女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。高校教諭はそういう父親を称賛するべきか。
[第610回]
父親というものはいると常にいいのか? そうなの? そのあたりについて、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」と自分で言うだけあって、まったくわかっていない人間だったようだ。
遠山啓『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)では、遠山啓は、父親とは家族の中で最も世間知がある人間である、父親とは息子を外敵から守ってくれる存在である、などと書いているが、よく言うわ・・て感じがする。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
遠山啓は「両親が離婚した」わけではなく、遠山啓が産まれた時点では父親は生きていたが、遠山啓が5歳になる時まで父親は朝鮮にいて、母親とのみ一緒に暮らしてきたそうで、5歳の時に父親が朝鮮から帰ってくるというので楽しみにしていたら、その途中だったか帰る直前だったかに病死してしまったらしく、そのため、「両親が離婚した」わけではなく、産まれてから5歳までは「父親がいなかった」わけではないが父親と一度も会うことはなかったらしい。だから、本人が「父なし子」と言っているように父親がない子供として育ったらしく、父親がある子供なら父親から世間知というものを学ぶことができるが、父親がない息子は父親から世間知というものを学ぶことができないから、自分自身で人生を生きるにおいて何度も痛い目にあって学んで世間知を身につけるしかない、といったことを述べている。しかし、遠山啓は父親がない息子だっただけに、父親というものを相当いいものと思い込んでいるフシがある。私だって、よそのお父さんを見て、いいお父さんだなあと思ったことがあるが、よそのお父さんがいいお父さんであっても、それはよそのお父さんであってうちの父親とは違うのだから、しかたがない。それを、私ならよそのお父さんを見て「(うちの父親とは違って)いいお父さんだなあ」と思ったような父親を、父親がない子供だった遠山啓はそういういいお父さんを「父親というもの」と定義づけしてしまっているように思える。父親というものは、遠山啓が考えているような父親ばかりではない。そもそも、すべての父親が「世間知」というものを持っているというものでもないし、外敵から守ってくれる父親というのも世の中にはいるのかもしれないが、そうではなく、外敵を引っ張り込んでくる父親というものもいる。
うちの父親は世間知なんてない男だった。時々、よその人間から知恵をつけられることがあったようだが、そうやって知恵をつけられると、その知恵というのか浅はかな小細工というのかは、私や家族に向けて使用した。又、いざという時には逃げる男だった。よその父親にしても、父親がない子供だった遠山啓が「父親というもの」と頭で想像・創造した父親像から考えると父親という条件を満たしていない父親はいるのではないかと思う。
父親が世間知がないなら、せめて、母親に世間知があったら・・なんて思ったこともあったが、世間知がない男の嫁に世間知なんてあるわけなかった。私は高校生くらいの時には結婚は早めにしたいと思っていたが、自分が30を過ぎた頃から、そうではなく、男は20代前半で結婚してはいかんのではないか、と思ったりするようになった。
ジャン=ジャック=ルソーが『エミール』で述べている教育論として、学校教育のあり方として「自分は自分で守らないと誰も守ってなんかくれないぞ」ということを教えることができれば、その教育は正しい教育だといったことを述べている・・らしい。「らしい」というのは、この『エミール』という本は岩波文庫で上中下3冊になっていて相当の分量があり、また、前から読みだしてもあんまり面白くもない本であり、私も読みだして最初の何ページかで挫折してしまったのだ。慶應大学の「近代思想史」という講義で教授がルソーが『エミール』でこういうことを述べていると話されたので、大学の教授がそう言われるのならそうなのだろうと思ったということで、別に嘘を言われたわけでもないだろうから、ルソーはそんなことを言っているのだろう・・と思う。しかし、それは間違いではないのだろうけれども、しかし、「自分は自分で守らないと誰も守ってなんかくれないぞ」というのは、それは学校で学んだり、書物を読んで学んだりするものではなく、自分自身で人生を生きて、その過程で学ぶものではないかと思うのだ。たとえば、『新約聖書』の「福音書」に「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。おそらく、彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろうから」というイエスの言葉が載っているのだが、私はこれを読んだ時、そうかなあと頭で思った、理屈でそうかなあと思ったのだが、その後、会社という所に勤めて、実際に自分が親切のつもりで「聖なるもの」をイヌにくれてやって、「真珠」をブタにやって、その結果として実際に「向き直って噛みついて」こられたことがあり、まさしく、おのれの体で実感した。だから、そういうものは本で読んだりするのが悪いということではないが、実際に人生を生きて実感して身に着ける認識というものがあると思うのだ。
特に、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを足で踏みつけにした上で、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろうから」という『新約聖書』「福音書」の中のイエスの言葉を実感として認識させてくれた会社だった・・・が、だからと言って「ありがとう」と礼を言うような性質のものではないのは当然のことである。
それで、人間は人生を生きるにおいて経験した試練を乗り越えて世間に対する認識というものを身に着けていくと思うのだが、独身の間に身に着けるものと結婚して夫婦となってから夫婦で共に経験して身につけるものとは性質が違うように思うのだ。それを、女性は20歳から20代前半の前半くらいで結婚しても、20代後半の後半から30代前半くらいの男性と結婚すれば、男性が独身の間に身に着けた認識を結婚した男性から学んで身に着けるということができるが、男性は20代前半で結婚してしまうと独身の間に身に着けるべきものを身につけない間に結婚してしまい、男性はそういうものを結婚した女性から学ぶということはできないので、一生、結婚してから身につけるものは身に着けることができても、独身の間に身に着けるものというのは身につけることなく人生を送ることになってしまうことが多いように思えるのだ。内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦は最初に『後鳥羽伝説殺人事件』で登場した時、32歳で、その翌年に33歳になってから何十年間、33歳を続け、『遺譜 浅見光彦最後の事件』で34歳の誕生日を迎えたと思ったら、その直後に作者の内田康夫が他界してしまったが、内田康夫はこの33歳というのが「青年として生きることができる最高年齢」であり、34歳からは青年としては通じない、大人として生きるしかない年齢だと言う。なぜ、内田康夫は浅見光彦を「青年として生きることができる最高年齢」だという33歳に設定したのかというと、浅見光彦の外見のモデルが廣済堂出版社の編集部にいたなんとかさんで、その人をモデルにしたからということもあるとしても、殺人事件における人間関係、人間の恨みや利害というものを考え、人間の行動を考察するには、そして、警察のいやらしさというものとも対処するには、やはり、20代前半では無理で30歳を過ぎたというくらいの年齢である必要があり、同時に「ほとんど寅さん」やるにはそれ以上の年齢では具合が悪いということもあったのだろう。浅見光彦が32歳から33歳だったというのは、独身でその年齢まで生きた者だから身に着けたというものがあったということだと思うのだ。それに対して、男性が20代前半で結婚してしまうと、結婚してから夫婦で人生を生きて見につけるというものは見についたとしても独身の間に身に着けるものが身についていないままに人生を生きてしまうことになる場合が決して少なくないように思える。但し、だから、30代前半で結婚するようにした方がいいと言っていると、30代前半になると30代後半にすぐなるし、30代後半になると40代前半にもすぐなってしまうしするので、それを考えると30代前半ではなく20代後半くらいで結婚した方がいいのかもしれない・・が、そんなこと言っても理想的に何でもいくわけではないとしても、30前後まで独身で生きた者なら身に着けるものが20代前半で結婚した男性には身についていないという場合は現実にあると思う。

後鳥羽伝説殺人事件 「浅見光彦」シリーズ (角川文庫) - 内田 康夫
又、成功した人間と失敗した人間と成功した人間の方がそういったものを身に着けているとは限らない。野村じいさんも「『失敗』と書いて『成長』と読む」「人間は成功からは学ばんもんなんや」と言うておったし、『築地魚河岸三代目』という漫画で鮭(さけ)と鱒(ます)の違いが述べられていたが、鮭と鱒の違いについては説は1つだけではないらしいが、『築地魚河岸三代目』で述べられていたのは、もともとは鮭と鱒は同じ魚らしいが、川で産卵すると最初は一緒に過ごしているのだが、そのうち、生存競争が始まり、強い者が弱い者を追いやって、負けたものは川を下って海に行く、勝った者はそのまま川に留まる。川にそのままとどまって川で生きた者が鱒(ます)らしい。それに対して、生存競争に負けて産まれた川から追い出された者は海に出るが、海に出るとエサも多いが外敵も多い。海に下って生きた者が鮭(さけ)らしい。その外敵が多い海で生き残った者は、産卵する時には産まれた川を遡って上流に行って産卵するが、その時になると、かつて争って自分を海に追いやった鱒(ます)の3倍以上の大きさになっている、という。「そもそも、勝ち組・負け組ていったい何ですか」と『築地魚河岸三代目』で赤木旬太郎は言うが、実際、失敗した人間の方がそこから身につけるものがある場合もあるだろう。
うちの親の場合、24と22で結婚していたようで、世間知のない男と結婚したうちの母親は母親自身がまだ22という十分に大人になっていない年齢で結婚して翌年に最初の子供を産んで「おばあさんに苛められた」と本人が言う生活を送ったので、夫が世間知がないとともに自分も世間知なんかないうちに年齢を重ねたようだ。だから、私は父親から世間知を学ぼうと思っても、おっさんはそんなものは持っていなかったし、母親もまた世間知のない男の嫁だから夫から世間知を学ぶこともなかった。そういう親の息子だったから、私はあんまり世間知なんかない方だったが、何度も痛い目に合わされて、その結果として昔よりは少しは賢くなったかもしれない、と思っている。
《C》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その3。
新庄がYouTube で語っていたが、新庄は高校を卒業して阪神タイガースに入団したが、高校を卒業する直前の高校の試験の時、新庄の少し前に座っていた女生徒が試験の用紙の裏に試験時間中に漫画を描いていたらしい。それを教師がとがめて「おまえ、今、何の時間だ。試験時間だろう」と言い、「はい。でも、もう終わりましたから」と言ったところ、その教師が力まかせに女子生徒の頭を殴りつけたらしい。そして、さらに「今、何の時間だ」と言うと、「でも、もう終わりましたから」とまた言うと、またもや、その教師は力まかせにその女生徒の頭を殴りつけたらしい。それを見て新庄は男性の教師が女性の頭を殴りつけるとはけしからんと義憤にかられ、右の拳を握りしめて「おい。次、やったらいくからなあ」と言うと、それを聞くと同時にその教師はまたもやその女生徒の頭を殴りつけ、それを見ると同時に新庄は飛びかかって、その教師を組みしき馬乗りになってボコボコに殴りつけた・・が、しばらくして首ねっこをつかまれて引き離され、ふと見ると野球部の顧問がいて、「おまえ、いったい何てことするんだ。おまえ、プロ入りが決まってたんだぞ」と言い、それを聞いて「しまったあ~あ」と思ったそうだ。
校長は「このままプロ入りさせるわけにはいかない」と言って父親を呼ぶと、父親は「おまえ、いったい何てことするんだ。俺はお前がプロの野球選手になることが俺の夢だったんだぞ」と言ったところ、その女生徒が来て「お父さん、違うんです。新庄くんは私のために・・」と話してくれたらしい。それを聞いて、新庄のお父さんは「つよし。お前は間違ってない。プロ野球選手になれなくてもいい。帰ってこい。お前は間違ってない」と言ってくれたらしい。結局、新庄は阪神タイガースに入団したようだが、その教師は女子生徒を殴りつけた暴力教師と評価されたのか、新庄に殴られた被害者と評価されたのか・・というと、「新庄に殴られた男」というのが「売り」になったみたいな(笑)。新庄のお父さんはそういうお父さんだったらしい。新庄はお父さんが亡くなった時には自分がプロ野球の選手として使ってきたグローブを棺に入れたそうだ。
そういうお父さんも世の中にはいるらしい。しかし、そうではないお父さんもいるのだ。
慶應大学の商学部で「社会科学概論」という講義の時に教授が話されたことですが、その教授のゼミの卒業生がある会社に勤めたところ、会社の上役のやり方があまりにもおかしい、許せないと憤慨していたそうで、その話を聞いて教授は、その人の言うことはいかにももっともなことであり、決しておかしなことを言っているのではなかったけれども、しかし、「あなた、入社したばかりであなたが言ったら、飛ばされてしまうよ」と言ったというのです。「そうじゃなくて、しばらく我慢して、会社の中で実力をつけて、それから言うようにした方がいいと思いますよ」とそう話したというのです。それに対して、その教授のゼミの卒業生で名前を言えば日本で誰も知らない人はない会社で入社して数年のうちにその地域のその会社の契約はほとんどすべてその人が扱うようになったという人がいたそうで、そうなると、もうほとんど怖い者なしのようなもので、組合の役員やって組合の事務所で机の上に足のせて赤旗よんだりしているが、それでも誰も文句は言わない。社内学歴制度というものがあって、試験を受けることで昇進することができるようになっていたが、その人はその試験を受けないものだから、頼むから試験を受けてくれと上役の方から頼んできたという。そうなったら、会社に意見を言うことだってできるし飛ばされることもないから、最初、理不尽だと思うことがあっても、筋が通ることであってもうかつに行って飛ばされたのではばかくさいから、そこは我慢して力をつけるようにした方がいいと言ったということだった。なるほど、実力をつけて実績を残してから言うようにした方がいいということか、なるほどなるほど・・という気がするけれども、ところが、実際には「もの言えるだけの実績」というものを残すということはそう簡単ではなかったりするんですよね。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に在籍した後半、「〇〇さん、ちょっと会社に言ってもらえませんか」と言われたことが何度かあったが、「自分で言ってください」と私は言ったのだ。会社に何か言いたいからといってひとに言わそうというのは勝手であり、「自分で言え」というものだ。なんで俺が言わなきゃならんのだ。 しかし、「言ってもらえませんか」というのも、たとえば、入社してすぐの人とか実績をそれほど残せていない人とかが、ある程度以上在籍していて、ある程度以上の実績を残している人間に「言ってもらえませんか」というのはおかしなことではないし、上役に言うのであれば、その営業所である程度以上の年数を在籍していて、ある程度以上の実績を残した人間が言うようにした方がいいでしょうし、自分がその立場である時には言う役がまわってきてもしかたがないでしょう。そういう時に逃げ回るやつというのは卑怯者ですが、(株)一条工務店はそういう卑怯者が大好きという会社でした。卑怯者が好きな経営者の会社でした。
YouTube の田尾チャンネルhttps://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E5%B0%BE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB で、元中日・西武・阪神の田尾が中日から西武に移籍したのは、中日で選手会長だったことから、選手として球団にお願いしたいことを伝えたところ代表から嫌われて出されてしまったと話していたが、「なんで、あそこまで嫌われなければならなかったのか」と、又、「選手会長なんてやるもんじゃないなあと思った」と田尾は話していたが、それでも、その立場になったら言わなきゃしかたがないじゃないですか。球団は言うべき立場なのに言わずに逃げるようなやつがいいのですか?
慶應大学商学部の「労働経済学」という講座で教授が、労働組合の指導者というのは、なかなか難しい役割で、どこが難しいかというと、ストライキでも「さあ、みんな、頑張って闘おう」と呼びかけて闘う方向にまとめるというのも大変だけれども、それ以上に難しいのは、どこで妥協してやめるかという問題で、特に日本のような企業別組合においては、はてしなくストライキを続けて会社をつぶしてしまったのでは労働者にとっても労働組合にとってもいいことではないわけで、どこかでやめないといけない。しかし、うかつな止め方をすると、「おまえは経営者側のイヌか」ということになりかねない。だから、闘おうと呼びかけること以上に、ここでやめておこうと止めるというのが難しい、というのです。それだけに、そういう難しい役割をこなすことができる人というのは会社側にとっても「欲しい人材」であり、だから、労働組合の役員を務めた人間が次に会社側の役職につくということは「あること」だというのです。
しかし、私は自分が会社に勤めて思ったのですが、革新政党の人は「大企業」が悪いように言うことがあり、中小零細企業を応援するべきだというようなことを言うことがありますが、勤める場合には中小零細企業の経営者というのは「世間相場」も何も考えていない場合が少なくないし、たとえ嫌われることがあったとしても、大企業の方が「幅がある」のに対して、中小零細企業では大企業ならある「幅」がないということがあるように思えます。「話せばわかる」なんて5・15事件の時に犬養毅が言ったというのですが、大企業ならば「話せばわかる」上役だっているかもしれないところが、私が勤めてきたような三流以下企業だと「アホばっかし」であることが少なくありません。三流企業の高卒の経営者というのは「話せばわかる」などではなく、話さなくてもわかって当然のことをかんで含めるように話しても理解しない人が大変多い。これは事実だ。
1980年代後半に戸建住宅建築業の小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)‥⇒(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ〕に入社してみると、同社はたしか「大卒しか採らない会社」だったはずなのに、なぜか、高卒の従業員がおり、大学新卒入社の従業員は誰もが怒っていたのですが、その高卒の従業員がえらそうにしているという会社でした。慶應大学に同社が提出していた求人票に掲載されていた同社の応募資格は
「営業系(営業・人事・総務・経理)・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で、普通自動車第1種免許取得者。
技術系(設計・工務・工事・アフターサービス)・・4年制大学の建築学科・土木学科卒の人で、普通自動車第1種免許取得者」
ということでした。入社してみると、たとえば、千葉県松戸営業一課の課長だったUさんは4年制大学の土木学科卒の人でしたが、技術系で入社したが入社後に営業に変わったという人もいたようでした。又、同じ年に入社した人で立命館大学の理工学部建築学科卒だったが「営業系」の方の仕事をやりたいということで「営業系」に応募したら採用されたという人もいました。そういう人は「営業系」の場合の条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という条件に「準ずる」ということにしたというものでしょう。松戸営業二課の課長だったI井さんは高卒でしたが、中央工学校という専門学校に行って一級建築士の資格を取得したという人でしたので、一級建築士の資格を持っているからということで高卒だけれども採用されたということだったのでしょう。
しかし、「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」を採用するけれども、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」でも適性を見て「営業系」の仕事をやりたい人にはやってもらうことがあるというのはいいでしょうけれども、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と何十年も前から言い続けてきた会社であり、「採用実績校」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、会社案内にだったか記載していたはずの会社であり、そこに、たとえば東大中退とかいう人を「大卒に準ずる」として採用するとかもありではないかと思いますが、しかし、「底辺の高校卒の人」を採用したのでは、それはまずいのではないか。それをやったなら「応募資格」は「営業系(営業・人事・総務・経理)・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で、普通自動車第1種免許取得者。 技術系(設計・工務・工事・アフターサービス)・・4年制大学の建築学科・土木学科卒の人で、普通自動車第1種免許取得者」としていることの意味がなくなるし、その条件だから応募して入社したという人間に対して、騙したことになります。
実際、私にしても、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で普通自動車第1種免許取得者」という応募条件の会社で「採用実績校」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったかの会社に応募して採用されて入社したはずでした。ところが、1989年、7月に千葉支店に大阪から転勤で支店長として来た渡邊士直(男。当時、40代)は「底辺の高校卒」だった。なんで、この人がここにいるのお???
しかも、私が1990年4月に東京支店に転勤した際、渡邊士直は東京支店の支店長の高倉に「使いにくいやつや」などと言ったというのだが、私は渡邊士直にそのような口をきかれる筋合いはないし、なにより、私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で普通自動車第1種免許取得者」というコースに応募して入社したのであって、「底辺の高校卒」の人のコースに入社した渡邊士直に使われる筋合いはないのです。私が小堀住研(株)に入社した年も、女性で短大卒の人がいましたが、そういう人は入社後、大卒の男性社員とは異なる扱いを受けていました。ですから、「底辺の高校卒」の渡邊士直さんが「大卒しか採らない会社」に入社したとして、大卒で入社した従業員とは異なる処遇で「底辺の高校卒の人」のコースとして扱われるのであれば、まだいいかもしれませんが、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と同じ扱いにするわけにはいかないはずです。
人事部 課長の賀満に「私は入社して配属された千葉支店の松戸営業一課の課長のUさんは土木学科卒の人で、次の松戸営業課の課長の石井さんも高校出て一級建築士の資格をとって設計事務所にいたという人で、千葉支店長だった長谷川さんも工事課出身の人でしたけれども、そういう人が悪いということはありませんが私は『法学部・経済学部・商学部卒の人』という『営業系』として入社したので、そういうコースで入社した課長・支店長というものを見たかったのです」と話したことがあったが、そうすると賀満は「だから、営業系の支店長として渡邊さんには期待していたのに失望させられたんだな」などと言ったのだが、渡邊士直さんは「営業系の支店長」ではないはずなのだ。「営業系」というのは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でその「4年制大学」とは「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」といったそのくらいの大学のはずだったのだ。誰も「底辺の高校卒の痴漢人間」のことを「営業系」などとは言っていないのだ。小堀住研(株)は慶應大学に提出していた求人票に「応募資格」として「営業系・・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人、普通自動車第1種免許取得者」と明記していたはずなのだ。「底辺の高校卒の人、痴漢人間の人」とは記載していなかったはずなのだ。賀満は話をすりかえているが、小堀住研(株)では「営業系」とは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で、普通自動車第1種免許取得者」を言うはずで「底辺の高校卒」の渡邊士直さんは「営業系」ではないはずだ。話のすり替えはやめるべきだ。
実際のところ、渡邊士直さんには支店長は無理です。又、松戸営業課課長だった石井(男。当時、30代)は「小堀住研(株)は会社が急に大きくなったから、渡邊さんとかは小さい会社の支店長になる人で、〇〇くんとかは大きな会社に勤める人で、小さい会社の支店長になる人ではあっても大きな会社の支店長になるような人ではない人が支店長になっていて、その下に大きな会社に勤めるような人がいるから、そこで問題が出るんだ」と言っていましたが、そうではなくて、小堀住研(株)は渡邊士直が入社するよりずっと前から「大卒しか採らない会社」と言い続けてきたはずであり、それはおかしい。ずっと前から「大卒しか採らない会社」だった小堀住研(株)に、たとえば各地域の一番手校の高校卒で大学に行かなかったという人というのは学力という点では「しょーもない私立大学卒の人」よりも上ですから、そういう人を「大卒に準ずる」という扱いで採用するとか、東大中退の人というのは「バカでも入れる私大卒の人」よりも学力は当然上ですから、そういう人を「大卒に準ずる」という扱いで採用するというのなら、わからないこともありませんが、底辺の高校卒の渡邊士直さんを「大卒しか採らない会社」に採用したというのは、それはその採用はおかしい。
我が家が大阪府北部で小堀住研(株)で在来木造の家を建てた時、すでに「小堀住研(株)は昔から大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていたはずなのだ。その時の担当者は営業担当が関西大学法学部卒で営業課長は神戸大卒だったはずだった。・・但し、世の中には「京都の大学」を京都大学みたいなニュアンスで言う人・「神戸の大学」を神戸大学みたいなニュアンスで言う人というのがけっこうおり、うちの親なんかは信じやすい人間であり、曲がりなりにも会社づとめをしてきた人間なら見抜いてもいいのではないかということを見抜けない人間、世の中には学歴詐称する人なんていっぱいいるという事実を認識できない人間でしたから、その「神戸大でてる」という話というのが本当だったのかどうか、後から考えてみるとよくわからないところもあります。
それにしても、応募条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というコースに文学部卒の人を採用しても、その人が役に立つ人だと判断して採用するなら採用して悪いということはないでしょう。「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」という条件を満たしている人が「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースの方の仕事をしたいということなら、人によってはさせても悪くない人もいるでしょう。但し、小堀住研(株)では「高級住宅の小堀」という会社のイメージを維持するためもあって、うちの会社は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で営業はやっていますという方針でやっていましたから、東京支店自由が丘営業課で普通自動車第一種免許も取得していないのに営業課長にならせてもらっていた裏口入学みたいな課長の高橋賢一郎のように「バカでも入れる私大の建築学科卒」を自慢にしていて、「バカでも入れる私大の建築学科卒」は社会科学系学部卒より上だと論拠もなく思い込んでいたような人をあまり多く採用してしまうと、会社の方針が崩れてしまう結果になる危険もありますから注意が必要です。
中途採用で同業他社で実績を残した人の場合は高卒の人でも採用していたようですが、大卒の人間でこの職種はやっていきますということにしていた仕事に高卒の人間を採用すると、もしも、大卒と高卒を同じ扱いにするというのならば、当然のことながら、大卒1年目と高卒5年目が同じ扱いのはずなのですが、ところが、小堀住研(株)などは人事部長の高田などは高卒の人間でしたから、高卒の人というのは高卒1年目と大卒1年目を同じ扱いにするのが公平だろうという主張をするようだったのです。そうなると、「大卒で勤めたらあほくさい会社」ということになります。警察官はかつてはキャリアと言われる国家公務員上級試験を受けて入庁する人は大卒でしたが、一般の巡査は高卒だったのが、今では大学というものが多くなって大卒で巡査になる人も多くなったようですが、インターネットで見ると、高卒で巡査になる人・大卒で巡査になる人がいても、巡査部長とかに昇進するには試験を受けてなることになっているが、何年目で受けることができるかは高卒と大卒では扱いが違い、大学4年間行って勤めた人は高校卒で4年間勤めた場合と同等の扱いになるようになっているらしい。ところが、小堀住研(株)の高卒の従業員は高卒で1年目が大卒1年目と同等の扱いを主張していたようで、高卒の人事部長はそちらに加担していたようなのです。そうなると、「大卒しか採らない会社」と言いながら、応募資格は「4年制大学卒の人」と言いながら、実際は「高卒の人の勤め先」になってしまうのです。入社してみて「な~んか、ここの会社、採用実績校として掲載されていたものと実際とずいぶんと開きがあるなあ」と思ったが、大卒でもある程度以上の大学卒で入社した人間はだんだんとあほくさくなってくる会社だったのかもしれません。
もうひとつ、扱いにくいのは「建築専門学校卒」という人で、そもそも、専門学校というのは学歴なのか学歴ではないのか。この「建築専門学校卒」を称する人というのは、本当にズルイと私は何社かで見て思いましたが、どこがズルイかというと、自分を高く評価してほしいと思うと、建築専門学校は大学と同等の評価を受けるのが当然だと主張するのです。それも、建築専門学校は3年制のものと2年制のものがあるのですが、2年制のものなら年限としては短大卒と同じのはずで、かつ、一般的には短大と専門学校なら短大の方が学歴としては上の評価のはずなのですが、ところが、「建築専門学校卒」の人というのは3年制の専門学校卒でも2年制の専門学校卒の人間でも4年制大学卒と同等の扱いを受けて当然だ、「差別はいかんだろう」という主張をするのです。大卒と短大卒では大卒1年目と短大卒3年目が同じ扱いで、3年制建築専門学校卒は4年制大学卒と同等の扱い、2年制建築専門学校卒も2年の短大卒と同等の扱いではなくて4年制大学卒と同等の扱いというのでは、それでは専門学校卒が特権を主張しているみたいなものではないかと思われますが、ところが、「建築専門学校卒」の人というのはそういう主張をするのです。私などは専門学校というのは学歴とは違うと思っていたのです。専門学校を学歴と認めるのなら予備校だって学歴に認められていいのではないのか、予備校を学歴に認めるのなら宅浪だって学歴に認められていいのではないのか。そもそも、わけのわからん専門学校に2年だか3年だか行った人間よりも宅浪して旧帝大系国立大学を目指した人間の方が、その間、よっぽど勉強しているではないか。 それも、建築専門学校では「建築構造学」とかいう名称で建築の構造について学んでいると「専門学校卒」の人は主張するかもしれないけれども、たとえば、「力のモーメント」とかいったものを「建築構造学」という名称で学んだら「建築に役立つものを学んでいる」という評価になって「物理1・物理2」という学科名で「力のモーメント」を学んだら、「そんなものは大学入試以外に何の役に立つものか」とか言うというのは、それこそ不公平だと思うのです。「力のモーメント」に限ったことではなく、桂離宮とか伊勢神宮とかの建築について「建築史」という名目で学んだら「(建築の)学校でてますから」とか建築専門学校卒の人は主張できて、「日本史」で日本文化史として学ぶと建築の学歴はないと評価されるというのは、そちらこそ不公平でしょう。

