八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か?  「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。

[第613回]
  北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して何十年か経って冷静に考えられるようになってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。特に、1970年代後半、2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを自慢にしていた女で、だから何やねん、というのか、そんなこと自慢することと違うやろうが・・というものを自慢していた女だったが、それとともに「ちょっと性格いがんでる系女子」みたいな人間がいいと思っているような女であり、「両親が離婚した」わけではない家庭の息子からすると迷惑な女だった。
  一番の問題として、””「両親が離婚した」わけではない家庭というのは、ものすごく恵まれている、何の問題もない家庭なのかというと、実はそうではないということを絶対に理解できないバカ女症候群”” の女だったのだが、そのあたりについては高校教諭としては欠陥があると言わざるをえない。「両親が離婚した」家庭と「離婚することができない夫婦の家庭」とでは「離婚した家庭」の方がむしろ問題は少ない場合だってあるのだが、それを理解できないバカ女症候群、かつ、それについて「病識がない」女というのは、生徒の側ではなんとも迷惑な女だった。

《F》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その6。
  うちの母親は「親というものは自分の息子のことを いいようにいいように思うもんやから」と言うのでしたが、たしかにそういう「自分の息子のことをいいようにいいように思う親」というのもいると思いますし、又、小学校・中学校・高校と同じ学校に行った「野口くん」という「こいつ、嫌なやつやなあ」て感じの男のお母さんなどは「いいようにいいように思う」というよりも ””自分の息子のことを「いいようにいいように」ギャースカぎゃーすかギャースカと叫んでまわらないとおれない「ほとんどビョーキ」シンドロームの親”” で、そういう親もいました。うちの親のように自分の息子の悪口を言ってまわらないとおれない親よりも、自分の息子のことをいいように思ってもらおうとする親 の方が親としての役割を果たしているという面はあるでしょうけれども、しかし、それにしても「野口くん」の親というのは「いくらなんでも、やり過ぎ」であり、「もう、ええかげん、うるさいなあ、このおばはんは、ほんまにもうほんまに~」というものでした。その息子の「野口くん」て男は1年浪人したけれども京大の法学部に合格して進学しましたが、そういうアホな母親がギャースカぎゃーすかギャースカ言ってまわるなら、京大くらいに行く男ならば「もう、そのくらいにしておいて」「それ以上はやめておいて」とか息子として言うべきですが、それを言わない言えない男で、逆にアホな母親から「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」とか言ってもらって自分でもそんな気になっていました。京大に行っても、その部分については、あんまり賢くない。なんか、京大に行っても、あんまり値打ちのない京大です。アホな母親からそんなこと言われてその気になっている男というのは、京大に行ってもあんまり賢くない、どう考えても「大人ですわあ」てことありませんね。「しっかりしてますわあ」とは言えませんね。アホな母親が自分で言ったことに自分で妄想見て喜んでいるのなら好きにしておけばいいのかもしれませんが。その「野口くん」の親とは正反対で、うちの母親の場合は「親というものは自分の息子のことを いいようにいいように思うもんやから」と言いまくる人でしたが実際はその逆の親で、「常によその息子のことをいいようにいいように思う親」で、自分の息子の悪口を言ってまわる親でした。それも、その相手には特に言わないでもらいたいなあ・・と私が思う問題が多いような人間に言いたがる親でした。難儀な親でした。
  「親というものは自分の息子のことを いいようにいいように思うもんやから」というのは「心理学の学説」らしいのですが、一般に「心理学の学説」などというものはデタラメ・嘘っぱちですから、そういうものを信じさせられるのは愚かですが、うちの親はその愚かな親でした。『新約聖書』の「福音書」にも「預言者、故郷にいれられず」という言葉がでており、イエスが自分の家族から評価されなかった話が出ています。英語の諺には、
The grass is always greener on the other side of the fence.
(隣の芝生は緑に見える。⇔よその息子はいいように思える。)

というものがあります。「心理学者」というのは、こういう諺を知らないのか、無視して勝手な「学説」をでっち上げますが有害無益です。
「親というものは自分の息子のことを いいようにいいように思うもんやから」とうちの母親は言うのでしたが、そういう親も中にあるだろうけれども、あんた、ちっともそんなことないやないか、と思うようになりました。

  うちの父親もまた、「親というものは自分の息子のことをいいようにいいように思うもんやから」という「心理学の学説」を信じていましたが、それとともに「あんたには、小さい頃から、よそとはちごうて、欲しいというものは、何でも何でも、どんなもんでも、ええもんばっかし、こうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってやってきたから」などと、事実と正反対のことを私が20歳になる年、高校を卒業して2年目くらいから言いだした、そういう親でした。さすがに「違う。絶対に違う。絶対にそんなことない」と私は言いましたが、そうすると、「こいつ、こんなこと言いよるわ。これは治療してやらんといかん。クスリ、飲ませたらんといかん。それも大量に飲ませてやらんといかん。いや、クスリではいかん。ロボトミーか電気ショックやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん」と、そう言ったのです。そういう怖ろしい男でした。
スタンガン
スタンガン
( ↑ 電気ショック療法 )
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《  ウクライナ軍が9月の電撃攻勢で、ロシアから最初に奪還した街の一つ、バラクリヤ。約半年に及ぶ占領から解放されたが、住民にはロシアへの複雑な感情と、「協力者」への不信が残っていた。
・・・・・・(略)・・・
  住民には侵攻前、「ロシアは占領しないし、何も(悪いことは)しない」と信じる人たちもいたという。だが、実際には略奪や拷問を繰り返した。
  「お前のことは彼から聞いている」
  工場勤務のビクトル・ルデュクさん(48)はロシア兵に拘束された際、そう告げられた。「彼」とは隣人のこと。ルデュクさんは「密告」されていた。
  ルデュクさんの父親は、2014年の東部地域の紛争で親ロシア派と戦った志願兵だった。ルデュクさんと母親は密告され、警察署に1週間以上にわたり監禁された。
  ロシア兵はナイフを耳に突きつけ、「切り落とすぞ」と脅した。電気ショックを肩から加えられ、目の前が真っ暗になった。
  「協力者」の隣人は、ロシア側の息のかかった「役所」で働いていたが、バラクリヤが奪還される前に姿を消したという。・・・》
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《 「誰が警察官なんだ」
  約1ヵ月間拘束されたというセルギーさん(52)は、そんな尋問を受けた。
  銃床で頭を殴られた。最も恐ろしかったのは、尋問の際にポリ袋を頭にかぶせられ、右手の親指に発電機のコードを巻き付けられたこと。電流で気を失いそうになり、袋で息ができなくなった。
  「耐え抜いて生きているのはラッキーとしか言いようがなかった」。指の感覚はまだ戻らないままだという。
     (バラクリヤ=高野裕介)
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(「朝日新聞」2022.10.10.(月)<朝刊>)
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( ↑ 電気ショック療法。)
( さいとう たかを『ゴルゴ13』「白龍昇り立つ」 1996年5月作品。 
「ビッグコミック別冊」1999年1月13日号掲載。『ゴルゴ13 フォア レディーズ5』2022.9.27.小学館 My First BIG SPECIAL 所収。)
昭和の不思議101 2022年 陽春号 (ミリオンムック 30)
昭和の不思議101 2022年 陽春号 (ミリオンムック 30)
《 いわゆる「ロボトミー殺人事件」が起きたのは1979年だから、もう40年余り前になる。売れっ子のスポーツライターだった男が脳に「ロボトミー」と呼ばれる手術を施され、後遺症に苦しんだ末に担当医の家族を殺害するに至った有名な事件だ。・・・
  たしか『河北新報』の記事だったと思う。それによると、宮城刑務所で無期懲役刑に服していた当時84歳の桜庭は「体調不良で生きていても仕方がないのに、自殺する権利が認められずに精神的苦痛を被った」と主張し、国に160万円の国家賠償を請求する訴訟を起こしたが、敗訴したとのことだった。自殺する権利など法律で認められるわけがなく、敗訴自体は当然の結果と言える。
  ただ、この記事からは、桜庭が心身共に相当悲惨な状態に陥っていることが窺えた。・・・》
《  ロボトミーとは、脳の一部を切除して人格を「改善」させる手術だ。1950年代までは統合失調症の患者らに効果があるというフレコミで「奇跡の手術」と呼ばれ、日本を含む世界各国で行われていた。開発者であるポルトガルの神経科医モニスは1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
  しかし実際には、患者たちは術後、無気力になったり、身体がけいれんしたりするなどの回復不能な副作用に苦しめられていた。その現実が次第に知れ渡り、「悪魔の手術」とか「史上最悪のノーベル賞」と呼ばれるようになったロボトミーは現在全く行われていない。
  桜庭が施されたのは、このロボトミーの一種であるチングレトミーという手術だった。その術式は、頭蓋骨の一部を切り取り、脳梁の上部に位置する「帯状回」という部分に外科的侵襲を加えるというものだ。
  当時、S保養院では、精神療法を行っても効果が上がらない患者に対し、このチングレトミーを施していた。桜庭の場合も措置入院が不当だと主張し、藤井医師に議論を挑んだり、のこぎりで独居室の鉄格子を切断して脱走しようとしたりしたため、病院側はチングレトミーを施す
ことにしたという。
  ここで問題は、藤井医師が桜庭本人の承諾を得ずに手術を強行したことだ。
・・・ 》
《 手術後、桜庭は翻訳の仕事をする自信を失い、不安感にとらわれるようになった。その後なんとか1968年ごろまでスポーツ関係の著述を続けたが、原稿を書く分量は手術前の5分の1にまで減り、次第にものを書くことが苦痛になった。
  桜庭はついに著述業に見切りをつける。そして自ら片足を切断するような事故を起こし、労災保険金を得て生活しようと考え、その目的を果たすために山砂採取現場でブルドーザーなどの運転手として働くようになった。
  しかし、時々てんかんの発作が起こるようになり、ブルドーザー運転手の仕事は結局続けられなくなった。その後は自動車修理工場の見習いや飼料工場の工員、外国船の警備員など仕事を転々とする。この間、てんかんの発作は激しくなり、名古屋の病院で診察を受けたところ、「チングレトミーの後遺症」だと告げられる。こうして桜庭は無断で施された脳の手術により人生を崩壊させられたことを確信した。
・・・》
( 『ミリオンムック30 昭和の不思議101 2022年陽春号』2022.4.20.大洋図書。↑
片岡健「悲劇の殺人犯 桜庭章司 獄中書簡に見る悲惨な晩年 ロボトミー殺人事件」 )

  1980年代に入った頃、さまざまな悪質な妨害を受け、日本で一番嫌いな大学だった慶應の首をもがれても行かされたくないと小学校の1年の時から思っていた「経済学部・商学部・経営学部」のひとつである商学部に入学させられた年のことです。
  たとえば、京大に行った人に聞いた話では、京大では体育は中学校や高校の体育と同じように1年と2年に週に1コマ、体育の授業が配置されているらしいのですが、慶應大学はそうではなく「基本体育」という名前で1年に週に1コマ、体育の授業が配置されているのと別に「選択体育」という名前で夏休みなどに2週間ほど集中して、選択した種目のものを受けるということになっていました。それがいいのかどうか、慶應大学の体育会でおこなっている種目を選択して受講することになってたようで、私は、どうせなら、他でできないようなものを選択しようと考えて「馬術」を選択しましたが、しかし、体育会の学生が指導者になって教えていたようですが、これは学校という所における授業としては疑問を感じるものでした。もしも、そこで何らかの事故が発生したならば誰が責任を取るのか。それこそ、給料を払うということは責任を負わせるということであり、給料を受け取るということは責任を持つということで、同じ学生でしかない者に正規の授業の指導をさせて、不適切な指導をして死亡したり怪我をしたり病気になったりする人間が出たならばどうするのか。問題があります。又、私なども体育会馬術部の人間に、その「選択体育」の授業の中で突き飛ばされたりしましたが、慶應の体育会というのは暴力体質の運動部の代表格のようですが、そういうものに加入する人は自ら選んでそこに入部しているのですが、そうではない一般学生はそういう暴力運動部に加入したいという選択はしていない人間であり、「体育とは暴力だ」という思想を好んで入部した人とは異なる者に暴力をふるうということが認められている慶應大学という学校には大いに問題があります。その「選択体育」の「馬術」が終わった後、大阪の家に帰ってきたところ、その翌々日あたり、うちの父親が突然、「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに決めてきたっ!」と言い出したので、えええ~っ? と驚いたのです。
  うちの父親は昔から、それよりも前から、突然、「あんた、・・・することに決めてきたっ!」というのをやる人で、なぜ、私だけそんなことをされなければならないのか、と強く不満を感じてきましたが、まさか、「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに決めてきたっ!」などと言い出すとは思いませんでした。
  そうやって勝手に決められて、そして、同じ高校の卒業生がアルバイトなんて何もやっていないか、もしくは週に1回か2回、1回2時間程度の家庭教師のアルバイトをやっているだけという生活をしている時に、私だけが化粧品屋の工場で冷房なんか効かない所で汗を流しながら乳液とかクリームとか作らされたのでしたが、その帰り、阪急宝塚線「石橋」駅(現 「石橋阪大前」駅)で、

