光明寺(長岡京市)【7/8】保存樹木モミ。「モミの木の歌」は人畜無害化で作成された歌ではなかった。猪・「野生の猿」出没。善良な市民は、「野生の猿」と警察官は眼を見てはいけない。音楽・声楽とコーラスは別物、プロ合唱団と「学校のコーラス部」・「アマチュア合唱団」はレスリングとプロレスの違い以上の違いがある。
[第656回]
西山浄土宗 総本山 光明寺(京都府長岡京市)参拝の第7回目です。

↑ 阿弥陀堂 (長岡京市指定有形文化財)。
阿弥陀堂の前に、↓

↑ 「保存樹木 長岡京市指定 モミ」
「モミの木」・・というと、「『も~みの木~、も~みの木~、茂るは~もみの木~♪』という歌の木ですね」と言うと、「メーデーの時の歌じゃない。『卑怯者、去らば去れ~♪』てやつでしょ」と言う人があったのだ。え?・・・と思ったのだが、「卑怯者、去らば去れ~♪」というのは「赤旗の歌」というやつだ。
「もみの木の歌」と「赤旗の歌」は同じなのか違うのか。どちらかが元からのものならどっちが元からのものなのか。
昔から、日本においては、外国の歌を日本に紹介する際に「人畜無害化」されることが多い。森鴎外『青年』(新潮文庫)〔1910ー1911年発表〕では登場人物の平田附石という夏目漱石がモデルらしい人物が「日本に持ってくると、何でも小さくなる」と語る場面が出ているが、そういうものが多い。
《 大分話が進んで来てから、(平田附石は)こんな事を言った。「イブセンは初め諾威(ノオルウェイ)の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴(ヨオロッパ)のイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本に持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何物も小さくする、最後の人類がひょこひょこ踊っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイズムを輸入して来て、それを弄んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛(こわ)がるには当たらない。何も山鹿素行や四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。》
森鴎外が小説の中で夏目漱石がモデルの人物に語らせているものだが、的確なことを述べていると思う。そう言えば、夏目漱石『三四郎』では、《 また広田先生は漱石自身であるともいわれたが、森田草平によれば一高教授岩本禎を眼中において書かれたものである。だがそれは必ずしもモデルとして作中の人物像を描きだしたということでなく、「近ごろは大分ずるくなって何ぞというと手近なものを種にしようという癖ができた」(七月三十日付、小宮豊隆宛書簡)という彼の創作態度を物語る以上のものではない。》(山本健吉「夏目漱石『三四郎』(角川文庫) 解説」)、《広田のモデルは、一高教授の岩元禎、若しくは二高教授の粟野健次郎だといわれている》(ウィキペディアー三四郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%9B%E9%83%8E )という広田先生が
《 ・・すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。・・》
〔『三四郎』の発表は日露戦争(1904~1905)の3年後の1908年。〕
私は慶應の学生や教授を見て思った。「福沢諭吉は初め、小さい『大分県の中津藩の福沢諭吉』だったが、後に『日本の福沢諭吉』になった。しかし、慶應義塾においては今も小さい『慶應の福沢諭吉』である」と。非慶應地域においては福沢諭吉は「日本の福沢諭吉」であるのに対して、慶應的空間においては「慶應の福沢諭吉」であって、ずっと「小さい」福沢諭吉なのだ・・・が、「慶應タイプ」の人はそれに気づいていないし、又、気づかせてあげようなどと親切心を起こすと彼らは「愛塾心」から激怒してつかみかかってくる。彼らにとってはそういうものが「愛塾」「愛塾心」なのである。
それで、外国の歌だが、中学校の「音楽」の教科書に「山や川が呼んでいる、みんな、元気に出かけよう♪」という歌詞の歌が掲載されていて、いい歌だなあ・・と思ったのだが、それから何十年か経って気づいた。それは「ワルシャワ労働歌」という歌で、ポーランドのワルシャワで歌われて、それがソビエト連邦のモスクワで歌われ、さらにそれが日本に伝わってきたのだが、日本の「音楽」の教科書では「山や川が呼んでいる、みんな、元気に出かけよう♪」という「どうでもいい歌詞」に変えられて掲載されて、「音楽」の授業でもそういう「人畜無害化」された歌詞で歌っていたのだった。
※ YouTube-【ロシア語】ワルシャワ労働歌 (Варшавянка) (日本語字幕) https://www.youtube.com/watch?v=PmY1dKify68
「ロシア民謡」に「トロイカ」という歌があり、私が小学校の1年から2年にかけて、「ヤマハの音楽教室」に通った時に、その「トロイカ」という歌がテキストに掲載されていて、歌い方として「軽やかに」と書かれていたのだったが、「変な歌だなあ」というのがその時の私の印象だった。どう考えても「軽やかに」という感じの節ではないように思えたのだ。歌詞は「雪の白樺並木、高鳴るバイヤン♪」という「軽やかに」という感じの歌詞だったが、節はどう考えてもそんな節ではない。これも後に理由がわかった。ロシアの歌で「トロイカ」という歌が2つあって、片方の「トロイカ」の節に別の「トロイカ」の歌詞がつけられて日本に紹介されたようで、物悲しい節の歌に「雪の白樺並木、高鳴れバイヤン」という「軽やかに」という歌詞がつけられたために違和感を覚える歌になったのだった。日本で知られている「トロイカ」の節の歌詞は本来は「雪の夜道をトロイカが行く。悲しげな顔の御者に客は問う。御者は答える。『聞いてくださるか、優しいお客さま。きょう、私が愛した娘が地主の嫁に行く。貧しい私を捨てて地主の嫁になる。彼女は幸せにはなれない』と。トロイカは雪の夜道を走りゆく」というそういう歌詞だったらしく、本来とは異なる人畜無害な歌詞をつけたからおかしな歌になった。およそ「軽やかに」歌うような歌ではなく、ロシア人の歌手はこの歌を本来の歌詞の内容のように歌い、決して「軽やかに」は歌っていない。「ヤマハの音楽教室」が悪いということでもなく、日本では全般的にこの節の「トロイカ」は「軽やかに」歌えと指示されて「雪の白樺並木、高鳴れバイヤン♪」という「軽やかに」歌うような歌詞にされてしまっている。これも「日本的人畜無害化」のひとつで「慶應タイプ」が好むもの、こういう「日本的人畜無害化」を喜ぶ態度が小此木啓吾一派などが「自我が確立されている」と「診断」するもので、そういった「人畜無害化」を喜ばず、本来のものを表に出そうとする者がいると「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」とか「心理学者」から「診断」されることになる。 もっとも、「ロシア民謡」というものの歌い方として、日本では悲しい歌詞のものを悲しい歌い方をすることが多いのに対し、ロシアではそうではなくて、悲しい歌詞の歌は歌詞が悲しいものなのだから、歌い方はそうではなく淡々と歌うということが少なくないらしく、又、実際に悲しい内容のものは「淡々と」歌う歌い方の方がかえって心に強く訴えることになることがあるように思えるが、しかし、「軽やかに」というものは明らかに違うだろう。
※ YouTube-【和訳付き】トロイカ(ロシア民謡)【カナルビ付】- Вот мчится тройка почтовая https://www.youtube.com/watch?v=e6vzwh4dV38
教科書ではないが「男子音楽」という音楽の友社から出版されていた「副読本」みたいな本をササヤ書店で買って持っていたのだが、そこにロシア民謡の「バイカル湖のほとり」が掲載されていたのだが、歌詞はというと「ゆたかなるザバイカルの はてしなき野山を やつれし旅人が あてもなくさまよう」という、これも「人畜無害」な歌詞が掲載されていた。その歌詞は嘘ではないのだけれども、ロシア民謡の歌というのは、同じ節を何回か歌ってだんだんと盛り上がっていくというものがあり、最初は人畜無害な歌詞で後になるほど重い歌詞になることがある。「バイカル湖のほとり」も「ゆたかなるザバイカルの はてしなき野山を やつれし旅人が あてもなくさまよう」というのは最初の比較的軽い部分の歌詞で、この「やつれし旅人」とはどういう旅人かというと、政治犯として「シベリア送り」にされた囚人が夜、収容所を抜け出してバイカル湖のほとりにたどりついたという「旅人」で、小舟をみつけてそれでバイカル湖を渡る、迎えるはなつかしき母、息子は語る「父さん、兄さんは元気か」と。母は語る「父さんはとうに墓の中。兄さんは政治犯として捕まり収容所に入れられて、足に鎖をつけられて今も鎖をひいている」と・・という歌で、その「男子音楽」は自然描写からだんだんと話が中心の問題に行く歌の最初の人畜無害な部分だけを掲載していたのだった。
※ YouTube-【ロシア語】バイカル湖のほとり (По диким степям Забайкалья) (日本語字幕) https://www.youtube.com/watch?v=mkBlsM5KNGY
片方でソビエト連邦の赤軍合唱団の歌い方は、本来、軍歌でない歌を軍歌調にして歌っているものがあり、そういう歌ではないと思うがなあと思うものがあるが、他方で「日本的人畜無害化」された歌というものもいかがなものかと思う。「人畜無害化」された歌を得意にしていたのが慶應大学ワグネルソサエティー出身のダークダックスというグループで、私は子供の頃はダークダックスの歌がけっこう好きだったが大人になるとともに好きでなくなった。
悲しいことに、「日本に紹介された外国の歌」にはそういったものがいっぱいある。また、愚かなことだが、そういう歌が大好きという女性がけっこういて、「学校の女子コーラス部」はそれが主流であり、なおかつ、男性にもそういうものが好きだという男が少なからずいる。
