近所迷惑おばさん[上]【1】息子を「しっかりしてますわあ」と言う母親と本気にする息子。【2】阪大に行って「京大でも通ると言われました」+「司法試験に現役で通りました」と嘘を言う女。こういう嘘は法的に問題ないのか法科大学院大学の先生に質問してみたいと思いませんか?   本人には「☆☆さん」と呼び、弁護士には「△△先生」と呼ぶ裁判所書記官の呼び方はそれでまともか?

[第563回]
  1970年代後半、高校卒業時に大学の入試に落ちてしまった後、浪人中、なんとも迷惑なおばさんが最低でも3人いた。
【1】 1人目は、同じ市立小学校・同じ市立中学校から同じ府立北野高校に行き、何の因果かなんとも迷惑なことに同じYMCA予備校高槻校の京大東大文系クラスの2クラスあるうちの同じクラスに行くはめになってしまったN口というぺったんこの顔した男のお母さんだ。
 「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は本当に大人ですわあ」と叫びまくるのだ。ラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて四方八方に叫びまくるのだ。
  ・・「ああ、そうですか」てものだ・。

 「ああ、そうですか」

  ところが、私が「ああ、そうですか」と思っても我が家の場合はそれですまないのだ。うちの親はN口 要の親とは正反対で、””自分の息子のことを悪いように悪いように思う親”” で、また、””よその人間に自分の息子の悪口を言ってまわらないとおれない人間シンドローム の親”” だった。
  うちの母親は私に「親というものは、自分の息子のことは、ええようにええように思うもんやから!」と言うのだったが、そういう親も世の中にはあるだろうけれども、あんた、ちっともそんなことないじゃないか。あんたは逆だろうが! N口 要の母親なんてのは典型的で、””自分の息子のことをいいようにいいように思わないとおれない人間シンドローム”” の重症患者であるだけでなく、””自分の息子のことをいいようにいいように、太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして四方八方に叫びまくらないとおれない人間シンドローム”” の重症患者であり、「ほとんどビョーキ」ではなく「どう考えても病的」だった。かつ、本人にはその意識が欠落しているようで、「精神医学」用語で表現すると「病識がない」という状態だった。ああいうおばさんというのは「精神安定剤」の大量投与とか、電気ショック療法とかやると「ちょっとは良くなる」のだろうか? 「ちょっとは良くなる」のなら「治療」受けてもらいたいところだった。迷惑なんだよ、迷惑。 それに対して、うちの母親なんてのは「自分の息子のことを、ええようにええように思う」なんてとんでもない。逆だった。

  うちの母親は私のせいにするのが好きで、私が小学校2年の時、同級生と昼休みに運動場で相撲をとっていて頭を打って入院したことがあった後、「あんたが入院したおかげで私は血圧が上がった」と言い出し、その後も「あんたのおかげで私は血圧が上がった」と言い続けた。どう、因果関係があるのだろうか。2年前、1999年、私は胆嚢の「石」のおかげで激痛を感じ、救急車で病院に連れていってもらい、胆嚢を摘出する手術を受けた。胆嚢を失っても人間は生きていけるらしいが、「胆嚢以外の部分の私」だけが私であるのではなく、「胆嚢以外の部分の私」と「胆嚢の部分の私」の両方が私なので、私の一部分が還暦よりも前に死亡したというのは悲しい。ところが、その後、母が食事をとらなくなってしまい、その後、幸いにも回復したのだけれども、その際、母は「あんたが胆嚢が悪いと言って入院したから私はこうなったんや」と言うのだった。胆嚢炎の手術をしてもらって、一応、生活できるようになったとはいえ、まだ、体調は万全ではない状況でそういったことを言われるというのはつらかった・・のだが、うちの母親はそういう人だった。