日本文化史 第2版 (岩波新書) - 家永 三郎
さらに、私は2008年、ポリテクセンター千葉の建築CAD科に半年通って修了しましたが、ポリテクセンターの建築CAD科は「建築の専門学校が2年かけてやるものを半年でやる」という内容のものだったのですが、「建築専門学校卒」の人がズルイのは、本来、学歴というのは中学校・高校・大学・短大・大学院のことを言うのであって、専門学校はそこで学ぶものがあったとしても厳密には学歴ではないはずなのですが、それを学歴だと主張しながら、「建築専門学校卒」の人は他方でポリテクセンター千葉の建築CAD科は学歴と認めてなるものかあという態度を取るのです。ズルイと思いませんか。・・そして、それ以上にズルイのは、これは「建築専門学校卒」の人がほとんど例外なくやることですが、自分を高く評価してほしいと思う時には「建築専門学校卒」を4年制大学卒と同等の扱いにするように要求するのですが、責任を問われる立場になると、「ぼくは高卒だから、わかるわけがない」とか言って、その時になると「建築専門学校卒」ではなく「高卒」だと主張するのです。この二刀流・ダブルスタンダードは本当にズルイと思います。 (株)一条工務店の高卒の所長みたいだなあと思います。(株)一条工務店はある程度以上の役職の人は高卒か中卒ばっかりという会社ですが、高い役職につかせてもらいたいと思う時には「学歴によって人を差別してはいかんだろうがあ」と言うのですが、いったん、所長とかになって責任ある対応を求められると、「そんなこと言っても、ぼくは高卒なんだから、そんなもの、わかるわ~けがない」「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、できるわ~けがない」と言ってふんぞり返るのです。そのダブルスタンダードというのか二刀流というのか、本当にズルイと思います。「建築専門学校卒」という人もまたそうなのです。ほとんどの人がその主張をします。自分を高く評価してもらおうとする時には3年制の建築専門学校卒も2年制の建築専門学校卒も4年制大学の建築学科卒と同等の評価にしてもらうのが当然という主張をしますが、責任ある対応を求められると突如、「高卒」に変身します。そういうダブルスタンダードといいうのか二刀流というのかは本当にズルイと思いますが、建築業界においては、そういうズルイ態度を認める経営者が少なくないようで、それでは経営者としての役割を果たしていないじゃないか、となりますが、そういう経営者が実際問題として多い。
もうひとつ、扱いが難しいのは、大学の場合は「4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の人」か「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件としていても、民間企業の場合は「応募条件」を満たしていない人が応募しても悪いということはなく、それを採用するかしないかの話ですが、医学部卒の人はたいてい医者になるとしても、文学部卒とか指定の学部以外の学部卒の人が応募した場合、指定の学部以外の学部卒の人でも採用すると決めたならば、指定の学部卒の人と同じく大学卒で何年目という評価になりますが、ところが、専門学校の場合、建築の専門学校卒の人間を3年制の専門学校卒の人間を4年制大学卒の人間と同じ扱いにしたとして、同じ年限の建築以外の分野の専門学校卒の人を採用した場合は高卒の扱いにするのか大卒の扱いにするのか、2年や3年の専門学校卒の人間を4年制大学卒と同等の処遇にするのなら、なぜ短大卒は4年制大学卒と同等の評価にしてもらえないのか。そういうことになるのです。だから、「大卒しか採らない会社」もしくは、この職種については大卒の人でやりますということにしてきた会社が「専門学校卒」の人を採用した場合には、どういう扱いにするのか、難しいところがあるのです。
学校という所においては、教職員と事務職員がいますが、本来はどちらが上でも下でもなく役割分担をしているはずなのですが、どうしても、学校においては教職員の方が中心になってしまいます。病院の場合も、本来は役割分担のはずなのですが、どうしても、病院は医者が中心になります。建築業界においては、どうも、建築学科卒の人間がえらそうにしている業界という面があるのですが、小堀住研(株)の場合は少々違って、「高級住宅の小堀」として都市圏の知識層をターゲットとしていた会社だったので、そこから営業も大卒がいいとして、「ミサワの営業と小堀の営業は営業は営業でも営業が違います。ミサワの営業は高卒の営業が多いですが、小堀の営業は大卒の営業です」と言っていたはずなのです。ですから、小堀住研(株)は「小堀の営業は大卒の営業」「大卒の営業の会社」というのを「売り」にしていたのです。都市圏のインテリ層をターゲットとしていた会社だったので、営業もまた「4年制大学の社会科学系学部卒の人間」がいいという判断だったはずなのです。
それなら、なぜ、底辺の高校卒の渡邊士直がそこにいたのか? なんで、そこにいるの? おかしいでしょ。
森川英正『日本経営史』(日経文庫)には、一線の仕事ならともかく、管理者的能力となると一線の現場の経験だけではなかなか身につくものではなく、学識者が一線の現場での労働体験をある程度経た上で身に着けていくものだということが述べられていますが、私もそう思います。どう考えても、底辺の高校卒の渡邊士直さんでは無理です。

日本経営史 - 森川 英正
まず、会社というものは、労働法と会社法、それに就業規則をもとに動くものですが、ところが、底辺の高校卒の渡邊士直さんに、そういうことを理解してもらおうと思っても、絶対に無理です。無理ということは、支店長とかそういった職種にはついてもらってはいけないということです。
今は法定労働時間は週40時間・1日8時間ですが、1989年の時点では、法定労働時間は週46時間でした。小堀住研(株)の就業規則では法定労働時間ぎりぎりの労働時間が規定されていましたが、設計・工務・工事・アフターサービスと支店長は始業時刻が午前9時であるのに対して、営業は午前10時00分からで、そのかわり、終業時刻が1時間遅くなっていました。しかし、実際には就業時間と定められている時間内では仕事は終わらず、労基法違反の時間外労働を相当やっていました。
戸建て住宅建築業の営業の場合は、小堀住研(株)でもそうですが、「基本給+歩合給」で給与が支払われていましたので、少々、時間外労働をして、それに対しての時間外手当が支払われなくても、歩合給が払われるという面はありましたが、日本国の法律は歩合給を払えば時間外労働を無賃で無制限にさせてよいなどとは規定していません。まず、労基法上の労働時間制限と時間外賃金の規定は、労働契約上の労働時間に対しての賃金を規定しているとともに、それを越えて働いた場合には契約上の労働時間とは別に働いたものに対して報酬を払わなければならないという規定であるとともに、無茶な時間外労働をさせられることで健康を害することがないようにということで、時間外に不必要に働かせるならば使用者はそれなりにカネを払わなければならない、深夜に働かせたならば、それに見合った割増賃金を払わなければならないと規定することで労働者の健康を守ろうとしているのです。
但し、戸建住宅建築業の営業の場合は、ある程度、自立して営業活動をやるようになった人の場合は、夜遅くでも、朝早くでもその時刻に行ったら契約してもらえるとなれば行くのが営業という面があります。「夜討ち、朝駆け」という言葉を誤解している人がいますが、仕事の性質から考えて、工場でベルトコンベアーの前に座って作業するような仕事であれば「夜討ち、朝駆け」ではなくて、就業時間として定められた時間に働くというものですが、戸建住宅建築業の営業の場合は「夜討ち、朝駆け」とでも言うのでしょうか、夜遅くでも行けば契約になるなら行く、朝早くでも行けば契約してもらえるのなら行くが、そのかわりに勤務時間内といえども、工場でベルトコンベアーの前で作業する人とか、あるいは事務系の仕事とは異なり、勤務時間内といえども、それほどガチガチに束縛されないという性質の仕事ではありました。
ですから、時間外手当をどう考えるかという問題はさておき、営業活動の上で時間外に働くというのは、ある程度、やむを得ないような性質のある仕事ではあったのです。しかし、営業活動とは異なるものについては、やはり、労働基準法と就業規則上の労働時間というものは守られなければなりません。そうでなければ、時間外でも休日でも従業員は無制限に支配されることになり、又、従業員の健康は守られないことになります。
小堀住研(株)は千葉県においては、総武線沿線に市川・船橋・千葉市幸町と千葉駅前に千葉支店があり、常磐線沿線に松戸と柏がありました。千葉県では総武線と常磐線の間は電車での行き来は不便で、自家用車での移動も国道16号がありましたが夜間はすいていても昼間は混雑して移動に相当時間がかかりました。まず、支店長の仕事としては、そのあたりをどうするのか、といったことを考えないといけませんが、私のような「旧帝大系国立大学およびそれに準ずる国立大学+早慶」卒の人間ならば、そのあたりを考慮して従業員が働きやすいようにするにはどうすればいいかを考えるのが支店長の仕事と考えますが、ところが、これは小堀住研(株)に限ったことではなく、他の会社でも見ましたが、「下の方の高校卒の人」を支店長とか営業所長とかにならせると、そういったことを考慮するのが支店長・営業所長の仕事とは認識せず、むしろ、逆に、「支店長の命令」とかいって従業員を困らせることで、「俺は支店長なんじゃ」という態度を取りたがるという人が多く、その点で、「旧帝大系国立大学およびそれに準ずる国立大学+早慶」卒の人間が支店長や営業所長になった場合と「下の方の高校卒の人」が支店長や営業所長になった場合とで対応が逆でした。
最初、4月から6月まで、千葉支店では工事課出身の長谷川さんが支店長になっていたのですが、長谷川さんは工事課出身だけあって工事についてわかっていて、又、個人的に知り合いの職人があって、小堀住研(株)の仕事をやってもらえないかと頼んでまわったりもしていたようでしたが、社会科学系学部卒の人ではないので、そのあたりについてはよく理解できていないようでした。小堀住研(株)では大阪市北区の本社に人事部・総務部・経理部があるとともに、各支店に業務課という名称の部署をおき、業務課長という役職名の男性社員を1名配属していました。業務課長の仕事というのは、各支店において、契約客が最終金を支払ってくれているかの確認、住宅金融公庫を利用した契約客の場合は代理受領として住宅金融公庫から入金されているかの確認ということもありましたが、それとともに、各支店における人事・総務・経理の役割のはずでした。1989年の4月から6月に千葉支店の業務課長になっていたのは江間という男で、本人が言うには法政大学法学部卒ということでした。私などは高校を卒業した年、東大を落ちたところ、うちの父親とうちの父親の親友の医者屋のMとその同僚Kから「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないのだから、あんたなんか高校には行ってはいけないはずなのに、それなのに北野高校に行ったというのは、それは甘ったれておるからであって、のぼせあがっておるからであって、根性ねじくれまがっておるから、それで北野高校に行ったということや。ほんまやったらあんたは北野高校には行ってはいけないはずやのにからに行ったというのは余計や。ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいけないはずや」と言われたものでした。それならば、Kのドバカ息子がバカ大学を2つも行ったのはいいのか? M川のドバカ息子はM川が「患者」を薬漬けにして稼いだカネで私立金権関西医大に裏口入学したというのはいいのか? ・・というと、医者屋の息子はいいそうでした。なぜ、いいのかというと「民族と階級が違う」そうでした。うちの父親は言うのでした。「M川先生は医者やぞ。医者というのは普通の人間とは違う超能力をお持ちのお方なんや。普通の人間とは階級が違うんや。それに対しておまえはチャンコロの民族で浪商の階級の人間なんじゃ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、たとえ北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商なんじゃ、この浪商めが浪商! 浪商のくせして北野高校に行くな、浪商! ましてや、わかっとんのか。義務教育は小学校と中学校やから、小学校と中学校は浪商でも行かせてやらなきゃしかたがないけれども、高校は義務教育ではないんやから浪商は高校には行ってはいかんねんぞ、浪商。おまえは北野高校に行ったかもしれんけれども、たとえ北野高校に行ってもそれでも浪商なんじゃ浪商。浪商は高校行くな、浪商。ましてや、浪商は大学には行ってはいかんのじゃ、浪商。甘ったれるな浪商!」と何度も何度も言われたものでした。それならば、1989年の6月まで小堀住研(株)の千葉支店で業務課長、7月から東京支店の業務課長にならせてもらった江間なんてのは法政大学法学部卒ということでしたから、ましてや、法政大みたいなもんに行くやつなんて、義務教育であろうがなかろうが「中学校行ったのは余計じゃ! 甘ったれるな!」と言ってやる必要がありましたし、実際、江間なんか大学に行く必要はないと思いましたし、江間が「大学」に行ったなんてのは絶対に余計じゃと思いました。
まず、何よりも、江間はたとえ法政大法学部卒であっても何であっても、千葉支店における人事・総務・経理に該当する業務課長だったのですから、労働法と就業規則から考えて問題がないかといったことを考えないといけないはずでした。江間は業務課長というそういったことを考えて対処するべき職種についていたにもかかわらず、なぜ、まったく対処しないのか。職務怠慢も甚だしいではないか。
支店長は営業からなる人と、工事課や工務課からなる人がありましたが、営業からなる人は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるはずでしたから、支店長が認識できているはずで、認識できていないなら支店長になっていないはずでしたが、工事課・工務課から支店長になった人は「4年制大学の建築学科か土木学科卒の人」ですから、それでも大卒であるからには支店長になるなら労働法・会社法なども最低限のものは理解しないといけませんが、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」よりは専門ではありませんから、そのために各支店に「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」である人間が業務課長として配属されていたはずだったのです。
江間は私と最初にあった時、自分から「法政大学法学部」卒だと「ちょっと自慢」みたいな言い方で言ったのでしたが、法政大卒なんて自慢する人なんてあるわけないと思っていたので、「ああ、そうか」くらいに思っていただけでしたが、しかし、世の中には「そんなもん、自慢するもんかあ」みたいなことを自慢する人というのがいます。1990年、小堀住研(株)の東京支店自由が丘営業課の課長にならせてもらっていた高橋賢一郎などは東京電機大学工学部建築学科卒ですでに30代半ばを過ぎていたにもかかわらず、やっぱり、そんな「大学」に行ったような人は一級建築士も二級建築士も通らないようで、旧帝大系国立大学の建築学科卒の人なら、建築士の資格は取得していなくても、建築士の資格の勉強よりも他のものを優先していたからだろうと見られることはあっても、「わけのわからんどこの馬の骨かわからんバカでも入れる私大の建築学科卒」の人というのは、一級建築士か二級建築士のどちらかを取得すれば、「わけのわからんアホ大学卒でも建築士の資格は持ってる人なんだ」と評価されることがあっても、高橋賢一郎みたいにきかれもしないのに「建築士の資格は持っていませんが大学の建築学科を出ていますから」などと自慢みたいに言ってしまうと、小堀住研(株)は昔から「大卒しか採らない会社」と言ってきた会社で「採用実績校」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったかだったはずの会社でしたから、国立大学か関関同立くらいの大学の建築学科卒なのだろうと思って「どちらの大学なんですか?」ときかれることになることが予想され、そこで「東京電話大です」なんて言ったら、「はあ? 小堀住研にそんな大学の人が勤めてるんですかあ」と思われるというのは眼に見えていましたが、そんなことを言いたがる、言わせたがる人でした。そういう人も世の中にはいますから、「法政大学法学部卒」と自己紹介として言うのなら言ってもいいけれども、「ちょっと自慢」みたいに言う人なんてないだろうと思ったのでしたが、あるみたいです。
※ 慎腹風呂愚[第790回]《「ラーメンは地球を救う」みたいなことを言わそうとする営業課長。「30代後半になっても二級建築士も通らん」と「建築士の資格より仕事ができるかどうかの方が大事」とは意味は同じではない。不動産屋のおばさんにポン大建築学科出てる言われてもなあ・・。「東京大学経済学部卒」なんて履歴書をその地域の家全部にポスティングなんてやめた方がいいと思うぞ。―学歴を言わない方がいいと思った例・ひとを見て思ったケース。》https://shinkahousinght.at.webry.info/202009/article_3.html
私は思うのですが、よく「どこの大学を出たかで人を差別するのはけしからん」とか言う人がいますが、私のように大学卒業までにこういうものを学んだ、こういう認識を身に着けたというものがある程度以上ある人間と江間みたいに、単に「大卒」の称号を取るためだけに「大学」と名前がついている所を卒業したという人間を同じに扱うというのが公平かというと違うと思うのだ。むしろ、そちらの方が不公平だと思うのだ。なんで、江間みたいな人間と一緒にされなければならないんだ。
1989年の6月まで千葉支店の支店長になっていた長谷川さんは工事課出身で「建築学科・土木学科卒の人」の方で入社した人であって、「法学部・経済学部・商学部卒の人」の方で入社した人ではないのだから、そのために各支店における人事・総務・経理の担当として業務課長という名称で「法学部・経済学部・商学部卒の人」というものが配属されていたのだから、江間はそういう立場の者として支店長に言わないといけないはずだったのだ。
1989年6月まで、松戸・柏・市川・船橋・千葉幸町の各展示場に配属されていた営業は、月に2回、千葉支店に営業会議として呼ばれ、又、その際に千葉支店の午前9時の朝礼に出席していました。各展示場の営業社員の始業時刻は午前10時00分であり、就業時間は労働基準法上の労働時間制限ぎりぎりに規定されていましたし、三六協定はありませんから、早出残業をさせることはできません。しかし、現実に月に2回、早出残業をさせられていたのです。かつ、1時間の早出残業について時間外賃金は支払われていなかったのです。普段の勤務場所よりも遠方に出勤するという場合には普段の勤務場所への通勤時間より長くかかる時間については労働時間と考えるべきですが、それをどの程度からと考えるかは労働法の学説・判例においても議論があるようです。千葉県に勤務している人間が大阪の支店に出勤するとかいうことならば、千葉県から大阪までの所要時間は労働時間と考えるべきでしょうけれども、同じ敷地内の入口付近の場所に普段は勤務している人が奥の方の場所に出勤する場合ならば、所要時間の差は無視してよいかもしれません。その場合は、どこからと考えるかという問題、敷地内に入った時点から出勤したと考えるのか、勤務場所で勤務できる状態になってからと考えるべきなのかという問題がありますが。千葉幸町展示場は千葉支店からたいして遠くない場所にありましたから、所要時間の差はほとんど無視してもよいとしても、それ以外、市川・船橋・松戸・柏の展示場に勤務している者は千葉支店まで行く所要時間は普段の展示場までの所要時間よりも長くかかります。特に常磐線沿線の松戸・柏の展示場に勤務している者
こういったことは、これは早めに是正するべきで、早めに是正しないといけません。労働時間については厳密に守られていない会社というものは現実にあります。しかし、「法は眠ると言えども死なず」、法律が守られていないからと言っても、守らなくていいというものではないのです。会社は守る方向で努力しないといけません。但し、現実に「労働基準法上の労働時間制限を守れていない状態で会社が動いている」という会社があり、法律を破りたいわけではないが、何とかしろと言われても、今現在、何ともできないという場合という会社というのがあるようです。但し、はたして、そういう会社の存在を認めて良いのか。そもそも、日本国の法律を守って運営する会社が存在を認められるのであって、法律を破るという前提で動いているという会社の存在を認めてよいのか、という問題があります。
そうは言っても、現実にそういうケースというのはあるようです。小堀住研(株)においては、営業社員が時間外に働いて契約獲得活動をおこなうということをやめさせようとしても、戸建住宅建築業の会社の営業は夜遅い時刻に行けば契約してもらえると思えば夜遅くでも行き、朝早くに行けば契約してもらえると思えば朝早くでも行きして契約してもらうというのが仕事ですから、労働時間として規定されている時間外に働かないでというわけにはなかなかいかない。しかし、営業会議とかそういったものは、どの時間にやってもいいのですから、そういうものは就業時間として定められている時間内にやるべきであり、できるはずなのです。そういったことを考えるのが支店長の仕事のはずですが、支店長が「法学部・経済学部・商学部卒の人」ではなく「建築学科・土木学科卒の人」の方の人がなっている場合には、そのあたりについてよくわかっていない人が就任している場合があるので、そのために各支店に「法学部・経済学部・商学部卒の人」である人間が業務課長という名称をもらって勤務していたはずだったのです。だから、千葉支店の業務課長の江間はそのあたりを支店長の長谷川に話をして、営業会議は支店長の始業時刻の午前9時からおこなうのではなく、営業社員の始業時刻の午前10時からおこなうようにするべきですよ、ということを言わないといけない。言えないならば業務課長としての存在理由がないことになる。「法学部・経済学部・商学部卒の人」としての値打ちがないことになる・・のですが、結論として、江間は「法政の法学部卒だけあって『法学部・経済学部・商学部卒の人』としての値打ちがない人」だった。江間はいったい何のためにそこにいるんだ。いる値打ちがないじゃないか。
又、松戸・柏・市川・船橋・千葉幸町に展示場があり、小堀住研(株)の千葉支店は建築地は千葉県の西部から中部まで、房総半島の真ん中あたりまで施工していたけれども、展示場は北西部に集中しており、そうであるにもかかわらず、設計課・工務課・アフターサービス課は千葉駅前のビルの千葉支店におり、千葉支店は千葉駅前にあった。他社では、たとえば、スウェーデンハウス(株)は千葉支店は船橋にある。不動産会社の(株)エイブルは松戸に千葉支店を置いていた。見込客は千葉県の北西部に多く、展示場は北西部にあり、営業社員の配置も北西部にあったのに、千葉支店が5展示場の一番南東の千葉幸町展示場のまだ東にあった、ということ自体が不自然な位置にあった。その不自然な位置まで、遠方から営業社員が営業会議に行き、又、設計にプラン作成依頼するのに往復していたが、それは大変な時間と労力のロスだった。これも、改善を考えるのが好ましかったが、とりあえず、営業会議だけでも、5つの展示場の一番南東の展示場のまだ東側の場所にある千葉支店でおこなうのではなく、どこか、その5展示場の中央部あたりの場所でおこなうようにできないものか、そういうことを各営業課長は提言するべきだったと思う・・が、たとえば、松戸営業課長だった石井さんは高卒の人だったので、一級建築士の資格を持ち、設計事務所で設計の仕事についていたこともあったらしい人で戸建住宅についての業務はわかる人で私もいろいろと教えてもらったのだが、そういったことは言えない人だった。
但し、6月まで千葉支店長だった長谷川さんは、そういったことをまったく考えていなかったということではなく、2週間に1回、千葉支店で営業会議をおこなっていたけれども、2週間に1回、営業会議をおこなっていたが、締め日前になる最終週には営業会議はおこなわないことにしていた。
ところが、1989年7月から支店長がそれまで大阪にいたらしい渡邊士直になり、業務課長の江間が東京支店の業務課長になって、業務課長はどこだったかから越智(おち)が赴任すると、渡邊士直は、普通、会社でどこそこに赴任してくれと言われたら「さっさと行く」ものだと思うが、7月1日からという辞令であるにもかかわらず、7月の下旬になってやっと赴任した。千葉支店で課長になっていた人は何人もが「支店長はいったい、いつになったら来るんだ」と言っていた。
そして、渡邊士直は1989年7月に千葉支店に来るなり何をやったかというと、女性社員の尻を撫でまわして「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは、大変いいことだねえ」とそう発言したのだった( 一一)
どうも、日本の会社という所においては、「底辺の高校卒」の人には「底辺の高校卒」の人間はそういうことをやっていい権利があるみたいに思っている人がいますが、そんな権利なんてありませんからね。

