自治会・自治会長はなぜ機能しないのか。人工の岩山「津田沼 ザ・タワー」建造に無力だった自治会。自分の親の相手をよその現役世代のの人間にさせようとする卑怯者。孫のための雪かきを息子のさせずによその家の人間に要求する年寄。「ふれあい」「交流」を希望しない人にまで要求する人はストーカーのようなもの。

[第572回]
  「津田沼 ザ・タワー」と称する人工の岩山を船橋市の住居系用途地域の南方の習志野市に、船橋市と習志野市の境目付近の習志野市に、船橋市民には何ら意見をきくことなく習志野市側だけで「やったもん勝ち」で建てられてしまった件について、このブログで何度か述べてきた。又、オリジナルワーク一級建築士事務所 高浦氏がやっていることは弁護士法違反であると考えられ、それについても日本国民として無視できないものだが、実際のところ、なんで私が一人で対処しなきゃならんのか、自治会は何やってんだ、自治会は何のためにあるんだ? 自治会長というのは何のためにいるんだ? 市会議員というのは何のためにいるんだ? 市会議員は何のために給料もらってるんだ?・・と思い続けてきました。

  もしかして・・・ですが、「高層マンションがある」というのがその市の「ステータス」だとか思ってる習志野市会議員とかいるのではないか・・などと思ったりもしたのですが、「バッカじゃなかろかルンバ♪」て感じがします。
  実際、そんなものが「ステータス」であるわけないだろうがと思えるものを「ステータス」にしたがる人というのはいます。私が20代の頃は大学生が新卒で会社に応募する時に面接できかれる質問として「尊敬する人物は?」というものに誰と答えるのか答えられるようにしておかないといけないと言われていたのですが、今では「尊敬する人物は?」という質問はその仕事と関係のない思想調査であるということで、厚生労働省は面接でおこなうべきではない質問だと言うようになったようです。
ー・ー・ー・ー・ー
厚生労働省 公正な採用選考の基本 https://www.mhlw.go.jp/www2/topics/topics/saiyo/saiyo1.htm
(3)採用選考時に配慮すべき事項
次のaやbのような適性と能力に関係がない事項を応募用紙等に記載させたり面接で尋ねて把握することや、cを実施することは、就職差別につながるおそれがあります

<a.本人に責任のない事項の把握>
・本籍・出生地に関すること (注:「戸籍謄(抄)本」や本籍が記載された「住民票(写し)」を提出させることはこれに該当します)
・家族に関すること(職業、続柄、健康、病歴、地位、学歴、収入、資産など)(注:家族の仕事の有無・職種・勤務先などや家族構成はこれに該当します)
・住宅状況に関すること(間取り、部屋数、住宅の種類、近郊の施設など)
・生活環境・家庭環境などに関すること

<b.本来自由であるべき事項(思想信条にかかわること)の把握>
・宗教に関すること
・支持政党に関すること
・人生観、生活信条に関すること
・尊敬する人物に関すること
・思想に関すること
・労働組合に関する情報(加入状況や活動歴など)、学生運動など社会運動に関すること
・購読新聞・雑誌・愛読書などに関すること

<c.採用選考の方法>
・身元調査などの実施 (注:「現住所の略図」は生活環境などを把握したり身元調査につながる可能性があります)
・合理的・客観的に必要性が認められない採用選考時の健康診断の実施
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  ところが、会社の採用担当者の中には厚生労働省が「質問してはならない」と言うと、余計にしたがるおっさんというのが出てくるのです。厚生労働省が「おこなってはならない質問」と言う質問をするのがそれが「会社のステータス」みたいに思うおっさんというのがいるらしい。2011年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも2013年11月に正式に倒産〕で自称「工事責任者」だった植草A(男。当時、30代半ば過ぎ)が面接で高校生に「持ち家ですか」などと質問しようとするので、「『持ち家ですか』というのは、それは厚生労働省がそういう質問はしてはならないとしていたはずですよ」と教えてあげたのだが、その前に・・高校生に「持ち家ですか」なんて質問してどないすんのん?  その質問でいったい何を知りたいわけ? ・・と思ったのだ。むしろ、建築業で戸建住宅を建てる工務店としては、住んでいる家が持ち家かどうかよりも、これまでどういう家に居住してきたか、戸建住宅なのかマンションなのかといったことの方を知りたいのではないのか、実際のところ、マンションにずっと住んできて今もマンションに住んでいるのに戸建住宅の設計やりたがる人間とかがいて、そういう人間というのは「マンションみたいな間取の戸建住宅」を設計することが多く、自分が過去に住んだ家の経験というのが戸建住宅建築業においては影響をするので、私が戸建住宅建築業の会社の採用担当者ならば持ち家かどうかよりも、戸建住宅に住んできた人なのかマンションに住んできた人なのか、むしろ、そっちの方を知りたいくらいですが、植草Aがなぜ高校生に「持ち家ですか」などと質問しようとしたのかというと、厚生労働省が「面接でこういう質問をしてはいけません」と言っているものを逆に「面接でするべき質問事項」として教えている人がいるのではないかと思います。植草Aは「宗教右翼」の倫理研究所(=倫理法人会)にはまっていましたから、もしかすると倫理研究所(=倫理法人会)で教えられたのかもしれません。そうでなくても、植草Aはあんまりまともなところから教えられていないと思われます。 ある程度以上の年齢の人が応募してきた場合、戸建住宅を建築したか購入したかマンションを購入したかで住宅ローンを組んでいるという場合、もしくは借家住まいで家賃を払っているという場合、自分のところの会社の給料でそれを払えるのか、自分のところの給料でやっていけるのかどうかということを確認したいという場合はあるかもしれませんが、高校生に「持ち家ですか」て質問してどないすんの( 一一) ・・と思うのだが、厚生労働省がこういう質問はしてはいけませんと言うと逆にそれをするのが「ステータス」みたいに思っている企業経営者や採用担当者というのがいるようです。
  ずいぶん前だが、「アサヒ芸能」だったかに「現役ヤクザさんにきく」という記事があって、そこでヤクザさんが企業の経営者には要求されたわけでもないのにヤクザに毎月いくらとカネを払い、だからといって何かをしてもらおうとするわけでもないという人がおり、どうも、そういう「企業経営者」というのは「ヤクザとつきあいがある」というのが企業経営者としての「ステータス」だと思っているらしい・・という話が載っていた。
  もしかしてだが、厚生労働省がこういう質問はいけませんと言っている質問を応募者にするのが企業の「ステータス」だと思っている経営者・「ヤクザとつきあいがある」というのを「ステータス」だと思っている企業経営者と同様に、習志野市の市会議員で「高層マンションがある」というのが市としての「ステータス」とか思うへんてこな人がいたなんてことないか?  ・・なんて思ったのだが、ありえる話です。

  1990年代、(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ で福島県いわき市の営業所に勤務していた時のこと、同じ営業所にいた当時40代のS藤賢二さん(男)が休みの日に仙台に行ってきたそうで、「仙台はすっげえどお~お。ち~かてつがあるんだどお~お♪」「おら、仙台でち~かてつに乗ってきたんだどお~お。どうだ、すげえだろ」と言い、そして私に「おい、おめえ、地下鉄、見たことあるか」と言うので、言っている意味がよくわからず、「ありますよ」と答えたところ、「あんのけ? おめえ、地下鉄、見たことあるのけ!」と言い、「乗ったことはねえだろ」と言うので、何を言ってるのか意味がよくわからず、「ありますよ」と言うと、S藤賢二さんは「乗ったことあんのけ? おめえ、地下鉄に乗ったことあんのけ? いったいどこで乗ったんだあ?」と言うので、「東京でも横浜でも名古屋でも大阪でも乗りましたよ」と言ったのです。その時、言い忘れたのですが仙台でも乗ったことありました。その後、京都でも乗りましたし、横浜市地下鉄ブルーラインなんてのは地下鉄といっても新横浜より北は地下ではなく高架を走っている部分が多いのに対して神戸高速鉄道というのは端から端まで地下を走っているのですが、阪急・阪神・山陽電鉄・神戸電鉄の電車が走っている神戸高速鉄道を地下鉄と言うべきだとすると、あれも「地下鉄に乗った」ということになるのでしょうが、今では神戸高速鉄道と別に「神戸市地下鉄」というものが出現して神戸高速鉄道は最初は神戸市が多くの株を持っていたのが最近では阪急阪神ホールディングスの傘下に入ったとかいうから、そうなると「地下鉄」ではないのか、それともやっぱり地下を走ってるからには地下鉄なのか、北神線という新神戸から六甲山をトンネルでくぐった北側の谷上駅まで行く路線というのは地下鉄なのかトンネルなのか・・これ、考え出すと今晩ねられなくなっちゃうね・・・。
  その後、ローマでもミラノでもパリでもロンドンでも地下鉄に乗りました。ナポリに「地下鉄」と言われている鉄道があったのですが、ナポリの「地下鉄」というのはイタリアの国鉄の路線でローマから特急に乗ってナポリにつく場合でも国鉄のナポリ中央駅ではなく地下駅につく場合もあり、地下を走っていてもそれは「地下鉄」なのか「国鉄」なのか・・今晩寝られなくなっちゃうことになっても困るので、まあ、どっちでもいいことにして、私は東京・横浜・名古屋・京都・大阪と仙台、ローマ・ミラノ・パリ・ロンドンと微妙なのが神戸とナポリで「地下鉄」に乗った経験があるのですが・・・だから何やねん・・てものなのですが、私が「東京でも横浜でも名古屋でも大阪でも乗りましたよ」と言ったのを聞いて、S藤賢二さんは「そうけえ。おめえもなかなかたいしたもんだなあ」と言うのでしたが、何が「たいしたもの」かどうもよくわかりませんでした。S藤賢二さんが出て行った後、同じ営業所にいたMさん(男。当時、20代後半)が「さっきの話きいて、もう、このクソ爺、もう嫌になっちゃった」と言うので、「あれはいったい何を言っていたのですか」と言うと、「わかんない? このイナカモンのクソ爺、自分が仙台に行って地下鉄に乗ってきたというのを自慢してたんだよ。地下鉄に乗ってきたというのを『どうだ、すげえだろ』とか言って自慢してたんだよ。このイナカモン、もう嫌なっちゃった」と言うので、ええ? 地下鉄に乗ったなんてことを自慢する人なんて今の日本にいるのけえ? ・・とびっくりしたのでしたが、そういう人がいたのです( 一一)
  地下鉄というのは、東京や大阪では地下にでも電車を走らせるしか走らせる場所がないからしかたなしに地下を走らせているのであって地上を走らせることができる市町村でまで地下に電車を走らせる必要はないはずのものです。路面電車ならほとんど段差なしで乗ったり降りたりできるのに対して地下鉄は階段もしくはエスカレーターで上下しなければならず、2010年代、熊本で路面電車に乗った時、こっちの方がよっぽど便利で文明的・文化的だなあと思ったものでした。地下鉄は地下にでも電車を走らせるしかない都市で建設するのはいいとしても、地上に電車を走らせることができる所で無理に地下鉄を走らせる必要はないし、「地下鉄がある」なんてのは、そんなのは「ステータス」でもないのです。「電車」が「気動車」「ディーゼルカー」よりも「都会的」か、「進化したもの」か? ・・というのもよくわからない。2011年3月11日、東日本大震災が発生した後、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)の「本社」から船橋市の自宅まで帰るのに、細い道・メジャーでない道は電柱が倒れている・電線が垂れている・陥没した所がある・道に倒壊してきた家屋がある・・といった危険が考えられるので、こういう場合は、できるだけ、「主要な道路」を通るようにした方が安全ではないかと考え、国道14号に出ようと考えたのだが、JR外房線・内房線をどうやって超えるかといった問題があり、アンダーパスは堤防が決壊したとかあって水が流れてきた時にそこにいるとクルマごと水没して危険、高架橋は高架橋自体は問題なくても、強度の余震があると高架橋の上からクルマごと振り落とされる危険があるのではないか、それならば、踏切がある地上を通った方が安全か・・とも考えたのだが、その場合、電車の架線が切断されて垂れてきている危険がないとは言えない。そう思うと、考えようによっては、電化されていない路線の方が、むしろ、大地震があったような場合には架線が垂れてくる危険というものがないわけだから、非電化路線は決して悪いとは言えないのではないか。電化区間の方が速く走れるとしても、それならば、東京都の銀座線・丸の内線、それに大阪市の堺筋線以外は、なぜ、第三軌条方式なんて言って上から電気を取る方式のものよりも速度を出せない横から電気を取る方法を取っているのか。それは、地下鉄を開通させるには地上や高架よりも費用がかかることから、少しでも穴を小さくするためには上から電気を取る方式よりも横から電気をとる方式の方が安くできるということがあった、というのだが、片方で、横から電気を取る第三軌条方式は上から電気をとる方式に比べてスピードを出せないという問題があるらしい。・・さらにそれならば、上から電気をとる方式よりスピードを出せない第三軌条方式の路線をいっぱい走らせているのならば、別に電化させなくてもディーゼルカーでも良さそうにも思えてくる(東京都は第三軌条方式は銀座線・丸の内線だけですが、大阪市は建設時から阪急の乗り入れが決まっていた堺筋線だけが上から電気をとる方式で、他はリニアモーターカーらしい鶴見緑地線以外の谷町線・四つ橋線・中央線・千日前線はすべて第三軌条方式であり、その為、私鉄やJRとの相互乗り入れ運転をやりにくくて大阪府民は東京圏住民に比べて通勤時の乗換が1回多くなってしまっています)。さらに、何年か前、岐阜県のJR高山本線「飛騨国府」駅のプラットホームに立って、あれ、この駅のプラットホームって、線路からの高さが低いてことないか? ・・と思ったことがありました。鉄道系ユーチューバーの人の動画で知ったのだが、気動車に比べて電車は車体の下の部分に動力が入っていることから乗降車する出入口の高さが高いらしく、電車が走っている区間の駅のプラットホームの高さは気動車が走っている区間の駅の高さに比べてプラットホームの高さが高いらしいのだ。それならば、都市圏において上から電気をとる方式の電車に比べてスピードを出せない第三軌条方式の電車が走っているのなら、上から電気をとる方式の電車よりも速度は少々遅くても、ディーゼルカーの方が段差が少なくて「高齢者・身障者に優しい」、バリアフリー化の流れに沿うものとも言える。 何より、ディーゼルカーは遅い・・かというと、何年か前、名古屋から岐阜県の高山まで特急「ワイドビュー飛騨」に乗ったら加速もいいしけっこう速かった。やはり、鉄道系ユーチューバーの人の動画によると、新大阪・大阪から山陽本線「上郡(かみごおり)」駅を経て智頭急行線を通って鳥取まで行く特急「スーパーはくと」は「新幹線要らないくらい速い♪」そうだ。そういったことを考えると、はて、何のために電化してんだろ?・・なんて考えてみたりもする。もしかして、地下鉄だけでなく、電化もまた、必ずしも「文明開化」ではないのかもしれない。
  さすがに船橋市や習志野市の住人で「おら、ち~かてつに乗ってきたんだどお~お♪」と地下鉄に乗ったという経験を自慢する人なんていないでしょうけれども〔人生の1割ほどを福島県で過ごした「何割か福島県人」として福島県人の名誉のために言うと、福島県でも「おら、地下鉄に乗ってきたんだどお。どうだ、すげえだろ」なんて自慢する人というのは、そんなにいっぱいはいない・・と思う。たぶん・・〕、(習志野市には)「高層マンションがある」てのを「自慢にする」というのか「ステータス」と考えるて類のイナカモンがいた・・という可能性は、ないとは言えないようにも思います。 かつて、福沢諭吉が「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。いなかの生まれとか、いなかの住人とか、いなかの出身という意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がイナカモノ』というのは、これは良くない」と語ったというのだが、その「精神面がイナカモノ」がいた可能性がありそうな感じがします。(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいたS藤K二さんみたいに「地下鉄を見たことがある」とか「地下鉄に乗ったことがある」とかなんてのは「ステータス」になりません。「地下鉄がある」てのも「ステータス」と違います、そんなものは同様に「高層マンションがある」なんてのは、もしも、その場所にそれがふさわしい所に作るのならともかく、その場所にふさわしいわけでもないのに設けるというのは、それは「ステータス」ではなく「精神面がイナカモノ」の思考です。特に、周囲、特にマイナスの影響を受ける面が大きい北側の住人に意見をきくことなく「巾着切り」「やったもん勝ち」のように進めてしまうという姿勢・態度は「ステータス」とは逆のものです。
  ・・御輿に乗って「津田沼 ザ・タワー」を推進した千葉工業大学 建築学科教授 山本 明 氏は、まちがいなく「精神面がいなかもの」でしょう( 一一) 「図面の書き方」くらいは指導できるのかもしれないが「その程度の建築学科教授」でしょう( 一一)
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( ↑ 千葉県習志野市谷津1丁目15 「津田沼 ザ・タワー」)
〔 「大学の建築学科の先生」というのは、誰もが山本 明氏みたいに「アホと煙は高い所に登る」みたいに周囲に迷惑かけても平気な傍若無人な高層マンションを翼賛するのかというとそうではありません。たとえば、私が行っていた愛知産業大学の建築学科のM先生などは「高さを競うなどというのは後進国の発想だ」と話されていましたし、私もそう思います。「高さを競うなどというのはイナカモンの発想だ」と思います。福沢諭吉が「『いなかもの』という言葉には2通りの意味がある。『田舎の生まれ』とか『田舎の住人』とか『田舎の出身』とかいう意味での『いなかもの』というのは別に悪いことはない。しかし、『精神面がいなかもの』というのは、これはいけない」と語ったというのですが、この場合、「イナカモン」というのは「田舎の生まれ」とか「田舎の住人」とか「田舎の出身」とかいう意味での「いなかもの」ではなく「精神面がイナカモノ」という方の意味での「イナカモン」です。〕