  同じころ、うちの上の姉も体調を崩して、こちらは母の用事が一段落した夜に姪が電話してきて来てほしいと言うので私は翌朝に重要な用事が入っていたが、姉の所に行くとともに、翌日の相手に電話してキャンセルしてもらったのだが、行くと、救急隊員が来ていて「娘さんにばかりさせないで、あなたも、もっとやってあげないと」と説教されたのだったが、うちの母親の世話でへとへとになっていたところに姪が電話してきて、翌日には大事な用事があるのにそれをキャンセルしてまで来ているのに、何より、私が胆嚢炎で胆嚢を摘出する手術を受けた時には、上の姉も姪も何もしてくれなかったし電話にも出てくれなかった、私は上の姉が何かで入院した時には毎回、取るものとりあえず病院に毎度行ったが、姉も姪も病院には来てくれなかったし、それよりも前、私が足を骨折して松葉杖生活を3か月ほどやった時も、上の姉も姪も、3か月も松葉杖生活をしていたのだから、その間、何かひとつくりしてくれても罰は当たらんのではないかとも思ったがないひとつしてくれなかったし、一度も来なかったのだが、こちらがその日、母の用事がなんとかすんで家で疲れて家で休んでいたら姪が電話してきて来てくれと言うから行くと、救急隊員から「娘さんにばかりさせないで、あなたももっと世話してあげないと」と説教されたのだったが、救急隊員の人には世話になっていたようだったので特に言い返したりもしなかったが、なんで私が救急隊員からそんなこと言われなきゃならんのかと思った。こちらがまだ体調が万全ではないのに身内に2人も病人を抱えたのでは大変だった。
  2011年、千葉市中央区鵜の森町の新華ハウジング(有)〔建設業〕・ビルダーズジャパン(株)〔不動産業〕〔いずれも、2013年11月に正式に倒産〕に勤めていた時、社長の長谷川新二の嫁の河野利華の友人のT口 恵が縁故入社で入社すると、社長の長谷川は「T口さんは子供があるんだから、子供がある者は子供のない者に何でもやってもらうのは当然じゃないかあ。子供がない者は子供のある者のために世話するのは当たり前のことじゃないか。子供がない者が悪いんだ! 子供がある者は子供がない者に何でもやってもらうのが当然じゃないか!」と暴言をはきまくったのだったが、そのT口恵とその夫とその子供の為には私はずいぶんといろいろとやってあげたはず、T口恵とその夫と子供は私にずいぶんといろいろと世話になったはずだったが、私が足を骨折した時も、私が胆嚢炎で胆嚢の摘出手術を受けた時もその後も何ひとつやらなかった。「やらずぶったくり」とはこのことを言うようだが、「子供」を大義名分にすれば何でもまかり通ると信念もってるバカ女とアホ男症候群が滝口恵とその夫の夫婦、及び、新華ハウジング(有)・ビルダーズジャパン(株)の社長の長谷川新二とその嫁でその後ビルダーズジャパン(株)の代表取締役になった河野利華だった。「子供がない者が悪いんだ!」と暴言をはき、「子供がない者は何でも子供がある者のために尽くすのは当然じゃないか!」と暴言を吐きまくった長谷川新二も、私が足を骨折した時点、私が胆嚢を摘出する手術を受けた時点においては「子供」であっても「手がかかる子供」ではなく「ある程度以上役に立つ子供」になっていたはずの長谷川新二の子供も滝口恵の子供も滝口の子供の為に相当助けてあげた私が骨折したり胆嚢炎になったりした時に何ひとつしなかった。「子供」を大義名分に掲げれば何でもまかり通ると考える「子供」独善主義・「子供」帝国主義の母親と父親というのは反社会的勢力と考えるべきであろう。公明党がまたもや「子供」手当を支給しようと主張しているようだが、公明党もまた反社会的勢力と考えるべきであろう。

  東京の泰明小学校だかで、「アルマーニの制服」なんてのを実施したそうで、「これがアルマーニか。ツンツン」て小学生にやる人が出現した・・なんて記事を昨年だか一昨年だかに見たが、「子供手当」を強奪した者がそれで買ったらしいものに「これが子供手当か、ツンツン」てやってやりたい気持ちにもなるというものだ。実際にやる人が出たとしても、気持ちはわかる。
””「子供手当」公明党”” は反社会的勢力だ。

  そのうち、私が中学校の3年の時から中学校の同級生の親がやっている内科医院にかかるようになったのだが、内科医なんて近所に何軒もあるのだから、何もわざわざよりによって私の同級生の親の所にかからなくても他の人の所に行けば良さそうなものだった・・というのか、私からすれば同級生の親の所にかかりに行くのはやめてほしかったのだが、ところが、うちの母親からするとそういう所に行きたいらしかった。