セクシュアル・ハラスメント (有斐閣選書 156) - 瑞穂, 福島, 裕子, 中下, まり子, 鈴木, 雅臣, 金子, 理知子, 池田

企業と人権 (日本労働法学会誌) - 日本労働法学会
さらに、渡邊士直は、それまで月に2回だけ、千葉支店で午前9時からおこなっていた営業会議を毎週やりだした。渡邊士直にそのようなことをする権利はない。従業員・労働者はなにゆえに働くのかというと、会社と労働契約を結んでいるからであり、労働契約に基づき、この就業時間内、会社のために働きますということで、それに対して会社は賃金を払うという約束をしている。その労働時間以外については従業員に対して、たとえ業務命令でも命令することはできないし、営業社員が終業時間外に「夜討ち、朝駆け」して契約を取っていても、それは契約を取るためにやっているのであって、営業獲得活動でもないものを就業時間外にやれと言っても、そういう「命令」は「ただちに無効」である。「ただちに無効」というからには無視して良いのであり、きく筋合いはないということである。
支店長というものは、一線の営業ができてもだめで、こういったことを考えることができる人が就任するべきであり、こういったことを考える能力がない人が就任するべき仕事ではないはずなのだ。単に女性社員の尻を撫でまわすしか能のない男は支店長に就任してはいけないし、会社はそういう人を支店長に任命してはいけないのです。
市川・船橋・松戸・柏の各展示場勤務の人間にとって、普段の勤務場所よりも所要時間がかかる場所にある千葉支店まで行くというのは大変ですが、それも普段の始業時刻よりも1時間早く行くというのは大変なことです。何年か前、テレビの野球中継で解説者に江川が出ていて、「ピッチャーが中何日で投げているのを、1日短い間隔で投げるというのは大変なものなのですか」ときかれて、「朝、普段、起きている時刻よりも1時間早く起きるというのは大変でしょ。普段、起きている時刻よりも早い時刻に起きて体を動かすと、普段、起きている時間に動くのと同じように体が動かなかったりしますでしょ。それと同じですよ」と話していたことがあった。毎週、毎週、週休日の次の日に、普段の始業時刻よりも早い時刻に、普段の勤務場所よりも相当所要時間が長くかかる場所に呼びつけられるというのは、これは生活のリズムを崩されることであり、営業活動に大きくマイナスになることでした。松戸営業課長の石井さんは「毎週、毎週、千葉支店まで呼びつけられてからに、まったく、たまったもんじゃねえなあ」と松戸展示場で何度も何度も言っていたので、私は「石井課長から支店長に言ってもらえないですか」と言ったのだ。これは言わないといけないと思うのだ。普通なら、そういったことを考えて、従業員が働きやすいように配慮するというのが支店長の仕事のはずなのだが、しかし、従業員が働きやすい環境を用意する、働きにくい条件はひとつひとつ改善するという仕事は渡邊士直さんには無理です。無理な人が支店長になっているのですから、又、渡邊士直さんは千葉県のことも千葉支店のこともまったくわかっていない人でしたから、課長になっている人は、わかるように教えてあげないといけません。ところが、石井は「言わない」と言うのです。「どうして、言わないのですか」と私は言ったのですが、松戸展示場の事務所で毎度毎度「何度も何度も千葉まで呼びつけられて、まったく、たまったもんじゃねえなあ」と言いながら、私が「石井さんは課長なのだから、課長として言ってもらえないですか。何もおかしなことを言うのではないじゃないですか。千葉県は特に常磐線沿線と総武線沿線は離れていて、同じ県といっても別の地域ですし、小堀住研(株)の場合は千葉支店が5つの展示場の一番南東の展示場のさらに東側の場所にあって、各展示場に勤務している人間からは行きにくい場所にあるのですから、渡邊さんは千葉支店から歩いて10分以内とかいう場所に住んでいるからいいのかもしれませんが、各展示場に勤務している人間が毎度毎度千葉支店まで行かされるというのは、これは業務妨害ですから、会社のために言ってもらえないですか」と言ったのだが、それでも石井は言わなかったのだ。
こういう時だが、「矢面に立つ」ようなことをするなとか言う人があるけれども、そんなたいそうなことではないのじゃないか、と私は思っていたのです。支店長というのは、各支店で従業員が働きやすい環境を整えるのが仕事であり、支店長が従業員が働きにくいようにしていたのでは支店長にならない。だから、それを教えてあげるということは、その支店長になっている人のためになることであり、「千葉県はけっこう広くて、又、特に常磐線沿線と総武線沿線は同じ県でも別の地域ですし、松戸や柏から千葉まで行くというのは大変なことなのですよ。又、営業の始業時刻は午前10時からで支店長の始業時刻の午前9時からよりも1時間遅いのですよ。毎週毎週、生活のリズムを崩されたのでは、それは営業活動にとって大きくマイナスになるのですよ」と説明して教えてあげるべきですし、そのくらい、言ったからといって、なんで、それが「矢面に立つ」だの何だのということになるのでしょうか・・と思ったのですが、私が支店長だったら、「あ、そうか。そういうことがあったのか。気づかなくて申し訳ない」と言いますし、その前に気づいていますが、ところが、「底辺の高校卒」の人を支店長・営業所長といったものにならせると、そういう人はたいてい「余裕がない」ので、ごくわずかなことでも指摘されると「支店長に対する反抗」とか言いだすようです。
又、7月から千葉支店の業務課長に赴任した越智(おち)は各支店における人事・総務・経理の役割である業務課長なのだから、本来、小堀住研(株)では「営業系」というコースは「法学部・経済学部・商学部卒の人」がなるコースであるはずで「底辺の高校卒」の人はならないはずだったのですが、なぜか「底辺の高校卒の人」が支店長になったのなら、その人は労働法も会社法も何もわからない人ですから、各支店における人事・総務・経理の役割である業務課長として、「小堀住研(株)は労働基準法上の労働時間制限ぎりぎりまでを労働時間として就業規則に規定していて、支店長の勤務時間は午前9時からですが営業社員の勤務時間は午前10時からで、午前10時に千葉支店に来いと言ったなら、それは労働基準法違反であり犯罪ですよ。又、午前10時が始業時刻の人間に午前9時に来いと言っても、小堀住研(株)は労働基準法の制限ぎりぎりまでを労働時間として規定していますから、そのような命令をしても無効ですから、だから、そういうことはやめてください」と言わないといけない。言えないならば業務課長としての存在理由がないことになる。又、「法学部・経済学部・商学部卒の人」としての値打ちがないことになる。ところが、越智(おち)はそれを言えない。アホだろ。アホちゃうか。アホと違うのか・・と思ったが、アホだったようだ。 こういうことだが、うかつに言わない方がいいと言う人がいるけれども、しかし、業務課長というのは、そういうことを言うのが仕事のはずであり、言えなかったら、仕事をしていることにならないではないか。
さらに、うちの父親の勤め先は化粧品会社でしたが、ダニによるアトピー性皮膚炎の被害を受けている人が多いらしく、父の勤め先の化粧品会社と関西の国立大学の薬学部だったかと、掃除機の電気器具メーカーと製薬会社とどこだったか、異なる業界であるがダニとアトピー性皮膚炎の対策に関係がある会社が集まって共同の研究会を設けましょうということがあり、うちの父親の部下にあたる取締役の人が、私が小堀住研(株)に勤めているのなら、住宅建築業の会社は小堀住研(株)に話をすることにしましょうと言ってくれて、それで、小堀住研(株)より施工棟数などで大手の住宅建築業の会社からうちを入れてくださいとアピールしてきている所があったけれども、それを断って小堀住研(株)に話をまわしてくれたということがありました。我が家は小堀住研(株)の入居者で、その時の営業担当者は取締役になっていましたので、そちらに話をしても良かったのですが、私が小堀住研(株)に入社して千葉支店の松戸営業所にいることから、私から話をした方が私の上役になる立場の人が会社に対していい顔をできるのではないかということで、私から上役に話をすることにしました。
ところが。松戸営業課長の石井さんに話をすると、「とりあえず、〇〇くんがひとりで行って話を聞いてきて」と言うのです。「私は入社1年目ですよ。相手は取締役ですよ。入社1年目の人間にひとりで取締役に会いに行けと言うのですか。やっぱり、会社という所においては、相手が部長ならこちらも部長、取締役ならこちらも取締役という立場の人が対応するようにすべきではないのですか」と言ったのですが、「いいから、ひとりで会ってきて」と言うのです。「しかし、入社1年目の人間に取締役に一人で会いに行けというのは、はたして、そういうことをしていいのですか」と言ったのですが、石井は頑固に「いいから、一人で会ってきて」と言うのです。
ひとつには、石井はうちの父親の勤め先の会社を知らなかったのだと思います。うちの父親の勤め先は特別の大企業ではなかったけれども、それほど小さい会社でもなかったのです。小堀住研(株)とでは創業以来の年数は同じくらいで、どちらも社長は2代目で、従業員数もどちらも千人を少し上回るくらいで、本社の場所もどちらも大阪駅から遠くない場所に自社ビルを持っていて、知名度もどちらも「知っている人は知っているが、知らない人もいる」というくらいの知名度の会社で、違いはうちの父親の勤め先は2代目社長は東大卒だったのに対して小堀住研(株)の2代目は高卒だったという点があり、うちの父親の勤め先は未上場だったのに対して小堀住研(株)は一部上場だったという点がわずかに上かというくらいでしたが、会社の中に入ってみると、私は自分自身がうちの父親の勤め先にアルバイトとして行ったことがありましたが、上場していても、むしろ小堀住研(株)の方が下ではないかという感じがしました。小堀住研(株)は取締役の半分・監査役の半分が銀行出身で、いくらなんでも、そこまで銀行出身者が多いというのは何かある・・という感じで、その点では小堀住研(株)の方が下でした。うちの父親の勤め先は化粧品会社ですから特に女性は知っている人の方が多い会社でした。慶應大学の1年目、担任だったドイツ語のK先生と話をした時、K先生は「私はその会社、知ってますよ。けっこう有名な会社じゃないですか」と言われたのでしたが、ところが、高卒の石井さんにとってはまったく知らない会社だったようです。慶應大学の経済学部・商学部・法学部卒の人ならば、一部上場の会社か、上場していなくてもある程度以上の規模や知名度の会社を「知らない」というのは知らない人間の方が恥ですが、高卒の人にとってはそうではないのです。石井は高卒の人でしたから、建築業界の会社なら小さい所でも知っていても、他の業界の会社はある程度大きい会社でも知らないようでした。 1990年4月に東京支店自由が丘展示場に転勤してくれと言われて、東急東横線「都立大学」駅の近くの不動産屋に入ってアパートを捜したところ、その不動産屋のおばさんが「そんな会社に勤めている人なんて、大家さんが嫌がると思うわ」などと言い出したので、「どうしてですか?」と言うと、「そんなわけのわからない会社に勤めているような人なんて嫌がって当然よ」などと言うのです。「どうして、わけのわからない会社なのですか」と言うと、「そんな会社、誰も知らないわよ」と言うので、「知りませんか? 住宅雑誌などにしばしば掲載していますし、住宅展示場にもあちらこちらに出店していますよ。戸建住宅の建築業界では施工棟数は8位だったはずですよ」と言いましたが、「知らないわねえ。従業員数、何人いるの。十人、いないでしょ」などと言うので、「そんなことないですよ。千人以上はいますよ」と言ったところ、「そ~お~お。建売でもやってる会社なのお」などと言うので、「建売はやったことはありませんね。高級住宅の小堀として知っている人は知っているはずですよ」と言ったのですが、「知らないわねえ」と言い、「それなら、どういう仕事をしている人がいいのですか。たとえば、医者とか弁護士とかいいうのがいいのですか」と言うと、「弁護士はだめね。弁護士は嫌がるわ。いいのは大企業に勤めている人ね」と言うので、「それなら、小堀住研は従業員数は千人以上ですし、一部上場ですし、沖縄県以外の全国で建てていますし、住宅雑誌にもしばしば掲載していますし、展示場の数も少なくありませんし、三井・三菱・住友・安田とかトヨタとか日立とかいうような会社よりは小さいとしても決して小さい方の会社ではないと思いますけれども」と言ったのだが、そうすると「嘘ですよ。千人もいないでしょ。十人いるかいないかでしょ」などと言うのです。このおばさんと話をしても「レベル的に無理」と思って、もう、その店は相手にしない方がいい店と判断して出ました。石井さんは高卒だけれども一級建築士の資格を取得していて、それゆえに「大卒しか採らない会社」の小堀住研(株)でも特に採用されたようでしたが、それでもやっぱり、高卒の人だったので、建築業界で勤めてきた人なので建築業界の会社については小さい所でも知っていたりするようですが、他業界の会社についてはけっこう大きな所・けっこう知名度がある所でも知らない人のようで、それで、「もしも、うちの会社に一緒にやってほしいと頼みたいのなら、ひとりで行って話を聞いてきて資料をもらってきて。そうしたら、支店長に渡してあげるから」などと言うので、「小堀住研(株)に便宜をはかってくれと頼んでいるとかいう話とは違うのです。住宅建築業の他の大手の会社から、どうか、うちを入れてくださいと頼んできている所が複数あるのを断って小堀住研(株)に話をまわしてもらっているのです。小堀住研に便宜をはかってもらっているのであって、小堀にお願いされているということではないのです」と言っても、「それでも、小堀に頼みたいのなら、資料をもらってきてくれれば支店長に渡してあげるから」などと言うので、「だ~から、そういう話とは違うのです」と言ってもきかず、結局、私がひとりで会いに行ったところ、「〇〇さんは小堀住研(株)ではどういう役職なのですか」などと言われてしまった。そう言うよなあ。同格以上の会社に、取締役に会いに行くのなら取締役か部長・支店長くらいの人間が会いに行くのが礼儀だよなあ。小堀住研(株)と千葉支店長の渡邊士直と東部営業本部長の増田和二は入居者が自社に便宜をはかってくれたのに、こういう無礼な対応をしたのです。
※ 慎腹風呂愚[第412回]《「会社の役職を軽視する社長」 「痴漢人間を大事にする社長」 この2つの思考は対立でなく共通するらしい》https://shinkahousinght.at.webry.info/201605/article_2.html
それで、一人で取締役に会ってきて、資料をもらってきて、それを石井に渡したところ、石井は支店長の渡邊士直に渡したらしいのですが、ところが、待てど暮らせど、いつまで経っても何の返事をしない。私が会ってきた取締役はうちの父親に「いったい、どうなっているのでしょうか。この間も他の住宅建築業の会社から、うちを入れてくれませんかと言ってきているのですが、返事もないというのは困るのです。小堀住研はいったいどうなっているのですか」と苦情を言われたようです。苦情を言われたとともに、あきれられたようです。小堀住研(株)のために便宜をはかると、小堀住研(株)は便宜をはかってくれた者の顔をつぶすようです。
松戸営業課長の石井に「渡してからけっこう経ちますけれども、何の返事もありませんが、いったい、どうなっているのですか」と何度も何度も言ったけれども、石井は「知らない」、「支店長から何も言われていない」と言い、私が「石井さんは課長ですよね。課長ならば自分が支店長に話をしたものについて、何の返事もないならば、どうなっていますかと尋ねるべきではないのですか」と言ったが、「支店長は何も言わないから」と言うのでした。そして、1か月半ほど経って石井が「あれ、要らないって」と言うのです。「何ですか、その態度は。他社からせっかく便宜をはかってもらっておきながら、『あれ、要らない』て、何ですか、その態度は。小堀住研は他社に対してそんないいかげんな態度を取るのですか」と言ったところ、石井は「うん。そういう態度をとる」と言うのです。「普通、相手が取締役ならこちらの会社も取締役か、そうでなければ部長か支店長かそういう立場の人間が会うものでしょ。それを入社1年目の人間に一人で会いに行かせた上で、ずいぶんと長く待たせておいて、『それ、要らない』て何ですか。たとえ、断る場合でも、もうちょっときっちりとした返事をするものと違うのですか」と言ったところ、石井は「きっちりと返事してるじゃない」と言うのです。「どこがきっちりと返事しているのですか、どこが」と言うと、「だから、『それ、要らない』てきっちりと返事しているじゃない」と言うのです。「それでは、きっちりと返事していると言わないでしょ。石井さんはそれがきっちりと返事していると思っているのですか」と言うと、石井は「うん、思っている」などと言うのです。「喧嘩売ってるのですか」と言ったのですが、「別に喧嘩なんて売ってないよ。要らないから、だから、『それ、要らない』てきっちりと返事してるんじゃない」と言うのです。「要らないにしても、どうして、ここまで長く待たさないといけないのですか。いくらなんでも無礼でしょう。また、ここまで長く待たせたからには、取締役か部長・支店長くらいの役職の人間が顔を出して、『誠に申し訳ありません』と謝りに行くものでしょう。違うのですか」と言ったのですが、石井は「うん。違う」と言うのです。「なんですか、その態度は。石井さんは課長と違うのですか。課長ならば、支店長に対して、そういう対応は会社としておかしいでしょ。支店長ならそんな態度はおかしいでしょと言わないのですか。それが課長の態度ですか」と言うと、石井は「うん。言わない」と言うのです。「どうしてですか」と言うと、石井は「どうしてと言われても、何でも」などと言うのです。なんだ、この態度は。バカか、この人はと思いましたが、今から考えてみると、「高卒の課長」なんてものは「そんなもの」だったのかもしれません。
この件については、ひとつの可能性として、千葉支店長の渡邊士直が受け取った資料を自分の机の横において上役に報告せず長期に渡って放置して、1か月半だったか2か月だったか放置していた末に、「これ、要らない」と石井に言って返したという可能性が考えられる。その可能性は小さくないと思われます。そういうことを支店長がしていることについて、何らとがめない東部営業本部長というのは、それは東部営業本部長とは言えない人間ですが、富士銀行はそんな人間を常務取締役・東部営業本部長にならせて送り込んで私などが毎日終電くらいまで働いて滅私奉公して尽くした小堀住研(株)をつぶしたのである。
1990年1月末だったか2月末だったか、締め日直前に、富士銀行から出向で来ていた東部営業本部長の増田和二が千葉支店に来るから全員、午前9時前に千葉支店に来いと前日の終業時刻を過ぎた時刻に、千葉支店長になっていた渡邊士直が松戸営業所に電話をしてきた。
私が松戸営業課長ならば、「今は締め日直前だということをご存知ですか。営業社員は向う1週間くらいの予定を立てて動いています。締め日直前にどういう御用があるのですか。どうしても、明日でないといけないという用事でなければ、せめて、締め日の後にしていただくようにお願いしていただけませんか」と言います。「また、前日の終業時刻を過ぎてから突然、電話してきて言うのではなく、せめて、何日か前に言うようにしていただけませんか」と、又、「展示場勤務の営業補助の女性社員は展示場のお留守番という意味もあって勤務しています。お留守番の役割の人まで千葉支店に越させたのでは会社がお留守番として雇っている意味がなくなりますし、展示場勤務の営業補助の女性は千葉支店まで往復する時間の時間外手当を会社からもらっていませんから、展示場勤務の営業補助の女性社員を呼びつけるのはやめていただいた方がいいと思います」と言ったことも言います。それを言えないならば課長と言えません。ところが、石井はそれを言えない・言わない。
そして、増田和二は千葉支店に来るということは、当然のことながら、うちの父親の勤め先の会社とその取締役が小堀住研(株)に便宜をはかったにもかかわらず、それに対して小堀住研(株)が無礼な態度を取ったということについて「申し訳なかった」と謝るものだと思っていた。ところが、増田和二は最後まで一言も謝らないでだけでなく、この件について一言も口にしなかったのだ。これでは営業本部長にならない。これでは、営業本部長の仕事をしていることにならない。
4月の初めの入社式の後の立食パーティーの時、太陽神戸銀行から出向で来て、小堀住研(株)では何も功績を残していないにもかかわらず、常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野という男が私に「小堀住研は無借金経営です。銀行から人が来ているのは借金しているからではないのです。人材が不足しているから来ているのです」などと言ったのでしたが、それにしても「銀行から来ている人」が多かった。有価証券報告書を見ると、取締役の半分、監査役の半分が銀行から来た人間であり、いくら何でも多すぎるのではないかと思えた。その時は、銀行から来ている人というのは取締役の半分・監査役の半分で、それだけだろうと思い込んでいたのだったが、それだけではなく、それより下の役職でも銀行からいっぱい来ていたようだった。それも、どう考えても、その人の能力・身の程から考えて役職が高すぎるという役職をつけられて来ていた。そして、それは最初から小堀住研(株)に入社した人間の間では評判が悪かった。「また、何もわからん人間が来て高い役職につくのか」と。・・今から考えてみると、銀行から何人も無能な人間を送りつけられて、最初から小堀住研(株)に入社して努力してきた人間よりも上の役職につけられてしまっていたというその状態というのは「おまえは、もう死んでいる」という会社の状態だったようだ。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
銀行の人がすべての人が無能ということではありません。私は大学4年の時、東京駅の前の丸の内ビルディングに東京支店を出していた中国銀行(岡山の中国銀行ではなく、北京の中国銀行)に会社訪問で行った時に会っていただいたMさんは三井銀行から出向で中国銀行に顧問で来ていた人でしたが、慶應大学経済学部卒の方で、同じ大学の学生だということから中国銀行とは関係のない話も聞かせてもらいましたが、「この人、けっこう歳いっているけれども、しっかりしてるなあ」という印象を受けました。Mさんが言われるには「銀行というのは、特に支店長なんてのは締め日前になると上役から、どれだけ預金を獲得できるんだと強く言われるものだ」ということでした。そういう時に、たとえば、百万円を普通預金に入れたいという人がいたとなると、特に支店長などは喉から手が出るくらいにその預金が欲しい。しかし、だからといって、そのまま受けてはいけない。そうではなくて、普通預金に入れるよりも有利なものがあれば「たとえば、こういう方法がありますけれども」といった話をしないといけない。そういうことを言わずに、そのまま百万円の普通預金を受けて「あいつのおかげで損した」と思われたら、その後、入れてもらえるものも入れてもらえなくなる。そうではなくて、たとえ、その時、その預金を入れてもらえなくなることがあっても「あの人のおかげでいいことがあった」と思ってもらえるようにしないといけない。そうすると、その後、「同じ預金をするなら、あの人のところに入れよう」と思ってもらえるかもしれない。そう思ってもらえるようにしないといけない・・といった話を聞かせてもらった。同じ「銀行から出向で来た人」でも外資系の銀行から頼まれて顧問として行っていた人と、銀行が融資したのか出資したのかの会社に、その会社の方では歓迎していないのに実力以上に高い役職をつけてもらって出向していた増田和二とは大きな違いがあった。もしも、Mさんならば増田和二みたいに締め日直前にわざわざ、前日の夜、終業時刻を過ぎてから「全員、明朝、朝9時前に千葉支店に集合」だのと言ったことを要求するようなことはしないでしょう。ひとつ、契約いただくために住宅建築業の営業はどれだけ苦労しているのか、Mさんならば、銀行の営業の経験はあっても戸建住宅建築業の営業の経験はなくても、それでも営業経験者として締め日直前に、わざわざ、締め日後でもいいようなもののために営業社員の予定を狂わせて呼びつけにするようなことはしないでしょう。
太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来て、小堀住研(株)では何の実績も残していないにもかかわらず、いきなり、常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野がどうかはわからないが、富士銀行から出向で小堀住研(株)に来て、小堀住研(株)では何の実績も残していないにもかかわらず、いきなり、常務取締役・東部営業本部長にならせてもらった増田和二については、これは、小堀住研(株)としては迷惑なだけの人間でした。「人材が不足しているから来ているんです」などと大野は言いましたが、「バカ言ってんじゃないわ♪」てものです。
そもそも、小堀住研(株)が「人材が不足している」としても、それなら銀行というのはそんなに「人材」が余っているのか? はあ? 小堀住研(株)に銀行から出向できていた従業員というのは取締役の半分・監査役の半分だけかと思ったらそうではなかったようで、「総務部東京駐在」に「次長」という肩書をもらって太陽神戸銀行から来ていた前野和彦なんぞは、1989年、一度、松戸営業所に来たことがあったが、その時、どうやって来たかというと、新京成電鉄「松戸新田」駅からえっちらおっちらと、勤務時間中に40分もハイキングしてやってきたのだった( 一一) バッカじゃなかろかルンバ♪〔⇒《YouTube-バッカじゃなかろかルンバ!》https://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM 〕 銀行の人間て面白いことやるね♪ バッカじゃなかろかルンバ♪
私なら前野和彦のようなそんなおかしなことしません。私でなくても、小堀住研(株)の営業は分を惜しんで動いているのであり、松戸展示場はJR「松戸」駅から新京成バスに乗れば、展示場に比較的近いバス停まで来れるのに、わざわざ前野和彦みたいに勤務時間中に新京成電鉄「松戸新田」駅からハイキングして40分も歩いてくるなどという「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことなんて、しません。 もし、バスの経路を知らなかったのなら、松戸展示場に電話をしてきけばいいことですし、松戸展示場の人間でなくても柏展示場の人間でも千葉支店の従業員なら多くの人間は知っていますし、そうでなくても、JR「松戸」駅で下りたら新京成電鉄に乗るのではなくて駅前でバスの運転手にでも尋ねるか、もしくは駅員に尋ねればいいことです。「バッカじゃなかろかルンバ♪」てものです。
銀行員でも私の知っている銀行員は前野和彦みたいなおかしなことしませんよ。そういう人が、なんで、小堀住研(株)では何の実績も残していないのに、いきなり、「次長」なんですか? 前野和彦がいきなり「次長」ならば、私は少なくともいきなり「部長」以上にならせてもらわないとおかしい。私だけじゃないよ。小堀住研(株)に最初から入社した従業員は、なんで、こんなやつが小堀住研(株)では何の実績も残していないのに俺より役職が上なんだ、と思っていた人間は何人もいたはずだ。
1989年、秋頃、千葉支店で支店長にならせてもらっていた底辺の高校卒の渡邊士直が、その頃の小堀住研(株)は、高級住宅志向の完全自由設計の「新 桂(しん かつら)」と「高品質低価格」の「小堀ハウス55」シリーズとの2本立てでやっていたが、その「高品質低価格」タイプの「小堀ハウス55」の一番安いタイプを「大安売り」という感じで書いた新聞折込チラシを作って入れたのだった・・が、私は松戸営業課の課長の石井にこういうチラシはおかしいのではないか、こういうチラシは小堀住研(株)の商品のあり方という点から見て好ましくないということはないか、と言ったのだ。
ところが、石井は「悪くないよ。営業本部長に話を通してやってるんだから、いいんだよ」などと言うのです。石井が言うのは、渡邊士直が上役に無断で勝手にやったことではなく、富士銀行から出向できた住宅建築業のことなんて何もわかっていない東部営業本部長の増田和二に許可を得てやったものだから、いいのだ、と言うのです。だから、だめだと私は言っているのですが、高卒の石井さんはわからないようでした。
私は慶應大学の商学部には行きたくて行ったわけではなく、何の因果か行くはめになってしまって、いやいや言っていやいや卒業したのでしたが、卒業してみると会社という所において役立つものはあったと思うようになりました。その際ですが、たとえば、「商業学総論」という講義では「サンリオは鉛筆とかハンカチとかキャンディーを売っているのではない。サンリオは夢を売っているのだ」とかいった話とかされ、又、セオドア=レビット『マーケティング発想法』(プレジデント社)では「レブロン(アメリカ合衆国の化粧品会社)は化粧品を売っているのではなく、昨日までの自分とは異なる自分になることができるという希望であったり、これまでとは異なる生活ができるようになるという夢であったりを売っているのだ」といったことが書かれていた。住宅建築業においても、売っているものは「家」であるというのは間違いということではないが、そういう視点だけではなくて、たとえば、小堀住研(株)の家というのは1960年代後半以降においては関西地域を中心として「中より上のサラリーマン」にとっては「小堀で家を建てた」というのが「ステータス」であったりしたわけで、そういう「ステータス」を売っていたというような面もあったわけです。ところが、「大安売り」なんて調子のチラシを作って新聞折込に入れてしまうと、一度だけならともかく、何度もそういうものを入れると、結果として、その時に一番安い価格帯の商品を何棟か契約をもらえたとしても、その引き換えとして安物会社というイメージを広めることになってしまい、結果として高級志向商品が売れなくなってしまうということが考えられた。だから、会社と商品のイメージを損なうのと引き換えで低価格商品を何棟か売ることができても、むしろ、失うものの方が大きいという可能性が考えられたのだ。だから、私はそのチラシはおかしいのではないか、と松戸営業課の課長の石井に言ったのだった。
しかし、私はこういうことは慶應大学の商学部の卒業生ならば、こういった思考は誰もがすることで常識的な思考だと思っていたが、ところが、高卒で一級建築士の資格を取得して設計事務所に勤めていたという石井さんにとっては「営業本部長の許可を得てやっているから、何も悪くないんだ」ということになるようでした。
東部営業本部長といっても、その増田和二さんはどういう思考をして許可していたのかというと、自分を無視しなかったかどうか、というそれを見ていただけであり、はたして、そのチラシを入れることで会社と商品のイメージはどうなるか、そのチラシは「コストと利益を比較考量して」十分に利益が期待できるものか、といったことを検討して許可していたのではなく、もとより、増田和二さんにそんな判断力はなく、判断しようという姿勢は最初から欠落している人でした。
1989年に初代社長でその時は相談役だった小堀林衛が他界すると、翌年1990年に2代目社長で「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午は初代社長の苗字の「小堀」を会社名から取り除きたかったのか「エスバイエル(株)」(S×L)というツーバイフォー工法(2×4)で建てている会社でもないのにツービフォー(2×4)工法を思わせる名称に社名を変更すると、「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」などと、あっちやらこっちやらで書きまくり言いまくりして自社と自社の商品の値打ちを引き下げて、そんなことやったら会社はつぶれるぞお・・と思ったら、あっという間に一部上場から二部上場になり上場廃止になって倒産した。中島昭午はバカじゃないか、と思われたが、バカだったのだろう。自分で一生懸命、自分の所の会社をぶっつぶしたのだ。もうちょっと私を大事にして私に意見をきいてくれたら、少しは良くなったのではないかと思うのだが、アホの言うことばっかり大事にしたようだった。「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかは「そんなもの」だったのか。
「銀行から来た人」が他の業界の人間よりも優秀だという「銀行から来た人」の主張は身勝手であり、銀行の人間が他業界の人間よりも優秀というようなことは、ない。しかし、たとえば、↑ にあげた三井銀行から中国銀行に顧問として行かれていたMさんなどは、他業界に勤めることはなかったでしょうけれども、もしも他業界に勤めたとしても、「営業の厳しさ」という点においては銀行と戸建住宅建築業とで共通するものはあるはずで、そういう共通する厳しさのようなものは認識できていたと思われます。それに対して、富士銀行から来ていた増田和二には、そういう「営業の厳しさ」という認識がまったくない( 一一)
又、増田和二は東北大学法学部卒だということでしたが、もしも、裁判官とか弁護士とか法学部の教員とかいった「法律そのもの」の職業についたならば法学部卒だから法律しかわからないでも通じるでしょうけれども、一般の会社という所に勤めたならば、法学部卒でも経済学部・商学部卒の人間の認識はある程度以上持たないといけないし、経済学部・商学部卒でも法学部卒の人間の認識・法学的の考え方は持たないといけないはずです。ところが、増田和二の場合、法学部卒だからということで「マーケティング的発想」といったものはまったくない。それなら法学的の考え方はあるのか、というとそれもない( 一一)

レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部

(新装版)法学入門 - 末弘 厳太郎
銀行の人間が他業種の人間よりも優秀だなどとは私は思っていなかったが、しかし、銀行から他業界の会社に出向してくる人というと、旧帝大系国立大学卒の人とかが来るのではないかと思われ、そういう人はなかなかいない小堀住研(株)には旧帝大系国立大学卒の人の認識というものはプラスになるのではないか、とそこは期待したが、ところが増田和二にはそういうものはまったくなかった( 一一) 「底辺の高校卒」の渡邊士直とどっこいどっこいだった( 一一)
又、富士銀行のような大きな会社に勤めてきた人というのは「大企業において通じていた、大企業における会社における””相場””」のようなものを身に着けているのではないか、そういうものがない小堀住研(株)にはプラスになるということはあるかもしれない、とそこは期待したのだったが、増田和二にはそれもなかった( 一一)
単に銀行から出向すれば、ろくに役立たなくても楽してええ思いさせてもらえる・・というそういう意識だけの人間だった( 一一)
実際のところ、私は「商業学総論」とか「商業学」とか、そういう講義を履修したとしても、あるいはセオドア=レビット『マーケティング発想法』(プレジデント社)とかそういった本を読んだとしても、履修したから読んだからということでゼロが百になるとかいうものではなく、いわば、40が50になるとか、50が60になるとか、そういうものだろうと思っていたのだった。実際、私自身については履修して悪いということはないし、読んで悪いということはないとしても、もしも履修しなかったとしても読まなかったとしても、ゼロということはなかったと思うのだ。しかし、会社という所に勤めてみると、ゼロの人というのがいるのだ( 一一)
それも、渡邊士直のような「底辺の高校卒の痴漢人間のおっさん」とかがゼロであっても、その程度の人だろうと思うが、一応、東北大学法学部卒という増田和二もゼロなのだ。東北大ていったい何を教えてんだあ???
但し、国立大学でも地方国立大学卒の人の場合は「人によって差がある」という印象を私は受けている。旧帝大系国立大学卒の人とそれほど遜色ないのではないかと思わるような人もおれば、そうではなくて「ええ~え? この人が国立大学卒なのお~お?」という人もいる。そして、旧帝大系国立大学といっても東北大の場合は、「東大・京大・阪大の仲間」と考えるよりも「岩手大・秋田大・福島大・茨城大の仲間」と見た方がいいと思われるところがある。だから、増田和二さんについては「旧帝大系国立大学卒の人」と見て、それに見合うものを期待しても「むしろ、期待するのはかわいそう」と判断すべきかもしれないと思うようになった。もともと「その程度の人」だったのだ。富士銀行においても有価証券報告書に記載されていた経歴によると、どこだったかの支店の支店長を2年やっただけだったはずだが、普通、銀行の支店長というのは2年でやめるようなものではなくて、もうちょっと長くやるものではないか。それを2年で解任されたということは、この人は支店長といったものは長くさせない方がいい人と判断されたのかもしれない。・・まあ、それはわからないけれども、およそ、「旧帝大系国立大学の法学部卒の人」としてのものは期待できる人ではなかった。又、「大企業に勤めてきた人として、日本の会社という所における””相場””のようなもの」を認識できている人としての期待も期待する方が間違っているという人だった。
それで・・だ。増田和二と渡辺士直の悪行については、まだまだいっぱいあるのだけれども、ここではこの程度にとどめて、それは別の機械に述べることにしたい。
ところで、少し話がそれるが、「ミニスカートが流行すると、同時に何が流行するか?」てわかりますか。私はわかったよ。ミニスカートが流行すると、ハイソックスが流行するらしく、「ミニスカートの流行とハイソックスの流行の相関関係」なんてものを論文にした男が慶應大学にいたらしく、修士論文として認められたと聞く。 「サンリオは鉛筆とかハンカチとかキャンディーを売っているのではない。サンリオは夢を売っているのだ」という、ウォンツから考えるのではなくニーズから考えるという思考をするならば、たとえば、風俗店に行くおっさんには「心の安らぎ」を求めて風俗店に行くおっさんというのがいる・・と考えると、実は宗教施設と風俗店とは競合関係にある・・と考えることだってできるのではないか。・・俺も、「宗教施設と風俗店の競合関係について」という論文でも書いてみようか。修士論文として認められるだろうか?
・・で、こういう発想というのは、冗談みたいな言い方だけれども冗談ではないと思うのだ。こういう発想は慶應大学の商学部卒の人間にとっては当たり前の発想だと思うのだ。ところが、小堀住研(株)では「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直さんとかにはこういった発想・思考はまったくない。「底辺の高校卒」の人には無理だろう・・としても、旧帝大系国立大学卒で大企業から出向で来たような人ならば、こういう発想・思考はある方が普通であろう・・なんて思うと、東北大法学部卒で富士銀行から来た増田和二さんにはそういうものがまったくないのだ( 一一) あんた、本当に旧帝大系国立大学でてるのかあ???・・て感じだ。
労働基準法の条文というのは「精神規定」ではない。「守れたらいいけれども、守りたくなかったら守らなくてもよい」というものではない。現実に日本には労基法違反の不良経営者を必死になって守ろうという機関として労働基準監督署というものがあり、労働基準監督官という者が不良企業の不良経営者を守ろうと必死になっている。その労基署を突破することができたとしても、次に地方検察庁と検察官というものが、な~んとしても不起訴にしてやろうと必死になるので、労基法違反はなかなか起訴できない。そして、たとえ、起訴できても地方裁判所が不良経営者を守ろうとして、次に高等裁判所がいて、さらに最高裁判所と不良企業の不良経営者を守るための機関が二重三重に張りめぐらされている。
しかし、労働基準法違反は決して「精神規定」ではなく罰則規定も設けられている。
前から疑問に思っていたのは、刑法では実体規定と罰則規定が同じ条文に書かれているのに対して、労働基準法や建築基準法は実体規定と罰則規定が別の条文に書かれているのだが、この理由はなぜなのだろうか? 長く疑問に思ってきた。この書き方だと、実体規定だけ見た人には罰則はないと誤解してしまう人もいるのではないだろうか。
この点について、どこだったか、ある労働基準監督署の総合労働相談員の人は「罰則規定があるといっても、あんなもの、付録でついているようなものですよ」などと言ったのだが、労基署の職員がそんなこと言ってはいかんだろうが! と思ったが、そんな認識の人もいる。
ある程度まともな考え方としてだが、刑法の規定は国民誰もに適用されるものであるのに対して、労働基準法は実体規定の方は使用者と労働者・従業員との両方に適用されるもの、使用者だけが守ればいいというものではなく、労働基準法の実体規定を守らないといけないのは使用者と労働者・従業員の両方であるのに対して、罰則規定が適用されるのは使用者に対してだけであるので、それで実体規定と罰則規定は分けて記載されているのではないか、という見方だ。そうであるから実体規定と罰則規定が別の条文に書かれているのかどうかはわからないが、ここではっきりとしているのは、
労働基準法の実体規定について守らないといけないのは使用者だけではなく、従業員・労働者もまた、国民全体が守らないといけないものであり、罰則規定については適用される対象は使用者であって労働者・従業員は適用される罰則はないが、だからと言って守らないといけないのは使用者だけで労働者・従業員は守らなくて良いというものではない、ということだ。
だから、小堀住研(株)の千葉支店において渡邊士直が次から次へと労基法違反を繰り返したことについて、罰則規定が適用されるのは実行者である渡邊士直と会社の代表者である代表取締役の中島昭午であり、千葉支店業務課長の江間・越智や東部営業本部長の増田和二も責任がないとは言えないはずだが、労基法上の罰則規定により処罰されるのは実行者の渡邊と会社の代表者の中島になる可能性が大きいのではないかと思われるが、しかし、労働者・従業員は被害者という面もあるが、同時にそれを許したということであるならば、加害者の側面もまたあると考えざるをえない。当然のことながら、ある程度以上の大学卒の者は責任を問われるが高卒の人間は「高卒だから」などという口実で免責されるなどという虫のいい話は通じない。
労働者・従業員にとって労働時間というものは、これは賃金とともに大変重要な問題だ。労働基準法において労働時間制限が設けられ、又、時間外労働について時間外賃金を払わないといけないと規定し、深夜労働について深夜割増で賃金を払わないといけないと規定しているのは、それは労働契約において定められた労働時間についての対価としての賃金しか払わないのに、それ以外の時間に働かせてよいものではないので、それ以外の時間に働かせたならば、それに対しての賃金を払わないといけないという意味があるが、それだけではなく、無暗に時間外に働かせたことにより、無制限に時間外に働かせることにより労働者・従業員が健康を害することがないよういという意味がある。
私などが支店長になったならば、まず、支店長というのはその支店の従業員が働きやすい環境を確保するのが支店長の役割であり、それができないなら、それをやらないなら、ましてや、それに逆行することをするならば、それでは支店長の役割を果たしていないことになる、と考える。それに対して、「底辺の高校卒」の渡邊士直さんの場合はそうは考えたなかった。渡邊士直さんは千葉支店から歩いて10分以内というような場所に住み、柏展示場や松戸展示場に行く時には、とりあえず、自宅から至近の場所にある千葉支店に出勤して「出勤した」という実績をそれによって作り、その上で勤務時間内に移動して柏展示場や松戸展示場に行くということをおこなっていた。それに対して、柏展示場や松戸展示場の従業員には、営業社員の始業時刻の午前10時00分よりも1時間早い午前9時00分より前に、普段の勤務場所よりも1時間半は多く通勤時間がかかったと思われる場所に出勤するように要求した。大変、ズルイやり口であるし、そもそも、これは従業員を困らせてやろうとしてやっていたものであり、従業員が働きやすい環境を整えるのが支店長の役割であるとするならば、その逆をおこなっていたことになる。
私が支店長に就任したならば、まず、営業会議は5カ所の展示場の一番南東の展示場のさらに東側にある不便な場所の千葉支店でおこなうのではなく、5展示場の中央付近で会場を借りておこなうようにする。又、毎週おこなう必要があるとは思えないので、月に2回で十分である。月に一度くらいは千葉支店の従業員と各展示場の従業員が会う機会があった方がいいと考えるならば、それならば、展示場勤務の営業社員の始業時刻よりも1時間早い時刻に「朝礼」をおこなうのではなく、その場合は、たとえば午後1時から千葉支店でおこなうとか、そうするならば各展示場勤務の営業社員にも負担は重くなく、営業社員は設計・工事・工務の従業員に用事がある場合もあるから、午後1時からの「朝礼」でも「昼礼」でも月に一度おこなうようにすれば、その時に設計・工事・工務の従業員への用事をおこなうようにするということもできる。
それを、渡邊士直があえて各展示場の営業社員が困るようなことをおこなうようにしたというのは、それは性格の悪さというものもあるだろうけれども、その前に、やっぱり「底辺の高校卒の人」には支店長は実際問題として無理だと考えるしかないと思われた。
それで、だ。千葉支店長になぜかならせてもらった渡邊士直が千葉支店に赴任するなり女性社員の尻を撫でまわした、という事実を私が「本社に言った」ということから、渡邊士直の顔をつぶした、「支店長が迷惑した」と人事部長の高田が言いだしたらしい。高田、おまえ、頭、確かか? 性犯罪者に加担するのが人事部長の役割ではないはずだ。
しかし、実際問題として、私は特に勇敢なことをしたわけではない。人事部より新卒新入社員に「入社して半年ほど経ちますが、職場において何か困っていることはありませんか」というアンケートが来たので、そこに、千葉支店長の渡邊士直氏が女性社員の尻を撫でまわして「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは大変いいことだねえ」などと発言した、こういうことは従業員の間のモラールを低下させることでもあり、会社としてなんとかしてもらえないでしょうか・・と書いたというだけのことだ。書かれて困るのならば、「入社して半年ほど経ちますが、職場において何か困っていることはありませんか」というアンケートなんて書かさなければ良かったのだ。
さらに、けしからんのは太陽神戸銀行である。太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来て、実力もないのに「次長」にならせてもらっていた前野和彦(男。当時、40代後半くらい? 当時、東京都杉並区在住)が、千葉支店において痴漢行為を働く不良社員の渡邊士直を会社として何らかの対処をしないといけないと考えた・・ということならわかるが、あろうことか、そうではなくて、私が渡邊士直の痴漢行為について指摘した、これはけしからんとして調査した上で私の方に制裁を加えようと暗躍していたのだ。太陽神戸銀行〔⇒太陽神戸三井銀行⇒さくら銀行⇒三井住友銀行〕は、こういう頭のおかしな行員を他社に出向させて、他社の従業員を困らせるような行為は慎むべきであろう。
前野和彦は私について誹謗中傷をおこなっていたが、どうしようもない人間である。世の中には「アホは純真」とか思っている人がいるが決してそのようなことはない。アホであるとともに根性が腐っている人間というのは存在している。それは決して少なくない。前野和彦はその一人である。
それで、だ。小堀住研(株)には銀行から何人もの人間が出向として来ていて、しかも、そういう連中はどいつもこいつもフランスも、その人が銀行から出向で小堀住研(株)に来たのではなく最初から小堀住研(株)に入社していた場合にどのくらいの役職につけてもらえたかという役職よりもはるかに上の役職に無能のくせにつけてもらっていた。最初から小堀住研(株)に入社した従業員はそれを見て不愉快に思っていた。・・その状態自体、すでに「おまえは、もう死んでいる」状態の会社だったのかもしれないが。〔⇒《YouTube- お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
そんなこと言わなきゃいいじゃないかと言う人があるが、実際のところ、たいしたこと言ってないのだ。それでも言うのが悪いと言う人がいるが、そうか。 福沢諭吉は『学問のすすめ』において「天は人の上に人を作らずと言えり」しかし、現実には差が出ているのは、それは学問があるかどうかによるものであり、学問をやるべきだということを説いているのだが、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)によると、福沢諭吉は『学問のすすめ』において大事なものは学問のあるなしだと言っているが、他方において『文明論之概略』においては大事なものは「武士の精神」だと述べているというのだ。『文明論之概略』は一読はしたのだが、『学問のすすめ』や『福翁自伝』などと違って読みにくい文体であり、一読はしたけれども何が書いてあったか忘れてしまったのだが、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)でそう書かれているのなら、福沢諭吉は『文明論之概略』で大事なのは「武士の精神」だということを述べているのだろう。

