富士河口湖町から見た富士山。「大石公園」付近より河口湖を隔てて見える富士山。ラベンダーは開花時期ではない。「わかさぎ」は今もいるのか。「山梨県・神奈川県・東京都の境目付近の山梨県側」に工場を建てたがる会社。三流企業に勤めた「一流大学」卒の人間というのは「一線級投手がいなくなった西鉄ライオンズの東尾」か「青雲高校野球部に入った星飛雄馬」か。あると助かる「永福町」パーキングエリア。
[第673回]2024年(令和6年)の第1回
2024年(令和6年)、あけおめ。 山梨県南都留郡富士河口湖町まで行って富士山の写真を撮ってきました。
最初、山梨県甲州市勝沼 の大善寺(真言宗智山派)に行ったのですが、2003年に大善寺に行ったことがあって、自然環境がよく景色のいい所だったけれども、大善寺から富士山て見えたかなあ・・と曖昧になってしまった記憶をふりかえりながら大善寺に行って見たが、大善寺からは富士山は見えなかった。大善寺の本堂は山梨県では2つある「建築の国宝」のひとつで、又、本堂の薬師如来は秘仏だけれども、葡萄が名産の山梨県らしく、お前立ちの薬師如来さんは葡萄を持っているという薬師如来さんで、この話が雁屋哲原作『美味しんぼ(おいしんぼ)』にも登場する寺ですが、大善寺については別の稿で述べることにしたいと思います。前回の訪問の後で『美味しんぼ』にて薬師如来さんが葡萄を手に持っているという話を読んでいたので、大善寺の本堂に行って見ましたが、実際、お前立ちの薬師如来さんは手に葡萄を持っておられました。
※ 大善寺HP https://www.daizenji.org/
それで、こうなったらとクルマで中央自動車道を大月ジャンクションまで行って大月ジャンクションから分岐して南に進むと、即座に正面に富士山が見えてきた・・が運転しながら写真は撮れないので、次の「谷村」パーキングエリアで停車したが、「谷村」パーキングエリアからは富士山は見えない。
それで、さらに進んで、どこかのインターチェンジで降りてクルマを停められそうな所を捜して・・と思っているうちに「河口湖」インターチェンジまで来てしまい、とりあえずインターチェンジを出て右折して国道139号を西に行くと、左手(南側)に「富士山世界遺産センター」なるものがあり、博物館のようだったが、今回は富士山の写真を撮りにきたので博物館に入って見学している余裕はなく、駐車場はすいていたので、一時停めさせてもらって富士山の写真を撮らせてもらっても悪くはあるまいと思ったが、ここからも富士山は見えない。国道139号に出てみても見えない。
※ 富士山世界遺産センター https://www.fujisan-whc.jp/
しかたなしに、さらに国道139号を西に進み、右に行くと河口湖だか出ていたので右折して進むと、富士急行電鉄「河口湖」駅の付近に行き、そのあたりから、ぐにゃぐにゃ適当に河口湖畔あたりめがけてクルマを走らせ、クルマを停められそうな所と思って進むと河口湖大橋に出て、1980年代に河口湖に来た時には河口湖大橋は有料だったと思ったのだが今は無料で通行できるらしく、それを渡ると左手に河口湖が広がり、富士山も見える・・もののクルマを停められそうな所がなかなかない。「おばさん」なら停められない所でも停めるのかもしれないが、残念ながら「おばさん」ではないのでそうはいかず、道なりに河口湖の北岸を西に進んで、何の施設かわからんが有料か無料かわからないがクルマを停められそうな駐車場があったので、そこに停めたが、「大石公園」と自然生活館のあたりだったようだ。
※ 「自然生活館 大石公園」https://www.fkchannel.jp/naturelivingcenter/oishipark/
「河口湖 自然生活館 アクセス」https://www.fkchannel.jp/naturelivingcenter/#access
そこから見た河口湖と富士山の写真がこれ ↓

縦だと、こんな感じ ↓

富士山だけを大きく見せようとすると、↓

↑ こんな感じに撮ることもできるのだけれども、河口湖の北岸まで来たからには河口湖と富士山の両方が写っている方がいいのではないかい。
手前に人がいるのに人を写さないより人が写った方がいいかというと、

↑ 寺社の建物の写真とかならば、そこには人がいる方が自然で、それも「モデルさんのような普段はそこにいない人」ではなくて「普通にいるおじさん」「普通にいるおばさん」がいる方が自然で、「普通のおじさん・普通のおばさん」が写っている方が人が写っていない写真よりいいくらいで、YouTube では「鉄オタ」「撮り鉄」の人が「そこ、写るよ」とか言って一般通行人や一般乗客・駅員をどかせようとする動画が出ていますが、「普通の通行人」「普通の乗客」「駅員」は電車の写真には写る方が自然なのに、なんで、どかせたがるのか不思議に思うのだが、寺社の建物の写真なら、特にこの部分をというのでなければ人は写っていいけれども、富士山と河口湖の場合は、手前に人は写っていない方がいい・・てこと、ないかい。
「大石公園」のあたりにはラベンダー畑がある・・のだけれども、11月末においては ↓

ラベンダーて、いつ頃さくものなのだろう・・・と思って検索すると、「ガーデニング.com ラベンダーのいつ?まとめ!開花時期は?植えるのは?」https://gardening1.com/lavender-when/ に、
《 ラベンダーは、品種や地域ごとに違いはありますが4月〜7月が開花時期です。
フレンチ系が最も早く春先から、その次にイングリッシュ系、ラバンディン系と続いて開花します。
関東周辺では5月頃から咲き始め、見頃は6月〜7月です。》
と出ています。開花の時期にまた来るといいのかもしれません。
「大石公園」付近は中国人の観光客の人がけっこう多いという印象を受けた。中国人の観光客の人もここから富士山を見て感動していたようだったが、実際、富士山というのは高さが日本で一番高いというだけでなくて、見た目がいい。
南都留郡富士河口湖町は、1980年代は単に「河口湖町」だったように思ったのだけれども、いつから「富士河口湖町」になったのかというと、ウィキペディアー富士河口湖町 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E6%B9%96%E7%94%BA によると、
《 2003年(平成15年)11月15日 - 河口湖町・勝山(かつやま)村・足和田(あしわだ)村が合併して発足。》
と出ており、2003年11月から「富士河口湖町」になったらしい。
オウム真理教のサティアンで有名になった上九一色(かみくいっしき)村が2つに分かれて隣接する市町村に合併したと聞いたが、どこに合併したかというと、北側が甲府市に合併し、南側が富士河口湖町に合併したらしく、富士河口湖町は今では東西に長い町になっているがその一番西の方がかつては上九一式村だった地域らしく、その西の方の地域の南の方の富士が峰というあたりにオウム真理教のサティアンがあったらしい・・が、どんな所か行ってみたいような行きたくないような、建築屋は「安全第一」であることを考えても行かない方が良さそう・・かな。
《ウィキペディアー河口湖町》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E6%B9%96%E7%94%BA によると、《2003年(平成15年)11月15日 - 南都留郡勝山村・足和田村と合併して富士河口湖町が発足。同日河口湖町廃止》されるより前の河口湖町は《1956年(昭和31年)9月30日 - 南都留郡大石村・河口村・小立村・船津村が合併して発足。》したらしく、河口湖の南東の富士急行電鉄「河口湖」駅は旧船津村地区、その西のあたりが旧 小立村地区、河口湖の北東あたりが旧河口村地区で、↑ の写真を撮影した大石公園や自然生活館のあたりは、大石公園や自然生活館の北側に富士河口湖町立大石小学校があるように旧 大石村地区だったみたい。
河口湖は「富士五湖」のひとつで、鉄道で行こうとすると「富士五湖」の中では河口湖だけが湖の近くに鉄道(富士急行電鉄)の駅がある。しかも、東京駅から直通の特快(特別快速)が出ている・・けれども、さすがに河口湖駅付近から東京都内に通勤するには時間がかかって厳しいだろう。2002年に山梨県では一番東の上野原市の中央本線「上野原」駅から遠くない場所に住んだ時でも、上野原(うえのはら)からでも東京都内まで中央線で行くのに「遠いな~あ」と思ったものだった。「富士五湖」のうち、山中湖だけが河口湖より東、少し離れた所にあり、それ以外は河口湖の西に西湖、その西に精進湖、さらに西に本栖湖と比較的近い距離の所にあり、河口湖・西湖・精進湖は富士河口湖町に所属していて、一番西の本栖湖は東半分が富士河口湖町、西半分が身延町に所属しているようだ。
1980年代前半に河口湖付近に2度、来たことがあり、そのどちらかに河口湖の近くの食堂で「わかさぎ定食」というのを食べたのを覚えている。けっこう、おいしかった。その時に「わかさぎ」は鳥ではなくて魚だということを知った(^^)/ しかし、その後、日本各地にブラックバス・ブルーギルといった肉食外来魚を放流する人があって、元々は「わかさぎ」は河口湖の名産だったが、その河口湖の「わかさぎ」(さかな)もブラックバス・ブルーギルの被害にあって相当減ったと聞いたが、今はどうなっているのだろうか。「わかさぎ定食」を食べた食堂はどこにあったか、それももうわからなくなってしまった。