  なぜ、わざわざ、よりによって私の同級生の親の内科医の所に行くのか。 造園屋ならば、もしも、同級生で造園屋をやっている人間から「おたくの造園、うちにやらせてよ」と頼まれたなら、特別に仕事が無茶苦茶とか無茶苦茶値段が高いとかでなければ、どうせ、どこかに頼むのなら知っている人間に仕事をまわそうかと思うのはわかる。リフォーム屋になると家の中に入ってのことになるので、同じことなら知り合いに仕事をまわそうかと考えるか、家の中に入っての仕事であるから逆にまったく知らない人の方がいいと考えるか微妙だ。弁護士になると他人の方がいいと考える場合の方が多いのではないか。医者の場合は、できるだけいい医者、良心的な医者にかかりたいと思うと、知り合いで、この人なら誠実に診てくれるのではないかと思う人の所に行くというのはわかるし、実際問題として「私立高校裏口入学卒⇒私立金権医学部裏口入学卒」の医者屋よりは国立大学卒の医者の方がいいと思うと、知り合いで国立大学卒の医者がおれば、「私立高校裏口入学卒⇒私立金権医学部裏口入学卒」の医者屋よりはええやろ・・とか思うのもわかる。しかし、何も、私の中学校の同級生の親の所にわざわざ行かんでもええやろうが・・・と思うのだったが、うちの母親にとっては逆で、私の悪口を言いに行くのにいい♪・・・と思うようだった。
  ・・・で、その内科医の人の所に行って、うちの母親は「息子のおかげで私は血圧が高いんです」と訴えたようだったのだ・・・が、その内科医の人はそんなに悪い人ではなかったようで、うちの母親からそう言われてどうしたかというと、「それじゃ、血圧を測ってみましょう」と言って血圧を測ったらしいのだ。そして、こう言ったそうだ。「別に高くありませんけれどもねえ」
・・・と(^^)/

  ところが、そう言われると「患者」はおもしろくない。「そんなはずありません!」と言うわけだ。そういう際に医者をやっている人には2通りの反応をする人がいるようだ。
《タイプ1》  うちの父親の親友で医者屋のM川〔1980年頃当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。ドバカ息子を私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネで裏口入学させたというのが自慢だったが、実際は自分も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなくても「かわいいキンタマ」(川崎医大+愛知医大+金沢医大+埼玉医大)くらい卒か。当時、大阪府豊中市在住〕ならば、「患者」が「血圧が高い」と自分で「診断」していて《「血圧が高い」人の「治療」をしてほしい》と希望しているのだから、当然、医者屋としてはそのニーズに答えないといけないと考える。「治療」してあげればいいのだ。「治療」してあげれば「患者」は喜ぶのだから。
  血圧が高くもない人間に血圧を下げる治療はしにくいのならば、血圧を上げてあげればいいだけのことだ。医者は血圧を上げる薬も下げる薬も持っているのだから、いったん血圧を上げた上で下げる薬もまた処方してあげて、「いくらか良くなりましたな」と言ってあげれば「患者」は喜び、「ええ先生や」と言ってくれる。 そうして、いくらか血圧を下げても絶対に完治はしないようにすれば「患者」は喜んで永遠に来院する。まさに「医は仁術」てものだ。ドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学するカネはそうやって生み出される。まさに錬金術♪ 「患者」は医者屋にとってはカネのなる木である♪
  イランイラク戦争では、イランとイラクではイランの方が大国なのにイラクが「押し気味」だったというが、な~んでだ? ・・というと、『ラムゼー・クラークの湾岸戦争』(地湧社)によると、イランイラク戦争の時、アメリカ合衆国さんが軍事援助をされていたらしく、しかも、両方に軍事援助をされていたらしい。両方に軍事援助をするといっても平等にやったのではなく、国力を考えると弱い方と思われたイラクの方に比重を置いて軍事援助をされていたらしい。その結果、イランイラク戦争はイラクが「押し気味」だったらしいのだ。
ラムゼー・クラークの湾岸戦争―いま戦争はこうして作られる - ラムゼー クラーク, Clark,Ramsey, 信也, 中平
ラムゼー・クラークの湾岸戦争―いま戦争はこうして作られる - ラムゼー クラーク, Clark,Ramsey, 信也, 中平
