法楽寺(大阪市東住吉区)参拝[1/12]-京阪奈13仏霊場参拝[1]天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「十三仏」とは。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」のかわりに巡ろう「十三仏霊場」。

[第583回]
  欧米では「13」という数字は不吉な数字らしく、「ゴルゴ13」なんてのは、「ゴルゴとは、キリストが処刑されたゴルゴタの丘を意味し、13とはキリストの12弟子の一人でありながらキリストを裏切ったイスカリオテのユダをさす。ふむう~う。なんて不吉な名前なんだあ~あ」と『ゴルゴ13』の登場人物は言う・・が、本来、日本では欧米の影響を受ける前は元々は13は不吉な数字ではなかったはずで、内田康夫『十三の冥宮』に「十三詣り」という話も出てくる。
《 いつ、どこで聞いたのか、容子にはふっと思い浮かぶ唄がある。
 なにわより じゅうさんまいり じゅうさんり もらいにのぼる ちえもさまざま
 記憶の中では、古風な童歌(わらべうた)のような単調な節回しで、ときには楽しげであり、ときには悲しげにも聞こえていた。・・》
( 内田康夫『十三の冥府』 2011.2.20.光文社文庫。 初出 2002~2003「月刊ジェイノベル」)
  「十三詣り」というものがある。《ウィキペディアー十三詣り》 には、
《 十三詣りあるいは十三参り(じゅうさんまいり)は旧暦の3月13日前後 (新暦の3月13日から5月13日)に、男女とも数え年13歳でおこなう祝いである。子供の多福・開運を祈り、小学校を卒業して中学校に入学する春に寺社に詣でる形式が一般的。
特に京都嵯峨の虚空蔵法輪寺における虚空蔵菩薩への「十三参り」は有名である。虚空蔵菩薩は十三番目に誕生した智恵と福徳を司る菩薩とされる。これに因み別名、知恵詣りまたは智恵もらいとも云う。七五三ほど全国的に一般的ではない。》
と出ている。
  このブログでも述べたことがあったと思うが、1960年代後半、小学校の4年の時、担任の先生が「面白い地名というと、どういうのがありますかあ?」と質問したので、私は母方の祖父母が阪急神戸線の沿線に住んでいて、そこに行く時に阪急の電車に乗っていたら、数字の13と書いて「じゅうそう」と読む駅があって、「おもしろい」駅名と思ったので「十三(じゅうそう)」と言ったところ、その先生から「何を言ってるのよ、あんたは。十三(じゅうそう)なんて、面白くもなんともないじゃないの」と言われて、「他に面白い地名を知ってる人~お?」と言い、「大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)」「親知らず子知らず」「立売堀(いたちぼり)」と答えたやつが「そうよお、そういうのを『面白い地名』と言うのよお」と言ってほめてもらったのだったが、なぜ、「大歩危小歩危」「親知らず子知らず」「立売堀(いたちぼり)」が「面白い地名」で「十三(じゅうそう)」は「面白くもなんともない」のか、どうも、納得いかなかった。

( ↑ 大阪市淀川区  阪急電鉄「十三(じゅうそう)」駅。 )
  「十三(じゅうそう)」は、阪急電車の車内に「淀川の13番目の渡し舟があった所だから」という由来が書かれていたのを見たが、どうも納得いかない。そもそも、十三駅の南のあたりの淀川というのは新淀川で、江戸時代の中頃に新しく人工的に作られた川であり、それより前は今は「大川」と言っている旧淀川、毛馬の閘門から南に流れて中之島の南北を堂島川と土佐堀川になって西に流れる川が淀川だったはずで、又、13番目の渡しが「十三(じゅうそう)」という地名として残って1番目から12番目の名前が残っていないというのも不自然だ。
  もしかして、十三詣りが関係あるのではないか・・とか思ったりもしたが、よくわからない。どちらにしても、「親知らず子知らず」なんてのは「親は子のことを忘れ、子は親のことを忘れておのれだけのことを考えて走り渡る難所」ということで「親知らず子知らず」と言うという地名だとされており、「十三(じゅうそう)」の方が、何故、「十三(じゅうそう)」なのだろうか・・と考えると、十三(じゅうそう)の方が「面白い地名」のようにも思える。

  内田康夫の「推理小説」は推理小説と言っているけれども、純文学に近い方の推理小説が多く、純文学としても通じる小説が少なからずあると思うが、『十三の冥府』はその中でも特に心を打たれた小説だ。
十三の冥府(上) (文春文庫) - 内田 康夫
十三の冥府(上) (文春文庫) - 内田 康夫
十三の冥府(下) (文春文庫) - 内田 康夫
十三の冥府(下) (文春文庫) - 内田 康夫

  「十三詣り」の他に、「十三仏(じゅうさんぶつ)」「十三仏霊場」というものがあるようだ。『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(2008.1.29.小学館)には「おおさか十三仏霊場」「京都十三仏霊場」「大和十三仏霊場」が掲載されている。
《 「十三仏」とは、亡くなった人の供養のために行う13回の忌日法要の本尊となる仏尊のことをいう。 十三仏霊場の巡礼とは、その13の本尊仏を拝して、亡き人の冥福を祈る旅である。
  追善供養は、死後49日までは7日ごとに7回、その後は百か日から三十三回忌まで6回と、計13の法要をすることが通例となっている。 「十三仏事」と呼ばれるこの法要で、遺族は故人の冥福を祈る。この風習は中国に起源をもち、日本でも一般に広まったと伝えられている。》
と書かれている。
「おおさか十三仏霊場」は、1979年(昭和54年)、
「京都十三仏霊場」は、1981年(昭和56年)、
「大和十三仏霊場」は、1982年(昭和57年)
に発足したそうだ。いずれも、「三角大福」とか言っていた頃の発足であり、そんなに昔昔からのものではないようだ。
週刊 古寺を巡る 49号(2008/1/29) 関西・中部の霊場めぐり 風光明媚な古都の大寺と故郷の寺 (小学館ウイークリーブック) - 小学館
週刊 古寺を巡る 49号(2008/1/29) 関西・中部の霊場めぐり 風光明媚な古都の大寺と故郷の寺 (小学館ウイークリーブック) - 小学館

  私の場合、母方の祖父母に対する叔父の態度というものが、どう考えても納得いかないものがあった。母は5人兄弟の上から2番目で、この5人兄弟は一番上と一番下とが男だったが、最初、上の伯父が法事の時は両親とともに取り計らっていたが、この伯父はキリスト教の洗礼を受けていたことと、子供は娘2人で息子がいなかったことから、キリスト教の洗礼を受けるということはなく、子供は3人いて、そのうち息子が2人いた一番下の叔父が祖母の葬式の時には「喪主」になり、この叔父の息子であるイトコが止め焼香をやったが、その頃からおかしくなった。叔父は「これまでは、おまえがやってきたけれども、これからは俺が仏壇も墓も引き受けてやるんだから全部渡せ」と遺産協議の時には言ったらしいが、そのわりに、その後、法事に類することは何一つやらない。「これからは俺がやるんやから」と言ったのではなかったのか・・と思うが、上祐と一緒で「口だけの人間」だったのだろう。

  「葬式があると何かやる男」というものが世の中にいる、ということを、この叔父を見て知った。
(1)(A) 1980年代なかばに、うちの母方の祖父が他界した。その際だが、お寺の広間に親戚一同がいると、「香典、中味はいってないのん、2通あったらしいでえ~え。そのうち、1通は☆☆さんらしいでえ~え」と大きな声を張り上げて入ってきた男がいた。
  「何、この人?」と思い、「いったい、誰や?」と思ったら、その叔父だった。いったい、彼は何をやりたかったのか。その叔父は5人兄弟の一番下で、上から二番目のうちの母親より15歳年下で私よりも20歳年上だったのだが、その頃、40代なかばだったはずだ。もう、40代にもなった男がいったい何やってんだ。
  香典の中味を入れ忘れる人というのは、時々ある。そういう場合、どう対処したものか、対応に困る。しかし、だからと言って、親戚一同、何十人もいる所で、「香典、中味はいってないのん、2通あったらしいでえ~え。そのうち、1通は☆☆さんらしいでえ~え」などと大声張り上げて叫ぶというのは、それは「まともな人間がやることではない」と私は思う。
  「そのうち、1通は☆☆さんらしいでえ~え」と言われた☆☆さん自身がその場におられたのだが、☆☆さんはうちの母などには「申し訳なかった。その金額は財布に持っているから渡そうか」と言われたそうだった。もしも、当人に「申し訳ありませんが、御香典、袋の中にお金が入っておりませんでしたが」と他の人がいない所で話すのなら話していいと思う。 うちの父方の祖母が他界した時に自宅で葬式をやった際に、近所の人で来てくれた人があったが、香典に中味が入ったなかったという人があったらしいが、うちの親はどうしたものか思案して、結局、相手に言わずに、実際には入っていなかったけれども、入っていたという前提で対応したらしい。しかし、言っていいと思う。言っていいと思うけれども、何十人もお寺の広間にいる場所で、当人がそこにいる時に、「香典、中味はいってないのん、2通あったらしいでえ~え。そのうち、1通は☆☆さんらしいでえ~え」などと大声で叫ぶ人というのは、それは正気とは思えない・・・が、その叔父にとってはそれが普通だったのだ。子供ならともかく、大人であんなことする人なんて、あんまり、ないと思うがなあ~あ・・と思ったが、叔父にとってはそれが「常識」だったようだ( 一一)
  この叔父はラグビー屋で、大阪市内の私立高校でラグビーやって日体大に行き、大阪府の私立大学のラグビー部の監督やって大学の体育の教員をやっていた。この人を見て、「体育屋というのは、こんなんか( 一一) 」と思った。
  「北野高校に野々村先生ておるやろ。野々村先生になんか、負けへんでえ~え」とこのおっさんは言っていた・・が、別に勝たんでもええよ( 一一)・・と思った。話すことを聞いていると、高校の体育の先生にも専門分野があるらしく、野々村先生は高校の教諭としてはラグビーしか教えないわけではないが、ラグビーが専門だったらしく、「国際審判員」という資格を持っていて、時々、ラグビーの知名度の高い試合の審判をやっているのがテレビに映ったりしていて、「朝日新聞」に「いい笛でいい試合」だったかいう文章を書いているのが出ているのを見たことがある。ラグビーの試合というのは、審判が的確な笛をふいて裁くことでいい試合ができるという話だったと思う。それに対して、うちの叔父は大阪府の私立大学のラグビー部の監督で、その私立大学のラグビー部は「まあまあ強かった」みたいで、又、ラグビーの知名度のある試合でのテレビ中継に「××大学ラグビー部監督のOさん」として出たりしていた。国際審判員と大学のラグビー部監督でテレビ解説者とどっちが上なのか下なのかは知らないが、おっさんは「野々村先生になんか、負けへんでえ~え」とか言うておったが、あんた、別に勝たんでもええよ( 一一) と思ったものだ。話すことを聞くと野々村先生の方がまともだったと思う。野々村先生は「人間というものは犬や猫とは違うんだから、人から殴られたりして上達するということではいけない。そうではなくて、人から殴られたりしなくても自分自身で自覚して体を動かして上達するべきものだ」と話され、私はそういうものだと思ったし、そういう「スポーツ」に魅力を感じた。慶應大学の体育会のバカ教授とは全然違った。少なくとも、野々村先生は葬式の最中に、寺の広間に何十人と集まっている最中に「香典、中味はいってないのん、2通あったらしいでえ~え。そのうち、1通は☆☆さんらしいでえ~え」と大きな声を張り上げて入ってくるなんてことは、しないと思うがなあ・・というよりも、あんなことする人、あんまりないと思うがなあ~あ・・・( 一一) 