ブラックバスがメダカを食う (宝島社文庫) - 秋月 岩魚
富士山 は静岡県側から見るのがいいのか、山梨県側から見るのがいいのか・・という話があるようだが、東京の人間にとっては静岡県に行くのも山梨県に行くのも同じくらいの所要時間で同じくらいの労力だろうけれども、関西人の場合は、静岡県側からの富士山は新幹線に乗って東京に行く場合に山側の席(2人がけの方の席)に座っていると窓から富士山が見えるし、三島駅のホームからも富士山が見えた記憶がある。それに対して、山梨県側からというと、山梨県に行く機会がないと「山梨県側からの富士山」を見る機会がなかなかない。又、山梨県ならどこからでも富士山が見えるわけではなく、私が2002年~2003年にかけて1年3か月、住んだ上野原市の家作からは富士山は見えない。上野原市からでも富士山が見える所がないわけではなく、上野原市の「富士山が見えるスポット」なるものがいくつかあって、その1つに見に行ったことがあったが、遠くの方に見える山が、あれが富士山・・かな・・というくらいのものだった。 しかし、甲府に行くことがあって、その際に南側に見えた富士山を見て、「これは、『山梨県側からの富士山』の方がええわ」と思ったのだが、その後、その時に見えた「甲府市街からの富士山」を見たい・撮りたいと思って甲府に行ったら・・・曇っていて富士山は見えなかった。どうも、甲府市の市街地からは富士山はその時の天候によって見えたり見えなかったりするようだった。
「静岡県側からの富士山」と「山梨県側からの富士山」はどちらがいいか・・と言った話が出るが、もうひとつ「神奈川県からの富士山」というものもあるのだが、どうも、「神奈川県からの富士山」は除外されてしまっているようなところがあるのだが、箱根の芦ノ湖のあたりって静岡県だっけ? ・・というと、芦ノ湖は静岡県に近いけれども静岡県ではなくて神奈川県なのだ。 芦ノ湖畔でも北よりの所からは手前の山が妨げになって富士山は見えないが、一番南、国道1号が芦ノ湖から離れて南に行くあたり、「箱根やすらぎの森」あたりから富士山が見えた。箱根湯本・小田原に行くバスの窓からだと一瞬なので写真を撮ろうとしても撮り損なうことが多いが見える。
河口湖の北東あたりに道端に「合唱の家 おおば ↑」という看板が出ているのが見えました。この「合唱の家 おおば」https://ooba.jp/text/annai.html という所には1980年代前半、一度だけ行って宿泊したことがあります。あれ、今もあるんだなあ、と思いました。東京のあるアマチュア合唱団に1年ほど入っていたことがあって、その際に1泊したのですが、「おおば」さんというオーナーの男性は元々はプロ合唱団の指揮者だったかの人、「音楽を趣味でやっていた人」ではなくて「音楽でメシを食っていた方の人」だったらしいが、河口湖の北側に合唱の練習をできる宿泊施設、「合唱の練習施設付き宿泊施設」というのか「宿泊施設付き合唱の練習施設」というのかを作って「宿泊施設のおやじ」になったらしい。そういう施設もあるということをそのアマチュア合唱団に少し入ったことで知ることはできましたが、同時に、「この人たちとは少し違う」ということも気づかされました。
どういう点かということを述べだすと字数が多くなるので、それは別の稿で述べることにしたいと思いますが、ひとつ、述べると、山口くんという私より少し年上(1982年当時、30歳)で、千葉大しか行かれへんくせしてからに千葉大の医学部みたいなものに甘ったれて甘ったれて行って卒業して内科医やっていた男がそのメンバーにいたのですが・・私なら医学部に行きたいと思ったとして、東大の理科三類に通ったかというと東大の理科三類はけっこう難しかったようで、理科二類から10人だけ医学部医学科に行けるので、理科三類は難しいとしても理科二類ならどうだろうかと考えた時もあったのですが、北野高校の進学指導担当のF教諭と話をする機会があって、その際に「それな~あ、それ、考える者がけっこういるようだけれども、理科二類から医学部医学科に行くというのはけっこう難しいみたいやでえ」と言ってもらったことがありました。「どこなら通ったと思う」などと言っても「実際に受けて通った」のと「通ったと思う」は同じではないわけだけれども、「ともかくどこか国公立の大学で」というくらいなら私は医学部で行ける所はあったと思う。私は少なくとも山口くんなんかよりは小学校から高校まで、ずっと努力して勉強してきたはずで成績だって山口くんなんかよりは良かったと思っていますが、うちの父親からは「うちは医学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたもので、「国立大学ならどの学部でも学費は一緒のはずです」と言っても「医学部は6年、行かなきゃいけません。甘ったれるなあ~あ! 4年で卒業できる学部にしなさい。なんで、そんなもん、医学部みたいなもんに行かせてやらんといかんのじゃ、このチャンコロろすけイタコ!」と言われたものでした。
それを千葉大にしか行けないくせしてからにウルトラ甘ったれて医学部に行って内科医になった山口くんが言うには「大和銀行(現 りそな銀行)の合唱団は、人事部長が指揮者やってるから、だから、みんな入るから大和銀行の合唱団は優秀なんだ」などと言って、それを称賛するので「それはちょっと違うのじゃないかい」と思ったものでしたが、その時、言おうかと思ったけれども言わなかったが、言わなくてよかった。ブタ人間の医者屋に言ってあげても彼は理解しなかったでしょう。「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな」というイエスの言葉が『新約聖書』「福音書」に書かれているが、その通りだ。山口くんなんかに言ってあげても「ブタに真珠」だった。私は、ロマン=ロラン『ジャン=クリストフ』の愛読者で、高校時代から心理学・心身医学に関心を持っていた人間で、慶應大学の商学部の科目では「労務管理論」などに関心を持ち、ホーソン工場の実験とか人間関係論とかそういうものについて関心を持ち、もしも会社という所に勤めるならば人事総務関係の職種につきたいと思っていた人間だった。その大和銀行の人事部長という男、おのれがよくわからんアマチュアコーラスなんてものをやりたいからといって、人事部長の立場を悪用して従業員に加入させ、その結果として大和銀行合唱団がコンクールで常連として入賞している・・て、それは人事部長としてやってはならないことであろう、合唱団がコンクールで入賞しても、会社にとってはそれが従業員の負担になっているわけで会社のためになってないだろうが。大和銀行の経営者はその人事部長の男に「何何さん、自分の趣味に人事部長という立場を悪用して従業員をつきあわせるというのはやめてもらえませんか」と注意すべきではないのか。そもそも、人事部長というのは、こういった配慮をするのが仕事ではないのか。それを自分がやってはならないことをやってどうするんだ。又、「人事部長が合唱団の指揮者をやってるから」ということで合唱団に入る従業員が多いというそんなことが原因で「コンクール」に何度も入賞する合唱団の音楽などというものは、音楽としては二束三文であろう。そんなものを何ら問題を感じずに称賛して喜ぶ山口くんてのは、千葉大しか行けないくせして医学部に行くくらいだけあって、あんまり賢くないなあ、勉強してきてないやつは、やっぱり思考が貧困、精神構造が貧困だなあ・・・と思ったものだった。これは一例であって、ほかにもいくつもあるのだが、このアマチュアコーラスの団体はやめてよかった。
そして、私は声楽をやる者としてタバコは吸ってはならない・・という戒律をきっちりと守ってきたのだが、ところが、このクール・プリエールという団体の人たちは男も女も大部分の人間がタバコを吸うのだった。やってることが矛盾している。だから、その根本のところからして、私が考える声楽や合唱とクール・プリエールの人が考える声楽や合唱とは正反対だったのだ。『美味しんぼ』ではタバコを吸った「美食倶楽部」の若い板前に海原雄山が「出ていけえ」という場面があるが、クール・プリエールの人たちというのは「声楽をやる人」としては「出ていけえ」と言われなければならない人が大部分だったのだ。又、タバコは吸っている人間だけでなく、その場にいる非喫煙者にも悪影響をもたらすものだが、クール・プリエールの喫煙者にはそういった認識が欠落している人が多く、その点でも悪影響受けることが考えられた。
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A as well as B [BだけでなくAもまた](≒not only B but (also)A) ]
Cigarette smoke is harmful to nonsmokers as well as smokers.
タバコの煙は喫煙者だけでなく非喫煙者にも害がある。
(『でる順 パス単 英検2級』2012.初版。2018.重版。旺文社。「熟語編」)
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※ 《YouTube-【美味しんぼ 第】22話 板前の条件》https://www.youtube.com/watch?v=U371_PZ_jvI
又、酒飲みが多いというのも問題だった。1990年代、(株)一条工務店 で福島県浜通り地区で勤務していた時、福島県双葉郡の方に契約してもらった際に聞いた話だが、過去に消防団に入っておられたことがあったがやめたそうで、なぜやめたかというと、酒飲みが多いという点があって「2時間訓練やったら4時間酒飲むからなあ。4時間訓練やって2時間酒飲むならまだわかるけれども逆だから」ということだった。クール・プリエールというアマチュア合唱団もそれに近いところがあった。また、医者屋の山口くんなどは医者屋の職業病で自分は「やってもらう立場」だという意識があり、私はその団体では若い方だったことから私に準備などしてもらうものだと思っていたようだが、私は山口医院から給料もらっている人間でもなく、それを報酬も払わずにやったもらえると思っている山口くんの態度は「医者の常識」かもしれないが「世間の非常識」だった。医者屋のそういう態度を認めるのは日本国民として反社会的であり、最初は我慢していたが、そのうち「こいつ、いいかげんにしろよ」と思うようになった。
・・もうひとつ、言うならば、慶應大学にもサークルとして男声合唱のワグネルソサエティーと楽友会という混声合唱団はあったのだが、大学の混声合唱のサークルに入っている女性とアマチュアコーラスの団体に入っている女性とならば、言っちゃなんだが・・大学の混声合唱団の方が・・そりぁええわなあ・・実際のところ。それから考えると、アマチュアコーラスの団体になんて入る大学生というのは、何を物好きに・・という面は現実にあった・・というのは事実だった。ある程度の年齢になったからこそ言うが、「おばちゃんと一緒に混声合唱やる」のと「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」のとなら「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」方がええのとちゃうか・・・と私が大学生の息子の親なら思うけれどもな・・・。「おまえ、何をしょーもないことやってんねん」「なんで、おまえ、カネ払っておばちゃんの相手してるんだ。アホと違うか」(「もしかして、そのカネで風俗店にでも行ってきた方が健康的と違うか?」なんて言うと怒られるかもしれんが、そういう面は現実に間違いなくあった)と私が大学生の息子の親なら言う・・と思う。慶應の学生というのは、あんまりつきあいたくないようなのがけっこういたし、慶應のナンパサークルの質の良くない人間とかかわると疲れるので、又、慶應タイプの反社会的勢力とは関わりたくなかったので、それで慶應のサークルとは関わりたくないと思ったということがあったのだけれども、それにしても、実際問題として自分自身が20代前半の時に「おばちゃんと一緒に混声合唱やる」のと「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」のとなら「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」方がええ・・のとちゃうのかあ・・とこの年になったら思うな・・(^^)/
今回、河口湖畔に行って気づいたものとして、すぐ南に河口湖があってその向こうに富士山がある。東京からこんな風光明媚な所に来て、そして眼の前の景観に気づくこともできず屋内に閉じこもってたいして価値のないような歌を歌っている・・というその詩心のなさ。どうも、アマチュア合唱団やりたがる人にはそういう人が多い傾向がある。東大にコール・アカデミーという男声合唱団があったが、それと別に混声合唱団があって、このアマチュア合唱団には東大の混声合唱団のOBの人が何人かいたようだったが、このあたりを感じる心がないようでは東大でたって・・・「たいした東大ではないな」ということになる。何年か前、杉並区の旧角川源義邸を見に行った際にも、角川源義邸は杉並区が管理して、部屋を何かのサークルの人に時間貸ししていたのだが、庭からふと見ると、俳句のサークルらしいじいさんばあさん・・とまでいかないか、おじさんおばさんより歳いってるかというくらいの人たちが、庭に背を向けて座っているのが見えたのだが、なんで、あの人たち、けっこういい庭があるのにその庭に背を向けて座ってるんだろ、それも「俳句のサークル」なのに・・と思ったものだった。〔実際には部屋の広さと人数から考えて全員が向き合って座ろうとすると何人かは庭に背を向けて座ることになった、ということもあったのかもしれないけれども。それにしても、庭の側をいくらか開けて座るということだってできそうだったが、そういったことに一切、気づいていないみたいだった。〕けっこういい庭があるのに、その庭に背を向けて座る俳句のサークルて、それは何だろうか・・と思ったのだったが、その「(おじいさん+おじさん)÷2+(おばあさん+おばさん)÷2」の人たちは、そういう俳句サークルをやりたい人たちだったのだろう。日本のアマチュア合唱団にもまた、これがアマチュア合唱団向けの歌ですよお~おとNHKあたりから指定を受けたたいして面白くもない歌をそれがいいと指定されたからにはそうなのだろうと信仰して歌うのを「趣味」にしている人というのが少なからずいて、これは戦後、「うたごえ運動」と言って労働歌・革命歌といったようなものを歌う人たちが表れた時に、国民がそういう方向に行かないようにしようと考えた人たちが作った「精神的に権力・体制から囲われた音楽」というものの可能性が大きいと思われるが、角川源義邸でせっかくの庭園に背中を向けて座った上で俳句のサークルやっていた人たちと同様に、そういうものを「合唱の家 おおば」から富士山が見えたかどうかはわからないが風光明媚な河口湖がすぐそこにあるのに、普通なら屋内にいても外に出てみよう、屋中にいても外に出て河口湖や富士山を見たいと考えるところを、わざわざ東京あたりから電車・バスやクルマでやってきた上で屋内にこもってしょーもない歌を歌ってる・・て、その詩心のなさというのか貧困なる精神というのか、そのあたりに気づくことができないならば、それこそ、東大でたってあんまり値打ちのない東大やな( 一一)・・・ということになる・・のではないか。
又、医者屋の山口くん(男。1982年当時、30歳)は「演奏が終わった後、『ブラボー』てのがあれがいいんだ」などと言うのだったが、私がやめてほしいなあ・・と毎度思うものを山口くんはいいと主張するのだった。そもそも、イタリア語で bravo は「ブラボー」ではなくて「ブラーヴォ」でアクセントは「ラー」にあり、「ブラボー」なんてイタリア語はないし、「ブラーヴォ」は男性単数に対しての用語で、女性単数には「brava ブラーヴァ」で、男性複数・男女複数には「bravi ブラーヴィ~」だし。それを演奏者が複数でもおかまいなしに「ブラボー」とイタリア語もどきで叫ぶ日本的おっさん・・、ああいうのを見ると恥ずかしくてたまらん。やめてほしいなあ~あ・・と私は前々からずっと思ってきた。イタリア語のbravo は、
bravo (形容詞)勇敢な;見事な;心の優しい;正直な;有能な、優れた
(男性名詞)悪漢、匪賊。
(感嘆詞)うまい、でかした、ブラボー。
(下井英一・坂本鉄男編『大学書林 イタリア語小辞典』1962.初版。1995.195版。大学書林)
という意味で、「うまい」「でかした」と言いたいなら日本語で言えばいいことではないのか? なんで、日本人が日本人の演奏者になんでイタリア語もどきで言わなきゃならんのだ。日本人が日本人に言うなら日本語で言えばいいことと違うのか? そう思いませんか? それを、イタリア人はそんなこと言えへんで・・て言葉、「ブラボー」てのを演奏が終わる前から一生懸命準備して叫ぶ日本的俗物。ああ、いやだ、いやだ・・と私はずっと思ってきたが医者屋の山口くんはそれがいいと言うのだ( 一一) 又、イタリア人は演奏がすばらしいと思った時には「bravo ブラーヴォ」とか「bravi ブラーヴィ~」とか叫ぶが、ろくな演奏じゃねえなあ・・と思った時には遠慮なくブーイングをやるらしい。それを、演奏がいいか悪いかにかかわらず、あらかじめ用意・準備していて、終わると同時に「ブラボー」とイタリア語もどきを叫ぶ日本的おっさん・にーちゃん・・て、なんとも気恥ずかしいというのか何というのか。やめてほしいなあ~あ・・と私は前々から思ってきた。歌舞伎とオペラは似ていると言われるが、たしかに歌舞伎とオペラは似ているところがあるのではないかと思うのだが、歌舞伎を見に行って「なんとか屋!」とか声をかけるおじさんというのは歌舞伎を世間一般の人間よりよく知っている人ではないかと思うのだが、それに対して、音楽の演奏会に行って演奏が終わると同時に、その演奏が「いまひとつだったなあ」という場合でもおかまいなしに、あらかじめ待ち構えていて「ブラボー」と叫ぶおっさん・にーちゃんというのは、むしろ、逆に音楽がわかっていない人間だと思う。そういう人は演奏なんか聴いてないのだから。演奏を聴いて「これは、すばらしい」と思って思ったことを口にしているのではなく、すばらしいかなってないかにかかわらず「ブラボー」と叫びに行っている人であって、その演奏が良かったかどうかなんてどうでもいい人なのだから。
橋下徹が「クラシック音楽が好きだという人はインテリぶりたい俗物だ」と話したことがあったが、それは正しいかというと厳密には正しくない。「クラシック音楽が好きだという人」誰もが「インテリぶりたい俗物」ということはないと思う。しかし、「クラシック音楽が好きだという人」には「インテリぶりたい俗物」が多いというのなら、それは事実だ。あんまりいい演奏でもなかったのに、おかまいなしに「ブラボー」とイタリア語もどき、イタリア人はそんな言葉、使えへんで・・という発音で男性単数用のイタリア語もどきを複数での演奏に叫ぶ日本的おっさん( 一一) まさに「インテリぶりたい俗物」だ( 一一) 山口くんはそれだったのだ( 一一) な~んか、千葉大にしか行かれへんくせしやがってからに、えらそうに厚かましくも医学部みたいなもん、ふてぶてしくもぬけぬけと甘ったれて甘ったれて行くだけあって知能程度低いなあ・・・とあきれた( 一一)
このアマチュア合唱団はやめて正解だった。 アマチュアコーラスの問題点については、字数も多く必要になり、ここで述べると話がそれるので別の稿でいずれきっちりと述べたいと思う。とりあえず、私の方が少なくとも山口くんなんかよりも小学校から高校までずっとよく勉強してきたはずで、ずっと努力してきたはずなのに、私より努力してきていない男が千葉大なんかしか行けないくせしてからに医学部なんか行かせてもろうてからに、「ええなあ」「うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」・・と思ったものだった。「この巨人みたいなやつ」「この長嶋みたいなやつ」とも思ったものだった。
⇒《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA

ジャン・クリストフ 1 (岩波文庫 赤 555-1) - ロマン・ロラン, 豊島 与志雄
※ 旧角川源義邸については、
角川庭園と大田黒公園訪問
1. 角川書店・角川文庫の由来。自分が作った賞には応募しない者と自分に受賞させるために賞を作る者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_9.html
2. 荻窪駅から。レッカー車で吊った鉄の塊の真下で作業させる会社・「労働基準法は守らないというのが会社のルールだ」と主張する会社 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_10.html
3. 角川庭園への道。警察暴力団はさりげなくかわすべし。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_11.html
4. 角川庭園への道。「子供110番の家」には「かえって問題がある」家も中にある。警察シンパの精神構造。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_12.html
5. 「厳戯山房」(旧角川源義邸)北面から入口へ。南から来るとエーデルワイスならぬ「エーデルハイツ」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_13.html
6. 外観と茶室への経路。住宅屋の言う「数寄屋」「桂」とは。「和風住宅」にもタイプがある。クラウンをカローラの値段で同業他社のカローラとの競合で売っていた(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_14.html
7. 内部。障子を引き込む戸袋があってもいい。板張りの和室はありうる。「ルーバー手摺」と「ストリップ階段」は別。住宅の営業は「頭のない人間」がいいか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_15.html
8. 庭園。詩歌は庭を見ながら。最寄バス停「特養ホームおぎくぼ紫苑」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_16.html
9. 荻窪駅から大田黒公園。大谷戸さくら緑地・善福寺川・シャレール荻窪 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_17.html
10. 大田黒公園。正門・銀杏並木・茶室・記念館・蔵・庭園、ナグリ仕上げとは。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_18.html
杉並区HP 幻戯山房 https://www.city.suginami.tokyo.jp/shisetsu/bunka/shiika/1007022.html
福沢諭吉『福翁自伝』(岩波文庫)で福沢諭吉が自分で述べている話を基に「少年少女世界の偉人伝」とかそういうシリーズの本に出ている話で、私も小学校低学年の時に『世界の偉人伝 福沢諭吉』とかいう本で読み、その後、『福翁自伝』(岩波文庫)も読んだのだが、福沢諭吉は大分県中津市の下級武士の息子で、子供の頃、中津藩の塾なのかそういう学校に通ったが、当時、洋学が伝わる窓口だった長崎に勉強に行きたいと思ったものの福沢諭吉は下級武士の息子であったことから行けず、それに対して、奥平壱岐という福沢諭吉と同年代の男は福沢諭吉より勉強はできなかったにもかかわらず、家老の息子であったことから長崎に遊学に行かせてもらったらしく、福沢諭吉はその「長嶋みたいなやつ」が長崎に遊学に行くのを見て「ええなあ」「うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」「わしぁ日陰の月見草やあ」と思ったらしかったが・・・、しかし、落ち着いて考えてみると、福沢諭吉は長崎に遊学に行ったはずで、その後、大阪に行って大阪の緒方洪庵の適塾(洪庵塾)でオランダ語と洋学を学んだということだったはずで、「わしぁ貧乏やからな」と「日陰の月見草」みたいに言っていた福沢諭吉は長崎に遊学に行けたのか行けなかったのかというと、行けたらしく、それなら先の自分よりも勉強のできなかった奥平壱岐は家老の息子だからということで長崎に行かせてもろうてからに「ええなあ」「ほんまにええなあ」「うらやましいなあ」と「日陰の月見草」みたいなこと言うておったのは何だったのかというと、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)によると、その奥平壱岐が福沢諭吉という男は努力家・勉強家で一生懸命勉強する男だけれども、下級武士の息子ということで長崎に遊学に行きたいと思いながら行かせてもらえずにいるけれども、なんとかしてやれないかと骨を折ってくれて、それで福沢諭吉は長崎に遊学に行かせてもらえた・・ということだったらしい。なんや、恩人に対して『世界の偉人伝 福沢諭吉』は何を言うとんねん・・てものだが、長崎に行ったら行ったで、奥平壱岐としては自分が福沢を長崎に行けるようにしてあげたのに、その福沢の方が自分よりもよくできる・・ということについて、やっぱり面白くなかったみたいで、福沢諭吉はそれを感じて、それならもう長崎になんかいるものかと江戸を目指して旅に出たが、中津の実家に何も言わずに江戸に行ってしまうのはまずいと思い、大阪の中津藩下屋敷に勤務していた兄の所に行って、これから江戸に行きますと話したところ、兄は「ちょっと待て。俺が話を聞いていないならまだしも、話を聞いたからにはこのまま江戸に行かすわけにはいかない。どうだ。江戸でなくても大阪ででも洋学は学べるのだから大阪で勉強してはどうか。国元には俺からそう話すから」と言われて、それで、大阪の適塾に入って学ぶことになったらしい。私にとっては、そのアマチュア合唱団にいた千葉大みたいなもんしか行けないくせしてからに医学部になんか行かせてもろうた山口くんというのは、私にとっては福沢諭吉にとっての奥平壱岐みたいなものだった。「ええなあ、うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」てものだ。「わしぁ日陰の月見草」てものだ。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
※ アマチュア合唱団の問題点については、
[第656回]《光明寺(長岡京市)【7/8】保存樹木モミ。「モミの木の歌」は人畜無害化で作成された歌ではなかった。猪・「野生の猿」出没。善良な市民は、「野生の猿」と警察官は眼を見てはいけない。音楽・声楽とコーラスは別物、プロ合唱団と「学校のコーラス部」・「アマチュア合唱団」はレスリングとプロレスの違い以上の違いがある。》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500030938.html
でも、ここで述べたものと重複するものもあるが述べました。
富士急行電鉄の沿線というと・・都留文科大学がある。なんで、自分は行ってなくて受けてもいない大学に思い入れがあるかというと、1979年の入試から共通一次試験というものが実施され、国立大学・公立大学に一期校・二期校の制度がなくなり、国公立の大学は、それまでは一期校と二期校を受けることができたのだが、1979年の入試からそうはいかなくなったのだが、例外として、群馬県の高崎経済大学(高崎市立)と山梨県の都留文科大学(都留市立だったと思う)、それに岐阜県の公立の薬科大学2つの4つの大学は試験日を他の国公立の大学とは別の日に設定して、他の国公立の大学を受ける人が併願で受けることができるようにしていたのだ。それで、都留文科大学も入学要綱を取り寄せるというところまではしたが受けなかった。その頃から、都留文科大学という学校には親しみのようなものを感じてきた。今はどうかわからないが、私などの世代の人間には都留文科大学と高崎経済大学はその時にその学校の名前と存在を知ったという人はけっこう多いのではないかと思う。
もうひとつ、山梨県の富士急行電鉄の沿線というと、山梨県の行政機関で山梨県の東部を担当する機関で都留市などにある場合があるのだ。(株)一条工務店 は山梨県で一番東の上野原市 に(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業 の工場を設けて、山梨県上野原市にあるのに、かつ上野原市の東隣りは東京都ではなくて神奈川県の相模湖町、今は相模原市と合併して相模原市の一部になったが、上野原市の東隣りも東京都ではなくて神奈川県なのに、それなのに「西東京工場」などと言っていたが、誰が上野原を「西東京」なんて言うよ・・てものだったが、なぜ、東京都と神奈川県と山梨県の境界付近の山梨県側に工場を作ったかというと、ひとつは、最低賃金法で定める最低賃金も山梨県は東京都・神奈川県よりも安い・・ということもあるかもしれないが、山梨県は東京都・神奈川県に比べて行政機関はスタッフもそれ以外もそろっていない ため、(株)一条工務店およびその系列会社の(株)日本産業 〔自動車の日産はかつて「日本産業」という名前だったらしいが、(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業は自動車の日産とはまったく関係ない。商品名に西武と関係ないのに「セゾン」なんて名前をつけたり、(株)一条工務店のオーナー経営者一族は「西武と関係ないのに『セゾン』」「日産自動車と関係ないのに『日本産業』」と、そういう「ややこしい名前」つけるのが好きみたいだ・・( 一一) 〕なんていいかげんな会社がややこしいことやっても、取り締まる行政機関が東京都・神奈川県に比べて山梨県では対応力がないようだった。せこい会社はそういうことも考えた山梨県にしたのかどうか・・、ありそうに思えることだが、昔の「国」の境目はうまく決められていると思うのだが、東京都・神奈川県・山梨県の境目、武蔵の国と甲斐の国との境目では、東京都の八王子市とかでは、朝、雪が降っても夕方になったら溶けていることが多いのに対して、山梨県側の上野原市では、冬場、朝、雪が降ったら夕方になったら凍っていて、いったん凍ったが最後、「永久凍土」、春まで溶けない。 かつ、雪だけならまだいいのだが、上野原あたりは坂がある。(株)一条工務店の工場部門および配送センターであった(株)日本産業の上野原市の工場は、中央自動車道の「上野原」インターチェンジから工場までの間に坂がある。 雪と坂があるということは、そこに運ぶ、そこから運び出すトラックは冬場はスタッドレスタイヤをはかないとだめということで、平地でそれほど雪が降らない地域ならば、配送先が温暖地ならばノーマルタイヤでも走れるが、上野原などに工場を作れば配送先が温暖地でもスタッドレスタイヤをはかなければならないことになり、雪と坂がある所というのはそうでない所に比べて荷崩れしやすいことにもなる。工場で作業をしていても、雪が降りだしたなら、それ以外の作業をほっぽりだしてでも雪かきをしないと雪が積もって、そして凍ったならば、撤去しようとしても大変だ。東京や大阪で雪が降って凍ったものはハンマーでたたけば割れるが山梨県で雪が凍ったらハンマーで叩いても割れない。お湯なんてかければ、かけたお湯が凍る。「塩化カルシウム」というのが山梨県のホームセンターでは売っていて、これをかけると凍った雪が溶けるのだが、ともかく、東京や大阪でなら、少なくとも子供は雪が降るとうれしいかもしれないが、山梨県では雪は嫌だ。わざわざ、そういう所に工場を作らなくても、せめて、東京都側に作っておけば雪が積もる可能性はずっと低く、雪が凍る可能性も低いし、坂も少ないのに・・・と思うのだが、「山梨県・神奈川県・東京都の境目付近の山梨県側」に工場と配送センターを作りたがる会社だった。 又、(株)一条工務店は中国から御影石を輸入し、イタリア・スペインからタイルを輸入していたのだが、わざわざ、海なし県に工場に併設した配送センターを作って、山の中まで運んでまた海に近い建築地に運ぶなんて「二度手間」かけなくても、港から遠くない場所に設ければ良さそうなものなのに、ユニーク(!)なことする経営者の会社だった ( 一一) ( 一一) ( 一一)