福沢諭吉 ―思想と政治との関連― UP選書 - 遠山茂樹
福沢諭吉という人は、結局、学問が大事だと言いたかったのか、武士の精神が大事だと言いたかったのか、その時その時で勝手なこと言っていたのかというと、そうではなくて、どちらも本心だったのではないか。学問が大事だというのは本心であるが、他方において明治維新の後、武士は仕事を失い、商売を初めても「士族の商法」などと言ってうまくいかず、「武士の精神」などというものは無用の長物、百害あって一利なしのように言われたが、そうではない、「武士の精神」というのはこれは価値があるものなのだということを福沢諭吉は言いたかったのではないか。
福沢諭吉が価値があるとした「武士の精神」とは何なのか。
何年か前、宅地建物取引士の更新講習を受講した際のことだが、「権利の変動」「宅地建物取引業法」の分野は講師はいつも弁護士が担当し、「法令上の制限」の分野の担当の講師は一級建築士の人が担当しているが、その「法令上の制限」の分野を担当した一級建築士の人が言われたのが、「私が一級建築士の資格を取得した時に言われたことですが、一級建築士とか『士』とつく国家資格というのは『さむらい』なんだ。『さむらい』というのは誇り高き立場なんだ。それこそ『武士は食わねど』という言葉があるように、法に反するような行為は、たとえ、違反したらもうかるとかいったことがあっても、たとえ、他の人間がやっていたとしても、それでも俺はやらないんだ、『さむらい』である以上は、俺は他の人間がたとえやっても法に反するようなことはやらないんだ、というのが、それが『士(さむらい)』というものなんだ」と、そう言われたのだ。
福沢諭吉が「武士の精神」というのは決して役に立たない無用の長物ではなく、大変価値があるものなんだ、と『文明論之概略』で言ったというのは、そういうことを言っていたのではないのだろうか。
そう考えた時、「俺は会社の女である限り、誰でもいつでも好きな時に好きなだけ、尻を撫でまわしてよいと中島(昭午)社長から許可されとるんじゃ」と渡邊士直は言うのだったが、たとえ、中島昭午が許可したとしても、そもそも、中島昭午にはそのような許可をする権限などもとよりなく、むしろ、逆に会社の代表者 代表取締役として、渡邊士直の性犯罪を取り締まる義務があるはずであるのだが、そういった痴漢行為を働く者やそれを「許可」する痴れ者が会社にいたとしても、俺はそういう者に加担したりはしないんだ、というのがそれが「武士の精神」ではないのか。
慶應大学という大学は「強姦魔の大学」というイメージがあるが、しかし、慶應大学のOBの人と話をすると、そんな人ばかりということはなく、逆に「出世するとかしないとかそういうことは世の常であり、うまくいかない時があってもそれはしかたがない。しかし、人を騙して儲けるとか、立場を悪用して人を苛めるとか、そういったことはこれは他の人間がたとえやっても慶應義塾の出身者はそういうことはやってはいけないんだ」といったことを言われる方もあります。この考え方からするならば、「俺は『女性社員の尻をなでまわす権利』というものを中島社長から俺の人権として認められているんだ」と主張する渡邊士直のような人間、それに加担する増田和二のような痴れ者がいたとしても、それでも俺はそんな人間に加担したりはしないんだ、「慶應義塾の出身者は決してそのような者に加担してはならないんだ」という考え方、それこそが福沢諭吉が言ったという「武士の精神」ではないか。
それで・・・だ。最初に新庄と新庄のお父さんの話を出したが、その逆のお父さんというのも世の中にはいるのだ。どこにいたかというと、我が家にいたのだ。うちの父親は私にこう言ったのだ。
「甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と。
「支店長が女性社員の尻を撫でまわしたならば、それなら、こう言いなさい。『もっと撫でまわされたらどうですかあ』と。『こんな具合で撫でたらどうですかあ』と。そう言いなさい。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と。うちの父親は私にそう言ったのだ( 一一)
これは、一般論として、仮にとしての話だが、職場に自分の婚約者などがいたとして、社長の中島昭午から「会社の女である限り、誰でもいつでも好きな時に好きなだけ尻をなでまわしてよい」と「認められている」という男がいた、として、そういう時には、「もっと撫でまわされたらどうですかあ」「こんな具合で撫でたらどうですかあ」と言うべきなのか?
あなたは、そういうことを言う男をどう思うか? 「そんなこと言うわけにはいかない」という人間というのは、うちの父親が言うように「甘ったれとるからじゃ」ということになるのか?
そうではあるまい。そうではなく、「自ら虫けらとなる者は、後で踏みつけられても文句は言えない」という、イェーリング『Recht(権利=法)のための闘争』で引用しているカントの言葉、この言葉こそ、ここで認識しなければならないものではないか。

権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
それこそ、「ハンマーパンチの嵐」を撃ち込んだ上で、植木の剪定ハサミでち〇ぽ切断して水洗トイレに流してやる! とでもやる方が「もっと撫でまわされたらどうですかあ」「こんな具合で撫でたらどうですかあ」などと言う人間・言えと言う人間よりも精神的にまともではないか。〔⇒《YouTube-力石 徹のテーマ / ヒデ夕木》https://www.youtube.com/watch?v=6oW094h_Xhs 〕
私と同じ小学校・中学校・高校と行った男で「野口くん」という、「こいつ嫌なやつやなあ」「こいつ、本当に嫌なやつやなあ」という男がいたのだが、うちの親は私が嫌いでその「野口くん」が大好きだった。
うちの父親は言うのだった。「わしはおまえは産まれていらんかってん。わしは『野口くん』が産まれてほしかってん」と。だから、私もうちの父親に言ったのだった。「私も『野口くん』が産まれてほしかってん。あなたの息子には『野口くん』が似合ってると思いますねん。私はあなたの息子には産まれたくなかったんです。あなたの息子には『野口くん』が産まれてほしかってん」と。
そうすると、うちの父親は言うのだった。「無茶苦茶言うな! このわしいほど魅力たっぷりなお父さんがあるもんか。わしほどエライえらいエライえらい人間はおらんねんぞ、このチャンコロろすけイタコ! わしのような魅力たっぷりのお父さんの息子には誰もが産まれたいと思うもんや。おまえも思っていないはずがない」と言うのだ。それで私は言ったのだ。「私は思っていませんから、誰かその『魅力たっぷりのお父さん』と思っている人のお父さんになってあげてください。私はけっこうですから。あなたは私が嫌い。私もあなたがいや。お互いに相手がいやなのですから、別れましょうよ。どうか、別れていただけませんか」と。
そうすると、うちの父親は言うのだった。「そうはいくかい、このチャンコロろすけイタコ浪商ニグロ拓殖プエルトリコ!」と。「しかし、あなたは私がいや。私もあなたがいや。あなたは『野口くん』が好き。私は『野口くん』の親なんて別にいいとは思いませんけれども、あなたの息子に産まれるのなら産まれてこなかった方が良かったのです。産まれてくるのなら、あなた以外の人の息子に産まれたかったのです。お互いに相手がいやなのですから、どうか、別れていただけませんか」と、私はそう言ったのだ。
ところが、うちの父親は「そうはいくかい、チャンコロろすけ! おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたために、わしはおまえを育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ、このチャンコロろすけイタコめが、このチャンコロ! そやからやなあ、これから、おまえにはセエッセせっせ、セエッセせっせと死ぬまで働いて、そのカネをまどてもらわんといかんのじゃ、このチャンコロめが。産まれてこなかったら良かったのに産まれてきおってからに、このチャンコロろすけイタコ浪商!!!」と。そう言って、「産まれてこなかったら良かったのに、産まれてこなかったらよかったのに、産まれてこなかったら良かったのに」と、私の眼を指で突き刺すようにして何度も何度も叫ぶのだった。自称「魅力たっぷり、魅力たっぷりのお父さん」という男が。
旧ソ連の詩人で音楽家のブラト=オクジャワは父親はグルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)人で母親はアルメニア人だった。父親は第二次世界大戦中、独ソ戦(「大祖国戦争」)のさなか、グルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソビエト連邦からの離脱・独立の運動をおこない、そして、「人民の敵」として銃殺された。母親は刑務所に入れられ、刑務所から出てきた時には「お母さん」が「お婆さん」になっていた。それでも、ブラト=オクジャワはスターリンを信じていたが、そのうち、オクジャワはスターリンを批判したわけでも何でもないのに上演禁止をスターリンの政権から言い渡される。 ブラト=オクジャワの歌に「紙の兵隊」という歌がある。
ひとりの兵隊が住んでいました。美しく勇ましい紙の兵隊が。
あなたの為なら死んでもいいと、二度でも三度でも死んでみせると。
この世を正しくしたいと思って、彼は進んだ、炎に向って。
すっかり忘れていた、自分が紙だと。
彼は焼かれた、紙の兵隊。
あとには灰さえ、残りはしなかった。
・・この「紙の兵隊」の歌は、第二次世界大戦中、独ソ戦のさなか、グルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソ連からの離脱・独立の運動をおこなって「人民の敵」として銃殺されたオクジャワの父親のことを思って歌われた詩らしい。
※ 《YouTube-Paper Soldier(紙の兵隊) - Bulat Okudzhava(ブラト=オクジャワ)》https://www.youtube.com/watch?v=cUO-quXA9Ts

紙の兵隊 - ブラート・オクジャワ
1970年代後半、大阪府高槻市 のYMCA予備校高槻校 に「主事」というよくわからない役職でいた藤井という男は実に卑怯な男だった。たとえば、この男は「前にいた女生徒で、模擬試験とかでは大変いい成績をとっていたのだけれども、文学的素養がなくて人間性に問題がある人間だったから、模擬試験ではいい成績を取っていても京大の文学部の試験には2年浪人しても落ちて二期校の宮崎医大に行ったんだ。京大の文学部はたとえ模擬試験でいい成績を取っても、文学的素養がなくて人間性に問題がある者は落ちるようにできてるんだ」などと何人もの前で何度も言うとともに、私にも個人的に言うのだった。
その女性とは会ったことがないので、実際にどういう人かは知らないが、「文学的素養がない」だの「人間的に問題があるから」だのと、関係ない人間にまで言う必要はないではないか。なぜ、そんなことを言わなければならないんだ。そう思わないか。
何よりも、京大の入試というのは総合点主義であり、もしも、本当に「文学的素養がない」から「国語」の成績が悪かったとしても、他の科目で高得点を取れば合格することはある。京大の数学科の教授だった森 毅が『数学受験術指南』だったか『元気が出る教育の話』(いずれも中公新書)だったか、どちらかで述べていたが、現実に1科目0点で合格した受験生がこれまでにいたらしい。又、森 毅が述べていたが、文学部なのに数学が相当できるという受験生がいるが、文学部に数学なんてあんまり関係ないから数学ができてもしかたがないではないかと言う人がいるが、そう考えなくても、むしろ、文学部なんて所は多少変わったやつの方が向いているところがある学部だから、文学部なのに数学ができるというやつというのは、大いに合格にするべきだという考え方もある、と。だから、もしも、本当に「文学的素養がない」人で「国語」の成績が悪かったとしても、それでも京大の文学部に合格できる可能性はあるはずなのだ。
北野高校の同じ学年の人間で現役で京大の文学部に合格した人間が何人かいたが、それらの者が誰もが人間性が悪かったとまでは言わないが、彼らが人間性が優れていたから合格したのかというと、そういう問題ではないと思うのだ。又、京大の文学部に通った人間が誰もが「文学的素養」があったのかというと、そうでもないのではないように思ったが、私がこの人は「文学的素養がない」と思ったとしても当人は「文学的素養がある」と思っていたかもしれない。その前に、そもそも「文学的素養」ていったい何ですか? 文学作品などをよく読む人間とそうではない人間という違いというのはあるかもしれないが、藤井の場合は、ともかく自分が気に入らない人間には「文学的素養がない」とか「人間性に問題がある」とか言いまくるのであり、むしろ、藤井の方こそ「人間性に問題がある」ように思えた。
又、もしも、藤井が言うように「京大の文学部は文学的素養がない人間とか、人間性に問題がある人間は合格できないような問題が出る」のであれば、YMCA予備校でも模擬試験に「文学的素養がない人間とか、人間性に問題がある人間」は高得点を取れないような問題を出すべきで、「文学的素養がある人間」・「人間性に問題がない人間」が高得点を取れる問題を出題するべきであり、それを出題できていなかったから、その「文学的素養がない」「人間性に問題がある」という女性がYMCA予備校の模擬試験では高得点を取れたということならば、それならば、YMCA予備校の模擬試験というものは京大の入試問題には相関性がない、ということになるはずだ。私は藤井にそれを言ったのだ。「YMCA予備校の模擬試験と京大の本番の入試との間に相関関係が強くあって、YMCA予備校の模擬試験ではいい成績を取れていたのならば、京大の本番の入試で良い成績を取れなかったとしても、それは文学的素養がどうとか、人間性がどうとかいうことではないのではありませんか。もしも、京大の本番の入試では文学的素養がない人とか、人間性に問題がある人とかは良い成績を取れないが、YMCA予備校の模擬試験では良い成績を取れるということならば、それならYMCA予備校の模擬試験は京大の入試には相関性が強くない、ということでしょう」とそう話したのだ。
ところが、藤井は「いいや、そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験は京大の入試に絶対的な相関性がある」と言うのだ。それで私は「文学的素養がない人・人間性に問題がある人なら高得点を取れないという京大の文学部の試験とYMCA予備校の模擬試験とが相関関係が大きくて、そのYMCA予備校の模擬試験で高得点を取ることができていたのであれば、その人が京大の文学部を落ちたというのは『文学的素養がないから』とか『人間性に問題があるから』とかいうことではないのではありませんか」と言ったのだ。そうすると、この藤井という男は何と言ったかというと、「きみも文学的素養がなくて人間性に問題があるから文学部は受けても絶対に落ちるから文学部は受けてはいかん」と、そう言ったのだ。さらに「きみのような上司に逆らう人間は会社員としてはやっていけないから、経済学部は絶対に受けてはいかん」と、藤井はそう言ったのだ。そもそも、YMCA予備校の事務職員というのは受講生の「上司」ではないのだ。YMCA予備校の事務職員が受講生にカネ払って受講生を雇っているのではなく、受講生の側がYMCA予備校にカネを払っているのであり、YMCA予備校の藤井のような事務職員は受講生が払ったカネから給料をもらっているはずなのだ。私は、この点について頭の中・心の中では思ったが口に出しては言わなかったが、口に出して言った人がいたようで、その後、藤井はYMCA予備校高槻校 京大東大文系クラスのK-1クラスにおいて、全員を前にして「俺らはあくまでもきみらの親からカネをもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんだからな。だから、俺らはきみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんだからな。心得違いを起こすなよ」とそう言ったのだ。心得違いを起こしているのはどちらだろうか。たとえ、予備校に支払うカネを親が出していたとしても、親は息子・娘のために役立ってもらおうと思って払っているのであり、「きみらのために働く筋合いはまったくないんだからな」などと言うのであれば、そんな予備校・そんな予備校職員には何の価値もないということになるではないか。
私はうちの親に「あの藤井という男は自分自身が京大や東大を受けた経験もない人間で大学入試について何もわかっていない男で、デマカセ・デタラメばっかり言いまくってしかたがない人間だから、どうか、あの男は相手にしないようにしてほしい」と言ったのだが、ところが私がきっちりと言ってもそれでも、うちの父親は「専門家やがな、専門家。専門家です、専門家」などと言い、私が「あんなやつ、専門家とは違います」ときっちりと言っても絶対に理解しなかった。〔あの男の「専門家」崇拝・「専門家」信仰、実際にその問題について詳しいわけでもない人間を「専門家」と崇拝・信仰する習癖はどうしようもない( 一一) 〕うちの母親は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」などと言い、私が「あんなクリスチャンない」と言っても、それでも「あの人はクリスチャンはクリスチャンでも、YMCAで主事をやっているくらいだから並みのクリスチャンではない。相当にえらいクリスチャンのはずや」と、「『聖書』みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん! 『聖書』みたいなもん、読んではいかん。『聖書』みたいなもん、読まんでも洗礼うけて献金はらって日曜ごとに教会に行って礼拝に出ておけばそれでええねん!」と毎日のように「伝道」しまくっている男のことを言っていた。1浪の時の私にとってはYMCA予備校高槻校のこの藤井という男と関わらなかったことが相当マイナスになったのは間違いない。その後、たいして経たないうちに、大阪に駿台・代ゼミ・河合塾が進出してくるとYMCA予備校はあっという間に淘汰されて、かつては大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校と横浜市に関内(かんない)と菊名の2校があったのが、すべてなくなった。良心的でない運営をしていた予備校が淘汰されたのは当然のことであろう。
それで、だ。こういう時に、私はどうも昔から正直で、思ったことをそのまま言ってしまうところがあった。それに対して、うちの親が大好きだった「野口くん」てやつは、「野口くん」の母親が「うちの子は大人ですわあ」とか言いまくっていたように、そういう時に、うまく立ち回るのだ。今から考えてみると、あの男は小学生の時からそんなところがあった。「野口くん」はそういう時にうまく立ち回り、そして、藤井から「野口はしっかりしている」とか言って称賛してもらっていたのだ。「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と述べていたが、私もそう思う。又、毛沢東は「敵によって反対されなら、それはは良いことであって悪いことではない」と述べている。「敵によって称賛されるならば、我々の行動が敵と同様に腐敗していることを意味し、敵によって反対されるなら、我々の行動が敵とは一線を画していることを意味しているからだ。だから、敵によって反対されるなら、それは大変けっこうだと言うべきである」と述べている。だから、藤井からありとあらゆる悪口雑言を浴びせられるならば、それは「大変けっこうだ」と言うべきであり、藤井から「◇◇はしっかりしている」などと称賛されるならば、それは藤井と同様に腐敗している可能性が考えられる。実際、「野口くん」は藤井と似た部分があったと思われる。
「野口くん」はブラト=オクジャワの父親のように「紙の兵隊」のごとく炎に向って突き進んで焼かれる、などということはしない。なにしろ、「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」と母親が言うように、そういう人間だったのだから。新庄のようにプロ野球の球団への入団が決まっていたにもかかわらず、これはひどいと義侠心に駆られて教師に殴りかかるなどということもしないだろう。そのあたりが「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」というものだったようだ。
・・しかし、そういうのは、自慢するべきものなのだろうか。
実際、「野口くん」はぺったんこの顔をしているから「ひっかかる」ことも少ないであろうし、少なくとも私なんかよりはずっと出世して、私なんかよりはずっと給料も多く得たであろうから、少なくとも私なんかよりもずっと女性にとっては結婚するにはいいかもしれない男だったであろう・・と思う。先に言っとく。 しかし、やっぱり、自慢するものではないのではないか。
ところで、新庄のお父さんは「つよし。おまえは間違ってない。プロの野球選手になれなくてもいい」と言ってくれたらしい。「もっと撫でまわされたらどうですかあ」「こんな具合に撫でたらどうですかあ」などとは言わなかったらしい。どちらが「いいお父さん」だろうか。どちらが「魅力たっぷりのお父さん」だろうか。
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」とおっしゃるのだった。旧姓作野礼子さんにとってはそうなのだろう。たしかに、旧姓作野礼子さんもまた、義侠心にかられてプロ入りが決まってるのも忘れて教師に殴りかかったり、独ソ戦のさなかにグルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソ連からの離脱・独立運動をおこなって銃殺されるとか、そういうことはやらないと思われる方の人間だ。「みんなの為に戦う」とかいったタイプではないのは間違いない。だから、その点で旧姓作野礼子さんもまた「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」という人間だったのかもしれない。
・・・オクジャワの「紙の兵隊」とか、あるいはアーラ=プガチョーワが歌った「百万本のバラ」とか、そういう歌は旧姓作野礼子さんには何の関係もない歌であろう。・・ふと思ったのだが、あの女は、なんで「国語」の教諭をやっているのだろう。「紙の兵隊」とか「百万本のバラ」とかに感動する心を持たない人間がわざわざ文学を扱う仕事につかなくてもよかったのではないのか・・と思うのだが。
※ 《YouTube-百万本のバラ / アーラ・プガチョワ》https://www.youtube.com/watch?v=dPZdC792zo0
1970年代後半、私が「あの藤井という男は受験について何もわかっていない男であり、勝手なことばっかり言っているだけの人間だから、あんなやつの言うことはきかないで」と何度言っても、「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」などと言っていたうちの母親は、百歳近い年齢になった今、マインドコントロールが解けたのか、藤井が「前にいた女生徒で、模擬試験とかでは大変いい成績をとっていたのだけれども、文学的素養がなくて人間性に問題がある人間だったから、模擬試験ではいい成績を取っていても京大の文学部の試験には2年浪人しても落ちて二期校の宮崎医大に行ったんだ。京大の文学部はたとえ模擬試験でいい成績を取っても、文学的素養がなくて人間性に問題がある者は落ちるようにできてるんだ」などと、その後の受講生に何度も何度も言いまくっていたことを話すと、「かわいそうに。なんで、そんなこと言わなければいけないの」と言うようになった。私もそう思う。その人が実際にどういう人であったかにかかわらず、藤井がそのようなことをその後の受講生に言いまくるのは不適切である。予備校には次の年、その次の年、その人と同じ高校の出身者が入ってくることがある。「あの人のことを言っているのか」と思う受講生が出てくる可能性もある。藤井がそのようなことを言いまわる権利がなにゆえあるのか? 藤井は「ぼくらはクリスチャンだから」と何度も言っていたが、そういうのを「クリスチャン」と言うのか? 『聖書』にはそのような行為をせよと書かれているのか? イエスはそのような行為をおこなえと言っているか?
新庄のお父さんは、新庄が義侠心にかられて教師に殴りかかり、「しまったあ」と思った時、「つよし。おまえは間違ってない。プロ野球の選手になれなくてもいい。帰ってこい。おまえは間違ってない」と言ってくれたというが、その逆の父親とどちらがいい父親か。
〔 そういうことは絶対にしない息子というのを「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」と自慢しまくって叫びまくる母親というのは、いいか悪いか知らんが「そんな人」なのだろうけれども。〕
・・それは「人それぞれ」なのかもしれないが、「『こんな感じで撫でたらどうですかあ』と言いなさい」と言う父親というのは、それがうちの父親だったが、私が父親の立場になら、そんなことは言いたくない・・と思うし、私なら言わない・言えないと思う。
(2022.11.2.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。 〔今回〕
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
父親というものはいると常にいいのか? そうなの? そのあたりについて、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」と自分で言うだけあって、まったくわかっていない人間だったようだ。
遠山啓『教育問答 かけがえのないこの自分』(太郎次郎社)では、遠山啓は、父親とは家族の中で最も世間知がある人間である、父親とは息子を外敵から守ってくれる存在である、などと書いているが、よく言うわ・・て感じがする。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕
遠山啓は「両親が離婚した」わけではなく、遠山啓が産まれた時点では父親は生きていたが、遠山啓が5歳になる時まで父親は朝鮮にいて、母親とのみ一緒に暮らしてきたそうで、5歳の時に父親が朝鮮から帰ってくるというので楽しみにしていたら、その途中だったか帰る直前だったかに病死してしまったらしく、そのため、「両親が離婚した」わけではなく、産まれてから5歳までは「父親がいなかった」わけではないが父親と一度も会うことはなかったらしい。だから、本人が「父なし子」と言っているように父親がない子供として育ったらしく、父親がある子供なら父親から世間知というものを学ぶことができるが、父親がない息子は父親から世間知というものを学ぶことができないから、自分自身で人生を生きるにおいて何度も痛い目にあって学んで世間知を身につけるしかない、といったことを述べている。しかし、遠山啓は父親がない息子だっただけに、父親というものを相当いいものと思い込んでいるフシがある。私だって、よそのお父さんを見て、いいお父さんだなあと思ったことがあるが、よそのお父さんがいいお父さんであっても、それはよそのお父さんであってうちの父親とは違うのだから、しかたがない。それを、私ならよそのお父さんを見て「(うちの父親とは違って)いいお父さんだなあ」と思ったような父親を、父親がない子供だった遠山啓はそういういいお父さんを「父親というもの」と定義づけしてしまっているように思える。父親というものは、遠山啓が考えているような父親ばかりではない。そもそも、すべての父親が「世間知」というものを持っているというものでもないし、外敵から守ってくれる父親というのも世の中にはいるのかもしれないが、そうではなく、外敵を引っ張り込んでくる父親というものもいる。
うちの父親は世間知なんてない男だった。時々、よその人間から知恵をつけられることがあったようだが、そうやって知恵をつけられると、その知恵というのか浅はかな小細工というのかは、私や家族に向けて使用した。又、いざという時には逃げる男だった。よその父親にしても、父親がない子供だった遠山啓が「父親というもの」と頭で想像・創造した父親像から考えると父親という条件を満たしていない父親はいるのではないかと思う。
父親が世間知がないなら、せめて、母親に世間知があったら・・なんて思ったこともあったが、世間知がない男の嫁に世間知なんてあるわけなかった。私は高校生くらいの時には結婚は早めにしたいと思っていたが、自分が30を過ぎた頃から、そうではなく、男は20代前半で結婚してはいかんのではないか、と思ったりするようになった。
ジャン=ジャック=ルソーが『エミール』で述べている教育論として、学校教育のあり方として「自分は自分で守らないと誰も守ってなんかくれないぞ」ということを教えることができれば、その教育は正しい教育だといったことを述べている・・らしい。「らしい」というのは、この『エミール』という本は岩波文庫で上中下3冊になっていて相当の分量があり、また、前から読みだしてもあんまり面白くもない本であり、私も読みだして最初の何ページかで挫折してしまったのだ。慶應大学の「近代思想史」という講義で教授がルソーが『エミール』でこういうことを述べていると話されたので、大学の教授がそう言われるのならそうなのだろうと思ったということで、別に嘘を言われたわけでもないだろうから、ルソーはそんなことを言っているのだろう・・と思う。しかし、それは間違いではないのだろうけれども、しかし、「自分は自分で守らないと誰も守ってなんかくれないぞ」というのは、それは学校で学んだり、書物を読んで学んだりするものではなく、自分自身で人生を生きて、その過程で学ぶものではないかと思うのだ。たとえば、『新約聖書』の「福音書」に「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。おそらく、彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろうから」というイエスの言葉が載っているのだが、私はこれを読んだ時、そうかなあと頭で思った、理屈でそうかなあと思ったのだが、その後、会社という所に勤めて、実際に自分が親切のつもりで「聖なるもの」をイヌにくれてやって、「真珠」をブタにやって、その結果として実際に「向き直って噛みついて」こられたことがあり、まさしく、おのれの体で実感した。だから、そういうものは本で読んだりするのが悪いということではないが、実際に人生を生きて実感して身に着ける認識というものがあると思うのだ。
特に、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを足で踏みつけにした上で、向き直ってあなたがたに噛みついてくるであろうから」という『新約聖書』「福音書」の中のイエスの言葉を実感として認識させてくれた会社だった・・・が、だからと言って「ありがとう」と礼を言うような性質のものではないのは当然のことである。
それで、人間は人生を生きるにおいて経験した試練を乗り越えて世間に対する認識というものを身に着けていくと思うのだが、独身の間に身に着けるものと結婚して夫婦となってから夫婦で共に経験して身につけるものとは性質が違うように思うのだ。それを、女性は20歳から20代前半の前半くらいで結婚しても、20代後半の後半から30代前半くらいの男性と結婚すれば、男性が独身の間に身に着けた認識を結婚した男性から学んで身に着けるということができるが、男性は20代前半で結婚してしまうと独身の間に身に着けるべきものを身につけない間に結婚してしまい、男性はそういうものを結婚した女性から学ぶということはできないので、一生、結婚してから身につけるものは身に着けることができても、独身の間に身に着けるものというのは身につけることなく人生を送ることになってしまうことが多いように思えるのだ。内田康夫の浅見光彦シリーズの浅見光彦は最初に『後鳥羽伝説殺人事件』で登場した時、32歳で、その翌年に33歳になってから何十年間、33歳を続け、『遺譜 浅見光彦最後の事件』で34歳の誕生日を迎えたと思ったら、その直後に作者の内田康夫が他界してしまったが、内田康夫はこの33歳というのが「青年として生きることができる最高年齢」であり、34歳からは青年としては通じない、大人として生きるしかない年齢だと言う。なぜ、内田康夫は浅見光彦を「青年として生きることができる最高年齢」だという33歳に設定したのかというと、浅見光彦の外見のモデルが廣済堂出版社の編集部にいたなんとかさんで、その人をモデルにしたからということもあるとしても、殺人事件における人間関係、人間の恨みや利害というものを考え、人間の行動を考察するには、そして、警察のいやらしさというものとも対処するには、やはり、20代前半では無理で30歳を過ぎたというくらいの年齢である必要があり、同時に「ほとんど寅さん」やるにはそれ以上の年齢では具合が悪いということもあったのだろう。浅見光彦が32歳から33歳だったというのは、独身でその年齢まで生きた者だから身に着けたというものがあったということだと思うのだ。それに対して、男性が20代前半で結婚してしまうと、結婚してから夫婦で人生を生きて見につけるというものは見についたとしても独身の間に身に着けるものが身についていないままに人生を生きてしまうことになる場合が決して少なくないように思える。但し、だから、30代前半で結婚するようにした方がいいと言っていると、30代前半になると30代後半にすぐなるし、30代後半になると40代前半にもすぐなってしまうしするので、それを考えると30代前半ではなく20代後半くらいで結婚した方がいいのかもしれない・・が、そんなこと言っても理想的に何でもいくわけではないとしても、30前後まで独身で生きた者なら身に着けるものが20代前半で結婚した男性には身についていないという場合は現実にあると思う。