(2)(A) それから10年後、1990年代なかば、阪神淡路大震災の直後に祖母が他界したが、その中間くらいの年にうちの父親が他界した。この叔父は、「けっこう、来てくれる人」で、その点については感謝していた・・が、そのうち、「あんた、来なくていいよ」と思うようになった。
  うちの父親の病状が悪くなって病院に入院して「無菌室」にいた時、この叔父は入口で靴を脱いでスリッパに履き替えて入るようになっている病棟に土足のまま入ってきた。それは気づかなかったのだから「しかたがない」といえば「しかたがない」のかもしれないが、誰もがそういうことをするかというとそうではない。そういうことをしやすい人としにくい人というものがいる。精神面に落ち着きがないから、入口で靴を脱いでくれと表示されているようなものを見落とすのである。私だって、そういうものを見落として土足で入ってしまうという可能性はゼロではないとは思うが、ゼロではないとしても、この叔父と比べれば確率的に低いはずだ。
(B) 病室に入ってくると、息子の私が目の前にいるのに、そして、「いる」だけではなく私が「どうも、わざわざ、来ていただきまして」と言っているのに、又、下の姉もいるのに、「T子ちゃん、T子ちゃん」と言って、ひょ~いとかがんだりして私から顔をよけて「T子ちゃん」といううちの兄弟の中で最後にやってきた上の姉を捜しまくったのだ。「何、この人?」と思ったが、そういう人だった。
(C) うちの父親は、最初の病院に入院した頃は話もできていて、えらそうな口をきいていたのだが、そのうち、話をできなくなってしまった。その叔父が来た時は、もう、話をすることができなくなってしまっていた。しかし、意識がなかったわけではない。世の中には口をきけない人がいるが、「口をきけない人」というのは意識がない植物人間というわけではない。犬でも人間のように話はできなくても意識があるし、産まれて1年目の赤ん坊だって話をできなくても意識はある。うちの父親は話をできなくなってしまってからも、時々、単発で言葉を発することがあったのだ。うちの母親と姉と一緒にいて、「このまま、みんなでここにいてもしかたがないから、交替でいるようにさせてもらおう」と病室で話していたところ、話をできなくなっていたはずのうちの父親が「ええがな」と一言、横で口にしたということもあったのだ。ところが、うちの父親は病状が悪くなっても、それでも治療してもらってまた自宅に帰るつもりでいたにもかかわらず、この叔父は話はできなくなっていても意識がないわけではないうちの父親のすぐ横で、「もう、こんなになってしまったからには、もう、あかんもんやと考えんといかん」とか、大きな声で言いよるのだ。病人の横でそういうことを言わないでもらいたいのだがと思ったが、そういう男だった。せっかく来てくれている人なのだからと思って我慢して言わなかったが、今から考えると言ってよかったかと思う。そういうことが度重なり、最初は「来てくれる人」だということで感謝もしていたのだが、「あんたは来なくていいよ」と思うようになり、「おまえは来るな」と思うようになった。
(D) そして、葬式の当日、この叔父は私にこう言ったのだ。「あんたの所は、兄弟はねーちゃんしかおらんのやから、会社に勤めるにしても保証人になってもらおうと思っても、K〔うちの父親と同年齢の伯父〕なんかあかんから、うちに頼むしかないんやからなあ。その点、うちは息子が二人おるから、あんたに頼まんでもお互いに保証人になり合いすればええことで、あんたに頼む必要はないけれども、あんたはうちにしか頼む相手はないんやから、そやから、今後はあんたはうちには絶対に頭は上がらんのやから、そう覚えておけよお! うちの方は今後はあんたに何か頼むということは絶対にないんやからなあ。忘れるなよ、覚えておけよお!」と、そう言いよったのだ。人の葬式のまさにその日に、普通、そういうことを言うかあ~あ・・と思ったが言いよったのだ。
  「覚えておけよお」「忘れるなよお」と何度も何度も言いよったので、それで私は「そりぁ忘れてはいかんなあ」と思って覚えていたのだが、そうすると、それからたいして経たないうちに、「息子の結婚式に出てくれ」と言って「あんたに何か頼むことは絶対にないんやから、覚えておけよお。忘れるなよお」と言った男が頼んで当たり前みたいに頼んできよった( 一一) 
  うちの姉が東京の人間と結婚するということで東京で結婚式をあげた時には、うちの父親はこの叔父など大阪から来てもらう人には新幹線の往復の切符を渡して来てもらったらしかったが、この叔父はイトコが結婚式をあげる時に福島県いわき市に住んでいた私に福島空港から大阪伊丹空港までの飛行機代を私に出させた上で出席させよった。あの男はそういう男やった・・と思う。
  ・・やっぱり、ラグビー選手やなあ~あ・・と思う。「アタマがラグビー」の男というのは、そういうものなんだなあ、と思う。

(3) そして、阪神淡路大震災の後、祖母が他界したのだが、私は祖母が他界する少し前、母があるイトコが祖母の所によく言って世話してくれているという話をするのを聞き、私だって子供の頃、祖母には世話になったのだから、「俺も一度、行こうか」と母に言ったのだったが、うちの母は、どうも、そういう時に行かせたくないみたいで「行かんでええ」と言うのだった。「どうしてよ。一度、行こうと思うんや」と言ったのだが、「行かんでもええ」と言ってきかないので、それで、祖母が他界する前に会うことはできなかった。
(A) 阪神淡路大震災の後、祖母の葬式がおこなわれたが、そこで、この叔父は私にこう言ったのだ。「俺はあんたが今、どこにいるかも知らんねんけどな」と。 はあ? はあ? よくそういう口をきくなあ・・・。
  私は福島県いわき市の住所を記載した年賀状などを何度もこの叔父に出していたにもかかわらず、この叔父は受け取るだけで自分からは私に絶対に出してこなかったのだ。自分はえらいんだ! 「野々村先生になんか負けへんでえ」と言うくらいえらいんだ! と言いたかったようだが、別に勝っても負けてもどっちでもいいけれども、私は親戚として出していたのだが、伯父(母の兄)の方は私が年賀状など出すと必ず律儀に自分も私に出してきたし、(株)一条工務店に入社する際に保証人になってもらったこともあってお歳暮など贈ると、もらいっぱなしではなく必ずお返しをおくってきたものだったが、ところが、この「野々村先生になんか負けへんでえ」と言うおっさんは、私が年賀状など何回出してももらいっぱなしで、自分は私に絶対に送ってこなかったのだ。
  なおかつ、この叔父は私からは年賀状などをもらってももらいっぱなしで自分の方は送ってこなかったが、うちの姉には年賀状を送っていたらしかった。姉はこの叔父から年賀状をもらった旨、話していたのだ。ほお~お、そうか、あんたはうちの姉には年賀状を出しても、俺があんたに年賀状を送ってももらいっぱなしか。ほお、あんたにとっては私はそういう人間だということか。ほお~お。
  年賀状などもらいっぱなしで絶対に自分は私に送ってこなかったとしても、それでも、この叔父は私から年賀状などを何度ももらっていたはずであり、当然、私がいた場所の住所を記載したものを私から受け取っていたはずだった。ところが、私から住所を記載した年賀状などを何回も受け取っていたにもかかわらず、「ぼくは、あんたが今、どこに住んでいるかもいっこうに知らんのやけどな」と、わざわざ、そういう口をききよったのだ。
  ・・・どうも、そういう態度のことを「体育会系の礼儀作法」とか「さわやかスポーツマンシップ」とか、そのように言うらしい( 一一)
(B) そして、さらに。私は(株)一条工務店と記載された名刺をこの叔父に渡したのだ。この叔父はそれを受け取ったのだ。受け取った上で、こう言いよったのだ。「俺は、あんたがどこの会社に勤めているのかも、いっこうに知らんのやけどもな」と。はあ? はあ~あ?
  世の中、ユニークな人間もおるもんやなあ。勤め先の会社の名前を書いた名刺を受け取っておいて、その直後に、「ぼくは、あんたがどこの会社に勤めているのかも、いっこうに知らんのやけどもな」て、はあ?  はあ~あ?
  そういえば、うちの父親は毎日毎日、「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃわしにじゃわしにじゃわしにい。わしに孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ。まんまんまんまんまんまんまあ~あん。いらいらいらいらいらいらいらいら。わしに孝行せえよお、わしに孝行せえよお、わしに孝行せえよおお~お。ま~んまんまんまんまん、まあ~あんまんまんまんまん。ア~メン。ち~ん」と唱えた上で、「わし、これまで、あんたにわしに孝行せえなんてことは、たったの一言として口にしたことないやろ。いくらなんでも、このくらいのことはわかってもらわんといかん。ないやろ。ないやろ言うてんねん、わからんかあ!!!」と言い続けたのだったが、あんた、今、言うたやろうが。あんた、今、言うたばっかりやろうが・・と思い、「さあ~あ」と言うと、「はあ~あん。こいつ、わしは今までたったの一度として、『わしに孝行せえ』なんてことは一言として口にしたことはないのんにからに、こんなことすらもわかりよれへん。こいつ、これは絶対に病気やわ、こいつ。こいつ、ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー。電気ショックやったらんといかん、電気ショック。こいつに電気ショック療法やったるべきや、電気ショック療法♪」と何度も何度も言っていたが、
スタンガン
スタンガン  
( ↑ 「電気ショック療法」 )
しかし、そんなこと言われても、あんた、まさに今、言うたばっかりやろうが。あんた、毎日毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃくくらいに言い続けてきたやろうが。何を言うとんねん、何を・・・というおっさんやった・・が、この母方の叔父はうちの父親と仲が良かっただけあって、やることが大変よく似ているというのか、思考が似ているというのか、私から何度も住所を記載した年賀状などをもらって受け取っておきながら、自分の方は一度も私には出さずに、そして、「俺はあんたが今、どこにいるかも知らんねんけどな」と言うだけではなく、私から会社名と営業書名を記載した名刺を受け取っておいて、それを見た上で「俺は、あんたがどこの会社に勤めているのかも、いっこうに知らんのやけどもな」と面と向かって言った・・というのは、それは私に意図的に喧嘩売っていたといいうことか・・と考えるしかないのではないか。
  この人、いったい何? ・・と思ったが我慢したけれども、しかし、今から考えると、それは間違っていたと思う。たとえ、お通夜の日であろうが葬式の日であろうが、「おまえ、喧嘩売ってんのか」と言ってやるべきだったのではないか・・・と思う。
「黙っていては、なめられる」
(C) それだけで終わりではないのだ。
  母の実家が檀家になっていた寺は大阪市天王寺区の下寺町にあったが、天王寺区には火葬場はなく、大正区の小林斎場まで行った。ところが・・・。普通、葬式の後、「しあげ」と言って喪主は飲食をさせるものだが、ところがだ。
  祖父の葬式の時は喪主は伯父(母の兄)がやっていた。しかし、伯父はキリスト教の洗礼を受けていたので、お寺の檀家になることはできず、又、寺の境内にある家の墓に入ることは寺が認めてくれなかった。かつ、伯父には娘はあっても息子がなかった。それで、墓と仏壇は叔父とその息子が引き継ぐということになり、祖母の葬式の時はこの叔父(母の弟)の方が喪主になっていた。
  伯父が喪主をやっていた時は、祖父母が住んでいた尼崎市の家まで行って「しあげ」をおこなったが、祖父が他界した後、祖母は老人向けの施設に入り、その家は売却して存在しておらず、叔父は親戚の人間を自分の家に連れていくのは嫌だったらしく、かつ、だからといって、どこかに会場を借りて「しあげ」をやる費用はかけたくなかったらしい。それで、どうしたか。
  小林斎場から遠くない場所に駐車場がある喫茶店があり、叔父は自分のクルマに親戚の人間を乗せてそこに行くと、「ちょっと、そこに入っていこうや」と言って喫茶店に入ろうとした。そして、コーヒー代はその叔父が出した。参加者はお香典を渡しているのであり、「しあげ」の費用をかけることを考えればコーヒー代なんて安いもんだ。
  喫茶店に入って悪いということはないだろう。しかし、斎場からの帰りである。祖母のお骨を喪主はどうしたのか。もしも、喫茶店に入るのであればお骨も一緒に抱えて入るべきものではないか。ところが、この叔父はどうしたか。ラグビー選手だけあって私なんかとはやることが違う。さすがは体育会系はやることが違う。
  叔父はどうしたのかというと、おのれの母親のお骨が入った箱をクルマの助手席に、ぽ~いとおいて、「ちょっと、そこ入っていこうや」と、そう言いよったのだ。はあ? 親のお骨の入った箱をクルマの助手席において喫茶店に入るのかあ???
  私はそれを見て、「この人とはつきあいたくないなあ」・・と思った。
  叔父は自分の母親の遺骨をどうしようが息子である自分の自由だと思っていたのかもしれないが、祖母は叔父の母親かもしれないが私の祖母でもあるのだ。私としては、子供の頃、かわいがってもらった祖母の遺骨を粗末な扱いにする男というのは、うれしくなかった。
  今、考えてみると、その時の私は、うれしくなかったけれども、「この人が喪主なんだから」と思い、「私にとって祖母でも、この人の母親なんだから」と思い、我慢して見ていて、同時に「この人とは関わりたくないなあ」と思ったのだったが、そうではなく、「おばあさんの遺骨をクルマの助手席において喫茶店に入ると言うのですか」と、その場で言うべきだった。そう言うと、たぶん、「そうや。持って喫茶店に入るわけにいかんやろ」とか言いよったかもしれない。「それなら、私がここでお骨と一緒に待っていますから、あなた、喫茶店に入ってコーヒーでもフルーツポンチでもクリームパフェでも飲むなり食べるなりしてきてください。お骨というものは家の仏壇の所に持ち帰るまでは家族親戚の誰かがお骨と一緒にいるべきものですので、私が祖母のお骨と一緒にここで待っていますから、あなた、どうぞ、フルーツポンチでもクリームパフェでもコーヒーゼリーでも好きなものを食べるなり飲むなりしてきてください」と言えばよかった。
  その時は、私は孫であり、叔父に言うなら孫ではなく「子」に該当する伯父が言うべきではないかと思って私は言わなかったが、伯父は自分が長男でありながらキリスト教の洗礼を受けていることから寺の境内にある家の墓や仏壇を継ぐことができないし、息子がいないので叔父に墓と檀家と仏壇を継がせるしかないので叔父に何も言えなくなってしまっていたようだった。それならば、うちの母でも言えば良さそうなもので、うちの母が言わないならその息子の私が言うわけにはいかないと思って遠慮していたのだったが、それは間違いだった。母は思っても言えない人間だったのだから、私が言うべきだった。イトコでも男性のイトコというと、母の下の妹の息子は叔父の影響を受けてラグビーやってスポーツ入学したりして叔父の配下になっていたから、ラグビー関係者はラグビーの親玉には意見はできないから、だから、私が言わなければ誰も言える人間はいなかったのだ。子供の頃にかわいがってもらった祖母のために私が言うべきだったと思う。
  その時は「えらいことしよるなあ」と思い、びっくりしたが、後から母に言うと、母もそう思ったと言うのだったが、ラガーマンだけあって、叔父にとってはそれが「常識」だったようだ。ラグビー選手の「常識」は私なんかの常識とは常識が違うようだ。

