買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出て「ないわあ♪」とやる父親はいいお父さんなのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。
[第608回]
大阪市東住吉区の JR阪和線「南田辺」駅から法楽寺を経て山阪神社 へ至り、私が子供の頃、住んでいた付近について述べました。その際、延べ残したものがありました。

↑ これは名所旧跡でも何でもありません。大阪市東住吉区 の 私が子供の頃、住んでいた所の比較的近くから西側を見た JR阪和線 の高架とその付近です。1960年代、私がこの付近に住んでいた時は、阪和線はJRではなく国鉄で、高架ではなく地上を走っていました。線路の向こうにマンションらしきものが見えますが、私が子供の頃はありませんでした。
《A》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その1。
うちの父親は、この写真を撮影した場所より少し手前あたりを右折して、当時は国鉄だった阪和線の「南田辺」駅から乗車して通勤していたはずでしたが、そのうち、現在では大阪メトロ 御堂筋線 と言っていますが、私が子供の頃は 大阪市交通局・大阪地下鉄 1号線 の「西田辺」駅から乗車して通勤するようになりました。
まだ、小学校に行く前のこと、幼稚園に行っていたか行く前だったか記憶がはっきりしなくなりましたが、うちの父親が出勤する時、うちの母親が「お見送りしなさい」と言うので門の前まで出ていって「行ってらっしゃあ~い」と言うと、うちの父親は「行ってきま~す。お土産買ってくるからねえ~え」と言うのでした。「お土産買ってくるからねえ~え」と言ったからには何か買ってきてくれるのだろうと子供は期待しました。・・ところが、うちの父親が帰ってきたので出迎えに行って「お土産はあ?」と言うと、「ないわあ~あ♪」と言うのです。
「お土産買ってくるからねえ~え」と自分で言って出かけたにもかかわらず、買ってくることなく「ないわあ~あ♪」と言うということは、「わしは働いとんねんぞお」「わしは働いてやってやってやっとんねんぞお~お」といつも言っている人ですから、「わしほど真面目に働いておる人間はおらんねん。わしはサラリーマンの鑑(かがみ)や」とか言っている人ですから、ジャパニーズビジネスマンとして必死で働いているあまり、お土産を買ってくるのをつい忘れてしまったのか、もしくは仕事があまりにも忙しくてお土産を買うことができなかったのか、と子供は推測しました。 だから、忘れたのか、それとも、仕事が忙しくてお土産を買う時間がなかったから買えなかったかであったわけですから、翌日こそ、何かお土産を買ってきてくれるのだろうと思いました。それも、母親に言うのではなく子供に「お土産、買ってくるからねえ~え」と言ったのですから、子供が喜ぶようなお土産を買ってきてくれるのだろうと思いました。しかし、翌日、うちの父親が会社から帰ってきて、子供が「お土産は?」と期待して尋ねると、またもや、「ないわあ~あ♪」とうれしそうに言うのでした。
ジャパニーズビジネスマンは仕事が忙しくてお土産を買う時間が2日連則なかったのだろうと、またもや、子供は推測して、そして、その次の日こそ、お土産を買って帰ってきてくれるものだろうと期待しました。・・
しかし、その翌日もまた、うちの父親は帰ってくると、「ないわあ~あ♪」とうれしそうに楽しそうに言うのでした。「ないわあ~あ♪」と。子供に「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやるというのが、そんなに楽しいのでしょうか。そんなにうれしいのでしょうか。
そして、その後もその後も、毎日毎日、「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とうちの父親はやるのでした。
・・子供はそのうち、慣れました。うちの父親というのは、朝、家を出る時には「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやるものなんだ、と慣れました。落ち着いて考えてみると、朝の挨拶として「おはよう」と言いますけれども、「おはよう」てどういう意味なんだ? 特に早い時刻でなくても「おはよう」と言いますが、遅い時刻なら「おそよう」と言うべきではないのか、なんて考えたこともありましたが、早いか遅いかにかかわらず、「おはよう」と言っています。夜の挨拶は「こんばんわ」と言いますが、これだって、どういう意味なのでしょう。地方によっては「おばんです」と言う地方もあるようですが、これは、おそらく「晩(ばん)」に丁寧語の「お」がついて「お晩です」なのだろうと思いますが、「お晩です」といちいち教えていただかなくてもわかりますよ。でも、そう言います。「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、そして、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやるというのも、それも、会社員が家を出る時の挨拶と帰ってきた時の挨拶のようなものか・・・みたいに子供は思うようになりました。
しかし、今、考えてみると、それなら、なぜ、子供に言うのでしょうか。家を出る時の挨拶と帰ってきた時の挨拶ならば嫁に言えばいいと思いませんか。何も子供に「お土産買ってくるからねえ~え」と言って期待させて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやらなくてもいいのではないのか。そう思いませんか?
このことは長く忘れていたのですが、1990年代後半になって思い出しました。なぜ、思い出したか。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に勤めていて福島県いわき市の営業所に勤務していた時のこと、福島県双葉郡 のあるお宅に、いわき市平 尼子町(たいら あまこまち)にあった総合住宅展示場に来場された展示場来場名簿に記載されていた方のお宅に訪問したところ、そこの奥さんから「K野さんて、お宅の所長さん、今もおられるのですか」と少々冷ややかな調子で言われた、ということがあったのです。「はい、おります」と言うと、「今も所長さんなんですか」と言われ、「はい。所長です」と言ったところ、「あんな人が所長やってるて、一条工務店て、よっぽど人材が不足してるんですね」 ・・そう言われたのでした。
「K野さんて、営業としてよく売っていらっしゃるの?」と言われたので、「はい。K野は年間契約棟数全国1位の営業成績を残したこともある人で、いわき市の営業所の営業社員の中では毎年、誰よりも多くの契約をあげています」と話したところ、「へえ、そうなんですか。そうかもしれませんけれども、うちからすれば、最低の人です」と、そう言われたのです。何があったと思いますか?
人間、誰しも失敗することもあります。又、誰しも長所もあれば短所もあります。1990年代、(株)一条工務店で福島県浜通り地区の所長になっていたK野次男さん(男。当時、50代)は、過去に年間契約棟数全国1位の営業成績を残したこともある人で、毎年、いわき市の営業所の営業社員の中では誰よりも多くの契約をあげていた人でしたが、相当多くの契約をあげる人には、その結果として1件あたりの対応が粗末になるという人もいます。
(株)一条工務店は、営業社員が親戚の契約を獲得したような場合はその営業が営業担当になりますが、営業以外の従業員、工務課の従業員やその親などが(株)一条工務店で契約するという場合は所長が担当ということにしていました。一般に所長はその地域に何展示場かあると常に自分が一番条件がいい展示場・自分が一番やりやすい展示場に自分を配属しますし、(株)一条工務店で仕事をしている業者が建てる場合の契約は所長が担当とか、営業以外の職種の従業員やその親の契約は所長が担当とか、相当の””特典”” が所長にはありますから、ですから、所長ではない従業員よりも契約棟数が多くなりやすい条件はあります。いわき市の営業所にいた工務課の女性Wの親が いわき市内で建てる契約を(株)一条工務店と結んだ時も所長のK野次男さんが営業担当になりました。営業活動なんか何もやっていません。何も営業活動していなくても「契約1」がそこに計上されるのですから、おいしい話です。
W邸の設計が進み、色合わせをおこなうようになってきた時、Wが私に「・・はどうなの」とか尋ねてくるので、いくつか説明して教えてあげたことがありましたが、「こういうことは営業担当者が説明しておくべきことのはずだけれども、所長から説明は聞いてないの?」と言うと、「知らない」とWは言うのでした。ええ~え? あのおっさん、この程度の説明もしてないのかあ~あ・・とびっくりしました。そのあたりを同社のいわき地区の従業員に話すと、「そんなの、所長が説明なんかするわけないでしょうよ」と言われました。そうだったようです。
私は営業ならば、自分を担当として契約してくれた人にきっちりした家を建てて引き渡したいと思って仕事をするものだと思っていたのでしたが、私が営業担当ならそのために最低でもこういったことはきっちりと説明しておかないといけないと思って説明することを、首位打者タイトル経験者のおっさんは「抜く時は抜きます」と徹底して手を抜いていたのでした。いくら何でも、そこまでやるかあ~あ・・と私なら思うくらいに手を抜いていたのでした。もっとも、「手を抜く営業」は他にもいます。たとえば、1990年代半ばまで いわき市の営業所にいた営業本部長の天野隆夫と仲が良かった自称「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子・前科あり・極真会空手の有段者・元暴走族・元ホスト」のM上(男。当時、20代)は高校時代の同級生に契約してもらいましたが、その同級生が後に(株)一条工務店に入社してきて教えてくれたのですが、(株)一条工務店では着工前に建築地の周囲の家の営業が挨拶に出向き、その際、会社が用意した粗品を渡すことにしていたのですが、ところが「労を惜しむ男」M上は挨拶に行こうとしないので、施主が「おい、近所に挨拶に行かなくていいのか」と言うと、「おっ、さすが◇◇ちゃん、営業やってきただけのことある♪」と言うので、施主が近所に渡す粗品を買って用意して挨拶に行くと「手ぶらで後ろからついてきた」そうでした。だから、着工後、自分自身が(株)一条工務店に入社するまで(株)一条工務店は着工前に建築地の近隣の家に粗品を持参して挨拶に行くということを知らなかった。施主が粗品を用意して挨拶に行かないなら(株)一条工務店の営業は行かないものだと思っていたらしい。
たしかに、営業は片方で自分を担当として契約してくれたお施主様にいい家を建ててあげたいと思うものの、他方においてより多くの契約を獲得しなければならない立場ですから、あまり1軒あたりに時間と労力をかけていると多くの契約をあげられなくなってしまうという面があり、その点で私などは1軒あたりに多くの時間と労力をかけ過ぎたかもしれません。しかし、それにしても、「いくらなんでも、そこまでやるかあ~あ」という手の抜き方をする人が時としています。たいした契約棟数をあげていないにもかかわらず、手を抜きまくる人というのもいますが、福島県浜通り地区の所長だったK野次男さんは首位打者タイトル(年間契約棟数全国1位)獲得経験者であって、そして、相当手を抜いていて、かつ、手を抜いても、なんだかんだ言っても家は建っていましたから、「このうえもなく理想的」ではなくても「まったくだめ」ではなかったのでしょう。
浜通り地区の所長のK野次男さんは決してだめな営業ではありません。一番、すごいなあ・・と思ったのは、私と同じ展示場に勤務していた営業が追客していた見込客が所長のK野さんが勤務する展示場に行って「愛想もくそもない図面を持ってきやがった」と言われたらしく、営業担当者が言うには、そんなこと言われても、「ここに建てたいんだ」と見込客が言われた土地に建てようとすると、最大限のことをやってそれしかできないということでした。K野さんとしては「愛想もくそもねえ営業だと言っていたぞ」と言い、所長に担当替えさせたかったらしかったが、担当営業の方では、そうはイカのち〇ち〇 だか きんた〇 だかで、「それなら、所長としてお客さんの所に同行して助けてくださいよ」と話し、営業担当に「所長として同行」するということに持っていったらしい。
「どいつもこいつも、愛想もくそもねえ図面ばっかり書いてきやがってからに」と言って見せられた同業他社の図面は、すべて「似たりよったり」で、「ここの建てたいんだ」と言われた土地に建てようとする限り、それしかやりようがなかった。
そこで、所長のK野次男さんはどうしたか。K野さんは周囲を見回して、そして、こう言ったらしい。「◇◇さ~ん。これ、どんなもんだろうねえ。そこに建っている納屋なんだけれども、見たところ、まだ新しくて取り壊すのはなんとももったいないように思うんだけれども、もしも、その納屋を取り壊して、その納屋が建っている場所とこの場所とを合わせて、両方の土地を使って建てたなら、けっこういい家ができるように思うんだけれども、どんなもんだろうねえ」・・・ そう言ったそうです。
まさに「目から鱗(うろこ)」とでもいったものでした。それまで、何社もの従業員がその場所に来て、誰ひとりとして気づかず、御施主さんも気づかなかったことをK野さんひとりだけが気づいたのです。それまで、その見込客の方が「ここに建てたいんだ」と言われた土地に建てるという条件で最良のものとどこの住宅建築業の会社の人間も考えたのでしたが、(株)一条工務店の所長のK野さんひとりだけが、そうではなく、その「お客さんが建てたいもの」を基に考えて、そのためにはどうすればいいか、という視点で考えたのでした。営業担当者も感心し、施主もまた感心して、「これまで、ここに何社もの会社の何人もの人間が来たけれども、それを言ってくれたのはK野さん、あんた、ひとりだけだよ」と言われて喜ばれたそうで、そして、契約いただいたようです。たいしたものだなあ、と思いました。年間契約棟数全国1位は伊達じゃないなあと思いました。
他にも、私が担当の契約客がK野さんが在籍している展示場に見に行ったところ、K野さんが接客してくれたことがあり、後でお施主さんから「所長のK野さんが、こう言われたんですよ」と聞かせてもらったものなど聞くと、なるほど、そういう話し方をするのかと感心したものがあります。ですから、K野さんは営業として契約棟数が多いというのは、所長としてそうでない営業より有利な扱いを受けている面があるからというだけではなく、実際に相当の努力をして得た営業能力を身に着けている人だと私は思っています。
しかし、それでもやっぱり、人間には誰しも長所もあれば短所もあります。双葉郡のその見込客の方は何を怒っておられたのか。
それは、私は総合住宅展示場のアンケート名簿から訪問したのですが、それよりも前に(株)一条工務店の展示場に来場されたこともあり、その際に所長のK野さんが担当して現住居まで何度か訪問して話もしたことがあったらしいのですが、その時のことのようです。
K野さんは帰りがけに、その夫婦の女の子、小学校に行くか行かないかくらいの女の子にこう言ったらしいのです。「今度、来るとき、アイスクリーム、買ってくるからねえ~え」と。
そして、次回、訪問時、アイスクリームは買っていかなかったそうです。子供は覚えていないだろうなどと思うおっさんが時々いますが、そうではありません。子供は覚えています。あのおじさんだ・・と思って「アイスクリーム♪」と子供が言うと「ないわあ~あ♪」とK野さんは言ったそうです。
誰しも忘れることはあります。子供もそう思ったでしょう。
しかし、K野さんは帰る時にまた言ったそうなのです。「次、来るときにはアイスクリーム、買ってくるからねえ~え」と。そして、その次に来るときも買ってこなかったそうです。子供が今度こそ買ってきてくれるのだろうと思っていたら、その「アイスクリーム、買ってくるからねえ~え」と言って帰ったおじさんは、またもや、買ってこなかったそうなのです。
それを、いったい何回やったか。「何回、それをやるのか」と奥さんが言われたということは、相当、何回もやったみたいでした。
・・困ったおっさんです。 決して営業として無能なんてことはない人で、さすがに首位打者タイトル獲得経験者(年間契約棟数全国1位 経験者)だけのことはあるというところのある人ではあるのですが、これについては、困ったおっさんでした。
私は立場上、弁護側に立つ立場でしたが、どう弁護していいのかわからず、「そうでしたかあ~あ」と言って話を聞くことくらいのことしかできませんでした。「話を聞く」だけでも、それでも、聞かないよりはいいかもしれませんが、その程度のことしかできませんでした。
(株)一条工務店という会社の特徴として、所長とかそういった「称号」をもらっている人というのは、たとえ、「お客さんがこういう苦情を言われていましたあよ」なんて言っても絶対にききませんからね。かつ、きかないならその上の役職の人間から言ってもらおうなんて思って言ったら、逆に言った人間が攻撃されます。
この会社の問題点として、一般営業が苦情を受けたなら、それが筋違いなものであっても見込客・契約客を剥奪される危険があるのに対して、所長などの「称号」をもらっている人間が客から苦情を言われても所長は見込客・契約客を剥奪される危険は絶対ないという特徴があり、その点で、この会社は営業成績グラフといったものを作成して展示場の事務所の壁に貼っていますが、もとより、公平性に欠けるものの数字をグラフにして貼っているという大きな問題があります。
この時ですが、私は2通りのことを思いました。
ひとつは、「困ったおっさんやなあ~あ」というものです。そのお宅の奥さんは「うちは、まだ、(株)一条工務店で契約したわけではありませんから、うちは一条工務店に1円としてお金は払っていませんから、アイスクリームであれ何であれ買ってもらう権利があるわけではありませんし、うちは乞食じゃないですからアイスクリームが欲しければ自分で買えばいいことですけれども、それでも、子供に『次、来るとき、アイスクリーム、買ってくるからねえ~え』と言ったのなら買ってきてもらえませんか。買ってこないのなら『次、来るとき、アイスクリーム、買ってくるからねえ~え』なんて子供に言わないでもらえませんか。私達、大人になら、何何しますと言ってやらなかったとしても、『ああ、この人はそういう人か』で終わりですよ。約束守らなかったとしても『ああ、この人はそういう人か』となるだけですよ。でも、子供は『次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ~え』なんて言って帰ったら、子供は覚えていますから、次、来られた時に『アイスクリーム、買ってくるからねえ』と言ったおじさんだと思って、『アイス、アイス』と言うじゃないですか。買ってこないのなら子供に『アイスクリーム、買ってくるからねえ』と言わないでもらえませんか。『買ってくる』と言ったなら、一番安いものでも、一番小さいものでもいいから、ともかく、アイスクリームを買ってきてもらえませんか。どちらかにしてもらえませんか」と言われたのです。大いにもっともなことです。困ったおっさんやなあ~あ・・・と思いました。困ったおっさんです。K野さんは、悪いところばっかりということはなく、自宅にいわき地区の従業員を呼んで庭でバーベキューをやったりしてくれたり、又、私が栃木県佐野市の展示場に転勤した時には「来年、俺とあんたとで、どっちが多く売るか競争しようじゃないか」と言ってくれたりして、いいところもある人だったのですが、その部分については、困ったおっさんでした。
もうひとつは、それほど、たいしたことでもないのじゃないか・・という感想でした。こんなこと言ったら、そのお宅の御夫婦は不快に思われたでしょうけれども、なにしろ、私は子供の頃、そんなこと、うちの父親からしょっちゅうされていましたからね。
[第591回]《山阪神社(東住吉区)参拝。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか? 優勝もしてないのに高い物を買ってもらっていた人間はずるくなくて被害者なのか?ー法楽寺と東住吉区山坂[9/12]》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html でも述べましたが、小学校1年の時、担任の先生が「算数」の授業で、足し算・引き算・掛け算・割り算について、クラスでトーナメント大会を実施して優勝者・準優勝者には連絡帳に「よくできました」と書いてくれたということがあった時、うちの父親は「次、優勝したらプラモデルこうたる」と言い、そして、優勝すると、「あんたはどういうものが欲しいか」と言うので「ゴジラがいいけれども、ゴジラは4000円もするから無理やと思う」と言うと、「なんで無理やねん。ええがな。4000円したってこうたるがな。なんでいかんねん。このわしがこうたると言うとるねんぞ、ほかでもないこのわしがあ。んがあ。このわしが、いったんこうたると口にしたからには、4000円しようがいくらしようがこうたるがな。天地がひっくり返ってもこうたるがな。何をわけのわからん心配しとんねん、おまえはあ」と言ってプラモデル屋に行き、プラモデル屋の奥さんが「ゴジラは4000円です」と言うのを聞くと「ふええ~え。ひいえええ~え。ぎょおえええ~え。かなんな、もう。かなんな。冗談やないで、4000円やなんて。あかん。絶対にこうたらいかん。怪獣のプラモデルに4000円なんて絶対に出したらいかん」と言いだして200円のバルゴン買って、帰り道々「良かったねえ、あんたあ~あ。お父ちゃんにバルゴンのプラモデル買ってもらえて、うれしいうれしいうれしいねえ。良かった良かった良かったねえ」と言い続けやがった、ということがあった。こういうことを言うと、「そりぁ、お父さんだって何か事情があったんでしょ。そのくらいは考えてあげないとだめでしょ」とか言いだす人が出てきます。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子なら言うでしょう。しかし、それなら、あのおっさんはいつでも常にその「何か事情」てやつがあるということになります。
[第593回]《南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭ー法楽寺と南田辺駅界隈[11/12]》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html でも述べたが、私が小学校1年の時の夏休み、会社の社員旅行で小豆島に2泊3日で行くのに一緒に行った時、「小豆島で花火をやろう。花火を買ってきなさい」と言われて、山阪神社の南側にあった店で花火を買ってきて持って行ったものの、実際に小豆島に行くと「1日目の夜には花火はしません。花火は2日目の夜にします」と言い、2晩目の夜になると会社の人と酒のんで、「花火しよう」「花火しにいこう」と言っても完全に無視しやがった。
さらに、帰りの船の中では子供が持っている小さな水筒をとりあげて「配給、配給、お茶の配給です」と言ってちゃらけて大人にお茶を分けてまわり、子供が「のどかわいた。お茶ほしい」と言うと「ないねん。お茶、もうないねん」と言い、「売店でジュースこうたろ」と言って売店に行くと売店が閉まっていたので「弁天埠頭についたらこうたろ」と言い、弁天埠頭につくと「バスきてる、バスきてる。弁天町の駅に着いたらこうたる」と言って弁天町の駅についたら「プラットホームの売店でこうたる」と言い、弁天町駅のプラットホームについたら「電車きた、電車きた。天王寺の駅についたらこうたる」と言い、天王寺駅についたら「阪和線の電車きてる、電車きてる。南田辺の駅についたらこうたる」と言い、天王寺駅はターミナル駅なので電車は来ていてもなかなかでないので「まだ、電車でないから。苦しい。どうかお願いだから水のませて。苦しい。お願い。水、飲ませて」と言っても、「電車、出てしまうがな。南田辺の駅でこうたると言うとるやろ。わからんのか、おまえは」と言い、そして、南田辺駅についたら「もうすぐ、家です。もうすぐ、家」と言って、結局、小豆島から弁天埠頭に向かう船の中から東住吉区の家まで「ジュースこうたる」と言い続けて買わなかった。私は、うちの父親からそういう経験を毎年毎年、始終されてきた。
私が小学校の中学年頃だったか、第二次安保闘争とか東大闘争とかいうものがあって、その頃は「過激派」とかではなく「普通の大学生」がデモに参加したりしていたようだが、ちなみに慶應内部進学小此木啓吾が主唱した「モラトリアム人間」論というのは、そういった大学生が社会の問題に関心を持ってデモに参加したり、就職に不利になる可能性があっても政治的行動に加わることを「モラトリアム人間」と罵ってやめさせようとするものであり、その逆の人間、そういった行動に参加するものを白眼視する者(「慶應タイプ」)を「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」と「診断」するというものです。いかにも、慶應内部進学がやりそうな「診断」であり「医学」「精神分析学」です。 聞いた話だが、その頃、うちの父親の勤め先の社長の息子が東大生で、デモに参加したりしたこともあったらしいのだ。その時に、「たぬきのおっさん」とうちの父親が呼んでいた社長が息子に、やめとけと言ったらしいのだが、「それ、やめたらクルマを買ってやるから、やめとけ」と言ったらしいのだ。・・そして、「たぬきのおっさん」は実際に息子にクルマを買ってやったらしいのだ。なるほど、さすがは「たぬきのおっさん」だけあるなあ~あ・・と思った。うちの父親ならば「もし、それやめたら、クルマこうたるわあ」なんて言ったなら、必ず、実際に買う時になったら、「やっぱり、もったいないから、やめとくわあ~あ」と言って買うのをやめます。そのあたりが、「たぬきのおっさん」とうちの父親との違いです。私だけがそう認識していたのではなく、上の姉もまた「うちの家とよその家との違いとして、よその親は子供に何をしたら何を買ってやると言ったら、たいてい、子供に買ってくれるでしょ。うちの親はそうじゃなくて、実際に買う時になったら買わないでしょ」と言うのでした。そうでした。特に、父親はそうでした。
『史記』の中の話で、漢の高祖 劉邦につかえた韓信に項羽を倒すことはできるかと劉邦が尋ねたところ、韓信は劉邦に自分と項羽とどちらが優れていると思うかと尋ね、劉邦が「及ばず」と項羽に自分は及ばないと言ったところ、韓信は私もそう思うと言い、しかし・・・と、項羽は大変有能な人ではあるが自信家で部下にまかせるということができない、また、物惜しみする人間で功績を残した部下に恩賞をとらせるという時に、最後まで土地を恩賞として渡すのをけちり、その土地の印を手の上で渡すまいとしてもてあそび印の角がとれるようになっている。もしも、大王(劉邦)が有能な部下を集めて仕事をまかせ、働きに応じて十分な報酬を渡すようにするなら、大王(劉邦)は必ず、項王(項羽)を打ち破ることができるでしょう、と語り、劉邦はそれを聞いて大いに喜んだ・・というが、「何何をやったら、何をこうたる」と言ったら、いったん、言ったからには買う人と、「何何やったら、何をこうたる」と言ったら、買う時になったら常に必ず「やっぱり、もったいないから、やめとくわあ~あ」と言う人とでは、それをされた人間のその人間に対しての印象は大きく変わる。

