鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。
[第609回]
大阪市東住吉区 の JR阪和線 の少し東側のあたりに、私は小学校の前半まで、1960年代後半まで住んでいたのですが、うちの父親は出勤する時、子供に「お土産買ってくるからねえ~え」と言ってでかけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやって楽しんでいたのです。うちの父親はそうすることが面白いと思っていたようで、子供はそういうことをされると喜ぶものだろうと思っていたのかもしれません。しかし、子供は決して、そういうことをされることを喜んではいませんでした。毎日毎日されるので、そのうち、「慣れた」けれども、「慣れた」としても、いわば、それは何発も殴られたことで1発あたりについて、それほど痛みを感じなくなったみたいなものであり、そういうことをされるというのがうれしかったわけではありません。
世の中には、子供を見ると「何何を買ってくるからねえ~え」と言って、そして、次に会う時には「ないわあ~あ♪」とやると面白いとか思っているおっさんがいるようですが、おっさんは面白いかもしれませんが、子供は喜んでいません。子供は決してそういうことをされることを喜んでいないのですが、それをわからないおっさんというのがいるようです。
1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、普通、そんなもん、自慢するもんと違うように思うがなあ・・ということを自慢にしている女でしたが、「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言うのでしたが、そんなにいいと思うのならば、「お土産買ってくるからねえ~え」⇒「ないわあ~あ♪」というのも、旧姓作野礼子がされればいいと思うのです。父親がなかったら、そういうことをされることだってないはずなのです。なんだか、自分は「父親がなかったから」世界の誰よりも苦労してきた世界の誰よりもエライと言いたいみたいでしたが、「父親がなかった」ことから「父親があった」ことによる苦労をしてきていないという事実を理解できないバカ女症候群の「病人」であり、しかも、「病識がない」女でした。
うちの母親が行っていた大阪府M市の日本キリスト教団M教会の牧師屋のS田さん(男)は「私は子供の頃、債権者に追われていた。債権者に追われるということほど大変なことはない。こういう経験をした人間はどんなことだってできる」とか、毎日曜日に「牧師説教」としてお話になっていたのですが、しかし、「子供の頃」というからには自分自身の借金ではなく、親が借金したのか自営業で買掛金を払えなかったのかでしょうけれども、それにしても、「債権者に追われることほど大変なものはない」となんだか「債権者に追われていた」人というのがエライみたいに言われるけれども、しかし、なんだかんだ言っても「債権者に追われていた」ということは払うべきものを払っていなかったということであり、自慢することとは違うのではないのか。そして、「債権者に追われることほど大変なものはない」と日曜ごとに「牧師説教」として言われるのであれば、せめて、百回に一回でも「払ってもらわないといけないものを払ってもらえずに逃げられた者の大変さ」も少しは考えてみたらどうなのか、「払ってもらうべきものを払ってもらえずに逃げられた者の大変さ」を一言も言わずに「債権者に追われることほど大変なものはない」とそちらばっかり言う人というのは、それは身勝手というものではないのか、という印象を受けました。S田さんが「債権者に追われていた」ということを自慢されていたのと同じく、旧姓作野礼子さんもまた「両親が離婚した」「父親がいなかった」ということを自慢されていたというのは、それはやっぱり、おかしい。それは自慢することではないはずだ。
又、もしも、私が旧姓作野礼子さんの「両親が離婚した」原因を作ったとでもいうのなら、それならば「どうも、えらいすんまへんなあ」とでも一言くらい言った方がいいかと思うが、そうではないはずなのだ。私が離婚させたわけでもないだろうが。それを「私は両親が離婚したから」と執拗に言われても・・⇒知らんがな、そんなもん。
・・そういえば、1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいたM上正一(男。当時、20代)は「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子。前科あり。極真会空手の有段者。元暴走族・・」と自称していたが、世の中、学歴を詐称する人・職歴を詐称する人・資格を詐称する人というのはゴマンといるのだけれども、「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子。前科あり。極真会空手の有段者。元暴走族・・」なんて、実際にそうでも隠す人はいても、実際は違うのに詐称する人間なんているわけないだろうと思って、本人がそう言うからにはそうなのだろうと思っていたら、「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子」というのも「前科あり」というのも「極真会空手の有段者」というのも「元暴走族」というのもすべて嘘らしく、驚いたということがあった。しかし、たとえ、それらが事実ではなかったとしても、事実でないからいいというものではなく、そういったことを職場で口にすることで同僚を脅す行為というのは、これは犯罪であり、むしろ、いわき市の小名浜地区の住人に聞くと「小名浜一家の親分さんて、そんな人じゃないよお」ということで本物の小名浜一家の組長という人は近隣の住人にはけっこう評判は良かったみたいで、実際に暴力団員や暴力団員の息子でなかったとしても、そっちの方がよっぽど問題があるみたいだった。そういう詐称をする人だって世の中にはあるわけで、その人はそういう詐称をすることが自慢になるみたいに思っていたのだろうから、それから考えると「債権者に追われていた」とか「両親が離婚した」とかを自慢になると思う人がいても不思議ではないのかもしれない。
戦前は「大学」と「大学生」「大卒」の数が今よりずっと少なかったので、教員免許というものがあることはあったけれども、「学校の先生」になるのに教員免許を持たなくても大卒ならなれたらしいのですが、今はそうではなくて、東大でても京大でても大学で教員養成課程を履修して、それぞれの科目ごとの高校教諭・中学校教諭の国家資格を取得しないとなれないことになっています。逆に、「バカでも入れる私大」卒でも教員養成課程を履修して高校教諭・中学校教諭の資格を取得すれば進学校の教諭にでもなれるという制度です。大学生に家庭教師を頼む場合なら旧帝大系国立大学とかの学生に頼むと思うのですが、高校教諭は旧帝大気国立大学卒でも教員の資格を取得していなければなることはできず、「バカでも入れる私大」卒でも教員の資格を取得しておればなれるのです。
なんか、変な制度という気もします。「野球にたとえれば」なんてたとえをやりたがるとおっさん・・という傾向があるので「野球のたとえ」は控えめにした方がいいかもしれませんが、あえて「野球にたとえれば」三冠王でもコーチになれないのに「単なる阪神ファンの酔っ払いのおっさん」でもコーチになれるみたいな制度・・、そんな感じがします。しかし、その教員養成課程でやっていることというのが、そんなに有害無益なものなのか、というとそうでもないのではないかと私は思っていたのです。
私は結局、教員養成課程は履修しなかったので、正確・詳細にどういうことをやっているのか知りませんが、高校教諭・中学校教諭にとって、片方でそれぞれの専門科目についての知識・認識・技術・能力が必要であるとともに、青年心理学・教育心理学・カウンセリングとかそういうものもまた、同等以上に必要ではないのかと高校時代および高校卒業してしばらくの時期の私は思っていたのです。しかし、実際に高校教諭とかになっている人がそういったマインドを持っているかというと、むしろ、逆の人の方が多いのではないかという印象を持っています。
まず、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」などということを自慢して、そして、「父親がいなかったから」なのかどうか、父親というものがいるとどれだけ大変か、父親というものがどれだけ扱いにくいか、父親とつきあうのがどれだけ大変かといったことを理解できないバカ女症候群というのは、その人は教員養成課程において、いったい何を学んできたのか、何も学んでこなかったのか・・と疑問に感じます。もしも、「父親がいなかったから」父親とつきあうのがどれだけ大変か、父親というものが、どれだけ扱いにくいかといったことを理解できないバカ女症候群の重症患者であるのなら、そういう人は高校教諭にはならないでもらいたい。たとえ、なるにしても、「両親が離婚した」「父親がいなかった」女子生徒専門の教諭になってもらいたい。「両親が離婚した」わけではない者・「父親がいなかった」わけではない者としては、そういうバカ女症候群の重症患者に高校教諭になられたのでは迷惑なのです。特に、「父親がいなかった」わけではない男子生徒は担任もたれたら迷惑なのです。
《B》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その2。
YouTube の貴闘力チャンネル https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B2%B4%E9%97%98%E5%8A%9B%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB で、貴闘力が小学校6年の頃、初代貴ノ花(藤島親方)の家に居候していて若貴兄弟と一緒に過ごしていたことがあると話していたが、その際、初代貴ノ花は自分が食べる物と子供に食べさせる物と差をつけるような人間じゃなく、そして、自分の子供に食べさせる物と同じ物を居候していた「鎌苅くん」(貴闘力)にも食べさせてくれた、と話していたものがあった。なるほど、初代貴ノ花は自分の子供にも自分と同じものを食べさせて、「鎌苅くん」にも同じ物を食べさせたんだ。
そうでない父親というのもある。私が小学校に行く前、幼稚園に行っていたか行く前だったかの頃、家ですき焼きをやったのだが、買って来た肉の中に「脂肪の塊」があったのだ。

脂肪のかたまり (岩波文庫) - ギー・ド・モーパッサン, Guy De Maupassant, 高山 鉄男
最初、見て、これは何だろう、奇形の肉か何か不良品が紛れ込んでしまったのか・・と思って見ていたら、うちの父親が「こいつがおいしいんや、こいつが」と言うのだった。「これが、ものごっついごちそうなんや、ものごっついごちそう。おまえの大好物や」と言うのだ。「ええ? これって、食べるものなの?」と小学校行く前の子供が言うと、うちの父親は「食べるものに決まっておるやろうが。これがおいしいんや」と言って鍋の中に入れて、そして、子供に「食え、食え、食え!」と言って食べさせようとするのだった。
幼稚園児だったか幼稚園にまだ行く前だったかの私は気持ち悪くて、「ええ? これを食べるのお?」と言ったのだが、うちの父親は「食べるに決まっておるだろうが。食わんか。食え! クエッ、クエッ、クエッ!」と言うのだ。
「それなら、お父さんが食べたらどうですか」と子供が言うと、うちの父親は「何を言うとるんじゃ何を。こういうものは若いもんが食うもんじゃろうが。こういうものは若い者が喜ぶ肉や。わしは赤身を食うんじゃ、わしは赤みを。食わんか。それはおまえが食うもんじゃ。食わんか、食わんか、食わんか!」と言って無理矢理、食べさせようとするのだった。
「ええ? これを食べるのお? これって、食べるものなのお?」と言っても、「食べるもんに決まっておるやろうが。食わんか、コラ! 食べ物の好き嫌いをやってはいかんだろうが!」と言うのだった。(「食べ物の好き嫌いをやってはいかんだろうが」て、あんたがそういうことを言うかあ・・と思うけれども。)
「コラ。食わんか。戦争中は肉を食べたいとか思うても食べられへんかってんぞ。おまえのように、これは嫌いやから食わんなどと言うてはおれんかってんぞ。食わんか。こういう肉は食わんなどと贅沢言うなんてことは許されんことやってんぞ。これは食わんなどと贅沢を言うておっては、今にバチあたるぞ」とおっさんは言うのだった。
そう言われて、しかたなしに口に入れたが気持ち悪くてしかたがなかった。それでも、「食え。どうじゃ、うまいじゃろ。ほっぺた落ちるじゃろ」とおっさんは言うのだったが、気持ち悪くて無理に喉の奥に押し込もうと思ってもできずに出すと、「コラ! おまえはいったい何と言うことをするんじゃ。戦争中は食べたいと思っても食べられんかってんぞ。そんなことしておっては今にバチあたるぞ。食わんかあ!」と言われて、出したものをもう一度、口に入れて無理に喉の奥に入れようとしたが、気持ち悪くて気持ち悪くて呑み込めなかった。
そのうち、うちの母親が「もう、食べんでもええ」と言ってくれたので、その脂肪の塊は3分の2くらい、無理に飲み込んで、残りは食べずにすみましたが、あの時は本当に苦しかった。いったい、どこが「ものごっついごちそう」なのか、わからなかった。
30を過ぎた時、山科けいすけ という漫画家の『C級サラリーマン講座』という4コマ漫画に兎田課長というテカテカしたおっさんが登場して、小学校行く前の私が無理矢理食べさせられた脂肪の塊を食べるのを同僚が見て、「おい、おまえ、それは食べるものとは違うはずだぞ」と言って気持ち悪がるという場面があるのを見て、かつて、私が父親から無理矢理食べさせられたものは、実は「食べるものとは違う」ということを知った。それは、すき焼きをやる時に鍋に油をしくためのものであり、肉屋はすき焼きをやるために肉を買うということを知って、それで鍋に油をしくための「脂肪の塊」をひとつ入れてくれていたのであり、「食べるものとは違う」のだった。