  医者屋にはこのイランイラク戦争の時にアメリカ合衆国さんがされたのと似たことをする人がいるようだ。血圧を上げる薬と下げる薬を両方処方すれば喜ぶ「患者」というのは実在するのだから。実際は特別血圧が高いわけでもなくても、「私は血圧が高いんですわ」と言っている人に「高くないですよ」なんて言って「患者」の期待を裏切るのではなく、その人は「血圧が高い患者」になりたいのだから、医者としては「患者」の希望をきいて血圧を上げてあげ、その上で「血圧を下げる治療」をしてあげれば、その「患者」は喜ぶのだ。かつ、その「患者」は「医者」の所に「私は血圧が高いから」と言って「通院」したいのだから、来させてあげないといけない。だから、絶対に「完治」するような「治療」はしてはいけないのだ。M川はそのあたりをよく知っている男であり、それゆえ、うちの父親なんかは「名医や。あの先生は神さまや」とか言ってあがめていた。
《タイプ2》   しかし、そういうことをしない医者もいる。私の中学校の同級生のお父さんの某さんなんかはそういうことをしないようだった。「それなら、血圧測ってみましょう」と言って測り、「高くないですけれどもねえ」と正直に言い、「〇〇さんの場合は、気のせいじゃないでしょうか」と言われたらしい。「気のせい」だから、そんなに気にしないで日常生活を営んでもらえばいいでしょうということだが、それでも、その人間は「私は血圧が高い」と言って来院するのだ。私が医者の立場であったとしても、医者として、あなたは別に血圧は高くないですよと言っているのに、言っても言っても「そんなはずはない。私は血圧が高い」と言ってやってくる人というのは、どうしたものか・・と困るのだが、その人は困りながらも、特別に害があるわけでもない「薬」を控えめに処方していた・・・みたいな感じだ。
  病気でもないのに自分は病気であるはずだと訴えてしかたがない患者に対しては、その患者が訴える病気を治療する「薬」なんて飲ませたらかえって害がある場合があるが、そういう場合、アリナミンでもポポンSでもパンシロンでもビオフェルミンでも・・・あるいは、きな粉でもはったいこ でもメリケン粉でも「血圧を下げる薬」ですと言って飲ませてあげたら、それでその「患者」は喜ぶのならその方がいい・・という場合は現実にある。そうやって、うちの母親は私の悪口を言うために内科医に通ったようだった。わざわざ、私の同級生の父親がやっている内科医に。・・それでも、その同級生のお父さんは、うちの母親が私の悪口を何を言っても、内科医として聞いても「すぐに忘れる」ということをしてくれていたようだったので、その点では良心的な人だったのではないかと思う。
  両方に軍事援助するみたいな「医者」も世の中にはおり、ドバカ息子を私立金権医学部に裏口入学させようとすると「両方に軍事援助」すれば医者屋はウハウハ、「もうかりまっか」「ぼちぼちでんなあ」・・てもんだ。実際はウハウハでも「ぼちぼちでんなあ」・・てもんだ。
医界、腐蝕の構図 (1984年) - 保阪 正康
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アブない大学病院―“白い巨塔”で行なわれていること これじゃ患者はたまらない! (ベストセラーシリーズ・ワニの本) - 寺岡 元邦
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  実際、うちの父親の親友だった医者屋のM川から睡眠薬を飲まされたうちの母親は90過ぎても睡眠薬を欲しがるようになってしまい、「夜、寝れなかったら明日つらいでしょうが」と言い、私が「90過ぎたお婆さんが、明日、働きにいくわけでもないのだから、眠れなかった無理に寝なくても眠くなった時に寝て、眼が覚めた時に起きるというのでもいいでしょう。明日、つらかったらその時に寝たらいいでしょう」と言っても、それでも睡眠薬を欲しがり、睡眠薬がなければ風邪薬に睡眠薬が含まれているからと風邪でもないのに風邪薬を飲みたがる・・というようになってしまった。医者屋のM川に睡眠薬の薬物中毒にならされてしまったわけである。・・その睡眠薬代がM川のドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学するカネに化け、又、裏口入学した息子が大学生なのにゴルフやって遊ぶカネに化け、そのドバカ息子のゴルフバッグ代に化けたのである。