中国古典選18~22 史記 全5冊 朝日文庫
そういえば、1980年代、うちの父親が私に「◇◇やったら、マンションこうたるわあ」とか言いだしよったことがあった。何をやったらだったか忘れてしまったが、そう言って騙せばいいと知恵つけた人間がいたのだろう。また、言いだしやがったかとあきれた。そんなに何回も何回も騙されてたまるか。「要りません」と言ったのだ。「なんでやねん。なんで要らんねん」と執拗に言ってきたが、そんなもん、「マンション、買ってもらえるなら」などとアホなこと思って、そんな話に乗ってしまったら、実際に買うという時になったら「やっぱり、もったいないから、やめとくわあ~あ」と言うというのが、うちの父親の常套手段・必殺技であり、何回も何回もされてきた者からすれば、
「いつまでも 通じる思うな くさい技」
てものだった。 もしくは、うちの父親は大阪で勤務していたけれども、仕事で東京支店に行くこともあり、又、うちの姉が東京寄りの千葉県に住んでいて姪が愛想のいい子だったので、仕事で東京支店に行く時と「姪と遊びに行く」(おもちゃにしにいく)時のための宿泊所としてマンションを買って、その管理人および掃除夫として私を無料で使おうと考えたか。どっちにしても、そんなクサイ手にいつまでもいつまでも、ひっかかってたまるか。
「いつまでも 通じる思うな くさい技」
うちの母親は私が小学校高学年から中学校の時、「親というものは、子供が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、やりたい勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていて、私はそんな話を本気にしてしまった。しかし、実際に大学に進学する高校3年の時になると違った。私が高校3年の時、うちの母親は「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせるから、そやから、こいつ、何が何でも浪人させてやらんといかん。こいつ、何が何でも落としてやらんといかん」などと言いだし、私が高校から家に帰ってくると入口の扉を閉めすべての雨戸を閉め、門扉を消してインタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして家に入れないようにしたり、夜、自宅の部屋で学習していると、服をつかんで「こいつめえ」と言って背後にひっくり返し、ホウキ持ってきてボコボコ殴りつけたり、私が使用している部屋の電気を洗面所にあった分電盤のブレーカーを落として照明がつかないようにして学習できなくなったりといったことをやった。うちの母親は「私は心臓が・・」「私は血圧が・・」と日頃から言いまくっていたので弱弱しそうに見えたようだが、そういう時になると相当力はあった。なにしろ、息子というのはいくらやっつけても反撃してくることはないので自信をもってやっつけることができます。やっつけるなら息子は最適です♪ そして、北野高校の模擬試験というものが3年の時に3回あったのですが、8月の1回目、10月の2回目の時、どちらも「あと、もう少しで京大に合格圏」というくらいの成績だったのですが、2回目のあとの「懇談」の時に、うちの父親が突然「これ、阪大なら通ると考えていいですか」「神戸大ならまず通ると考えていいでしょうかね」とか言いだしたのでびっくりした。担任だった大谷が「そういうものでもないですよ」と言ったのだ。「『京大なら、あと少し』であったとしても、阪大なら通るというものでもないですよ」と言ったのだが、実際、そうだろう。世の中には、「京大を狙える」なら阪大なら通るだろうと考える人、神戸大なら絶対通るだろうと考える人がいるが、そんなものではない。阪大はそんなに易しいわけではなく、あくまでも、「京大と阪大なら同じ学部ならば阪大の方がいくらか易しいかもしれない」というくらいのものだ。我が家の近所に住んでいた、私と同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に現役で行ったK村哲二という男のお母さんが「京大でも通りますと北野高校の先生が言われました」と近所にラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて叫びまくっていたらしいが、「京大でも通ります」と言うのなら京大を受けて行けばいいじゃないか。なんで、行けへんねん。俺は川村に「頼むから京大は受けんといてくれ」なんて一言でも頼んだことなんてないぞ。何より、「阪大なら絶対に通ります」なんて、普通、「北野高校の先生」は、そんなこと言えへんで。もし、言ったらその先生はアホや。なにしろ、阪大というのは、そこまで無茶苦茶易しくないからだ。そんなもん、「ある程度、手ごわい所」を受けるからには「絶対に」なんてものは、ない。私が「北野高校の先生」であったなら、模擬試験でどんなにいい成績を取っていた生徒にでも、むしろ「最後の最後まで何があるかわからない」と言ってあげます。「絶対に通ります」なんて思っていたら、その意識は1%でも0.1%でも「落ちる側の要素」だと私は思う。だいたいなあ、2022年の開幕戦の阪神、考えてみい。「北野高校の先生が阪大なら絶対に通りますと言われました」やなんて、阪神みたいなこと言うんやないで、ほんまあ~あ( 一一) あるいは、2022年の日本シリーズ 第5戦の9回裏とか。1点リードからヤクルトのリリーフエースが出ての逆転負け。そりぁ、さすがに京大阪大あたりに行こうという者が亜拓大東帝国あたりを受けるなら、めったなことで落ちることはないかもしれんが、逆にそういう所に通っても行く気にはなれんやろ。完全に満足するかどうかはさておき、そこなら行こうかという気持になれる可能性がある所を受ける限りは「絶対に」なんてものは、ない。K村は阪大に入学して5年目に司法試験に通ったらしいが、その時もまた、K村哲二のお母さんは「司法試験も現役で通りました」とまたもやラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて近所にふれまわったらしいが、うるさいおばはんやな~あ。「司法試験に現役で通った」というのは大学に入学して4年のうちに通ったというものを言うのであり、普通は4年間の法学部を5年行って5年目に司法試験に通ったというのを「現役で通りました」とは言いません。ほんま、うるさいおばはんやなあ、ほんまにい( 一一)
・・それで、だ。アホなおばはんと、その母親に「そういうことを言ってまわるのはやめてくれ」とも何も言わないバカ息子の話はさておき〔そのバカ息子が今は神戸大学法科大学院大学の先生様になっておられるらしい。神戸大学法科大学院大学というのは、母親が太鼓を叩きラッパを吹き鳴らしてそういうアホなことを近所に叫びまくっていたことに「そういうことはやめてくれ」とも言わないバカ息子を講師に雇っているようだ。〕、私が北野高校の3年の時、8月と10月の模擬試験では「京大の合格圏にあと一歩」というくらいの成績を取れたのだったが、懇談で「阪大なら通ると考えていいですか」とか「神戸大ならまず通ると思っていいですか」とか、うちの父親は私に無断で突然言い出したのでびっくりしたが、担任の大谷がその時はきっちりと説明してくれたので、納得したものと思い込んだ。しかし、それから、しばらくして、突然、神戸大の経済学部の入学願書を私に無断でとってきて、私に「あんた、は~い」と言って突き出すので、「何ですか、これは?」と言ったのだ。「だから、あんた、は~い」と言うのだ。何、それ?
まず、神戸大なんて話はそれまでまったくしていないし、又、経済学部なんて話も、それまでまったくしていない。私はうちの母親が「親というものは息子が大学に行く時に行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていたので、そういうものなのだろうと思い込んでいた。うちの親はそういう考えなのだろうと思っていた。だから、運動選手になりたいとか思っても私はなれないだろうけれども、そういうことでも言わない限り、あるいは芸能人になりたいとかそういうことでも言いださない限り、本人が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行こうということには賛成してくれるということなのだろうと思っていた。又、うちの母親の兄は高校の先生をしていたし、母の叔母のだんなは小学校の先生をしていたしするから、私が学校の先生になっても悪いことはないだろうとも思っていた。母方のイトコは、私より10歳程度上の年代と私くらいの年代に分かれていて、10歳くらい上の年代は女性ばかり5人、私と同じ年代は男5人・女1人で中間の年齢の女性が1人いたが、私と同年代イトコの中では私が一番学校の成績は良かったので、親戚が集まった時には親戚のおばさんから「〇〇ちゃん、医者か弁護士になったらいいわ。学校の先生はうちの親戚はいっぱいいるから、もう学校の先生はいいわ。医者か弁護士になり」とか言われていた。高校1年の時、阪急宝塚線「豊中」駅で飛込自殺をする人があり、その場面を目撃したわけではないが、遺体をかたずけている所を見て、その夜、夢でうなされたことがあった。それで、私は医者は無理だと思うようになり、高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子にそれを話したところ、「それでは医者は無理ですね。医学部は行かない方がいいです」と断定されてしまった・・が、今から考えてみると、あの旧姓作野礼子の態度・対応はいったい何だと思う。高校の教諭として、あんな態度・対応はないだろう。それから何十年か経ち、うちの母親が手術を受ける時に病院につきそい、手術中、手術室の前にいてくださいと言われていた時も、又、自分自身が手術後うけることになった時も、特に夜も昼もうなされたりすることはなかった。結論として、飛込自殺をした人の遺体をかたずけている場面を目撃した夜、うなされたというのは、それは人の身体に傷をつけるということにうなされたのではなく、人の身体に傷をつけるという場合でも治療のための手術として傷をつけるのなら問題はなく、人が自分で自分の命を絶つということに対してうなされたのだった。だから、医療として自分が手術を受けることも、もし、自分が医学部に行って医者になった場合に自分が医者として手術をする場合も、特にそれに抵抗を感じるということはなかったのだ。私が高校の教諭ならば、そのあたりを生徒に話をしてあげるだろう。旧姓作野礼子の態度はあれはいったい何なんだ・・と思うが「その程度の教諭」だったのだが、それを高校生だった時の私は気づけなかった。しかし、実施問題として、内科とか外科とか皮膚科とかの医者には特になりたいと思っていなかった。私は小学校の5年だったか6年だったかの時に魯迅『藤野先生』という小説を読んだが、同じものが中学校1年の時、「新しい生活」と名前がつけられた東京書籍発行の「道徳」の教科書に掲載されていたのだが、魯迅は日本に医学を学ぼうとして留学して、そこで藤野先生に出会い、中国人の魯迅にも藤野先生は親切にしてくれたが、魯迅はその時代の世界、その時代の中国を考えて、中国に必要なのは医学だと最初は考えたが、治す必要があるのは中国人の身体よりも、むしろ、心だ、精神を治す必要がある、医学よりも緊急に必要なものは文学だと考えるようになり、それで、医学を途中でやめることを藤野先生に謝りに行くというのが『藤野先生』という小説だが、魯迅が身体を治すよりも心を治すことの方がより必要だと考えたように、文学・哲学といったものを「そんな趣味みたいなもん」とか言う人がいるがその認識は間違いで、そういう「趣味みたいなもん」の文学もあるかもしれない、あるだろうけれども、それが文学ということではない。

阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫) - 魯迅, 駒田 信二, 稲畑 耕一郎
毛沢東は『湖南省農民運動視察報告』において「我々の使命は刺繍に花をつけたすことではなく、雪に閉じ込められた地方に石炭を送ることである」と述べているが、文学・哲学にも「刺繍に花をつけたす」ような文学・哲学もあれば「(精神的に)雪に閉じ込められた地方に(精神的)石炭を送る」ような文学・哲学というものもあるはずであり、福沢諭吉が「実学」と「虚学」ということを言ったが、福沢諭吉は実業家を志す者なら語学と簿記は学んでおくべきだとは言っていたようだが、決して語学や簿記が「実学」で文学・哲学を「虚学」と言ったわけではなく、忠・孝とかいうような孔子の道徳とかそういうものを「虚学」、西洋近代思想のようなものを「実学」と評価して、アジアの孔子孟子のような虚学ではなく西洋の近代思想をこそ実学として学ぶべきなんだと主張していたはずであり、「思考が柔軟な慶應ボーイ」みたいに文学・哲学を虚学とは福沢諭吉は言っておらず、文学・哲学にも虚学の文学・哲学があるとともに実学の文学・哲学があると考えたいたはずだ。文学・哲学を「そんな趣味みたいなもん」とか罵って喜ぶヤカラ、「週刊プレイボーイ」なら読むが文学・哲学の本は読まないでそれを得意がっている「慶應タイプ」とかについては、キルケゴールが好んだというレンテンマルクの言葉、「これらの作品は鏡のようなものだ。猿がのぞいても使徒の顔はうかんでこない」という言葉が適切だ。