C級さらりーまん講座(4) (コミックス単行本) - 山科けいすけ
( ↑ 右下の人物が兎田課長。)
それを、うちの父親はおのれはそれを知っていながら、子供はそういうことを知らないのをいいことに、「これはおまえのような若い者の大好物やねん。わしは赤みを食うんやけどな。食え。食わんか、食わんか、食わんか」と言って子供に無理矢理食わせたのだった。
「父親というもの」がそういうものかというと、どうも、よその父親はそういうことをしない父親の方が多いような気がするのだが、うちの父親はそういうことをする父親だった。
1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」、だから、その分だけ、「父親がいた」男性よりもエライのだと主張しまくっていたのだったが、それなら、とりあえず、旧姓作野礼子さんはあの「脂肪の塊」を食ってもらいたいと思うのだ。本当に気持ち悪いから。父親がいなかったら、あんなもの、食わされることはなかった。旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」とおっしゃるのだったから、そこまで言うからには、その「いいお父さん」がある人間の経験もまた、旧姓作野礼子さんは体験してもらいたいものだ。鍋に油を敷くための「脂肪の塊」を「食え、食え、食え。食わんか、食わんか、食わんか」と子供に行って無理矢理、食べさせる父親というのがあるとうれしいと思うのなら、とりあえず、その「脂肪の塊」を食ってもらいたいと思うのだ。
食わんか、食わんか、食わんか、旧姓作野礼子!
食え、食え、食ええ~え、旧姓作野礼子!!!
私が20歳の時、うちの父親が大阪の宗右衛門町の「高級料亭」に「連れて行ってやる」と言い、私が「行きたくない」と何度も何度も言ったのだが、あまりにもしつこくて根負けして行ってしまったということがあった。
父親にとって息子というものはどういうものか。はっきりしている。「給料払う必要がない『会社の部下』」だ。うちの父親は私に「・・・かねえ」と言って口のきき方をする。要するに、うちの父親は我が家における「会社のエライ人」なのだ。かつ、うちの母親はうちの父親のことを「私を女中さんのように扱う」「私を女中さん以下の扱いにする」と言うとともに「私のことを会社の人(会社の部下)みたいにする」と言って怒っていたのだが、ところが、うちの父親が私を「会社の部下みたいに扱う」ということについては怒りもしなければやめさせようともせず、同調するのだった。それが「妻」「専業主婦」としての処世術だったようだ。
宗右衛門町のHでは、うちの父親がそういう態度をとるものだから、店の人間も私を「会社の部下」か、それとも、うちの父親の仕事の上での取引先の人間、うちの父親を接待する側の会社の人間と思ったようだった。うちの父親は言うのだった。「わかっとんのか、チャンコロ。この店はなあ。わしのようなドイツ人しか入ってはいかん店やねんぞ。おまえのようなチャンコロは入ってはいかん店やねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ!」と。・・だから、行きたくないと言っただろうが。それを無理に来させたのはあんたやろうが。
「わかっとんのか、チャンコロ。この店はなあ、わしのようなエッライえっらいエッライえっらい特別に特別にえらいえらい人間しか立ち入ることを許されない店やねんぞ。おまえは入ったらいかんねんぞ、おまえは入ったら」と何度も何度も言うのだった。・・入りたくねえよ、そんなけったくその悪い店なんか。
「わ、ワ、わ、わかっとんのか。輪、倭、和、ワ、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロ! この店はわしのようなエッライえっらいエッライえっらい特別に特別にえらい人間しか立ち入ることを許されない店やねんぞ。おまえは入ったらいかんねんそ、おまえは」と言うのだ。・・帰ろうかと思った。
「この店はなあ。おまえみたいな人間が入って食事しようなどとしようものならば、『帰ってちょうだいんか』と言われて、つまみだされるぞお~お。わかっとんのか、チャンコロ」と言うのだが、別に入りたくねえよ、そんな気分の悪い店なんか( 一一)
「わかっとんのか。わしとおまえとは食うもんからして違うねんぞ、このチャンコロろすけイタコ!」と言うのだが、別に宗右衛門町のH三郎なんて、そんな店で食わんでも吉野家の牛丼の方がおいしいよ。
船場吉兆が賞味期限切れのものを出していたというニュースが何年か前に出たが、なるほどなあ・・と思った。「高級料亭」なんて、「そんなもの」だ。 「この店は常務さんのような特別におえらい方しか立ち入ることができない特別の店なんです」と言ってやれば、おっさんは賞味期限切れでもミミズの肉でもカラスの肉でも交通事故で死んだ犬の肉でも段ボールでも大喜びで食いよる・・というそういう店だ。そういう店のことを「高級料亭」と言うのだ。
「ああ~あ、ええ気持になった。どうじゃ、ええ気持じゃろ。ほっぺた落ちたじゃろ。ものごっついおいしかったじゃろ」とか言って、帰り道、おっさんは得意がるのだったが、別においしくなかった。吉野家の牛丼か、もしくは、日吉の大衆食堂の「半ちゃんラーメン」の方がおいしかった。
同じ市立中学校から同じ北野高校に行って「慶應の経済」に現役で行ったS本彰 という「なまたまご」を「なまなまこ」と発音する男がいた。この男は私と同じ小学校・中学校・高校から結果として同じ慶應大学に行ったものの、私とは性格も違えば、高校卒業までに学んできたものも大きく違った。慶應大学に「経済新人会」という「中年オヤジの交友会」みたいなサークルがあるのだが、阪本は慶應大学に入学するとその「中年オヤジの交友会」に入部したが、あんな気色の悪い団体によく入るなあ・・と私なんかは思ったが、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes. )なんて諺もあることでもあり、もともと、S本彰は小学生の頃から中年オヤジみたいな人間だったし、私とは違って北野高校に在学していた時から「慶應タイプ」だったから「ちょうどいい」ということだったのかもしれない。
親から「仕送り」してもらっていた額を聞くと阪本は私より一回り多い金額を送ってもらっていて、私に「よく、そんな金額で1か月、生活できるなあ」と言ったりしたが、東京と大阪を行き来する際も、私は夜行バス(その頃は今のように夜行バスが何社も運行しておらず、国鉄バスのみだった)に乗るか、もしくは、東京駅を夜11時半くらいに出る「快速」大垣行きに乗って、大垣駅で西明石行「快速」に乗り換えるという方法か、どちらかを取ることが多かったが、それに対して阪本は常に新幹線に乗って往復していた。
「ええなあ、うらやましいなあ、阪本は」「ほんまにええなあ、うらやましいなあ。わしぁ、日陰の月見草やあ」と何度も思ったものだった。

野村の金言 思考を変えれば人生は劇的に変わる - 野村克也
( ↑ 日陰の月見草。)
※ 《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA
かつて「赤旗の歌」というものがあった。今も歌がなくなったわけではないだろう。ドイツ民謡に「お~タンネンバウム、お~タンネンバウム♪」という「モミの木の歌」というものもあって節は同じだ・・ということは、もしかして、「卑怯者、去らば去れ~♪」という「赤旗の歌」を人畜無害化した節をつけたものが「モミの木の歌」だったのか? 日本には元の歌詞をごまかすために人畜無害化して歌詞にした歌がけっこうある。「ワルシャワ労働歌」という労働歌がロシアのモスクワに伝わり、それが日本に伝わったものがあったが、私が中学生の時、「音楽」の教科書にそれが掲載されていたのだが「労働歌」ではなく「青年の歌」だったかそんな感じの題名にされて歌詞は「山や川が呼んでいる。みんな元気にでかけよう♪」といった青年が元気に出かけようという内容の人畜無害な歌詞、労働歌という内容ではない歌詞にされていた。他にもそういうものは日本にはいっぱいある。そんなもので、「モミの木の歌」というのも「赤旗の歌」を人畜無害化したものか? ・・と思ったのだが、インターネットで検索するとそうではなくて、ドイツ民謡の「モミの木の歌」の方が先にあったらしい。それに「赤旗の歌」の詞をつけたらしい。だから、「モミの木の歌」は別に人畜無害化されたことで生まれた歌ではなかったらしい。その「モミの木の歌」に歌詞をつけた「赤旗の歌」にさらに替え歌が作られたらしい。「民衆の旗、赤旗は~♪」というものの替え歌として「民衆の足、国鉄は~♪」というもの、さらには「民衆の女、パンパンは~♪」などという替え歌まで作られたらしい。「民衆の足、国鉄は~♪」に続き「金持ちは~飛行機に~♪ 乗るぞ、我らは国鉄に~♪」という替え歌があったらしい。今、私は阪本が新幹線に乗っていて私は夜行バスに乗って東京から大阪に帰ったところ、うちの父親から「贅沢すんな。おまえが夜行バスなんて贅沢なものに乗ってはいかんだろうが。もっと安い方法を考えなさい」と言われたが、夜行バスよりも安い方法というのは見つからなかった。その時の気持ちを思い出すと、次のように歌いたい。
「民衆の足、夜行バスは~あ♪」
「 阪本は~新幹線に~、乗るぞ我らは夜行バスに~♪」と。
大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』(1964.12.21.岩波新書)には、
《 先ごろ、アメリカの大統領ケネディはアメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろうという話をデッチあげたが、あれは完全なウソである。マルクスは自分が貧乏をしたから革命論を作ったのではない。マルクスは原稿料をアメリカからもらったからリンカーンをほめたのではない。そういうことを考えるのは思い上がった小人である。・・・》
と述べられている・・・が、マルクスはそうだったかもしれないが、私なんかはマルクスほど人間できていないから、だから、S本彰が毎度新幹線に乗って私は夜行バスに乗っていると、S本彰は私より高い店で私より高いものを食っていて私はいつも安い店で安い物を食っていると、それこそ革命論でも考えてこましたろか・・て気持ちになりそうだ。「阪本はあ~あ、新幹線に~い、乗るぞ我らは夜行バスに~い♪」となると「気分は革命論」になりそうだが、逆に毎度新幹線に乗っていたS本の方は中年オヤジみたいになるようだった。

マルクス・エンゲルス小伝 (岩波新書) - 大内 兵衛
但し、私も新幹線を利用したことが一度もなかったわけではなく、新幹線に乗ってこともあった。その際に、昼食を新幹線の車内で食べようという場合について、昔は電車に車内食堂なんてものがあったが今はなく、うちの父親は「駅で弁当を売ってるから、それを買って食えばええ。おまえは とんかつ弁当や。おまえは とんかつ弁当を食うといい。とんかつ弁当にしなさい。わしは、いつでもウナギ弁当を食うんやけどな」と言うのだった。
なんで、「おまえはとんかつ弁当がええ」と私が食べるものをおっさんが指定するのか? どうせ、買って食べるのだから、食べる人間が食べたいと思うものを選んで買って食べればいいことと違うのか? もしくは、朝に何を食べたか、前日に何を食べたかということを考え、栄養バランスを考えて、朝や前日に食べなかったようなものを選んで買って食べるようにすればいいのとは違うのか? ・・と思ったのだ。
実際に、東京駅および新大阪駅の弁当売り場に行って見て、おっさんが「おまえはとんかつ弁当がええ」と言った理由がわかった。東京駅の弁当売り場、新大阪駅の弁当売り場で売っていた弁当の中で、一番高いのばウナギ弁当で、一番安いのが とんかつ弁当だったのだ。そうか、なるほど。それで、おっさんは私に「おまえはとんかつ弁当がええ」と、そう言いよったのだ。なるほど。
そして、おっさんは私に言うのだった。「贅沢したらいかんぞ、贅沢したら。贅沢するようなことは許されんぞ、贅沢は」と。贅沢なんてしてないはずだがな。なにより、「贅沢」なんて、そんなものするカネなんか持ってないじゃないか。毎度毎度、「一番安いの」ばっかり食うておるやろうが。
ところが、それでも、ウナギ弁当食ってるおっさんは とんかつ弁当の私に言うのだった。
「贅沢は敵だあ~あ!」と。
「撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。
とってちってたああ~あ!
戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元。
いっらいっら、してきたあ。
とってちってたあ~あ!」と。
初代貴ノ花は子供にも自分が食べるものと同じ物を食べさせ、居候していた「鎌苅くん」にも同じものを食べさせてくれたらしいが、うちの父親の場合は「おまえは、これを食え。わしは赤身を食うんじゃ」と言って私に「脂肪の塊」を食わせた。「おまえは とんかつ弁当や」と言って私に一番安いとんかつ弁当を食わせて、「わしはウナギ弁当を食うんじゃ」と言ってウナギ弁当を食った。「わしとおまえとは食うもんからして違うんやからな。民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」と何度も何度も言ったものだった。
「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と何度も何度も言われて、そして、
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」
「造反有理(造反には理由がある)(反逆は正しく、抑圧は間違っている)」
と思うようになった。