  それで、私はこの「津田沼 ザ・タワー」については、当然、自治会長さんはこれを地域の住人に意見をきくべきもののはずだと思ったのだ。自治会長の仕事というのはどこまでなのか・・というのは、はっきりとしない。しかし、第一種低層住居専用地域のすぐ南側についたてのように人工的に巨大な岩山を建造されることに対して、すぐ北側の第一種低層住居専用地域の住人が関心を持ち、それに異議を唱えるのは当然のことで、自治会長になっている人は、特定の自治会員から言われなくてもそれを自治会会員に意見をきくべく動くのは自治会長の仕事であろう・・と思う。もっとも、自治会長というのは市長などとは違って、それを職業として食べていけるだけの報酬をもらってやっているわけではないので、あまり負担が重いものを求めるのは酷な面はあるだろうし、負担を払って自治会の役員をやっていただいている方を悪く言いたくはないし、誰しも常に最適な対応ができるわけでもないし私がやったとしても常に最適な対応ができると決まっているわけでもないし、市長や知事のようにある程度以上の報酬をもらってやっているわけでもない人を責めるようなことはあまり言わない方がいいとは思う。

  こういうことを言うと「賛成の人だってあるかもしれませんでしょ」などと言う人が出てくるのだが、それはおかしい。「津田沼 ザ・タワー」の建造については、その北側の第一種低層住居専用地域の住人には反対はあっても賛成はありえないはずなのだ。
  その理由として、
〔1〕 まず、JR「津田沼」駅というのは、船橋市と習志野市にまたがって存在しており、南側はほぼ習志野市だが、北側は北側の西半分は船橋市で、北側の東半分は習志野市だが、北側の東半分も駅のすぐ北側のみが習志野市であって、そのすぐ北は船橋市になっている。それを習志野市側、「津田沼 ザ・タワー」の足元の習志野市の人間だけで「巾着切り」みたいに・「やったもん勝ち」みたいに計画を進めたのだが、足元の商店街からすれば、自分たちが店を出している所に垂直方向にほとんど住居のみの巨大な建物ができて、自分たちの商店に需要ができるのだからプラスになるものが多く、マイナスはあまりないのに対して、その北側の船橋市側の住居系用途地域の住人にとってはマイナスばかりがあってプラスになるものは何もない。
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  まず、習志野市役所 都市計画課 は良心的ではない。習志野市役所 都市計画課の小口氏に私が「これからは、この地域には戸建住宅には住むなと言いたいということですか?」と言ったところ、小口氏は「なんでですか。住みたかったら住んだらいいじゃないですか。住みたきゃ住めばいいでしょ」と、どう考えても人を馬鹿にしたとしか思えない発言をおこなったのだ。
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↑ 左図のように、巨大な高層マンションを建てられても、その谷間みたいにされてしまったような場所にでも「住みたかったら住んだらいいじゃないですか」「住みたきゃすめばいいでしょ」と、小口氏はそういうことを言ったわけだ。それが習志野市役所の都市計画課の職員が口にした文句だったのだ。よく、そういう無神経な口をきくもんだと思いました。平地であったり、南下がりの傾斜地だったりした場所を谷底か盆地にされても、そんな場所に「高層マンション」から見下ろされるような卑しい立地の所にでも「住みたければ住んだらいいでしょうが」と小口氏は言うのです。平気でそういう口をきく人というのは、市役所に勤めるとしても都市計画課には勤務しないでほしいと私は思いますね。
  私などが居住している地域の場合は、↑ の右図のようなものだ。 右図の破線が「津田沼 ザ・タワー」である。それまで、南側(海側)が開けていて障害物がなかった場所に人工的に巨大な岩山をついたてのように作ってやろうというのが「津田沼 ザ・タワー」だ。傍若無人とはこのことだ。そういうものを何ら気が咎めることなく推し進めようという千葉工業大学工学部建築学科教授⇒名誉教授 山本明氏は本当に建築学科でているのか疑問に感じる。東京工大工学部建築学科卒らしいが、東京工大で国の税金使っていったい何を勉強してきたのか?
  昔から、住宅を建てるにおいては家相・地相といったことが言われ、「四神相応の地」が好ましいと言われるのだが、それは
(1) 北に山か丘があって、
(2) 南が低く開けていて、
(3) 東に清い水の流れがあって、
(4) 西に大通りがある。
という4つを言う。 私などが居住してきた地域は、(1)北に丘があって、(2)南が低く開けていて、(3)西に南北に通る県道8号(船橋我孫子線)(通所「ふなとり線」)が通っていて、(3)は、東に浜田川・花見川という川があることはある。
そういう場所を購入して住んだのだ。それを、なんで、南側に巨大な岩山を人工的に作られて、(2)の条件を破壊して、それまでは平野だった場所を「盆地」にされなければならないのだ? 「津田沼 ザ・タワー」の施工者にはそういうことをする権利がなぜあるんだ? 「津田沼 ザ・タワー」の住人は、その北側の第一種低層住居専用地域を中心とした住居系用途地域の住人の居住環境を悪化させる権利がなぜあるんだ?
  そういうことを考えると、「津田沼 ザ・タワー」の計画には、足元の商店街の人間はプラスになる者が多いから賛成する者がいて不思議はないが、その北側の第一種低層住居専用地域を中心とした住居系用途地域の住人にとってはマイナスはあってもプラスになるものはないのであり、反対はあっても賛成ということは、建築関係の仕事をしていて「津田沼 ザ・タワー」の工事でカネ貰っている人などを別にすればありえないはずなのだ。

〔2〕 第一種低層住居専用地域というのは都市計画法 第9条 第1項で《 第一種低層住居専用地域は、低層住宅に係る良好な住居の環境を保護するため定める地域とする。》と日本国の法律において明文化されて規定されており〔 e-gov 法令検索 都市計画法 https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=343AC0000000100 〕、その地域は《低層住宅に係る良好な住居の環境を保護》されなければならない地域であるからだ。
  用途地域というものは、その地域内において、その用途地域の趣旨に反するものが作られてはならないだけでなく、その用途地域に隣接する地域においても、その用途地域の趣旨を侵害するようなものが建てられないように行政は配慮しなければならないはずである
  第一種低層住居専用地域の住人で、そのすぐ南側に人工の巨大な岩山を造られることについては反対はあっても賛成はありえないはずであり、たとえば、船橋市会議員の神田ひろえい氏は大威張りで「私は賛成派だ」などと言っていたのだが、神田ひろえい氏は都市計画法の条文をもう一度、読み返してみるべきであろう。用途地域の趣旨を侵害するようなものに「賛成派だ」などというような市会議員は市会議員を辞めてもらいたい。
〔  神田ひろえい氏については、日頃から、靖国神社に一緒に参拝にいきましょうと地域住民に呼びかけたりもしている人間であり、その点において、「信教の自由」という国民にとって極めて大事な権利を侵害しようとしている反社会的勢力の人間でもあり、要注意である。前回の衆議院議員選挙において、立憲民主党の野田佳彦の選挙カーに乗って「市会議員の神田ひろえいが選挙カーに乗っています」と何度も連呼し、いったい、その選挙カーは野田佳彦への投票を訴える選挙カーなのか、神田ひろえいを宣伝するための選挙カーなのか、結論として後者だったと思われるが、神田ひろえい氏のような靖国神社へ参拝に一緒に行きましょうと住人に誘いかけている男を選挙カーに乗せていた野田佳彦は、それで「立憲」民主党と言えるのか? 疑問を感じた。
靖国神社法案の問題点―その矛盾を衝く (1976年) - 東京弁護士会
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靖国神社 (岩波新書) - 大江 志乃夫
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憲法講話 (岩波新書) - 宮沢 俊義
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 〕

〔3〕 そして、何よりも、「津田沼 ザ・タワー」のような巨大なものを人工的に作ろうとするのであれば、その地域の住人、特にマイナスの影響を受けるであろう北側の住居系用途地域の住民に意見を聞いた上で進めるものであり、それを北側の住居系用途地域の住人に意見をきくということはせず、足元の商店街の人間と習志野市役所だけで計画を進め、千葉工大建築学科教授 山本明が御輿に乗って権威づけをおこない、北側の住居系用途地域の住人には知らされることなく「巾着切りのように」「騙し討ちのように」「やったもん勝ちのように」進めたのであり、これは民主主義に敵対する態度・ファッショ的態度であり、良心的な市民として、このような進め方に対しては反対はあっても賛成はありえないはずなのである。
権威と権力――いうことをきかせる原理・きく原理 (岩波新書 青版 C-36) - なだ いなだ
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権威主義的人間―現代人の心にひそむファシズム (有斐閣選書 (697)) - 曽良中 清司
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現代社会学大系 12 権威主義的パーソナリティ - T.W.アドルノ, 田中 義久, 矢沢 修次郎
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  自治会長さんは、このようなその地域の居住環境を悪化させると思われる計画に対して何ら自治会員に訴えかけることをされないので、しかたなしに、私が自治会長さんに自治会員に、自治会として計画を中止するか、そうでなくても縮小するか、それもできないということならば、北側の住居系用途地域の住人に対して金銭的補償をおこなうか、事業者に話をすべきであり、それについて問題提起をしてもらいたいとお願いしたのだ。
  ところが、自治会長さんは、
《1》 「どういう点で問題があるのか、資料を作ってもらえば、それを回覧板でまわすということならできます」と言い、そして、「その上で、自治会として会合を持って議論した方がいいかどうかを意見を聞いて、会合を持った方がいいと言われる方が過半数に達したなら会合を持つようにするということならできます」と言って、どういう動きを自治会としておこなうかという点についてではなく、自治会としてこの問題についての会合を持つべきかという点について記名・顕名によって氏名を記載してもらい、記載する人が多かったら会合を持ちますと、極めてハードルが高い条件を示されたのだ。なぜ、そこまで高いハードルを設けないといけないのか? 
  それを聞いて、この人は、この問題から逃げたいということなのかな・・と思った。 そうかどうかはわからないが、会合を持って議論した上で、ある働きかけに対して賛成か反対か挙手してもらうということならともかく、議論するための会合を持つかどうかということについて記名してくれと言い、それも、無記名は会合を持つ必要はないという意志表示とみなすという、この問題を議論しようという側にとって極めてハードルが高い条件を示したのだった。こういうものは、記載の仕方によっても結果は大きく変わる。少なくとも、議論するために会合を開いた方がいいという方は「〇」、会合を開く必要はないという方は「×」と記載してくださいならば、どちらでもいいという人は無記入、無記入の人は「どちらでもいい」ということだと判断していいが、無記入は「会合を開く必要はない」「自分たちの居住地の南側に巨大な人工の岩山を作られても、どうもしなくていい」という意志だという記入のしかたというのは、それは意図的に会合を開かないように持って行こうとしていたということか・・と、実際に自治会長さんがそう考えておられたのかどうかはわからないが、事実としてそういう記載のしかたであった。

《2》 もうひとつ、「自治会の連合会の会長を賛成派で市会議員の神田ひろえい さんがなっておられますから、自治会として動くのは厳しいと思います」とも言われたのだが、我々、船橋市民というのは神田ひろえい に飼われている家畜ではない! 神田ひろえい氏は市会議員であるならば、市会議員が市民の為に働くべきものであり、市会議員が市民に命令するものではないはずである
  我々は神田ひろえい の地所に住ませてもらっているのではない! 我々船橋市民は神田ひろえい に命令される筋合いはないし、そんな権利があると神田ひろえい が思い上がりのぼせあがって思い込んでいるのであれば、神田ひろえい氏は自治会の連合会の会長など辞めてもらいたいものである。

  そして、《1》 の方だが、最近、自治会を退会したいと言われる方があり、上記の時点での自治会長さんではなく今の自治会長さんが、
(1)ゴミの集積所の掃除を自治会でやっていて、カラス除けのネットを自治会の費用で購入しているのに、費用を出さないで集積所の掃除もしないでゴミは出す、というのはどうなのか。
(2)道路の街灯の費用を自治会で出しているのに、費用を出さないで道路は通るというのはいいのか。
・・と言われ、その為に、自治会の退会を自由に認めていいか、退会を認めるにしても退会する人にも自治会費は出してもらうようにしてはどうか・・ということで、それを議論するために公民館で会合を持ちたいので、都合がつかない方は欠席されてもいいが、出席できる方は出席してもらいたいと言われたのだ。
  たしかに、そういった問題に意見をききたいというのはわかる。・・しかし、それならば、なぜ、↑ の「津田沼 ザ・タワー」という巨大な人工の岩山をついたてのように南側に建造されることに対して、自治会として対策を考えるための会合を持ちましょうと回覧板をまわさないで、「津田沼 ザ・タワー」について議論するための会合を開いた方がいいと思う人は氏名を記載してください、無記入の場合は会合を開く必要はないという意志表示と判断しますというものすごい高いハードルを設定してしまうのか?  なぜ、自治会費を払わない人がゴミを捨てていいのか、自治会費を払わない人が道路を通っていいのか、といった問題については、その問題について議論するための会合を持った方がいいと思われる方は氏名を記入してください、無記入の場合は会合を持つ必要はないという意志表示と判断しますとしないのか? ・・なんか変だと思いませんか?

(1)ゴミについては、船橋市役所のクリーン推進課に尋ねてみたのですが、
  市役所としては、各地域ごとにゴミ集積所を設けているけれども、住居地のゴミ収集所でない地域のゴミ収集所に捨ててはいけないとは言っていない、ということでした。
  船橋市の場合、朝に集める地域と夜に集める地域があり、それぞれ、地域によって曜日が異なるのですが、夜に集められると、その曜日の収集時刻の前にゴミを出せと言われても出せない人がいるのです。私は、今現在は出せているのですが、かつて、1990年代、(株)一条工務店の東京営業所(展示場)(東京都江東区潮見)に勤務していた時や、松戸営業所(展示場)(千葉県松戸市緑が丘)に勤務していた時は、帰宅時間は午後12時を過ぎていることが多く、すでにゴミ収集車は来て去った後で、しかたがないから、朝、出勤前に出していこうとすると、「ちょっと、ゴミ、出すのは夜だよ。朝、だしちゃだめだよ」と「自警団」みたいなおっさんに怒られたのです。 そんなこと言われたら我が家は永遠にゴミは出せないことになってしまいます。 自動車を持っている者は、自分の自動車にゴミを乗せて市の焼却場に持ち込むという方法があるかと思いますが、その方法だと、その都度、有料で代金を払わないといけないことになるのではないでしょうか。市民税や固定資産税は普通に払っているのに、なんで、自分だけゴミを集めてもらえないのか?
  それで、何十メートルか向こうの道を隔てた隣の自治会は収集曜日が異なるようでした。平日休みの会社に勤めている者の場合、たとえば、水曜休みだが自宅の地域のゴミの収集日は火曜と金曜だというような場合、何十メートルか向うの地域は水曜日が収集日だというような場合があります。そういう場合に、週休日にゴミの収集をやっている何十メートルか向うの集積所まで持って行くという方法があるのではないか、と考えたのでした。ところが・・・。
  我が家の近所のおじいさんで、近所を巡回しておられる方がありまして、「この間、向こう側の人がここにゴミを捨てに来たから怒ってやったんだ。『ここに捨てちゃだめだ。ここは◇◇自治会の人間のものだ』と言って怒ってやったんだ」とおっしゃるのでした。それで、私は「別に、そんなこと言わなくても、自分が住んでいる地域の収集日は出勤日でゴミを出せないけれども、隣の地域の収集日なら週休日だから出せるという人だってあるでしょうから、向こう側の人が出しにこられてもいいのではないですか」と言ったのですが、そうすると、「だめだ。そういう勝手なこと言っちゃだめだ。私はそういうものは絶対に許さないからね!」と言って怒られたのです。
  「体は元気なおじいさん」は、毎日、家におられますから、何曜日でも何時でもゴミを出すことはできるでしょうけれども、仕事を持っている者はそうはいかないのです。 特に、住宅建築業の営業のような仕事は「五時から男」なんて言いまして、たとえば、1990年代前半、(株)一条工務店の東京営業所(江東区潮見)や松戸営業所(千葉県松戸市)に勤務していた時などは、就業時間は午前10時00分から午後7時00分となっていても、午後7時に退社できる日なんてありません。午後5時から、人が帰宅してからが仕事なのです。ですから、朝が回収時間の区域であったならば、朝、ゴミを出して出勤できますが、夜が回収時間の場所に住んでいると、夜に出したいと思っても出せないのです。
  そして、週休日は会社が決めますから、市役所がその地域のゴミ収集の日でない曜日に週休日が決められている場合には、かつ、しかたがないから、朝、出そうとすると、「あんた、朝にゴミだしちゃだめだあ! 夜だよ。あんた、わかんないの!」などと「自警団のおっさん」に怒られるのです。なんなんだ、ここは? ・・と最初に船橋市の現住所に住んだ時、思いました。結局、市民税も固定資産税も払っているのに、永遠にゴミを出せないことになります。
  それで、私は船橋市役所のクリーン推進課に行って尋ねたのです。こういう場合もあるのですが、自分の家がある地域の曜日には出せないけれども、隣の地域の曜日になら出せるという者が隣の地域のゴミ収集所にゴミを出してはいけないのでしょうか」と。そうすると、船橋市役所のクリーン推進課の方は「自分が住んでいる場所の曜日には出せないが隣の地域の収集曜日なら出せるという方が隣の収集所に出してもらってもかまいません」と言われたのでした。そのくらいのこともだめだと言われたなら、そのくらいのことすらもだめだと言ってしまったなら、お互いに住みにくくなるのではないか・・と思うのですが、隣の地域の人が自分の所の曜日には出せないからと隣の地域のゴミ収集所に出そうとすると「だめだ。ここは☆☆自治会のもんだ」と言って出させないようにするのが「正義の味方」みたいに思っている方がおられるようなのです。
  ・・・「自警団のおじさん」には、市役所がいいと言っても、そんなものは通じません。