  実はもうひとつ、あったのだ。
(1)(B) 1980年代なかば、祖父の葬式の時のことだ。祖父の通夜の後、祖母も高齢で相当弱ってきていたので、一人で家に帰らせるのもどうかということで我が家に母とともに連れてかえったのだ。母は5人兄弟の上から2番目で、伯父が喪主として葬式を取り仕切っていたので、うちが兄弟として祖母を預かることになった。ところが、一晩寝て起きると、祖母はもう疲れてしまったから、葬式には出ないと言い出した。母が「お婆さん、葬式には出ないって」と私に言うから、「それで、うちはどうするの」と私は言ったのだ。
  「お婆さんも高齢だから、お通夜だけで疲れてしまったのなら葬式は息子にまかせて、うちで休んでいるというのでもいいと思うけれども、それで、うちも葬式に行かないのか、それとも、私が一人で出席するのか。どうするの。」と言い、「それに、お婆さんが葬式に行かないというのなら、それならそれで、お寺に電話して喪主のKさんに連絡しておかないと、Kさんはお婆さんが来るものだと思っているのじゃないの。お婆さんが葬式に出ないのなら出ないで喪主のKさんに連絡はしておいた方がいいのと違うの」と言うと、母は「そうやなあ」と言ってお寺に電話を入れたところ、喪主になっていた母の兄(伯父)のKさんは「来てもらわんと困る」と言い、祖母に電話に出てもらうように言ってくれと言い、祖母は電話で長男と話して長男が来てほしいと言うと「そしたら、行くわ」と言って葬式に行くことにしたのだった。
  ・・ところが。そういういきさつがあったため、私と母と祖母とはタクシーで葬式の会場のお寺に直行したものの到着が遅めになった。少々、遅めになったとしても、祖父の葬式である以上、祖母と一緒にいる限り、ほっぽらかしにされて先に進められてしまう恐れはないだろう・・と私は思い込んでいた。
  ところが、お寺に着くと、「先に集合写真は撮った」と言うので、「そんなおかしな話はないでしょう。うちはお婆さんの世話をしていたのであり、うちの問題で遅れたのではないのだし、お婆さんを入れずにお葬式の集合写真を撮っても、そんな写真は葬式の集合写真とは違うでしょう」と母に話したのだ。又、「お婆さんの旦那のお葬式なのにお婆さんを入れないで集合写真を撮るとは、なんですか、それは」と言ったのだ。祖母は母の母であり、喪主の伯父は母の兄だから、苦情を言うなら母が喪主である伯父に言うものだと私は思っていた。その時、うちの父親は何をしていたのかというと、生きていたが何の病気だったか忘れてしまったが体調を悪くして病院に入院していた。後で母が「ちょうど良かった。あの人がいたら何するかわからんから入院していた良かった」と私に言ったのだが、実際、そうだったかもしれないと思う。
  もしも、母が言えないのなら私が言っても良かったが、母が「そんなもんや」と言って諦めるので、その時は私はそれ以上は言わなかったが、母が良くても祖母のために私が言うべきだった、失敗したと今は思っている。
  「失敗した」と今は思う理由がある。それは、その時は伯父(母の兄。祖父母の長男)が喪主をやっていて、集合写真を祖母が来る前に撮ってしまうというのは喪主である伯父がやったことだろうと思っていたから、祖母にとっては長男のKさんがやったことなら、自分は夫の葬式の写真に入れてもらえなくてもそれでいいと母親として思ったのか・・と考えたから、だから、祖母が「長男がやったことだから、自分はそれでいいんだ」と思っているのなら、外孫になる私がいかんと言うこともないのかと思ってしまったということだ。
  しかし、その後のことを考えると、違ったのではないかと思う。祖父の葬式の頃までは伯父もまだ元気で伯母(伯父の配偶者)もまだ生きていたが、祖母の葬式の時になると10年の年月が経つと高齢の人は体力も弱まり、仕事も引退したり、伯母(伯父の配偶者)は他界して伯父は再婚したりして状況が変わった。伯父はキリスト教の洗礼を受けていたので寺の檀家になることができず、寺の境内にある墓に入ることもできず、墓を継ぐことも仏壇を引き継ぐこともできないので、それで、弟である叔父が寺の檀家と寺の境内にある墓と仏壇を引継ぎ、叔父の2人いる息子のうちの長男の方(私のイトコ)がそれを継いでいくということになり、祖母の葬式でも伯父ではなく叔父の方が喪主になっていた。伯父は常に弟に気兼ねしたような態度を取り続けていた。伯父は早稲田大卒だったようで、伯父と同年齢で明星高校で同級生だったらしいうちの父親と同年齢で、母のすぐ下の妹であった叔母のだんなも同年齢だった。叔母のだんなは大阪大学工学部卒で、うちの父親は「推薦入学」だったらしいが同志社大学卒ということだった。それに対して、叔父は「アタマがラグビー」の人間で日体大卒であり、どうも、そのあたりにコンプレックスを持っていたらしい。ところが、祖母が他界した時には、うちの父親と叔母のだんなはすでに他界しており、叔父より17歳年上の伯父は73になっていた。叔父としては「Kなんかもう年寄やから、あんなんあかんから、あんたは俺に頼むしか頼む相手ないんやから、今後はあんたは俺には絶対に頭が上がらんのやから覚えておけよ」と私に言ったように、そう思っていたらしい。叔父は私に「会社に勤めるにしても保証人になったもらうなら、あんたはうちに頼むしか頼む相手ないんやからなあ。その点、うちは息子が2人いるから、お互いに保証人になり合いすればええんやから、うちはあんたに何か頼む必要はまったくないんやから、忘れるやよ」と私にそういう口をきいた割に、結局、一度も保証人になることなく死によった( 一一) ラグビー選手だけあって上祐と一緒で「口だけの人間」だったのだろう。「口だけの人間」なら、せめて、そういう口をきかなきゃいいのに・・・と思うが、そう思うのは私が思うことであって、「体育会系」の「常識」ではそうではなかったらしい。
  もしかして・・・と気づいたのだ。祖父の葬式の時に、我が家で祖母を預かり、祖母が「もう、疲れたからお葬式は行かなくていい」と言ったにもかかわらず、喪主になっていた伯父に電話でそれを話すと、伯父が「来てもらわないと困る」と祖母に話して、祖母はそれならと行ったのに、それなのに、祖母が来るということはわかっているのに、ほんの少しの間だけ撮るのを待ってもらえばいいことなのに、それを待たずに祖父の葬式の集合写真に祖母を入れないで撮ってしまったというのは、その人の人柄から考えて、伯父がやったことではなく叔父がやったことではないか、と気づいたのだ。これはわからないが、その可能性が高いと思う。祖父の葬式の頃から、伯父の立場は弱くなりかけていたということではないか。叔父はその頃から横暴になってきていたのではないか。・・あの叔父が「写真だけ、先に撮っておこうや」と言いだし、伯父が「そんなこと言うても、お婆さんが来てないのに先に撮るわけにいかんやろ」と言っても、叔父が「お婆さんが来てなくたってええやろ、そんなもん」とでも言って撮ってしまったのではないか。その人の人柄から考えると、そんなところではないか。
  それなら話は変わってくるのだ。祖父も祖母も伯父・叔父の父親で母親かもしれないが、私の祖父で祖母でもあるのだ。特に祖母と前日から我が家が行動をともにしていたのだ。だから、祖父母の孫として私が「なんで、故人の奥さんであるお婆さんを入れずに集合写真を撮ってしまったんですか。それでは葬式の写真にならないでしょ。非常識だと思いませんか」と叔父の方に厳重に抗議するべきだった、と思うのだ。叔父は私より20歳年上だったが、20年上でも、あんなもん、それがどうした。あの叔父を見て思ったのだ。ラグビーやるとアホになるのではないか? ・・と。

(3)(D)  叔父が喪主になった祖母の葬式は、実際問題として「葬式ではなかった」。ラグビー関係者ばかりが集まって幅を利かせており、「これなら、出席する必要はなかったのではないか」とも思えた。親戚の人間で私と同じように思った人は何人かいたのではないかと思うのだ。
  あの葬式の時に来場したラグビー関係者は、彼らの態度は失礼だと思う。故人との関係で来たのではなくラグビーつながりで叔父の所に来た人たちだったわけだが、そういう人が葬式に来て悪いということはないが、しかし、「あくまでもその故人の葬式であり、ラグビー関係者の集会場ではない」ということをわきまえないといけない。ところが、葬式に来場したラグビー関係者にはその認識が欠落していた。「アタマがラグビー」でできていても、それでも、葬式というものは、故人とのつながりでではなく喪主とのつながりで参加する人がいてもいいけれども、しかし、それでも故人の葬式であるということを認識できないような人間ではいけないのではないか。そういう人は葬式に来ないで死ぬまで年中ラグビーやっておればいいのではないか。