( ↑ 阪急電鉄 宝塚線・箕面線「石橋阪大前」駅。)
同じ中学校から同じ北野高校に行き、大阪大法学部に行ったK村哲二という男と会いました。K村が「どこ、行ってきたん?」ときくので正直に「うちの父親の勤め先の化粧品屋の工場にアルバイトに行ってきた」と話すと、川村は「へええ~え、そんなもん、あんの~ん」と馬鹿にしたように言ったのでした。K村がそう言うので同じように「どこ、行ってきたん?」と言うと川村は「阪大の図書館に行って法律の本を読んできた」と言ったのでした。同じ大学生でも、同じような場所に住んでいて、同じ中学校から同じ高校に行って、それほど変わらないくらいの評価の大学に行っても、それだけ生活に差があるんだと実感しました。うちの父親は毎日のように私に「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言い続けましたが、「民族の違い」「階級の違い」というものだったのでしょうか。
  それから何年か経ち、川村は大阪大学法学部に入学して4年目ではなく5年目に司法試験に合格しました。かつて、大阪には「大阪新聞」という産経の系列だったらしい夕刊紙があり、そこに司法試験合格者の氏名が掲載されましたが、うちの父親はそれを切り抜いて私の所に郵便で送りつけ、「川村くんの爪の垢を飲みなさい」と書いてきました。それとともに電話してきて「新聞切り抜き送ったん、着いたかあ~あ。川村くんの爪の垢を飲めよお~お」と言ってきました。「これから川村くんの家に行って『誠に申し訳ございませんが、爪の垢を分けて下さい』と言ってきなさい」と言うのでした。なるほど、そのあたりが「民族の違い」「階級の違い」というもののようです。川村哲二が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた時、私は冷房なんか効かない工場で汗まみれになって乳液とかクリームとか作らされていたのです。安い時給で。将棋でも「飛車・角落ち」とか「飛車・角・香車・桂馬落ち」とかならば工夫すれば何とか勝機をつかめる可能性もあるかもしれませんが、「王さん1枚で戦え」と言われても勝てない。「なにくそお」と思ってやりましたが、川村は1回2時間で週に2回の家庭教師のアルバイトをやっていただけで、それ以外にはアルバイトなんて何ひとつやらないで、私が安い時給で汗まみれになって乳液やらクリームやら作っていたまさにその時に冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいたのですから、「王さん1枚」で勝てるわけありません。「ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ」と思いました。「この巨人みたいなやつ!」「この長嶋みたいなやつ!」とも思いました。〔⇒《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA 〕
実際、川村の爪の垢を飲めば過去に遡って川村みたいなけっこうな条件で学習させてもらえるものなら、爪の垢でも ち〇ぽの垢 でも飲んだるわ。「王さん1枚で戦え」言われてきた者としては、川村みたいなけっこうな条件で学習させてもらえるものなら大歓迎だ。インターネットで検索すると、川村哲二は今、神戸大学法科大学院大学の先生様になっておられるらしいが、神戸大学法科大学院大学は私が化粧品屋の工場で汗だらけで乳液とかクリームとか作らされていた時、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んで司法試験に通ったやつを講師に雇っているようだ。
くたばれ、神戸大学法科大学院大学! 
 死ね、神戸大学法科大学院大学! 
地獄へ落ちろ、神戸大学法科大学院大学!
路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
路傍の石 (新潮文庫) - 有三, 山本
  山本有三『路傍の石』では、父親が酒飲みで小学校などの成績は良かったにもかかわらず進学させてもらえなかった吾一は、東京に出て印刷工場で働いていた時、かつての学校の先生だった次野先生と出会い、その時、商業高校の教師をやっていた次野先生が教師をしている商業高校の夜間に行くようになったところ、その次野先生の所にかつて小学校の時に同級生だった大商店の娘で東京の女子大に行っている者が訪ねてきたということがあったが、吾一はその娘を見て、同じく学校に行って勉強をしているといっても、昼間、働いて夜に勉強するというのと、勉強だけやっていればいいというのとでは大きな差があると実感するが、私も川村を見て同様のことを思った。たとえ、昼間、化粧品屋の工場で働いていても夜に学習することができたとしても、一日、勉強だけやっておればいいという川村とは条件は全然違った。
  福沢諭吉が『福翁自伝』(岩波文庫)に、大分県の中津藩で福沢諭吉は学んだが、福沢諭吉は長崎に遊学に行きたいと思ったものの下級武士の息子であった福沢諭吉は行かせてもらえず、他方で奥平壱岐という男は福沢諭吉よりもずっと勉強はできないのに家老の息子だということで長崎に遊学に行かせてもらえた、という話を書いている。「ええなあ、うらやましいなあ、わしぁ日陰の月見草や」と思ったようだが、しかし、落ち着いて考えてみると、福沢諭吉はそんなこと言うものの長崎に遊学に行ったはずだったのだが、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)によると、その奥平壱岐が福沢諭吉という男は努力家で勉強熱心な人間でよくできるが貧乏な下級武士の息子なものだから長崎に遊学に行きたいと思いながら行けずにいるのはかわいそうだ、なんとかしてやれないものかと骨を折ってくれて行かせてもらえるようになった・・ということだったらしく、恩人に向って何言うとんねん・・てものだったようだが、福沢諭吉が長崎に遊学に行けるように骨を折ってくれた奥平壱岐だったが、長崎ではまた、自分よりも自分が骨を折って長崎に遊学に行けるようにしてやった福沢諭吉の方がよくできるということから面白くないと思うこともあったようで、それで、福沢諭吉はそれなら長崎になんかいることないと江戸に向ったが、親に無断で行ってしまうのもよくないと思い、兄が大阪で勤務していたことから兄の所に立ち寄って江戸に行くと話すと、兄はその話を聞いた以上はこのまま江戸に行かすわけにもいかない、江戸でなくても大阪でも洋学は学べるはずだから大阪で学んだらどうだと言い、それで大阪の適塾(洪庵塾)で学ぶようになったということらしい。私は福沢諭吉が家老の息子の奥平壱岐に対して思ったことと同様のことを思った。特に、慶應の内部進学の人間なんて、どいつもこいつも福沢諭吉にとっての奥平壱岐みたいな人間ばっかりだった。かつ、そういう人間が「福沢精神」と叫びまくっていた。「われわれ内部進学の人間はおまえら外部の者とは違って福沢精神というものを身に着けているんだ」とかおっしゃるのだが、奥平壱岐の「福沢精神」なんてものはエセ「福沢精神」だろう。もっとも、長崎に遊学に行かせてもらえるように骨を折ってくれた恩人に対して、あいつは勉強のできんやつなのにと何だかんだ言いまくるというのも、いいのかどうかわからんところもあるが。
  うちの父親と母親が大好きな「野口くん」というシェイクハンドラケットみたいなぺったんこの顔した男は、大阪府豊中市の阪急宝塚線「曽根」駅の近くの学習塾の講師を週に1回、2時間ほどやっていたようで、アルバイトはそれだけで私のように肉体労働のアルバイトなんて何一つとしてやることはなかった。まさに「民族の違い」「階級の違い」というもののようだった。うちの父親は私の眼を指で突き刺すようにして叫ぶのだった。「民族の違いを忘れるな!」「階級の違いを忘れるな!」と。「ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ」と思ったものだった。「わしぁ日陰の月見草やあ~あ」と思ったものだった。
  同じように同じ高校の出身の人間がアルバイトなんてしないで勉強させてもらっているのに、なぜ私だけがアルバイトばっかりさせられなければならないのか。「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いという先生がそうおっしゃってる」とうちの父親は言うのでしたが、それなら、なぜ私だけがなのか。「川村くん」とか「野口くん」とかいうのはモラトリアム人間病ではないのか。「川村くん」とか「野口くん」とかは「アルバイトを嫌がるモラトリアム人間病」ではないのか。ロボトミーとか電気ショックとかをやってやる必要があるのではないのか。
  同じ小学校・中学校・高校から慶應大学の経済学部に行ったS本 彰という「なまたまご」を「なまなまこ」と発音する中年オヤジみたいなキャラの男がいたが、この男は私よりひとまわり多い金額の仕送りを毎月送ってもらっていて、私とは違ってアルバイトなどはまったくやらず、東京と大阪の間を行き来する場合には私は国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」か、それとも東京駅を午後11時半くらいに出ていた大垣行き「快速」と大垣発西明石行「快速」を乗り継いで帰るか、どちらかを使うことが多かったのに対して阪本は常に新幹線に乗っていた。阪本はモラトリアム人間病ではないのか・・というと、ないそうだった。「民族の違い」「階級の違い」というものだったのかもしれない。阪本が仕送りしてもらっている金額を聞いて「そんなに送ってもらっているのか」と私は思ったのでしたが、阪本は逆に「よく、そんな金額で1か月、生活できるなあ」と私に言いました。
  うちの父親が「いらいらっとしたから、仕送りを送るのん、やめたってん」と言って送金してこなかった時には、私は食べるものがなくて1週間ほど水だけで生きたが、阪本はそのようなことをされることは一度もなかった。又、私は12月になると、うちの父親は「正月に帰ってきても、またすぐに戻ることになるから東京と大阪の間の往復の交通費がもったいないから、そのまま東京にいなさい」と言われて東京圏にいたものだが、今と違って、1980年代前半においては1月の1日から3日くらいはスーパーは閉まっており、コンビニも1日・2日は閉まっていましたし、食堂も観光地の食堂は開いていても日吉とか一般の場所の食堂は年末年始は閉まっており、自動販売機もサンドイッチとか菓子パンとかの自動販売機は年末には補充にこないので機械はあっても中は空で、カップヌードルの自動販売機はカップヌードルはあってもお湯の補充に来ないのでお湯を注ぐことができず、お湯なしのカップヌードルを食べたりしました。よく、「おふくろの味」とか「ふるさとの味」とか言って、若い頃に食べたなつかしい食べ物の話が出たりすることがありますが、私にとって「お湯なしカップヌードル」がそのひとつです。私はそうして過ごしたものでしたが、阪本の場合は最初に慶應大学に入学すると、夏休みより前に5月の連休に家に帰ってこいと親が言ったそうで、秋も11月に帰ったそうでした。我が家とは正反対でした。私はうちの親と会いたいとは思いませんでしたが、それにしても、私が父親であったなら「交通費がどうかにかかわらず、正月くらい帰ってこいよ」と言うところで、たとえ交通費がかかったとしても、それは必要な経費だと考えますが、うちの父親はその逆でした。
  ドイツ民謡の「モミの木の歌」(《YouTube-【和訳付き】もみの木(ドイツ民謡) "O Tannenbaum" - カタカナルビ付き》https://www.youtube.com/watch?v=JhrQm1wD4LU )の節に歌詞をつけた「赤旗の歌」(《YouTube-「赤旗の歌」》https://www.youtube.com/watch?v=jMf-qLljzNg )というものがあり、「民衆の旗 赤旗は~あ♪」という歌詞のさらに替え歌として「民衆の足、国鉄は~あ♪」というものがあり、それに続いて「金持ちは~あ、飛行機に~乗るぞ我らは国鉄に~♪」というものがあるようですが、私にとっては「阪本は~あ、新幹線に~い乗るぞ、我らは夜行バスに~い♪」というものでした。
  大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』(1964.12.21.岩波新書)には、
《 先ごろ、アメリカの大統領ケネディはアメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろうという話をデッチあげたが、あれは完全なウソである。マルクスは自分が貧乏をしたから革命論を作ったのではない。マルクスは原稿料をアメリカからもらったからリンカーンをほめたのではない。そういうことを考えるのは思い上がった小人である。・・・》
と述べられている・・・が、マルクスは人間できてるから《アメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろう》ということはなかったかもしれないが、私なんかは、
● 阪本が私の住むアパートの何倍もの家賃の所に住んで、
● 阪本が毎月、私より一回り、もしくは、二回り多い金額を仕送りに送ってもらっていて、私の場合は「いらいらっとしたから、仕送り送るのん、やめたってん」と言って突然送金してもらえない時があったが阪本はそんなことはなく、
● 阪本が毎回、新幹線にのっているところを私は国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」に乗るか東京駅を夜11時半くらいに出た大垣行夜行の「普通」というのか「快速」というのかに乗って大垣で大垣発西明石行の「普通」というのか「快速」というのかに乗り換えて東京と大阪の間を行き来するということをして、それでいて「おまえなんかが夜行バスなんかに乗ってええのか。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。もっと安い方法を考えなさい」とどんなに捜してもその頃は東京ー大阪間の移動に国鉄バスの夜行バス「ドリーム号」より安い交通手段はなかったのに言われて〔あえて、言うならば、慶應の「ステューデントカウンセラーズ」というサークルにいた時にいた女性が「ヒッチハイクすればいいでしょ。トラックの運転手は一人で行くより誰か連れがいた方がいいから乗せてくれる人がいるよ」と言うのだっがが、そこまでは私はやったことはなかった。ちなみに、その後、1990年代の終わり、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で営業経験者研修として、ある程度は経験がある営業社員向けの研修の時に、浜松の「寮」で同室になった某くんから聞いた話だが、その某くんはおカネを貯めて世界一周旅行を低価格でやった経験があるらしかったが、アメリカ合衆国でヒッチハイクをしたところ、砂漠の真ん中で運転手から「ケツ掘らせるか、ここで降りるか、どっちか選べ」と言われたという経験をしたらしい。・・彼がどちらを選んだのかは、それは知らない。〕、
● 阪本は私より高いものを食っている、
● 阪本はアルバイトなんてまったくしない生活を送っていたのに「モラトリアム人間病」と言われることはなく、私はどんなにアルバイト漬けの生活をしても「『モラトリアム人間病』は治さんといかん、とってちってたあ~あ♪」言われ続けてきた、
となると、私なんかはマルクスほど人間できてないから、「ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ」「わしぁ貧乏やからなあ。わしぁ日陰の月見草や。阪本はほんまにええなあ」と思うようになるし、「この巨人みたいなやつ」という気持にもなるし、マルクスだったら関係ないかもしれないが、私ならまったく関係ないことないような気が・・・・・しないこともない。
  うちの父親が「いらいらっとしたから、仕送り送るのをやめたってん」と言って送金してこなかった時、1週間ほど水だけ飲んで過ごしました。自動販売機の周囲とかに硬貨が落ちていないかと思って日吉の街を歩いて見てまわり、ある自動販売機の底に50円玉があるのを見つけて、道路に腹ばいになって手を伸ばし、それでも届かないので、近くにあった箒だったか何だったか棒状のものを突っ込んで手前に引き寄せて手に入れました。その50円と財布に残っていた10円玉を足して80円のメロンパンを買って食べましたが、その時のメロンパンのおいしかったこと、おいしかったこと。「おふくろの味」「ふるさとの味」としては、私にとっては第一番はそのメロンパンです。その時、その前あたりにあった「不二家」というけっこう高いレストランから、加藤という同じ日吉台学生ハイツに住んでいた、兵庫県の甲陽学院高校という私立高校から1年浪人して東大の文科1類⇒法学部 に行き、国家公務員1種試験に合格して外務省に就職が決まったという男が友人と一緒に出てきました。私は小学校も中学校も高校も公立の高校に行ったのに対して加藤は当たり前みたいに甲陽学院高校という私立の高校に行き、私が浪人した時にはうちの父親から「で~んたく、でんたくう~う。電卓、でんたく、電卓、でんたく。あんたが浪人したおかげで、大学を受ける時の交通費が◇◇円、ホテル代が☆☆円、願書代が△△円、出す時の封筒代が▽▽円、切手代が◇◇円、・・・でんたく、でんたくう」と言って計算して「おまえが落ちたおかげでわしは・・円、損させられた。イッライッライッライッラ」と毎日毎日言われたものでしたが、加藤はそうではなくて、何が悪いねんて感じで浪人して東大に行き、そして東大に在学中はアルバイトなどは家庭教師とか塾の講師とかもやらず、国家公務員試験の勉強をして合格して外務省に就職したということでした。なぜ、加藤はモラトリアム人間病ではないのか!?! なぜ、私が加藤と同じことをしたらモラトリアム人間病と慶應大学の小此木啓吾先生という「エライえらいエライえら~いという先生」がおっしゃって、加藤はモラトリアム人間病だということにならないのか?!? 「民族と階級が違う」ということか。日本の外務省の役人というのは、こういう人がなっているということか。私が道路のはいつくばって50円玉を引っ張り寄せた時、私が卒業した公立高校よりもカネのかかる私立高校卒でアルバイトなんかまったくしない加藤がけっこう高いレストランから出てきた時、私の耳元ではロシア民謡の「ドビヌーシカ」の歌が鳴っていた。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
「イギリス人は利巧だから水や火などを使う。ロシア人は歌を歌う。それは仕事の歌」という「日本語訳」の歌詞がありますが、通常のロシア語での歌詞ではその訳に該当するものはないのですが、田中克彦『シベリアに独立を』(岩波現在全書)を見ると、実はその「日本語訳」の歌詞に該当するロシア語の歌詞のものも実際にあったらしい。ロシアの政治犯が入れられる収容所の中ではこの「ドビヌーシカ」の歌がよく歌われたらしい。
  「加藤は金持ちだから私立高校に行って不二家で飯を食う。私は公立高校に行って自販機の底から硬貨を拾ってメロンパンを食う♪
それだけの「民族の違い」「階級の違い」があったのだ。
「シベリアに独立を!」――諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす (岩波現代全書) - 田中 克彦
「シベリアに独立を!」――諸民族の祖国(パトリ)をとりもどす (岩波現代全書) - 田中 克彦
  日吉台学生ハイツに住んでいた井上という大阪の桃山学院高校という私立高校卒の男で慶應大商学部に行った男は、この男もまた、アルバイトなど何もしていなかった。うちの母親は私が高校3年の時、「こいつ、現役で大学に通ったら思い上がった人間になって女を泣かせよるから、な~にがなんでも落してやらんといかん。落ちろ、こいつう! 落ちろお、こいつめえ~え!」「こいつ、東大に通ったら思い上がった人間になって女を泣かせるから、な~にがなんでも落してやらんといかん。落ちろ、こいつ! こいつめ、落ちろ、落ちろ、落ちろお~お!」と言って、私が家で机に向かって座っていると服の背中側をつかんで背後にひっくり返し、ホウキなど持ってきて「こいつめえ。落ちろお。落ちろお、こいつめえ」と言って打ちすえ、洗面所にあった分電盤にブレーカーを落として私が学習していた部屋の照明がつかないようにして学習できないようにしたり、高校から帰ってくると玄関・勝手口の戸を閉め、すべての雨戸をしめてインタホンのソケットを抜いてならないようにして、入れないようにして締め出すということをおこなった。真面目に努力して現役で大学に通った人間が「思い上がった人間」で浪人した人間が「苦労を経験した謙虚な人間」だとうちの母親は言うのだったが、どう考えてもそうは思えなかった。又、「東大に通ったら思い上がった人間になって女を泣かせよる」とうちの母親は言うのだったが、それも違うように思えた。むしろ、東大の学生や出身者よりも慶應の方が「女たらしの大学」というイメージで慶應の学生や出身者の方が「女を泣かせよる」人間が多いように思えた実際、ニュース記事でも慶應大学の学生や出身者に強姦魔が多いというのは事実だし、又、私は慶應大学在学中、内部進学の人間を中心として女子大生を騙して強制猥褻行為を働く「思考が柔軟な慶應ボーイ」という連中を見ている。桃山学院高校卒の井上とその連れ2人が日吉台学生ハイツの食堂にいた時、少し離れた席で私が食事をとっていたことがあったのだが、井上とその連れが何を言っていたかというと、井上が「慶應の大学の名前さえ出せば女なんかいくらでも手に入る」とそういう口をききおったのだ。なんだ、この思い上がった男は、と思うと、連れの2人がそれに同意したのだ。井上は「今度、電車に女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して『これが眼に入らぬかあ』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」と言い、連れの2人がまたそれに同意したのだった。こういう人間こそ、「思い上がった人間」「女を泣かす傲慢な人間」と言うべきではないかと思った。そう思ったので、この男の話をうちの母親にしたのだ。ほれ、東大の学生よりも慶應の学生の方が思い上がっているでしょ、東大の学生よりも慶應の学生の方が「女を泣かす」ような人間がいるでしょ、と。そうすると、うちの母親はこう言ったのだ。「わたし、そういう人、好きッ♪ わたし、そういう人、ものすごい好き♪♪♪ わたし、そういう人、だ~い好き~い、べろべろべろべろお~お!!!」と。そう言ったのだった そして、言うのだった。「親というものは、よその息子よりも自分の息子のことを いいようにいいように思うもんやから!」と。 そのうち、日吉台学生ハイツのロビーで井上が女と一緒にいるのを見かけました。あの女が「これが眼に入らぬかあ」と慶應の学生証を目の前に押しつけて手に入れた女なのか?  そうならば、なんかしょーもない女をつかみよったなあ・・て感じがした・・が、それは「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes.)と高梨健吉著『基礎からの英語』(美誠社)にも出ていたことだし、それは別にいいのかもしれん・・が、「慶應の学生」こそ、そういう「慶應の大学の名前さえ出せば女なんかいくらでも手に入る」だの「今度、電車に女子大生が乗っていたら、慶應の学生証を出して『これが眼に入らぬかあ』と水戸黄門の印籠みたいにやってやろうか」だのという人間が多く、そういう態度のことを「思考が柔軟」とか「独立自尊」とか慶應の人間は言うのであり、そういう態度・そういう精神を「自我が確立されている」と「慶應心理学」は「診断」するのです。そういう大学の名前しかとりえがないような人間が、なぜ「自我が確立されている」なんだ、なぜ「独立自尊」なんだ・・と私は思ったのだが、それこそ、ジャン=ポール=サルトルはノーベル文学賞の受賞を辞退して「私はノーベル文学賞作家といったものによって規定されない。私は私だ」と言ったというが、その逆の態度、慶應の大学の名前以外にとりえがないのではないかというような男のことを「慶應心理学」は「独立自尊」とか「自我が確立されている」とか「診断」するが、逆だろうが・・と私は思ったのだが、うかつにこういうことを口にすると「自我が確立されていないから、だから、わざわざ無理して逆らっているということですね」とか「アイデンティティーをもていないから、そういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響だと思います」とか「思考の硬さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とか「診断」されることになります。こわい怖いこわい怖い。「心理学」はほんとお~に怖い!!!  その井上もアルバイトなんか何ひとつとしてやらなかったが、それでも「モラトリアム人間病にかかっているからアルバイトをやるのを嫌がるのだ」などとは言われなかったらしい。なんで??? やっぱり、「民族と階級の違い」なのか?
  そもそも、うちの父親は何のためにアルバイトをさせたがったのか。
1.学費と生活費が不足しているので、それを補う為なのか?
私は「年にいくら、自分で稼いでほしいというのを、それを言ってもらえないですか」と、うちの父親に言ったのだ。年にいくら、自分で用意しろと言ってもらえば、その分だけを、一番打撃が少ない所・時期にアルバイトをやって稼ぎ、又、アルバイトをして稼ぐのではなく、それまでよりも安い所に住むことによって節約してその金額を用意するということも考えられる。しかし、私がこう言っても、うちの父親は「わしは、あんたにいくら稼いでもらおうなどとは一切考えてない人間やねん。わしは神様のようなお父さんであって、おまえにいくら稼いでカネを用意せえとはまったく考えてないねん」と言い、そして「あしたからうちの工場にアルバイトに行くことに決めてきたっ!」と決めてくるのだった。
2.北野高校の同年代の人間で、アルバイトで稼いだカネで夏休み・春休みなどにヨーロッパに旅行したという人間がいた。生活費や学費を稼ぐのではなく、海外旅行をする費用を稼ぐためにアルバイトをするという人もいるが、我が家はそうではない。アルバイトをしていくらかのカネを得ると、そのカネは生活費や宿舎の費用や東京と大阪の間の交通費に使われることになる。
3.うちの父親の勤め先の工場の工場長の役割をしていた課長のMさんが私に「ここの会社に勤めたいと思う所があったら、アルバイトで行ってどんな会社か見たらええねん」と私に言ったことがあったが、それはやめた方がいいと私は思う。新卒入社ではなく中途入社の場合、アルバイトで勤めていて実績を残して正社員として採用されるというケースもあるけれども、そうではなく新卒入社で採用してもらおうとするならば、アルバイトで勤めてその会社はどんな会社か見るということをしたならば、「見る」のは応募する側が会社を見るだけではなく、採用する側もまた応募者を見ている可能性がる。「見られる」のなら正社員の立場を得てから「見られる」方がいいと思う。又、アルバイトでそこの会社に勤めたからといって卒業する時に新卒社員として採用してもらえるとは限らない。アルバイトで行っていい会社だと思って応募しても新卒社員としては不採用にされる可能性もある。むしろ、しょーもないアルバイトなんかするよりも、その時間に勉強していくらかなりともいい成績をとるようにするか、あるいは英語検定1級を取得するとか、今ならばTOEIC・TOEIFL の試験で高得点を取るようにするとか、ドイツ語検定・フランス語検定で何級か取得するとか、最近はパソコンができるかというのを見られることがあるので、ワード・エクセルなどで2級以上を取得しておくとか、しょーもないアルバイトなんかやる時間があるなら、そういう資格でも取得するようにした方が採用される可能性は大きくなるのではないか。あるいは、私はスポーツは嫌いではないが、体育会の人間が言う「体育会の人間は根性がある」とかいう主張というのは好きではないのだが、どうも、日本の企業というのはスポーツする人間というのをプラスの評価をするようなところがあるので、何か「スポーツをやっていました」という実績を作っておいた方が採用されやすいということもあるように思うのだ。「いいと思う会社にアルバイトに行って見てまわる」ということをしても、そこで採用してもらえるとは決まっていない。むしろ、そこで採用されやすい条件を用意するようにした方がいいのではないか。
4.女性社員が多い職場とか、アルバイトで女子大生・女子高生が多く来る職場にアルバイトに行って「彼女」を見つけようということでアルバイトをする人というのが大学生にはいるらしい。高校卒業した頃の私はそういうのは邪道だと思っていたし、そのような不純な人間は大学に行くべきではないと思っていたのだったが、しかし、今はそうでもないように思っている。まず、現実に今の日本の社会というのは、「後先考えずに性交やってできちゃった婚やった人間」が得するように得するようにできている。そういう現実を知ると、大学は学問をする所だと精進しても、損するだけみたいな気もするのだ。そうかどうかはさておき、女性社員が多い職場とか女子大生・女子高生がアルバイトによく来る職場にアルバイトに行って「彼女」を見つけたいという人間は現実にいる。しかし、我が家の場合はそうではない。うちの父親は自分の勤め先の工場にアルバイトに行かせた、私に「うちの工場でアルバイトに雇ってもらうこともできるけれども、行くか?」と尋ねるのではなく、「あんた、あしたからうちの工場に行くことに決めてきたっ!」と言って「決めてくる」のだったが、その上で、「うちの工場にいるような中学校しか出てないようなああいう女の子はやめときやあ」などと言うのだった。そういう女の子と仲良くなったらいいと思って、そういう人がいる所にアルバイトに行かせるというのなら、わかる。そういう女の子はよくないと思うから、そういう人のいる職場にはアルバイトには行かさないというのなら、それも、わかる。しかし、そういう所に行かせておいて「うちの工場にいるような中学校しか出てないようなああいう女の子はやめときやあ」とは、それはいったいどういうことなんだ?!?  私が親ならばそんなことはしない。私が親ならば、そういう職場で、もしも、誰かと仲良くなって、それから「そういう女の子は良くないから」などと言い出すというのは、そんなかわいそうなことは親としてできないし、するべきではないと考える・・がうちの親はそう考えなかった。何なの、それ・・という父親だった。
5.毛沢東は若い人に肉体労働の経験を勧めたという。若い頃に、家庭教師とか塾の講師とかではないアルバイトを経験するというのは、それは人生にとって有益なものを学べるということで、人生経験としてアルバイトをやろうという人がいる。
毛沢東の家庭は蒋介石のような財閥ではないが、特別に貧乏な家庭だったわけでもなかったが、父親が米の売買をやっている商人で毛沢東が学校に行くのを拒否したことから親子間で争いが生じたらしいが、そのあたりは我が家と似たところがある。
毛沢東 (1967年) (角川文庫) - ロバート・ペイン, 宇野 輝雄
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それはそれとして、毛沢東は若い人に肉体労働の経験を勧めたらしいが、日本の大学生でも、そういう経験をしてみたいということで「体を動かすような仕事」をアルバイトでやろうという人というのはいる。それは本人が経験してみようと思ってやるのならやって悪いことはないだろうけれども、大学生が学業を犠牲にしてまでやるものでもないように思う。
  慶應大学のステューデントカウンセラーズにいたO川は、東京の私立高校卒で慶應大経済学部に入学した男だったが、お父さんも慶應大卒だったかで、大学生の間に何かひとつ、家庭教師とか塾の講師とかではない仕事をアルバイトとして経験しておいた方がいいと息子にアドバイスしていたらしい。それで、本人が何をやろうかと言っていたが、結局、卒業するまで何もやらずに卒業したようだった。
  実際問題として、私が親ならば、息子が大学に入学したならば、最初の春休みは入学の手続きなどであわただしくて1年の前期はあっという間にすぎるし、大学入試を終えた後は気持ちの上で疲れてもいるだろうから最初の年の夏休みくらいはゆっくりと過ごさせてやりたい。又、旧帝大系国立大学くらいに入学したか目指したかというくらいの人間なら大学入試を終えるまでに英語の学習もある程度やってきているだろうから、その勢いが衰えないうちに英語検定試験なりTOEIFL・TOEIC の試験を受けて英語検定1級を取得できればいいが、取得できない場合でも準1級、それも無理でも2級は取得するようにした方がいい。その為には最初の夏休みというのがチャンスだと思う。大学というものは4年間のもので最初の2年間は教養課程で後半の2年が専門課程なのだと高校生の時は思っていたが、実際には4年を卒業後に大学院に進学するのではなく就職する場合には学ぶ期間は基本的には3年までで4年は就職活動の方が中心になってくる。経済学部や商学部でゼミに入るには2年の終わりにはゼミの試験を受けたりすることになるし、その為には2年の夏休みにはその為の対策も考えないといけないことになる。就職時に普通自動車第一種免許を持っている方が有利だということを考えると、小学校・中学校は夏休みは長くても冬休みと春休みは短いが大学の場合は冬休みは短くて夏休みと春休みが長いので、夏休みか春休みのどちらかで自動車教習所の学科教習に行って、実技教習は休み期間に進められればよし、取得できなければ残った分を授業がある期間に終えるとして、その集中して学科教習を受けるのはいつかというと1年から2年になる春休みくらいしか考えられない。・・こういったことを考えると、たとえば、学校の先生とか司法試験に合格して裁判官とか検察官とかになる人とか、国家公務員1種試験合格で国家公務員になる人とか、そういった人は就職してから他の仕事を経験する機会がなかなかないので、大学を卒業するまでに家庭教師とか塾の講師とかではない仕事を何か1つアルバイトとして経験しておくなら、それは有意義な経験になるのではないかと思うのだが、他方で、箱根の保養所で泊まり込みでの「雑務」、要するに下男の仕事をやった時に来ていた玉川大の学生が言っていたことだが、前にマクドナルドでアルバイトをやった時に東大の学生がアルバイトに来たことがあり、大学生のアルバイトのリーダーのような立場だった人間がその東大生を苛めてしかたがなかったが、「なんで、東大の学生がこんな所に来るんだよお」と頭に来ていたということだった。実際、私立五流大学の学生でアルバイトに来ている人間から「なんで、こんな所にアルバイトに来るんだよお」と思われるような所に、別にアルバイトに行かなくてもいいのではないのか・・とも思える。
  それを私だけは、うちの父親が「下の仕事を長くすればするほどええんや」などと意味不明なことを言って「下の仕事」ばっかりさせようとした。その「下の仕事を長くやればやるほどええんや」という文句は、会社で自分はもっと上の仕事ができるのにと不満に感じている従業員をなだめる、もしくは、はぐらかす時の文句だと思うが、それをうちの父親はよその息子には言わずに私にだけ言うのだった。そういう男だった( 一一)  実際、私は、行った先、行った先で「なんで、慶應の学生がこんな所にアルバイトに来るのお」「なんで、北野高校の卒業生がこんなアルバイトなんかするのお」と言われまくったが、実際、なんで俺だけこんなことさせられなければならないのか、と思った。夏目漱石『門』では親の財産がなくなり、学資を出してくれていたのか親の財産を預かっていたのかの叔父がもう出せないと言い出したことから学業をやめなければならない可能性がでてきた小六が、家の大掃除を手伝いながらも、なぜ自分だけがこんなことをしなければならないんだと思うという場面があるが、私も同様の気持ちになった。なぜ、私だけがこんなことしなければならないんだ、なぜ私だけがこんなことさせられなければならないんだと何度も思った。
門 (岩波文庫) - 夏目 漱石
門 (岩波文庫) - 夏目 漱石
ところが、私だけが、それを嫌がると「モラトリアム人間病にかかっているからアルバイトを嫌がるということだ。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いえら~いという先生がそうおっしゃってる」と言われるのだった。そもそも、慶應内部進学小此木啓吾は自分が慶應大学医学部の学生だった時に私みたいにアルバイト漬けの生活を送っていたのか・・というと、そんなわけないだろうが。慶應内部進学・幼稚舎から慶應・揺り籠から墓場まで慶應の小此木啓吾が私みたいなアルバイト漬け生活なんてやっていたわけないだろうが。それなら、なんで、小此木啓吾はモラトリアム人間病ではないのか? アルバイト漬けにされていた私がモラトリアム人間病だと小此木啓吾から言われて、なんで、内部進学小此木啓吾はモラトリアム人間病ではないのだ? それは内部進学だからだ。それは特権階級だからだ。まさに「民族が違う」「階級が違う」というものだった。


