「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。

[第612回]
  私は大学入試というのは公平ではないと思っている。我が家は母親の家系が学校の先生が多い家系で母方の祖母も「勉強する人が好き」という人間だったので、その点では小学校から中学校に入るくらいの過程では勉強しやすい方の家庭だったのではないかと思う。
  しかし、そうでない面もある。たとえば、ずいぶんと「習い事」のようなことをさせられたが、私がまだやりたいと思ってもやめさせられたものがあるし、私がやりたいと言ったわけでもないのにさせられたものもある。なんで、あんなことさせるのか、なんであんなものやらなきゃならなかったのかと今になって思うものもある。

  大阪市東住吉区に住んでいた時、小学校の1年から2年にかけて、ヤマハの音楽教室 というのに通わされたのだが、学費は半年ごとに払うことになっていたのだが、2年の前半でやめさせられた。私としては2年間のものだったので残り半年なら終わりまで行きたかったのだが、私の意思などまったくきくことなくやめさせられて、かわりに近くの高校の先生で土曜日に自宅でピアノを教えていた方の所にピアノを習いに行かされた。私が親ならば本人の意思というものをもうちょっと尊重するし、本人がやりたいと思うことをやるならば、親が本人の意思を無視して決めたものをさせるよりも上達もすると考えるが、うちの親は「なんで息子の言うことなんか、きかんといけませんのん。息子の言うことなんてきいてはいかんでしょうが。息子というものは、ぎゅうぎゅう言うことをきかさんといかんもんでしょうが」と言う親だった。
  その後、大阪府の北部に転居して、そこまで通えなくなった時、その先生の妹さんが十三でピアノを専業で教えておられたので、そこに通ったが、「バイエル」を終えると、その次に「第二バイエル」みたいなものをさせられて、その次にはまた「第三バイエル」みたいなものをさせられて、せっかく、ここまでやったのだから、次はもう少し難易度が高いものをやりたいと思ったが、口に出しては言わなかったと思うのだが、小学生がそう思っているだろうと見抜かれたようで、「こういう基礎的なものをきっちりとやっておくのが大事だから」とその先生は言われたのだったが、小学生の方は、なんというのか、野球の素振り、テニスの壁打ちばっかりさせられているような感じで、面白くなかった。やっぱり、面白くてこそ向上するものであり、いくら、素振りや壁打ちが大事だと言っても、そればっかりさせられていたら、そのうち、嫌になる。野村じいさんは素振りは野球選手にとって大事だと書いておったが、大事であったとしても素振りばっかりさせられて、ボールを打たせてもらえない、試合に出してもらえないではそのうち嫌になると思うのだ。今から考えてみると、あの先生は「第一バイエル」「第二バイエル」「第三バイエル」くらいしか教えられない人だったのではないか、と思う。
  うちの母親は「女の子になんか負けてはいけません」と言ったのだ。そして、「先生の息子になんか負けてはいけません」とも言ったのだ。だから、私は「女の子」がピアノを習うのは「嫁入り道具」みたいなもの、もしくは「女子としてのたしなみ」みたいなもので、いわば、「お茶」「お花」「着付け」の類、いわば「有閑階級の暇つぶし」みたいなものであり、それに対して私の場合はなれるかどうかは別として、プロのピアニストにでもなれるようにということでのものなのだろう、それが「女の子になんか負けてはいけません」という意味なのだろうと思っていた。「先生の息子になんか負けてはいけません」というのも、その十三のピアノの「先生の息子」というのが私より1つ年上だったか同年代だったのだが、「先生の息子」もまた母親からピアノを習っていて発表会にも出ていたのだが、「先生の息子」というのは母親は家でピアノの先生を専業でやっていて伯父は高校の音楽の先生をやっていた音楽系の家系で、「先生の息子」はそれより上の音楽家にならそう・なろうとしていた人だったから、そういう《「先生の息子」になんか負けてはいけません》と言うからには、「世界的音楽家」とかいうものになれるかどうかはさておき、ならせたいということで、そうなろうと努力したらうちの親は喜ぶのだろうと小学生は思ってしまった。
  ところが、ピアノの練習をして、そして、発声練習やって腹筋運動やってコールユーブンゲンやってしたところ、私が20歳前後頃だったか、うちの父親はこう言ったのだ。「おまえ、歌、うまい。おまえ、宴席で黒田節うたえ、黒田節。『さあ~あけえはあ飲~めえのおめえ』と黒田節うたえ、チャンコロ! とってちってたあ~あ!」と、そう言ったのだった。私が小学校1年の時、うちの父親は『少年少女世界の偉人伝 ベートーベン』なんて本を買って私に読ませたのだったが、そういう本を子供に読ませるからにはベートーベンのような人間になったら、なれなくてもなろうと努力したらうちの親は喜ぶのだろうと思いこんでいたら、そうではなく、そういう本を読ませることで努力をさせた上で、私に宴席で黒田節を歌わそうとしていたようだった。私は宴席でブタ人間どものために黒田節を歌わされるために、ピアノを練習し発声練習をやり腹筋運動をやりコールユーブンゲンもやったようだった  1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを自慢にしていた女だったが、「あなたのお父さんほど、いいお父さんはないわよ」と言うのだったが、ピアノの練習をして、そして、発声練習やって腹筋運動やってコールユーブンゲンやって、「おまえ、宴席で黒田節うたえ、黒田節。甘ったれとってはいかんぞ、チャンコロ。『さ~あけえはあ飲おめえのおめ』と黒田節うたえ、チャンコロ」と言われるためにピアノの練習もさせられたようだった。
  北野高校の生徒とか卒業生で特別の曲でなければ初見の楽譜でも即座に弾いたりするような人とかいたのだが、私はなぜそうなれなかったのかというと、ひとつは小学校の5年だったか6年だったかの時、うちの母親が「もうすぐ、中学校に行くのだからピアノはもうよろしい」と言って私の意思を無視してやめさせてしまったということがあったが、それとともに、「近所の子に半分、子供のお守みたいにピアノを教えている人」にピアノを習うのと、ピアニストとしてどのくらいのものかはさておき、ともかくも「プロのピアニスト」という人について習ったかという違いは大きかったと思うのだ。うちの知り合いにそういう「プロのピアニスト」はいなかったのかというと、うちの姉2人は「プロのピアニスト」という人についてピアノを習っていたらしいのだ。それでも、うちのお姉さん2人は「プロのピアニスト」になれなかっただけでなく、音楽の大学とかそういう所にも行けなかったのか行かなかったのかのようだったが、私のマタイトコになると思うのだが女性で私より少し年下の人が、うちの姉が習った「プロのピアニスト」の人に習ってドイツに音楽の留学に行ったというから、音楽の道に進んだのだろう。そして、ドイツ人と結婚したというから、良かったのか悪かったのかわからないが、私の年代でもその「プロのピアニスト」の人は教えておられたようだ。「うちのお姉さんにその人にピアノを習いに行かせたのなら、なんで私にその人の所に行かせてくれないの」とうちの母親に言ったら、「男の子やから、どうせ、中学校に行く時にはやめさせるのだから、ええかげんな先生でもええと思ったんや」と言うのです。まず、「男の子やから、どうせ、中学校に行く時にはやめさせるのだから」て、その「やめさせる」為にさせるという考え方が私は理解できない。私が親なら、本人がせっかく努力してきたのに、それはあまりにもかわいそうではないか、と思うのだ・・が、うちの親はそう考えなかったようだ。「あれだけ、いろいろ、させてやってやってやってきたのに」と言うのだ。又、「男の子だから、どうせ、やめさせるのだから」と言うのなら、何も、あそこまで必死でさせなくてもいいじゃないか。常に「一番になりなさい」「なんで、一番と違いますの」と、まるで人をハルク=ホーガンみたいに言って尻を叩いて、それで「男の子やから、中学校に行く時にはやめさせるのだから」て、なんだ、それは。又、「男の子やから、どうせ、中学校に行く時にはやめさせるのだから」て、そんなこと思っていたのなら、なんで、「女の子になんか負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」などと言ったのだ。「先生の息子」は「世界的ピアニスト」とかにはならなかったみたいだが、「音楽の先生」か何かにはなったみたいだ。「先生の息子になんか負けてはいけません」と言われ続けてきた私はというと「歌え、チャンコロ、黒田節~い! とってちってたあ~あ!」と言われることになった。やんぬるかな。 もしも、「男の子やから、中学校に行く時にはやめさせるのだから」と思っていたのなら、たとえやるにしても、何もあそこまで必死にやらなくても、「ほどほどに」やっておけばよかったのだ。近所のやつから「ピアノなんか習いやがって、おまえは女か」とか言われても、何をわけのわからんこと言うとるんじゃと思って練習していたし、そもそも、ルドルフ=ゼルキンとかカサドジュとかって女か? 違うだろう・・と思うが、「男の子やから、中学校に行く時にはやめさせるのだから」などと思っていたのなら、なんで「女の子になんか負けてはいけません」だの「先生の息子になんか負けてはいけません」だの「一番になりなさい」だのと言うのかと思ったが、そういう親だった。そういうのはいいとは思えない。
※ 《YouTube-Rudolf Serkin(ルドルフ=ゼルキン) plays Beethoven(ベートーベン) - Piano Sonatas(ピアノソナタ) No. 30, 31 & 32 (1987)》https://www.youtube.com/watch?v=0vSPicBhjfA
《YouTube-Robert Casadesus(ロベール=カサドシュ) Mozart(モーツァルト) fantasia in D minor K. 397》https://www.youtube.com/watch?v=S_24YWJ5UAo&list=RDEMukqgefI4I1vl6IXT10OtGg&index=2
  大学進学については、母方の祖母が「勉強する人が好き」という家系だっただけに、小学校から中学校に入るくらいは良かったのではないかと思うし、又、そういう家系だったので「学問は学問そのものに価値がある」という認識があった。「慶應タイプ」のようなブタ人間とはその点で正反対だった。「慶應タイプ」というのは権力・体制に迎合すること・媚びることで恩恵にあずかろうというのが、それが「自我が確立されている」「思考が柔軟」「独立自尊」「アイデンティティーをもっている」「受験勉強の悪影響を受けていない」と「慶應心理学」が「診断」するものであり、そういう人たちの集団であり、それを「福沢精神」と言うのだが、それは「学問は学問そのものに価値がある」という考え方、『旧約聖書』「箴言」に「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」と書かれているように、学問は「買うもの」であり「売るもの」ではないという認識とは正反対のものだった。日本の大学では慶應と早稲田という2つの大学は「学問は売るもの」だという認識の人が多い大学で、「学問は買うもの」であり「売るもの」ではないはずだという認識を持つ者というのは、それだけで「共産党」だといいう意識の者だらけの大学だった。そういう人に対しては「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。おそらく彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろうから」という『新約聖書』の「福音書」の中のイエスの言葉があてはまる。