(4) さらに思い出したことがある。1970年代前半、私が中学校に入ってすぐの時に父方の祖母が他界したが、その葬式の時、うちの家で葬式をやった際、この叔父が私に「数珠、貸したげよ。数珠」と言い、イトコ(この叔父の息子)に「〇〇ちゃんに数珠貸したげて」と言って数珠を渡したのだ。中学校に入ったばかりだった私は数珠なんて持っていなかったが、その時は親切で貸してくれたのかと思ったのだったが、後にこの男の行動を見て、そうではなかったようだと気づいた。そうではなく、そういう場所で大きな声を出して私に数珠を貸すことで、うちの子はきっちりと数珠を用意して持っているのに、あんたは数珠を用意してないんやということを周囲の人間にアピールすることで「ええかっこしい」したかったということだったようだ。あの男は常にそういう人間なんだなあ、スポーツマンだなあ・・と思う。
  日本の古寺研究会 編『日本の古寺 100の秘密』〔2018.9.19.彩図社(さいずしゃ)〕には「60.数珠を使いまわすと罰が当たる?」に、
《 法事や葬儀、お墓参りで使われる数珠。故人の冥福を祈る際、数珠を両手で挟んで拝むのが一般的だが、そもそもどんな意味があるのか、ご存知だろうか?
  数珠の原型は、古代インドで使われていた修行道具にあるとされる。日本には6世紀半ばに仏教伝来とともに持ち込まれたという。108つの珠を擦り合わせることで、煩悩を消し去ることができると考えられていたようだ。
  また、数珠には唱えた念仏を数えるという、実用的な面もあった。「念珠」と呼ばれるのもそのためだ。そのため、念仏を重視する浄土宗や、呪文を用いる真言宗や天台宗では特に用いられた。小型で簡単に持ち運べるため、鎌倉時代を境に一般の信徒も数珠を持つようになり、今では仏教を象徴する道具となっている。
  現在では、数珠は持ち主と浄土世界との縁を強め、仏に自分の念をより強く送るために用いられている。故人や仏に感謝の想いを伝えるために、数珠の使用が奨励されているのである。
  その使い方だが、意外なことに不浄を意味する左手で持つのが基本。
  人間の象徴である左手を、数珠の導きで仏を意味する右手に合わせる。そんな意味が、この行動には込められていたのだ。大事な導き手であるため、椅子や床に直接置かず、数珠袋かハンカチに包んでバッグなどにしまうのが望ましい。
  なお、合掌の作法は宗派によって微妙に異なる。浄土宗では両手の親指にかけて房を垂らすし、真言宗では左右の中指に数珠をかける。故人の宗派の数珠や作法を覚えて行くのが一番だが、もしもわからなければ、そこまでこだわらなくてもいい。気持ちがこもっていれば、それで問題ないはずだ。
  忘れたときは数珠なしでもいいが、使いまわしは厳禁。数珠は持ち主を守護するお守りでもあるため、家族や親しい友人であっても、貸し借りしないようにしよう。
と出ている。
  インターネットで見たのものでは数珠の貸し借りは良くないという点については諸説あるとも言われるらしいが、一般的に数珠というものは人に貸すものではない、人から借りるものではないようだキリスト教徒の人で数珠を持っていない人だってあるのではないか。そういう人が仏式の葬式に呼ばれることだってあるだろうが、そういう場合、失礼な態度でなければ、仏教徒でもないのに無理に数珠を用意する必要はないのではないか。又、中学校1年生が数珠を持っていなくても特に悪いことはないだろう。むしろ、宗派による違いとかそういったものもあるであろうし、軽々と人のものを借りたり貸したりしない方がいいのではないかと思う。うちの父親の家と叔父の実家とでは宗派は同じではない。
お寺の魅力と成り立ちがわかる 日本の古寺100の秘密 - 日本の古寺研究会
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(5)  この叔父が他界した場合にはその葬式には私は行った方がいいのか、こいつは私が嫌いなのだから、私を嫌っている人間の葬式に出てもしかたがないから出ない方がいいのか、どうしたものか・・と長年、思ってきたのだが、2018年の大阪北部地震の少し前くらいに他界していたらしく、葬式はやったであろうけれども息子の結婚式には出てくれと言って出てもらった私に連絡もしてきよれへんかった。私に連絡してこなかったというのは、それは「来てもらいたくない相手」と私が認定されていたのかもしれないし、「ラグビー葬」としてラグビー関係者だけでやりたかったのかもしれないが、うちの母親はこの叔父にとっては姉であり、叔父の長男からすれば叔母になるはずで、私に連絡しないとしても、うちの母親に連絡しないというのは、いくらなんでもそれはないだろうと思ったのだったが、「死にましたんでえ」とも言うてきよれへんかった( 一一)
※ 《ウィキペディアー大阪北部地震》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%8C%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87

  叔父は遺産分割協議の時に、伯父に「これまでは、おまえがやってきたんやからお前が持っていていいけれども、今後は俺が全部やるんやから、俺に全部よこせ」とそう言ったというのだ。そういう口をきくのかと思った( 一一)
  そして、「これからは俺がやっていくんやから」と言ったというわりに、一周忌も三回忌も何もやりよれへん。伯父が喪主を務めていた時は、ともかくも、時々、「法事」というものをやっていた。ところが、「これからは俺が全部やっていくんやから」と宣言したらしい叔父は、何もやりよれへん( 一一)

  この叔父が私にとった無礼な言動の数々について、私が子供の頃、かわいがってくれた祖母はどう思っているだろうか・・と思ったりした。私は「霊能者」でも何でもないので、他界後の祖母がどう思っているかなんてことはわからない。もしかして、「私が謝るから、どうか、あの子を許してやってくれ」と祖母が頼んでいるような気もしたが、それはわからない。
  祖母の葬式の後、まだ50代だった叔父は伯父に「おまえはいつでも卑怯なやつや。いつでも、おまえばっかり」と祖母の他界後に20歳も年上で70代の伯父の胸倉つかんで怒鳴りつけよったというのだが、もう体力的に衰えていた伯父はそうされてもどうもできなかったらしいが、よく、運動選手というものは「気は優しくて力持ち」なんていう言葉があるが、違うと思う。すでに高齢の運動選手でもない相手の胸倉つかんだり、そういうのが「運動選手」というものだ。それが大学教授なのだ。
  ・・それで、あの叔父のことを思っていて、最近になって気づいたのだ。「おまえばっかり」と伯父に言ったというが、そして、うちの母親なども「お婆さんにとっては長男がいいみたいで、K太郎、K太郎といつも言っていた」というのだが、うちの母親などは祖母は母親として長男がかわいかったのだと思っていたようだが、祖母としてはそうではなかったのかもしれない。叔父を見て「この子はあかん」と思っていたのではないか。そうでなければ、長男と次男とを「半分半分よりは、ほんのちょっとだけ長男を優先」くらいにするところを、次男の叔父を見て、「この子はあかん」と思うようになって、それで長男の方に比重を置くようになったのではないか。叔父はそれをわからなかったか、わかっていたから余計にか、伯父に敵対心を持つようになったのかもしれない。

  どちらにしても、祖母のお骨をクルマの助手席の上に、ぽ~い・・とおいて、「そこ、入ろうや」と言って喫茶店に入る男というのを見て、「この男とは関わりたくない」と思うようになった。
  ところが、その後も、この叔父はうちの母親の所に「千里の道を遠しとせず」やってきた。うちの母親が「来てくれるから、M夫に渡すお土産を買って来てくれ」と言うので、「なんで、私があの人にお土産なんか買ってくるのですか。あの人は私の悪口を言う為に来るのでしょう。あの人は私の悪口を言うためなら、千里の道を遠しとせず、万難を排してくるという人でしょう。なんで、私の悪口を言う為なら千里の道を遠しとせず、万難を排してやってくる人に渡すお土産を私が買ってこないといけないんですか」と言ったのだ。うちの母親は「そんなこと言わないで。せっかく来てくれるんやから」と言うのだったが、「来なくていいですよ。来てもらいたくないんです、あの人は。来ないでほしいんです」と言ったのだが、「そんなこと言わないで」と言うので、しかたなしに、千葉県地域の名産取り合わせセットを用意して母親に渡したが、今から考えてみると、あの叔父にそんなもの渡す必要はなかった。1996年にハワイに行った時、『地球の歩き方 ハワイ』(ダイヤモンド社)で「1セントのチップ」をテーブルに置くという話を読んだ。それは、店に入って、あまりにもひどい対応をされたと言う場合、「おまえの店の対応に対するチップはこういうものだ」という意思表示として、テーブルに1セントだけ置いていくというものだ。それと同様のものとして、コンビニに行くと、2000円とか3000円とかで、全国どこでも売ってるお菓子の詰め合わせなんてものを売っている。そういうものでも買ってきて渡してやり、千葉県から大阪府まで持ち帰らせてやればよかった。「おまえは来ていらんのだよ」という意思表示として。「おまえは来てもらわない方がありがたいんだよ」という意思表示として。「おまえは来ない方がいい人間なんだよ」という意思表示として。そういう意思表示をされても、ラグビー選手は「アタマがラグビー」だし自信家だから、その意図を理解はできないだろうが、その程度のものを渡してやるべきだった。失敗した。

