「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?
[第611回]
北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったのだが、卒業して10年以上経って冷静に考えられるようになってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。特に、1970年後半、2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」という奇妙なことをを自慢にしまくっている女だったが、今から考えてみると「だから何やねん」てもので、そんなもの、自慢するものと違うやろうが・・ということもあるが、そもそも、旧姓作野礼子の「両親が離婚した」原因を私が作ったとでもいうのなら「えらいすんまへんでしたなあ」とでも一言は言った方が良かったかもしれないが、違うだろうが。私が離婚させたわけでもないのに「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」などとギャースカぎゃーすか言われても、知らんがな、そんなもん。
又、旧姓作野礼子は「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言うのだったが、そんなこと言うなら、あげるよ。あれ、欲しかったら過去に遡ってあげるよ、ほんと。1970年、花登 筺(はなと こばこ)『銭の花』(講談社)を原作として関西の読売テレビ・東京の日本テレビで『細腕繁盛記』という番組が放映されたが、その中で、子供の頃の加代に、《大阪宗右衛門町の高級料亭「南地楼」を一代で作った》という祖母の ゆう が 団扇(うちわ)を見ながら「『団扇(うちわ)を見れば骨がある』と言うが、ほんまやなあ」と語り、子供の頃の加代が「おばあやん、そんなん、当たり前やんか」と言うと、「加代ちゃん、ええか。どんな家でも、どんな店でもなあ、外から見たらええように見えても、中に入って見たら骨があるもんなんやで」と話すという場面があったが、旧姓作野礼子という女は子供の頃から『細腕繁盛記』で祖母の ゆう が加代に話したように教えてくれる人がいなかったのだろう。むしろ、あんたは「父親がいなかったから」、いつでも誰からも「作野先生はお父さんがいなかっただけあって苦労してきておられるから、えらいわあ~あ」とほめてもらう権利があるんやで、と母親から教えられて育ったバカ女症候群だったのではないか。「父親がいなかった娘」にもいろいろあると思うが、旧姓作野礼子のような女が「父親がいなかった娘」であるのなら、そういう女は高校や中学校の教諭にはならないでもらいたいように思うのだ。迷惑だ。たとえ、なるにしても「両親が離婚した」「父親がいなかった」娘専用の教諭になるようにしてもらいたい。そうでなければ、はた迷惑も甚だしい。
《D》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その4。
うちの父親が家で言うことを聞いていると、この人、何をあほなこと言うとんねん・・と思うことがいくつかあった。
「日立とかトヨタとかいうような会社て、部長でもわしよりも高い給料もろとるねんで」とか何度も言うので、そりぁそうやろ、あんたなんかより高くても当然やろ、何をあほなこと言うとんねん、と思ったものだった。だいたい、あんた、親戚が社長やってる中小企業に勤めているから、だから、あんたでも「常務さん」なんてならせてもらえているのであって、日立製作所とかトヨタ自動車とかそういう所に勤めたら、あんたなんか、部長になんかならせてもらえてないやろ・・と思ったが、言うと怒るので黙っていた。
「社長がこう言いよった」という話をうちの父親はいくつかしたことがあったのだが、うちの父親の勤め先の初代社長が「わしが頭を下げたらそれで解決するのなら、いくらでも頭さげたるぞお」と言っていたというのだが、「さすがは社長やなあ」などとおっさんは言っていたのだが、そういう発言を聞いたなら、それを自分も実行できるようにすればどうかと思ったのだが、ところが、うちの父親というのは「ええかっこしい」はやりたがるが1ミリでも頭を下げることができない男だった。そんなもん、「頭さげる」というほどのことと違うやろうが、ということを断固として嫌がるおっさんやった。
そのあたりは、どうしようもないおっさんやなあ・・( 一一) てもので、しかたがないと思っていたのだが、笑いたくなるが笑うと怒るので笑えなかったものがある。 「社長がなあ」と言うのだ。「『アホはアホなりにつこうたらええがな』と、そう言われるのや」と言うのだ。なんでも、「あいつは、どうしようもないやつですわあ」と部下についてぼやく「中間管理職」がいると、社長が「アホはアホなりにつこうたらええがな。アホはきみやろ。そのアホを使うのがきみの仕事やろうが」と、そう言ったというのだ。それを聞いてうちのおっさんは「そうや。その通りや。さすがは社長や」と思ったらしいのだが、そこはいいが、その後が問題だ。「アホはアホなりにつこうたらええのや。世の中、わしいのようなエッライえっらいエッライえっらい人間ばっかしとは違うんや。アホもおるんや、アホも。アホでもつこうてやらんといかんいうこっちゃ」とそうい言うのだった。・・はあ?
