「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。
[第607回]
北野高校は行きたいと思っていった学校だったので合格発表の時はうれしかった。又、森毅『数学受験術指南』・『元気がでる教育の話』(中公新書)などに述べられているようなものは、それから何十年か経ってもその校風は残っており、私はそういったリベラルな校風は好きだった。

数学受験術指南 (中公文庫) - 森 毅
慶應の体育の教授は・・これは1980年代に実際に「体育理論」という必修科目で教授(男性。40代なかばか後半くらい?)がお話しになったことですが「スポーツにとって何よりも大事な事というと、何と言っても『殴る』ということだ。最近、『殴っちゃだめえ』とか言う頭のおかしな人間がいるが、そういうおかしなことを言うやつはスポーツやるなってんだ。『殴らないスポーツ』なんて、そんなものスポーツじゃないじゃないか。殴ることこそスポーツなんだ、殴ってこそスポーツなんだよ。特に女子バレーが激しいんだけれども、女子バレーでは男性のコーチが女子選手の髪の毛をつかんでコートの中をひきずりまわしたりするんだよ。それがいいだよ♪ それが。それがスポーツの醍醐味てものなんだよ、それをやってこそスポーツなんだよ。それをだめだとか言うような頭のおかしなやつは一回、病院に入院しろお!」とお叫びになったが〔「あんたこそ、””入院””したらどないやねん」と私は心の中で思ったが・・逆らうと怖そうだったので言えなかったのは情けない
〕〔また、なんで、我々はこんな頭のおかしなやつのヨタ話を必修科目だとして強制的に聞かされなければならないんだ・・とも思ったし今も思っているが。「学問の自由」と「教授の身勝手」は同じではないはずだ〕、北野高校の体育のN教諭は「我々は犬や猫ではなく人間なのだから、人間である以上、殴ったり殴られたりして体を動かすものではないはずだ。殴られなくても自分で自覚して体を動かすことができるはずなんだ。それをできないようでは人間ではないし、スポーツというものは自分で自覚して体を動かしてやるものだ」と話されたものであり、「北野高校のスポーツ」と「慶應スポーツ」とはスポーツはスポーツでも真逆のものであり、私は「北野高校のスポーツ」には魅力を感じたし、上手いか否かにかかわらず、そのようなスポーツはやりたいと思ったものだったが「ほとんどサドマゾ」の「慶應スポーツ」には嫌悪感を覚えるだけで、少なくとも私の認識では「慶應のスポーツ」などというものはスポーツとか体育とかいうものではなく、むしろ、「慶應のスポーツ」は害があると私は認識している。こういうことを言うと「慶應心理学」から「受験勉強の悪影響ですね」とか「自我が確立されていないから、わざわざ無理して逆らっているのです」とか「思考の硬さが気にかかります」とか「モラトリアム人間病にかかっているからそういうことを言うということですね」とかなんとかかんとかくんとか「診断」されることになるだろう。「診断」されると次に「治療」される危険がある。怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖い怖い・・
何年か前、スポーツ新聞にSMクラブの広告が出ていて、そこに「M女の☆☆さん。体育会で鍛えられたので、どんな攻めにも耐えられます」なんて書かれていたが、なるほど、慶應タイプの体育会というのは「M女養成所」だったのか、なるほど。慶應の体育会の教授≒SM愛好家にとっては「『それをやっちゃだめえ』なんて言われたらスポーツやる意味がないじゃないか」というのは「『それをやっちゃだめえ』なんて言われたらSMやる意味がないじゃないか」というそういう意味だったのだ( 一一) もうひとつ、慶應体育会の「殴るの大好き人間」教授というのは、「殴る」のが好きなのか「殴られる」のが好きなのか?・・という問題があり、彼らは「殴られる」のが好きなのではなく、あくまでも「殴る」のが好きなのであり、これは慶應の内部進学の教授と学生に共通するものであり、なぜ、そうかというと彼ら慶應内部進学は常に自分たちは「殴る側」だと認識しており、そういう意識・そういう思考のことを「慶應心理学」は「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「診断」しており、それに対して「なんでやねん!」と言うと「自我が確立されていないから、そういうことを言うということですね」とか「受験勉強の悪影響ですね」とか「思考の硬さが気にかかります」とか「順応性に問題があると考えられます」とかなんとか「診断」される危険がある。慶應の内部進学の学生や教授は「外部の者を教育してやらんといかんからなあ」などと口にするのです。なんで、こんな程度の低い・教育されなければならない人間ども・反社の連中に教育されんといかんのじゃ、ええかげんにせんかい! と思いますが、彼ら慶應内部進学の意識・思想・世界観では常に慶應内部進学が中心であり、自分たちは常に「教育する側」「殴る側」であり、その思想・意識・世界観が「正常」であり「常識」だと彼らは認識しているのです。彼らの考える「正常」「常識」とはそういうものなのです。(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の遠州人は「宇宙の天体は浜松を中心として回転している」と心の底から信じていますが、それと似たところがありますね。
慶應体育会・慶應内部進学・慶應心理学は自分たちが中心で自分たちに都合がいいもの・自分たちを翼賛する者は「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」であり、それに少しでも異を唱える者・異なる主張をする者は「自我が確立されていない」「独立自尊の精神がない」「モラトリアム人間病にかかっている」「未成熟」とかになり、さらに「精神病質」とかさらには「統合失調症」とか「診断」される危険もでてきます。「診断」されれば次に、薬漬け療法とかでメロンメロンにされるとか(「薬物療法」)(「メロンメロン療法」)、「作業療法」で強制労働・無賃労働につかされるとか(当然のごとく労基法の対象外)〔⇒《YouTube-流刑人 - アレクサンドル・スヴェシニコフ指揮ソ連国立アカデミー・ロシア合唱団》https://www.youtube.com/watch?v=B7drh7esOiE 〕、言いくるめ療法・洗脳療法(「カウンセリング」)で洗脳されるとか、逮捕監禁療法(「入院療法」)で拉致監禁されて世間から隔絶されるとか、あるいは緊縛療法でベッドに緊縛されるとか・・怖いわ、こわいわ、怖いわ怖いわ怖いわ・・とされる危険がある

殺す側の論理 (朝日文庫) - 本多 勝一

転移と逆転移 (現代精神分析双書 第 2期第9巻) - H.ラッカー, 坂口 信貴
・・・うかつに口にすると何何療法とかされそうで大変怖いのですが、それでも私は言うが「殴るということこそ、スポーツなんだ」という「慶應スポーツ」と「我々は犬畜生ではなく人間であり、人間である以上、自分で自覚して体を動かすものであり、自分で体を動かしてこそ体育だ」という「北野のスポーツ」では「我々は犬畜生ではなく人間であり、人間である以上、自分で自覚して体を動かすものであり、自分で体を動かしてこそ体育だ」という「北野のスポーツ」の方が好きです。
『毛沢東語録』(河出書房新社)には「三大規律・八項注意」というものが掲載されていますが、その内容は、
殴らない、怒鳴らない。
捕虜を虐待しない。
婦人をからかわない。
人民からは針一本・糸一本とらない。
敵から奪ったものは公のものとするか分配する。
借りたものは必ず返す。
壊したものは必ず直すか弁償する。
・・といったものです。池波正太郎『鬼平犯科帳』に出てくる「本格の盗賊」の「つとめ(盗み)の三箇条」は、
命はとらない、
女をかどわかさない、
とられて生活できなくなる者からはとらない。
・・ですが、なんか似てますよね(^○^)
毛沢東は『体育の研究』(『毛沢東の体育の研究』ベースボールマガジン社 所収)で、それまで中国では、頭脳が優秀な人は体が弱い、体が頑丈な人は頭脳が弱いと言われてきたが、その考え方は間違いで、これからはすべての国民が自ら体を鍛えるスポーツマンであるとともに、自ら考える哲学者であるべきだという主張をしており、毛沢東自身も水泳、特に遠泳を好み、揚子江を泳いで渡ったとかいった話があったりしたが(もっとも、相当、高齢になった毛沢東が揚子江を泳いで渡ったという写真は毛沢東は健康であるとアピールするために揚子江の写真に毛沢東の頭の部分の写真を貼りつけた複製ではないかと言われたりもしたらしいが、そうであったとしても、国民に体育を勧め自身が水泳を好んだというのは虚偽ではないようだ。)毛沢東の体育と慶應の体育は体育は体育でも正反対、まったく質が異なるものであり、毛沢東の体育は北野の体育とは共通点がある。古来、日本でも、頭脳が優秀な人は体が弱い、体が頑丈な人は頭脳が弱いみたいに言う人もあったものの、他方で「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といった言葉もあり、それは「毛沢東の体育」や「北野の体育」と共通する考え方であったはずだ。「体育とはサドマゾだ」という「慶應の体育」というのは、私の印象ではそれはサドマゾであり病的だと思うのだが、うかつに口にすると、慶應内部進学に逆らうと彼らは「愛塾心」から即座に殴りかかってくるから、怖いこわい怖いこわい・・・

毛沢東の「体育研究」 (1964年) - 毛 沢東, 山村 治郎
「リベラル」という時、慶應の人間は「慶應リベラル」という言葉を口にするが、それは欺瞞である。「慶應リベラル」というのは塾風翼賛主義・塾風迎合主義のことを言っている。彼ら塾風ファシストからすれば本当に「リベラル」な者というのはどう言うかというと、彼らは「ラディカル」とか「共産党」と言うのである。「慶應リベラル」などというデタラメに騙されてはならない。「慶應リベラル」などリベラルではない。
又、他にも北野高校・大阪一中の出身者の著作では、野間宏『真空地帯』(岩波文庫)・『親鸞』(岩波新書)・『狭山事件(上・下)』(岩波新書)、川島武宜(たけよし)『結婚』(岩波新書)などを読んだが、『真空地帯』は名作であると思うし、他の著作についてももっともな論理のものが多い。こういうものを「リベラル」と言うのであり、「慶應リベラル」などというものは本来は「ファシズム」とか「反動」と言うべきものであり、あんなものは、ちっともリベラルではない。

真空地帯 (岩波文庫) - 野間 宏
しかし、どう考えてもいい学校ではなかったと卒業して十数年を過ぎて冷静に考えられるようになってから思えてきた。
大学進学については、もしも東大に行きたいという気持が強いならば、仮想受験校:京都大学の北野高校に行くよりも灘高校とか仮想受験校:東京大学の高校に行っておいた方が行きやすい条件があったと思われ、私はそのあたりについて十分に認識できていなかったが、北野高校の教諭にも認識できていない者が多かった。進学校の教諭のくせに、その高校によってカリキュラムや授業の内容・定期試験に出題される内容など京大に相関関係が大きい高校・東大に相関関係が大きい高校というものがあるといったそのあたりを認識できていないという人が北野高校の教諭にはいっぱいいたが進学校の教諭のくせにそのあたりを認識できていないのは情けない。
世の中には「京大より難しいのが東大」みたいに思っている人がいるがその認識はあまり正しくない。少なくとも、私が高校を卒業した頃、1970年代後半からしばらくについては、京大(京都大学)と阪大(大阪大学)は比較的、試験科目と配点が似ていて、出題傾向も比較的似ていたのに対して、京大と東大は試験科目も異なり配点も異なり、出題傾向も特に社会科は東大では「論述式」の問題が出たという点で大きく違ったので、京大・阪大の問題なら相当高得点を取れる人でも東大の問題ならあまりいい点数を取れないという場合があったはずだ。
十年くらい前だったか、ラジオの野球中継を聞いていた時、横浜対どこそこ の試合で終盤、横浜の救援投手に横山投手だったか、ストレートとフォークボールが相当いいという投手が登板した時、解説者の落合が「私はこういう投手は好きですね」と話したことがあった。「球種はストレートとフォークボールの2つしかないけれども、その2つが相当いいという大魔神 佐々木の小型みたいな投手ですね。こういう投手はね、ストレートかフォークボールかどちらか片方に絞るんです。それで、もしも、狙っていた方と違う方の球が来た時には、その時には『ごめんなさい』と、そう言うしかないです。それでだめだと言われても、プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙っても絶対に打てるわけなんかないのだから。それでもだめだと言われるなら、俺みたいな人間を打たせる者が間違ってるんだと考えるしかないですよ」と話していたことがあった。それといくらか似たところがある。東大と京大と両方同時に狙ったら、もしも片方に絞ってやったら通るものでも落ちてしまう・・ということがある。但し、「プロの投手の投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙う」というのと「東大と京大を同時に狙う」というのはまったく同じということでもなく、「プロの投手の投げるストレートとフォークボール」はまったく異なるらしい(「らしい」というのは私はプロの野球選手でも何でもないので、落合がそう言うのならそうなのだろうということで「らしい」)が、東大の入試問題と京大の入試問題は相当異なるけれども共通点もあるので、片方に絞って学習した人の中には、その共通する部分において相当の高得点を取れるようになる人も出る可能性があり、共通する部分で相当の高得点を取れるようになった人には狙っていた方と異なる方を受けたとしても合格できる状態になる人というのも出る可能性はあるだろう。しかし、それでも、どちらか片方に絞ってやるようにした方が作戦としていいと私は思う。「両方同時に狙う」というのと「片方に絞って学習した人で、共通する部分について相当の高得点を取れるようになった人が他方でも合格できる可能性が出てくる場合がある」というのは意味が違うと思う。
1970年代後半、高槻市の現在では大阪医大本部北西部キャンパスになっている所にあったYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからない職種についていた藤井という男が「YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れたらどこの大学学部の試験でもいい成績を取れる。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかったらどこの大学学部でもいい成績は取れない」と言うので、私が「そんなことはない。模擬試験によって相関関係が大きい大学学部とそうでない大学学部がある。ある大学学部に合格できそうな点数を模擬試験でとれた人でも他の大学ではそうではないという場合がある」と言ったところ、「いいや、そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験は東大でも京大でも絶対的な相関関係がある」と言い、さらに「きみみたいな上司に逆らう男は会社員としては絶対にやっていけないから、きみは絶対に経済学部は受けてはいかん」などと言ったのだった。何をぬかすか、このアホンダラ! おまえこそ、「会社員としてやっていけない」人間だったから勤めていた会社をやめた末、「洗礼」受けることでYMCA予備校で雇ってもらって勤めたのだろうが!〔 YMCA予備校の職員は採用してもらう条件として「洗礼うけていること」というものがあるらしく、それゆえにYMCA予備校で雇ってもらうために洗礼うける人もいるようだ。キリスト教系の学校には推薦入学で入れてもらうための条件として「洗礼うけていること」というのがある学校があり、そのために洗礼うける人がいるらしいが、それと似た感じであり、YMCA予備校の問題点として、予備校職員としての能力よりも「洗礼うけていること」が優先されることから、私ならば洗礼というものを受ける場合には、はたして自分はキリスト教の洗礼を受けて「クリスチャン」となっていいものだろうかと考えて考えてした上で判断して洗礼を受けたり受けなかったりするものだが、そうではなく、洗礼うければ同志社大学とかに入れてもらえるのなら受ければいいじゃないかと『聖書』なんて読んだこともない人で洗礼うける人がいるようだが、藤井もまた「『聖書』みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん! 『聖書』みたいなもん決して読んではいかん! ましてや、そこに書かれていることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。『聖書』みたいなもん、読まんでも、洗礼うけて日曜ごとに教会に行って礼拝にでて献金払っておけば、それでええことなんや。『聖書』なんて絶対に読んではいかん!」と毎日、叫んでいる男であり、それを「伝道活動」と考えている男だった。「敬虔なクリスチャン」という人間にはそういう人間が大変多い! だから、私は「敬虔なクリスチャン」というものが大嫌いなのである。藤井はそのようなタイプの「敬虔なクリスチャン」であり、キルケゴールであったり内村鑑三であったり、そういった人たちとは正反対の人間であったが、YMCA予備校というものは、そういう人、「『聖書』みたいなもん、ええことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん」「『聖書』みたいなもん、絶対に読んではいかん」と思っている人で、かつ、それを口に出して何度も何度も大きな声でひとに言いまくる人であって、「洗礼うけて日曜ごとに教会に行って礼拝に出て献金はらっておけばそれでええねん」と心から思っている人、洗礼うけたらYMCA予備校で採用してもらえるなら洗礼うければいいじゃないかという洗礼を受ける人というものを採用条件としていた予備校であったから、だから、職員はそういう類の人が多くなるようだった〕

( ↑ 大阪府高槻市八丁西町5。 大阪医科大学 本部北西キャンパス。かつて、YMCA予備校高槻校があった所。)