中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一

南京への道 (朝日文庫) - 本多 勝一

反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル

反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
「食べるものの違い」と言えば、うちの父親は、サニーレタスというのを宗教上の戒律からか絶対に食べなかった。レタスでも、全体が黄緑色のレタスは食べたが、先端が紫色のサニーレタスは「これ、気持ち悪い。あんたが食べなさい」と言って自分ように振り分けられたものを私に食べさせた。
子供に、少し傷んだものを「これ、気持ち悪いから食べないでおこう」と言って食べさせないようにするとか、もしくは大丈夫だろうと思えるけれども不安があるものを子供には食べさせずに親が食べるということをする親はあると思うし、うちの母親はそうすることがあったが、うちの父親はそうではなく、「これ、気持ち悪いから、あんたが食べなさい」と言って私に食べさせたのだった。
うちの父親は「キャベツとレタスとどっちがいいか」ときくと、必ず「キャベツ」と答える男で、「林檎と蜜柑とどっちがいいか」と尋ねると、必ず「林檎」と答える男だった。私ならば、キャベツは包丁で切らないといけないのに対して、レタスは手でむしればいいから、レタスの方が楽だと考えるのだた、うちの父親の場合は「特別にエライ人」「ドイツ人」「聖人」「スーパーマン」「キリスト」「完璧超人」だけあって、キャベツの方が楽だったのだ。なぜなら、レタスは手でちぎらないといけないのに対して、「聖人」「スーパーマン」「孔子で孟子」「聖徳太子」「キリスト」「完璧超人」にとっては、キャベツはあらかじめ「切ってある」からだ。
同様に、私なら林檎はナイフで切らないといけないのに対して、蜜柑はナイフで切らなくても手で皮をむけばいいので蜜柑の方が楽なのだが、ところが、「聖人」「英雄」「聖徳太子」「完璧超人」にとってはそうではなく、蜜柑は皮をむかないといけないのに対して、林檎はそうではなく、あらかじめ、むいてある、切ってあるのだ。
しかし、「あらかじめ、切ってある」というのは、誰かが切ってあるから「あらかじめ、切ってある」のだ。違いますか?
キャベツとか林檎とかはいったい誰が切っているのか。
「女が切るもんやねんぞ、女が。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いを起こしてはいかんぞ、心得違いを起こしては」と、うちの父親は言うのだ。
我が家には母親の他、姉が2人いた。しかし、上の姉が結婚して家を出て行き、下の姉も結婚して家を出て行き、そして、私が20代のある時、うちの母親が足をねじって捻挫をしたことがあった。「捻挫(ねんざ)」は「骨折」より軽いとは限らない。その時、うちの母親は50代の後半だったが、その年齢になると治すのも時間がかかるようだった。私が夏休みで家にいたので、食事の準備などは私がやったが、「キャベツとレタスとどちらがいいか」と言うと、「キャベツがいい」とうちの父親は言うのだった。たしか、うちの父親の説ではキャベツを切るのは「女の仕事です。女の仕事。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いをしてはならんぞ、心得違いをしては」ということだったはずだが、私に「切ってくれ」と言うのだった。私は女だったのか? たしか、性別は男だったような気がするのだが、私は女だったのか?
そして、「林檎と蜜柑とどっちがいいか」と言うと、「林檎がええ」と言うのだった。そして、やはり、「むいてくれ」と私に言うのだった。うちの父親の説では林檎をむくというのは「女の仕事です、女の仕事。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いを起こしてはいかんぞ、心違いを起こしては」ということだったはずだが、私に「むいてくれ」と言うのだった。私は女だったのか? たしか、私は性別は男だったような気がしたのだが。
そして、私が切ったキャベツを食い、私がむいた林檎を食って、うちの父親は私に、私の眼を指で突き刺すようにして言うのだった。何度も何度も。
「ええか、わかっとるか。これまで、わしがおまえの為にやってやってやったことはいっぱいあるけれども、おまえがこのわしの為に何かをしたということは、これまで何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとして、何ひとつとして。ええか、わかっとるか、わかっとるか、チャンコロ。心得違いを起こしてはいかんぞチャンコロ。おまえにわしが何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!」
と何度も何度も言うのだった・・・が、しかし、あんた、今、私がむいた林檎を食ったやろうが。あんた、さっき、私が切ったキャベツを食っただろうが。よく言うわ・・・( 一一)
※ 「よく言うわ」「バカ言ってんじゃないよ」⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g
さすがに、「英雄」で「聖人」で「ブッダ」で「キリスト」で「聖徳太子」で「完璧超人」だけあって、私らとは思考が違うようだった。
※ 「英雄」⇒《YouTube-交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)》https://www.youtube.com/watch?v=GKFStVrKNU4
※ 「完璧超人」⇒《YouTube-ヘルミッショネルズ(ネプチューンマン&ビッグ・ザ・武道)がケンダマンとスクリューキッドを公開処刑!》https://www.youtube.com/watch?v=-TK2QqK42FI
・・最近、YouTube で見て知ったのだが、『キン肉マン』の登場人物ならぬ登場超人のモデルだが、テリーマンがテリー=ファンク というのは誰でもわかる、ロビンマスクがビル=ロビンソン というのも推測できるのだが、
ネプチューンマン⇒ハルク=ホーガン
バファローマン⇒ブルーザー=ブロディ
スカイマン⇒ミル=マスカラス らしい。
うちの父親は「慶應ボーイ」だった。「わしは慶應やぞお、わしは。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違ってわしは慶應やねんぞ、わしは慶應」と言っていた。慶應という学校は不思議な学校で、大学だけ慶應に行った人には、それほど慶應慶應していない人というのも中にいるのに対して、小学校・中学校・高校・大学・大学院にいずれも慶應に行っていないにもかかわらず、「いかにも慶應」て感じの人がいるのだ。うちの父親はそれだった。
しかし、実際には小学校・中学校・高校・大学・大学院にいずれも慶應には行っていない人だったので、「本物の慶應」の人とまったく同じというわけにはいかないところもあったようだ。「本物の慶應」の人、「小学校=慶應幼稚舎、中学校=慶應中等部、高校=慶應義塾高校、大学=慶應大学経済学部」という人はどういうことをするかというと、まず、基本的には蜜柑というものは食べない。それに対して、うちの父親は「蜜柑と林檎はどっちがいいか」と尋ねると「林檎がいい」と答えるけれども、蜜柑は絶対に食べないというわけでもない。
「本物の慶應」の人の場合はというと「そんなもん、蜜柑なんてよく食うなあ」と言うのだ。え? 蜜柑なんて普通の食べ物ではなかったのか? ・・と私のような公立高校出身者は思うのだが、「本物の慶應ボーイ」はそうは考えない。「皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食べるけれども、自分で皮をむいて食べるなんて、そんなおかしなことできるかあ!」と、そうおっしゃるのだ。 さらに、「種無し葡萄(デラウエア)なんて、そんなもの、よく食うなあ」とおっしゃるのだ。「本物の慶應ボーイ」は。「皮をむいてもらって、お皿に盛ってもらってスプーンですくって食うのなら食うけれども、そんなもん、自分でひとつひとつ皮をむいて食うなんて、いくらなんでも、そんなおかしなことできるかあ!」と、そうおっしゃるのだ。「本物の慶應ボーイ」「幼稚舎から慶應」は。そして、私のような公立高校出身者に向っておっしゃるのだ。「コラア、むけえ!」と。
慶應の内部進学の人の家には女中だか執事だかいう人がいるらしく、そういう人がデラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛ってスプーンを添えてさしあげるらしいのだ。そうやって、スプーンですくって食うというのが、それが「慶應幼稚舎流種無し葡萄(デラウエア)の食べ方」というものらしいのだ。・・しかし、慶應の教授(内部進学)とか慶應の内部進学の人とかは勘違いしているのではないかと思える点がひとつある。彼らは「外部のやつを教育してやらんといかんからなあ」などという口をきくのだが、どうも、彼ら内部進学の教授とか内部進学の学生というのは大学から入った人間を自分たちの下男・女中と思っているらしく、特に公立高校出身者というのは被差別民族のように思っているようだが、しかし、彼ら内部進学の人間の家にいる女中とか執事とかいう人というのは、相当高い報酬をもらって女中とか執事とかをやっていて、その相当高い報酬のかわりに「種無し葡萄(デラウエア)の皮をむいてお皿に盛る」などという屈辱的な行為をおこなっていると思われるが、慶應大学に公立高校から大学だけ行った人間というのは、彼ら内部進学の人間の家にいる女中とか執事とかのような報酬をもらって慶應大学に勤務しているのではなく、逆にカネを払って慶應大学に行っているのである。この点を慶應の内部進学の教授とか内部進学の学生というのは認識できていない。又、彼らにこの点についてわからせようとしても絶対に無理である。
あなたは、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいたことがありますか? 過半数の人間はデラウエア(種無し葡萄)の皮をむいた経験はないと思います。私はむいたことがあります。90代の母親が、本当に何も食べられなくなってしまった時、「種無し葡萄を食べたい」と言うのでスーパーに行って捜したけれども、デラウエアの季節が終わった頃で、なかなか置いていなくて、何軒も何軒も捜してやっと見つけて買ってきたものの、目の前にデラウエア(種無し葡萄)が来ると「要らない」と言うのでした。それで、私は種無し葡萄(デラウエア)を一粒一粒、皮をむいた上で、スプーンに一粒ずつ載せてうちの母親の口の中に入れたのでした。そうすると、何粒か食べたのです。
でも、デラウエアの皮をむくというのは本当に大変です。巨砲とか大きな粒のものなら、まだしもむけますが、デラウエアは粒が小さく、房からちぎって自分の口に入れるのなら簡単ですが、自分の口に入れるのではなく、ひとに食べさせるために皮をむくというのは本当に大変な作業です。しかし、90代のお婆さんに食べさせるためならば、大変な作業でもやっていいと思います。私が子供の頃、私に林檎や梨の皮のむき方を教えてくれた母親は、今では自分で林檎や梨の皮をむくことができなくなってしまいました。私が林檎や梨の皮をむいて渡すと「息子に林檎の皮をむいて食べさせてもらえるとは思わなかった」と言って喜んでくれます。90代のおばあさんのためになら、林檎の皮どころか、デラウエアの皮だって苦労してむいて食べさせてもいいと思います。しかし、「本物の慶應ボーイ」幼稚舎から慶應の人のように、10代や20代の若い元気な男のために、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛る女中なのか執事なのか、そういう作業をする男なのか女なのか、そういうことをする者というのは、それは人間ではないと思うぞ。それは人間のやることではないぞ。何より、10代や20代の元気な男が、ひとに自分が食べるためにデラウエア(種無し葡萄)の皮をむかせてお皿に盛らせるということをさせる者。「コラア、むけえ」と言ってさせる男というのは、その者は人間ではないのではないか。そうではないと思う人は、一度、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛るという作業をやってみるといい。90代のおばあさんに食べさせるためならともかく、10代や20代の元気な男のためにそういう作業をするというのは人間のやることではないし、そういうことをひとにさせる男というのは人間ではないと実感します。・・そういうことをひとにさせる男のことを「慶應心理学」は「思考が柔軟」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「診断」し、内部進学の教授とか学生は「福沢精神を身に着けている」と言うのですが、『福翁自伝』(岩波文庫)とかを読んでも福沢諭吉がひとにデラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛らせた上でスプーンですくって食ったなどという話は出てこないし、もとより、福沢諭吉という人は下級武士の息子であり、「本物の慶應ボーイ」とは違って、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛ってくれる人なんて身近にいなかったはずなのだ。1980年代だったと思うが、新聞で見た話だが、ネパールだったかで麻薬を資金源としていた戦闘的政治団体が「毛沢東派」を名乗っていたが、中国共産党は「麻薬を扱う団体が毛沢東の名前を名乗るのはやめてもらいたい」とその団体に抗議したそうだった。私もまた、「デラウエア(種無し葡萄)をひとに皮向いてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」というのを「福沢精神」とか名乗るというのは福沢諭吉という人をある程度以上高く評価している者として、そういうことはやめてもらいたい、そういう人に「福沢精神」を名乗るのはやまてもらいたいと思うのだが、なにしろ、慶應では「内部進学は常に正しい」というのが第一前提としてあるので、私のような「(慶應義塾の)外部の者」がこんなことを言うということ自体、慶應においては「僭越だ」と言われる行為なのです・・・が、この話を他大学卒の人、何人かに話したことがあるのですが、私が話した人、全員が「その人、かわいそうねえ~え」と言うのだった。私もそう思う。デラウエア(種無し葡萄)というのは自分で房からちぎって自分の口に自分で入れて食べてこそおいしいのであり、「ひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」などという「慶應幼稚舎流種無し葡萄の食べ方」なんてものを、もしも、やったとしても、病人食じゃあろまいし、そんなもの、おいしいわけないじゃないか・・「そんなおかしなことできるかあ」と思うのですが、慶應の内部進学の人、「本物の慶應ボーイ」にとっては私とは認識が逆で「そんなもの、自分で房からひとつひとつちぎって自分の口に入れるなんて、そんなおかしなこと、できるかあ~あ」とおっしゃるのです。どうも、「本物の慶應ボーイ」と私のようなプロレタリアートでは世界観が正反対みたいです。