  そして、うちの父親は私に言うのだった。「おまえ、キャディーやれ、キャディー。アルバイトでゴルフ場のキャディーやれ」と。うちの父親の親友の医者屋のM川はドバカ息子を「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして貯め込んだカネで私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢していたが、M川のドバカ息子は小学校から高校までちっとも勉強しないで、それでも父親が「患者」を薬漬けにして苦しめて得たカネで私立金権関西医大に裏口入学させてもらえて、そして、父親と一緒にゴルフショップに行って、やはり、父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやって貯め込んだカネでゴルフ道具を買ってもらい、やはり、薬漬け・検査漬け・毒盛りやったカネで私立関西医大に在学中からゴルフやって遊んでおったらしいのだが、そういう男のゴルフバッグを私にかつげえ! と、うちの父親はそう言うのだった。
  「なんで、私がキャディーみたいなもの、させられなければならないのですか」と言ったのだ。実際、そうだろ。なんで、ガチンコの人間が八百長裏口医者屋野郎のゴルフバッグをかつがされなければならないんだ。
  ところが、こう言うと、うちの父親はこう言ったのだ。「おまえのようにアルバイトでキャディーをやるのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。慶應大学医学部の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~いえら~いという先生がそうおっしゃってる。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはチャンコロろすけ! のぼせあがっとったりかんぞ、のぼせあがっとったらこのイタコ浪商!」と言うのだった。「なんで、裏口入学した人のゴルフバッグを私がかつがされなければならないのですか」と言うと、「そやから、裏口入学なさったお方のゴルフバッグをおまえがかつげ! とそう言うておるんじゃ、わからんのか、このチャンコロ!」と言うのだった。
  さらに「裏口入学なさったお方の爪の垢を飲みなさい」と言うのだ。「なんで、裏口入学した人がエライのですか?」と私は言ったのだ。なぜ、ガチンコの人間が八百長裏口医者屋野郎の爪の垢を飲まされなければならないんだ。「わからんかあ。おまえはそんなことすらもわからんカスカス人間なんかあ!」とうちの父親は言うのだった。「よくわかりませんねえ。頭が悪いからなんか、なんで、裏口入学なんてした人がえらいのか、私はよくわかりません」と言ったところ、うちの父親が言うのは「わからんのか、このカス人間めが、このチャンコロろすけ! 裏口入学ということは、思考が柔軟やということなんじゃ。わかったか、このチャンコロ浪商!」と言うのだ。
  「なんで、思考が柔軟なら私立金権関西医大なんてどこの馬の骨かわからんような所に『患者』を薬漬けにして苦しめたカネで裏口入学なんて汚らわしいことやって入学しなければなりませんのん。そんなに思考が柔軟なら、その柔軟な思考力を活かして京大医学部でも東大理科三類でも実力で現役で通って行ったらいいのと違いますのん? なんで、そんなに思考が柔軟なお方が私立金権関西医大なんて所に裏口入学なんてなさるんですか?」とこう言ったのだ。
  そうすると、うちの父親は「そういうことを言うあたりが、おまえは思考が硬いちゅうことなんじゃ。その点、M川先生とかM川先生の息子さんとかは思考が柔軟なお方なもんじゃから、そやから関西医大裏口入学なんじゃ。どうじゃ、わかったかチャンコロ!  裏口入学なさったお方の爪の垢を飲んで、裏口入学なさったお方のゴルフバッグをありがたくかつがせてもらえ! このチャンコロ。とってちってたあ~あ!」と言うのだった。
  なぜ、医者屋の息子は私立金権関西医大などという所に「患者」を薬漬けにして苦しめて得たカネで新品のゴルフバッグやゴルフ道具を買って、ガチンコの人間にキャディーさせてゴルフバッグをかつがせてゴルフやって遊ぶ権利があるんだ!?!・・と思ったが、こういうことを言うと「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということなんじゃ。治療してやらんといかん」と言われる危険が大きい。そうなると、「ロボトミーやったるべきや、ロボトミー♪ 電気ショックやったるべきや、電気ショック♪」と言われることになる。
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夜と霧 新版 - ヴィクトール・E・フランクル, 池田香代子
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  「なんで、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきた私が、八百長裏口医者屋野郎のゴルフバッグをかつがされなければならんのですか。裏口の人間がゴルフやって遊ぶためのゴルフバッグをかつぐキャディーみたいな汚らわしい仕事を私がさせられなければならんのですか」と言ったのだが、そうすると、「甘ったれるなあ! のぼせあがるなチャンコロろすけ! そやからやなあ、裏口入学なさったお方のゴルフバッグをキャディーやってかつがせてもらえと、こう言うてやあってやって、やってやってやってやってやってあげてやってやったっとんのんじゃ。感謝しろチャンコロ!!!」と言うのだった。
  ・・・そのキャディーのアルバイトという話はどこから出てきたのか、想像すると、私のイトコで報徳学園のラグビー部から専修大学のラグビー部にスポーツ入学で行った男がいて、どうも、うちの叔父(母の弟)が悪影響を及ぼして自分の息子以外にまでラグビーにさせてしまったらしかったが、その男がキャディーのアルバイトをしたということをうちの母親が聞いたらしかったが、うちの父親はそれを聞いて、それで、『お~ま~え~もお、キャディーのアルバイトをやって裏口入学なさったお方のゴルフバッグをかつげチャンコロろすけイタコ!」と言うようになったらしかった。
  実際のところ、アルバイトの場合は正社員よりも難しく考えないで採用されることがあるが、だからといってアルバイトなら間違いなく採用してもらえるというものでもない。うちのイトコの場合は専修大学のラグビー部にいたので、それで体育会でそういう体育系のアルバイトの口が来たらしかったが、そうでなければ、キャディーやりたいと思ったとしても必ず採用されるとは限らない。私が親ならばそのあたりを考えるし、そもそも、やらなくていいよ、キャディーのアルバイトなんて。むしろ、旧帝大系国立大学か早慶あたりに行ったなら、家庭教師か塾の講師とかのアルバイトに採用してもらえる可能性があるし、逆に専修大学ラグビー部では誰も家庭教師や塾の講師に雇ったりはしない。
「裏口入学なさったお方のゴルフバッグをかつげ! と言うておるんじゃ、このチャンコロろすけめがこのイタコ!」と言うのだったが、なんで、ガチンコの人間が八百長裏口医者屋野郎のゴルフバッグをかつがされなければならないんだ。
「起て! 奴隷となるな、我が人民。
我らの血肉で築こう、新たなる万里の長城を」

 (中華人民共和国 国家「起来(チーライ)」)
※《YouTube-中国国歌》https://www.youtube.com/watch?v=PoebTDqEByg
  たとえ、ロボトミーされようが電気ショックされようが、裏口八百長医者屋野郎のゴルフバッグなんてかつがされてたまるか!
ガチンコの人間に八百長裏口医者屋野郎が「患者」を薬漬けにして得たカネで遊ぶためのゴルフバッグなんかかついでなるものか!
ゴルフほど不潔な遊興はない。キャディーなどという不潔な職業などさせられてなるものか。キャディーはおのれの人間としての尊厳をドブに捨てる仕事である。そのようなものは首をもがれてもするべきではない。そのような不潔な仕事はロボトミーされようが電気ショックされようが、絶対にしてはならない。
  そういうことをさせようというのがうちの父親であった。ガチンコの人間に八百長裏口医者屋野郎が親が「患者」に薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでゴルフ道具を買い、その不潔なカネでゴルフやって遊ぶ時に召使となってゴルフバッグをかつぐキャディーという人間としての尊厳をドブに捨てる仕事をやれと私に言ったのが、それがうちの父親だった。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(結婚して、寺地礼子。その後、離婚したかどうかは、それは知らん)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言い、そして「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」「あなたのお父さんのようないいお父さんがいたらうらやましいわよ」とそこまで言った。それならば、旧姓作野礼子もまた、「うらやましい」と言うのだから、八百長裏口野郎のゴルフバッグをかついだらどうなんだ。かつげ、旧姓作野礼子! 八百長裏口人間が「患者」を薬漬け・毒盛りして得たカネでゴルフやって遊ぶ時のキャディーやってゴルフバッグをかつげ、旧姓作野礼子! 私にばかりさせようとせず、旧姓作野礼子が自分がやれ。八百長裏口人間が遊ぶ時のゴルフバッグをかつげ、旧姓作野礼子!!!  八百長裏口野郎のゴルフバッグをかつがされた上で「どうも、ありがとうございます」と言え、旧姓作野礼子!!!


  医者屋のM川はドバカ息子を私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学させたということを自慢にしていたが、普通、裏口入学て、たとえ、やるにしても、やったにしても、そういうのは「こそっと」「恥ずかしそうに」やるものではないのかと思うのだが、自慢にしていたのだ。
  そのドバカ息子は私立金権関西医大に裏口入学したと思ったら、うちの父親はガチンコの私にアルバイト漬けにしたのだったが、私とは逆で、入学後も父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでゴルフ道具を買い、父親が薬漬け・検査漬け・毒盛りで得たカネでゴルフやって遊んでいたのだった。そういうのを「思考が柔軟」と医者屋のM川は言うのだった。
  医者屋のM川はそれを自慢にしていたが、息子の方は必ずしもそうでもなかったようで、「うちの息子はわしのことを『あんた』言いますねん」と言って、それも自慢にしていたのだが、息子としては「『あんた』の息子に産まれなかったら自分も、裏口の人生ではなく、もう少しまともな人生を送れたのではないか。『あんた』の息子でなかったらなあ」と思っていた、のかもしれない。わからないが、その可能性はあると私は思っている。