「モミの木の歌」もまた、そういうものか、元々は「卑怯者、去らば去れ!」という「赤旗の歌」だったものを「人畜無害化」して「もみの木~、モミの木~、茂るはモミの木♪」と「人畜無害化」されたものか・・・と思った・・のだが、どうも違うらしい。「モミの木の歌」と「赤旗の歌」は、もともとはドイツに「モミの木の歌」というものがあって、「赤旗の歌」の歌詞を考えた人がドイツの「モミの木の歌」に「赤旗の歌」の歌詞をつけて歌うようにしたらしく、「モミの木の歌」と「赤旗の歌」は「モミの木の歌」の方が先にあったらしく、「モミの木の歌」は「人畜無害化」作品というわけではなかったらしい。
※ YouTube-【和訳付き】もみの木(ドイツ民謡) "O Tannenbaum" - カタカナルビ付き https://www.youtube.com/watch?v=JhrQm1wD4LU
※ YouTube-「赤旗の歌」https://www.youtube.com/watch?v=jMf-qLljzNg
「めざせ、モスクワ」という歌があるが、あれは「プレゴジンとワグネルの歌」なのか? ・・というと、そういうことでもないらしい。
※ YouTube-Dschinghis Khan - Moskau (Live 1979 HD) https://www.youtube.com/watch?v=EPdn9_h2dCY
それから、「ロシアの歌」というと、「地主はええなあ、イギリス人はええなあ、わしぁ貧乏やからなあ、ほんまにええなあ、うらやましいなあ、わしぁ貧乏やからな、わしぁ日陰の月見草や・・巨人はええなあ、ほんまにええなあ長嶋はあ」・・みたいなそんな歌ばっかりかと一時期思っていたら、そうでもなくて、そうではない歌もあるようだ。たとえば、「モスクワ郊外の夕べ」などは私は好きだ。
※ YouTube-【和訳付き】モスクワ郊外のゆうべ(ロシア音楽)"Подмосковные вечера" - カナ読み有 https://www.youtube.com/watch?v=njUy9zcbWKY
ロシア人のノーベル賞受賞者の男性が「プーチンをロシアだと思わないでほしい。あれがロシアではない。チャイコフスキーのロシア、トルストイのロシアが本当のロシアだ」と話しているのがテレビに映っていたが、たしかに、ロシアの歌が好きな者としてはプーチンらのウクライナ侵攻とロシア連邦軍の蛮行はは悲しいし、なんとも情けない。
それから、私は小学生の時から「学校のコーラス部」と「アマチュアコーラス」というものが嫌いだった。なぜ、嫌いかというと、魅力を感じなかったかというと、「茶道」なんて「女か年寄がやるもの」「有閑階級の暇つぶし」という印象があったのと似ていて、「学校のコーラス部」とか「アマチュアコーラス」なんてものは、あんなもの「女がやるもの」という印象があったということがひとつにある。〔私は今でも、「お茶」「おはな」「着付け」の3つを「女性版俗物3種の神器」だと思っている。それに「フランス文学科」を合わせて「女性版 俗物4種の神器」である( 一一) 〕フィギュアスケートのアイスダンスの男性選手とかバレエの男性というのはけっこう重労働だそうで、主役は女性であり、主役の女性を引き立てる役で、なおかつ、女性を持ち上げたりするから「腰を痛める」とか””労災?””がけっこう多いらしい。「学校のコーラス部」とかなんてのも、フィギュアスケートのアイスダンスの男性選手とかバレエの男性とかと似ていて、そういうものをやりたがる女生徒の補助者・引き立て役に報酬ももらわずにやるような男なんてアホや・・ということで、「学校のコーラス部」やりたがる人間は女性は多いが男性は少ない結果になっている。そこまで断定するのは最適ではないと思う人もいるかもしれないが、たしかにそうでない要素が少しもないわけではないとしても、そういう要素が大きくあるのは間違いのないことだ。
北野高校の「音楽」のN先生が「楽器をやって悪いということはないけれども、人間の身体には声というすばらしい楽器があるのだから、それを大事にするべきだ」と話されたことがあったが、それはたしかにそうだ・・と思った・・のだが、そう認識したとしても、「音楽・声楽とコーラスは別物」で、又、「プロ合唱団とアマチュアコーラスはレスリングとプロレスほどの違い、もしくはそれ以上の違いがある」と何十年かかけて認識するようになった。私はバッハの『マタイ受難曲』の合唱曲やベルディのオペラ『ナブッコ』の合唱曲「行け、黄金の翼に乗って」などは好きだ。大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)では経済史の学者である大塚久雄が気持ちが落ち着かない時など、バッハのオラトリオ『マタイ受難曲』を何度も聴くと述べているが、その気持ちはわかる。
※ YouTube-バッハ《マタイ受難曲》全曲(1/2)カール・リヒター(1958)https://www.youtube.com/watch?v=ba9TMBUAmMc
※ YouTube-G.ヴェルディ:オペラ《ナブッコ》より合唱「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」サルバベルカント祝祭合唱団 https://www.youtube.com/watch?v=aetUEOpPVHA
しかし、それに対して、「NHKのコンクール」とか向けに作成された、「学校のコーラス部」の人たちが好むコーラス曲というものには好感を持てなかったが・・混声合唱組曲『おかあさんのバカ』なんてのを喜んでるやつはバカじゃないか・・と思ったのだが、その理由がわかったのだ。
(1) ひとつは、多くの「コーラス部」「アマチュア合唱団」の人は内容を特に考えずに歌っているという点で私が考える音楽とその人たちの考える音楽は別物だった、という点。
(2)2つめに、私は声楽は、(ア)「音学」、音の操り方の技術と、(イ)体力と(ウ)詩の心の3つからなると考えたのだが、そして今もその認識は間違っていないと認識しているのだが、学校の「コーラス部」や「アマチュア合唱団」の人、特に女性で「コーラス部」やる人というのは、「音の操り方」だけのものと認識している人が多いという点。
(ア)1970年代前半、私が中学生の時、「オーケストラがやってきた」というテレビ番組で岡村喬生が「声楽は体で歌うものだから、水泳などやって体を作り整える努力をしている」と話していたのを聞いた。それから何十年か経ち、何新聞だったかで佐藤しのぶ が「いい声を出せるように体を作ってきて、今では歌う楽器としてサイボーグのような体になった」と述べているのを見た。私はそういうものだと思っていたのだが、ところが、「学校のコーラス部」とかをやっている人はそうではなくて、特に女性には「スポーツが嫌だからコーラス部やってる」という人が多い。
又、私などは「文武両道型文治派」と自分を位置づけているが、世の中には「フォアグラ型文治派」みたいな人がいて、「文武両道型文治派」の人間はスポーツが特別得意でなくてもやることが嫌なわけではないのに対して、そういう「フォアグラ型文治派」の人というのは強固な拒否反応を示す人であり、そういう「フォアグラ型」の人の「コーラス部」というのは、「文武両道型」の人間の声楽とは質が大きく異なるもの・・というより明らかに別のものだ。
※ ウィキペディアー岡村喬生(たかお)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%96%AC%E7%94%9F
ウィキペディアー佐藤しのぶ(歌手)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%B6_(%E6%AD%8C%E6%89%8B)
(イ)音楽関係の雑誌で読んだのだが、ソニーの会長、今の会長ではなくて前の会長かと思うが、東京芸大卒で自分自身が声楽家でもあったらしく、バリトンの歌手のヒュッシュに学んだらしいが、ヒュッシュから言われたのが「シューベルトの『冬の旅』を歌いたいと思ったら、まず一番大事なことは、冬のドイツに行ってください。冬のドイツのあのどんよりとした空を知らずには『冬の旅』は歌えません」ということだったらしい。大いにもっともなことだと思う・・のだが、ところが「学校のコーラス部」の人や「アマチュア合唱団」の人はその正反対の認識だと思うのだ。
だから、私が思う「声楽」と「学校のコーラス部」の人や「アマチュア合唱団」の人の「コーラス」とは別物であるだけでなく、正反対のものなのだ。
※ ウィキペディアーゲルハルト・ヒュッシュ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
※ 《YouTube-冬の旅01 《おやすみ》 "Gute Nacht" 【ドイツリート/字幕で聴く歌曲】シューベルト (バリトン:ゲルハルト=ヒュッシュ)》https://www.youtube.com/watch?v=gGxTvQxjYQg
又、「学校のコーラス部」や「アマチュア合唱団」の少なくない人は外国の歌を意味わからずにカタカナで歌っているが、そんなものは歌ではない。その国の言語を完璧に理解までは難しいとしても、自分が歌う歌に関しては原語の歌詞の意味を理解した上で歌わないといけない。そうでなければ歌とは言えないはずだ・・・が、平気でカタカナで歌う人がおり、「学校のコーラス部」や「アマチュア合唱団」の人にはそれが多い。