《E》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その5。
  それで、北野高校の同級生などを見て、お父さんが京大とか東大とかを出ている人というのはうらやましいなあと思った。父親でなくても、京大とか東大とかに行った兄がある人、兄でなく姉でも京大なり阪大なりに行った姉がある人、もしくは、たとえ合格できなかったとしても、そのくらいの所に行こうとした経験がある兄なり姉なりがある人というのはうらやましいなあと思った。横で見ていただけでも、それは参考になるし、又、同年代の男の兄弟がいたならば「親の害」は分散されたはずだ。
  京大とか東大とかに行った兄がいる人というのはいいなあ・・と思ったが、我が家にはそういう人間はいなかったのだから、しかたがないと思ったが、そういう兄弟がいる人や父親が東大や京大卒の人の息子というのは大学進学においては間違いなく有利だと思う。
  うちの父親が言うには、上の姉は「ほんまやったら間違いなく奈良女子大に通った人」だったそうだ。「ほんまやったら」と言っても、実際には落ちたんやろうが、と思うが、なぜ落ちたのかというと、私が落としたそうだ。「心理学」によるとそうなるらしいのだ。
  なんでやねん・・うちの上の姉が奈良女子大を受けた年、高校3年だった年というと私は小学校1年だったのだが、なんで、小学校1年の弟が悪いんや・・なんてことを言うと「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになる。「診断」されると次に「治療」される危険がある。「心理学」は怖いわあ~あ、ほんとうに怖い。
  小学校1年の弟は何をしたかというと、うちの上の姉が奈良女子大を下見に行く時に一緒について行って、国鉄(現 JR)の天王寺駅から当時は非電化だった関西本線の快速に乗って国鉄「奈良」駅まで行って奈良女子大を下見に行き、奈良公園に立ち寄って鹿を見て、その後、近鉄「奈良」駅から近鉄奈良線に乗り、途中で大阪樟蔭女子大を下見に行って「鶴橋」駅で大阪環状線に乗り換えて帰ってきた、その下見に行く時について行ったというくらいだ。通ったらいいなあ・・と思っていたら落ちよった。それも、本命の奈良女子大だけではなくそれ以外も落ちよったが、なんで、それが小学校1年の弟のせいなんだ?・・と「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されるのでうかつなことは言えないが、なぜなのか?
  うちの父親が言うには「おまえさえ、産まれてこなかったら、もっと応援してやることができたんや」と言うのだ。私が産まれなければ良かったのに産まれたがために十分に「応援」できなかったから「ほんまやったら通っていたはずの優秀な優秀なドイツ人のT子さん」は奈良女子大を落ちたそうなのだ。いったい、どんな「応援」すれば通ったのだろうか。こんなの ↓ やれば通ったのだろうか?
「応援」⇒《YouTube-コンバットマーチ【6人】早稲田大学応援2013》https://www.youtube.com/watch?v=waiBBVjToXA
↑ こんなのやったら「えっらいえっらい大事なドイツ人のT子さん」は奈良女子大に通ったのだろうか。こういうのをやってほしかったのなら、それなら言ってくれたら小学校1年生でもやってやったのに。なんで言うてくれへんねん。
・・私なら、こんなのやっていらんけどな。要らんで、ほんま。やらんといてや( 一一)
  もうひとつは、私が産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたがために、私を育てる費用がかかったから、その費用がかからなかったら、そのカネで「大事なドイツ人のT子さん」にすべての科目に家庭教師をつけて、毎日毎日家庭教師に来てもらうようにさえすれば、「優秀な優秀なドイツ人のT子さん」は間違いなく奈良女子大に通ったらしいのだ。それを私が産まれなかったら良かったのに産まれたがために、それができなかった。その為に「優秀な優秀なドイツ人のT子さん」は奈良女子大に落されたそうなのだ。「だから、おまえが百パーセント悪いねんぞ。人のせいにすんなよ。人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ。T子さんが奈良女子大を落ちたのはおまえが百パーセント悪いねんぞ。おまえが。決してひとのせいにしてはいかんぞチャンコロ!」と私の眼を指で突き刺すようにして何度も何度も言うのだった。私ならば「すべての科目に家庭教師をつける」だの「毎日、家庭教師に来てもらう」だのなんてされたくないものだ。そもそも、その家庭教師のおっさんだかおばさんだかにーちゃんだかが私よりも学習法についてわかっているかどうかは疑問であるし、「自分でやる」という姿勢があって、その上で、このタイプの問題の回答法がわからない、どうすれば習得できるのかどうしてもわからないという場合にその部分について、できるようになった経験がある人に指導してもらうというのなら役立つだろう。私の場合、日本史・世界史という社会科は北野高校の試験や一般の模擬試験では悪くない方の成績を取れたが東大の二次試験で出題された「何何について800字以内で述べよ」といった「論述式」試験にどうもうまく書けなかったのだが、どういう練習をやるといいのか、自分なりにやってみたものはあったが、どうも、うまくいかず、日本史・世界史については一般の模擬試験取れる点数と東大の二次試験対象の模擬試験で取れる点数に差が会って、その対策をやってくれる講習を夏休みに河合塾が名古屋でやっていたようだったので、それに行きたいと思ったことがあったし、YMCA予備校が高槻校に京大東大文系クラスという名称をつけたクラスを設けたというので、そういう名称をつけたクラスならば当然そういった対策をやるのだろうと思って行ったのだったが、そのような対策はYMCA予備校はまったくしなかったし、「社会科は1科目だけで、もう1科目は自分でやってください」などと最初に言われてしまい、世界史の講師の人もそういう指導をできる能力はない人だった。YMCA予備校高槻校の「京大東大文系クラス」は「看板に偽りあり」だった。資格試験においては、インテリアコーディネーターの試験は1次が学科試験で2次が1次に合格した人を対象に製図と論文が出題されたが、学科は独学で通ったが製図については製図についてのテキストを買ってきてやってみたがなかなか上達しなかったので、ハウジングエージェンシーが実施したインテリアコーディネーター2次対策講座に出席して講師の方がこういう練習をしてくださいと言われたことをやって、それで合格できた。キッチンスペシャリストは学科と製図を同じ日の午前と午後におこない、学科だけ合格の場合は次の年から3年間、学科免除で製図だけ受けることができたが、これも学科は独学で通ったが、キッチン製図は製図でも特殊であり、独習でやってみてもなかなか上達できず、これもハウジングエージェンシーのキッチンスペシャリスト製図試験対策講座に出て講師の方がこういう練習をしてくださいと言われたことをやって合格できた。CADについては、ワードとかエクセルとかは独習書を買って「こうやるとこういう画面がでてきますから」という通りにやればその画面が出てくるのだが、Jw cad はまだしも Auto CAD は指示通りやってもその画面が出てこないし、何が何だかさっぱりわからない。それで、ウィンスクールの建築CAD試験対策講座に出て指導してもらって合格することができた。自分なりにまずやってみて、どうも、学習法がわからんというような時に、そういう講座に出てこういう練習をしてくださいと教えてもらってそれをやることで合格できるということは、それはある。しかし、そうではなくて「毎日、家庭教師に来てもらう」だの「全科目、家庭教師をつける」だのなんて害あって益なし、私ならマイナスになることでやめてほしいと思うものだ。
  さらにもうひとつ。「おまえさえ産まれてこなかったら、優秀な優秀なT子さんに奈良女子大だけではなく私立の4年制の大学を受けさせてやることができたのにからに、おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたために、おまえを育てる費用がかかったから、そのためにT子さんには4年制大学は奈良女子大しか受けさせてやれんかったんや。チャンコロのおまえが産まれてさえ来なかったら、そうしたら、優秀な優秀なドイツ人のT子さんには私立の4年制大学に行かせてやることができたはずやのにからに、チャンコロのおまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたために、そのためにT子さんは短大にしか行かせてやることができんかったんや」ということだった。
  それを聞いて、私が最初に不思議に思ったのは、私が高校を卒業した年まで国立大学は一期校・二期校というものがあり、「優秀なドイツ人のT子さん」が高校を卒業した年も一期校・二期校という制度があったので、一期校で奈良女子大を受けて落ちた人で「ほんまやったら間違いなく絶対に通っている人」だったのなら、二期校で奈良女子大より少し易しい大学を受ければ通ったのではないか。その頃、住んでいた大阪市東住吉区の家から通学できる可能性があった二期校の国立大学というと、大阪教育大・大阪府立大・和歌山大あたりが思い浮かぶがそのあたりでも受ければよかったのに、と思ったのだ。そうすれば「ほんまやったら奈良女子大に絶対に通った人」なのに私が産まれてきたために落ちた人ならば、大阪教育大・大阪府立大・和歌山大あたりなら通ったのではないのか。「ほんまやったら絶対に奈良女子大に通ったお方」ならそういう二期校なら「ほんまやったら」ではなく「ほんまに」通ったであろうに、なんで受けへんかってん・・と思ったのだ。
  ところが。女性の兄弟が2人いると、片方の嘘を他方がばらすということがある。そのうち、下の姉が教えてくれたのだ。「あの人、私立の4年制大学もいくつか受けてるよお~お」と。それで、思い出した。うちの父親は子供は小学校1年の時のことなんて覚えていないだろうと思っていたようだが、実は覚えているのだ。忘れてないのだ。
  だって、まず第一に、一緒に奈良女子大を下見に行った帰り、近鉄奈良線で「小阪」だったか「永和」だったかの駅で降りて大阪樟蔭女子大にも下見に行っていたのだ。大阪樟蔭女子大の4年制も受けたはずなのだ。さらに、上の姉が「学大を受けたときに」とか話していたことがあり、「学大」て何だろうと思ったのだが、1970年代、私が中学生・高校生くらいの時には大阪教育大学という名称になっていた国立大学は、1960年代半ば、うちの上の姉が高校3年の時には「大阪学芸大学」という名称で略称が「学大」だったのだ。要するに、二期校で大阪教育大の前身の大阪学芸大学を受けておったのだ。それも落ちておったのだ。他にも私立大学で4年制のところをいくつか受けていて、それも落ちよったのだ。本人が言うには、その頃、大学で学園紛争なるものがあって、東大の入試が1年、ない年があったというのが有名だけれども、私立大学でもそういうことがあった大学があって受けたいと思った所で受けられなかった所があったらしいが、いくつか、4年制の大学も受けていたのだ。うちの父親は「ドイツ人のT子さん」は実際には私立の4年制大学もいくつか受けていたにもかかわらず、それなのに私に「チャンコロのおまえとはちごうて、えらいえらい優秀な優秀なドイツ人のT子さん」は「たとえ奈良女子大を落ちても、もしも受けてさえおれば間違いなく通ったのにからに4年制の私立大学は受けさせてやれんかったから、そやから短大にしか行かせてやれんかったんや。おまえのせいやねんぞ、おまえのせい。ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえさえ産まれてこなかったらよかったのに、お前が産まれなければ良かったのに産まれてきたということがいかんかってんぞ」と何度も何度も言ったのだった。「産まれてきて申し訳ございませんでしたと言って謝りなさい」と言うので謝ったのだ。「産まれてきて申し訳ございませんでした」と。「心の底から申し訳ございませんでしたと思えよ、このチャンコロろすけイタコ浪商プエルトリコめが、産まれてこなかったら良かったのに産まれやがってからに」と何度も何度も言うのだった。それで、「産まなかったら良かったのと違うのですか。なんで、産んだのですか」と言ったのだが、「女が産みやがったんじゃ、女が。産まなかったら良かったものを女が産みやがったんじゃ。ほんまにほんまに産まなかったら良かったものを産みやがってからに、わしは迷惑なんじゃ、産まれなかったら良かったものを産みやがってからに」と言うのだった。
  