  M川は息子を「灘高校卒」と言ったので、それで私は最初、「ははあん、関西医大だけではなくてそれも裏口やな」と思ったのだったが、裏口か否かにかかわらず「灘高校卒」というのは嘘だろうとそのうち思うようになった。灘高校卒の人に聞いた話なのだが、灘高校というのは、最近は私立受験校として東大や国立大医学部に多くの合格者を出す高校になったけれども、私立なので、毎年、「この人は裏口やな」て感じの人があるらしい。そういう人はわかるというのだ。その類ではないのか・・と思った。私が聞いた灘高校卒の人が言うには、灘高校は中学校からと高校からと採っていたが、中学校から入った人間には、その年代の人間にとっては6年間というのは長いので、その間に遊んでしまって成績が低下する人がいるけれども、高校から入った人間にはそういう人はあまりなくて、高校から入った正規入学の人は、たとえ一時的に成績が低下することがあっても、また戻るというのだ。北野高校に入学した後、うちの父親の昔からの知り合いで大阪府立の高校の教諭をやっていた人にうちの父親が話を聞いたらしいのだが、その人が言った話では、入学時の成績が大事で、入学時に比較的いい成績で入学した生徒は一時的に成績が低下することがあっても、また戻ることが多いというのだ。YouTube に最近、出していた人で、灘中学校に入学したけれども、入学直後に成績が悪くなってしまって、その結果として、大学はどうしたかというと、1浪で東大の文科三類に合格して行ったということだった。だから、裏口入学で入ったのではなく一般入試に合格して入った場合には、中学校から入った人には中には遊んでしまって、あまりいい大学に行けなかったという人もいることはいるらしいが、一般には、本人が行きたいと思った所に行けたかどうかはさておき、一般入試で合格して入った人間はある程度の所には一般入試に合格して行けることが多いのに対して、M川のドバカ息子は、灘高校から2年浪人して、その上で、私立金権関西医大に裏口入学した、というのは、それは灘高校卒だというのは関西医大に裏口入学であるだけではなく、灘高校もまた裏口入学なのだろう・・と私は最初は思ったのだった。
  しかし、そのうち、そうではないのではないか、と思うようになった。なぜかというと、裏口入学というのは、それは、大阪桐蔭高校とか佐野日大高校とかは進学コースとスポーツコースとそれ以外コースと分けて募集しているらしいが、灘中学校というのは「一般入試」コースと別に「裏口入学コース」として募集しているわけではないので、もしも、一般入試で入学する場合に支払う金額よりもいくらか高い金額を出してもいいから息子を入れてほしいと、たとえ、思ったとしても、そういうコネクションがなければ受け付けてもらえないはずなのだ。そうなると、関西医大の方はM川は「医者」であり、勤め先の「病院」のつながりがあったという可能性が考えられるかもしれないし、M川自身が関西医大卒の可能性もある。そのあたりから、関西医大にコネクションがあったかもしれないが、灘中学校・灘高校というのは神戸市の灘地方の造り酒屋が集まって作った学校というのが発祥で、最近は国立大学の医学部に比較的多くの合格者を出しているかもしれないが、それは私立医大にコネクションで入っているのではなく国立大に一般入試で入っているのであり、「医者」とコネクションがある学校ということでもないはずだ。
  2年、浪人していた間についても、「東京の駿台の予備校に行っていた」とM川は言っていたがそれも嘘くさい。もしかすると、あまり評価が高くない私立大学、関関同立より下に大学の工学部・理工学部あたりに入学したが、入学後に医学部に行きたいと言い出したものの正規のルートで国公立の大学の医学部には入れないので、それでM川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネでコネクションがある私立金権関西医大に裏口入学に入れた・・とか、そんなところであって、「東京の駿台予備校に2年行っていた」という話は嘘の可能性の方が大きそうだ。
  そもそも、M川は「陸士と海兵と両方通った」などとうちの父親に言ったらしく、それを聞いて「M川先生は陸士と海兵と両方通ったんやてえ。えらいなあ、ものごっついえらいなあ」などと言って感心していたのだが、M川は「終戦」だか「敗戦」だかの時に学徒動員で戦地に行っていた「終戦」「敗戦」の時に大学生だったうちの父親よりも5歳以上若いはずで、「終戦」「敗戦」よりも前に海軍兵学校は募集をやめていたという話は内田康夫『江田島殺人事件』にも出ているが、M川が大学を受ける時点においては陸軍士官学校(陸士)・海軍兵学校(海兵)というのはすでに募集をやめていたはずなのだ。年数を計算すると話がおかしいのだ。私は「終戦」「敗戦」の頃はまだ産まれていなかった人間で陸軍士官学校とか海軍兵学校とかについてよく知らない人間だが、うちの父親はその時代に生きていたはずなのに、何を簡単にだまされているんだ。それ以上に、私は2浪もしてしまって実感したのだが、実際問題として「行きもしない所に通っても落ちても関係ないだろうが」と思うのだ。松島みどりさんが『東大入試合格作戦』(エール社)に「私は早稲田大学に落ちた時、何が何でも東大に通ってこの早稲田大学を軽蔑してやるんだと心に誓った」などと書いていたそうで、私なんかが『▽▽合格作戦』とかいう本に何を書いたとしても特にどうってことないのだが議員とか大臣とかになる人の場合はうかつなことを書くと何十年も後になって「フライデー」に引用されて、「この女、嫌なやつやな」という調子で書かれることになる・・が、松島みどりさんにしても東大に合格できたならば早稲田大に通ったか落ちたかなんてことは「どうでもいいこと」だったはずだ。実際のところ、東大など旧帝大系国立大学に通った人で早稲田大に落ちたという人はけっこういるようだが、私は「京大に通って同志社に落ちた」とか「京大に通って慶應に落ちた」とか「慶應に通って関学に落ちた」とかいった人を何人か知っているが、本命に合格することができれば本命でない所を落ちたとしても「たいした問題ではない」のだ。むしろ、「ID野球 弱者の戦術」としての「戦力の集中」としては本命でない所に力を注いで本命の対策がおろそかになるというのは作戦として適切ではないくらいだ。「陸士と海兵の両方に通った」などと言われても「行かなかった所に通っても落ちても関係ないでしょ」てものだし、口で言うだけならいくらでも言えるのであり、世の中、学歴を詐称している人はゴマンといるし、又、実際には落ちたものを「通った、通った」と言う人もいっぱいいるし、受けてもいない所を「通った」と言う人もいる。そもそも、うちの父親自身が私に「わしは慶應を受けていたら絶対に通りました。慶應に行きたかったんやけども家が貧乏やったから受けさせてもらえんかってん」などと私に何度も何度も言いまくっていたのだったが実際は「受けたけれども落ちたから行かせてもらえんかった」くせして何を言うてんのん、とうちの父親の近所に住んでいたといううちの母親が言っていたのだったが、自分がそれをやってるくせして、M川のやってるからくりを読めんのか。「なんであの人の家が貧乏やの。結婚した頃は戦争でだめになっていたけれども、あの人のお父さん、船場の商社で出世して新聞の一面に出るような人だったんじゃないの。あの人の家て、家に女中さんがいる家だったでしょうが。あの人、毎日、女中さんに送り迎えしてもらっていた人でしょうが。貧乏なわけないでしょうよ。同志社だって裏口でしょうが。何を勝手なこと言ってんのん」と言うのだった。自分がやってることと同様のことをM川がやっている、ということがわからん人間だったようだ( 一一) 
  さらに、M川は「柔道三段、剣道三段」とも言っていたが、そうであってもなくても、「だから、何やねん」てものだ。まず、剣道やっていた人から聞いた話だが、剣道は初段までは比較的取りやすいらしいが二段から上はなかなか難しいというのだ。それから、小堀住研(株)にいた時に千葉県警に勤めていた警察官の人に契約してもらったことがあるのだが、その時に「警察官の人って剣道とか柔道とか強いんでしょ」と言うと、「そんなことないです。一応、剣道と柔道で初段を持っていますけれども、仕事が忙しくて剣道とか柔道とかの練習をやる時間があまり取れないんです。国体とかに出ているような人は強いですけれども、私なんかは強くないです」と言われたのだった。学校という所に行っている時と会社という所に勤めた時とでは事情が違い、会社という所に勤めてみると、その仕事に関係がある資格、特に会社や上役からこの資格を取ってくれと言われた資格を取得するというのは比較的取りやすいのだが、その会社のその仕事と関係がない資格を取るというのは、仕事と関係がない資格を取るための学習時間はなかなか取れないので取得しにくい。スポーツの資格というのは、日本の会社というのは、どうも、スポーツマンをプラスに評価するようなところがあるので、「スポーツをやっている」ということにするとプラスの評価を受けるというところから、まだしもやりやすい面があるかもしれないが、それにしても剣道三段・柔道三段なんて取るのは相当大変なはずだ。私だって段までいかなくても、剣道でもやりたいと思ったことはあるのだが、できたのは自宅で健康増進を兼ねて木刀を振るくらいのことで、そういう道場に通うとかの時間は取れずに今日に至っている。剣道三段・柔道三段なんて簡単に取れるものではない。剣道・柔道の段という資格が仕事に関係する職業としては警察官なんてのは関係あるかと思ったが、実際に警察官をやっている人に聞いた話では、人にもよるかもしれませんが警察官だってけっこう仕事が忙しくて剣道や柔道の練習をやる時間をなかなか取れないというのです。ましてや、医者屋やっている人間が、剣道三段・柔道三段まで取得できたとすると、それは、いったいどれだけ医者屋の仕事を真面目にやっていなかったかと言っているようなものであり、自慢になるものではないはずなのです。
  私は高校生や高校卒業してすぐの頃はこういうことがよくわかっていなかったが、その後、何度か痛い目にあって、又、会社に勤めて「妖怪変化」やら「宇宙人」やらと関わらされて、会社には資格や学歴を詐称する人なんていっぱいいるし、又、実際に合格するための努力はしないが詐称する技術については涙ぐましい努力をする人とか現実にいるということを知ったのだが、うちの父親は「わしは世の中のことは何でも何でも知ってる人間」「わしは百戦錬磨」とか何とかかんとか言いまくりながら、何もわかってない。何なんだ、このおっさんは( 一一) と思いました。1991年だったと思うが、テレビのニュースでワシントン条約で輸入が禁止されている熱帯魚を密輸していた人が捕まったというニュースが出ていたのですが、密輸する為にものすごい努力と工夫をしているのです。コメンテーターの筑紫哲也が「これだけ、ものすごい努力をして密輸するなら、その努力でこの魚を養殖する技術を開発したらどうかと思いますけれどもね」と言っていたのだが、私もそう思った。それと似たことなのだが、会社という所に勤めると、それほどたいしたことない資格を持っていないのに持っているということに詐称するために涙ぐましい努力をする人というのがいるのです。そこまでものすごい努力と工夫をするのなら、その努力と工夫でその資格の勉強をして通ってみせればいいのではないのか。持っていないものを持っているとそこまでものすごい工夫をして詐称するくらいなら、それほど特別難易度が高い資格でもないのだから、受けて通るための努力をした方がいいのではないのか、と思えるのだけれども、通るための努力をするのは嫌だが持ってもいない資格を持ってるということにするための努力というのは涙ぐましい努力をするという人というのが現実にいるのです。ワシントン条約で輸入を禁止されている熱帯魚を養殖する技術を開発する努力をするのは嫌だけれども密輸する技術を開発するにはものすごい努力をする人みたいだと思いませんか。そういう人というのが会社という所には現実にいるのです。
  人間は嘘をつく時に、完全に嘘をついているつもりで、どこかに本当のこととつながりがある嘘をつくことがある。M川のドバカ息子は私立の中学校・高校に裏口入学して行って、大学も関西医大に裏口入学で行ったが、中学校・高校については「灘高校」というのはM川の願望もしくは妄想であって、実際はそうではない私立の中学校・高校ではないのか。その可能性が高そうに思えた。
  それはどこだろうか。大阪府にある私立高校として、関西大倉高校とか、今は早稲田大と提携して早稲田大学摂稜高校になった、その頃はまだ提携していなかった摂稜高校とか、思い浮かべたが、どうもしっくりこない。どこだろうか、と長年、疑問に思ってきたのだが、最近になって、大阪医大のホームページに高槻中学校・高槻高校という私立の中学校・高校がリンクされているのを見て、これかな・・と思った。その可能性はありそうに思う。元野球選手の愛甲の出身校の横浜高校というのは名前からすると公立みたいだが私立だというのと同じく、高槻高校というのは名前からすると公立みたいな名前だが私立の学校だ。1970年代、私が中学生の頃、大阪府では学区が設定されて大阪府立の高校は居住地の学区の高校ならどこでも受けることができるという制度だったが、高槻市だけは「高槻方式」と言って高槻市内の中学校からは高槻市内の三島高校・島上高校に進学するように中学校で指導するということをしていると聞いた。どこに行こうが行くのは本人で中学校の先生が決めるのはおかしいのではないかと思ったが、高槻市の市長に共産党の人がなったことから、公立高校に進学校というものがあるのはよくない。誰もが同じ高校に行くべきだという考えから高槻市内の中学校の卒業生は高槻市内の公立高校である三島高校・島上高校に進学するように「指導」するということをしたらしい。今では三島高校と島上高校が合併して槻の木高校になったらしい。その時、高槻市にある高校というのは三島高校と島上高校だというが高槻高校というのはないのか・・と思ったものだったが、高槻高校というのは大阪府立ではなくて私立の高校で高槻高校があったのだ。北野高校に入学した後、高槻中学校卒で北野高校に入学してきていた者がいたので、私なんかは「へ~え、そんな学校があるのお」と思っただけで、灘中学校・灘高校はあるのを知っていたが高槻中学校・高槻高校なんて知らなかったのだが、私などは「国公立派」(特に理由がなければ、学費が安い公立・国立の学校に行けばいいじゃないかという考え方の人間)であるのに対して、「私立派」(慶應の教授(多くは内部進学)みたいに「私学だってことは『いい』ってことじゃないか。こんな常識もわからんのか」という人)の人間も世の中にはおり、北野高校に入学してきた人間でも私立の中学校というのは公立の中学校よりもいいと思っている人間がいて、「◇◇は高槻中学校だぞお」と言ってあがめる男がいて、それで私なんかは正直な人間だったので「高槻中学校て何?」と言ったところ、「おまえ、高槻中学校を知らんのか」と怒られたが、知らんので正直に「知らん」と言ったということがあったが、私の感覚では「行きたい人は行ってもいいけれども、たいした学校でもない」し、「わざわざ公立より高い学費を払って、通学に時間がかかる場所にあるのに、行く値打ちがあるとは思えない学校」だったのだが、「ともかく、私立の学校はいい」とか「ともかく、人と違う所に行くのがいい」という思想の人がいたわけで、そういう人の息子が行く学校だったようだが、どうも、大阪医大と関係がある私立中学校・私立高校らしい。あれと違うか? それならば、M川は「医者」つながりで、何らかのコネクションがあった可能性は考えられるし、又、裏口入学でも高槻中学校は灘中学校よりも裏口入学の難易度は低そうだ。
  裏口入学にも「難易度」があるようで、江川だって慶應大学に入りたかったけれども入れてもらえなかった、ということがあるように、慶應は大学については裏口入学の「難易度」がけっこう高いみたい。今となっては十年以上前だが「朝日新聞」に掲載されていた話だが、代議士秘書の話として、「慶應大学に息子を裏口入学させたい」と後援会会長から頼まれた。代議士秘書をやって何が嫌といって裏口入学の世話を頼まれることほど嫌なものはない。しかし、後援会会長の頼みとなるとむげに断ることもできない。しかたなしに、慶應大学の学生部長に相談してみたら「親の顔が見たい」と言われた。「親の顔が見たい」という言葉には2通りの意味がある。どちらの意味か。実物を見せることにした。学生部長は親(後援会会長)と会って「有力教授を紹介するから、今年は無理なので、1年間、浪人して、その教授に家庭教師をしてもらったということにして1000万円払ってください。そうすれば来年、入学することができるでしょう」と言われた。後援会会長には「教授に1000万円、払うだけではだめですよ。話を通してくださった学生部長さんにも同じだけ払ってくださいよ」と話した・・が、1年後にバカ息子が入学した後、「学生部長さんにも払ってもらえましたか」ときくと、「それは、もったいないのでやめました。そのカネで息子を海外旅行にでも行かせてやることにしました」とそう言われた。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」とはこのことか。いったい、人がどれだけ、嫌な思いをして頼んだと思ってるんだ・・とその代議士秘書は書いていた・・が、裏口入学にも難易度があるみたいで、慶應は大学についてはけっこう難易度が高いみたいだ。
  同様に、M川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権関西医大に入れたドバカ息子が灘高校卒だと称していたというのも、私は最初はそれも裏口だろうと思ったが、実際は裏口入学は裏口入学でも「灘中学校裏口入学」ではなくて、「M川にとっては息子を灘中学校に裏口入学で入れるというのは『裏口入学の難易度が高かった』のかコネクションがなかったのかで、できれば『裏口入学で灘中学校に入れる』ということをしたかったができないので、それより裏口入学の難易度が低い高槻中学校に裏口入学でドバカ息子を入れた」という、そんなところではないか。 高槻中学校なら灘中学校よりは難易度が低い・・というより一般入試の難易度からしてそんなに高くない学校だし、「医者」つながりで入れたのではないか。しかし、M川としては高槻中学校に「裏口入学で入れる」のではなく灘中学校に「裏口入学で入れたかった」のだろう。そういう夢を持っていたのではないか。だから、私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやって得たカネで裏口入学させた後になっても、「うちの息子は灘高校から裏口入学で関西医大じゃ。思考が柔軟なもんじゃから裏口入学なんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」とか何度も何度も言うようになった・・て、そんなところではないか。
  断っておくけれども、これはあくまでも「ぴったしカンカン」での想像であり、裏はとってないからね。でも、「そんなところ」だと思うよ。私は人生で何度も痛い目に合わされてきて、その結果、この人は実際はこんなところかな・・と推測できる能力を身に着けた。しかし、その推測が正しいのかどうか、裏を取ることをしようとすると、それにはけっこう労力もかかることで、そこまでやる気にはなれない。だから、その推測が正しいかどうかはわからないが、たとえ、そうではなかったとしても、その推測は実質的には違っていない。M川のドバカ息子は高校を卒業してから私立金権関西医大に裏口入学するまで、2年間、浪人の期間があったらしいが、「東京の駿台の予備校に2年間、行っていた」というのは嘘だと思うが、M川はそういうことにしたいらしいというのは本当だ。実際はそれより評価が低いことをやっていたのだろう。中学校・高校はというと、私立の学校に裏口入学だろうけれども、灘高校というのは嘘で、それより評価が低い私立の学校だろう。大阪府で考えられるところとしては、高槻中学校・高槻高校あたりが思い浮かぶが、そこでなかったとしても「そんな感じのところ」だろう。
  M川という男は「その程度の人間」なのだが、それを「専門家の先生」といったい何の専門家なのかと思われるようなことを言ってうちの父親は崇拝していたのだ。「神さまのような人」とか、なんとかかんとか言っていたが、それだけ、マインドコントロールを受けていたということだ。
  うちの父親は、その「M川先生」といったいどこで知り合って「親友」になったのかというと、大阪市北区の扇町のあたりに北野病院https://www.kitano-hp.or.jp/ という不良病院があるが〔「公益財団法人 田附興風会 医学研究所北野病院」と言うらしい。うかつにかかると「医学研究」されそうですね。お~こわ・・〕、そこの院長だか副院長だかに田附というろくでもない男がおり、それが紹介したらしい。北野病院とはどういう関係だったのかというと、どうも、うちの父親の勤め先の会社が健康診断とかを従業員に実施する際に頼んでいた病院みたいで、普段の診療は近くの開業医に頼んでいたようだったが、開業医ではなく病院である必要がある時に北野病院に頼んでいたらしく、そこで「M川教の教祖」を紹介されたらしかった。田附(たづけ)という男もまた、とんでもない人間を紹介する男である。
  うちの母親は90代になった今も睡眠薬を欲しがってしかたがないが、それはM川が必要もないのに睡眠薬を飲ませて、睡眠薬中毒にならせたことによるものだ。とんでもない毒盛り人間であるが、うちの父親はその男を「神さまのようなお方」とか言って崇拝していたのだった。
そして、ガチンコの私に「裏口入学なさったお方のゴルフバッグをかつげ! このチャンコロ」と何度も何度も言ったのだった。