  《 追善供養は、死後49日までは7日ごとに7回、その後は百か日から三十三回忌まで6回と、計13回の法要をすることが通例になっている。「十三仏事」と呼ばれるこの法要で、遺族は故人の冥福を祈る。この風習は中国に起源をもち、日本でも一般に広まったと伝えられている。》
( 『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』2008.1.29.小学館)
というが、「これからは俺がやっていくんやから」と言ったらしい叔父は、何もやりよれへん。
  しかし、子供の頃から祖父母の所には何度も行ってきた私としては、祖父母は叔父の父親と母親であるだけではなく私の祖父であり祖母である。うちの母親が言うには、私が産まれた時、病院から家に連れ帰ってきたところ、11月でけっこう寒かったが、家にはストーブに火もつけられておらず、寒くて、連れ帰ってきた赤ん坊の顔色が一気に変わったという。うちの母親と病院から家まで一緒に来てくれた祖母は、近所のかかりつけの開業医の所に走っていって、「すぐ来てください」と言って内科医の腕をつかんでひっぱってきた、と聞いた。母方の祖母はそういうことをやってくれたらしい。だから、「これからはうちが全部やるんやから」と言って何もやりよれへん、というのは、なんか納得いかないし、又、その祖母の遺骨をクルマの助手席に、ぽ~いと置いて、「おい、ここ、入ろうや」と言って喫茶店に入る男というのは、その男が祖母の息子であっても、いいとは思えないのだ。
  ・・ちなみに、産まれたばっかりの私をうちの母親が病院から家に連れ帰ってきた時、産まれたばっかりの赤ん坊を家に連れ帰ってきたら家の中が寒くて赤ん坊の顔色が一瞬にして変わったという時、うちの父親は何をしていたのか。子供というものは女が産むもので、男はたいしたことはしないとは言っても、病院から家に連れ帰ってくる時くらいは一緒に無事に帰れるようにするべきものではないのか・・と思ったが、うちの母親が言うには「ゴルフに行っとった」そうだ。そういうおっさんやった( 一一) あのおっさんらしいなあ~あ( 一一)・・と思う。
「女は畑じゃ。息子ちゅうもんは畑が産んだのとは違うねんぞお。種を植えてやってあげていただいてくださってもらってやってやってあげてやっていただいてくださったお方のおかげで種が芽を出してんぞお。そんで、種が畑から芽を出したら育てるのは畑の役目じゃ。甘ったれておってはいかんぞ、甘ったれておっては。心得違いを起こしてはいかんぞ、心得違いを起こしては。そんで、畑から芽を出したものが育って実がなるようになったら、種を植えた者に権利があるんじゃ。畑に権利があるのとは違うねん。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるのとは違うねんぞお。わかっとんのか、茄子! わかっとんのか胡瓜! わかっとんのか、わかっとんのか、わかっとんのか、チャンコロっ!」と、うちの父親は毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして叫んでいたが、その「畑に種を植えてやってあげていただいてくださってもらってあげていただいてくださった、えっらいえっらいえっらいえっらいお方」というのは、その子供を病院から連れて帰ってきた時、家の中が寒くて赤ん坊の顔色が一瞬にして変わり、母親(おっさんの嫁)が「どうしたらいいのかと思った」という時には何をやっていたかというと、「ゴルフに行っていた」そうだった。「当たり前です。甘ったれなさんな。当たり前です」とうちの父親は言うのだったが、そういうおっさんやった。
  下の姉は言うのだ。「あんたなんか、まだ、ええやないの」と。「私なんか、『女の子なんか要らん』と言われて、名前もつけずに、しばらくそのままにされていたらしいから」と言うのだった。そうらしい。うちの母親が言うには、下の姉が産まれた時、うちの父親は「また、女、産みやがったか」と産後すぐの嫁にそう言ったそうだ。あのおっさんらしいなあ・・と思う。たしかに、叔父の親友だけのことある。「こ の女は女しかよう産まん女や」とそう言われたと、うちの母親は言うのだった。
  うちの母親が言うには、父方の祖父は男の子を欲しがっていたけれども、息子(うちの父親)の嫁が産んだ子供は2番目の子供もまた女だったが、祖父はそれでも喜んでくれたというのだが、ところが、父親の方は「また、女、産みやがったか」「この女は女しかよう産まん女や」「困った女やなあ、この女は」とそう言いよったというのだ。あのおっさんらしいなあ・・と思う。その時に伯父が「そやけど、かわいらしい子やないか」と言ってくれたというのだ。
  どうも、うちの父親はそういうところがあったようだ。下の姉は「あんたなんか、男の子やからええけども、私なんか『女なんか要らんのに産まれやがってからに』と言われてきたんやから」と言うのだったが、私だってうちの父親から喜ばれずに産まれてきた人間であり、「天の神さまはおまえが産まれてくることをお許しにはなっておらんのにからに、産まれてきよったんじゃ、おまえは産まれてこなかったらよかったのに」と私はずっと言われてきた。
  うちの親は2人とも私が嫌いで、よその子が好きだった。特に私の同級生で私が「こいつ、嫌なやつやなあ。こいつ、本当に嫌なやつやなあ」と思う人間というのが好きだった。うちの父親は私に何度も何度も言うのだった。「わしは『野口くん』が産まれてほしかってんぞお、『野口くん』が。おまえは産まれていらんかってんぞお、おまえはあ! よくも、産まれやがってからに! よくも、産まれやがってからに! よくもよくもよくもよくも、産まれやがってからに、産まれやがってからに、産まれやがってからに、チャンコロっ!」と、うちの父親は毎日毎日言っていた。「わしは『野口くん』が産まれてほしかってん、『野口くん』があ! おまえは産まれていらんかってんぞお~お、おまえはあ~あ!!!」と何度も何度も言っていた。「《『野口くん』が産まれたら良かったのに、わたくしが産まれて申し訳ございませんでした》と言いなさい」と言うので、何度も言ったものだ。「『野口くん』が産まれたら良かったのに、わたくしが産まれて申し訳ございませんでした」と。そして、私は言ったのだ。「別れていただけませんか」と。「『野口くん』が産まれてほしかったんでしょ。私は産まれてほしくなかったんでしょ。ですから、お互いに分かれた方がいいと思うんです。別れていただけませんか」と。ところが、「野口くん」が産まれてほしかったといううちの父親は「産まれなければ良かったのに、天の神さまの命に反して産まれてきた人間」である私と別れてくれなかったのだ。「そうはいくかい、チャンコロろすけ! おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきたおかげで、おまえをこれまで育てるのにカネがかかって迷惑しとるんじゃ。そやから、これからおまえにはせえっせせっせ、せえっせせっせと働いてもろうて、これまでにかかったカネをまどてもらわんといかんのじゃ。チャンコロ!」と言うのだった。そんな気持ちで子供を作るのなら子供なんか作らなければいいのにと思ったが、うちの父親に「産まなかったらよかったのと違うのですか」と言ったところ、「何を言うとるんじゃ何を。おまえが産まれたんじゃろうが、おまえが。この世に産まれなかったら良かったのに産まれてきたのはおまえじゃろうが! ひとのせいにすんな! おまえみたいに、自分が産まれてこなかったら良かったのに産まれてきておいてからに、『産まれてからのことはともかく、〈産まれた〉ということは産んだ側の問題と違うんですかあ』などと勝手なことを言うやつのことを、心理学では外罰的性格と言うねんぞ、外罰的性格と。これは治療してやらんといかんな、治療してやらんと。電気ショック♪ とか、ロボトミーとかやって治療してやらんといかん、治療してやらんと」と言うのだった。
  それで、その「野口くん」てやつだが、「こいつ、本当に嫌なやつだなあ」というその男、うちの母親は顔くらいは見たことがあって、その「野口くん」とその母親が築いていた””人間山脈”” が幅をきかせて感じ悪いということも実感していたようだったが、うちの父親は「野口くん」とは直接会ったことはないはずだったが、会ったこともない人間がなぜいいのか・・とも思ったが、それは「野口くん」をいいと言う人間がいたから、私なら、そんなこと言う人間がいても、「ああ、そうですか」でおしまいなのだが、うちの親はそうはいかず、「野口くんが産まれてほしかってん、わしはあ。おまえは産まれて要らんかってんでえ。わかっとんのか。産まれてきたことを反省しなさい。『産まれてきて申し訳ございませんでした』と言いなさい」とうちの父親は何度も言うのだった・・・が、「ああ、そうですか」でおしまいにしておけば、それですむものを、いちいち反応するものだから、「野口くん」をいいと言い出すやつが余計に調子に乗るのだった。 で、誰が「野口くん」をいいと言っていたのかというと、「野口くん」の母親が6割、「野口くん」本人が2割、YMCA予備校高槻校の「主事」の藤井という男が1割、それに大阪府のM市立N小学校の教諭だったハナブサという男が1割だった。だいたい、アホな母親が自分の息子のことを「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」と太鼓を叩き、ラッパを吹き鳴らして叫びまくったとしても・・・「ほっとけやあ。アホやねんから」と私は思ったのだが、それを「ほっとく」ことができないのがうちの親だったのだ( 一一)
  「ほっとく」ようにすれば、自分の息子のことを「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」「うちの子はたいしたもんですわあ」と太鼓を叩き、ラッパを吹き鳴らして叫びまくるアホな母親というのは、その効き目がないとわかると、その後はそれほどやらなくなるのだが、「効き目がある」と感じるとさらにラッパを吹き鳴らし太鼓を叩きまくるようになるのだ( 一一)
  又、自分のアホな母親が「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」とか何とかかんとか太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして叫びまくる・・というのを聞いても、そんなものを本気にする息子って・・( 一一)  「野口くん」は浪人したとはいえ、京大の法学部に合格したけれども、京大に通っても「あれではなあ・・( 一一) 」と思う・・・。《浪人したとはいえ、たとえ京大に行っても「あれではなあ」》と。 私なら自分の母親が「野口くん」の母親みたいな態度をもしも取ったなら、「そういうのはやめてちょうだい」と一言くらいは言うのだが、「野口くん」はそれを言わずに、アホな母親から言われて自分でも「その気になっている」のだった・・ということは、「あんまり賢くなかった」「あんまりしっかりしていなかった」「あんまり大人ではなかった」ということになるが、アホな母親が「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は大人ですわあ」「うちの子はたいしたもんですわあ」と太鼓を叩き、ラッパを吹き鳴らして叫びまくるのを聞いて、本気にするのが「野口くん」本人と、それにうちの親だったのだ( 一一)
  だから、うちの父親にとっては、下の姉は「女なんか要らんのに産まれてきた」人間だったらしいが、私は「『野口くん』が産まれてきてほしかったのに、産まれてこなかったら良かったおまえが産まれてきた」という「『天の神さま』が産まれてくることを望んでいないのに産まれてきおった人間」で、うちの父親は「ドイツ人でアメリカ人の民族」で「慶應の階級の人間」であったのに対して、私は「チャンコロの民族」で「浪商の階級」の人間としてこの世に生まれてきた人間だったそうだ。
  で、うちの父親が言うには私は「チャンコロの民族」で「浪商の階級」の人間らしいのだが、その「チャンコロで浪商」が産まれた日に天王寺の病院から家に連れて帰ってきた時に、家の中が寒くて赤ん坊の顔色が一瞬にして変わって、うちの母親はどうしようと困った時に、祖母は近所の内科医の所に行って診療時間であってもなくても来てくださいと言って腕をつかんで引っ張ってきた〔前から馴染みの人だったから、又、母の叔母(祖母の妹)が近くに住んでいたが、その内科医は母の叔母(祖母の妹)の家から2軒隣か3軒隣の人だったということもあって、それで来てくれたということもあるとは思うが〕、そういう祖母だったようだ。だから、その祖母のお骨をクルマの助手席に、ぽ~いと置いて「ここ、入っていこうやあ」と言って喫茶店に入ろうとする男というのは、その男がたとえ祖母の息子であったとしても、いい気持ちがしないのだ。

  「年忌」というのは、《ウィキペディアー年忌》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B4%E5%BF%8C を見ると、
百か日・一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌・二十三回忌・二十五回忌・二十七回忌・三十三回忌・四十三回忌・四十七回忌・五十回忌とやるものらしい。但し、それらをすべてやらないといけないということもないとは思うが、しかし、それにしても、「これからは俺が全部やるんやから」と言ったらしいはずの叔父は「何にもやりよれへん」。 
  祖父母の孫としては「あんまりじゃないか」と思うのだ。 それで、「おおさか十三仏霊場」「京都十三仏霊場」「大和十三仏霊場」を私ひとりでまわってみようと考えたのだ。但し、3つの「十三仏霊場」をすべてまわろうとすると、13×3=39 で、私自身がもう若くなくなってしまったことを考えると、39カ所を回るというのは大変だ。だから、「京阪奈13仏霊場」として、「おおさか十三仏霊場」「京都十三仏霊場」「大和十三仏霊場」の中から、一番、馴染みがある所を選んで、計13か所を訪ねようと考えた。
  それで、第一番は「おおさか十三仏霊場」の「紫金山 法楽寺」、大阪市東住吉区山坂1丁目 を訪ねることにした。法楽寺は真言宗泉涌寺派 大本山で、本尊は不動明王。最寄駅はJR阪和線「南田辺」駅である。

  「わしはおまえやのうて、『野口くん』が産まれてほしかってんでえ~え」とうちの父親が言うので、「それなら、『野口くん』を産んだらよかったのに、なんで、『野口くん』を産まなかったんですか。私もあなたの息子には産まれたくなかったんですけれどもね。私、産まれる前に『産んでください』と、あなたに頼んだことは一度もありませんでしょ。『野口くん』を産まずに、なんで私を産んだのですか」と言ったのだ。そうすると、うちの父親は「女が産みやがったんじゃ、女があ。この世に女が産まれなかったら良かったおまえを産みやがったんじゃあ」と言うのだった。「そうですか。それなら、別れましょうよ。あなたは私が産まれてきたのが迷惑。私もあなたの息子には産まれたくなかった。お互いに相手が嫌なのですから、別れましょうよ。どうか、お願いですから、別れていただけませんか」と言ったのだったが、「そうはいくかい、チャンコロろすけ! おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれたおかげで、ここまで育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。そやから、おまえにこれからそれを、まどてもらわんといかんのじゃ、まどてもらわんと」と言うのだった。
  北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒 らしい)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にしていて、耳鳴りするほどその文句を聞かされたが、そんなに「父親」がいるのがいいと思うのなら、うちの父親を引き受けてほしかった。「父親」がいるのがそんなにいいと思うのなら、自分は「父親がいなかったから」だから、その分だけ自分はエライんだと言いたいらしかったが、そんなに「父親」というものがいいなら、旧姓作野礼子にあげるよ。あんなおっさんがいるのが、そんなにいいと言いたいのなら、旧姓作野礼子にあがるよ。引き取ってくれよ。うちの父親は「おまえは産まれていらんかったんじゃ、おまえはあ」と毎日言っていたのだが、旧姓作野礼子とけっこう気が合うようだったから、合わない私の「父親」やっているよりも旧姓作野礼子の「父親」やった方が、あのおっさんにとっては良かったのではないかと思うし、旧姓作野礼子にとっても、あこがれの「父親」ができて良かったのではないか。北野高校は行きたいと思って行った学校だったから合格した時はうれしかったのだが、実際に行って卒業して十年以上経って落ち着いて考えてみると、どう考えてもいい学校ではなかった。特に、2年の時に旧姓作野礼子に担任を持たれたのは災難だった。あの女、そんなに「父親」というものがいいと思うのならば、それなら、ほんと、「あげるよ、あんたに」と私は何度も思ったものだった。高校時代の私のひとつの失敗は北野高校の教諭全般を高く評価しすぎていたという点がある。柴田孝之が『東京大学機械的合格法』(実業之日本社)で、「能力的にも人間的にも優秀な教師というのは多くの人間が思っているよりもはるかに少ない」と書いていたが、今は私もそう思っている。そのあたりを認識できていなかったという点が高校時代の私の失敗のひとつだった。
  今現在、私は、高校の教諭って、いない方がいいのではないのか? と思ったりしている。 又、私は小学校:公立⇒中学校:公立⇒高校:公立⇒大学:国立 と行くつもりだった者が何の因果か大学は私立の大学に行ってしまったという者で、国公立族だった人間で、学校は国公立の方がいいと思っていたのだが、又、その理由のひとつとして、私立の学校というものは「わたくし」の所有物であるのに対して、国公立の学校というものは「おおやけ」の物であるということがあり、小学校の場合は公立の小学校というのは「国民は誰もが平等に教育を受けることができるように」という前提で設けられたものであり、中学校・高校もその延長という感覚があったのだが、高校の場合、必ずしもそうとは限らないのではないかと思うようになったのだ。1980年代前半、北野高校の英語科の教諭だった「片岡のおっさん」が自分が担任を持っていた生徒の家庭教師をしていて、その報酬として週に2回で6万円ほどもらっていたが、6万円では安いから10万円に上げろと要求して親が激怒して新聞社に垂れ込んだことから表にでて解雇されて高槻市にできた予備校の講師に転職した・・なんてことがあった。以上のいきさつは「聞いた話」なので細部においてまで正確かどうかは知らないが、細部においてまで正確かどうかはわからないが、そんな感じのことだったようだ。そういうことは「氷山の一角」だと思うのだ。高校の先生で副業で家庭教師をやったり塾の講師をやったり予備校の講師をやったりしていた人は現実にけっこうあったみたいだ。公務員の副業は禁止されていたはずだし、公務員でなくても、多くの会社は正社員として勤務している従業員の副業を禁止する規定を就業規則に設けている場合が多い・・が、高校の教諭の場合は家庭教師や塾の講師などを副業している人はけっこうあったようだ。しかし、自分が教諭を務めている高校とは全然、別の高校の生徒の家庭教師をやるのなら、実際上、それほど問題は出にくいかもしれないが、自分が教諭として勤務している高校の生徒の家庭教師をやるというのは、特に自分が担当していない学年の生徒ならまだしも、自分がその生徒の学科を担当している場合、特に自分がその生徒の担任の教諭である場合に、そういう生徒の家庭教師というものをやっていいのか?  たとえ、勤務時間外にやっていたとしても、その教諭の意識として、家庭教師としてその生徒の親から月に何万円かもらっている生徒に対してと、高校に学費は払っていて、それがめぐりめぐってはその教諭の給料になっていても、直接にはカネをもらっていない生徒に対してと対応に差が出てくるということはないか・・・というよりも、北野高校において、実際問題として、あの生徒はあの教諭とあの教諭との間に何かあるのか? ・・と疑問を感じるような生徒が現実にいた。もしかして、好かれるくらい、できがいい生徒なのか? とか思った時もあったが、そういう問題ではないのではないか、と思えるようになったのだ。むしろ、私立の学校ならば、教諭の意識として、すべての生徒からカネをもらっているという意識になるところが、公立の高校の教諭の場合は、家庭教師として月にいくらかもらっている生徒や何らかのコネクションがある生徒が自分が本当に世話しないといけない生徒であり、公立高校の安い学費だけしか払っていない生徒というのは生徒じゃないみたいな感覚を持つに至っている人というのがいたのではないのか。私は自分が行っていた時の北野高校の教諭を見て、そういう人は現実にいたと思っている。それを考えると、私立高校の教諭なら学費としてカネを渡しているからそれでいいとして、公立高校の教諭には学費と別にカネを渡さないといけないということか? ・・そう考えるなら、むしろ、特に金持ちではない人の場合、公立高校よりも私立高校の方がいいということはないか? 卒業して10年以上経ってから、北野高校について考えてみて、そんなことを思うようになった。