北野高校のコーラス部のOBで京都大工学部に行ったT中(男。大阪市淀川区の市立中学校卒。1970年代後半当時、20代なかば)も京都のアマチュア合唱団に入って指揮者をしていたようだが、カタカナで歌っていて、なおかつ、自分が「意味わからずにカタカナで歌う」だけでなく他の者にも「意味わからずにカタカナで歌う」ことを勧め教えていた。それが「合唱団の指導」だと彼は思っていた・・が、これは私が音楽・声楽と考えるものとは正反対のものだ。 T中は北野高校に在学していた時、音楽の成績は5段階絶対評価で「3」だったそうで、「(音楽の教諭の)N川に嫌われてましたから『3』でした」などと言っていたが、それは違う。N川先生はT中のそういうところを見ていたから、だから、高い評価をできるものではない、この人の評価は「3」が妥当だと判断していたと思われる。””適切な批判を素直にそれを認めることができず「(音楽の教諭の)N川に嫌われてましたから『3』でした」などと言わなきゃおれない症候群””・・というのは、それは彼が自信家だからかと最初は思っていたのだが、自信家というよりも、むしろ、どういう経緯でか彼はコンプレックスをもっていて、その結果、常に自分は人より上なんだと人に対して叫びまくらないとおれない病的態度になっていた・・ということだと気づいた。あんまり好ましい精神構造ではない。あれは「自信家」というよりも「コンプレックス」という方のものだ。北野高校の女生徒には「音楽」のN川先生を「男の子の評価が高くて、女性の評価が低い」とか悪口を言う者がいたが、それも違う。音楽、特に歌について実際には決して良いわけではないのに、自分は優秀だと勘違いしている女生徒がいて、そういう人に教師であるからには言うべきだと考えて、事実に基づいた評価を言ったところ、批判を受け入れるのが嫌だから「男の子の評価が高くて、女性の評価が低いんだ」とかいうことにして反省しないですませるようにする女生徒がいたのだ。「N川先生は男の子ならいいように言う」などということにしたがる女生徒がいたがそのようなことはない。私などもけっこう辛辣な批判をされたし、又、いいように言う場合はいいと思うものをいいと言っていたのであり、よくないものをいいと言っていたのではない。2001年、阪神タイガースに赤星選手が入団した時、春のキャンプの取材で記者が野村じいさんに赤星選手の走塁について「監督、どうですか」と質問したところ、辛口の批判をすることが多い野村じいさんは「すばらしい!」と一言。だって、走塁・盗塁については「すばらしい」のだから、そう言って悪いことはないということだったのだろう。「あとは・・、どれだけ出塁できるか・・かな」との発言も本音としてのものだっただろうけれども、N川先生の評価もまた、実際にいいと思ったものをいいと言っただけのものを「N川先生は男の子の評価が高くて、女性の評価が低いから」ということにして自分の問題点についての批判を受け入れないようにしようとする女生徒がいたが、N川先生は男子生徒になら誰にでも無茶苦茶でもほめていたなどということはないし、女生徒でもいいと思ったものをほめていた場合もあった。私はそれを見ている。バイオリンとかピアノとかは男性が演奏しても女性が演奏してもバイオリンはバイオリン、ピアノはピアノだが、声楽の場合は男性の声楽と女性の声楽はまったく別の楽器のようなところがあり、男性は女性の声楽について今一つわからない、女性は男性の声楽について今一つわからないので、それでわかるものについてはわからないものよりも厳しくなる・・ということもあるだろうけれども、これはそういうものとは別の問題だ。又、実際には適切な批判を受けているだけであるのに「N川先生は男の子の評価が高くて、女性の評価が低いから」とかいうことにして自分が反省しないですむように持っていこうとしていた者は女生徒に限らず男子生徒でもいたのだ。T中はその類のひとりだったのだ。私は彼とは学年は違ったので、彼が高校生の時に「音楽」の授業でどうだったのかはよく知らないが、彼は本当は「5」なのに「3」をつけられたみたいに言っていたが、実際はそうではなくて、おそらく「3」だから「3」の評価をつけられていたのだろうと思う。もしかすると、採点者の側としては「3」でも評価は高めだと思っていたかもしれない。今の私が採点者なら彼についてはそう思う。北野高校の年間での成績は5段階絶対評価で「1」は不合格で「2以上」が合格、「1」が2つ以上あると留年で、N川先生は「音楽は理屈がわかっているだけではだめで、実際に表現できてこそ音楽としての値打ちがあるものなので筆記試験はしません」として、歌の試験とギターの試験で評価されていたが、「音楽は理屈がわかっているだけではだめで、実際に表現できてこそ音楽としての値打ちがあるものなので筆記試験はしません」というだけが理由ではなくて、京大・阪大に進学する生徒は多くても芸大・音大に進学する生徒はそれほどないという高校において、芸術科目で不合格点をつけたくないということから、筆記試験をしてしまうと不合格の点数をとってしまう生徒が出てくるが実技試験だけにしておけば、実技試験がどんなに悪くても最低でも「2」以上をつけてあげることができるということもあったのではないかと思う。だから、「3」の評価だった人でも、「3」は5段階の真ん中だから「普通」の人もおれば、そうではなくて「特別のことがなければ『1』はつけない」ということにしている実質的に2~5の4段階評価で「真ん中より下」の人もいたのではないか。T中は自分では「本当は『5』なのに『3』をつけられた」と言いたかったみたいだが、実際はそうではなくて「『2』でもいいところのものだけれども『3』にした」ような「3」だったかもしれない・・と思う。私の評価なら彼はそんなものだ。
(ウ)さらにもうひとつ、1980年代前半、東京のアマチュア合唱団に一時期、入っていたことがあったのだが、その時、千葉大しか行けないくせして医者屋やっていた山口くんという男(当時、30歳)が「大和銀行の合唱団はいいよ。なにしろ、人事部長が合唱団の指揮者やってるから、だから、みんな、合唱団に入るんだ。だから、大和銀行の合唱団はいいんだ」などと得意がって話していたので、この男と私とは音楽についての認識が正反対がとわかった。なにより、その「大和銀行の人事部長」は深く反省すべきだ。人事部長の自分が合唱団の指揮者をやっているから、会社で昇進させてもらおうと浅はかなことを考える従業員が会社の合唱団に次々と入部してくるという、そういう従業員に負担をかける行為というのは、それは会社のプロ経営者として使用者・管理者としておこなってはならない行為であろう。人事部長とは、会社の管理の業務に携わる従業員がそういう態度・行為に出ていたならば、「そういうことはやめてください」と注意すべき立場であろう。それを自らがそういうことをやっている・・というのは、それではその男は人事部長としては失格、人事部長と言うに値しない男であると見るべきであろう。そして、そんな合唱団の歌などというものは歌ではなく音楽ではない。そんなものは二束三文であり、芸術的価値はマイナスである。
(エ)そして、多くの「アマチュア合唱団」の団員・部員はタバコを吸っている・・という点だ。『美味しんぼ』では「美食倶楽部」主催の海原雄山の食事を板前が交替で作って味を見てもらうということをしているが、良三という男が作った食事を雄山は「これを作ったやつは誰だあ!」と起り、「私です」と良三が言うと、「出ていけえ!」と言って皿を投げつけた・・なぜ、雄山は怒ったかというと、タバコのニオイがついていた、タバコを吸うものは舌の味蕾が破壊され味がわからなくなってしまう、他の職業ならともかく、板前として上達しようという者がタバコを吸うとは何事だ、板前としてやっていこうというのにタバコを吸うようなやつは出ていけ!・・ということだったらしい。私は声楽をやろうという者はタバコは吸ってはならないと認識していたが、ところが、そのアマチュア合唱団にいた人は多くの人がタバコを吸っていたし、山口くんも吸っていたと記憶している。そういう人の音楽というのは「その程度のもの」であり、私が考える音楽というものには値しないし、私が考える声楽とは正反対のものだった。
※ 《YouTube-【美味しんぼ 第】22話 板前の条件》https://www.youtube.com/watch?v=U371_PZ_jvI
(3) そして、大きな問題として、戦後、「うたごえ運動」というものが起こった時期があり、その「うたごえ運動」をつぶすために、「人畜無害な歌」をNHKとかが意図的に作って「学校のコーラス部」や「アマチュア合唱団」に歌わせた・・という過去があるという点がある。
井上清『現代日本女性史』(三一新書)には、
《 「うたごえ」運動は、1948年(昭和23)に生れた青年共産同盟中央合唱団にはじまるが、1951年(昭和26)には、独立した「中央合唱団」となり、「美しい日本民族の歌を、誇らかにうたい、諸民族の平和の歌を、高らかに明るくひろめる」という目標をかかげた。全国いたるところの職場や地域に、合唱団が生まれた。中央合唱団で発行した「青年歌集」は、数十万部も出ている。1954年11月の「日本のうたごえ――原爆ゆるすまじ」には二万五千人が参加、1955年(昭和30)の「日本のうたごえ祭典――ふるさとの歌を、しあわせの歌を」には、地方代表八千人のほか、じつに四万人の参加者があった。(朝尾直弘「大阪労音十年史」)》
と書かれているが、そういう「うたごえ運動」をつぶそうとする動きが「人畜無害」な口だけ動かす詩的心情をもたない「合唱曲」をひろめようという動きであり、「NHKの合唱コンクール」とかNHKが選定した合唱曲とかにそれは感知され、「学校のコーラス部」、特に女性の「コーラス部」や「アマチュア合唱団」、それに「職場の合唱団」は心がそこにない「人畜無害」の「合唱曲」を口だけ動かして、定型化された服装で歌って得意がるようになったのだ。そんなものには魅力を感じない方が本来的であろう。又、人事部長が「合唱団の指揮者」をしているから従業員に「職場の合唱団」に加入させて「詩的芸術的価値がない歌」を歌う大和銀行合唱団を運営してやろうと意図して画策していたのであれば、大和銀行の合唱団の指揮者をやっていたという人事部長は悪質であり、もしも自覚なしにやっていたのであれば、人間として無能であろう・・し、音楽の能力・認識という点においても無能と評価されるべきであろうし、人事部長としても有能とは言い難い。そういう男を人事部長にならせていたという点において、その点で私は大和銀行(現 りそな銀行)を軽蔑する。私なら、もしも、大和銀行に勤めていたとしても、大和銀行合唱団などという二束三文の団体には入らないだろう。そんなものは私の音楽哲学が許容しない。昇進したいなら、そんな二束三文の団体に入ることで人事部長に気に入られて昇進しようとするミミッチイ態度をとるのではなく、仕事で実績を残して昇進したいものだ・・し、私が大和銀行のトップなら、そんな男を人事部長にはならせたくないものだ。

