能勢妙見の森ケーブル廃止に際して【2/4】妙見口駅から、吉川自治会館・オイスカ・花折街道・吉川小学校・白龍大神・吉川八幡神社・高代寺山石を経て国道477号に合流。

[第669回]
  能勢電鉄「妙見口」駅より妙見の森ケーブル「黒川」駅に向かいます。
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↑ 能勢電鉄「妙見口」駅。外観。
  「妙見口」駅から北に進む道は、国道477号の旧道ではないでしょうか。
  それを北に進みます。

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 ↓ ↓ ↓ ↓
  小川を渡ってすぐ右手(東側)に、↓
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↑ 吉川自治会館
※ マピオン 吉川自治会館 https://www.mapion.co.jp/phonebook/M51015/27321/118332724_ipcbl/

  吉川自治会館の前を通り過ぎてしばらく進むと左手(西側)に 豊能町立吉川小学校 があるはずだが、右手(東側)に ↓
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↑ 学校の校舎と運動場みたいのが見えてきたが、これは・・・・
「公益財団法人 オイスカ関西研修センター
と書かれている。
 「オイスカ」て、新興宗教団体ではなかったっけ? ・・と思って検索すると、
「公益財団法人 オイスカ」のホームページ https://oisca.org/ の「オイスカとは」https://oisca.org/about/ には《 オイスカ・インターナショナル(The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement-International)は、「すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界」を目指して1961年に設立されました。本部を日本に置き、41の国と地域で活動を展開する国際NGOです。》と書かれている・・のだが、新興宗教団体でないのかというと、そうではなくて、ウィキペディアーオイスカ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%AB によると、《 公益財団法人オイスカは、新宗教団体三五教(あなないきょう)を母体として設立された公益財団法人。》だそうで、《 「オイスカ(OISCA)」の名称は、「すべての人々がさまざまな違いを乗り越えて共存し、地球上のあらゆる生命の基盤を守り育てようとする世界」を目指して1965年に「精神文化国際機構」から改称された名称「国際NGOオイスカ・インターナショナル」(The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement-International)に由来する。》そうで、「三五教(あなないきょう)」とは、ウィキペディアー三五教(あなないきょう)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%94%E6%95%99 によると《 三五教(あなないきょう)は、神道系の新宗教。文部科学大臣所轄包括宗教法人。大本の信者であった中野與之助によって1949年(昭和24年)に創始された。その教義から宇宙教とも称される。現在は静岡県掛川市横須賀字万神堂に本部事務所を置く。三五教は自教団について「日本神道を基本とした教派神道の教団」と明示しており、神道の教派ではあるが、戦後立教された新教派である。》とある。
  「宗教右翼」と言われる団体が加盟している 日本会議のホームページの「日本会議とは」「役員名簿」https://www.nipponkaigi.org/about/yakuin には、オイスカインターナショナル総裁 中野悦子なる名前が掲載されている。
日本会議とは何か: 「憲法改正」に突き進むカルト集団 (合同ブックレット) - 聰, 上杉
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日本会議の正体 (平凡社新書818) - 青木 理