  北野高校の教諭というのは、まがりなりにも高校の教諭であれば、親とのつきたいに疲れ果てている生徒にいくらかなりとも協力してくれてもいいのではないのか・・と思ったのだったが、逆だった。「おっさんが好きな戦国大名の話」でも、相手方と自軍側との戦力比が自軍の方が優勢である方が有利ではあるが、最初から相手の方が数として多いということがわかっておれば、それなりに戦い方というものもある。それに対して味方だと思い込んでいたら裏切られた場合はダメージが大きい。関ケ原の戦いの時、大谷吉継は西軍に始めは属していながら東軍に寝返った小早川秀昭の陣に向って「人面獣心なり。三年の間に必ずや祟りをなさん。」と言って切腹したとか、捕縛された石田三成を見にきた小早川秀昭は石田三成に「おのれは太閤の養子でありながら、このような所業をおこないおって」と怒鳴りつけられて逃げていったとかいう話があり〔西軍についたことから水戸から秋田に国替えにされた佐竹の殿さんは「おのれ、徳川」と恨みの気持ちから美人は秋田に連れていってブスは水戸に残した? ざまあみろお・・とそれが「秋田美人」の由来だ・・なんてお話もあるらしいが(^○^) ・・ほんまかどうかは知らんで。〕、又、明智憲三郎『本能寺の変 431年目の真実』によると、本能寺の変の後、羽柴秀吉は必ずしも楽勝だったわけではなく、「中国大返し」で岡山付近から大急ぎで大阪まで戻ってきたとはいえ、逆に大急ぎで戻ってきた兵というのは疲れており、それに対して最初から京都にいた明智勢には疲れはなく、数が多いから羽柴方が優勢とは決まっていなかったし、何より、明智光秀が勝負を決する場所に選んだ山崎の地というのは大阪府と京都府の境目、摂津と山城の境目で南北に山が迫っていて南側の山の手前に淀川が流れていて、どんなに大軍で押し寄せても通れる数は限られている場所であり、そこに明智勢は鉄砲隊を用意して撃破する作戦を練っていたところを、最初は明智側に属していた「キリシタン大名」の高山右近が羽柴方に寝返ったということが大きかったらしい。又、『信長を殺した男』によると、賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉が柴田勝家に勝ったというのは、「賤ケ岳七本槍」の活躍とか、岐阜の織田信孝を羽柴秀吉が攻めに行っていると見せかけて「中国大返し」に似た「大返し」を羽柴方がやったことによるとか、柴田勝家の甥であった佐久間盛政が「猪武者」で勇猛ではあったが後先考えずに突き進む男だったことから柴田勝家の本体と離れた所まで突き進んで孤立したことによるとか、そういったことが言われてきたが、それらはすべて羽柴秀吉が作らせたお話であって、柴田方の直接の敗因となったのは、最初、柴田勝家の側に属していた前田利家が先鋒の佐久間盛政隊と本体の柴田勝家隊との中間の位置にいたが、戦闘の真っ最中に羽柴方に寝返ったことにより、柴田方は先鋒の佐久間盛政隊と本体の柴田勝家隊とが分断だれて壊滅的大敗を喫したという。その相手は味方ではないのに味方であろうと思っていたり、味方についてくれることを期待していたりすると、敵である相手を最初からこいつは敵なんだと認識している場合よりもダメージが大きい。北野高校の教諭にはそういう人間が何人もいた。特に2年の時に担任だった旧姓作野礼子という女を明らかに敵であるのに、高校の教諭なんだから生徒のために協力してくれてもいいのではないか・・などとアホなことを期待してしまった私は実に愚かだった。そいつは関ケ原の戦いの時の小早川秀昭、賤ケ岳の戦いの時の前田利家、山崎の戦の時の高山右近だったのだ。
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫) - 明智 憲三郎
【文庫】 本能寺の変 431年目の真実 (文芸社文庫) - 明智 憲三郎

  旧姓作野礼子は、なんで、うちの父親を引き取ってくれなかったのだろうか。旧姓作野礼子は「あなたのお父さんほどいいお父さんはないと思うわよ」とか言っていたのだから、そんなにいいなら、とりあえず、毎朝、電話がかかってきて「わし、今、会社やねん。いらいらしてんねん。そんで、かけたってん。感謝しろ」と言ってかけてくるあの電話だけでも、いいと言う旧姓作野礼子に引き受けてほしかった。 あの「いらいらっとしたら、かけたんねん」という電話をかけてくるのは私の所だけかと思っていたら、うちの下の姉の所にもかけていたようで、下の姉は「あの『いらいらっとしたら、かけたんねん』と言って電話してくる人。あれ、かんわんねえ~え。かける方はそれで、いくらかストレス解消になるのかもしれんけれども、瘤取爺さんの瘤と一緒でかけられる側はその分、ストレス溜まるんやからねえ」と言うのだったが、「いらいらっとしたら、かけたんねん」と言って電話してきた人のその量は下の姉の所より私の所の方がずっと多かったはずだし、下の姉の所はだんなが帰ってきている時間帯にはかけなかったはずだから、下の姉の所は私の所に比べたら少なかったはずだが、それでもそう言うのだったが、旧姓作野礼子は、その「いらいらしたから、かけたってん」という電話してくる人がいるというのが、そんなにうらやましいのなら、それならとりあえず、その電話を引き受けてほしかった。自分はその「いらいらっとしたらかけたんねん」と言って私の所にかけてくる電話攻撃と「いらいらっとしたら書いたんねん」と言って送りつけてくる紙爆弾とを引き受けもしないで、勝手なことばっかり言って、うちの親の機嫌とってきたバカ女のおかげで、こっちはどれだけ迷惑したことか。「いらいらしたからかけたってん」という電話は私が引き受けて、それで「作野先生はお父さんがおられなかったから苦労してこられた。そんで神戸大学に行かれた。さすがやなあ」とか言ってほめてもらう役だけ引き受けて、あの女、どう考えても卑怯だと思うのだ。あまりにも勝手だと思うのだ。高校の教諭て、そういう勝手なことする「権利」があるのだろうか。そんな権利なんかないと思うがなあ・・・。「誰誰だけは許せん」なんて言っても、人生を何十年か生きると、その「誰誰だけ」が一人ではなく十人以上いたりするのだが、ともかく、あの女だけは許せん・・と思う。他にも「誰誰だけは許せん」と思う人間が最低でも二十人以上はいるんだけれどもね。・・三十人以上おるかもしれん・・・。
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
東京大学機械的合格法―アップグレード版 - 柴田 孝之
まれに見るバカ女との闘い(仮) (宝島社文庫) - 別冊宝島編集部
まれに見るバカ女との闘い(仮) (宝島社文庫) - 別冊宝島編集部

※ 真言宗泉涌寺派本山法楽寺 http://www.horakuji.com/
 《ウィキペディアー法楽寺》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E6%A5%BD%E5%AF%BA_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82)

  紫金山 法楽寺は、JR阪和線「南田辺」が一番近いが、大阪メトロ(大阪市地下鉄)谷町線「田辺」駅からも遠くない。大阪メトロ御堂筋線「西田辺」か「昭和町」、この2つなら「西田辺」の方が近いかもしれないが、少しあると判断して、今回は、天王寺駅からJR阪和線に乗って「南田辺」から行った。
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( ↑ 大阪メトロ 御堂筋線「天王寺」駅。)
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  ↑  JR「天王寺」駅、東改札口。
  実は、1960年代、私が小学校の半ばまで私は大阪市東住吉区の法楽寺から遠くないあたりに住んでいたのだ。阪和線では「南田辺」が最寄駅で天王寺駅までは電車で行くことがけっこうあったのだ。 しかし、その頃は阪和線には↑ のような東口はなかったように思う。
  JR「天王寺」駅の向かい側(南側)に、↓
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↑ 「あべのハルカス」
こういうでっかいのができた。
  JR「天王寺」駅と近鉄南大阪線「阿部野橋」駅は道をひとつ隔てた向かいというのか隣というのかにあるのに、なんで、JRが「天王寺」で近鉄が「阿部野橋」なんだ・・と子供の頃は思ったものだったが、この間の道を境目として北側、JRの駅がある側が天王寺区で、南側、近鉄の駅がある側が阿倍野区だからだ・・と説明されたのだが、区の境目であっても駅名を変えなきゃならんこともないのではないか・・とも思ったが、昔から国鉄⇒JR は「天王寺」で、近鉄は「阿部野橋」だった。
  かつて、1960年代の天王寺駅は阪和線に関してはターミナル駅だった。「阪和線に関しては」というのは、阪和線の他に、大阪環状線・関西本線が天王寺駅を走っていたが、関西本線は天王寺から西に新今宮まで大阪環状線と一緒に走り、そこから分岐して「湊町」まで行っていた。今ではその「湊町(みなとまち)」駅も「JR難波」なんて駅名に変わった。
  阪和線は南よりに各停、その北に快速、その北に紀勢線直通の急行「きのくに」、特急「くろしお」がかつては停まっていた。今では急行「きのくに」はなくなり、特急「くろしお」は天王寺始発ではなく京都か新大阪始発になり、快速・区間快速は大阪駅か京橋駅から大阪環状線の西側を通ってきて天王寺から阪和線に入るようになり、天王寺始発で出る電車は阪和線の普通だけになった。
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〔 ↑ JR阪和線「天王寺」駅停車中の普通・鳳(おおとり)行き。 〕