現代日本女性史 (1962年) (三一新書) - 井上 清

青年 (新潮文庫) - 森 鴎外

三四郎 (角川文庫) - 夏目 漱石

福沢諭吉―思想と政治との関連 (UP選書) - 遠山茂樹
阿弥陀堂に向って右手(北側)に、光明寺の墓地があるようだ。私は血縁者にこちらに墓地に入っている人がいるわけではないので行かないが、↓

その入口に書かれているのだ。
「猪が出ます。注意してください」
「野生の猿 出没注意!」
・・と。
時々、誤解している人がいるのだが、「猿」とは言っても、「プーキーズのカイくん」みたいな半分人間みたいな「お猿さん」〔⇒YouTube- バスタオルを忘れたのでお猿さんに「持ってきて」と頼んでみた結果wwww https://www.youtube.com/watch?v=mMBT-RNiOyk〕と「野生の猿」はまったく違うのだ。「箕面の猿」なんてのは、最近、「猿にエサをやったら罰金」という箕面市の条例ができて、それで人が普段住んでいる所にはあまり出てこなくなったが、獰猛であり、子供が持っているお菓子とか女性が持っているハンドバッグとか強奪しようとするし、家庭の庭に植えている果物とかもちぎって持ち去る。素手で追いかけても、「野生の猿」は人間のおっさんよりも強い。
決して、「野生の猿」を「プーキーズのかいくん」のようなものだなどとは思ってはならない。
※ プーキーズ https://www.youtube.com/@pookies
今となっては何十年か前、1970年代前半、私が中学生の時、親戚のある者と「箕面の滝」に行ったことがあったのだが、「箕面の滝」の前に行くと、そこのベンチに「野生の猿」の小猿が座っていたのだ・・・が、「箕面の猿」に対して、その顔をのぞきこむように自分の顔を持っていくので、「うわっ、何すんねん!」と驚き止めようとしたが遅く、小猿は飛びかかろうとした・・ということがあった。猿は顔をのぞきこんではならない。特に、猿は眼を見てはいけないのだ。これは交番の前を通る時と同じだ。警察官も眼を見てはいけない。又、「眼を見る」のとともに「眼をそらせる」のもいけない。あくまでも「さりげなく」である。これは善良な市民の心がけである。
善良な市民の心がけ「猿と警察官は眼を見てはいけない」
この心がけを守らないと、彼らは飛びかかってくるおそれがある。この点においては警察官は犬よりも猿に似ている。・・ほんまやで・・。
まあ、野生の猿や猪がいるということは、それだけ、自然環境が守られている場所なのかもしれないが、「野生の猿」は「カイくん」みたいな半分人間みたいな「お猿さん」とは違うので、間違えてはいけない。

警備公安警察の素顔 (新日本新書) - 大野 達三

ザ警察対抗法―職質から逮捕・取り調べまで (三一新書 971) - 千代丸 健二

「ごめん」で済むなら警察はいらない―冤罪の「真犯人」は誰なのか? - 柳原 浩
《 一方、甲(冤罪を着せられた柳原さん)の逮捕後も強姦事件が起きていた。被害者の証言で共通していたのは、強姦後「100を数えるまで動くな」と逃げる時間稼ぎがされていたことであった。
このように手口が類似する事件が発生していたにもかかわらず、富山県警は捜査を行わなかった。後に真犯人として逮捕された人物は、服役中に報道機関に寄せた手紙の中で「富山県警は甲(冤罪で逮捕された柳原さん)が犯人ではないと分かっていたが、それを隠蔽した」と記している。》
( ウィキペディアー氷見事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E8%A6%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )

暴走する「検察」 (宝島SUGOI文庫) - 別冊宝島編集部

狂った裁判官 (幻冬舎新書) - 薫, 井上

モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))
ところで、「猪が出ます。注意してください」と言われても・・だな、今は昔、やく みつる が「落石注意」という交通標識について、「注意しろと言われても、上から落ちてくるものを、いったい、どう注意しろと言うんだよお」と書いていたのを見たが、「落石注意」ではなくて「落石覚悟」と書くべきなのか・・とか。
・・で、猿はともかく、「猪が出ます。注意してください」と言われても、でっかい猪が出現してこちらに向かってきたとしたら、いったいどう注意すればいいんだろう・・とも思ったが、どう注意するのだろうな・・。
次回 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500042314.html 、御影堂前から総門への道を歩み、バス停より帰ります。
(2023.7.14.)
☆ 長岡京市の光明寺(粟生光明寺)(西山浄土宗 総本山)参拝
1.西山浄土宗の総本山、長岡京市粟生にある光明寺、法然が最初に念仏を説いた地、熊谷直実が念仏三昧院を開いたのが始まり、法然の遺骨を荼毘にふして御本廟に祀る、「京都西山三山」、阪急「長岡天神」駅とJR「長岡京」駅。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499936472.html
2.長岡天神駅よりアゼリア通り・セブン通り・長法寺道を経て「早良親王ゆかり」の乙訓寺近くの「今里」交差点を経て今里大通りより「更ノ町」交差点を左折して光明寺道に。菅原道真・早良親王・明智光秀と恨みをのんで死去した者のゆかりの地。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499948381.html
3.更の町交差点より、赤根公園・赤根天神・大峰山禊所・赤根幼稚園・蓮が糸・光明寺道・光明寺前へ。崖から吊るして「親に孝行するかあ」と脅して言わせるのは愚か、精神的貧困。「わしはあんたに何一つやってもらったことはない」と息子に無理矢理言わそうとする父親、「あんたに世話になることは一切ない」と言って息子の結婚式に出てくれという「さわやかスポーツマン」。高校教師は害がある。「両親が離婚した」は自慢することとは違うやろ( 一一)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499962295.html
4.光明寺前・浄土門根元地・熊谷直実の念仏三昧院・法然の遺骨を荼毘にふして分骨。西谷流から西山浄土宗。総門は1845年、『死に至る病』の4年前、『共産党宣言』の3年前。おまけ「クロちゃん」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499970352.html
5.表参道(女人坂)から鐘楼・立教開宗の像・手水舎・御影堂。「えらい人」の像は高い台座に載せないといけないのか? 「普通の人と同じ高さで誰もがそばまで行くことができる福沢諭吉像」を「普通の人より高い場所で普通の人間はそばに行けない場所」に移す「自我が確立されている」「福沢精神」とそれに疑問を感じる「自我が確立されていないからわざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」と「心理学」から「診断」される「受験勉強の悪影響」「思考の硬さが気にかかります」「未成熟」。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499986510.html
6.御影堂・阿弥陀堂。熊谷直実は念仏の信者になったわりにその後も過激? トロッコ列車は警察手帳で乗れるのか? 『観無量寿経』に登場するビンビサーラ王とアジャンタシャトルとヴァイデーヒーの話。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500006097.html
7.保存樹木モミ。「モミの木の歌」は人畜無害化で作成された歌ではなかった。猪・「野生の猿」出没。善良な市民は、「野生の猿」と警察官は眼を見てはいけない。音楽・声楽とコーラスは別物、プロ合唱団と「学校のコーラス部」・「アマチュア合唱団」はレスリングとプロレスの違い以上の違いがある。〔今回〕
8.御影堂から観音堂脇を通り退出。丹波街道の「光明寺」バス停から長岡京駅へ。「わしに孝に、わしに孝に」を説くくだらない『観無量寿経』、森鴎外『青年』『舞姫』を「受験勉強だ。害があるんだ」と否定する慶應内部進学心理学、「何でも日本に持ってくると矮小化される」ことを危惧する者を病気・症候群と「診断」して「治療」しようとする小此木啓吾内部進学精神医学・精神分析学。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500042314.html
☆ 永観堂 禅林寺(浄土宗西山禅林寺派 総本山)(京都市左京区) 参拝 1~9
1.京都駅から山科駅を経て蹴上駅、「ねじりまんぽ」「蹴上インクライン」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499619103.html
2.白川通りから「総本山 永観堂」碑、禅林寺 中門へ。「哲学そば」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499669228.html
3.総門から中門へ。真言宗の道場としてできて、浄土宗の念仏道場へ。「もみじの永観堂」と言われ、「カエデ(楓)」の木が多い。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499680145.html
4.大玄関・御影堂(大殿)・阿弥陀堂(本堂)。浄土教・浄土宗・浄土真宗はどう違うのだろうか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499698842.html
5.大玄関から 御影堂・阿弥陀堂。臥龍廊。唐門の内側。釈迦堂・古方丈に囲まれた内庭。ベルサイユ庭園型庭園と聚碧園型庭園。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499726686.html
6.阿弥陀堂脇より渡り廊下をくぐり、多宝塔。開山堂。「日想観」。北よりの一群のお堂と南に設けられた御影堂・阿弥陀堂は「真言宗の寺」と「浄土宗の寺」の融合からなのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499738049.html
7.やすらぎ観音・南門・永観堂前通・ツツジ。あと1か月未満で咲くというツツジを花芽をとらずに刈るよう要求する父親とそれに同調する母親と、それを称賛する高校教諭。高校生に浪人しない方がいいと言わずに自分の高校の卒業性に浪人してしまったこと責めてを苛めて、「下の高校」の卒業生が当たり前のように浪人することを応援する教諭。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499742446.html
8.永観堂前通・疎水分線・野村美術館・南禅寺大寂門・三門・中門・金地院・ねじりまんぽ。来世の幸福を願う浄土教と浄土宗・浄土真宗の違い。多額の布施を極楽往生のために要求する宗教では毒薬という意味のアヘンではないか。「じゃんがら踊り」は何宗か、難しく考えなくてもいいのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499776861.html
9.「蹴上」駅から「三条京阪」駅を経て京阪「三条」。「建築家」設計デザインよりニーズに即した京阪「三条」駅のデザイン。先斗町・高瀬川。鎌倉時代、既成仏教は腐敗していなかったか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499795277.html
西山浄土宗 総本山 光明寺(京都府長岡京市)参拝の第7回目です。
↑ 阿弥陀堂 (長岡京市指定有形文化財)。
阿弥陀堂の前に、↓
↑ 「保存樹木 長岡京市指定 モミ」
「モミの木」・・というと、「『も~みの木~、も~みの木~、茂るは~もみの木~♪』という歌の木ですね」と言うと、「メーデーの時の歌じゃない。『卑怯者、去らば去れ~♪』てやつでしょ」と言う人があったのだ。え?・・・と思ったのだが、「卑怯者、去らば去れ~♪」というのは「赤旗の歌」というやつだ。
「もみの木の歌」と「赤旗の歌」は同じなのか違うのか。どちらかが元からのものならどっちが元からのものなのか。
昔から、日本においては、外国の歌を日本に紹介する際に「人畜無害化」されることが多い。森鴎外『青年』(新潮文庫)〔1910ー1911年発表〕では登場人物の平田附石という夏目漱石がモデルらしい人物が「日本に持ってくると、何でも小さくなる」と語る場面が出ているが、そういうものが多い。
《 大分話が進んで来てから、(平田附石は)こんな事を言った。「イブセンは初め諾威(ノオルウェイ)の小さいイブセンであって、それが社会劇に手を着けてから、大きな欧羅巴(ヨオロッパ)のイブセンになったというが、それが日本に伝わって来て、又ずっと小さいイブセンになりました。なんでも日本に持って来ると小さくなる。ニイチェも小さくなる。トルストイも小さくなる。ニイチェの詞を思い出す。地球はその時小さくなった。そしてその上に何物も小さくする、最後の人類がひょこひょこ踊っているのである。我等は幸福を発見したと、最後の人類は云って、目をしばだたくのである。日本人は色々な主義、色々なイズムを輸入して来て、それを弄んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛(こわ)がるには当たらない。何も山鹿素行や四十七士や、水戸浪士を地下に起して、その小さくなったイブセンやトルストイに対抗させるには及ばないのです」まあ、こんな調子である。》
森鴎外が小説の中で夏目漱石がモデルの人物に語らせているものだが、的確なことを述べていると思う。そう言えば、夏目漱石『三四郎』では、《 また広田先生は漱石自身であるともいわれたが、森田草平によれば一高教授岩本禎を眼中において書かれたものである。だがそれは必ずしもモデルとして作中の人物像を描きだしたということでなく、「近ごろは大分ずるくなって何ぞというと手近なものを種にしようという癖ができた」(七月三十日付、小宮豊隆宛書簡)という彼の創作態度を物語る以上のものではない。》(山本健吉「夏目漱石『三四郎』(角川文庫) 解説」)、《広田のモデルは、一高教授の岩元禎、若しくは二高教授の粟野健次郎だといわれている》(ウィキペディアー三四郎 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%9B%E9%83%8E )という広田先生が
《 ・・すると髭の男は、
「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。・・》
〔『三四郎』の発表は日露戦争(1904~1905)の3年後の1908年。〕
私は慶應の学生や教授を見て思った。「福沢諭吉は初め、小さい『大分県の中津藩の福沢諭吉』だったが、後に『日本の福沢諭吉』になった。しかし、慶應義塾においては今も小さい『慶應の福沢諭吉』である」と。非慶應地域においては福沢諭吉は「日本の福沢諭吉」であるのに対して、慶應的空間においては「慶應の福沢諭吉」であって、ずっと「小さい」福沢諭吉なのだ・・・が、「慶應タイプ」の人はそれに気づいていないし、又、気づかせてあげようなどと親切心を起こすと彼らは「愛塾心」から激怒してつかみかかってくる。彼らにとってはそういうものが「愛塾」「愛塾心」なのである。
それで、外国の歌だが、中学校の「音楽」の教科書に「山や川が呼んでいる、みんな、元気に出かけよう♪」という歌詞の歌が掲載されていて、いい歌だなあ・・と思ったのだが、それから何十年か経って気づいた。それは「ワルシャワ労働歌」という歌で、ポーランドのワルシャワで歌われて、それがソビエト連邦のモスクワで歌われ、さらにそれが日本に伝わってきたのだが、日本の「音楽」の教科書では「山や川が呼んでいる、みんな、元気に出かけよう♪」という「どうでもいい歌詞」に変えられて掲載されて、「音楽」の授業でもそういう「人畜無害化」された歌詞で歌っていたのだった。