  下の姉はもっとすごい。下の姉は「ほんまやったら絶対に東大に通っているお方やねんぞお。ほんまやったら」とうちの父親は言うのだった。「ほんまやったら絶対に東大に通っているお方」なら「ほんまやったら」ではなくて「ほんまに」東大を受けて通って行けばよかったのに、なんで受けへんかってん? 
  「ほんまやったら」なんて言っても、落ちたからには何か落ちる理由があったのだろうから、落ちた者が「ほんまやったら」なんて言ってもしかたがないのだが、私にしても、あそこで何何が・・と何か1つか2つ変わっていたなら通ったかとか思ったりすることはある・・が、「ほんまやったら」なんて言っても落ちた者が「ほんまやったら」なんて言っても、そういうことを言うのはかえってよくないから言わない方がいい・・と思うが、うちの下の姉は、どういう条件が悪かったから「ほんまやったら東大に通っているお方」なのに東大に合格させてもらえなかったのか? ・・まず第一に受けていないから合格させてもらえなかった。受けなきゃ通るわけないじゃねえかよお。
  ・・で、なんで、受けなかったのか。受けても通るわけないと思うから受けなかったのだろうが。だいたい、だ。「河合奈保子の出身校」みたいな高校行きやがってからに、高校時代はタイガースの後ばっかり追いかけまわしていたおねーちゃんが、なんで「ほんまやったら東大に通った」んや、なんで。よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪
  野村じいさんが、「野球は頭でやるもんや」とは言っても、その「頭」とは野球についてのものであって学校の成績が良くないといけないという意味ではないが、学校の成績と野球についての頭は同じではないとしても捕手の場合は学校の成績もいい方がいいと思うと書いていた。楽天⇒ヤクルトの捕手で今年からコーチ専任になるらしい島 捕手は小学校の時代の成績はオール5だったそうで、巨人の捕手だった森は岐阜県で「東大にも行ける」と言われていたくらい成績が良かったとどこかに書いていた・・のだが、しかし、森が「東大にも行ける秀才と言われていた」と言っても、実際に東大を受けようとして勉強して通るかどうかくらいのところまで行ったが受けずに野球の世界に進んだということではなく、それよりも前に野球の方向に進んだのであって、もしも実際に東大を受けて進学しようという方向に進んでいたならばどうなったかはわからないわけだ。
  うちの下のお姉さんもまたそんな感じで「ほんまやったら間違いなく東大に通っている人」やったのにからに私が落としたらしいのだが、なんで、「ほんまやったら間違いなく東大に通った人」が「河合奈保子の出身校」みたいなもんに行きやがってからにタイガースの後ばっかり追いかけまわしていたのか。私は小学校の低学年の時、日曜日にパンを食べようとしたら食パンがなくて、それで私がパン屋に食パンを買ってこいと言われて、その頃、神戸屋のパンにタイガースの講演会のチケットの応募券がついていたので、それで一番近い木村屋のパン屋ではなく、次に近い場所にあった神戸屋のパン屋に買いに行ってこいと言われて神戸屋のパン屋に食パンを買いにいったことがあった。なんで、タイガースの後を追いかけまわしていたら東大に通るんだあ? なんでやあ? 〔なお、「タイガース」いうのは阪神とちゃうで。ジュリーとかトッポとかピーとかいう方のタイガースやで。〕
  これは、実際に東大を受けたが落ちて早稲田大とか慶應大とかに行ったか、受けようとしていた人が東大受験を回避して一橋大とかを受けて行ったとかいうような話ではなくて、そうではなくて、うちの下の姉が小学校3年の時に私が産まれてこなかったら良かったのに産まれてきやがったために、その為に小学校3年生は産まれてきた赤ん坊の顔を見て「勉強なんか、嫌いだわあ」と思いよったらしいのだ。その為に「ほんまやったら絶対に東大に通った人やのにからに東大に行けんようにされた」そうなのだ。だから、私が「百パーセント悪い」そうなのだ。
  小学校・中学校・高校と同じ学校に行った「野口くん」て男、「こいつ、嫌なやつやなあ」て男がいたのだが、うちの父親が言うには「おまえやのうて、野口くんが産まれていたらA子さんは間違いなく東大に通ってんぞお~お。おまえが産まれたからA子さんはおまえに東大に行けんようにされてんぞお~お」と言うのだった。私が産まれた場合と「野口くん」が産まれた場合でどういう違いが出たのか。ここからは推測だが、「野口くん」てやつは卓球のシェイクハンドラケットかもしくは水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』に出てくる一反木綿か塗り壁みたいなぺったんこの顔した男で、もしも「野口くん」が産まれていたならば、そのぺったんこの顔を見て「勉強しなきゃ」と思ったところが、少なくとも「野口くん」よりも凹凸のある顔をしている私が産まれてきたために、A子さんは私の顔を見て「勉強なんか嫌いだわあ」と思いよったみたいなのだ。だから、「A子さんが東大に行かれへんかったんは、百パーセントおまえのせいやぞ、おまえのせい。わかっとんのかチャンコロ! わかっとんのかイタコ! わかっとんのかロスケ浪商!」とうちの父親は私の眼を指で突き刺すようにして何度も何度も叫ぶのだった。なぜ、私は産まれたのだろうか、産まれてこなかったら良かったのにと思ったものだ。
  しかし、小学校3年の時に産まれてきた子供がシェイクハンドラケットみたいなぺったんこの顔していたならば「勉強しなきゃ」という気持になって東大に通ったはずなのに、そいつよりは凹凸のある顔した子供が産まれてきやがったために「勉強なんか嫌いだわあ」と思うようになりよった、それがなかったら「間違いなく東大に通った人」だということらしいが、それなら誰でも「ほんまやったら間違いなく東大に通った人」だろうが、誰でも。何をしょーもないこと言うとんねん・・と思うが、こういうことをうかつに口に出すと「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されて「治療」される危険があるから怖いこわい怖いこわい・・・。
MIZUNO(ミズノ) 卓球ラケット FORTIUS シェイクハンドラケット FT ver.D 83GTT701 09:ブラック ST
MIZUNO(ミズノ) 卓球ラケット FORTIUS シェイクハンドラケット FT ver.D 83GTT701 09:ブラック ST
( ↑ シェイクハンドラケット。)

  うちの父親はというと「わしはおまえとは違って慶應やぞお、慶應」というお方らしいのだ。高校は「わしは天高(天王寺高校)やぞお、わしは天高」と言うのだった。小さい頃から「わしは天高やぞお、わしは天高」と何度も聞かされてきたのだが、その割に明星高校から同窓会の案内状が来ていたので、なんでやろう・・と思っていたのだが、うちの母親が言うには、うちの父親は実際に卒業した高校は明星高校だったらしい。なぜ、うちの母親が知っていたかというと正真正銘、明星高校卒で早稲田大学に行ったうちの母親の兄(伯父)がうちの父親と明星高校で同級生だったらしいのだ。だから、間違いなく明星高校卒らしい。しかし、「ほんまは天高」らしいのだ、「ほんまは」。 それで、大学は同志社大学の経済学部を出たということだったはずだが、これも「ほんまは慶應」だそうだ、「ほんまは」。
  「わかっとんのか、わしは天高で慶應やぞお。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、おまえはほんまは浪商じゃ。わかっとんのか浪商。浪商のくせして高校に行くな、浪商。浪商は高校には行かんでもええんじゃ、浪商。浪商の分際で北野高校に行くな、浪商めが浪商。わかっとんのか。お~ま~え~はあ~あ、浪商で拓殖で亜細亜大じゃ、この亜細亜大めがあ。わしは慶應やぞお、わしは慶應。おまえとは違うねんぞ、、おまえとは」と、なんだか慶應の教授(内部進学)みたいなことを叫ぶのだった。慶應の教授(内部進学)は「このぼくは中等部から慶應なんだぞお。おまえら外部の者とは違うんだ。わかってんのかあ~あ!」と講義の最中に教壇でマイクに向かってお叫びあそばすが、それと似ている。「ほんまは慶應」だけあって人格的に「慶應タイプ」だ。「おまえとは違うねんぞ」とおっしゃるだけに、私なんかとはそのあたりが全然違う。たしかに、あのおっさんは「慶應タイプ」だと思う。「ほんまは慶應」ではなくて「ほんまに」慶應に行っておけばよかったのに・・と思った。
  それで、うちの父親は言うのだった。「わしは、受けさせてもらえさえすれば間違いなく慶應に通ったんや。家が貧乏やったから受けさせてもらえんかったんや。おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と言うのだった・・が、それから何十年か経ってから、うちの母親が言うには「あの人、よく言うよねえ。何が『家が貧乏やったから慶應に行きたかったけれども受けさせてもらえんかった』やのん。受けたけれども落ちたから行けなかったのでしょうが。あの人のお父さん、結婚した頃は戦争でだめになっていたけれども、あの人が大学を受ける頃は船場の商社で出世してものすごい羽振り良かったじゃないの。新聞の一面に名前が載るような人だったじゃないの。家に女中さんがいて、あの人、女中さんに送り迎えしてもらっていた人やないの。何が『家が貧乏やったから慶應に行きたかったけれども貧乏やったから受けさせてもらえんかった』やのん。よくそんなこと言うわ」と言うのだった。世の中、実際には受けて落ちたくせしやがってからに「家が貧乏やったから受けさせてもらえんかって~ん」とか言うやつというのはゴマンといるのだが、しかし、普通、そういうことはよその息子に言うもので、自分の息子には「あんな話に乗せられてはいかんぞ」と教えるものだ、と思うのだが、ところが、うちの父親というのは、よその息子には「ええかっこしい」やってからに、私に嘘をつくのだった。そういうおっさんやった、そういうおっさん( 一一)

  それだけではなく、下の姉が離婚したのも私が百パーセント悪いそうだった。下の姉は私が中学校2年の時にお見合いをして結婚するということにいったんなったが、その後、結婚式より前に嫌だと言いだしたのだ。なぜ、嫌なのかというと「顔が悪い」などと言うのだったが、それだけ聞くと「おまえ、いったい何様じゃ」となるが、「顔が嫌いだ」というのは、これは「もう、何があっても絶対に嫌」という意味「顔を見るのも嫌」という意味だ。実際にはその人は顔が悪かったかというと、そうではなくて普通の顔だったと思うが、「顔を見るのも嫌だ」となったら、これはどうしようもないと思う。男女の関係というものは「あんな人、なんでええのお~ん?」とはたの者が思っても、その男にとってその女がいいのかもしれないし、その女にとってはその男がいいのかもしれない。そういうものだ。逆もまたそうで、「あの人、いいじゃないの」と思っても当人が嫌だと言うのならしかたがない。野村じいさんなんか『女房はドーベルマン』なんて本まで書いてからに、「うちの奥さんというのはどういう人かというと、皆さんがこういう女だと思っておられる女性そのものです」「よその家を訪問してインタホンを押したら、奥の方から犬が飛び出してきてワンワンわんわんと吠えかかってくるという、そんな感じ」とか言って、それでいて「その女が私にとっては最高の女性なんです」と言うておったが、当人がいいのなら「ドーベルマン」でもいいてことなんだろ。
  それで、私が中学校2年の時、うちの父親が私に「あんたはどうすればいいと思うか」などときくので、このおっさん、中学生にどうすればいいか教えてもらわないと判断できない男なのか、情けない男やなあと思ったものだった。それで、私は「ですから、嫌だというのは、この人のこういう部分が嫌なのでそこは改めてほしいということなのか、それとも、いったん、この人と結婚したいと返事したけれども、やっぱり、どうしてもお断りしたいということなのか、どちらなのですか」と言ったのだ。そうすると、うちの父親は「それを、はっきりと言いよれへんねん」と言うのだ。「それなら、どちらなのか、はっきりしろと言われたらどうですか」と言ったのだが、今から考えてみると、下の姉としては、はっきりと断りたいと言っていたつもりだったのではないか。
  うちの父親は「はっきりと嫌やと言いよったら、どないしたらええ?」と言うので、「本人がはっきりと嫌だと言うのなら、お断りするしかありませんね」と私は言ったのだ。そうすると、うちの父親は「そやけど、相手は関西大学卒でA子は短大やで。相手の方が上やで」と言うので、「上とか下とかは関係ありません。上でも下でも本人が嫌だというものはだめです」と私は言ったのだ。うちの父親は「そうかあ。そんで、はっきりと断ってほしいのかどうか言いよれへんかったら、どないしたらええ?」ときくので、「それなら、迷っているということでしょうから、結婚は延期させてほしいと言われたらどうですか」と言ったのだ。「そんなん、延期したいなんて言ってきいてもらえるやろうか」と言うので、「きいてもらえないならば、その時には、お断りするしかありませんね」と私は言ったのだ。「今から断るなんて、できるやろうか」と言うので、「ですから、いったんこの人と結婚したいと返事しておきながら断るのですから、『誠に申し訳ありませんが』と言って断ることになるでしょうね」と私は話したのだ。「そうかあ」と言うので、さすがに、これだけ噛んで含めるように言ったからにはわかったのだろうと思った。
  ところが、そうはイカのち〇ち〇だか、き〇た〇だかだった。うちの親は延期してほしいと言いに行ったらしいが、行くと「そんなん、結婚式を延期するなんて、できませんわあ。会社の人にも話してあるし、男の人は結婚式を延期なんかしたら出世にも差し支えます。そんなん、できませんよ」と言われて、「そうでんなあ」と言って帰ってきたらしいのだ。アホちゃうか・・て感じがする。「そんなん、結婚式を延期するなんて、できませんわあ」と最低一言は言われるなんてことは最初からわかっていることのはずだ。そういう時こそ、父親というものは「誠に申し訳ありません。しかし、このまま進めて、うまくいかなければ、お互いにいいことありませんので」と頭を下げて話して理解してもらうもので、もしも「延期してもらう」ということができないならば、お断りするしかないと私は言ったのだから、そこまできっちりと私が教えたからにはわかっただろうと思い込んでいたが、そこまで噛んで含めるように教えてもわからない男だったようだ。「そんなん、結婚式を延期するなんてできませんわあ」と言われて「そうでんなあ」と言って帰ってきよったらしいのだ。アホと違うか・・・と思った。