人と思想 19 キルケゴール - 工藤 綏夫
私は実際に高校卒業する年に大学受験を経験した上でその経験の上から言っている。それに対して、藤井は亜拓大東帝国あたりしか出てない男がデマカセで言っているだけであり、デマカセを頑固に主張しないとおれないというあたりが「敬虔なクリスチャン」なのかもしれないが、そういう「信仰」に生きる人というのは、そういう信者ばっかり集まって儀式でもやっておいてもらいたいものだ。そもそも、「きみのような上司に逆らう者は」などと勝手なことを言うが受講生はYMCA予備校の事務職員の部下じゃねえぞ! 受講生とYMCA予備校の事務職員とでは、どっちがカネ払ってる側かというと受講生の方がカネ払ってる側であり、YMCA予備校の事務職員が受講生にカネ払ってるのではないのである。その程度のことすらもわからないような人間だから、だから、藤井は前職の会社でうまくいかなかったのではないのか!・・と思う。私に対してと同様のことを藤井から言われた受講生は他にもいたようで、そして、私は藤井からそういう口をきかれても、「何をぬかすか」と思っても「我々はあんたの部下じゃないよ。我々はあんたから給料もらってないよ。あんたこそ、我々受講生が払ったカネから給料もらっているのでしょうよ」とはっきりとは言わなかったが、言った人もいたようで、その後、藤井はK-1 クラスで全員を前にして、「ぼくらはきみらからは1円としてカネもらってないんやからな。ぼくらはあくまでも、きみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんやから、勘違いしたらあかんぞ。ぼくらは、きみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんやからな」と公言したのだった。受講生のために働く筋合いはないと言うのなら、そんな予備校と予備校職員に何の価値があるか。何の価値もないではないか。しょせんは「その程度の男」だったのだろうけれども、うちの父親は「ぼくらはきみらからは1円としてカネもらってないんやからな。ぼくらはあくまでも、きみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんやから、勘違いしたらあかんぞ。ぼくらは、きみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんやからな」と言ったという話をうちの父親は聞いて、「ええ~えこと、言いはるっ♪ そうや! その通りや! 親がカネはろうとるんや。親のために働く筋合いはあっても、おまえのために働く筋合いはないんや♪」と言って大喜びしていた( 一一)・・・が、アホな親だと思う( 一一)
YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井という男は「ぼくは早稲田の政経でてるんやけどな」と毎日、最低3回は口にしないとおれないという病癖のある男で、「もう、それ聞いたよ」とうんざりしたものだったが、あれは学歴詐称だと思う。実際に藤井が卒業した大学は亜拓大東帝国あたりではないか、と思う。その程度のところ卒の人だろう。それに対して、YMCA予備校で「古文」を教えていた常勤講師の山之内というおっさん〔 YMCA予備校は京大・阪大の大学院生や助手、及び、京阪神圏の私立大学の教員をアルバイトの講師として雇って、答え合わせみたいな授業をさせていた。アルバイトの講師というのは、たとえ人柄は悪くない人であっても「しょせんはアルバイト」のようなところがあり、「答え合わせ」みたいなものは講師にしてもらわなくても答えが書かれている問題集は市販されており、結論としてあまり意味はなかったが、山之内のおっさんはYMCA予備校の「古文」の講師を本業としてやっていた。「常勤講師」と表現したのはそのことから「常勤」と表現した。〕は「北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教師」と自称していたが、おそらく本当だろう。本当だろうけれども、しかし、「この人、堕落してるなあ」という印象を受けた。「堕落している」というのは何か犯罪を犯したとかそういう意味ではなく、けっこう年配の人で、若い頃はもっと覇気もあったのかもしれないが、自分ではわかってないかもしれないが、「全盛期を過ぎている」という印象があった。野村じいさんはヤクルトの監督を9年やって、それまで1回しか優勝したことがなかったヤクルトを、そのうち4回優勝・3回日本一にしたが、そのまま、あと3年でもヤクルトの監督をやっておれば最低でももう1回くらいは優勝できたのではないかという感じがしたのにヤクルトの監督をやめて、その頃、長期に渡ってCクラスを続けていた阪神の監督を引き受けたが、阪神の監督になったら、どよお~ん・・となって負けるたびに誰が悪い誰が悪いと、悪い選手の名前を片っ端からあげて、又、「これまでの監督は何やっとったんや」と「これまでの監督」を批判して自分が悪いのじゃないと言い訳ばっかりして・・、ヤクルトの監督の時はいい監督だったのになあと思い、がっかりしたものだったが、野村じいさんが他界した後、「野村の教え子」のひとり、江本が阪神の監督だった時の野村に「旬を過ぎた監督の悲哀」を感じたとどこだったかで述べていたが、そうこともあったかもしれない。野村じいさんについては、それでも、そのままヤクルトの監督をあと3年やっておれば、あと1回以上優勝できて、そこで辞めれば「名監督」と言ってもらって残りの人生は大きな顔をして悠々自適の生活を送れるところを、それをあえて優勝できる可能性があるチームの監督をやめてCクラスのチーム強くしようと連年Cクラスのチームの監督を引き受けたというその点を評価したいと思うが、それはさておき、「この人は旬を過ぎている」と感じる人というのは世の中に実在する。山之内さんも、若い頃はまた違ったのかもしれないがYMCA予備校高槻校で見た時点においては「旬を過ぎた人」という印象が現実にあり、大学入試に対してやることがトンチンカンというのか「ピントがずれている」といったところがあり、なおかつ、本人にその自覚がなかった。江本が阪神の監督だった頃の野村に「旬を過ぎた人の悲哀」を感じたというが、山之内さんもそういう「旬を過ぎた人の悲哀」のようなものにあえいでいたところがあったのではないか。
山之内さんは4月だったか5月初めだったか、京大東大文系クラスの受講生を前にしてこう言ったのだ。「最低で京大。うまくいけば東大。さらに行けば、亜細亜大だあ~あ♪」と。最後の「さらにいけば亜細亜大だあ」というのは冗談のつもりだったのだろうけれども、「最低で京大。うまくいけば東大」というそういう考え方は間違いだ。そうではなく、落合が「プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙ったって打てるわけないんだから、どちらか片方に絞って、狙っていた方と違う球が来た時には、その時には『ごめんなさい』と、そう考えるしかない」という考え方、東大か京大かどちらか片方に絞って学習するという学習法をとった方がうまくいく。手ごわい相手を「両方同時に狙う」と片方に絞ってやれば通るものを落ちたりすることがある。今から考えるならば、山之内さんは「北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教師」なのに、こういうことがわからんのか・・と思うが、わからんかったようだ。
北野高校の教諭どももまた、進学校の教諭の仕事についているならば、そのあたりを認識できているべきであるが、実際のところ、北野高校あたりから現役で京大もしくは阪大あたりに合格して行って卒業した人間には「なぜ、合格したのかわからないうちに合格してしまった」みたいな人が現実にいる。
又、高校教諭の仕事にありつくには「高校教諭の国家資格を取得すること」と「実際に高校教諭として採用されること」の2つが必要になるが、進学についてはその2つ以外に「自分自身が高校生ならば、いかにして合格してみせるか」ということを常に考える姿勢があるか、という3つ目が必要であるはずだが、中には前の2つは満たしていても、自分自身は《「十大国立大学」(旧帝大系国立大学+一橋大・東京工大・神戸大)+早慶》あたりなんか受けたこともないのに進学校の教諭になっているという教諭もおり〔「日本史」担当の大谷などはそれだろう〕、そういう人が「大学はどこでも一緒や」とかなんとかかんとか、ぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ言いまくるしか能がない、たしかに東大に通ろうが京大に通ろうが自分がそこに合格したならどこかで誰かが落ちているということであり、そのこと自体は世のため人のために何かやったわけでも何でもないが、それでも、高校の教諭ならば目の前にいる生徒に合格させてやりたいと考えるものではないのか!?!・・と思うだが、大谷などは逆で「目の前にいる進学校の生徒」というものに対して敵意のようなものを持っている。《「進学校の生徒」というものに敵意を持っているが高校の教諭はやりたい》という人は進学校でない高校の教諭になった方がいいと思うのだが、ところが、「進学校の生徒」というものに敵意を持っているにもかかわらず進学校の教諭になりたがる人というのがいるようなのだ。私は、もともと、私立受験校というものをあまりいいと思っていなかった人間で公立進学校の方がいいと思っていたが、《「進学校の生徒」というものに敵意を持っている高校教諭》というものは、私立受験校の場合は排除されている場合があるのに対して公立進学校ではそのままそこにいるということがあるようだ。
自分自身が京大・阪大あたりに合格して卒業した人であっても、自分がその大学を受けた時はその大学の入試に合格するだけの姿勢があっても、卒業して高校教諭の資格を取得して高校教諭の職につくとともに高校生・大学受験生の意識は宇宙のはてまで飛んでいってしまった、「もし、次回の入試で◇◇大学☆☆学部を受けるとすれば、私ならこうする」というものを、私が高校教諭になっていたならば考えるし、その認識から考えて、どうも、とんちんかんな努力をしていると思われる生徒がいたならば、「私はこう思うが・・」という意見を言ってあげることだってできるが、北野高校の教諭にはそういった思考がまったくない人がいた。 YMCA予備校で「古文」を担当していた「北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教諭」だという山之内という「古文」担当のおっさんを見て「この人、堕落してるな」と思ったことがあったのだが、「堕落してる」というのは何か犯罪を犯したとかいう意味ではなく、自分自身が京大を受けた時には「どうすれば通るか」といったことを考えてやっていたかもしれないが、もう、1970年代後半、YMCA予備校の講師をやっていた時点においては、そういう思考能力は相当低下していると思えたのだ。山之内さんは自分がそういった思考能力が低下している点について自覚がなかったものの、受験について考えようという意識までなかったわけではなかったと思うが、北野高校の教諭には意識もなかった人がいたのではないか。
元西武ライオンズ監督の広岡は解説者としても鋭い指摘をするところがあり、特に、テレビで「キャンプ探訪」とか言って解説者が各チームのキャンプを見て報告しても、当たり障りのないことを一通り言うだけであることが多かったのに対して、1987年春、「プロ野球ニュース」で「新外国人研究」だったかで、各チームのキャンプを見てまわり、南海ホークスについて「南海は新外国人のハモンドは、どちらかというと流すタイプの選手のようです」と言っただけで、新外国人選手と関係ないにも関わらず「それよりも、ベテランの門田が今年は相当いいですよ」と言ったので、それまで、門田は何年間か成績が低迷していて、もう、門田はそろそろ終わりかな・・と思っていた者からすると「何、言ってんの」と思ったら、その年、門田は復活して3割・31本打ち、翌年1988年は3割・44本・125打点で本塁打・打点の二冠王、あと一歩で三冠王という成績をあげた。成果が出てから言うのではなく1987年の春にそれを指摘したのは広岡ひとりだけだった。広岡はたいしたもんだなあと思った。
野村じいさんが『功なき者をいかす』(カッパブックス)だったかで書いていたが、1997年、ヤクルトが優勝した年、最終的に2位になった横浜ベイスターズは前年の5位から旧躍進し、終盤、首位のヤクルトに猛追したが、野村じいさんが書いていたものによると、「メークドラマ」「メークミラクル」などと言って巨人が挽回するとか言う者がいたが長嶋の采配ぶりから見て「何をぬかすか」と思っただけで、後半になって追撃してくる相手は広島だと思っていたところ、広島ではなく予想外に横浜が急迫してきて、これには一瞬、冷やっとしたが、前年5位だった横浜(第1次大矢監督の2年目)が首位を追撃しての2位になったというこの躍進について「解説者」で誰ひとりとして予想する者がなかった、というのはどういうことなんだ! ひとりとして予想できなかったというのは、それで解説者と言えるのか、と書いていたがもっともだ。その点、広岡はそれまでの数年の成績と年齢から考えて「もう、門田はそろそろ終わりかなあ」という感じだったものを門田が実際に成果を出す前に「今年は門田が相当いい」とシーズン開幕前に特に予言したわけで、他の解説者とは違うという感じがした。・・しかし、だ。片方で感心しないところもある。それは、

功なき者を活かす―リストラ時代の人材活用法 (カッパ・ブックス) - 克也, 野村, 哲也, 筑紫
これは、漫画家の やく みつる が書いていたことだが、テレビだかラジオだかに「ゲスト」「ゲスト解説者」ではなく「解説者」として広岡が出ていた時、「私はこの選手はよく知らないですねえ」と当たり前みたいにえらそうに言いよったというのだ。「バカか、こいつ。ゲストで呼ばれているのじゃないだろ。ゲストで呼ばれて出た場合なら『この選手は私はよく知りません』と言っても悪くないとしても、解説者を職業としてやっている以上、どういう選手かあらかじめ調べておいて『よく知らない』一般ファンに説明するのがプロの『解説者』で、それが『解説者』の仕事だろうが。それを『この選手は私はよく知りませんねえ』とえらそうに言うというのは、それでは『私は真面目に仕事をしていません』と宣言しているのと一緒だろうが!」と言うのだったが、私も やく みつる が言っていることはもっともだと思う。もしも、現役のあるチームの監督がオールスター戦にその監督が監督・コーチとして出ていない時や日本シリーズにその監督のチームが出場していない時に「ゲスト」「ゲスト解説者」として呼ばれたという場合であれば「私はこの選手はよく知らないですね」でもいいとしても、いったん、監督をやめて「解説者」というものを本業としたならば、「私はこの選手はよく知らないですねえ」などというのは、それは「私は真面目に仕事していません」と宣言しているのと一緒だろう。・・そう思ったら、最近、YouTube で里崎チャンネルhttps://www.youtube.com/results?search_query=%E9%87%8C%E5%B4%8E%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB を見ていたら里崎金太郎が「俺ほど野球の試合を見まくっている人間はいないからね。絶対の自信がある」と言っていたが、そうなの?・・と思っていたら、野球系ユーチューバーの人の動画で、2022年の解説者の順位予想採点というものを公開していた人がいて、セリーグについては「完全に全部はずした人」というのがいる一方で「ほとんど全部あてた」のが里崎だったらしい。自分で言うだけのことはある・・と思ったがパリーグの方は相当はずしたらしい。・・里崎金太郎がどうかはさておき、現役の監督が「ゲスト」として呼ばれた場合なら「私はこの選手はよく知らないですねえ」でもいいが、「解説者」を職業としたなら「解説者」としての仕事をしないといけないし、里崎が「監督・コーチの方が解説者より上だと思っている人がいるけれども、里崎はちっともそんなこと思っていない。解説者は監督・コーチより下じゃない」と言っていたが、それももっともで、「解説者」としての仕事をやれ・・という視点から考えるならば、元監督として相当の成績を残した者ならば「解説者」の仕事につかせてもらえて、そして、「元監督」として相当の成績を残した者だからという理由で特に「解説者」としての努力をしなくても評価されるだろうみたいに思うなら、それは間違いで、「解説者」としての努力が必要なはずだ。同様のことが高校教諭にもあると思うのだ。時々、自分は現役で東大に通ったとか、現役で京大に通ったとか(時として浪人して京大に通ったとか)で、それゆえに、高校教諭になったあかつきには「勝ちは自分の勝ち、負けは生徒の負け」として一生、悠々自適の生活を送る権利がある・・みたいに思っているような人がいる。北野高校で「漢文」を主として教えていた「国語」課の教諭の藤尾なんかは東大文学部卒ということで「初日に勝ったことで、残りの14日間も勝ったみたいに勘違いしている相撲取り」みたいなところがあり、その類だったのではないかと思う。初日に勝ったからといって2日目にも勝てるとは限らないのだが、わからん人はわからんようだ。「勝ち逃げ」みたいなことをやろうと思っても、会社員とか「普通の仕事」、《学校でやってきたことが職場で役に立たないわけではないが「そのまま役に立つ」というわけではないという仕事》についたら一般にそうもいかないのだが、高校の教諭とかになった場合には、一生、「東大文学部卒」で「勝ち逃げ」できてしまうみたいなところがあり、高校教諭というのは、その点において問題がある。
大学は合格した方がいいか不合格の方がいいかと言えば合格した方がいいに決まっている。しかし、元大関朝潮・元高砂親方・「大ちゃん」が朝青龍を指導できないのは元横綱ではなく元大関だからではないかと言われた時、元朝潮・「大ちゃん」が「元大関の親方が元横綱の親方に劣っているということはない。元横綱の親方というのは、たいてい『達成した』という意識でいる。それに対して、大関にまではなれたが横綱にはなれなかったという親方は、なぜ、横綱になれなかったのだろうか、どこが悪かったのだろうか、どうしたら横綱になれたのだろうか・・と力士を引退した後も、いつまでもいつまでも考え続ける。考えるなと言われても考えないでいることはできない。その気持ちを弟子の指導にぶつけるから、だから、成果が出る。だから、元大関の親方が元横綱の親方に劣っているということはない」と話したという話がスポーツ新聞に載っていたのを見た。私にしても、今でも大学入試を受けている夢を見ることがある。又、入試の後、あそこで何点とれた、ここは間違えた・・と点数を計算している夢を見ることもあり、合格発表を見に行く夢を見ることもある。そういう夢を見たのは一度や二度ではない。合格発表を夢の中で見に行った時、いつ見に行っても自分の受験番号がないのだ。捜しても捜してもないのだ。さっさと東大なり京大なりに現役で通って行った人間、浪人しても行きたいと思った所に1浪で行った人間はこんな夢なんて見ないでしょう。こういう思いを常に持っている人間とそうでない人間ならば、こういう思いを持っている人間の方が高校生や大学受験生の大学受験の指導においてはいい成果を出せたとしても、それは考えられる話だと思う。「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったに、大王製紙の2代目の社長は北野高校から東大を受けたが合格することができず、息子には何が何でも東大に行かせてやりたいと思い、そして、息子は筑波大付属駒場高校から東大に通って行ったらしい・・が、それが三代目社長を継いだものの、ラスベガスのカジノでしょーもないことしいやりよったああ~あ・・あ~あ・・という記事が載っていた。立場が高校の教諭なのか予備校の講師なのか、親なのか、どの立場であっても、自分が受けるのではなく指導する立場になった場合に、「通った人間」と「落ちた人間」で「通った人間」の方が常に良い成果を出すとは決まっていない。
『あしたのジョー』では元ボクサー 丹下段平はボクサーをやっていた時に試合で片目を傷めてボクシングを続けることができなくなって引退したが、引退後、「流れ流れて」山谷のドヤ街にまでたどりついたが、若い男を見るたびに「おい、若いの。ボクシングしねえか。俺が指導してやる。俺が指導してやれば世界チャンピオンになれる。ボクシングやってみな」と誘いかける。山谷のチビどもはそれを見て「拳キチ(拳闘きちがい)のおっさん、また、若い男にボクシング誘ってやがる。若い男なら誰でも世界チャンピオンになれると思ってやがる。頭おかしいのじゃないかあ」と言ってみんなで笑う。その丹下段平の前に現れたのが矢吹丈だった。「こいつだ。俺が捜していたのは、こいつだ」と・・。
※ 《YouTube-14 ジョーの子守唄 [Joe's Lullaby - Long Version]》 https://www.youtube.com/watch?v=IEY-gC7tqXs
北野高校の教諭には、元大関の親方が「なぜ、だめだったのか」「なぜ、横綱になれなかったのか」「どうしたらなれたのか」といったことを考えないとおれない、そういう気持を生徒の指導に役立てるなどという姿勢は微塵も持たず、「勝ち逃げ」により「勝ちは教諭の勝ち、負けは生徒の負け」にして悠々自適の生活を送る権利を得たみたいな意識の人がいたように思う。それも、1人ではなく何人もいたように思う。そんな人というのは「その程度の人」だと思うが、そういう人が何人もいたように思う。
それから、北野高校の良くない点として「入学時点において3種類の入試基準があった」という点がある。大阪桐蔭高校は片方でスポーツクラスの野球部は毎年のように甲子園の全国大会に出場して何度も優勝していて、いまや、高校野球において一番強い高校になったが、他方で進学クラスからは京大・阪大に毎年、何十人かの合格者を出す高校になったようだが、進学クラスとスポーツクラスとそれ以外クラスは入試が違うようで、入学後も同じ名前の高校に3コースあるようだ。栃木県佐野市に佐野日大高校という高校があり、地元の人間の話によると、かつては「自分の名前を書くことができれば合格」という高校だったらしいが、今では、野球部は時々、甲子園大会に出場し、同校出身のプロ野球選手もいたと思うが、片方で年によっては東大に1人か2人、合格者を出したりしているが、ここもまた、スポーツクラスと進学クラスと何クラスだかいくつかに分かれて入試がおこなわれていて、入学後も同じ名前の高校でも内容は違うらしい。
北野高校はそれと似たところと違うところがあった。私立大学のラグビー部の監督をやっていたうちの母方の叔父というのは、どうも、私と関係があるものをけなしたがるおっさんで、1990年代、私が(株)一条工務店に勤務して福島県いわき市の営業所にいた時には、うちの母親に「いわき に磐城高校という進学校があるやろ。あそこからでも、うちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来るやつおるねんでえ」などと、「だから、なんやねん」ということを言ってきたことがあった。磐城高校というのは福島県では郡山市の安積(あさか)高校・福島市の福島高校とともに福島県の公立進学校として評価される高校で、いわき市においては「しょーもない私立大学」卒よりも磐城高校卒の方が高く評価されるという「名門」公立高校だけれども、実際のところ、「地方の進学校」というのは東京圏の進学校・関西圏の進学校と比べると「たいした進学校ではない」という場合が多く、又、磐城高校の周囲には磐城高校に通学するための下宿屋が何軒かあったが、福島県浜通り地区から磐城高校に通おうと思うと自宅から通学するのが困難な地域があり、そういう所の住人の息子には磐城高校に下宿して行くくらいなら、東京の開成高校とかに下宿して行った方がいいと考えて東京で下宿して私立受験校に進学する人が最近は出てきて、かつてに比べて進学成績は低下してきているとか言われていたが、そういう高校だから、片方で東大に進学する人がおり、又、最近では東大は「私立受験校の人の行く所」みたいになってきたことから東大ではなく「公立進学校の人間の行く大学」たる京大を目指す人も出てきたらしいが、大阪経大みたいなもんに行く人だって中にはある、ということだろう。・・それはわかったが、「だから、なんやねん」と思うのだが、私がいわき市に住んでいたなら「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」みたいにいわき市の高校までそれでけなしているつもりらしかったが、「変なおっさんやなあ」と思うが、そういうおっさんやった。 その叔父が「北野高校卒でも、うちの大学(大阪経済大学)に来るような女の子がおるねんで」などと、うちの母親に言ってきたことがあったのだ。本当に「おった」のかどうか、知らんけど。あのおっさんの言うことやから、どうせ、ええかげんやろうし。
そもそも、北野高校というのは府立高校で、大阪府の府立の高校というのは、戦後、学校教育というものは男女共学であるべきだという考え方から府立の高校は共学になり、戦前は男子校だった北野高校(旧制 北野中学校)は女子校だった大手前高校と生徒を半分半分入れ替えて互いに男女共学になったのだが、その後、男女共学を維持するために、入試は男子生徒の合格基準と女子生徒の合格基準は大きく異なるようになったのだ。今はあまり言わないかもしれないが、1970年代、私が北野高校に進学した頃は「女性は北野高校に行くと婚期が遅れる」などという話もあり、「男なら北野高校に行って京大でも行けばいいけれども、女の子が北野高校になんか行ってもしゃあないやろ」と思う親も少なくなく、その結果、北野高校は女子の応募者が少なく、男子は大阪府の公立高校の中では一番、入試難易度が高い高校だったけれども、女子は無試験用高(むしけんようこう)、「受けさえすれば誰でも通る」高校だった。〔「むしけんようこう」は具志堅用高とかけたものだ。〕
「何点で通るかよりも、ぎりぎりでも通ればええ」という考え方は、それは、ぎりぎりのあたりの人間の思考だ。大学入試においては、別に一番で通る必要はない。もしも、一番で通ったなら学費免除とか、そういった特典でもあるならともかく、そうでなかったなら、大学入試においては合格最低点を上回ればそれでいいのだ。むしろ、必要もない高得点を取ろうとすると「体調崩す」ようなところがあって良くない。1989年、藤田元司が2度目の巨人の監督に就任した時、読売新聞のスポーツ欄で「ボロ勝ち、競り負けは弱いチームのやること」と書いていたが、大学入試においても「ボロ勝ち」する必要はない。合格最低点を上回ることができるかどうかのみが重要である。野球のホームランというのは外野のフェンスを越えたらホームランであり場外ホームランを打っても余計に点が入るわけではない。大学入試においては「いかにして、より高い確率で合格最低点を上回る点数を取れるようにするか」であり「合格最低点よりさらにより高い点数を取るか」はどうでもいいことだ。ハードルと走り高跳びは見ていると似ているように見えるかもしれないが「速く飛ぶことに意義がある」ハードルと「高く飛ぶことに意義がある」走り高跳びは性質が違う。大学入試はハードルか走り高跳びかというとハードルであるから、高く飛ぶ必要はない。しかし、高校入試においては少々意味が違う。
1970年代、灘高校卒の人から聞いた話なのだが、灘高校というのは最近では東大などに何人も合格者を出す受験校になってきているけれども、私立なので、毎年、「裏口やな」とわかる人がいるらしいのだ。そういう人は灘高校から東大に何人も合格したとしても東大に合格することはできない。青山とかそういう私立大学に行くことが多いらしい。最近は女性でも東大に行ったり京大に行ったりする人が増えてきたので私が高校生だった頃とは違ってきているかもしれないが、北野高校の場合、女性で北野高校に入学する人には男性であったとしても合格できた成績で入学した人と、そうではなくて、男性なら合格できない成績だが女性だったから合格できて入学した人とがいた。 もうひとつ、大阪府立の高校は内申書というものを高校に提出して、内申書の成績と入試当日の筆記試験の成績をミックスして合否が決められ、数学・英語・国語・理科・社会科の5科目は内申書の成績と当日の筆記試験を4対6の比率だったかで合算し、音楽・美術・技術家庭・保健体育の4科目については内申書の成績そのままでのものを成績として、それを9科目合算して合否を決めていたのだが、内申書の成績というのは10段階相対評価だったので、相対評価であるからには学力水準が高い中学校の生徒はいい成績になりにくく、学力水準が低い中学校の生徒の方がいい成績になりやすく、その結果、当日の筆記試験の成績が下の成績の生徒でも学力水準が低い中学校の卒業生は合格になり、学力水準が高い中学校の卒業生は当日の筆記試験の成績が良くても不合格になるということがあった。一般に、豊能地区と淀川地区では豊能地区の方が学力水準は高かったが、私が卒業した中学校は豊能地区の中学校の中でも学力水準は高い方の中学校であったらしい。だから、北野高校に入学して第一学期の中間考査の後の懇談の時に、うちの母親は担任だったO先生から「入学試験の時の成績から考えるなら、もしも、入学試験の成績の学年順位のまま、3年の終わりまで行ったとして、実際には学年順位のまま合否が決まるわけではないけれども、もしも、その順位のまま合否が決まるとするならば京大に合格できる成績です」と言われたということだったが、それは比較的学力水準が高い中学校の卒業生が北野高校に入学した場合は、そのような感じになる、ということだ。
それに対して、比較的学力水準が低い中学校から北野高校に入学した人の場合はその逆になる。だから、私が行った頃の北野高校というのは、入学時点において、(1)比較的学力水準が高い中学校出身者、(2)比較的学力水準が低い中学校の出身者、(3)男性ならまず合格できない成績で入学した女子生徒、この3種類の生徒が混在していて、この3者は異なる基準で合否を決められて入学していた。もうひとつ、(4)灘高校とか私立受験校を受験して落ちて北野高校には通って入学したという人がおり、私などは中学生の時には北野高校に魅力を感じていて、もしも北野高校と灘高校の両方を受けて両方に通ったならば、当然、北野高校に行くと考えていたが、灘高校を落ちて北野高校には通って入学した人の場合は、灘高校など私立受験校とそこの生徒に対して事大主義というのか、自分たちは灘高校などの生徒よりも下だ、北野高校の生徒は灘高校の生徒よりも下だという意識が相当強烈に持っていたようで、そういう人は私などとはちょっとタイプが違ったようだった・・が、このタイプの人は入試の合否基準が特に違ったわけではない。 (4)は別として(1)~(3)については入試の際に異なる合否基準によって入学してきた人であったが、大阪桐蔭高校や佐野日大高校とは違って同じクラスにいて同じ授業を受けていたのだった。女子生徒の場合には(3)の人がいたと同時に(1)と(2)の人もいただろう。
そこで、だ。この(3)のタイプで入学した人と(1)のタイプで入学した人では入学後の成績も違えば、卒業後に合格できる大学もまた変わってくる。本当にいたのかどうか知らんが、灘高校に裏口入学した人は正規の入試に合格して入学した人と同じというわけにはいかないのと同様に、(3)のタイプの人は(1)の人間と同じというわけにはなかなかいかないから、中には、あまり評価が高くない大学とかに行く人もいたということは十分に考えられる。だから、本当にいたのかどうか知らないが、「北野高校の出身でもうちらの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来る女の子がおるんやからなあ」とうちの叔父が言ってきたのだったが、いたとしてもそうおかしくはない。あり得る話である。・・で、だから何やねん? ・・てものだが、何を言いたいのかよくわからんが、そういうことを言いたがるのがラグビー屋やっていたうちの母方の叔父だったのだ。あのおっさんを見て、ラグビーやると頭が悪くなるみたいでいやだなあ・・と思うようになった( 一一)
しかし、(3)の人が(1)の人間と同じ高校に行ったとして、はたして、それがいいのか? 女は受けさえすれば誰でも通るとしても、男は大阪府で最難関の高校に、男だったら3番手校か4番手校くらいにしか行けない成績もしくはそれ以下の成績の女子生徒が女なら合格できるからと大阪府で最難関の進学校に行ったとして、はたして、いいことあるのか? ・・・。
そういう人が入学後、どうなるかというと2通りの結果がある。うちの母の知り合いの人の娘で北野高校から大阪大薬学部に現役で行った人がいたが、その同級生でもともとは(男なら)北野高校に行くような成績だったわけではないのに行って、北野高校がうまく合ったらしくて大阪外大(現 大阪大外国語学部)だったかに進学したという人がいたらしい。大阪外大だったかどうかは記憶が確かではない。他にも、高校に進学する時点での成績から考えれば国立大学に行くような成績ではなかった人で、北野高校がうまく合って、その結果として京大・東大までは行けなかったとしても神戸大あたりに行けたという人がいたようだ。北野高校の「国語」課の教諭になっていた旧姓作野礼子はそれのようだ。
片方で「うまく合った」人がいる一方で、そういかない人もいたようで、その結果として、北野高校の卒業生としては「あんな大学に行くのお?」みたいな大学に行った人もいたようだが、(3)の人の場合は高校入学時の成績から考えるなら「そんなもの」である場合が少なくなかったのではないか。だから、ラグビー屋をやっていたうちの母方の叔父が「北野高校の卒業生でもうちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来るやつおるねんでえ」とうれしそうに言っていたというのは、ほんとにあったのかどうか知らんが、あったとしてもありえる話だろう。但し、それでも、いったん、北野高校に入学したならば、特に女性は東大とか京大とかに別に行かなくてもいいけれども大阪経大ではなく「もうちょっと上の所」に行きたいと思うのではないかと思うのだが、『ドラゴン桜』は高校3年の初めの時点において中学校の内容を理解できていない生徒を1年後に東大に合格させてみせようではないか・・という話だが、さすがに高校3年の初めの時点において中学校の内容を理解できていない人を1年後に東大に合格させるというのは簡単ではないとしても、高校3年の初めの時点で成績が良くなくても工夫すれば「もうちょっとましな所」に合格させるということくらいならば可能だ・・と私は思う。無能なやつが高校教諭をやっているから、そんな所にしか行けなくなってしまうのだ・・と思う。私が高校教諭だったら、何とかしてやる・・が、おそらく、なることはなさそうだ。