福沢諭吉 (岩波新書 青版 590) - 小泉 信三
経済学部と商学部と経営学部はどう違うか、私は高校生の時にはよく知らなかったし、高校生くらいではよく知らない人の方が多いのではないかと思う。北野高校の教諭は曲がりなりにも進学校の教諭なら、そのあたりを高校生にきっちりと説明するべきだと思うのだが、説明できるだけの頭のない教諭ばっかりだったようだ。親がよく知っている人の息子・娘というのはいるだろうけれども、我が家のように親が何もわかっていない親の家庭の息子もいるのだから、高校の教諭はそのあたりを説明するべきだと思うのだが、当人がわかっていないし、わかろうという意志もない連中にはどうもできないようだ。
慶應大学の場合は、もともと、理財科と言っていた学部を、学部名を東大など国立大学の学部名に合わさないと「大学」と認めてもらえないという時期があって、その時に経済学部と改称したが、戦後、学部の定員を増やそうという話が出て、それならいっそのこと学部を2つに分けてはどうかということになって、商業学・経営学・会計学などもやるけれども経済学に比重がある学部をそれまでと同じ経済学部という名称にして、経済学もやるけれども商業学・経営学・会計学などの方に比重が大きい学部に商業学を代表させて商学部という名称にしたというものらしい。一橋大も経済学部と商学部があるが慶應と同様ではないか。神戸大は経済学部と経営学部があって商学部はないが、慶應・一橋が商業学を代表させて商学部と名づけた学部を経営学を代表させて経営学部と名づけたのではないか。大阪市大(大阪市立大学)〔今は、大阪府立大学と合併して大阪公立大学になったらしいが〕は経済学部と経営学部と商学部があったはずだが、慶應・一橋・神戸大が2つに分けたものを3つに分けたということではないか。東大・京大・阪大には経済学部はあっても商学部・経営学部はないが、慶應・一橋の商学部、神戸大の経営学部に該当する学部がないということではなく、東大は経済学部に経済学科と経営学科があったはずだ。
それから、建築学科というのは東大・京大・阪大・神戸大や早稲田大のように工学部・理工学部にあるものだと高校生時代の私は思っていたが、実は工学部・理工学部にある建築学科と美術学部・芸術学部にある建築学科がある。愛知産業大学の通信課程の建築学科に私は行ったのだが(結局、卒業までできなかったが)、その際のスクーリングでM先生から聞いた話ではヨーロッパの大学では建築学科は芸術学部・美術学部にある方が普通らしく、日本の大学では国立大学では東京芸大(東京芸術大学)に美術学部に建築学科があるが、それ以外は国立大学は工学部・理工学部にあり、私立大学では「バカでも入れる美大の建築学科」というのはけっこうあるけれども、早稲田大とか比較的評価が高い大学とか「ポン大みたいなも~ん」と思われている日大は建築学科については日本の私立大学の中では早稲田大に次いで古くからあるのだが、郡山の工学部と千葉県の理工学部と生産工学部にある。工学部・理工学部にある建築学科と美術学部・芸術学部にある建築学科とはどちらに属しているかの違いで一緒かと思っていたらそうではなくて、美術学部・芸術学部にある建築学科は理工学分野も扱うけれどもデザイン・意匠の分野に比重が大きく、工学部・理工学部にある建築学科はデザイン・意匠についても扱うけれども美術学部・芸術学部にある建築学科に比べて理工学分野の比重が大きいらしい。経済学部と商学部の関係と似たところがあるようだ。こういったことを高校の教諭というものは生徒に説明するべきで、それも3年の途中になって言うのではなく、1年、入ったばかりの時は合格・入学できてうれしいうれしいという時期としても1年の中間くらいから説明するべきだ、と私は思うが、私がいた頃の北野高校の教諭を考えてみても、そういう能力もなければ意思もない人間だらけのようだ。
こういう経緯のものなので、慶應の経済学部と商学部は本来はどちらが上でも下でもないのだが、又、実際に会社という所に勤めてみると、むしろ、商学部の方が経済学部よりも会社という所において役立つものが多いのではないかと私は思ったが、昔からあるものを2つに分けて片方に昔からの名前をそのままつけて、他方に新しい別の名前をつけてしまうと、昔からあるものの方がいいように思えてしまう人もいる。慶應の場合、特に内部進学の人は「名前を取る」傾向が強いので、「慶應の経済」に行きたがる。内部進学の人の場合、もうひとつ、内部進学の人間は「何かとまとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造があり、内部進学の人のそういう「何かとむれたがる」「何かとまとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造のことを「独立自尊」と慶應の内部進学の人は言い、「慶應心理学」はそういう精神構造のことを「自我が確立されている」と言うのだが、え? それって逆と違うのか? ・・なんて思うが、フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』で、一人でいることができる人間で二人でいることもできる人間が友を持つことができるのであり、常に二人以上でいることしかできない人間というのは「友を持つ」ということはできない人間だ、と述べているが、その「常に二人以上でいることしかできない人間」のように内部進学ばかりで常に「むれる」ということをしたがる人が内部進学には多く、そういう精神構造のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」と「診断」し、なんでやねん、逆と違うのか? と言おうものなら「慶應心理学」は「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそう言うということですね」と「診断」する。うかつに正直に思ったことを口にすると「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響だと思います」とか「アイデンティティーを持っていないからそういうことを言うということですね」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うのですね」とか、「そういうことを言うというのは未成熟だからだと思います」とか、「適応性に問題があります」とか何とかかんとか、ぐじゃぐじゃ「診断」される危険があり、「診断」されると次には「治療」される危険があるのでもう怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖い怖い

・・で、本来は経済学部と商学部は共通する部分もあり、どちらの学部でもできるものがあるが、経済学の方に比重が大きいのが経済学部で商業学・経営学・会計学などに比重が大きいのが商学部で、実際には田中真紀子さんの息子とか経済学部卒で公認会計士になった人もあるようだが公認会計士を目指す人には商学部の方が科目の相関が大きく対応しているようだが、内部進学の人や大学から入る人でも親も慶應という人は経済学部の方に行きたがる人が多く、慶應では「慶應の経済」が最も慶應的な学部だと思っている人がいるが、しかし、商学部の場合は1年・2年の時のクラスでも同じクラスには、同じ高校の出身の人がいるということは少ないが慶應の内部進学の高校出身の人の場合は1人か2人、同じ高校の出身の人がいることがあるという程度であるのに対して、医学部は4割が内部進学とあらかじめ決められているらしいが、経済学部の場合はあらかじめ決められているわけではないが実際に3分の1以上が内部進学らしく、それゆえ、「いかにも慶應」というのか「ほとんどビョーキ」というのか「いかにも気色悪い」というのか「ビョーキ移りそう」というのかの学部が経済学部で、何より「種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うなら食うけれども、自分で房からちぎって口に入れて食うなんてそんなおかしなことできるかあ」と言うそういう人が多いのも経済学部だった。そういう人が「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」と言うというのが慶應という大学だった( 一一) 今はどうか知らないが1970年代後半から1980年代初めにかけては、経済学部の入試科目は数学1・2Bと英語の2科目だけで、商学部は数学1・2Bと英語と世界史か日本史のどちらか選択の3科目で、慶應は法学部以外は「国語が入試にない大学」で、そういう文学・哲学軽視の態度が「強姦魔の大学」につながっていたのではないかと思う。慶應大学の学部の中では経済学部が最も「ブタ人間の大学」という傾向が強く、「強姦魔の大学」という傾向も経済学部が最も強いのではないか、という厳密に調査したわけではないけれども、私はそういう印象を受けている。
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは私に「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と何度も何度もおっしゃってご自慢なさったのだが、そんなもん、自慢するもんかあ~あ? ・・とも思ったのだが、それは世界観の違いというものかもしれない。旧姓作野礼子さんの認識では「父親がいなかった」者というのは父親がいた者よりもエライらしかったのだ。
そして、「あなたのお父さんほどいいお父さんはいないわよ」と、おっしゃったのだが、そんなにいいかあ? さすがに「本物の慶應ボーイ」とは違ってデラウエア(種無し葡萄)の皮を「コラア、むけえ」とは言わなかったけれども、「林檎の皮をむくというのは、女がやることやねんぞ、女が。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはチャンコロ」と言って、性別は男性の私に林檎の皮をむかせて食って、その上で「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と何度も何度も言うおっさんて、いたらうれしいか? いたら楽しいか?
マア、別にむいてあげてもいいけどさあ。むいてあげてもいいけれども、せっかく、むいてあげたのに、それを食った上で「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」とか言われると、なんかあんまりうれしくないなあ・・・( 一一)
「私は父親がいなかったから」などということを自慢しまくり女の旧制作野礼子さんは、「父親がいなかった」というからには、こういう経験なんてないでしょ。「私は父親がいなかったから」と何度も何度も言いまくって、父親がいたという人間は常にものすごい得しているみたいに言わないとおれない症候群の女というのは、もし、なんなら、うちの父親に林檎でも梨でもむいてあげた上で「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と言われてみるといいのではないか、と思うのだ。過去に遡って、うちの父親が生きていた時に「父親体験」でもしてみるといい。さぞかし、うれしいことだろう。
そういえば、うちの父親が他界する前、最初に病院に入院した時、うちの母親が「前に回生病院(大阪市北区)に(うちの父親が)入院した時は〇〇(私)がいたから、着替えとかを持って行ってくれたけれども、今は〇〇が東京で勤めているから、病院に持って行ってもらうということはできないから」と話したところ、「そんなもん、やってもらったことなんてない~い」と言ったそうだった。うちの母親が「なんでよ。何度も持って行ってくれたでしょうよ」と言っても、「そんなもん、持ってきてもらったことなんて一度もない~い!」と言ってきかなかったそうだ。あの人らしいなあ・・と思う。そういうおっさんやった( 一一)
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほど、いいお父さんはないわよ」と言われ、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言われ、「私だったら、あなたのお父さんのようなお父さんがいたらうれしいわよ」とおっしゃるのだったが、そんなにいいのならば、うちの父親のために林檎のひとつでもむいてやってほしかった。林檎のひとつでもむいた上で、それを食った直後に「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と言われるという「父親体験」をしてみるといいと思うのだ。旧姓作野礼子さんにとっては、さぞかし、楽しかったことだろう。もし、何なら、過去に遡って、あのおっさん、あげるよ、旧姓作野礼子さんに。
「すべてをすべてをすべてをすべてを、わしのっために、わしのっために。わしのために、捧げ尽くす、捧げ尽くす。
犠牲になる、犠牲になる、わしのために犠牲になる。
すべてをすべてを犠牲にする。わしのっために、わしのっために。
わしのっために、すべてをすべてを犠牲にする!」と、
毎日、毎日、叫んでいるおっさんというのがいたらうれしいのなら、過去に遡って旧姓作野礼子さんにあげるよ、ほんと。
北野高校という学校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して10年以上経って、それこそ、マインドコントロールが解けて冷静に考えられるようになってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。どういう学校だったかというと、要するに、↑ のような「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそういうなんか変なものを自慢にして、何度も何度もギャースカぎゃーすか言いまくらないとおれない女が「国語」課の教諭で担任になる学校だった。
柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「能力的にも優秀で人間的にも優れた教師というのは、多くの人間が思っているよりも、はるかに少ない」と述べているが、今は私もその通りだと思っている。 そもそも、高校ってなくてもいいのではないのか? ない方がいいということはないか? 高校の教師って、あいつら、いない方がいいということはないか? とかも思うことがある。大学に進学するためには、かつては大検(大学入試資格検定)、今では制度が少し変わって、高等学校卒業程度認定試験 というものがあるので、法科大学院大学のルートではなく予備試験ルートで司法試験を受験するように、高校には行かずに高等学校卒業程度認定試験を受けて大学に進学するというルートもあるわけだから、その方がいいのではないのかと思ってみたりもするのだが、しかし、司法試験の予備試験ルートとは違って、中学校を卒業した後、高校に行かずに仕事にもつかずに独学で高等学校卒業程度認定試験に合格するための勉強に取り組んでいるとなると、「ニートか?」とか「引きこもりか?」とか、さらには「ビョーキか?」とか、さらには「変質者か?」とか見られてしまう危険がある。それを考えると、ともかく、どこかの高校に行っておいた方がよさそうだ。考えようによっては、進学校とされる高校に行くよりも、そうではない高校に行った方が負担が軽いので、自分で計画を立てて学習する方が好きだという人間にはいいかもしれない・・とか思ったりもするが、その地域において、評価が高くない高校に行ってしまうと「下の方の高校の人」という烙印を押されてしまって「一流大学」を受けて進学しようとしても、それが妨げになってしまうおそれがある。そうなると、絶対に一番手校でないといけないということはないとしても、ある程度以上の高校に行っておいた方が良さそうということになる・・・が、一番手校の教諭がすばらしいかというと・・⇒そうでもない。 という印象を今は私は受けている。
※ 《ウィキペディアー高等学校卒業程度認定試験》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8D%92%E6%A5%AD%E7%A8%8B%E5%BA%A6%E8%AA%8D%E5%AE%9A%E8%A9%A6%E9%A8%93