古典入門 キルケゴール 死にいたる病 - 大谷 愛人, 泉 治典
私は自分が小学校から高校まで学んできたものから考えて、最も重要なものは人間の心のあり方であり、そのためには、文学と哲学ならば哲学の方が論理的であり、実際のところ、ジャン=ポール=サルトルとかボーボワールとかいった人は哲学科卒で小説も書いており、哲学科卒の文学者というのはいたわけで、文学と哲学の境界というのはそうはっきりしたものではなく、また、心理学もまた人間を考えるものとして重要だと高校生の時の私は思ったのだった。高校生時代に私が読んだ本では岩波新書の『精神分析学入門』の著者の宮城音弥は京都大学哲学科卒で「心理学者」になっていた。哲学科卒で「心理学者」になった人がいるわけだが、それなら心理学科に行った方がいいのか哲学科に行った方がいいのか。・・ここで問題になるのは、精神医学と心身医学というものがあり、精神医学と心身医学と心理学というのはどう違うのか、という問題が出てくる。さらに、フロイト『精神分析学入門』(中公文庫)なんてものを高校生の時に読んで、そういう分野に関心を持っていたのだったが、精神分析学というのは日本の大学では何学部で学ぶべきものなんだ? ・・心理学科はあっても精神分析学科というものはない。 そこで、思ったのは「心理テスト」なんてものがあり、どうも、「心理学者」というのは「精神科医」の下働きのような扱いを受けていると思えたのだ。要するに、小学校から高校まで文学・哲学などの本を読んで学んできた者が京大や東大の心理学科に行って卒業したとして、どういう仕事につくのか・・というと、「バカでも入れる私立の医大に裏口入学卒」で内科医になったけれども、内科医でうまくいかないから精神科医に転職したら、もうガッポガッポと儲かる儲かる、ウハウハ♪・・というそういう「医者」の下働きになってしまうのではないのか。それでは、あほくさい。・・そういったことを考えた。
又、うちの母親が、心配事があると血圧が上がるとか心臓がなんとかとよく言っていたので、それで、「心と身体の関係」「心で起こる身体の病」を治す仕事について、うちの母親を治してあげたいと思ったりもしたものだった。今から考えてみると、気持ちの優しいいい息子だったなあと思う・・が、「家族を治そう」というのは、これはやってはいけないことだった。デビッド=クーパー『反精神医学』(岩崎学術研究社)に書かれていたことだが、「精神医学」の技術と言われるものは「セラピストを守るための道具でしかない」のである。「精神疾患」というものには、梅毒の三期症状によるもの・アルコール中毒によるもの・覚せい剤中毒によるもの・外傷性のものなどもあるが、そうではなく、人間関係によるものというものがあり、特に「家族」というものに原因がある場合が多いのだが、「精神科医」その他の「セラピスト」もまた、関わることで、その人間関係の一員になるが、「セラピスト」が「病気」の原因になることだってありうることであり、現実にあるはずだが、その際に「セラピスト」「精神科医」が自分たちは悪くないとして守るためのものが「精神医学」の技術であって、「精神医学」というものはその道具でしかない、というのだ。私もそう思う。

反精神医学 - 野口昌也, デーヴィッド・グラハム・クーパー
又、「人間関係」という場合、「職場の人間関係」や「学校の人間関係」もあるだろうけれども、それよりも大きいのが「家族」である、ということを考えると、「私は・・が」とか何とか言う人・「寝られない」と(実際は全く寝ていないわけではないはずなのに)言う人とかを助けようというのは他人がやっても、「精神科医」「心理学者」は「精神医学」による防禦によって自分を守ることで自分が悪者にされないようにするが、家族がうかつに助けようとすると「ひきずりこまれる」ことになる危険が大きい。特に、良心的な人間こそ、「精神医学」による悪質な防御を持たないので「ひきずりこまれる」ことになりかねないから、むしろ、「私は・・が」と訴える家族については自分が「ひきずりこまれる」ことがないように気をつけるべきである。

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原
・・そんなことで、高校生後半の私は哲学・心理学・心身医学といったそういう分野に関心を持っていて、そういう研究をできる学部に行きたいと思っていたのだった。うちの母親は ↑ のように言っていたし、うちの父親は学校の先生とかよその誰かから「お父さんの勤め先を継がせたいとかそういうことはありますか」ときかれると、「いや、そんなことありません」と常に言っていた。「そんなことありません」というのは大いにもっともなことだ。うちの父親は、親戚が社長をやっている会社に勤めていたのだったが、そこの社長はうちの父親の父親(私の祖父)とイトコだったはずで、それも、鹿児島から出てきて、すでに船場の商社でけっこう出世していたらしい、うちの父親の父親を頼って出てきたらしく、イトコでも単なるイトコではなく恩人のようなイトコだったので、それで、恩人の息子を自分の会社に雇ってめんどうみてくれた・・みたいな感じだったようだ。だから、うちの父親は親戚の会社に雇ってもらって、その社長に守ってもらってきたのだ。しかし、その一方で、うちの父親は「ええかっこしい」であるとともに「1ミリでも頭を下げることができない男」だったので、今度、逆に息子をその会社に雇ってくれと社長に自分が頼めるかというと、なにしろ、「1ミリでも頭を下げることができない男」で、そんなもの、「頭を下げる」というほどのことじゃないじゃないか、ということでもできない男であるから、自分が勤めている会社の社長に「うちの息子を雇ってやってもらえませんか」なんて頼む能力はない人間だった。みのもんた みたいなあんなしょーもない男でも、息子を日本テレビに入れてもらおうと日本テレビの社長に頼みよったらしいが、うちの父親はそういうことはできない人間だったのだ。だから、頼む能力なんてないからには、無理だ。そして、うちの父親は「ええかっこしい」だったから、誰から「お父さんとして、どういう所に行かせたいとか、ありますか」と尋ねられると、常に「いや、そういうことはまったくありません。どこでも本人が行きたいと思う所に行けばいいと思います」と言いまくってきたのだ。それを私は聞いてきたので、そうなのだろうと勘違いしてしまった。しかし、それは勘違いだった。そうではなかった。私が高校1年の時、北野高校では運動部に入部していた者とそうでない者では進学成績に違いはないと担任のO田先生から聞いたこともあり、一時、野球部に入部したのだが、私が北野高校の場合は野球部とかラグビー部とかにいた生徒でも京大や阪大に進学しているということを話したのだが、それでも「そういう人間は全員が浪人です」と言い、私が「そんなことないみたいですよ」と言っても言ってもきかず、そのうち「野球部の監督の所に怒鳴り込んだる」とか言いだしたので、そういうことをされたのではかなわんと思ってしかたなしに退部したということがあったのだが、ところが、3年になると今度は「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと、現役で大学に合格しようと努力している高校生に向って言うのだった。はあ~あ? ・・うちの父親というのはそういう男っだった。「社会で」という言い方をしているが会社人間のおっさんの「社会」とは「会社」のことで、「社会に出たら」とかうちの父親は言うのだったが、そうではなく「会社に入ったら」であって、うちの父親などは「会社に入る」ことで、むしろ、「社会」から隔絶された人間になっていた。そして、浪人してしまうと今度は「大学を受けに行った時の交通費がいくら、ホテル代がいくら、願書を送る封筒代がいくら、切手代がいくら・・」と電卓で計算して、「おまえが浪人したおかげでわしは〇〇万円の損をさせられた」とか言いだしたのだ。あんた、私に「あんた、浪人しなさい」と言ったのと違うのか? と思ったが、うちの父親というのはそういう男だった。
うちの父親は私にこう言うのだった。
「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と。
「哲学科は頭のおかしな人が行く所ですから行ってはいけません」
「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~るとM川先生(うちの父親の親友の医者屋)がおっしゃってお~る。宗教学科・宗教哲学科はアヘンであ~る。とってちってたあ~あ!」
「うちは学校の先生になんか、ならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「特に国語とか社会科とかの先生はなってはいけません。学校の先生でも数学か英語の先生でなかったら家庭教師のアルバイトができませんから、特に数学・英語以外の先生は絶対になってはいかん」
「学校の先生は全員、アカです。学校の先生はアカやからなってはいかん」
「うちは大学院になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「うちは司法試験なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「国家公務員は転勤が多いからなってはいけません」
「商社は海外勤務があるから勤めてはいけません」
「うちは工学部なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「医学部とか6年行かないといけない学部は行ってはいけません。4年で卒業できる学部にしなさい」
「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん。アカ、あか、アカ、あか」
「出版社は給料が安いから勤めてはいかん」
・・・こう言うのです。結局、いいものなんか、ほとんどないじゃないですか。
そして、言うのです。「わし、今まで、あんたに、この仕事につけとか、この学部に行けなんてことは一度として言うたことはないやろ。いくらなんでも、このくらいのことはわかってもらわんといかん」と。はあ? 言いまくっておるやないか。
そして、私は「神戸の経済」と「慶應の経済」というのが日本で一番嫌いな大学・一番嫌いな学部だったが、わざわざ、よりによって、その「神戸の経済」の入学願書を私に何の断りもなく取ってきて、「あんた、は~い」と言って私に突きつけただろうが。
・・そうやって、それだけではないが、それ以外にも様々な経緯を経て、結局、私は小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も只管勉強してきて努力してきたその努力の果実をすべて奪い取られた。「惜しみなく親は奪う」というものだった。私は努力の成果をすべて、ドブ中にどぼーんと捨てさせられた。

惜みなく愛は奪う (新潮文庫) - 有島 武郎
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は言うのだった。「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と。「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と。旧姓作野礼子は自分は父親がいなかったかわいそうな娘であり、誰もが「作野さんはお父さんがいなかったから苦労してこられただけあって、しっかりしておられるわあ」とほめなきゃいけない、旧姓作野礼子は誰もからほめられる当然の権利があると考えており、そして、「あなたのお父さんのような立派なお父さんがいたらうらやましいわよ」と言うのだった。そうなの?
もしも、うちの父親の子供だったら、あんたみたいに神戸大の文学部なんか絶対に受けさせてもらえないよ。あんたみたいに高校の先生になんか、特に「国語」の先生になんか、絶対にならせてもらえないよ。何、言ってんの?
先にも出した写真、

↑ うちの父親は、この写真を撮影した少し手前を右折して阪和線「南田辺」駅から通っていたが、途中からそうではなく、左折して、大阪メトロ御堂筋線「西田辺」駅から乗って通勤するようになったが。家を出て右折か左折かするくらいまで、小学校に行く前の私は見おくっていたのだが、うちの父親は「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけるのだった。
子供は「お土産買ってくるからねえ~え」と言うからには子供が喜ぶようなお土産を何か買ってきてくれるのだろうと思って期待して待っている。おっさんが会社から家に帰ってくると、子供はお土産を買ってきてくれたのだろうと思って出ていって「お土産は?」と言うと、おっさんはうれしそうに「ないわあ~あ♪」と言うのだった( 一一)
そういうことをする父親というのがいたらうれしいか? そういうことをする父親というのがいたら、うらやましいか?
小学校に行く前の私は、うちの父親が毎日毎日、それをやるものだから、そのうち、慣れた。 ・・慣れたというのか、それが、うちの父親が出勤する時の挨拶なのだと思うようになったのだ。朝、顔を合わせた時に「おはよう」と言っても、別に早いか遅いかを言っているわけでもなく、「おはよう」という言葉に特別の意味があるわけではないのと同じように、「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけても、どうせ、買ってこないだろうと思うようになったのだ。
だから、1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、福島県双葉郡の富岡町だったかに住まれていた方で、(株)一条工務店の浜通り地区の所長だったK野さんが、過去にそこの家に訪問した時に、帰りがけに小学校1年の女の子に「今度、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ~え」などと言って帰って、次回、訪問時に買っていかない。「次に来るときはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って帰って、また、その次に来るときに買ってこない。それをいったい何回やったのか、というくらいに繰り返した。「そういうことをする人なら、もう来ないでほしい」と言われたのだ。
そのお宅の奥さんが言われたことはもっともだ。そこの家は(株)一条工務店でまだ契約していない方だったから、(株)一条工務店としても営業担当としても何をやらないといけないというものはないが、買ってこないのならば「次、アイスクリーム買ってくるからねえ~え」などと子供に言うべきではないし、いったん、「アイスクリーム買ってくるからねえ~え」と子供に言ったのであれば、たとえ、小さいものでも安いものでもいいから子供に買ってきてやってほしい、と。大いにもっともなことだ・・・が、そんなことは、うちの父親なら自分の子供にもっとやってる。
そして、うちの父親は私が20歳になる年、こう言ったのだ。
「〇〇には子供の頃から、よそとはちごうて、いつでも何でも、どんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかし、ええもんばっかし、どんなもんでも何でも何でも、こうてきて やあってやって、やあってやって、やあってやってきたから!」と。
「違う」「絶対にそんなことない!」と私は言ったのだ。
そうすると、うちの父親はこう言ったのだ。
「はあん。こいつ、こんなこと言いよる。難儀やなあ。こいつには、子供の頃から、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも何でも何でもこうてきて、やあってやってやってやってきたのにからに、わかりよれへん。これは病気やわ。これは病気がこいつにこういうことを言わせよるんや。これは治療してやらんといかん。クスリ飲ませたらんといかん、クスリ。それもちょっとではいかん。大量にクスリ飲ませたらんといかん。いや、クスリではいかん。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! 電気ショック療法やって、こいつが二度とこういう口をきけんように治療してやらんといかん!」と。
うちの父親はそう言ったのだ。 毎日毎日、「お土産、買ってくるからねえ~え」と子供に言って出かけて買ってこずに、「ないわあ~あ♪」「ないわあ~あ♪」と子供にやって楽しんだ男がそう言ったのだ。
1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、私が訪問する前にそのお宅に通ったことがあった所長のK野さんが「次、アイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って買ってこなかったというお宅の女の子と違って、私の場合は毎日毎日だったので「そのうち、慣れた」けれども、「慣れた」といってもうれしかったのではない。やっぱり、「お土産買ってくるからねええ~え」とわざわざ子供に行って出かけるからには、お土産を買ってくるのだろうと子供は期待するようになるもので、毎日毎日、「ないわあ~あ♪」「ないわあ~あ♪」と言って楽しまれるというのは、うれしいわけではなかった。そういうことをやった男が言ったのだ。
「〇〇には子供の頃から、よそとはちごうて、いつでも何でも、どんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかし、ええもんばっかし、どんなもんでも何でも何でも、こうてきて やあってやって、やあってやって、やあってやってきたから!」と。 そして、
「はあん。こいつ、こんなこと言いよる。難儀やなあ。こいつには、子供の頃から、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも何でも何でもこうてきて、やあってやってやってやってきたのにからに、わかりよれへん。これは病気やわ。これは病気がこいつにこういうことを言わせよるんや。これは治療してやらんといかん。クスリ飲ませたらんといかん、クスリ。それもちょっとではいかん。大量にクスリ飲ませたらんといかん。いや、クスリではいかん。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! 電気ショック療法やって、こいつが二度とこういう口をきけんように治療してやらんといかん!」と、そう言ったのだ。

スタンガン
( ↑ 電気ショック療法 )
※ 「電気ショック療法」⇒《YouTube-【拷問部屋】「ハルキウ州で10以上発見」ゼレンスキー氏 “電気ショック”の道具も…(2022年9月18日)》https://www.youtube.com/watch?v=2Iw_00ae_kE
《 「・・鉄道の駅にあった拷問部屋では電気ショックを与える道具なども見つかった。拷問はロシア軍の占領地域で横行していた。これはナチスがおこなったことと同じだと非難し・・・」》

《 「お前のことは彼から聞いている」
工場勤務のビクトル・ルディクさん(48)はロシア兵に拘束された際、そう告げられた。「彼」とは隣人のこと。ルデュルクさんは「密告」されていた。
ルデュリュクさんの父親は、2014年に東部地域の紛争で親ロシア派と戦った志願兵だった。ルデュルクさんと母親は密告され、警察署に1週間以上にわたり監禁された。
ロシア兵はナイフを耳に突きつけ、「切り落とすぞ」と脅した。電気ショックを肩から加えられ、目の前が真っ暗になった。
「協力者」の隣人は、ロシア側の息のかかった「役所」で働いていたが、バラクリヤが奪還される前に姿を消したという。》
《 住民によると、バラクリヤでも警察署や印刷会社でロシア軍による拷問が行われたという。
「誰が警察官なんだ」
約1カ月間拘束されたセルギーさん(52)は、そんな尋問を受けた。
銃床で頭を殴られた。最も恐ろしかったのは、尋問の際にポリ袋を頭にかぶせられ、右手の親指には発電機のコードを巻き付けられたこと。電流で気を失いそうになり、袋で息ができなくなった。
「耐え抜いて生きているのはラッキーとしか言いようがなかった」。指の感覚はまだ戻らないままだという。
(バラクリヤ=高野裕介)》
(「朝日新聞」2022.10.10.(月)<朝刊> )