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北野高校の進学成績が一時期低下していたのはYMCA予備校の問題もある。私が北野高校を卒業した年くらいは、現役で合格した者と1浪の者とが半分半分で2浪以上がいくらかいるというくらいだったが、その約半分の浪人した人間は多くの人間が予備校に行ったのだが、どこの予備校に行ったかというと、京都の近畿予備校・大阪のYMCA予備校・神戸の大道学園、それから十三駅の西側の大阪北予備校に行った人もいたが、知っている人間でYMCA予備校に行った人間には1浪後に行った大学はというと「ええ? いくらなんでも、そんな所にしか行けなかったのお~お?」というような人がいた。これは、YMCA予備校に調子を合わせてしまった結果だ。予備校は最低でも行かないよりは行った方がプラスになるなどということはない。マイナスになる場合もある。「ええ? いくらなんでも、そんな所にしか行けなかったのお~お?」という所に行った人間の何人かは、なぜ、そんな所にしか行けなかったか、YMCA予備校が原因のひとつとしてあった。・・そんな予備校だったから、駿台・河合塾・代ゼミが大阪に進出してくるとYMCA予備校はあっという間に淘汰された。YMCA予備校の事務職員はえらそうな口ばっかりきいていたが、えらそうにしても「ハリコの虎」だったようだ。
北野高校にはひとつの問題点があった。それは入学試験の合格基準に3通りの基準があったという点だ。学校教育は「男女、七歳にして席を同じくせず」だったかいう孔子の教えに従って小学校から男女を分けるのではなく、子供の頃から男女が一緒に生活することで互いに理解できるようにした方がいいという考え方はわかるが、公立の小学校・中学校はそれでいいとして、高校の場合は公立の高校でも各学区の一番手校、最近、大阪府では学区を撤廃して、それとともに「進学重点校」というものを10校指定したらしいが、最近でいえば、その「進学重点校」については小学校型の男女共学、男子生徒と女子生徒が完全に同数とまでいかなくても大きく人数に差が出ないようにするという男女共学ではなく、大学型の男女共学、男性か女性かにかかわらず入学試験の成績がいい方から順番に合格にするという男女共学の制度にした方がいいのではないか、と私は思っている。
1970年代後半、私が行った頃の北野高校には、豊能地区と淀川地区の2つの地区から生徒が行っていた。中には「越境」で他から来ていた人もいた。3年前までは三島地区からも行っていたが、三島地区が第2学区になり、豊能地区が第1学区で淀川地区の西半分が第1学区、東半分が第2学区になったが北野高校だけは第2学区の淀川地区からも行っていいという制度になっていた。この分け方はあんまりいいことなかったと思っている。もしも、似たような地区を同じ学区にするということであったなら、むしろ、豊能地区と三島地区をひとつの学区にして、淀川地区を別の学区にした方が良かったと思うのだが、北野高校については豊能地区と淀川地区から行けて三島地区からは行けない学校になったのだ。私が卒業した中学校でもそうだが、豊能地区の中学校では女生徒の場合、男子生徒であったとしても北野高校に合格できるというくらいの成績を取っている人が北野高校を受験して行くのはいいけれども、男子生徒ならば学区の3番手校か4番手校くらいでも通らないのではないかというくらいの人が北野高校は女子は受けさえすれば誰でも通る高校だから北野高校に行くというのは、そういうのは良くないと豊能地区の中学生の親はたいてい思っていたし、私が行っていた中学校の教諭もそう考えていたようで、北野高校は女は受けさえすれば通るからということで男だったら学区で一番易しい公立高校でも通らないという成績の生徒に北野高校を受けて行くといいといったような指導はしていなかった。
それに対して、淀川地区の中学校卒の人の場合はそうではなくて、男だったら通らなかったのではないかと思えるくらいの成績の人でも北野高校を受けて入学してきていた。その結果、北野高校というのは男女共学だけれども、男子生徒の場合は豊能地区出身者と淀川地区出身者の両方がいたのに対して、女子生徒は淀川地区出身者の割合が圧倒的に多かったのだ。自分が育った地域の人とは異なる地域の出身の人と出会うことで視野が広がり学ぶものもあるということはあるであろうけれども、そうは言っても、豊能地区出身の男子生徒からすれば、女子生徒は豊能地区出身者は少なくて淀川地区出身の人が圧倒的に多い高校というのは、それは男女は一緒に学びすごすようにした方が互いに理解できる人間に育つことができるという男女共学の趣旨を満たしていることにならないと思うのだ。 むしろ、それなら、ひとつの考え方として、豊能地区出身の男子生徒は豊能地区出身の女子生徒が北野高校よりも多い二番手校の豊中高校に行った方がいいのではないか・・というのも、ひとつの考え方としてあったのではないかと思う。実際、私が卒業した後、一時期、北野高校の進学成績が低下して北野高校と豊中高校との進学成績にほとんど差がなくなった時期があったが、豊能地区の中学生が進学するのに「豊能地区の進学校」の豊中高校に行った方が「淀川地区の進学校の北野高校」に行くよりもいい、という判断をした人がいたのではないのか・・と思う。
それで・・・だ。淀川地区出身の女子生徒がすべての人が「性格いがんでる系」だとまで言うつもりはないけれども、現実問題として、旧姓作野礼子さんみたいな「ちょっと性格いがんでる系」みたいな人というのが淀川地区出身の女子生徒にはいた・・というのは事実だ。申し訳ないけれども事実だからしかたがない。「ちょっと性格いがんでる系」もしくは「高校生の時からオバタリアン」みたいな女子生徒というのは、北野高校の生徒には現実にいた。そういう人にはそれを自慢にしている人というのがいたのだ。自慢にすることとは違うだろ・・と思うが自慢にしている人というのがいたのだ。豊中市出身者にも「相当性格いがんでる系」の人もいたけれども、実際のところ、男女共学の趣旨が何であるかにかかわらず、そういう「ちょっと性格いがんでる系」とか「相当性格いがんでる系」の人と無理して関わっても、別段、得るところがあるわけでもないと思うのだ。
中谷彰『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)という本で中谷彰氏は、オヤジというのは「その年代のその性別の人」のことではなく「オヤジとされるような行為をする人」のことだと言い、若い人にもオヤジはいるし女性にもオヤジはいるということを述べている。私もそう思う。そして、オヤジとともにオバハン・オバタリアンというのもそうだと思うのだ。「高校生の時からオバタリアン」というのはその意味で言っている。

オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
「高校生の時からオバタリアン」の人には、それが大学受験に対して厳しい態度だとか思っていた人もいたようだが、私は違うと思うのだ。別に「このハゲ~え!」と怒鳴りつけて男性をボコボコなぐりつける怖いおばさんみたいにならなければ東大に合格できないとかそういうことではないと思うのだ。この点で北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は認識を間違えていたと思う。
大学に内部進学で行ける高校というものがあるが、そういう高校にも慶應義塾高校のように大学も高校も同じ母体の高校と、そうではなく、元々は別の学校だったものが提携した高校というものがある。セブンイレブンの名前で店を出していても、たいていのコンビニはオーナーは(株)セブン&アイ・ホールディングス ではなくて、個人の店主がオーナーであるようだが、それと似た感じ・・かどうか、元々、高校は別に「☆☆高校」としてあった私立高校が私立大学と提携して「◇◇大学☆☆高校」を名乗るようになったとう高校がある。行く人間にとっては一緒かというとそうでもなくて、慶應義塾高校とか慶應女子高校・慶應志木高校とかいうのは慶應大学と同じく慶應義塾が運営しており、慶應大学の学長を塾長と言ったりもするが、慶應義塾が運営している慶應幼稚舎・慶應中等部・慶應普通部・慶應義塾高校・慶應女子高校・慶應志木高校に校長がいて慶應義塾大学に学長がいるが、その全体の長が塾長で大学の長である学長が塾長になることになっているのだが、慶應義塾高校・慶應女子高校・慶應志木高校からは医学部に行きたいとか特に言わなければ基本的には全員が慶應大学に進学できることになっているらしい。それに対して、元々、大阪府の北摂地区にあった私立高校で1970年代なかばに私が高校に進学する頃においては「理系科目に力を入れる高校」というのを「売り」にしていた摂稜高校というのがあったが、最近、早稲田大学と提携して「早稲田摂稜高校」を名乗るようになったらしいが、これなどは早稲田大学が運営している「直営校」ではなくて「提携校」のようだ。(株)エイブルは「エイブル」の名前で出している店でも多くは(株)エイブルが経営している店だが地域の不動産屋と提携して「エイブル」の名前を名乗っているという店もある。慶應義塾高校は直営店で早稲田摂稜高校は提携店ということだ。
それで、これは「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったかに掲載されていた話だが、早稲田摂稜高校が成立した時、入学説明会では「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」という点について質問が多く出たらしかったが、「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」と言われても、もしも、その「上位3割」に入れなかったらどうしてくれるんだよお? ・・て話になる。そこが直営店の慶應義塾高校とは違って提携店の厳しいというのか悲しい所だ。慶應義塾高校ならば、agriculture を agriculture と発音せずに agriculture と発音していても慶應大学に進学できる。その上で慶應大学に入学すると「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などという口をきくことができる。種無し葡萄(デラウエア)を自分で房からひとつひとつちぎって自分の口に入れて食うのではなく、ひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うという「慶應幼稚舎流種無し葡萄の食べ方」をしていても、そういう食い方をしている男が「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」という口をきくことができる( 一一)
提携校はそうはいかない。
「週刊現代」だったかの記者は、早稲田大学の人間というのは勘違いしている、早稲田大学の人間は自分の所は「東大の次の大学」であって「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」と言われたら誰もが大喜びすると思い込んでいるが、関西人はそんなこと思っていない。関西人にとっては早稲田大学なんて関関同立と同じくらいか、もしかすると早稲田大の方がちょっとだけ上かもしれん・・くらいにしか思ってない。そのあたりを早稲田大学の人間は事実を事実として認識できていない、と書いていた。そうだろう。関西人にとっては「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」よりも「ほぼ全員が一般入試で関関同立に行ける」の方がいいのではないか。
それで、だ。早稲田摂稜高校および、そういうタイプの提携高校の場合には、「上位〇割」に入ろうとすると、これは同じ高校内における競争だ。それに対して、北野高校から京都大学に何人通った、大阪大学に何人通った、神戸大学に何人通ったといっても提携校ではなく一般入試を受けて通って行っているのだから、北野高校の生徒の中で「上位〇割」に入ったからといって合格させてもらえるとは限らないし、同時に「上位〇割」に入らなくても合格できる場合はいくらでもある。・・ところが、それを認識できない教諭というものがいたのだ。 旧姓作野礼子のように、入学時においては(3)のタイプで入学した人でうまく合って神戸大あたりに行ったという人には下剋上をなしとげたような感覚の人がいたわけだ。そういう人の感覚として、(1)の人間を引きずり下ろす必要があるような感覚を持っていた、という点があり、そういう意識の人が教諭にいたわけで、そうなると、入学時の成績においては京大に合格できて悪くない成績で入学した人間が引きずり降ろされて、ずっと下の大学に行かされることになる・・ということが考えられたのだ。「下剋上」によって(3)で入学したのに神戸大あたりに行けたという「ちょっと性格いがんデル系女子」みたいな人にとってはいい学校だったかもしれないが、引きずり降ろされた者にとってはいい学校ではないことになる。そもそも、なんで、引きずり降ろされなければならないんだと思うが、旧姓作野礼子などは引きずりおろすのが使命みたいに感じていたようなところがあった。
高校の試験および大学入試についてですが、基本的な考え方として、まず、「普通にやったら60点取れる人」は「必死でやったら70点取れる」ことになります。しかし、「普通にやったら60点とれる人」でも「普通にやる」ことができない悪条件に置かれたならば、それよりも低い点数しか取れないことになる。悪くすると、20点、0点近い点数しか取れないなんてことになる可能性だってあります。しかし、「普通にやったら60点取れる人」は、たとえ、一時的に相当悪い点数を取ることがあっても、「普通にやる」ことができるようになれば回復します。これは(1)のタイプの人にあてはまります。
(1)のタイプの人は「普通にやる」ことさえできれば60点、「必死でやったら」70点取れるのですから、「普通にやる」ことができない条件があったことから相当悪い点数しか取れなかった場合には「普通にやる」ことができない悪条件を解消・改善することが必要です。それに対して、(3)のタイプの人があまり良くない成績を取った場合は、これは「普通にやったら」60点取れるかというと取れません。このタイプの人は、より高い点数を取れる工夫をする必要があることになります。灘高校に裏口入学した人が正規に入学した人と同じように東大に通るかというとそうはいかないのと同じで、(3)のタイプの人が(1)の人間と同じようにいかなかったとしても、裏口入学で灘高校に入った人が正規入試で入った人と同じようにはいかないというのと同様に当たり前です。
「普通にやったら60点とれる人」は「必死でやったら70点取れる」ことになりますが、ここで合格最低点が65点であったなら、その場合は祝合格。良かったね♪ ということになりますが、問題は行きたいと思う大学の合格最低点が75点だった場合です。「必死でやったら75点取れた」のですから、さらに必死でやったら・・と思うかもしれませんが、すでに相当必死でやっているのですから、そこからさらに必死でやっても70点が71点になったりするくらいのものです。そうなると、あきらめて65点、もしくは67点か68点くらいが合格最低点の所を受けるように目標修正するのか、あきらめて目標を下方修正するのが嫌ならば、野村じいさんが「野球は頭でやるもんや」と言ったのと似た感じで「受験は頭でやるもんや」てもので、何らかの工夫をして、あと何点という部分をな~んとかアップさせてねじ込むということになります。「野球は頭でやるもんや」という文句は、野球は体でやるものという印象があることから頭を使って野球をやるのと体だけでやるのとでは成果に違いが出るということなんだなとしっくりきますが、「受験は頭でやるもんや」と言われても当たり前やろうが体育じゃあろまいし体でやるものとは違うだろうがと思うかもしれませんが、そういう意味ではなく、ただ、闇雲に努力するのではなく、何をやればいいか、何はやらなくてもいいか、どうすれば点数はアップするかといったことを考えて対策を練ってやるということです。YMCA予備校みたいに過去の全国の大学の入試問題を集めた問題集をやって答え合わせみたいな授業を大量にやるだけというのではアップしません。
たとえば、千代の富士は八百長は多いわ、北天祐の弟を腹筋版で頭を強打して後遺症が出る傷害を加えた犯罪者だわでろくな人間じゃなかったみたいですが相撲は強かったらしく、その千代の富士が幕内上位に上がってきた頃、琴風が苦手で何連敗もしたが、ある時、1勝するとその後は逆に勝ち続けて負けなくなった。相撲解説の親方が話していたものによると「相撲を変えましたね。これまでは、体が小さいにもかかわらず大きな体の力士がとるような相撲を取っていたので、それで琴風のような体が大きくて押す力士が押すにはもってこいだったのが、相撲を変えましたね」と話していたが、千代の富士は琴風に勝てるようにと思って琴風がいた佐渡ヶ嶽部屋に通ってけいこで何度も対戦して勝てる方法を考えて、そして、琴風に勝てるようになった。いったん、勝てるようになれば、その後は、それまで負けていた黒星が白星に変わることになる。琴風だけではなく似たタイプの力士に対して勝てるようになれば、その分だけ勝ち星は増えることになる。相撲においてそれまで負けていた力士に勝てるようになればその分だけ勝ち星が増えることになるが、大学入試においても、あるいは資格試験においても、それまで解けなかった問題・正答を作成できなかった問題を解けるようになれば、その分だけ、その後は点数が上がることになる。
野村じいさんが南海ホークスでレギュラーの捕手として出してもらえるようになった時、出してもらえるようになっても、それでも2割5分くらいしか打てなかった。2割5分ではまた他の選手にレギュラーを奪われるかもしれない。3割打ったら一流打者と言われるが、3割打者と2割5分の打者との違いはどこかというと、100回、打席に立って25回、ヒットを打つのが2割5分の打者で、100回のうち30回、ヒットを打つのが3割バッターだ・・とすると、あと5回、多くヒットを打てば3割打者になれるということだ。100回ともヒットを打たないといけないとなると大変だが、あと5本多く打てばいいと考えるならば、あと5本ならば工夫すれば何とかなるかもしれない・・と考えたらしい。これは大学入試や資格試験においてもあてはまることではないかと思うのだ。合格最低点まであと何点・・ということを考えてみて、あと何点アップさせるには何をやればいいか・・ということを考えてその対策を実行してアップさせることができれば、少なくとも、「ただ闇雲に必死でやる」よりは成果がでる、YMCA予備校がさせたがったように全国の大学入試の過去問を集めただけの問題集を大量にやって答え合わせみたいな授業ばっかりやっているよりは効果が出る可能性が期待できる。
「受験は頭でやるもんや」と認識するべきです・・・が、YMCA予備校の亜拓大東帝国あたりしか出てないのではないかと思われる事務職員がわからないのは当然として、北野高校の教諭においても、そのあたりを理解できていない人が多かった・・というのは、それで進学校の教諭か?!? と思うが「そんなもの」の人たちだったようだ。
今となっては十年以上前、ラジオの野球中継で江本孟紀が「やっぱり、ピッチングは背の高い投手の指導は背の高い人間がやるべきですよ。だいたい、そんなもん、チビにはわかりませんで、チビにはあ」(笑)と言っていたが、最近も阪神のバッティングコーチについてだったか、高木豊がYouTube で左打ちだったバッティングコーチは右打ちの打者の指導はやりにくいだろうからといったことを話していたが、これと似たことが高校生活においてもある。(3)のタイプで入学した人でその時「うまく合った」ことで神戸大あたりに行った「ちょっと性格いがんでる系女子」みたいな人というのは、教諭になることがあっても自分と似たタイプの人だけを担任してもらいたいと思うのだ。「チビにはわかりませんで、チビにはあ」てもので、(1)のタイプで・「ちょっと性格いがんでる系」ではない人間で・男子生徒にとっては、(3)のタイプで・「ちょっと性格いがんでる系」で・女性の教諭というのは「害がある」のではないかと旧姓作野礼子を見て今は思っている。誤解のないように説明しておくと、「のではないか」は婉曲表現である。
旧姓作野礼子は(3)のタイプで北野高校に入学した人で、(3)のタイプで入学した人には、入学後、北野高校が「うまく合った」ことで神戸大あたりに行く人というのがいたようで、そういう人は、はたから見ると「あんな子、高校に入る時点の成績から考えると神戸大なんて、およそ行けるような子と違うのに」北野高校のおかげで神戸大に行けた・・と見えることになりますが、本人はそうではなくて「私はこういう性格だから行けた」と自分自身の「ちょっといがんでる系」が合格への要件だったと考えてその性格を自慢するようになるようでした。旧姓作野礼子はそういう人だったようだ。最初、同じ高校の出身の教諭だから、その点でまったくタイプが異なる高校の出身の教諭よりもいいのではないかと思ったが逆だった。私のような入学時においては(1)のタイプで入学した者と(3)で入学した旧姓作野礼子とでは、それぞれの人間にとっての北野高校というものが異なるものだった。かつ、「ちょっと性格いがんでる系」を自慢にしていて、それが「入試に勝つ性格」だと思い込んでいる人からすると、そういう「ちょっと性格いがんでる系」があんまり好きではない人間というのは、それは「ひきずり降ろすべき人間」と見えるみたいだ・・が、引きずり降ろされる筋合いは別段ないはずなのだが、どうも、(3)のタイプで入学して、入学後、「うまく合った」ことから神戸大あたりに入学できたという「ちょっと性格いがんでる系女子」みたいな人は引きずり降ろしたくなるようだった( 一一)
(3)のタイプで入学した人で・「ちょっと性格いがんでる系」で・淀川地区出身で・女性で・「両親が離婚した」という旧姓作野礼子さんのような人は高校の教諭になった場合でも、担任を持つならば、やはり、(3)のタイプで入学した人で・「ちょっと性格いがんでる系」で・淀川地区出身で・「両親が離婚した」・女子生徒のみの担任になってもらいたいと思います。(1)のタイプで入学した人間で・「ちょっと性格いがんでる系」がいいとは思っていなくて・豊能地区出身で・「両親が離婚した」わけではない人間で・男子生徒の担任はもたれると迷惑ですからやめてほしいと思います。なにしろ「チビにはわかりませんで、チビにはあ」・・
・・・それで、こういった思考なし授業をおこない、試験問題を出題していた人がいた。「国語」課の旧制作野礼子などはそれであった。これはYMCA予備校についても思ったことだが、「傾向と対策」を考えずに「試験に出る」部分を「出る順に」ということを考えずに闇雲に試験に出ないものばっかり学習するというのは「効率悪い」。北野高校の「国語」課の植村教諭は1年の時、「古文」の授業で「質問はあるか」と言い、質問すると「はあん。こんなことすらもわかりませんのおん!」と言い、質問するとそんなこと言われるのか、「質問はないか」と言うから質問したらそんなこと言われるのなら質問なんてしない方がいいと思って質問しないと「何も質問はないのか。質問はないということは何でもわかっているということだな。私だってわからないことだらけなのに、すごいな。よし、それならば、こちらから質問してやろう。わからないことは何もないから質問してこないのに、質問すると答えられないとはけしからん。答えられなかったら拳骨をくれてやろう」とか言い、ある女子生徒にあてて質問したら答えられなかったが、「お嬢ちゃんの頭を殴るというわけにはいきませんねえ~え。よし、殴ることができるやつをあててやろう」などと言って男子生徒に質問したら、やっぱり答えられなかった、ということがあった。それは、何を質問されても答えられるくらいに、その項目のものについて調べて理解するようにしろということか・・とその時は思ったのだったが、その学習法というのは「入試に通る」という視点から考えるならば効率が悪い。別に、高校の「古文」の教科書に登場するものに関して何から何までことごとく、何を質問されても何でも完全に答えられるようにとまで学習しなくても、「試験に出る」可能性が高いものを「出る順」に学習すれば大学入試に合格することはできる。さらに言えば、1978年の入試まで、共通一次試験が始まる前まで、京都大学の工学部には国語は「現代国語」だけで受けることができて「古文」「漢文」は必要ない学科もあったはずで、そういう学科を受けようとする人にとっては入試科目にない「古文」を「何をきかれても絶対に答えられるように」とまでそこまで学習していたら、その結果として入試にある科目の学習時間を奪うことになって、かえって入試に通らなくなる可能性が考えられた。 又、1979年の入試から共通一次試験が実施されて、すべての大学学部を受ける人間に「国語」には「現代国語」「古文」「漢文」の問題を受ける必要が出たが、1000点満点のうち、「国語」は200点で、そのうち、「現代国語」2問、「古文」2問、「漢文」2問であり、共通一次試験はマークシート方式で選択肢があって、そこから選んで鉛筆で塗るというものであったから、極端な話、あてずっぽうに塗っても0点にはならないというものだった。だから、たとえば、工学部・理学部あたりを受験しようとする人間にとっては「古文」みたいなものに力を入れるのではなく「ほどほどに」やるようにして、共通一次試験の「国語」は「致命傷は防ぐ」程度の点数を取れればそれでいいと割り切り、そうやって空けた時間を数学や物理・科学、それに英語の学習にまわすようにした方が合格しやすい・・というのも受験のテクニックとして考えられたと思うのだ。それから考えると、植村教諭のそのあたりの態度はいい態度とは思えない。
さらには、大阪教育大付属池田中学校出身の安東という女だけは植村から特別扱いで、他の人間が質問すると「はあん! こんなことすらもわかりませんのんかあ~あ!」と植村は言うくせに、安東が質問すると「はい♪ 安藤さん、大変いいご質問ですにぇえ♪」などと猫なで声で言うのだった。そんなにいい質問かなあ~あ・・とその時は思ったのだったが、そういう問題ではなく、安東の親は北野高校の「国語」課の教諭と何らかのコネクションがあったということではないか。安東は「国語」課で「漢文」を担当していた藤尾、1年の時は「現代国語」を担当していた旧姓作野礼子からも特別扱いを受けており、どう考えても、安東の親は北野高校の「国語」課の教諭とコネクションがあったことから特別扱いを受けていたとしか考えられなかった。こういうのはいいとは思えないが、いいとは思えないと言っても私がどうすることもできないことで、今に至るまでどうもできていないし今後もどうもできないであろう。せいぜい、ここでぶつぶつ文句を言うくらいのものだろう。
こういうものは、「あれっ?」と気づいたものもあるが、気づいていないものもいっぱいあるはずだ。北野高校は行きたいと思って行った高校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して十年以上経って冷静に考えることができるようになって振りかえってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。但し、それならどこに行けばよかったかというと、ここがいいとはっきりと言える所というものはない。
大阪教育大付属池田中学校卒の人というのは、私のような市立中学校卒の者とは違って親が教諭とコネクションがあるのか?・・みたいな人が多いように思います。その点で要注意だと今は思っています。
但し、「普通の小学校ではない小学校」「普通の中学校ではない中学校」でも、大阪教育大付属小学校・中学校、それに神戸大教育学部付属小学校・中学校については、慶應幼稚舎なんかと比べると「たいしたことない」みたいなところもあるようだ。どこが「たいしたことない」かというと、慶應幼稚舎なんて行こうと思うと相当カネかかるというお話ですし、カネを払えたとしてもどうすれば入れてもらえるのかという問題があります。相当のコネでもないと入れないのではないのか。〔マア、別に、そんな魔界みたいな所、行きたくないけどね。〕それに対して、大阪教育大付属小学校なんてのは、結論として「うちの親戚でも行った人間が何人かいる」ような学校ですから、慶應幼稚舎なんかと比べると「普通でない小学校」の中ではずっと格下みたいです・・・が、松島みどりさんも大阪教育大付属中学校卒らしいし、丸川珠代とかいう女も大阪教育大付属高校卒らしいし、どうも、大阪教育大付属の学校というのは保守系政治家とつながりがあるのかないのか・・みたいな人が多い印象があります。
私が北野高校を卒業して何年か後、「英語」課の教諭の片岡が自分が担任をもっていた生徒の家庭教師をやっていたということから免職されたという「事件」があった。聞いた話によると、片岡はおのれが担任を持っていた生徒の家庭教師をやっていて、週2回で6万円の報酬を親から受け取っていたが、それ以外に親から宝石をもらったりもしていたそうで、その上でさらに、6万円では安い、10万円よこせと要求したことから、親が限度を超えたと判断して激怒し、新聞社に垂れ込んで記事になったところから片岡は解雇された・・・が、解雇されるとすぐに大阪府高槻市にできた新設の予備校、YMCA予備校高槻校ではなくて、それよりも西に新しくできた予備校が一時期あったが、そこに転職した・・という話だったらしい。これは「聞いた話」なのですべてその通りかどうかはわからない。部分的に違う所もある可能性はないとは言えない。しかし、だいたい、そんな感じなのではないかという感じがする。あのおっさんなら「そんなもの」か( 一一) という感じがする。
そして、こういう話はこれは「氷山の一角」であるはずで、表に出ていない同様のものは他にもいっぱいあるのではないか・・と思う。
3年の時の担任だった「社会科」の教諭で「日本史」が担当の大谷郁三は「大学はどこでも一緒や」などと口にしていた。たしかに、高校は大学受験のためだけにあるのではないが、だからと言って、高校入学時の学力・高校入学時の学年順位から考えれば京大くらいに合格できてもおかしくない生徒に試験に出ないようなものばっかり大量に学習させて関関同立あたりに行かせて「大学はどこでも一緒や。そこで何を学ぶかが大事であって、どこに行ったかはまったく何も関係ない。良かったじゃないか」などと、一見、否定しにくい一般的な論理を表に出して、高校の教諭がきっちりと指導してあげれば、東大なり京大なりに合格できた可能性がある生徒を、入試に出ないような勉強ばっかり大量にさせて関関同立あたりに行かせて「良かったじゃないか」などとぬかすというのは、それは意味は同じではないはずなのだ。
「どうすれば合格できるか」という点を考えてそれに基づいた学習をするのとそうではなく闇雲に学習するのと、本人は入試に役立つと思いながら入試対策としてはトンチンカンなことに努力しているのに教諭が何らアドバイスもできないというのとでは差がでる。そういう何ら適切なアドバイスをできないで「大学はどこでも一緒や」などとぬかすような教諭が何人もいる高校というのは、それが良心的な高校だろうか?・・・「燃やしたろか」なんて思う人間だって出てきかねない・・と思って振りかえってみると、私が高校1年の時だったと思うのだが、1975年だったか1970年代後半の前半、北野高校の体育館が放火されて焼失して体育館が使えなくなったということがあった。もしかして、もしかして、「おのれ、燃やしたろか
」と思った人でも本当にいたのか???
・・・ついでに言うと、その北野高校体育館放火事件は誰が犯人だったかわからずじまいだったようだが、我が家ではうちの母親が「こいつ、とうとう、放火までしよった!」とうちの姉に言い、言われた姉もまたそれに応じて「難儀な子やなあ。放火までしよるとはあ」と家で二人で言い合っていたのだ。「私が通学していた高校で放火事件があった⇒ゆえに、私が放火した」という何段論法か知らんが、そういう公式なのか定理なのか法則なのかが我が家では成り立ったらしいのだ。私は聖書を指して誓って言うが決して私が放火したのではない。何より、北野高校の体育館に放火されたというその日のその時刻、私は大阪府M市の自宅にいたのだ。アリバイを確認するために誰か一緒にいた人はいないのか?・・というと、いた。「こいつ、とうとう、放火までしよった!」と言い出したうちの母親と私は一緒に家にいたのだ。放火されたというその日のその時刻に自分が息子と家に一緒にいたのに、その息子が「放火しよった、放火しよった」「絶対、こいつや」と言い出す母親なんて、どこの世界にいるもんか・・と思う人もいるかもしれないが、我が家にはいるのだ。怖ろしいことだが、ほんとに我が家にはいたのだ
私が同校に通学した1970年代後半において、私が入学した2年前から学区が小さくなったことから、それまでよりも学力が低い生徒も入学するようになったことから、同校の教諭には、「英語」課の田中博は「出来の悪い学年やなあ」と何度も口にしたが、そういう文句は口にするべきではないはずである。「出来の悪い」生徒がいたとしても、連帯責任を負わせるべきではないし、一時的に「出来の悪い」成績を取ったとしても次から悪くない成績を取るようにすればいいはずで、それまで悪くない成績を取ってきていた者が悪い成績しか取れないならば何か理由があるはずで、その理由を解明して良い成績を取れるようにするべきものであり、それを解明しようとせずに「出来の悪いやつやなあ」と断定するならば、それは不適切な認識であり教育者とは言えない態度であるが、「出来の悪いやつ」ではなく「出来の悪い学年」としてしまうというあたりは、その思考はあまり賢明な人間の思考とは言えない。そういうことを言う教諭こそ、出来の悪い教諭ではないのか。
又、「数学」課の浅野は「これまでと同じようにやってきているのですから、これまでよりもできなければ生徒の方が悪いんですよ」と口にしていたが、「これまでと同じようにやってきている」から教諭は悪くないとは限らない。 野村じいさんが書いていたが、野村がホームラン王を取った後、なぜか、それまでより打てなくなった時があった。その時に先輩選手から「殴った方は忘れていても、殴られた方は覚えているからな」と言われて気づいた、打った打者は忘れていても、打たれた投手は決して打たれたことを忘れていない。次はどうすれば打たれないようにできるかとずっと考えてきているのだ、と。「これまでと同じことをやっているから」いいとは限らない。「これまでと同じことをやっているから」だめという場合だってある。それから、大学入試において、「通った人」と「落ちた人」ではどちらがいいかというと、通るために受けるのだから、本人にとっては通った方がいいに決まっているのだが、とった学習法については通った人間はその学習法でいいと思っている場合が多いのに対して、落ちた人間は「どこが悪かったのだろうか」といつまでも考え続けている。時々、「通った人」はすべてにおいて成功で、「落ちた人」はすべてにおいて失敗のように思っている人がいるが違う。そうではなく、「通った人」といえども失敗した部分もあり、「落ちた人」といえどもすべてにおいて失敗ではなく、成功している部分と失敗している部分があって結果として合格最低点を上回る点数を取れなかったということであるのだが、実際には成功なのか失敗なのかわからないようなものがあるのだが、それを「通った人」は成功だと評価していて、「落ちた人」は「あれは良くなかったか」と思ったりしている場合がある。これまで通ったから、そのやり方が成功とは決まっていない。時代とともに社会は日々刻刻変化しているのに「これまでと同じようにやってきている」からだめなのかもしれないではないか。そのあたりを認識せずに「これまでと同じようにやってきている」から成果がでなければ生徒の方の責任という認識には府立の学校としての「親方日の丸」の意識があると言わざるをえない。 「前と同じやり方をやっているのですから」と言って、「前と同じやり方をやっている」から成果が出なければすべて生徒の方の責任だと言いたい教諭というのには大阪桐蔭高校と履正社学園の経営者の爪の垢でも飲ませてやりたい。たとえ、学区が小さくなって前よりも学力の低い生徒が入ってきたとしても、それでも大阪府の高校では一番学力がある生徒が入ってきていたのであり、それよりずっと学力が低い生徒しか入学してきてくれなかった高校から京大や阪大に合格者を出す高校にしていった私立高校の経営者の爪の垢でも飲めえ! と言いたい・・が飲まないと思うが、その程度の人だったのだろう・・と今は思う。
・・今回、この文章は、これまでに公開した
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「十三仏」とは。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」のかわりに巡ろう「十三仏霊場」。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。揺るぎなき守護者 不動明王。恋愛・縁結び・家庭円満をつかさどる愛染明王https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。3体の観音像。「富山」秋葉大権現とは https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。あった方がいいのかどうか。不動と水かけの関係 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。賓頭盧尊者。屋根の上は魅力的。絹本著色不動明王二童子像は市立美術館に寄託
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ソロモンマホガニー」はマホガニーではない。東日本橋は日本橋ではない。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。寺と神社を意図的にセットにする必要はない。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか? 優勝もしてないのに高い物を買ってもらっていた人間はずるくなくて被害者なのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 北海道東部は要らないのか? ナポレオン・ベートーベン・トルストイ・新井白石は偉人なのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 生徒から嫌がられている教諭は卒業後も生徒を飛ばして親とつきあっていいか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。息子の優しさに気づかない母親。「自分の息子のことをいいように思う親」と「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。ある父親には息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。高齢の母親に実の息子と張り合おうとする婿・よその娘のめんどうみたがるおっさん症候群とそれを称賛して評価されようとするバカ女 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
・・の語り残し、不足分として述べようと考えたものがあった。

↑ これは、大阪市東住吉区の 私が小学生の低学年の時まで住んでいた家から比較的近い場所からJR阪和線の高架の方(西側)を見た写真なのだが、私が住んでいた頃はJRではなく国鉄で高架ではなく地上を走っていて、線路の向こうに見えるマンションはその頃はなかった。
うちの父親はこの写真を撮影している地点の手前あたりを右折して、その頃は国鉄だった阪和線「南田辺」駅から乗って通勤していたが、そのうち、左折して行って現在は大阪メトロ御堂筋線と言うようになった、その頃は大阪市交通局・大阪地下鉄1号線の「西田辺」駅から乗って通勤するようになったのだが、どちらから通っていた時からだったか忘れたが、うちの父親が、朝、家を出る時にうちの母親が私に「お見送りしなさい」と言うので、玄関前まで行って「行ってらっしゃあ~い」と言って見送ると、うちの父親は「言ってきま~す。お土産買ってくるからねえ~え」と言ったのだったが、そう言って出かけたからには帰ってくる時には何かお土産を買ってきてくれるものだろうと期待して、帰ってきた時には出迎えて「お土産はあ?」と言うと、「ないわあ~あ♪」とうちの父親は言うのだった。幼稚園に行っていた時だったかそれより前だったかわからないが、小学校にはまだ行っていなかった私は、ジャパニーズビジネスマンというものはリゲインのように働くものだから、だから、お土産を買って帰ろうと思っていたものの買う時間を取れなかったか何かやむを得ない事情があったのだろうと推測したのだった。ジャパニーズビジネスマンとしてリゲインのように働く結果としてお土産を買いたいと思いながら買えなかったのであるから、翌日は買ってくるものだろうと思い、翌日もまた、うちの父親が帰ってくると、またもや「ないわあ~あ♪」と、うちの父親は言うのだった。
そのうち、この「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」と言うというのは、それは、うちの父親が出かける時の挨拶と帰宅した時の挨拶のようなもので、朝、出会った時に「おはよう」と言うことに何か意味があるかというと特に何もなく、別段、早くない時刻でも「おはよう」と言うのと同様に、お土産を買ってくるつもりは特になくても「お土産、買ってくるからねえ~え」と言ってでかけるものなのかもしれないと理解して、「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」と言われるということに慣れてしまったのだった。
しかし、はたして、子供にそういうことをするということがいいことなのだろうか? 私ならば、お土産を買ってくるつもりもないのに「お土産、買ってくるからねえ~え」などと言って出かけたりはしない。
このことをどう考えたものか。それを述べたいと考えたのだ・・・が、その前段というのか枕詞というのかで北野高校という高校について、入学する時には行きたいと思って行った高校だったので合格した時はうれしかったのだが、卒業して10年以上経って冷静に考えられるようになってくると、決していい学校ではなかったなあ・・と理解できてきたという話を、その理由を列挙までしようとすると何字費やしても述べ切れるものではないが、列挙ではなくいくつかを例示することで述べようと考えたのだったが、その前段か枕詞だけでそれなりの字数になったので、とりあえず、その前段もしくは枕詞の部分だけを先に公開し、出かける時に「お土産買ってくるからねえ~え」と実際には買ってくる気もないのに子供に行ってでかけて、帰ってくると「お土産はあ?」と言う子供に「ないわあ~あ♪」と言って楽しむ・・という父親の態度というものをどう考えたものか、という点は次回に別稿で述べるということにしたい。
(2022.10.27.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。〔今回〕
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
北野高校は行きたいと思っていった学校だったので合格発表の時はうれしかった。又、森毅『数学受験術指南』・『元気がでる教育の話』(中公新書)などに述べられているようなものは、それから何十年か経ってもその校風は残っており、私はそういったリベラルな校風は好きだった。