後鳥羽伝説殺人事件 「浅見光彦」シリーズ (角川文庫) - 内田 康夫
又、成功した人間と失敗した人間と成功した人間の方がそういったものを身に着けているとは限らない。野村じいさんも「『失敗』と書いて『成長』と読む」「人間は成功からは学ばんもんなんや」と言うておったし、『築地魚河岸三代目』という漫画で鮭(さけ)と鱒(ます)の違いが述べられていたが、鮭と鱒の違いについては説は1つだけではないらしいが、『築地魚河岸三代目』で述べられていたのは、もともとは鮭と鱒は同じ魚らしいが、川で産卵すると最初は一緒に過ごしているのだが、そのうち、生存競争が始まり、強い者が弱い者を追いやって、負けたものは川を下って海に行く、勝った者はそのまま川に留まる。川にそのままとどまって川で生きた者が鱒(ます)らしい。それに対して、生存競争に負けて産まれた川から追い出された者は海に出るが、海に出るとエサも多いが外敵も多い。海に下って生きた者が鮭(さけ)らしい。その外敵が多い海で生き残った者は、産卵する時には産まれた川を遡って上流に行って産卵するが、その時になると、かつて争って自分を海に追いやった鱒(ます)の3倍以上の大きさになっている、という。「そもそも、勝ち組・負け組ていったい何ですか」と『築地魚河岸三代目』で赤木旬太郎は言うが、実際、失敗した人間の方がそこから身につけるものがある場合もあるだろう。
うちの親の場合、24と22で結婚していたようで、世間知のない男と結婚したうちの母親は母親自身がまだ22という十分に大人になっていない年齢で結婚して翌年に最初の子供を産んで「おばあさんに苛められた」と本人が言う生活を送ったので、夫が世間知がないとともに自分も世間知なんかないうちに年齢を重ねたようだ。だから、私は父親から世間知を学ぼうと思っても、おっさんはそんなものは持っていなかったし、母親もまた世間知のない男の嫁だから夫から世間知を学ぶこともなかった。そういう親の息子だったから、私はあんまり世間知なんかない方だったが、何度も痛い目に合わされて、その結果として昔よりは少しは賢くなったかもしれない、と思っている。
《C》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その3。
新庄がYouTube で語っていたが、新庄は高校を卒業して阪神タイガースに入団したが、高校を卒業する直前の高校の試験の時、新庄の少し前に座っていた女生徒が試験の用紙の裏に試験時間中に漫画を描いていたらしい。それを教師がとがめて「おまえ、今、何の時間だ。試験時間だろう」と言い、「はい。でも、もう終わりましたから」と言ったところ、その教師が力まかせに女子生徒の頭を殴りつけたらしい。そして、さらに「今、何の時間だ」と言うと、「でも、もう終わりましたから」とまた言うと、またもや、その教師は力まかせにその女生徒の頭を殴りつけたらしい。それを見て新庄は男性の教師が女性の頭を殴りつけるとはけしからんと義憤にかられ、右の拳を握りしめて「おい。次、やったらいくからなあ」と言うと、それを聞くと同時にその教師はまたもやその女生徒の頭を殴りつけ、それを見ると同時に新庄は飛びかかって、その教師を組みしき馬乗りになってボコボコに殴りつけた・・が、しばらくして首ねっこをつかまれて引き離され、ふと見ると野球部の顧問がいて、「おまえ、いったい何てことするんだ。おまえ、プロ入りが決まってたんだぞ」と言い、それを聞いて「しまったあ~あ」と思ったそうだ。
校長は「このままプロ入りさせるわけにはいかない」と言って父親を呼ぶと、父親は「おまえ、いったい何てことするんだ。俺はお前がプロの野球選手になることが俺の夢だったんだぞ」と言ったところ、その女生徒が来て「お父さん、違うんです。新庄くんは私のために・・」と話してくれたらしい。それを聞いて、新庄のお父さんは「つよし。お前は間違ってない。プロ野球選手になれなくてもいい。帰ってこい。お前は間違ってない」と言ってくれたらしい。結局、新庄は阪神タイガースに入団したようだが、その教師は女子生徒を殴りつけた暴力教師と評価されたのか、新庄に殴られた被害者と評価されたのか・・というと、「新庄に殴られた男」というのが「売り」になったみたいな(笑)。新庄のお父さんはそういうお父さんだったらしい。新庄はお父さんが亡くなった時には自分がプロ野球の選手として使ってきたグローブを棺に入れたそうだ。
そういうお父さんも世の中にはいるらしい。しかし、そうではないお父さんもいるのだ。
慶應大学の商学部で「社会科学概論」という講義の時に教授が話されたことですが、その教授のゼミの卒業生がある会社に勤めたところ、会社の上役のやり方があまりにもおかしい、許せないと憤慨していたそうで、その話を聞いて教授は、その人の言うことはいかにももっともなことであり、決しておかしなことを言っているのではなかったけれども、しかし、「あなた、入社したばかりであなたが言ったら、飛ばされてしまうよ」と言ったというのです。「そうじゃなくて、しばらく我慢して、会社の中で実力をつけて、それから言うようにした方がいいと思いますよ」とそう話したというのです。それに対して、その教授のゼミの卒業生で名前を言えば日本で誰も知らない人はない会社で入社して数年のうちにその地域のその会社の契約はほとんどすべてその人が扱うようになったという人がいたそうで、そうなると、もうほとんど怖い者なしのようなもので、組合の役員やって組合の事務所で机の上に足のせて赤旗よんだりしているが、それでも誰も文句は言わない。社内学歴制度というものがあって、試験を受けることで昇進することができるようになっていたが、その人はその試験を受けないものだから、頼むから試験を受けてくれと上役の方から頼んできたという。そうなったら、会社に意見を言うことだってできるし飛ばされることもないから、最初、理不尽だと思うことがあっても、筋が通ることであってもうかつに行って飛ばされたのではばかくさいから、そこは我慢して力をつけるようにした方がいいと言ったということだった。なるほど、実力をつけて実績を残してから言うようにした方がいいということか、なるほどなるほど・・という気がするけれども、ところが、実際には「もの言えるだけの実績」というものを残すということはそう簡単ではなかったりするんですよね。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に在籍した後半、「〇〇さん、ちょっと会社に言ってもらえませんか」と言われたことが何度かあったが、「自分で言ってください」と私は言ったのだ。会社に何か言いたいからといってひとに言わそうというのは勝手であり、「自分で言え」というものだ。なんで俺が言わなきゃならんのだ。 しかし、「言ってもらえませんか」というのも、たとえば、入社してすぐの人とか実績をそれほど残せていない人とかが、ある程度以上在籍していて、ある程度以上の実績を残している人間に「言ってもらえませんか」というのはおかしなことではないし、上役に言うのであれば、その営業所である程度以上の年数を在籍していて、ある程度以上の実績を残した人間が言うようにした方がいいでしょうし、自分がその立場である時には言う役がまわってきてもしかたがないでしょう。そういう時に逃げ回るやつというのは卑怯者ですが、(株)一条工務店はそういう卑怯者が大好きという会社でした。卑怯者が好きな経営者の会社でした。
YouTube の田尾チャンネルhttps://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E5%B0%BE%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB で、元中日・西武・阪神の田尾が中日から西武に移籍したのは、中日で選手会長だったことから、選手として球団にお願いしたいことを伝えたところ代表から嫌われて出されてしまったと話していたが、「なんで、あそこまで嫌われなければならなかったのか」と、又、「選手会長なんてやるもんじゃないなあと思った」と田尾は話していたが、それでも、その立場になったら言わなきゃしかたがないじゃないですか。球団は言うべき立場なのに言わずに逃げるようなやつがいいのですか?
慶應大学商学部の「労働経済学」という講座で教授が、労働組合の指導者というのは、なかなか難しい役割で、どこが難しいかというと、ストライキでも「さあ、みんな、頑張って闘おう」と呼びかけて闘う方向にまとめるというのも大変だけれども、それ以上に難しいのは、どこで妥協してやめるかという問題で、特に日本のような企業別組合においては、はてしなくストライキを続けて会社をつぶしてしまったのでは労働者にとっても労働組合にとってもいいことではないわけで、どこかでやめないといけない。しかし、うかつな止め方をすると、「おまえは経営者側のイヌか」ということになりかねない。だから、闘おうと呼びかけること以上に、ここでやめておこうと止めるというのが難しい、というのです。それだけに、そういう難しい役割をこなすことができる人というのは会社側にとっても「欲しい人材」であり、だから、労働組合の役員を務めた人間が次に会社側の役職につくということは「あること」だというのです。
しかし、私は自分が会社に勤めて思ったのですが、革新政党の人は「大企業」が悪いように言うことがあり、中小零細企業を応援するべきだというようなことを言うことがありますが、勤める場合には中小零細企業の経営者というのは「世間相場」も何も考えていない場合が少なくないし、たとえ嫌われることがあったとしても、大企業の方が「幅がある」のに対して、中小零細企業では大企業ならある「幅」がないということがあるように思えます。「話せばわかる」なんて5・15事件の時に犬養毅が言ったというのですが、大企業ならば「話せばわかる」上役だっているかもしれないところが、私が勤めてきたような三流以下企業だと「アホばっかし」であることが少なくありません。三流企業の高卒の経営者というのは「話せばわかる」などではなく、話さなくてもわかって当然のことをかんで含めるように話しても理解しない人が大変多い。これは事実だ。
1980年代後半に戸建住宅建築業の小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)‥⇒(株)ヤマダエスバイエルホーム⇒(株)ヤマダホームズ〕に入社してみると、同社はたしか「大卒しか採らない会社」だったはずなのに、なぜか、高卒の従業員がおり、大学新卒入社の従業員は誰もが怒っていたのですが、その高卒の従業員がえらそうにしているという会社でした。慶應大学に同社が提出していた求人票に掲載されていた同社の応募資格は
「営業系(営業・人事・総務・経理)・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で、普通自動車第1種免許取得者。
技術系(設計・工務・工事・アフターサービス)・・4年制大学の建築学科・土木学科卒の人で、普通自動車第1種免許取得者」
ということでした。入社してみると、たとえば、千葉県松戸営業一課の課長だったUさんは4年制大学の土木学科卒の人でしたが、技術系で入社したが入社後に営業に変わったという人もいたようでした。又、同じ年に入社した人で立命館大学の理工学部建築学科卒だったが「営業系」の方の仕事をやりたいということで「営業系」に応募したら採用されたという人もいました。そういう人は「営業系」の場合の条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」という条件に「準ずる」ということにしたというものでしょう。松戸営業二課の課長だったI井さんは高卒でしたが、中央工学校という専門学校に行って一級建築士の資格を取得したという人でしたので、一級建築士の資格を持っているからということで高卒だけれども採用されたということだったのでしょう。
しかし、「営業系」は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」を採用するけれども、「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」でも適性を見て「営業系」の仕事をやりたい人にはやってもらうことがあるというのはいいでしょうけれども、小堀住研(株)は「大卒しか採らない会社」と何十年も前から言い続けてきた会社であり、「採用実績校」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったか、会社案内にだったか記載していたはずの会社であり、そこに、たとえば東大中退とかいう人を「大卒に準ずる」として採用するとかもありではないかと思いますが、しかし、「底辺の高校卒の人」を採用したのでは、それはまずいのではないか。それをやったなら「応募資格」は「営業系(営業・人事・総務・経理)・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で、普通自動車第1種免許取得者。 技術系(設計・工務・工事・アフターサービス)・・4年制大学の建築学科・土木学科卒の人で、普通自動車第1種免許取得者」としていることの意味がなくなるし、その条件だから応募して入社したという人間に対して、騙したことになります。
実際、私にしても、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で普通自動車第1種免許取得者」という応募条件の会社で「採用実績校」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったかの会社に応募して採用されて入社したはずでした。ところが、1989年、7月に千葉支店に大阪から転勤で支店長として来た渡邊士直(男。当時、40代)は「底辺の高校卒」だった。なんで、この人がここにいるのお???
しかも、私が1990年4月に東京支店に転勤した際、渡邊士直は東京支店の支店長の高倉に「使いにくいやつや」などと言ったというのだが、私は渡邊士直にそのような口をきかれる筋合いはないし、なにより、私は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で普通自動車第1種免許取得者」というコースに応募して入社したのであって、「底辺の高校卒」の人のコースに入社した渡邊士直に使われる筋合いはないのです。私が小堀住研(株)に入社した年も、女性で短大卒の人がいましたが、そういう人は入社後、大卒の男性社員とは異なる扱いを受けていました。ですから、「底辺の高校卒」の渡邊士直さんが「大卒しか採らない会社」に入社したとして、大卒で入社した従業員とは異なる処遇で「底辺の高校卒の人」のコースとして扱われるのであれば、まだいいかもしれませんが、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」と同じ扱いにするわけにはいかないはずです。
人事部 課長の賀満に「私は入社して配属された千葉支店の松戸営業一課の課長のUさんは土木学科卒の人で、次の松戸営業課の課長の石井さんも高校出て一級建築士の資格をとって設計事務所にいたという人で、千葉支店長だった長谷川さんも工事課出身の人でしたけれども、そういう人が悪いということはありませんが私は『法学部・経済学部・商学部卒の人』という『営業系』として入社したので、そういうコースで入社した課長・支店長というものを見たかったのです」と話したことがあったが、そうすると賀満は「だから、営業系の支店長として渡邊さんには期待していたのに失望させられたんだな」などと言ったのだが、渡邊士直さんは「営業系の支店長」ではないはずなのだ。「営業系」というのは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」でその「4年制大学」とは「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」といったそのくらいの大学のはずだったのだ。誰も「底辺の高校卒の痴漢人間」のことを「営業系」などとは言っていないのだ。小堀住研(株)は慶應大学に提出していた求人票に「応募資格」として「営業系・・・4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人、普通自動車第1種免許取得者」と明記していたはずなのだ。「底辺の高校卒の人、痴漢人間の人」とは記載していなかったはずなのだ。賀満は話をすりかえているが、小堀住研(株)では「営業系」とは「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人で、普通自動車第1種免許取得者」を言うはずで「底辺の高校卒」の渡邊士直さんは「営業系」ではないはずだ。話のすり替えはやめるべきだ。
実際のところ、渡邊士直さんには支店長は無理です。又、松戸営業課課長だった石井(男。当時、30代)は「小堀住研(株)は会社が急に大きくなったから、渡邊さんとかは小さい会社の支店長になる人で、〇〇くんとかは大きな会社に勤める人で、小さい会社の支店長になる人ではあっても大きな会社の支店長になるような人ではない人が支店長になっていて、その下に大きな会社に勤めるような人がいるから、そこで問題が出るんだ」と言っていましたが、そうではなくて、小堀住研(株)は渡邊士直が入社するよりずっと前から「大卒しか採らない会社」と言い続けてきたはずであり、それはおかしい。ずっと前から「大卒しか採らない会社」だった小堀住研(株)に、たとえば各地域の一番手校の高校卒で大学に行かなかったという人というのは学力という点では「しょーもない私立大学卒の人」よりも上ですから、そういう人を「大卒に準ずる」という扱いで採用するとか、東大中退の人というのは「バカでも入れる私大卒の人」よりも学力は当然上ですから、そういう人を「大卒に準ずる」という扱いで採用するというのなら、わからないこともありませんが、底辺の高校卒の渡邊士直さんを「大卒しか採らない会社」に採用したというのは、それはその採用はおかしい。
我が家が大阪府北部で小堀住研(株)で在来木造の家を建てた時、すでに「小堀住研(株)は昔から大卒しか採らない会社なんです」と言いまくっていたはずなのだ。その時の担当者は営業担当が関西大学法学部卒で営業課長は神戸大卒だったはずだった。・・但し、世の中には「京都の大学」を京都大学みたいなニュアンスで言う人・「神戸の大学」を神戸大学みたいなニュアンスで言う人というのがけっこうおり、うちの親なんかは信じやすい人間であり、曲がりなりにも会社づとめをしてきた人間なら見抜いてもいいのではないかということを見抜けない人間、世の中には学歴詐称する人なんていっぱいいるという事実を認識できない人間でしたから、その「神戸大でてる」という話というのが本当だったのかどうか、後から考えてみるとよくわからないところもあります。
それにしても、応募条件は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」というコースに文学部卒の人を採用しても、その人が役に立つ人だと判断して採用するなら採用して悪いということはないでしょう。「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」という条件を満たしている人が「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」のコースの方の仕事をしたいということなら、人によってはさせても悪くない人もいるでしょう。但し、小堀住研(株)では「高級住宅の小堀」という会社のイメージを維持するためもあって、うちの会社は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」で営業はやっていますという方針でやっていましたから、東京支店自由が丘営業課で普通自動車第一種免許も取得していないのに営業課長にならせてもらっていた裏口入学みたいな課長の高橋賢一郎のように「バカでも入れる私大の建築学科卒」を自慢にしていて、「バカでも入れる私大の建築学科卒」は社会科学系学部卒より上だと論拠もなく思い込んでいたような人をあまり多く採用してしまうと、会社の方針が崩れてしまう結果になる危険もありますから注意が必要です。
中途採用で同業他社で実績を残した人の場合は高卒の人でも採用していたようですが、大卒の人間でこの職種はやっていきますということにしていた仕事に高卒の人間を採用すると、もしも、大卒と高卒を同じ扱いにするというのならば、当然のことながら、大卒1年目と高卒5年目が同じ扱いのはずなのですが、ところが、小堀住研(株)などは人事部長の高田などは高卒の人間でしたから、高卒の人というのは高卒1年目と大卒1年目を同じ扱いにするのが公平だろうという主張をするようだったのです。そうなると、「大卒で勤めたらあほくさい会社」ということになります。警察官はかつてはキャリアと言われる国家公務員上級試験を受けて入庁する人は大卒でしたが、一般の巡査は高卒だったのが、今では大学というものが多くなって大卒で巡査になる人も多くなったようですが、インターネットで見ると、高卒で巡査になる人・大卒で巡査になる人がいても、巡査部長とかに昇進するには試験を受けてなることになっているが、何年目で受けることができるかは高卒と大卒では扱いが違い、大学4年間行って勤めた人は高校卒で4年間勤めた場合と同等の扱いになるようになっているらしい。ところが、小堀住研(株)の高卒の従業員は高卒で1年目が大卒1年目と同等の扱いを主張していたようで、高卒の人事部長はそちらに加担していたようなのです。そうなると、「大卒しか採らない会社」と言いながら、応募資格は「4年制大学卒の人」と言いながら、実際は「高卒の人の勤め先」になってしまうのです。入社してみて「な~んか、ここの会社、採用実績校として掲載されていたものと実際とずいぶんと開きがあるなあ」と思ったが、大卒でもある程度以上の大学卒で入社した人間はだんだんとあほくさくなってくる会社だったのかもしれません。
もうひとつ、扱いにくいのは「建築専門学校卒」という人で、そもそも、専門学校というのは学歴なのか学歴ではないのか。この「建築専門学校卒」を称する人というのは、本当にズルイと私は何社かで見て思いましたが、どこがズルイかというと、自分を高く評価してほしいと思うと、建築専門学校は大学と同等の評価を受けるのが当然だと主張するのです。それも、建築専門学校は3年制のものと2年制のものがあるのですが、2年制のものなら年限としては短大卒と同じのはずで、かつ、一般的には短大と専門学校なら短大の方が学歴としては上の評価のはずなのですが、ところが、「建築専門学校卒」の人というのは3年制の専門学校卒でも2年制の専門学校卒の人間でも4年制大学卒と同等の扱いを受けて当然だ、「差別はいかんだろう」という主張をするのです。大卒と短大卒では大卒1年目と短大卒3年目が同じ扱いで、3年制建築専門学校卒は4年制大学卒と同等の扱い、2年制建築専門学校卒も2年の短大卒と同等の扱いではなくて4年制大学卒と同等の扱いというのでは、それでは専門学校卒が特権を主張しているみたいなものではないかと思われますが、ところが、「建築専門学校卒」の人というのはそういう主張をするのです。私などは専門学校というのは学歴とは違うと思っていたのです。専門学校を学歴と認めるのなら予備校だって学歴に認められていいのではないのか、予備校を学歴に認めるのなら宅浪だって学歴に認められていいのではないのか。そもそも、わけのわからん専門学校に2年だか3年だか行った人間よりも宅浪して旧帝大系国立大学を目指した人間の方が、その間、よっぽど勉強しているではないか。 それも、建築専門学校では「建築構造学」とかいう名称で建築の構造について学んでいると「専門学校卒」の人は主張するかもしれないけれども、たとえば、「力のモーメント」とかいったものを「建築構造学」という名称で学んだら「建築に役立つものを学んでいる」という評価になって「物理1・物理2」という学科名で「力のモーメント」を学んだら、「そんなものは大学入試以外に何の役に立つものか」とか言うというのは、それこそ不公平だと思うのです。「力のモーメント」に限ったことではなく、桂離宮とか伊勢神宮とかの建築について「建築史」という名目で学んだら「(建築の)学校でてますから」とか建築専門学校卒の人は主張できて、「日本史」で日本文化史として学ぶと建築の学歴はないと評価されるというのは、そちらこそ不公平でしょう。

日本文化史 第2版 (岩波新書) - 家永 三郎
さらに、私は2008年、ポリテクセンター千葉の建築CAD科に半年通って修了しましたが、ポリテクセンターの建築CAD科は「建築の専門学校が2年かけてやるものを半年でやる」という内容のものだったのですが、「建築専門学校卒」の人がズルイのは、本来、学歴というのは中学校・高校・大学・短大・大学院のことを言うのであって、専門学校はそこで学ぶものがあったとしても厳密には学歴ではないはずなのですが、それを学歴だと主張しながら、「建築専門学校卒」の人は他方でポリテクセンター千葉の建築CAD科は学歴と認めてなるものかあという態度を取るのです。ズルイと思いませんか。・・そして、それ以上にズルイのは、これは「建築専門学校卒」の人がほとんど例外なくやることですが、自分を高く評価してほしいと思う時には「建築専門学校卒」を4年制大学卒と同等の扱いにするように要求するのですが、責任を問われる立場になると、「ぼくは高卒だから、わかるわけがない」とか言って、その時になると「建築専門学校卒」ではなく「高卒」だと主張するのです。この二刀流・ダブルスタンダードは本当にズルイと思います。 (株)一条工務店の高卒の所長みたいだなあと思います。(株)一条工務店はある程度以上の役職の人は高卒か中卒ばっかりという会社ですが、高い役職につかせてもらいたいと思う時には「学歴によって人を差別してはいかんだろうがあ」と言うのですが、いったん、所長とかになって責任ある対応を求められると、「そんなこと言っても、ぼくは高卒なんだから、そんなもの、わかるわ~けがない」「ぼくは高卒なんだから、そんなもの、できるわ~けがない」と言ってふんぞり返るのです。そのダブルスタンダードというのか二刀流というのか、本当にズルイと思います。「建築専門学校卒」という人もまたそうなのです。ほとんどの人がその主張をします。自分を高く評価してもらおうとする時には3年制の建築専門学校卒も2年制の建築専門学校卒も4年制大学の建築学科卒と同等の評価にしてもらうのが当然という主張をしますが、責任ある対応を求められると突如、「高卒」に変身します。そういうダブルスタンダードといいうのか二刀流というのかは本当にズルイと思いますが、建築業界においては、そういうズルイ態度を認める経営者が少なくないようで、それでは経営者としての役割を果たしていないじゃないか、となりますが、そういう経営者が実際問題として多い。
もうひとつ、扱いが難しいのは、大学の場合は「4年制大学法学部・経済学部・商学部卒の人」か「4年制大学の建築学科・土木学科卒の人」が応募条件としていても、民間企業の場合は「応募条件」を満たしていない人が応募しても悪いということはなく、それを採用するかしないかの話ですが、医学部卒の人はたいてい医者になるとしても、文学部卒とか指定の学部以外の学部卒の人が応募した場合、指定の学部以外の学部卒の人でも採用すると決めたならば、指定の学部卒の人と同じく大学卒で何年目という評価になりますが、ところが、専門学校の場合、建築の専門学校卒の人間を3年制の専門学校卒の人間を4年制大学卒の人間と同じ扱いにしたとして、同じ年限の建築以外の分野の専門学校卒の人を採用した場合は高卒の扱いにするのか大卒の扱いにするのか、2年や3年の専門学校卒の人間を4年制大学卒と同等の処遇にするのなら、なぜ短大卒は4年制大学卒と同等の評価にしてもらえないのか。そういうことになるのです。だから、「大卒しか採らない会社」もしくは、この職種については大卒の人でやりますということにしてきた会社が「専門学校卒」の人を採用した場合には、どういう扱いにするのか、難しいところがあるのです。
学校という所においては、教職員と事務職員がいますが、本来はどちらが上でも下でもなく役割分担をしているはずなのですが、どうしても、学校においては教職員の方が中心になってしまいます。病院の場合も、本来は役割分担のはずなのですが、どうしても、病院は医者が中心になります。建築業界においては、どうも、建築学科卒の人間がえらそうにしている業界という面があるのですが、小堀住研(株)の場合は少々違って、「高級住宅の小堀」として都市圏の知識層をターゲットとしていた会社だったので、そこから営業も大卒がいいとして、「ミサワの営業と小堀の営業は営業は営業でも営業が違います。ミサワの営業は高卒の営業が多いですが、小堀の営業は大卒の営業です」と言っていたはずなのです。ですから、小堀住研(株)は「小堀の営業は大卒の営業」「大卒の営業の会社」というのを「売り」にしていたのです。都市圏のインテリ層をターゲットとしていた会社だったので、営業もまた「4年制大学の社会科学系学部卒の人間」がいいという判断だったはずなのです。
それなら、なぜ、底辺の高校卒の渡邊士直がそこにいたのか? なんで、そこにいるの? おかしいでしょ。
森川英正『日本経営史』(日経文庫)には、一線の仕事ならともかく、管理者的能力となると一線の現場の経験だけではなかなか身につくものではなく、学識者が一線の現場での労働体験をある程度経た上で身に着けていくものだということが述べられていますが、私もそう思います。どう考えても、底辺の高校卒の渡邊士直さんでは無理です。

