaa.net/article/502039750.html
4.照願寺の本堂と鐘楼。「外罰的性格」とはひとのせいにする人間のことではなく、せいにされて「なんでやねん」と言う者を「心理学」「精神医学」では言う。「東大医学部卒の医者がいいとは限らない」と私も思うが、私立金権医大裏口入学卒の医者がいいということでもあるまい。ガチンコの人間は裏口入学の者のゴルフバッグをかつがされる義務があるのか? 「王さん1枚」では勝てない。トランス・コスモス(株)の人事採用担当者は大学行くな! 親鸞聖人絵伝は上野の国立博物館にあって照願寺にはない。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/502649123.html
● 大聖寺(天台宗)(「関東三十六不動霊場」35番)
5.「波切不動尊」「善光寺年参講記念」石碑、池、お地蔵さんなど、石段を上ると不動堂 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/502732114.html
6.重要文化財の指定を受ける室町時代のものと推定される大聖寺 不動堂、本堂。「波切不動」は不動堂がある小山は津波の「波」が及ばなかったからか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/502755304.html
7.不動堂の北側の池。大六天王(山倉さま)? 石段前の像は阿修羅像なのか。阿舎羅山の山号は阿修羅からか不動明王・シバ神の別名 アチャラ・アチャラナータか 〔今回〕
8.大原漁港から県道175号・国道465号を経て大原駅へ。十一面観音菩薩はどこかわからない。いすみ市に照願寺・大聖寺・清水寺と3寺。いすみ鉄道と小湊鉄道の乗継で房総半島横断は相当大変 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/502786070.html 

仏教 第2版 (岩波新書) - 渡辺照宏
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日本の仏教 (岩波新書 青版 299) - 渡辺 照宏
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お経の話 (岩波新書) - 渡辺 照宏
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日本の宗教: 日本史・倫理社会の理解に (読みなおす日本史) - 村上 重良
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日本文化史 第2版 (岩波新書 黄版 187) - 家永 三郎
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