東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之

脱学校の社会 (現代社会科学叢書) - イヴァン・イリッチ, 東 洋, 小澤 周三
(2022.10.30.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。〔今回〕
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
大阪市東住吉区 の JR阪和線 の少し東側のあたりに、私は小学校の前半まで、1960年代後半まで住んでいたのですが、うちの父親は出勤する時、子供に「お土産買ってくるからねえ~え」と言ってでかけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやって楽しんでいたのです。うちの父親はそうすることが面白いと思っていたようで、子供はそういうことをされると喜ぶものだろうと思っていたのかもしれません。しかし、子供は決して、そういうことをされることを喜んではいませんでした。毎日毎日されるので、そのうち、「慣れた」けれども、「慣れた」としても、いわば、それは何発も殴られたことで1発あたりについて、それほど痛みを感じなくなったみたいなものであり、そういうことをされるというのがうれしかったわけではありません。
世の中には、子供を見ると「何何を買ってくるからねえ~え」と言って、そして、次に会う時には「ないわあ~あ♪」とやると面白いとか思っているおっさんがいるようですが、おっさんは面白いかもしれませんが、子供は喜んでいません。子供は決してそういうことをされることを喜んでいないのですが、それをわからないおっさんというのがいるようです。
1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、普通、そんなもん、自慢するもんと違うように思うがなあ・・ということを自慢にしている女でしたが、「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言うのでしたが、そんなにいいと思うのならば、「お土産買ってくるからねえ~え」⇒「ないわあ~あ♪」というのも、旧姓作野礼子がされればいいと思うのです。父親がなかったら、そういうことをされることだってないはずなのです。なんだか、自分は「父親がなかったから」世界の誰よりも苦労してきた世界の誰よりもエライと言いたいみたいでしたが、「父親がなかった」ことから「父親があった」ことによる苦労をしてきていないという事実を理解できないバカ女症候群の「病人」であり、しかも、「病識がない」女でした。
うちの母親が行っていた大阪府M市の日本キリスト教団M教会の牧師屋のS田さん(男)は「私は子供の頃、債権者に追われていた。債権者に追われるということほど大変なことはない。こういう経験をした人間はどんなことだってできる」とか、毎日曜日に「牧師説教」としてお話になっていたのですが、しかし、「子供の頃」というからには自分自身の借金ではなく、親が借金したのか自営業で買掛金を払えなかったのかでしょうけれども、それにしても、「債権者に追われることほど大変なものはない」となんだか「債権者に追われていた」人というのがエライみたいに言われるけれども、しかし、なんだかんだ言っても「債権者に追われていた」ということは払うべきものを払っていなかったということであり、自慢することとは違うのではないのか。そして、「債権者に追われることほど大変なものはない」と日曜ごとに「牧師説教」として言われるのであれば、せめて、百回に一回でも「払ってもらわないといけないものを払ってもらえずに逃げられた者の大変さ」も少しは考えてみたらどうなのか、「払ってもらうべきものを払ってもらえずに逃げられた者の大変さ」を一言も言わずに「債権者に追われることほど大変なものはない」とそちらばっかり言う人というのは、それは身勝手というものではないのか、という印象を受けました。S田さんが「債権者に追われていた」ということを自慢されていたのと同じく、旧姓作野礼子さんもまた「両親が離婚した」「父親がいなかった」ということを自慢されていたというのは、それはやっぱり、おかしい。それは自慢することではないはずだ。
又、もしも、私が旧姓作野礼子さんの「両親が離婚した」原因を作ったとでもいうのなら、それならば「どうも、えらいすんまへんなあ」とでも一言くらい言った方がいいかと思うが、そうではないはずなのだ。私が離婚させたわけでもないだろうが。それを「私は両親が離婚したから」と執拗に言われても・・⇒知らんがな、そんなもん。
・・そういえば、1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の福島県いわき市の営業所にいたM上正一(男。当時、20代)は「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子。前科あり。極真会空手の有段者。元暴走族・・」と自称していたが、世の中、学歴を詐称する人・職歴を詐称する人・資格を詐称する人というのはゴマンといるのだけれども、「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子。前科あり。極真会空手の有段者。元暴走族・・」なんて、実際にそうでも隠す人はいても、実際は違うのに詐称する人間なんているわけないだろうと思って、本人がそう言うからにはそうなのだろうと思っていたら、「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子」というのも「前科あり」というのも「極真会空手の有段者」というのも「元暴走族」というのもすべて嘘らしく、驚いたということがあった。しかし、たとえ、それらが事実ではなかったとしても、事実でないからいいというものではなく、そういったことを職場で口にすることで同僚を脅す行為というのは、これは犯罪であり、むしろ、いわき市の小名浜地区の住人に聞くと「小名浜一家の親分さんて、そんな人じゃないよお」ということで本物の小名浜一家の組長という人は近隣の住人にはけっこう評判は良かったみたいで、実際に暴力団員や暴力団員の息子でなかったとしても、そっちの方がよっぽど問題があるみたいだった。そういう詐称をする人だって世の中にはあるわけで、その人はそういう詐称をすることが自慢になるみたいに思っていたのだろうから、それから考えると「債権者に追われていた」とか「両親が離婚した」とかを自慢になると思う人がいても不思議ではないのかもしれない。
戦前は「大学」と「大学生」「大卒」の数が今よりずっと少なかったので、教員免許というものがあることはあったけれども、「学校の先生」になるのに教員免許を持たなくても大卒ならなれたらしいのですが、今はそうではなくて、東大でても京大でても大学で教員養成課程を履修して、それぞれの科目ごとの高校教諭・中学校教諭の国家資格を取得しないとなれないことになっています。逆に、「バカでも入れる私大」卒でも教員養成課程を履修して高校教諭・中学校教諭の資格を取得すれば進学校の教諭にでもなれるという制度です。大学生に家庭教師を頼む場合なら旧帝大系国立大学とかの学生に頼むと思うのですが、高校教諭は旧帝大気国立大学卒でも教員の資格を取得していなければなることはできず、「バカでも入れる私大」卒でも教員の資格を取得しておればなれるのです。
なんか、変な制度という気もします。「野球にたとえれば」なんてたとえをやりたがるとおっさん・・という傾向があるので「野球のたとえ」は控えめにした方がいいかもしれませんが、あえて「野球にたとえれば」三冠王でもコーチになれないのに「単なる阪神ファンの酔っ払いのおっさん」でもコーチになれるみたいな制度・・、そんな感じがします。しかし、その教員養成課程でやっていることというのが、そんなに有害無益なものなのか、というとそうでもないのではないかと私は思っていたのです。
私は結局、教員養成課程は履修しなかったので、正確・詳細にどういうことをやっているのか知りませんが、高校教諭・中学校教諭にとって、片方でそれぞれの専門科目についての知識・認識・技術・能力が必要であるとともに、青年心理学・教育心理学・カウンセリングとかそういうものもまた、同等以上に必要ではないのかと高校時代および高校卒業してしばらくの時期の私は思っていたのです。しかし、実際に高校教諭とかになっている人がそういったマインドを持っているかというと、むしろ、逆の人の方が多いのではないかという印象を持っています。
まず、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」などということを自慢して、そして、「父親がいなかったから」なのかどうか、父親というものがいるとどれだけ大変か、父親というものがどれだけ扱いにくいか、父親とつきあうのがどれだけ大変かといったことを理解できないバカ女症候群というのは、その人は教員養成課程において、いったい何を学んできたのか、何も学んでこなかったのか・・と疑問に感じます。もしも、「父親がいなかったから」父親とつきあうのがどれだけ大変か、父親というものが、どれだけ扱いにくいかといったことを理解できないバカ女症候群の重症患者であるのなら、そういう人は高校教諭にはならないでもらいたい。たとえ、なるにしても、「両親が離婚した」「父親がいなかった」女子生徒専門の教諭になってもらいたい。「両親が離婚した」わけではない者・「父親がいなかった」わけではない者としては、そういうバカ女症候群の重症患者に高校教諭になられたのでは迷惑なのです。特に、「父親がいなかった」わけではない男子生徒は担任もたれたら迷惑なのです。
《B》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その2。
YouTube の貴闘力チャンネル https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%B2%B4%E9%97%98%E5%8A%9B%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB で、貴闘力が小学校6年の頃、初代貴ノ花(藤島親方)の家に居候していて若貴兄弟と一緒に過ごしていたことがあると話していたが、その際、初代貴ノ花は自分が食べる物と子供に食べさせる物と差をつけるような人間じゃなく、そして、自分の子供に食べさせる物と同じ物を居候していた「鎌苅くん」(貴闘力)にも食べさせてくれた、と話していたものがあった。なるほど、初代貴ノ花は自分の子供にも自分と同じものを食べさせて、「鎌苅くん」にも同じ物を食べさせたんだ。
そうでない父親というのもある。私が小学校に行く前、幼稚園に行っていたか行く前だったかの頃、家ですき焼きをやったのだが、買って来た肉の中に「脂肪の塊」があったのだ。

脂肪のかたまり (岩波文庫) - ギー・ド・モーパッサン, Guy De Maupassant, 高山 鉄男
最初、見て、これは何だろう、奇形の肉か何か不良品が紛れ込んでしまったのか・・と思って見ていたら、うちの父親が「こいつがおいしいんや、こいつが」と言うのだった。「これが、ものごっついごちそうなんや、ものごっついごちそう。おまえの大好物や」と言うのだ。「ええ? これって、食べるものなの?」と小学校行く前の子供が言うと、うちの父親は「食べるものに決まっておるやろうが。これがおいしいんや」と言って鍋の中に入れて、そして、子供に「食え、食え、食え!」と言って食べさせようとするのだった。
幼稚園児だったか幼稚園にまだ行く前だったかの私は気持ち悪くて、「ええ? これを食べるのお?」と言ったのだが、うちの父親は「食べるに決まっておるだろうが。食わんか。食え! クエッ、クエッ、クエッ!」と言うのだ。
「それなら、お父さんが食べたらどうですか」と子供が言うと、うちの父親は「何を言うとるんじゃ何を。こういうものは若いもんが食うもんじゃろうが。こういうものは若い者が喜ぶ肉や。わしは赤身を食うんじゃ、わしは赤みを。食わんか。それはおまえが食うもんじゃ。食わんか、食わんか、食わんか!」と言って無理矢理、食べさせようとするのだった。
「ええ? これを食べるのお? これって、食べるものなのお?」と言っても、「食べるもんに決まっておるやろうが。食わんか、コラ! 食べ物の好き嫌いをやってはいかんだろうが!」と言うのだった。(「食べ物の好き嫌いをやってはいかんだろうが」て、あんたがそういうことを言うかあ・・と思うけれども。)
「コラ。食わんか。戦争中は肉を食べたいとか思うても食べられへんかってんぞ。おまえのように、これは嫌いやから食わんなどと言うてはおれんかってんぞ。食わんか。こういう肉は食わんなどと贅沢言うなんてことは許されんことやってんぞ。これは食わんなどと贅沢を言うておっては、今にバチあたるぞ」とおっさんは言うのだった。
そう言われて、しかたなしに口に入れたが気持ち悪くてしかたがなかった。それでも、「食え。どうじゃ、うまいじゃろ。ほっぺた落ちるじゃろ」とおっさんは言うのだったが、気持ち悪くて無理に喉の奥に押し込もうと思ってもできずに出すと、「コラ! おまえはいったい何と言うことをするんじゃ。戦争中は食べたいと思っても食べられんかってんぞ。そんなことしておっては今にバチあたるぞ。食わんかあ!」と言われて、出したものをもう一度、口に入れて無理に喉の奥に入れようとしたが、気持ち悪くて気持ち悪くて呑み込めなかった。
そのうち、うちの母親が「もう、食べんでもええ」と言ってくれたので、その脂肪の塊は3分の2くらい、無理に飲み込んで、残りは食べずにすみましたが、あの時は本当に苦しかった。いったい、どこが「ものごっついごちそう」なのか、わからなかった。
30を過ぎた時、山科けいすけ という漫画家の『C級サラリーマン講座』という4コマ漫画に兎田課長というテカテカしたおっさんが登場して、小学校行く前の私が無理矢理食べさせられた脂肪の塊を食べるのを同僚が見て、「おい、おまえ、それは食べるものとは違うはずだぞ」と言って気持ち悪がるという場面があるのを見て、かつて、私が父親から無理矢理食べさせられたものは、実は「食べるものとは違う」ということを知った。それは、すき焼きをやる時に鍋に油をしくためのものであり、肉屋はすき焼きをやるために肉を買うということを知って、それで鍋に油をしくための「脂肪の塊」をひとつ入れてくれていたのであり、「食べるものとは違う」のだった。