  それで、同じ公立小学校・同じ公立中学校から同じ府立北野高校に行き、迷惑なことだがYMCA予備校高槻校京大東大文系クラスなんて所まで同じ所に行くはめになってしまったN口 要というやつのお母さんは ””「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は本当に大人ですわあ」と太鼓を鳴らしラッパを吹き鳴らして四方八方に叫びまくらないとおれない人間シンドローム”” の「重病人」で「病識がない」人だったのだが、自分の母親からそう言われて本人もまた自分は「しっかりしてますわあ」「本当に大人ですわあ」と思い込んでいた・・・ということは、実際にはあんまり賢くなかったのではないか・・と思う( 一一)  私なら、少なくとも今の私なら自分の母親からほめられても、「なんか言うとるなあ」くらいのもので、それを自分で本気にしたりはしない。それをN口 要という男は本気にして自分はえらい♪・・・とか思い込んでいたので・・・、結局、N口 要は1年浪人したとはいえ京大法学部に通ったようだが、「京大行ってもそんなもんか」て感じだ。普通、大人の男ならば、アホな母親がそんなことを叫びまくっていたならば、「もう、そのくらいにしておいて」とか「もう、その程度でいいでしょ」とでも母親に言うものだ。それを言えないようでは「大人ですわあ」とは逆、「しっかりしてますわ」とも逆の男であろう。
  京大に行っても、アホな母親が「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は本当に大人ですわあ」と太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして四方八方に言いまくるのを聞いて、「もう、そのくらいにしておいたら」とか「その程度でやめておいたら」とか言うのではなく、言われて自分で自分を「しっかりしてますわあ」「本当に大人ですわあ」とか思い込んでいたので・・・ということは、京大行ってもアホやんけ・・ということになる。他の部分でどうかはさておき、その部分については「京大行ってもアホやんけ( 一一)」ということだ。

  そう言えば、うちの父親とそのあたりはN口要は似ている。うちの父親もN口が好きだった。「N口くんが産まれてきたらよかったのに、おまえが産まれてきてわしは迷惑や。災難や」と何度も言っていたが、そう言うだけあって、うちの父親とN口要とは似ているところがある。
  どこが似ているかというと、うちの父親というのは、よその人間、会社の取引先で、しかも「買ってもらう側の会社」の人から「常務は真面目だすからなあ」と言ってもらうことがあるらしかったのだ。実際問題として、メーカーは原料を仕入れて加工して製品にして売ることで利益を得るのだが、会社という所においては「売る側の部署」にいるのと「買う側の部署」にいるのとでは「買う側の部署」にいた方がお中元とかお歳暮をもらうことが多いようで、相手から機嫌をとってもらうことも多いみたいだ。で、うちの父親というのは、どうも、「買う側の部署」に配置してもらうことが多かったおっさんだったようだ。なんで、そんな「ええ役」させてもらっていたのか? ・・なんでか? それは社長の親戚だったということがあり、かつ、うちの父親というのは「社長には逆らわない人間」であるだけでなく、「会社をのっとってやろうか」なんて考えない人間・・というよりも考える能力なんてあるわけない人間・・なもので、「買う側の部署」に配置しても、それで何かやったろかとか考える頭もない人間だったのだ。社長は「アホはアホなりに使ったらええがな」と言うとったというのだが、「アホはアホなりに」使われていたのではないか・・と思う。
  社長が「アホはアホなりに使ったらええがな」と言ったのを聞いてうちの父親は「そうや♪ さすがは社長。ええ~えこと言いはる」と言って喜んでおったらしく、「わしみたいなエライえらいエライ人間ばっかしやないいうこっちゃ。会社ちゅうところにはアホもおるわけで、わしみたいなエライ人間ばっかしやないから、アホも使ってやらんといかんいうこっちゃ」とか言って大喜びしておったのだが、私はそれを聞いて「アホがめでたいのお( 一一)」と思ったのだった。だって、そうでしょ。普通、自分の勤め先の会社の社長が「アホはアホなりに使ったらええがな」と言いよったとすると、「はて。このおっさんにとって、俺はアホの側なのか、アホでない側なのか、どっちやろうか?」と考えるものではないか。私ならそう考える。ところが、うちの父親は、勤め先の社長が「アホはアホなりに使ったらええがな」と言いよったとなると、「そうや♪ さすがは社長。ええ~えこと言いはる♪ 会社はわしみたいなエライえらい人間ばっかしやないんや。アホも使ってやらんといかんいうこっちゃ♪ さすがは社長や」とか言って大喜びしとる・・・てことは、あんたこそ「アホ」とちゃうんか?・・・て思うのだが、「アホがめでたいのお」・・・て感じの、そういうおっさんやった。