数学受験術指南 (中公文庫) - 森 毅
慶應の体育の教授は・・これは1980年代に実際に「体育理論」という必修科目で教授(男性。40代なかばか後半くらい?)がお話しになったことですが「スポーツにとって何よりも大事な事というと、何と言っても『殴る』ということだ。最近、『殴っちゃだめえ』とか言う頭のおかしな人間がいるが、そういうおかしなことを言うやつはスポーツやるなってんだ。『殴らないスポーツ』なんて、そんなものスポーツじゃないじゃないか。殴ることこそスポーツなんだ、殴ってこそスポーツなんだよ。特に女子バレーが激しいんだけれども、女子バレーでは男性のコーチが女子選手の髪の毛をつかんでコートの中をひきずりまわしたりするんだよ。それがいいだよ♪ それが。それがスポーツの醍醐味てものなんだよ、それをやってこそスポーツなんだよ。それをだめだとか言うような頭のおかしなやつは一回、病院に入院しろお!」とお叫びになったが〔「あんたこそ、””入院””したらどないやねん」と私は心の中で思ったが・・逆らうと怖そうだったので言えなかったのは情けない


慶應体育会・慶應内部進学・慶應心理学は自分たちが中心で自分たちに都合がいいもの・自分たちを翼賛する者は「自我が確立されている」「独立自尊の精神がある」であり、それに少しでも異を唱える者・異なる主張をする者は「自我が確立されていない」「独立自尊の精神がない」「モラトリアム人間病にかかっている」「未成熟」とかになり、さらに「精神病質」とかさらには「統合失調症」とか「診断」される危険もでてきます。「診断」されれば次に、薬漬け療法とかでメロンメロンにされるとか(「薬物療法」)(「メロンメロン療法」)、「作業療法」で強制労働・無賃労働につかされるとか(当然のごとく労基法の対象外)〔⇒《YouTube-流刑人 - アレクサンドル・スヴェシニコフ指揮ソ連国立アカデミー・ロシア合唱団》https://www.youtube.com/watch?v=B7drh7esOiE 〕、言いくるめ療法・洗脳療法(「カウンセリング」)で洗脳されるとか、逮捕監禁療法(「入院療法」)で拉致監禁されて世間から隔絶されるとか、あるいは緊縛療法でベッドに緊縛されるとか・・怖いわ、こわいわ、怖いわ怖いわ怖いわ・・とされる危険がある


殺す側の論理 (朝日文庫) - 本多 勝一

転移と逆転移 (現代精神分析双書 第 2期第9巻) - H.ラッカー, 坂口 信貴
・・・うかつに口にすると何何療法とかされそうで大変怖いのですが、それでも私は言うが「殴るということこそ、スポーツなんだ」という「慶應スポーツ」と「我々は犬畜生ではなく人間であり、人間である以上、自分で自覚して体を動かすものであり、自分で体を動かしてこそ体育だ」という「北野のスポーツ」では「我々は犬畜生ではなく人間であり、人間である以上、自分で自覚して体を動かすものであり、自分で体を動かしてこそ体育だ」という「北野のスポーツ」の方が好きです。
『毛沢東語録』(河出書房新社)には「三大規律・八項注意」というものが掲載されていますが、その内容は、
殴らない、怒鳴らない。
捕虜を虐待しない。
婦人をからかわない。
人民からは針一本・糸一本とらない。
敵から奪ったものは公のものとするか分配する。
借りたものは必ず返す。
壊したものは必ず直すか弁償する。
・・といったものです。池波正太郎『鬼平犯科帳』に出てくる「本格の盗賊」の「つとめ(盗み)の三箇条」は、
命はとらない、
女をかどわかさない、
とられて生活できなくなる者からはとらない。
・・ですが、なんか似てますよね(^○^)
毛沢東は『体育の研究』(『毛沢東の体育の研究』ベースボールマガジン社 所収)で、それまで中国では、頭脳が優秀な人は体が弱い、体が頑丈な人は頭脳が弱いと言われてきたが、その考え方は間違いで、これからはすべての国民が自ら体を鍛えるスポーツマンであるとともに、自ら考える哲学者であるべきだという主張をしており、毛沢東自身も水泳、特に遠泳を好み、揚子江を泳いで渡ったとかいった話があったりしたが(もっとも、相当、高齢になった毛沢東が揚子江を泳いで渡ったという写真は毛沢東は健康であるとアピールするために揚子江の写真に毛沢東の頭の部分の写真を貼りつけた複製ではないかと言われたりもしたらしいが、そうであったとしても、国民に体育を勧め自身が水泳を好んだというのは虚偽ではないようだ。)毛沢東の体育と慶應の体育は体育は体育でも正反対、まったく質が異なるものであり、毛沢東の体育は北野の体育とは共通点がある。古来、日本でも、頭脳が優秀な人は体が弱い、体が頑丈な人は頭脳が弱いみたいに言う人もあったものの、他方で「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といった言葉もあり、それは「毛沢東の体育」や「北野の体育」と共通する考え方であったはずだ。「体育とはサドマゾだ」という「慶應の体育」というのは、私の印象ではそれはサドマゾであり病的だと思うのだが、うかつに口にすると、慶應内部進学に逆らうと彼らは「愛塾心」から即座に殴りかかってくるから、怖いこわい怖いこわい・・・

毛沢東の「体育研究」 (1964年) - 毛 沢東, 山村 治郎
「リベラル」という時、慶應の人間は「慶應リベラル」という言葉を口にするが、それは欺瞞である。「慶應リベラル」というのは塾風翼賛主義・塾風迎合主義のことを言っている。彼ら塾風ファシストからすれば本当に「リベラル」な者というのはどう言うかというと、彼らは「ラディカル」とか「共産党」と言うのである。「慶應リベラル」などというデタラメに騙されてはならない。「慶應リベラル」などリベラルではない。
又、他にも北野高校・大阪一中の出身者の著作では、野間宏『真空地帯』(岩波文庫)・『親鸞』(岩波新書)・『狭山事件(上・下)』(岩波新書)、川島武宜(たけよし)『結婚』(岩波新書)などを読んだが、『真空地帯』は名作であると思うし、他の著作についてももっともな論理のものが多い。こういうものを「リベラル」と言うのであり、「慶應リベラル」などというものは本来は「ファシズム」とか「反動」と言うべきものであり、あんなものは、ちっともリベラルではない。

真空地帯 (岩波文庫) - 野間 宏
しかし、どう考えてもいい学校ではなかったと卒業して十数年を過ぎて冷静に考えられるようになってから思えてきた。
大学進学については、もしも東大に行きたいという気持が強いならば、仮想受験校:京都大学の北野高校に行くよりも灘高校とか仮想受験校:東京大学の高校に行っておいた方が行きやすい条件があったと思われ、私はそのあたりについて十分に認識できていなかったが、北野高校の教諭にも認識できていない者が多かった。進学校の教諭のくせに、その高校によってカリキュラムや授業の内容・定期試験に出題される内容など京大に相関関係が大きい高校・東大に相関関係が大きい高校というものがあるといったそのあたりを認識できていないという人が北野高校の教諭にはいっぱいいたが進学校の教諭のくせにそのあたりを認識できていないのは情けない。
世の中には「京大より難しいのが東大」みたいに思っている人がいるがその認識はあまり正しくない。少なくとも、私が高校を卒業した頃、1970年代後半からしばらくについては、京大(京都大学)と阪大(大阪大学)は比較的、試験科目と配点が似ていて、出題傾向も比較的似ていたのに対して、京大と東大は試験科目も異なり配点も異なり、出題傾向も特に社会科は東大では「論述式」の問題が出たという点で大きく違ったので、京大・阪大の問題なら相当高得点を取れる人でも東大の問題ならあまりいい点数を取れないという場合があったはずだ。
十年くらい前だったか、ラジオの野球中継を聞いていた時、横浜対どこそこ の試合で終盤、横浜の救援投手に横山投手だったか、ストレートとフォークボールが相当いいという投手が登板した時、解説者の落合が「私はこういう投手は好きですね」と話したことがあった。「球種はストレートとフォークボールの2つしかないけれども、その2つが相当いいという大魔神 佐々木の小型みたいな投手ですね。こういう投手はね、ストレートかフォークボールかどちらか片方に絞るんです。それで、もしも、狙っていた方と違う方の球が来た時には、その時には『ごめんなさい』と、そう言うしかないです。それでだめだと言われても、プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙っても絶対に打てるわけなんかないのだから。それでもだめだと言われるなら、俺みたいな人間を打たせる者が間違ってるんだと考えるしかないですよ」と話していたことがあった。それといくらか似たところがある。東大と京大と両方同時に狙ったら、もしも片方に絞ってやったら通るものでも落ちてしまう・・ということがある。但し、「プロの投手の投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙う」というのと「東大と京大を同時に狙う」というのはまったく同じということでもなく、「プロの投手の投げるストレートとフォークボール」はまったく異なるらしい(「らしい」というのは私はプロの野球選手でも何でもないので、落合がそう言うのならそうなのだろうということで「らしい」)が、東大の入試問題と京大の入試問題は相当異なるけれども共通点もあるので、片方に絞って学習した人の中には、その共通する部分において相当の高得点を取れるようになる人も出る可能性があり、共通する部分で相当の高得点を取れるようになった人には狙っていた方と異なる方を受けたとしても合格できる状態になる人というのも出る可能性はあるだろう。しかし、それでも、どちらか片方に絞ってやるようにした方が作戦としていいと私は思う。「両方同時に狙う」というのと「片方に絞って学習した人で、共通する部分について相当の高得点を取れるようになった人が他方でも合格できる可能性が出てくる場合がある」というのは意味が違うと思う。
1970年代後半、高槻市の現在では大阪医大本部北西部キャンパスになっている所にあったYMCA予備校高槻校の「主事」というよくわからない職種についていた藤井という男が「YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れたらどこの大学学部の試験でもいい成績を取れる。YMCA予備校の模擬試験でいい成績を取れなかったらどこの大学学部でもいい成績は取れない」と言うので、私が「そんなことはない。模擬試験によって相関関係が大きい大学学部とそうでない大学学部がある。ある大学学部に合格できそうな点数を模擬試験でとれた人でも他の大学ではそうではないという場合がある」と言ったところ、「いいや、そんなことはない。YMCA予備校の模擬試験は東大でも京大でも絶対的な相関関係がある」と言い、さらに「きみみたいな上司に逆らう男は会社員としては絶対にやっていけないから、きみは絶対に経済学部は受けてはいかん」などと言ったのだった。何をぬかすか、このアホンダラ! おまえこそ、「会社員としてやっていけない」人間だったから勤めていた会社をやめた末、「洗礼」受けることでYMCA予備校で雇ってもらって勤めたのだろうが!〔 YMCA予備校の職員は採用してもらう条件として「洗礼うけていること」というものがあるらしく、それゆえにYMCA予備校で雇ってもらうために洗礼うける人もいるようだ。キリスト教系の学校には推薦入学で入れてもらうための条件として「洗礼うけていること」というのがある学校があり、そのために洗礼うける人がいるらしいが、それと似た感じであり、YMCA予備校の問題点として、予備校職員としての能力よりも「洗礼うけていること」が優先されることから、私ならば洗礼というものを受ける場合には、はたして自分はキリスト教の洗礼を受けて「クリスチャン」となっていいものだろうかと考えて考えてした上で判断して洗礼を受けたり受けなかったりするものだが、そうではなく、洗礼うければ同志社大学とかに入れてもらえるのなら受ければいいじゃないかと『聖書』なんて読んだこともない人で洗礼うける人がいるようだが、藤井もまた「『聖書』みたいなもん、あんなもん、いいことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん! 『聖書』みたいなもん決して読んではいかん! ましてや、そこに書かれていることを実行しようなんて、まかり間違っても絶対に考えてはいかん。『聖書』みたいなもん、読まんでも、洗礼うけて日曜ごとに教会に行って礼拝にでて献金払っておけば、それでええことなんや。『聖書』なんて絶対に読んではいかん!」と毎日、叫んでいる男であり、それを「伝道活動」と考えている男だった。「敬虔なクリスチャン」という人間にはそういう人間が大変多い! だから、私は「敬虔なクリスチャン」というものが大嫌いなのである。藤井はそのようなタイプの「敬虔なクリスチャン」であり、キルケゴールであったり内村鑑三であったり、そういった人たちとは正反対の人間であったが、YMCA予備校というものは、そういう人、「『聖書』みたいなもん、ええことなんて何ひとつとして書いてないんやから、あんなも~ん」「『聖書』みたいなもん、絶対に読んではいかん」と思っている人で、かつ、それを口に出して何度も何度も大きな声でひとに言いまくる人であって、「洗礼うけて日曜ごとに教会に行って礼拝に出て献金はらっておけばそれでええねん」と心から思っている人、洗礼うけたらYMCA予備校で採用してもらえるなら洗礼うければいいじゃないかという洗礼を受ける人というものを採用条件としていた予備校であったから、だから、職員はそういう類の人が多くなるようだった〕
( ↑ 大阪府高槻市八丁西町5。 大阪医科大学 本部北西キャンパス。かつて、YMCA予備校高槻校があった所。)

人と思想 19 キルケゴール - 工藤 綏夫
私は実際に高校卒業する年に大学受験を経験した上でその経験の上から言っている。それに対して、藤井は亜拓大東帝国あたりしか出てない男がデマカセで言っているだけであり、デマカセを頑固に主張しないとおれないというあたりが「敬虔なクリスチャン」なのかもしれないが、そういう「信仰」に生きる人というのは、そういう信者ばっかり集まって儀式でもやっておいてもらいたいものだ。そもそも、「きみのような上司に逆らう者は」などと勝手なことを言うが受講生はYMCA予備校の事務職員の部下じゃねえぞ! 受講生とYMCA予備校の事務職員とでは、どっちがカネ払ってる側かというと受講生の方がカネ払ってる側であり、YMCA予備校の事務職員が受講生にカネ払ってるのではないのである。その程度のことすらもわからないような人間だから、だから、藤井は前職の会社でうまくいかなかったのではないのか!・・と思う。私に対してと同様のことを藤井から言われた受講生は他にもいたようで、そして、私は藤井からそういう口をきかれても、「何をぬかすか」と思っても「我々はあんたの部下じゃないよ。我々はあんたから給料もらってないよ。あんたこそ、我々受講生が払ったカネから給料もらっているのでしょうよ」とはっきりとは言わなかったが、言った人もいたようで、その後、藤井はK-1 クラスで全員を前にして、「ぼくらはきみらからは1円としてカネもらってないんやからな。ぼくらはあくまでも、きみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんやから、勘違いしたらあかんぞ。ぼくらは、きみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんやからな」と公言したのだった。受講生のために働く筋合いはないと言うのなら、そんな予備校と予備校職員に何の価値があるか。何の価値もないではないか。しょせんは「その程度の男」だったのだろうけれども、うちの父親は「ぼくらはきみらからは1円としてカネもらってないんやからな。ぼくらはあくまでも、きみらの親からカネもらっているのであって、きみらからは1円としてカネもらってないんやから、勘違いしたらあかんぞ。ぼくらは、きみらの親のために働く筋合いはあるけれども、きみらのために働く筋合いはまったくないんやからな」と言ったという話をうちの父親は聞いて、「ええ~えこと、言いはるっ♪ そうや! その通りや! 親がカネはろうとるんや。親のために働く筋合いはあっても、おまえのために働く筋合いはないんや♪」と言って大喜びしていた( 一一)・・・が、アホな親だと思う( 一一)
YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井という男は「ぼくは早稲田の政経でてるんやけどな」と毎日、最低3回は口にしないとおれないという病癖のある男で、「もう、それ聞いたよ」とうんざりしたものだったが、あれは学歴詐称だと思う。実際に藤井が卒業した大学は亜拓大東帝国あたりではないか、と思う。その程度のところ卒の人だろう。それに対して、YMCA予備校で「古文」を教えていた常勤講師の山之内というおっさん〔 YMCA予備校は京大・阪大の大学院生や助手、及び、京阪神圏の私立大学の教員をアルバイトの講師として雇って、答え合わせみたいな授業をさせていた。アルバイトの講師というのは、たとえ人柄は悪くない人であっても「しょせんはアルバイト」のようなところがあり、「答え合わせ」みたいなものは講師にしてもらわなくても答えが書かれている問題集は市販されており、結論としてあまり意味はなかったが、山之内のおっさんはYMCA予備校の「古文」の講師を本業としてやっていた。「常勤講師」と表現したのはそのことから「常勤」と表現した。〕は「北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教師」と自称していたが、おそらく本当だろう。本当だろうけれども、しかし、「この人、堕落してるなあ」という印象を受けた。「堕落している」というのは何か犯罪を犯したとかそういう意味ではなく、けっこう年配の人で、若い頃はもっと覇気もあったのかもしれないが、自分ではわかってないかもしれないが、「全盛期を過ぎている」という印象があった。野村じいさんはヤクルトの監督を9年やって、それまで1回しか優勝したことがなかったヤクルトを、そのうち4回優勝・3回日本一にしたが、そのまま、あと3年でもヤクルトの監督をやっておれば最低でももう1回くらいは優勝できたのではないかという感じがしたのにヤクルトの監督をやめて、その頃、長期に渡ってCクラスを続けていた阪神の監督を引き受けたが、阪神の監督になったら、どよお~ん・・となって負けるたびに誰が悪い誰が悪いと、悪い選手の名前を片っ端からあげて、又、「これまでの監督は何やっとったんや」と「これまでの監督」を批判して自分が悪いのじゃないと言い訳ばっかりして・・、ヤクルトの監督の時はいい監督だったのになあと思い、がっかりしたものだったが、野村じいさんが他界した後、「野村の教え子」のひとり、江本が阪神の監督だった時の野村に「旬を過ぎた監督の悲哀」を感じたとどこだったかで述べていたが、そうこともあったかもしれない。野村じいさんについては、それでも、そのままヤクルトの監督をあと3年やっておれば、あと1回以上優勝できて、そこで辞めれば「名監督」と言ってもらって残りの人生は大きな顔をして悠々自適の生活を送れるところを、それをあえて優勝できる可能性があるチームの監督をやめてCクラスのチーム強くしようと連年Cクラスのチームの監督を引き受けたというその点を評価したいと思うが、それはさておき、「この人は旬を過ぎている」と感じる人というのは世の中に実在する。山之内さんも、若い頃はまた違ったのかもしれないがYMCA予備校高槻校で見た時点においては「旬を過ぎた人」という印象が現実にあり、大学入試に対してやることがトンチンカンというのか「ピントがずれている」といったところがあり、なおかつ、本人にその自覚がなかった。江本が阪神の監督だった頃の野村に「旬を過ぎた人の悲哀」を感じたというが、山之内さんもそういう「旬を過ぎた人の悲哀」のようなものにあえいでいたところがあったのではないか。
山之内さんは4月だったか5月初めだったか、京大東大文系クラスの受講生を前にしてこう言ったのだ。「最低で京大。うまくいけば東大。さらに行けば、亜細亜大だあ~あ♪」と。最後の「さらにいけば亜細亜大だあ」というのは冗談のつもりだったのだろうけれども、「最低で京大。うまくいけば東大」というそういう考え方は間違いだ。そうではなく、落合が「プロのピッチャーが投げるストレートとフォークボールの両方を同時に狙ったって打てるわけないんだから、どちらか片方に絞って、狙っていた方と違う球が来た時には、その時には『ごめんなさい』と、そう考えるしかない」という考え方、東大か京大かどちらか片方に絞って学習するという学習法をとった方がうまくいく。手ごわい相手を「両方同時に狙う」と片方に絞ってやれば通るものを落ちたりすることがある。今から考えるならば、山之内さんは「北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教師」なのに、こういうことがわからんのか・・と思うが、わからんかったようだ。
北野高校の教諭どももまた、進学校の教諭の仕事についているならば、そのあたりを認識できているべきであるが、実際のところ、北野高校あたりから現役で京大もしくは阪大あたりに合格して行って卒業した人間には「なぜ、合格したのかわからないうちに合格してしまった」みたいな人が現実にいる。
又、高校教諭の仕事にありつくには「高校教諭の国家資格を取得すること」と「実際に高校教諭として採用されること」の2つが必要になるが、進学についてはその2つ以外に「自分自身が高校生ならば、いかにして合格してみせるか」ということを常に考える姿勢があるか、という3つ目が必要であるはずだが、中には前の2つは満たしていても、自分自身は《「十大国立大学」(旧帝大系国立大学+一橋大・東京工大・神戸大)+早慶》あたりなんか受けたこともないのに進学校の教諭になっているという教諭もおり〔「日本史」担当の大谷などはそれだろう〕、そういう人が「大学はどこでも一緒や」とかなんとかかんとか、ぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ言いまくるしか能がない、たしかに東大に通ろうが京大に通ろうが自分がそこに合格したならどこかで誰かが落ちているということであり、そのこと自体は世のため人のために何かやったわけでも何でもないが、それでも、高校の教諭ならば目の前にいる生徒に合格させてやりたいと考えるものではないのか!?!・・と思うだが、大谷などは逆で「目の前にいる進学校の生徒」というものに対して敵意のようなものを持っている。《「進学校の生徒」というものに敵意を持っているが高校の教諭はやりたい》という人は進学校でない高校の教諭になった方がいいと思うのだが、ところが、「進学校の生徒」というものに敵意を持っているにもかかわらず進学校の教諭になりたがる人というのがいるようなのだ。私は、もともと、私立受験校というものをあまりいいと思っていなかった人間で公立進学校の方がいいと思っていたが、《「進学校の生徒」というものに敵意を持っている高校教諭》というものは、私立受験校の場合は排除されている場合があるのに対して公立進学校ではそのままそこにいるということがあるようだ。
自分自身が京大・阪大あたりに合格して卒業した人であっても、自分がその大学を受けた時はその大学の入試に合格するだけの姿勢があっても、卒業して高校教諭の資格を取得して高校教諭の職につくとともに高校生・大学受験生の意識は宇宙のはてまで飛んでいってしまった、「もし、次回の入試で◇◇大学☆☆学部を受けるとすれば、私ならこうする」というものを、私が高校教諭になっていたならば考えるし、その認識から考えて、どうも、とんちんかんな努力をしていると思われる生徒がいたならば、「私はこう思うが・・」という意見を言ってあげることだってできるが、北野高校の教諭にはそういった思考がまったくない人がいた。 YMCA予備校で「古文」を担当していた「北野高校卒・京都大学文学部卒・元天王寺高校教諭」だという山之内という「古文」担当のおっさんを見て「この人、堕落してるな」と思ったことがあったのだが、「堕落してる」というのは何か犯罪を犯したとかいう意味ではなく、自分自身が京大を受けた時には「どうすれば通るか」といったことを考えてやっていたかもしれないが、もう、1970年代後半、YMCA予備校の講師をやっていた時点においては、そういう思考能力は相当低下していると思えたのだ。山之内さんは自分がそういった思考能力が低下している点について自覚がなかったものの、受験について考えようという意識までなかったわけではなかったと思うが、北野高校の教諭には意識もなかった人がいたのではないか。
元西武ライオンズ監督の広岡は解説者としても鋭い指摘をするところがあり、特に、テレビで「キャンプ探訪」とか言って解説者が各チームのキャンプを見て報告しても、当たり障りのないことを一通り言うだけであることが多かったのに対して、1987年春、「プロ野球ニュース」で「新外国人研究」だったかで、各チームのキャンプを見てまわり、南海ホークスについて「南海は新外国人のハモンドは、どちらかというと流すタイプの選手のようです」と言っただけで、新外国人選手と関係ないにも関わらず「それよりも、ベテランの門田が今年は相当いいですよ」と言ったので、それまで、門田は何年間か成績が低迷していて、もう、門田はそろそろ終わりかな・・と思っていた者からすると「何、言ってんの」と思ったら、その年、門田は復活して3割・31本打ち、翌年1988年は3割・44本・125打点で本塁打・打点の二冠王、あと一歩で三冠王という成績をあげた。成果が出てから言うのではなく1987年の春にそれを指摘したのは広岡ひとりだけだった。広岡はたいしたもんだなあと思った。
野村じいさんが『功なき者をいかす』(カッパブックス)だったかで書いていたが、1997年、ヤクルトが優勝した年、最終的に2位になった横浜ベイスターズは前年の5位から旧躍進し、終盤、首位のヤクルトに猛追したが、野村じいさんが書いていたものによると、「メークドラマ」「メークミラクル」などと言って巨人が挽回するとか言う者がいたが長嶋の采配ぶりから見て「何をぬかすか」と思っただけで、後半になって追撃してくる相手は広島だと思っていたところ、広島ではなく予想外に横浜が急迫してきて、これには一瞬、冷やっとしたが、前年5位だった横浜(第1次大矢監督の2年目)が首位を追撃しての2位になったというこの躍進について「解説者」で誰ひとりとして予想する者がなかった、というのはどういうことなんだ! ひとりとして予想できなかったというのは、それで解説者と言えるのか、と書いていたがもっともだ。その点、広岡はそれまでの数年の成績と年齢から考えて「もう、門田はそろそろ終わりかなあ」という感じだったものを門田が実際に成果を出す前に「今年は門田が相当いい」とシーズン開幕前に特に予言したわけで、他の解説者とは違うという感じがした。・・しかし、だ。片方で感心しないところもある。それは、