C級さらりーまん講座(4) (コミックス単行本) - 山科けいすけ
( ↑ 右下の人物が兎田課長。)
それを、うちの父親はおのれはそれを知っていながら、子供はそういうことを知らないのをいいことに、「これはおまえのような若い者の大好物やねん。わしは赤みを食うんやけどな。食え。食わんか、食わんか、食わんか」と言って子供に無理矢理食わせたのだった。
「父親というもの」がそういうものかというと、どうも、よその父親はそういうことをしない父親の方が多いような気がするのだが、うちの父親はそういうことをする父親だった。
1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」、だから、その分だけ、「父親がいた」男性よりもエライのだと主張しまくっていたのだったが、それなら、とりあえず、旧姓作野礼子さんはあの「脂肪の塊」を食ってもらいたいと思うのだ。本当に気持ち悪いから。父親がいなかったら、あんなもの、食わされることはなかった。旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」とおっしゃるのだったから、そこまで言うからには、その「いいお父さん」がある人間の経験もまた、旧姓作野礼子さんは体験してもらいたいものだ。鍋に油を敷くための「脂肪の塊」を「食え、食え、食え。食わんか、食わんか、食わんか」と子供に行って無理矢理、食べさせる父親というのがあるとうれしいと思うのなら、とりあえず、その「脂肪の塊」を食ってもらいたいと思うのだ。
食わんか、食わんか、食わんか、旧姓作野礼子!
食え、食え、食ええ~え、旧姓作野礼子!!!
私が20歳の時、うちの父親が大阪の宗右衛門町の「高級料亭」に「連れて行ってやる」と言い、私が「行きたくない」と何度も何度も言ったのだが、あまりにもしつこくて根負けして行ってしまったということがあった。
父親にとって息子というものはどういうものか。はっきりしている。「給料払う必要がない『会社の部下』」だ。うちの父親は私に「・・・かねえ」と言って口のきき方をする。要するに、うちの父親は我が家における「会社のエライ人」なのだ。かつ、うちの母親はうちの父親のことを「私を女中さんのように扱う」「私を女中さん以下の扱いにする」と言うとともに「私のことを会社の人(会社の部下)みたいにする」と言って怒っていたのだが、ところが、うちの父親が私を「会社の部下みたいに扱う」ということについては怒りもしなければやめさせようともせず、同調するのだった。それが「妻」「専業主婦」としての処世術だったようだ。
宗右衛門町のHでは、うちの父親がそういう態度をとるものだから、店の人間も私を「会社の部下」か、それとも、うちの父親の仕事の上での取引先の人間、うちの父親を接待する側の会社の人間と思ったようだった。うちの父親は言うのだった。「わかっとんのか、チャンコロ。この店はなあ。わしのようなドイツ人しか入ってはいかん店やねんぞ。おまえのようなチャンコロは入ってはいかん店やねんぞ。わかっとんのか、チャンコロ!」と。・・だから、行きたくないと言っただろうが。それを無理に来させたのはあんたやろうが。
「わかっとんのか、チャンコロ。この店はなあ、わしのようなエッライえっらいエッライえっらい特別に特別にえらいえらい人間しか立ち入ることを許されない店やねんぞ。おまえは入ったらいかんねんぞ、おまえは入ったら」と何度も何度も言うのだった。・・入りたくねえよ、そんなけったくその悪い店なんか。
「わ、ワ、わ、わかっとんのか。輪、倭、和、ワ、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロ! この店はわしのようなエッライえっらいエッライえっらい特別に特別にえらい人間しか立ち入ることを許されない店やねんぞ。おまえは入ったらいかんねんそ、おまえは」と言うのだ。・・帰ろうかと思った。
「この店はなあ。おまえみたいな人間が入って食事しようなどとしようものならば、『帰ってちょうだいんか』と言われて、つまみだされるぞお~お。わかっとんのか、チャンコロ」と言うのだが、別に入りたくねえよ、そんな気分の悪い店なんか( 一一)
「わかっとんのか。わしとおまえとは食うもんからして違うねんぞ、このチャンコロろすけイタコ!」と言うのだが、別に宗右衛門町のH三郎なんて、そんな店で食わんでも吉野家の牛丼の方がおいしいよ。
船場吉兆が賞味期限切れのものを出していたというニュースが何年か前に出たが、なるほどなあ・・と思った。「高級料亭」なんて、「そんなもの」だ。 「この店は常務さんのような特別におえらい方しか立ち入ることができない特別の店なんです」と言ってやれば、おっさんは賞味期限切れでもミミズの肉でもカラスの肉でも交通事故で死んだ犬の肉でも段ボールでも大喜びで食いよる・・というそういう店だ。そういう店のことを「高級料亭」と言うのだ。
「ああ~あ、ええ気持になった。どうじゃ、ええ気持じゃろ。ほっぺた落ちたじゃろ。ものごっついおいしかったじゃろ」とか言って、帰り道、おっさんは得意がるのだったが、別においしくなかった。吉野家の牛丼か、もしくは、日吉の大衆食堂の「半ちゃんラーメン」の方がおいしかった。
同じ市立中学校から同じ北野高校に行って「慶應の経済」に現役で行ったS本彰 という「なまたまご」を「なまなまこ」と発音する男がいた。この男は私と同じ小学校・中学校・高校から結果として同じ慶應大学に行ったものの、私とは性格も違えば、高校卒業までに学んできたものも大きく違った。慶應大学に「経済新人会」という「中年オヤジの交友会」みたいなサークルがあるのだが、阪本は慶應大学に入学するとその「中年オヤジの交友会」に入部したが、あんな気色の悪い団体によく入るなあ・・と私なんかは思ったが、「蓼食う虫も好き好き」(There is no accounting for tastes. )なんて諺もあることでもあり、もともと、S本彰は小学生の頃から中年オヤジみたいな人間だったし、私とは違って北野高校に在学していた時から「慶應タイプ」だったから「ちょうどいい」ということだったのかもしれない。
親から「仕送り」してもらっていた額を聞くと阪本は私より一回り多い金額を送ってもらっていて、私に「よく、そんな金額で1か月、生活できるなあ」と言ったりしたが、東京と大阪を行き来する際も、私は夜行バス(その頃は今のように夜行バスが何社も運行しておらず、国鉄バスのみだった)に乗るか、もしくは、東京駅を夜11時半くらいに出る「快速」大垣行きに乗って、大垣駅で西明石行「快速」に乗り換えるという方法か、どちらかを取ることが多かったが、それに対して阪本は常に新幹線に乗って往復していた。
「ええなあ、うらやましいなあ、阪本は」「ほんまにええなあ、うらやましいなあ。わしぁ、日陰の月見草やあ」と何度も思ったものだった。

野村の金言 思考を変えれば人生は劇的に変わる - 野村克也
( ↑ 日陰の月見草。)
※ 《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA
かつて「赤旗の歌」というものがあった。今も歌がなくなったわけではないだろう。ドイツ民謡に「お~タンネンバウム、お~タンネンバウム♪」という「モミの木の歌」というものもあって節は同じだ・・ということは、もしかして、「卑怯者、去らば去れ~♪」という「赤旗の歌」を人畜無害化した節をつけたものが「モミの木の歌」だったのか? 日本には元の歌詞をごまかすために人畜無害化して歌詞にした歌がけっこうある。「ワルシャワ労働歌」という労働歌がロシアのモスクワに伝わり、それが日本に伝わったものがあったが、私が中学生の時、「音楽」の教科書にそれが掲載されていたのだが「労働歌」ではなく「青年の歌」だったかそんな感じの題名にされて歌詞は「山や川が呼んでいる。みんな元気にでかけよう♪」といった青年が元気に出かけようという内容の人畜無害な歌詞、労働歌という内容ではない歌詞にされていた。他にもそういうものは日本にはいっぱいある。そんなもので、「モミの木の歌」というのも「赤旗の歌」を人畜無害化したものか? ・・と思ったのだが、インターネットで検索するとそうではなくて、ドイツ民謡の「モミの木の歌」の方が先にあったらしい。それに「赤旗の歌」の詞をつけたらしい。だから、「モミの木の歌」は別に人畜無害化されたことで生まれた歌ではなかったらしい。その「モミの木の歌」に歌詞をつけた「赤旗の歌」にさらに替え歌が作られたらしい。「民衆の旗、赤旗は~♪」というものの替え歌として「民衆の足、国鉄は~♪」というもの、さらには「民衆の女、パンパンは~♪」などという替え歌まで作られたらしい。「民衆の足、国鉄は~♪」に続き「金持ちは~飛行機に~♪ 乗るぞ、我らは国鉄に~♪」という替え歌があったらしい。今、私は阪本が新幹線に乗っていて私は夜行バスに乗って東京から大阪に帰ったところ、うちの父親から「贅沢すんな。おまえが夜行バスなんて贅沢なものに乗ってはいかんだろうが。もっと安い方法を考えなさい」と言われたが、夜行バスよりも安い方法というのは見つからなかった。その時の気持ちを思い出すと、次のように歌いたい。
「民衆の足、夜行バスは~あ♪」
「 阪本は~新幹線に~、乗るぞ我らは夜行バスに~♪」と。
大内兵衛『マルクス・エンゲルス小伝』(1964.12.21.岩波新書)には、
《 先ごろ、アメリカの大統領ケネディはアメリカのジャーナリズムがもしマルクスの原稿料をあんなにねぎらなかったら、マルクスはあんなに貧乏しなかったろう、そしてあんな革命論なんか書かなかったろうという話をデッチあげたが、あれは完全なウソである。マルクスは自分が貧乏をしたから革命論を作ったのではない。マルクスは原稿料をアメリカからもらったからリンカーンをほめたのではない。そういうことを考えるのは思い上がった小人である。・・・》
と述べられている・・・が、マルクスはそうだったかもしれないが、私なんかはマルクスほど人間できていないから、だから、S本彰が毎度新幹線に乗って私は夜行バスに乗っていると、S本彰は私より高い店で私より高いものを食っていて私はいつも安い店で安い物を食っていると、それこそ革命論でも考えてこましたろか・・て気持ちになりそうだ。「阪本はあ~あ、新幹線に~い、乗るぞ我らは夜行バスに~い♪」となると「気分は革命論」になりそうだが、逆に毎度新幹線に乗っていたS本の方は中年オヤジみたいになるようだった。

マルクス・エンゲルス小伝 (岩波新書) - 大内 兵衛
但し、私も新幹線を利用したことが一度もなかったわけではなく、新幹線に乗ってこともあった。その際に、昼食を新幹線の車内で食べようという場合について、昔は電車に車内食堂なんてものがあったが今はなく、うちの父親は「駅で弁当を売ってるから、それを買って食えばええ。おまえは とんかつ弁当や。おまえは とんかつ弁当を食うといい。とんかつ弁当にしなさい。わしは、いつでもウナギ弁当を食うんやけどな」と言うのだった。
なんで、「おまえはとんかつ弁当がええ」と私が食べるものをおっさんが指定するのか? どうせ、買って食べるのだから、食べる人間が食べたいと思うものを選んで買って食べればいいことと違うのか? もしくは、朝に何を食べたか、前日に何を食べたかということを考え、栄養バランスを考えて、朝や前日に食べなかったようなものを選んで買って食べるようにすればいいのとは違うのか? ・・と思ったのだ。
実際に、東京駅および新大阪駅の弁当売り場に行って見て、おっさんが「おまえはとんかつ弁当がええ」と言った理由がわかった。東京駅の弁当売り場、新大阪駅の弁当売り場で売っていた弁当の中で、一番高いのばウナギ弁当で、一番安いのが とんかつ弁当だったのだ。そうか、なるほど。それで、おっさんは私に「おまえはとんかつ弁当がええ」と、そう言いよったのだ。なるほど。
そして、おっさんは私に言うのだった。「贅沢したらいかんぞ、贅沢したら。贅沢するようなことは許されんぞ、贅沢は」と。贅沢なんてしてないはずだがな。なにより、「贅沢」なんて、そんなものするカネなんか持ってないじゃないか。毎度毎度、「一番安いの」ばっかり食うておるやろうが。
ところが、それでも、ウナギ弁当食ってるおっさんは とんかつ弁当の私に言うのだった。
「贅沢は敵だあ~あ!」と。
「撃ちてしやまん、一億火の玉。欲しがりません、勝つまでは。
とってちってたああ~あ!
戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元。
いっらいっら、してきたあ。
とってちってたあ~あ!」と。
初代貴ノ花は子供にも自分が食べるものと同じ物を食べさせ、居候していた「鎌苅くん」にも同じものを食べさせてくれたらしいが、うちの父親の場合は「おまえは、これを食え。わしは赤身を食うんじゃ」と言って私に「脂肪の塊」を食わせた。「おまえは とんかつ弁当や」と言って私に一番安いとんかつ弁当を食わせて、「わしはウナギ弁当を食うんじゃ」と言ってウナギ弁当を食った。「わしとおまえとは食うもんからして違うんやからな。民族の違いを忘れるな。階級の違いを忘れるな」と何度も何度も言ったものだった。
「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と何度も何度も言われて、そして、
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」
「造反有理(造反には理由がある)(反逆は正しく、抑圧は間違っている)」
と思うようになった。