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  「公益財団法人」と言われると、そういうものになっているということは、いいのか?・・とか思う人が出そうだが、別に「公益財団法人」になっているから、だから、いいとか悪いとかいうことはない。 倫理研究所も「公益財団法人」だったっけ? ・・と思って検索すると、ウィキペディアー倫理研究所https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AB%E7%90%86%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80#%E6%B2%BF%E9%9D%A9  には《一般社団法人倫理研究所(りんりけんきゅうしょ)は、丸山敏雄が設立した民間団体。1945年(昭和20年)9月3日創立。2013年(平成25年)9月2日一般社団法人となる。》とある。
《 1945年、丸山敏雄によって設立された。現在の理事長は、丸山敏雄の孫の丸山敏秋。》とあり、現在の理事長の丸山敏秋もまた、「オイスカインターナショナル総裁 中野悦子」と同じく、「宗教右翼」と言われる団体がいっぱい入っている「日本会議」の「代表委員」になっている。 幸福の科学の大川隆法の長男は幸福の科学の後継者になるのを嫌がって離脱したらしいが、それに対して倫理研究所の丸山敏雄の孫だという丸山敏秋は倫理研究所の理事長の跡をついで「親孝行を教えてやろう」などと、なんとも思いあがったのぼせあがった口をきいているようである( 一一) 迷惑な話である。
  そういえば、うちの父親も、自分の親が生きている間は「親孝行」などとはひとことも言わず、自分の親は2人とも他界した、息子はいる・・となると、突然、「親こっこっこ♪ 親こっこっこ♪ おやおやコッコこ、おやコッコこ♪」とか毎日毎日、四六時中叫ぶようになったが、うちの下の姉が「あれ、ちょっとズルイんちゃう?」と言うのだったが私もそう思う。どう考えても、ズッコイ( 一一)
  ところで・・・、「高梨」と書いて「たかなし」と読むのはわかるが、「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読む苗字の人がいるらしいが、なんで「小鳥遊」で「たかなし」なんだ? ・・というと、「鷹がいないと小鳥が遊ぶ」ということで、それで「小鳥遊」と書いて「たかなし」と読むらしい・・・のだが、ウィキペディアー三五教https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%94%E6%95%99 によると《 宇宙大御祖を信仰対象とし[、「天文即宗教」という教義を持っている。「三」は日月星で天体を表し、「五」は木火土金水で地の活動を表し、あわせて「三五」は天地の教えを表しているという》というが、なんで「三五教」と書いて「あなないきょう」なんだ? ・・どうも、ようわからん。
  「三五教(あなないきょう)」は《 創始者である中野與之助は1887年(明治20年)7月に静岡県焼津の農家に生まれる。與之助は1917年(大正6年)に名古屋に出て木材商を営む傍ら、1921年(大正10年)に大本に入信した。1935年(昭和10年)の第二次大本事件で入獄したのち、友清歓真らとともに御穂神社の長沢雄楯の下で本田親徳の霊学を学んだ。
1949年(昭和24年)、中野は「清水に世界的宗教が生まれる」という啓示を受け、清水市(現静岡市清水区)にて三五教を開教した。》
( ウィキペディアー三五教(あなないきょう)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BA%94%E6%95%99 )
というものらしく、「大本(おおもと)」にいた人が始めた新興宗教らしい。
《 二代目教主は與之助の養女である中野良子、三代目は中野悦子
と出ており、「日本会議」の「代表委員」になっている中野悦子はオイスカインターナショナルの3代目の「総裁」らしいが、2代目の中野良子は「(中野)與之助の養女」らしいが、3代目の中野悦子はどういう関係なのかは書かれていない。