  私は住宅建築業の営業の仕事を経験したが、施主は何社かの会社と話をしても契約するのは1社であり、それ以外の所には断らないといけない。その場合だが、お宅にお願いしたいと言うのは言いやすいが、断るのは言いにくい。それも、「この野郎」と思うような感じの悪い相手にならともかく、この人も一生懸命やってくれたのにと思う相手に断るのは言いにくい・・が言わないわけにはいかない。1990年代、(株)一条工務店 の東京営業所(江東区)に勤務していた時、千葉県の某所で建てる方に契約してもらった後、「この間、住友林業の人が来たのですが、断るのに、『誰が言う?』『誰が言う?』と家族みんなで言ってたんですよ」(笑)と話されたことがあった。断るのは言いにくいので、「譲り合い」したらしい。 福島県いわき市の営業所にいた時、双葉郡で建築予定の方が、結局、積水ハウス(株)で契約された方に断られた時、奥さんが「うちの人、席をはずしましたでしょ。あれは断るということなんです。いつでも、そうなんです。いつでも断るのは私の役なんです。私の方が断るのはうまいからと言って、そういう時にはいつでも席をはずすんです」と言われたことがあった。いつでも断るのは嫁に言わせるという点については奥さんはうれしくなかったらしいが、そういう夫婦なら建築屋がそれをいいだ悪いだと言う立場にはない。どちらにしても、お願いするというのは言いやすいし、頼むと言われたら相手は喜ぶが断るのは言いにくいものだ。ましてや、この人と結婚するといったん言っていたものを、やっぱり断りたいというのは、それは言いにくい。しかし、そういう時こそ、父親というものは娘のために頭を下げないといけないのではないのか。言い方がうまいとか下手とかは関係ない。どんな言い方であろうが、そういう時に頑張らないなら父親の価値がないじゃないか・・と思ったが、そういうおっさんだったのだ。
  延期してほしいと言いに行ったのはうちの父親だったのか、父親は自分は「ええかっこしい」やる役で断るのは嫁の役だとしてうちの母親に言いに行かせたのか、どちらかわからないが、どちらにしても、「そんなん、できませんわあ」と言われて言い返すことができずに帰ってきたらしい。
  私はそれを聞いて、「そんなこと言わないで、『そんなん、できませんわあ』と言われても、たしかに、結婚式を△月の☆日にあげますと会社の人に話したものを延期するというのはやりにくいかもしれないけれども、そうであっても、いったん結婚して別れることになったら、お互いにそれ以上に良くないでしょう。だから、もう少し考えるために延期するか、それができないなら、このお話はなかったことにしていただきたいとお願いするべきでしょう」と言おうと思ったのだが、そう思った時、うちの父親が「ええかげんにせえよ、A子。なんで、このわしがこんなことで悩まされんといかんのじゃああ~あ。なんで、わしがあ。ええかげんにせんか、A子。ええかげんにせんかあぎゃああ~あ」と叫びだしたので、なんやねん、この男は。情けない男やなあ。これで、父親と言えるのか。そういう時こそ、頑張って娘を守るのが父親というものと違うのか、なんや、この情けない男は・・と思ったのだったが、それを聞いてうちの下の姉が「もう、ええねん、もう。私が犠牲になったんねん、私が。私が犠牲になってあんな男と結婚したんねん」とヤケクソみたいに言うので、勝手にしろ! と思ったのだ。私がこれだけ心配してやっているのに、何をヤケクソみたいに言うとるんじゃ。そんなこと言うならもう、勝手にしろ・・と思って、それで「そんなこと言わないで」とうちの父親に言おうとしていたのをやめたのだった。
  ・・そして、下の姉は予定の日に結婚式をあげて、新婚旅行に行って帰ってくると別れると言って別れたのだ。そして、うちの父親は私に言うようになったのだ。「おまえが悪いねんぞ、おまえが」と。「わしは絶対に悪いということはありえない人間やねんぞ、わしは。わしのようなエッライえっらいエッライえっらいスーパーマンのお父さんの娘であるA子さんが離婚するなどということは、およそ絶対にありえないことやねんぞ。それを離婚したっということは、おまえが悪いということやねんぞ、おまえが。おまえが百パーセント悪いねんぞ、おまえが。ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。おまえが百パーセント悪いねんぞ、おまえが。わしのような特別に特別に特別にえらいエライえら~いというお父さんの娘であるA子さんが離婚するなどということは天地がひっくり返ってもありえないことやのにからに離婚した、ということは、おまえのせいやぞ、おまえのせい。おまえに大事なA子さんを離婚させられて、わしは迷惑しとるんじゃ、わしはあ。んが、んが、んがァ~あ。もう、イッライッラしてきたあ。イッライッラしてきたあ。おまげに大事なA子さんを離婚させられたおかげでわしはイライラしてきた、イライラしてきた、イライラいらいらイライラしてきた。わしは常に沈着冷静、わしは海千山千、わしは百戦錬磨、わしは泰然自若な人間やねん、わしは。わしはブッダやぞお、わしは。わしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタやねんぞ、わしはゴータマシッダールタ。わしは孔子で孟子で聖徳太子やぞお、わしは孔子で孟子で聖徳太子。四十にして惑わずじゃ。わしはキリストやねんぞお、わしはキリスト。わしが山に命じたら山が空飛んで海に入るねんぞお、わしが山に命じたら。わしはスーパーマンじゃ、わしはスーパーマン。わしは完璧超人やねんぞ、わしは完璧超人。わしは英雄で聖人で超能力者なんじゃ、わしはあ、わしはあ、わしはあ。そやのにからに、おまえに大事なA子さんを離婚させられたおかげでイライラしている。おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえが大事なA子さんを離婚させたおかげで、そのために、ほんまやったら絶対にイライラすることがないわしがイライラしておるんじゃ。おまえのせいやぞ、おまえのせい。ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。人間、ひとのせいにするようなやつは最低やぞ、最低。何でも何でもおまえのせいやのにからに、ひとのせいにしてはいかんぞ、ひとのせいにしては。『A子さんを離婚させて申し訳ございませんでしたあ』と地面に頭をすりつけて、このわしに謝らんかあ、このチャンコロろすけイタコ浪商めがあ、よくも産まれてきおってからに、このチャンコロろすけ!」と私に言うようになったのだ。
シッダールタ(新潮文庫) - ヘルマン・ヘッセ, 高橋 健二
シッダールタ(新潮文庫) - ヘルマン・ヘッセ, 高橋 健二
  なぜ、私が悪いのか。私は「本人が、はっきりと嫌だと言うのなら、たとえ、いったん、この人と結婚したいと返事をしたものであっても、嫌だという相手と結婚してもお互いのためにならないから、お断りするべきだ」「本人がはっきりと断りたいのかどうか、決断がつかないということなら、結婚を少し待ってもらうようにお願いして、延期はできないと言われるのなら、お断りするしかない」「いったん、この人と結婚したいと返事をしたものをお断りするのだから、『誠に申し訳ありませんが』と頭を下げて話すしかない」と、そこまできっちりと言ったではないか。それなのに、「ええかげんにせえよ、A子。なんで、わしがこんなことで悩まされんといかんのじゃああ~あ」とか言っていたのは、どこの誰なんだ。あんたやろうが、その情けない父親は・・と思ったのだが、こういうことを言うと「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになる。私は世界中の罪を背負って十字架につけられない限りは「心理学」から「外罰的性格」と「診断」される運命のもとに産まれてきたらしいのだ。
  なぜ、私のせいなのか。なぜ、中学校2年生だった弟のせいなのか。それは本人がそう言ったからだ。離婚した後、「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれと言われたから、そのために、あんな男とでも結婚しようという気持になったんや」と本人が言うのだった。だから、私が「百パーセント悪い」そうだった。「心理学」によるとそうなるらしかった。私は、私が「高校に行くまでに結婚決めてくれ」なんて、一言も言ったことはないし、実際、離婚して戻ってきて、私が高校に行ってからも家にいたではないか。しかも、「あんたは最初から勉強のできた子やから『勉強のやり方てもの』を知らんでしょうけれども、私は勉強のでけへんかった子やからあんたとは違って『勉強のやり方てもの』を知ってるんやからねえ。なんで、あんた私の命令きけへんの。私の命令ききなさいよお」などと言いよったのだ。そんなに「勉強のやり方てもの」を知っているのなら、それを実行せえよお。なんで、実行せえへんねん・・と思ったものだ。
  野村じいさんがどこだったかに書いていたが、落合がロッテオリオンズに入団した時、ロッテオリオンズの打撃コーチは山内で、山内は「カッパえびせん」というあだ名があって「やめられないとまらない」というくらい指導熱心な打撃コーチとして評価されていたが、独特の言い回しがあって人によってはよくわからないと言う選手もあったらしい。落合は「すいませんが、自分にはよくわからないので、少し黙っていてもらえませんか」と、新人が選手としても実績があってコーチとしても評価が高いベテランの打撃コーチに向って言いよったというのだ。それで、山内は黙ったらしいのだが、黙ったが「勝手にしろ」と見捨てたのかというとそうではなくて、「黙った上で見守ってくれた」ということで落合は後に感謝していた、という野村じいさんは書いていた・・が、その時の落合みたいなもので、「ちょっと、黙っていてもらえませんか」と私は思ったものだった。その「勉強でけへんかった子やから『勉強のやりかたてもの』を知っている」というおねえさんだが、せめて、「ちょっと黙っていてもらえませんか」と思ったものだった。
   私は「高校に行くまでに結婚決めてくれ」なんて、一言として言ったことなんてないのに、なんで、そんなこと言われなければならないんだ。それは、私は「高校に行くまでに結婚決めてくれ」なんて一言として口にしたことはないが、うちの父親がか母親がか、どちらか、もしくは、両方がうちの下の姉に「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれ」と言ったかららしいのだ。しかし、母親の方は、たとえ、そういうことを言ったとしても、それは、最近では高齢で結婚する人が増えてきたけれども、かつては「女はクリスマスケーキ」と言って24歳までは「売れる」が、25歳の誕生日を迎えると途端に「売れにくくなる」と言われた時期があって、うちの下の姉は私が高校1年の5月に25歳の誕生日を迎えるので、24歳のうちに結婚するようにした方がいいということを「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」という表現で言ったというものだったはずだ。それを聞いて「〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれと言われたから、だから、あんな男とでも結婚して犠牲になったろかと思って結婚を失敗したんや」と言い出すようになったらしいのだ。しかし、そんなこと言われても⇒知らんがな・・と私の方では言いたかったが、そう言うとまた「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになり、「診断」されると次に「治療」される危険がある。ゆえに私が「百パーセント悪い」ということになるらしかった。