  なんで、そんなこと言うかなあ~あ・・と思うのですが、これは「冗談」ですが、「冗談」として聞いていただきたいのですが、ひとつの考え方として「体は元気な年寄」の居住地域と「現役世代」の人間の居住地域を「用途地域」の指定のように分けたらどうか・・なんて思ってみたりもします。

  私はそういう「自警団のおじさん」には一度、考えてみてほしいのです。昔は専業主婦が多かったので、朝でも夜でも何曜日でもゴミを出すことができる家庭が多かったのではないかと思いますが今はそうではなく結婚後も仕事を持っている女性は多く、〔それを「女性の社会進出」なんて言う人がいますが、実際は男性の給料が低いものだから「専業主婦」という職業が減ってしまい、既婚の女性が働かざるをえなくなっているだけではないか。むしろ、今では「専業主婦」というのは女性にとっていい仕事になっているのではないか。〕一人暮らしの者、夫婦ともに働いていて、どちらもが夜にゴミを出す時間帯までに帰宅できない者、ゴミを出すくらいのことならできる「いくらかは役に立つ年齢の子供」がいる人は子供に出させるということもできても、そういう子供もいない者は、夜に出すことになっている地域で朝に出して出勤するというのもだめ、平日に週休日がある者で隣接地域ならば週休日がゴミ収集の日になっているから隣接地域に出すというのもだめだとされたなら、いったい、どうしたらいいのですか? 市のゴミ回収というのは「体は元気な年寄」のためにだけあるのですか?
  「体は元気なおじいさん」は仕事を持っていませんし、「ここは、ゴミは夜に出すんだ。朝、出しちゃだめだ」とか「ここは◇◇自治会のもんだ。☆☆町の者は出しちゃだめだ」とか怒るのを趣味か生き甲斐にしておられる方もあるかもしれませんが、その息子は「現役世代」のはずですから、息子が父親に「あんまり、そんなこと、言わない方がいいと思うよ」とか「夜、出せと言われても出せない人もいるんだ」「自分の居住地の曜日には出せないけれども、隣の地区の曜日なら週休日だから出せるという人もいると思うよ」と言ったことを話すべきだと思うのですが、それを言わない「現役世代」の息子・・というのはズルイ! ・・と思いませんか。自分が言うのが嫌だからよその「現役世代」の人間に自分の親に言わせたいのですか?

  2000年前後、栃木県佐野市のアパートに住んでいた時も、アパートの目の前にゴミ収集所がありましたので、そこに出していたのですが、ある日、ゴミ収集所の前に立って見張っているおじいさんがおられまして、「ここに捨てちゃあ、だめだ。あんた、浅沼町のもんだろ。ここは◇◇町のものだ。浅沼町の者は捨てちゃあだめだ」と怒られたのでした。「それなら、どこに捨てたらいいのですか」と言ったのです。もしも、目の前でなくても、たいして遠くない場所が「浅沼町の者」の捨てる場所と決められているのなら、そんなことでもめるよりも、決められた場所に持っていけばいいと思ったのでした。しかし、その時、住んでいたアパートは浅沼町の西の端で、北側に高校があり、南側に線路があって、高校の北側か線路の南側をぐるう~っと一周まわっていった東側、片道10分ほど歩いていった所まで捨てに行けと「◇◇町」の体は元気なおじいさんはおしゃるのでした。「ここは◇◇町のもんだ」とおっしゃるけれども、佐野市がごみの収集はやっているのであり「◇◇町のもん」がやっているものでもないはずでした。
  一度は、クルマのトランクにゴミを積んで、一周、ぐるっとまわっていった先まで捨てに行ったこともあったのですが、あほくさいので、おじいさんがいない時を見計らって、目の前に捨てるようにしました。
  そういう「体は元気な年寄」というのは「私はみんなの為にやってあげてるんだ」と思っておられるのですが、同じ市民なのに、そのおじいさんは自宅の近くにゴミ収集所があってそこにゴミを出すことができて、自宅の目の前にゴミ収集所があるのにそこに捨ててはだめで、ぐるう~っと一周廻って往復20分くらいもかかる場所までゴミを出しにいかなければならない・・というのは、そっちの方が市民として不公平というものであり、そういうことをやれと人に要求するというのが「みんなの為」なのですか? そういう主張をする人が反社会的勢力ではありませんか?・・で、これも佐野市役所にききにいったように思うのですが、市役所では目の前に道路があって、その道路が◇◇町と▽▽町の境界になっていても、ゴミは自宅から一番近いゴミ収集所に出してもらってかまいません・・と言われたのでした。でも、市役所はそう言っても「正義派」のおじいさん は言ってもきかないと思うのですよ。
  実際には、佐野市役所では目の前の道路に「◇◇町」と「▽▽町」の境界があっても、道路の向こう側の目の前の「◇◇町」側のゴミ収集所に「▽▽町」の住人がゴミを捨ててはいけないとは言っていない、「何町であるかにかかわらず、一番近い場所に捨ててください」と言っているにもかかわらず、「ここは◇◇町のもんだ。浅沼町の人間は捨てちゃだめだ!」と言って捨てさせないようにしていた、そのおじいさんの方こそ違法な行為をおこなっていたのです。・・しかし、「体は元気な年寄」にそんなこと言っても通じませんからね。世の中、何が強いかというと「おばさん」が一番強いかと思っていたのですが、「体は元気なじいさん」てのも強いのです。「泣く子もじいさんには勝てない」て感じです。
  難しいのは「あのくそじじい~い 」とか心の中で思っても、「現役世代」の人間は「引退世代」のおじいさんを相手に喧嘩するわけにはいかないのです。やったらアホですからね。だからと思って「言うことをきく」ようにしておくと、無制限に「言うことをきく」ようにされてしまいます。

  ゴミに関しましては、2000年代初め、山梨県上野原市に住んでいました時、私が借りた家作の駐車場の端がゴミ集積場になっていたのですが、その向かいのおじいさんが、いつも、その前に立って見張っておられたのです。そして、カラスにつつかれるから、ゴミの袋を二重に入れて出してくれと言われたので、そのくらいのことならばと思って二重にして出すようにしました。
  うるさそうなじいさんやな・・と思いましたが、しかし、常に私が借りた駐車場の前に立っておられるということは、その分、用心いいかもしれない・・なんて思ったのでしたが、ところが、その後、2002年だったと思いますが、朝、起きると私のクルマのホイールキャップが4枚ともはずされて持ち去られていたということがあり、その頃、新聞にも出ていた「金属泥棒」というものにやられてしまったようでしたが〔安いクルマの標準品のホイールキャップなんて盗んでもしかたないだろうが・・と思うのですが、盗まれた側は新たに買うとけっこう出費です〕、その向かいのおじいさんに「知りませんか?」と尋ねてみたところ、「知らん!」と言われるので、役に立たんじいさんやなあ~あ、あんた、いったい何のためにそこに立ってるんだ( 一一) ・・と思った・・ということがありました。じいさんとしては、別に私が借りた駐車場の防犯の為に立っているつもりはなかったらしいのですが、「うるさ型のじいさん」というのは、うるさいかわりに防犯に役立つかというと、役に立たんなあ~あ( 一一)・・ということが、その時の経験からわかりました。

  何年か前、麻生太郎が府中市での演説で「『体だけ元気な年寄』て困りますよね~え。府中市にもいませんか? 永田町にもいるんですよねえ」と話した・・という記事を新聞だったか週刊誌だったかで見たことがありましたが、実際にそういう経験をすることはあります。
〔 蛇足になりますが、世の中には「女性とお話したい」というおじいさんというのがいるらしく、レジに並んでいて前にじいさんがいると、レジのおばさんとお話したいみたいで、すいている時なら別にいいと思いますが、後ろに人が並んでいる時にそれを長々とやらないでもらえないかな・・と思うのですが、もしかすると、じいさんは、その為に買い物していたのかもしれません。私もあんまり若くなくなってきてしまったけれども、ああいうのを見ると、あんな感じにはなりたくないなあ~あ・・と思い、中谷彰宏『オヤジにならない60のビジネスマナー』(PHP文庫)で、その年代のその性別の人が「オヤジ」であるのではなく、「オヤジ」とされるような行為をおこなう人が「オヤジ」であり、若い人にも女性にも「オヤジ」はいると述べており、
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
オヤジにならない60のビジネスマナー お客様・女性・部下に愛される具体例 (PHP文庫) - 中谷彰宏
それを読んでそうだよなあと私は思ったのですが、同様に、あれをやるようになったら「じいさん」だということなんだなあ・・なんて思ったりもします。・・片方で、じいさんがスマートホンを出して「スマホによる電子決済」なんてやるのを見ると、「負けた」 なんてショックを受けたりして・・ 〕

  自治会に加入するかどうかは任意であって、強制することはできません。 私などは、子供の頃から、回覧板というのがまわってくるもので、「そんなものか」みたいに思っていたのですが、大学生の時には、最初、学生会館みたいな所に住んだので、そういう所の住人には自治会加入のお誘いなんてないから、ないのが普通みたいに思っていたのですが、その後、アパートに引越したものの、大学生が自治会に加入するという発想がなかったので加入せず、ゴミは普通に出していました。

  「ここは◇◇自治会のもんんだ。ほかの自治会の者は出しちゃだめだあ!」なんて、そんなこと言わなくてもいいのではないか・・と思うのですが、世の中、一番強いのは「おばさん」・・かと思っていたのですが、「体だけ元気な年寄」というのも強い! なにしろ、時間はいっぱい持っていますから、私みたいな多忙な者は勝てません。又、現役世代の人間が引退世代のおじいさん相手に真剣に戦っていたらアホですから、戦えないのです。そう思って譲歩すると、無限大に譲歩させられることになります( 一一)

  回収の曜日が同じである場合にわざわざ他の地域の収集所に出しに行く必要はないでしょうけれども、自分が住んでいる地域の収集日には仕事で出せないけれども、何十メートルか向う側の地域の収集曜日なら出せるという人はいるはずで、そういう人が何十メートルか向う側の別の地域の収集所に出したっていいのではないか。それをだめだと言ったら、自分も不便な思いをするのではないか・・・と思うのですが、引退世代のおじいさんは働きに行きませんから、何曜日でも朝でも夜でも空いているのです。

  自治会でゴミ収集所の掃除をしている人がいたり、カラス除けのネットを購入したりということがあり、掃除していないのにゴミを出すのは勝手だという主張があるらしく、ネットの購入費用を自治会費から出しているのに、自治会費を払っていない人がゴミだけ出すのは勝手だという主張があるらしいのです。
  私なんかは、ネットの購入費くらい、別にいいじゃないの・・と思うのですが、そう思わない方もあるらしい。ゴミ収集所の前のお宅は、他の家よりも、その分だけ、負担をかぶっておられるのですから、その前の家の方に掃除してもらうのではなく、もしも、汚れていたならば、気づいた時に掃除するようにした方がいいかもしれません。・・しかし、実際問題として、そんなに汚れるのかなあ?・・とも思うのです。実際のところ、きっちりと袋に入れて、はみだしたり、袋の外側に汚れが付着したりしないようにして出したならば、それほど汚れないのではないのか、とも思うのです。
  「掃除している人がいるから汚れていないということに気づいていない」というケースもあるかもしれませんが、「実際以上に気にしている人がいる」というケースもあるのではないでしょうか。
  中には、ゴミ収集所の掃除をすることで「交流」を持ちたいという方もおられるようですが、近所の人と「交流」を持ちたい人もあれば、あまり持ちたくない人もあり、持って悪いことはないとしても、それほど深くは持ちたくないという人だってあると思うのです。そういうものは、あまり強制しない方がいいと思うのです。
  親子間のあり方として「ハリネズミの親子のたとえ」という話があり、相当近接して暮らすと互いに「針」が突き刺さるが、「針」が突き刺さらない程度の距離に住むと、互いに温かみを感じあえていいという説があり、そこから「新しいタイプの二世帯住宅」なんてのを言いだすハウスメーカーも出てきたりもしました。実際の動物のハリネズミは、相手に警戒している時に毛が針のようになるのであって、心を許している相手に対しては毛は針のようにならないらしいので、実際の動物のハリネズミはこの話には該当しないらしいのですが、実際の動物のハリネズミがどうかは別として、親子間においても「遠からず、近からずの距離」というのがつきあっていくのにいい距離だという場合もあるでしょう・・けれども、「近所の人」とも「ハリネズミの針が突き刺さる距離」にまで「交流」を持ちたくないという人だってあると思うのです「交流」を持ちたいと思う人は持って悪いことはないでしょうけれども、「ハリネズミの針が突き刺さる距離」までの「交流」は持ちたくないという人だっているということを理解してほしいように思います。

(2) 街燈については、自治会長さんは船橋市からと自治会からと両方から費用を出していると言われるのでしたが、それって変じゃないか? 自治会に加入していない人だって船橋市民として市民税や固定資産税を払い、船橋市内で買い物をすると消費税も支払っているわけです。たとえ、住民票は他県や他の市町村においている場合でも、街燈の費用を払っていないから道を通るなと言うわけにもいかないでしょう。
  そもそも、市道の街灯というのは市が設置しているものと違うのか? なぜ、街燈の費用を自治会が出しているのか? ・・そう思って、私は船橋市役所に行って尋ねたのですが、そうすると、市役所職員の方が言われるには、「主要な市道の街灯は全額、船橋市が費用を出しているはずで、自治会からは出してもらっていないはずです」ということでした。あれ?
   
  船橋市役所で聞いた話では、
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↑ 左図のように市道がある場合は、その市道の街灯は全額を船橋市が費用を出しているそうなのです。 それに対して、開発行為をおこなって分譲地を設けたような場合、位置指定道路・突っ込み道路を設置したというような場合、右図の緑の道路のような道には、その道の所有者は船橋市ではありませんから、船橋市が全額を出して設置するということはしないそうですが、そういう場合は、その道に面した家の方で街灯を設置したいと言われる方から申請を出してもらえば、市から補助金を出しているそうでした。
 たしかに、不動産屋が分譲をするために道路を作り、所有権はその道路に面した家が共有か、もしくは、いくつかに分けて所有しているという場合がありますが、不動産屋はその事業で利益を得ているのですから、費用もまた負担するべきであり、利益はもらいますよ、費用は市で出してくださいよというのは勝手でしょう。 そういう場合は、市に申請を出してもらえば、全額ではないが補助金を出すということらしい。そして、そういう場合は「自治会が」ということではないらしい。ですから、この場合は、自治会に加入しているかどうかの問題ではなく、市から補助をもらった上で、その位置指定道路の所有者になっている人〔かつ、その位置指定道路を実際に利用する人〕、何人かで負担すべきものということはないでしょうか。