  オードリー=ヘップバーンが主演の『シャレード』という映画でオードリー=ヘップバーンの相手役の男性が「男はある程度以上の年齢になると『真面目』と言われると居心地が悪いものなんだ」と語る場面があった。私は『シャレード』を見て、おっ、これは名言♪ たしかにそうだ・・と思ったものだった・・のだが、ところが、うちの父親は「わしぁ、真面目やねん」とか言って喜んでいたのだ。あれは「常務は真面目だっさかいなあ」と言ってほめてくれるというのか、持ち上げてくれるというのか、おちょくってくれるというのかの人がいたのだろう。そう言われて、「どういう意味や?」といぶかるのではなく、「そうや、その通りや。わしは真面目やね~ん♪」とか言って喜ぶおっさん・・て要するにアホと違うのか・・というおっさんやった。N口の場合はまるまるうちの父親と同じタイプでもないが、自分の母親が「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は本当に大人ですわあ」とか叫びまくるのを聞いて、「もう、そのくらいにしておいたら」とか「もう、そこらでやめておいて」とか賢明な息子なら言うであろうところをそうは言わず、言おうとも思わず、アホな母親が言いまくるのを聞いて自分で自分のことを「大人ですわあ」「しっかりしてますわあ」と思い信じるようになっていた、うちの父親が「常務は真面目だっさかいなあ」と言われて、素直に喜んでいたのと同様だった( 一一)・・・ということは・・⇒そのあたりについては、うちの父親と同程度のアホやった・・・てことか・・( 一一)  あれと同程度のアホ!・・てことは相当のアホと違うか・・て感じがする・・が、うちの父親は「N口くんが産まれてきたら良かったのにねえ。おまえが産まれてきてわしは迷惑なんじゃ」とか毎日のように言っていたのだが、うちの父親は、その「N口くん」てやつが好きなだけあって、似ている部分があったようだ( 一一)
※ 《YouTube-「シャレード Charade」サウンド・トラック~ アンディ・ウィリアムス》https://www.youtube.com/watch?v=RZdHxsSQ4Sw

  野口の母親は「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」とかも言いまくっていたのだが、N口は高校を卒業する年、神戸大医学部を受けて落ちたらしいのだが、それを「一発勝負に弱い」から落ちたのであって「ほんまは通ってたはずですねん」と言いたいらしかった。「一発勝負に弱い」のか二発勝負に弱いのかなんか知らんが、結局、落ちたんやろうが。違うのか?
  2000年頃だったか、ラジオの野球中継を聞いていたら、どこの試合だったか忘れたがピッチャーがストライクが入らず、連続で四球を出したところ、解説者のデーブ大久保が「ストライクの入らないピッチャーて、一軍の試合に出ないでほしいんですよね」と言ったのだ。「『そんなこと言っても、緊張するとストライクも入らなくなってしまうんですよ』とか言うんですけれどもね。たとえ、どんなに緊張しても、打ち取るか打たれるかは別にして、ストライクくらい入るようになってから一軍の試合に出るようにしてほしいんですよ。お客さんに失礼でしょ。お金払って見に来てくれてるお客さんに失礼でしょ。曲がりなりにもプロのピッチャーなら、どんなに緊張してもストライクくらい投げれるようになってから一軍の試合に出てくださいよ」と話し、そして「こんなこと言うと、おまえもプロのキャッチャーならワンバウンドくらい止めろよと言われるんですけどね」と話していたのだった・・・が、その時、ストライクも入らず、四球を連発した投手だって、練習の時でもストライクも入らないわけではなかっただろう。お客さんに見に来てもらっている試合でストライクも入らないピッチャーが「一発勝負に弱いんですわあ」て言い訳するか? だったら試合に出んなよ! その「一発勝負」で成果を出すのが仕事だろうが!