   うちの父親が中学校2年だった私に「あんたはどう思うか」ときいてきたのは、それは自分で判断できない男だったからというのが1つの理由としてあるが、それだけではないなと私が30過ぎてから気づいた。それだけではなくて、2つ目の理由として「背中を押してほしかった」というのがあったと思う。うちの父親というのは「無理矢理やるのが好きなタイプ」で「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」のおっさんであり、うちの下の姉が結婚するとかしないとか言っていた時も、「無理矢理やるのがええと思うねんけども、そう思えへんか」と私に言ったので私は「あかん。絶対にあかん。本人が嫌だと言うものを無理矢理結婚させるなんてことは絶対にしてはいけません」と断固として言ったのだったが、私としては、それだけ言えばわかるだろうと思ったのだったが、その見通しは甘すぎた。うちの父親というのは筋金入りの「無理矢理やるのが好きなタイプ」で「嫌がることをさせるのが好きなタイプ」だったのだ。そういう性癖の人はそういうお店にでも行ってもらった方が家族としては助かるのだが、そうはいかないようだった。うちの父親としては「無理矢理」やりたかったのだが自信がないものだから、だから、誰かに背中を押してほしかったのだ。中学校2年の私に「無理矢理されるのがいいでしょう」と言ってほしかったのだが、ところが中学校2年の時の私はそういうことに気づいていなかったので、「だめです。絶対にだめです。本人が嫌だというものを無理矢理に結婚させるなんてことは絶対にやってはいけません」とはっきりと何度も言ったので、うちの父親の「背中を押してくれる」という期待はかなえられなかったのだ。そして、3つ目として「保険をかけておく」という意味があったようだ。うちの父親としては「無理矢理やるのがええと思うねん」という考えだったのだが、そうやってうまくいくかいかないかはわからない。私は「無理矢理やる」ことでうまくいっても、それは「うまくいった」ということにならないと思っていたし今も思っている。結果がどうなろうと本人が自分で判断するということが「うまくいく」ということであり、結果がどうなろうと本人の意思に反して「無理矢理やる」のは「うまくいった」とは言わないと考えていた。しかし、うちの父親は「無理矢理やるのが好きなタイプ」の男だったのだ。それで「無理矢理やる」というのをやりたかったのだが、それでうまくいかなかった時のために「保険をかける」ようなことをしておきたかったのだ。だから、誰かに相談して、そうするといいと思いますと一言でも言わせておけば、うまくいかなかった時に「あんたがそうせえと言うたからやってんでえ」と言って、「そうするのがいいと思います」と一言でも言った人間のせいにすることができるわけだ。そういう「保険をかける」ということをやっておきたかったのだろう。だから、私が「無理矢理されるのがいいでしょう」なんて言っていたならば、「おまえが無理矢理やれと言うたからこうなってんでえ。おまえが言うたからいかんかってんぞ。ひとのせいにすんなよ、おまえのせいやねんぞ」と言おうと考えていた、ということだろう。しかし、中学校2年の時の私はそういううちの父親の心理構造をわかっていなかったので、それで正直に思った通り「本人が嫌だというものを無理矢理やるなんて、絶対にいけません」と言ったので、そうできなかったのだ。
  しかし、やっぱり、うまくいかなかった時に自分以外の誰かのせいにするといううちの父親の作戦は実行されたのだ。当人が「あんたが高校に行くまでに結婚決めてくれと言われたから、だから、あんな男とでも結婚して犠牲になったろかと思って、それで結婚失敗したんや」と言うものだから、だから、「おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえがおったために『〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれ』と言うたんや。おまえさえ産まれてきておらんかったらそうは言わんかったはずや。おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたがために、そのために『〇〇が高校に行くまでに結婚決めてくれ』と言うことになってんぞ。ひとのせいにしてはいかんぞ、おまえのせいやぞ。おまえのせい。人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ。おまえのせいやぞ、ひとのせいにすんなよ。おまえが百パーセント悪いねんぞ、おまえが」と言うことになったのだった。
  私が高校に入学してすぐに下の姉の年齢が25歳になるからといって、私が産まれてきたのがいかんのだろうか。たとえ、私が高校に入学してすぐの時にうちの下の姉が25歳の誕生日言うを迎えるという年齢差で産まれたとしても、「〇〇が高校に入学するまでに結婚を決めてくれ」と言わなかったら良かったのではないのか。私はそういう言い方をしてくれなんて一言も言ったことはないはずなのに、なんで私のせいになるんだ・・と言うと「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになるが、なんで、私が下の姉が25歳になる直前に高校に入学する年齢差で産まれたからといって「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」という言い回しをしなければならないんだ。
  法律家は「相当因果関係」という考え方をするようだ。
伊藤真の刑法入門 - 伊藤 真
伊藤真の刑法入門 - 伊藤 真
たしかに、私が高校に入学してすぐに下の姉が25歳の誕生日を迎える年齢差で産まれてきたことから「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」という表現をするようになったとしても、それが下の姉が離婚することになった原因だとするべきなのか、「相当因果関係」という考え方によると、もしも、私がその年齢差で産まれなかったならば「〇〇が高校に行くまでに結婚を決めてくれ」という表現をすることはなかったかもしれない。その結果として離婚することはなかったという可能性はあるかもしれない。しかし、「相当因果関係」という考え方からするならば、高校に入学してすぐに姉が25歳の誕生日を迎えるという年齢差で産まれたという点について「産んだ者」ではなくて「産まれたやつ」が悪いとするのは、それは論理に無理がある、と法律家は考えるようだしかし、法律家は「相当因果関係」という考え方から、私が下の姉が25歳の誕生日を迎える直前に高校に入学する年齢差で産まれたということが罪だとするのは無理があると考えるとしても、「心理学」によると「百パーセント、おまえが悪いんじゃ」となるそうなのだ。「心理学」によると。「ひとのせいにすんなよ。おまえが百パーセント悪いねんぞ。おまえにA子さんを離婚させられたおかげで、わしはイライラしてきた、イライラしてきた、いらいらイライラしてきてしてきた」と言うのだが、おっさんが「イライラしてきた」というのも法律家の考え方として「相当因果関係」という考え方からすると因果関係を認定するには無理があるはずだが、「心理学」によると私のせいらしかった。

  うちの姉は二人よって「弟なんか要らなかった。お兄ちゃんが欲しかった」などと言うのだったが、それにしても、中学生の弟は姉を守ろうと必死に頑張ったのに、そんなこと言うのかと思った・・が、しかし、やっぱり、中学生だったから、まだ13歳だったから、その程度のことしかできなかったという面もあった。もしも、私がうちのお姉さんの弟ではなく兄だったなら、20代の後半の後半か30代の前半の私に20歳くらいの妹がいたのならば、もしも、妹がこの人と結婚するのは嫌だと言っているのに父親が「無理矢理やるとええと思うねん。無理矢理、むりやり、ムリヤリ、無理矢理♪」と言って結婚させようとしたならば、そんなもの、うちの父親には話しても理解するような父親ではないということは20代の後半の後半か30代の私ならばおのれの骨と肉のきしみで実感していたから、そして、うちの父親というのは「結婚は延期してほしい」なんて言いに行ったら「そんなん、できませんわあ」と言われて「そうでんなあ」と言って帰ってくる男だということもおのれの骨と肉のきしみで実感していたので、「俺が言いにいってあげるよ」と言って私が言いに行ってあげたことだろう。又、「相手は関西大学でおまえは短大しか出とらんじゃないか。どっちが上かあ下かあ」とうちの父親が言った時も、もっと強固に「そういうのは関係ありません」と言ってあげることができただろう。又、本当に断りたいということではなく、断りたいわけではないが相手に不満があるということならば、私がその相手に「何何さん、こういうのは何とかならないものだろうか」と、相手が気を悪くしないように気をつけて話してみるということだって20代後半の後半か30代の私ならば、常に成功するとは限らないがやってみることだってできたと思う。しかし、中学生にはそこまではできなかった。それでも、中学生の弟は姉を守ろうと必死で頑張ったのだが、それでもお姉さんは「弟なんか要らなかった」と言うのだった
  しかし、たとえ「弟なんか要らなかった」と言われても、それでも、弟は自分が弟ではなくて10歳前後年上の兄だったらもっと力になれたのにと思うのだ・・が、残念ながら兄ではなかった。
 