 「親が自治会に入っていたが、親が亡くなったから退会したい」と言われる方の気持ちはわからないことありません。 実際問題として、私もやめよかな・・と思ったこともあったのですが、まあ、「おつきあい」のつもりで自治会費だけ払ってきました。
  ↓ のように、親世帯(引退世代)・若世帯(現役世代)・子供 と三世代で住んでいる方があり、この3つのうち、親世帯だけで住んでいる人もあれば、若世帯と子供で住んでいる人もあります。 東北の方に行くと「青年団」なんてのがあったりしますが、「青年団」と言っても10代・20代ではなく40代くらいの人が「青年団」やっています。それより上の世代とは別の組織として「青年団」を持っているのでしょう。それと同様に「若世帯」と言っても10代ではなく、30代・40代・50代くらいです。
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↑ の左のように、親世帯(引退世代)・若世帯(現役世代)・子供の三世代同居している方があり、中のように親世帯(引退世代)と若世代(現役世代)が居住している人があり、右のように若世帯(現役世代)と子供で住んでいる方もあります。四世代同居の人もあるかもしれませんし、ひとりだけで住んでいる人だってあるでしょう。それは人それぞれです。
  自治会の問題点として、親世帯(引退世代)だけで住んでいる方が自治会の総会その他に親世帯(引退世代)の人が毎回出席するというのは悪いことはないと思うのですが、↑ 「若世帯」(「現役世代」)の人間と「親世帯」(引退世代)とが同居しているのに、毎回、「引退世代」のおじいさんだけ出席させるという人がいるのです。私は、どう考えても、その家はずるいと思うのです。特に、その家の「若世代」(「現役世代」)の人間、息子は卑怯だと思うのです。
  要するに、自分は出席しないで、毎回、「引退世代」のおじいさんだけを出席させて、自分の親の相手をよその家の「現役世代」の人間にさせているのです。「デイケアセンター」に行かせるとカネを払わないといけないが、自治会に親を行かせて、よその家の現役世代の人間に相手にさせるようにすれば、「デイケアセンター」に払うようなカネを払わなくていいということで、自治会に行かせている「現役世代」の息子というのは、そういうのはズルイと思いませんか。又、本来なら自分が世話をするべき自分の親を施設に入れて、その上で自治会に顔を出してよその家の親の世話をする人間て、けしからん息子だと思いませんか? よその親の世話するのなら自分の親の世話したらどうなんだ?!? ・・と思いませんか。
   時々、「自分の娘の世話はしないのに、よその娘の世話したがるおっさん」てのがいますが( 一一) 〔いますでしょ〕、よその娘のめんどう見たがるくらいなら、おのれの娘のめんどうみたらどうなんだ? ・・なんて思ったりもしますが、たぶん、そういうおっさんにとっては「よその娘のめんどう見る」というのは「楽しい」のではないか( 一一) ・・と思いますね。バッカじゃなかろかルンバ♪ て思いますが〔⇒《YouTube-野村監督「バッカじゃなかろかルンバ」(原曲入り)》https://www.youtube.com/watch?v=ewJ6WwU76Rs 〕、そういうアホなおっさん・・ていますでしょ( 一一) そこまではいかないと思いますが、自分の親のめんどうみないでよその親の相手をする息子というのは、それはケシカランと思います。難しいのは、自分ではそんな役はやりたくない、やるべきではないと思っているのに、そんな役割を押しつけられそうになることがあるということです。

  私は、ここ十数年間、昼間の船橋新京成バス・習志野新京成バスには乗らないことにしています。元々、「自動車派」ではなく「電車・バス派」で、電車・バスに乗り、停留所から目的地までは「私には丈夫な足がある」と、そういう考えの人間でしたし、又、30代の時の健康診断で「高脂血症」と診断されて、その時に医者から「できるだけ歩くようにしてください」と言われ、それ以来、自家用車でも行けるが徒歩と電車・バスででも行けるという所には徒歩と電車・バスで行くようにしてきたのでしたが、ある時、自宅近くのバス停から船橋新京成バスに乗車した時、ある停留所から足が悪い年配の女性が乗ろうとしてきて、運転手が補助板を立てかけたものの、車椅子で乗車しようとしても、なかなか、上がることができず、運転手が悪戦苦闘したということがあったのですが、それを見て、その場所から一番近い席に座っていた私より少しだけ年上くらいかと思われる女性が「運転手さん、ひとりじゃ、だめよお。誰か、助けないとお。誰か助けるべきよお~お」と言うのです。そう言って、自分はまったく立ち上がろうとしないのです。自分が一番近くにいるのにですよ。そのおばさんは健康そうな人でしたのに
  その時、ふと思ったのですが、もしかして、あのおばさん、俺の方を見て言っていたのか?・・・と思ったのです。それで、船橋新京成バスに乗るのはやめたのです。その時、私は何の為にそのバスに乗っていたと思いますか? (株)一条工務店で何十キロとあるものを運ぶ作業を朝の8時から夜中の1時まで連日させられて腰と肘を傷め、これは「労災(労働災害)」と考えるよりも、意図的に怪我させようとしてやっていたのですから「傷害罪」と評価すべきものだと思われますが、その腰痛・椎間板障害の治療のために整形外科に通うためにバスに乗っていたのです。そして、整形外科医からは「重いものを持ったりしないように気をつけてください」と言われていたのです。 それを、バスの出入口から最も近い、一番近い席に座っていた私よりずっと健康そうなおばさんが「誰か、手伝わなきゃだめよお。誰か、手伝って。ほら、誰か手伝わなきゃ」と言いまくるのでしたが、もしかして、腰と肘をいためて整形外科医に通院するためにバスに乗っていた私の方を見て言っていたのか? ・・と思い、こんなバスには乗らない方がいいかと思うようになったのです。腰痛・椎間板障害で整形外科に行くためにバスに乗っているのに、そのバス中で私よりよっぽど元気そうなおばさんがいるのに、整形外科医からやるなと言われているようなことをやってさらに腰を痛めたのではアホです。
  もうひとつ、私にも母親があります。その時、バスに乗ろうとしていた足が悪いらしい女性は年配者でしたが私の母親よりは若くて、私の母親よりは元気でした。その女性よりも高齢で、その女性よりも体の具合が悪い母親の世話をしないで自分の体のために整形外科医に行くためにバスに乗っていて、自分の母親よりも若くて自分の母親よりもずっと元気な人の世話なんてしてはいかん! と思ったのです。その女性の息子は何やってるのか? 自分の母親の世話をしないで自分の体のために医者に通うためにバスに乗っている男に自分の母親の世話をさせてやろうと考えていたのか? その女性の息子は、自分は足が悪いらしい母親の世話はしないで、足が悪い母親を一人で出かけさせてよその息子に世話させてやろうと考えていたのか?
  そして、最近は白髪が増えてしまってあまり若く見えなくなってしまいましたが、10年ほど前までは私は実際の年齢よりも若く見えたのですが、JR「船橋」駅の北側のロータリーのバス乗り場で我が家の近くのバス停を通るバスに乗ろうとした時、腰が悪いことから座って乗りたいと考えて、その為に、乗ろうと思えば乗れるバスに乗らずに1台、見送って次のバスに乗って座ったのでしたが、ところが、バスが発車しようとした間際に猛烈な勢いで走ってきて飛び乗ったおっさんが私の横に来て私の方をじいい~っと見るのです。たぶん、私より若いと思いますが、その頃は私は実際よりも若く見えましたので、もしかすると、そのおっさんは私が自分よりも若いと思ったのかもしれません。それで、そうやって「圧力」を加えて席を譲ってもらおうと考えたようでした。しかし、私は腰が悪いので座って乗りたいと思い、それで、乗ろうと思えば乗れたバスを見送って1台後のバスに乗って座っていたのであり、逆にそのおっさんは猛烈な勢いで走って飛び乗ることができるくらい元気で、私を自分より若いと思ったのかもしれませんが、実際には間違いなくそのおっさんの方が私よりも若かったはずだったのです。自分は発車しかけのバスに猛烈な勢いでダッシュして飛び乗る元気があるのに、腰痛のために座って乗りたいと思ってあえて1台乗り過ごして待って次のバスに乗った者の横にきて「圧力加える」とは、なかなか、ふてえ野郎です。
〔「東京もんのおっさん」には「大阪の人間は電車・バスに乗る際のマナーが悪い」とか実際に厳密に調査したわけでもないのに言いまくる人がいて、(株)一条工務店に勤務していた時に同じ営業所にいた「木南さん」(仮名)なども、私が大阪出身の人間だと思うと余計に必死になって言いまくるのでしたが、「東京の人間」は「大阪の人間」に比べて電車・バスに乗降車する際のマナーがいいなんてことはちっともないと思いますよ。勝手なこと言わない方がいいと思います。「東京もんのおっさん」は「大阪の人間」に比べて電車・バスに乗る時のマナーがいいなんてことは、ちっともないですからね。〕
  そういうことがあって、それで、昼間の船橋新京成バス・習志野新京成バスにはできるだけ乗らないようにするようになったのです。船橋駅・東船橋駅付近まで自家用車で行って時間パーキングに駐車するのと船橋新京成バス・習志野新京成バスに乗るのとでは、バスに乗った方が安いのですが、値段の問題ではないと思ったのです。

  「船橋新京成バスに乗り込もうとしていたうちの母親より若い女性」ですが、そんなに貧乏そうな服装ではなく、息子がいそうな感じでした。自分が自分の体のために整形外科医に通うためにバスに乗っていて、その為に自分の高齢の母親は家にひとりでおらせて、それでいて「自分の母親の世話をしないでひとりで外出させるよその息子の母親」の世話なんて絶対にしてはいけないと思ったのです。・・そう思いませんか? 私は自分の母親が高齢になって体が不自由になってからは母親がどこかに行きたいという時には私が同行して連れて行くようにしています。その女性も息子にそうしてもらえばいいのです。その女性の息子は、なぜ私のように母親が外出する時に付き添わないのですか? そう思いませんか?
   これと似たことが自治会で起こっているのです。毎回、引退世代のおじいさんだけを出席させて、現役世代の息子は絶対に出席しないという人。 ズルイと思いませんか?
  なんで、私はそのおじいさんより体が不自由な母親がいるのに、自分の母親の世話をしないで、自治会でよその年寄の世話をさせられなきゃならないのですか?

  自治会では「ふれあい会」なんて行事があり、さらには「ゴミゼロの日」「クリーン船橋の日」なんて行事があります。それも、「引退世代」のおじいさんだけを毎回、出席させて、現役世代の人間は絶対に出てこないという人がいるのですが、ズルイと思いませんか? 自分は絶対に出ないで引退世代の親だけ出席させて、よその家の現役世代の人間に自分の親の世話させようとしているのです。意識してやっているか無意識の上でやっているかにかかわらず、超ド級にずっこい! と思いませんか? 

  「クリーン船橋の日」というのを、11月に船橋市が設けているのですが、それを自治会では自治会員がその日にでて家の前の溝掃除をする日にしましょうと言っているのですが、これは迷惑です。
  私は自治会の総会で、自治会費が余っているのだから、たとえば、近くに「バカでも入れる私立大学」がいくつもあるのだから、そういう所の学生でもアルバイトに雇ってさせればいいのではないのか・・とはっきりと言うと怒る人も出てくるだろうから「バカでも入れる私立大学」とは言いませんでしたが「自治会費でアルバイトの人を雇ってやってもらえばいいことと違うのですか」と言ったのです。ところが、「溝掃除をすることで地域の人間の親睦になるのだから」と言われて却下されたのです。
  しかし、「親睦」は「親睦」やりたい人と、それほどやりたくない人がいるはずなのです。特に「親睦」やりたいと思わない者にとっては、「親睦」の無理強いというのは「ストーカー」と一緒なのです。 あるいは、よその家も「現役世代」が出てくるのなら「親睦」やってもいいけれども、なんで、うちは現役世代の人間が忙しいのに無理に時間をあけて出席して、よその家は「現役世代」の人間は出てこないで「引退世代」の人ばかり出席するその「引退世代」のじいさんと「親睦」させられなければならないんだ? それはおかしいのではないか・・と思う人もあるはずなのです・・というよりも、私がそう思ったのです。
  毎回、引退世代のおじいさんだけ出席させて、現役世代の人間は絶対に出てこないという人があるのです。そういう卑怯な家族のために、なぜ、私が犠牲にならなければならないのか・・・・と思う人はいるはずです。

  それから、若い頃から体を動かすような仕事をやってきている人は、そういう所に出ても働きますが、そうでない人は体を動かしません。この場合、「体を動かす」「体が動く」というのは2通りの意味があります。
(1) 私などは建築業の仕事に長く従事してきましたから、たとえば、建築現場に行けば、自分の職種が何であれ、まわりの人間が重いものを苦労して運んでいるということならば、「見物する」ものではなく、自分の職種が何であれ一緒に運ぶか、何なりするものだと思いますし、そうやってきたのです。そういう時に自然と体が動くのを相撲取りで言うところの「ちゃんこの味がしみる」とでもいったものではないかと思います。若造で、そういう場面で「体が動かない」人間を見ると、相撲取りで言うところの「ちゃんこの味がしみていない」ということになるでしょう。
  建築業の会社でも「設計」の職種の人間には建築現場に行って周囲の従業員が重い物を苦労して運んでいても「バカでも入れる私大の建築学科卒」の人間はシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはならないという「厳しい戒律」を持っている人がいます。「バカでも入れる美大の建築学科」「バカでも入れる私大の建築学科」卒の者はシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはならないとその「大学」で教えられてきているようですが、それが建築なのか・・というと、本来はそうではないと私は思うのですがね。
  もう1タイプとして、建築現場でも、それ以外の場所でも男性が苦労して重い物を運んでいたならば、女性は部屋中に入って座ってコーヒー飲むのが仕事と思い込んでいるおばさん・・てのがいます。そんなバカを雇うなよ・・と私などは思うのですが、こういうことをうかつに口にすると「男女差別だ」とか怒られますから怖い、こわい。男性が力が必要な仕事をすると、女性は部屋中に入って座ってコーヒーを飲むものだと教えられてきているおばさんというのがいるのです。それが「男女平等」だ、それが雇用機会均等法だと雇用均等室は主張するようですが、雇用均等室のバカ女どもは反社会的勢力です。本来、日本の労働基準法が定めている、性別を理由としての差別をしてはならない、男女で異なる賃金にしてはいけないというのは、「同じ仕事をしている場合において」です。異なる仕事をしている男性と男性を異なる賃金にして悪いことはなく、労働時間が長い仕事の男性と短い仕事の男性を異なる賃金にして悪いことはないのと同じく、男性とは異なる仕事をしている女性の賃金を異なる金額にして悪いことはない、男性よりも短い労働時間の女性を労働時間が長い人よりも安い賃金にして悪いことはないのです。男性がひいひい言って力がいる仕事をしている時に部屋中に入って座ってコーヒー飲むやつに同じ賃金を払わないといけないとは労働基準法は言っていないのです。雇用均等室のバカどもはそのあたりを理解できていない。
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会
バカ女は死ね!! - バカ女駆除協会

(2) 「体が動く」「体が動かない」という言葉には、もうひとつ、意味があります。それは、若い頃から体を動かすような仕事をしてきた人の場合には、体を動かす仕事ができるけれども、そうでない者はやろうと思っても動かないということがあります。
  船橋市とは別の場所で、シルバー人材センターというものがあって、造園の仕事にシルバー人材センターの人に来てやってもらったことがあるのですが、来ていた人と話をしていたら、「この人なんて、80歳だよ。たいしたもんだろ」と言うので「そうですね」と言ったのですが、その方はシルバー人材センターでは造園の仕事をしていたけれども、若い頃は大工をやっていたそうで、若い頃から、1日、外で体を動かすような仕事をやっていた人は、年齢をいっても、他の職種でも体を動かす必要がある仕事をできるようでした。
  私などは、できません。営業の仕事を長くやってくると、少しでも多くの所に訪問して・・と思って動くと、自然と歩くのが速くなるみたいで、うちの姉などは「あんたと一緒に歩くと歩くのが速くて追いつけない」と言ったりします。私の場合、20代の時に新聞配達の仕事をやったことがあり、マンションのドアポストに新聞を入れるのに上から順番に入れて降りるといったことをやりましたし、そういった仕事をやったことがあるので、住宅建築業や不動産業の会社でポスティングをするにも、普通にやりますが、見ていると、たとえば、2010年、千葉市中央区鵜の森町 の新華ハウジング(有)〔建設業〕にいたS井さん(男。当時、40代前半)などは、そういった作業をやりなれていないようで、集合住宅にポスティングをしてもらうと、私のようにドアポストに入れるのではなく、ドアポストに入れてくださいと言われても集合ポストに入れるようで、又、戸建住宅にポスティングをする場合にはコンビニのゴミ箱などに入れるようでした。ポスティングなんて中学生でもできる仕事だろうが・・と思うのですが、できない人にはできないのです。私は住宅建築業の業界で営業の仕事を長くやってきましたから、「1歩でも多くあるき、1メートルでも多くクルマで走る」ことにより、その地域を理解して、「1軒でも多く訪問して契約に結びつけて」という姿勢でやってきましたから、そのように「体が動く」し、又、建築業の会社に勤めてきた者として「建築現場に行ったらポケットに手をつっこんで見物する」と「エライ人」みたいに見えていい・・とか思うやつもいるようですが、私はそういうやつというのは建築屋としてはけしからんやつであり、建築屋としては職人でないからには職人と同じだけ役に立たないのはしかたがないとしても、建築現場で他の従業員がひいひい言って重いものを運んでいるのにおのれは指1本も動かさずに見物しているようなやつ、「バカでも入れる私大の建築学科」卒の「設計」のやつとか、「バカでも入れる美大の建築学科」卒のバカ女症候群とか、そういうやからとは違うという矜持を持っています。元阪急ブレーブス投手の山田久志が『プロ野球 勝負強さの育て方』(PHP文庫)で、若造のくせして、内野ゴロを打った時にだめだと思ったら一塁まで全力疾走しないで途中でベンチに引き返して来るやつというのがいるが、それが「かっこいい」のではない、その逆が近鉄バファローズに入団した元大リーガーのオグリビーで、オグリビーは元大リーガーで来日した時はプロ野球選手としては高齢の方の年齢になっていたが常に全力疾走・全力プレーの選手で「全力疾走・全力プレーこそ一流の証」という選手だった。それを見て「オグリビーはかっこいい」と思ったと山田は書いていた。建築現場に行って若造のくせしてポケットに手をつっこんで見物するやつ・・というのは、それは若造のくせして、内野ゴロを打った時に一塁まで全力疾走しないで引き返してくる選手みたいなものであり、職種が何であれ、自分もお客さんではなく従業員ならば何なりとできることをやるという姿勢を自然ととれるということこそ「一流の証し」でしょう。
  それで、大工とか造園とかそういった体を動かす必要がある仕事をずっとやってきた人は、ある程度以上の年齢になっても、体を動かす作業ができるようですが、そういった仕事をやってきていない人間が歳をいってからやろうと思っても体が動きません。「建築現場の労務者」なんて誰でもできるだろうとか思っている人がいますが、そうではありません。若い頃から体を動かす仕事をやってきていない人は動こうと思っても体が動きませんから