  うちの母親が行っていた日本キリスト教団のM教会の牧師屋のS田さんは「大阪経大卒の牧師」というのが「売り」だったが、大阪経済大学卒で牧師になることはできない。大阪経大だけでなく、東大卒でも京大卒でも牧師にはなれない。牧師になるには同志社大学の神学部とか関西学院大の神学部とかトーシンダイ(東京神学大学)とかを出ないとなれない。『新約聖書』の翻訳などをおこなった前田護郎さんは東大文学部を卒業して『聖書』とその時代についての研究をおこなったが、東大文学部卒で大学の教員になってそういった研究をおこなうことはできても、牧師になることはできない。S田さんは「大阪経大卒」で牧師になれたのかというと、そうではなくて大阪経大を卒業した後、トーシンダイ(東京神学大学)に行って卒業して牧師屋になったらしいのだ。トーシンダイ(東京神学大学)というのは、それは牧師養成所であって大学ではないのか、それとも大学となっているのかというと、大学らしい。大学らしいが、同志社大の神学部とか関学の神学部とかは、同志社・関学の他の学部よりは入試難易度は易しいが、それでも同志社・関学だからある程度の難易度はあるようで、卒業した人はすべての人が牧師になるわけではなく、神学部卒でも一般の会社に勤めたりする人もあるらしい。元外務省の佐藤優氏はけっこうユニークな経歴の人のようで、埼玉県の浦和高校卒というとけっこう進学校の高校卒のようだが、大学は同志社大学神学部卒で、その後、外務省に入ってモスクワの大使館とかに勤務したらしい。「外務省のラスプーチン」というのは鈴木宗男がつけたニックネームでロシアのラスプーチンというのは悪いイメージがあるが、そういう面ばかりではなく世界情勢を大変よく見抜いていた人だったということで、その世界情勢を大変良く見抜くことができる人というプラスの意味で「外務省のラスプーチン」というニックネームを鈴木宗男がつけたらしい。その佐藤優も同志社大神学部卒らしく、同志社大神学部や関学大神学部は卒業して牧師になる人もいるけれども、他の仕事につく人もいるらしい。それに対して東京神学大学(トーシンダイ)というのは、インターネットで検索して見た情報によると、卒業後は牧師になる人が大部分らしく、入試難易度は難しくないが学力よりも卒業後に牧師になろうという意志がはっきりとあるかどうかを見られるらしい。S田さんは大阪経大を卒業した後、東京神学大学に行って卒業して牧師になったらしい。
  S田さんは日曜ごとに「牧師説教」として「私は子供の頃、借金取りに追われていた。借金取りに追われることほど大変なものはない。ああいう経験をした人間は、何だってできる」とおっしゃるのだった。しかし、結論として、「そんなもん、知らんがな」。 そうでしょ。「子供の頃」というからにはS田さん自身が借金したのではなく、親が借金したのか自営業で買掛金を払えなかったのか、そういう経緯でのものだったのかもしれないが、それにしても、「借金取りに追われることほど大変なものはない。ああいう経験をした人間は、何だってできる」と何度も何度も言われるのならば、せめて、百回に一回でも「払ってもらわないといけないものを払ってもらえずに逃げられた者の大変さ」というものも考えてみてはどうなのか。そちらはまったく言わずに「借金取りに追われることほど大変なものはない」と、そちらばっかり言うというのは、それはおかしいのではないのか。
  そして、「本当は慶應に行きたかったんだけれども、家が貧乏やったから学費が安い大阪経大に行ったんや」とおっしゃるのだが、それはどう考えてもおかしい。「本当は慶應に行きたかった」のなら、行けばよかったではないか。なんで、行けへんねん。 慶應という学校は「強姦魔の大学」というイメージが強いが、そして、実際にそんなところがあるが、それとともに「ブルジョワの学校」というイメージがあるが、大学に関しては学費は「国立大学よりは高いが私立大学の中では安い方」で「早稲田大と慶應大なら同じ学部なら慶應大の方がかなり安い」という大学だ。何より、S田さんは私より少し年上だったが、私やS田さんが高校を卒業した頃は今とは奨学金の制度が違うようだが、私やS田さんが高校を卒業した頃は日本育英会奨学金というものがあり、「家が貧乏やったから」ということなので、それならば日本育英会奨学金を受給して行けば「学費分」を出してもらえたはずだ。日本育英会奨学金を受給できるかどうかの基準は、高校・大学については学業成績と親の年収により決まり、大学院の場合は学業成績のみで親の年収は関係ないらしかったが、受給できた場合に出してもらえる金額はいくらなのかというと「学費分」であり、又、国公立の大学でないとだめということはなくて私立大学でも可能で、私立金権医学部の寄付金なんてものは出してもらえないが、正規の学費については国公立か私立か何学部かに関係なく出してもらえたはずだ。だから、日本育英会奨学金を受給できたなら、慶應大学の学費が高くても安くても関係なく「学費分」を出してもらえたはずなのだ。「本当は慶應に行きたかったのだけれども家が貧乏やったから学費が安い大阪経大に行ったんや」て、何を言っているのか意味がよくわからない。又、今もあるかどうかわからないが、1980年代においては慶應大学には慶應義塾奨学金というものがあって、日本育英会奨学金を受給して「学費分」を出してもらった人には自動的に慶應義塾奨学金から「生活費」を出すという制度があった。慶應という学校は「ブルジョワの学校」というイメージがあるが、大学に関しては金持ちではない人の息子・娘でも行けるようにという制度が相当ある大学であり、なぜ、「家が貧乏やったから本当は慶應に行きたかったけれども大阪経大に行ったんや」などと摩訶不思議なことをおっしゃるのか、よくわからない。
  又、慶應大学と大阪経大は昔から「私立大学の中では安い方の学費の大学」だったが、慶應大学は「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学だとしても、それでも大阪経大の方が安かったとしても、それでも大阪経大は私立大学であり、国公立の大学よりは高いはずなのだ。だから、私はうちの親に言ったのだ。「そんなに『家が貧乏やったから』と言われるのなら、大阪経大なんて私立の大学に行くのではなくて、国立の東大に行けば良かったのと違うのですか。どうして、東大に行かずに大阪経大に行かれたのですか」と言ったのだ。そうでしょ。「慶應大に行きたかったけれども家が貧乏やったから行けなかったので大阪経大に行ったんや」という意味がよくわからないが、日本育英会奨学金というのは自営業の人とかは多くの人が実際の年収より少ない金額を税務署に申告していることから、実際はけっこう年収がある親の息子が受給していることがあるのに対して会社員の場合はきっちりと申告されていることから年収は少ない方でも受給できない場合があるという話があるが、実際、日本育英会奨学金を受給できる基準よりは年収が多いけれども少ない方だという人はいるだろうから、そういう人の場合は出来る限り国公立の大学に行くようにしたいという人がいる。S田さんもそういうことならば東大に行けば良かったはずなのだ。なんで、東大に行かずに大阪経大に行ったんや。なんでや? なんでやねん?
  又、国立大学はどこの国立大学でもどの学部でも学費は同じだが私立大学は大学により学費は異なり、学部によっても学費は異なるので、国公立の大学を落ちたが私立大学には通ったという人で親の年収が多くないという人は、慶應大の法学部・経済学部・商学部・文学部は「私立大学の中では安い方」の学費の大学で学部なので、国立大学では医学部を受けたという人で私立大学は入試科目は数学と英語のみだった慶應大経済学部を受けて通って入学したという人もいた。慶應大の経済学部・商学部・法学部・文学部というのは「私立大学の中では安い方」の学部であり、親の年収が多くないという人で入学する人がけっこう多い大学学部だったはずなのだ。
  「慶應大より大阪経大の方が学費が安いから大阪経大に行ったと言われるのなら、それならば大阪経大に行かなくても東大に行けば良かったのと違うのですか。どうして、S田さんは東大に行かれなかったのですか」と私はうちの親に言ったのだ。そうすると、うちの母親は「何を言ってますのん。東大なんか行ったら下宿代と交通費がかかるでしょうがあ」と言うのだった。「それならば、阪大(大阪大学)に行ったらどうですの。阪大(大阪大学)か神戸大に行ったらどうですの。阪大か神戸大ならば下宿しなくても大阪の自宅から通えたでしょう。なんで、学費が安い国立の阪大に行かずに私立の大阪経大に行かれたのですか」と私は言ったのだが、そうすると、うちの母親は「それは、大阪経大の方が阪大よりもいいからでしょうが」と言うのだった・・が、阪大よりも大阪経大の方がいいかあ? はあ? はあ? はあ~あ?
  それに、慶應大は今もあるかどうかわからないが、1980年代においては日吉に朝晩2食つきで・風呂は週に2回つきで・月1万2千円という寮があって、そういう所に住んでいた人もいたのだが、慶應大に行きたかったけれども「家が貧乏やったから」ということなら、そういう所に住んで通うという選択肢もあったはずだし、国立大学でも、東大にも何か所か寮があって、教養課程の駒場キャンパスの中にも駒場寮とかあったはずだし、そういう所に住んで行くという選択肢だってあったはずだ。大学の寮に住むと学生運動やっていたのではないかと疑われるので就職の時のことを考えて避けるという人もいたという話も聞いたが、もしも、本当に「家が貧乏やったから」ということなら、そんなこと言っている時ではないだろう・・し、それを言うならば大阪経大は人によっては「共産党の大学」とか言う人もいたくらいだから、S田さんが大阪経大に行ったことを考えるならば東大に行って寮に入った方が良かったのではないか。なんで、東大に行けへんねん。
  なんで、阪大よりも大阪経大の方がいいのか、どうも、よくわからなかったし、慶應大学に行きたかったのならば日本育英会奨学金を受給すれば「学費分」を出してもらえたはずだし、慶應義塾奨学金という制度が慶應にはあって日本育英会奨学金を受給した人には自動的に「生活費」を支給するということになっていたが、そういう制度はどこの大学にもあったわけではなく、むしろ、慶應大学はそのあたりについては他の大学よりも金持ちの息子・娘ではない人でも行けるようにという制度がある大学だったはずなのだ。
  又、うちの父親と母親は「なんでもカネを出す者に決める権利があるはずや。どこの大学に行くかとか、どの学部に行くかというのは親がカネだすからには親に決める権利があるはずや」と私に言っていたのだが、それで私は「それなら、大学の学費と生活費は出して要りません。自分で働いて大学に行くか、そうでなかったら行きません」と言ったのだった。うちの父親は「自分が行きたい大学の行きたい学部に行くなどという甘ったれたことを言うのであれば、それなら新聞配達をやって行きなさい」と言うので、「わかりました。それなら新聞配達をやって行きます」と私は言ったのだ。だから、私は新聞奨学生についてもけっこう調べたのだ。新聞奨学生というのは名称は「奨学生」「奨学金」と言っているけれども、内容は日本育英会奨学金とか慶應義塾奨学金とかとはまったく異なるものだ。日本育英会奨学金を受給できるかどうかの基準は学業成績と親の年収により決まるが、新聞奨学生の「奨学金」には学業成績がどうかは関係なく親の年収も関係ない。日本育英会奨学金は留年するともらえなくなるので日本育英会奨学金を受給している人は留年だけは避けないといけないが、新聞奨学生の場合は留年しようが関係ない。又、日本育英会奨学金の場合、浪人して大学に入った場合はどうなのか、私はそれについては調べていないのだが、1年くらいの浪人なら問題なさそうな感じがするのだが、中には40代になって大学に行く人とかもいるのだが、そういうケースは日本育英会奨学金では出してもらえないのではないのかと思うのだが、新聞奨学生の場合は年齢はまったく関係ない。私は実際に新聞配達の仕事を少しやった経験があるのだが、私がいた販売店にも40代で新聞奨学生やっていた人がいたし、3年浪人して予備校の学費を新聞奨学生として出してもらっていた人もいた。新聞配達というのはけっこうきつい仕事であり、新聞配達やって3年も浪人するくらいなら、どこか入れる所にさっさと入学した方がいいのではないのだろうかとか思ったものだったが、日本育英会奨学金は高校・大学・大学院に行く人を対象に出してもらえたが浪人に予備校の学費は出してもらえなかったと思うが新聞奨学生の場合は専門学校でもいいし浪人の人が予備校に行くというのでも可能だった。それなら、新聞奨学生として「新聞奨学金」を出してもらえる条件は何かというと、それは新聞屋が用意したアパートに住んで新聞配達というけっこう大変な仕事をするということだけだ。別に特別に学業成績がいい必要はないし、むしろ、旧帝大系国立大学とかに行くような人間ならあほくさいと思う仕事であり、あんまり評価が高くない私立大学か専門学校で出席さえすれば卒業できるような所に行く人に向いている。
  うちの親は私には「自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行きたいなんぞと甘ったれたことを言うのであれば、新聞配達やって行きなさい」などと言っておきながら、S田さんには「家が貧乏やったからなどと言うのなら、それなら新聞配達して行け」とは言わないらしかった。なんでなんやろねえ。日本育英会奨学金は学業成績はある程度以上だが親の年収が多くない人に学費を提供しようという制度だったのに対して、新聞奨学金というのは「奨学金」という名称になっているけれども、実際には「給与の一部分」です。そして、「新聞奨学金」の場合、いくら出してもらえるのかというと、これも日本育英会奨学金と同じで「学費分」です。国立大学に行って新聞奨学生やっている人はあまりないと思うが、国立大学に行く人が新聞奨学生をやった場合でも、私立大学に行った人が新聞奨学生やった場合でも、専門学校や予備校に行く人の場合でも出してもらえる金額は何円と決まっているのではなくて「学費分」です。だから、もしも、S田さんが新聞配達やって新聞奨学生として新聞奨学金を出してもらって大学に行ったとしたならば、その場合も慶應大学と大阪経済大学とで学費がどちらが高くても安くても、新聞奨学生として新聞奨学金を出してもらって行く場合なら「学費分」を出してもらうのですから行く者にとっては同じのはずなのです。なんで、S田さんは「本当は慶應大に行きたかったんだけれども、家が貧乏やったから大阪経大に行った」のでしょうか。「家が貧乏やった」のなら慶應大に行けばよかったのではないのでしょうか。まったくつくづくわけのわからんことを言う牧師であり、又、うちの親というのは、そのわけのわからん話を信じる親でした。「信じる者は救われる」てものなのでしょうか。救われますか、これで?
  又、「家が貧乏やったから本当は慶應に行きたかったけれども大阪経大が学費が安かったから大阪経大に行った」とか言うわりに、大阪経大を卒業した後、東京神学大学(トーシンダイ)に行き、結果として私立大学を2つも行っているのだが、「家が貧乏やったから」ということなら私立大学を2つも行くことないではないか。違うか。なんで、「家が貧乏やった」のに私立大学を2つも行くんだあ? 又、東大に行くと下宿代と交通費がかかるから東大に行かずに大阪経大に行ったとかいうわりに、なんで、東京神学大学(トーシンダイ)なんて東京の大学に下宿して行くんだあ? その理由は、関西にある同志社大学神学部は同志社大の法学部・経済学部・商学部・文学部よりは入試の難易度がずっと易しいし、関西学院大学神学部も関西学院大法学部・経済学部・商学部・文学部よりも入試の難易度がずっと易しいので、旧帝大系国立大学に行って卒業した人で、キリスト教や『聖書』やその時代についての研究者になるのではなく牧師・伝道者の方になりたいと思うに至った人が旧帝大系国立大学を卒業した後で、同志社大神学部とか関学大神学部とかに行くというのは比較的行きやすいが、大阪経大くらいを卒業した人にとっては同志社大神学部とか関学大神学部というのは決して易しくないのに対して、東京神学大学(トーシンダイ)の場合は卒業後に牧師になろうという意志が強いかどうかを重視して学科試験の成績はそれほど重視しないらしいので、大阪経大卒くらいで牧師になりたいと思うようになった人にとっては同志社大神学部や関学大神学部に行くよりも東京神学大学(トーシンダイ)に行く方が行きやすいからでしょう。
  それにしても「本当は慶應に行きたかったけれども家が貧乏やったから慶應に行かずに大阪経大に行った」て、よく言うよなあ・・と思う。バカ言ってんじゃないわ♪ と思う( 一一) 〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕 1973年だったか、NHKの大河ドラマ『国盗り物語』で明智光秀が「武士の嘘を武略と言い、仏の嘘を方便と言う」と語る場面があったが、「天の神さま」という教会の神様は牧師屋にはヒラ信徒とは違ってこういう嘘を認めているのだろうか。
  「大阪経大が一番学費が安かったから大阪経大に行った」なんて嘘に決まってるだろうが。関西の大学でも大阪大学とか神戸大学とか大阪市立大学(現 大阪公立大学)とかの方が学費は安いに決まっとるだろうが。「本当は慶應に行きたかった」のなら行けばいいだろうが、行けば。日本育英会奨学金を受給できたなら出してもらえる金額は「学費分」だからその大学の学費が高いか安いかは関係ないはずだし。下宿代がかかるというなら寮に入ればいいはずだし。東京と大阪の間を往復する交通費がかかると言っても、東京と大阪の間の夜行バスは片道約5000円と考えるなら1往復で1万円、年に2回往復したとして2万円、3往復しても3万円であり、そのくらいならアルバイトでもして稼げばいいことだろうが。又、大阪の人間が東京圏の大学に行った場合なら宿舎は大学に近い場所に借りることが多いので大学との間の往復の交通費はかからないかたいしてかからないが、大阪の人間が実家から通える大学に行った場合は、大阪府豊中市・池田市・箕面市の境目付近の豊中市にある大阪大学豊中キャンパスに豊中市の蛍池付近とか、箕面市の南西部とかから通うなら交通費は要らないだろうけれども、通えることは通えるけれども近くはないというあたりの大学に行った場合ならば往復の定期代はそれなりにかかるわけで、考えようによっては東京圏の大学で大学と同じ場所にある寮に住んだ場合の方がカネがかからないというケースもある。実際は、おそらく、「大阪経大が一番学費が安い大学だったから大阪経大に行った」というのは嘘で、大阪大学とか神戸大学とか大阪市立大学(現 大阪公立大学)とかの方が間違いなく大阪経大よりも学費は安かったはずだが、そういう問題ではなくて、S田さんが高校を卒業した時点での学力で通る可能性がある大学の中で一番学費が安い大学が大阪経済大学(大阪経大)だった、というそういうことだろう。なぜ、日本育英会奨学金を受給して慶應大に行かなかったのかというと、日本育英会奨学金を受給できるかどうかの基準は学業成績と親の年収との2つだが、旧帝大系国立大学や早慶くらいに行った人にとっては学業成績の方はクリアできる可能性が大きく、親の年収の方が条件を満たさない場合が多いのに対して、S田さんの場合は親の年収は満たしていたか満たしていなかったかわからないが、学業成績の方が条件を満たしていなかったから、だから、日本育英会奨学金は受給できなかった、ということだろう。しょーもないこと言いやがってからに・・と思うが、「クリスチャン」の人というのは、そういう「しょーもないこと」言う人が多いという印象を私は受けている。「クリスチャン」は嘘つきだ。
  うちの父親は私に「S田牧師さんはおまえとは違って大阪経大やねんぞお~お。おまえみたいに慶應なんか行っておらんねんぞ。わかっとんのかチャンコロ。わかっとんのかチャンコロ。大阪経大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と何度も何度も言うのでしたが、なんで、大阪経大みたいなもんに行ったらエライのかさっぱりわからんかったけれども、私は世界中の人間の爪の垢というものを飲まなければならない運命に産まれてきたらしい、ということがわかりました。「天の神さま」とかいう教会の神さんがそうお決めになったそうです。