「なんか、アホがめでたいのお」と思った。私ならば、もしも、勤め先の社長が「アホはアホなりにつこうたらええがな」と言いよった・・とすると、はて、俺はこのおっさんにとって「アホ」の側なのか「アホでない人間」の側なのか、どっちやろうか? ・・と思うだろう。ところが、うちの父親というのは社長が「アホはアホなりにつこうたらええがな」と言いよったのを聞くと、「そうや♪ ええ~えこと言いはる♪ 世の中、わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらい人間ばっかしとは違うんや。アホもおるんや。アホはアホなりに使ってやらんといかんのや。アホはアホなりにや、アホはアホなりにい♪」と言って喜ぶのだった・・・が、あんたも「アホはアホなりに」使われてきたのと違うんかい。あんた、気づいてないのか・・と思ったのだが、おっさんは気づいていないようだった。なんか、考えようによっては幸せなおっさんやなあ・・て感じがした。そして、私の眼を指で突き刺すようにして言うのだった「世の中、わしいのようなエッライえっらいエッライえっらい人間ばっかしとは違うんや。おまえのようなアホでもつこうてやらんといかんいうこっちゃ、アホはアホなりにや、アホはアホなりにい♪」と言うのだった。
そして、だ。「うちの社長も困ったおっさんでなあ。病気で療養するやつがおると、こう言いよるねん。『病に勝てえ!』と。難儀なおっさんやなあ、体の具合が悪いと言うとるもんに『病に勝てえ!』やなんて、無茶苦茶言いよるわ。そんでもって、立場が変わって、自分が身体の具合が悪い時にそんなこと言われたら、その時にはかんかんに怒りよるねん。ほんま、難儀なおっさんやでえ、ほんま」と言うのだった・・が、あんた、親戚だけあってやることよう似とるやないか、あんたとそっくりやないか( 一一) と思ったものだった。
北野高校の2年の時の担任だった(女。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言い、「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と言うのだったが、↑ のようなおっさんがいると、うれやましいかあ? そんなにいいと思うのなら、過去に遡ってあげるよ、旧姓作野礼子に。
「うちの社長も困ったおっさんでなあ。病気で療養するやつがおると、こう言いよるねん。『病に勝てえ!』と。難儀なおっさんやなあ、体の具合が悪いと言うとるもんに『病に勝てえ!』やなんて、無茶苦茶言いよるわ。そんでもって、立場が変わって、自分が身体の具合が悪い時にそんなこと言われたら、その時にはかんかんに怒りよるねん。ほんま、難儀なおっさんやでえ、ほんま」とうちの父親は言うのだったが、さすがは親戚だけあって、そのあたりについて、うちの父親というのはその社長と似ている人間だった。
私が20代前半の時、「医者」から飲まされたものが今から考えるとあれは実質、毒だったと思うのだが、それが原因でフラフラになっていた時のことだが、それを見るとうちの父親はすかさず寄ってきたのだ。そして、大きな声でまさにアニマル=浜口のように、こう叫んだのだ。
「気合だあ! 気合だあ! 気合だあ~あ!」と。
※ 《YouTube-アニマル浜口 気合64連発!!》https://www.youtube.com/watch?v=ai_KePLfpcY
アニマル=浜口にしても、娘が身体の具合が悪い時に横に行って耳元で「気合いだ、気合いだ、気合いだ、気合いだ!」などとは言わないと思うが、うちの父親は言うのだ。そして、もしも自分がそれをされたらカンカンに怒るのだ。・・・そういう父親がいたらうれしいか? そういう父親がいたら「恵まれてるわあ」などと思うのか? そんなにいいと思うなら、旧姓作野礼子も計算すると今では70を過ぎただろうから体の具合が悪くなる時があってもおかしくない年齢になっただろうから、その時にはそばに寄って行って耳元で言ってあげてもいい。
「気合いだ、気合いだ、気合いだ、気合いだああ~あ!!!」と。
旧姓作野礼子はうれしいのだろう、そうされると。うれしいだろうから、だから、旧姓作野礼子さんの為を思って、千里の道を通しとせず、万難を排して駆けつけて行って「気合いだ、気合いだ、気合いだ、気合いだ~あ!」と耳元で叫んでやるから。旧姓作野礼子は感謝して礼くらい言わないといけないはずだ。
今となっては30年ほど前になるが、うちの父親が他界する前、大阪で病院に入院した時、うちの母親が「前に(うちの父親が)(大阪市北区の)回生病院に入院した時には〇〇(私)が着替えとかを持って行ってくれたけれども、今は東京の方で働いているから持って行ってもらうことはできないから」と話すと、「そんなもん、持ってきてもろうたことなんて、ない~い!」と言ったそうだ。