  それで、この(2)の方の意味での「体が動く」かどうかというのは、これは、自治会で溝掃除をしましょうというような場合には動く人もあれば動かない人もあっていいと思います。動かないものはしかたがないじゃないですか。
  しかし、(1)の方の意味で「体が動かない」おじいさんがいるのです。「口だけの人間」というのが。
  実際問題として、今となっては十何年か前に「クリーン船橋の日」の自治会の「溝掃除」に出て、「引退世代のおじいさん」だけ出席させている家のおじいさんから私は言われたのです。「若い人にやってもらおう、若い人に」「ちょっと、そこやって、そこ。そこだよ、そこお~お!」と。 私はそのおじいさんから雇われているのではないし、そのおじいさんの息子、私より少し若いか少し歳いっているかくらいの息子からカネ貰って雇われているのでもないのです。なんで、報酬もらって出ているのでもないのに、そのおじいさんにそういう口をきかれなければならないのですか? 
  ・・それで、「クリーン船橋の日」の溝掃除には出るのはやめました。出てはいけません。あんなものに出席するのは反社会的です。違いますか。

  「クリーン船橋の日」の溝掃除については、自治会の総会の時、こういうことを言われる方もあったのです。
  我が家の前などは「普通のU字溝」が入っていたのです。その後、U字溝の上に「市」でその上を普通乗用車くらいなら乗っても大丈夫なくらいの厚いコンクリートの蓋を載せて、ところどころに金属製の網を入れて雨水を吸収させるようにしました。厚いコンクリートの蓋が載せられたことで、その上に意図的に乗って走ろうとする乗用車は出ないとしても、U字溝ぎりぎりに走っても大丈夫なので、歩行者や自転車の横を自動車で通過する際に安全に通れるようになりましたが、蓋ははずせません。だから、「溝掃除」はやりようがなくなったのです。おかげで「クリーン船橋の日」として「交流」「親睦」を強制される危険が小さくなりました。
  しかし、我が家の前のようにコンクリートの厚い蓋を「市」で入れた所ばかりではなく、U字溝のままの所もあります。
  2000年代、まだ、我が家の前も厚いコンクリートの蓋が設置されていない時のことでした。自治会の総会でこういうことを言われる方があったのです。「うちの前の溝、深くて掃除するのが大変なんだ。あれを掃除してほしいんだ」と・・・。 はあ?・・・。はあ?
  それは言う相手を間違えておられるのではありませんか?
  「普通のU字溝」ではなく、相当深い溝が家の前に設置されているお宅があって、相当深いために掃除しようとしても大変らしい・・ということはわかりましたが、そうであってもなくても、なんで自分の家の前の溝の掃除をよその家の人間にしてもらおうと考えるのですか? 長期の旅行とか出張とかに行っている人の家の前をごく親しい人が親切で掃除してあげるということなら悪くはないと思います。しかし、そうでもないのに、なんで、自分の家の前の溝の掃除をよその家の人間にやってもらおうと要求するのですか? それが「クリーン船橋の日」だと、おじいさんは思っておられるようでした・・が、なんか、勝手な「クリーン船橋の日」だと思いませんか?
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  たとえば、↑ 図のA地とB地を見てください。面積は同じくらいですが、A地は角地(かどち)で2面道路、B地は1面道路です。方位はこの場合、特に関係ないのですが、具体的な話の方がわかりやすいかもしれませんのでA地は南・西に道路があり、B地は西道路の土地だといたしましょう。 同じくらいの面積で同じ地域で建蔽率・容積率は同じですから最大で建てることができる面積も同じくらいですが、B地は接している道路が1面であるのに対して、A地は2面が道路に接していますので、↑ の図のように、それぞれ、別の道から入口を設けての「二世帯住宅」にして住むという居住のしかたができるのに対して、1面道路の場合は2面道路の場合に比べてそれはやりにくい。 そういったこともあって、角地の2面道路の土地は同じくらいの面積の土地とでは、他の条件が同じならばいくらか土地の評価は高いのが普通です。
  角地ではない2面道路の土地というのは、かえって住みにくい場合もありますが、自宅で商売をやっているようなお宅の場合なら、片側の道路に面して商店としての入口を設けて、他方の面からプライベートな出入口を設けるということもできます。一般的には、同じ面積であれば、他の条件が同じならば、角地⇒角地でない2面道路⇒1面道路 という順番の評価になり、2面道路の土地は1面道路の土地に比べて土地の評価は高いことになります。しかし、自分の家の前の道の掃除をしようとした場合には接している道の長さも長いので、それだけ多く、掃除をしないといけないことになります。「道の掃除」に限らず「溝の掃除」の場合もそうです。しかし、だからといって、「うちは接している道が長いから掃除するのが大変なんだ。うちの前の道を掃除してもらいたいんだ」とよその家の人間に要求しますか?
  ↑ の図で、甲地は乙地・丙地に比べて明らかに面積が広い。 面積が広いだけではなく、乙地・丙地が1面道路であるのに対して甲地は2面道路の角地(かどち)ですから、甲地の方が乙地や丙地に比べて接している道の長さも長く、家の前の溝の長さも長い。乙地・丙地の住人に比べて甲地の住人は広い土地に家を建てて住んでいるのですから、広い家に快適に住めるか、広い庭や車庫を持つことができるのに対して、乙地・丙地の住人は甲地の住人に比べて狭い家・狭い庭・車庫しか持てず、甲地ほど快適な生活はできませんが、甲地は広い土地があって角地であるだけに、乙地・丙地よりも接している道も長いだけに家の前の道の掃除をしようという場合にも掃除する場所が広くなります。「家の前の道」ではなく「家の前の溝」を掃除しようとする場合もまた、乙地・丙地の住人よりも広い範囲の掃除をしなければならないことになります。しかし、だからといって、甲地の住人は丙地や乙地の住人に「うち、接している道が長いものだから家の前の道や溝の掃除をするのが大変なんだ。やってちょうだい」なんて要求しますか? ・・ところが、自治会では「クリーン船橋の日にうちの前の溝の掃除をやってもらいたいんだ」と要求される方があるのです。最近、「少子高齢化対策」などと言いまして「子供」を大義名分にかかげれば何でもまかり通るみたいに思っている「子供」帝国主義みたいな人が時々いるのですが、この場合、なんか「じいさん帝国主義」て感じがしてきます。言うこときかないと原爆おとされそうで、怖い
  「クリーン船橋の日」て、なんか変だと思いませんか?
  それで、これも船橋市のクリーン推進課に私はききに行ったのです。そうすると、市役所のクリーン推進課では、「クリーン船橋の日」と「ゴミゼロの日」という「日」を、それぞれ、年に1回、計2回もうけているけれども、それは、あくまでも、街をきれいにしましょうという啓発のためのものであって、市役所として溝掃除をやってくださいとかいったことは言っていない、ということでした。
  それで、自分の家の前の溝が「普通のU字溝」ではなく「相当深い溝」で掃除しにくいというような場合ですが、「自分の家の前の道」にしても「自分の家の前の溝」にしても、道はその道の前の家の人の所有地ではなく、船橋市道の場合は「市」のものですから、たとえ、「市」のものであっても、普通に掃除できるものは掃除していいとは思いますが、特に「相当深い溝」であって一般の人間には掃除しにくいというような場合には、市役所の「道路維持課」という部署に言ってもらえば対処するという話でした。ですから、「クリーン船橋の日にうちの前の溝の掃除をやってもらいたいんだ」と要求される方というのは、要求する相手を間違えているのです。

  自分の家の前の溝をよその家の人間に「あれを掃除してもらいたいと思ってるんだ」と要求する人というのは、私などにはその思考が理解できないのですが、要求される方があるようなのです。そういうことがあると、「なんか、この近所の人とはあまりつきあわない方がいいかな」とか思うようになったりするのです・・が、ところが、そういう経験をして「うんざり」すると、「親睦」とか「交流」とか「ふれあい」とかの行事を自治会として開催してもらって「うんざり」した人間に「親睦」「交流」「ふれあい」を強制しようとする方が少なからずおられるようなのえす
  そういう「親睦」「交流」「ふれあい」を要求する方というのは多くが年配者・「引退世代」の人ですが、仕事日に勤め先で相当「親睦」も「交流」も「ふれあい」もさせられてきて、週休日くらいは休ませてもらいたいと思っている「現役世代」の人間にとっては、「かんべんしてくれ」という気持になるのです。 ところが、逆に何かにつけて「親睦」「交流」「ふれあい」を増やそうとする方がおられる。「親睦」「交流」「ふれあい」を強制しようとする人は、それが「みんなの為」だと信じておられる。そういう年配者に「そうじゃないと思いますよ」と言っても理解してもらえないし、なんで、そういう人というのは自分の息子・娘や嫁と「親睦」「交流」「ふれあい」をしようとしないで、よその家の「現役世代」の人間と「親睦」「交流」「ふれあい」やりたがるのか、疑問に思います。又、そういう方の息子・娘・嫁というのは、なぜ、自分の親の相手を自分がしないでよその自分と同世代の人間に相手してもらおうとするのでしょうか。

  東京圏でも年に1回か2回、雪が積もることがあります。 私は山梨県に1年3か月ほど住んだことがありますが、かつての「国」の境目というのはうまくできている、今の「県」の境目よりもかつての「国」の境目の方が合理的なのではないかと思えます。東京都でも八王子あたりは東京都23区の都心に比べると冬は寒いようですが、しかし、八王子あたりでは朝に雪が降ったら夕方になると溶けていることが多いのですが、ところが、武蔵の「国」から甲斐の「国」に入ると、朝に雪が降ると夕方になったら凍っているのです。それだけではなく、山梨県で雪が凍ったものは、東京や大阪での雪とは違って、いったん、凍ったが最後、春まで溶けない。(株)一条工務店の工場部門の(株)日本産業の工場が山梨県上野原市にあったのですが、同工場の従業員はそれを「永久凍土」なんて言っていました・・が、東京や大阪の人間からすると、山梨県の雪というのは「凍ると春まで溶けない永久凍土」であり、東京や大阪の雪が凍ったとしても、お湯をかけると溶けたり、ハンマーで叩くと割れたりするのに対して、山梨県で雪が凍ったものというのは、お湯なんてかけるとかけたお湯が凍るし、ハンマーで叩いても割れない。山梨県のホームセンターに行くと、塩化カルシウム というのが売っていて、それを雪にかけると溶ける。 山梨県で1年3か月暮らしたおかげで、塩化カルシウムなんてものが融雪剤としてあるのを知りました。
塩化カルシウム(粒状) 25kg トクヤマ 【融雪・凍結防止剤】
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  しかし、それは山梨県などでのことで、東京都・千葉県では年に1度くらいは雪が積もることもあっても、塩化カルシウムまでまかないといけないという事態になることは少ない。だから、我が家にも塩化カルシウムの常備なんてありませんし、千葉県のホームセンターには塩化カルシウムは置いていない店の方が多い。
  千葉県でも年に1回か2回、多い年は3回くらい雪が積もることがあるが、それでも、溶けるのが早いか遅いかの問題はあっても「いったん凍ったが最後、春まで溶けない””永久凍土””」なんてことはない。だから、塩化カルシウム を用意するところまでは考えずにいる。しかし、クルマを使用して仕事に行く者は、雪が降った翌日でも車庫からクルマが出れるように車庫の前くらいは除雪しておかないといけない。
  それで、私も、なんだか体じゅう、悪いところだらけになってきて、若くもなくなってきたので除雪の作業はつらいのだけれども、しかたなしに、雪が凍る前に車庫の前から動かしておこうとするのです・・・が、道路の中央付近に移動させれば昼になると太陽に照らされて溶けますから中央部に移動させて、隣のアパートは角地で我が家に近い面には出入口はないので隣のアパートの前に寄せさせてもらって・・と思って作業をしていると・・・、出てこられるのです、おじいさんが( 一一)
  そして、「うちに、いいスコップがあるから貸してあげるよ」と言って中に入って、大きな除雪用・・といっても硬い雪を掘り起こすことができるものではなく、積もったばかりのものを運ぶためのものを持ってきて、「これ、貸してあげるから、そこの雪をよけてちょうだい。ここは子供たちが通る所だから、子供たちが転ばないようにしてちょうだい」と要求されるのです。そして、我が家の車庫の前の雪を太陽の光に照らされる道の中央部に移そうとすると「だめだあ! そんな所に移しちゃあ! そこは子供たちが通るところだ。そんな所に移したら子供たちが転ぶじゃないかあ! そっちにやってちょうだい」と言って、元々、道の中央部にあった雪を我が家の車庫の入口前とか我が家の玄関前とかに移動させろと要求されるのです。隣のアパートは我が家の側には出入口はありませんから隣のアパートの塀の前に移させてもらおうとすると、「だめだ、そんな所に移動させちゃ。よその家の前に移すんじゃない」と怒られるのです。「さあ、これを貸してあげる。これで道の雪を動かしてちょうだい。子供たちのために」とおっしゃるのです。
  いったい、どこの「子供たちのために」除雪しろとおっしゃるのでしょう? もしも、「子供たちのために」ということならば、その「子供たち」の親が我が家の前まで来て、自分の「子供たち」のために除雪作業をするべきですね。違いますか? 子供がない者によその「子供たち」のために「スコップを貸してあげるから、さあ、そこの雪をよけてちょうだい。そこお!」とか、おっしゃるのですが、「いったい、どこの『子供たち』のためになのですか? どこの『子供たち』のためになのか、教えていただけませんか? 私、そこの家に行って、そこの親にここまで除雪に来るように言いますよ」と言おうかと思ったのですが、「体は元気な年寄」に言っても、どうせ話は通じません。そのおじいさんには私より年上なのか年下なのか、おそらく、見た目は私より少し年上に見えるが実際は私より少し若いくらいではにかと思うのですが、息子も嫁もいて同居しているのですから、「子供たちのために、雪かきしてちょうだい」とか要求するのならば、私に言うのではなく、自分の息子や嫁に言うべきではないのでしょうか。なんで、自分の息子や嫁に言わないで、ひとの息子に要求するのですか?
  ・・それで、そのおじいさんが言われる「子供たちのために」という「子供たち」というのは、いったい、どこの「子供たち」か、わかりました。そのおじいさんに孫があったのです。その同居している孫のために、その孫が道で転ばないように「これを貸してあげるから、これで雪かきしてちょうだい」と要求してくるのです。なんで、自分の息子や嫁に言わないで、その「子供たち」の親に言わないで、私に「やってちょうだい。子供たちのために」などと言ってこられるのでしょうか。ええかげんにせえよお ・・と思うのですが、しかし、「現役世代」の人間は「引退世代」の「体は元気な年寄」と喧嘩するわけにはいきません。もしも、挑発に乗って言い合いなんかしたら、相手の思うツボです。なにしろ、「引退世代」の「体は元気な年寄」というのは働かなくていいですし、近所の「現役世代」の人間に相手になってもらおうと思って前の道を行ったりきたり行ったりきたりして、相手になってもらおうとしておられるのですが、こちらはそうはいきません。だから、できる限り相手にならないように、つかまらないように、逃げ回っているのですが、雪が積もって我が家の車庫の前だけでも除雪しておかないと凍ったら出れなくなってしまうと大急ぎで表にでると、「出てきたっ♪」と思って大喜びで道に出てこられるのです。そこの息子は、自分の親に「そういうのはやめた方がいいよ」と言うべきですし、言わないのであれば近所迷惑であり、そういう家庭というのは””反社会的勢力””ではないのか、ということになります。そう思いませんか? 「クリーン船橋の日」でもないのに「クリーン船橋の日」やるのはやめてもらいたいもんだ、と思いました。
  自分の孫が雪道で転ばないように除雪したいと思うのならば、自分が除雪するか、その孫と一緒に除雪するか、そうでなければ自分の息子や嫁に「雪かきやってちょうだい」と言うべきであり、自分の息子や嫁に言わずによその家の人間に「これ、貸してあげるから、これで雪かきしてちょうだい」などと言って出てくる・・というのは、それはもう「医学的な問題」ではないのか・・という気がする。そのために、あらかじめ大きな除雪用のプラスチックのスコップ(雪を掘り起こそうとしたならばおそらく割れるであろう)を買って用意していて、「貸してあげる」と言って出てくる。明らかに思考がおかしい。「貸して」要りませんよ、そんなもの( 一一) そういうことを自分の親が近所の人間に言って迷惑かけているのに、それを平気でいる息子というのは、息子はまだ一般的には認知症になるような年齢ではないはずだが、息子の方が認知症であるのかないのかわからないが、あってもなくても息子も思考がおかしい。
  そういうのに、もう閉口して逃げ回っているのです。ところが、自治会で「ふれあい会」とかいう行事までされるのです。「ふれあい会」は年に1回ですが、それに「クリーン船橋の日」も「『ふれあい』『交流』があった方がいい」と主張される方があって開催されます。
  「子供たちのために」と思って、自分が除雪作業をなさるのなら、かまわないと思いますが、「(自分の孫である)子供たちのために」よその家の人間に「やってちょうだい」と要求するというのは、それは、実際のところ、頭おかしいのじゃないか・・なんて言っても、もう高齢者の方で、だから、どこも雇用はしないから家におられるのですが、こちらは勤め先でつきあいづらい人がいても、ある程度はしかたがないと思って我慢して勤めますし、自分の親とつきあうのに苦労しても、自分の親なんだからしかたがない・・と思ってもつきあいにくかったりしたのですが、それでも自分の親はしかたがないかもしれませんが、自分の親に「(そのおじいさんの孫の)子供たちのために」「雪かきしてちょうだい」とよその家の者に要求する親を放置して、よその家の人間に自分の子供のために雪かきさせようとしているドバカ息子とその嫁というのは、「おまえら、ええかげんにせんと、そのうち、血い見るどお~おという気持になります。そして、近所の人と「交流」「親睦」「ふれあい」をして悪いとは言わないけれども、そこの家の人とはかかわりたくないなあ・・・という気持になったりもするのです。ところが、自治会が「ふれあい」「交流」「親睦」の行事を次から次へと捻出して、そして、「現役世代」の人間は顔を出さずに、毎回、「体は元気な年寄」だけ参加させて、よその「現役世代」の人間に自分の親の相手をさせようとする卑怯者がいるのです。「ええかげんにせんと、そのうち、殺されるどお~おて感じの「現役世代」の男と女がいるのです。
   思われている側の人は気づいていないようですが、こちらは相当怒ってるんですからね。そこの息子、道で会う時もあるのですが、「いつも、すいません」くらい言ったらどうかと思うのですが、まったく言いません。実際のところ、ウエスタンラリアートでもお見舞いしたろか・・という気持になるくらいです。〔⇒《YouTube―【俺達のスタン・ハンセン】ウエスタンラリアット集計95発》https://www.youtube.com/watch?v=aA3b6eSeLj0 〕
  