  さらには、うちの父親の勤め先でうちの父親の部下にあたる人で、大阪の人間なのに息子を東京の大東文化大学に行かせたという人がいたそうで、それで、うちの父親は私に、私の眼を指で突き刺すようにして言うのでした。「◇◇さんの息子さんはおまえとは違って大東文化大学やぞお、大東文化大学。慶應みたいなカネのかかる大学には行かせてもらってないねんぞ、おまえみたいに。大東文化大学に行った人の爪の垢を飲みなさい」と、そう言うのだった。はあ?
  それで、私は言ったのだ。「大東文化大学て安いのですか?」と。 私は大学を受ける際に国立大学や慶応大・早稲田大に関関同立といった所の学費については調べたが、その際に、慶應大と早稲田大ならイメージとして慶應大の方が高そうなイメージだけれども実際には大学の学費については慶應の方が早稲田よりもかなり安いということを知った。しかし、大東文化大学なんて所については高いのか安いのか知らない。うちの父親も知らなかったと思うし、逆に大東文化大学に息子を行かせたような人は慶應大学の学費が高いのか安いのかなんて知らないはずだ。もしかすると、慶應は「ブルジョワの大学」みたいなイメージがあるから高いのではないかと勝手に思っていたかもしれないが、実は慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方の大学」であり、慶應大と早稲田大ならば、早稲田大は「野人(やじん)」とか言ったり「庶民的」とか言ったりしているので早稲田大の方が安そうに思う人がいるらしいが、どこが「野人(やじん)」なのかよくわからないが、大学の学費は昔から慶應大と早稲田大なら同じ学部なら慶應大の方が安いのだ、かなり。
  「慶應はカネのかかる学校」と思っている人がいるのはなぜかというと、もしかするとだが、大学と小学校から高校までとを混同している人がいるのではないか、と思う。慶應は大学については「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学で「早稲田大と慶應大なら同じ学部なら慶應大の方が安いという大学」だけれども、東京都・神奈川県の住人に聞いた話では、小学校・中学校・高校という慶應の内部進学の学校というのは「私立の学校の中でも高い方」らしい。「週刊現代」だったかに慶應幼稚舎についての特集があったが、それによると、慶應幼稚舎なんて子供を行かせると1人あたり400万円以上はかかるという話で、私なんかそんな所に子供を行かせたら生活できなくなって死んでまうわ。制服はアルマーニ・・てのは慶應幼稚舎ではなくて泰明小学校だったようだが、慶應幼稚舎の生徒を見ると、「これがアルマーニか」ツンツン・・てやってやりたくなるような顔してる。慶應幼稚舎に子供が行っている人というのは「わけあり」みたいな人ばっかりで、昔はK組・E組・O組の3クラス、今はK組・E組・I組・O組の4クラスで「先祖代々揺り籠から墓場まで慶應」の人のクラス、医者屋の息子娘のクラス、運動選手・芸能人などの人のクラスと3種類に分かれていて、小学校の1年から6年までクラスは変わらないらしい。そういう所は学費も高いだろうし「おつきあい」の費用も相当高いだろう。私なんかそんな所に行きたくないし、入学させてもらったとしても、そんなカネ出していたら生活できなくなって死んでまうわ、ほんま。中学校・高校になるとそこまでではないらしいが、それでも「私立の学校の中でも高い方」らしい。それが大学になると逆に「国立大学よりは高いけれども、私立大学の中では安い方」の大学になるのだ。どうしてか、というと、理由はいくつかあると思うが、何年か前、前の前の塾長だったかが「日本の学校を調べてみると、小学校は学校の数で見ても学生の数で見ても国公立が大部分で私立は少ない。それに対して、大学は逆に国公立は少なくて私立の方が多い。中学校・高校はその間だ。だから、小学校の場合は私立の小学校が少々、高い学費に設定しても金持ちでない人は公立の小学校に行けばいいのだから貧乏な人から『学ぶ権利』を奪うということにはならない、それに対して大学の場合は私立の大学の方が圧倒的に多いから、私学といえどもあまり高い学費に設定したのでは『学ぶ権利』を奪うことになる」インターネット上で述べていたが、そういうこともあるかもしれないが、又、慶應大学が他の私立大学と比べて学費が安いというのは、新設の私立大学は土地を買って建物を建ててということをしないといけないが、昔からある大学は新たに土地を買って建物を建ててということをしなくてもすでにあるという有利な点があり、又、教員を採用しようとする場合も、新設の無名の私立大学は教員を集めるのに苦労するところを慶應大学の講師の募集をすると「タダでもやりたい」という人がわんさと来たという話を新聞で見たことがあるが、1年でも慶應大の講師をやったなら「元慶應大学講師」という肩書ができてその後の人生にハクがつくので、それで「タダでもやりたい」という人がいるらしい。慶應は債券類でいいものを持っているのではないか、財テクがうまいのではないかとある助教授から聞いたことがあったのだが、そう言われると、大学の体質として財テクとか好きそうな感じがするのだが、そう思っていたら、十年ほど前だったか、日経新聞の一面に「慶應義塾が財テクに失敗して大損だした」という記事が出ていた。大損するような財テクを教えた経済学部か商学部かの先生て、いったいどんな経済学教えてんだろう?・・なんて思ったものだったが、そういうこともあるのかもしれない。又、慶應は「OBが寄付してくれる大学」と言われていた。この場合、「OB」には2通りあって「☆☆三田会」というのがいくつかあって、そこに会費として年に何千円か払ったものの中から慶應義塾にいくらか払うということをしているようで私みたいな貧乏人が払った会費なんてたいした金額ではないが「ちりも積もれば山となる」結果、全体ではそれなりの金額になるということもあるが、そうではなくて「OBからの寄付」といっても実質「財界からの寄付」である場合があるようで、日吉にも三田にも「OBからの寄付」という実質「財界からの寄付」でできた建物がいくつかあるようなのだ。そういうものが他の大学にはなく慶應にはあるので、だから、慶應義塾は他の私立大学よりも運営しやすい要素があるらしい。そういうこともあるらしい・・けれども、それよりも、小学校・中学校・高校は「私立の学校の中でも高い方」で大学については「国立大学よりは高いけれども私立の大学の中では安い方」と学費を設定しているというのは、おそらく、それは意図的にそうしているのではないかと思う。小学校から高校までは「誰でもは行けないように」しているのだろう。それに対して大学は逆に「入学試験の成績で合格最低点以上を取れば誰でも行ける」というようにすることで大学の価値を下げないようにしているのでしょう。たぶん、そういうことだと思いますよ。そのあたりを大東文化大学なんて所に息子を行かせたような人は知らないで、小学校から高校までのイメージで大学も高いのだろうと勝手に推測する人というのがいるのではないか。
  ・・・で、大東文化大学て安いのか? たぶん、高いと思いますよ。少なくとも慶應大学よりも高いと思いますよ。大東文化大の学費なんて、知らんけど。知らんけど、普通、最近できた私立大学というのは、意図的に安めの学費に設定して来てもらおうとしている所は別として、条件としては慶應大のような昔からある大学と違って、新しく土地を買って建物を建てて運営しないといけないし、慶應のように「OBが寄付してくれる」ということもないでしょうし、学費はそう安くはできないと考えるのが自然だと思いますよ。なんで、大東文化大学が安いのですか?
  東大は教養課程の駒場キャンパスと専門課程の本郷キャンパスなら専門課程の本郷の方が広いのだが、慶應大学の法学部・経済学部・商学部・文学部の専門課程がある三田キャンパスと教養課程の日吉キャンパスでは日吉キャンパスの方が広くて三田キャンパスは日吉に比べて狭いし東大の本郷キャンパスと比べても狭い。しかし、落ち着いて考えてみると、東大の本郷キャンパスは元加賀前田家の屋敷があった所であり、百万石の大名の屋敷跡で「東大の赤門」も「東大の三四郎池と庭園」も元々は「加賀前田家屋敷の赤門」「加賀前田家屋敷の庭園」だったわけで、それを国立の帝国大学の用地にしたわけだが、それに対して慶應大学の三田キャンパスというのは島原藩の下屋敷だった所だというのだが、東大は国が経営しているのだから国が加賀前田家の屋敷を手に入れたとしてもわかるが、洋学者でも下級武士・下級士族でしかなかった福沢諭吉がよく島原藩下屋敷なんて手に入れたなあ・・て気もするのだが、それについては福沢諭吉は『福翁自伝』(岩波文庫)で正直に書いているのだが、明治維新の後、「藩」というものがなくなって、それまで「藩」の所有だったものが誰の所有なのかよくわからなくなった時期があって、その時にうまく安く手に入れた・・らしい。新設の私立大学とは違って、そういう既存のキャンパスもあるわけだ。又、日吉キャンパスは東急電鉄東横線「日吉」駅の目の前にあるが、これは東急電鉄が誘致したとかいう話だから、ただでもらったわけではないだろうけれども、ここに来てくださいと誘致されて行ったからには「ぼられた」なんてことはないだろう。そういう場合でも新設の私立大学よりも慶應のような昔からある大学の方が有利なはずだ。
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
新訂 福翁自伝 (岩波文庫) - 福沢 諭吉, 富田 正文
  たしか、うちの父親は私が高校3年の時、「東大に行くのなら東京で下宿して行く価値があるし下宿してでも行くべきやし、下宿は嫌やなどと甘ったれたことを言うておってはいかんし、東大でなくても慶應か早稲田に行くのなら下宿してでも行く値打ちはあるけれども、そんなもん、法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらそんなわけのわからん私立のアホ大学に行くのに下宿してまで行く必要あらへん。アホ大学は大阪にもあるんや。そんなアホ大学に行くようなやつが、大阪の人間が東京で下宿してまで大学に行くことない。アホ大学に行くのなら地元の大学に行って家から通うべきや。そもそも、そんな法政やたら明治やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたらそんなもんに行く人間が大学に行く必要あらへん。そんな大学に行くような人間は全員、自衛隊に入れたるべきや。自衛隊に入れ、自衛隊に」と言っていたはずだった。自衛隊はともかく、うちの父親というのはそういう考えなんだと私は思ったし、いつだったか「朝日ジャーナル」に、東京の御茶ノ水界隈では駿台予備校の生徒の方が明治大学の学生よりも威張っているという話が載っていたのだが、そりぁそうだろと思ったものだった。うちの父親が私が高校3年の時に言っていた基準からするならば、東大か慶應大か早稲田大かに行くのなら大阪の人間が東京で下宿してでも行く値打ちはあるが、私立のアホ大学に行くようなやつは大学に行く必要はなくて自衛隊に入れたるべきであり、ましてや、大阪の人間が東京のアホ大学に行くために下宿してまで行くやなんて甘ったれるにもほどがある・・と、うちの父親はそう言っていたはずだったのだ。それなのに、なんで、大阪の人間が東京圏で下宿までして大東文化大に行ったという人間がいると、「おまえとは違って大東文化大やぞお~お。おまえみたいに慶應なんか行ってへんねんぞお。大東文化大に行った人の爪の垢を飲みなさい」と言い出したのだ。どうも、私は世界中の人間の爪の垢を飲まされなければならない運命に産まれてきたようだった
  又、私が2浪していた時、1970年代終わり頃、うちの父親の親友の医者屋のM川(男。当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。実際は私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなければ「かわいいキンタマ」〔川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大=かわいいキンタマ〕くらいか。大阪の人間が「金沢大医学部卒」と名乗るということは、京大医学部卒とか阪大医学部卒とか名乗るとばれそうだが金沢大医学部卒と言えば多少離れているので詐称がばれにくいと考えたか、そして、もしかすると「金沢」という地名になんらかの縁があったので「金沢大医学部卒」という名前が思い浮かんだということならば、「かわいいキンタマ」の4つのうちなら「金沢医大卒」の可能性はあるか・・。当時、大阪府豊中市在住)とその同僚のK田(女。1970年代終わり頃当時、40代後半くらい?)が、特にK田が私に「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないのやから、あんたなんか、高校には行ってはいけないはずや。それをあんたが北野高校に行ったというのは余計や。あんたは北野高校には行ってはいけないはずの人間なんや。それを行ったというのは、それはあんたが甘ったれておるからであって、思い上がっておるからであって、つけあがっておるからであって、根性ねじくれまがっているからや。あんたは高校には行ってはいけない人間のはずや。ましてや、あんたが大学になんて行ってはいけないはずや。あんたが大学に行くなんて、もってのほかのはずや」と、そう言ったのだった。それを聞いて、うちの父親の親友のM川が「そうじゃ、そうじゃ。その通りや。きみは高校には行ってはならない人間のはずなんや。それをきみが北野高校に行ったというのはK田先生が言ってくださったように、甘ったれておるからであって、思い上がっておるからであって、つけあがっておるからであって、根性ねじくれまがっておるから、それできみは北野高校に行ったんじゃ。反省しろ! そやから、きみは、ましてや、大学になんて行ってはならないんじゃ。どうじゃ、わかったかあ!」と言ったのだった。それならば、K田のバカ息子は私立アホ大学を2つも行ったらしいし、M川のドバカ息子はM川が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやって得たカネで私立金権関西医大に裏口入学させたというのは、それはいいのか・・というといいらしいのだ。なんでやねん!?! というと、それは「民族の違い」「階級の違い」というものらしいのだ。K田はこう言ったのだ。「うちの息子なんか、大学を2つも行ってるんやから、そやから、一生懸命勉強せんといかんということや」と。M川はこう言ったのだ。「うちの息子なんか裏口入学なもんじゃから、そやから、一生懸命、勉強させてやらんといかんというこっちゃ」と。「それに対して、きみは大学には行ってはならんのやぞ、わかっとるか。義務教育は小学校と中学校だけであって高校は義務教育ではないからには、きみは高校には行ってはならない人間なんじゃ。それをきみが北野高校に行ったというのは、それは甘ったれておるからであって、つけあがっておるからであって、のぼせあがっておるからであって、根性ねじくれまがっておるからやねんぞ。どうじゃ、わかったかあ! ましてや、おまえは大学行くことないねんぞ。おまえは大学には行ってはならない人間やねんぞ」と言うのだった。それを聞いてうちの父親は「そうや♪ その通りや♪ ええ~えこと言いはる♪ お~ま~え~はあ~あ、高校には行ってはならない人間やのにからに、そやのにからに思い上がっておって、つけあがっておって、根性ねじくれ曲がっておるもんやから、それで北野高校に行ったということや! そうや、その通りや♪ ましてや、おまえは大学には行ってはならない人間なんじゃ。K田先生の息子さんは大学を2つもお行きになった。えらいなあ、えらいなあ、ものごっついえらいなあ。M川先生の息子さんは裏口入学や。これは思考が柔軟やから裏口入学やというこっちゃ。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。チャンコロとはちごうてK田先生の息子さんはアホ大学を2つもお行きになっておるんやぞ。M川先生の息子さんなんか、裏口やぞ裏口。裏口入学なさったんやぞ、裏口入学。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と何度も何度も言ったものだった。私がその時の私の親ならばK田やM川のような勝手なことを言うやつがいたならば、「あんたら、何を勝手なこと言うてますねん」と言って怒ったと思うが、ところがうちの親はそういうことを言われると喜ぶのだ。そういう親だったのだ。
  そして、K田が言ったように、「医者の民族で階級」の人間はアホ大学2つも行ったり「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学する権利と義務があるが、「医者の階級」でない人間は義務教育ではない以上は高校には行ってはならないし、ましてや、大学に行くなんてもってのほかだということなので、その基準から考えるならば、うちの父親の部下だったなんとかさんの息子が大阪の人間なのに東京圏で下宿までして大東文化大学なんて所に行ったというのは、それは「義務教育でない以上は高校には行ってはならない人間」のはずなのに高校に行った人間であり、ましてや大学に行くなんて「もってのほか」であるはずであるし、大学になんて「行ってはならない」はずなのに、なんで、大東文化大学なんて行ったんだ・・ということになるはずだったが、ところが、うちの父親は「◇◇さんの息子さんは、おまえとは違って大東文化大やねんぞお~お。おまえみたいに慶應大学なんか行かせてもろうとれへんねんぞお~お。わかっとんのかチャンコロろすけ! ◇◇さんの息子さんはおまえみたいに慶應大学なんか行かせてもらえんもんやから、そやから大東文化大学にお行きになっておるんやぞ。わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのかチャンコロ! 大東文化大学にお行きになったお方の爪の垢を飲めえ~えチャンコロ。ちゃんちゃんコロコロちゃんコロコロ♪ ちゃんちゃんコロコロちゃんコロコロ♪ いっらいっらしてきた、イッライッラしてきた、いっらいっらイッライッラしてきたしてきた♪」と何度も何度も言うのだった。


  さらに、日本キリスト教団M教会のS田牧師は、同教会の信者の人で、ある私立大学を卒業して会社勤めをしたがうまくいかないので牧師屋に転職したいという人がいた時、「皆さんで費用をしてトーシンダイ(東京神学大学)に行けるように特別献金をしてあげましょう」などとアホなことを言い出して、教会員に「特別献金」をつのるなどということまでやった( 一一)
  アホか。一度、大学を卒業したが転職するために別の大学に行きたいという人はいるけれども、それならば、その費用は自分で働いて稼いで行けよ。ひとにカネ出してもらって行こうとするな。
  私なんか、1つ目の大学でも「なんで、本人が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部になんか、行かさんといけませんのん。なんでも、カネ出す者に決める権利がありますでしょうが。親がカネだす以上は親が行かせたいと思う大学の親が行かせたいと思う学部に行くのが当然でしょうが」とうちの母親から言われたものであり、又、「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃわしにじゃわしにじゃ、いらいらあ~あ! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために。捧げ尽くす、捧げ尽くす、わしのためにささげ尽くす。イライラしてきたなあ、もうモウもう、モオ~お! モオ~お! 親こっこっこ、親こっこっこ、おやおやコッコー、おやコッコー! すべをすべてを親コッコッコのために、すべてをすべてを親コッコッコのために。いらいらイライラいっらいら♪ いらいらイライラいっらいら♪ わしに親孝行しよう! 戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元、イッライッラしてきたあ、イッライッラしてきたあ。すべてをすべてをわしのために。犠牲になる、犠牲になる、犠牲にする、犠牲にする、すべてをすべてをわしのために犠牲にする、すべてをすべてをわしのために犠牲にする。犠牲の精神、犠牲の精神、すべてをすてべをわしのために犠牲にする。てってこっこ てっててって らったらったらったらあ~あ! 木口小平は死んでもラッパを放しませんでしたあ。イッライッラしてきた。いっらいっらしてきた。撃ちてしやまん、一億火の玉、欲しがりません、勝つまでは。いっらいっらしてきたあ、イッライッラしてきたあ。戸締り用心、火の用心じゃあ。とってちってたああ~あ!!!」と、毎日毎日、言われ続けて、自分が行きたいと思った大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をしてつきたい仕事につくなんてことはさせてもらえなかった。
  『世界の名著 聖書』(中公バックス)の編集者で『新約聖書』の部分の訳者である前田護郎さんは大学に進学する時、戦中、文学部に行って『聖書』の研究をしたいと思ったが、そういう方向に進むことを認めてもらえず、それで大学入試において白紙で答案を出して留年したが、翌年、自分が希望する東大の文学部を受けさせてもらって進学して、キリスト教の宗教学・宗教哲学の研究者になることができたらしいが、そうやってならせてもらえたのが前田護郎さんで、いくつか似たようなことをしたけれどもならせてもらえなかったのが私だ。
  うちの父親は私に「哲学は頭のおかしな人がやるものやから哲学科には行ってはいけません」と言い、「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うておる、とM川先生がおっしゃってお~る!」と言って宗教学科・宗教哲学科には行かせないようにした。前田護郎さんがうらやましかった。
〔 なお、「宗教はアヘン」とカール=マルクスが言ったのか、という問題については、蔵原惟人『宗教 その起源と役割』(新日本新書)にわかりやすく述べられているが、
(1)マルクスが「宗教はアヘン」という表現を使ったことがあるのか、というと『ヘーゲル法哲学批判序説』という書物の中で一度だけ使用している。何度も何度もあちらこちらで使ったわけではないが、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で一度、この表現を使用している。
エンゲルスはこの表現を使用したことはない。レーニンもこの表現を使用したことはない。
(2)「宗教はアヘン」という表現はマルクスだけが使った表現かというとそうではない。わかっているだけでも、詩人のハイネ、哲学者のヘーゲルなどが「宗教はアヘン」という表現を使っている。
(3)「宗教はアヘン」という表現を最初に使ったのはマルクスなのかというと、そうではないと思われるが、最初に使ったのは誰なのかはわからない。誰が最初に使ったのかはわからないが、最初にこの表現を使ったのはマルクスではなく、「宗教はアヘン」というこの表現はマルクスが生きた時代のドイツでよく使われていた表現らしい。
(4)「アヘン」という言葉には「毒薬」という意味と「なぐさめ」という意味の2通りの意味がある。宗教の中には毒薬のような宗教もあるけれども、マルクスは毒薬のような宗教を批判する時にはこの「宗教はアヘン」という表現は使っておらず、『ヘーゲル法哲学批判序説』を読むと、マルクスはキリスト教やユダヤ教のような宗教について、「毒薬」という意味ではなく「なぐさめ」という意味でこの「アヘン」という言葉を使っている。「宗教は貧しい人たちにとってのなぐさめである」と。「なぐさめではあるが、それは幻想である。しかし、なぐさめを必要としない社会を築くことなくなぐさめだけを取りあげるということはおこなってはならないことである。」と述べているようだ。
  又、高神覚昇『般若心経講義』(角川文庫)では、高神覚昇氏はマルクスが「宗教はアヘン」と言った対象の「宗教」とはキリスト教のような宗教のことであって、仏教のような宗教を想定して言ったものではない、と述べているが、これもそうだろう。
だから、医者屋のM川が「宗教はアヘンであるとマルクスが言うてお~る!」と発言したのは、それはカール=マルクスが『ヘーゲル法哲学批判序説』で述べている意味を十分に理解せず、間違った解釈をした上で言っていたものだった。「なにしろ、わしは医者なもんじゃからな。医者というのは普通の人間よりもエライえらいエライえらい人間じゃからな」とM川は言いまくっていたが、あんまり賢くないみたいだ。〕
前田護郎選集 別巻 新約聖書 - 前田 護郎
前田護郎選集 別巻 新約聖書 - 前田 護郎
  私は自称「キリスト教徒」「クリスチャン」でも、実際にはキリスト教を信じていない「クリスチャン」がけっこういると思っている。YMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからない職種についていた藤井という男は「敬虔なクリスチャン」「クリスチャンはクリスチャンでも並のクリスチャンではない特別にえらいクリスチャン」という人間だったが、どういう人だったかというと、「『聖書』みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん! 『聖書』なんて読むものと違うんや。『聖書』みたいなもん、あんなもん、読んではいかん。たとえ、読むにしても、歳をいってから読んで『はあん、そんなもんか』と思えばいいことであって若いうちに読むなどということは絶対にしてはいかん。ましてや、そこに書かれていることを実行しようなんて、まかりまちがっても絶対に考えてはいかん。『聖書』みたいなもん読まんでも、洗礼うけて献金はらって、日曜ごとに教会に行って洗礼にでておけばそれでええんや。『聖書』なんて絶対に読んではいかん!」と毎日のように言ってそれを「伝道活動」と考えていた男だった。
  誰だったか、「文学者」だったか「哲学者」だったか「詩人」だったかで
「不信仰とは信じているとか信じていないとかいう問題ではなく、信じていない宗教に帰依しているということである」
と書いていた人がいたのだが、YMCA予備校高槻校の藤井という男はまさにそれだった。
  それに対して、キルケゴールは『聖書』を前にして神と対峙することで「自分自身の十字架を背負って生きる」というキリスト者の態度を取ろうとしていた。藤井とキルケゴールは正反対の人間だった。私はキルケゴールの哲学を学び、その専門の研究者になりたいと思い、キルケゴールの母国の言語であるデンマーク語を学ぼうと思って、白水社から出ていた『デンマーク語入門』(白水社)を購入して学びかけていたところ、うちの父親が来て「これは、いったい何や」と言い、「だから、デンマーク語の本です」と私が言うと、「デンマーク語みたいなもん、やらんでもええ」と言うのです。「だから、私がデンマーク語を学びたいのです」と言うと、「そやから、わしがデンマーク語みたいなもん、やらんでもええと言うておるんじゃ。わからんのか」と言って、その本を取り上げられはしなかったが、取り上げられそうな感じになった。
死に至る病 (岩波文庫) - キェルケゴール, 斎藤 信治
死に至る病 (岩波文庫) - キェルケゴール, 斎藤 信治
  中学校の1年だったか2年だったかの「道徳」の教科書「新しい生活」という東京書籍から発行されていた本に魯迅の話だったと思うが、子供の頃、弟が凧を持っていて、自分は凧なんてもので遊ぶべきではないと思い、それで弟から凧をとりあげて廃棄したということがあったが、後にひどいことをしてしまったと思って反省して弟に謝ったが、しかし、弟がそれを覚えていてくれて自分を非難してくれたなら、何度でも謝ったところだったが、ところが弟は「そんなことがありましたか」とまったく覚えていないと言うのだった。覚えていない、まったく気にしていないと言われると、悪いことをしてしまったと思うばかりで自分の気持ちはどうもならなかったという話が掲載されていた・・・が、うちの父親が私がキルケゴールの研究をやりたいと思って購入してきた『デンマーク語入門』(白水社)の本を「なんや、これは」と言って、廃棄はされなかったけれども、廃棄するかのような態度を取ったのだった。「こんなもん、やらんでもええとわしが言うておるんじゃ、わしが」と言うのだった。
  私はキリスト教の牧師になりたいとはあまり思わなかったけれども、キルケゴールなどキリスト教に関係する宗教哲学について学びたいという気持があったのだが、うちの父親は「甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては、このチャンコロろすけイタコ浪商! わしはおまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきおったがために、おまえを育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。そやからやなあ、そやから、おまえにはこれから死ぬまで会社に勤めて、せっせせっせ、せっせせっせ、せえっせせっせと働いて、それをまどてもらえわんといかんのじゃ。わかっとんのかチャンコロ、わかっとんのかチャンコロ、チャンコロわかっとんのかチャンコロ!」と言うのだった。うちの母親もまた「そんなもん、文学部だの哲学科だの宗教学科だのなんて、だ~れが行かすかあ。そんなもん、行かせてなるもんかあ~あ!」と言うのだった。
  そして、私が「大学の学費と生活費は出して要りません。もし、親の年収が少なかった場合には日本育英会奨学金から出してもらえる金額も出してもらわなくてけっこうです。私が自分で働きながら行きたいと思う大学の行きたいと思う学部学科に行って勉強しますから、だから、自由にしてください」とお願いしたのだが、うちの親は父親も母親も「そうはいくかい。これから、おまえには、せえっせせっせ、せえっせせっせと働いて、これまでにかかったカネをまどてもらわんといかんのじゃ。だ~れが哲学科だの宗教学科だのなんて行かすもんか。甘ったれるな、このチャンコロろすけイタコめが、このチャンコロ!」と言うのだった。
  そして、私にはそう言って私が小学校1年から努力してきたものを、すべてまとめてドブ中にどぼ~んと捨てさせたうちの両親は、よその息子で、私立三流大学を卒業して会社勤めをしたけれども、うまくいかないものだから、牧師屋に転職するためにトーシンダイ(東京神学大学)に行こうという者のために、牧師屋の沢田さんの勧めに従って「特別献金」を払ったようだった。そして、うちの父親は言うのだった。「わしは聖人やね~ん」と。『新約聖書』の「福音書」には「子供たちのパンをとりあげて小犬に与えるのはよろしくない」というイエスの言葉が載っている。私が親ならば、自分の息子になら出さないものをよその息子に出すということは、これは絶対にやってはならないことだと考えるが、うちの親はそうは考えなかったようだった。
  なるほど、キリスト教会というのは、よその息子がトーシンダイ(東京神学大学)に行くためのカネを「特別献金」することで「聖人」と認定してもらって喜びたいという人のために存在している。息子というのは「わしのために、わしのために。親こっこっこ、親こっこっこ。コッコー、コッコー、親コッコー! コッコー、コッコー、親コッコーじゃ~あ。イッライッラしてきたあ、イッライッラしてきたあ~あ!」という為に存在するものであり、よその息子というものは、そいつがトーシンダイ(東京神学大学)に行くためのカネを「特別献金」することで「聖人」と教会と牧師屋から認定してもらって「聖人」になるために存在しているのである。息子とよその息子とは役割が違うわけだ。「クリスチャン」にとっては、息子とよその息子とはそういうものであり、役割がはっきりと違うわけである。
  私はキリスト教会が嫌いだ。キリスト教会とは、うちの親に私になら出さないカネをよその息子に特別献金させる機関であり、牧師とはそういう行為を働く人間であるからだ。