  「クライアント中心療法(クライアント センタード アプローチ)」のカール=ロジャーズは「自己一致」「自己不一致」といった概念と「完全なる機能」という概念を述べている。自分自身について自分がこういう人間だと思っている自分と実際の自分が能力的なものについても性格的なものについても一致している状態が「自己一致」であり、一致していない状態が「自己不一致」で、実際には完全に「自己一致」している人というのはあまりないのだが、「自己一致」の度合いが大きい人とそうではなく「自己不一致」の状態が強い人とがあり、人間は「自己一致」の度合いが大きい方が好ましく、「自己一致」した人の方が「完全なる機能」に近づく、と考える。
ロジャーズ クライエント中心療法 新版 --カウンセリングの核心を学ぶ - 佐治 守夫, 飯長 喜一郎
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   そこで、「プライドが高い人」というのは難儀なのだ。うちの父親などは「ほんまは天高(天王寺高校)」で「ほんまは慶應」の人であり「ドイツ人」で「アメリカ人」だったのだ。難儀なおっさんやでえ、ほんま。私などは「特別にえらい人」と言ってもらわなくても別にかまわない。並みでけっこう。そもそも、ひとの評価なんてどうせ、そんなに的確な評価がされるものでもないし。それこそ、「あんたエライ、あんたエライ、えらいエライえらいえら~い。あんた天皇へーか、あんた天皇へーか、あんた天皇へーか。えらいエライえらいエライえら~い」などと言われてもうれしくない。「なんやねん、それはあ~あ」というものだ。横山やすし だって西川きよしから言われて「何やねん、それはあ~あ」と言うておった。ところが、うちの父親というのは、そういうことを言われたがってしかたがないおっさんシンドロームの人間だったのだ( 一一) 難儀ですわあ、ほんま。
  「わしはブッダやぞお、わしはブッダ。わしは修行を積んで悟りを開いた人間、わしはゴータマシッダールタやねん、ゴータマシッダールタ」とそこまで言うのだ。さらに「わしは孔子で孟子やねんぞお。わしは孔子で孟子で聖徳太子やねん。わしは不惑の人や、不惑の人」とおっしゃるのだ。戦後、中国では毛沢東らによって「孔子批判」がおこなわれたが、この毛沢東らによる孔子批判は福沢諭吉の「脱亜論」と共通するところがあると思う。福沢諭吉は進歩的・民主的な思想家と評価された人だったが、中国・韓国などアジアの人間と共に進歩しようとする余裕はなく、日本だけで西洋列強の仲間入りをしてアジアの遅れた国を支配するようにすべきだという主張をしたのだが、福沢諭吉の「脱亜論」には2通りのものがあったのではないか、と思われる。福沢諭吉は進歩的な人であったが、ところが中国や韓国については否定的で、「韓国は学ぶものがない国」だと言ったとして韓国の人は今でも怒っているようだが、しかし、中国では少し違うようだ。福沢諭吉は『学問のすすめ』で人間にとって学問が大事であると述べ、しかし、何でも学べばいいというものではなく、孔子などの儒教というものは社会を停滞させるもので虚学だとして、それを大事にしている韓国は「学ぶものがない国」だとしたのであり、学ぶべき実学は西洋近代思想だとしたはずなのだ。これは中国における毛沢東らによる孔子批判と共通するところがあると思われる。但し、福沢諭吉の『脱亜論」の前半の方は、韓国や中国などの「孔子の道徳」などというものは学んでも害こそあれ益にならないもので、そういう虚学を学ぶのではなく社会を進歩させるのに役立つ西洋の近代思想をこそ実学として学ぶべきだという主張をしていたが、「脱亜論」の後半でアジアの国を侵略して西洋列強の仲間入りをすべきだという主張をしていなかったのかというと、『脱亜論』を読むと、やはり、侵略を主張していたのだが、しかし、福沢諭吉の「脱亜論」には2つの意味あいがあって、前半の方についてはこれは戦後の中国において毛沢東らによりおこなわれた「孔子批判」と共通するものがあったと思われるものだ。たしかに「韓国は学ぶものがない国だ」と言われると韓国の人は不愉快かもしれないが、「脱亜論」の前半の方については韓国の人もまた、戦後の中国で孔子批判がなされたようにその意味を考えてみた方がいいのではないか、と思う。
毛沢東 (文庫クセジュ) - フランソワ・マルモール, 杉辺利英
毛沢東 (文庫クセジュ) - フランソワ・マルモール, 杉辺利英
  うちの父親というのは、そういう「孔子さま」らしいのだ・・が、「不惑の人」のわりにいつでもイライラいらいらイライラしている人だった。
  「わしはキリストやねんぞお」とおっしゃるのだ。「わしが山に命じたら山が空飛んで海に入るねんぞお」と。キリストさまらしいのだが、そのわりにいつでもイライラいらいらなさっているお方だった。「わしはキリストやのにからにイライラしとるんじゃ」と言われるので、「山に命じたら山が空飛んで海に入るのなら、自分に『落ち着け』『イライラするな』と命じられたらどうですか。そうすれば、たちどころに落ち着くでしょう」と言ってやれば良かった・・とうちの父親が他界した後で思いついた。しまった。失敗した。
  「わしはスーパーマンやねん。知っておったか」と言うので「空を飛ぶのですか」と言うと、「アホか。飛ぶか、そんなもん」とおっしゃるのだったが、それならスーパーマンにならんではないか。梅干し食べてスッパマンてところか? 
  「わしは英雄やねんぞお」とおっしゃるのだ。英雄らしい。「わしは聖人やねん」ともおっしゃるのだ。聖人らしい。その「聖人」がなんでいつでも、イライラいらいらイライラしているのかと思うが、私が悪いらしい。
  「わしは地震が来ようが台風が来ようが怪獣が来ようが恐竜が来ようがびくともしない、という人間やねん。わかっとるか」とおっしゃるのだったが、地震は来ていないし台風も来ていないし怪獣も来ていないのに、なんで、そんなにイライラいらいらイライラしているのかと思ったが、そういう人だった。
  そんなに英雄だか聖人だかならイライラしなきゃいいと思うが、いつでもイライラしている方だった。「おまえが悪いねんぞ」と私が悪いということにしたいらしかったが、あのおっさんがイライラしているのはいつからかというと、私の記憶では私が産まれて最初に物心がついた時、すでにあのおっさんはイライラしとったように思う。
  それで、だ。うちの父親は「社長に逆らわない人間」だったし、横領とかすることはないし会社を乗っ取ろうなんてことはしないというより、そんなことする才覚なんかない絶対ない人間だったし、社長の親戚だったので、それでメーカーにおいては「買う側の部署」と「売る側の部署」があるわけだが「買う側の部署」においてもらうことが多かったらしい。その結果、取引先の人はうちの父親を喜ばせようとしてくれたようだった。そういう人にもいろいろあって、継続的に買ってもらおうとして、継続的に喜んでもらおうと努力してもらっていたようだったが、喜んでもらおうという努力はしても、だからといってそんなに悪質な人ではない人もおれば、この人は買ってもらうために機嫌を取っているだけの人かなという感じの人もいた。中には当人はそんなに悪気ではないようだが、結果として、あんまりいいとは思えないことをやる人もいた。うちの父親の部下だったMさんは、当人はそんなに悪気ではなかったのだろうけれども、どこで知ったのか金沢の拝み屋さんをうちの父親に紹介した。これは迷惑だった。そのおかげで、私は「名前を天津丼に変えなさい」と言われて変えさせられたのだ。「きょうから、おまえの名前はて~んし~んど~ん♪」と言って。その拝み屋さんのおばさんが良心的でないと思えるのは、拝み屋さんというのは、それこそ「本当にあった怖い話」(朝日新聞出版)に登場する「霊能者」の寺尾玲子さんも「私たちがやっていることというのは本当だと証明できるような性質のものではないから」と言っていて、だからこそ、頼まれたものについては対応するが、頼まれないもの・望まない人には対応しないというようにしているらしいが、ところが、その金沢の拝み屋のおばさんはうちの父親が行くと、「御主人さんはまったく悪くないんです」と言って機嫌を取ったらしいのだ。そして、「悪いのはご家族です」と言い、うちの母親とすでに結婚していたうちの姉2人と私の名前を変えろと言ったのだ。「わしの名前はものごっついええ名前で、まったく変える必要はないし、このままが一番ええねん」などとおっさんは言うのだ。そして、私に「おまえの名前はきょうから天津丼にするわあ♪」と言うのだった。「これから、おまえの知ってる人の家を順番に尋ねてまわって『これから私のことを天津丼と呼んでください』と言ってまわりなさい」と言うのだった( 一一)  遠藤周作『狐狸庵閑話』(講談社文庫)には、遠藤周作が文化学院の講師をやっていた時、藤田コト姫が生徒として来ていたが授業にほとんど出席しないので講師として「今少し講義に出席するよう」言いにいったことがあったそうで、その際、案内の者がコト姫に相談に来た人間の待合室に遠藤周作を入れてしまったらしく、「相談」させられるはめになったらしい。藤田コト姫は遠藤周作をまじまじと見て「小説が売れないのね。かわいそうに」と言い、「お名前が悪いのですよ。お名前を変えるときっと売れるようになりますよ」と言ったそうだった。遠藤周作は自分の小説が売れているのか売れていないのかにかかわらず自分の名前が悪いとは思っていなかったので名前は変えなかったが、霊能者とか拝み屋さんとか占い師とかいった人は、あくまでも希望する人に対応するもので希望しない人に押売りのようになんだかんだ言うべきものではないはずだし、そして、「名前を変えてください」と言う場合には、相談者の名前を変えてもらうように言うのは言ってもいいが、相談者の名前は「まったく悪くない、これ以上ないいいお名前です」などと言って機嫌をとり、他方で「息子さんの名前を天津丼に変えてください」などと言って変えさせるというのは、それは拝み屋としてやるべきではない行為であろう。そして、「あの人はええこと言う人や」と、もとより、あなたはまったく悪くないと言ってくれて、自分のまわりにいる誰それが悪いんだと言われると大喜びするという性癖の男に言うというのは、それは卑怯であり、拝み屋さんの「仁義」に反する行為である。Mさんはその拝み屋さんをどこで知ったのかしらんが、その拝み屋さんが比較的良心的な人かそうでないかにかかわらず、会社の上役に拝み屋さんなんてものは紹介するものではないはずだ。それをわからないという点ではあまり高く評価できない。
  反精神医学派の「精神科医」でアメリカ合衆国ニューヨーク州立シラキュース大学「精神科」教授だったトマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)にアインシュタインの言葉だという「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」という言葉を引用して述べている。
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
精神医学の神話 - 河合洋, トマス・スティーヴン・スザッツ
( ↑ トマス=サズ『「精神医学」という神話』
〕岩崎学術研究社。)
カール=ロジャーズの「自己一致」「自己不一致」の概念と、この「彼らが言っていること」と「彼らがやっていること」という概念から考えてみるならば、うちの父親というのは「言ってること」は「わしはブッダやねん」「わしは孔子で孟子で聖徳太子やねん」「わしはキリストやねん」「わしはスーパーマン」「わしは完璧超人」「わしは英雄」「わしは聖人」という人なのだが、「やっていること」を見ると、いつでもいつでもイライラいらいら、いつでもいつでもイライラいらいらしている人であり、「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って四六時中電話してくる人であり、娘がこの人と結婚するのは嫌ですと言っても、「相手は関西大学、おまえは短大しかでとらんじゃないか。どっちが上かあ下かあ」とか言って断りに行くことができない人、「ええかっこしい」はやりたがるけれども「頭を下げてお願いする」ということは1ミリでも下げることができない男で、そういう時に「誠に申し訳ありませんが」と断りに行くということはできない情けない人だったのだ。その点で「言っていること」と「やっていること」に大きな開きがある人であり、「自己一致」していない人、「自己不一致」の人だったのだ。
  「一将、功なりて万骨死す」という言葉があるが、こういう「自己不一致」の人、””実際よりはるかに自分をエライと定義づけなければおれない人間シンドローム””の人には「悪いやつ」が必要だ。「わしはほんまは失敗することは絶対にないのにからに」と言ってもおっさんは失敗するのだ。ところが、なにしろ、おっさんは「孔子で孟子で聖徳太子でゴータマシッダールタでキリストであって、聖人で英雄でスーパーマンで完璧超人であり、地震が来ようが台風が来ようが竜巻が来ようが怪獣が来ようがび~くともしない人間」と定義づけされた人であるから、実際には娘のために「誠に申し訳ございませんが」と断りに行って頭を下げるなんて、父親なら当然やらなければならない役割であろうがと私などは思うが、そういうことは絶対にできない人であるから、この「言っていること」「自分はこういう人間だと思っているもの」と「やっていること」「実際の自分」との間が甚だしく開きがある人の場合は、「おまえが・・・やからいかんのじゃ」と「悪者」にされる人間というものが必要になってくるのだ。
  うちの父親にとっては、うちの母親が「私を女中さんの扱いにする」「私を女中さん以下の扱いにした」とぼやいていたように、うちの母親の役割というのは「女中さん」だ。うちの上の姉のT子さんというのは「しっかりしたお姉さん」「ドイツ人のおねえさん」「ほんまやったら奈良女子大に通っているはずのおねえさん」と定義づけされるように、家族間で主張が一致しない時にさりげなく寄ってきてうちの父親に加担する人間、父親に加担する人間の役回りである。下の姉は「A子さんは素直な子~お」とうちの父親が言っていたように「素直な子」というのは「便利使いによい」という意味だ。『日本書紀』にはスサノオのみことが桧は宮殿に使えと言い、それから杉は何に、槇は何に、松は何に使えと「適材適所」に木を使うべきだと言ったらしく「適材適所」という言葉は木質系業からきた言葉らしいのだが、それと同じく人間もまた、うちの母親は「女中さん」として使え、上の姉のT子さんは「ドイツ人」「奈良女子大」として「えらい人」としてうちの父親に何かとついて賛成する役割の人間として使え、下の姉のA子さんは「便利つかい」に良いと決められたのだった。上の姉に子供が2人産まれたが、下の男の子についてはどうでもいいみたいな扱いにして、上の女の子(姪)について「Yちゃん。これはかわいい」とうちの父親は言うのだったが、「かわいい」というのは「おもちゃにするのによい」という意味だ。そして、私が「おまえはカス人間」という役割になったのだ。これが最重要の役割である。なにしろ、おっさんは「孔子で孟子で聖徳太子」「ゴータマシッダールタ」「キリスト」であり「英雄」「聖人」「スーパーマン」「完璧超人」であり「ドイツ人」で「アメリカ人」で「慶應」であり、「地震が来ようが台風が来ようが竜巻が来ようが怪獣が来ようがび~くともしない」という定義づけの人間、それが「言っていること」であるにもかかわらず、「やっていること」というといつでもいつでも「イライラしてきた、イライラしてきた、してきたしてきたイライラしてきた」という人であり、娘があの人と結婚するのは嫌ですと言っていても断りに行くことができない男だったのだ。だから、そのギャップを埋めるためには「悪いやつ」というのが必要だったのだ。「おまえが悪いねんぞ、おまえが。おまえさえ産まれてこなかったら、そしたらわしはイライラしてないのにからにイライラしとるんじゃ」という「おまえ」の役をやる人間がどうしても必要だったのだ。これを「適材適所」と言うのである。「天の神さま」というお方はこの「適材適所」ということを考えて、すべての人間に産まれる時点で役割をお決めになっている、ということだそうだった。
・・・でもね。もう、飽きた。もう、「悪いやつ」の役をさせられるのは、もう飽きた。フランツ=ファノン『地に呪われたる者』(みすず書房)のジャン=ポール=サルトルによる「序文」にサルトルはこう書いている。
「『悪人』が『俺は悪人ではないぞ』と気づく時、革命は始まっている」と。
地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子
地に呪われたる者 【新装版】 - フランツ・ファノン, 鈴木道彦, 浦野衣子