昭和の不思議101 2022年 陽春号 (ミリオンムック 30)
《 いわゆる「ロボトミー殺人事件」が起きたのは1979年だから、もう40年余り前になる。売れっ子のスポーツライターだった男が脳に「ロボトミー」と呼ばれる手術を施され、後遺症に苦しんだ末に担当医の家族を殺害するに至った有名な事件だ。・・・
たしか『河北新報』の記事だったと思う。それによると、宮城刑務所で無期懲役刑に服していた当時84歳の桜庭は「体調不良で生きていても仕方がないのに、自殺する権利が認められずに精神的苦痛を被った」と主張し、国に160万円の国家賠償を請求する訴訟を起こしたが、敗訴したとのことだった。自殺する権利など法律で認められるわけがなく、敗訴自体は当然の結果と言える。
ただ、この記事からは、桜庭が心身共に相当悲惨な状態に陥っていることが窺えた。・・・》
《 ロボトミーとは、脳の一部を切除して人格を「改善」させる手術だ。1950年代までは統合失調症の患者らに効果があるというフレコミで「奇跡の手術」と呼ばれ、日本を含む世界各国で行われていた。開発者であるポルトガルの神経科医モニスは1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
しかし実際には、患者たちは術後、無気力になったり、身体がけいれんしたりするなどの回復不能な副作用に苦しめられていた。その現実が次第に知れ渡り、「悪魔の手術」とか「史上最悪のノーベル賞」と呼ばれるようになったロボトミーは現在全く行われていない。
桜庭が施されたのは、このロボトミーの一種であるチングレトミーという手術だった。その術式は、頭蓋骨の一部を切り取り、脳梁の上部に位置する「帯状回」という部分に外科的侵襲を加えるというものだ。
当時、S保養院では、精神療法を行っても効果が上がらない患者に対し、このチングレトミーを施していた。桜庭の場合も措置入院が不当だと主張し、藤井医師に議論を挑んだり、のこぎりで独居室の鉄格子を切断して脱走しようとしたりしたため、病院側はチングレトミーを施す
ことにしたという。
ここで問題は、藤井医師が桜庭本人の承諾を得ずに手術を強行したことだ。
・・・ 》
《 手術後、桜庭は翻訳の仕事をする自信を失い、不安感にとらわれるようになった。その後なんとか1968年ごろまでスポーツ関係の著述を続けたが、原稿を書く分量は手術前の5分の1にまで減り、次第にものを書くことが苦痛になった。
桜庭はついに著述業に見切りをつける。そして自ら片足を切断するような事故を起こし、労災保険金を得て生活しようと考え、その目的を果たすために山砂採取現場でブルドーザーなどの運転手として働くようになった。
しかし、時々てんかんの発作が起こるようになり、ブルドーザー運転手の仕事は結局続けられなくなった。その後は自動車修理工場の見習いや飼料工場の工員、外国船の警備員など仕事を転々とする。この間、てんかんの発作は激しくなり、名古屋の病院で診察を受けたところ、「チングレトミーの後遺症」だと告げられる。こうして桜庭は無断で施された脳の手術により人生を崩壊させられたことを確信した。
・・・》
( 『ミリオンムック30 昭和の不思議101 2022年陽春号』2022.4.20.大洋図書。↑
片岡健「悲劇の殺人犯 桜庭章司 獄中書簡に見る悲惨な晩年 ロボトミー殺人事件」 )
私は、小学校に行く前、うちの父親が出かける時に「お土産買ってくるからねえ~え」と子供に行って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」「ないわああ~あ♪」とやるというのを、毎日毎日やり、それをされてきたので、そのうち、そういうことをされても、それほどこたえなくなった。しかし、それならば、1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、所長のK野さんが見込客宅を訪問して帰りがけに子供に「次、来る時にはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って帰って、次、来るときには買ってこない。その時もまた「次に来る時にはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って帰って、またもや、その次に来るときも買ってこないということをやったことについて、「子供にそんなことするのなら、そんな人は来ないでほしい」とそこの奥さんが言われたのは間違っているのかというとそんなことはない。そこの奥さんが言われたのは大いにもっともなことであり、「子供にそんなことするのなら、そんな人は来ないでほしい」と言う親と、自分自身が子供にそういうことをする親とではどちらがいい親かというと、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。当時、20代)は「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と称賛して、「ないわあ~あ」とやる男の方を「いいお父さん」と認定したのだった。
いいのか? 「ないわあ~あ♪」と子供にやって楽しむような男が? いいのか?
そんなにいいのなら、旧姓作野礼子さんにあげるよ。もらってよ。ほんと、あげるから、もらってよ。
「いらいらっとしたら、かけたんねん」「いらいらっとしたら、書いたんねん」と言って、四六時中、電話してくる男。1日に平均2通、多い時は1日に時間帯を変えて3通、紙爆弾を送りつけてくる男。「いらいらっとしたら、かけたんねん」と言って電話してくるのは私の所だけかと思っていたら、下の姉の所にもかけていたようで、下の姉が言うには「あの人のあの『いらいらっとしたら、かけたんねん』とう電話、かなわんねえ~え」と言うのだった。「『いらいらっとしたら、かけたんねん』と言って電話してくる人って、かける方はそれでいくらか『すっとする』のかもしれないけれども、瘤取爺さんの瘤と一緒でかけられる方は、その分、ストレス溜まるんやからねえ」と言うのだったが、実際、そうだった。下の姉の所と私の所となら私の所の方がずっと量は多かったはずだった。
まず、朝一番に、「今、会社についてん。いらいらしてんねん。そんで、かけたってん。感謝しろお!」と言ってかけてくるのです。講義がない時に日吉台学生ハイツに戻っていると、また電話してきて、「用事はなんですか」と言うと、「用事はないねん」と言い、「用事はないけれども、いらいらしてんねん。そんで、かけたってん。感謝しろ!」と言うのです。「感謝しますから、切りますよ。いいですね」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何をお。わしはなあ、あんたに電話したろと思うて、会社で朝から何もせんとずうう~っと待っとってんぞ。朝から何もせんと」と言うので、「何もせんと待たないでください。会社にいるのなら仕事してくださいよ」と言っても、「何、言うとるんじゃ何を。いらいらしたから、かけたったんじゃ、いらいらイライラいらいらイライラ」と言うのです。「なんで、イライラするんですか」と言うと、「いらいらしとるんじゃ、イライラいらいら」と言うので、「しかし、あなたさまはブッダなんでしょ。ゴータマシッダールタなんでしょ」と言うと、「そうじゃ。わしはブッダじゃ。わかっとんのか。わしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタなんじゃ。悟りを開いた人間やねんぞお~お」とおっしゃるので、「悟りを開いたお方が、なんで、イライラいらいら、イライラいらいらイライラいらいら するんですか」と言うと、「おまえが悪いんじゃ」と言うのです。

シッダールタ(新潮文庫) - ヘルマン・ヘッセ, 高橋 健二
「わかってますよ。悪いのはみ~んな、私ですからね。何でも何でも私が悪いんですからね」と言うと、「そうじゃ、何でも何でもおまえが悪いんじゃ」と言うのです。「私が何でも悪いということはわかりましたが、私が何でも悪いとしても、悟りを開いたお方がなんでイライラするんですか」と言うと、「何を言うとるんじゃ。悟りを開いたお方であるのにイライラしとるんじゃ」と言うのです。
「わかっとんのか。わしは孔子やぞお。わしは孟子やぞお。わしは孔子で孟子であるのにイライラしとるんじゃ」と言うので、「なんで孔子様がイライラされるんですか。『40にして惑わず』ではなかったのですか」と言うと、「そうじゃ。『40にして惑わず』じゃ。わしは『不惑の人』やねんぞお、わしはあ。わしは絶対に惑うことがない人間なんじゃ」と言うのです。「それなら、イライラしなきゃいいじゃないですか。なんで、『不惑の人』がいつでもいつでも、イライラいらいら、いらいらイライラしてるんですか」と言うと、「そやからやなあ、ほんまやったらイライラせえへんのにからに、イライラしとるんじゃ」と言うのです。それで、「それなら、誰でもじゃないですか。誰だって、何かイライラする原因があるからイライラするのであって、イライラすることがなければ、別にブッダでなくても孔子でも孟子でもなくても誰だってイライラしないでしょ」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何をお~お。わしは並外れて優秀な優秀なお父さんであってやなあ、わしはスーパーマンやねんぞお。わしはスーパーマン。わしは完璧超人じゃ、わしは完璧超人」と言うのだった。
※ 《ウィキペディアー完璧超人》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E7%92%A7%E8%B6%85%E4%BA%BA
※ 完璧超人⇒《YouTube-ヘルミッショネルズ(ネプチューンマン&ビッグ・ザ・武道)がケンダマンとスクリューキッドを公開処刑!》https://www.youtube.com/watch?v=-TK2QqK42FI
「で、なんでその完璧超人が、いつでもいつでも、イライラいらいらイライラいらいら しておられるのですか」と言うと、「そやから、おまえが悪いちゅうことなんじゃ」と言うのです。「ですから、私が悪いというのはわかりましたよ。いつでも、何でも悪いのは私ですからね。T子さんが奈良女子大に落ちたのは私が悪いのでしょ」と言うと、「そうじゃ。ほんまやったら優秀な優秀なドイツ人のT子さんは絶対に奈良女子大に通っているはずやのにからに落ちた、ということは、おまえのせいやちゅうことなんじゃ。反省しろ。お前に大事なT子さんを奈良女子大落されたんじゃ。おまえのせいやねんぞ、おまえのせい」と言うのだった。T子さんが奈良女子大を受けて落ちたのは私が小学校1年の時のことだ。なんで、小学校1年の弟のせいなんだ、と思うが、そう言うと「外罰的性格」と「心理学」に「診断」されることになる。「私が何でも悪い、ということはわかりましたが、完璧超人なら、それでも、イライラしなきゃいいじゃないですか。なんで、イライラするんですか」と言うと、「ええかげんにせんか。おまえのせいなんじゃ、おまえのせい」と言うのです。そして、「わかっとんのか。わしはキリストやねんぞお、わしはキリスト」と言うのでした。「わしが山に命じて海に入れと命令すれば、山が空飛んで海に入るんやぞ。わかっとんのかチャンコロ。わしはキリストやねんぞお~お」と言うのだった。その時は思いつかなかったのですが、「それなら、自分に命じて『落ち着け。イライラするな』と命じたらどうですか。山に命じて空飛んで海に入らせるよりも、自分に『落ち着け』『イライラするな』と命じる方が容易でしょう」と言えば良かった、しまった、と今、後悔しています。
ともかく、そうやって、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに、「イライラしたからかけたってん」と言って四六時中、電話してくる人がいるというのがうらやましいと言うのなら、旧姓作野礼子はその電話だけでも引き受けてもらいたかった。
自分はそういう電話は引き受けないで、いい顔だけしてからに、まったく勝手な女である。
そもそも、うちの父親が「わしほどエライお父さんはないねん」「わしは、魅力たっぷり、魅力たっぷりのお父さんやねん」とか何とかかんとか言いまくるというのは、そういうことを言ってヨイショすると喜ぶアホなおっさんだから、というのが一番の理由だが、アホなおっさんにそういうことを言う人間がいるからであり、誰が言っていたかというと、取引先のおっさんで言う人もいたかもしれないが、それよりも、うちの父親の親友で息子を私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢にしていたM川〔 男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘だろう。実際はそうではなく、当人も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなかったとしても、「かわいいキンタマ」(川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大=かわいいキンタマ)くらいだろう。〕と、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子だった。あの女に、なぜ、そういうことをアホな親に言ってあおる権利があるんだ。あの女だけは絶対に許せん! 「殺してやりたいくらい」と「殺す」のは同じではないが、しかし、実際のところ、あの女だけは「殺してやりたいくらい」である。
最も、困ったことに、人生、何十年か生きると「殺してやりたいくらい」という人間というのがいっぱいできてしまって、私なんか、「殺してやりたいくらい」という人間が最低でも20人以上いるのです。そうなると、そのうちの1人か2人殺して刑務所に入ったり死刑にされたりすると、残りの十数人が喜びよる・・・と思うと、うかつに人殺しもできないことになります。難儀です。しかし、それでもやっぱり、「殺してやりたいくらい」という人間はいます。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子はその1人です。クラス会の連絡は来なくなったなあ・・と思っていたら、そうだ、私の転居先を連絡していなかった・・が、たとえ、連絡が来ても、もう行きません。うかつに行って「殺してやりたいくらい」の人間と顔を合わせて、「殺してやりたいくらい」のやつなんか殺して刑務所に入ることになったらばかくさいですからね。昔、「不良漫画」に「お礼参り」なんて話が出ていましたが、学校の教諭に「お礼参り」なんてやるのは「不良」のやることかと思っていたのですが、そうとも限りません。少なくとも気持ちの上では「お礼参り」でもしてやりたいくらいです。
どうも、世の中には子供を見ると、「何何を買ってくるからねえ~え」と買ってくる気もないのに言って、次回、「ないわあ~あ♪」とやりたいというおっさんというのがいるみたいです。かつ、それが子供に対する態度とか思っている人もいるみたいです。
でも、違いますからね。子供はそういうことをされることを決して喜んでいませんからね。子供はそういうことをされるのを嫌がっていますからね。
旧姓作野礼子はそういうことをする父親がいるということがうらやましいそうで、そういう父親がいたということを「ありがたいと思いなさい」などと言うのでしたが、そういう父親がいるのが、そんなに「ありがたい」と思うのなら、あげるよお、ほんと。
(株)一条工務店の某営業所にいた時のこと、同じ営業所にいた某さん(男。当時、40代前半)が「しまった。うちのが作ったおにぎりを持っていたのに、忘れていて、他で食べてしまったな。これ以上、食べれないなあ。このまま、持って帰ったら怒るなあ」と言い、「〇〇さん、これ、食べない?」と私に言うので、「某さんの奥さんが愛情をこめて握ったおにぎりを私がいただくわけにはいきませんでしょう」と言ったところ、「愛情なんて、こもってないよ。憎しみがこもってるよ。怨念がこもってると思うよ。毒、入ってるかもしれないよ。食べてみて。毒、入ってないか、食べてみてよ」などと言うので、「またまた、そんなこと言って」と言うと、「本当だよ。怨念こめて握ってるから、毒入ってるかもしれないよ。食べてみて」とか言うのです。楽しそうに。「まあ、そういうことを言うというのは夫婦の仲がいいということなのでしょう」と言うと、「そんなことないよ。もし、あれ、欲しかったらあげるよ。要らない? あげるよ。遠慮しなくていいよ。欲しい? あげるよ」とか言うので、「ほんとにもう。そういうことを言い合いできるくらい互いに信頼しあってる夫婦ということなんですね」と言ったのだったが、どうも、40くらいになったおっさんというのは、こういうことを言いたがるおっさんが、けっこういるのだ(笑)
それで、「あげるよ」と言われても、そのおっさんの嫁さんをもらってもしかたがないのだが、もしも、旧姓作野礼子が、そんなにうちの父親がいいと言うのなら、「イライラっとしたらかけたんねん」と言って四六時中、電話してくるおっさんがいるとうれしいのなら、「お土産買ってくるからねえ~え」と子供に行って出かけて、毎日毎日、「ないわあ~あ♪」とやって楽しむ男がいるとうれしいのなら、「あげるよ」「要らない?」「冗談じゃなくて、本当にあげるよ」、ほんと。旧姓作野礼子さんに「イライラっとしたからかけたってん」と言ってかかってくる電話を「あげるよ」。欲しいんでしょ。そういう電話がかかってくると「恵まれてる」とか言うのでしょ。あげるよ、ほんと。遠慮しなくていいよ。あげるよ。「イライラしたからかけたってん」と言って四六時中、かかってくる電話をあげるよ、旧姓作野礼子さんに。「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言っておっさんをおだてて、その結果、おっさんは「わしほどええお父さんはないねんぞお、わしほどお~お」と思うようになり叫ぶようになったのだから、そう思わせた女は責任とって、そのおっさんを引き取ってよ。「私は父親がいなかったから」と、「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」と子供に毎日やって楽しむおっさんがいるとうれしいのでしょ。過去に遡って引き取ってよ。・・それをしないのなら、勝手な口きくな、のぼせあがった口きくな、バカ教師。このブス!
「親の顔が見たい」という気がしますが、実物を見せられてもしかたがありません。どうせ、当人と似たような女なのでしょう。もしかすると、あんな性格しているから、男が嫌気がさして離婚したのかもしれません・・が、そこまで断定はしない方がいいのかもしれない。
もしも、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という娘というのが旧姓作野礼子みたいな人間だというのなら、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という娘というのは、「父親がいる」ということがどれだけ大変か、父親というものとつきあうのがどれだけ大変か、ということを理解できないバカ女症候群の重症患者であり、なおかつ「病識がない」人間だということであるならば、「両親が離婚した」「父親がなかった」娘というのは、人間として欠陥がある、ということになると思う。そんな「人間として欠陥がある」ような女に高校の教諭をされて、なおかつ担任まで持たれたら迷惑だ。だから、そういう女には高校教諭の資格は持たさないようにしてほしいように思う・・が、しかし、「両親が離婚した」「父親がいなかった」娘といっても、誰もが旧姓作野礼子みたいな人間かというと、そうではないように思う。まず第一に、「両親が離婚した」「父親がいなかった」娘が誰もが旧姓作野礼子みたいにそれを自慢しているかというと、自慢はしていない人の方が多いように思うのだ。
そういえば、旧姓作野礼子は私に「あなたはブンケー(経済学部)よ」「あなたはブンケーよ」と何度も何度も言い、私が経済学部だけは行きたいくないと思っているところに、なぜ、この人は行かせたがるのか、なぜ、この人は本人が何が何でもそこだけは嫌だと思っている所に行かせようとするのか、と思ったが、今から考えてみると、あのバカ女症候群は、単に生徒に敵対して親に加担することで、自分が親から「ええ先生やで、あの人は」「作野先生はさすがに北野高校でてられるだけのことあるで」「女でも神戸大でてるだけのことあるでえ」と言ってもらおうとしていたのだった。親にとっては息子の人生を踏みつぶすことで親の気に入るように動いてくれる人間だということで評価できる人間だったようだが、生徒の側からすれば、いない方がいい女だった。
柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「能力的に優秀で人間的にも優れた教師というのは、多くの人間が考えているよりも、はるかに少ない」と書いていたが、今は私もその通りだと思う。まさにその通りだ。今から考えてみると、北野高校は行きたいと思って言った学校だったので合格した時はうれしかったが、しかし、北野高校の教諭というのは、ろくなもんじゃなかったなあ・・と思う。
・・あと、2項目述べるつもりだったが、今回はすでに字数が相当の量になったので、ここまでに留めて、次回にまわすことにする。
(2022.10.29.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。〔今回〕
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
大阪市東住吉区の JR阪和線「南田辺」駅から法楽寺を経て山阪神社 へ至り、私が子供の頃、住んでいた付近について述べました。その際、延べ残したものがありました。