「なんでやのん。何度も持って行ってくれたでしょう」と言っても、
「知ら~ん! そんなもん、一度として持ってきてもろうたことなんてない~い!」と言ったそうだ。
あのおっさんらしいなあ~あ・・と思った。そういうおっさんやった。
他界する前、複数の病院に入院したのだが、最初に入院した大阪市内の逓信病院だったかの時はまだ比較的元気だったのだが、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』を聴きたいと言うので、私がラジオのFM放送から録音したカセットテープを東京都大田区のアパートから持って行ったところ、
「なんや、これはあ。これはラジオから録音したもんやろ。ラジオから録音したものなんて音悪い。こんなもん、わしが聴けるかあ~あ! これはあんたが聴くもんや。わしがこんなもん、聴けるかあ~あ! 持って帰ってんかあ」と言われたものだった。
東京都千代田区神保町に本社があったTコンピュータサービス(株)の入社式の後、社員教育担当部署の責任者のおっさんが「皆さん、親が子供に何かもらった時、何かやってもらった時と、子供が親から何かをもらった時、何かをやってもらった時とで、どこが違うかわかりますか」と言い、「教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか」と何度も何度も言うのだったが、誰ひとりとして「教えてください」と言う者はなかったのだが、誰ひとりとして「教えてください」と言うものがなかったからには「そうですか。それならやめておきましょう」と言うのをやめるか、それとも「まあ、そう言わないで、聞いてくださいよ」と言って話すかどちらかだろうと思ったら、そうではなく、「そうですか。それなら、教えてあげましょう」と言って話しだしたので、それでは日本語になっておらんだろうと思ったことがあった。
「いいですか。子供が親から何かをもらった時、子供が親から何かをしてもらった時には、子供は気持に喜ぶのではなく物に喜ぶのです。それに対して、親が子供から何かをもらった時、子供が親から何かをしてもらった時には、物や行為に喜ぶのではなく気持に喜ぶのです。そこが、子供が親から何かをもらった時、何かをしてもらった時と、親が子供から何かをもらった時、何かをしてもらった時とでの違いなのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・」とおっしゃったのだった・・が、わからなかった。違うだろ、それは、と思った。
[第591回]《山阪神社(東住吉区)参拝。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか? 優勝もしてないのに高い物を買ってもらっていた人間はずるくなくて被害者なのか?ー法楽寺と東住吉区山坂[9/12]》 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html でも述べたが、「子供は気持に喜ぶのではなく物に喜ぶ」などということはない。Tコンピュータサービス(株)の社員教育担当部署のおっさんの認識は間違いだ。そのおっさんこそ「社員教育」される必要があったのではないか。
うちの父親が『くるみ割り人形』を聴きたいと言うから、だから、東京から大阪までカセットテープを持って行ったのだったが、「こんなもん、持って帰ってんかあ!」とそう言いよったのだ。どこが「親というものは気持に喜ぶものなんです」だ、どこが!?! よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
私ならば、親であれ子供であれ、体調が悪い人間の横に行って耳元で「気合いだあ! 気合だあ! 気合だあ~あ!」とアニマル=浜口みたいに叫んだりはしないが、そういうことをする父親がいるとうれしいか? 北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子はそういう父親のことを「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言って持ち上げるので、その結果として、うちの父親から「ええ先生やで、あの人は。さすがは北野高校でてるだけあるで、あの人は。女でも神戸大でてるだけのことあるで、あの人はあ」などと言って調子に乗るようになったのだった。