※ YouTube-【ロシア語】ワルシャワ労働歌 (Варшавянка) (日本語字幕) https://www.youtube.com/watch?v=PmY1dKify68
「ロシア民謡」に「トロイカ」という歌があり、私が小学校の1年から2年にかけて、「ヤマハの音楽教室」に通った時に、その「トロイカ」という歌がテキストに掲載されていて、歌い方として「軽やかに」と書かれていたのだったが、「変な歌だなあ」というのがその時の私の印象だった。どう考えても「軽やかに」という感じの節ではないように思えたのだ。歌詞は「雪の白樺並木、高鳴るバイヤン♪」という「軽やかに」という感じの歌詞だったが、節はどう考えてもそんな節ではない。これも後に理由がわかった。ロシアの歌で「トロイカ」という歌が2つあって、片方の「トロイカ」の節に別の「トロイカ」の歌詞がつけられて日本に紹介されたようで、物悲しい節の歌に「雪の白樺並木、高鳴れバイヤン」という「軽やかに」という歌詞がつけられたために違和感を覚える歌になったのだった。日本で知られている「トロイカ」の節の歌詞は本来は「雪の夜道をトロイカが行く。悲しげな顔の御者に客は問う。御者は答える。『聞いてくださるか、優しいお客さま。きょう、私が愛した娘が地主の嫁に行く。貧しい私を捨てて地主の嫁になる。彼女は幸せにはなれない』と。トロイカは雪の夜道を走りゆく」というそういう歌詞だったらしく、本来とは異なる人畜無害な歌詞をつけたからおかしな歌になった。およそ「軽やかに」歌うような歌ではなく、ロシア人の歌手はこの歌を本来の歌詞の内容のように歌い、決して「軽やかに」は歌っていない。「ヤマハの音楽教室」が悪いということでもなく、日本では全般的にこの節の「トロイカ」は「軽やかに」歌えと指示されて「雪の白樺並木、高鳴れバイヤン♪」という「軽やかに」歌うような歌詞にされてしまっている。これも「日本的人畜無害化」のひとつで「慶應タイプ」が好むもの、こういう「日本的人畜無害化」を喜ぶ態度が小此木啓吾一派などが「自我が確立されている」と「診断」するもので、そういった「人畜無害化」を喜ばず、本来のものを表に出そうとする者がいると「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」とか「心理学者」から「診断」されることになる。 もっとも、「ロシア民謡」というものの歌い方として、日本では悲しい歌詞のものを悲しい歌い方をすることが多いのに対し、ロシアではそうではなくて、悲しい歌詞の歌は歌詞が悲しいものなのだから、歌い方はそうではなく淡々と歌うということが少なくないらしく、又、実際に悲しい内容のものは「淡々と」歌う歌い方の方がかえって心に強く訴えることになることがあるように思えるが、しかし、「軽やかに」というものは明らかに違うだろう。
※ YouTube-【和訳付き】トロイカ(ロシア民謡)【カナルビ付】- Вот мчится тройка почтовая https://www.youtube.com/watch?v=e6vzwh4dV38
教科書ではないが「男子音楽」という音楽の友社から出版されていた「副読本」みたいな本をササヤ書店で買って持っていたのだが、そこにロシア民謡の「バイカル湖のほとり」が掲載されていたのだが、歌詞はというと「ゆたかなるザバイカルの はてしなき野山を やつれし旅人が あてもなくさまよう」という、これも「人畜無害」な歌詞が掲載されていた。その歌詞は嘘ではないのだけれども、ロシア民謡の歌というのは、同じ節を何回か歌ってだんだんと盛り上がっていくというものがあり、最初は人畜無害な歌詞で後になるほど重い歌詞になることがある。「バイカル湖のほとり」も「ゆたかなるザバイカルの はてしなき野山を やつれし旅人が あてもなくさまよう」というのは最初の比較的軽い部分の歌詞で、この「やつれし旅人」とはどういう旅人かというと、政治犯として「シベリア送り」にされた囚人が夜、収容所を抜け出してバイカル湖のほとりにたどりついたという「旅人」で、小舟をみつけてそれでバイカル湖を渡る、迎えるはなつかしき母、息子は語る「父さん、兄さんは元気か」と。母は語る「父さんはとうに墓の中。兄さんは政治犯として捕まり収容所に入れられて、足に鎖をつけられて今も鎖をひいている」と・・という歌で、その「男子音楽」は自然描写からだんだんと話が中心の問題に行く歌の最初の人畜無害な部分だけを掲載していたのだった。
※ YouTube-【ロシア語】バイカル湖のほとり (По диким степям Забайкалья) (日本語字幕) https://www.youtube.com/watch?v=mkBlsM5KNGY
片方でソビエト連邦の赤軍合唱団の歌い方は、本来、軍歌でない歌を軍歌調にして歌っているものがあり、そういう歌ではないと思うがなあと思うものがあるが、他方で「日本的人畜無害化」された歌というものもいかがなものかと思う。「人畜無害化」された歌を得意にしていたのが慶應大学ワグネルソサエティー出身のダークダックスというグループで、私は子供の頃はダークダックスの歌がけっこう好きだったが大人になるとともに好きでなくなった。
悲しいことに、「日本に紹介された外国の歌」にはそういったものがいっぱいある。また、愚かなことだが、そういう歌が大好きという女性がけっこういて、「学校の女子コーラス部」はそれが主流であり、なおかつ、男性にもそういうものが好きだという男が少なからずいる。
「モミの木の歌」もまた、そういうものか、元々は「卑怯者、去らば去れ!」という「赤旗の歌」だったものを「人畜無害化」して「もみの木~、モミの木~、茂るはモミの木♪」と「人畜無害化」されたものか・・・と思った・・のだが、どうも違うらしい。「モミの木の歌」と「赤旗の歌」は、もともとはドイツに「モミの木の歌」というものがあって、「赤旗の歌」の歌詞を考えた人がドイツの「モミの木の歌」に「赤旗の歌」の歌詞をつけて歌うようにしたらしく、「モミの木の歌」と「赤旗の歌」は「モミの木の歌」の方が先にあったらしく、「モミの木の歌」は「人畜無害化」作品というわけではなかったらしい。
※ YouTube-【和訳付き】もみの木(ドイツ民謡) "O Tannenbaum" - カタカナルビ付き https://www.youtube.com/watch?v=JhrQm1wD4LU
※ YouTube-「赤旗の歌」https://www.youtube.com/watch?v=jMf-qLljzNg
「めざせ、モスクワ」という歌があるが、あれは「プレゴジンとワグネルの歌」なのか? ・・というと、そういうことでもないらしい。
※ YouTube-Dschinghis Khan - Moskau (Live 1979 HD) https://www.youtube.com/watch?v=EPdn9_h2dCY
それから、「ロシアの歌」というと、「地主はええなあ、イギリス人はええなあ、わしぁ貧乏やからなあ、ほんまにええなあ、うらやましいなあ、わしぁ貧乏やからな、わしぁ日陰の月見草や・・巨人はええなあ、ほんまにええなあ長嶋はあ」・・みたいなそんな歌ばっかりかと一時期思っていたら、そうでもなくて、そうではない歌もあるようだ。たとえば、「モスクワ郊外の夕べ」などは私は好きだ。
※ YouTube-【和訳付き】モスクワ郊外のゆうべ(ロシア音楽)"Подмосковные вечера" - カナ読み有 https://www.youtube.com/watch?v=njUy9zcbWKY
ロシア人のノーベル賞受賞者の男性が「プーチンをロシアだと思わないでほしい。あれがロシアではない。チャイコフスキーのロシア、トルストイのロシアが本当のロシアだ」と話しているのがテレビに映っていたが、たしかに、ロシアの歌が好きな者としてはプーチンらのウクライナ侵攻とロシア連邦軍の蛮行はは悲しいし、なんとも情けない。
それから、私は小学生の時から「学校のコーラス部」と「アマチュアコーラス」というものが嫌いだった。なぜ、嫌いかというと、魅力を感じなかったかというと、「茶道」なんて「女か年寄がやるもの」「有閑階級の暇つぶし」という印象があったのと似ていて、「学校のコーラス部」とか「アマチュアコーラス」なんてものは、あんなもの「女がやるもの」という印象があったということがひとつにある。〔私は今でも、「お茶」「おはな」「着付け」の3つを「女性版俗物3種の神器」だと思っている。それに「フランス文学科」を合わせて「女性版 俗物4種の神器」である( 一一) 〕フィギュアスケートのアイスダンスの男性選手とかバレエの男性というのはけっこう重労働だそうで、主役は女性であり、主役の女性を引き立てる役で、なおかつ、女性を持ち上げたりするから「腰を痛める」とか””労災?””がけっこう多いらしい。「学校のコーラス部」とかなんてのも、フィギュアスケートのアイスダンスの男性選手とかバレエの男性とかと似ていて、そういうものをやりたがる女生徒の補助者・引き立て役に報酬ももらわずにやるような男なんてアホや・・ということで、「学校のコーラス部」やりたがる人間は女性は多いが男性は少ない結果になっている。そこまで断定するのは最適ではないと思う人もいるかもしれないが、たしかにそうでない要素が少しもないわけではないとしても、そういう要素が大きくあるのは間違いのないことだ。
北野高校の「音楽」のN先生が「楽器をやって悪いということはないけれども、人間の身体には声というすばらしい楽器があるのだから、それを大事にするべきだ」と話されたことがあったが、それはたしかにそうだ・・と思った・・のだが、そう認識したとしても、「音楽・声楽とコーラスは別物」で、又、「プロ合唱団とアマチュアコーラスはレスリングとプロレスほどの違い、もしくはそれ以上の違いがある」と何十年かかけて認識するようになった。私はバッハの『マタイ受難曲』の合唱曲やベルディのオペラ『ナブッコ』の合唱曲「行け、黄金の翼に乗って」などは好きだ。大塚久雄『生活の貧しさと心の貧しさ』(みすず書房)では経済史の学者である大塚久雄が気持ちが落ち着かない時など、バッハのオラトリオ『マタイ受難曲』を何度も聴くと述べているが、その気持ちはわかる。
※ YouTube-バッハ《マタイ受難曲》全曲(1/2)カール・リヒター(1958)https://www.youtube.com/watch?v=ba9TMBUAmMc
※ YouTube-G.ヴェルディ:オペラ《ナブッコ》より合唱「行け、わが思いよ、金色の翼に乗って」サルバベルカント祝祭合唱団 https://www.youtube.com/watch?v=aetUEOpPVHA
しかし、それに対して、「NHKのコンクール」とか向けに作成された、「学校のコーラス部」の人たちが好むコーラス曲というものには好感を持てなかったが・・混声合唱組曲『おかあさんのバカ』なんてのを喜んでるやつはバカじゃないか・・と思ったのだが、その理由がわかったのだ。
(1) ひとつは、多くの「コーラス部」「アマチュア合唱団」の人は内容を特に考えずに歌っているという点で私が考える音楽とその人たちの考える音楽は別物だった、という点。
(2)2つめに、私は声楽は、(ア)「音学」、音の操り方の技術と、(イ)体力と(ウ)詩の心の3つからなると考えたのだが、そして今もその認識は間違っていないと認識しているのだが、学校の「コーラス部」や「アマチュア合唱団」の人、特に女性で「コーラス部」やる人というのは、「音の操り方」だけのものと認識している人が多いという点。
(ア)1970年代前半、私が中学生の時、「オーケストラがやってきた」というテレビ番組で岡村喬生が「声楽は体で歌うものだから、水泳などやって体を作り整える努力をしている」と話していたのを聞いた。それから何十年か経ち、何新聞だったかで佐藤しのぶ が「いい声を出せるように体を作ってきて、今では歌う楽器としてサイボーグのような体になった」と述べているのを見た。私はそういうものだと思っていたのだが、ところが、「学校のコーラス部」とかをやっている人はそうではなくて、特に女性には「スポーツが嫌だからコーラス部やってる」という人が多い。
又、私などは「文武両道型文治派」と自分を位置づけているが、世の中には「フォアグラ型文治派」みたいな人がいて、「文武両道型文治派」の人間はスポーツが特別得意でなくてもやることが嫌なわけではないのに対して、そういう「フォアグラ型文治派」の人というのは強固な拒否反応を示す人であり、そういう「フォアグラ型」の人の「コーラス部」というのは、「文武両道型」の人間の声楽とは質が大きく異なるもの・・というより明らかに別のものだ。
※ ウィキペディアー岡村喬生(たかお)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9D%91%E5%96%AC%E7%94%9F