中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一

南京への道 (朝日文庫) - 本多 勝一

反逆は正しい 1―自由についての討論 - 鈴木道彦, ジャン・ポール・サルトル

反逆は正しい 2―自由についての討論 - 海老坂武, ジャン・ポール・サルトル
「食べるものの違い」と言えば、うちの父親は、サニーレタスというのを宗教上の戒律からか絶対に食べなかった。レタスでも、全体が黄緑色のレタスは食べたが、先端が紫色のサニーレタスは「これ、気持ち悪い。あんたが食べなさい」と言って自分ように振り分けられたものを私に食べさせた。
子供に、少し傷んだものを「これ、気持ち悪いから食べないでおこう」と言って食べさせないようにするとか、もしくは大丈夫だろうと思えるけれども不安があるものを子供には食べさせずに親が食べるということをする親はあると思うし、うちの母親はそうすることがあったが、うちの父親はそうではなく、「これ、気持ち悪いから、あんたが食べなさい」と言って私に食べさせたのだった。
うちの父親は「キャベツとレタスとどっちがいいか」ときくと、必ず「キャベツ」と答える男で、「林檎と蜜柑とどっちがいいか」と尋ねると、必ず「林檎」と答える男だった。私ならば、キャベツは包丁で切らないといけないのに対して、レタスは手でむしればいいから、レタスの方が楽だと考えるのだた、うちの父親の場合は「特別にエライ人」「ドイツ人」「聖人」「スーパーマン」「キリスト」「完璧超人」だけあって、キャベツの方が楽だったのだ。なぜなら、レタスは手でちぎらないといけないのに対して、「聖人」「スーパーマン」「孔子で孟子」「聖徳太子」「キリスト」「完璧超人」にとっては、キャベツはあらかじめ「切ってある」からだ。
同様に、私なら林檎はナイフで切らないといけないのに対して、蜜柑はナイフで切らなくても手で皮をむけばいいので蜜柑の方が楽なのだが、ところが、「聖人」「英雄」「聖徳太子」「完璧超人」にとってはそうではなく、蜜柑は皮をむかないといけないのに対して、林檎はそうではなく、あらかじめ、むいてある、切ってあるのだ。
しかし、「あらかじめ、切ってある」というのは、誰かが切ってあるから「あらかじめ、切ってある」のだ。違いますか?
キャベツとか林檎とかはいったい誰が切っているのか。
「女が切るもんやねんぞ、女が。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いを起こしてはいかんぞ、心得違いを起こしては」と、うちの父親は言うのだ。
我が家には母親の他、姉が2人いた。しかし、上の姉が結婚して家を出て行き、下の姉も結婚して家を出て行き、そして、私が20代のある時、うちの母親が足をねじって捻挫をしたことがあった。「捻挫(ねんざ)」は「骨折」より軽いとは限らない。その時、うちの母親は50代の後半だったが、その年齢になると治すのも時間がかかるようだった。私が夏休みで家にいたので、食事の準備などは私がやったが、「キャベツとレタスとどちらがいいか」と言うと、「キャベツがいい」とうちの父親は言うのだった。たしか、うちの父親の説ではキャベツを切るのは「女の仕事です。女の仕事。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いをしてはならんぞ、心得違いをしては」ということだったはずだが、私に「切ってくれ」と言うのだった。私は女だったのか? たしか、性別は男だったような気がするのだが、私は女だったのか?
そして、「林檎と蜜柑とどっちがいいか」と言うと、「林檎がええ」と言うのだった。そして、やはり、「むいてくれ」と私に言うのだった。うちの父親の説では林檎をむくというのは「女の仕事です、女の仕事。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。心得違いを起こしてはいかんぞ、心違いを起こしては」ということだったはずだが、私に「むいてくれ」と言うのだった。私は女だったのか? たしか、私は性別は男だったような気がしたのだが。
そして、私が切ったキャベツを食い、私がむいた林檎を食って、うちの父親は私に、私の眼を指で突き刺すようにして言うのだった。何度も何度も。
「ええか、わかっとるか。これまで、わしがおまえの為にやってやってやったことはいっぱいあるけれども、おまえがこのわしの為に何かをしたということは、これまで何ひとつとしてないんやからな。何ひとつとして、何ひとつとして。ええか、わかっとるか、わかっとるか、チャンコロ。心得違いを起こしてはいかんぞチャンコロ。おまえにわしが何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ!」
と何度も何度も言うのだった・・・が、しかし、あんた、今、私がむいた林檎を食ったやろうが。あんた、さっき、私が切ったキャベツを食っただろうが。よく言うわ・・・( 一一)
※ 「よく言うわ」「バカ言ってんじゃないよ」⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g
さすがに、「英雄」で「聖人」で「ブッダ」で「キリスト」で「聖徳太子」で「完璧超人」だけあって、私らとは思考が違うようだった。
※ 「英雄」⇒《YouTube-交響曲第3番《英雄》(ベートーヴェン)》https://www.youtube.com/watch?v=GKFStVrKNU4
※ 「完璧超人」⇒《YouTube-ヘルミッショネルズ(ネプチューンマン&ビッグ・ザ・武道)がケンダマンとスクリューキッドを公開処刑!》https://www.youtube.com/watch?v=-TK2QqK42FI
・・最近、YouTube で見て知ったのだが、『キン肉マン』の登場人物ならぬ登場超人のモデルだが、テリーマンがテリー=ファンク というのは誰でもわかる、ロビンマスクがビル=ロビンソン というのも推測できるのだが、
ネプチューンマン⇒ハルク=ホーガン
バファローマン⇒ブルーザー=ブロディ
スカイマン⇒ミル=マスカラス らしい。
うちの父親は「慶應ボーイ」だった。「わしは慶應やぞお、わしは。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえとは違ってわしは慶應やねんぞ、わしは慶應」と言っていた。慶應という学校は不思議な学校で、大学だけ慶應に行った人には、それほど慶應慶應していない人というのも中にいるのに対して、小学校・中学校・高校・大学・大学院にいずれも慶應に行っていないにもかかわらず、「いかにも慶應」て感じの人がいるのだ。うちの父親はそれだった。
しかし、実際には小学校・中学校・高校・大学・大学院にいずれも慶應には行っていない人だったので、「本物の慶應」の人とまったく同じというわけにはいかないところもあったようだ。「本物の慶應」の人、「小学校=慶應幼稚舎、中学校=慶應中等部、高校=慶應義塾高校、大学=慶應大学経済学部」という人はどういうことをするかというと、まず、基本的には蜜柑というものは食べない。それに対して、うちの父親は「蜜柑と林檎はどっちがいいか」と尋ねると「林檎がいい」と答えるけれども、蜜柑は絶対に食べないというわけでもない。
「本物の慶應」の人の場合はというと「そんなもん、蜜柑なんてよく食うなあ」と言うのだ。え? 蜜柑なんて普通の食べ物ではなかったのか? ・・と私のような公立高校出身者は思うのだが、「本物の慶應ボーイ」はそうは考えない。「皮をむいてもらってカラスにしてもらってなら食べるけれども、自分で皮をむいて食べるなんて、そんなおかしなことできるかあ!」と、そうおっしゃるのだ。 さらに、「種無し葡萄(デラウエア)なんて、そんなもの、よく食うなあ」とおっしゃるのだ。「本物の慶應ボーイ」は。「皮をむいてもらって、お皿に盛ってもらってスプーンですくって食うのなら食うけれども、そんなもん、自分でひとつひとつ皮をむいて食うなんて、いくらなんでも、そんなおかしなことできるかあ!」と、そうおっしゃるのだ。「本物の慶應ボーイ」「幼稚舎から慶應」は。そして、私のような公立高校出身者に向っておっしゃるのだ。「コラア、むけえ!」と。
慶應の内部進学の人の家には女中だか執事だかいう人がいるらしく、そういう人がデラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛ってスプーンを添えてさしあげるらしいのだ。そうやって、スプーンですくって食うというのが、それが「慶應幼稚舎流種無し葡萄(デラウエア)の食べ方」というものらしいのだ。・・しかし、慶應の教授(内部進学)とか慶應の内部進学の人とかは勘違いしているのではないかと思える点がひとつある。彼らは「外部のやつを教育してやらんといかんからなあ」などという口をきくのだが、どうも、彼ら内部進学の教授とか内部進学の学生というのは大学から入った人間を自分たちの下男・女中と思っているらしく、特に公立高校出身者というのは被差別民族のように思っているようだが、しかし、彼ら内部進学の人間の家にいる女中とか執事とかいう人というのは、相当高い報酬をもらって女中とか執事とかをやっていて、その相当高い報酬のかわりに「種無し葡萄(デラウエア)の皮をむいてお皿に盛る」などという屈辱的な行為をおこなっていると思われるが、慶應大学に公立高校から大学だけ行った人間というのは、彼ら内部進学の人間の家にいる女中とか執事とかのような報酬をもらって慶應大学に勤務しているのではなく、逆にカネを払って慶應大学に行っているのである。この点を慶應の内部進学の教授とか内部進学の学生というのは認識できていない。又、彼らにこの点についてわからせようとしても絶対に無理である。
あなたは、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいたことがありますか? 過半数の人間はデラウエア(種無し葡萄)の皮をむいた経験はないと思います。私はむいたことがあります。90代の母親が、本当に何も食べられなくなってしまった時、「種無し葡萄を食べたい」と言うのでスーパーに行って捜したけれども、デラウエアの季節が終わった頃で、なかなか置いていなくて、何軒も何軒も捜してやっと見つけて買ってきたものの、目の前にデラウエア(種無し葡萄)が来ると「要らない」と言うのでした。それで、私は種無し葡萄(デラウエア)を一粒一粒、皮をむいた上で、スプーンに一粒ずつ載せてうちの母親の口の中に入れたのでした。そうすると、何粒か食べたのです。
でも、デラウエアの皮をむくというのは本当に大変です。巨砲とか大きな粒のものなら、まだしもむけますが、デラウエアは粒が小さく、房からちぎって自分の口に入れるのなら簡単ですが、自分の口に入れるのではなく、ひとに食べさせるために皮をむくというのは本当に大変な作業です。しかし、90代のお婆さんに食べさせるためならば、大変な作業でもやっていいと思います。私が子供の頃、私に林檎や梨の皮のむき方を教えてくれた母親は、今では自分で林檎や梨の皮をむくことができなくなってしまいました。私が林檎や梨の皮をむいて渡すと「息子に林檎の皮をむいて食べさせてもらえるとは思わなかった」と言って喜んでくれます。90代のおばあさんのためになら、林檎の皮どころか、デラウエアの皮だって苦労してむいて食べさせてもいいと思います。しかし、「本物の慶應ボーイ」幼稚舎から慶應の人のように、10代や20代の若い元気な男のために、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛る女中なのか執事なのか、そういう作業をする男なのか女なのか、そういうことをする者というのは、それは人間ではないと思うぞ。それは人間のやることではないぞ。何より、10代や20代の元気な男が、ひとに自分が食べるためにデラウエア(種無し葡萄)の皮をむかせてお皿に盛らせるということをさせる者。「コラア、むけえ」と言ってさせる男というのは、その者は人間ではないのではないか。そうではないと思う人は、一度、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛るという作業をやってみるといい。90代のおばあさんに食べさせるためならともかく、10代や20代の元気な男のためにそういう作業をするというのは人間のやることではないし、そういうことをひとにさせる男というのは人間ではないと実感します。・・そういうことをひとにさせる男のことを「慶應心理学」は「思考が柔軟」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「診断」し、内部進学の教授とか学生は「福沢精神を身に着けている」と言うのですが、『福翁自伝』(岩波文庫)とかを読んでも福沢諭吉がひとにデラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛らせた上でスプーンですくって食ったなどという話は出てこないし、もとより、福沢諭吉という人は下級武士の息子であり、「本物の慶應ボーイ」とは違って、デラウエア(種無し葡萄)の皮をむいてお皿に盛ってくれる人なんて身近にいなかったはずなのだ。1980年代だったと思うが、新聞で見た話だが、ネパールだったかで麻薬を資金源としていた戦闘的政治団体が「毛沢東派」を名乗っていたが、中国共産党は「麻薬を扱う団体が毛沢東の名前を名乗るのはやめてもらいたい」とその団体に抗議したそうだった。私もまた、「デラウエア(種無し葡萄)をひとに皮向いてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」というのを「福沢精神」とか名乗るというのは福沢諭吉という人をある程度以上高く評価している者として、そういうことはやめてもらいたい、そういう人に「福沢精神」を名乗るのはやまてもらいたいと思うのだが、なにしろ、慶應では「内部進学は常に正しい」というのが第一前提としてあるので、私のような「(慶應義塾の)外部の者」がこんなことを言うということ自体、慶應においては「僭越だ」と言われる行為なのです・・・が、この話を他大学卒の人、何人かに話したことがあるのですが、私が話した人、全員が「その人、かわいそうねえ~え」と言うのだった。私もそう思う。デラウエア(種無し葡萄)というのは自分で房からちぎって自分の口に自分で入れて食べてこそおいしいのであり、「ひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食う」などという「慶應幼稚舎流種無し葡萄の食べ方」なんてものを、もしも、やったとしても、病人食じゃあろまいし、そんなもの、おいしいわけないじゃないか・・「そんなおかしなことできるかあ」と思うのですが、慶應の内部進学の人、「本物の慶應ボーイ」にとっては私とは認識が逆で「そんなもの、自分で房からひとつひとつちぎって自分の口に入れるなんて、そんなおかしなこと、できるかあ~あ」とおっしゃるのです。どうも、「本物の慶應ボーイ」と私のようなプロレタリアートでは世界観が正反対みたいです。