   このような経緯で、私は「クリーン船橋の日」には、最初は出たのですが、仕事を持っている「現役世代」の人間が、あるいは一時的に仕事を離れていたとしても、それでもまた仕事を持つ時の為の準備をしている「現役世代」の人間が無理をして時間をさいて、「おつきあい」と思って「クリーン船橋の日」に「溝掃除」に顔を出すと、私などと同年代の「現役世代」の人間は出てこないで、毎回、「体は元気な年寄」だけ出席させる家があって、「体は元気な年寄」は「体は元気」なのだから、溝掃除でもやればよさそうなものなのですが、そういうおじいさんというのは、そうではなくて、「そこ、やってちょうだい。そこお~お!」と自分がやるのではなく命令されるのです。なんで、私はよその家のおじいさんにそういう口をきかれなければならないのですか? カネ払って仕事をしてもらっている業者でもそういう口をきくと怒りますよ。そこの息子、私と道で会うこともあるのですが、「いつも、申し訳ありません」くらい言ったらどうかと思うのですが、絶対に言いません
  若い頃は何をやっていた人なんだろうなあ・・と思うのですが、大工とか造園とかいったような体を動かすような仕事をしていた人ならば、歳をいっても体が動くでしょうし、自分でやらずに「そこ、やってちょうだい。そこお~お!」とよその家の人間に命令したりはされないと思うのです。大工とか造園とかの仕事をしてきた人ならば、そういう態度であれば、「おまえ、何やってんだ」と「どやされる」と思います。

  自分の家の前の道や溝の掃除くらいやっていいでしょうけれども、これは市役所の方も言われたのですが、実際問題として、そんなに無茶苦茶汚れているわけでもないのです。竹箒もって道を行ったり来たりしているお年寄りがありますが、あれは、「現役世代」の人間がでてきたら捕まえてやろうと思って、それで道に立っておられるのですからね。道も溝もそんなに無茶苦茶汚れているわけではないので、自分の家の前が汚れていると気づくことがあったなら、その時に掃除すればいいことなのです。それを「クリーン船橋の日」の行事だと言って特定の日に近所の人間が出てきていっせいに掃除させられるということになると、自分の家の前は特に汚れているわけでもない家の者がよその家の前の掃除をさせられることになるのですが、よその家の前を掃除させられる者と自分の家の前をよその家の者に掃除させる者が出るというのは変でしょ。だから、いっせいに同じ日に掃除なんて、むしろ、しない方が合理的でいいのです。ところが、「掃除するだけが目的ではなく、それで交流を持つことが大事なんだから」とか言われる方もあるのですが、「交流」を持ちたい人もあれば持ちたくない人もあるのですが、それを理解してくれない人というのがあるのです。自分の家は「現役世代」の人間は絶対に出ないで常に「引退世代」のおじいさんだけを出席させて、よその家の「現役世代」の人間に自分の家の年寄の相手させる家の年寄と「交流」なんか持ちたくないのです。こう言うと怒る人が出てくると思いますが、怒る方が間違っていると思いますよ。

  そういえば、うちの父親も、私に「人間というものは、人に命令するのが向いている人間と、人から命令されて、せっせせっせと働くのが向いている人間と2種類の人間に分かれてるねん。真ん中はないねん。わしい~い なんかは、自分ではやらずに人に命令するのが得意で、自分ではやらずに人に命令するのがふさわしい民族で階級やねん。即ち、ドイツ人やねん。あんたは、その逆で、あんたは人から命令されて、せっせせっせとやるのが向いている民族で階級やねん。即ち、あんたはチャンコロやねん。わかっとんのか、チャンコロ。あんたは命令されることが何よりもうれしいねん。あんたは命令されることが三度の飯よりも好きというそういう人間やねん。そやからやなあ、わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらい人間が、あんたあみたいな人間に命令してやってあげようと言うておるわけや。喜べチャンコロ、喜べチャンコロ、喜べ喜べ喜べチャンコロ♪」と毎日、毎日、私の眼を指で突き刺すように指さしながら叫んでいました。
  「わかっとんのか、チャンコロ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! わしはドイツ人の民族で慶應の階級の人間。おまえはチャンコロの民族で浪商の階級の人間。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるなあ! わしは慶應やねんぞお、わしはあ、一緒にすんなよ、浪商なみしょう浪商ナミショウ♪ 一緒にすんなよ、チャンコロちゃんころチャンコロちゃんころ♪」と、その「ドイツ人で慶應のお父さん」は毎日毎日、私の眼を指でつきさすようにして「号令かけたってんねん」というのをされていました。うちの父親が他界してから、ふと気づくと30年以上経ちましたが今でもその文句が耳元でわんわんうなっています。・・ですから、私は「ドイツ人」と「慶應」が嫌いなのです。大嫌いなのです。・・で、慶應という学校は不思議なところのある学校で、大学だけ慶應に行った人には、必ずしも「慶應」的でない人もおられるのですが、片方で小学校も中学校も高校も大学も慶應に行っていないにもかかわらず、「慶應タイプ」の人というのがおられる学校で、うちの父親なんかも小学校も中学校も高校も大学も慶應には行ってない人ですが、それでも「ほんまは慶應」だそうでした。慶應という学校は、どうも、そういう「ほんまは慶應」という人がけっこういる学校みたいです。それで、私は「ほんまは浪商」だそうでした。
  毎日、毎日、「民族の違いを忘れるな」「階級の違いを忘れるな」と言われ続けて、そして、「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思うようになりました。「『天の神様』は、人間を2つに分けてお造りになっておるのであって、これを変えようとするようなものを『天の神様』は決してお許しにはならぬぞ、チャンコロ」と毎日毎日、言われ続けてきて、そして、「造反有理(造反には理由がある)」「革命無罪(革命は無罪である)」と思うようになりました。
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
  うちの父親というのは、毎日、私の眼を指でつきさすようにして、「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしに、わしに、わしにわしに。わ、し、にいい~い! 犠牲にする、犠牲にする、すべてをすべてをわしのために犠牲にする。犠牲の精神、犠牲の精神、わしのために犠牲になる。とってちってたあ~あ♪ どんがん、どんがらがった、ちゃちゃちゃちゃちゃああ~あん♪〔⇒《YouTube-<軍歌>軍艦行進曲(軍艦マーチ)》https://www.youtube.com/watch?v=mTwUiUCO7l0 〕」とか叫んでいて、もう、いいかげん、耳にタコできた🐙 ・・しかし、いい父親でもそうでない父親でも、その人が自分の親であったなら、しかたがない・・・と思えるような軽症ではなかったので、ほんま、難儀したのですが、「おまえは服従するのが好ましい民族であ~る! おまえはチャンコロであ~る! わしはドイツ人であ~る!」と毎日毎日、言われ続けてきても、ほんと、ほとほと疲れ果てましたが、それでも、その人が自分の親であればしかたがないところがありました。よそのお父さんを見て、いいお父さんだなあと思う人もいたのですが、たとえ、「いいお父さんだなあ」と思う人がいても、よその親はよその親であり、自分の親ではないのだから、しかたがない。
  「『天の神様』は、人間をわしのような『命令するための民族・階級』と、あんたのような『命令されて服従するのがふさわしい民族・階級』とに2つに分けておつくりになっておるのであ~る。世の中にはこの2つの人間がおらんとあかんねん。どっちか片方ではあかんねん」と毎日、言っていたのですが、しかし、「自分ではやらずに人に命令するのがふさわしい民族で階級」の人にとっては「命令されてせっせせっせと働く民族で階級」が必要かもしれませんが、「自分ではやらずに人に命令するのがふさわしい民族で階級」から「おまえは、命令されてせっせせっせと働く民族で階級であ~る!」と決められる側の人間からすると、「自分ではやらずに人に命令するのがふさわしい民族で階級」の人なんて、別にいなくてもいいんですけれどもね。そう思いませんか? 
  それでも、その人が自分の父親であるならば、なんだかんだ言っても、そのおっさんの給料で食べさせてもらって成人したことでもあるし、自分の親ならばしかたがない・・と、なかなか思えないけれども、それでも、「しかたがない」のでしょう・・・が、よその親までめんどう見させられるというのは、勘弁してほしいのです。「高齢世代」「引退世代」の人だけで住んでいる方が「高齢世代」「引退世代」の方が出てこられるのはいいと思います。普段は「現役世代」の人が出席するけれども、「現役世代」の人が出席できない時に、かわりに「高齢世代」「引退世代」のお年寄りに参加させるという人もいいと思います。しかし、「現役世代」の人間と「高齢世代」「引退世代」の人と両方が同居している家で、毎度毎度、「現役世代」の人間は出席しないで「高齢世代」「引退世代」のおじいさんだけ出席させる家というのは、それは卑怯ですし、自分の父親だけでも、もういいかげんまいった・・のに、よその親まで相手させられるのは、もう勘弁してほしいのです。それに、自分の父親というのは、なんだかんだ言っても、そのおっさんの給料で食べさせてもらって成人したのですが、「高齢世代」「引退世代」だけ出席させて「現役世代」の人間は出てこない家の年寄に食べさせてもらって成人したのではありませんからね。
  自分の親の相手は自分でするべきだと思うのです。自治会に高齢の親だけ行かせて、よその自分と同年代の人間に相手させようとするという態度はやめるべきです。人間として潔い態度とは言えません。もしも、自分が逆されたらどう思うか、一度、考えてみるべきです。

  私と同年代くらいの人が出てこなくて、その親だけ参加させて、よその「現役世代」の人間に自分の親の相手をさせてやろうとしている家があり、そういう息子の親の相手をさせられるための「クリーン船橋の日」なんて、絶対に参加してはいけないと思い、一度は参加しましたが、その後、参加しないことにしました。その時の班長さんに、「クリーン船橋の日というのは、市役所としては溝掃除してくださいとは言ってないらしいですし、別にやる必要ないのと違いますか。近所でもあまり関わりたくない人だってありますし」と話してみたところ、「それなら、出席されなきゃいいですよ」と言ってもらったこともあり、出ないことにしたのです。ところが・・・。
  ところが、私より少し年上か少し年下か、少し年下ではないのかと思われる「現役世代」の人間の父親であるおじいさんだけを毎度、出席させる家のおじいさんは、自分の息子に「出ろ」とは言わないらしいのですが、私が、こういうものには出るべきではないと判断して出ないでいると、わざわざ、うちまで来てインタホンを押して出てこさせようとするのです。そこまで、するかあ~あ( 一一)
  それで、インタホンのソケットを抜いて鳴らないようにすると、今度は、門扉を勝手に開けて我が家の敷地内に侵入して、玄関扉をガチャガチャやって、「あれ、開いてないなあ」とやるのです。今までに、入っていいとこちらが言っていない場所まで入り込もうとした者というのは、「読売新聞の拡張員」と「リフォームのナカヤマ」とそのおじいさんの3者ですが、だから、私は読売新聞は定期購読しないし、「リフォームのナカヤマ」には頼まない(それだけが理由ではないが)のですが〔だからかどうかわからないが、一時は勢いがあった「リフォームのナカヤマ」はつぶれたようで、ヤマダ電機に買収されて、同様にヤマダ電機に買収されたエスバイエル(株)とともに(株)ヤマダホームズになったようです〕、玄関扉をガチャガチャやってこじ開けようとしたのは「読売新聞の拡張員」とそのおじいさんだけです。
  実際のところ、それは不法侵入罪に該当する犯罪です。「近所の人のことだから」とか「年寄と喧嘩してもしかたがない」とか思って我慢してきましたが、限界を越えました。息子と顔を合わすこともあるのですが、自分の父親がそういうことをやっているということは、息子はわかっているはずですから、「どうも、申し訳ありません」くらいは言うべきですが、言いません。息子も社会常識が欠けているのではないか。
  次、やったら警察に通報します。次、やったら写真を撮影して証拠を確保した上で警察に通報します。限界超えました。「近所の人だから」とか「年寄のことだから」というので我慢できる限界を越えました。


  自治会の役員というのも、「やってあげているんだ」と公言するおじいさんがおられるのです・・が、それも適切とは言えません。今となっては十年以上前になりますが、自治会の総会の時に、毎度毎度、どうでもいいような回覧板が大量にまわってきて、それを受け取って、次の家に持って行くだけでも大変なのに、自治会長・班長について「やりたい人はありませんか」といった通知がないというのは、どうしてかと言ったことがあったのですが、そうすると、「あんたがやらないだろうから、私がやってあげようと言ってるんだ」とふんぞりかえっておっしゃったおじいさんがおられたのです。なんか、この自治会はそのタイプのおじいさんの集合体か?
  それで、もう、あほくさくなったのです。口のきき方からして、私はその人とその人の息子の中間くらいの年齢かと思うのですが、私は実際の年齢よりも若く見えたようで、それで、自分の息子と同じように思って、そういう口のきき方をされたのでしょうけれども、たとえ、自分よりも若い人間でも、自分の息子と同年代でも、自分の息子よりも若い年齢の人間にでも、よその家の人間に対して、そういう口のきき方というものはないのではないか、と思われる口のきき方をされる年配者が多いのです・・・が、そういう口のきき方をする人の相手をさせられるために、自治会の総会になんか出ることないのではないか・・と思い、それで、退会はせず、会費は払って会員は続けましたが、あほくさいから総会に出るのもやめました。
  自分の息子になら、少々、えらそうな口をきいてもいいかもしれないけれども、近所の住人というのは(実際は息子より年上のはずだが)息子より若く見えても、それでも、息子じゃないんだからね・・・と言っても、わかりそうにない人だらけの会に行ってもしかたがない、と思うようになったのです。