ウィキペディアー佐藤しのぶ(歌手)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%B6_(%E6%AD%8C%E6%89%8B)
(イ)音楽関係の雑誌で読んだのだが、ソニーの会長、今の会長ではなくて前の会長かと思うが、東京芸大卒で自分自身が声楽家でもあったらしく、バリトンの歌手のヒュッシュに学んだらしいが、ヒュッシュから言われたのが「シューベルトの『冬の旅』を歌いたいと思ったら、まず一番大事なことは、冬のドイツに行ってください。冬のドイツのあのどんよりとした空を知らずには『冬の旅』は歌えません」ということだったらしい。大いにもっともなことだと思う・・のだが、ところが「学校のコーラス部」の人や「アマチュア合唱団」の人はその正反対の認識だと思うのだ。
だから、私が思う「声楽」と「学校のコーラス部」の人や「アマチュア合唱団」の人の「コーラス」とは別物であるだけでなく、正反対のものなのだ。
※ ウィキペディアーゲルハルト・ヒュッシュ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
※ 《YouTube-冬の旅01 《おやすみ》 "Gute Nacht" 【ドイツリート/字幕で聴く歌曲】シューベルト (バリトン:ゲルハルト=ヒュッシュ)》https://www.youtube.com/watch?v=gGxTvQxjYQg
又、「学校のコーラス部」や「アマチュア合唱団」の少なくない人は外国の歌を意味わからずにカタカナで歌っているが、そんなものは歌ではない。その国の言語を完璧に理解までは難しいとしても、自分が歌う歌に関しては原語の歌詞の意味を理解した上で歌わないといけない。そうでなければ歌とは言えないはずだ・・・が、平気でカタカナで歌う人がおり、「学校のコーラス部」や「アマチュア合唱団」の人にはそれが多い。
北野高校のコーラス部のOBで京都大工学部に行ったT中(男。大阪市淀川区の市立中学校卒。1970年代後半当時、20代なかば)も京都のアマチュア合唱団に入って指揮者をしていたようだが、カタカナで歌っていて、なおかつ、自分が「意味わからずにカタカナで歌う」だけでなく他の者にも「意味わからずにカタカナで歌う」ことを勧め教えていた。それが「合唱団の指導」だと彼は思っていた・・が、これは私が音楽・声楽と考えるものとは正反対のものだ。 T中は北野高校に在学していた時、音楽の成績は5段階絶対評価で「3」だったそうで、「(音楽の教諭の)N川に嫌われてましたから『3』でした」などと言っていたが、それは違う。N川先生はT中のそういうところを見ていたから、だから、高い評価をできるものではない、この人の評価は「3」が妥当だと判断していたと思われる。””適切な批判を素直にそれを認めることができず「(音楽の教諭の)N川に嫌われてましたから『3』でした」などと言わなきゃおれない症候群””・・というのは、それは彼が自信家だからかと最初は思っていたのだが、自信家というよりも、むしろ、どういう経緯でか彼はコンプレックスをもっていて、その結果、常に自分は人より上なんだと人に対して叫びまくらないとおれない病的態度になっていた・・ということだと気づいた。あんまり好ましい精神構造ではない。あれは「自信家」というよりも「コンプレックス」という方のものだ。北野高校の女生徒には「音楽」のN川先生を「男の子の評価が高くて、女性の評価が低い」とか悪口を言う者がいたが、それも違う。音楽、特に歌について実際には決して良いわけではないのに、自分は優秀だと勘違いしている女生徒がいて、そういう人に教師であるからには言うべきだと考えて、事実に基づいた評価を言ったところ、批判を受け入れるのが嫌だから「男の子の評価が高くて、女性の評価が低いんだ」とかいうことにして反省しないですませるようにする女生徒がいたのだ。「N川先生は男の子ならいいように言う」などということにしたがる女生徒がいたがそのようなことはない。私などもけっこう辛辣な批判をされたし、又、いいように言う場合はいいと思うものをいいと言っていたのであり、よくないものをいいと言っていたのではない。2001年、阪神タイガースに赤星選手が入団した時、春のキャンプの取材で記者が野村じいさんに赤星選手の走塁について「監督、どうですか」と質問したところ、辛口の批判をすることが多い野村じいさんは「すばらしい!」と一言。だって、走塁・盗塁については「すばらしい」のだから、そう言って悪いことはないということだったのだろう。「あとは・・、どれだけ出塁できるか・・かな」との発言も本音としてのものだっただろうけれども、N川先生の評価もまた、実際にいいと思ったものをいいと言っただけのものを「N川先生は男の子の評価が高くて、女性の評価が低いから」ということにして自分の問題点についての批判を受け入れないようにしようとする女生徒がいたが、N川先生は男子生徒になら誰にでも無茶苦茶でもほめていたなどということはないし、女生徒でもいいと思ったものをほめていた場合もあった。私はそれを見ている。バイオリンとかピアノとかは男性が演奏しても女性が演奏してもバイオリンはバイオリン、ピアノはピアノだが、声楽の場合は男性の声楽と女性の声楽はまったく別の楽器のようなところがあり、男性は女性の声楽について今一つわからない、女性は男性の声楽について今一つわからないので、それでわかるものについてはわからないものよりも厳しくなる・・ということもあるだろうけれども、これはそういうものとは別の問題だ。又、実際には適切な批判を受けているだけであるのに「N川先生は男の子の評価が高くて、女性の評価が低いから」とかいうことにして自分が反省しないですむように持っていこうとしていた者は女生徒に限らず男子生徒でもいたのだ。T中はその類のひとりだったのだ。私は彼とは学年は違ったので、彼が高校生の時に「音楽」の授業でどうだったのかはよく知らないが、彼は本当は「5」なのに「3」をつけられたみたいに言っていたが、実際はそうではなくて、おそらく「3」だから「3」の評価をつけられていたのだろうと思う。もしかすると、採点者の側としては「3」でも評価は高めだと思っていたかもしれない。今の私が採点者なら彼についてはそう思う。北野高校の年間での成績は5段階絶対評価で「1」は不合格で「2以上」が合格、「1」が2つ以上あると留年で、N川先生は「音楽は理屈がわかっているだけではだめで、実際に表現できてこそ音楽としての値打ちがあるものなので筆記試験はしません」として、歌の試験とギターの試験で評価されていたが、「音楽は理屈がわかっているだけではだめで、実際に表現できてこそ音楽としての値打ちがあるものなので筆記試験はしません」というだけが理由ではなくて、京大・阪大に進学する生徒は多くても芸大・音大に進学する生徒はそれほどないという高校において、芸術科目で不合格点をつけたくないということから、筆記試験をしてしまうと不合格の点数をとってしまう生徒が出てくるが実技試験だけにしておけば、実技試験がどんなに悪くても最低でも「2」以上をつけてあげることができるということもあったのではないかと思う。だから、「3」の評価だった人でも、「3」は5段階の真ん中だから「普通」の人もおれば、そうではなくて「特別のことがなければ『1』はつけない」ということにしている実質的に2~5の4段階評価で「真ん中より下」の人もいたのではないか。T中は自分では「本当は『5』なのに『3』をつけられた」と言いたかったみたいだが、実際はそうではなくて「『2』でもいいところのものだけれども『3』にした」ような「3」だったかもしれない・・と思う。私の評価なら彼はそんなものだ。
(ウ)さらにもうひとつ、1980年代前半、東京のアマチュア合唱団に一時期、入っていたことがあったのだが、その時、千葉大しか行けないくせして医者屋やっていた山口くんという男(当時、30歳)が「大和銀行の合唱団はいいよ。なにしろ、人事部長が合唱団の指揮者やってるから、だから、みんな、合唱団に入るんだ。だから、大和銀行の合唱団はいいんだ」などと得意がって話していたので、この男と私とは音楽についての認識が正反対がとわかった。なにより、その「大和銀行の人事部長」は深く反省すべきだ。人事部長の自分が合唱団の指揮者をやっているから、会社で昇進させてもらおうと浅はかなことを考える従業員が会社の合唱団に次々と入部してくるという、そういう従業員に負担をかける行為というのは、それは会社のプロ経営者として使用者・管理者としておこなってはならない行為であろう。人事部長とは、会社の管理の業務に携わる従業員がそういう態度・行為に出ていたならば、「そういうことはやめてください」と注意すべき立場であろう。それを自らがそういうことをやっている・・というのは、それではその男は人事部長としては失格、人事部長と言うに値しない男であると見るべきであろう。そして、そんな合唱団の歌などというものは歌ではなく音楽ではない。そんなものは二束三文であり、芸術的価値はマイナスである。
(エ)そして、多くの「アマチュア合唱団」の団員・部員はタバコを吸っている・・という点だ。『美味しんぼ』では「美食倶楽部」主催の海原雄山の食事を板前が交替で作って味を見てもらうということをしているが、良三という男が作った食事を雄山は「これを作ったやつは誰だあ!」と起り、「私です」と良三が言うと、「出ていけえ!」と言って皿を投げつけた・・なぜ、雄山は怒ったかというと、タバコのニオイがついていた、タバコを吸うものは舌の味蕾が破壊され味がわからなくなってしまう、他の職業ならともかく、板前として上達しようという者がタバコを吸うとは何事だ、板前としてやっていこうというのにタバコを吸うようなやつは出ていけ!・・ということだったらしい。私は声楽をやろうという者はタバコは吸ってはならないと認識していたが、ところが、そのアマチュア合唱団にいた人は多くの人がタバコを吸っていたし、山口くんも吸っていたと記憶している。そういう人の音楽というのは「その程度のもの」であり、私が考える音楽というものには値しないし、私が考える声楽とは正反対のものだった。
※ 《YouTube-【美味しんぼ 第】22話 板前の条件》https://www.youtube.com/watch?v=U371_PZ_jvI
(3) そして、大きな問題として、戦後、「うたごえ運動」というものが起こった時期があり、その「うたごえ運動」をつぶすために、「人畜無害な歌」をNHKとかが意図的に作って「学校のコーラス部」や「アマチュア合唱団」に歌わせた・・という過去があるという点がある。
井上清『現代日本女性史』(三一新書)には、
《 「うたごえ」運動は、1948年(昭和23)に生れた青年共産同盟中央合唱団にはじまるが、1951年(昭和26)には、独立した「中央合唱団」となり、「美しい日本民族の歌を、誇らかにうたい、諸民族の平和の歌を、高らかに明るくひろめる」という目標をかかげた。全国いたるところの職場や地域に、合唱団が生まれた。中央合唱団で発行した「青年歌集」は、数十万部も出ている。1954年11月の「日本のうたごえ――原爆ゆるすまじ」には二万五千人が参加、1955年(昭和30)の「日本のうたごえ祭典――ふるさとの歌を、しあわせの歌を」には、地方代表八千人のほか、じつに四万人の参加者があった。(朝尾直弘「大阪労音十年史」)》
と書かれているが、そういう「うたごえ運動」をつぶそうとする動きが「人畜無害」な口だけ動かす詩的心情をもたない「合唱曲」をひろめようという動きであり、「NHKの合唱コンクール」とかNHKが選定した合唱曲とかにそれは感知され、「学校のコーラス部」、特に女性の「コーラス部」や「アマチュア合唱団」、それに「職場の合唱団」は心がそこにない「人畜無害」の「合唱曲」を口だけ動かして、定型化された服装で歌って得意がるようになったのだ。そんなものには魅力を感じない方が本来的であろう。又、人事部長が「合唱団の指揮者」をしているから従業員に「職場の合唱団」に加入させて「詩的芸術的価値がない歌」を歌う大和銀行合唱団を運営してやろうと意図して画策していたのであれば、大和銀行の合唱団の指揮者をやっていたという人事部長は悪質であり、もしも自覚なしにやっていたのであれば、人間として無能であろう・・し、音楽の能力・認識という点においても無能と評価されるべきであろうし、人事部長としても有能とは言い難い。そういう男を人事部長にならせていたという点において、その点で私は大和銀行(現 りそな銀行)を軽蔑する。私なら、もしも、大和銀行に勤めていたとしても、大和銀行合唱団などという二束三文の団体には入らないだろう。そんなものは私の音楽哲学が許容しない。昇進したいなら、そんな二束三文の団体に入ることで人事部長に気に入られて昇進しようとするミミッチイ態度をとるのではなく、仕事で実績を残して昇進したいものだ・・し、私が大和銀行のトップなら、そんな男を人事部長にはならせたくないものだ。