  倫理研究所(=倫理法人会)は戦前戦中の神道系の新興宗教団体「ひとのみち」が戦後、PL教団(パーフェクトリバティー)・実践倫理宏正会と倫理研究所(=倫理法人会)の3つに分かれて復活したうちの1つだが、三五教(あなないきょう)・オイスカインターナショナルは「大本(おおもと)」にいた人が始めた新興宗教団体で、「大本(おおもと)」は何系だったっけ? と思って、ウィキペディアー大本 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9C%AC を見ると、《 大本(おおもと/おほもと)は、出口なおとその娘婿出口王仁三郎が興した神道系新宗教。「大本教」と呼ばれる事が多いが、正式名称には「教」がつかない。戦後の1956年(昭和31年)に教派神道連合会に加盟している。》
と出ており、「大本(おおもと)」も神道系らしい。

  オイスカインターナショナル関西研修センター だが、な~んか「学校の校舎と運動場」みたいな感じだな・・・と思ったが、豊能町立吉川小学校はこれよりも北西にある。吉川中学校はどこにあるのかというと、豊能町東ときわ台1丁目、能勢電鉄「ときわ台」駅の南東の方にある。能勢電鉄が川西市から豊能町に入って1駅目が「光風台」で、「光風台」駅と「妙見口」駅の間に「ときわ台」駅があり、「光風台」駅の南東に「光風台」、北西に「新光風台」、「ときわ台」駅の南東に「ときわ台」、そのさらに南東に「東ときわ台」という分譲地ができており(YouTube などで鉄道系ユーチューバーの人の動画など見ると、それらの分譲地の住民は高齢化が進んでいるとか出ているけれども)、もしかして、吉川中学校は、初めは吉川小学校の向かいあたり、現在のオイスカインターナショナル関西研修センターがある場所にあって、できた頃は豊能町吉川 の比較的中心地だったが、後に分譲地として光風台・ときわ台ができて、そちらの方が人口が多くなったことから、小学校は光風台小学校・東ときわ台小学校を作って吉川小学校は前からの場所にそのまま設けられているが、中学校の方は人口が多くなった分譲地の方に吉川中学校を移転して、必要なくなった中学校の校舎と運動場・敷地をオイスカインターナショナルが手に入れた・・なんてことないか? と思ったが、ウィキペディアー豊能町立吉川中学校 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%83%BD%E7%94%BA%E7%AB%8B%E5%90%89%E5%B7%9D%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1 を見ると、
《 1947年4月1日 - 大阪府豊能郡吉川村立中学校として設立。吉川村立小学校(現・豊能町立吉川小学校)に併設。
1949年1月28日 - 現在の豊能町立吉川小学校の場所に独立校舎竣工。この日を創立記念日とする。
1950年4月 - 大阪府立桜塚高等学校吉川分校を中学校校舎に併設。
1951年10月30日 - 小学校・中学校の校舎交換により、旧吉川小学校の校地へ移転。
1954年3月 - 桜塚高校分校が廃止される。
1956年10月1日 - 合併で東能勢村となったことに伴い、東能勢村立吉川中学校と改称。
1957年4月20日 - 新校舎が竣工し、移転。
1975年4月22日 - 現在地に移転。
1977年4月1日 - 東能勢村が町制施行で豊能町となったことに伴い、豊能町立吉川中学校と改称 》
と出ており、どうも、今現在はオイスカインターナショナル関西研修センター になっている場所に吉川村立吉川小学校が先にあって、戦後すぐの1947年にオイスカインターナショナル関西研修センターの場所にあった吉川村立吉川小学校に併設して吉川中学校ができて、現在、豊能町立吉川小学校になっている所に吉川村立吉川中学校が作られ、その後、戦後、朝鮮戦争勃発の1950年に桜塚高校の分校が吉川中学校校舎に併設され、その翌年1951年、小学校・中学校の「校舎交換」で吉川小学校は現在地のものになり、吉川中学校の方が現在はオイスカインターナショナル関西研修センターがある所になったが桜塚高校の分校は1954年に廃止され、1956年に吉川村が合併で東能勢村になったことから東能勢村立吉川中学校となり、1975年に現在の豊能町東ときわ台1丁目に移転し、1977年に東能勢村が町制施行の際に豊能町になったことから豊能町立吉川中学校と改称したというものらしく、オイスカインターナショナル関西研修センターは「学校の校舎と運動場みたい」という感じがしたが、やっぱり、元は吉川中学校だった所で、さらにその前は吉川小学校だった所だったようだ。

  オイスカインターナショナル関西研修センターの前をそのまま北に進みます。
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↑ 紅葉がなかなかきれい。
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↑ 「花折街道」という名称がつけられているらしい。

  左手(西側)に豊能町立吉川小学校があるはず・・と思って見ていると、↓
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「豊能町立吉川小学校 ←」という看板が出ている。

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↓ 右手(東側)、小川のそばに祠があり、「白龍大神」と額に書かれている。

  さらに行くと左手(西側)に、↓
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↑ こちらも豊能町立吉川小学校で、吉川小学校にはこの街道から3通りの経路で入れるみたい。

  さらに北に直進する。
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右手(東側)に ↓
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↑ 『県別マップル 大阪府道路地図』(2019年4版 昭文社)に、「祥雲館 新館」というのがこのあたりにあると記載されていて、この東側の国道477号のもう少し南を東に山を少しだけ入ったあたりに「祥雲館」があると記載されていたが、「祥雲館」とは何なのか。
「祥雲館ビレッジ 彩(さい)」「デイサービス ショートステイ グループホーム」「社会福祉法人 豊悠福祉会」
と書かれている。