  野村じいさんがどこかで書いていたのだが、長嶋一茂は練習の時に見ると、相当優秀な選手に見えるが試合では結局成果を出せなかった。誰だったか、ゴルフのプロ選手が、練習の時にすごいプレーをできていても試合の本番で成果を出すのが大変なのですと言っていた。さらには、貴闘力チャンネルで〔 《YouTube-【豊ノ海】56歳の早すぎる永眠。超重量級力士の素顔を語る。曙キラーを育てた男》https://www.youtube.com/watch?v=SPy40QeL3Mw 〕、最近亡くなった豊ノ海という力士は、幕内の力士だった時でもけいこの時はそんなに強くなくて、幕下だった時の貴闘力がけいこで相撲とった時には勝てたらしく、それで「幕内の豊ノ海に勝てるのなら俺も幕内でやっていけるのじゃないか」と思って、それで勘違いしたおかげで幕内まで上がれたと話していたが、けいこの時には強くなくても本場所になったら強い力士というのがいたらしいのだ。
  誰だったか、どこかに載っていた話だが「相撲に『稽古場横綱』、野球に『ブルペンエース』という言葉がある」という。
  ヤクルトスワローズの二軍投手コーチの尾花が、何年か前にどこかに書いていたのだが、尾花がヤクルトスワローズに新人投手として入団した時、ヤクルトには、高校野球で「怪物サッシー」と言われた長崎県の海星高校卒の酒井投手・「関東三羽ガラス」「高校四天王」と言われた横浜高校卒の永川投手がいて〔「関東三羽ガラス」は、土屋(銚子商業⇒中日)・工藤〔土浦日大高校⇒阪神〕と永川、「高校四天王」はその3人と定岡(鹿児島実業⇒巨人)〕、その2人はものすごい球を投げていた。まるで、新幹線超特急みたいな球、それに比べたら自分なんか、せいぜい在来線の特急くらいのもので、こんなものすごいピッチャーがいる野球界で自分はやっていけるのだろうかと思ったら、その横で、ひょろひょろひょろお~お・・と在来線普通みたいな球を投げていた投手がいて、誰かというと『がんばれ、タブチくん』にも登場する安田投手だったそうで、そして、一軍の公式戦で成果をだしていたのはどっちだったかというと、在来線普通の安田投手の方で、新幹線超特急の怪物サッシーも関東三羽ガラスも結局、成果を出すことができずにやめていった・・という。
  「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」とか何とかかんとか太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして四方八方に叫びまくって、それで、「ほんまは通ったのにお気の毒に」とか言ってもらおうとしていたようだったが、なんやかんや言っても結局、落ちてんやろうが! 違うんかい? 通ったのなら「通りました」言うてみんかい、コラ! ええかげん、うるさいわ、このおばはん! 迷惑なんじゃい!
  2021年のプロ野球 日本シリーズの第二戦、多くの解説者が「ヤクルトはオリックスの山本と宮城の先発投手2人はまず打てないね」と言いまくった、その宮城投手が1点を失い、その後の救援投手も1点を失い、逆にヤクルトの先発の高橋投手が完封! 2021年、開幕前、多くの解説者がヤクルトを最下位に予想した後、つば九郎がスケッチブックにマジックで「うるせえ、評論家ども!」と書いていたが、まさにその言葉の通りになった。そして、試合後、多くの解説者・評論家が「オリックス先発の宮城投手も好投したんですけれども」と言う中で、落合が「『好投した』というのは勝った試合で言うものです」と述べていた。「『好投した』というのは勝った試合で言うもの。負けたら好投してもボロ負けでも一緒」と。「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」て、「ほんまは通ったんや」と言いたいのかもしれないが実際に落ちたんやろうが! 違うのか? 通ったのか。通ったのなら「通りました」言うてみんかい、コラ! 落合が「『好投した』というのは勝った試合で言うこと」と言ったのは名言だ。落ちたからには「好投したもボロ負けも一緒」。しょーもないこと言うんじゃねえ。 「敗軍の将、兵を語らず」と言うように、余計なこと言わずに黙ってろ!