うちの父親というのは「ヨイショされるとすぐに乗る男」だった。私だってけなされるのとほめられるのとなら、ほめられる方がいいというくらいならあるかもしれない。しかし、だ。たとえば、「あんたエライ、あんたエライ、あんたエライ、あんたエラ~イ! えらいエライえらいエライえらいえら~い。あんた、天皇陛下。あんた、天皇陛下~あ」と西川きよし と横山やすし の漫才で西川きよし が言ったみたいに言われたとすると、横山やすし が「なんやねん、それはあ。なんやね~ん」と言ったように、おちょくっとんのか、コラ・・となる。それに対して、うちの父親というのは「あんたエライ、あんたエライ、あんたエライ、あんたエラ~イ! えらいエライえらいエライえらいえら~い。あんた、天皇陛下。あんた、天皇陛下~あ」と言われると、「そやねん。わしぁえらいねん♪」と言って喜びよるのだ( 一一)
そうやってうちの父親をおだてたおかげで、その結果、こちらはえらいめいわくさせられた、という人間が何人かいる。
第一にうちの父親の親友で医者屋のM川(男)とその同僚のK田(女)だ。
第二が北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女)。
第三がうちの母方の叔父、母親の弟で大阪の私立大学のラグビー部の監督やっていたO本M夫だ。
あいつらは許せん、と思う。
(2022.11.4.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?〔今回〕
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原

狂気と家族【新装版】 - レイン,R.D., エスターソン,A., Laing,R.D., Esterson,A., 嘉, 笠原, 和子, 辻

菊と刀 (光文社古典新訳文庫) - ベネディクト, 角田 安正

昭和時代 (岩波新書) - 中島健蔵
北野高校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったのだが、卒業して10年以上経って冷静に考えられるようになってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。特に、1970年後半、2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」という奇妙なことをを自慢にしまくっている女だったが、今から考えてみると「だから何やねん」てもので、そんなもの、自慢するものと違うやろうが・・ということもあるが、そもそも、旧姓作野礼子の「両親が離婚した」原因を私が作ったとでもいうのなら「えらいすんまへんでしたなあ」とでも一言は言った方が良かったかもしれないが、違うだろうが。私が離婚させたわけでもないのに「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」などとギャースカぎゃーすか言われても、知らんがな、そんなもん。
又、旧姓作野礼子は「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言うのだったが、そんなこと言うなら、あげるよ。あれ、欲しかったら過去に遡ってあげるよ、ほんと。1970年、花登 筺(はなと こばこ)『銭の花』(講談社)を原作として関西の読売テレビ・東京の日本テレビで『細腕繁盛記』という番組が放映されたが、その中で、子供の頃の加代に、《大阪宗右衛門町の高級料亭「南地楼」を一代で作った》という祖母の ゆう が 団扇(うちわ)を見ながら「『団扇(うちわ)を見れば骨がある』と言うが、ほんまやなあ」と語り、子供の頃の加代が「おばあやん、そんなん、当たり前やんか」と言うと、「加代ちゃん、ええか。どんな家でも、どんな店でもなあ、外から見たらええように見えても、中に入って見たら骨があるもんなんやで」と話すという場面があったが、旧姓作野礼子という女は子供の頃から『細腕繁盛記』で祖母の ゆう が加代に話したように教えてくれる人がいなかったのだろう。むしろ、あんたは「父親がいなかったから」、いつでも誰からも「作野先生はお父さんがいなかっただけあって苦労してきておられるから、えらいわあ~あ」とほめてもらう権利があるんやで、と母親から教えられて育ったバカ女症候群だったのではないか。「父親がいなかった娘」にもいろいろあると思うが、旧姓作野礼子のような女が「父親がいなかった娘」であるのなら、そういう女は高校や中学校の教諭にはならないでもらいたいように思うのだ。迷惑だ。たとえ、なるにしても「両親が離婚した」「父親がいなかった」娘専用の教諭になるようにしてもらいたい。そうでなければ、はた迷惑も甚だしい。