日本経営史 - 森川 英正
まず、会社というものは、労働法と会社法、それに就業規則をもとに動くものですが、ところが、底辺の高校卒の渡邊士直さんに、そういうことを理解してもらおうと思っても、絶対に無理です。無理ということは、支店長とかそういった職種にはついてもらってはいけないということです。
今は法定労働時間は週40時間・1日8時間ですが、1989年の時点では、法定労働時間は週46時間でした。小堀住研(株)の就業規則では法定労働時間ぎりぎりの労働時間が規定されていましたが、設計・工務・工事・アフターサービスと支店長は始業時刻が午前9時であるのに対して、営業は午前10時00分からで、そのかわり、終業時刻が1時間遅くなっていました。しかし、実際には就業時間と定められている時間内では仕事は終わらず、労基法違反の時間外労働を相当やっていました。
戸建て住宅建築業の営業の場合は、小堀住研(株)でもそうですが、「基本給+歩合給」で給与が支払われていましたので、少々、時間外労働をして、それに対しての時間外手当が支払われなくても、歩合給が払われるという面はありましたが、日本国の法律は歩合給を払えば時間外労働を無賃で無制限にさせてよいなどとは規定していません。まず、労基法上の労働時間制限と時間外賃金の規定は、労働契約上の労働時間に対しての賃金を規定しているとともに、それを越えて働いた場合には契約上の労働時間とは別に働いたものに対して報酬を払わなければならないという規定であるとともに、無茶な時間外労働をさせられることで健康を害することがないようにということで、時間外に不必要に働かせるならば使用者はそれなりにカネを払わなければならない、深夜に働かせたならば、それに見合った割増賃金を払わなければならないと規定することで労働者の健康を守ろうとしているのです。
但し、戸建住宅建築業の営業の場合は、ある程度、自立して営業活動をやるようになった人の場合は、夜遅くでも、朝早くでもその時刻に行ったら契約してもらえるとなれば行くのが営業という面があります。「夜討ち、朝駆け」という言葉を誤解している人がいますが、仕事の性質から考えて、工場でベルトコンベアーの前に座って作業するような仕事であれば「夜討ち、朝駆け」ではなくて、就業時間として定められた時間に働くというものですが、戸建住宅建築業の営業の場合は「夜討ち、朝駆け」とでも言うのでしょうか、夜遅くでも行けば契約になるなら行く、朝早くでも行けば契約してもらえるのなら行くが、そのかわりに勤務時間内といえども、工場でベルトコンベアーの前で作業する人とか、あるいは事務系の仕事とは異なり、勤務時間内といえども、それほどガチガチに束縛されないという性質の仕事ではありました。
ですから、時間外手当をどう考えるかという問題はさておき、営業活動の上で時間外に働くというのは、ある程度、やむを得ないような性質のある仕事ではあったのです。しかし、営業活動とは異なるものについては、やはり、労働基準法と就業規則上の労働時間というものは守られなければなりません。そうでなければ、時間外でも休日でも従業員は無制限に支配されることになり、又、従業員の健康は守られないことになります。
小堀住研(株)は千葉県においては、総武線沿線に市川・船橋・千葉市幸町と千葉駅前に千葉支店があり、常磐線沿線に松戸と柏がありました。千葉県では総武線と常磐線の間は電車での行き来は不便で、自家用車での移動も国道16号がありましたが夜間はすいていても昼間は混雑して移動に相当時間がかかりました。まず、支店長の仕事としては、そのあたりをどうするのか、といったことを考えないといけませんが、私のような「旧帝大系国立大学およびそれに準ずる国立大学+早慶」卒の人間ならば、そのあたりを考慮して従業員が働きやすいようにするにはどうすればいいかを考えるのが支店長の仕事と考えますが、ところが、これは小堀住研(株)に限ったことではなく、他の会社でも見ましたが、「下の方の高校卒の人」を支店長とか営業所長とかにならせると、そういったことを考慮するのが支店長・営業所長の仕事とは認識せず、むしろ、逆に、「支店長の命令」とかいって従業員を困らせることで、「俺は支店長なんじゃ」という態度を取りたがるという人が多く、その点で、「旧帝大系国立大学およびそれに準ずる国立大学+早慶」卒の人間が支店長や営業所長になった場合と「下の方の高校卒の人」が支店長や営業所長になった場合とで対応が逆でした。
最初、4月から6月まで、千葉支店では工事課出身の長谷川さんが支店長になっていたのですが、長谷川さんは工事課出身だけあって工事についてわかっていて、又、個人的に知り合いの職人があって、小堀住研(株)の仕事をやってもらえないかと頼んでまわったりもしていたようでしたが、社会科学系学部卒の人ではないので、そのあたりについてはよく理解できていないようでした。小堀住研(株)では大阪市北区の本社に人事部・総務部・経理部があるとともに、各支店に業務課という名称の部署をおき、業務課長という役職名の男性社員を1名配属していました。業務課長の仕事というのは、各支店において、契約客が最終金を支払ってくれているかの確認、住宅金融公庫を利用した契約客の場合は代理受領として住宅金融公庫から入金されているかの確認ということもありましたが、それとともに、各支店における人事・総務・経理の役割のはずでした。1989年の4月から6月に千葉支店の業務課長になっていたのは江間という男で、本人が言うには法政大学法学部卒ということでした。私などは高校を卒業した年、東大を落ちたところ、うちの父親とうちの父親の親友の医者屋のMとその同僚Kから「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないのだから、あんたなんか高校には行ってはいけないはずなのに、それなのに北野高校に行ったというのは、それは甘ったれておるからであって、のぼせあがっておるからであって、根性ねじくれまがっておるから、それで北野高校に行ったということや。ほんまやったらあんたは北野高校には行ってはいけないはずやのにからに行ったというのは余計や。ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいけないはずや」と言われたものでした。それならば、Kのドバカ息子がバカ大学を2つも行ったのはいいのか? M川のドバカ息子はM川が「患者」を薬漬けにして稼いだカネで私立金権関西医大に裏口入学したというのはいいのか? ・・というと、医者屋の息子はいいそうでした。なぜ、いいのかというと「民族と階級が違う」そうでした。うちの父親は言うのでした。「M川先生は医者やぞ。医者というのは普通の人間とは違う超能力をお持ちのお方なんや。普通の人間とは階級が違うんや。それに対しておまえはチャンコロの民族で浪商の階級の人間なんじゃ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんけれども、たとえ北野高校に行ってもそれでもおまえは浪商なんじゃ、この浪商めが浪商! 浪商のくせして北野高校に行くな、浪商! ましてや、わかっとんのか。義務教育は小学校と中学校やから、小学校と中学校は浪商でも行かせてやらなきゃしかたがないけれども、高校は義務教育ではないんやから浪商は高校には行ってはいかんねんぞ、浪商。おまえは北野高校に行ったかもしれんけれども、たとえ北野高校に行ってもそれでも浪商なんじゃ浪商。浪商は高校行くな、浪商。ましてや、浪商は大学には行ってはいかんのじゃ、浪商。甘ったれるな浪商!」と何度も何度も言われたものでした。それならば、1989年の6月まで小堀住研(株)の千葉支店で業務課長、7月から東京支店の業務課長にならせてもらった江間なんてのは法政大学法学部卒ということでしたから、ましてや、法政大みたいなもんに行くやつなんて、義務教育であろうがなかろうが「中学校行ったのは余計じゃ! 甘ったれるな!」と言ってやる必要がありましたし、実際、江間なんか大学に行く必要はないと思いましたし、江間が「大学」に行ったなんてのは絶対に余計じゃと思いました。
まず、何よりも、江間はたとえ法政大法学部卒であっても何であっても、千葉支店における人事・総務・経理に該当する業務課長だったのですから、労働法と就業規則から考えて問題がないかといったことを考えないといけないはずでした。江間は業務課長というそういったことを考えて対処するべき職種についていたにもかかわらず、なぜ、まったく対処しないのか。職務怠慢も甚だしいではないか。
支店長は営業からなる人と、工事課や工務課からなる人がありましたが、営業からなる人は「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」であるはずでしたから、支店長が認識できているはずで、認識できていないなら支店長になっていないはずでしたが、工事課・工務課から支店長になった人は「4年制大学の建築学科か土木学科卒の人」ですから、それでも大卒であるからには支店長になるなら労働法・会社法なども最低限のものは理解しないといけませんが、「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」よりは専門ではありませんから、そのために各支店に「4年制大学の法学部・経済学部・商学部卒の人」である人間が業務課長として配属されていたはずだったのです。
江間は私と最初にあった時、自分から「法政大学法学部」卒だと「ちょっと自慢」みたいな言い方で言ったのでしたが、法政大卒なんて自慢する人なんてあるわけないと思っていたので、「ああ、そうか」くらいに思っていただけでしたが、しかし、世の中には「そんなもん、自慢するもんかあ」みたいなことを自慢する人というのがいます。1990年、小堀住研(株)の東京支店自由が丘営業課の課長にならせてもらっていた高橋賢一郎などは東京電機大学工学部建築学科卒ですでに30代半ばを過ぎていたにもかかわらず、やっぱり、そんな「大学」に行ったような人は一級建築士も二級建築士も通らないようで、旧帝大系国立大学の建築学科卒の人なら、建築士の資格は取得していなくても、建築士の資格の勉強よりも他のものを優先していたからだろうと見られることはあっても、「わけのわからんどこの馬の骨かわからんバカでも入れる私大の建築学科卒」の人というのは、一級建築士か二級建築士のどちらかを取得すれば、「わけのわからんアホ大学卒でも建築士の資格は持ってる人なんだ」と評価されることがあっても、高橋賢一郎みたいにきかれもしないのに「建築士の資格は持っていませんが大学の建築学科を出ていますから」などと自慢みたいに言ってしまうと、小堀住研(株)は昔から「大卒しか採らない会社」と言ってきた会社で「採用実績校」は「神戸大学・新潟大学・同志社大学・関西大学・甲南大学」だったかだったはずの会社でしたから、国立大学か関関同立くらいの大学の建築学科卒なのだろうと思って「どちらの大学なんですか?」ときかれることになることが予想され、そこで「東京電話大です」なんて言ったら、「はあ? 小堀住研にそんな大学の人が勤めてるんですかあ」と思われるというのは眼に見えていましたが、そんなことを言いたがる、言わせたがる人でした。そういう人も世の中にはいますから、「法政大学法学部卒」と自己紹介として言うのなら言ってもいいけれども、「ちょっと自慢」みたいに言う人なんてないだろうと思ったのでしたが、あるみたいです。
※ 慎腹風呂愚[第790回]《「ラーメンは地球を救う」みたいなことを言わそうとする営業課長。「30代後半になっても二級建築士も通らん」と「建築士の資格より仕事ができるかどうかの方が大事」とは意味は同じではない。不動産屋のおばさんにポン大建築学科出てる言われてもなあ・・。「東京大学経済学部卒」なんて履歴書をその地域の家全部にポスティングなんてやめた方がいいと思うぞ。―学歴を言わない方がいいと思った例・ひとを見て思ったケース。》https://shinkahousinght.at.webry.info/202009/article_3.html
私は思うのですが、よく「どこの大学を出たかで人を差別するのはけしからん」とか言う人がいますが、私のように大学卒業までにこういうものを学んだ、こういう認識を身に着けたというものがある程度以上ある人間と江間みたいに、単に「大卒」の称号を取るためだけに「大学」と名前がついている所を卒業したという人間を同じに扱うというのが公平かというと違うと思うのだ。むしろ、そちらの方が不公平だと思うのだ。なんで、江間みたいな人間と一緒にされなければならないんだ。
1989年の6月まで千葉支店の支店長になっていた長谷川さんは工事課出身で「建築学科・土木学科卒の人」の方で入社した人であって、「法学部・経済学部・商学部卒の人」の方で入社した人ではないのだから、そのために各支店における人事・総務・経理の担当として業務課長という名称で「法学部・経済学部・商学部卒の人」というものが配属されていたのだから、江間はそういう立場の者として支店長に言わないといけないはずだったのだ。
1989年6月まで、松戸・柏・市川・船橋・千葉幸町の各展示場に配属されていた営業は、月に2回、千葉支店に営業会議として呼ばれ、又、その際に千葉支店の午前9時の朝礼に出席していました。各展示場の営業社員の始業時刻は午前10時00分であり、就業時間は労働基準法上の労働時間制限ぎりぎりに規定されていましたし、三六協定はありませんから、早出残業をさせることはできません。しかし、現実に月に2回、早出残業をさせられていたのです。かつ、1時間の早出残業について時間外賃金は支払われていなかったのです。普段の勤務場所よりも遠方に出勤するという場合には普段の勤務場所への通勤時間より長くかかる時間については労働時間と考えるべきですが、それをどの程度からと考えるかは労働法の学説・判例においても議論があるようです。千葉県に勤務している人間が大阪の支店に出勤するとかいうことならば、千葉県から大阪までの所要時間は労働時間と考えるべきでしょうけれども、同じ敷地内の入口付近の場所に普段は勤務している人が奥の方の場所に出勤する場合ならば、所要時間の差は無視してよいかもしれません。その場合は、どこからと考えるかという問題、敷地内に入った時点から出勤したと考えるのか、勤務場所で勤務できる状態になってからと考えるべきなのかという問題がありますが。千葉幸町展示場は千葉支店からたいして遠くない場所にありましたから、所要時間の差はほとんど無視してもよいとしても、それ以外、市川・船橋・松戸・柏の展示場に勤務している者は千葉支店まで行く所要時間は普段の展示場までの所要時間よりも長くかかります。特に常磐線沿線の松戸・柏の展示場に勤務している者
こういったことは、これは早めに是正するべきで、早めに是正しないといけません。労働時間については厳密に守られていない会社というものは現実にあります。しかし、「法は眠ると言えども死なず」、法律が守られていないからと言っても、守らなくていいというものではないのです。会社は守る方向で努力しないといけません。但し、現実に「労働基準法上の労働時間制限を守れていない状態で会社が動いている」という会社があり、法律を破りたいわけではないが、何とかしろと言われても、今現在、何ともできないという場合という会社というのがあるようです。但し、はたして、そういう会社の存在を認めて良いのか。そもそも、日本国の法律を守って運営する会社が存在を認められるのであって、法律を破るという前提で動いているという会社の存在を認めてよいのか、という問題があります。
そうは言っても、現実にそういうケースというのはあるようです。小堀住研(株)においては、営業社員が時間外に働いて契約獲得活動をおこなうということをやめさせようとしても、戸建住宅建築業の会社の営業は夜遅い時刻に行けば契約してもらえると思えば夜遅くでも行き、朝早くに行けば契約してもらえると思えば朝早くでも行きして契約してもらうというのが仕事ですから、労働時間として規定されている時間外に働かないでというわけにはなかなかいかない。しかし、営業会議とかそういったものは、どの時間にやってもいいのですから、そういうものは就業時間として定められている時間内にやるべきであり、できるはずなのです。そういったことを考えるのが支店長の仕事のはずですが、支店長が「法学部・経済学部・商学部卒の人」ではなく「建築学科・土木学科卒の人」の方の人がなっている場合には、そのあたりについてよくわかっていない人が就任している場合があるので、そのために各支店に「法学部・経済学部・商学部卒の人」である人間が業務課長という名称をもらって勤務していたはずだったのです。だから、千葉支店の業務課長の江間はそのあたりを支店長の長谷川に話をして、営業会議は支店長の始業時刻の午前9時からおこなうのではなく、営業社員の始業時刻の午前10時からおこなうようにするべきですよ、ということを言わないといけない。言えないならば業務課長としての存在理由がないことになる。「法学部・経済学部・商学部卒の人」としての値打ちがないことになる・・のですが、結論として、江間は「法政の法学部卒だけあって『法学部・経済学部・商学部卒の人』としての値打ちがない人」だった。江間はいったい何のためにそこにいるんだ。いる値打ちがないじゃないか。
又、松戸・柏・市川・船橋・千葉幸町に展示場があり、小堀住研(株)の千葉支店は建築地は千葉県の西部から中部まで、房総半島の真ん中あたりまで施工していたけれども、展示場は北西部に集中しており、そうであるにもかかわらず、設計課・工務課・アフターサービス課は千葉駅前のビルの千葉支店におり、千葉支店は千葉駅前にあった。他社では、たとえば、スウェーデンハウス(株)は千葉支店は船橋にある。不動産会社の(株)エイブルは松戸に千葉支店を置いていた。見込客は千葉県の北西部に多く、展示場は北西部にあり、営業社員の配置も北西部にあったのに、千葉支店が5展示場の一番南東の千葉幸町展示場のまだ東にあった、ということ自体が不自然な位置にあった。その不自然な位置まで、遠方から営業社員が営業会議に行き、又、設計にプラン作成依頼するのに往復していたが、それは大変な時間と労力のロスだった。これも、改善を考えるのが好ましかったが、とりあえず、営業会議だけでも、5つの展示場の一番南東の展示場のまだ東側の場所にある千葉支店でおこなうのではなく、どこか、その5展示場の中央部あたりの場所でおこなうようにできないものか、そういうことを各営業課長は提言するべきだったと思う・・が、たとえば、松戸営業課長だった石井さんは高卒の人だったので、一級建築士の資格を持ち、設計事務所で設計の仕事についていたこともあったらしい人で戸建住宅についての業務はわかる人で私もいろいろと教えてもらったのだが、そういったことは言えない人だった。
但し、6月まで千葉支店長だった長谷川さんは、そういったことをまったく考えていなかったということではなく、2週間に1回、千葉支店で営業会議をおこなっていたけれども、2週間に1回、営業会議をおこなっていたが、締め日前になる最終週には営業会議はおこなわないことにしていた。
ところが、1989年7月から支店長がそれまで大阪にいたらしい渡邊士直になり、業務課長の江間が東京支店の業務課長になって、業務課長はどこだったかから越智(おち)が赴任すると、渡邊士直は、普通、会社でどこそこに赴任してくれと言われたら「さっさと行く」ものだと思うが、7月1日からという辞令であるにもかかわらず、7月の下旬になってやっと赴任した。千葉支店で課長になっていた人は何人もが「支店長はいったい、いつになったら来るんだ」と言っていた。
そして、渡邊士直は1989年7月に千葉支店に来るなり何をやったかというと、女性社員の尻を撫でまわして「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは、大変いいことだねえ」とそう発言したのだった( 一一)
どうも、日本の会社という所においては、「底辺の高校卒」の人には「底辺の高校卒」の人間はそういうことをやっていい権利があるみたいに思っている人がいますが、そんな権利なんてありませんからね。