  さらに直進すると左手(西側)に、↓
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↑ 石柱には「左 吉川八幡神社参道」と書かれている・・が、ひとつ、倒れている。
写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。
右側の石には「花折街道 吉川高代寺山石」と書かれている。
  『県別マップル 大阪府道路地図』(2019年4版 昭文社)を見ても、この左に行く道を進めば「吉川八幡神社」があるらしいが、「すぐそこ」ではなくて、ある程度歩かないといけないようなので、今回は「妙見の森ケーブル」とリフトに乗って能勢妙見さんに行くつもりで来たので、ここは左折せず直進することにした。吉川八幡神社「ごあいさつ」https://www.yoshikawahachiman.com/message/message.html には《 吉川八幡神社は吉田神道(特に北辰信仰)の文化を多く現代に伝えております。巫女神楽、盟神探湯、吉田神道御幣の奉製と祓えの儀式、旧祭式作法などの「一社の故実」に於きましては、一年の祭りを通じて皆様に御拝観頂ける機会がございます。節分祭、春大祭、放生会、秋例祭などの祭典に是非とも御参列をお待ち申し上げます。》と書かれているので、よそ者が足を踏み入れてもいい神社のようです。決して「来てはならぬ。祟りじゃ、祟りじゃ。八つ墓明神さまの祟りじゃあ。よそ者は帰れえ」とか言われることはない・・でしょう。たぶん・・
※ YouTube-濃茶の尼 たたりじゃ 1000人の金田一耕助2016(倉敷市真備町)https://www.youtube.com/watch?v=sAzyvbkFpXE
  「北辰信仰」というと、吉川八幡神社は妙見山のふもとの街道の妙見山と逆側にあり、ウィキペディアー妙見菩薩https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9 には
《 妙見菩薩(みょうけんぼさつ、旧仮名遣:めうけんぼさつ)は、北極星または北斗七星を神格化した仏教の天部の一つ。尊星王(そんしょうおう)、妙見尊星王(みょうけんそんしょうおう)、北辰菩薩(ほくしんぼさつ)などとも呼ばれる。》
と出ているが、「妙見菩薩」は「北辰菩薩」とも呼ばれるらしく、この地域の信仰なのでしょうか。
  ウィキペディアー妙見菩薩 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E8%A6%8B%E8%8F%A9%E8%96%A9 には、
《 中世初期に中国から伝来し陰陽道に取り入れられた「太上神仙鎮宅七十二霊符」(「太上秘法鎮宅霊符」とも)と呼ばれる72種の護符を司る鎮宅霊符神(道教の真武大帝に比定)とも習合された。大阪府にある小松神社(星田妙見宮)では元治元年(1865年)の鎮宅霊符の版木が伝わっており、現在もこの霊符が配布されている。妙見信仰の聖地として有名な能勢妙見山(同府豊能郡能勢町)でも鎮宅霊符神と妙見菩薩が同一視されている。以上に加えて、地域によっては水神、鉱物神・馬の神としても信仰された。能勢がキリシタン大名の高山右近の領地であったことと、キリシタンの多い土地に日蓮宗の僧侶が送り込まれたことから、隠れキリシタンは日蓮宗系の妙見菩薩像(いわゆる能勢妙見)を天帝(デウス)に見立てたともみられている。》
と出ている。この付近に妙見・北辰信仰があるのはキリシタン大名の高山右近の領地だったことから日蓮宗の僧侶が送り込まれたということが、妙見・北辰信仰が広まったことと関係あるということでしょうか。

  『県別マップル 大阪府道路地図』(2019年4版 昭文社)を見ると、ここより西、大阪府豊能郡豊能町吉川 と兵庫県川西市横路(よこじ)との境界に高代寺山という標高488.5mという山があり、その東に高代寺という寺がけっこう山中ではないかと思われる所にあるらしい。「吉川高代寺山石」と書かれているのは、その高代寺山で採れた石だということなのでしょうか。
※ ウィキペディアー吉川八幡神社 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%AB%E5%B9%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E8%B1%8A%E8%83%BD%E7%94%BA)
吉川八幡神社「ごあいさつ」https://www.yoshikawahachiman.com/message/message.html

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↑ 紅葉がきれい。

  さらに進むと、ついに国道477号に合流する地点に来ました。↓
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国道477号に合流後は、国道477号を少し進んで右折すると 妙見の森ケーブル「黒川」駅の前に出ますが、合流地点から後は次回https://philoarchi2212.seesaa.net/article/501815140.html?1703063794 に掲載することにします。

 (2023.12.19.)
☆ 能勢 妙見の森ケーブル廃止に際して
1.川西能勢口駅から山下駅を経て妙見口駅へ。素敵な妙見口駅駅舎内の和風シャンデリア。平日はない黒川駅行きバス、廃止された池田駅から妙見山頂バス停までのバス。「妙見さん」とは。眼病の神・「水晶のように澄みきった目で物事の真相を見極める」神⇒冤罪を晴らす神、不当判決を導く検察官・裁判官を懲らしめる神。保守的経営の阪急。自社路線しかない地域では私鉄ながら「親方日の丸」経営の阪急。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/501703114.html  
2.妙見口駅から、吉川自治会館・オイスカ・花折街道・吉川小学校・白龍大神・吉川八幡神社・高代寺山石を経て国道477号に合流。〔今回〕
3.旧道から国道477号に合流、池、鳥居から登る山道。一庫へ分岐する県道・ケーブル「黒川」駅に向かう道。紅葉がきれい。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/501815140.html?1703063794
4.運行休止で動かないケーブルカー。「わしに孝に」の教育勅語は親が子に有益なことをしたから「感謝しろ」ではなく「親であること」に「感謝しろ」というもの。自衛隊に武器を持たせるのは危険である理由。なぜ私は大阪府で一番の高校に行っても「義務教育でない以上は高校に行ってはいかんはず」でCSランバーの「五流大学卒です」と顔に書いてあるやつは大威張りで「大学」に行かせてもらえるのか。改札口の位置ではなく駅舎と屋外の境界に張られたチェーンは悲しい。「箕面の山」の南側と異なる能勢の農家 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/501825111.html 
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※ 《YouTube-1948年(1949年) 昭和23年(昭和24年) 5月~ 8月 八つ墓村 +》https://www.youtube.com/watch?v=7XVra0iyZjM 1:12~
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