功なき者を活かす―リストラ時代の人材活用法 (カッパ・ブックス) - 克也, 野村, 哲也, 筑紫
これは、漫画家の やく みつる が書いていたことだが、テレビだかラジオだかに「ゲスト」「ゲスト解説者」ではなく「解説者」として広岡が出ていた時、「私はこの選手はよく知らないですねえ」と当たり前みたいにえらそうに言いよったというのだ。「バカか、こいつ。ゲストで呼ばれているのじゃないだろ。ゲストで呼ばれて出た場合なら『この選手は私はよく知りません』と言っても悪くないとしても、解説者を職業としてやっている以上、どういう選手かあらかじめ調べておいて『よく知らない』一般ファンに説明するのがプロの『解説者』で、それが『解説者』の仕事だろうが。それを『この選手は私はよく知りませんねえ』とえらそうに言うというのは、それでは『私は真面目に仕事をしていません』と宣言しているのと一緒だろうが!」と言うのだったが、私も やく みつる が言っていることはもっともだと思う。もしも、現役のあるチームの監督がオールスター戦にその監督が監督・コーチとして出ていない時や日本シリーズにその監督のチームが出場していない時に「ゲスト」「ゲスト解説者」として呼ばれたという場合であれば「私はこの選手はよく知らないですね」でもいいとしても、いったん、監督をやめて「解説者」というものを本業としたならば、「私はこの選手はよく知らないですねえ」などというのは、それは「私は真面目に仕事していません」と宣言しているのと一緒だろう。・・そう思ったら、最近、YouTube で里崎チャンネルhttps://www.youtube.com/results?search_query=%E9%87%8C%E5%B4%8E%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB を見ていたら里崎金太郎が「俺ほど野球の試合を見まくっている人間はいないからね。絶対の自信がある」と言っていたが、そうなの?・・と思っていたら、野球系ユーチューバーの人の動画で、2022年の解説者の順位予想採点というものを公開していた人がいて、セリーグについては「完全に全部はずした人」というのがいる一方で「ほとんど全部あてた」のが里崎だったらしい。自分で言うだけのことはある・・と思ったがパリーグの方は相当はずしたらしい。・・里崎金太郎がどうかはさておき、現役の監督が「ゲスト」として呼ばれた場合なら「私はこの選手はよく知らないですねえ」でもいいが、「解説者」を職業としたなら「解説者」としての仕事をしないといけないし、里崎が「監督・コーチの方が解説者より上だと思っている人がいるけれども、里崎はちっともそんなこと思っていない。解説者は監督・コーチより下じゃない」と言っていたが、それももっともで、「解説者」としての仕事をやれ・・という視点から考えるならば、元監督として相当の成績を残した者ならば「解説者」の仕事につかせてもらえて、そして、「元監督」として相当の成績を残した者だからという理由で特に「解説者」としての努力をしなくても評価されるだろうみたいに思うなら、それは間違いで、「解説者」としての努力が必要なはずだ。同様のことが高校教諭にもあると思うのだ。時々、自分は現役で東大に通ったとか、現役で京大に通ったとか(時として浪人して京大に通ったとか)で、それゆえに、高校教諭になったあかつきには「勝ちは自分の勝ち、負けは生徒の負け」として一生、悠々自適の生活を送る権利がある・・みたいに思っているような人がいる。北野高校で「漢文」を主として教えていた「国語」課の教諭の藤尾なんかは東大文学部卒ということで「初日に勝ったことで、残りの14日間も勝ったみたいに勘違いしている相撲取り」みたいなところがあり、その類だったのではないかと思う。初日に勝ったからといって2日目にも勝てるとは限らないのだが、わからん人はわからんようだ。「勝ち逃げ」みたいなことをやろうと思っても、会社員とか「普通の仕事」、《学校でやってきたことが職場で役に立たないわけではないが「そのまま役に立つ」というわけではないという仕事》についたら一般にそうもいかないのだが、高校の教諭とかになった場合には、一生、「東大文学部卒」で「勝ち逃げ」できてしまうみたいなところがあり、高校教諭というのは、その点において問題がある。
大学は合格した方がいいか不合格の方がいいかと言えば合格した方がいいに決まっている。しかし、元大関朝潮・元高砂親方・「大ちゃん」が朝青龍を指導できないのは元横綱ではなく元大関だからではないかと言われた時、元朝潮・「大ちゃん」が「元大関の親方が元横綱の親方に劣っているということはない。元横綱の親方というのは、たいてい『達成した』という意識でいる。それに対して、大関にまではなれたが横綱にはなれなかったという親方は、なぜ、横綱になれなかったのだろうか、どこが悪かったのだろうか、どうしたら横綱になれたのだろうか・・と力士を引退した後も、いつまでもいつまでも考え続ける。考えるなと言われても考えないでいることはできない。その気持ちを弟子の指導にぶつけるから、だから、成果が出る。だから、元大関の親方が元横綱の親方に劣っているということはない」と話したという話がスポーツ新聞に載っていたのを見た。私にしても、今でも大学入試を受けている夢を見ることがある。又、入試の後、あそこで何点とれた、ここは間違えた・・と点数を計算している夢を見ることもあり、合格発表を見に行く夢を見ることもある。そういう夢を見たのは一度や二度ではない。合格発表を夢の中で見に行った時、いつ見に行っても自分の受験番号がないのだ。捜しても捜してもないのだ。さっさと東大なり京大なりに現役で通って行った人間、浪人しても行きたいと思った所に1浪で行った人間はこんな夢なんて見ないでしょう。こういう思いを常に持っている人間とそうでない人間ならば、こういう思いを持っている人間の方が高校生や大学受験生の大学受験の指導においてはいい成果を出せたとしても、それは考えられる話だと思う。「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったに、大王製紙の2代目の社長は北野高校から東大を受けたが合格することができず、息子には何が何でも東大に行かせてやりたいと思い、そして、息子は筑波大付属駒場高校から東大に通って行ったらしい・・が、それが三代目社長を継いだものの、ラスベガスのカジノでしょーもないことしいやりよったああ~あ・・あ~あ・・という記事が載っていた。立場が高校の教諭なのか予備校の講師なのか、親なのか、どの立場であっても、自分が受けるのではなく指導する立場になった場合に、「通った人間」と「落ちた人間」で「通った人間」の方が常に良い成果を出すとは決まっていない。
『あしたのジョー』では元ボクサー 丹下段平はボクサーをやっていた時に試合で片目を傷めてボクシングを続けることができなくなって引退したが、引退後、「流れ流れて」山谷のドヤ街にまでたどりついたが、若い男を見るたびに「おい、若いの。ボクシングしねえか。俺が指導してやる。俺が指導してやれば世界チャンピオンになれる。ボクシングやってみな」と誘いかける。山谷のチビどもはそれを見て「拳キチ(拳闘きちがい)のおっさん、また、若い男にボクシング誘ってやがる。若い男なら誰でも世界チャンピオンになれると思ってやがる。頭おかしいのじゃないかあ」と言ってみんなで笑う。その丹下段平の前に現れたのが矢吹丈だった。「こいつだ。俺が捜していたのは、こいつだ」と・・。
※ 《YouTube-14 ジョーの子守唄 [Joe's Lullaby - Long Version]》 https://www.youtube.com/watch?v=IEY-gC7tqXs
北野高校の教諭には、元大関の親方が「なぜ、だめだったのか」「なぜ、横綱になれなかったのか」「どうしたらなれたのか」といったことを考えないとおれない、そういう気持を生徒の指導に役立てるなどという姿勢は微塵も持たず、「勝ち逃げ」により「勝ちは教諭の勝ち、負けは生徒の負け」にして悠々自適の生活を送る権利を得たみたいな意識の人がいたように思う。それも、1人ではなく何人もいたように思う。そんな人というのは「その程度の人」だと思うが、そういう人が何人もいたように思う。
それから、北野高校の良くない点として「入学時点において3種類の入試基準があった」という点がある。大阪桐蔭高校は片方でスポーツクラスの野球部は毎年のように甲子園の全国大会に出場して何度も優勝していて、いまや、高校野球において一番強い高校になったが、他方で進学クラスからは京大・阪大に毎年、何十人かの合格者を出す高校になったようだが、進学クラスとスポーツクラスとそれ以外クラスは入試が違うようで、入学後も同じ名前の高校に3コースあるようだ。栃木県佐野市に佐野日大高校という高校があり、地元の人間の話によると、かつては「自分の名前を書くことができれば合格」という高校だったらしいが、今では、野球部は時々、甲子園大会に出場し、同校出身のプロ野球選手もいたと思うが、片方で年によっては東大に1人か2人、合格者を出したりしているが、ここもまた、スポーツクラスと進学クラスと何クラスだかいくつかに分かれて入試がおこなわれていて、入学後も同じ名前の高校でも内容は違うらしい。
北野高校はそれと似たところと違うところがあった。私立大学のラグビー部の監督をやっていたうちの母方の叔父というのは、どうも、私と関係があるものをけなしたがるおっさんで、1990年代、私が(株)一条工務店に勤務して福島県いわき市の営業所にいた時には、うちの母親に「いわき に磐城高校という進学校があるやろ。あそこからでも、うちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来るやつおるねんでえ」などと、「だから、なんやねん」ということを言ってきたことがあった。磐城高校というのは福島県では郡山市の安積(あさか)高校・福島市の福島高校とともに福島県の公立進学校として評価される高校で、いわき市においては「しょーもない私立大学」卒よりも磐城高校卒の方が高く評価されるという「名門」公立高校だけれども、実際のところ、「地方の進学校」というのは東京圏の進学校・関西圏の進学校と比べると「たいした進学校ではない」という場合が多く、又、磐城高校の周囲には磐城高校に通学するための下宿屋が何軒かあったが、福島県浜通り地区から磐城高校に通おうと思うと自宅から通学するのが困難な地域があり、そういう所の住人の息子には磐城高校に下宿して行くくらいなら、東京の開成高校とかに下宿して行った方がいいと考えて東京で下宿して私立受験校に進学する人が最近は出てきて、かつてに比べて進学成績は低下してきているとか言われていたが、そういう高校だから、片方で東大に進学する人がおり、又、最近では東大は「私立受験校の人の行く所」みたいになってきたことから東大ではなく「公立進学校の人間の行く大学」たる京大を目指す人も出てきたらしいが、大阪経大みたいなもんに行く人だって中にはある、ということだろう。・・それはわかったが、「だから、なんやねん」と思うのだが、私がいわき市に住んでいたなら「坊主にくけりゃ袈裟まで憎い」みたいにいわき市の高校までそれでけなしているつもりらしかったが、「変なおっさんやなあ」と思うが、そういうおっさんやった。 その叔父が「北野高校卒でも、うちの大学(大阪経済大学)に来るような女の子がおるねんで」などと、うちの母親に言ってきたことがあったのだ。本当に「おった」のかどうか、知らんけど。あのおっさんの言うことやから、どうせ、ええかげんやろうし。
そもそも、北野高校というのは府立高校で、大阪府の府立の高校というのは、戦後、学校教育というものは男女共学であるべきだという考え方から府立の高校は共学になり、戦前は男子校だった北野高校(旧制 北野中学校)は女子校だった大手前高校と生徒を半分半分入れ替えて互いに男女共学になったのだが、その後、男女共学を維持するために、入試は男子生徒の合格基準と女子生徒の合格基準は大きく異なるようになったのだ。今はあまり言わないかもしれないが、1970年代、私が北野高校に進学した頃は「女性は北野高校に行くと婚期が遅れる」などという話もあり、「男なら北野高校に行って京大でも行けばいいけれども、女の子が北野高校になんか行ってもしゃあないやろ」と思う親も少なくなく、その結果、北野高校は女子の応募者が少なく、男子は大阪府の公立高校の中では一番、入試難易度が高い高校だったけれども、女子は無試験用高(むしけんようこう)、「受けさえすれば誰でも通る」高校だった。〔「むしけんようこう」は具志堅用高とかけたものだ。〕
「何点で通るかよりも、ぎりぎりでも通ればええ」という考え方は、それは、ぎりぎりのあたりの人間の思考だ。大学入試においては、別に一番で通る必要はない。もしも、一番で通ったなら学費免除とか、そういった特典でもあるならともかく、そうでなかったなら、大学入試においては合格最低点を上回ればそれでいいのだ。むしろ、必要もない高得点を取ろうとすると「体調崩す」ようなところがあって良くない。1989年、藤田元司が2度目の巨人の監督に就任した時、読売新聞のスポーツ欄で「ボロ勝ち、競り負けは弱いチームのやること」と書いていたが、大学入試においても「ボロ勝ち」する必要はない。合格最低点を上回ることができるかどうかのみが重要である。野球のホームランというのは外野のフェンスを越えたらホームランであり場外ホームランを打っても余計に点が入るわけではない。大学入試においては「いかにして、より高い確率で合格最低点を上回る点数を取れるようにするか」であり「合格最低点よりさらにより高い点数を取るか」はどうでもいいことだ。ハードルと走り高跳びは見ていると似ているように見えるかもしれないが「速く飛ぶことに意義がある」ハードルと「高く飛ぶことに意義がある」走り高跳びは性質が違う。大学入試はハードルか走り高跳びかというとハードルであるから、高く飛ぶ必要はない。しかし、高校入試においては少々意味が違う。
1970年代、灘高校卒の人から聞いた話なのだが、灘高校というのは最近では東大などに何人も合格者を出す受験校になってきているけれども、私立なので、毎年、「裏口やな」とわかる人がいるらしいのだ。そういう人は灘高校から東大に何人も合格したとしても東大に合格することはできない。青山とかそういう私立大学に行くことが多いらしい。最近は女性でも東大に行ったり京大に行ったりする人が増えてきたので私が高校生だった頃とは違ってきているかもしれないが、北野高校の場合、女性で北野高校に入学する人には男性であったとしても合格できた成績で入学した人と、そうではなくて、男性なら合格できない成績だが女性だったから合格できて入学した人とがいた。 もうひとつ、大阪府立の高校は内申書というものを高校に提出して、内申書の成績と入試当日の筆記試験の成績をミックスして合否が決められ、数学・英語・国語・理科・社会科の5科目は内申書の成績と当日の筆記試験を4対6の比率だったかで合算し、音楽・美術・技術家庭・保健体育の4科目については内申書の成績そのままでのものを成績として、それを9科目合算して合否を決めていたのだが、内申書の成績というのは10段階相対評価だったので、相対評価であるからには学力水準が高い中学校の生徒はいい成績になりにくく、学力水準が低い中学校の生徒の方がいい成績になりやすく、その結果、当日の筆記試験の成績が下の成績の生徒でも学力水準が低い中学校の卒業生は合格になり、学力水準が高い中学校の卒業生は当日の筆記試験の成績が良くても不合格になるということがあった。一般に、豊能地区と淀川地区では豊能地区の方が学力水準は高かったが、私が卒業した中学校は豊能地区の中学校の中でも学力水準は高い方の中学校であったらしい。だから、北野高校に入学して第一学期の中間考査の後の懇談の時に、うちの母親は担任だったO先生から「入学試験の時の成績から考えるなら、もしも、入学試験の成績の学年順位のまま、3年の終わりまで行ったとして、実際には学年順位のまま合否が決まるわけではないけれども、もしも、その順位のまま合否が決まるとするならば京大に合格できる成績です」と言われたということだったが、それは比較的学力水準が高い中学校の卒業生が北野高校に入学した場合は、そのような感じになる、ということだ。
それに対して、比較的学力水準が低い中学校から北野高校に入学した人の場合はその逆になる。だから、私が行った頃の北野高校というのは、入学時点において、(1)比較的学力水準が高い中学校出身者、(2)比較的学力水準が低い中学校の出身者、(3)男性ならまず合格できない成績で入学した女子生徒、この3種類の生徒が混在していて、この3者は異なる基準で合否を決められて入学していた。もうひとつ、(4)灘高校とか私立受験校を受験して落ちて北野高校には通って入学したという人がおり、私などは中学生の時には北野高校に魅力を感じていて、もしも北野高校と灘高校の両方を受けて両方に通ったならば、当然、北野高校に行くと考えていたが、灘高校を落ちて北野高校には通って入学した人の場合は、灘高校など私立受験校とそこの生徒に対して事大主義というのか、自分たちは灘高校などの生徒よりも下だ、北野高校の生徒は灘高校の生徒よりも下だという意識が相当強烈に持っていたようで、そういう人は私などとはちょっとタイプが違ったようだった・・が、このタイプの人は入試の合否基準が特に違ったわけではない。 (4)は別として(1)~(3)については入試の際に異なる合否基準によって入学してきた人であったが、大阪桐蔭高校や佐野日大高校とは違って同じクラスにいて同じ授業を受けていたのだった。女子生徒の場合には(3)の人がいたと同時に(1)と(2)の人もいただろう。
そこで、だ。この(3)のタイプで入学した人と(1)のタイプで入学した人では入学後の成績も違えば、卒業後に合格できる大学もまた変わってくる。本当にいたのかどうか知らんが、灘高校に裏口入学した人は正規の入試に合格して入学した人と同じというわけにはいかないのと同様に、(3)のタイプの人は(1)の人間と同じというわけにはなかなかいかないから、中には、あまり評価が高くない大学とかに行く人もいたということは十分に考えられる。だから、本当にいたのかどうか知らないが、「北野高校の出身でもうちらの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来る女の子がおるんやからなあ」とうちの叔父が言ってきたのだったが、いたとしてもそうおかしくはない。あり得る話である。・・で、だから何やねん? ・・てものだが、何を言いたいのかよくわからんが、そういうことを言いたがるのがラグビー屋やっていたうちの母方の叔父だったのだ。あのおっさんを見て、ラグビーやると頭が悪くなるみたいでいやだなあ・・と思うようになった( 一一)
しかし、(3)の人が(1)の人間と同じ高校に行ったとして、はたして、それがいいのか? 女は受けさえすれば誰でも通るとしても、男は大阪府で最難関の高校に、男だったら3番手校か4番手校くらいにしか行けない成績もしくはそれ以下の成績の女子生徒が女なら合格できるからと大阪府で最難関の進学校に行ったとして、はたして、いいことあるのか? ・・・。
そういう人が入学後、どうなるかというと2通りの結果がある。うちの母の知り合いの人の娘で北野高校から大阪大薬学部に現役で行った人がいたが、その同級生でもともとは(男なら)北野高校に行くような成績だったわけではないのに行って、北野高校がうまく合ったらしくて大阪外大(現 大阪大外国語学部)だったかに進学したという人がいたらしい。大阪外大だったかどうかは記憶が確かではない。他にも、高校に進学する時点での成績から考えれば国立大学に行くような成績ではなかった人で、北野高校がうまく合って、その結果として京大・東大までは行けなかったとしても神戸大あたりに行けたという人がいたようだ。北野高校の「国語」課の教諭になっていた旧姓作野礼子はそれのようだ。
片方で「うまく合った」人がいる一方で、そういかない人もいたようで、その結果として、北野高校の卒業生としては「あんな大学に行くのお?」みたいな大学に行った人もいたようだが、(3)の人の場合は高校入学時の成績から考えるなら「そんなもの」である場合が少なくなかったのではないか。だから、ラグビー屋をやっていたうちの母方の叔父が「北野高校の卒業生でもうちの大学(大阪経済大学)みたいなもんに来るやつおるねんでえ」とうれしそうに言っていたというのは、ほんとにあったのかどうか知らんが、あったとしてもありえる話だろう。但し、それでも、いったん、北野高校に入学したならば、特に女性は東大とか京大とかに別に行かなくてもいいけれども大阪経大ではなく「もうちょっと上の所」に行きたいと思うのではないかと思うのだが、『ドラゴン桜』は高校3年の初めの時点において中学校の内容を理解できていない生徒を1年後に東大に合格させてみせようではないか・・という話だが、さすがに高校3年の初めの時点において中学校の内容を理解できていない人を1年後に東大に合格させるというのは簡単ではないとしても、高校3年の初めの時点で成績が良くなくても工夫すれば「もうちょっとましな所」に合格させるということくらいならば可能だ・・と私は思う。無能なやつが高校教諭をやっているから、そんな所にしか行けなくなってしまうのだ・・と思う。私が高校教諭だったら、何とかしてやる・・が、おそらく、なることはなさそうだ。