塩化カルシウム(粒状) 25kg トクヤマ 【融雪・凍結防止剤】
(株)一条工務店に入ってすぐの頃、同社の営業本部長の天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。まさか、慶應大学の卒業生がうちの会社に来てくれるとはと思った」と私に言ったのだが、その時点で従業員数千人未満・創業から20年未満・未上場・静岡県では有名でも東京や大阪では無名の会社・本社は地方都市の浜松・施工棟数も住宅建築業の会社の中では10位以下・・という会社だったが、そこまで喜んでくれるのなら悪くないかと思ったのだったが、せっかく、こういったことを考える能力がある人間を採用しても、それを活かしてなるものかあ・・という会社、ろくでもない人間ばっかり大事にする会社だった・・( 一一)
最近、調子いいみたいだが、従業員を大事にしない会社、オーナー一族と取り巻きばっかり得するようにということばっかり考えている会社というのは、「長い目で見るならばハリコの虎」「秋の日はつるべ落とし」・・ということは十分ありうることであろう。「なんで、俺を使ってくれないんだ」と何度も思ったものだ。『江川になれなかった男たち』(三一書房)では、1960年代終わりころ、西鉄ライオンズで「黒い霧事件」として八百長があったことが発覚して何人もの選手が辞めたが、特に主力投手が何人も辞めることになったのだが、その時、高卒で入って二軍にいた東尾は「これはチャンスだ」と思ったそうで、野球は投手がいなければできない、これだけ、一軍の投手がいなくなったということは、俺たち二線級の出番だ・・と。そして、稲尾監督は東尾を先発で出してくれたが、二線級投手だけあって、投げては打たれ、投げては打たれ、東尾はパリーグの年間敗戦数ワースト記録を残した・・・が、それでも、そうやって投げているうちに、ある程度、抑えられるようになってきて、そのうち、一線級投手の仲間入りをすることができた。敗戦数のパリーグワースト記録なんて、そんなもの、いっこうにかまわない、それで試合に出て勝てるようになったのだから・・と東尾は話していたらしい。慶應大学の商学部の教授で「東大・京大とか慶應・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者をなかなか採れないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあり実力を発揮する場もあっていい」と言う人が複数いたが、その話を聞いてそうなのかなとも思ったのだったが、それは違った。(株)一条工務店のような高卒の社長・中卒の営業本部長の会社では、慶應大学商学部卒と記載した履歴書を提出して入社すると、その能力を活かしてなるものかあ・・と高卒の社長・中卒の営業本部長は考えるようだった。(株)一条工務店という会社は、投手がいなかったら野球は始まらないから経験を積んだ一線級投手がいなければ二線級投手や若手投手に投げさせるのではなくて、便所掃除か下足番として採用した人に投げさせるという会社だった。入社して何年か経った時、ベテランの某さん(男。当時、40代)に「一条工務店という会社は一流大学卒の人を採用したがりますけれども、そのわりに採用した人間を活かそうとしませんね。一条工務店の経営者は一流大学卒の人間を採用したいのか採用したくないのか、どちらなのでしょうねえ」と言ったところ、「そりぁ、採用したいんですよ。採用した上で氷漬けにして冷や飯くわせた上で『あんな大学、だめだ』と言いたいんですよ。高卒の経営者の考えることなんて、そんなものでしょ。わからないんですか、そんなことも」と言われた・・・が、「そんなもの」だったのかもしれない。そんな会社によくもまあ、あれだけ、自分を犠牲にしてその会社のために滅私奉公を続けたものだ。よく頑張った・・という面もないことないが、「よく頑張ったな」と言うよりも「アホちゃうか」と言う方が正しいのかもしれない。 『巨人の星』では、青雲高校というブルジョワの息子・娘ばっかりの私立高校に入学した野球の能力は優れた「日雇い人夫の息子」星飛雄馬は「まったく、とうちゃんのやつ、なんだって、こんなけったくその悪い高校に行かすんだあ」と怒るが〔モデルは慶應義塾高校かと思ったら、「原作者」の梶原一騎は青山学院の初等部に少しだけ行って転校したことがあったらしく、おそらく、モデルは青山学院の高校か・・〕野球部に入るが、野球部を支配していた柔道部の伴宙太は「星を青雲高校野球部の英雄になんか絶対にならせるものか。青雲高校の英雄は柔道部の伴宙太だけでいいんだ」と言って、星をしごきまくり苛めまくり、そして、星飛雄馬が野球については1年生ながら青雲高校野球部の3年生・2年生よりはるかに優れているということを承知の上で、「1年生は球拾いじゃあ」と星飛雄馬に外野の後ろで球拾いをさせて、さらに拾った球を星飛雄馬が返球しようとすると「こらあ、1年生はゴロでボールを返せえ。上級生の気が散るだろうがあ」と言って星に剛速球を投げて目立つことをさせないようにする。星は「あの野郎、なんとしても俺を目立たないようにしようとしているんだな」と感知して、「ゴロで内野に返す」際に同じ場所に集めて、そして、「ボールのピラミッド」を作るが、それでも、伴宙太は「1年生どもはたるんどるう。特に星、おまえはたるんどるう」と言い、星がいることから一緒にしごかれてへとへとになっている他の1年生に「俺がやるから休んでおればいいよ」と言ってほとんど一人で球拾いをした星に「おまえは特にたるんどるう。これからうさぎ跳びでグランド一周しろお」と言い出す。「いくらなんでも無茶だ。星はほとんど一人で球拾いやったんだ。その後でうさぎ跳びでグランド一周なんて」と周囲の野球部員がつぶやく、星は「人間には誰しも長所と短所があるというが、こいつには短所しかないのではないか」と思う・・・という、そんな感じ。慶應大学商学部の教授先生はもしかして知らんかったのかもしれん。「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりの会社」と「慶應大あたりの大学の卒業生をなかなか採用できない会社」となら、実は「慶應大あたりの大学の卒業生をなかなか採用できない会社」に入ると、「一線級投手がごそっと抜けた1970年代前半の西鉄ライオンズでの二線級投手だった東尾」みたいになるのではなくて、実は「特に野球が強いわけではない青雲高校野球部に入った星飛雄馬」みたいな扱いにされる可能性が小さくない、ということを。「慶應大学の優秀な学生さんにぜひ当社に来ていただきたい」と「大学の先生」に言う会社の人事部の人間には「採るだけ採って氷漬けにして冷や飯くわせて『あんな大学だめだ』と言ってやりたい」と思って言っている人間が少なからずいるはずだ、ということを。うちの父親だって「そんなもの、慶應大学あたりの大学の卒業生を、そういう大学の出身の人間をなかなか採用できないというくらいの会社が採用しておいて、高卒や五流大学卒の人間といつまでも同じ扱いにするような、そんな愚かな経営者の会社がこの日本にあるわけがない」と言っていたのだが、実はあるのだった。(株)一条工務店という会社があるのだった。「野村証券とか住友銀行とかは給料ええけれども、しかし、よう働かせよるでえ」とかうちの父親は言っていたのだが、しかし、(株)一条工務店も「よう働かせよる」けれども、ちっとも給料よくなかった。どちらも「よう働かせよる」のなら「給料ええ」会社の方がええ・・よなあ。そう思わないか? (株)一条工務店は営業本部長の天野隆夫が「一条工務店には『労働基準法は守らない』という『会社のルール』がある」などと公言していたが、法律というものは守るべきものであって破るべきものではないが、労働基準法という法律については現実にきっちりと守れていない会社というのは存在していると思うのだが、しかし、「一条工務店には『労働基準法は守らない』という『会社のルール』がある」とそこまではっきりと公言する会社というのは多くないと思うのだ。「住友銀行とか野村證券とか」だって、さすがに「・・・には『労働基準法は守らない』という『会社のルールがある』」と営業本部長が公言したりはしないと思うのだ。そんな会社で「ベンチがアホやから野球ができん」というような気持に何度もならされて、そんなストレスたまる会社のために尽くして犠牲にされるよりも、「東大・京大や慶応大・早稲田大といった大学の卒業生ばかりの会社」でそういう人間を相手に競争してその競争に勝ったり負けたりする方がよっぽどいいのではないか・・と(株)一条工務店のおかげで思うに至るようになった。実際のところ、(株)一条工務店は「(あなたがそのポストにいるからややこしいんだ。俺がやるから)そこ、どいてくれないか」と思ってもどいてくれないという人がいっぱいいるという会社だった。
山梨県では一番東の上野原市を担当する労働基準監督署は、たしか、都留市の監督署だったはずだ。便利悪そうで高速道路をクルマで走ればそんなにかからない。クルマで行くなら便利悪いということもない。

江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 (1983年)
河口湖付近については、このほかにも思いはあるのだが、字数も多くなってきたので、今回はこのあたりでとどめ、又、別の機会に述べることにする。
東名高速道路では首都高速道路渋谷線との接続点の「用賀」にパーキングエリアであるのかないのか・・みたいのがあるが、中央道では「永福町」に「一応、パーキングエリア」がある。↓


↑ 「永福町」パーキングエリア。
クルマを駐車した階に清涼飲料水の自販機があり、エレベーターもしくは階段で降りた下の階にトイレがある。↓


そんな駐車可能台数も少なくて、トイレと清涼飲料水の自販機があるだけのパーキングエリアなんてと思う人もいるかもしれないが、「も~れ~るう~う」という危機一髪の時には、そういうパーキングエリアでもあるかないかで大きな違いがある。
トイレがある階は「3階」らしい。 クルマを駐車した所より下に行った所にあるので地下みたいだが、地上から考えると3階の位置ということか。
2024年(令和6年)もよろしく。
2024年(令和6年)の干支(えと)の「たつ」⇒「たつのおとしご」については、別のブログ、
「慎腹風呂愚」
葛西臨海水族館のウィーディーシードラゴンとビッグベリードシーホース。
1.ガラスドーム。交番は目立たない建物が市民の個人情報蒐集するのに適しているのか。潮見にあった(株)一条工務店の東京展示場は「観光客」の割合が多く、それでもめげずに「観光客」にきっちりと説明案内すると「なんだ、けっこう接客しているじゃないか」と営業本部長から言われる展示場(泣)。(株)一条工務店の浜松の展示場は新しくてきれい・東京展示場は古くて汚くて床鳴りひどくて「地方」向け。「一条工務店の遠州人」は卑怯者集団。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501895306.html
2.ウィーディーシードラゴン・ビッグベリードシーホース。世界で一番小さいペンギン。夕焼け時の東京湾と西なぎさ・東なぎさ。葛西臨海公園駅・潮見駅。八百長の営業成績比較をする(株)一条工務店。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501974446.html
・・で掲載しました。
(2024.1.6.)