《D》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その4。
うちの父親が家で言うことを聞いていると、この人、何をあほなこと言うとんねん・・と思うことがいくつかあった。
「日立とかトヨタとかいうような会社て、部長でもわしよりも高い給料もろとるねんで」とか何度も言うので、そりぁそうやろ、あんたなんかより高くても当然やろ、何をあほなこと言うとんねん、と思ったものだった。だいたい、あんた、親戚が社長やってる中小企業に勤めているから、だから、あんたでも「常務さん」なんてならせてもらえているのであって、日立製作所とかトヨタ自動車とかそういう所に勤めたら、あんたなんか、部長になんかならせてもらえてないやろ・・と思ったが、言うと怒るので黙っていた。
「社長がこう言いよった」という話をうちの父親はいくつかしたことがあったのだが、うちの父親の勤め先の初代社長が「わしが頭を下げたらそれで解決するのなら、いくらでも頭さげたるぞお」と言っていたというのだが、「さすがは社長やなあ」などとおっさんは言っていたのだが、そういう発言を聞いたなら、それを自分も実行できるようにすればどうかと思ったのだが、ところが、うちの父親というのは「ええかっこしい」はやりたがるが1ミリでも頭を下げることができない男だった。そんなもん、「頭さげる」というほどのことと違うやろうが、ということを断固として嫌がるおっさんやった。
そのあたりは、どうしようもないおっさんやなあ・・( 一一) てもので、しかたがないと思っていたのだが、笑いたくなるが笑うと怒るので笑えなかったものがある。 「社長がなあ」と言うのだ。「『アホはアホなりにつこうたらええがな』と、そう言われるのや」と言うのだ。なんでも、「あいつは、どうしようもないやつですわあ」と部下についてぼやく「中間管理職」がいると、社長が「アホはアホなりにつこうたらええがな。アホはきみやろ。そのアホを使うのがきみの仕事やろうが」と、そう言ったというのだ。それを聞いてうちのおっさんは「そうや。その通りや。さすがは社長や」と思ったらしいのだが、そこはいいが、その後が問題だ。「アホはアホなりにつこうたらええのや。世の中、わしいのようなエッライえっらいエッライえっらい人間ばっかしとは違うんや。アホもおるんや、アホも。アホでもつこうてやらんといかんいうこっちゃ」とそうい言うのだった。・・はあ?
「なんか、アホがめでたいのお」と思った。私ならば、もしも、勤め先の社長が「アホはアホなりにつこうたらええがな」と言いよった・・とすると、はて、俺はこのおっさんにとって「アホ」の側なのか「アホでない人間」の側なのか、どっちやろうか? ・・と思うだろう。ところが、うちの父親というのは社長が「アホはアホなりにつこうたらええがな」と言いよったのを聞くと、「そうや♪ ええ~えこと言いはる♪ 世の中、わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらい人間ばっかしとは違うんや。アホもおるんや。アホはアホなりに使ってやらんといかんのや。アホはアホなりにや、アホはアホなりにい♪」と言って喜ぶのだった・・・が、あんたも「アホはアホなりに」使われてきたのと違うんかい。あんた、気づいてないのか・・と思ったのだが、おっさんは気づいていないようだった。なんか、考えようによっては幸せなおっさんやなあ・・て感じがした。そして、私の眼を指で突き刺すようにして言うのだった「世の中、わしいのようなエッライえっらいエッライえっらい人間ばっかしとは違うんや。おまえのようなアホでもつこうてやらんといかんいうこっちゃ、アホはアホなりにや、アホはアホなりにい♪」と言うのだった。
そして、だ。「うちの社長も困ったおっさんでなあ。病気で療養するやつがおると、こう言いよるねん。『病に勝てえ!』と。難儀なおっさんやなあ、体の具合が悪いと言うとるもんに『病に勝てえ!』やなんて、無茶苦茶言いよるわ。そんでもって、立場が変わって、自分が身体の具合が悪い時にそんなこと言われたら、その時にはかんかんに怒りよるねん。ほんま、難儀なおっさんやでえ、ほんま」と言うのだった・・が、あんた、親戚だけあってやることよう似とるやないか、あんたとそっくりやないか( 一一) と思ったものだった。