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↑ JR阪和線「南田辺」駅
 1960年代、私がこの近くに住んでいた時は、このような高架の駅ではなく地上に駅があった。

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( ↑ JR阪和線「南田辺」駅。 東側。)

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↑ 「南田辺」駅の東側を北向きに見たもの。
  高架の線路の東側に南北に空き地があって自転車置き場になっているが、ここをかつては阪和線が通っていた。私が近くに住んでいた時から阪和線を高架にするという話があったが、転居して何十年か経ち、ふと気づくと高架になっていたが、もともと、線路があった場所を高架にするのではなく、もともと、線路があった場所の西隣の場所に高架を設けたらしく、その東側の元は線路だった所が場所によって ↑ のように自転車置き場になったりしている。

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  ↑ 阪和線「南田辺」駅の西側を南向きに見たもの。 「南田辺」駅から南側の「鶴が丘」駅にかけて、線路のすぐ西側に長池という池が3つに分かれてあって、その真ん中を埋め立てて「長池公園」という公園にしていたが、今はどうなっているのか、今回は行けなかったので、どうなっているかわからない。阪和線の西側には「南田辺」駅より北にも池があり、それは長池ではなく桃が池と言って今もあるようだ。
  「南田辺」駅の両側に住友銀行と三和銀行がかつてあったが、今は両方ともない。

  かつて、「南田辺」駅のすぐ南に踏み切りがあって横断できたが、そのうち、阪和線の普通の車両の数が多くなって駅が長くなり、その踏切はなくなってかわりに陸橋ができた。今は線路の方が高架になったのでその陸橋もなくなったが、阪和線の普通の方は、今は4両連結の電車で、しかも、阪急や阪神のような、あるいは京都ー大阪ー神戸間の東海道本線(JR京都線・JR神戸線と言ったりするらしいが)の普通のような電車ではなく、対面型の座ることができる人は多くなるが混雑時に乗れる人の数は少なくなる車両が普通として走っている。私が幼稚園児だった時には我が家から通える範囲に幼稚園が2つあったのだが、今では私が通った幼稚園の方はなくなり、幼稚園は1つだけになっているが、付近の住宅はなくなったりしていないのだが付近の人口が減ったのだろうか。 それにしては、大阪メトロ御堂筋線は、私がこの付近に住んでいたころは「あびこ」までだったのが今は中百舌鳥まで走っているし、大阪メトロ谷町線はかつては天王寺までで、別に南海平野線という路面電車みたいのが走っていたのだが、今では大阪メトロ谷町線が天王寺から南海平野線が走っていた所の地下を走っている。むしろ、阪和線の普通は大阪メトロ御堂筋線・谷町線との競争に負けたのだろうか。たしかに、普通の場合、いちいち天王寺で乗り換えないといけない阪和線よりも、そのまま大阪市内まで行く大阪メトロ御堂筋線・谷町線の方が便利といえば便利ではある・・が、「我孫子」以南の普通しか停まらない駅の周囲の住人だっているはずだが。

  JR阪和線「南田辺」駅の東側を線路に沿って北に進み、
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↑ 「ゴルフ クリニック&レッスン フォーラム」という店が開いているのか閉まっているのかわからんが、そこを右折して東に行きます。

  少し歩くと左手に法楽寺が見えてきます。↓
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↑ 時間パーキングが西隣にありますが、参拝者用駐車場が少し北にあったように思います。

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↑ 「役行者 霊跡札所 たなべ不動尊 法楽寺」 と書かれています。

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↑ 左には「役行者 霊跡札所 たなべ不動尊 法楽寺」、
右の石碑には「大聖不動明王」「小松院 法楽寺」
と書かれています。
《ウィキペディアー法楽寺》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E6%A5%BD%E5%AF%BA_(%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82) によると、法楽寺は「正式名」は、紫金山 小松院 法楽寺 と言い、「別称」が 田辺不動尊。 「山号」が「紫金山(しこんざん)」で、「院号」が「小松院」らしい。
「おおさか十三仏霊場」の第1番 の他、
「近畿三十六不動尊霊場」の第3番、
「摂津国八十八箇所」の第40番、
「神仏霊場巡拝の道」の第47番、
「役行者霊跡札所」
となっているらしい。

  私が子供の頃は、この付近までが子供が行ける限界のあたりだったのだが、昔からここに寺はあったと記憶しているが、今のような寺ではなかったと思う。 「今のような寺」とはどういう意味かというと、神社はたいていの神社が誰でも入れてもらえるのだが、寺の場合は2通りあって、各宗派の大本山・総本山といった寺とか、中学校の「歴史」や「美術」、高校の「日本史」の教科書に名前が出ている寺とか、国宝・重要文化財に指定されている建築がある寺とか、ユネスコ世界遺産に指定されている寺とか、デュークエイセスの「女ひとり」とかそういう歌に登場する寺(大原三千院、栂尾高山寺、嵐山大覚寺)とか、そういった寺の場合、入口で拝観料を求められるか求められないかはあっても、誰でも入れてもらえる場合が多いのだが、中には山梨県の長禅寺なんてのは、甲府五山第1位 となっている寺のわりに、住職が「観光客なんてうるさいだけだ」と言われたとかで、行ってみても境内には入れてもらえるけれども、そっけないというのか、味気ないというのか、入りたかったら境内には入っても別にいいよ・・みたいな感じだったが、そういう寺もあるけれども、特にその寺の檀家でない人でも訪ねる寺があり、他方で、うちの母親の実家が檀家になっていた寺とか、この付近に住んでいた時に世話になっていた浄土真宗の寺とかは、檀家とか、檀家でなくてもお付き合いがある人以外は普通は行かない、前を通ることがあって、そこに寺があるということは知っていても、「あるということを知っている」という程度で、よその家に勝手に入ったりしないのと同じく、拝観料を求められなくても黙って入ったりはしない寺とがある。
  法楽寺は、私が子供の頃、この近くに住んでいた時は、その頃からあったとは思うが、後者の方の寺であり、『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(小学館)とか、『神仏霊場巡拝の道』なんて本に掲載されるような寺だとは思っていなかった。京都の東寺とか清水寺とか建仁寺とか鹿苑寺(金閣寺)とか慈照寺(銀閣)とか、奈良の東大寺とか法隆寺とか薬師寺とか、大阪の四天王寺とか南御堂・北御堂とか、そういう寺ではないと思っていたのだ。
  ところが、ふと気づくと、『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(小学館)に載ってる。それも、「おおさか十三仏霊場」では第一番。 いつから、そうなったんだろう?
今は「御朱印」も用意されている。

  山門の内側に三重塔が見えますが、かつては三重塔なんてなかったのに・・と思って見ましたが、三重塔は、
1994年10月 地鎮祭、
1995年5月 立柱式、
1996年11月 落慶法要
として建てられたもので、元号としては平成になって建てられたもので、私がこの近くに住んでいた昭和の元号の時代、1960年代には三重塔はなかったようです。

  「十三仏霊場」では不動明王を本尊とする寺が第1番札所とされているようで、「京都十三仏霊場」では東山区の真言宗智山派の総本山の智積院、「大和十三仏霊場」では生駒市の生駒山 宝山寺 が第1番札所となっているようです。
  真言宗は古義真言宗と新義真言宗に分かれ、新義真言宗の智山派と豊山派の寺が数としては多いようですが、智積院はその智山派の総本山。三十三間堂の東のあたり、清水寺とか大谷本廟とかの南のあたり。
  生駒山 宝山寺というと、生駒山の山頂に遊園地があって子供の頃、よく連れてもらったことがあったのですが、近鉄奈良線「生駒」駅で降りるとケーブルカーがあって、今は、生駒駅から山頂まで1つのケーブルカーで行けるようになったらしいが、かつては、途中で2つのケーブルカーに分かれていて、2つのケーブルカーに乗るようになっていました。私はこのケーブルカーが好きだったのですが、その途中にあったのが宝山寺。宝山寺には一度、行ってみたいと長年、思ってきましたが行けずにいます。今回、第1番の不動明王を本尊とする寺として、宝山寺と法楽寺とどちらに訪問しようかと迷ったのですが、法楽寺は自分が住んでいた場所の近くで前を通ったこともあったはずの寺でしたので法楽寺の方を選びました。

  1990年頃だったと思うのですが、徳弘匡也 という漫画家の『シェイプアップ乱』という漫画で、「走るためだけに生まれてきた女 カール=ルイ子」なる女性が登場した。「人は彼女のことを言う。『走るために生まれてきた女』ではなく、『走るためだけに生まれてきた女』と」と。運動選手なんてのは「そんなもの」かと思っていたのだが、野村のじいさんなんかは「野球は頭でやるもんや」とか言いだした。もっとも、2000年頃、ラジオの野球中継をつけていたら、野球解説者の板東英二が「最近、『野球は頭でやるもんや』とか、ちょっと言い過ぎですよお。だいたいねえ、野球みたいなもん、やってる人間が頭つかうのん、得意なわけないでしょうが。頭つかうのん、き~ら~い~やから野球みたいなもん、やっとんねんがな。頭つかうのん、得意やったら野球みたいなもん、やらんと、もっと他のことやってますって!」と言うのだったが、うちの叔父なんか見ると、そうだろうなあ・・という気がした・・が、最近、YouTube の動画なんかを見ると、元運動選手で動画をあげている人がいるが、けっこう、頭を使ってやっているし、学校の勉強とスポーツとならスポーツの方ができた人が運動選手になったのかもしれないが、だからといってそんなに馬鹿ではないと思える人も少なくないようにも思った・・のだが、うちの叔父なんかを見ると、やっぱり、アホやで、あれは・・と思う。「大学教授」「名誉教授」と書いた名刺を配るのが好きな男だったようだが、「大学教授」というのはよっぽどバカか・・という感じがした。