日本環境報告 (朝日文庫) - 本多 勝一
2024年(令和6年)、あけおめ。 山梨県南都留郡富士河口湖町まで行って富士山の写真を撮ってきました。
最初、山梨県甲州市勝沼 の大善寺(真言宗智山派)に行ったのですが、2003年に大善寺に行ったことがあって、自然環境がよく景色のいい所だったけれども、大善寺から富士山て見えたかなあ・・と曖昧になってしまった記憶をふりかえりながら大善寺に行って見たが、大善寺からは富士山は見えなかった。大善寺の本堂は山梨県では2つある「建築の国宝」のひとつで、又、本堂の薬師如来は秘仏だけれども、葡萄が名産の山梨県らしく、お前立ちの薬師如来さんは葡萄を持っているという薬師如来さんで、この話が雁屋哲原作『美味しんぼ(おいしんぼ)』にも登場する寺ですが、大善寺については別の稿で述べることにしたいと思います。前回の訪問の後で『美味しんぼ』にて薬師如来さんが葡萄を手に持っているという話を読んでいたので、大善寺の本堂に行って見ましたが、実際、お前立ちの薬師如来さんは手に葡萄を持っておられました。
※ 大善寺HP https://www.daizenji.org/
それで、こうなったらとクルマで中央自動車道を大月ジャンクションまで行って大月ジャンクションから分岐して南に進むと、即座に正面に富士山が見えてきた・・が運転しながら写真は撮れないので、次の「谷村」パーキングエリアで停車したが、「谷村」パーキングエリアからは富士山は見えない。
それで、さらに進んで、どこかのインターチェンジで降りてクルマを停められそうな所を捜して・・と思っているうちに「河口湖」インターチェンジまで来てしまい、とりあえずインターチェンジを出て右折して国道139号を西に行くと、左手(南側)に「富士山世界遺産センター」なるものがあり、博物館のようだったが、今回は富士山の写真を撮りにきたので博物館に入って見学している余裕はなく、駐車場はすいていたので、一時停めさせてもらって富士山の写真を撮らせてもらっても悪くはあるまいと思ったが、ここからも富士山は見えない。国道139号に出てみても見えない。
※ 富士山世界遺産センター https://www.fujisan-whc.jp/
しかたなしに、さらに国道139号を西に進み、右に行くと河口湖だか出ていたので右折して進むと、富士急行電鉄「河口湖」駅の付近に行き、そのあたりから、ぐにゃぐにゃ適当に河口湖畔あたりめがけてクルマを走らせ、クルマを停められそうな所と思って進むと河口湖大橋に出て、1980年代に河口湖に来た時には河口湖大橋は有料だったと思ったのだが今は無料で通行できるらしく、それを渡ると左手に河口湖が広がり、富士山も見える・・もののクルマを停められそうな所がなかなかない。「おばさん」なら停められない所でも停めるのかもしれないが、残念ながら「おばさん」ではないのでそうはいかず、道なりに河口湖の北岸を西に進んで、何の施設かわからんが有料か無料かわからないがクルマを停められそうな駐車場があったので、そこに停めたが、「大石公園」と自然生活館のあたりだったようだ。
※ 「自然生活館 大石公園」https://www.fkchannel.jp/naturelivingcenter/oishipark/
「河口湖 自然生活館 アクセス」https://www.fkchannel.jp/naturelivingcenter/#access
そこから見た河口湖と富士山の写真がこれ ↓
縦だと、こんな感じ ↓
富士山だけを大きく見せようとすると、↓
↑ こんな感じに撮ることもできるのだけれども、河口湖の北岸まで来たからには河口湖と富士山の両方が写っている方がいいのではないかい。
手前に人がいるのに人を写さないより人が写った方がいいかというと、
↑ 寺社の建物の写真とかならば、そこには人がいる方が自然で、それも「モデルさんのような普段はそこにいない人」ではなくて「普通にいるおじさん」「普通にいるおばさん」がいる方が自然で、「普通のおじさん・普通のおばさん」が写っている方が人が写っていない写真よりいいくらいで、YouTube では「鉄オタ」「撮り鉄」の人が「そこ、写るよ」とか言って一般通行人や一般乗客・駅員をどかせようとする動画が出ていますが、「普通の通行人」「普通の乗客」「駅員」は電車の写真には写る方が自然なのに、なんで、どかせたがるのか不思議に思うのだが、寺社の建物の写真なら、特にこの部分をというのでなければ人は写っていいけれども、富士山と河口湖の場合は、手前に人は写っていない方がいい・・てこと、ないかい。
「大石公園」のあたりにはラベンダー畑がある・・のだけれども、11月末においては ↓
ラベンダーて、いつ頃さくものなのだろう・・・と思って検索すると、「ガーデニング.com ラベンダーのいつ?まとめ!開花時期は?植えるのは?」https://gardening1.com/lavender-when/ に、
《 ラベンダーは、品種や地域ごとに違いはありますが4月〜7月が開花時期です。
フレンチ系が最も早く春先から、その次にイングリッシュ系、ラバンディン系と続いて開花します。
関東周辺では5月頃から咲き始め、見頃は6月〜7月です。》
と出ています。開花の時期にまた来るといいのかもしれません。
「大石公園」付近は中国人の観光客の人がけっこう多いという印象を受けた。中国人の観光客の人もここから富士山を見て感動していたようだったが、実際、富士山というのは高さが日本で一番高いというだけでなくて、見た目がいい。
南都留郡富士河口湖町は、1980年代は単に「河口湖町」だったように思ったのだけれども、いつから「富士河口湖町」になったのかというと、ウィキペディアー富士河口湖町 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E6%B9%96%E7%94%BA によると、
《 2003年(平成15年)11月15日 - 河口湖町・勝山(かつやま)村・足和田(あしわだ)村が合併して発足。》
と出ており、2003年11月から「富士河口湖町」になったらしい。
オウム真理教のサティアンで有名になった上九一色(かみくいっしき)村が2つに分かれて隣接する市町村に合併したと聞いたが、どこに合併したかというと、北側が甲府市に合併し、南側が富士河口湖町に合併したらしく、富士河口湖町は今では東西に長い町になっているがその一番西の方がかつては上九一式村だった地域らしく、その西の方の地域の南の方の富士が峰というあたりにオウム真理教のサティアンがあったらしい・・が、どんな所か行ってみたいような行きたくないような、建築屋は「安全第一」であることを考えても行かない方が良さそう・・かな。
《ウィキペディアー河口湖町》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E6%B9%96%E7%94%BA によると、《2003年(平成15年)11月15日 - 南都留郡勝山村・足和田村と合併して富士河口湖町が発足。同日河口湖町廃止》されるより前の河口湖町は《1956年(昭和31年)9月30日 - 南都留郡大石村・河口村・小立村・船津村が合併して発足。》したらしく、河口湖の南東の富士急行電鉄「河口湖」駅は旧船津村地区、その西のあたりが旧 小立村地区、河口湖の北東あたりが旧河口村地区で、↑ の写真を撮影した大石公園や自然生活館のあたりは、大石公園や自然生活館の北側に富士河口湖町立大石小学校があるように旧 大石村地区だったみたい。
河口湖は「富士五湖」のひとつで、鉄道で行こうとすると「富士五湖」の中では河口湖だけが湖の近くに鉄道(富士急行電鉄)の駅がある。しかも、東京駅から直通の特快(特別快速)が出ている・・けれども、さすがに河口湖駅付近から東京都内に通勤するには時間がかかって厳しいだろう。2002年に山梨県では一番東の上野原市の中央本線「上野原」駅から遠くない場所に住んだ時でも、上野原(うえのはら)からでも東京都内まで中央線で行くのに「遠いな~あ」と思ったものだった。「富士五湖」のうち、山中湖だけが河口湖より東、少し離れた所にあり、それ以外は河口湖の西に西湖、その西に精進湖、さらに西に本栖湖と比較的近い距離の所にあり、河口湖・西湖・精進湖は富士河口湖町に所属していて、一番西の本栖湖は東半分が富士河口湖町、西半分が身延町に所属しているようだ。
1980年代前半に河口湖付近に2度、来たことがあり、そのどちらかに河口湖の近くの食堂で「わかさぎ定食」というのを食べたのを覚えている。けっこう、おいしかった。その時に「わかさぎ」は鳥ではなくて魚だということを知った(^^)/ しかし、その後、日本各地にブラックバス・ブルーギルといった肉食外来魚を放流する人があって、元々は「わかさぎ」は河口湖の名産だったが、その河口湖の「わかさぎ」(さかな)もブラックバス・ブルーギルの被害にあって相当減ったと聞いたが、今はどうなっているのだろうか。「わかさぎ定食」を食べた食堂はどこにあったか、それももうわからなくなってしまった。