  それで、順番にやっていきましょうというのも、ひとつの方法でしょうけれども、
(1) そのおじいさんは、「あんたがやらないだろうから」と、わざわざ、そういう口をきかれたのですが、まず第一に、私はそのおじいさんに「あんた」言われる筋合いないよ!
(2) 何よりも、(今はその時と事情が違うので、やりたくないのですが)、その時は、私は、やってもいいと思っていたのです。やってもいいと思っていた人間に対して、「あんたはやらないだろうから、だから、私がやってあげようと言ってるんだ」と恩着せがましい物言いをされたのですが、その時点では、やってもいいと思っていた人間に対して、その口のきき方というのは傲慢ではありませんか。
(3) 自治会の役員なんてやりたい人なんてないだろうと思い込んでいる人がいて、そして、「私がやってあげようと言ってるんだ」と、そういう口をきく「体は元気な年寄」がおられるのですが、「現役世代」の人間でも「やってもいい」と思っている人はいるのではないかと思うのです。但し、《「体は元気な年寄」のお世話係》《自分の親をほったらかしにして、よその親の世話させられる役》をさせられるのではなく、《「現役世代」の人間同士の集まりの幹事》であれば、です。
  「現役世代」の人間で自治会の役員をやりたい人なんてない・・と決めつけている人がいるのですが、そうでもないと私は思っていたのです。たとえば、何十年か前に私が行っていた公立の小学校・中学校のPTA会長は、地元の不動産会社の社長でした。入学式・卒業式とか運動会とかには、「PTA会長挨拶」というのがあって、「きおつけえ!」とか言われて、なんかようわからん話をぐじゃぐじゃと長々と聞かされたものでした。「きおつけえ!」とか言われて「きおつけ」させられて、長々と話を聞かされるので、よっぽど「エライ人」かと思っていたのですが、卒業して何年か経ってみると・・・、なんや、「不動産屋のおっさん」やんけ! 
  それで、私は「建築の住宅」の会社に長く勤めてきた者で「不動産の住宅」にはそれほど長く勤務はしていませんが、「不動産の住宅」に長く勤めてきた人が転職で「建築の住宅」の会社に来ることもあり、仕事の上で「不動産の住宅」の人と関わることもあったのですが、一般に「不動産屋」というのは、「ずるい・怖い・あつかましい」みたいに思われているところがあるのです。しかし、それなら「ずるい・怖い・あつかましい」人が不動産業で成果を出すのかというと、そうと決まっているわけでもなく、私の知っている人でも、全然そうではない人がおり、それを話してみたところ、「そうでしょう。不動産屋というと、みんな、『するい、こわい、あつかましい』とか思ってるでしょう。そこに、全然そうじゃないという人間が顔を出すから、だから、『この人は不動産屋なのに、不動産屋みたいじゃない』となって話が進むんですよ」と言われたことがありました。不動産屋というのは実際のところ「ずるい・怖い・あつかましい」みたいなイメージが今もあるのですが、だからこそ、「PTA会長」といったものになると、「PTA会長やっていた人」ということで信頼性が上がるのです。だから、その人は、そういうこともあってPTA会長を引き受けていたのだと思います。
  「銚子電鉄はぬれ煎餅で電鉄の赤字を補っている」というのが有名ですが、和歌山県御坊市の紀州鉄道は、鉄道は赤字だけれども、他方でリゾート事業をやっている会社で、それも会社名が「☆☆鉄道」という名前だと、電鉄会社というのは公共事業であり、信頼性が高く、しょーもない宣伝するよりも、宣伝広告費だと思って小規模な鉄道会社を買収して適当に走らせながら、別の事業やった方が割がいいみたいなところもあるのかもしれません。もともと、御坊臨海鉄道といっていた赤字で経営に苦しんでいた鉄道を買収して「紀州鉄道」として、リゾート事業の片方で赤字の鉄道会社の経営を引き受けたというものらしいが、PTA会長引き受けて労力をはらうかわりに、「PTA会長やっている人だ」という評価を「不動産屋のおっさん」が得た・・みたいな感じでしょうか。
  これも今となっては十数年前のことになりますが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職支援セミナー」というものに出た時に講師の人が話されたものですが、ある男性が「私は人の奥さんと仲良しになるのが得意なんです」と言われたことがあったというのですが、「人の奥さんと仲良しになるのが得意」て、それはいったい何だ? 人の嫁はん寝取るのが得意なのか?・・というと、そういう意味ではなく、その男性は損害保険の代理店の仕事をしていたらしいのですが、損害保険というのは家屋の火災保険・自動車保険・傷害保険と3種ありますが、「どのみち、入る」ことがあるのですが、頼もうと思っても、スーパーやコンビニで売ってるものではないし、誰に頼もうかとなるのですが、又、もしも頼むのなら、同じことなら「知ってる人」の方が安心できそうと思えるものなのですが、その男性はPTA会長とか自治会長とかそういうものを片っ端から引き受けていって、それでよその奥さんと知り合いになり、私は損害保険の仕事をやってますというこということをそれとなく話し、その結果として、相当の契約を獲得してきたそうなのです。別に人の嫁さんを寝取るのが得意なのではありません。火災保険でも他の保険でも、入っておいた方がいいと思うけれども、どこに頼めばいいだろう・・という時、PTA会長やっている人とか、自治会長やっている人とかで損害保険の代理店やっているという人があれば、「あの人に頼もうか」と頼んでもらえることがあるらしいのです。
  他の仕事でも、弁護士とかだと知り合いでない方がいいということはあるかと思いますが、多少なりとも知っている人の方がいいという仕事はあると思うのです。だから、「現役世代」の人で、自治会長やることにいくらかの手間・労力がかかっても、そこで近所の人と知り合いになることで仕事をもらえることになるかもしれないし、はっきりと仕事をもらえなくても、「自治会長やっていた何何さん」だということで信頼度がアップする可能性がある、少なくとも信頼度が下がることはないでしょう。
  そういう人同士で、自治会長・班長・会計などの人が知り合いになっていくのならば、「現役世代」の人でやろうという人はあるのではないか、と思ったし、私自身も十数年前は、やっていいと思っていたのです。(それなのに、「あんたがやらないから、私がやってあげようと言ってるんだ」などという物言いをされたのでした。)
(4) たとえ、直接、仕事をもらえるとかいうことがなくても、同年代の人間同士であれば、知り合いになってもいいと思ったのです。直接、何か利益が得られるということでなくても、よっぽど変な相手でなければ、「人のつながり」というものはあっていいと思ったのです。「不動産三田会」なんてのに入る人は、そこで不動産取引がまとまる場合も時にはあるようですが、そうでなくても会費を払って参加しています。但し、「よその年寄の世話させられるために出る」のではなく、「お互いさま」になるような相手同士でのものの場合です。
  2010年、千葉市中央区鵜の森町 の 新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕の社長の長谷川(男。当時、40代前半)は「人脈つくるんだよお。じんみゃくう、じんみゃくう!」などと叫んで、それで何をやったかというと、契約客の仕事をいいかげんにして、従業員の給料を遅払い・業者の支払いは「この業者は支払いが遅れても大丈夫な業者ですから」とか言って、相手は「大丈夫」などとは一言も言っていないのに遅払いにして、それで、片方で倫理研究所(=倫理法人会)などという神道系新興宗教団体で右翼系政治団体、いわゆる「宗教右翼」と言われる団体に加入してカネをつぎこみ(倫理研究所(=倫理法人会)が推薦する右翼系議員から郵便がきていたから、カネやってのではないか)、そして、それが直接の原因かどうかはさておき、会社は2013年11月に正式に倒産した。長谷川はあさはかです。長谷川と長谷川の子分で自称「工事責任者」の植草はあまりにもあさはかです。「人脈つくるんだよお、じんみゃくう、じんみゃくう」と言って、「権力者」か「社会的有力者」か何かと「人脈」作りたかったみたいですが、他方で普段のつきあいは信頼を失うような行為を繰り返しており、そういう態度では、むしろ、「人的つながり」を失います。グリム童話で3人の兄弟が「命の水」を取りに行く話というのがありますが、男ばかりの3人兄弟で上の2人は利発・賢明な子だと言われていて、母親だったか父親だったかが病気になった時、魔法使いの家の庭にあるらしい「命の水」を飲ませれば助かると聞いて、上の兄が取りに行こうとしますが、家を出たところで道端にキツネがすわっていて、「私はひもじくて死にそうです。あなたのパンをひとかけらろ葡萄酒を一口、私にいただけませんか」と懇願するのですが、利発な一番上の兄は「なんだ、こんなキツネ。おまえになんか、何もできないよ」と無視して行き、行くにいけず戻るに戻れずという所に行って立往生して戻れなくなってしまいます。次いで、二番目の兄が行きますが、やはり、キツネから頼まれても「なんだ、こんなキツネ。おまえに何ができるもんか」と無視して行ってしまいます。一番下の弟は兄とは違って、愚鈍でのろまで人から馬鹿にされていて、弟が行くと言った時には父親は「賢いお兄さんでもだめだったんだ。おまえになんか、命の水を取ってこれるわけがないじゃないか」と言うのですが、それでも弟が行くと言うと、父親は弟には兄2人とは違って、硬くなってしまったパンと酸っぱくなってしまった葡萄酒を持たせます。道端でキツネから「私はひもじくて死にそうです。あなたのパンをひとかけらと葡萄酒を一口、私に分けていただけませんか」と声をかけられると、愚鈍な弟はかわいそうに思い、「いいよ。一緒に食べよう。でも、ぼくは、もう硬くなってしまったパンと酸っぱくなってしまった葡萄酒しか持ってないんだ」と言うと、キツネは「かまいませんとも。あなたは、お兄さんたちとは違って気持ちの優しい人ですから、だから、教えてあげましょう」と言って、命の水がある場所への行き方と魔女の家での対処のしかたを教えてくれます。片方で、普段の「人的つながり」を粗末にして、他方で右翼団体に行って「人脈つくるんだよお、じんみゃくう、じんみゃくうう!」などと言って、右翼系の「権力者」か「有力者」かと「人脈」作ろうとする男というのは、いわば、グリム童話の「命の水」の話に登場する「なんだ、こんなキツネ。おまえになんか何ができるもんか」と道端にいるキツネに粗末な扱いにして行き止まりの道に行って戻れなくなってしまう愚かな兄2人みたいなものです。 「情けは人のためならず」という言葉は、「人に情けをかけるのはその人の為にならない」という意味ではなく、「人に情けのある態度をとるというのは、人の為ではなく自分自身の為だ」というのが本来の意味らしいのですが、「人的つながり」というものは、即座に利益になりそうな相手とか、社会的権力者とかそういう相手との「じんみゃくう~う」のことを言うのではなく、「普通の人」と普通につきあう姿勢というのが、結果として役立つことがあるのではないかと思うのです。だから、特別、親しくするかどうかはさておき、自治会長とかをやって「じんみゃくうう」ではなく「人的つながり」をそこで持つというのは、特に変な相手でなければ、持っていいと思ったのです。
  但し、相手もまた「現役世代」である場合のことで、「自分の親の世話をほったらかしにして、よその親の世話させられる」というのをやるのはアホです。ですから、「高齢世代」「引退世代」の人で「私がやってあげているんだ」と言われる方というのは、実際に、「現役世代」の人間がやらないから、その人が「やってあげている」という場合もあるかもしれないけれども、そうではなく、その人がやるから「現役世代」の人がやらなくなっている、来なくなる・・という面だってあるはずであり、そのあたりも認識された方がいいのではないか・・と思うのですが、認識されることは永遠にない・・かな・・という感じがしました。それで、だめだな、ここは・・・という気持になったのです。

  十何年か前は私はリフォーム会社に勤めていたのです。だから、もしも、自治会長なり班長なりになったとしても、だからといって「契約、ちょうだい」「契約、ちょうだい」と物乞いみたいに言ったりはしませんが、近所とつきあいがあれば、「ちょっと、相談に乗ってもらいたいんだけど」という話だってあるかもしれませんし、「相談にのった」からと言って弁護士みたいに「相談料」とるわけではありませんし、その上で頼んでもらえてももらえなくても、悪いことはないくらいに思っていたのです。
  2001年、(株)一条工務店で山梨県上野原市の工場に勤務していた時、消防団の人が来て「消防団に入っていない人には、いくらか払っていただけないかとお願いしているんです」と来られたことがあり、その時、「消防団されてもいいですけれども、されますか」と言われたのですが、その時は工場の勤務で、又、会社の仕事以外も忙しくて消防団なんてできませんでしたが、それを聞いた時に、その前、福島県で営業の仕事をしていた時など、消防団に入れてもらえば良かったかな・・なんて思ったりもしました。消防団に入ったからといって、だから、すぐにそこの誰かから契約をもらえるということではないとしても、「住宅建築の営業」の仕事というのは地元の人と知り合いになるのは、そこから何らかの情報を得ることができるということだってあっただろうと思ったのです。但し、消防団については、実際に消防団に入っていた人から聞いた話によると、訓練を1時間やったら飲み会を3時間やるので、酒が好きな人はいいけれども、酒があまり好きではない人間はかなわん・・とか、あるいは、会社の仕事と消防団の行事がかちあうと「おまえは会社の仕事と消防団といったいどっちが大事だと思ってるんだ」と言われて、「会社の仕事です」なんて言ったら怒られる・・・とか聞いたこともあるのですが、「新築の建築の営業」でも「リフォームの建築の営業」でも、自治会長とかの仕事をやって労力を払うかわりに「自治会長さん」ということで近所の人と知り合いになることで、そこから「同じことならあの人に頼もう」と思ってもらえるということもあるかもしれないし、なかったらなかったでいいのではないか・・とも思ったのでした。そう考える人はいるのではないかと思います。
  但し、自営業の人、自分自身が経営者である人は、近所の人から、そういう縁で仕事を頼んでもらった場合には責任をもって契約内容の仕事をこなせば、その後も継続的に仕事をもらえるかもしれないし、紹介もしてもらえるかもしれない・・ということがありますが、自分が経営者ではなく雇われて仕事をしている場合には、そういった縁で契約をもらったという場合に、営業担当者の努力でなんとかなる場合はいいのですが、会社がいいかげんな対応をして、その結果、お客さんに迷惑をかけてしまったという場合、逆にそれが原因で人間関係が悪くなってしまう危険もあります。 自分の勤め先が、多少なりとも知り合いに契約させた時に、契約させた人間の立場というものを考える能力がある経営者の会社かどうか、ということも考える必要があり、そうでない会社に勤めている場合、こんな会社には他人でない人を契約させるわけにはいかない、という会社である場合もあります。 最悪の場合、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)〔千葉市中央区鵜の森町。 2013年11月に正式に倒産〕の経営者みたいに、客からカネを受け取った状態で社長が逃げてしまい、会社を倒産させてしまうというケースも出てきます。そうなると、カネだけ盗られた(決して小さくない金額のカネを)・・ということになってしまいますから、あんまりいい会社に勤めていない場合には、うかつに親戚・友人・知人や近所の人とかに契約してもらうわけにはいきません。えらい目に合います。又、「一部上場」というのも、必ずしもあてになりません。「うちは一部上場ですから」とかギャースカぎゃーすかギャースカ言う人が時々ありますが、「一部上場というわりには、これえ~え?」みたいな会社はいっぱいあり、いくらかなりとも知っている相手に契約させたりすると、えらい目に合わされる・・というケースはあります。〔実際に、経験したことがある者が言っていることですから。〕
  ・・ともかく、こういったことを考えるならば、「現役世代」の人間が自治会長とかになって悪いことはないはずであり、もしも「引退世代」の人が《「引退世代」の会》みたいにしてしまっていなければ「現役世代」の人がもっと来ている可能性があるのに、自治会を「老人会」みたいにしてしまっている「引退世代」のおじいさんの一人が「あんたがやらないだろうから」と勝手に「やらないだろう」と決めつけて、「だから、私がやってあげようと言ってるんだ」と恩着せがましく言うというのは、それはおかしい。

  会社には「収束の原理」というものがあって、似たような人間が残るという傾向があります。自分から辞めていく人がおり、辞めさせられる人がおり、辞めさせられたわけではないとしても、どう考えても扱いが良くないから辞めていったような人がいたとしても、結局、どの辞め方をしたかはたいした問題ではなく、その会社の「収束」する人間集団からはずれた人間だったから、そこから外に出ることになった・・という場合がけっこうあります
  追い出されたとか辞めさせられたとかいう場合でも、その会社の人間集団から考えて上の人間だったから追い出されたというケースだってあると思います。
  自治会の場合は、そこに住んでいる人が会員になるのですから、異なるタイプの人がいても不思議ではないし、良くても悪くても追い出すわけにはいきませんし、追い出されることもないでしょうけれども、「高齢世代」の人の会、老人会になってしまうならば、「現役世代」の人間は行ってもしかたがないことになります。

  「親が自治会に入っていたけれども、親が他界したから自治会を退会したい」と言われる方の気持ちもわかります。自治会が老人会になっているという状況を見て、「高齢世代」「引退世代」の親が老人会に行きたいなら行けばいいけれども、「現役世代」の人間しかいなくなったからには老人会は退会したい・・・というのは、わかります。「現役世代」の人間が顔を出さずに「引退世代」の人だけを毎度出席させて、よその「現役世代」の人間に自分の親の相手をさせようとしている家があるからには、そんな家の親の相手をさせられるために「現役世代」の人間がなぜ出なきゃならないんだ・・というのは、わかります・・が、しかし、片方で、自分の所の年寄は参加させてよその家の「現役世代」の人間に世話させておいて、逆の立場になったら出ないというのは、ずっこいのと違うのか? ・・という見方もあります。
  「現役世代」の人間が自分の親を施設に入れて、片方で自治会という名前の「老人会」に行ってよその家の年寄の相手をするというのはおかしい。だから、私も辞めようかと思ったりもしたのですが、しかし、そうは言っても、「老人会みたい」であっても自治会であるからには、やめてしまったら困ることもあるのではないかと思い、それで、「会費だけ払っておくくらいのおつきあい」をさせてもらってきました。