ドラゴン桜(1) (モーニングコミックス) - 三田紀房
北野高校の進学成績が一時期低下していたのはYMCA予備校の問題もある。私が北野高校を卒業した年くらいは、現役で合格した者と1浪の者とが半分半分で2浪以上がいくらかいるというくらいだったが、その約半分の浪人した人間は多くの人間が予備校に行ったのだが、どこの予備校に行ったかというと、京都の近畿予備校・大阪のYMCA予備校・神戸の大道学園、それから十三駅の西側の大阪北予備校に行った人もいたが、知っている人間でYMCA予備校に行った人間には1浪後に行った大学はというと「ええ? いくらなんでも、そんな所にしか行けなかったのお~お?」というような人がいた。これは、YMCA予備校に調子を合わせてしまった結果だ。予備校は最低でも行かないよりは行った方がプラスになるなどということはない。マイナスになる場合もある。「ええ? いくらなんでも、そんな所にしか行けなかったのお~お?」という所に行った人間の何人かは、なぜ、そんな所にしか行けなかったか、YMCA予備校が原因のひとつとしてあった。・・そんな予備校だったから、駿台・河合塾・代ゼミが大阪に進出してくるとYMCA予備校はあっという間に淘汰された。YMCA予備校の事務職員はえらそうな口ばっかりきいていたが、えらそうにしても「ハリコの虎」だったようだ。
北野高校にはひとつの問題点があった。それは入学試験の合格基準に3通りの基準があったという点だ。学校教育は「男女、七歳にして席を同じくせず」だったかいう孔子の教えに従って小学校から男女を分けるのではなく、子供の頃から男女が一緒に生活することで互いに理解できるようにした方がいいという考え方はわかるが、公立の小学校・中学校はそれでいいとして、高校の場合は公立の高校でも各学区の一番手校、最近、大阪府では学区を撤廃して、それとともに「進学重点校」というものを10校指定したらしいが、最近でいえば、その「進学重点校」については小学校型の男女共学、男子生徒と女子生徒が完全に同数とまでいかなくても大きく人数に差が出ないようにするという男女共学ではなく、大学型の男女共学、男性か女性かにかかわらず入学試験の成績がいい方から順番に合格にするという男女共学の制度にした方がいいのではないか、と私は思っている。
1970年代後半、私が行った頃の北野高校には、豊能地区と淀川地区の2つの地区から生徒が行っていた。中には「越境」で他から来ていた人もいた。3年前までは三島地区からも行っていたが、三島地区が第2学区になり、豊能地区が第1学区で淀川地区の西半分が第1学区、東半分が第2学区になったが北野高校だけは第2学区の淀川地区からも行っていいという制度になっていた。この分け方はあんまりいいことなかったと思っている。もしも、似たような地区を同じ学区にするということであったなら、むしろ、豊能地区と三島地区をひとつの学区にして、淀川地区を別の学区にした方が良かったと思うのだが、北野高校については豊能地区と淀川地区から行けて三島地区からは行けない学校になったのだ。私が卒業した中学校でもそうだが、豊能地区の中学校では女生徒の場合、男子生徒であったとしても北野高校に合格できるというくらいの成績を取っている人が北野高校を受験して行くのはいいけれども、男子生徒ならば学区の3番手校か4番手校くらいでも通らないのではないかというくらいの人が北野高校は女子は受けさえすれば誰でも通る高校だから北野高校に行くというのは、そういうのは良くないと豊能地区の中学生の親はたいてい思っていたし、私が行っていた中学校の教諭もそう考えていたようで、北野高校は女は受けさえすれば通るからということで男だったら学区で一番易しい公立高校でも通らないという成績の生徒に北野高校を受けて行くといいといったような指導はしていなかった。
それに対して、淀川地区の中学校卒の人の場合はそうではなくて、男だったら通らなかったのではないかと思えるくらいの成績の人でも北野高校を受けて入学してきていた。その結果、北野高校というのは男女共学だけれども、男子生徒の場合は豊能地区出身者と淀川地区出身者の両方がいたのに対して、女子生徒は淀川地区出身者の割合が圧倒的に多かったのだ。自分が育った地域の人とは異なる地域の出身の人と出会うことで視野が広がり学ぶものもあるということはあるであろうけれども、そうは言っても、豊能地区出身の男子生徒からすれば、女子生徒は豊能地区出身者は少なくて淀川地区出身の人が圧倒的に多い高校というのは、それは男女は一緒に学びすごすようにした方が互いに理解できる人間に育つことができるという男女共学の趣旨を満たしていることにならないと思うのだ。 むしろ、それなら、ひとつの考え方として、豊能地区出身の男子生徒は豊能地区出身の女子生徒が北野高校よりも多い二番手校の豊中高校に行った方がいいのではないか・・というのも、ひとつの考え方としてあったのではないかと思う。実際、私が卒業した後、一時期、北野高校の進学成績が低下して北野高校と豊中高校との進学成績にほとんど差がなくなった時期があったが、豊能地区の中学生が進学するのに「豊能地区の進学校」の豊中高校に行った方が「淀川地区の進学校の北野高校」に行くよりもいい、という判断をした人がいたのではないのか・・と思う。
それで・・・だ。淀川地区出身の女子生徒がすべての人が「性格いがんでる系」だとまで言うつもりはないけれども、現実問題として、旧姓作野礼子さんみたいな「ちょっと性格いがんでる系」みたいな人というのが淀川地区出身の女子生徒にはいた・・というのは事実だ。申し訳ないけれども事実だからしかたがない。「ちょっと性格いがんでる系」もしくは「高校生の時からオバタリアン」みたいな女子生徒というのは、北野高校の生徒には現実にいた。そういう人にはそれを自慢にしている人というのがいたのだ。自慢にすることとは違うだろ・・と思うが自慢にしている人というのがいたのだ。豊中市出身者にも「相当性格いがんでる系」の人もいたけれども、実際のところ、男女共学の趣旨が何であるかにかかわらず、そういう「ちょっと性格いがんでる系」とか「相当性格いがんでる系」の人と無理して関わっても、別段、得るところがあるわけでもないと思うのだ。
中谷彰『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)という本で中谷彰氏は、オヤジというのは「その年代のその性別の人」のことではなく「オヤジとされるような行為をする人」のことだと言い、若い人にもオヤジはいるし女性にもオヤジはいるということを述べている。私もそう思う。そして、オヤジとともにオバハン・オバタリアンというのもそうだと思うのだ。「高校生の時からオバタリアン」というのはその意味で言っている。

オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
「高校生の時からオバタリアン」の人には、それが大学受験に対して厳しい態度だとか思っていた人もいたようだが、私は違うと思うのだ。別に「このハゲ~え!」と怒鳴りつけて男性をボコボコなぐりつける怖いおばさんみたいにならなければ東大に合格できないとかそういうことではないと思うのだ。この点で北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は認識を間違えていたと思う。
大学に内部進学で行ける高校というものがあるが、そういう高校にも慶應義塾高校のように大学も高校も同じ母体の高校と、そうではなく、元々は別の学校だったものが提携した高校というものがある。セブンイレブンの名前で店を出していても、たいていのコンビニはオーナーは(株)セブン&アイ・ホールディングス ではなくて、個人の店主がオーナーであるようだが、それと似た感じ・・かどうか、元々、高校は別に「☆☆高校」としてあった私立高校が私立大学と提携して「◇◇大学☆☆高校」を名乗るようになったとう高校がある。行く人間にとっては一緒かというとそうでもなくて、慶應義塾高校とか慶應女子高校・慶應志木高校とかいうのは慶應大学と同じく慶應義塾が運営しており、慶應大学の学長を塾長と言ったりもするが、慶應義塾が運営している慶應幼稚舎・慶應中等部・慶應普通部・慶應義塾高校・慶應女子高校・慶應志木高校に校長がいて慶應義塾大学に学長がいるが、その全体の長が塾長で大学の長である学長が塾長になることになっているのだが、慶應義塾高校・慶應女子高校・慶應志木高校からは医学部に行きたいとか特に言わなければ基本的には全員が慶應大学に進学できることになっているらしい。それに対して、元々、大阪府の北摂地区にあった私立高校で1970年代なかばに私が高校に進学する頃においては「理系科目に力を入れる高校」というのを「売り」にしていた摂稜高校というのがあったが、最近、早稲田大学と提携して「早稲田摂稜高校」を名乗るようになったらしいが、これなどは早稲田大学が運営している「直営校」ではなくて「提携校」のようだ。(株)エイブルは「エイブル」の名前で出している店でも多くは(株)エイブルが経営している店だが地域の不動産屋と提携して「エイブル」の名前を名乗っているという店もある。慶應義塾高校は直営店で早稲田摂稜高校は提携店ということだ。
それで、これは「週刊現代」だったか「週刊ポスト」だったかに掲載されていた話だが、早稲田摂稜高校が成立した時、入学説明会では「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」という点について質問が多く出たらしかったが、「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」と言われても、もしも、その「上位3割」に入れなかったらどうしてくれるんだよお? ・・て話になる。そこが直営店の慶應義塾高校とは違って提携店の厳しいというのか悲しい所だ。慶應義塾高校ならば、agriculture を agriculture と発音せずに agriculture と発音していても慶應大学に進学できる。その上で慶應大学に入学すると「外部のやつらを教育してやらんといかんからなあ」などという口をきくことができる。種無し葡萄(デラウエア)を自分で房からひとつひとつちぎって自分の口に入れて食うのではなく、ひとに皮むいてもらってお皿に盛ってもらってスプーンですくって食うという「慶應幼稚舎流種無し葡萄の食べ方」をしていても、そういう食い方をしている男が「外部の連中を教育してやらんといかんからなあ」という口をきくことができる( 一一)
提携校はそうはいかない。
「週刊現代」だったかの記者は、早稲田大学の人間というのは勘違いしている、早稲田大学の人間は自分の所は「東大の次の大学」であって「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」と言われたら誰もが大喜びすると思い込んでいるが、関西人はそんなこと思っていない。関西人にとっては早稲田大学なんて関関同立と同じくらいか、もしかすると早稲田大の方がちょっとだけ上かもしれん・・くらいにしか思ってない。そのあたりを早稲田大学の人間は事実を事実として認識できていない、と書いていた。そうだろう。関西人にとっては「上位3割に入れば早稲田大学に推薦入学で行ける」よりも「ほぼ全員が一般入試で関関同立に行ける」の方がいいのではないか。
それで、だ。早稲田摂稜高校および、そういうタイプの提携高校の場合には、「上位〇割」に入ろうとすると、これは同じ高校内における競争だ。それに対して、北野高校から京都大学に何人通った、大阪大学に何人通った、神戸大学に何人通ったといっても提携校ではなく一般入試を受けて通って行っているのだから、北野高校の生徒の中で「上位〇割」に入ったからといって合格させてもらえるとは限らないし、同時に「上位〇割」に入らなくても合格できる場合はいくらでもある。・・ところが、それを認識できない教諭というものがいたのだ。 旧姓作野礼子のように、入学時においては(3)のタイプで入学した人でうまく合って神戸大あたりに行ったという人には下剋上をなしとげたような感覚の人がいたわけだ。そういう人の感覚として、(1)の人間を引きずり下ろす必要があるような感覚を持っていた、という点があり、そういう意識の人が教諭にいたわけで、そうなると、入学時の成績においては京大に合格できて悪くない成績で入学した人間が引きずり降ろされて、ずっと下の大学に行かされることになる・・ということが考えられたのだ。「下剋上」によって(3)で入学したのに神戸大あたりに行けたという「ちょっと性格いがんデル系女子」みたいな人にとってはいい学校だったかもしれないが、引きずり降ろされた者にとってはいい学校ではないことになる。そもそも、なんで、引きずり降ろされなければならないんだと思うが、旧姓作野礼子などは引きずりおろすのが使命みたいに感じていたようなところがあった。
高校の試験および大学入試についてですが、基本的な考え方として、まず、「普通にやったら60点取れる人」は「必死でやったら70点取れる」ことになります。しかし、「普通にやったら60点とれる人」でも「普通にやる」ことができない悪条件に置かれたならば、それよりも低い点数しか取れないことになる。悪くすると、20点、0点近い点数しか取れないなんてことになる可能性だってあります。しかし、「普通にやったら60点取れる人」は、たとえ、一時的に相当悪い点数を取ることがあっても、「普通にやる」ことができるようになれば回復します。これは(1)のタイプの人にあてはまります。
(1)のタイプの人は「普通にやる」ことさえできれば60点、「必死でやったら」70点取れるのですから、「普通にやる」ことができない条件があったことから相当悪い点数しか取れなかった場合には「普通にやる」ことができない悪条件を解消・改善することが必要です。それに対して、(3)のタイプの人があまり良くない成績を取った場合は、これは「普通にやったら」60点取れるかというと取れません。このタイプの人は、より高い点数を取れる工夫をする必要があることになります。灘高校に裏口入学した人が正規に入学した人と同じように東大に通るかというとそうはいかないのと同じで、(3)のタイプの人が(1)の人間と同じようにいかなかったとしても、裏口入学で灘高校に入った人が正規入試で入った人と同じようにはいかないというのと同様に当たり前です。
「普通にやったら60点とれる人」は「必死でやったら70点取れる」ことになりますが、ここで合格最低点が65点であったなら、その場合は祝合格。良かったね♪ ということになりますが、問題は行きたいと思う大学の合格最低点が75点だった場合です。「必死でやったら75点取れた」のですから、さらに必死でやったら・・と思うかもしれませんが、すでに相当必死でやっているのですから、そこからさらに必死でやっても70点が71点になったりするくらいのものです。そうなると、あきらめて65点、もしくは67点か68点くらいが合格最低点の所を受けるように目標修正するのか、あきらめて目標を下方修正するのが嫌ならば、野村じいさんが「野球は頭でやるもんや」と言ったのと似た感じで「受験は頭でやるもんや」てもので、何らかの工夫をして、あと何点という部分をな~んとかアップさせてねじ込むということになります。「野球は頭でやるもんや」という文句は、野球は体でやるものという印象があることから頭を使って野球をやるのと体だけでやるのとでは成果に違いが出るということなんだなとしっくりきますが、「受験は頭でやるもんや」と言われても当たり前やろうが体育じゃあろまいし体でやるものとは違うだろうがと思うかもしれませんが、そういう意味ではなく、ただ、闇雲に努力するのではなく、何をやればいいか、何はやらなくてもいいか、どうすれば点数はアップするかといったことを考えて対策を練ってやるということです。YMCA予備校みたいに過去の全国の大学の入試問題を集めた問題集をやって答え合わせみたいな授業を大量にやるだけというのではアップしません。
たとえば、千代の富士は八百長は多いわ、北天祐の弟を腹筋版で頭を強打して後遺症が出る傷害を加えた犯罪者だわでろくな人間じゃなかったみたいですが相撲は強かったらしく、その千代の富士が幕内上位に上がってきた頃、琴風が苦手で何連敗もしたが、ある時、1勝するとその後は逆に勝ち続けて負けなくなった。相撲解説の親方が話していたものによると「相撲を変えましたね。これまでは、体が小さいにもかかわらず大きな体の力士がとるような相撲を取っていたので、それで琴風のような体が大きくて押す力士が押すにはもってこいだったのが、相撲を変えましたね」と話していたが、千代の富士は琴風に勝てるようにと思って琴風がいた佐渡ヶ嶽部屋に通ってけいこで何度も対戦して勝てる方法を考えて、そして、琴風に勝てるようになった。いったん、勝てるようになれば、その後は、それまで負けていた黒星が白星に変わることになる。琴風だけではなく似たタイプの力士に対して勝てるようになれば、その分だけ勝ち星は増えることになる。相撲においてそれまで負けていた力士に勝てるようになればその分だけ勝ち星が増えることになるが、大学入試においても、あるいは資格試験においても、それまで解けなかった問題・正答を作成できなかった問題を解けるようになれば、その分だけ、その後は点数が上がることになる。
野村じいさんが南海ホークスでレギュラーの捕手として出してもらえるようになった時、出してもらえるようになっても、それでも2割5分くらいしか打てなかった。2割5分ではまた他の選手にレギュラーを奪われるかもしれない。3割打ったら一流打者と言われるが、3割打者と2割5分の打者との違いはどこかというと、100回、打席に立って25回、ヒットを打つのが2割5分の打者で、100回のうち30回、ヒットを打つのが3割バッターだ・・とすると、あと5回、多くヒットを打てば3割打者になれるということだ。100回ともヒットを打たないといけないとなると大変だが、あと5本多く打てばいいと考えるならば、あと5本ならば工夫すれば何とかなるかもしれない・・と考えたらしい。これは大学入試や資格試験においてもあてはまることではないかと思うのだ。合格最低点まであと何点・・ということを考えてみて、あと何点アップさせるには何をやればいいか・・ということを考えてその対策を実行してアップさせることができれば、少なくとも、「ただ闇雲に必死でやる」よりは成果がでる、YMCA予備校がさせたがったように全国の大学入試の過去問を集めただけの問題集を大量にやって答え合わせみたいな授業ばっかりやっているよりは効果が出る可能性が期待できる。
「受験は頭でやるもんや」と認識するべきです・・・が、YMCA予備校の亜拓大東帝国あたりしか出てないのではないかと思われる事務職員がわからないのは当然として、北野高校の教諭においても、そのあたりを理解できていない人が多かった・・というのは、それで進学校の教諭か?!? と思うが「そんなもの」の人たちだったようだ。
今となっては十年以上前、ラジオの野球中継で江本孟紀が「やっぱり、ピッチングは背の高い投手の指導は背の高い人間がやるべきですよ。だいたい、そんなもん、チビにはわかりませんで、チビにはあ」(笑)と言っていたが、最近も阪神のバッティングコーチについてだったか、高木豊がYouTube で左打ちだったバッティングコーチは右打ちの打者の指導はやりにくいだろうからといったことを話していたが、これと似たことが高校生活においてもある。(3)のタイプで入学した人でその時「うまく合った」ことで神戸大あたりに行った「ちょっと性格いがんでる系女子」みたいな人というのは、教諭になることがあっても自分と似たタイプの人だけを担任してもらいたいと思うのだ。「チビにはわかりませんで、チビにはあ」てもので、(1)のタイプで・「ちょっと性格いがんでる系」ではない人間で・男子生徒にとっては、(3)のタイプで・「ちょっと性格いがんでる系」で・女性の教諭というのは「害がある」のではないかと旧姓作野礼子を見て今は思っている。誤解のないように説明しておくと、「のではないか」は婉曲表現である。
旧姓作野礼子は(3)のタイプで北野高校に入学した人で、(3)のタイプで入学した人には、入学後、北野高校が「うまく合った」ことで神戸大あたりに行く人というのがいたようで、そういう人は、はたから見ると「あんな子、高校に入る時点の成績から考えると神戸大なんて、およそ行けるような子と違うのに」北野高校のおかげで神戸大に行けた・・と見えることになりますが、本人はそうではなくて「私はこういう性格だから行けた」と自分自身の「ちょっといがんでる系」が合格への要件だったと考えてその性格を自慢するようになるようでした。旧姓作野礼子はそういう人だったようだ。最初、同じ高校の出身の教諭だから、その点でまったくタイプが異なる高校の出身の教諭よりもいいのではないかと思ったが逆だった。私のような入学時においては(1)のタイプで入学した者と(3)で入学した旧姓作野礼子とでは、それぞれの人間にとっての北野高校というものが異なるものだった。かつ、「ちょっと性格いがんでる系」を自慢にしていて、それが「入試に勝つ性格」だと思い込んでいる人からすると、そういう「ちょっと性格いがんでる系」があんまり好きではない人間というのは、それは「ひきずり降ろすべき人間」と見えるみたいだ・・が、引きずり降ろされる筋合いは別段ないはずなのだが、どうも、(3)のタイプで入学して、入学後、「うまく合った」ことから神戸大あたりに入学できたという「ちょっと性格いがんでる系女子」みたいな人は引きずり降ろしたくなるようだった( 一一)
(3)のタイプで入学した人で・「ちょっと性格いがんでる系」で・淀川地区出身で・女性で・「両親が離婚した」という旧姓作野礼子さんのような人は高校の教諭になった場合でも、担任を持つならば、やはり、(3)のタイプで入学した人で・「ちょっと性格いがんでる系」で・淀川地区出身で・「両親が離婚した」・女子生徒のみの担任になってもらいたいと思います。(1)のタイプで入学した人間で・「ちょっと性格いがんでる系」がいいとは思っていなくて・豊能地区出身で・「両親が離婚した」わけではない人間で・男子生徒の担任はもたれると迷惑ですからやめてほしいと思います。なにしろ「チビにはわかりませんで、チビにはあ」・・
・・・それで、こういった思考なし授業をおこない、試験問題を出題していた人がいた。「国語」課の旧制作野礼子などはそれであった。これはYMCA予備校についても思ったことだが、「傾向と対策」を考えずに「試験に出る」部分を「出る順に」ということを考えずに闇雲に試験に出ないものばっかり学習するというのは「効率悪い」。北野高校の「国語」課の植村教諭は1年の時、「古文」の授業で「質問はあるか」と言い、質問すると「はあん。こんなことすらもわかりませんのおん!」と言い、質問するとそんなこと言われるのか、「質問はないか」と言うから質問したらそんなこと言われるのなら質問なんてしない方がいいと思って質問しないと「何も質問はないのか。質問はないということは何でもわかっているということだな。私だってわからないことだらけなのに、すごいな。よし、それならば、こちらから質問してやろう。わからないことは何もないから質問してこないのに、質問すると答えられないとはけしからん。答えられなかったら拳骨をくれてやろう」とか言い、ある女子生徒にあてて質問したら答えられなかったが、「お嬢ちゃんの頭を殴るというわけにはいきませんねえ~え。よし、殴ることができるやつをあててやろう」などと言って男子生徒に質問したら、やっぱり答えられなかった、ということがあった。それは、何を質問されても答えられるくらいに、その項目のものについて調べて理解するようにしろということか・・とその時は思ったのだったが、その学習法というのは「入試に通る」という視点から考えるならば効率が悪い。別に、高校の「古文」の教科書に登場するものに関して何から何までことごとく、何を質問されても何でも完全に答えられるようにとまで学習しなくても、「試験に出る」可能性が高いものを「出る順」に学習すれば大学入試に合格することはできる。さらに言えば、1978年の入試まで、共通一次試験が始まる前まで、京都大学の工学部には国語は「現代国語」だけで受けることができて「古文」「漢文」は必要ない学科もあったはずで、そういう学科を受けようとする人にとっては入試科目にない「古文」を「何をきかれても絶対に答えられるように」とまでそこまで学習していたら、その結果として入試にある科目の学習時間を奪うことになって、かえって入試に通らなくなる可能性が考えられた。 又、1979年の入試から共通一次試験が実施されて、すべての大学学部を受ける人間に「国語」には「現代国語」「古文」「漢文」の問題を受ける必要が出たが、1000点満点のうち、「国語」は200点で、そのうち、「現代国語」2問、「古文」2問、「漢文」2問であり、共通一次試験はマークシート方式で選択肢があって、そこから選んで鉛筆で塗るというものであったから、極端な話、あてずっぽうに塗っても0点にはならないというものだった。だから、たとえば、工学部・理学部あたりを受験しようとする人間にとっては「古文」みたいなものに力を入れるのではなく「ほどほどに」やるようにして、共通一次試験の「国語」は「致命傷は防ぐ」程度の点数を取れればそれでいいと割り切り、そうやって空けた時間を数学や物理・科学、それに英語の学習にまわすようにした方が合格しやすい・・というのも受験のテクニックとして考えられたと思うのだ。それから考えると、植村教諭のそのあたりの態度はいい態度とは思えない。
さらには、大阪教育大付属池田中学校出身の安東という女だけは植村から特別扱いで、他の人間が質問すると「はあん! こんなことすらもわかりませんのんかあ~あ!」と植村は言うくせに、安東が質問すると「はい♪ 安藤さん、大変いいご質問ですにぇえ♪」などと猫なで声で言うのだった。そんなにいい質問かなあ~あ・・とその時は思ったのだったが、そういう問題ではなく、安東の親は北野高校の「国語」課の教諭と何らかのコネクションがあったということではないか。安東は「国語」課で「漢文」を担当していた藤尾、1年の時は「現代国語」を担当していた旧姓作野礼子からも特別扱いを受けており、どう考えても、安東の親は北野高校の「国語」課の教諭とコネクションがあったことから特別扱いを受けていたとしか考えられなかった。こういうのはいいとは思えないが、いいとは思えないと言っても私がどうすることもできないことで、今に至るまでどうもできていないし今後もどうもできないであろう。せいぜい、ここでぶつぶつ文句を言うくらいのものだろう。
こういうものは、「あれっ?」と気づいたものもあるが、気づいていないものもいっぱいあるはずだ。北野高校は行きたいと思って行った高校だったので合格発表の時はうれしかったが、卒業して十年以上経って冷静に考えることができるようになって振りかえってみると、どう考えてもいい学校ではなかった。但し、それならどこに行けばよかったかというと、ここがいいとはっきりと言える所というものはない。
大阪教育大付属池田中学校卒の人というのは、私のような市立中学校卒の者とは違って親が教諭とコネクションがあるのか?・・みたいな人が多いように思います。その点で要注意だと今は思っています。
但し、「普通の小学校ではない小学校」「普通の中学校ではない中学校」でも、大阪教育大付属小学校・中学校、それに神戸大教育学部付属小学校・中学校については、慶應幼稚舎なんかと比べると「たいしたことない」みたいなところもあるようだ。どこが「たいしたことない」かというと、慶應幼稚舎なんて行こうと思うと相当カネかかるというお話ですし、カネを払えたとしてもどうすれば入れてもらえるのかという問題があります。相当のコネでもないと入れないのではないのか。〔マア、別に、そんな魔界みたいな所、行きたくないけどね。〕それに対して、大阪教育大付属小学校なんてのは、結論として「うちの親戚でも行った人間が何人かいる」ような学校ですから、慶應幼稚舎なんかと比べると「普通でない小学校」の中ではずっと格下みたいです・・・が、松島みどりさんも大阪教育大付属中学校卒らしいし、丸川珠代とかいう女も大阪教育大付属高校卒らしいし、どうも、大阪教育大付属の学校というのは保守系政治家とつながりがあるのかないのか・・みたいな人が多い印象があります。
私が北野高校を卒業して何年か後、「英語」課の教諭の片岡が自分が担任をもっていた生徒の家庭教師をやっていたということから免職されたという「事件」があった。聞いた話によると、片岡はおのれが担任を持っていた生徒の家庭教師をやっていて、週2回で6万円の報酬を親から受け取っていたが、それ以外に親から宝石をもらったりもしていたそうで、その上でさらに、6万円では安い、10万円よこせと要求したことから、親が限度を超えたと判断して激怒し、新聞社に垂れ込んで記事になったところから片岡は解雇された・・・が、解雇されるとすぐに大阪府高槻市にできた新設の予備校、YMCA予備校高槻校ではなくて、それよりも西に新しくできた予備校が一時期あったが、そこに転職した・・という話だったらしい。これは「聞いた話」なのですべてその通りかどうかはわからない。部分的に違う所もある可能性はないとは言えない。しかし、だいたい、そんな感じなのではないかという感じがする。あのおっさんなら「そんなもの」か( 一一) という感じがする。
そして、こういう話はこれは「氷山の一角」であるはずで、表に出ていない同様のものは他にもいっぱいあるのではないか・・と思う。
3年の時の担任だった「社会科」の教諭で「日本史」が担当の大谷郁三は「大学はどこでも一緒や」などと口にしていた。たしかに、高校は大学受験のためだけにあるのではないが、だからと言って、高校入学時の学力・高校入学時の学年順位から考えれば京大くらいに合格できてもおかしくない生徒に試験に出ないようなものばっかり大量に学習させて関関同立あたりに行かせて「大学はどこでも一緒や。そこで何を学ぶかが大事であって、どこに行ったかはまったく何も関係ない。良かったじゃないか」などと、一見、否定しにくい一般的な論理を表に出して、高校の教諭がきっちりと指導してあげれば、東大なり京大なりに合格できた可能性がある生徒を、入試に出ないような勉強ばっかり大量にさせて関関同立あたりに行かせて「良かったじゃないか」などとぬかすというのは、それは意味は同じではないはずなのだ。
「どうすれば合格できるか」という点を考えてそれに基づいた学習をするのとそうではなく闇雲に学習するのと、本人は入試に役立つと思いながら入試対策としてはトンチンカンなことに努力しているのに教諭が何らアドバイスもできないというのとでは差がでる。そういう何ら適切なアドバイスをできないで「大学はどこでも一緒や」などとぬかすような教諭が何人もいる高校というのは、それが良心的な高校だろうか?・・・「燃やしたろか」なんて思う人間だって出てきかねない・・と思って振りかえってみると、私が高校1年の時だったと思うのだが、1975年だったか1970年代後半の前半、北野高校の体育館が放火されて焼失して体育館が使えなくなったということがあった。もしかして、もしかして、「おのれ、燃やしたろか