↑ これは名所旧跡でも何でもありません。大阪市東住吉区 の 私が子供の頃、住んでいた所の比較的近くから西側を見た JR阪和線 の高架とその付近です。1960年代、私がこの付近に住んでいた時は、阪和線はJRではなく国鉄で、高架ではなく地上を走っていました。線路の向こうにマンションらしきものが見えますが、私が子供の頃はありませんでした。
《A》 父親というものがいるとどういう経験をするか。その1。
うちの父親は、この写真を撮影した場所より少し手前あたりを右折して、当時は国鉄だった阪和線の「南田辺」駅から乗車して通勤していたはずでしたが、そのうち、現在では大阪メトロ 御堂筋線 と言っていますが、私が子供の頃は 大阪市交通局・大阪地下鉄 1号線 の「西田辺」駅から乗車して通勤するようになりました。
まだ、小学校に行く前のこと、幼稚園に行っていたか行く前だったか記憶がはっきりしなくなりましたが、うちの父親が出勤する時、うちの母親が「お見送りしなさい」と言うので門の前まで出ていって「行ってらっしゃあ~い」と言うと、うちの父親は「行ってきま~す。お土産買ってくるからねえ~え」と言うのでした。「お土産買ってくるからねえ~え」と言ったからには何か買ってきてくれるのだろうと子供は期待しました。・・ところが、うちの父親が帰ってきたので出迎えに行って「お土産はあ?」と言うと、「ないわあ~あ♪」と言うのです。
「お土産買ってくるからねえ~え」と自分で言って出かけたにもかかわらず、買ってくることなく「ないわあ~あ♪」と言うということは、「わしは働いとんねんぞお」「わしは働いてやってやってやっとんねんぞお~お」といつも言っている人ですから、「わしほど真面目に働いておる人間はおらんねん。わしはサラリーマンの鑑(かがみ)や」とか言っている人ですから、ジャパニーズビジネスマンとして必死で働いているあまり、お土産を買ってくるのをつい忘れてしまったのか、もしくは仕事があまりにも忙しくてお土産を買うことができなかったのか、と子供は推測しました。 だから、忘れたのか、それとも、仕事が忙しくてお土産を買う時間がなかったから買えなかったかであったわけですから、翌日こそ、何かお土産を買ってきてくれるのだろうと思いました。それも、母親に言うのではなく子供に「お土産、買ってくるからねえ~え」と言ったのですから、子供が喜ぶようなお土産を買ってきてくれるのだろうと思いました。しかし、翌日、うちの父親が会社から帰ってきて、子供が「お土産は?」と期待して尋ねると、またもや、「ないわあ~あ♪」とうれしそうに言うのでした。
ジャパニーズビジネスマンは仕事が忙しくてお土産を買う時間が2日連則なかったのだろうと、またもや、子供は推測して、そして、その次の日こそ、お土産を買って帰ってきてくれるものだろうと期待しました。・・
しかし、その翌日もまた、うちの父親は帰ってくると、「ないわあ~あ♪」とうれしそうに楽しそうに言うのでした。「ないわあ~あ♪」と。子供に「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやるというのが、そんなに楽しいのでしょうか。そんなにうれしいのでしょうか。
そして、その後もその後も、毎日毎日、「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とうちの父親はやるのでした。
・・子供はそのうち、慣れました。うちの父親というのは、朝、家を出る時には「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやるものなんだ、と慣れました。落ち着いて考えてみると、朝の挨拶として「おはよう」と言いますけれども、「おはよう」てどういう意味なんだ? 特に早い時刻でなくても「おはよう」と言いますが、遅い時刻なら「おそよう」と言うべきではないのか、なんて考えたこともありましたが、早いか遅いかにかかわらず、「おはよう」と言っています。夜の挨拶は「こんばんわ」と言いますが、これだって、どういう意味なのでしょう。地方によっては「おばんです」と言う地方もあるようですが、これは、おそらく「晩(ばん)」に丁寧語の「お」がついて「お晩です」なのだろうと思いますが、「お晩です」といちいち教えていただかなくてもわかりますよ。でも、そう言います。「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、そして、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやるというのも、それも、会社員が家を出る時の挨拶と帰ってきた時の挨拶のようなものか・・・みたいに子供は思うようになりました。
しかし、今、考えてみると、それなら、なぜ、子供に言うのでしょうか。家を出る時の挨拶と帰ってきた時の挨拶ならば嫁に言えばいいと思いませんか。何も子供に「お土産買ってくるからねえ~え」と言って期待させて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやらなくてもいいのではないのか。そう思いませんか?
このことは長く忘れていたのですが、1990年代後半になって思い出しました。なぜ、思い出したか。
(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ に勤めていて福島県いわき市の営業所に勤務していた時のこと、福島県双葉郡 のあるお宅に、いわき市平 尼子町(たいら あまこまち)にあった総合住宅展示場に来場された展示場来場名簿に記載されていた方のお宅に訪問したところ、そこの奥さんから「K野さんて、お宅の所長さん、今もおられるのですか」と少々冷ややかな調子で言われた、ということがあったのです。「はい、おります」と言うと、「今も所長さんなんですか」と言われ、「はい。所長です」と言ったところ、「あんな人が所長やってるて、一条工務店て、よっぽど人材が不足してるんですね」 ・・そう言われたのでした。
「K野さんて、営業としてよく売っていらっしゃるの?」と言われたので、「はい。K野は年間契約棟数全国1位の営業成績を残したこともある人で、いわき市の営業所の営業社員の中では毎年、誰よりも多くの契約をあげています」と話したところ、「へえ、そうなんですか。そうかもしれませんけれども、うちからすれば、最低の人です」と、そう言われたのです。何があったと思いますか?
人間、誰しも失敗することもあります。又、誰しも長所もあれば短所もあります。1990年代、(株)一条工務店で福島県浜通り地区の所長になっていたK野次男さん(男。当時、50代)は、過去に年間契約棟数全国1位の営業成績を残したこともある人で、毎年、いわき市の営業所の営業社員の中では誰よりも多くの契約をあげていた人でしたが、相当多くの契約をあげる人には、その結果として1件あたりの対応が粗末になるという人もいます。
(株)一条工務店は、営業社員が親戚の契約を獲得したような場合はその営業が営業担当になりますが、営業以外の従業員、工務課の従業員やその親などが(株)一条工務店で契約するという場合は所長が担当ということにしていました。一般に所長はその地域に何展示場かあると常に自分が一番条件がいい展示場・自分が一番やりやすい展示場に自分を配属しますし、(株)一条工務店で仕事をしている業者が建てる場合の契約は所長が担当とか、営業以外の職種の従業員やその親の契約は所長が担当とか、相当の””特典”” が所長にはありますから、ですから、所長ではない従業員よりも契約棟数が多くなりやすい条件はあります。いわき市の営業所にいた工務課の女性Wの親が いわき市内で建てる契約を(株)一条工務店と結んだ時も所長のK野次男さんが営業担当になりました。営業活動なんか何もやっていません。何も営業活動していなくても「契約1」がそこに計上されるのですから、おいしい話です。
W邸の設計が進み、色合わせをおこなうようになってきた時、Wが私に「・・はどうなの」とか尋ねてくるので、いくつか説明して教えてあげたことがありましたが、「こういうことは営業担当者が説明しておくべきことのはずだけれども、所長から説明は聞いてないの?」と言うと、「知らない」とWは言うのでした。ええ~え? あのおっさん、この程度の説明もしてないのかあ~あ・・とびっくりしました。そのあたりを同社のいわき地区の従業員に話すと、「そんなの、所長が説明なんかするわけないでしょうよ」と言われました。そうだったようです。
私は営業ならば、自分を担当として契約してくれた人にきっちりした家を建てて引き渡したいと思って仕事をするものだと思っていたのでしたが、私が営業担当ならそのために最低でもこういったことはきっちりと説明しておかないといけないと思って説明することを、首位打者タイトル経験者のおっさんは「抜く時は抜きます」と徹底して手を抜いていたのでした。いくら何でも、そこまでやるかあ~あ・・と私なら思うくらいに手を抜いていたのでした。もっとも、「手を抜く営業」は他にもいます。たとえば、1990年代半ばまで いわき市の営業所にいた営業本部長の天野隆夫と仲が良かった自称「暴力団住吉連合系小名浜一家の組長の息子・前科あり・極真会空手の有段者・元暴走族・元ホスト」のM上(男。当時、20代)は高校時代の同級生に契約してもらいましたが、その同級生が後に(株)一条工務店に入社してきて教えてくれたのですが、(株)一条工務店では着工前に建築地の周囲の家の営業が挨拶に出向き、その際、会社が用意した粗品を渡すことにしていたのですが、ところが「労を惜しむ男」M上は挨拶に行こうとしないので、施主が「おい、近所に挨拶に行かなくていいのか」と言うと、「おっ、さすが◇◇ちゃん、営業やってきただけのことある♪」と言うので、施主が近所に渡す粗品を買って用意して挨拶に行くと「手ぶらで後ろからついてきた」そうでした。だから、着工後、自分自身が(株)一条工務店に入社するまで(株)一条工務店は着工前に建築地の近隣の家に粗品を持参して挨拶に行くということを知らなかった。施主が粗品を用意して挨拶に行かないなら(株)一条工務店の営業は行かないものだと思っていたらしい。
たしかに、営業は片方で自分を担当として契約してくれたお施主様にいい家を建ててあげたいと思うものの、他方においてより多くの契約を獲得しなければならない立場ですから、あまり1軒あたりに時間と労力をかけていると多くの契約をあげられなくなってしまうという面があり、その点で私などは1軒あたりに多くの時間と労力をかけ過ぎたかもしれません。しかし、それにしても、「いくらなんでも、そこまでやるかあ~あ」という手の抜き方をする人が時としています。たいした契約棟数をあげていないにもかかわらず、手を抜きまくる人というのもいますが、福島県浜通り地区の所長だったK野次男さんは首位打者タイトル(年間契約棟数全国1位)獲得経験者であって、そして、相当手を抜いていて、かつ、手を抜いても、なんだかんだ言っても家は建っていましたから、「このうえもなく理想的」ではなくても「まったくだめ」ではなかったのでしょう。
浜通り地区の所長のK野次男さんは決してだめな営業ではありません。一番、すごいなあ・・と思ったのは、私と同じ展示場に勤務していた営業が追客していた見込客が所長のK野さんが勤務する展示場に行って「愛想もくそもない図面を持ってきやがった」と言われたらしく、営業担当者が言うには、そんなこと言われても、「ここに建てたいんだ」と見込客が言われた土地に建てようとすると、最大限のことをやってそれしかできないということでした。K野さんとしては「愛想もくそもねえ営業だと言っていたぞ」と言い、所長に担当替えさせたかったらしかったが、担当営業の方では、そうはイカのち〇ち〇 だか きんた〇 だかで、「それなら、所長としてお客さんの所に同行して助けてくださいよ」と話し、営業担当に「所長として同行」するということに持っていったらしい。
「どいつもこいつも、愛想もくそもねえ図面ばっかり書いてきやがってからに」と言って見せられた同業他社の図面は、すべて「似たりよったり」で、「ここの建てたいんだ」と言われた土地に建てようとする限り、それしかやりようがなかった。
そこで、所長のK野次男さんはどうしたか。K野さんは周囲を見回して、そして、こう言ったらしい。「◇◇さ~ん。これ、どんなもんだろうねえ。そこに建っている納屋なんだけれども、見たところ、まだ新しくて取り壊すのはなんとももったいないように思うんだけれども、もしも、その納屋を取り壊して、その納屋が建っている場所とこの場所とを合わせて、両方の土地を使って建てたなら、けっこういい家ができるように思うんだけれども、どんなもんだろうねえ」・・・ そう言ったそうです。
まさに「目から鱗(うろこ)」とでもいったものでした。それまで、何社もの従業員がその場所に来て、誰ひとりとして気づかず、御施主さんも気づかなかったことをK野さんひとりだけが気づいたのです。それまで、その見込客の方が「ここに建てたいんだ」と言われた土地に建てるという条件で最良のものとどこの住宅建築業の会社の人間も考えたのでしたが、(株)一条工務店の所長のK野さんひとりだけが、そうではなく、その「お客さんが建てたいもの」を基に考えて、そのためにはどうすればいいか、という視点で考えたのでした。営業担当者も感心し、施主もまた感心して、「これまで、ここに何社もの会社の何人もの人間が来たけれども、それを言ってくれたのはK野さん、あんた、ひとりだけだよ」と言われて喜ばれたそうで、そして、契約いただいたようです。たいしたものだなあ、と思いました。年間契約棟数全国1位は伊達じゃないなあと思いました。
他にも、私が担当の契約客がK野さんが在籍している展示場に見に行ったところ、K野さんが接客してくれたことがあり、後でお施主さんから「所長のK野さんが、こう言われたんですよ」と聞かせてもらったものなど聞くと、なるほど、そういう話し方をするのかと感心したものがあります。ですから、K野さんは営業として契約棟数が多いというのは、所長としてそうでない営業より有利な扱いを受けている面があるからというだけではなく、実際に相当の努力をして得た営業能力を身に着けている人だと私は思っています。
しかし、それでもやっぱり、人間には誰しも長所もあれば短所もあります。双葉郡のその見込客の方は何を怒っておられたのか。
それは、私は総合住宅展示場のアンケート名簿から訪問したのですが、それよりも前に(株)一条工務店の展示場に来場されたこともあり、その際に所長のK野さんが担当して現住居まで何度か訪問して話もしたことがあったらしいのですが、その時のことのようです。
K野さんは帰りがけに、その夫婦の女の子、小学校に行くか行かないかくらいの女の子にこう言ったらしいのです。「今度、来るとき、アイスクリーム、買ってくるからねえ~え」と。
そして、次回、訪問時、アイスクリームは買っていかなかったそうです。子供は覚えていないだろうなどと思うおっさんが時々いますが、そうではありません。子供は覚えています。あのおじさんだ・・と思って「アイスクリーム♪」と子供が言うと「ないわあ~あ♪」とK野さんは言ったそうです。
誰しも忘れることはあります。子供もそう思ったでしょう。
しかし、K野さんは帰る時にまた言ったそうなのです。「次、来るときにはアイスクリーム、買ってくるからねえ~え」と。そして、その次に来るときも買ってこなかったそうです。子供が今度こそ買ってきてくれるのだろうと思っていたら、その「アイスクリーム、買ってくるからねえ~え」と言って帰ったおじさんは、またもや、買ってこなかったそうなのです。
それを、いったい何回やったか。「何回、それをやるのか」と奥さんが言われたということは、相当、何回もやったみたいでした。
・・困ったおっさんです。 決して営業として無能なんてことはない人で、さすがに首位打者タイトル獲得経験者(年間契約棟数全国1位 経験者)だけのことはあるというところのある人ではあるのですが、これについては、困ったおっさんでした。
私は立場上、弁護側に立つ立場でしたが、どう弁護していいのかわからず、「そうでしたかあ~あ」と言って話を聞くことくらいのことしかできませんでした。「話を聞く」だけでも、それでも、聞かないよりはいいかもしれませんが、その程度のことしかできませんでした。
(株)一条工務店という会社の特徴として、所長とかそういった「称号」をもらっている人というのは、たとえ、「お客さんがこういう苦情を言われていましたあよ」なんて言っても絶対にききませんからね。かつ、きかないならその上の役職の人間から言ってもらおうなんて思って言ったら、逆に言った人間が攻撃されます。
この会社の問題点として、一般営業が苦情を受けたなら、それが筋違いなものであっても見込客・契約客を剥奪される危険があるのに対して、所長などの「称号」をもらっている人間が客から苦情を言われても所長は見込客・契約客を剥奪される危険は絶対ないという特徴があり、その点で、この会社は営業成績グラフといったものを作成して展示場の事務所の壁に貼っていますが、もとより、公平性に欠けるものの数字をグラフにして貼っているという大きな問題があります。
この時ですが、私は2通りのことを思いました。
ひとつは、「困ったおっさんやなあ~あ」というものです。そのお宅の奥さんは「うちは、まだ、(株)一条工務店で契約したわけではありませんから、うちは一条工務店に1円としてお金は払っていませんから、アイスクリームであれ何であれ買ってもらう権利があるわけではありませんし、うちは乞食じゃないですからアイスクリームが欲しければ自分で買えばいいことですけれども、それでも、子供に『次、来るとき、アイスクリーム、買ってくるからねえ~え』と言ったのなら買ってきてもらえませんか。買ってこないのなら『次、来るとき、アイスクリーム、買ってくるからねえ~え』なんて子供に言わないでもらえませんか。私達、大人になら、何何しますと言ってやらなかったとしても、『ああ、この人はそういう人か』で終わりですよ。約束守らなかったとしても『ああ、この人はそういう人か』となるだけですよ。でも、子供は『次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ~え』なんて言って帰ったら、子供は覚えていますから、次、来られた時に『アイスクリーム、買ってくるからねえ』と言ったおじさんだと思って、『アイス、アイス』と言うじゃないですか。買ってこないのなら子供に『アイスクリーム、買ってくるからねえ』と言わないでもらえませんか。『買ってくる』と言ったなら、一番安いものでも、一番小さいものでもいいから、ともかく、アイスクリームを買ってきてもらえませんか。どちらかにしてもらえませんか」と言われたのです。大いにもっともなことです。困ったおっさんやなあ~あ・・・と思いました。困ったおっさんです。K野さんは、悪いところばっかりということはなく、自宅にいわき地区の従業員を呼んで庭でバーベキューをやったりしてくれたり、又、私が栃木県佐野市の展示場に転勤した時には「来年、俺とあんたとで、どっちが多く売るか競争しようじゃないか」と言ってくれたりして、いいところもある人だったのですが、その部分については、困ったおっさんでした。
もうひとつは、それほど、たいしたことでもないのじゃないか・・という感想でした。こんなこと言ったら、そのお宅の御夫婦は不快に思われたでしょうけれども、なにしろ、私は子供の頃、そんなこと、うちの父親からしょっちゅうされていましたからね。
[第591回]《山阪神社(東住吉区)参拝。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか? 優勝もしてないのに高い物を買ってもらっていた人間はずるくなくて被害者なのか?ー法楽寺と東住吉区山坂[9/12]》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html でも述べましたが、小学校1年の時、担任の先生が「算数」の授業で、足し算・引き算・掛け算・割り算について、クラスでトーナメント大会を実施して優勝者・準優勝者には連絡帳に「よくできました」と書いてくれたということがあった時、うちの父親は「次、優勝したらプラモデルこうたる」と言い、そして、優勝すると、「あんたはどういうものが欲しいか」と言うので「ゴジラがいいけれども、ゴジラは4000円もするから無理やと思う」と言うと、「なんで無理やねん。ええがな。4000円したってこうたるがな。なんでいかんねん。このわしがこうたると言うとるねんぞ、ほかでもないこのわしがあ。んがあ。このわしが、いったんこうたると口にしたからには、4000円しようがいくらしようがこうたるがな。天地がひっくり返ってもこうたるがな。何をわけのわからん心配しとんねん、おまえはあ」と言ってプラモデル屋に行き、プラモデル屋の奥さんが「ゴジラは4000円です」と言うのを聞くと「ふええ~え。ひいえええ~え。ぎょおえええ~え。かなんな、もう。かなんな。冗談やないで、4000円やなんて。あかん。絶対にこうたらいかん。怪獣のプラモデルに4000円なんて絶対に出したらいかん」と言いだして200円のバルゴン買って、帰り道々「良かったねえ、あんたあ~あ。お父ちゃんにバルゴンのプラモデル買ってもらえて、うれしいうれしいうれしいねえ。良かった良かった良かったねえ」と言い続けやがった、ということがあった。こういうことを言うと、「そりぁ、お父さんだって何か事情があったんでしょ。そのくらいは考えてあげないとだめでしょ」とか言いだす人が出てきます。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子なら言うでしょう。しかし、それなら、あのおっさんはいつでも常にその「何か事情」てやつがあるということになります。
[第593回]《南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭ー法楽寺と南田辺駅界隈[11/12]》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html でも述べたが、私が小学校1年の時の夏休み、会社の社員旅行で小豆島に2泊3日で行くのに一緒に行った時、「小豆島で花火をやろう。花火を買ってきなさい」と言われて、山阪神社の南側にあった店で花火を買ってきて持って行ったものの、実際に小豆島に行くと「1日目の夜には花火はしません。花火は2日目の夜にします」と言い、2晩目の夜になると会社の人と酒のんで、「花火しよう」「花火しにいこう」と言っても完全に無視しやがった。
さらに、帰りの船の中では子供が持っている小さな水筒をとりあげて「配給、配給、お茶の配給です」と言ってちゃらけて大人にお茶を分けてまわり、子供が「のどかわいた。お茶ほしい」と言うと「ないねん。お茶、もうないねん」と言い、「売店でジュースこうたろ」と言って売店に行くと売店が閉まっていたので「弁天埠頭についたらこうたろ」と言い、弁天埠頭につくと「バスきてる、バスきてる。弁天町の駅に着いたらこうたる」と言って弁天町の駅についたら「プラットホームの売店でこうたる」と言い、弁天町駅のプラットホームについたら「電車きた、電車きた。天王寺の駅についたらこうたる」と言い、天王寺駅についたら「阪和線の電車きてる、電車きてる。南田辺の駅についたらこうたる」と言い、天王寺駅はターミナル駅なので電車は来ていてもなかなかでないので「まだ、電車でないから。苦しい。どうかお願いだから水のませて。苦しい。お願い。水、飲ませて」と言っても、「電車、出てしまうがな。南田辺の駅でこうたると言うとるやろ。わからんのか、おまえは」と言い、そして、南田辺駅についたら「もうすぐ、家です。もうすぐ、家」と言って、結局、小豆島から弁天埠頭に向かう船の中から東住吉区の家まで「ジュースこうたる」と言い続けて買わなかった。私は、うちの父親からそういう経験を毎年毎年、始終されてきた。
私が小学校の中学年頃だったか、第二次安保闘争とか東大闘争とかいうものがあって、その頃は「過激派」とかではなく「普通の大学生」がデモに参加したりしていたようだが、ちなみに慶應内部進学小此木啓吾が主唱した「モラトリアム人間」論というのは、そういった大学生が社会の問題に関心を持ってデモに参加したり、就職に不利になる可能性があっても政治的行動に加わることを「モラトリアム人間」と罵ってやめさせようとするものであり、その逆の人間、そういった行動に参加するものを白眼視する者(「慶應タイプ」)を「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」と「診断」するというものです。いかにも、慶應内部進学がやりそうな「診断」であり「医学」「精神分析学」です。 聞いた話だが、その頃、うちの父親の勤め先の社長の息子が東大生で、デモに参加したりしたこともあったらしいのだ。その時に、「たぬきのおっさん」とうちの父親が呼んでいた社長が息子に、やめとけと言ったらしいのだが、「それ、やめたらクルマを買ってやるから、やめとけ」と言ったらしいのだ。・・そして、「たぬきのおっさん」は実際に息子にクルマを買ってやったらしいのだ。なるほど、さすがは「たぬきのおっさん」だけあるなあ~あ・・と思った。うちの父親ならば「もし、それやめたら、クルマこうたるわあ」なんて言ったなら、必ず、実際に買う時になったら、「やっぱり、もったいないから、やめとくわあ~あ」と言って買うのをやめます。そのあたりが、「たぬきのおっさん」とうちの父親との違いです。私だけがそう認識していたのではなく、上の姉もまた「うちの家とよその家との違いとして、よその親は子供に何をしたら何を買ってやると言ったら、たいてい、子供に買ってくれるでしょ。うちの親はそうじゃなくて、実際に買う時になったら買わないでしょ」と言うのでした。そうでした。特に、父親はそうでした。
『史記』の中の話で、漢の高祖 劉邦につかえた韓信に項羽を倒すことはできるかと劉邦が尋ねたところ、韓信は劉邦に自分と項羽とどちらが優れていると思うかと尋ね、劉邦が「及ばず」と項羽に自分は及ばないと言ったところ、韓信は私もそう思うと言い、しかし・・・と、項羽は大変有能な人ではあるが自信家で部下にまかせるということができない、また、物惜しみする人間で功績を残した部下に恩賞をとらせるという時に、最後まで土地を恩賞として渡すのをけちり、その土地の印を手の上で渡すまいとしてもてあそび印の角がとれるようになっている。もしも、大王(劉邦)が有能な部下を集めて仕事をまかせ、働きに応じて十分な報酬を渡すようにするなら、大王(劉邦)は必ず、項王(項羽)を打ち破ることができるでしょう、と語り、劉邦はそれを聞いて大いに喜んだ・・というが、「何何をやったら、何をこうたる」と言ったら、いったん、言ったからには買う人と、「何何やったら、何をこうたる」と言ったら、買う時になったら常に必ず「やっぱり、もったいないから、やめとくわあ~あ」と言う人とでは、それをされた人間のその人間に対しての印象は大きく変わる。