ブラックバスがメダカを食う (宝島社文庫) - 秋月 岩魚
富士山 は静岡県側から見るのがいいのか、山梨県側から見るのがいいのか・・という話があるようだが、東京の人間にとっては静岡県に行くのも山梨県に行くのも同じくらいの所要時間で同じくらいの労力だろうけれども、関西人の場合は、静岡県側からの富士山は新幹線に乗って東京に行く場合に山側の席(2人がけの方の席)に座っていると窓から富士山が見えるし、三島駅のホームからも富士山が見えた記憶がある。それに対して、山梨県側からというと、山梨県に行く機会がないと「山梨県側からの富士山」を見る機会がなかなかない。又、山梨県ならどこからでも富士山が見えるわけではなく、私が2002年~2003年にかけて1年3か月、住んだ上野原市の家作からは富士山は見えない。上野原市からでも富士山が見える所がないわけではなく、上野原市の「富士山が見えるスポット」なるものがいくつかあって、その1つに見に行ったことがあったが、遠くの方に見える山が、あれが富士山・・かな・・というくらいのものだった。 しかし、甲府に行くことがあって、その際に南側に見えた富士山を見て、「これは、『山梨県側からの富士山』の方がええわ」と思ったのだが、その後、その時に見えた「甲府市街からの富士山」を見たい・撮りたいと思って甲府に行ったら・・・曇っていて富士山は見えなかった。どうも、甲府市の市街地からは富士山はその時の天候によって見えたり見えなかったりするようだった。
「静岡県側からの富士山」と「山梨県側からの富士山」はどちらがいいか・・と言った話が出るが、もうひとつ「神奈川県からの富士山」というものもあるのだが、どうも、「神奈川県からの富士山」は除外されてしまっているようなところがあるのだが、箱根の芦ノ湖のあたりって静岡県だっけ? ・・というと、芦ノ湖は静岡県に近いけれども静岡県ではなくて神奈川県なのだ。 芦ノ湖畔でも北よりの所からは手前の山が妨げになって富士山は見えないが、一番南、国道1号が芦ノ湖から離れて南に行くあたり、「箱根やすらぎの森」あたりから富士山が見えた。箱根湯本・小田原に行くバスの窓からだと一瞬なので写真を撮ろうとしても撮り損なうことが多いが見える。
河口湖の北東あたりに道端に「合唱の家 おおば ↑」という看板が出ているのが見えました。この「合唱の家 おおば」https://ooba.jp/text/annai.html という所には1980年代前半、一度だけ行って宿泊したことがあります。あれ、今もあるんだなあ、と思いました。東京のあるアマチュア合唱団に1年ほど入っていたことがあって、その際に1泊したのですが、「おおば」さんというオーナーの男性は元々はプロ合唱団の指揮者だったかの人、「音楽を趣味でやっていた人」ではなくて「音楽でメシを食っていた方の人」だったらしいが、河口湖の北側に合唱の練習をできる宿泊施設、「合唱の練習施設付き宿泊施設」というのか「宿泊施設付き合唱の練習施設」というのかを作って「宿泊施設のおやじ」になったらしい。そういう施設もあるということをそのアマチュア合唱団に少し入ったことで知ることはできましたが、同時に、「この人たちとは少し違う」ということも気づかされました。
どういう点かということを述べだすと字数が多くなるので、それは別の稿で述べることにしたいと思いますが、ひとつ、述べると、山口くんという私より少し年上(1982年当時、30歳)で、千葉大しか行かれへんくせしてからに千葉大の医学部みたいなものに甘ったれて甘ったれて行って卒業して内科医やっていた男がそのメンバーにいたのですが・・私なら医学部に行きたいと思ったとして、東大の理科三類に通ったかというと東大の理科三類はけっこう難しかったようで、理科二類から10人だけ医学部医学科に行けるので、理科三類は難しいとしても理科二類ならどうだろうかと考えた時もあったのですが、北野高校の進学指導担当のF教諭と話をする機会があって、その際に「それな~あ、それ、考える者がけっこういるようだけれども、理科二類から医学部医学科に行くというのはけっこう難しいみたいやでえ」と言ってもらったことがありました。「どこなら通ったと思う」などと言っても「実際に受けて通った」のと「通ったと思う」は同じではないわけだけれども、「ともかくどこか国公立の大学で」というくらいなら私は医学部で行ける所はあったと思う。私は少なくとも山口くんなんかよりは小学校から高校まで、ずっと努力して勉強してきたはずで成績だって山口くんなんかよりは良かったと思っていますが、うちの父親からは「うちは医学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と言われたもので、「国立大学ならどの学部でも学費は一緒のはずです」と言っても「医学部は6年、行かなきゃいけません。甘ったれるなあ~あ! 4年で卒業できる学部にしなさい。なんで、そんなもん、医学部みたいなもんに行かせてやらんといかんのじゃ、このチャンコロろすけイタコ!」と言われたものでした。
それを千葉大にしか行けないくせしてからにウルトラ甘ったれて医学部に行って内科医になった山口くんが言うには「大和銀行(現 りそな銀行)の合唱団は、人事部長が指揮者やってるから、だから、みんな入るから大和銀行の合唱団は優秀なんだ」などと言って、それを称賛するので「それはちょっと違うのじゃないかい」と思ったものでしたが、その時、言おうかと思ったけれども言わなかったが、言わなくてよかった。ブタ人間の医者屋に言ってあげても彼は理解しなかったでしょう。「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな」というイエスの言葉が『新約聖書』「福音書」に書かれているが、その通りだ。山口くんなんかに言ってあげても「ブタに真珠」だった。私は、ロマン=ロラン『ジャン=クリストフ』の愛読者で、高校時代から心理学・心身医学に関心を持っていた人間で、慶應大学の商学部の科目では「労務管理論」などに関心を持ち、ホーソン工場の実験とか人間関係論とかそういうものについて関心を持ち、もしも会社という所に勤めるならば人事総務関係の職種につきたいと思っていた人間だった。その大和銀行の人事部長という男、おのれがよくわからんアマチュアコーラスなんてものをやりたいからといって、人事部長の立場を悪用して従業員に加入させ、その結果として大和銀行合唱団がコンクールで常連として入賞している・・て、それは人事部長としてやってはならないことであろう、合唱団がコンクールで入賞しても、会社にとってはそれが従業員の負担になっているわけで会社のためになってないだろうが。大和銀行の経営者はその人事部長の男に「何何さん、自分の趣味に人事部長という立場を悪用して従業員をつきあわせるというのはやめてもらえませんか」と注意すべきではないのか。そもそも、人事部長というのは、こういった配慮をするのが仕事ではないのか。それを自分がやってはならないことをやってどうするんだ。又、「人事部長が合唱団の指揮者をやってるから」ということで合唱団に入る従業員が多いというそんなことが原因で「コンクール」に何度も入賞する合唱団の音楽などというものは、音楽としては二束三文であろう。そんなものを何ら問題を感じずに称賛して喜ぶ山口くんてのは、千葉大しか行けないくせして医学部に行くくらいだけあって、あんまり賢くないなあ、勉強してきてないやつは、やっぱり思考が貧困、精神構造が貧困だなあ・・・と思ったものだった。これは一例であって、ほかにもいくつもあるのだが、このアマチュアコーラスの団体はやめてよかった。
そして、私は声楽をやる者としてタバコは吸ってはならない・・という戒律をきっちりと守ってきたのだが、ところが、このクール・プリエールという団体の人たちは男も女も大部分の人間がタバコを吸うのだった。やってることが矛盾している。だから、その根本のところからして、私が考える声楽や合唱とクール・プリエールの人が考える声楽や合唱とは正反対だったのだ。『美味しんぼ』ではタバコを吸った「美食倶楽部」の若い板前に海原雄山が「出ていけえ」という場面があるが、クール・プリエールの人たちというのは「声楽をやる人」としては「出ていけえ」と言われなければならない人が大部分だったのだ。又、タバコは吸っている人間だけでなく、その場にいる非喫煙者にも悪影響をもたらすものだが、クール・プリエールの喫煙者にはそういった認識が欠落している人が多く、その点でも悪影響受けることが考えられた。
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A as well as B [BだけでなくAもまた](≒not only B but (also)A) ]
Cigarette smoke is harmful to nonsmokers as well as smokers.
タバコの煙は喫煙者だけでなく非喫煙者にも害がある。
(『でる順 パス単 英検2級』2012.初版。2018.重版。旺文社。「熟語編」)
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※ 《YouTube-【美味しんぼ 第】22話 板前の条件》https://www.youtube.com/watch?v=U371_PZ_jvI
又、酒飲みが多いというのも問題だった。1990年代、(株)一条工務店 で福島県浜通り地区で勤務していた時、福島県双葉郡の方に契約してもらった際に聞いた話だが、過去に消防団に入っておられたことがあったがやめたそうで、なぜやめたかというと、酒飲みが多いという点があって「2時間訓練やったら4時間酒飲むからなあ。4時間訓練やって2時間酒飲むならまだわかるけれども逆だから」ということだった。クール・プリエールというアマチュア合唱団もそれに近いところがあった。また、医者屋の山口くんなどは医者屋の職業病で自分は「やってもらう立場」だという意識があり、私はその団体では若い方だったことから私に準備などしてもらうものだと思っていたようだが、私は山口医院から給料もらっている人間でもなく、それを報酬も払わずにやったもらえると思っている山口くんの態度は「医者の常識」かもしれないが「世間の非常識」だった。医者屋のそういう態度を認めるのは日本国民として反社会的であり、最初は我慢していたが、そのうち「こいつ、いいかげんにしろよ」と思うようになった。
・・もうひとつ、言うならば、慶應大学にもサークルとして男声合唱のワグネルソサエティーと楽友会という混声合唱団はあったのだが、大学の混声合唱のサークルに入っている女性とアマチュアコーラスの団体に入っている女性とならば、言っちゃなんだが・・大学の混声合唱団の方が・・そりぁええわなあ・・実際のところ。それから考えると、アマチュアコーラスの団体になんて入る大学生というのは、何を物好きに・・という面は現実にあった・・というのは事実だった。ある程度の年齢になったからこそ言うが、「おばちゃんと一緒に混声合唱やる」のと「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」のとなら「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」方がええのとちゃうか・・・と私が大学生の息子の親なら思うけれどもな・・・。「おまえ、何をしょーもないことやってんねん」「なんで、おまえ、カネ払っておばちゃんの相手してるんだ。アホと違うか」(「もしかして、そのカネで風俗店にでも行ってきた方が健康的と違うか?」なんて言うと怒られるかもしれんが、そういう面は現実に間違いなくあった)と私が大学生の息子の親なら言う・・と思う。慶應の学生というのは、あんまりつきあいたくないようなのがけっこういたし、慶應のナンパサークルの質の良くない人間とかかわると疲れるので、又、慶應タイプの反社会的勢力とは関わりたくなかったので、それで慶應のサークルとは関わりたくないと思ったということがあったのだけれども、それにしても、実際問題として自分自身が20代前半の時に「おばちゃんと一緒に混声合唱やる」のと「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」のとなら「若いおねーちゃんと一緒に混声合唱やる」方がええ・・のとちゃうのかあ・・とこの年になったら思うな・・(^^)/
今回、河口湖畔に行って気づいたものとして、すぐ南に河口湖があってその向こうに富士山がある。東京からこんな風光明媚な所に来て、そして眼の前の景観に気づくこともできず屋内に閉じこもってたいして価値のないような歌を歌っている・・というその詩心のなさ。どうも、アマチュア合唱団やりたがる人にはそういう人が多い傾向がある。東大にコール・アカデミーという男声合唱団があったが、それと別に混声合唱団があって、このアマチュア合唱団には東大の混声合唱団のOBの人が何人かいたようだったが、このあたりを感じる心がないようでは東大でたって・・・「たいした東大ではないな」ということになる。何年か前、杉並区の旧角川源義邸を見に行った際にも、角川源義邸は杉並区が管理して、部屋を何かのサークルの人に時間貸ししていたのだが、庭からふと見ると、俳句のサークルらしいじいさんばあさん・・とまでいかないか、おじさんおばさんより歳いってるかというくらいの人たちが、庭に背を向けて座っているのが見えたのだが、なんで、あの人たち、けっこういい庭があるのにその庭に背を向けて座ってるんだろ、それも「俳句のサークル」なのに・・と思ったものだった。〔実際には部屋の広さと人数から考えて全員が向き合って座ろうとすると何人かは庭に背を向けて座ることになった、ということもあったのかもしれないけれども。それにしても、庭の側をいくらか開けて座るということだってできそうだったが、そういったことに一切、気づいていないみたいだった。〕けっこういい庭があるのに、その庭に背を向けて座る俳句のサークルて、それは何だろうか・・と思ったのだったが、その「(おじいさん+おじさん)÷2+(おばあさん+おばさん)÷2」の人たちは、そういう俳句サークルをやりたい人たちだったのだろう。日本のアマチュア合唱団にもまた、これがアマチュア合唱団向けの歌ですよお~おとNHKあたりから指定を受けたたいして面白くもない歌をそれがいいと指定されたからにはそうなのだろうと信仰して歌うのを「趣味」にしている人というのが少なからずいて、これは戦後、「うたごえ運動」と言って労働歌・革命歌といったようなものを歌う人たちが表れた時に、国民がそういう方向に行かないようにしようと考えた人たちが作った「精神的に権力・体制から囲われた音楽」というものの可能性が大きいと思われるが、角川源義邸でせっかくの庭園に背中を向けて座った上で俳句のサークルやっていた人たちと同様に、そういうものを「合唱の家 おおば」から富士山が見えたかどうかはわからないが風光明媚な河口湖がすぐそこにあるのに、普通なら屋内にいても外に出てみよう、屋中にいても外に出て河口湖や富士山を見たいと考えるところを、わざわざ東京あたりから電車・バスやクルマでやってきた上で屋内にこもってしょーもない歌を歌ってる・・て、その詩心のなさというのか貧困なる精神というのか、そのあたりに気づくことができないならば、それこそ、東大でたってあんまり値打ちのない東大やな( 一一)・・・ということになる・・のではないか。
又、医者屋の山口くん(男。1982年当時、30歳)は「演奏が終わった後、『ブラボー』てのがあれがいいんだ」などと言うのだったが、私がやめてほしいなあ・・と毎度思うものを山口くんはいいと主張するのだった。そもそも、イタリア語で bravo は「ブラボー」ではなくて「ブラーヴォ」でアクセントは「ラー」にあり、「ブラボー」なんてイタリア語はないし、「ブラーヴォ」は男性単数に対しての用語で、女性単数には「brava ブラーヴァ」で、男性複数・男女複数には「bravi ブラーヴィ~」だし。それを演奏者が複数でもおかまいなしに「ブラボー」とイタリア語もどきで叫ぶ日本的おっさん・・、ああいうのを見ると恥ずかしくてたまらん。やめてほしいなあ~あ・・と私は前々からずっと思ってきた。イタリア語のbravo は、
bravo (形容詞)勇敢な;見事な;心の優しい;正直な;有能な、優れた
(男性名詞)悪漢、匪賊。
(感嘆詞)うまい、でかした、ブラボー。
(下井英一・坂本鉄男編『大学書林 イタリア語小辞典』1962.初版。1995.195版。大学書林)
という意味で、「うまい」「でかした」と言いたいなら日本語で言えばいいことではないのか? なんで、日本人が日本人の演奏者になんでイタリア語もどきで言わなきゃならんのだ。日本人が日本人に言うなら日本語で言えばいいことと違うのか? そう思いませんか? それを、イタリア人はそんなこと言えへんで・・て言葉、「ブラボー」てのを演奏が終わる前から一生懸命準備して叫ぶ日本的俗物。ああ、いやだ、いやだ・・と私はずっと思ってきたが医者屋の山口くんはそれがいいと言うのだ( 一一) 又、イタリア人は演奏がすばらしいと思った時には「bravo ブラーヴォ」とか「bravi ブラーヴィ~」とか叫ぶが、ろくな演奏じゃねえなあ・・と思った時には遠慮なくブーイングをやるらしい。それを、演奏がいいか悪いかにかかわらず、あらかじめ用意・準備していて、終わると同時に「ブラボー」とイタリア語もどきを叫ぶ日本的おっさん・にーちゃん・・て、なんとも気恥ずかしいというのか何というのか。やめてほしいなあ~あ・・と私は前々から思ってきた。歌舞伎とオペラは似ていると言われるが、たしかに歌舞伎とオペラは似ているところがあるのではないかと思うのだが、歌舞伎を見に行って「なんとか屋!」とか声をかけるおじさんというのは歌舞伎を世間一般の人間よりよく知っている人ではないかと思うのだが、それに対して、音楽の演奏会に行って演奏が終わると同時に、その演奏が「いまひとつだったなあ」という場合でもおかまいなしに、あらかじめ待ち構えていて「ブラボー」と叫ぶおっさん・にーちゃんというのは、むしろ、逆に音楽がわかっていない人間だと思う。そういう人は演奏なんか聴いてないのだから。演奏を聴いて「これは、すばらしい」と思って思ったことを口にしているのではなく、すばらしいかなってないかにかかわらず「ブラボー」と叫びに行っている人であって、その演奏が良かったかどうかなんてどうでもいい人なのだから。
橋下徹が「クラシック音楽が好きだという人はインテリぶりたい俗物だ」と話したことがあったが、それは正しいかというと厳密には正しくない。「クラシック音楽が好きだという人」誰もが「インテリぶりたい俗物」ということはないと思う。しかし、「クラシック音楽が好きだという人」には「インテリぶりたい俗物」が多いというのなら、それは事実だ。あんまりいい演奏でもなかったのに、おかまいなしに「ブラボー」とイタリア語もどき、イタリア人はそんな言葉、使えへんで・・という発音で男性単数用のイタリア語もどきを複数での演奏に叫ぶ日本的おっさん( 一一) まさに「インテリぶりたい俗物」だ( 一一) 山口くんはそれだったのだ( 一一) な~んか、千葉大にしか行かれへんくせしやがってからに、えらそうに厚かましくも医学部みたいなもん、ふてぶてしくもぬけぬけと甘ったれて甘ったれて行くだけあって知能程度低いなあ・・・とあきれた( 一一)
このアマチュア合唱団はやめて正解だった。 アマチュアコーラスの問題点については、字数も多く必要になり、ここで述べると話がそれるので別の稿でいずれきっちりと述べたいと思う。とりあえず、私の方が少なくとも山口くんなんかよりも小学校から高校までずっとよく勉強してきたはずで、ずっと努力してきたはずなのに、私より努力してきていない男が千葉大なんかしか行けないくせしてからに医学部なんか行かせてもろうてからに、「ええなあ」「うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」・・と思ったものだった。「この巨人みたいなやつ」「この長嶋みたいなやつ」とも思ったものだった。
⇒《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA

ジャン・クリストフ 1 (岩波文庫 赤 555-1) - ロマン・ロラン, 豊島 与志雄
※ 旧角川源義邸については、
角川庭園と大田黒公園訪問
1. 角川書店・角川文庫の由来。自分が作った賞には応募しない者と自分に受賞させるために賞を作る者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_9.html
2. 荻窪駅から。レッカー車で吊った鉄の塊の真下で作業させる会社・「労働基準法は守らないというのが会社のルールだ」と主張する会社 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_10.html
3. 角川庭園への道。警察暴力団はさりげなくかわすべし。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_11.html
4. 角川庭園への道。「子供110番の家」には「かえって問題がある」家も中にある。警察シンパの精神構造。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_12.html
5. 「厳戯山房」(旧角川源義邸)北面から入口へ。南から来るとエーデルワイスならぬ「エーデルハイツ」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_13.html
6. 外観と茶室への経路。住宅屋の言う「数寄屋」「桂」とは。「和風住宅」にもタイプがある。クラウンをカローラの値段で同業他社のカローラとの競合で売っていた(株)一条工務店の浜松・掛川・名古屋の営業 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_14.html
7. 内部。障子を引き込む戸袋があってもいい。板張りの和室はありうる。「ルーバー手摺」と「ストリップ階段」は別。住宅の営業は「頭のない人間」がいいか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_15.html
8. 庭園。詩歌は庭を見ながら。最寄バス停「特養ホームおぎくぼ紫苑」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_16.html
9. 荻窪駅から大田黒公園。大谷戸さくら緑地・善福寺川・シャレール荻窪 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_17.html
10. 大田黒公園。正門・銀杏並木・茶室・記念館・蔵・庭園、ナグリ仕上げとは。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201809article_18.html
杉並区HP 幻戯山房 https://www.city.suginami.tokyo.jp/shisetsu/bunka/shiika/1007022.html
福沢諭吉『福翁自伝』(岩波文庫)で福沢諭吉が自分で述べている話を基に「少年少女世界の偉人伝」とかそういうシリーズの本に出ている話で、私も小学校低学年の時に『世界の偉人伝 福沢諭吉』とかいう本で読み、その後、『福翁自伝』(岩波文庫)も読んだのだが、福沢諭吉は大分県中津市の下級武士の息子で、子供の頃、中津藩の塾なのかそういう学校に通ったが、当時、洋学が伝わる窓口だった長崎に勉強に行きたいと思ったものの福沢諭吉は下級武士の息子であったことから行けず、それに対して、奥平壱岐という福沢諭吉と同年代の男は福沢諭吉より勉強はできなかったにもかかわらず、家老の息子であったことから長崎に遊学に行かせてもらったらしく、福沢諭吉はその「長嶋みたいなやつ」が長崎に遊学に行くのを見て「ええなあ」「うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」「わしぁ日陰の月見草やあ」と思ったらしかったが・・・、しかし、落ち着いて考えてみると、福沢諭吉は長崎に遊学に行ったはずで、その後、大阪に行って大阪の緒方洪庵の適塾(洪庵塾)でオランダ語と洋学を学んだということだったはずで、「わしぁ貧乏やからな」と「日陰の月見草」みたいに言っていた福沢諭吉は長崎に遊学に行けたのか行けなかったのかというと、行けたらしく、それなら先の自分よりも勉強のできなかった奥平壱岐は家老の息子だからということで長崎に行かせてもろうてからに「ええなあ」「ほんまにええなあ」「うらやましいなあ」と「日陰の月見草」みたいなこと言うておったのは何だったのかというと、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)によると、その奥平壱岐が福沢諭吉という男は努力家・勉強家で一生懸命勉強する男だけれども、下級武士の息子ということで長崎に遊学に行きたいと思いながら行かせてもらえずにいるけれども、なんとかしてやれないかと骨を折ってくれて、それで福沢諭吉は長崎に遊学に行かせてもらえた・・ということだったらしい。なんや、恩人に対して『世界の偉人伝 福沢諭吉』は何を言うとんねん・・てものだが、長崎に行ったら行ったで、奥平壱岐としては自分が福沢を長崎に行けるようにしてあげたのに、その福沢の方が自分よりもよくできる・・ということについて、やっぱり面白くなかったみたいで、福沢諭吉はそれを感じて、それならもう長崎になんかいるものかと江戸を目指して旅に出たが、中津の実家に何も言わずに江戸に行ってしまうのはまずいと思い、大阪の中津藩下屋敷に勤務していた兄の所に行って、これから江戸に行きますと話したところ、兄は「ちょっと待て。俺が話を聞いていないならまだしも、話を聞いたからにはこのまま江戸に行かすわけにはいかない。どうだ。江戸でなくても大阪ででも洋学は学べるのだから大阪で勉強してはどうか。国元には俺からそう話すから」と言われて、それで、大阪の適塾に入って学ぶことになったらしい。私にとっては、そのアマチュア合唱団にいた千葉大みたいなもんしか行けないくせしてからに医学部になんか行かせてもろうた山口くんというのは、私にとっては福沢諭吉にとっての奥平壱岐みたいなものだった。「ええなあ、うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」てものだ。「わしぁ日陰の月見草」てものだ。

新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
※ アマチュア合唱団の問題点については、
[第656回]《光明寺(長岡京市)【7/8】保存樹木モミ。「モミの木の歌」は人畜無害化で作成された歌ではなかった。猪・「野生の猿」出没。善良な市民は、「野生の猿」と警察官は眼を見てはいけない。音楽・声楽とコーラスは別物、プロ合唱団と「学校のコーラス部」・「アマチュア合唱団」はレスリングとプロレスの違い以上の違いがある。》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500030938.html
でも、ここで述べたものと重複するものもあるが述べました。
富士急行電鉄の沿線というと・・都留文科大学がある。なんで、自分は行ってなくて受けてもいない大学に思い入れがあるかというと、1979年の入試から共通一次試験というものが実施され、国立大学・公立大学に一期校・二期校の制度がなくなり、国公立の大学は、それまでは一期校と二期校を受けることができたのだが、1979年の入試からそうはいかなくなったのだが、例外として、群馬県の高崎経済大学(高崎市立)と山梨県の都留文科大学(都留市立だったと思う)、それに岐阜県の公立の薬科大学2つの4つの大学は試験日を他の国公立の大学とは別の日に設定して、他の国公立の大学を受ける人が併願で受けることができるようにしていたのだ。それで、都留文科大学も入学要綱を取り寄せるというところまではしたが受けなかった。その頃から、都留文科大学という学校には親しみのようなものを感じてきた。今はどうかわからないが、私などの世代の人間には都留文科大学と高崎経済大学はその時にその学校の名前と存在を知ったという人はけっこう多いのではないかと思う。
もうひとつ、山梨県の富士急行電鉄の沿線というと、山梨県の行政機関で山梨県の東部を担当する機関で都留市などにある場合があるのだ。(株)一条工務店 は山梨県で一番東の上野原市 に(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業 の工場を設けて、山梨県上野原市にあるのに、かつ上野原市の東隣りは東京都ではなくて神奈川県の相模湖町、今は相模原市と合併して相模原市の一部になったが、上野原市の東隣りも東京都ではなくて神奈川県なのに、それなのに「西東京工場」などと言っていたが、誰が上野原を「西東京」なんて言うよ・・てものだったが、なぜ、東京都と神奈川県と山梨県の境界付近の山梨県側に工場を作ったかというと、ひとつは、最低賃金法で定める最低賃金も山梨県は東京都・神奈川県よりも安い・・ということもあるかもしれないが、山梨県は東京都・神奈川県に比べて行政機関はスタッフもそれ以外もそろっていない ため、(株)一条工務店およびその系列会社の(株)日本産業 〔自動車の日産はかつて「日本産業」という名前だったらしいが、(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業は自動車の日産とはまったく関係ない。商品名に西武と関係ないのに「セゾン」なんて名前をつけたり、(株)一条工務店のオーナー経営者一族は「西武と関係ないのに『セゾン』」「日産自動車と関係ないのに『日本産業』」と、そういう「ややこしい名前」つけるのが好きみたいだ・・( 一一) 〕なんていいかげんな会社がややこしいことやっても、取り締まる行政機関が東京都・神奈川県に比べて山梨県では対応力がないようだった。せこい会社はそういうことも考えた山梨県にしたのかどうか・・、ありそうに思えることだが、昔の「国」の境目はうまく決められていると思うのだが、東京都・神奈川県・山梨県の境目、武蔵の国と甲斐の国との境目では、東京都の八王子市とかでは、朝、雪が降っても夕方になったら溶けていることが多いのに対して、山梨県側の上野原市では、冬場、朝、雪が降ったら夕方になったら凍っていて、いったん凍ったが最後、「永久凍土」、春まで溶けない。 かつ、雪だけならまだいいのだが、上野原あたりは坂がある。(株)一条工務店の工場部門および配送センターであった(株)日本産業の上野原市の工場は、中央自動車道の「上野原」インターチェンジから工場までの間に坂がある。 雪と坂があるということは、そこに運ぶ、そこから運び出すトラックは冬場はスタッドレスタイヤをはかないとだめということで、平地でそれほど雪が降らない地域ならば、配送先が温暖地ならばノーマルタイヤでも走れるが、上野原などに工場を作れば配送先が温暖地でもスタッドレスタイヤをはかなければならないことになり、雪と坂がある所というのはそうでない所に比べて荷崩れしやすいことにもなる。工場で作業をしていても、雪が降りだしたなら、それ以外の作業をほっぽりだしてでも雪かきをしないと雪が積もって、そして凍ったならば、撤去しようとしても大変だ。東京や大阪で雪が降って凍ったものはハンマーでたたけば割れるが山梨県で雪が凍ったらハンマーで叩いても割れない。お湯なんてかければ、かけたお湯が凍る。「塩化カルシウム」というのが山梨県のホームセンターでは売っていて、これをかけると凍った雪が溶けるのだが、ともかく、東京や大阪でなら、少なくとも子供は雪が降るとうれしいかもしれないが、山梨県では雪は嫌だ。わざわざ、そういう所に工場を作らなくても、せめて、東京都側に作っておけば雪が積もる可能性はずっと低く、雪が凍る可能性も低いし、坂も少ないのに・・・と思うのだが、「山梨県・神奈川県・東京都の境目付近の山梨県側」に工場と配送センターを作りたがる会社だった。 又、(株)一条工務店は中国から御影石を輸入し、イタリア・スペインからタイルを輸入していたのだが、わざわざ、海なし県に工場に併設した配送センターを作って、山の中まで運んでまた海に近い建築地に運ぶなんて「二度手間」かけなくても、港から遠くない場所に設ければ良さそうなものなのに、ユニーク(!)なことする経営者の会社だった ( 一一) ( 一一) ( 一一)