  私が中学校2年の時、うちの父親は「無理矢理やるのがええと思うねんけど、そう思えへんか」と私に言ったのだが、その時、「そう思います」「無理矢理されるのがいいと思います」と言ってほしかったらしいが、中学校2年の時の私はそう言わなかった。逆に「だめです。絶対にだめです。本人が嫌だと言っている人と無理矢理結婚させるなんてことは絶対にやってはいけません」と言ったのだ。私は、それだけ、きっちりと言ったのだからわかっただろうと思ったが、おっさんはわかっていなかったようだ。
  今、考えてみると、中学校2年生、年齢としては13歳の者が、よくあれだけ、きっちりと言えたものだと思う。うちの姪ではなくて姪の娘、「てっそん」と言うらしいのが今、高校生になったが、あいつが私が中学校2年の時にうちの父親に言ったことと同じだけのことを言えるかというと、たぶん、言えないと思う・・が、そういうところで、うちの父親が喜ぶようなことを言わずに、「だめです。絶対にだめです」と気に入らないことを言うものだから、だから、「わしはおまえは産まれていらんかってん。わしは『野口くん』が産まれてほしかってん」とおっさんから言われることになるようだった。「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で述べていたが、まさにその通りである。毛沢東は「敵によって反対されるなら、それは『大変けっこうだ』と言うべきだ。もしも敵から称賛されるなら、それは我々の行動が敵と同様に腐敗していることを意味し、敵から反対されるなら、それは我々の行動が敵とは一線を画していることを意味するからである」と述べているが、うちの父親から称賛される人間にはろくな人間がいなかったように思われる。うちの父親から称賛されていたろくでもない人間としては、うちの父親の親友だった医者屋のM川(男。1980年頃当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたということを自慢していたが、自分も私立金権関西医大裏口入学卒か、そんなところだろう)、そして、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)だ。あのおっさんがほめる人間にろくな人間いなかったが、旧姓作野礼子はその代表的な人間のひとりだった。
  そもそも、うちの父親が「わしはブッダやねん。わしはゴータマシッダールタやねんぞ」「わしは孔子で孟子で聖徳太子」「わしはキリスト」「わしは英雄で聖人でスーパーマンで完璧超人」「わしは地震が来ようが台風が来ようが津波が来ようが竜巻が来ようが怪獣が来ようが、び~くともしない人間やねん」などとアホなことを言い出すようになったのは、それは医者屋のM川が「お父さんは釈迦で孔子で孟子で聖徳太子でキリストのお方」と言って喜ばせた、「お父さんはスーパーマンのようなお方」「お父さんのような英雄で聖人で完璧な超人のお方」だのなんだのかんだのと言うべきではないことを言って喜ばせたことから、「先生がおっしゃることやから、絶対に間違いあらへん。わしは釈迦でキリストで孔子で孟子で聖徳太子の人間やねん」「医者の先生が言われることやから絶対に間違ってないはずや。わしは地震が来ようが台風が来ようが竜巻が来ようが津波が来ようが、び~くともしない、という人間やねん」「わしは英雄で聖人でスーパーマンで完璧超人なんや」と本気で叫び出すようになってしまったのだ。何を言うてくれるんじゃ・・と思うが、片方で私ならそんなこと言われてもうれしくないし、そもそも、私はキリストではないし、スーパーマンでもなければ完璧超人でもないし、そんなものになりたいなどとも思わないのだが、おっさんはそういうものだと言われると大喜びする人間であり、そういう点に精神的弱点がある男だったのだが、そういう精神的弱点がある人間を見抜いて機嫌をとることで操るという、そのやり口は「新興宗教の教祖」によく見られる手口であり、そんなものに簡単にひっかかるおっさんというのは情けない限りだが、実際問題として医者屋とか整体師とかそういう職業の人には「新興宗教の教祖」になりたがる人というのが少なくない。
  うちの父親は「M川先生は超能力者やねんぞお~お」などと言うのだった。「M川先生はなあ、医者であってやなあ、医者というものは、パッと人の顔をひと目、見ただけでその人間が何を考えているのか読み取る能力があるねんぞお。おまえなんか、すぐに見抜かれるねんぞ、おまえみたいなもん」と言うので、「やめてください。見抜かないでください、気持ちの悪い」と言ったのだったが、うちの父親はさらに「M川先生はなあ、パッとひと目、見ただけでその人間の将来を予測する能力があるねんぞお」と言うのだった。私だって、人を見て、この人はこんな生き方、していたら将来はこんな感じになってしまうのではないかとか、逆にこの人は若い頃・子供の頃はこんな感じの人間だったのではないかと思えることはあり、それはけっこうあたることがあるのだが、それは超能力でも何でもないし、人生、ある程度、生きてきたらある程度わかってみたりすることがあるというものだ。何よりも、「パッとひと目、見ただけでその人間が考えていることを見抜く能力がある」とか「パッとひと目、見ただけでその人間の将来を予測する能力がある」というのが、実際にそういう能力があったとしても、それは霊能者とか拝み屋さんとか占い師とかそういう人、冝保愛子とかユリゲラーとか麻原彰晃とか大川隆法とか小此木啓吾とかいった、いわば妖怪物の怪の類の能力、「グル」とか「エルカンターレ」とかそういう人の能力であって医者の能力ではないのではないか。そのM川先生というのは何科の医者なのかというと「専門は内科」だそうだった。「医者」は実質「新興宗教の教祖」になれば「患者」は何でも「医者」の「言うことをきく」のであり、害になるような薬でも喜んで飲みよるのであり、「患者」は医者屋が所有するカネのなる木であり、医者屋は「薬」と称する化学物質を必要もないのに大量に飲ませればいくらでもカネが入ってくるのであり、そのカネでドバカ息子を私立金権医大に裏口入学させることだってチョチョイノチョイなのだ。
アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
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  実際、うちの母親は90代の今も睡眠薬を欲しがってしかたがないのだが、これはうちの父親の親友だったその「M川先生」が睡眠薬を必要もないのに飲ませたことが原因で睡眠薬中毒にならされてしまったものである。

  私が20歳になる年、うちの父親はその「M川先生」に焚きつけられて言い出した。「おまえの結婚相手はわしとM川先生とで決めたるわあ」と。「要りません」「けっこうです」と言ったのだが、「何をのぼせあがった口をきいておるんじゃ、このチャンコロろすけイタコ浪商!」と言うのだった。「誰と結婚するかというのは、これは大変大事なことやねんぞ。ものごっつう大事なんやぞ。そういうものは、おまえが決めるものとは違うねんぞ、おまえが決めるものとは。わかっとんのかチャンコロろすけイタコ! おまえが決めたらいかんねんぞチャンコロ!」と言うのだ。
  その「M川先生」という男だが「全国にM川教の信者がいっぱいおるんじゃ」と豪語していたように、医者だと称していたものの、実質的に「新興宗教の教祖」であり、まさに文鮮民のごとく「誰と結婚するのがいいかわしが決めてやる。感謝しろお!」と言う男だったのだ。「なにしろ、わしは医者なもんじゃからな。医者というのは普通の人間とはちごうて、特別に特別にエライ存在なんじゃ」と言い、「わしのような特別に謙虚な人間の言うことは何でも絶対にきかんといかんのじゃ」と言い、うちの父親はそう言われて「そうです、そうです。M川先生ようなものごっつい謙虚なお方の言うことは何でも何でも絶対にきかんといかんのや」と言うのだったが、そういうのを「謙虚」と言うのか? むしろ、M川のこのような態度というのは「傲慢」と言うべきものではないのか。
うちの父親というのは、そういう「新興宗教の教祖」「文朝民みたいな男」にはまる男だったのだ( 一一)

  うちの父親は「おまえの結婚相手はわしとM川先生とで決めたるわあ」と言うので「要りません」「けっこうです」と言ったのだが、「のぼせあがっておってはならんぞチャンコロろすけ! ちゃんちゃんコロコロちゃんコロコロ、いらいらしてきたなあもお~お。わしとM川先生という世にもまれな謙虚な人間お二人が決めてやってあげてやってやってあげてやろうと言うてやってあげておるんじゃ。ありがとうございますと感謝の気持ちをのべんか、このチャンコロろすけめが。のぼせあがるなあ! 思い上がるなあ!」と言うのだった。
  こういうことを言うと、下の姉は「あんた、うちのお父さんなんかに、あんたの結婚相手なんか捜してくる能力なんかあるわけないでしょうが。結婚相手を紹介する人というのは、その人が社会的地位があるから紹介するのでしょう。うちのお父さんなんか、そんなものあるわけないでしょうよ。たとえ、社会的地位がなくても、たとえば、☆☆さんなんかは初対面の女の子にでも話しかけて『うちの親戚でこういう男性がいるんだけど、会ってみない』とか言ったりする能力があるけれども、うちのお父さんなんか、そんな能力なんかあるわけない人でしょう。あの人があんたの結婚相手なんか捜してこれるわけないでしょうよ」と言うのだったが、うちの下の姉はとんでもない勘違いをしている。うちの父親は私に結婚相手にいい女性を捜してくるなどとは一言も言っていないし、そんなつもりなんて毛頭ないのだった。そうではなく、うちの父親が言っていたのは、「とりあえず、このわしがお好みあそばすような女を10人ほど用意して連れてこ~い。そしたら、その中で、どいつがわしの好みに一番合うか、このわしが見て決めたるわあ。そんで、その中にどれもええのんがおらんかったら『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたら、また、おまえが別の10人を用意して連れてこ~い。その中にもまたええのんがおらんかったらまた『みんな、あか~ん』言うたるから、また別の10人を連れてこ~い。そうやって決めたらええ」と言うのだった。「要りません」「けっこうです」と言ったのだが、私が「要りません」「けっこうです」と言うと、「ええかげんにせえよ、このチャンコロはあ」「のぼせあがるなあ!」と言うのだった。「ものごっつい謙虚なお方であるこのわしが決めてやってあげてやってあげてやろうと言うてあげてやっていただいてくださってあげておるんじゃろうが。ありがとうございますとかしこまっていわんかチャンコロろすけ!」と言うのだ。なんか、「わしは慶應やぞお」と言うだけあって、慶應の教授(内部進学)とほんとによく似ている。そして、「心得違いを起こしてはならんぞチャンコロ。つきあってから連れてくるのとは違うねんぞ、つきあってから。よもや、このわしに無断で女とつきあうなどという思い上がった真似はしておらんやろうなあ。つきあう前に連れてくるねんぞ、つきあう前に」と言うのだった。
  しかし、そもそも、普通に考えて、だ。ある程度、つきあって結婚しましょうということになった時には男性は女性の親に会いに行くべきだし、女性は男性の親に会いにいくべきだと思うが、しかし、つきあってもいない人間から「うちの父親と会ってもらえませんか」なんて言われても、「なんでやの~ん」とならないか? 誰か、つき合っているわけでもない男の親に会いに行く女がいるか? つきあっているわけでもない女の親に会いに行く男がいるか? 私なら「なんでやのん?」「な~んでえ~え?」と言うと思う。
  だいたい、「このわしがお好みあそばすような女を、とりあえず、10人ほど用意して連れてこ~い」とか言うおっさんというのが、そういう人間がなぜ「ものごっつい謙虚な人間」になるのか、どうもよくわからない。
  それ以上の問題として、「このわしがお好みあそばす女を、とりあえず10人ほど用意して連れてこ~い。その中から一番ええのんをわしが選んで決めたるわあ」と言うのであったならば、それなら何もその女は私の嫁にしなくても、おっさんか「M川先生」のメカケにすればいいではないか。私の嫁にする必要はまったくないであろうが。そう思わないか?

  「わしのような聖人で英雄でスーパーマンで孔子で孟子で聖徳太子でキリストでゴータマシッダールタで完璧超人のお方に決めてもらうのが一番賢明な選択なんや。おまえがええと思うてもあかんねんぞ。おまえがあかんと思うてもわしが良かったらええねんぞ」と言うのだったが、私が中学校2年の時に下の姉にやったことと同じこと、もしくはそれ以上というのかそれ以下というのかを再び、今度は私にやろうとしてきたのだった。
  そう言うので、それで私は言ったのだ。「そんなことなら、お嫁さんなんか要りません」と。そう言ったところ、うちの父親は「そうかあ。たしかにうちの会社のS野くん(その頃、40代の半ばくらいでまだ独身だった男性社員)も独身やし、あんたも結婚したくないということならば、わしは魅力たっぷり魅力たっぷりのお父さんでものごっつい寛容な人間で思いやりがあって人格者なもんやから、それなら結婚はせんで独身で一生暮らしても、それはそれでかめへんでえ~え」と言うのだった。うちの父親というのは、そういう人間だった。「わしとM川先生がお好みあそばす女をとりあえず10人ほど用意して連れてこ~い。その中からわしとM川先生とで、その中のどいつが一番ええか決めたるわあ」というのをされるのが嫌なら、それなら一生、結婚するなとそう言ったのだった。それがうちの父親だったのだ。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言ってそんなものを自慢しまくり、そして「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と言うのだったが、「このわしとM川先生がお好みあそばす女をとりあえず10人ほど用意して連れてこ~い。その中からどいつが一番ええか、わしとM川先生とで決めたるわあ」などと言う父親がいるのがうらやましいというのなら、旧姓作野礼子があのおっさんを引き取ってほしかった。あの女、よくまあ、あれだけ勝手な口をきくもんだと思う。あの女だけは許せんと思う。

  うちの父親の勤め先の工場にアルバイトに行かされたのだが、その工場に勤めていた女性は中学校を卒業してすぐに勤めてきたという人が多かったのだが、うちの父親は私にそういう所にアルバイトに行かせておいて、そして、こう言うのだった。「ああいう中学校しか出てない女の子はやめときやあ」と。そんなこと思っているのなら、そういう所に行かさなければいいのではないのか。もしも、そういう女の子と仲良くなったらいいと思ってそういう所にアルバイトに行かせるというのならわかる。又、そういう女の子は良くないと思うからそういう所には行かさないというのなら、それもわかる。しかし、そういう女の子がいる職場にアルバイトに行かせておいて、「ああいう女の子は良くないからやめときやあ」と言うというのは、それはどういうことだ。私が親ならば、そういう所に行かせて、もし、仲良くなったなら、それから引き裂こうなどというのはかわいそう過ぎて、そういうことはできない。うちのマタイトコがドイツに音楽の留学に行って、行った先でドイツ人と仲良くなって結婚すると言った時、叔母じゃなくて何になるのか、マタイトコのお母さんは「ドイツ人と結婚するなんて、最初は反対しましたよ。でも、本人がその人がいいと言うのならしかたがないと思いました」と言われたのだったが、うちの父親ならば、もしも、仲良くなってこの人と結婚したいと言い出したなら、その時になって「そういう女は良くないからやめなさい」と言い出すことだろう。そういうおっさんやった。
  私は「悪くないと思いますよ。それよりも、慶應の内部進学の女とか、ああいうのだけはずえったいに嫌ですね、ああいうのだけは」と言ったのだが、そう言ったところ、うちの父親は「ええがな。ものごっついええがな」と言うのだ。「嫌です。ずえったいに嫌です。首をもがれても嫌です。天地がひっくり返っても嫌です」と私は言ったのだが、そうするとうちの父親は「ええかげんにせんか、このチャンコロろすけイタコ! このわしが『ええ』と言うておるんやぞ、このわしが。このわしが『ものごっついええ』と言うてやっておるんやぞ。ええかげんにせんか、このチャンコロろすけイタコ。のぼせあがるのもたいげいにせえ、このチャンコロろすけっ!」と言うのだ。マア、あの気色の悪い慶應女子高女なんてのは、どう転んでも「慶應義塾カースト」で自分たちよりも下のカーストになる男と結婚するなどということは絶対にしないから、だから、どこかで何か間違ってそんな話が出てくるようなことがあったとしても、その時は「間違いなく向うが断ってくれる」だろうから、その点については「まず心配要らん」と思ったが、うちの父親というのは、そういうおっさんやった。