中国古典選18~22 史記 全5冊 朝日文庫
そういえば、1980年代、うちの父親が私に「◇◇やったら、マンションこうたるわあ」とか言いだしよったことがあった。何をやったらだったか忘れてしまったが、そう言って騙せばいいと知恵つけた人間がいたのだろう。また、言いだしやがったかとあきれた。そんなに何回も何回も騙されてたまるか。「要りません」と言ったのだ。「なんでやねん。なんで要らんねん」と執拗に言ってきたが、そんなもん、「マンション、買ってもらえるなら」などとアホなこと思って、そんな話に乗ってしまったら、実際に買うという時になったら「やっぱり、もったいないから、やめとくわあ~あ」と言うというのが、うちの父親の常套手段・必殺技であり、何回も何回もされてきた者からすれば、
「いつまでも 通じる思うな くさい技」
てものだった。 もしくは、うちの父親は大阪で勤務していたけれども、仕事で東京支店に行くこともあり、又、うちの姉が東京寄りの千葉県に住んでいて姪が愛想のいい子だったので、仕事で東京支店に行く時と「姪と遊びに行く」(おもちゃにしにいく)時のための宿泊所としてマンションを買って、その管理人および掃除夫として私を無料で使おうと考えたか。どっちにしても、そんなクサイ手にいつまでもいつまでも、ひっかかってたまるか。
「いつまでも 通じる思うな くさい技」
うちの母親は私が小学校高学年から中学校の時、「親というものは、子供が大学に行く時に行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行けて、やりたい勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていて、私はそんな話を本気にしてしまった。しかし、実際に大学に進学する高校3年の時になると違った。私が高校3年の時、うちの母親は「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせるから、そやから、こいつ、何が何でも浪人させてやらんといかん。こいつ、何が何でも落としてやらんといかん」などと言いだし、私が高校から家に帰ってくると入口の扉を閉めすべての雨戸を閉め、門扉を消してインタホンのソケットを抜いて鳴らないようにして家に入れないようにしたり、夜、自宅の部屋で学習していると、服をつかんで「こいつめえ」と言って背後にひっくり返し、ホウキ持ってきてボコボコ殴りつけたり、私が使用している部屋の電気を洗面所にあった分電盤のブレーカーを落として照明がつかないようにして学習できなくなったりといったことをやった。うちの母親は「私は心臓が・・」「私は血圧が・・」と日頃から言いまくっていたので弱弱しそうに見えたようだが、そういう時になると相当力はあった。なにしろ、息子というのはいくらやっつけても反撃してくることはないので自信をもってやっつけることができます。やっつけるなら息子は最適です♪ そして、北野高校の模擬試験というものが3年の時に3回あったのですが、8月の1回目、10月の2回目の時、どちらも「あと、もう少しで京大に合格圏」というくらいの成績だったのですが、2回目のあとの「懇談」の時に、うちの父親が突然「これ、阪大なら通ると考えていいですか」「神戸大ならまず通ると考えていいでしょうかね」とか言いだしたのでびっくりした。担任だった大谷が「そういうものでもないですよ」と言ったのだ。「『京大なら、あと少し』であったとしても、阪大なら通るというものでもないですよ」と言ったのだが、実際、そうだろう。世の中には、「京大を狙える」なら阪大なら通るだろうと考える人、神戸大なら絶対通るだろうと考える人がいるが、そんなものではない。阪大はそんなに易しいわけではなく、あくまでも、「京大と阪大なら同じ学部ならば阪大の方がいくらか易しいかもしれない」というくらいのものだ。我が家の近所に住んでいた、私と同じ中学校から同じ北野高校に行って大阪大学法学部に現役で行ったK村哲二という男のお母さんが「京大でも通りますと北野高校の先生が言われました」と近所にラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて叫びまくっていたらしいが、「京大でも通ります」と言うのなら京大を受けて行けばいいじゃないか。なんで、行けへんねん。俺は川村に「頼むから京大は受けんといてくれ」なんて一言でも頼んだことなんてないぞ。何より、「阪大なら絶対に通ります」なんて、普通、「北野高校の先生」は、そんなこと言えへんで。もし、言ったらその先生はアホや。なにしろ、阪大というのは、そこまで無茶苦茶易しくないからだ。そんなもん、「ある程度、手ごわい所」を受けるからには「絶対に」なんてものは、ない。私が「北野高校の先生」であったなら、模擬試験でどんなにいい成績を取っていた生徒にでも、むしろ「最後の最後まで何があるかわからない」と言ってあげます。「絶対に通ります」なんて思っていたら、その意識は1%でも0.1%でも「落ちる側の要素」だと私は思う。だいたいなあ、2022年の開幕戦の阪神、考えてみい。「北野高校の先生が阪大なら絶対に通りますと言われました」やなんて、阪神みたいなこと言うんやないで、ほんまあ~あ( 一一) あるいは、2022年の日本シリーズ 第5戦の9回裏とか。1点リードからヤクルトのリリーフエースが出ての逆転負け。そりぁ、さすがに京大阪大あたりに行こうという者が亜拓大東帝国あたりを受けるなら、めったなことで落ちることはないかもしれんが、逆にそういう所に通っても行く気にはなれんやろ。完全に満足するかどうかはさておき、そこなら行こうかという気持になれる可能性がある所を受ける限りは「絶対に」なんてものは、ない。K村は阪大に入学して5年目に司法試験に通ったらしいが、その時もまた、K村哲二のお母さんは「司法試験も現役で通りました」とまたもやラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて近所にふれまわったらしいが、うるさいおばはんやな~あ。「司法試験に現役で通った」というのは大学に入学して4年のうちに通ったというものを言うのであり、普通は4年間の法学部を5年行って5年目に司法試験に通ったというのを「現役で通りました」とは言いません。ほんま、うるさいおばはんやなあ、ほんまにい( 一一)
・・それで、だ。アホなおばはんと、その母親に「そういうことを言ってまわるのはやめてくれ」とも何も言わないバカ息子の話はさておき〔そのバカ息子が今は神戸大学法科大学院大学の先生様になっておられるらしい。神戸大学法科大学院大学というのは、母親が太鼓を叩きラッパを吹き鳴らしてそういうアホなことを近所に叫びまくっていたことに「そういうことはやめてくれ」とも言わないバカ息子を講師に雇っているようだ。〕、私が北野高校の3年の時、8月と10月の模擬試験では「京大の合格圏にあと一歩」というくらいの成績を取れたのだったが、懇談で「阪大なら通ると考えていいですか」とか「神戸大ならまず通ると思っていいですか」とか、うちの父親は私に無断で突然言い出したのでびっくりしたが、担任の大谷がその時はきっちりと説明してくれたので、納得したものと思い込んだ。しかし、それから、しばらくして、突然、神戸大の経済学部の入学願書を私に無断でとってきて、私に「あんた、は~い」と言って突き出すので、「何ですか、これは?」と言ったのだ。「だから、あんた、は~い」と言うのだ。何、それ?
まず、神戸大なんて話はそれまでまったくしていないし、又、経済学部なんて話も、それまでまったくしていない。私はうちの母親が「親というものは息子が大学に行く時に行きたい大学の行きたい学部に行ってやりたい勉強をやってつきたいと思う仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていたので、そういうものなのだろうと思い込んでいた。うちの親はそういう考えなのだろうと思っていた。だから、運動選手になりたいとか思っても私はなれないだろうけれども、そういうことでも言わない限り、あるいは芸能人になりたいとかそういうことでも言いださない限り、本人が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行こうということには賛成してくれるということなのだろうと思っていた。又、うちの母親の兄は高校の先生をしていたし、母の叔母のだんなは小学校の先生をしていたしするから、私が学校の先生になっても悪いことはないだろうとも思っていた。母方のイトコは、私より10歳程度上の年代と私くらいの年代に分かれていて、10歳くらい上の年代は女性ばかり5人、私と同じ年代は男5人・女1人で中間の年齢の女性が1人いたが、私と同年代イトコの中では私が一番学校の成績は良かったので、親戚が集まった時には親戚のおばさんから「〇〇ちゃん、医者か弁護士になったらいいわ。学校の先生はうちの親戚はいっぱいいるから、もう学校の先生はいいわ。医者か弁護士になり」とか言われていた。高校1年の時、阪急宝塚線「豊中」駅で飛込自殺をする人があり、その場面を目撃したわけではないが、遺体をかたずけている所を見て、その夜、夢でうなされたことがあった。それで、私は医者は無理だと思うようになり、高校2年の時の担任だった旧姓作野礼子にそれを話したところ、「それでは医者は無理ですね。医学部は行かない方がいいです」と断定されてしまった・・が、今から考えてみると、あの旧姓作野礼子の態度・対応はいったい何だと思う。高校の教諭として、あんな態度・対応はないだろう。それから何十年か経ち、うちの母親が手術を受ける時に病院につきそい、手術中、手術室の前にいてくださいと言われていた時も、又、自分自身が手術後うけることになった時も、特に夜も昼もうなされたりすることはなかった。結論として、飛込自殺をした人の遺体をかたずけている場面を目撃した夜、うなされたというのは、それは人の身体に傷をつけるということにうなされたのではなく、人の身体に傷をつけるという場合でも治療のための手術として傷をつけるのなら問題はなく、人が自分で自分の命を絶つということに対してうなされたのだった。だから、医療として自分が手術を受けることも、もし、自分が医学部に行って医者になった場合に自分が医者として手術をする場合も、特にそれに抵抗を感じるということはなかったのだ。私が高校の教諭ならば、そのあたりを生徒に話をしてあげるだろう。旧姓作野礼子の態度はあれはいったい何なんだ・・と思うが「その程度の教諭」だったのだが、それを高校生だった時の私は気づけなかった。しかし、実施問題として、内科とか外科とか皮膚科とかの医者には特になりたいと思っていなかった。私は小学校の5年だったか6年だったかの時に魯迅『藤野先生』という小説を読んだが、同じものが中学校1年の時、「新しい生活」と名前がつけられた東京書籍発行の「道徳」の教科書に掲載されていたのだが、魯迅は日本に医学を学ぼうとして留学して、そこで藤野先生に出会い、中国人の魯迅にも藤野先生は親切にしてくれたが、魯迅はその時代の世界、その時代の中国を考えて、中国に必要なのは医学だと最初は考えたが、治す必要があるのは中国人の身体よりも、むしろ、心だ、精神を治す必要がある、医学よりも緊急に必要なものは文学だと考えるようになり、それで、医学を途中でやめることを藤野先生に謝りに行くというのが『藤野先生』という小説だが、魯迅が身体を治すよりも心を治すことの方がより必要だと考えたように、文学・哲学といったものを「そんな趣味みたいなもん」とか言う人がいるがその認識は間違いで、そういう「趣味みたいなもん」の文学もあるかもしれない、あるだろうけれども、それが文学ということではない。

阿Q正伝・藤野先生 (講談社文芸文庫) - 魯迅, 駒田 信二, 稲畑 耕一郎
毛沢東は『湖南省農民運動視察報告』において「我々の使命は刺繍に花をつけたすことではなく、雪に閉じ込められた地方に石炭を送ることである」と述べているが、文学・哲学にも「刺繍に花をつけたす」ような文学・哲学もあれば「(精神的に)雪に閉じ込められた地方に(精神的)石炭を送る」ような文学・哲学というものもあるはずであり、福沢諭吉が「実学」と「虚学」ということを言ったが、福沢諭吉は実業家を志す者なら語学と簿記は学んでおくべきだとは言っていたようだが、決して語学や簿記が「実学」で文学・哲学を「虚学」と言ったわけではなく、忠・孝とかいうような孔子の道徳とかそういうものを「虚学」、西洋近代思想のようなものを「実学」と評価して、アジアの孔子孟子のような虚学ではなく西洋の近代思想をこそ実学として学ぶべきなんだと主張していたはずであり、「思考が柔軟な慶應ボーイ」みたいに文学・哲学を虚学とは福沢諭吉は言っておらず、文学・哲学にも虚学の文学・哲学があるとともに実学の文学・哲学があると考えたいたはずだ。文学・哲学を「そんな趣味みたいなもん」とか罵って喜ぶヤカラ、「週刊プレイボーイ」なら読むが文学・哲学の本は読まないでそれを得意がっている「慶應タイプ」とかについては、キルケゴールが好んだというレンテンマルクの言葉、「これらの作品は鏡のようなものだ。猿がのぞいても使徒の顔はうかんでこない」という言葉が適切だ。