  しかし、回覧板だけでも相当まわってくるのです。別に隣の人の顔を見るのが嫌だとかいうことはありませんが、受け取って、また逆側の隣に持って行ってというだけでも相当の手間で負担なのです。
  本当に必要なものなら回覧板をまわしてもらっていいのですが、どうでもいいようなもの・・・と言うと支障があるかもしれませんが、特に重要とは思えない回覧が多すぎるように思うのです。
  「飯山満(はさま)中学校校長先生のお話」なんてのは、校長先生が自分の意見を聞いてほしいと思われるのならば、ホームページかブログかフェイスブックかYouTube かでも開設して、そこで述べられればいい。そうでなければ、印刷したものを自分で一軒一軒ポスティングしてまわられるか、さもなくば、市役所の支所・公民館、あるいは駅などに置かせてもらって「ご自由にお持ちください」とすれば、見たい人は持ち帰って見るだろうし、見たくない人は見ないでしょう。
  「飯山満中学校コーラス部の演奏会の案内」なんてのを回覧板でまわしてくれというのは、やめてほしいんですよ。中学校のコーラス部の女の子が父兄でもない人にも聴きにきてほしいと思うのならば、回覧板でまわすのではなくて、一軒一軒ポスティングするか、駅前でチラシを配るかするか、もしくは、中学校のホームページに掲載してもらうか、ブログかフェイスブックかを開設して告知するかすればいい。
〔 私の場合は、「声楽」と「コーラス」とは走り高跳びとハードルくらいの違いがあると思っていて、「プロ合唱団」と「コーラス部」や「アマチュア合唱団」とはレスリングとプロレスくらいの差があると思っていて、音楽は嫌いではないが「コーラス部」とか「アマチュア合唱団」というのは好きではないのですが、それはここでは関係ありません。「声楽」と「コーラス」が走り高跳びとハードルくらいの違いがある、「プロ合唱団」と「コーラス部」「アマチュア合唱団」とがレスリングとプロレスくらいの差があるという理由については、いずれ、別稿で述べたいと思います・・が、ここでは特に関係はないのでここでは述べません。〕
  神田ひろえい が会長やってる自治会総連合会とかいう所の機関紙もしょっちゅう回覧板でまわされてくるのだけれども、そこに書かれているもので役立つものがないとは言わないが、しかし、それをいちいち、回覧板として受け取って、また、それを隣に持って行ってというのは、それは回覧板を受け取って持って行ってというのを趣味・生き甲斐にしておられる年配者にとってはいいかもしれないけれども、「現役世代」の人間にとっては負担であり、神田ひろえい、市会議員ならなんとかしろよ、市会議員なら何とか考えろよ!・・・という気になりますね。

 それで、結局のところ、「津田沼 ザ・タワー」とかそういった問題が出てきた時に、自治会には入っておかないといけないと思って、それで、「おつきあい」で会費も払ってきたのでしたが、「ふれあい会」とか「クリーン船橋の日」とか、そういうよその家の年配者の相手させられる会 ばっかり開催して、どうでもいいような回覧板ばっかり大量にまわってきて、「津田沼 ザ・タワー」については、どういう対応をするか議論した結果として、私が考えたものとは異なるものになったというのならともかく、そうではなく、自治会で議論するかどうかを回覧板で議論したいという人は記名して、記名が多数でないから議論の対象にしない・・・ということならば、それなら、いったい何のための自治会なんだ、「老人会に行きたい年配者のための会」ならば、デイケアセンターに行って給料もらって対応している人に対応してもらえばいいことであって、自分の息子や嫁に相手になってもらおうとしないでよその家の「現役世代」の人間に相手になってもらおうという人の会・自分の親を自分で相手しないでよその家の人間に相手させてやろうという「ふてえ野郎」の親の会ならば、そんな会なんて、ない方がいい・・てことないか?
  そう思ったりもしたのです。「ない方がいい」とまで決めつけてしまったならば、もしも、あれば助かる時に対応できなくなってしまうかもしれません・・・が、しかし、あれば助かる・こういう時にこそ役立ってこそ自治会ではないのか・・という「津田沼 ザ・タワー」の問題には何の対応もできない。結局、あっても役立たない・・ということか。

  ゴミ収集所を利用していて、ゴミ収集所でゴミにカラス除けにかけるネットを自治会費で払っているから、又、瓶・缶の回収の際の袋を各班で収集日前に出したりしているのだから、だから、自治会費は払うべきだというのは一理はあるのですが、しかし、夜に出したいと思ってもその時間に帰宅できない、週休日に出したいと思ってもその曜日は自分の居住地の回収日ではなく隣の地区の回収日であっても隣の地区の回収に出そうとしても、「ここは◇◇自治会のものだ。▽▽自治会の者は出しちゃだめだ」とかおじいさんに怒られる・・・ということならば、それならば、ゴミは自宅近くの収集所に出さなくても、自動車を持っておれば、自動車に積んで、市の処分場に持ち込めば、有料で引き取ってくれますから〔⇒《船橋市 ごみの直接持ち込みhttps://www.city.funabashi.lg.jp/kurashi/gomi/003/p001553.html 〕、よその家の「体は元気な年寄」と「交流」か「ふれあい」かしなければゴミも出させてもらえないのならば、ゴミ収集所には出さないようにして、クルマで直接、清掃工場・リサイクル施設の持っていこうかなあ・・とか思ったこともあったのです。今までのところ、「思った」だけで、持っていかずに近くの収集所に出させてもらってきましたけれどもね。

  年に何千円かの会費なら「おつきあい」として払っておこうか・・と思って、どうせ、この自治会は役に立たないのだとあきらめつつ、在籍していると、回覧板が山ほどまわってきて閉口する・・だけではなく、そのうち、役員やってくれと言われる場合もあります。そうなると、結局、「よその家の年寄の相手する役」をさせられることになるのか、会費は払ってもいいけれども、「ふれあい会」「クリーン船橋の日」は絶対に出てはいけないと思っていても、役員やったら出ないわけにいかない・・と考えると、ゾッとする。幸い、コロナウイルス蔓延により、そういった行事は当分の間、開催されないので、その点はいいのですが、もしも、コロナウイスる問題が収束するようなことがあったならと思うと、実際問題として、ゾッとします。

  「津田沼 ザ・タワー」について、相談料だけとって回答しなかった弁護士屋について、船橋市の消費者センターに訴えようとしたのですが、門前払いにされてしまいました。今回は自治会についてなので、そちらについては、別稿で述べます。

  (2022.3.29.)

☆ 習志野市「津田沼 ザ・タワー」(工事中)の横暴!!!
[第455回]《戸建住民の居住環境悪化を招く 都心でもない場所での高層マンション建築に受忍義務があるのか? 》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201905article_3.html
[第463回] 高層マンション「津田沼ザ・タワー」による居住環境破壊。商業地域に住居マンションは不当。勝手に自然改変https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201906article_8.html
[第464回]「津田沼ザ・タワー」は下品で野蛮。事業者・設計者・開発行為事業者でない者になぜ問合せさせようとする? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201906article_9.html
[第465回] 商業地域の容積率を悪用する「津田沼 ザ・タワー」。及、都市計画しない習志野市都市計画課 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201906article_10.html
[第466回]「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場
「津田沼 ザ・タワー」の確認票他+死人が出る可能性がある三菱地所レジデンスと(株)フジタの工事現場https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201906article_11.html
[第467回]「津田沼 ザ・タワー」宅地建物取引業の票。ももんがあのような茶碗のかけらのような野蛮な高層マンション https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201907article_1.html
[第468回]「津田沼ザ・タワー」事業者名票枠外に別の問合先記載は不適。地下鉄をありがたがる人と高層マンションをありがたがる人https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201907article_3.html
[第469回]「本人訴訟の一般人には相当大きく安全側に要求し、弁護士にはよほどのことがないと」の裁判所書記官の対応と、「三菱」「三井」「野村」の言うことならきくのか? 独立自尊の精神に欠ける習志野市建築指導課!https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201907article_4.html
[第470回]都市計画法による用途地域の趣旨を守るために建築基準法の規定があり、逆ではない。マンション屋の為の都市計画課なら存在価値はない。岩山マンションによる環境悪化・財産価値低下に補償することもせずに「意見の違い」など認められない。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201907article_5.html
[第471回]船橋市各所から見た「津田沼 ザ・唯我独尊タワー」船橋市各所から南方に岩山として眺望を妨げ、同類が建てば通風も妨げると思われる「津田沼 ザ・タワー」。なにゆえ、市民はこのような遮蔽物を人工的に造られねばならぬのか!?! https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201908article_1.html
[第474回] 権威主義 千葉工大教授 山本明氏の欺瞞+習志野市「仲よし幼稚園跡地事業」計画の無能。専用住宅業者に売却する土地を習志野市は商業地域として売って良いのか? 准教授 倉斗綾子氏の無能。「津田沼 ザ・タワー」は夜、光る外壁にする必要は何かあるのか?―「津田沼 ザ・タワー」について。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201911article_1.html
[第478回] 富士山のそばに人工的岩山を造られても国民は文句は言えないか? 夜空を照らす照明塔岩山マンションははた迷惑。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_1.html
[第479回] 3階建か4階建の建物を前提に規定された数字を160mを超える岩山建造に適用は不適切。権威づけ神輿の建築学科教授山本明氏・倉斗綾子氏はこの程度のこともわからないのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_3.html
[第480回] 夜、光る「津田沼ザ・タワー」の設計者の発想は異常。及、マンションの開放型廊下の照明は近所迷惑。夜を奪う明るさの街灯まで必要か。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_4.html
[第482回]「津田沼 ザ・タワー」の「容積率緩和」適用は制度の趣旨に反する。「仲よし幼稚園跡地活用事業」「審査委員」の選定は八百長か。商学部経営学部系教員を選考委員に入れないのは、八百長計画に異議を唱えさせないためなのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_6.html
[第483回]「津田沼ザ・タワー」の侵害に「権利意識の欠如」状態になってはならない。「相互主義の原則」として習志野市の商店での買い物は控えましょう。「言ってもだめよ」はファシズム傾向と理解せよ! 「専門家」信仰は山本明氏のような権威主義者の思うツボ!https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_8.html
[第484回]「津田沼ザ・タワー」は北側に大きな窓を設ける権利がなぜあるのか? 夜、光らせる権利がなぜあるのか? 及、猫の頭なでるだけなでて糞や小便を他家の庭やガレージでさせる猫の飼主は横暴ではないか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_9.html
[第485回]「津田沼ザ・タワー」”最高のロケーション”と称賛する「投資家カズのトレード日記」は精神病理学上の問題ではないかとすら思える。邑楽タワーの失敗と「津田沼ザ・タワー」の居直り。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_10.html
[第486回]「津田沼ザ・タワー」に反対はあっても賛成はありえない2つの理由。60年安保闘争には2種類の反対があった、て知ってますか。「大学教授」であっても「知識人」ではない千葉工大の大学教授。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202001article_11.html
[第487回] 地下鉄と「高層マンション」は文明ではない。モンパルナスタワー・ナポリ副都心に該当する配慮は見られない「津田沼ザ・タワー」。「津田沼ザ・タワー」は建築学科課題としては落第点である。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202002article_1.html
[第488回] 「津田沼ザ・タワー」はパチンコ屋みたいに、夜、光りだしたが、パチンコ屋より傲慢。屋上のペントハウスを光らせて、マンション屋と「購入者」は何か得するのか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202002article_2.html
[第491回] 遠藤周作『花鳥風月を友として』で考える「津田沼ザ・タワー」。船橋市・習志野市での「田園まさに荒れなんとす」https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202004article_4.html
[第497回] 都心の区がビルの新築に際し住居スペース確保を求めるごとく、郊外の駅前では商業施設の割合を確保させる規定を設けるべきである。都心に向く建物と郊外に向く建物は違う、ということくらい建築学科教授ならわかりそうなものだが。「1年の契約社員」の募集を「正社員」募集と言う会社はいかがなものか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202005article_5.html
[第498回] 雲の中のトドラが棲息する場所のマンション、バルタン星人の3倍の高さのマンションなんて、人間にとって非本来的だと思いませんか?ー『ウルトラQ』『ウルトラマン』で考える「津田沼ザ・タワー」の貧困なる精神。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202005article_6.html
[第504回] 外観・内観・機能のいずれも目的にない「津田沼・ザ・タワー」。「外」重視のシドニーオペラハウス、「巨大な彫刻」東京カテドラル聖マリア大聖堂などと比較して考える。今こそ失ってはならない日本人の美徳と日本の美。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202007article_1.html
[第505回] 雲より高いマンション、雨雲の中のマンション、雲霧に埋没するマンションは、建築として住居として本来的ではないだろう。「津田沼ザ・タワー」は非人間的・・で家相も良くない・・だろう。 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202007article_2.html
[第521回] せっかくの郊外で、なぜ星や月を見ずに、人工の照明を見せられなければならないのか? 「津田沼ザ・タワー」屋上の人工照明を喜ぶ人はその貧困なる精神を反省すべきです。及、星・星座というのはプラネタリウムで見るのではなく、夜、空を見上げてみるものだ、と知ってますか? https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202011article_2.html
[第533回]「しぶんぎ座流星群」はよく見えなかった。明るすぎるマンションの照明。「ジャコビニ流星群」時と違って照明を消そうという動きのなくなった世相と風物をめでようという心の喪失。都心部のマンションと郊外のマンションの違いも理解できない「三流一級建築士」。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202101article_2.html
[第546回]法律相談で「わからないですね」で相談料を盗る東京第二弁護士会と弁護士 鎌倉一樹氏(三宅坂法律事務所)~「津田沼ザ・タワー」と非弁行為に関して https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202108article_1.html
[第561回]「津田沼ザ・タワー」に関し、弁護士法違反で告発状を提出した結果について。及び、弁護士と関わると、本当に疲れる。「弁護士は役に立たない」原因、考えられる2つの理由。自分たちの居住地域の南側に巨大な人工の岩山が造られようとしているならば、住民はみんなで対応するべきではないのか。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202111article_2.html
[第572回]自治会・自治会長はなぜ機能しないのか。人工の岩山「津田沼 ザ・タワー」建造に無力だった自治会。自分の親の相手をよその現役世代のの人間にさせようとする卑怯者。孫のための雪かきを息子のさせずによその家の人間に要求する年寄。「ふれあい」「交流」を希望しない人にまで「ふれあい」を要求するのはストーカーのようなもの。〔今回〕

「慎腹風呂愚」
[第759回]高山の町並にて。「和風のドーマー」は違和感なく存在。高山警察署は新社屋にて営業中。重要伝統的建造物群保存地区の周囲に「市街地景観保存区域」を設定する高山市の姿勢を評価する。用途地域の趣旨を踏みにじる千葉県習志野市の態度は不適切。千葉工大名誉教授山本明氏の権威主義を笑う。—高山の町並みにて(1)https://shinkahousinght.at.webry.info/202003/article_10.html?1584263851
[第909回]岡村天満宮(横浜市)[6/7]白笹稲荷社と梅・牛の像2体・手水舎・針塚。神社にベンチは必需品。千木の先端と鰹木の本数。達筆が悪いことはないが読める方がなおいい。https://shinkahousinght.at.webry.info/202203/article_3.html 後半。
「建築家」ポーズとると建築家? 千葉工大 建築学科教授 山本明氏、「ヒゲ生やせば建築家」と同類の「ヒゲはやせば日本画家」は評価したくない。「芸術家ぶりっこ」やらなくてよろしい・・と思うのだが、「芸術家ぶりっこ」やりたがるおっさんども。

☆他に、高層ビル・高層マンションの問題について
☆ 「船橋プラウドタワー」(千葉県船橋市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第5回]2月 といえば、確定申告!・・・・船橋税務署 駅から遠すぎるよお・・・・https://shinkahousinght.at.webry.info/201102/article_2.html
[第803回]地下鉄「新大阪」駅の変化と「千里中央」駅付近の変化ーセンスの良い新大阪駅の休憩室。千里丘陵になぜニュータウン計画を否定する高層ビルを作るか。及、プラウドタワー船橋 により谷底化される船橋駅北口 と ザ・千里タワーにより谷底化される千里中央駅・セルシー付近。https://shinkahousinght.at.webry.info/202010/article_11.html 

☆ 「千里タワー」(大阪府豊中市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第122回]野蛮な 千里タワー。大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201302article_1.html
[第419回]箕面教会(箕面市)見学【2/5】府道から箕面教会。北川原公園・箕面川の紅葉はきれい。高層ビルは野蛮https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201811article_3.html
「慎腹風呂愚」
[第471回]新装「高山駅」。周囲の景観との調和を考えた建物だが。及、屋根とは何かわかっていない建築会社についてhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201610/article_27.html
[第803回]地下鉄「新大阪」駅の変化と「千里中央」駅付近の変化ーセンスの良い新大阪駅の休憩室。千里丘陵になぜニュータウン計画を否定する高層ビルを作るか。及、プラウドタワー船橋 により谷底化される船橋駅北口 と ザ・千里タワーにより谷底化される千里中央駅・セルシー付近。https://shinkahousinght.at.webry.info/202010/article_11.html 

☆ 「ロジュマン千里中央」(大阪府豊中市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第456回]上新田天神社(大阪府豊中市)参拝4 神社を背後から見下ろす下品な高層マンション 他https://shinkahousinght.at.webry.info/201701/article_18.html

☆ 「コスモフレスタ箕面」(大阪府箕面市)について・・・
「哲建ルンバ」
[第197回]日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201312article_1.html

☆ 「ジオミューズレジス」「ジオタワーミューズフロント」「ジオタワーミューズガーデン」(大阪府高槻市)について・・・
「慎腹風呂愚」
[第634回]上宮天満宮参拝【6/10】天満宮を見下ろす 地域の「気の流れ」を乱す 家相が悪い 高層マンションhttps://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_7.html
[第638回]上宮天満宮参拝【10/10】北山本山寺の石碑、景観重点地区、女性客の多い店でも入るのが商学士の使命https://shinkahousinght.at.webry.info/201811/article_11.html 
で述べました。  

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