・・・ついでに言うと、その北野高校体育館放火事件は誰が犯人だったかわからずじまいだったようだが、我が家ではうちの母親が「こいつ、とうとう、放火までしよった!」とうちの姉に言い、言われた姉もまたそれに応じて「難儀な子やなあ。放火までしよるとはあ」と家で二人で言い合っていたのだ。「私が通学していた高校で放火事件があった⇒ゆえに、私が放火した」という何段論法か知らんが、そういう公式なのか定理なのか法則なのかが我が家では成り立ったらしいのだ。私は聖書を指して誓って言うが決して私が放火したのではない。何より、北野高校の体育館に放火されたというその日のその時刻、私は大阪府M市の自宅にいたのだ。アリバイを確認するために誰か一緒にいた人はいないのか?・・というと、いた。「こいつ、とうとう、放火までしよった!」と言い出したうちの母親と私は一緒に家にいたのだ。放火されたというその日のその時刻に自分が息子と家に一緒にいたのに、その息子が「放火しよった、放火しよった」「絶対、こいつや」と言い出す母親なんて、どこの世界にいるもんか・・と思う人もいるかもしれないが、我が家にはいるのだ。怖ろしいことだが、ほんとに我が家にはいたのだ

私が同校に通学した1970年代後半において、私が入学した2年前から学区が小さくなったことから、それまでよりも学力が低い生徒も入学するようになったことから、同校の教諭には、「英語」課の田中博は「出来の悪い学年やなあ」と何度も口にしたが、そういう文句は口にするべきではないはずである。「出来の悪い」生徒がいたとしても、連帯責任を負わせるべきではないし、一時的に「出来の悪い」成績を取ったとしても次から悪くない成績を取るようにすればいいはずで、それまで悪くない成績を取ってきていた者が悪い成績しか取れないならば何か理由があるはずで、その理由を解明して良い成績を取れるようにするべきものであり、それを解明しようとせずに「出来の悪いやつやなあ」と断定するならば、それは不適切な認識であり教育者とは言えない態度であるが、「出来の悪いやつ」ではなく「出来の悪い学年」としてしまうというあたりは、その思考はあまり賢明な人間の思考とは言えない。そういうことを言う教諭こそ、出来の悪い教諭ではないのか。
又、「数学」課の浅野は「これまでと同じようにやってきているのですから、これまでよりもできなければ生徒の方が悪いんですよ」と口にしていたが、「これまでと同じようにやってきている」から教諭は悪くないとは限らない。 野村じいさんが書いていたが、野村がホームラン王を取った後、なぜか、それまでより打てなくなった時があった。その時に先輩選手から「殴った方は忘れていても、殴られた方は覚えているからな」と言われて気づいた、打った打者は忘れていても、打たれた投手は決して打たれたことを忘れていない。次はどうすれば打たれないようにできるかとずっと考えてきているのだ、と。「これまでと同じことをやっているから」いいとは限らない。「これまでと同じことをやっているから」だめという場合だってある。それから、大学入試において、「通った人」と「落ちた人」ではどちらがいいかというと、通るために受けるのだから、本人にとっては通った方がいいに決まっているのだが、とった学習法については通った人間はその学習法でいいと思っている場合が多いのに対して、落ちた人間は「どこが悪かったのだろうか」といつまでも考え続けている。時々、「通った人」はすべてにおいて成功で、「落ちた人」はすべてにおいて失敗のように思っている人がいるが違う。そうではなく、「通った人」といえども失敗した部分もあり、「落ちた人」といえどもすべてにおいて失敗ではなく、成功している部分と失敗している部分があって結果として合格最低点を上回る点数を取れなかったということであるのだが、実際には成功なのか失敗なのかわからないようなものがあるのだが、それを「通った人」は成功だと評価していて、「落ちた人」は「あれは良くなかったか」と思ったりしている場合がある。これまで通ったから、そのやり方が成功とは決まっていない。時代とともに社会は日々刻刻変化しているのに「これまでと同じようにやってきている」からだめなのかもしれないではないか。そのあたりを認識せずに「これまでと同じようにやってきている」から成果がでなければ生徒の方の責任という認識には府立の学校としての「親方日の丸」の意識があると言わざるをえない。 「前と同じやり方をやっているのですから」と言って、「前と同じやり方をやっている」から成果が出なければすべて生徒の方の責任だと言いたい教諭というのには大阪桐蔭高校と履正社学園の経営者の爪の垢でも飲ませてやりたい。たとえ、学区が小さくなって前よりも学力の低い生徒が入ってきたとしても、それでも大阪府の高校では一番学力がある生徒が入ってきていたのであり、それよりずっと学力が低い生徒しか入学してきてくれなかった高校から京大や阪大に合格者を出す高校にしていった私立高校の経営者の爪の垢でも飲めえ! と言いたい・・が飲まないと思うが、その程度の人だったのだろう・・と今は思う。
・・今回、この文章は、これまでに公開した
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「十三仏」とは。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」のかわりに巡ろう「十三仏霊場」。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。揺るぎなき守護者 不動明王。恋愛・縁結び・家庭円満をつかさどる愛染明王https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。3体の観音像。「富山」秋葉大権現とは https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。あった方がいいのかどうか。不動と水かけの関係 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。賓頭盧尊者。屋根の上は魅力的。絹本著色不動明王二童子像は市立美術館に寄託
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ソロモンマホガニー」はマホガニーではない。東日本橋は日本橋ではない。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。寺と神社を意図的にセットにする必要はない。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか? 優勝もしてないのに高い物を買ってもらっていた人間はずるくなくて被害者なのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 北海道東部は要らないのか? ナポレオン・ベートーベン・トルストイ・新井白石は偉人なのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 生徒から嫌がられている教諭は卒業後も生徒を飛ばして親とつきあっていいか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。息子の優しさに気づかない母親。「自分の息子のことをいいように思う親」と「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。ある父親には息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。高齢の母親に実の息子と張り合おうとする婿・よその娘のめんどうみたがるおっさん症候群とそれを称賛して評価されようとするバカ女 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
・・の語り残し、不足分として述べようと考えたものがあった。

↑ これは、大阪市東住吉区の 私が小学生の低学年の時まで住んでいた家から比較的近い場所からJR阪和線の高架の方(西側)を見た写真なのだが、私が住んでいた頃はJRではなく国鉄で高架ではなく地上を走っていて、線路の向こうに見えるマンションはその頃はなかった。
うちの父親はこの写真を撮影している地点の手前あたりを右折して、その頃は国鉄だった阪和線「南田辺」駅から乗って通勤していたが、そのうち、左折して行って現在は大阪メトロ御堂筋線と言うようになった、その頃は大阪市交通局・大阪地下鉄1号線の「西田辺」駅から乗って通勤するようになったのだが、どちらから通っていた時からだったか忘れたが、うちの父親が、朝、家を出る時にうちの母親が私に「お見送りしなさい」と言うので、玄関前まで行って「行ってらっしゃあ~い」と言って見送ると、うちの父親は「言ってきま~す。お土産買ってくるからねえ~え」と言ったのだったが、そう言って出かけたからには帰ってくる時には何かお土産を買ってきてくれるものだろうと期待して、帰ってきた時には出迎えて「お土産はあ?」と言うと、「ないわあ~あ♪」とうちの父親は言うのだった。幼稚園に行っていた時だったかそれより前だったかわからないが、小学校にはまだ行っていなかった私は、ジャパニーズビジネスマンというものはリゲインのように働くものだから、だから、お土産を買って帰ろうと思っていたものの買う時間を取れなかったか何かやむを得ない事情があったのだろうと推測したのだった。ジャパニーズビジネスマンとしてリゲインのように働く結果としてお土産を買いたいと思いながら買えなかったのであるから、翌日は買ってくるものだろうと思い、翌日もまた、うちの父親が帰ってくると、またもや「ないわあ~あ♪」と、うちの父親は言うのだった。
そのうち、この「お土産、買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」と言うというのは、それは、うちの父親が出かける時の挨拶と帰宅した時の挨拶のようなもので、朝、出会った時に「おはよう」と言うことに何か意味があるかというと特に何もなく、別段、早くない時刻でも「おはよう」と言うのと同様に、お土産を買ってくるつもりは特になくても「お土産、買ってくるからねえ~え」と言ってでかけるものなのかもしれないと理解して、「お土産買ってくるからねえ~え」と言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」と言われるということに慣れてしまったのだった。
しかし、はたして、子供にそういうことをするということがいいことなのだろうか? 私ならば、お土産を買ってくるつもりもないのに「お土産、買ってくるからねえ~え」などと言って出かけたりはしない。
このことをどう考えたものか。それを述べたいと考えたのだ・・・が、その前段というのか枕詞というのかで北野高校という高校について、入学する時には行きたいと思って行った高校だったので合格した時はうれしかったのだが、卒業して10年以上経って冷静に考えられるようになってくると、決していい学校ではなかったなあ・・と理解できてきたという話を、その理由を列挙までしようとすると何字費やしても述べ切れるものではないが、列挙ではなくいくつかを例示することで述べようと考えたのだったが、その前段か枕詞だけでそれなりの字数になったので、とりあえず、その前段もしくは枕詞の部分だけを先に公開し、出かける時に「お土産買ってくるからねえ~え」と実際には買ってくる気もないのに子供に行ってでかけて、帰ってくると「お土産はあ?」と言う子供に「ないわあ~あ♪」と言って楽しむ・・という父親の態度というものをどう考えたものか、という点は次回に別稿で述べるということにしたい。
(2022.10.27.)
☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。
1.「進学校の生徒」に敵意を持っている進学校の教諭。東大卒なら「勝ち逃げ」できると認識している高校教諭。大学入試が頭にない「進学校の教諭」。進学重点校は小学校型男女共学ではなく大学型男女共学で。一度、悪い成績を取ると固定化させようとする教諭。「これまでと同じことをやっている」から悪くないのかだめなのか。「下剋上」で合格した教諭は生徒を「引きずり降ろす」な。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。北野高校は決していい学校ではなかった。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。〔今回〕
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。「次、来るとき、アイスクリーム買ってくるからねえ」と子供に言って、次、来るとき買ってこない人は称賛されるべきなのか。「何何したら何買ってやる」と言って買わない父親というのは「いいお父さん」なのか、「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。賞味期限切れ出したとは、いかにも高級料亭。林檎は「女がむくもの」なのか? キャベツは「女が切るもの」なのか? 父親がいるというのがうらやましいらしい北野高校教諭には、何ならその「父親」をあげてもいいよ。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。いるとうらやましいか? 高校の教諭はそういう父親をおだてて調子に乗らせる権利があるのか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。高校の教諭は生徒がつきあうのに苦労している父親を増長させてさらに重症化させる権利があるのか。高校の教諭が「親に言う」権利があるなら生徒も教諭の「親に言う」権利があると考えるべきではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? よその息子の裏口入学を画策する父親は「いいお父さん」か? 「父親がいなかった」ことから父親がいるということが、どれだけ大変か理解できないバカ女症候群の高校教諭をなんとか退治できないものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html
☆ 京阪奈十三仏霊場巡拝
☆ 第1番 紫金山 小松院 法楽寺(真言宗泉涌寺派)(大阪市東住吉区山坂1丁目)本尊:不動明王。
1. 天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_1.html
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。屋根の上は魅力的。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・大楠大明神・大船渡市玉山金山跡の大岩 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・鬼瓦・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。「自分の息子のことをいいように思う親」「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」と隣の芝生が緑に見える親。息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html
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