  「忌日法要」の本尊については、『古寺を巡る49 関西・中部の霊場めぐり』(2008.1.29.小学館)の「おおさか十三仏霊場」「京都十三仏霊場」「大和十三仏霊場」に書かれているが、「忌日法要」をいつおこなうものなのか、について、《いい仏壇 忌日法要・年忌法要の意味や、その御本尊とは?期間はいつまで?》https://www.e-butsudan.com/guide/2683/ に、
初七日……不動明王
二七日……釈迦如来
三七日……文殊菩薩
四七日……普賢菩薩
五七日……地蔵菩薩
六七日……弥勒菩薩
七七日……薬師菩薩
百か日……観音菩薩
一周忌……勢至菩薩
三回忌……阿弥陀如来
七回忌……阿閃如来
十三回忌……大日如来
三十三回忌……虚空蔵菩薩
と出ている。 「三十五日(さんじゅうごにち)」「四十九日(しじゅうくにち)」ではなく、「三七日」「四七日」なのか? 
こういうものは、宗派による違いとか地域による違いというものがあるのが普通だ。東京都目黒区の祐天寺は浄土宗の寺で、祐天は福島県いわき市四倉の生まれだったが、茨城県の西部で成仏できずに怨霊のようになっていた者を救った・・ということになっているらしいが、しかし、祐天が真言宗とか日蓮宗とかの僧であったら名僧と評価されたかもしれないが、浄土宗の僧であり、浄土宗や浄土真宗においてはそういった考え方はあまり受け入れられないところがある。
  《いい仏壇 忌日法要・年忌法要の意味や、その御本尊とは?期間はいつまで?》https://www.e-butsudan.com/guide/2683/ には、
《 それぞれの法要では、それぞれの仏・菩薩・王を本尊として供養をおこなうことになります。ただし、これらの信仰を認めるかどうかは宗派によってさまざまです。
と書かれているように、「忌日法要」「年忌法要」の考え方や「十三仏」についての考え方も宗派によって異なるのでしょう。
 「おおさか十三仏霊場」の寺は、真言宗が9寺で、臨済宗の八尾市の常光寺、曹洞宗の天王寺区夕陽丘町の太平寺、融通念仏宗の大念仏寺、それに和宗の四天王寺と、真言宗9・臨済宗1・曹洞宗1・融通念仏宗1・和宗1 、
「京都十三仏霊場」の寺は、真言宗7・臨済宗3・浄土宗2・律宗1 、
「大和十三仏霊場」の寺は、真言宗8・真言律宗3・華厳宗2
と、宗派にひとつの傾向があるように見えます。浄土真宗はこういった考え方とはそぐわないかもしれませんし、浄土宗も「京都十三仏霊場」で2寺が入っているだけで、融通念仏宗は、もともと、浄土系といっても浄土宗・浄土真宗とは異なるところがある宗派です。
《 死者は、8つの忌日法要と「一周忌」「三回忌」、合わせて10度の時期に、十人の王(あるいはその本地である仏・菩薩)に審判を受けると考えられています。「十王信仰」では、その際に遺族の追善供養によって死者は地獄に落ちることを免れるとされています。これは 中国に由来する考え方で、日本では11世紀以降に広がりました。
その後「十王信仰」は、鎌倉時代に「七回忌」「十三回忌」「三十三回忌」を含めて「十三仏信仰」となりました。それぞれの法要では、それぞれの仏・菩薩・王を本尊として供養をおこなうことになります。・・》
と《いい仏壇 忌日法要・年忌法要の意味や、その御本尊とは?期間はいつまで?》https://www.e-butsudan.com/guide/2683/ には書かれていますが、この世の人生でいじめ倒されてきたのに、死んでまでまだ《合わせて10度の時期に、十人の王に審判を受ける》とか《遺族の追善供養に》よらなければ《地獄に落ちる》とか、そういう考え方が私は嫌いです。もう、いいかげんにしてくれ と言いたくなります。
浄土真宗のいいところは、そういった「地獄に落ちるぞ、地獄に落ちるぞ、まんまんまんまん」とかいった人を脅すような態度というものがないところでした。
うちの父親は「わしに孝行せえよお、わしに親孝行せえよお、わしに親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、バチあたるぞ、ま~んまんまんまんまん、まあ~んまんまんまんまん、まあ~んまんまんまんまん。アーメン、ち~ん」とか毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして拝んでいましたので、もう、飽きた( 一一)
その上で、「わし、今まであんたに一言でも『わしに親孝行せえよお』なんてこと、たったの一言でも言うたことはないやろ。いくらなんでも、そのくらいのことはわかってもらわんといかん」と言うのでしたが、あんた、今、言うたやろうが。あんた、さっきから言いまくっておるやろうが。あんた、毎日毎日、「わしに親孝行せんとバチあたるぞ、バチあたるぞ、まんまんまんまん、まあ~んまんまんまんまん」と「呪いの儀式」を朝晩繰り返してきたやろうが。「わしに親孝行せんと『天の神さま』は決してお許しにはならぬぞならぬぞ。まあ~んまんまん、まあ~んまんまん、まあ~んまんまん。アーメン。ち~ん」と「呪いの儀式」を拝み屋さんからもらってきた呪具を使ってやってきたやろうが。
まったく、よく言うなあ・・とあきれたのだったが、「わしは今まであんたに『わしに親孝行せえよお』なんて文句はたったの一言として口にしたことはないやろお」と言うので、いったいどういう思考回路でそういう文句が口に出てくるのか? とあきれて、「さあ~あ」と言ったところ、
「はあん、おまえは、わしがたったの一度として『わしに親孝行せえ』なんてことは口にしたことはないのんにからに、おまえはそんなことすらもわからんカス人間なんかあ~あ! こいつ、わしは今まで『わしに親孝行せえ』なんてことは、たったの一言として口にしたことはないのんにからに、そんなことすらもわかりよれへん。これは病気やわ。絶対に病気やわ。こいつに電気ショック療法やったらんといかん、電気ショック療法を。こいつにロボトミーやったるべきや、ロボトミー♪」と言うのだった・・が、
そんなこと言うても、あんた、さっきから「わしに親孝行せんとバチあたるぞバチあたるぞ、まんまんまんまん」言いまくっておるだろうが。「わしに親孝行せんと『天の神さま』は決して決してお許しにはならぬぞチャンコロ! わかっとんのかチャンコロ! わしは聖人やぞ、わしは。わしはキリストやぞ、わしは。わしは孔子で孟子でゴータマシッダールタやぞ、わしはゴータマシッダールタ! わしは聖徳太子やぞわしは。わしは英雄ヒットラー総統やぞわしは。わしに親孝行せんと地獄に落ちるぞ地獄に落ちるぞ、まんまんまんまんまんまんまんまあ~ん。まんまんまんまんまんまんまんまあ~ん! あーめん」と毎日毎日、朝晩やってきたやろうが、あんたは・・と思うのだが、「心理学」によると「いっぺんとして『わしに親孝行せえ』なんてことは口にしたことがない聖人」と「診断」されるらしいのだ。「診断」されると次に「治療」されるおそれがある。「心理学」は実に恐ろしい
・・・で、その「天の神さまは、わしに親孝行せんもんを決して決してお許しにはならぬぞ、まんまんまんまんまんまん」と呪いの儀式を朝晩繰り返す「クリスチャン」をどう評価されるかはよう知らんが、「十三仏霊場」に訪ねて別に悪いこともないと思うので、訪ねてみたいと思う。但し、私自身、もう若くなくなってしまったので、十三箇所を訪ね終わるより前に自分の寿命が来てしまうかもしれないが、それならそれで悪くないのではないか、とも思う。

【ビール】キリン ラガービール[350ml×24本]
【ビール】キリン ラガービール[350ml×24本]
( ↑ ラガー。 )
  「ラガー ビール」というのは、ラグビー選手の飲むビール のことか、ラグビー屋なんて、もともと、ビールなんか飲まんでも普段から酔っぱらったような状態なんだから、ビールなんか要らんだろ・・と思っていたら、
英和辞典をひいてみると、
lager (ドイツ語)(名詞)弱いビールの種類。
( 河村重次郎編『ニュークラウン英和辞典 第三篇』三省堂 )

lager 、lager beer (名詞)貯蔵ビール。《ale よりも弱い。》
ale (名詞)ビール。《厳密に区別する時は、色が薄く苦くて、こくがあり、アルコール含有量6%;lager より強く、porter より弱い。》
porter (名詞)運搬人、かつぎ人夫、・・赤帽、ボーイ。・・黒ビール。
( 岩崎民平監修『現代英和辞典』第6刷1979. 研究社)
強度の順で、porter ⇒ ale ⇒ lager となるらしい。
ということで、beer はビールの「総称」で、黒ビールは porter とも言うが、dark beer とも言うらしい。
ラグビーは rugby 、Rugby、 Rugby football もしくは、
rugger で、
キリンラガービールの「ラガー」( lager )とラグビーの「ラガー」( rugger )は綴りも違い、別らしい。
1970年代なかば、北野高校に入学した頃、同校のラグビー部の人が練習しているのを見て、私の場合は小学校の5年から近視になってしまったのでラグビーとかサッカーはできないと思ったが、そうでなければ、ラグビーっていいなあと見ていて思ったのだったが、何十年か経ってみると、テニスとかなら、けっこう歳をいってもやろうという気持になるスポーツで、年齢をいってもできるというところがいいと思うのだが、ラグビーなんてのは10代からせいぜい20代のなかばくらいまでで、40代、50代になったら、ラグビーなんてもうええわあ・・て感じになるが、今でも10代なかばくらいの人がラグビーの練習を見て、いいなあと思う気持はわかる・・のだが、うちの叔父を思い浮かべると、なんか、ラグビーやると頭が悪くなりそう「あんなん なったら嫌やなあ~あ」という気持になる。

  次回 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html 、法楽寺の山門をくぐり、境内に入ります。

 (2022.8.18.)

☆ 京阪奈十三仏霊場参拝。第1番札所 法楽寺、本尊:不動明王。
1.天王寺駅~南田辺駅を経て法楽寺まで。「十三仏」とは。「葬式があると何かやる男」、法要をやらない「口だけの人間」のかわりに巡ろう「十三仏霊場」。 〔今回〕
2.平重盛による小松院法楽寺。宇田藩の織田家の屋敷を移転した山門。1990年代にできた三重塔。揺るぎなき守護者 不動明王。恋愛・縁結び・家庭円満をつかさどる愛染明王 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_2.html
3.手水舎・観音堂・水子地蔵・秋葉大権現。ひとの子を食い殺すことで3人目の子を産む女とそのオットとその子供。縁故女の横暴を防止しない社長。夜の9時から「女の子とつきあえるだろ」と独身の男性に言う(株)一条工務店の身勝手な男。3体の観音像。「富山」秋葉大権現とは https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_3.html
4.鐘楼・水かけ不動・楠・三重塔。塔ができて動線が変わった。あった方がいいのかどうか。不動と水かけの関係 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_4.html
5.本堂。如意輪観音から不動明王へ変わった本尊。聖天堂ではなく本堂に祀られる大聖歓喜天。のし瓦や鬼瓦が魅力的な本堂の屋根。賓頭盧尊者。屋根の上は魅力的。絹本著色不動明王二童子像は市立美術館に寄託 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_5.html
6.大師堂・四国八十八箇所碑。田辺大根の碑。「真言八祖」とは。「ソロモンマホガニー」はマホガニーではない。東日本橋は日本橋ではない。「ヒラタケはヒラタケと言うべき」と同じくマトアはマトアと言うべき。寺と神社を意図的にセットにする必要はない。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_6.html
7.マニ車・修行大師像・楠大明神・玉山金山跡の岩。「勝軍地蔵」と「英霊地蔵」には感心しない。平重盛の荘園だったらしい玉山金山 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_7.html
8.小坂奇石館・鐘楼・法界地蔵・愛和地蔵・難波大道跡 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_8.html
9.山阪神社(東住吉区)参拝。子供は気持ちにではなく物に喜ぶか、親は物にではなく気持に喜ぶか? 大変な努力をして優勝した人間、優勝できる能力を身に着けた人間は「ズルイ」のか? 優勝もしてないのに高い物を買ってもらっていた人間はずるくなくて被害者なのか?https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202208article_9.html
10.南田辺駅付近。議決前に民営化する前提で話をしていいか。気に食わない生徒を「ハスに構えてるやつ」と言う教授。根室本線は赤字なら廃線にしていいのか? 北海道東部は要らないのか? ナポレオン・ベートーベン・トルストイ・新井白石は偉人なのか? 親には息子に対して所有権という「親(の)権(利)」があるのか? 高校の教諭はなぜ目の前にいる生徒に話さずに親に話すのか? 生徒から嫌がられている教諭は卒業後も生徒を飛ばして親とつきあっていいか? 司法試験1種試験に通る可能性のある者とない者 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_1.html
11.南田辺駅から南への道。小豆島に行ってやる花火を買ってきなさいと買いに行かせてやらない父親・子供の水筒を取り上げて「お茶の配給です♪」とちゃらける父親・「弁天埠頭についたらジュースこうたる」と言って家まで買わない父親を「いいお父さんよ」と持ち上げて自分をほめてもらおうとするあさましい高校教諭 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_2.html
12.今もいた地蔵さん。延命・日限・子安・法界地蔵。息子の優しさに気づかない母親。隣の芝生が緑に見える親と「自分の息子のことをいいように思う親」と「自分の息子のことをいいように叫ばないとおれない親」。ある父親には息子は給料払わなくていい会社の部下。母親にとって息子はやっつけないといけない存在。親は子供の気持ちに喜ぶなんて嘘。高齢の母親に実の息子と張り合おうとする婿・よその娘のめんどうみたがるおっさん症候群とそれを称賛して評価されようとするバカ女 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202209article_3.html

☆ 「お土産買ってくるからねえ」と子供に言って出かけて、帰ってくると「ないわあ~あ♪」とやる父親はいると「恵まれてる」のか。父親というものがいるとどういう経験をするか。
1.北野高校は決していい学校ではなかった。「体育はSM」の慶應体育会よりいいリベラル体育。受験に害があるYMCA予備校が淘汰されたのは当然。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_5.html
2.実際にお土産を買ってくる気もないのに「お土産買ってくるからねえ」と子供に行って出かけて、「ないわあ~あ♪」と毎日やる父親というのは「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_6.html
3.鍋敷用脂肪を子供に食わせる父親はいいお父さんなのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_7.html 
4.女性社員の尻を撫でるよう言えという父親というのは「魅力たっぷりのお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202210article_8.html 
5.「気合いだあ」と体調が悪い者に寄ってきて叫ぶ父親というのは「いいお父さん」か。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_1.html
6.「わしのお好みの女を10人ほど用意して連れてこ~い」と要求する父親というのは「いいお父さん」なのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_3.html
7.八百長裏口医者屋民族のゴルフバッグをかつげとガチンコ民族に言う父親は「いいお父さん」か? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202211article_4.html  

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