セクシュアル・ハラスメント (有斐閣選書 156) - 瑞穂, 福島, 裕子, 中下, まり子, 鈴木, 雅臣, 金子, 理知子, 池田

企業と人権 (日本労働法学会誌) - 日本労働法学会
さらに、渡邊士直は、それまで月に2回だけ、千葉支店で午前9時からおこなっていた営業会議を毎週やりだした。渡邊士直にそのようなことをする権利はない。従業員・労働者はなにゆえに働くのかというと、会社と労働契約を結んでいるからであり、労働契約に基づき、この就業時間内、会社のために働きますということで、それに対して会社は賃金を払うという約束をしている。その労働時間以外については従業員に対して、たとえ業務命令でも命令することはできないし、営業社員が終業時間外に「夜討ち、朝駆け」して契約を取っていても、それは契約を取るためにやっているのであって、営業獲得活動でもないものを就業時間外にやれと言っても、そういう「命令」は「ただちに無効」である。「ただちに無効」というからには無視して良いのであり、きく筋合いはないということである。
支店長というものは、一線の営業ができてもだめで、こういったことを考えることができる人が就任するべきであり、こういったことを考える能力がない人が就任するべき仕事ではないはずなのだ。単に女性社員の尻を撫でまわすしか能のない男は支店長に就任してはいけないし、会社はそういう人を支店長に任命してはいけないのです。
市川・船橋・松戸・柏の各展示場勤務の人間にとって、普段の勤務場所よりも所要時間がかかる場所にある千葉支店まで行くというのは大変ですが、それも普段の始業時刻よりも1時間早く行くというのは大変なことです。何年か前、テレビの野球中継で解説者に江川が出ていて、「ピッチャーが中何日で投げているのを、1日短い間隔で投げるというのは大変なものなのですか」ときかれて、「朝、普段、起きている時刻よりも1時間早く起きるというのは大変でしょ。普段、起きている時刻よりも早い時刻に起きて体を動かすと、普段、起きている時間に動くのと同じように体が動かなかったりしますでしょ。それと同じですよ」と話していたことがあった。毎週、毎週、週休日の次の日に、普段の始業時刻よりも早い時刻に、普段の勤務場所よりも相当所要時間が長くかかる場所に呼びつけられるというのは、これは生活のリズムを崩されることであり、営業活動に大きくマイナスになることでした。松戸営業課長の石井さんは「毎週、毎週、千葉支店まで呼びつけられてからに、まったく、たまったもんじゃねえなあ」と松戸展示場で何度も何度も言っていたので、私は「石井課長から支店長に言ってもらえないですか」と言ったのだ。これは言わないといけないと思うのだ。普通なら、そういったことを考えて、従業員が働きやすいように配慮するというのが支店長の仕事のはずなのだが、しかし、従業員が働きやすい環境を用意する、働きにくい条件はひとつひとつ改善するという仕事は渡邊士直さんには無理です。無理な人が支店長になっているのですから、又、渡邊士直さんは千葉県のことも千葉支店のこともまったくわかっていない人でしたから、課長になっている人は、わかるように教えてあげないといけません。ところが、石井は「言わない」と言うのです。「どうして、言わないのですか」と私は言ったのですが、松戸展示場の事務所で毎度毎度「何度も何度も千葉まで呼びつけられて、まったく、たまったもんじゃねえなあ」と言いながら、私が「石井さんは課長なのだから、課長として言ってもらえないですか。何もおかしなことを言うのではないじゃないですか。千葉県は特に常磐線沿線と総武線沿線は離れていて、同じ県といっても別の地域ですし、小堀住研(株)の場合は千葉支店が5つの展示場の一番南東の展示場のさらに東側の場所にあって、各展示場に勤務している人間からは行きにくい場所にあるのですから、渡邊さんは千葉支店から歩いて10分以内とかいう場所に住んでいるからいいのかもしれませんが、各展示場に勤務している人間が毎度毎度千葉支店まで行かされるというのは、これは業務妨害ですから、会社のために言ってもらえないですか」と言ったのだが、それでも石井は言わなかったのだ。
こういう時だが、「矢面に立つ」ようなことをするなとか言う人があるけれども、そんなたいそうなことではないのじゃないか、と私は思っていたのです。支店長というのは、各支店で従業員が働きやすい環境を整えるのが仕事であり、支店長が従業員が働きにくいようにしていたのでは支店長にならない。だから、それを教えてあげるということは、その支店長になっている人のためになることであり、「千葉県はけっこう広くて、又、特に常磐線沿線と総武線沿線は同じ県でも別の地域ですし、松戸や柏から千葉まで行くというのは大変なことなのですよ。又、営業の始業時刻は午前10時からで支店長の始業時刻の午前9時からよりも1時間遅いのですよ。毎週毎週、生活のリズムを崩されたのでは、それは営業活動にとって大きくマイナスになるのですよ」と説明して教えてあげるべきですし、そのくらい、言ったからといって、なんで、それが「矢面に立つ」だの何だのということになるのでしょうか・・と思ったのですが、私が支店長だったら、「あ、そうか。そういうことがあったのか。気づかなくて申し訳ない」と言いますし、その前に気づいていますが、ところが、「底辺の高校卒」の人を支店長・営業所長といったものにならせると、そういう人はたいてい「余裕がない」ので、ごくわずかなことでも指摘されると「支店長に対する反抗」とか言いだすようです。
又、7月から千葉支店の業務課長に赴任した越智(おち)は各支店における人事・総務・経理の役割である業務課長なのだから、本来、小堀住研(株)では「営業系」というコースは「法学部・経済学部・商学部卒の人」がなるコースであるはずで「底辺の高校卒」の人はならないはずだったのですが、なぜか「底辺の高校卒の人」が支店長になったのなら、その人は労働法も会社法も何もわからない人ですから、各支店における人事・総務・経理の役割である業務課長として、「小堀住研(株)は労働基準法上の労働時間制限ぎりぎりまでを労働時間として就業規則に規定していて、支店長の勤務時間は午前9時からですが営業社員の勤務時間は午前10時からで、午前10時に千葉支店に来いと言ったなら、それは労働基準法違反であり犯罪ですよ。又、午前10時が始業時刻の人間に午前9時に来いと言っても、小堀住研(株)は労働基準法の制限ぎりぎりまでを労働時間として規定していますから、そのような命令をしても無効ですから、だから、そういうことはやめてください」と言わないといけない。言えないならば業務課長としての存在理由がないことになる。又、「法学部・経済学部・商学部卒の人」としての値打ちがないことになる。ところが、越智(おち)はそれを言えない。アホだろ。アホちゃうか。アホと違うのか・・と思ったが、アホだったようだ。 こういうことだが、うかつに言わない方がいいと言う人がいるけれども、しかし、業務課長というのは、そういうことを言うのが仕事のはずであり、言えなかったら、仕事をしていることにならないではないか。
さらに、うちの父親の勤め先は化粧品会社でしたが、ダニによるアトピー性皮膚炎の被害を受けている人が多いらしく、父の勤め先の化粧品会社と関西の国立大学の薬学部だったかと、掃除機の電気器具メーカーと製薬会社とどこだったか、異なる業界であるがダニとアトピー性皮膚炎の対策に関係がある会社が集まって共同の研究会を設けましょうということがあり、うちの父親の部下にあたる取締役の人が、私が小堀住研(株)に勤めているのなら、住宅建築業の会社は小堀住研(株)に話をすることにしましょうと言ってくれて、それで、小堀住研(株)より施工棟数などで大手の住宅建築業の会社からうちを入れてくださいとアピールしてきている所があったけれども、それを断って小堀住研(株)に話をまわしてくれたということがありました。我が家は小堀住研(株)の入居者で、その時の営業担当者は取締役になっていましたので、そちらに話をしても良かったのですが、私が小堀住研(株)に入社して千葉支店の松戸営業所にいることから、私から話をした方が私の上役になる立場の人が会社に対していい顔をできるのではないかということで、私から上役に話をすることにしました。
ところが。松戸営業課長の石井さんに話をすると、「とりあえず、〇〇くんがひとりで行って話を聞いてきて」と言うのです。「私は入社1年目ですよ。相手は取締役ですよ。入社1年目の人間にひとりで取締役に会いに行けと言うのですか。やっぱり、会社という所においては、相手が部長ならこちらも部長、取締役ならこちらも取締役という立場の人が対応するようにすべきではないのですか」と言ったのですが、「いいから、ひとりで会ってきて」と言うのです。「しかし、入社1年目の人間に取締役に一人で会いに行けというのは、はたして、そういうことをしていいのですか」と言ったのですが、石井は頑固に「いいから、一人で会ってきて」と言うのです。
ひとつには、石井はうちの父親の勤め先の会社を知らなかったのだと思います。うちの父親の勤め先は特別の大企業ではなかったけれども、それほど小さい会社でもなかったのです。小堀住研(株)とでは創業以来の年数は同じくらいで、どちらも社長は2代目で、従業員数もどちらも千人を少し上回るくらいで、本社の場所もどちらも大阪駅から遠くない場所に自社ビルを持っていて、知名度もどちらも「知っている人は知っているが、知らない人もいる」というくらいの知名度の会社で、違いはうちの父親の勤め先は2代目社長は東大卒だったのに対して小堀住研(株)の2代目は高卒だったという点があり、うちの父親の勤め先は未上場だったのに対して小堀住研(株)は一部上場だったという点がわずかに上かというくらいでしたが、会社の中に入ってみると、私は自分自身がうちの父親の勤め先にアルバイトとして行ったことがありましたが、上場していても、むしろ小堀住研(株)の方が下ではないかという感じがしました。小堀住研(株)は取締役の半分・監査役の半分が銀行出身で、いくらなんでも、そこまで銀行出身者が多いというのは何かある・・という感じで、その点では小堀住研(株)の方が下でした。うちの父親の勤め先は化粧品会社ですから特に女性は知っている人の方が多い会社でした。慶應大学の1年目、担任だったドイツ語のK先生と話をした時、K先生は「私はその会社、知ってますよ。けっこう有名な会社じゃないですか」と言われたのでしたが、ところが、高卒の石井さんにとってはまったく知らない会社だったようです。慶應大学の経済学部・商学部・法学部卒の人ならば、一部上場の会社か、上場していなくてもある程度以上の規模や知名度の会社を「知らない」というのは知らない人間の方が恥ですが、高卒の人にとってはそうではないのです。石井は高卒の人でしたから、建築業界の会社なら小さい所でも知っていても、他の業界の会社はある程度大きい会社でも知らないようでした。 1990年4月に東京支店自由が丘展示場に転勤してくれと言われて、東急東横線「都立大学」駅の近くの不動産屋に入ってアパートを捜したところ、その不動産屋のおばさんが「そんな会社に勤めている人なんて、大家さんが嫌がると思うわ」などと言い出したので、「どうしてですか?」と言うと、「そんなわけのわからない会社に勤めているような人なんて嫌がって当然よ」などと言うのです。「どうして、わけのわからない会社なのですか」と言うと、「そんな会社、誰も知らないわよ」と言うので、「知りませんか? 住宅雑誌などにしばしば掲載していますし、住宅展示場にもあちらこちらに出店していますよ。戸建住宅の建築業界では施工棟数は8位だったはずですよ」と言いましたが、「知らないわねえ。従業員数、何人いるの。十人、いないでしょ」などと言うので、「そんなことないですよ。千人以上はいますよ」と言ったところ、「そ~お~お。建売でもやってる会社なのお」などと言うので、「建売はやったことはありませんね。高級住宅の小堀として知っている人は知っているはずですよ」と言ったのですが、「知らないわねえ」と言い、「それなら、どういう仕事をしている人がいいのですか。たとえば、医者とか弁護士とかいいうのがいいのですか」と言うと、「弁護士はだめね。弁護士は嫌がるわ。いいのは大企業に勤めている人ね」と言うので、「それなら、小堀住研は従業員数は千人以上ですし、一部上場ですし、沖縄県以外の全国で建てていますし、住宅雑誌にもしばしば掲載していますし、展示場の数も少なくありませんし、三井・三菱・住友・安田とかトヨタとか日立とかいうような会社よりは小さいとしても決して小さい方の会社ではないと思いますけれども」と言ったのだが、そうすると「嘘ですよ。千人もいないでしょ。十人いるかいないかでしょ」などと言うのです。このおばさんと話をしても「レベル的に無理」と思って、もう、その店は相手にしない方がいい店と判断して出ました。石井さんは高卒だけれども一級建築士の資格を取得していて、それゆえに「大卒しか採らない会社」の小堀住研(株)でも特に採用されたようでしたが、それでもやっぱり、高卒の人だったので、建築業界で勤めてきた人なので建築業界の会社については小さい所でも知っていたりするようですが、他業界の会社についてはけっこう大きな所・けっこう知名度がある所でも知らない人のようで、それで、「もしも、うちの会社に一緒にやってほしいと頼みたいのなら、ひとりで行って話を聞いてきて資料をもらってきて。そうしたら、支店長に渡してあげるから」などと言うので、「小堀住研(株)に便宜をはかってくれと頼んでいるとかいう話とは違うのです。住宅建築業の他の大手の会社から、どうか、うちを入れてくださいと頼んできている所が複数あるのを断って小堀住研(株)に話をまわしてもらっているのです。小堀住研に便宜をはかってもらっているのであって、小堀にお願いされているということではないのです」と言っても、「それでも、小堀に頼みたいのなら、資料をもらってきてくれれば支店長に渡してあげるから」などと言うので、「だ~から、そういう話とは違うのです」と言ってもきかず、結局、私がひとりで会いに行ったところ、「〇〇さんは小堀住研(株)ではどういう役職なのですか」などと言われてしまった。そう言うよなあ。同格以上の会社に、取締役に会いに行くのなら取締役か部長・支店長くらいの人間が会いに行くのが礼儀だよなあ。小堀住研(株)と千葉支店長の渡邊士直と東部営業本部長の増田和二は入居者が自社に便宜をはかってくれたのに、こういう無礼な対応をしたのです。
※ 慎腹風呂愚[第412回]《「会社の役職を軽視する社長」 「痴漢人間を大事にする社長」 この2つの思考は対立でなく共通するらしい》https://shinkahousinght.at.webry.info/201605/article_2.html
それで、一人で取締役に会ってきて、資料をもらってきて、それを石井に渡したところ、石井は支店長の渡邊士直に渡したらしいのですが、ところが、待てど暮らせど、いつまで経っても何の返事をしない。私が会ってきた取締役はうちの父親に「いったい、どうなっているのでしょうか。この間も他の住宅建築業の会社から、うちを入れてくれませんかと言ってきているのですが、返事もないというのは困るのです。小堀住研はいったいどうなっているのですか」と苦情を言われたようです。苦情を言われたとともに、あきれられたようです。小堀住研(株)のために便宜をはかると、小堀住研(株)は便宜をはかってくれた者の顔をつぶすようです。
松戸営業課長の石井に「渡してからけっこう経ちますけれども、何の返事もありませんが、いったい、どうなっているのですか」と何度も何度も言ったけれども、石井は「知らない」、「支店長から何も言われていない」と言い、私が「石井さんは課長ですよね。課長ならば自分が支店長に話をしたものについて、何の返事もないならば、どうなっていますかと尋ねるべきではないのですか」と言ったが、「支店長は何も言わないから」と言うのでした。そして、1か月半ほど経って石井が「あれ、要らないって」と言うのです。「何ですか、その態度は。他社からせっかく便宜をはかってもらっておきながら、『あれ、要らない』て、何ですか、その態度は。小堀住研は他社に対してそんないいかげんな態度を取るのですか」と言ったところ、石井は「うん。そういう態度をとる」と言うのです。「普通、相手が取締役ならこちらの会社も取締役か、そうでなければ部長か支店長かそういう立場の人間が会うものでしょ。それを入社1年目の人間に一人で会いに行かせた上で、ずいぶんと長く待たせておいて、『それ、要らない』て何ですか。たとえ、断る場合でも、もうちょっときっちりとした返事をするものと違うのですか」と言ったところ、石井は「きっちりと返事してるじゃない」と言うのです。「どこがきっちりと返事しているのですか、どこが」と言うと、「だから、『それ、要らない』てきっちりと返事しているじゃない」と言うのです。「それでは、きっちりと返事していると言わないでしょ。石井さんはそれがきっちりと返事していると思っているのですか」と言うと、石井は「うん、思っている」などと言うのです。「喧嘩売ってるのですか」と言ったのですが、「別に喧嘩なんて売ってないよ。要らないから、だから、『それ、要らない』てきっちりと返事してるんじゃない」と言うのです。「要らないにしても、どうして、ここまで長く待たさないといけないのですか。いくらなんでも無礼でしょう。また、ここまで長く待たせたからには、取締役か部長・支店長くらいの役職の人間が顔を出して、『誠に申し訳ありません』と謝りに行くものでしょう。違うのですか」と言ったのですが、石井は「うん。違う」と言うのです。「なんですか、その態度は。石井さんは課長と違うのですか。課長ならば、支店長に対して、そういう対応は会社としておかしいでしょ。支店長ならそんな態度はおかしいでしょと言わないのですか。それが課長の態度ですか」と言うと、石井は「うん。言わない」と言うのです。「どうしてですか」と言うと、石井は「どうしてと言われても、何でも」などと言うのです。なんだ、この態度は。バカか、この人はと思いましたが、今から考えてみると、「高卒の課長」なんてものは「そんなもの」だったのかもしれません。
この件については、ひとつの可能性として、千葉支店長の渡邊士直が受け取った資料を自分の机の横において上役に報告せず長期に渡って放置して、1か月半だったか2か月だったか放置していた末に、「これ、要らない」と石井に言って返したという可能性が考えられる。その可能性は小さくないと思われます。そういうことを支店長がしていることについて、何らとがめない東部営業本部長というのは、それは東部営業本部長とは言えない人間ですが、富士銀行はそんな人間を常務取締役・東部営業本部長にならせて送り込んで私などが毎日終電くらいまで働いて滅私奉公して尽くした小堀住研(株)をつぶしたのである。
1990年1月末だったか2月末だったか、締め日直前に、富士銀行から出向で来ていた東部営業本部長の増田和二が千葉支店に来るから全員、午前9時前に千葉支店に来いと前日の終業時刻を過ぎた時刻に、千葉支店長になっていた渡邊士直が松戸営業所に電話をしてきた。
私が松戸営業課長ならば、「今は締め日直前だということをご存知ですか。営業社員は向う1週間くらいの予定を立てて動いています。締め日直前にどういう御用があるのですか。どうしても、明日でないといけないという用事でなければ、せめて、締め日の後にしていただくようにお願いしていただけませんか」と言います。「また、前日の終業時刻を過ぎてから突然、電話してきて言うのではなく、せめて、何日か前に言うようにしていただけませんか」と、又、「展示場勤務の営業補助の女性社員は展示場のお留守番という意味もあって勤務しています。お留守番の役割の人まで千葉支店に越させたのでは会社がお留守番として雇っている意味がなくなりますし、展示場勤務の営業補助の女性は千葉支店まで往復する時間の時間外手当を会社からもらっていませんから、展示場勤務の営業補助の女性社員を呼びつけるのはやめていただいた方がいいと思います」と言ったことも言います。それを言えないならば課長と言えません。ところが、石井はそれを言えない・言わない。
そして、増田和二は千葉支店に来るということは、当然のことながら、うちの父親の勤め先の会社とその取締役が小堀住研(株)に便宜をはかったにもかかわらず、それに対して小堀住研(株)が無礼な態度を取ったということについて「申し訳なかった」と謝るものだと思っていた。ところが、増田和二は最後まで一言も謝らないでだけでなく、この件について一言も口にしなかったのだ。これでは営業本部長にならない。これでは、営業本部長の仕事をしていることにならない。
4月の初めの入社式の後の立食パーティーの時、太陽神戸銀行から出向で来て、小堀住研(株)では何も功績を残していないにもかかわらず、常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野という男が私に「小堀住研は無借金経営です。銀行から人が来ているのは借金しているからではないのです。人材が不足しているから来ているのです」などと言ったのでしたが、それにしても「銀行から来ている人」が多かった。有価証券報告書を見ると、取締役の半分、監査役の半分が銀行から来た人間であり、いくら何でも多すぎるのではないかと思えた。その時は、銀行から来ている人というのは取締役の半分・監査役の半分で、それだけだろうと思い込んでいたのだったが、それだけではなく、それより下の役職でも銀行からいっぱい来ていたようだった。それも、どう考えても、その人の能力・身の程から考えて役職が高すぎるという役職をつけられて来ていた。そして、それは最初から小堀住研(株)に入社した人間の間では評判が悪かった。「また、何もわからん人間が来て高い役職につくのか」と。・・今から考えてみると、銀行から何人も無能な人間を送りつけられて、最初から小堀住研(株)に入社して努力してきた人間よりも上の役職につけられてしまっていたというその状態というのは「おまえは、もう死んでいる」という会社の状態だったようだ。〔⇒《YouTube-お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
銀行の人がすべての人が無能ということではありません。私は大学4年の時、東京駅の前の丸の内ビルディングに東京支店を出していた中国銀行(岡山の中国銀行ではなく、北京の中国銀行)に会社訪問で行った時に会っていただいたMさんは三井銀行から出向で中国銀行に顧問で来ていた人でしたが、慶應大学経済学部卒の方で、同じ大学の学生だということから中国銀行とは関係のない話も聞かせてもらいましたが、「この人、けっこう歳いっているけれども、しっかりしてるなあ」という印象を受けました。Mさんが言われるには「銀行というのは、特に支店長なんてのは締め日前になると上役から、どれだけ預金を獲得できるんだと強く言われるものだ」ということでした。そういう時に、たとえば、百万円を普通預金に入れたいという人がいたとなると、特に支店長などは喉から手が出るくらいにその預金が欲しい。しかし、だからといって、そのまま受けてはいけない。そうではなくて、普通預金に入れるよりも有利なものがあれば「たとえば、こういう方法がありますけれども」といった話をしないといけない。そういうことを言わずに、そのまま百万円の普通預金を受けて「あいつのおかげで損した」と思われたら、その後、入れてもらえるものも入れてもらえなくなる。そうではなくて、たとえ、その時、その預金を入れてもらえなくなることがあっても「あの人のおかげでいいことがあった」と思ってもらえるようにしないといけない。そうすると、その後、「同じ預金をするなら、あの人のところに入れよう」と思ってもらえるかもしれない。そう思ってもらえるようにしないといけない・・といった話を聞かせてもらった。同じ「銀行から出向で来た人」でも外資系の銀行から頼まれて顧問として行っていた人と、銀行が融資したのか出資したのかの会社に、その会社の方では歓迎していないのに実力以上に高い役職をつけてもらって出向していた増田和二とは大きな違いがあった。もしも、Mさんならば増田和二みたいに締め日直前にわざわざ、前日の夜、終業時刻を過ぎてから「全員、明朝、朝9時前に千葉支店に集合」だのと言ったことを要求するようなことはしないでしょう。ひとつ、契約いただくために住宅建築業の営業はどれだけ苦労しているのか、Mさんならば、銀行の営業の経験はあっても戸建住宅建築業の営業の経験はなくても、それでも営業経験者として締め日直前に、わざわざ、締め日後でもいいようなもののために営業社員の予定を狂わせて呼びつけにするようなことはしないでしょう。
太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来て、小堀住研(株)では何の実績も残していないにもかかわらず、いきなり、常務取締役・西部営業本部長にならせてもらった大野がどうかはわからないが、富士銀行から出向で小堀住研(株)に来て、小堀住研(株)では何の実績も残していないにもかかわらず、いきなり、常務取締役・東部営業本部長にならせてもらった増田和二については、これは、小堀住研(株)としては迷惑なだけの人間でした。「人材が不足しているから来ているんです」などと大野は言いましたが、「バカ言ってんじゃないわ♪」てものです。
そもそも、小堀住研(株)が「人材が不足している」としても、それなら銀行というのはそんなに「人材」が余っているのか? はあ? 小堀住研(株)に銀行から出向できていた従業員というのは取締役の半分・監査役の半分だけかと思ったらそうではなかったようで、「総務部東京駐在」に「次長」という肩書をもらって太陽神戸銀行から来ていた前野和彦なんぞは、1989年、一度、松戸営業所に来たことがあったが、その時、どうやって来たかというと、新京成電鉄「松戸新田」駅からえっちらおっちらと、勤務時間中に40分もハイキングしてやってきたのだった( 一一) バッカじゃなかろかルンバ♪〔⇒《YouTube-バッカじゃなかろかルンバ!》https://www.youtube.com/watch?v=Cz7M4FQinUM 〕 銀行の人間て面白いことやるね♪ バッカじゃなかろかルンバ♪
私なら前野和彦のようなそんなおかしなことしません。私でなくても、小堀住研(株)の営業は分を惜しんで動いているのであり、松戸展示場はJR「松戸」駅から新京成バスに乗れば、展示場に比較的近いバス停まで来れるのに、わざわざ前野和彦みたいに勤務時間中に新京成電鉄「松戸新田」駅からハイキングして40分も歩いてくるなどという「バッカじゃなかろかルンバ♪」てことなんて、しません。 もし、バスの経路を知らなかったのなら、松戸展示場に電話をしてきけばいいことですし、松戸展示場の人間でなくても柏展示場の人間でも千葉支店の従業員なら多くの人間は知っていますし、そうでなくても、JR「松戸」駅で下りたら新京成電鉄に乗るのではなくて駅前でバスの運転手にでも尋ねるか、もしくは駅員に尋ねればいいことです。「バッカじゃなかろかルンバ♪」てものです。
銀行員でも私の知っている銀行員は前野和彦みたいなおかしなことしませんよ。そういう人が、なんで、小堀住研(株)では何の実績も残していないのに、いきなり、「次長」なんですか? 前野和彦がいきなり「次長」ならば、私は少なくともいきなり「部長」以上にならせてもらわないとおかしい。私だけじゃないよ。小堀住研(株)に最初から入社した従業員は、なんで、こんなやつが小堀住研(株)では何の実績も残していないのに俺より役職が上なんだ、と思っていた人間は何人もいたはずだ。
1989年、秋頃、千葉支店で支店長にならせてもらっていた底辺の高校卒の渡邊士直が、その頃の小堀住研(株)は、高級住宅志向の完全自由設計の「新 桂(しん かつら)」と「高品質低価格」の「小堀ハウス55」シリーズとの2本立てでやっていたが、その「高品質低価格」タイプの「小堀ハウス55」の一番安いタイプを「大安売り」という感じで書いた新聞折込チラシを作って入れたのだった・・が、私は松戸営業課の課長の石井にこういうチラシはおかしいのではないか、こういうチラシは小堀住研(株)の商品のあり方という点から見て好ましくないということはないか、と言ったのだ。
ところが、石井は「悪くないよ。営業本部長に話を通してやってるんだから、いいんだよ」などと言うのです。石井が言うのは、渡邊士直が上役に無断で勝手にやったことではなく、富士銀行から出向できた住宅建築業のことなんて何もわかっていない東部営業本部長の増田和二に許可を得てやったものだから、いいのだ、と言うのです。だから、だめだと私は言っているのですが、高卒の石井さんはわからないようでした。
私は慶應大学の商学部には行きたくて行ったわけではなく、何の因果か行くはめになってしまって、いやいや言っていやいや卒業したのでしたが、卒業してみると会社という所において役立つものはあったと思うようになりました。その際ですが、たとえば、「商業学総論」という講義では「サンリオは鉛筆とかハンカチとかキャンディーを売っているのではない。サンリオは夢を売っているのだ」とかいった話とかされ、又、セオドア=レビット『マーケティング発想法』(プレジデント社)では「レブロン(アメリカ合衆国の化粧品会社)は化粧品を売っているのではなく、昨日までの自分とは異なる自分になることができるという希望であったり、これまでとは異なる生活ができるようになるという夢であったりを売っているのだ」といったことが書かれていた。住宅建築業においても、売っているものは「家」であるというのは間違いということではないが、そういう視点だけではなくて、たとえば、小堀住研(株)の家というのは1960年代後半以降においては関西地域を中心として「中より上のサラリーマン」にとっては「小堀で家を建てた」というのが「ステータス」であったりしたわけで、そういう「ステータス」を売っていたというような面もあったわけです。ところが、「大安売り」なんて調子のチラシを作って新聞折込に入れてしまうと、一度だけならともかく、何度もそういうものを入れると、結果として、その時に一番安い価格帯の商品を何棟か契約をもらえたとしても、その引き換えとして安物会社というイメージを広めることになってしまい、結果として高級志向商品が売れなくなってしまうということが考えられた。だから、会社と商品のイメージを損なうのと引き換えで低価格商品を何棟か売ることができても、むしろ、失うものの方が大きいという可能性が考えられたのだ。だから、私はそのチラシはおかしいのではないか、と松戸営業課の課長の石井に言ったのだった。
しかし、私はこういうことは慶應大学の商学部の卒業生ならば、こういった思考は誰もがすることで常識的な思考だと思っていたが、ところが、高卒で一級建築士の資格を取得して設計事務所に勤めていたという石井さんにとっては「営業本部長の許可を得てやっているから、何も悪くないんだ」ということになるようでした。
東部営業本部長といっても、その増田和二さんはどういう思考をして許可していたのかというと、自分を無視しなかったかどうか、というそれを見ていただけであり、はたして、そのチラシを入れることで会社と商品のイメージはどうなるか、そのチラシは「コストと利益を比較考量して」十分に利益が期待できるものか、といったことを検討して許可していたのではなく、もとより、増田和二さんにそんな判断力はなく、判断しようという姿勢は最初から欠落している人でした。
1989年に初代社長でその時は相談役だった小堀林衛が他界すると、翌年1990年に2代目社長で「メカケの子」説と「メカケの娘の婿」説があった中島昭午は初代社長の苗字の「小堀」を会社名から取り除きたかったのか「エスバイエル(株)」(S×L)というツーバイフォー工法(2×4)で建てている会社でもないのにツービフォー(2×4)工法を思わせる名称に社名を変更すると、「最低価格帯のカテゴリーキラーをめざす」などと、あっちやらこっちやらで書きまくり言いまくりして自社と自社の商品の値打ちを引き下げて、そんなことやったら会社はつぶれるぞお・・と思ったら、あっという間に一部上場から二部上場になり上場廃止になって倒産した。中島昭午はバカじゃないか、と思われたが、バカだったのだろう。自分で一生懸命、自分の所の会社をぶっつぶしたのだ。もうちょっと私を大事にして私に意見をきいてくれたら、少しは良くなったのではないかと思うのだが、アホの言うことばっかり大事にしたようだった。「メカケの子」だか「メカケの娘の婿」だかは「そんなもの」だったのか。
「銀行から来た人」が他の業界の人間よりも優秀だという「銀行から来た人」の主張は身勝手であり、銀行の人間が他業界の人間よりも優秀というようなことは、ない。しかし、たとえば、↑ にあげた三井銀行から中国銀行に顧問として行かれていたMさんなどは、他業界に勤めることはなかったでしょうけれども、もしも他業界に勤めたとしても、「営業の厳しさ」という点においては銀行と戸建住宅建築業とで共通するものはあるはずで、そういう共通する厳しさのようなものは認識できていたと思われます。それに対して、富士銀行から来ていた増田和二には、そういう「営業の厳しさ」という認識がまったくない( 一一)
又、増田和二は東北大学法学部卒だということでしたが、もしも、裁判官とか弁護士とか法学部の教員とかいった「法律そのもの」の職業についたならば法学部卒だから法律しかわからないでも通じるでしょうけれども、一般の会社という所に勤めたならば、法学部卒でも経済学部・商学部卒の人間の認識はある程度以上持たないといけないし、経済学部・商学部卒でも法学部卒の人間の認識・法学的の考え方は持たないといけないはずです。ところが、増田和二の場合、法学部卒だからということで「マーケティング的発想」といったものはまったくない。それなら法学的の考え方はあるのか、というとそれもない( 一一)

レビットのマーケティング思考法―本質・戦略・実践 - セオドア レビット, Levitt,Theodore, 坤, 土岐, DIAMONDハーバードビジネスレビュー編集部