古典入門 キルケゴール 死にいたる病 - 大谷 愛人, 泉 治典
私は自分が小学校から高校まで学んできたものから考えて、最も重要なものは人間の心のあり方であり、そのためには、文学と哲学ならば哲学の方が論理的であり、実際のところ、ジャン=ポール=サルトルとかボーボワールとかいった人は哲学科卒で小説も書いており、哲学科卒の文学者というのはいたわけで、文学と哲学の境界というのはそうはっきりしたものではなく、また、心理学もまた人間を考えるものとして重要だと高校生の時の私は思ったのだった。高校生時代に私が読んだ本では岩波新書の『精神分析学入門』の著者の宮城音弥は京都大学哲学科卒で「心理学者」になっていた。哲学科卒で「心理学者」になった人がいるわけだが、それなら心理学科に行った方がいいのか哲学科に行った方がいいのか。・・ここで問題になるのは、精神医学と心身医学というものがあり、精神医学と心身医学と心理学というのはどう違うのか、という問題が出てくる。さらに、フロイト『精神分析学入門』(中公文庫)なんてものを高校生の時に読んで、そういう分野に関心を持っていたのだったが、精神分析学というのは日本の大学では何学部で学ぶべきものなんだ? ・・心理学科はあっても精神分析学科というものはない。 そこで、思ったのは「心理テスト」なんてものがあり、どうも、「心理学者」というのは「精神科医」の下働きのような扱いを受けていると思えたのだ。要するに、小学校から高校まで文学・哲学などの本を読んで学んできた者が京大や東大の心理学科に行って卒業したとして、どういう仕事につくのか・・というと、「バカでも入れる私立の医大に裏口入学卒」で内科医になったけれども、内科医でうまくいかないから精神科医に転職したら、もうガッポガッポと儲かる儲かる、ウハウハ♪・・というそういう「医者」の下働きになってしまうのではないのか。それでは、あほくさい。・・そういったことを考えた。
又、うちの母親が、心配事があると血圧が上がるとか心臓がなんとかとよく言っていたので、それで、「心と身体の関係」「心で起こる身体の病」を治す仕事について、うちの母親を治してあげたいと思ったりもしたものだった。今から考えてみると、気持ちの優しいいい息子だったなあと思う・・が、「家族を治そう」というのは、これはやってはいけないことだった。デビッド=クーパー『反精神医学』(岩崎学術研究社)に書かれていたことだが、「精神医学」の技術と言われるものは「セラピストを守るための道具でしかない」のである。「精神疾患」というものには、梅毒の三期症状によるもの・アルコール中毒によるもの・覚せい剤中毒によるもの・外傷性のものなどもあるが、そうではなく、人間関係によるものというものがあり、特に「家族」というものに原因がある場合が多いのだが、「精神科医」その他の「セラピスト」もまた、関わることで、その人間関係の一員になるが、「セラピスト」が「病気」の原因になることだってありうることであり、現実にあるはずだが、その際に「セラピスト」「精神科医」が自分たちは悪くないとして守るためのものが「精神医学」の技術であって、「精神医学」というものはその道具でしかない、というのだ。私もそう思う。

反精神医学 - 野口昌也, デーヴィッド・グラハム・クーパー
又、「人間関係」という場合、「職場の人間関係」や「学校の人間関係」もあるだろうけれども、それよりも大きいのが「家族」である、ということを考えると、「私は・・が」とか何とか言う人・「寝られない」と(実際は全く寝ていないわけではないはずなのに)言う人とかを助けようというのは他人がやっても、「精神科医」「心理学者」は「精神医学」による防禦によって自分を守ることで自分が悪者にされないようにするが、家族がうかつに助けようとすると「ひきずりこまれる」ことになる危険が大きい。特に、良心的な人間こそ、「精神医学」による悪質な防御を持たないので「ひきずりこまれる」ことになりかねないから、むしろ、「私は・・が」と訴える家族については自分が「ひきずりこまれる」ことがないように気をつけるべきである。

家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原
・・そんなことで、高校生後半の私は哲学・心理学・心身医学といったそういう分野に関心を持っていて、そういう研究をできる学部に行きたいと思っていたのだった。うちの母親は ↑ のように言っていたし、うちの父親は学校の先生とかよその誰かから「お父さんの勤め先を継がせたいとかそういうことはありますか」ときかれると、「いや、そんなことありません」と常に言っていた。「そんなことありません」というのは大いにもっともなことだ。うちの父親は、親戚が社長をやっている会社に勤めていたのだったが、そこの社長はうちの父親の父親(私の祖父)とイトコだったはずで、それも、鹿児島から出てきて、すでに船場の商社でけっこう出世していたらしい、うちの父親の父親を頼って出てきたらしく、イトコでも単なるイトコではなく恩人のようなイトコだったので、それで、恩人の息子を自分の会社に雇ってめんどうみてくれた・・みたいな感じだったようだ。だから、うちの父親は親戚の会社に雇ってもらって、その社長に守ってもらってきたのだ。しかし、その一方で、うちの父親は「ええかっこしい」であるとともに「1ミリでも頭を下げることができない男」だったので、今度、逆に息子をその会社に雇ってくれと社長に自分が頼めるかというと、なにしろ、「1ミリでも頭を下げることができない男」で、そんなもの、「頭を下げる」というほどのことじゃないじゃないか、ということでもできない男であるから、自分が勤めている会社の社長に「うちの息子を雇ってやってもらえませんか」なんて頼む能力はない人間だった。みのもんた みたいなあんなしょーもない男でも、息子を日本テレビに入れてもらおうと日本テレビの社長に頼みよったらしいが、うちの父親はそういうことはできない人間だったのだ。だから、頼む能力なんてないからには、無理だ。そして、うちの父親は「ええかっこしい」だったから、誰から「お父さんとして、どういう所に行かせたいとか、ありますか」と尋ねられると、常に「いや、そういうことはまったくありません。どこでも本人が行きたいと思う所に行けばいいと思います」と言いまくってきたのだ。それを私は聞いてきたので、そうなのだろうと勘違いしてしまった。しかし、それは勘違いだった。そうではなかった。私が高校1年の時、北野高校では運動部に入部していた者とそうでない者では進学成績に違いはないと担任のO田先生から聞いたこともあり、一時、野球部に入部したのだが、私が北野高校の場合は野球部とかラグビー部とかにいた生徒でも京大や阪大に進学しているということを話したのだが、それでも「そういう人間は全員が浪人です」と言い、私が「そんなことないみたいですよ」と言っても言ってもきかず、そのうち「野球部の監督の所に怒鳴り込んだる」とか言いだしたので、そういうことをされたのではかなわんと思ってしかたなしに退部したということがあったのだが、ところが、3年になると今度は「浪人した人間の方が社会で役に立つ。あんた、浪人しなさい」などと、現役で大学に合格しようと努力している高校生に向って言うのだった。はあ~あ? ・・うちの父親というのはそういう男っだった。「社会で」という言い方をしているが会社人間のおっさんの「社会」とは「会社」のことで、「社会に出たら」とかうちの父親は言うのだったが、そうではなく「会社に入ったら」であって、うちの父親などは「会社に入る」ことで、むしろ、「社会」から隔絶された人間になっていた。そして、浪人してしまうと今度は「大学を受けに行った時の交通費がいくら、ホテル代がいくら、願書を送る封筒代がいくら、切手代がいくら・・」と電卓で計算して、「おまえが浪人したおかげでわしは〇〇万円の損をさせられた」とか言いだしたのだ。あんた、私に「あんた、浪人しなさい」と言ったのと違うのか? と思ったが、うちの父親というのはそういう男だった。
うちの父親は私にこう言うのだった。
「うちは文学部になんか行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」と。
「哲学科は頭のおかしな人が行く所ですから行ってはいけません」
「『宗教はアヘンである』とマルクスは言うてお~るとM川先生(うちの父親の親友の医者屋)がおっしゃってお~る。宗教学科・宗教哲学科はアヘンであ~る。とってちってたあ~あ!」
「うちは学校の先生になんか、ならすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「特に国語とか社会科とかの先生はなってはいけません。学校の先生でも数学か英語の先生でなかったら家庭教師のアルバイトができませんから、特に数学・英語以外の先生は絶対になってはいかん」
「学校の先生は全員、アカです。学校の先生はアカやからなってはいかん」
「うちは大学院になんか、行かすような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「うちは司法試験なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「国家公務員は転勤が多いからなってはいけません」
「商社は海外勤務があるから勤めてはいけません」
「うちは工学部なんか受けさせるような金持ちとは違います。甘ったれなさんな」
「医学部とか6年行かないといけない学部は行ってはいけません。4年で卒業できる学部にしなさい」
「マスコミに勤めるなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん。アカ、あか、アカ、あか」
「出版社は給料が安いから勤めてはいかん」
・・・こう言うのです。結局、いいものなんか、ほとんどないじゃないですか。
そして、言うのです。「わし、今まで、あんたに、この仕事につけとか、この学部に行けなんてことは一度として言うたことはないやろ。いくらなんでも、このくらいのことはわかってもらわんといかん」と。はあ? 言いまくっておるやないか。
そして、私は「神戸の経済」と「慶應の経済」というのが日本で一番嫌いな大学・一番嫌いな学部だったが、わざわざ、よりによって、その「神戸の経済」の入学願書を私に何の断りもなく取ってきて、「あんた、は~い」と言って私に突きつけただろうが。
・・そうやって、それだけではないが、それ以外にも様々な経緯を経て、結局、私は小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も只管勉強してきて努力してきたその努力の果実をすべて奪い取られた。「惜しみなく親は奪う」というものだった。私は努力の成果をすべて、ドブ中にどぼーんと捨てさせられた。

惜みなく愛は奪う (新潮文庫) - 有島 武郎
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は言うのだった。「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と。「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と。旧姓作野礼子は自分は父親がいなかったかわいそうな娘であり、誰もが「作野さんはお父さんがいなかったから苦労してこられただけあって、しっかりしておられるわあ」とほめなきゃいけない、旧姓作野礼子は誰もからほめられる当然の権利があると考えており、そして、「あなたのお父さんのような立派なお父さんがいたらうらやましいわよ」と言うのだった。そうなの?
もしも、うちの父親の子供だったら、あんたみたいに神戸大の文学部なんか絶対に受けさせてもらえないよ。あんたみたいに高校の先生になんか、特に「国語」の先生になんか、絶対にならせてもらえないよ。何、言ってんの?
先にも出した写真、

↑ うちの父親は、この写真を撮影した少し手前を右折して阪和線「南田辺」駅から通っていたが、途中からそうではなく、左折して、大阪メトロ御堂筋線「西田辺」駅から乗って通勤するようになったが。家を出て右折か左折かするくらいまで、小学校に行く前の私は見おくっていたのだが、うちの父親は「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけるのだった。
子供は「お土産買ってくるからねえ~え」と言うからには子供が喜ぶようなお土産を何か買ってきてくれるのだろうと思って期待して待っている。おっさんが会社から家に帰ってくると、子供はお土産を買ってきてくれたのだろうと思って出ていって「お土産は?」と言うと、おっさんはうれしそうに「ないわあ~あ♪」と言うのだった( 一一)
そういうことをする父親というのがいたらうれしいか? そういうことをする父親というのがいたら、うらやましいか?
小学校に行く前の私は、うちの父親が毎日毎日、それをやるものだから、そのうち、慣れた。 ・・慣れたというのか、それが、うちの父親が出勤する時の挨拶なのだと思うようになったのだ。朝、顔を合わせた時に「おはよう」と言っても、別に早いか遅いかを言っているわけでもなく、「おはよう」という言葉に特別の意味があるわけではないのと同じように、「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけても、どうせ、買ってこないだろうと思うようになったのだ。
だから、1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、福島県双葉郡の富岡町だったかに住まれていた方で、(株)一条工務店の浜通り地区の所長だったK野さんが、過去にそこの家に訪問した時に、帰りがけに小学校1年の女の子に「今度、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ~え」などと言って帰って、次回、訪問時に買っていかない。「次に来るときはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って帰って、また、その次に来るときに買ってこない。それをいったい何回やったのか、というくらいに繰り返した。「そういうことをする人なら、もう来ないでほしい」と言われたのだ。
そのお宅の奥さんが言われたことはもっともだ。そこの家は(株)一条工務店でまだ契約していない方だったから、(株)一条工務店としても営業担当としても何をやらないといけないというものはないが、買ってこないのならば「次、アイスクリーム買ってくるからねえ~え」などと子供に言うべきではないし、いったん、「アイスクリーム買ってくるからねえ~え」と子供に言ったのであれば、たとえ、小さいものでも安いものでもいいから子供に買ってきてやってほしい、と。大いにもっともなことだ・・・が、そんなことは、うちの父親なら自分の子供にもっとやってる。
そして、うちの父親は私が20歳になる年、こう言ったのだ。
「〇〇には子供の頃から、よそとはちごうて、いつでも何でも、どんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかし、ええもんばっかし、どんなもんでも何でも何でも、こうてきて やあってやって、やあってやって、やあってやってきたから!」と。
「違う」「絶対にそんなことない!」と私は言ったのだ。
そうすると、うちの父親はこう言ったのだ。
「はあん。こいつ、こんなこと言いよる。難儀やなあ。こいつには、子供の頃から、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも何でも何でもこうてきて、やあってやってやってやってきたのにからに、わかりよれへん。これは病気やわ。これは病気がこいつにこういうことを言わせよるんや。これは治療してやらんといかん。クスリ飲ませたらんといかん、クスリ。それもちょっとではいかん。大量にクスリ飲ませたらんといかん。いや、クスリではいかん。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! 電気ショック療法やって、こいつが二度とこういう口をきけんように治療してやらんといかん!」と。
うちの父親はそう言ったのだ。 毎日毎日、「お土産、買ってくるからねえ~え」と子供に言って出かけて買ってこずに、「ないわあ~あ♪」「ないわあ~あ♪」と子供にやって楽しんだ男がそう言ったのだ。
1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、私が訪問する前にそのお宅に通ったことがあった所長のK野さんが「次、アイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って買ってこなかったというお宅の女の子と違って、私の場合は毎日毎日だったので「そのうち、慣れた」けれども、「慣れた」といってもうれしかったのではない。やっぱり、「お土産買ってくるからねええ~え」とわざわざ子供に行って出かけるからには、お土産を買ってくるのだろうと子供は期待するようになるもので、毎日毎日、「ないわあ~あ♪」「ないわあ~あ♪」と言って楽しまれるというのは、うれしいわけではなかった。そういうことをやった男が言ったのだ。
「〇〇には子供の頃から、よそとはちごうて、いつでも何でも、どんなもんでも、欲しいというものは、何でも何でも何でも何でも、ええもんばっかし、ええもんばっかし、どんなもんでも何でも何でも、こうてきて やあってやって、やあってやって、やあってやってきたから!」と。 そして、
「はあん。こいつ、こんなこと言いよる。難儀やなあ。こいつには、子供の頃から、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも何でも何でもこうてきて、やあってやってやってやってきたのにからに、わかりよれへん。これは病気やわ。これは病気がこいつにこういうことを言わせよるんや。これは治療してやらんといかん。クスリ飲ませたらんといかん、クスリ。それもちょっとではいかん。大量にクスリ飲ませたらんといかん。いや、クスリではいかん。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! 電気ショック療法やって、こいつが二度とこういう口をきけんように治療してやらんといかん!」と、そう言ったのだ。

スタンガン
( ↑ 電気ショック療法 )
※ 「電気ショック療法」⇒《YouTube-【拷問部屋】「ハルキウ州で10以上発見」ゼレンスキー氏 “電気ショック”の道具も…(2022年9月18日)》https://www.youtube.com/watch?v=2Iw_00ae_kE
《 「・・鉄道の駅にあった拷問部屋では電気ショックを与える道具なども見つかった。拷問はロシア軍の占領地域で横行していた。これはナチスがおこなったことと同じだと非難し・・・」》

《 「お前のことは彼から聞いている」
工場勤務のビクトル・ルディクさん(48)はロシア兵に拘束された際、そう告げられた。「彼」とは隣人のこと。ルデュルクさんは「密告」されていた。
ルデュリュクさんの父親は、2014年に東部地域の紛争で親ロシア派と戦った志願兵だった。ルデュルクさんと母親は密告され、警察署に1週間以上にわたり監禁された。
ロシア兵はナイフを耳に突きつけ、「切り落とすぞ」と脅した。電気ショックを肩から加えられ、目の前が真っ暗になった。
「協力者」の隣人は、ロシア側の息のかかった「役所」で働いていたが、バラクリヤが奪還される前に姿を消したという。》
《 住民によると、バラクリヤでも警察署や印刷会社でロシア軍による拷問が行われたという。
「誰が警察官なんだ」
約1カ月間拘束されたセルギーさん(52)は、そんな尋問を受けた。
銃床で頭を殴られた。最も恐ろしかったのは、尋問の際にポリ袋を頭にかぶせられ、右手の親指には発電機のコードを巻き付けられたこと。電流で気を失いそうになり、袋で息ができなくなった。
「耐え抜いて生きているのはラッキーとしか言いようがなかった」。指の感覚はまだ戻らないままだという。
(バラクリヤ=高野裕介)》
(「朝日新聞」2022.10.10.(月)<朝刊> )