福沢諭吉 (岩波新書 青版 590) - 小泉 信三
経済学部と商学部と経営学部はどう違うか、私は高校生の時にはよく知らなかったし、高校生くらいではよく知らない人の方が多いのではないかと思う。北野高校の教諭は曲がりなりにも進学校の教諭なら、そのあたりを高校生にきっちりと説明するべきだと思うのだが、説明できるだけの頭のない教諭ばっかりだったようだ。親がよく知っている人の息子・娘というのはいるだろうけれども、我が家のように親が何もわかっていない親の家庭の息子もいるのだから、高校の教諭はそのあたりを説明するべきだと思うのだが、当人がわかっていないし、わかろうという意志もない連中にはどうもできないようだ。
慶應大学の場合は、もともと、理財科と言っていた学部を、学部名を東大など国立大学の学部名に合わさないと「大学」と認めてもらえないという時期があって、その時に経済学部と改称したが、戦後、学部の定員を増やそうという話が出て、それならいっそのこと学部を2つに分けてはどうかということになって、商業学・経営学・会計学などもやるけれども経済学に比重がある学部をそれまでと同じ経済学部という名称にして、経済学もやるけれども商業学・経営学・会計学などの方に比重が大きい学部に商業学を代表させて商学部という名称にしたというものらしい。一橋大も経済学部と商学部があるが慶應と同様ではないか。神戸大は経済学部と経営学部があって商学部はないが、慶應・一橋が商業学を代表させて商学部と名づけた学部を経営学を代表させて経営学部と名づけたのではないか。大阪市大(大阪市立大学)〔今は、大阪府立大学と合併して大阪公立大学になったらしいが〕は経済学部と経営学部と商学部があったはずだが、慶應・一橋・神戸大が2つに分けたものを3つに分けたということではないか。東大・京大・阪大には経済学部はあっても商学部・経営学部はないが、慶應・一橋の商学部、神戸大の経営学部に該当する学部がないということではなく、東大は経済学部に経済学科と経営学科があったはずだ。
それから、建築学科というのは東大・京大・阪大・神戸大や早稲田大のように工学部・理工学部にあるものだと高校生時代の私は思っていたが、実は工学部・理工学部にある建築学科と美術学部・芸術学部にある建築学科がある。愛知産業大学の通信課程の建築学科に私は行ったのだが(結局、卒業までできなかったが)、その際のスクーリングでM先生から聞いた話ではヨーロッパの大学では建築学科は芸術学部・美術学部にある方が普通らしく、日本の大学では国立大学では東京芸大(東京芸術大学)に美術学部に建築学科があるが、それ以外は国立大学は工学部・理工学部にあり、私立大学では「バカでも入れる美大の建築学科」というのはけっこうあるけれども、早稲田大とか比較的評価が高い大学とか「ポン大みたいなも~ん」と思われている日大は建築学科については日本の私立大学の中では早稲田大に次いで古くからあるのだが、郡山の工学部と千葉県の理工学部と生産工学部にある。工学部・理工学部にある建築学科と美術学部・芸術学部にある建築学科とはどちらに属しているかの違いで一緒かと思っていたらそうではなくて、美術学部・芸術学部にある建築学科は理工学分野も扱うけれどもデザイン・意匠の分野に比重が大きく、工学部・理工学部にある建築学科はデザイン・意匠についても扱うけれども美術学部・芸術学部にある建築学科に比べて理工学分野の比重が大きいらしい。経済学部と商学部の関係と似たところがあるようだ。こういったことを高校の教諭というものは生徒に説明するべきで、それも3年の途中になって言うのではなく、1年、入ったばかりの時は合格・入学できてうれしいうれしいという時期としても1年の中間くらいから説明するべきだ、と私は思うが、私がいた頃の北野高校の教諭を考えてみても、そういう能力もなければ意思もない人間だらけのようだ。
こういう経緯のものなので、慶應の経済学部と商学部は本来はどちらが上でも下でもないのだが、又、実際に会社という所に勤めてみると、むしろ、商学部の方が経済学部よりも会社という所において役立つものが多いのではないかと私は思ったが、昔からあるものを2つに分けて片方に昔からの名前をそのままつけて、他方に新しい別の名前をつけてしまうと、昔からあるものの方がいいように思えてしまう人もいる。慶應の場合、特に内部進学の人は「名前を取る」傾向が強いので、「慶應の経済」に行きたがる。内部進学の人の場合、もうひとつ、内部進学の人間は「何かとまとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造があり、内部進学の人のそういう「何かとむれたがる」「何かとまとまったり、まとめられたりするのが好き」という精神構造のことを「独立自尊」と慶應の内部進学の人は言い、「慶應心理学」はそういう精神構造のことを「自我が確立されている」と言うのだが、え? それって逆と違うのか? ・・なんて思うが、フリードリヒ=ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』で、一人でいることができる人間で二人でいることもできる人間が友を持つことができるのであり、常に二人以上でいることしかできない人間というのは「友を持つ」ということはできない人間だ、と述べているが、その「常に二人以上でいることしかできない人間」のように内部進学ばかりで常に「むれる」ということをしたがる人が内部進学には多く、そういう精神構造のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」と「診断」し、なんでやねん、逆と違うのか? と言おうものなら「慶應心理学」は「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそう言うということですね」と「診断」する。うかつに正直に思ったことを口にすると「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らってそういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響だと思います」とか「アイデンティティーを持っていないからそういうことを言うということですね」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うのですね」とか、「そういうことを言うというのは未成熟だからだと思います」とか、「適応性に問題があります」とか何とかかんとか、ぐじゃぐじゃ「診断」される危険があり、「診断」されると次には「治療」される危険があるのでもう怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖い怖い



・・で、本来は経済学部と商学部は共通する部分もあり、どちらの学部でもできるものがあるが、経済学の方に比重が大きいのが経済学部で商業学・経営学・会計学などに比重が大きいのが商学部で、実際には田中真紀子さんの息子とか経済学部卒で公認会計士になった人もあるようだが公認会計士を目指す人には商学部の方が科目の相関が大きく対応しているようだが、内部進学の人や大学から入る人でも親も慶應という人は経済学部の方に行きたがる人が多く、慶應では「慶應の経済」が最も慶應的な学部だと思っている人がいるが、しかし、商学部の場合は1年・2年の時のクラスでも同じクラスには、同じ高校の出身の人がいるということは少ないが慶應の内部進学の高校出身の人の場合は1人か2人、同じ高校の出身の人がいることがあるという程度であるのに対して、医学部は4割が内部進学とあらかじめ決められているらしいが、経済学部の場合はあらかじめ決められているわけではないが実際に3分の1以上が内部進学らしく、それゆえ、「いかにも慶應」というのか「ほとんどビョーキ」というのか「いかにも気色悪い」というのか「ビョーキ移りそう」というのかの学部が経済学部で、何より「種無し葡萄(デラウエア)をひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うなら食うけれども、自分で房からちぎって口に入れて食うなんてそんなおかしなことできるかあ」と言うそういう人が多いのも経済学部だった。そういう人が「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」と言うというのが慶應という大学だった( 一一) 今はどうか知らないが1970年代後半から1980年代初めにかけては、経済学部の入試科目は数学1・2Bと英語の2科目だけで、商学部は数学1・2Bと英語と世界史か日本史のどちらか選択の3科目で、慶應は法学部以外は「国語が入試にない大学」で、そういう文学・哲学軽視の態度が「強姦魔の大学」につながっていたのではないかと思う。慶應大学の学部の中では経済学部が最も「ブタ人間の大学」という傾向が強く、「強姦魔の大学」という傾向も経済学部が最も強いのではないか、という厳密に調査したわけではないけれども、私はそういう印象を受けている。
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは私に「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と何度も何度もおっしゃってご自慢なさったのだが、そんなもん、自慢するもんかあ~あ? ・・とも思ったのだが、それは世界観の違いというものかもしれない。旧姓作野礼子さんの認識では「父親がいなかった」者というのは父親がいた者よりもエライらしかったのだ。
そして、「あなたのお父さんほどいいお父さんはいないわよ」と、おっしゃったのだが、そんなにいいかあ? さすがに「本物の慶應ボーイ」とは違ってデラウエア(種無し葡萄)の皮を「コラア、むけえ」とは言わなかったけれども、「林檎の皮をむくというのは、女がやることやねんぞ、女が。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはチャンコロ」と言って、性別は男性の私に林檎の皮をむかせて食って、その上で「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と何度も何度も言うおっさんて、いたらうれしいか? いたら楽しいか?
マア、別にむいてあげてもいいけどさあ。むいてあげてもいいけれども、せっかく、むいてあげたのに、それを食った上で「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」とか言われると、なんかあんまりうれしくないなあ・・・( 一一)
「私は父親がいなかったから」などということを自慢しまくり女の旧制作野礼子さんは、「父親がいなかった」というからには、こういう経験なんてないでしょ。「私は父親がいなかったから」と何度も何度も言いまくって、父親がいたという人間は常にものすごい得しているみたいに言わないとおれない症候群の女というのは、もし、なんなら、うちの父親に林檎でも梨でもむいてあげた上で「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と言われてみるといいのではないか、と思うのだ。過去に遡って、うちの父親が生きていた時に「父親体験」でもしてみるといい。さぞかし、うれしいことだろう。
そういえば、うちの父親が他界する前、最初に病院に入院した時、うちの母親が「前に回生病院(大阪市北区)に(うちの父親が)入院した時は〇〇(私)がいたから、着替えとかを持って行ってくれたけれども、今は〇〇が東京で勤めているから、病院に持って行ってもらうということはできないから」と話したところ、「そんなもん、やってもらったことなんてない~い」と言ったそうだった。うちの母親が「なんでよ。何度も持って行ってくれたでしょうよ」と言っても、「そんなもん、持ってきてもらったことなんて一度もない~い!」と言ってきかなかったそうだ。あの人らしいなあ・・と思う。そういうおっさんやった( 一一)
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほど、いいお父さんはないわよ」と言われ、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と言われ、「私だったら、あなたのお父さんのようなお父さんがいたらうれしいわよ」とおっしゃるのだったが、そんなにいいのならば、うちの父親のために林檎のひとつでもむいてやってほしかった。林檎のひとつでもむいた上で、それを食った直後に「これまで、わしはおまえに何かやってもらったということは、何ひとつとしてないんやからな。何ひと~つ、何ひと~つ、何ひと~つ」と言われるという「父親体験」をしてみるといいと思うのだ。旧姓作野礼子さんにとっては、さぞかし、楽しかったことだろう。もし、何なら、過去に遡って、あのおっさん、あげるよ、旧姓作野礼子さんに。
「すべてをすべてをすべてをすべてを、わしのっために、わしのっために。わしのために、捧げ尽くす、捧げ尽くす。
犠牲になる、犠牲になる、わしのために犠牲になる。
すべてをすべてを犠牲にする。わしのっために、わしのっために。
わしのっために、すべてをすべてを犠牲にする!」と、
毎日、毎日、叫んでいるおっさんというのがいたらうれしいのなら、過去に遡って旧姓作野礼子さんにあげるよ、ほんと。
北野高校という学校は行きたいと思って行った学校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して10年以上経って、それこそ、マインドコントロールが解けて冷静に考えられるようになってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。どういう学校だったかというと、要するに、↑ のような「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」とそういうなんか変なものを自慢にして、何度も何度もギャースカぎゃーすか言いまくらないとおれない女が「国語」課の教諭で担任になる学校だった。
柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「能力的にも優秀で人間的にも優れた教師というのは、多くの人間が思っているよりも、はるかに少ない」と述べているが、今は私もその通りだと思っている。 そもそも、高校ってなくてもいいのではないのか? ない方がいいということはないか? 高校の教師って、あいつら、いない方がいいということはないか? とかも思うことがある。大学に進学するためには、かつては大検(大学入試資格検定)、今では制度が少し変わって、高等学校卒業程度認定試験 というものがあるので、法科大学院大学のルートではなく予備試験ルートで司法試験を受験するように、高校には行かずに高等学校卒業程度認定試験を受けて大学に進学するというルートもあるわけだから、その方がいいのではないのかと思ってみたりもするのだが、しかし、司法試験の予備試験ルートとは違って、中学校を卒業した後、高校に行かずに仕事にもつかずに独学で高等学校卒業程度認定試験に合格するための勉強に取り組んでいるとなると、「ニートか?」とか「引きこもりか?」とか、さらには「ビョーキか?」とか、さらには「変質者か?」とか見られてしまう危険がある。それを考えると、ともかく、どこかの高校に行っておいた方がよさそうだ。考えようによっては、進学校とされる高校に行くよりも、そうではない高校に行った方が負担が軽いので、自分で計画を立てて学習する方が好きだという人間にはいいかもしれない・・とか思ったりもするが、その地域において、評価が高くない高校に行ってしまうと「下の方の高校の人」という烙印を押されてしまって「一流大学」を受けて進学しようとしても、それが妨げになってしまうおそれがある。そうなると、絶対に一番手校でないといけないということはないとしても、ある程度以上の高校に行っておいた方が良さそうということになる・・・が、一番手校の教諭がすばらしいかというと・・⇒そうでもない。 という印象を今は私は受けている。
※ 《ウィキペディアー高等学校卒業程度認定試験》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8D%92%E6%A5%AD%E7%A8%8B%E5%BA%A6%E8%AA%8D%E5%AE%9A%E8%A9%A6%E9%A8%93

東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之

脱学校の社会 (現代社会科学叢書) - イヴァン・イリッチ, 東 洋, 小澤 周三
(2022.10.30.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。〔今回〕
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
この記事へのコメント