  さらに、だ。うちの父親は私には「K田先生がおっしゃったように、義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないんやから、そやから、おまえは本来なら高校には行ってはならない人間やねんぞ。そやのにからに、おまえが北野高校に行ったというのは、それはお前が甘ったれておるからであって、のぼせあがっておるからであって、つけあがっておるからであって、根性ねじくれまがっておるからやねんぞ。ましてや、おまえは大学には行ってはいかんねんぞ」と何度も何度も言ったものだった。それならK田の息子は何なんだ・・と思ったものだったが、うちの父親はそういう矛盾したことをよその親から吹き込まれると喜ぶ親だった。
  又、医者屋のM川から「わしなんかは思考が柔軟で人間性が優れておるもんじゃから、そうじゃから、うちの息子なんか関西医大に裏口入学なんじゃ。どうじゃ、わかったかあ」などと言って「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして得たカネで私立金権関西医大にドバカ息子を裏口入学させたことを自慢にしていて、そう聞かされて、うちの父親は「そうや。その通りや♪ ほんまにほんまにM川先生はええこと言い張る。M川先生がおっしゃることはもっともなことばっかしや♪」と言い、私が「そんなに『思考が柔軟』なら、何も裏口入学なんてしなくても、その『柔軟な思考力』を活かして狂徒大学医学部でも頭狂大学理科三類でも実力で現役で行ったらいいのと違うのですか。なんで、そんなに『思考が柔軟』な人が『患者』を薬漬けにして得たカネで関西医大なんてどこの馬の骨かわからんような所に裏口入学なんてしなければならないのですか」と言っても言っても絶対にきかなかった。「そういうことを言うあたりが、おまえは思考が硬いちゅうことなんじゃあ。わからんのかチャンコロ! ちゃんちゃんコロコロちゃんコロコロ♪」と言って私の言うことは絶対にきかなかったのだ。
  そのK田先生の発言を基準として考えたなら、医者屋民族・医者屋階級ではない者の息子は高校は義務教育ではないのだから高校には行ってはならないはずだったが、ところが、うちの父親の部下になるらしいなんとかさんの息子は大阪の人間なのに東京の大東文化大学なんてものに下宿してまで行っていて、そして、うちの父親は私に言うのだった。「大東文化大学に行った人の爪の垢を飲みなさい」と。私は全世界の人間の爪の垢を飲まなければならない運命に「天の神さま」というお方とかいうやつから定められてこの世に産まれてきたらしい
  うちの父親は私に対してはそういったことを言いまくったし、又、種々様々な妨害行為をおこない、私には行ける大学に行けないようにした。それに対して、うちの父親の勤め先の部下にモリテツという男がいて、モリテツの息子というのが大阪経大(大阪経済大学)なんて私立大学を受けて落ちよったらしいのだが、それを裏口入学させてやろうと、その時、大阪経済大学の教授だったか助教授だったかになっていたうちの母方の叔父(私の母親の弟)に頼みよったというのだ。アホちゃうか・・と思ったが、うちの父親というのはそういうことをする男だった。
  そもそも、大阪経済大学なんて大学は落ちるなんてことがあるのか? 願書だしたら入学試験会場に行って氏名と受験番号さえ書けば通る大学と違うのか? 最近はマークシート方式という試験形式が増えてきており、東大とか京大とかいうような大学はそれだけですませることはできないと記述式の試験も実施しているはずだが、私立大学で「下の方」の大学というのは、マークシート方式でもまともに答えられないような受験生が多いはずだから、マークシート方式だけで十分という試験が多いと思われるので、あてずっぽうに塗ったとしても通る大学と違うのか? それを落ちるとは器用な人間もいるもんだ。私は高校3年の時、1月になって突然、うちの父親が「練習のため、関関同立のどこか受けたらどうだ」と言いだして、それまで、高校卒業時は目標とする国立大学1校だけを受けるということで話は決まっていたはずだったのに、1月になって突然言い出したので驚き、又、そんな時になって言いだすというのは困った人だなと思ったが、断り切れず、しかたなしに立命館大学の産業社会学部という所を受けたところ、思っていたよりも試験問題は難しかったので、もしかして落ちたか・・なんて思ったが通っていた、ということがあったが、これで気がすんだかと思っていたら、さらに「早稲田か慶應を練習のために受けたらどうや」と言い出した。関関同立なら自宅から受けに行くことができるので、その時間が無駄になっても1日だけだが早慶は自宅から受けに行けず、泊りがけで受けに行くことになるので負担も重い。何より、願書提出期限直前になって突然言い出すものではないはずだが、それを言い出すのがうちの父親だった。なんで、この人はこんなことするのだろうと思った。この人は、何か体調不良とかあってこういうことを言いだしたのかと思ったが、後にそうではなくて、そういうことをするのがうちの父親であり、それをやってこそあのおっさん、いかにもあのおっさんらしい行動だと言うべきものだとわかった。これもまた、断り切れず、しかたなしに早稲田大学の法学部に願書を出したのだが、ところが、早稲田大の法学部に願書を出すと、今度は立命館大学の時とは違ってうちの父親は突然に「早稲田は通ったら行くべきやで」などと言い出したので、ふざけんな! せっかく、小学校の1年から真面目に努力して勉強してきたのに早稲田みたいなもんに行かされてたまるか! と思ったし、又、高校時代においても、数学の問題を頭をかかえて考えて考えてできるようになったのに、それを数学なしで受けて入学できる早稲田大なんて「かたわみたいな大学」になんで俺が行かされなきゃならんのだ、と思ったが、このままいくと行かされてしまう。困ったなあ、通ってしまったら行かされてしまう・・と思い、どうしたかというと、試験会場までは行ったものの、結論として「氏名と受験番号だけ書いて白紙で提出してきた」。うちの母親は「東大はともかく、なんで早稲田まで落ちたんやろ」と言ったが、そりぁ落ちて当然だ。白紙で出してきたのだから。うちの親は、いくらなんでも、そんなやり口はないだろう、そんなやり口はいくらなんでも息子がかわいそうだろう・・と私なら思うものをまったく思わない父親と母親だった。もしも、そういうことを大阪経大の入試でもやったならば不合格になることだってありうるだろうけれども、そうでなければ、大阪経大なんて普通は落ちんだろう。それを落ちたて、いったい、どんなけ、できが悪いねん( 一一) ・・というより、大阪経大なんてものまで落ちるような人間がなんで「大学」に行かなきゃならんのだ・・と思ったが、ところが、うちの父親は最終的にどうなるかはさておき、ガチンコで旧帝大系国立大学に合格できておかしくなかった私には「おまえは高校に行ってはならない人間やねんぞ、おまえはこのチャンコロ! ましてや、おまえは大学には行ってはならない人間なんじゃ、わかっとんのかロスケ、わかっとんのかイタコ、わかっとんのかチャンコロ!」と何度も何度も言ったものだったが、ところがモリテツの息子には大阪経大みたいなもんまで落ちるようなやつを裏口入学させてやろうなどと考えたようだった。ユニークな思考をする男だとあきれた。
  おかしなところは何点もある。
(1) 自分の息子ならば、行ける所も行けないようにしてやろうと卑劣な画策をしまくったのに、他人の息子なら裏口入学で入れてやろうとする点は、アホちゃうか・・という感じがする。
(2) なぜ、裏口入学の手引なんてやろうという気持になったかというと、北野病院の院長だか副院長だかの田附(たづけ)という男に紹介されたM川教の教祖で医者屋のM川から「わしは思考が柔軟なもんじゃから、わしの息子なんか関西医大裏口入学なんじゃ」と教えられて、それで「裏口入学する」「裏口入学させる」人間というのは「思考が柔軟」で「大人や」と思い込まされたということが原因だったのだから、何もうちの叔父(うちの父親からすれば義弟)に頼むのではなくて、モリテツの息子は親友であるM川先生というのに頼んで私立金権関西医大に裏口入学させればよかったはずだ。なんで、M川先生に頼むのではなくて、全然関係がない叔父(母の弟)に頼むんだ?
(3) 又、自分の親戚に頼むのなら自分が頼めばいいが、そうではなく母の弟に頼むのであれば、頼む前に母(うちの父親からすれば妻)に「何何さんにこういうことを頼みたいと思うが頼んでいいか」と相談するべきもののはずだが、それをうちの母親には一言も相談なく叔父に話をしたらしいが、これはおかしいだろう。私ならそんなことはしない。自分の側の親戚に頼むのならともかく、妻の親戚に頼むのであれば、頼む前に妻に話をする。又、うちの母親に「なんで、あの人はモリテツの息子みたいなものを裏口入学させようなんて、M夫さんに頼むんだろうねえ。おかしなことする人だね。アホやと思われるよ」と言ったのだが、うちの母親もまた「全然、話を聞いてなかった」と言うだけで、「なんで、あなた、私の親戚に私に無断でそんなこと頼むの」と抗議することすらもしなかったようだが、これもおかしい。
(4) うちの父親の親友だというM川という医者屋の男だが、自分が裏口入学する人間を「思考が柔軟なんじゃ」とか「大人やということじゃ」とか言ってうちの父親に吹き込んだのだから、その結果として、うちの父親は部下の息子で大阪経大なんてものを落ちるようなやつを裏口入学させて自分も「思考が柔軟なんじゃ」「大人や」というところを見せたろと思うに至らせたのだから、M川は責任もってその裏口入学も自分がとりもつべきものであり、なんで、M川は自分がモリテツの息子の裏口入学をとりもたずに叔父の所に話を持っていかせるのか。これは勝手すぎないか。
(5) だいたい、普通に考えて「天秤に載る話と違う」と思うのだ。叔父が自分の息子か、そうでなくても、せいぜい甥とかで出来の悪いのがいたとして、自分が勤めている大学に「うちの息子なんですけれども、本当にできが悪くて通る所がないのですが、うちの大学でめんどうみてやるわけにはいきませんでしょうか」と言ったならば、なんとかなる可能性だってあるかもしれないような気がするが、しかし、「その方はどういう関係の方なんですか?」ときかれて、「赤の他人です」なんて答えたならば、はあ? はあ~あ?・・となるのではないか。「天秤に乗る話ではない」だろう。そのくらいのことは考える頭があっていいのではないか。
(6) 叔父にしても、モリテツと会った上で「絶対にお断りしますわあ」と言って断ったというのだが、会うべきではない。そんなもの、会わない方がいいはずだ。会わずに、うちの父親が電話で頼んだ段階で「お断りします」と断るべきだし、「天秤に乗る話と違います」と言ってもうちの父親はわからんだろうけれども、ともかく、会わない方がいいはずであり、それを会った上で断ったというのは、会ったという点で間違った判断をしている。
(7) だいたいなあ、大阪経大なんてものに落ちるようなやつに裏口入学させてやろうと考えるその発想がおかしい。私は自分が高校生の時や高校を卒業してしばらくは裏口入学なんてさせてやると言われても「要りません」と断固断るつもりでいた。そんな話はないけれども、たとえ、あっても断るつもりでいた。 「週刊現代」で若ノ鵬が述べていたが、琴欧州が大関でカド番だった場所で、琴欧州は中盆の恵那司に稀勢の里に負けてもらうように頼みに行ってもらったが、恵那司がいくら頼んでも稀勢の里は八百長に応じず、最後、「800万円だしますから負けてください」と言いと稀勢の里は「やかましい! 向こう行けえ!」と怒鳴りつけたそうだ・・が、私もそんな感じの気持ちでいた。私に裏口入学でどこかの大学に入れてあげるなんて話はないけれども、たとえ、あったとしても「やかましい! 向こう行けえ!」て気持でいた。 しかし、自分自身が大学を受ける息子がいてもおかしくない年齢になると、少し、気持ちは変わった。もしも、東大でも受けて行こうという息子がいたとして、その息子が通るかどうか微妙という状況だったとしたならば、もしも、東大の入試にいくらかカネを出したら20点でも買えるという話があるならば、そんな話はないし、あったら私の所ではなくどこか他の所に行くだろうけれども、東大に行きたいが通るかどうか微妙という息子のためなら、出せる金額なら出して20点でも買ってやりたいという気がしないでもない。「20点」というのはどういう点数かというと、合格最低点に10点足らない場合でも20点足せば逆に合格最低点を10点上回ることができるという点数だ。要するに、合格最低点に少し足らないという場合に点数を買って合格最低点を少し上回るということにしてもらえるものならということだ。もしも、東大の入試に合格最低点に10点不足する点数を取るような息子がいるならば、いくらかカネを払えば合格最低点を10点上回ることにしてもらえるのなら、親の気持ちとしては出してやりたいような気もする。そのために悪人だと言われるのなら息子のためなら言われてあげよう、石を投げつけられるなら一発や二発なら投げつけられてもかまわん。自分が受けるという立場の時は、たとえ、そんな話があったとしても「やかましい! 向こう行けえ!」と思ったものだったが、そうではなく自分が親の立場で考えるならば、東大に行きたいと考えて努力しているが合格最低点に少し足らないというようなケースならば、合格最低点をいくらか上回る点数を買えるということならば、親の気持ちとして買ってやりたいような気持にならないことはないしかし、合格最低点に少し足らないという場合のことであり、相当の点差がある場合に無理に裏口入学させたいなどとは思わないし、又、東大にでも行こうとして努力している息子が合格最低点に少し足らないという場合ならばということであって、大阪経大みたいなもんに落ちるような息子を裏口でまで大学に入れたいなどとは思わない。そんな大学でも落ちる息子なら私が親ならば「それでも大学に行きたいのか」と尋ねて、それでも行きたいというのならば、「1年間、浪人させてやるから、その間、必死で勉強しろ。それで行ける所に行け」と言ってあげます。その方が本人のためです。大阪経大なんてものまで落ちるような人を裏口入学なんてさせたら本人のためになりません。私が親の立場なら、そんな息子を裏口入学なんかさせません。そのあたりの判断がうちの父親もモリテツもおかしい。
(8) そして、その人間がどういう相手なのか、ということを考える必要がある。元外務省の佐藤優がどこだったかで書いていたが、諜報機関員というのは、もしも、その相手と実際には会っていたとしても「会ってない」ということにしたならば、たとえ何があっても「会ってない」のであり、それを破って「会っていた」なんて言うことはない、というのだ。それが諜報機関というものだと。10年ほど前だったか、「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったかに現役力士座談会という記事が掲載されていて、そこに十両以上になると、たいていの力士には八百長の誘いが入り、それを断るのは難しいが、誘われない力士・誘われにくい力士というのがあり、若ノ鵬は身体能力が相当優れていることから相撲をそれほど覚えていないうちに幕内まで上がってきたことから演技が下手でばれそうな八百長をするから一緒に八百長をすると危ない。そして、高見盛は口が軽いからあいつと一緒に八百長をやると危ないと思われていて、珍しく誰からも八百長を誘われない、と書かれていた。それと似たようなところがあると思うのだが、裏口入学なんてものは、口の軽いやつと一緒にやったらだめなはずだ。モリテツなんてあんなやつ、どこで何を言いよるやらわからんだろうが。だから、たとえ、裏口入学させることができたとしても、そういうやつと一緒にやってはいけないのだ・・・と私なら思うが、わからんかなあ・・と思ったが、うちの父親というのはわからん男だったようだ( 一一)
・・・うちの父親は、そういうアホなことをしなきゃおれない人間だったが、それにしても、裏口入学というものを「思考が柔軟なもんじゃから裏口入学なんじゃ」とか、「そのあたりが大人やちゅうことなんじゃ」とか吹き込む人間がいなかったならば、うちのアホな父親もそういう愚かなことはしなかったはずだが、そういうアホなことを吹き込む「新興宗教の教祖みたいな男」を紹介した北野病院の院長だか副院長だかの田附(たづけ)という男は許せん、と思う。
  「朝日新聞」に掲載されていた代議士秘書の話にしても、その代議士秘書は「議員秘書をやって何が嫌かといって、裏口入学を頼まれることほど嫌なものはない」と述べていたのであり、後援会会長から「息子を」と頼まれたからしかたなしに対処したというもので、そうでなかったら断っているのに、それを代議士秘書でもないのに、しょーもないやつにさせようと考えるおっさんて、この人、どこまでアホなのか・・という気がした。

   大学生の時に家庭教師とか塾の講師ではないアルバイトを何かひとつ経験するなら、それは卒業して正社員として勤めてから有効な経験になるとは思う。しかし、実際問題として大学生というのは決して暇ではないので、そんなにアルバイトをやっている時間は本来ならないはずだ。又、もしも、アルバイトをするならば、
(1) 父親の勤め先とかではなく、そういうものには全然関係がない所に応募して行った方が、応募するという作業からして経験になる。又、父親の勤め先なんかに行くと正社員の人で逆に気を使ってくれる人がいて、それでは一般の職場に勤めた場合とは事情が変わってくる。だから、20歳前後の頃、大学生の時に社会経験を兼ねてアルバイトをするということなら、応募して採用されたり不採用にされたりするのも経験だとするなら、親の勤め先の会社ではない所に行った方がいいと思うのだ。
(2) その後、正社員として勤めたがうまくいかずに退職して、次の勤め先が決まるまでの間、つなぎの仕事としてアルバイトをしなければならないというようなことがあった場合に、大学生くらいの年齢ならば、それまでにやったことがない仕事でもアルバイトとして雇ってもらえることが多いが、30代・40代になってくると過去に経験したことがある場合には雇ってもらえるが、経験がない場合はアルバイトでも採用してもらえないということもあるので、そういう時のことを考えると、大学生くらいの時にアルバイトをやるならば、将来もその仕事があるような仕事をアルバイトとしてやっておいた方がいい、ということがある。たとえば、コンビニの店員のアルバイトとかなら、今もあるが、うちの父親の勤め先の工場で雇ってもらおうと思っても、私が行った工場は今はなく、他の場所に新たに工場はあるらしいが、そこで雇ってもらおうと思っても、こちらが年齢を重ねているとなかなかそうもいかない。そういったことを考えると、アルバイトの経験をするなら、その後もありそうな仕事をアルバイトとしてやった方が将来のためという面がある。
(3) うちの父親は「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに決めてきたっ!」と言って実際に働く人間に一言も断りなく決めてきますが、なぜ、自分の勤め先の会社にアルバイトに行かせたかったかというと、「わしい~は会社っちゅうところでは、ものごっついエライ人やねんで。おまえなんか、わしの顔をひと目、拝ませていただきたいと思うても拝ませていただくことはでけへんねんぞ。わかっとんのかチャンコロ、わかっとんのかチャンコロ」とやりたかったからでしょう。私はそのような思考は愚かだと思います。うちの父親がこういうことを言っていたと下の姉に話したところ、「あんな人の顔なんか拝ませていらんわ」と言うのでしたが私も同感でした。
・・だから、うちの父親のように「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに、決めてきたっ!」などと私に無断で決めてくる人というのは、これは困りものだ( 一一)
  しかし、うちの父親の勤め先にアルバイトに行ったということから「おもろいもんを見せてもろうた」というものもある。
[1] そのモリテツだが、私が春休みに大阪に帰ったら、その会社のある部署の作業にアルバイトに行くとうちの父親が「決めてきたっ」ようでしたが、私の方では東京圏でやらないといけないことがあったので、それを終えてから帰るしかなかったのでした。ところが、アルバイトに出勤すると、モリテツが「ちょっと、きみに苦言を呈したいんやけどな。きみはいったいいつになったら来るんや。アルバイトに来ると言うから、こっちは待っておったのに、ずいぶんと待たせるやないか。こういうことは社会人として気をつけた方がええと思うから、苦言を言わせてもらおうと思うんや」とそう言いよったのだ。しかし、私の方は最初から最後まで、その時期にならないと帰れませんとずっと言ってきたはずで、もしも、それより前に行くと言っていたのなら、私が言ったのではなく、うちの父親が言ったのだろう。
  モリテツは言うべき相手に言わず、言いにくい相手に言うのではなく、言いやすい相手に言いやがった、ということだったようだ。この男はそういう男だったのか、ほお~お( 一一) と思いました。会社員のくせに、けったいなチョッキ着てからに、おまえの方こそ、社会人としてその格好はおかしいだろ・・と思ったが、しょせんは大阪経大みたいなもんを落ちるような息子の父親ですから、「その程度の男」なのでしょう。しかし、父親の勤め先の会社にアルバイトに行ったことによって「おもろいもん、見せてもろうた」と思いました。