(新装版)法学入門 - 末弘 厳太郎
銀行の人間が他業種の人間よりも優秀だなどとは私は思っていなかったが、しかし、銀行から他業界の会社に出向してくる人というと、旧帝大系国立大学卒の人とかが来るのではないかと思われ、そういう人はなかなかいない小堀住研(株)には旧帝大系国立大学卒の人の認識というものはプラスになるのではないか、とそこは期待したが、ところが増田和二にはそういうものはまったくなかった( 一一) 「底辺の高校卒」の渡邊士直とどっこいどっこいだった( 一一)
又、富士銀行のような大きな会社に勤めてきた人というのは「大企業において通じていた、大企業における会社における””相場””」のようなものを身に着けているのではないか、そういうものがない小堀住研(株)にはプラスになるということはあるかもしれない、とそこは期待したのだったが、増田和二にはそれもなかった( 一一)
単に銀行から出向すれば、ろくに役立たなくても楽してええ思いさせてもらえる・・というそういう意識だけの人間だった( 一一)
実際のところ、私は「商業学総論」とか「商業学」とか、そういう講義を履修したとしても、あるいはセオドア=レビット『マーケティング発想法』(プレジデント社)とかそういった本を読んだとしても、履修したから読んだからということでゼロが百になるとかいうものではなく、いわば、40が50になるとか、50が60になるとか、そういうものだろうと思っていたのだった。実際、私自身については履修して悪いということはないし、読んで悪いということはないとしても、もしも履修しなかったとしても読まなかったとしても、ゼロということはなかったと思うのだ。しかし、会社という所に勤めてみると、ゼロの人というのがいるのだ( 一一)
それも、渡邊士直のような「底辺の高校卒の痴漢人間のおっさん」とかがゼロであっても、その程度の人だろうと思うが、一応、東北大学法学部卒という増田和二もゼロなのだ。東北大ていったい何を教えてんだあ???
但し、国立大学でも地方国立大学卒の人の場合は「人によって差がある」という印象を私は受けている。旧帝大系国立大学卒の人とそれほど遜色ないのではないかと思わるような人もおれば、そうではなくて「ええ~え? この人が国立大学卒なのお~お?」という人もいる。そして、旧帝大系国立大学といっても東北大の場合は、「東大・京大・阪大の仲間」と考えるよりも「岩手大・秋田大・福島大・茨城大の仲間」と見た方がいいと思われるところがある。だから、増田和二さんについては「旧帝大系国立大学卒の人」と見て、それに見合うものを期待しても「むしろ、期待するのはかわいそう」と判断すべきかもしれないと思うようになった。もともと「その程度の人」だったのだ。富士銀行においても有価証券報告書に記載されていた経歴によると、どこだったかの支店の支店長を2年やっただけだったはずだが、普通、銀行の支店長というのは2年でやめるようなものではなくて、もうちょっと長くやるものではないか。それを2年で解任されたということは、この人は支店長といったものは長くさせない方がいい人と判断されたのかもしれない。・・まあ、それはわからないけれども、およそ、「旧帝大系国立大学の法学部卒の人」としてのものは期待できる人ではなかった。又、「大企業に勤めてきた人として、日本の会社という所における””相場””のようなもの」を認識できている人としての期待も期待する方が間違っているという人だった。
それで・・だ。増田和二と渡辺士直の悪行については、まだまだいっぱいあるのだけれども、ここではこの程度にとどめて、それは別の機械に述べることにしたい。
ところで、少し話がそれるが、「ミニスカートが流行すると、同時に何が流行するか?」てわかりますか。私はわかったよ。ミニスカートが流行すると、ハイソックスが流行するらしく、「ミニスカートの流行とハイソックスの流行の相関関係」なんてものを論文にした男が慶應大学にいたらしく、修士論文として認められたと聞く。 「サンリオは鉛筆とかハンカチとかキャンディーを売っているのではない。サンリオは夢を売っているのだ」という、ウォンツから考えるのではなくニーズから考えるという思考をするならば、たとえば、風俗店に行くおっさんには「心の安らぎ」を求めて風俗店に行くおっさんというのがいる・・と考えると、実は宗教施設と風俗店とは競合関係にある・・と考えることだってできるのではないか。・・俺も、「宗教施設と風俗店の競合関係について」という論文でも書いてみようか。修士論文として認められるだろうか?
・・で、こういう発想というのは、冗談みたいな言い方だけれども冗談ではないと思うのだ。こういう発想は慶應大学の商学部卒の人間にとっては当たり前の発想だと思うのだ。ところが、小堀住研(株)では「底辺の高校卒の痴漢人間」の渡邊士直さんとかにはこういった発想・思考はまったくない。「底辺の高校卒」の人には無理だろう・・としても、旧帝大系国立大学卒で大企業から出向で来たような人ならば、こういう発想・思考はある方が普通であろう・・なんて思うと、東北大法学部卒で富士銀行から来た増田和二さんにはそういうものがまったくないのだ( 一一) あんた、本当に旧帝大系国立大学でてるのかあ???・・て感じだ。
労働基準法の条文というのは「精神規定」ではない。「守れたらいいけれども、守りたくなかったら守らなくてもよい」というものではない。現実に日本には労基法違反の不良経営者を必死になって守ろうという機関として労働基準監督署というものがあり、労働基準監督官という者が不良企業の不良経営者を守ろうと必死になっている。その労基署を突破することができたとしても、次に地方検察庁と検察官というものが、な~んとしても不起訴にしてやろうと必死になるので、労基法違反はなかなか起訴できない。そして、たとえ、起訴できても地方裁判所が不良経営者を守ろうとして、次に高等裁判所がいて、さらに最高裁判所と不良企業の不良経営者を守るための機関が二重三重に張りめぐらされている。
しかし、労働基準法違反は決して「精神規定」ではなく罰則規定も設けられている。
前から疑問に思っていたのは、刑法では実体規定と罰則規定が同じ条文に書かれているのに対して、労働基準法や建築基準法は実体規定と罰則規定が別の条文に書かれているのだが、この理由はなぜなのだろうか? 長く疑問に思ってきた。この書き方だと、実体規定だけ見た人には罰則はないと誤解してしまう人もいるのではないだろうか。
この点について、どこだったか、ある労働基準監督署の総合労働相談員の人は「罰則規定があるといっても、あんなもの、付録でついているようなものですよ」などと言ったのだが、労基署の職員がそんなこと言ってはいかんだろうが! と思ったが、そんな認識の人もいる。
ある程度まともな考え方としてだが、刑法の規定は国民誰もに適用されるものであるのに対して、労働基準法は実体規定の方は使用者と労働者・従業員との両方に適用されるもの、使用者だけが守ればいいというものではなく、労働基準法の実体規定を守らないといけないのは使用者と労働者・従業員の両方であるのに対して、罰則規定が適用されるのは使用者に対してだけであるので、それで実体規定と罰則規定は分けて記載されているのではないか、という見方だ。そうであるから実体規定と罰則規定が別の条文に書かれているのかどうかはわからないが、ここではっきりとしているのは、
労働基準法の実体規定について守らないといけないのは使用者だけではなく、従業員・労働者もまた、国民全体が守らないといけないものであり、罰則規定については適用される対象は使用者であって労働者・従業員は適用される罰則はないが、だからと言って守らないといけないのは使用者だけで労働者・従業員は守らなくて良いというものではない、ということだ。
だから、小堀住研(株)の千葉支店において渡邊士直が次から次へと労基法違反を繰り返したことについて、罰則規定が適用されるのは実行者である渡邊士直と会社の代表者である代表取締役の中島昭午であり、千葉支店業務課長の江間・越智や東部営業本部長の増田和二も責任がないとは言えないはずだが、労基法上の罰則規定により処罰されるのは実行者の渡邊と会社の代表者の中島になる可能性が大きいのではないかと思われるが、しかし、労働者・従業員は被害者という面もあるが、同時にそれを許したということであるならば、加害者の側面もまたあると考えざるをえない。当然のことながら、ある程度以上の大学卒の者は責任を問われるが高卒の人間は「高卒だから」などという口実で免責されるなどという虫のいい話は通じない。
労働者・従業員にとって労働時間というものは、これは賃金とともに大変重要な問題だ。労働基準法において労働時間制限が設けられ、又、時間外労働について時間外賃金を払わないといけないと規定し、深夜労働について深夜割増で賃金を払わないといけないと規定しているのは、それは労働契約において定められた労働時間についての対価としての賃金しか払わないのに、それ以外の時間に働かせてよいものではないので、それ以外の時間に働かせたならば、それに対しての賃金を払わないといけないという意味があるが、それだけではなく、無暗に時間外に働かせたことにより、無制限に時間外に働かせることにより労働者・従業員が健康を害することがないよういという意味がある。
私などが支店長になったならば、まず、支店長というのはその支店の従業員が働きやすい環境を確保するのが支店長の役割であり、それができないなら、それをやらないなら、ましてや、それに逆行することをするならば、それでは支店長の役割を果たしていないことになる、と考える。それに対して、「底辺の高校卒」の渡邊士直さんの場合はそうは考えたなかった。渡邊士直さんは千葉支店から歩いて10分以内というような場所に住み、柏展示場や松戸展示場に行く時には、とりあえず、自宅から至近の場所にある千葉支店に出勤して「出勤した」という実績をそれによって作り、その上で勤務時間内に移動して柏展示場や松戸展示場に行くということをおこなっていた。それに対して、柏展示場や松戸展示場の従業員には、営業社員の始業時刻の午前10時00分よりも1時間早い午前9時00分より前に、普段の勤務場所よりも1時間半は多く通勤時間がかかったと思われる場所に出勤するように要求した。大変、ズルイやり口であるし、そもそも、これは従業員を困らせてやろうとしてやっていたものであり、従業員が働きやすい環境を整えるのが支店長の役割であるとするならば、その逆をおこなっていたことになる。
私が支店長に就任したならば、まず、営業会議は5カ所の展示場の一番南東の展示場のさらに東側にある不便な場所の千葉支店でおこなうのではなく、5展示場の中央付近で会場を借りておこなうようにする。又、毎週おこなう必要があるとは思えないので、月に2回で十分である。月に一度くらいは千葉支店の従業員と各展示場の従業員が会う機会があった方がいいと考えるならば、それならば、展示場勤務の営業社員の始業時刻よりも1時間早い時刻に「朝礼」をおこなうのではなく、その場合は、たとえば午後1時から千葉支店でおこなうとか、そうするならば各展示場勤務の営業社員にも負担は重くなく、営業社員は設計・工事・工務の従業員に用事がある場合もあるから、午後1時からの「朝礼」でも「昼礼」でも月に一度おこなうようにすれば、その時に設計・工事・工務の従業員への用事をおこなうようにするということもできる。
それを、渡邊士直があえて各展示場の営業社員が困るようなことをおこなうようにしたというのは、それは性格の悪さというものもあるだろうけれども、その前に、やっぱり「底辺の高校卒の人」には支店長は実際問題として無理だと考えるしかないと思われた。
それで、だ。千葉支店長になぜかならせてもらった渡邊士直が千葉支店に赴任するなり女性社員の尻を撫でまわした、という事実を私が「本社に言った」ということから、渡邊士直の顔をつぶした、「支店長が迷惑した」と人事部長の高田が言いだしたらしい。高田、おまえ、頭、確かか? 性犯罪者に加担するのが人事部長の役割ではないはずだ。
しかし、実際問題として、私は特に勇敢なことをしたわけではない。人事部より新卒新入社員に「入社して半年ほど経ちますが、職場において何か困っていることはありませんか」というアンケートが来たので、そこに、千葉支店長の渡邊士直氏が女性社員の尻を撫でまわして「男性がさわりたいと思うお尻をしているということは大変いいことだねえ」などと発言した、こういうことは従業員の間のモラールを低下させることでもあり、会社としてなんとかしてもらえないでしょうか・・と書いたというだけのことだ。書かれて困るのならば、「入社して半年ほど経ちますが、職場において何か困っていることはありませんか」というアンケートなんて書かさなければ良かったのだ。
さらに、けしからんのは太陽神戸銀行である。太陽神戸銀行から出向で小堀住研(株)に来て、実力もないのに「次長」にならせてもらっていた前野和彦(男。当時、40代後半くらい? 当時、東京都杉並区在住)が、千葉支店において痴漢行為を働く不良社員の渡邊士直を会社として何らかの対処をしないといけないと考えた・・ということならわかるが、あろうことか、そうではなくて、私が渡邊士直の痴漢行為について指摘した、これはけしからんとして調査した上で私の方に制裁を加えようと暗躍していたのだ。太陽神戸銀行〔⇒太陽神戸三井銀行⇒さくら銀行⇒三井住友銀行〕は、こういう頭のおかしな行員を他社に出向させて、他社の従業員を困らせるような行為は慎むべきであろう。
前野和彦は私について誹謗中傷をおこなっていたが、どうしようもない人間である。世の中には「アホは純真」とか思っている人がいるが決してそのようなことはない。アホであるとともに根性が腐っている人間というのは存在している。それは決して少なくない。前野和彦はその一人である。
それで、だ。小堀住研(株)には銀行から何人もの人間が出向として来ていて、しかも、そういう連中はどいつもこいつもフランスも、その人が銀行から出向で小堀住研(株)に来たのではなく最初から小堀住研(株)に入社していた場合にどのくらいの役職につけてもらえたかという役職よりもはるかに上の役職に無能のくせにつけてもらっていた。最初から小堀住研(株)に入社した従業員はそれを見て不愉快に思っていた。・・その状態自体、すでに「おまえは、もう死んでいる」状態の会社だったのかもしれないが。〔⇒《YouTube- お前はもう死んでいる》https://www.youtube.com/watch?v=5kLbIgC-RnQ 〕
そんなこと言わなきゃいいじゃないかと言う人があるが、実際のところ、たいしたこと言ってないのだ。それでも言うのが悪いと言う人がいるが、そうか。 福沢諭吉は『学問のすすめ』において「天は人の上に人を作らずと言えり」しかし、現実には差が出ているのは、それは学問があるかどうかによるものであり、学問をやるべきだということを説いているのだが、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)によると、福沢諭吉は『学問のすすめ』において大事なものは学問のあるなしだと言っているが、他方において『文明論之概略』においては大事なものは「武士の精神」だと述べているというのだ。『文明論之概略』は一読はしたのだが、『学問のすすめ』や『福翁自伝』などと違って読みにくい文体であり、一読はしたけれども何が書いてあったか忘れてしまったのだが、遠山茂樹『福沢諭吉』(東大出版会 UP選書)でそう書かれているのなら、福沢諭吉は『文明論之概略』で大事なのは「武士の精神」だということを述べているのだろう。

福沢諭吉 ―思想と政治との関連― UP選書 - 遠山茂樹
福沢諭吉という人は、結局、学問が大事だと言いたかったのか、武士の精神が大事だと言いたかったのか、その時その時で勝手なこと言っていたのかというと、そうではなくて、どちらも本心だったのではないか。学問が大事だというのは本心であるが、他方において明治維新の後、武士は仕事を失い、商売を初めても「士族の商法」などと言ってうまくいかず、「武士の精神」などというものは無用の長物、百害あって一利なしのように言われたが、そうではない、「武士の精神」というのはこれは価値があるものなのだということを福沢諭吉は言いたかったのではないか。
福沢諭吉が価値があるとした「武士の精神」とは何なのか。
何年か前、宅地建物取引士の更新講習を受講した際のことだが、「権利の変動」「宅地建物取引業法」の分野は講師はいつも弁護士が担当し、「法令上の制限」の分野の担当の講師は一級建築士の人が担当しているが、その「法令上の制限」の分野を担当した一級建築士の人が言われたのが、「私が一級建築士の資格を取得した時に言われたことですが、一級建築士とか『士』とつく国家資格というのは『さむらい』なんだ。『さむらい』というのは誇り高き立場なんだ。それこそ『武士は食わねど』という言葉があるように、法に反するような行為は、たとえ、違反したらもうかるとかいったことがあっても、たとえ、他の人間がやっていたとしても、それでも俺はやらないんだ、『さむらい』である以上は、俺は他の人間がたとえやっても法に反するようなことはやらないんだ、というのが、それが『士(さむらい)』というものなんだ」と、そう言われたのだ。
福沢諭吉が「武士の精神」というのは決して役に立たない無用の長物ではなく、大変価値があるものなんだ、と『文明論之概略』で言ったというのは、そういうことを言っていたのではないのだろうか。
そう考えた時、「俺は会社の女である限り、誰でもいつでも好きな時に好きなだけ、尻を撫でまわしてよいと中島(昭午)社長から許可されとるんじゃ」と渡邊士直は言うのだったが、たとえ、中島昭午が許可したとしても、そもそも、中島昭午にはそのような許可をする権限などもとよりなく、むしろ、逆に会社の代表者 代表取締役として、渡邊士直の性犯罪を取り締まる義務があるはずであるのだが、そういった痴漢行為を働く者やそれを「許可」する痴れ者が会社にいたとしても、俺はそういう者に加担したりはしないんだ、というのがそれが「武士の精神」ではないのか。
慶應大学という大学は「強姦魔の大学」というイメージがあるが、しかし、慶應大学のOBの人と話をすると、そんな人ばかりということはなく、逆に「出世するとかしないとかそういうことは世の常であり、うまくいかない時があってもそれはしかたがない。しかし、人を騙して儲けるとか、立場を悪用して人を苛めるとか、そういったことはこれは他の人間がたとえやっても慶應義塾の出身者はそういうことはやってはいけないんだ」といったことを言われる方もあります。この考え方からするならば、「俺は『女性社員の尻をなでまわす権利』というものを中島社長から俺の人権として認められているんだ」と主張する渡邊士直のような人間、それに加担する増田和二のような痴れ者がいたとしても、それでも俺はそんな人間に加担したりはしないんだ、「慶應義塾の出身者は決してそのような者に加担してはならないんだ」という考え方、それこそが福沢諭吉が言ったという「武士の精神」ではないか。
それで・・・だ。最初に新庄と新庄のお父さんの話を出したが、その逆のお父さんというのも世の中にはいるのだ。どこにいたかというと、我が家にいたのだ。うちの父親は私にこう言ったのだ。
「甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と。
「支店長が女性社員の尻を撫でまわしたならば、それなら、こう言いなさい。『もっと撫でまわされたらどうですかあ』と。『こんな具合で撫でたらどうですかあ』と。そう言いなさい。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と。うちの父親は私にそう言ったのだ( 一一)
これは、一般論として、仮にとしての話だが、職場に自分の婚約者などがいたとして、社長の中島昭午から「会社の女である限り、誰でもいつでも好きな時に好きなだけ尻をなでまわしてよい」と「認められている」という男がいた、として、そういう時には、「もっと撫でまわされたらどうですかあ」「こんな具合で撫でたらどうですかあ」と言うべきなのか?
あなたは、そういうことを言う男をどう思うか? 「そんなこと言うわけにはいかない」という人間というのは、うちの父親が言うように「甘ったれとるからじゃ」ということになるのか?
そうではあるまい。そうではなく、「自ら虫けらとなる者は、後で踏みつけられても文句は言えない」という、イェーリング『Recht(権利=法)のための闘争』で引用しているカントの言葉、この言葉こそ、ここで認識しなければならないものではないか。

権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
それこそ、「ハンマーパンチの嵐」を撃ち込んだ上で、植木の剪定ハサミでち〇ぽ切断して水洗トイレに流してやる! とでもやる方が「もっと撫でまわされたらどうですかあ」「こんな具合で撫でたらどうですかあ」などと言う人間・言えと言う人間よりも精神的にまともではないか。〔⇒《YouTube-力石 徹のテーマ / ヒデ夕木》https://www.youtube.com/watch?v=6oW094h_Xhs 〕
私と同じ小学校・中学校・高校と行った男で「野口くん」という、「こいつ嫌なやつやなあ」「こいつ、本当に嫌なやつやなあ」という男がいたのだが、うちの親は私が嫌いでその「野口くん」が大好きだった。
うちの父親は言うのだった。「わしはおまえは産まれていらんかってん。わしは『野口くん』が産まれてほしかってん」と。だから、私もうちの父親に言ったのだった。「私も『野口くん』が産まれてほしかってん。あなたの息子には『野口くん』が似合ってると思いますねん。私はあなたの息子には産まれたくなかったんです。あなたの息子には『野口くん』が産まれてほしかってん」と。
そうすると、うちの父親は言うのだった。「無茶苦茶言うな! このわしいほど魅力たっぷりなお父さんがあるもんか。わしほどエライえらいエライえらい人間はおらんねんぞ、このチャンコロろすけイタコ! わしのような魅力たっぷりのお父さんの息子には誰もが産まれたいと思うもんや。おまえも思っていないはずがない」と言うのだ。それで私は言ったのだ。「私は思っていませんから、誰かその『魅力たっぷりのお父さん』と思っている人のお父さんになってあげてください。私はけっこうですから。あなたは私が嫌い。私もあなたがいや。お互いに相手がいやなのですから、別れましょうよ。どうか、別れていただけませんか」と。
そうすると、うちの父親は言うのだった。「そうはいくかい、このチャンコロろすけイタコ浪商ニグロ拓殖プエルトリコ!」と。「しかし、あなたは私がいや。私もあなたがいや。あなたは『野口くん』が好き。私は『野口くん』の親なんて別にいいとは思いませんけれども、あなたの息子に産まれるのなら産まれてこなかった方が良かったのです。産まれてくるのなら、あなた以外の人の息子に産まれたかったのです。お互いに相手がいやなのですから、どうか、別れていただけませんか」と、私はそう言ったのだ。
ところが、うちの父親は「そうはいくかい、チャンコロろすけ! おまえが産まれてこなかったら良かったのに産まれてきたために、わしはおまえを育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ、このチャンコロろすけイタコめが、このチャンコロ! そやからやなあ、これから、おまえにはセエッセせっせ、セエッセせっせと死ぬまで働いて、そのカネをまどてもらわんといかんのじゃ、このチャンコロめが。産まれてこなかったら良かったのに産まれてきおってからに、このチャンコロろすけイタコ浪商!!!」と。そう言って、「産まれてこなかったら良かったのに、産まれてこなかったらよかったのに、産まれてこなかったら良かったのに」と、私の眼を指で突き刺すようにして何度も何度も叫ぶのだった。自称「魅力たっぷり、魅力たっぷりのお父さん」という男が。
旧ソ連の詩人で音楽家のブラト=オクジャワは父親はグルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)人で母親はアルメニア人だった。父親は第二次世界大戦中、独ソ戦(「大祖国戦争」)のさなか、グルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソビエト連邦からの離脱・独立の運動をおこない、そして、「人民の敵」として銃殺された。母親は刑務所に入れられ、刑務所から出てきた時には「お母さん」が「お婆さん」になっていた。それでも、ブラト=オクジャワはスターリンを信じていたが、そのうち、オクジャワはスターリンを批判したわけでも何でもないのに上演禁止をスターリンの政権から言い渡される。 ブラト=オクジャワの歌に「紙の兵隊」という歌がある。
ひとりの兵隊が住んでいました。美しく勇ましい紙の兵隊が。
あなたの為なら死んでもいいと、二度でも三度でも死んでみせると。
この世を正しくしたいと思って、彼は進んだ、炎に向って。
すっかり忘れていた、自分が紙だと。
彼は焼かれた、紙の兵隊。
あとには灰さえ、残りはしなかった。
・・この「紙の兵隊」の歌は、第二次世界大戦中、独ソ戦のさなか、グルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソ連からの離脱・独立の運動をおこなって「人民の敵」として銃殺されたオクジャワの父親のことを思って歌われた詩らしい。
※ 《YouTube-Paper Soldier(紙の兵隊) - Bulat Okudzhava(ブラト=オクジャワ)》https://www.youtube.com/watch?v=cUO-quXA9Ts

紙の兵隊 - ブラート・オクジャワ
1970年代後半、大阪府高槻市 のYMCA予備校高槻校 に「主事」というよくわからない役職でいた藤井という男は実に卑怯な男だった。たとえば、この男は「前にいた女生徒で、模擬試験とかでは大変いい成績をとっていたのだけれども、文学的素養がなくて人間性に問題がある人間だったから、模擬試験ではいい成績を取っていても京大の文学部の試験には2年浪人しても落ちて二期校の宮崎医大に行ったんだ。京大の文学部はたとえ模擬試験でいい成績を取っても、文学的素養がなくて人間性に問題がある者は落ちるようにできてるんだ」などと何人もの前で何度も言うとともに、私にも個人的に言うのだった。
その女性とは会ったことがないので、実際にどういう人かは知らないが、「文学的素養がない」だの「人間的に問題があるから」だのと、関係ない人間にまで言う必要はないではないか。なぜ、そんなことを言わなければならないんだ。そう思わないか。
何よりも、京大の入試というのは総合点主義であり、もしも、本当に「文学的素養がない」から「国語」の成績が悪かったとしても、他の科目で高得点を取れば合格することはある。京大の数学科の教授だった森 毅が『数学受験術指南』だったか『元気が出る教育の話』(いずれも中公新書)だったか、どちらかで述べていたが、現実に1科目0点で合格した受験生がこれまでにいたらしい。又、森 毅が述べていたが、文学部なのに数学が相当できるという受験生がいるが、文学部に数学なんてあんまり関係ないから数学ができてもしかたがないではないかと言う人がいるが、そう考えなくても、むしろ、文学部なんて所は多少変わったやつの方が向いているところがある学部だから、文学部なのに数学ができるというやつというのは、大いに合格にするべきだという考え方もある、と。だから、もしも、本当に「文学的素養がない」人で「国語」の成績が悪かったとしても、それでも京大の文学部に合格できる可能性はあるはずなのだ。
北野高校の同じ学年の人間で現役で京大の文学部に合格した人間が何人かいたが、それらの者が誰もが人間性が悪かったとまでは言わないが、彼らが人間性が優れていたから合格したのかというと、そういう問題ではないと思うのだ。又、京大の文学部に通った人間が誰もが「文学的素養」があったのかというと、そうでもないのではないように思ったが、私がこの人は「文学的素養がない」と思ったとしても当人は「文学的素養がある」と思っていたかもしれない。その前に、そもそも「文学的素養」ていったい何ですか? 文学作品などをよく読む人間とそうではない人間という違いというのはあるかもしれないが、藤井の場合は、ともかく自分が気に入らない人間には「文学的素養がない」とか「人間性に問題がある」とか言いまくるのであり、むしろ、藤井の方こそ「人間性に問題がある」ように思えた。
又、もしも、藤井が言うように「京大の文学部は文学的素養がない人間とか、人間性に問題がある人間は合格できないような問題が出る」のであれば、YMCA予備校でも模擬試験に「文学的素養がない人間とか、人間性に問題がある人間」は高得点を取れないような問題を出すべきで、「文学的素養がある人間」・「人間性に問題がない人間」が高得点を取れる問題を出題するべきであり、それを出題できていなかったから、その「文学的素養がない」「人間性に問題がある」という女性がYMCA予備校の模擬試験では高得点を取れたということならば、それならば、YMCA予備校の模擬試験というものは京大の入試問題には相関性がない、ということになるはずだ。私は藤井にそれを言ったのだ。「YMCA予備校の模擬試験と京大の本番の入試との間に相関関係が強くあって、YMCA予備校の模擬試験ではいい成績を取れていたのならば、京大の本番の入試で良い成績を取れなかったとしても、それは文学的素養がどうとか、人間性がどうとかいうことではないのではありませんか。もしも、京大の本番の入試では文学的素養がない人とか、人間性に問題がある人とかは良い成績を取れないが、YMCA予備校の模擬試験では良い成績を取れるということならば、それならYMCA予備校の模擬試験は京大の入試には相関性が強くない、ということでしょう」とそう話したのだ。
ところが、藤井は「いいや、そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験は京大の入試に絶対的な相関性がある」と言うのだ。それで私は「文学的素養がない人・人間性に問題がある人なら高得点を取れないという京大の文学部の試験とYMCA予備校の模擬試験とが相関関係が大きくて、そのYMCA予備校の模擬試験で高得点を取ることができていたのであれば、その人が京大の文学部を落ちたというのは『文学的素養がないから』とか『人間性に問題があるから』とかいうことではないのではありませんか」と言ったのだ。そうすると、この藤井という男は何と言ったかというと、「きみも文学的素養がなくて人間性に問題があるから文学部は受けても絶対に落ちるから文学部は受けてはいかん」と、そう言ったのだ。さらに「きみのような上司に逆らう人間は会社員としてはやっていけないから、経済学部は絶対に受けてはいかん」と、藤井はそう言ったのだ。そもそも、YMCA予備校の事務職員というのは受講生の「上司」ではないのだ。YMCA予備校の事務職員が受講生にカネ払って受講生を雇っているのではなく、受講生の側がYMCA予備校にカネを払っているのであり、YMCA予備校の藤井のような事務職員は受講生が払ったカネから給料をもらっているはずなのだ。私は、この点について頭の中・心の中では思ったが口に出しては言わなかったが、口に出して言った人がいたようで、その後、藤井はYMCA予備校高槻校 京大東大文系クラスのK-1クラスにおいて、全員を前にして「俺らはあくまでもきみらの親からカネをもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんだからな。だから、俺らはきみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんだからな。心得違いを起こすなよ」とそう言ったのだ。心得違いを起こしているのはどちらだろうか。たとえ、予備校に支払うカネを親が出していたとしても、親は息子・娘のために役立ってもらおうと思って払っているのであり、「きみらのために働く筋合いはまったくないんだからな」などと言うのであれば、そんな予備校・そんな予備校職員には何の価値もないということになるではないか。
私はうちの親に「あの藤井という男は自分自身が京大や東大を受けた経験もない人間で大学入試について何もわかっていない男で、デマカセ・デタラメばっかり言いまくってしかたがない人間だから、どうか、あの男は相手にしないようにしてほしい」と言ったのだが、ところが私がきっちりと言ってもそれでも、うちの父親は「専門家やがな、専門家。専門家です、専門家」などと言い、私が「あんなやつ、専門家とは違います」ときっちりと言っても絶対に理解しなかった。〔あの男の「専門家」崇拝・「専門家」信仰、実際にその問題について詳しいわけでもない人間を「専門家」と崇拝・信仰する習癖はどうしようもない( 一一) 〕うちの母親は「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」などと言い、私が「あんなクリスチャンない」と言っても、それでも「あの人はクリスチャンはクリスチャンでも、YMCAで主事をやっているくらいだから並みのクリスチャンではない。相当にえらいクリスチャンのはずや」と、「『聖書』みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん! 『聖書』みたいなもん、読んではいかん。『聖書』みたいなもん、読まんでも洗礼うけて献金はらって日曜ごとに教会に行って礼拝に出ておけばそれでええねん!」と毎日のように「伝道」しまくっている男のことを言っていた。1浪の時の私にとってはYMCA予備校高槻校のこの藤井という男と関わらなかったことが相当マイナスになったのは間違いない。その後、たいして経たないうちに、大阪に駿台・代ゼミ・河合塾が進出してくるとYMCA予備校はあっという間に淘汰されて、かつては大阪府に土佐堀・阿倍野・豊中・堺・高槻と5校と横浜市に関内(かんない)と菊名の2校があったのが、すべてなくなった。良心的でない運営をしていた予備校が淘汰されたのは当然のことであろう。
それで、だ。こういう時に、私はどうも昔から正直で、思ったことをそのまま言ってしまうところがあった。それに対して、うちの親が大好きだった「野口くん」てやつは、「野口くん」の母親が「うちの子は大人ですわあ」とか言いまくっていたように、そういう時に、うまく立ち回るのだ。今から考えてみると、あの男は小学生の時からそんなところがあった。「野口くん」はそういう時にうまく立ち回り、そして、藤井から「野口はしっかりしている」とか言って称賛してもらっていたのだ。「作家で精神科医」の なだ いなだ が『娘の学校』(中公文庫)で「どのような賞を受賞しているかで人の値打ちが決まるのではない。どのような人が受賞しているかでその賞の値打ちが決まるのだ」と述べていたが、私もそう思う。又、毛沢東は「敵によって反対されなら、それはは良いことであって悪いことではない」と述べている。「敵によって称賛されるならば、我々の行動が敵と同様に腐敗していることを意味し、敵によって反対されるなら、我々の行動が敵とは一線を画していることを意味しているからだ。だから、敵によって反対されるなら、それは大変けっこうだと言うべきである」と述べている。だから、藤井からありとあらゆる悪口雑言を浴びせられるならば、それは「大変けっこうだ」と言うべきであり、藤井から「◇◇はしっかりしている」などと称賛されるならば、それは藤井と同様に腐敗している可能性が考えられる。実際、「野口くん」は藤井と似た部分があったと思われる。
「野口くん」はブラト=オクジャワの父親のように「紙の兵隊」のごとく炎に向って突き進んで焼かれる、などということはしない。なにしろ、「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」と母親が言うように、そういう人間だったのだから。新庄のようにプロ野球の球団への入団が決まっていたにもかかわらず、これはひどいと義侠心に駆られて教師に殴りかかるなどということもしないだろう。そのあたりが「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」というものだったようだ。
・・しかし、そういうのは、自慢するべきものなのだろうか。
実際、「野口くん」はぺったんこの顔をしているから「ひっかかる」ことも少ないであろうし、少なくとも私なんかよりはずっと出世して、私なんかよりはずっと給料も多く得たであろうから、少なくとも私なんかよりもずっと女性にとっては結婚するにはいいかもしれない男だったであろう・・と思う。先に言っとく。 しかし、やっぱり、自慢するものではないのではないか。
ところで、新庄のお父さんは「つよし。おまえは間違ってない。プロの野球選手になれなくてもいい」と言ってくれたらしい。「もっと撫でまわされたらどうですかあ」「こんな具合に撫でたらどうですかあ」などとは言わなかったらしい。どちらが「いいお父さん」だろうか。どちらが「魅力たっぷりのお父さん」だろうか。
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」とおっしゃるのだった。旧姓作野礼子さんにとってはそうなのだろう。たしかに、旧姓作野礼子さんもまた、義侠心にかられてプロ入りが決まってるのも忘れて教師に殴りかかったり、独ソ戦のさなかにグルジア(ジョージア、サカルトヴェロ)のソ連からの離脱・独立運動をおこなって銃殺されるとか、そういうことはやらないと思われる方の人間だ。「みんなの為に戦う」とかいったタイプではないのは間違いない。だから、その点で旧姓作野礼子さんもまた「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」という人間だったのかもしれない。
・・・オクジャワの「紙の兵隊」とか、あるいはアーラ=プガチョーワが歌った「百万本のバラ」とか、そういう歌は旧姓作野礼子さんには何の関係もない歌であろう。・・ふと思ったのだが、あの女は、なんで「国語」の教諭をやっているのだろう。「紙の兵隊」とか「百万本のバラ」とかに感動する心を持たない人間がわざわざ文学を扱う仕事につかなくてもよかったのではないのか・・と思うのだが。
※ 《YouTube-百万本のバラ / アーラ・プガチョワ》https://www.youtube.com/watch?v=dPZdC792zo0
1970年代後半、私が「あの藤井という男は受験について何もわかっていない男であり、勝手なことばっかり言っているだけの人間だから、あんなやつの言うことはきかないで」と何度言っても、「あの人はクリスチャンだから絶対に悪い人であるわけがない」などと言っていたうちの母親は、百歳近い年齢になった今、マインドコントロールが解けたのか、藤井が「前にいた女生徒で、模擬試験とかでは大変いい成績をとっていたのだけれども、文学的素養がなくて人間性に問題がある人間だったから、模擬試験ではいい成績を取っていても京大の文学部の試験には2年浪人しても落ちて二期校の宮崎医大に行ったんだ。京大の文学部はたとえ模擬試験でいい成績を取っても、文学的素養がなくて人間性に問題がある者は落ちるようにできてるんだ」などと、その後の受講生に何度も何度も言いまくっていたことを話すと、「かわいそうに。なんで、そんなこと言わなければいけないの」と言うようになった。私もそう思う。その人が実際にどういう人であったかにかかわらず、藤井がそのようなことをその後の受講生に言いまくるのは不適切である。予備校には次の年、その次の年、その人と同じ高校の出身者が入ってくることがある。「あの人のことを言っているのか」と思う受講生が出てくる可能性もある。藤井がそのようなことを言いまわる権利がなにゆえあるのか? 藤井は「ぼくらはクリスチャンだから」と何度も言っていたが、そういうのを「クリスチャン」と言うのか? 『聖書』にはそのような行為をせよと書かれているのか? イエスはそのような行為をおこなえと言っているか?
新庄のお父さんは、新庄が義侠心にかられて教師に殴りかかり、「しまったあ」と思った時、「つよし。おまえは間違ってない。プロ野球の選手になれなくてもいい。帰ってこい。おまえは間違ってない」と言ってくれたというが、その逆の父親とどちらがいい父親か。
〔 そういうことは絶対にしない息子というのを「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」と自慢しまくって叫びまくる母親というのは、いいか悪いか知らんが「そんな人」なのだろうけれども。〕
・・それは「人それぞれ」なのかもしれないが、「『こんな感じで撫でたらどうですかあ』と言いなさい」と言う父親というのは、それがうちの父親だったが、私が父親の立場になら、そんなことは言いたくない・・と思うし、私なら言わない・言えないと思う。
(2022.11.2.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。 〔今回〕
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
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