現代日本女性史 (1962年) (三一新書) - 井上 清

青年 (新潮文庫) - 森 鴎外

三四郎 (角川文庫) - 夏目 漱石

福沢諭吉―思想と政治との関連 (UP選書) - 遠山茂樹
阿弥陀堂に向って右手(北側)に、光明寺の墓地があるようだ。私は血縁者にこちらに墓地に入っている人がいるわけではないので行かないが、↓
その入口に書かれているのだ。
「猪が出ます。注意してください」
「野生の猿 出没注意!」
・・と。
時々、誤解している人がいるのだが、「猿」とは言っても、「プーキーズのカイくん」みたいな半分人間みたいな「お猿さん」〔⇒YouTube- バスタオルを忘れたのでお猿さんに「持ってきて」と頼んでみた結果wwww https://www.youtube.com/watch?v=mMBT-RNiOyk〕と「野生の猿」はまったく違うのだ。「箕面の猿」なんてのは、最近、「猿にエサをやったら罰金」という箕面市の条例ができて、それで人が普段住んでいる所にはあまり出てこなくなったが、獰猛であり、子供が持っているお菓子とか女性が持っているハンドバッグとか強奪しようとするし、家庭の庭に植えている果物とかもちぎって持ち去る。素手で追いかけても、「野生の猿」は人間のおっさんよりも強い。
決して、「野生の猿」を「プーキーズのかいくん」のようなものだなどとは思ってはならない。
※ プーキーズ https://www.youtube.com/@pookies
今となっては何十年か前、1970年代前半、私が中学生の時、親戚のある者と「箕面の滝」に行ったことがあったのだが、「箕面の滝」の前に行くと、そこのベンチに「野生の猿」の小猿が座っていたのだ・・・が、「箕面の猿」に対して、その顔をのぞきこむように自分の顔を持っていくので、「うわっ、何すんねん!」と驚き止めようとしたが遅く、小猿は飛びかかろうとした・・ということがあった。猿は顔をのぞきこんではならない。特に、猿は眼を見てはいけないのだ。これは交番の前を通る時と同じだ。警察官も眼を見てはいけない。又、「眼を見る」のとともに「眼をそらせる」のもいけない。あくまでも「さりげなく」である。これは善良な市民の心がけである。
善良な市民の心がけ「猿と警察官は眼を見てはいけない」
この心がけを守らないと、彼らは飛びかかってくるおそれがある。この点においては警察官は犬よりも猿に似ている。・・ほんまやで・・。
まあ、野生の猿や猪がいるということは、それだけ、自然環境が守られている場所なのかもしれないが、「野生の猿」は「カイくん」みたいな半分人間みたいな「お猿さん」とは違うので、間違えてはいけない。

警備公安警察の素顔 (新日本新書) - 大野 達三

ザ警察対抗法―職質から逮捕・取り調べまで (三一新書 971) - 千代丸 健二

「ごめん」で済むなら警察はいらない―冤罪の「真犯人」は誰なのか? - 柳原 浩
《 一方、甲(冤罪を着せられた柳原さん)の逮捕後も強姦事件が起きていた。被害者の証言で共通していたのは、強姦後「100を数えるまで動くな」と逃げる時間稼ぎがされていたことであった。
このように手口が類似する事件が発生していたにもかかわらず、富山県警は捜査を行わなかった。後に真犯人として逮捕された人物は、服役中に報道機関に寄せた手紙の中で「富山県警は甲(冤罪で逮捕された柳原さん)が犯人ではないと分かっていたが、それを隠蔽した」と記している。》
( ウィキペディアー氷見事件 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E8%A6%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6 )

暴走する「検察」 (宝島SUGOI文庫) - 別冊宝島編集部

狂った裁判官 (幻冬舎新書) - 薫, 井上

モンダイの弁護士―弁護士って、ほんとうに「人権を守る正義の人」なのか!? (別冊宝島Real (028))
ところで、「猪が出ます。注意してください」と言われても・・だな、今は昔、やく みつる が「落石注意」という交通標識について、「注意しろと言われても、上から落ちてくるものを、いったい、どう注意しろと言うんだよお」と書いていたのを見たが、「落石注意」ではなくて「落石覚悟」と書くべきなのか・・とか。
・・で、猿はともかく、「猪が出ます。注意してください」と言われても、でっかい猪が出現してこちらに向かってきたとしたら、いったいどう注意すればいいんだろう・・とも思ったが、どう注意するのだろうな・・。
次回 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500042314.html 、御影堂前から総門への道を歩み、バス停より帰ります。
(2023.7.14.)
☆ 長岡京市の光明寺(粟生光明寺)(西山浄土宗 総本山)参拝
1.西山浄土宗の総本山、長岡京市粟生にある光明寺、法然が最初に念仏を説いた地、熊谷直実が念仏三昧院を開いたのが始まり、法然の遺骨を荼毘にふして御本廟に祀る、「京都西山三山」、阪急「長岡天神」駅とJR「長岡京」駅。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499936472.html
2.長岡天神駅よりアゼリア通り・セブン通り・長法寺道を経て「早良親王ゆかり」の乙訓寺近くの「今里」交差点を経て今里大通りより「更ノ町」交差点を左折して光明寺道に。菅原道真・早良親王・明智光秀と恨みをのんで死去した者のゆかりの地。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499948381.html
3.更の町交差点より、赤根公園・赤根天神・大峰山禊所・赤根幼稚園・蓮が糸・光明寺道・光明寺前へ。崖から吊るして「親に孝行するかあ」と脅して言わせるのは愚か、精神的貧困。「わしはあんたに何一つやってもらったことはない」と息子に無理矢理言わそうとする父親、「あんたに世話になることは一切ない」と言って息子の結婚式に出てくれという「さわやかスポーツマン」。高校教師は害がある。「両親が離婚した」は自慢することとは違うやろ( 一一)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499962295.html
4.光明寺前・浄土門根元地・熊谷直実の念仏三昧院・法然の遺骨を荼毘にふして分骨。西谷流から西山浄土宗。総門は1845年、『死に至る病』の4年前、『共産党宣言』の3年前。おまけ「クロちゃん」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499970352.html
5.表参道(女人坂)から鐘楼・立教開宗の像・手水舎・御影堂。「えらい人」の像は高い台座に載せないといけないのか? 「普通の人と同じ高さで誰もがそばまで行くことができる福沢諭吉像」を「普通の人より高い場所で普通の人間はそばに行けない場所」に移す「自我が確立されている」「福沢精神」とそれに疑問を感じる「自我が確立されていないからわざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」と「心理学」から「診断」される「受験勉強の悪影響」「思考の硬さが気にかかります」「未成熟」。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499986510.html
6.御影堂・阿弥陀堂。熊谷直実は念仏の信者になったわりにその後も過激? トロッコ列車は警察手帳で乗れるのか? 『観無量寿経』に登場するビンビサーラ王とアジャンタシャトルとヴァイデーヒーの話。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500006097.html
7.保存樹木モミ。「モミの木の歌」は人畜無害化で作成された歌ではなかった。猪・「野生の猿」出没。善良な市民は、「野生の猿」と警察官は眼を見てはいけない。音楽・声楽とコーラスは別物、プロ合唱団と「学校のコーラス部」・「アマチュア合唱団」はレスリングとプロレスの違い以上の違いがある。〔今回〕
8.御影堂から観音堂脇を通り退出。丹波街道の「光明寺」バス停から長岡京駅へ。「わしに孝に、わしに孝に」を説くくだらない『観無量寿経』、森鴎外『青年』『舞姫』を「受験勉強だ。害があるんだ」と否定する慶應内部進学心理学、「何でも日本に持ってくると矮小化される」ことを危惧する者を病気・症候群と「診断」して「治療」しようとする小此木啓吾内部進学精神医学・精神分析学。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/500042314.html
☆ 永観堂 禅林寺(浄土宗西山禅林寺派 総本山)(京都市左京区) 参拝 1~9
1.京都駅から山科駅を経て蹴上駅、「ねじりまんぽ」「蹴上インクライン」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499619103.html
2.白川通りから「総本山 永観堂」碑、禅林寺 中門へ。「哲学そば」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499669228.html
3.総門から中門へ。真言宗の道場としてできて、浄土宗の念仏道場へ。「もみじの永観堂」と言われ、「カエデ(楓)」の木が多い。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499680145.html
4.大玄関・御影堂(大殿)・阿弥陀堂(本堂)。浄土教・浄土宗・浄土真宗はどう違うのだろうか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499698842.html
5.大玄関から 御影堂・阿弥陀堂。臥龍廊。唐門の内側。釈迦堂・古方丈に囲まれた内庭。ベルサイユ庭園型庭園と聚碧園型庭園。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499726686.html
6.阿弥陀堂脇より渡り廊下をくぐり、多宝塔。開山堂。「日想観」。北よりの一群のお堂と南に設けられた御影堂・阿弥陀堂は「真言宗の寺」と「浄土宗の寺」の融合からなのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499738049.html
7.やすらぎ観音・南門・永観堂前通・ツツジ。あと1か月未満で咲くというツツジを花芽をとらずに刈るよう要求する父親とそれに同調する母親と、それを称賛する高校教諭。高校生に浪人しない方がいいと言わずに自分の高校の卒業性に浪人してしまったこと責めてを苛めて、「下の高校」の卒業生が当たり前のように浪人することを応援する教諭。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499742446.html
8.永観堂前通・疎水分線・野村美術館・南禅寺大寂門・三門・中門・金地院・ねじりまんぽ。来世の幸福を願う浄土教と浄土宗・浄土真宗の違い。多額の布施を極楽往生のために要求する宗教では毒薬という意味のアヘンではないか。「じゃんがら踊り」は何宗か、難しく考えなくてもいいのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499776861.html
9.「蹴上」駅から「三条京阪」駅を経て京阪「三条」。「建築家」設計デザインよりニーズに即した京阪「三条」駅のデザイン。先斗町・高瀬川。鎌倉時代、既成仏教は腐敗していなかったか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/499795277.html
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