[2] もうひとつ、あります。最初に工場にアルバイトに行った時、工場長は部長に該当する人がなることになっていたらしいのですが、その時は工場の部門で部長の役職をもらっている人は空席で課長の人が工場長の役割をしていましたが、その下の係長になっていた人と主任だった人が最初にアルバイトに行った時に私に指示してくれたのでしたが、その係長になっていた人ですが、私がアルバイトに行った時には、その時は私はアルバイトの従業員でその人は係長だったのですから、係長として指示すればよかったはずなのですが、むしろ、上役の息子さんと思ったのか、ずいぶんと下手に出て、けっこう親切にしてくれたのでした。
  それはいいのですが、その方は元々はボイラーマンとして入社した人だったらしいのですが、工場にボイラーマンの資格を持っている人がもう1人いたことから、ボイラーマンは2人は必要ないということもあって、工場の係長になったのですが、大阪駅からそれほど遠くないような場所に工場を設置していたのではもったいないということで、工場は他の場所に設けてその場所の工場を閉鎖することになり、その際に、その方は営繕の係に変わりました。営繕の係というのは、会社の建物や設備で不具合があった時に自分で直せるものは直して、できない場合はつきあっている工務店の人間に依頼して直してもらうよう手配するという係らしい。
  うちの父親が他界した後も、うちの母親は会社の営繕の係だったその方に、自宅の不具合について相談したりしていたようです。相談するとつきあいがある工務店に話をして来てもらうように手配をしていたのです。しかし、ある時、我が家の補修のリフォームに身に来てもらった時、その人は工務店の人間と一緒に来たのですが、補修のリフォームというのは「どこまで補修するか」という問題があり、カネかければ補修できても、どこまでかけるかと思案するところがあります。それを、その人は工務店の人間を連れてくると、「これは直さんといかんわ」と勝手に決めつけて、「おまえ、施主と違うやろ」という態度を取りまくったのです。しかも、「これは、・・せんとあかんわ」と正真正銘、住宅建築業に長く勤めてきた、そして、いくつかの住宅建築関連の資格も取得してきた私に向って言うのです。そして、その時になると、私に「それは、こうせえ」とか私に命令するのです。なんで、あんたに命令されなきゃならんの? どうも、彼は私が大学生という立場の時にアルバイトで彼が係長だった工場に働きに行ったことから、私のことを自分の部下だと思ってしまったようで、私がアルバイトはやめて、そして、その会社とは別の会社に勤めて実績を残していても、それでも自分の部下だから自分は命令する権利があるみたいに思ってしまったらしいのです。
  同時に、うちの父親が生きていた時は上役の家族だと思っていたけれども、その上役は他界していないから、もう「上役の家族」ではないと思ったようでした。なんとも、愚かな男です。この人、工場に行った時はけっこう親切な人だと思ったけれども、こんなやつだったのか・・とがっかりしましたし、また、「おもろいもん、見せてもろた」とも思いました。うちの父親は高いして「常務さん」ではなくなったかもしれませんが、その後も株主ではありますし、社長とは親子とか兄弟とかではないとしても親戚ですが、どうも、そのおっさんはそういうことも考えなかったようで、私がアルバイトとして行った時にはアルバイトの従業員として扱えばいいものを「上役の息子さん」として接して、アルバイトはとうにやめて何年も経つと、今度は逆に、私はその工事における施主なのに、自分の部下に対するような、ずいぶんと横柄な態度を取りだしたのでした。おもろいおっさんやなあ・・と思いましたし、最初はボイラーマンとして入った人だったけれども工場の係長をやってもらっていた人だということでしたが、係長としての役割をしてきた人かと思ったけれども、言っちゃなんだが「しょせんは、ボイラーマンやってるのが関の山の人だった」と認識しました。この人、この程度の人だったのかと思ってがっかりしました。

  大学は夏休みとともに春休みが長期間あります。うちの親は「大学みたいなもん、やることなんか何もあらへん」と言ってきかない人間で、私が「そんなことありません」と言っても言っても絶対に理解しない人でした。「ぼけっとしててもしゃあないで」と言うので、「ぼけっとなんてしてませんけれども」と言っても、「そうか。ぼけっとしてないか。そやけど、ぼけっとしててもしゃあないで」と言うのです。
  「甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはこのチャンコロろすけっ!」と言うのです。「アルバイトして働くのを嫌がる人間はモラトリアム人間病という病気です。病気は治さんといかん、病気は治さんといかん!」と言って、「作業療法」として強制労働につかせることで「治療」しようとするのです。なぜ、私だけがアルバイト漬けにされなければならないのか、と思いましたし、今、考えてみれば、あんなにアルバイトばっかりやるくらいなら、大学なんか行かずに高校を卒業してすぐに正社員として就職して働いた方がよっぽどいいと思います。
  1980年代、今はなくなりましたが、その頃は大阪万博の跡地にエキスポランドという遊園地がありました。2月は閉園して補修作業をおこなっていたようですが、そこのジェットコースターのペンキ塗装の仕事を補助する仕事のアルバイトに1カ月間行きました。やっと終わった、これで勉強できると思うと甘かった。「あんた、あしたからうちの会社の・・の作業に行くことに決めてきたっ♪」とまたもや、うちの父親は「決めてきた」のです。これでは大学になんか行かない方がいいです。大学なんか行かずに高校を卒業してすぐに正社員として勤めれば、そうすれば、もう親に生活費を出してもらわずに自分で生活しているのだからということで自分で判断して何でもできる、ということならば、そうした方がずっといいと思いましたし、また、私はそうしたいとも言ったのでしたが、させてもらえませんでした。
  それだけではなく、うちの父親は困ったことに「ええかっこしい」でした。”” なんで、そんな相手に「ええかっこしい」やりたがるのか、と思うような相手に「ええかっこしい」やらなきゃ気がすまないシンドロームの重症患者 ”” でした。そのペンキ塗装の会社に雇われてエキスポランドに行っていたアルバイトの大学生は3人いたのでしたが、私以外の2人を、うちの父親の勤め先の会社のアルバイトに行かせろと言うのです。「友達やろ。友達は大事にせんといかんやろ」などと言うのです。それで、私は「友達とは違います。アルバイト先に来ていたというだけの人です」と言ったのですが、「そやから友達やないか。友達は大事にせんといかんやろうが」と言ってきかないのです。今から思うと、あの人、いったいどこまでアホかという気がします。
  「友人」と「知人」という言葉があります。「友達」というのは「友人」に近い言葉です。「知人」というのは、顔と名前を知っていて、それ以外にも何か知っているものもあるけれども、「友人」だというほどの関係ではない人のことです。「友人」「友達」にしても何から何まで信頼できるということではないとしても、ある程度以上、その人について知っていて、この人ならこういうことは大丈夫だろうとか、この点は信頼できるだろうとかいう人を「友人」と言います。但し、分類上はそうですが、話す場合には「知人」でしかない人間でも、あんたは「知人」であって「友人」ではないとは言いませんから、「知人」でしかない人でも「友人」と表現することが少なくありません。「友達だろうが」とか言ってくる人間は要注意ですが、「友達」ではない相手でも「あなたは友達ではありません」とは言わないことが多い。
  しかし、実際のところ、仕事を紹介するとなると、たとえアルバイトでも、その人を紹介していいかどうか、紹介した人間として責任を負える人かどうかということを考えないといけません。だから、私は「なんで、紹介しないといけませんの」「別に、紹介することないでしょ」と何度も何度も言ったし、「友人」だとか「友達」だとかいうほどよく知っている人間ではないので、紹介してあげる義理もないし、又、特に深くつきあいたいと思っていた人間でもなかったのです。
  ところが、うちの父親は私が「友達とは違います。アルバイト先に来ていたというだけの人です」と言っても言ってもきかないのです。とうとう、根負けしてしまって、その2人に誘いましたが、片方はやりたいことがあると言って断り、片方の和歌山県出身で関西大学に在学しているという男だけが来ました。しかし・・・。
  やっぱり、こいつは紹介するべきではなかったなあ・・ということがあったのです。その部署の正社員の某さんが、そいつに言ったのです。「あんた、しんどそうやったなあ」と。なぜかわかりますか。彼は夜もアルバイトをしていたのです。だから、夜もアルバイトをして昼も来ると、普通の人間のように働けないのです。私は、自分がペンキ屋のアルバイトに行っていた時には、けっこう広い場所で別々に仕事をしていたので彼がどんな働き方をしていたかなんて知りませんでしたが某さんは気づいたのです。こいつ、人から仕事を紹介してもらっておきながら、そんなことしているのか、と思いました。
  それだけではないのです。父親の勤め先にアルバイトに行くと、父親の部下にあたるような人が、向こうから挨拶してきてくれたりするのです。それは単に挨拶してくれるだけなので、中には私が子供の頃、一緒に遊んでくれた人を見かけたこともあり、私としてはなつかしかったので話しかけたかったのですが仕事中に話しかけてはいけないかと思って控えたこともありました。ところが、アホを連れていくと、アホは私が何か特権でもあるかのように勘違いするのです。こいつは、やっぱり、紹介すべきではない人間だったなあ・・と思いました。
  若い女性社員の人でも向うから挨拶してくれる人があったりしました。そうすると、アホは私が何か特権があるのかと勘違いしていますから、「おい、おまえ、女、紹介してくれや」とか言ってくるのです。なんで、うちの父親はこういうアホを自分の勤め先に紹介させたがるのか、なんで、うちの父親というのはあそこまでアホなのかと思いました。 もしも、真面目につきあって結婚までいきたいと思って女性と知り合いたいと思う男なら、それならつきあってもいいと思いますよ。しかし、その男はそうではないのです。そうではなく、単なる「遊び相手」として「女、紹介してくれや」とか言うのです。そんな人間には、たとえ、知り合いがいたとしても紹介するようなことはできませんほお、この男はそういう人間か( 一一) ・・と思いました・・が、うちの父親というのは「わしは人生経験豊富で、百戦錬磨で海千山千で泰然自若の人間やねん」とかギャースカぎゃーすかギャースカ言いながら、まったく何もわかっていない。今から考えると、その時の私は「おまえには、そんなもの、絶対に紹介なんかできんわ」と思ったというのは、まともな判断力があったということだと思います。
  勤め先にアルバイトであれ人を紹介する時には、この人を紹介していいかどうか、判断して紹介しないといけません。私は前のアルバイト先にいただけの人間で、その人がどういう人間かなんてわかっていない人を紹介なんてできませんときっちりと言ったのでしたが、うちの父親というのは困った男で「友達やがな、友達。友達は大事にせんといかんがな、友達は」などとアホなことを言って無理矢理、紹介させたのです。むしろ、そういうことをすると「大事にする」ということをしてもらったとアホは考えず、逆になめられます。そういうやつには仕事の紹介なんてしては、かえってよくない。それは「大事にする」ことになりません。
  慶應の内部進学の人というのは「内部進学は正しい」というのを真理だと思っているのです。私ならば、同じ高校の出身者とか同じ中学校の出身者とか、同じ地域の出身者とかには、いくらか親しみを感じるということはありますが、だからといって、それだけでその人が正しいとするようなことはありませんし、自分と出身校が違う人でも出身地が違う人でも、この人は評価できると思えば評価しますし、自分と同じ学校の出身でもこいつはだめだなと思えばだめだと判断します。ところが、慶應の内部進学の人というのは、そういう判断ができないし、そういう判断をしようという姿勢が完全に欠落していて、かわりに、内部進学は正しい、次にそれに準ずるような私立高校出身者は正しい、次に・・というそういう思考しかできない。そういう思考態度のことを「慶應心理学」は「独立自尊の精神がある」とか「自我が確立されている」とか「診断」するのですが、「慶應心理学」て・・なんか変わってるね。私が、ペンキ塗装のアルバイトの職場に来ていた関西大の学生について、ペンキ塗装の仕事の時は別々に動いていたし、終わればすぐに帰ったし、帰る時はエキスポランドには最寄駅はその時は大阪モノレールは走っていなかったので阪急千里線「山田」駅しかなかく、原付で別々に帰ったので特につきあいはなかったけれども、うちの父親の勤め先の会社の作業の場合は同じ場所で作業をすることになり、食事も会社の食堂か近所の食堂に行って食べたので、それで、「こいつはそういう人間か」とわかったのでしたが、うちの父親というのは、会社勤めを何年もやってきたというのに、なんで、そういうのが見えないのかなあ~あ・・と思いましたが、見えないおっさんだったようです。うちの母親が言うには「附属に行った人はそんな感じや」と言うのですが、「附属」というのは大阪教育大学附属小学校と神戸大学教育学部附属小学校のことですが、大阪教育大学附属小学校というのは慶應幼稚舎なんかとは違って私立ではなく国立なのですが、大阪教育大は大学は国立の側ですが、大阪教育大の附属の小学校・中学校については設立母体は国ですから国公立に分類されるのですが、学校の体質としては公立ではなく私立の体質に近いようで、そこに行ったらしいうちの父親というのは慶應の内部進学の人と一緒で、ひとりひとり、人を見て判断するという思考能力が欠落するようになるみたいなところがあったのかもしれません。アホに紹介したらいかん・・て、そういうことがわからんのか、と思いますが、わからんおっさんだったようです( 一一)
  ・・もちろん、こういうことを言っても、自分がその「紹介したらいかん」と思われる側にされる可能性だってないわけではありません。「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉もあり、ろくでもない人間が高く評価されて、少なくともその人間よりは評価されるべき者が駆逐されることだってあります。しかし、それでも、そういう判断はしないといけないではありませんか。自分を「紹介できない」方の人間だと判断する人がいるならば、これは「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で述べていたが、私を「紹介できない」方の人間に分類する人というのは、私からすればその人の方こそ「紹介できない」方の人間かもしれません。これはお互いさまです。お互いさまですが、しかし、自分が「紹介できない人」の方に分類されてしまう可能性だってないわけではないとしても、それでもやっぱり、そういう判断をしないわけにはいかないじゃないし、私は彼を「紹介したくない人間」と考えたのは単に気分からとかではなく論拠があってのことだったのです。違いますか。父親の勤め先なんかアルバイトに行かない方がいいと思っていたものを無理に行かされたのでしたが、後から考えてみると、そういう所に行ったことから「おもろいもん、見せてもろた」というものがいくつかありました。

  北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったのですが、卒業して10年以上経って冷静に考えることができるようになってみると、いい部分もあったけれども、全体としてはどう考えてもあまりいい学校ではなかった。それならどこに行けば良かったかというと、ここがいいと思える所というのはないが、それにしても、特に2年の時に「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを自慢にしているバカ女症候群 に担任を持たれたのは災難やった。「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」なんて自慢することと違うやろ・・というものを自慢しなきゃおれないシンドロームの重症患者でそれについて「病識がない」女というのは本当に困りものだ。父親というものがいると、いったいどれだけ大変かということを少しは考えてみるということが、特に「父親がいなかった」バカ女が高校の教諭になる場合には必要なことだと思うのだが、今の日本の制度では、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とギャーギャー言えば誰もが「作野先生はお父さんがいなかったからエライですわあ」とほめる義務があると勝手に思い込んでいるバカ女が教員免許を取得したからということで一生、「先生」としてふんぞりかえって生活できるという制度になっている。
  朝、家を出る時、「お土産、買ってくるからねえ。楽しみにしといてねえ」と子供に行って出て、毎回、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやって楽しむ男がいるとうれしいか? そうは言っても、その男の給料で食べさせてもらって成人したのだから、その点については、「感謝せええよお、感謝せえよお。わしに感謝、わしに感謝。感謝、感謝、感謝、感謝。か~んしゃ~あ、か~んしゃ~あ、朝にも感謝、昼にも感謝♪ か~んしゃ~あ、か~んしゃ~あ。夜にもかん~しゃ~あ♪ わしに感謝せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ。まんまんまんまんまんまんま~ん。わし、今までにあんたに、わしに感謝せえとかは一言として言うたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん。」と毎日毎日、言われ続けてきたが、「わし、今までにあんたに、わしに感謝せえとかは一言として言うたことはないやろ」とおっしゃいますが、あんた、今、言うたやろうが。あんた、さっきから言いまくっておるやろうが、と思ったのだが。それはそれとして、そのおっさんの給料から食べさせてもらって成人したというその点については感謝もするべきであろうけれども、しかし、大学進学などについては、私の場合は親のおかげで努力の成果をすべてまとめてドブ中にどぼ~んとほらされた。そして、ガチンコの私に八百長裏口人間のゴルフバッグをかつげ! とうちの父親は何度も言ったのだったが、旧姓作野礼子は父親というものがいるとそんなにいいと思なら、とりあえず、旧姓作野礼子が八百長裏口野郎のゴルフバッグをキャディーやってかついだらどうなんだ!!! 八百長裏口野郎のゴルフバッグをかつげ、旧姓作野礼子!!! 甘ったれるな、旧姓作野礼子!!! あの女はおそらく、死ぬまで自覚することはないだろう。そんなバカ女症候群が教諭やってた高校というのは・・⇒「あんまりいい学校とは言えない」と認識するようになった。

  旧姓作野礼子は「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」とずいぶんと何度も言いよったのだが、
《1》そんなにいいと思うなら、とりあえず、旧姓作野礼子が、八百長裏口野郎のゴルフバッグをキャディーやってかつげよ。それをやらないで何を勝手なこと言いまくってんだよ。
《2》とりあえず、旧姓作野礼子が「お土産、買ってくるからねえ~え。楽しみにしといてねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とされる経験をしろよ。その経験をしてから「いいお父さん」であるとかないとか言ったらどうなんだ。
《3》「いらいらっとしたから、かけたんねん」と言って四六時中かけてくる電話攻撃も、旧姓作野礼子は引き受けてくれよ。自分はそういう「いらいらっとしたから、かけたってん」と言って四六時中かけてくる電話は1本として引き受けずに、何をバカ女は勝手なこと言ってんだよ。
《4》 うちの父親の給料から食べさせてもらって成人したということについては感謝もするべきだろう。しかし、あの男がいたから「おまえはこれを食え」と言ってすき焼きの鍋に油をしくための脂肪の塊を食わされたのだ。旧姓作野礼子は「父親がいなかった」ということだから、鍋に敷くための脂肪の塊なんて食わされることもなかっただろう。「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言うならば、とりあえず、旧姓作野礼子は鍋に油をしくための脂肪の塊を口に入れて食べてみることだ。えらそうな口をきくのはそれからにしてもらいたい。鍋に油をしくための脂肪の塊というのがどれだけ気持ちがわるいものか、話はそれを食ってからのことだ。
  福沢諭吉は『福翁自伝』で、自分は人に手をあげたことはない人間で、慶應義塾においても塾生に指導するにおいて手をあげるというようなことはあってはならないと考えてきたが、一回だけ、夜遅くに酔っぱらって帰ってきたけしからんやつがいて、そいつに一発、ポカンとやってしまったことがあったが、たとえ、けしからんやつに対してであれ、ポカンと殴ってしまったのは大変申し訳なかったということを述べているが、私もその福沢諭吉の考え方と同様に思ってきた人間であり、慶應体育会の教授のような考え方は絶対に間違っていると確信している人間であるが、しかし、会社という所に勤めてみると、5・15事件の時に犬養毅が「話せばわかる」と言ったというが「話してわからせるのは無理」という人が現実に存在する。旧姓作野礼子もまた、話してもこのバカ女症候群の「このビョーキは一生、治らない」と思われる。もし、この女の顔を見たら、ポカンというよりボカンと殴りつけたい気持ちになりそうで、そんなバカ女症候群を殴って暴行罪だのと言われたのではかなわんから、二度と会いたくない。こういう女はどういう「治療」をすれば、全快は無理としても、いくらかなりとも改善するのだろうか。シベリア送りにして「作業療法」として強制労働につかせれば、少しは「真人間になる」ことができるだろうか。〔⇒《YouTube-流刑人 - アレクサンドル・スヴェシニコフ指揮ソ連国立アカデミー・ロシア合唱団》https://www.youtube.com/watch?v=B7drh7esOiE 〕

  (2022.11.10.)

☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html 
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html 
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か?  「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、いったいどれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。〔今回〕

☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝 
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html 

●  長く、BIGLOBEブログにて公開してまいりましたが、2023年1月31日にてBIGLOBEブログが閉鎖されることになったようですので、これまでに公開したものをSeeSaaブログに移行した上で、今後はSeeSaaブログにて公開を続けたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。 (2023.1.31.)

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