北野高校の2年の時の担任だった(女。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。当時、20代)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言い、「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と言うのだったが、↑ のようなおっさんがいると、うれやましいかあ? そんなにいいと思うのなら、過去に遡ってあげるよ、旧姓作野礼子に。
「うちの社長も困ったおっさんでなあ。病気で療養するやつがおると、こう言いよるねん。『病に勝てえ!』と。難儀なおっさんやなあ、体の具合が悪いと言うとるもんに『病に勝てえ!』やなんて、無茶苦茶言いよるわ。そんでもって、立場が変わって、自分が身体の具合が悪い時にそんなこと言われたら、その時にはかんかんに怒りよるねん。ほんま、難儀なおっさんやでえ、ほんま」とうちの父親は言うのだったが、さすがは親戚だけあって、そのあたりについて、うちの父親というのはその社長と似ている人間だった。
私が20代前半の時、「医者」から飲まされたものが今から考えるとあれは実質、毒だったと思うのだが、それが原因でフラフラになっていた時のことだが、それを見るとうちの父親はすかさず寄ってきたのだ。そして、大きな声でまさにアニマル=浜口のように、こう叫んだのだ。
「気合だあ! 気合だあ! 気合だあ~あ!」と。
※ 《YouTube-アニマル浜口 気合64連発!!》https://www.youtube.com/watch?v=ai_KePLfpcY
アニマル=浜口にしても、娘が身体の具合が悪い時に横に行って耳元で「気合いだ、気合いだ、気合いだ、気合いだ!」などとは言わないと思うが、うちの父親は言うのだ。そして、もしも自分がそれをされたらカンカンに怒るのだ。・・・そういう父親がいたらうれしいか? そういう父親がいたら「恵まれてるわあ」などと思うのか? そんなにいいと思うなら、旧姓作野礼子も計算すると今では70を過ぎただろうから体の具合が悪くなる時があってもおかしくない年齢になっただろうから、その時にはそばに寄って行って耳元で言ってあげてもいい。
「気合いだ、気合いだ、気合いだ、気合いだああ~あ!!!」と。
旧姓作野礼子はうれしいのだろう、そうされると。うれしいだろうから、だから、旧姓作野礼子さんの為を思って、千里の道を通しとせず、万難を排して駆けつけて行って「気合いだ、気合いだ、気合いだ、気合いだ~あ!」と耳元で叫んでやるから。旧姓作野礼子は感謝して礼くらい言わないといけないはずだ。
今となっては30年ほど前になるが、うちの父親が他界する前、大阪で病院に入院した時、うちの母親が「前に(うちの父親が)(大阪市北区の)回生病院に入院した時には〇〇(私)が着替えとかを持って行ってくれたけれども、今は東京の方で働いているから持って行ってもらうことはできないから」と話すと、「そんなもん、持ってきてもろうたことなんて、ない~い!」と言ったそうだ。
「なんでやのん。何度も持って行ってくれたでしょう」と言っても、
「知ら~ん! そんなもん、一度として持ってきてもろうたことなんてない~い!」と言ったそうだ。
あのおっさんらしいなあ~あ・・と思った。そういうおっさんやった。
他界する前、複数の病院に入院したのだが、最初に入院した大阪市内の逓信病院だったかの時はまだ比較的元気だったのだが、チャイコフスキーの『くるみ割り人形』を聴きたいと言うので、私がラジオのFM放送から録音したカセットテープを東京都大田区のアパートから持って行ったところ、
「なんや、これはあ。これはラジオから録音したもんやろ。ラジオから録音したものなんて音悪い。こんなもん、わしが聴けるかあ~あ! これはあんたが聴くもんや。わしがこんなもん、聴けるかあ~あ! 持って帰ってんかあ」と言われたものだった。
東京都千代田区神保町に本社があったTコンピュータサービス(株)の入社式の後、社員教育担当部署の責任者のおっさんが「皆さん、親が子供に何かもらった時、何かやってもらった時と、子供が親から何かをもらった時、何かをやってもらった時とで、どこが違うかわかりますか」と言い、「教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか」と何度も何度も言うのだったが、誰ひとりとして「教えてください」と言う者はなかったのだが、誰ひとりとして「教えてください」と言うものがなかったからには「そうですか。それならやめておきましょう」と言うのをやめるか、それとも「まあ、そう言わないで、聞いてくださいよ」と言って話すかどちらかだろうと思ったら、そうではなく、「そうですか。それなら、教えてあげましょう」と言って話しだしたので、それでは日本語になっておらんだろうと思ったことがあった。