  うちの下の姉もまた、うちの父親と似た部分があって、私に「あんたは4年制大学出ている子でないと嫌やろうから」と言うので、「そんなことないよお」と私は言ったのだ。ところが、私が「そんなことないよお」と言っているのに、それなのに「そやろ。やっぱり、あんたは4年出ている子でないとあかんやろう」と言って私が「そんなことないよお」と言っても完全に無視して「4年制大学でている子でないとあかん」と決めてしまうのだった。うちの一族はいったい何なのだろうなあ・・と思った。

  さらに、1990年代に入って、私が30代に入った頃、うちの母親が、なんと、ミドリ十字という会社の副社長だったか専務だったかの娘で看護婦をやっている女性と見合いしろと言ってきた。どこからそういう発想が出てくるのかとあきれた。「なんやのん、それは」と言っても、うちの母親は理解しないらしかった。
  かつて、医者屋から「薬」と騙されて毒を飲まされて今も完全に後遺症が治ったわけではない者に、問題が多いとされる日本の製薬業界の中でも特に問題が多い札付きの会社で元731部隊の人が経営している会社の役員の娘と見合いしろとは、いったいどういう思考なんだ。
  又、私が十代後半だった時、うちの母親は「看護婦さんみたいなも~ん」と言うので、看護婦さんというのはうちの母親は好きではないらしいとわかったので、特に仲良くなった相手ならともかく、そうでなかったら看護婦さんというのはうちの親にとってはよくないんだと思っていたら、自分が「看護婦みたいなも~ん」と言った看護婦をやっている娘と見合いしろと言ってくるというのは、それはいったい何なんだ。
  いったい、どこからそういう不可思議な話を持ち込んだのかと思ったら、伯父(母の兄)が親切のつもりでそういう話を持ってきてくれたらしかった。ミドリ十字という会社は元731部隊の人がやっている会社で、毎日新聞大阪本社遊軍編『偽装ー調査報道ミドリ十字』(晩聲社)によると、ミドリ十字の会長は元731部隊であるとともに「敬虔なクリスチャン」だそうで、伯父は「クリスチャン」だったのでそのつながりから出てきた話だったのかもしれない・・・が、それにしても、かつて医者屋に毒盛られて後遺症がまだなくなったわけでもない人間に、よくもまあ、そういう会社の副社長だったか専務だったかの娘と見合いしろなどという発想が出てきたものだ、とあきれた。
偽装―調査報道・ミドリ十字事件 (ルポルタージュ叢書) - 毎日新聞社
偽装―調査報道・ミドリ十字事件 (ルポルタージュ叢書) - 毎日新聞社
新版 悪魔の飽食 日本細菌戦部隊の恐怖の実像! (角川文庫) - 森村 誠一
新版 悪魔の飽食 日本細菌戦部隊の恐怖の実像! (角川文庫) - 森村 誠一
アリナミン (1971年) (三一新書) - 高橋 晄正
アリナミン (1971年) (三一新書) - 高橋 晄正
  「クリスチャン」の考え方によると、『悪魔の飽食』のような行為、『偽装ー調査報道ミドリ十字』(晩聲社)のような行為をおこなっても「クリスチャン」として「洗礼」受けて日曜ごとに教会に行って礼拝に出れば「天の神さま」はすべてお許しになるという考え方らしいのだ。だから、私は「クリスチャン」が嫌いだし、特に「敬虔なクリスチャン」というものが一番嫌いなのだ。

  北野高校は行きたいと思って行った学校だったから合格した時はうれしかったのだが、実際に行って卒業してから10年以上経って冷静に考えることができるようになってみると、どう考えてもあんまりいい学校ではなかった。それなら、どこに行けばよかったかというとそれはわからない。京大・阪大に行くなら北野高校で良くても東大に行きたかったなら灘高校とか東大に何人も合格者をだしていた高校に行った方が良かったかもしれないが、そういった私立受験校というのは公立進学校よりも受験に直結したことをやっている一方で、受験第一であって「高校の勉強」そのものよりも受験に力を入れているところがあり、はたしてそれがいいのか疑問に感じるところもある。 YouTube で見たものによると、2022年、日本ハムファイターズからドラフト指名を受けたアメリカ合衆国でプレーしてきた加藤豪将選手が入団発表の時に「歩くのが好きな人間はゴールに到達するのを目指す人間よりも遠くまで歩くことができる」という英語の諺らしいものを引用していたが、「大学入試に合格する」ということをゴールとして目指す私立受験高校を出た者よりも、公立進学校で学問そのものを好きになった者は「遠くまで歩くことができる」ということがあるかもしれない。しかし、やっぱり、私が行った時の北野高校の教諭を考えてみると、大学入試を無視して「勝手なことばっかりやってるだけ」みたいな人もいたようで「親方日の丸」みたいなところはあったと思う。「国語」課の旧姓作野礼子の「現代国語」なんて、あんなもの、「勝手なことばっかりやってるだけ」だった、と今は思う。
  そういったことを考えると、私立受験校と公立進学校というのはどちらがいいのかはよくわからない。そのあたりはよくわからないところもあるのだが、しかし、「無理矢理やるとええと思うねん、むりやり、ムリヤリ、無理矢理」と言うおっさん、「わしのお好みあそばすような女をとりあえず10人ほど用意して連れてこ~い。その中で、どいつが一番わしのお好みに合うか、わしが見て『こいつにせえ』と決めたるわあ」と言うようなおっさん、そんな人間を「わしは謙虚やね~ん」と言うようなおっさんを「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言って持ち上げて、さらに増長させ、さらにチャッチャッチャさせるような女が2年の時の担任を持つような高校というのは、どうかんがえてもいい学校ではなかった。
  北野高校を卒業して数年経ってからのことだが、うちの親に旧姓作野礼子から手紙が来ていたのだ。うちの親が机の上に載せていたのを見て知った。高校の教諭が生徒が卒業してからも元生徒と交友があるというのなら悪いことはないし、元生徒とつきあいがあって親とも「家族ぐるみ」でつきあいがあるのならそれも悪くはないだろう。しかし、元生徒がその教諭を嫌がっているのに、元生徒に隠れて陰で親とつきあっていたというのは、それは高校の教諭を職業とする者としてやっていいことだろうか。それは高校の教諭としてやるべきではないことではないのか。
  又、旧姓作野礼子は担任だった2年の1学期のこと、親との「懇談」の前、クラスの生徒に「あなたたちのことを親に言いたいと思いますので」と言うのだったが、その考え方はどう考えてもおかしいだろう。「言いたいことがありますから」と言うのなら、本人と毎日、顔を合わせているのだから本人に言えよ。なんで、本人に言わないで親に言うんだよ。そう思いませんか? もしも、旧姓作野礼子に「親に言う」権利があるというのなら、「相互主義の原則」として生徒にだって旧姓作野礼子のことを旧姓作野礼子の「親に言う」権利があるはずだ。私は旧姓作野礼子の母親に言いたいのだ。「おまえが離婚したおかげで、おまえの娘は『私は両親が離婚したから』『私は父親がいなかったから』とギャースカぎゃーすかギャースカ言って、こちらはええ迷惑なんじゃ。『離婚して申し訳ございませんでした』くらい言ったらどうなんだ」と私は旧姓作野礼子の母親に言いたい。「相互主義の原則」として、旧姓作野礼子が我々生徒の「親に言う」権利があるというのなら、生徒の側だって旧姓作野礼子の「親に言う」権利があるはずだ。旧姓作野礼子がやったことに対して「報復攻撃」をおこなってもいいはずだ。
  逆に、旧姓作野礼子は私に「〇〇くん、まだ、修学旅行のおカネ、払ってもらってないわよ。早く払ってちょうだい」と何度も何度も電気代・ガス代などの公共料金未払いの督促みたいに言うのだったが、そんなこと言われても、我が家は「高校は勉強しに行く所であって修学旅行する所とは違いますでしょ」と言われて修学旅行の費用を出してもらえなかったのだから、毎度毎度、督促されてそのたびに「すいません」「すいません」と謝り続けたが、旧姓作野礼子は「懇談」で親と会っているのだから、そっちの方をこそ親に言ってくれたらよかったのだ。私としては修学旅行というのは特別に行きたかったというものでもなかったが、小学校・中学校の遠足と同様に高校教育のひとつという位置づけならば行ってもいいと思っていて、別にどっちでも良かったのだが、高校の教諭からは「修学旅行の費用、まだ払ってもらってないわよ」と何度も何度も公共料金未払いの督促みたいに督促されて、親からは「高校は勉強する所であって修学旅行する所とは違いますでしょ」と言われて、間に立ってどうもできなかったのだ。なんで、旧姓作野礼子は生徒に言うべきものを親に言って、親に言うべきものを生徒に言うのだろうか。あれは、わざわざ、そういう行動に出ることで生徒を困らせて楽しんでいたということか。ブスだけあって悪趣味な女である。
  2年の2学期のことだが、朝、高校に向っていたら、後ろから旧姓作野礼子がやってきて「〇〇くん、1限目は遅刻なの」などと文句を言ってきたのだ。しかし、それも親に言ってもらいたいのだ。我が家は「高校は勉強する所であって体育する所とは違いますでしょ」と言われて1限目が体育だと家を出してもらえないのだ。なんで、この人は「懇談」で親と会っているのに親に話してくれないんだ・・と思ったものだった。
  それよりも、「学校の先生」と言っても「大学の先生」の場合は自分が担当している講義の時間以外はどこにいてもいいことになっているのではないかと思えるし、慶應大学なら教養課程の日吉と専門課程の三田と両方で講義を持っている教授もおられたので、講義を持っている時間以外は日吉キャンパスにいないといけないとか三田キャンパスにいないといけないということはないのではないかと思うが、「高校の先生」の場合は生徒の世話をするというのも仕事のはずであり、たとえ1限目に担当の授業を持っていなかったとしても、だからといって2限目から出勤していいというものではないはずだ。もしも、私が登校した時、校内にいたのならばいいが、旧姓作野礼子はそうではなくて私よりも後ろから来た、私よりも高校とは逆の側、私よりも駅の側から来たのであり、こちらが遅刻ならば、あんたも遅刻やろうが・・てもので、高校生は年に何回か遅刻したとしても進級できるが、高校の教諭の方は出勤時刻に遅刻したならば、それも当たり前みたいにしばしば遅刻していたのだから、これは減給成り何なりの処分を受けてもいいはずのものだったのではないだろうか。
  旧姓作野礼子は、このように、「生徒に言うべきもの」を親に言い、「親に言った方がいいもの」を生徒に言うという特徴がある女だった。
  旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にしていて、そして、「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と言ってうちの父親をヨイショして持ち上げて、その結果として「わしほどエライお父さんはないねんぞお、わしほどお~お」とうちの父親がさらに重症化する結果を招いたのだった。迷惑な女だった。「父親がいなかった」娘・「両親が離婚した」娘といっても人それぞれ違うと思うのだが、旧姓作野礼子を見る限り、「父親がいなかった」「両親が離婚した」娘は高校の教諭にはならないでもらいたいと思った。迷惑千万である。
  (2022.11.5.)

☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html 
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html 
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。〔今回〕
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か?  「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html

☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝 
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html 

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