塩化カルシウム(粒状) 25kg トクヤマ 【融雪・凍結防止剤】
(株)一条工務店に入ってすぐの頃、同社の営業本部長の天野隆夫は「〇〇くんが応募してきた時はびっくりしたなあ。まさか、慶應大学の卒業生がうちの会社に来てくれるとはと思った」と私に言ったのだが、その時点で従業員数千人未満・創業から20年未満・未上場・静岡県では有名でも東京や大阪では無名の会社・本社は地方都市の浜松・施工棟数も住宅建築業の会社の中では10位以下・・という会社だったが、そこまで喜んでくれるのなら悪くないかと思ったのだったが、せっかく、こういったことを考える能力がある人間を採用しても、それを活かしてなるものかあ・・という会社、ろくでもない人間ばっかり大事にする会社だった・・( 一一)
最近、調子いいみたいだが、従業員を大事にしない会社、オーナー一族と取り巻きばっかり得するようにということばっかり考えている会社というのは、「長い目で見るならばハリコの虎」「秋の日はつるべ落とし」・・ということは十分ありうることであろう。「なんで、俺を使ってくれないんだ」と何度も思ったものだ。『江川になれなかった男たち』(三一書房)では、1960年代終わりころ、西鉄ライオンズで「黒い霧事件」として八百長があったことが発覚して何人もの選手が辞めたが、特に主力投手が何人も辞めることになったのだが、その時、高卒で入って二軍にいた東尾は「これはチャンスだ」と思ったそうで、野球は投手がいなければできない、これだけ、一軍の投手がいなくなったということは、俺たち二線級の出番だ・・と。そして、稲尾監督は東尾を先発で出してくれたが、二線級投手だけあって、投げては打たれ、投げては打たれ、東尾はパリーグの年間敗戦数ワースト記録を残した・・・が、それでも、そうやって投げているうちに、ある程度、抑えられるようになってきて、そのうち、一線級投手の仲間入りをすることができた。敗戦数のパリーグワースト記録なんて、そんなもの、いっこうにかまわない、それで試合に出て勝てるようになったのだから・・と東尾は話していたらしい。慶應大学の商学部の教授で「東大・京大とか慶應・早稲田といった大学の出身者ばかりという会社に勤めるよりも、そういう大学の出身者をなかなか採れないという会社に勤めた方が、経験を積む場もあり実力を発揮する場もあっていい」と言う人が複数いたが、その話を聞いてそうなのかなとも思ったのだったが、それは違った。(株)一条工務店のような高卒の社長・中卒の営業本部長の会社では、慶應大学商学部卒と記載した履歴書を提出して入社すると、その能力を活かしてなるものかあ・・と高卒の社長・中卒の営業本部長は考えるようだった。(株)一条工務店という会社は、投手がいなかったら野球は始まらないから経験を積んだ一線級投手がいなければ二線級投手や若手投手に投げさせるのではなくて、便所掃除か下足番として採用した人に投げさせるという会社だった。入社して何年か経った時、ベテランの某さん(男。当時、40代)に「一条工務店という会社は一流大学卒の人を採用したがりますけれども、そのわりに採用した人間を活かそうとしませんね。一条工務店の経営者は一流大学卒の人間を採用したいのか採用したくないのか、どちらなのでしょうねえ」と言ったところ、「そりぁ、採用したいんですよ。採用した上で氷漬けにして冷や飯くわせた上で『あんな大学、だめだ』と言いたいんですよ。高卒の経営者の考えることなんて、そんなものでしょ。わからないんですか、そんなことも」と言われた・・・が、「そんなもの」だったのかもしれない。そんな会社によくもまあ、あれだけ、自分を犠牲にしてその会社のために滅私奉公を続けたものだ。よく頑張った・・という面もないことないが、「よく頑張ったな」と言うよりも「アホちゃうか」と言う方が正しいのかもしれない。 『巨人の星』では、青雲高校というブルジョワの息子・娘ばっかりの私立高校に入学した野球の能力は優れた「日雇い人夫の息子」星飛雄馬は「まったく、とうちゃんのやつ、なんだって、こんなけったくその悪い高校に行かすんだあ」と怒るが〔モデルは慶應義塾高校かと思ったら、「原作者」の梶原一騎は青山学院の初等部に少しだけ行って転校したことがあったらしく、おそらく、モデルは青山学院の高校か・・〕野球部に入るが、野球部を支配していた柔道部の伴宙太は「星を青雲高校野球部の英雄になんか絶対にならせるものか。青雲高校の英雄は柔道部の伴宙太だけでいいんだ」と言って、星をしごきまくり苛めまくり、そして、星飛雄馬が野球については1年生ながら青雲高校野球部の3年生・2年生よりはるかに優れているということを承知の上で、「1年生は球拾いじゃあ」と星飛雄馬に外野の後ろで球拾いをさせて、さらに拾った球を星飛雄馬が返球しようとすると「こらあ、1年生はゴロでボールを返せえ。上級生の気が散るだろうがあ」と言って星に剛速球を投げて目立つことをさせないようにする。星は「あの野郎、なんとしても俺を目立たないようにしようとしているんだな」と感知して、「ゴロで内野に返す」際に同じ場所に集めて、そして、「ボールのピラミッド」を作るが、それでも、伴宙太は「1年生どもはたるんどるう。特に星、おまえはたるんどるう」と言い、星がいることから一緒にしごかれてへとへとになっている他の1年生に「俺がやるから休んでおればいいよ」と言ってほとんど一人で球拾いをした星に「おまえは特にたるんどるう。これからうさぎ跳びでグランド一周しろお」と言い出す。「いくらなんでも無茶だ。星はほとんど一人で球拾いやったんだ。その後でうさぎ跳びでグランド一周なんて」と周囲の野球部員がつぶやく、星は「人間には誰しも長所と短所があるというが、こいつには短所しかないのではないか」と思う・・・という、そんな感じ。慶應大学商学部の教授先生はもしかして知らんかったのかもしれん。「東大・京大や慶応・早稲田といった大学の出身者ばかりの会社」と「慶應大あたりの大学の卒業生をなかなか採用できない会社」となら、実は「慶應大あたりの大学の卒業生をなかなか採用できない会社」に入ると、「一線級投手がごそっと抜けた1970年代前半の西鉄ライオンズでの二線級投手だった東尾」みたいになるのではなくて、実は「特に野球が強いわけではない青雲高校野球部に入った星飛雄馬」みたいな扱いにされる可能性が小さくない、ということを。「慶應大学の優秀な学生さんにぜひ当社に来ていただきたい」と「大学の先生」に言う会社の人事部の人間には「採るだけ採って氷漬けにして冷や飯くわせて『あんな大学だめだ』と言ってやりたい」と思って言っている人間が少なからずいるはずだ、ということを。うちの父親だって「そんなもの、慶應大学あたりの大学の卒業生を、そういう大学の出身の人間をなかなか採用できないというくらいの会社が採用しておいて、高卒や五流大学卒の人間といつまでも同じ扱いにするような、そんな愚かな経営者の会社がこの日本にあるわけがない」と言っていたのだが、実はあるのだった。(株)一条工務店という会社があるのだった。「野村証券とか住友銀行とかは給料ええけれども、しかし、よう働かせよるでえ」とかうちの父親は言っていたのだが、しかし、(株)一条工務店も「よう働かせよる」けれども、ちっとも給料よくなかった。どちらも「よう働かせよる」のなら「給料ええ」会社の方がええ・・よなあ。そう思わないか? (株)一条工務店は営業本部長の天野隆夫が「一条工務店には『労働基準法は守らない』という『会社のルール』がある」などと公言していたが、法律というものは守るべきものであって破るべきものではないが、労働基準法という法律については現実にきっちりと守れていない会社というのは存在していると思うのだが、しかし、「一条工務店には『労働基準法は守らない』という『会社のルール』がある」とそこまではっきりと公言する会社というのは多くないと思うのだ。「住友銀行とか野村證券とか」だって、さすがに「・・・には『労働基準法は守らない』という『会社のルールがある』」と営業本部長が公言したりはしないと思うのだ。そんな会社で「ベンチがアホやから野球ができん」というような気持に何度もならされて、そんなストレスたまる会社のために尽くして犠牲にされるよりも、「東大・京大や慶応大・早稲田大といった大学の卒業生ばかりの会社」でそういう人間を相手に競争してその競争に勝ったり負けたりする方がよっぽどいいのではないか・・と(株)一条工務店のおかげで思うに至るようになった。実際のところ、(株)一条工務店は「(あなたがそのポストにいるからややこしいんだ。俺がやるから)そこ、どいてくれないか」と思ってもどいてくれないという人がいっぱいいるという会社だった。
山梨県では一番東の上野原市を担当する労働基準監督署は、たしか、都留市の監督署だったはずだ。便利悪そうで高速道路をクルマで走ればそんなにかからない。クルマで行くなら便利悪いということもない。

江川になれなかった男たち―ドラフト外伝 (1983年)
河口湖付近については、このほかにも思いはあるのだが、字数も多くなってきたので、今回はこのあたりでとどめ、又、別の機会に述べることにする。
東名高速道路では首都高速道路渋谷線との接続点の「用賀」にパーキングエリアであるのかないのか・・みたいのがあるが、中央道では「永福町」に「一応、パーキングエリア」がある。↓
↑ 「永福町」パーキングエリア。
クルマを駐車した階に清涼飲料水の自販機があり、エレベーターもしくは階段で降りた下の階にトイレがある。↓
そんな駐車可能台数も少なくて、トイレと清涼飲料水の自販機があるだけのパーキングエリアなんてと思う人もいるかもしれないが、「も~れ~るう~う」という危機一髪の時には、そういうパーキングエリアでもあるかないかで大きな違いがある。
トイレがある階は「3階」らしい。 クルマを駐車した所より下に行った所にあるので地下みたいだが、地上から考えると3階の位置ということか。
2024年(令和6年)もよろしく。
2024年(令和6年)の干支(えと)の「たつ」⇒「たつのおとしご」については、別のブログ、
「慎腹風呂愚」
葛西臨海水族館のウィーディーシードラゴンとビッグベリードシーホース。
1.ガラスドーム。交番は目立たない建物が市民の個人情報蒐集するのに適しているのか。潮見にあった(株)一条工務店の東京展示場は「観光客」の割合が多く、それでもめげずに「観光客」にきっちりと説明案内すると「なんだ、けっこう接客しているじゃないか」と営業本部長から言われる展示場(泣)。(株)一条工務店の浜松の展示場は新しくてきれい・東京展示場は古くて汚くて床鳴りひどくて「地方」向け。「一条工務店の遠州人」は卑怯者集団。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501895306.html
2.ウィーディーシードラゴン・ビッグベリードシーホース。世界で一番小さいペンギン。夕焼け時の東京湾と西なぎさ・東なぎさ。葛西臨海公園駅・潮見駅。八百長の営業成績比較をする(株)一条工務店。https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/501974446.html
・・で掲載しました。
(2024.1.6.)

日本環境報告 (朝日文庫) - 本多 勝一
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