昭和の不思議101 2022年 陽春号 (ミリオンムック 30)
《 いわゆる「ロボトミー殺人事件」が起きたのは1979年だから、もう40年余り前になる。売れっ子のスポーツライターだった男が脳に「ロボトミー」と呼ばれる手術を施され、後遺症に苦しんだ末に担当医の家族を殺害するに至った有名な事件だ。・・・
たしか『河北新報』の記事だったと思う。それによると、宮城刑務所で無期懲役刑に服していた当時84歳の桜庭は「体調不良で生きていても仕方がないのに、自殺する権利が認められずに精神的苦痛を被った」と主張し、国に160万円の国家賠償を請求する訴訟を起こしたが、敗訴したとのことだった。自殺する権利など法律で認められるわけがなく、敗訴自体は当然の結果と言える。
ただ、この記事からは、桜庭が心身共に相当悲惨な状態に陥っていることが窺えた。・・・》
《 ロボトミーとは、脳の一部を切除して人格を「改善」させる手術だ。1950年代までは統合失調症の患者らに効果があるというフレコミで「奇跡の手術」と呼ばれ、日本を含む世界各国で行われていた。開発者であるポルトガルの神経科医モニスは1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
しかし実際には、患者たちは術後、無気力になったり、身体がけいれんしたりするなどの回復不能な副作用に苦しめられていた。その現実が次第に知れ渡り、「悪魔の手術」とか「史上最悪のノーベル賞」と呼ばれるようになったロボトミーは現在全く行われていない。
桜庭が施されたのは、このロボトミーの一種であるチングレトミーという手術だった。その術式は、頭蓋骨の一部を切り取り、脳梁の上部に位置する「帯状回」という部分に外科的侵襲を加えるというものだ。
当時、S保養院では、精神療法を行っても効果が上がらない患者に対し、このチングレトミーを施していた。桜庭の場合も措置入院が不当だと主張し、藤井医師に議論を挑んだり、のこぎりで独居室の鉄格子を切断して脱走しようとしたりしたため、病院側はチングレトミーを施す
ことにしたという。
ここで問題は、藤井医師が桜庭本人の承諾を得ずに手術を強行したことだ。
・・・ 》
《 手術後、桜庭は翻訳の仕事をする自信を失い、不安感にとらわれるようになった。その後なんとか1968年ごろまでスポーツ関係の著述を続けたが、原稿を書く分量は手術前の5分の1にまで減り、次第にものを書くことが苦痛になった。
桜庭はついに著述業に見切りをつける。そして自ら片足を切断するような事故を起こし、労災保険金を得て生活しようと考え、その目的を果たすために山砂採取現場でブルドーザーなどの運転手として働くようになった。
しかし、時々てんかんの発作が起こるようになり、ブルドーザー運転手の仕事は結局続けられなくなった。その後は自動車修理工場の見習いや飼料工場の工員、外国船の警備員など仕事を転々とする。この間、てんかんの発作は激しくなり、名古屋の病院で診察を受けたところ、「チングレトミーの後遺症」だと告げられる。こうして桜庭は無断で施された脳の手術により人生を崩壊させられたことを確信した。
・・・》
( 『ミリオンムック30 昭和の不思議101 2022年陽春号』2022.4.20.大洋図書。↑
片岡健「悲劇の殺人犯 桜庭章司 獄中書簡に見る悲惨な晩年 ロボトミー殺人事件」 )
私は、小学校に行く前、うちの父親が出かける時に「お土産買ってくるからねえ~え」と子供に行って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」「ないわああ~あ♪」とやるというのを、毎日毎日やり、それをされてきたので、そのうち、そういうことをされても、それほどこたえなくなった。しかし、それならば、1990年代、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、所長のK野さんが見込客宅を訪問して帰りがけに子供に「次、来る時にはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って帰って、次、来るときには買ってこない。その時もまた「次に来る時にはアイスクリーム買ってくるからねえ~え」と言って帰って、またもや、その次に来るときも買ってこないということをやったことについて、「子供にそんなことするのなら、そんな人は来ないでほしい」とそこの奥さんが言われたのは間違っているのかというとそんなことはない。そこの奥さんが言われたのは大いにもっともなことであり、「子供にそんなことするのなら、そんな人は来ないでほしい」と言う親と、自分自身が子供にそういうことをする親とではどちらがいい親かというと、1970年代後半、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。当時、20代)は「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」と称賛して、「ないわあ~あ」とやる男の方を「いいお父さん」と認定したのだった。
いいのか? 「ないわあ~あ♪」と子供にやって楽しむような男が? いいのか?
そんなにいいのなら、旧姓作野礼子さんにあげるよ。もらってよ。ほんと、あげるから、もらってよ。
「いらいらっとしたら、かけたんねん」「いらいらっとしたら、書いたんねん」と言って、四六時中、電話してくる男。1日に平均2通、多い時は1日に時間帯を変えて3通、紙爆弾を送りつけてくる男。「いらいらっとしたら、かけたんねん」と言って電話してくるのは私の所だけかと思っていたら、下の姉の所にもかけていたようで、下の姉が言うには「あの人のあの『いらいらっとしたら、かけたんねん』とう電話、かなわんねえ~え」と言うのだった。「『いらいらっとしたら、かけたんねん』と言って電話してくる人って、かける方はそれでいくらか『すっとする』のかもしれないけれども、瘤取爺さんの瘤と一緒でかけられる方は、その分、ストレス溜まるんやからねえ」と言うのだったが、実際、そうだった。下の姉の所と私の所となら私の所の方がずっと量は多かったはずだった。
まず、朝一番に、「今、会社についてん。いらいらしてんねん。そんで、かけたってん。感謝しろお!」と言ってかけてくるのです。講義がない時に日吉台学生ハイツに戻っていると、また電話してきて、「用事はなんですか」と言うと、「用事はないねん」と言い、「用事はないけれども、いらいらしてんねん。そんで、かけたってん。感謝しろ!」と言うのです。「感謝しますから、切りますよ。いいですね」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何をお。わしはなあ、あんたに電話したろと思うて、会社で朝から何もせんとずうう~っと待っとってんぞ。朝から何もせんと」と言うので、「何もせんと待たないでください。会社にいるのなら仕事してくださいよ」と言っても、「何、言うとるんじゃ何を。いらいらしたから、かけたったんじゃ、いらいらイライラいらいらイライラ」と言うのです。「なんで、イライラするんですか」と言うと、「いらいらしとるんじゃ、イライラいらいら」と言うので、「しかし、あなたさまはブッダなんでしょ。ゴータマシッダールタなんでしょ」と言うと、「そうじゃ。わしはブッダじゃ。わかっとんのか。わしは修行を積んで悟りを開いたゴータマシッダールタなんじゃ。悟りを開いた人間やねんぞお~お」とおっしゃるので、「悟りを開いたお方が、なんで、イライラいらいら、イライラいらいらイライラいらいら するんですか」と言うと、「おまえが悪いんじゃ」と言うのです。

シッダールタ(新潮文庫) - ヘルマン・ヘッセ, 高橋 健二
「わかってますよ。悪いのはみ~んな、私ですからね。何でも何でも私が悪いんですからね」と言うと、「そうじゃ、何でも何でもおまえが悪いんじゃ」と言うのです。「私が何でも悪いということはわかりましたが、私が何でも悪いとしても、悟りを開いたお方がなんでイライラするんですか」と言うと、「何を言うとるんじゃ。悟りを開いたお方であるのにイライラしとるんじゃ」と言うのです。
「わかっとんのか。わしは孔子やぞお。わしは孟子やぞお。わしは孔子で孟子であるのにイライラしとるんじゃ」と言うので、「なんで孔子様がイライラされるんですか。『40にして惑わず』ではなかったのですか」と言うと、「そうじゃ。『40にして惑わず』じゃ。わしは『不惑の人』やねんぞお、わしはあ。わしは絶対に惑うことがない人間なんじゃ」と言うのです。「それなら、イライラしなきゃいいじゃないですか。なんで、『不惑の人』がいつでもいつでも、イライラいらいら、いらいらイライラしてるんですか」と言うと、「そやからやなあ、ほんまやったらイライラせえへんのにからに、イライラしとるんじゃ」と言うのです。それで、「それなら、誰でもじゃないですか。誰だって、何かイライラする原因があるからイライラするのであって、イライラすることがなければ、別にブッダでなくても孔子でも孟子でもなくても誰だってイライラしないでしょ」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何をお~お。わしは並外れて優秀な優秀なお父さんであってやなあ、わしはスーパーマンやねんぞお。わしはスーパーマン。わしは完璧超人じゃ、わしは完璧超人」と言うのだった。
※ 《ウィキペディアー完璧超人》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E7%92%A7%E8%B6%85%E4%BA%BA
※ 完璧超人⇒《YouTube-ヘルミッショネルズ(ネプチューンマン&ビッグ・ザ・武道)がケンダマンとスクリューキッドを公開処刑!》https://www.youtube.com/watch?v=-TK2QqK42FI
「で、なんでその完璧超人が、いつでもいつでも、イライラいらいらイライラいらいら しておられるのですか」と言うと、「そやから、おまえが悪いちゅうことなんじゃ」と言うのです。「ですから、私が悪いというのはわかりましたよ。いつでも、何でも悪いのは私ですからね。T子さんが奈良女子大に落ちたのは私が悪いのでしょ」と言うと、「そうじゃ。ほんまやったら優秀な優秀なドイツ人のT子さんは絶対に奈良女子大に通っているはずやのにからに落ちた、ということは、おまえのせいやちゅうことなんじゃ。反省しろ。お前に大事なT子さんを奈良女子大落されたんじゃ。おまえのせいやねんぞ、おまえのせい」と言うのだった。T子さんが奈良女子大を受けて落ちたのは私が小学校1年の時のことだ。なんで、小学校1年の弟のせいなんだ、と思うが、そう言うと「外罰的性格」と「心理学」に「診断」されることになる。「私が何でも悪い、ということはわかりましたが、完璧超人なら、それでも、イライラしなきゃいいじゃないですか。なんで、イライラするんですか」と言うと、「ええかげんにせんか。おまえのせいなんじゃ、おまえのせい」と言うのです。そして、「わかっとんのか。わしはキリストやねんぞお、わしはキリスト」と言うのでした。「わしが山に命じて海に入れと命令すれば、山が空飛んで海に入るんやぞ。わかっとんのかチャンコロ。わしはキリストやねんぞお~お」と言うのだった。その時は思いつかなかったのですが、「それなら、自分に命じて『落ち着け。イライラするな』と命じたらどうですか。山に命じて空飛んで海に入らせるよりも、自分に『落ち着け』『イライラするな』と命じる方が容易でしょう」と言えば良かった、しまった、と今、後悔しています。
ともかく、そうやって、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに、「イライラしたからかけたってん」と言って四六時中、電話してくる人がいるというのがうらやましいと言うのなら、旧姓作野礼子はその電話だけでも引き受けてもらいたかった。
自分はそういう電話は引き受けないで、いい顔だけしてからに、まったく勝手な女である。
そもそも、うちの父親が「わしほどエライお父さんはないねん」「わしは、魅力たっぷり、魅力たっぷりのお父さんやねん」とか何とかかんとか言いまくるというのは、そういうことを言ってヨイショすると喜ぶアホなおっさんだから、というのが一番の理由だが、アホなおっさんにそういうことを言う人間がいるからであり、誰が言っていたかというと、取引先のおっさんで言う人もいたかもしれないが、それよりも、うちの父親の親友で息子を私立金権関西医大https://www.kmu.ac.jp/ に裏口入学させたというのを自慢にしていたM川〔 男。当時、50代前半。当時、大阪府豊中市在住。自称「金沢大医学部卒」だが嘘だろう。実際はそうではなく、当人も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなかったとしても、「かわいいキンタマ」(川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大=かわいいキンタマ)くらいだろう。〕と、北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子だった。あの女に、なぜ、そういうことをアホな親に言ってあおる権利があるんだ。あの女だけは絶対に許せん! 「殺してやりたいくらい」と「殺す」のは同じではないが、しかし、実際のところ、あの女だけは「殺してやりたいくらい」である。
最も、困ったことに、人生、何十年か生きると「殺してやりたいくらい」という人間というのがいっぱいできてしまって、私なんか、「殺してやりたいくらい」という人間が最低でも20人以上いるのです。そうなると、そのうちの1人か2人殺して刑務所に入ったり死刑にされたりすると、残りの十数人が喜びよる・・・と思うと、うかつに人殺しもできないことになります。難儀です。しかし、それでもやっぱり、「殺してやりたいくらい」という人間はいます。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子はその1人です。クラス会の連絡は来なくなったなあ・・と思っていたら、そうだ、私の転居先を連絡していなかった・・が、たとえ、連絡が来ても、もう行きません。うかつに行って「殺してやりたいくらい」の人間と顔を合わせて、「殺してやりたいくらい」のやつなんか殺して刑務所に入ることになったらばかくさいですからね。昔、「不良漫画」に「お礼参り」なんて話が出ていましたが、学校の教諭に「お礼参り」なんてやるのは「不良」のやることかと思っていたのですが、そうとも限りません。少なくとも気持ちの上では「お礼参り」でもしてやりたいくらいです。
どうも、世の中には子供を見ると、「何何を買ってくるからねえ~え」と買ってくる気もないのに言って、次回、「ないわあ~あ♪」とやりたいというおっさんというのがいるみたいです。かつ、それが子供に対する態度とか思っている人もいるみたいです。
でも、違いますからね。子供はそういうことをされることを決して喜んでいませんからね。子供はそういうことをされるのを嫌がっていますからね。
旧姓作野礼子はそういうことをする父親がいるということがうらやましいそうで、そういう父親がいたということを「ありがたいと思いなさい」などと言うのでしたが、そういう父親がいるのが、そんなに「ありがたい」と思うのなら、あげるよお、ほんと。
(株)一条工務店の某営業所にいた時のこと、同じ営業所にいた某さん(男。当時、40代前半)が「しまった。うちのが作ったおにぎりを持っていたのに、忘れていて、他で食べてしまったな。これ以上、食べれないなあ。このまま、持って帰ったら怒るなあ」と言い、「〇〇さん、これ、食べない?」と私に言うので、「某さんの奥さんが愛情をこめて握ったおにぎりを私がいただくわけにはいきませんでしょう」と言ったところ、「愛情なんて、こもってないよ。憎しみがこもってるよ。怨念がこもってると思うよ。毒、入ってるかもしれないよ。食べてみて。毒、入ってないか、食べてみてよ」などと言うので、「またまた、そんなこと言って」と言うと、「本当だよ。怨念こめて握ってるから、毒入ってるかもしれないよ。食べてみて」とか言うのです。楽しそうに。「まあ、そういうことを言うというのは夫婦の仲がいいということなのでしょう」と言うと、「そんなことないよ。もし、あれ、欲しかったらあげるよ。要らない? あげるよ。遠慮しなくていいよ。欲しい? あげるよ」とか言うので、「ほんとにもう。そういうことを言い合いできるくらい互いに信頼しあってる夫婦ということなんですね」と言ったのだったが、どうも、40くらいになったおっさんというのは、こういうことを言いたがるおっさんが、けっこういるのだ(笑)
それで、「あげるよ」と言われても、そのおっさんの嫁さんをもらってもしかたがないのだが、もしも、旧姓作野礼子が、そんなにうちの父親がいいと言うのなら、「イライラっとしたらかけたんねん」と言って四六時中、電話してくるおっさんがいるとうれしいのなら、「お土産買ってくるからねえ~え」と子供に行って出かけて、毎日毎日、「ないわあ~あ♪」とやって楽しむ男がいるとうれしいのなら、「あげるよ」「要らない?」「冗談じゃなくて、本当にあげるよ」、ほんと。旧姓作野礼子さんに「イライラっとしたからかけたってん」と言ってかかってくる電話を「あげるよ」。欲しいんでしょ。そういう電話がかかってくると「恵まれてる」とか言うのでしょ。あげるよ、ほんと。遠慮しなくていいよ。あげるよ。「イライラしたからかけたってん」と言って四六時中、かかってくる電話をあげるよ、旧姓作野礼子さんに。「あなたのお父さんほどいいお父さんはないわよ」などと言っておっさんをおだてて、その結果、おっさんは「わしほどええお父さんはないねんぞお、わしほどお~お」と思うようになり叫ぶようになったのだから、そう思わせた女は責任とって、そのおっさんを引き取ってよ。「私は父親がいなかったから」と、「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」と子供に毎日やって楽しむおっさんがいるとうれしいのでしょ。過去に遡って引き取ってよ。・・それをしないのなら、勝手な口きくな、のぼせあがった口きくな、バカ教師。このブス!
「親の顔が見たい」という気がしますが、実物を見せられてもしかたがありません。どうせ、当人と似たような女なのでしょう。もしかすると、あんな性格しているから、男が嫌気がさして離婚したのかもしれません・・が、そこまで断定はしない方がいいのかもしれない。
もしも、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という娘というのが旧姓作野礼子みたいな人間だというのなら、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という娘というのは、「父親がいる」ということがどれだけ大変か、父親というものとつきあうのがどれだけ大変か、ということを理解できないバカ女症候群の重症患者であり、なおかつ「病識がない」人間だということであるならば、「両親が離婚した」「父親がなかった」娘というのは、人間として欠陥がある、ということになると思う。そんな「人間として欠陥がある」ような女に高校の教諭をされて、なおかつ担任まで持たれたら迷惑だ。だから、そういう女には高校教諭の資格は持たさないようにしてほしいように思う・・が、しかし、「両親が離婚した」「父親がいなかった」娘といっても、誰もが旧姓作野礼子みたいな人間かというと、そうではないように思う。まず第一に、「両親が離婚した」「父親がいなかった」娘が誰もが旧姓作野礼子みたいにそれを自慢しているかというと、自慢はしていない人の方が多いように思うのだ。
そういえば、旧姓作野礼子は私に「あなたはブンケー(経済学部)よ」「あなたはブンケーよ」と何度も何度も言い、私が経済学部だけは行きたいくないと思っているところに、なぜ、この人は行かせたがるのか、なぜ、この人は本人が何が何でもそこだけは嫌だと思っている所に行かせようとするのか、と思ったが、今から考えてみると、あのバカ女症候群は、単に生徒に敵対して親に加担することで、自分が親から「ええ先生やで、あの人は」「作野先生はさすがに北野高校でてられるだけのことあるで」「女でも神戸大でてるだけのことあるでえ」と言ってもらおうとしていたのだった。親にとっては息子の人生を踏みつぶすことで親の気に入るように動いてくれる人間だということで評価できる人間だったようだが、生徒の側からすれば、いない方がいい女だった。
柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で「能力的に優秀で人間的にも優れた教師というのは、多くの人間が考えているよりも、はるかに少ない」と書いていたが、今は私もその通りだと思う。まさにその通りだ。今から考えてみると、北野高校は行きたいと思って言った学校だったので合格した時はうれしかったが、しかし、北野高校の教諭というのは、ろくなもんじゃなかったなあ・・と思う。
・・あと、2項目述べるつもりだったが、今回はすでに字数が相当の量になったので、ここまでに留めて、次回にまわすことにする。
(2022.10.29.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。〔今回〕
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
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