「いいですか。子供が親から何かをもらった時、子供が親から何かをしてもらった時には、子供は気持に喜ぶのではなく物に喜ぶのです。それに対して、親が子供から何かをもらった時、子供が親から何かをしてもらった時には、物や行為に喜ぶのではなく気持に喜ぶのです。そこが、子供が親から何かをもらった時、何かをしてもらった時と、親が子供から何かをもらった時、何かをしてもらった時とでの違いなのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・」とおっしゃったのだった・・が、わからなかった。違うだろ、それは、と思った。
[第591回]《山阪神社(東住吉区)参拝。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか? 優勝もしてないのに高い物を買ってもらっていた人間はずるくなくて被害者なのか?ー法楽寺と東住吉区山坂[9/12]》 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html でも述べたが、「子供は気持に喜ぶのではなく物に喜ぶ」などということはない。Tコンピュータサービス(株)の社員教育担当部署のおっさんの認識は間違いだ。そのおっさんこそ「社員教育」される必要があったのではないか。
うちの父親が『くるみ割り人形』を聴きたいと言うから、だから、東京から大阪までカセットテープを持って行ったのだったが、「こんなもん、持って帰ってんかあ!」とそう言いよったのだ。どこが「親というものは気持に喜ぶものなんです」だ、どこが!?! よく言うわ♪ バカ言ってんじゃないわ♪〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
私ならば、親であれ子供であれ、体調が悪い人間の横に行って耳元で「気合いだあ! 気合だあ! 気合だあ~あ!」とアニマル=浜口みたいに叫んだりはしないが、そういうことをする父親がいるとうれしいか? 北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子はそういう父親のことを「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言って持ち上げるので、その結果として、うちの父親から「ええ先生やで、あの人は。さすがは北野高校でてるだけあるで、あの人は。女でも神戸大でてるだけのことあるで、あの人はあ」などと言って調子に乗るようになったのだった。
うちの父親というのは「ヨイショされるとすぐに乗る男」だった。私だってけなされるのとほめられるのとなら、ほめられる方がいいというくらいならあるかもしれない。しかし、だ。たとえば、「あんたエライ、あんたエライ、あんたエライ、あんたエラ~イ! えらいエライえらいエライえらいえら~い。あんた、天皇陛下。あんた、天皇陛下~あ」と西川きよし と横山やすし の漫才で西川きよし が言ったみたいに言われたとすると、横山やすし が「なんやねん、それはあ。なんやね~ん」と言ったように、おちょくっとんのか、コラ・・となる。それに対して、うちの父親というのは「あんたエライ、あんたエライ、あんたエライ、あんたエラ~イ! えらいエライえらいエライえらいえら~い。あんた、天皇陛下。あんた、天皇陛下~あ」と言われると、「そやねん。わしぁえらいねん♪」と言って喜びよるのだ( 一一)
そうやってうちの父親をおだてたおかげで、その結果、こちらはえらいめいわくさせられた、という人間が何人かいる。
第一にうちの父親の親友で医者屋のM川(男)とその同僚のK田(女)だ。
第二が北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女)。
第三がうちの母方の叔父、母親の弟で大阪の私立大学のラグビー部の監督やっていたO本M夫だ。
あいつらは許せん、と思う。
(2022.11.4.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?〔今回〕
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原

狂気と家族【新装版】 - レイン,R.D., エスターソン,A., Laing,R.D., Esterson,A., 嘉, 笠原, 和子, 辻

菊と刀 (光文社古典新訳文庫) - ベネディクト, 角田 安正

昭和時代 (岩波新書) - 中島健蔵
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