  よその息子の母親が何を言っても、「ああ、そうですか」てもので、ほっておけばいいはずだが、「ほっておく」ことができないのがうちの親だったのだ。「N口くんはしっかりしているのに、なんで、あんたはしっかりしてませんのん!?!」と言うのだ。うちの母親は「N口くんは大人やのに、なんで、あんたは大人になりませんのん!?!」と言って怒るのだ。
  ・・しかし、その「N口くん」てのが「しっかりしてますわあ」「大人ですわあ」という論拠は何かというと、その「N口くん」の母親が「うちの子はしっかりしてますわあ」「うちの子は本当に大人ですわあ」と太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして叫びまくっていたというのが論拠であって、それ以外に何か論拠があるのか・・というと何もなかったのだ。・・まあ、ああいうのが好きな人間というのはいたようだが、「ああ、そうですか」てものだ・・が、「ああ、そうですか」と考えることができない親を持った者としてはN口の母親というのは、なんともまあ、はた迷惑な親だった。私にとってはN口の母親というのは反社会的勢力だった。


【2】《1》 もうひとり、N口 要の友人でK村哲二て男がいたのだが、こいつの母親もまた、N口 要の母親と似たところがあって、迷惑な母親だった。
  私と同じ市立小学校・市立中学校から同じ府立北野高校に進学したN口 要 と同じ小学校・中学校・高校に行った男だった・・ということは、私とも同じ小学校・中学校・高校に行ったのだが、大学はこの男は大阪大学法学部に現役で通って行った。北野高校は私が卒業する前年までは京大合格者数全国1位の高校だったが、私が卒業した年は京都の洛星高校が1位になり2位だったが、京都の近畿予備校に行った人間の話によると、その年、洛星高校から京大に通った人間というのは「農学部ばっかり」だったらしい。・・で、その京大合格者数が1位だか2位だかの高校に行ったのに大学は京大ではなく阪大に行った・・・としても、本人が自分で決めてそうしたのなら、それはそれでいいのではないか・・と思うのだが、K村哲二の母親としてはそれではすまなかったらしいのだ。
  彼がなぜ京大を受けずに阪大にしたのかは、それは本人が考えてそうしたのだろうから、それはそれでいいと思うし、はたの者がそれをいいだ悪いだ言う必要はないことだ・・と思う。京都大学は昔から「アカデミックな伝統」とか「反骨の学風」とか言ってそれが好きだと言う人がいる反面、うちの父親などは「京大はアカやから受けてはいけません」などと私が高校3年になってから言いだしたが、そういう人もいるという大学だった。その後、うちの父親は私に「マスコミに勤めるのなら産経新聞にしなさい。朝日はアカやから勤めてはいかん。毎日もアカやから勤めてはいかん。マスコミに勤めるのなら産経がええ、産経が」と言い出したので、私は「マスコミに勤めるのなら朝日がええ。産経はアホやから勤めてはいかん。マスコミに勤めるのなら朝日がええ、朝日が」と言ったということがあったのだが、「京大はアカや」とか言うおっさんこそ「アホや」と言いたかった。原子力について本格的に研究している大学は国立大学では東大・京大・東京工大の3つしかないそうで、そのうち、東大と東京工大は推進派ばっかりで京大だけが推進派と反対派がおり、京大でも推進派の方が出世できるらしいものの、京大では反対派といえども追い出されるようなことはないそうで、2011年3月の福島第一原発事故の後、京都大学原子力研究所助教の小出裕章さんが「小出さんは原子力発電に反対の立場をとってこられたのですが、大学を追い出される心配とかされたということはありませんか」と質問されて、「京都大学という大学は破廉恥罪に該当するような犯罪を犯すとかでなければ、反対派だからといったことで追い出されたりする大学ではありません。この点で京都大学は日本一です」と語っていたのをYouTube で見たが、京都大学はたしかにそういったところがある大学のようだ。
熊取六人衆の脱原発 - 哲二, 今中, 眞治, 川野, 裕章, 小出, 健, 瀬尾, 圭二, 小林, 徹, 海老澤
熊取六人衆の脱原発 - 哲二, 今中, 眞治, 川野, 裕章, 小出, 健, 瀬尾, 圭二, 小林, 徹, 海老澤
しかし、慶應の先生で「経済学・商業学・経営学といった分野は教員養成所みたいな大学でも大学の教員が不足しているから、きみたち、もっと大学院に行って大学の教員になればいいよ」と言われた人があり、その先生が「教員養成所みたいな大学」とはどこを言っているのかというと、どうも、京大のことを言っているようだった。たしかに、言われてみると、片方で「アカデミックな伝統」「反骨の学風」といった面があるものの、京大卒の人というのは職業として「先生」になった人だけではなく、職業は先生ではない人でも、な~んか学校の先生みたいな雰囲気を持っているようなところがある。マック=赤坂さんにしても、バカやってるように見えて学校の先生みたいな雰囲気がある。それは絶対に悪いことはないけれども、絶対にいいということでもない。「アカデミックな伝統」は悪いわけではないけれども、別の見方をすると「必ずしも実務的ではない」とも取れるようなところもある。だから、仮に京大を受けたとしても合格できる可能性はあったとしても、それでも阪大に進学する方を選ぶ人がいたとしても、それもまた別に悪いことはない。
  但し、K村哲二の場合は司法試験に阪大入学5年目に通って弁護士になったらしいのだが、司法試験受験に関しては、法科大学院大学の制度ができてからかなり変わったけれども、1970年代後半から1980年代にかけての旧型司法試験については、その合格者数は東大と中央大のどっちかが合格者1位で他方が2位、京大と早稲田大のどっちかが3位で他方が4位で、慶應大が5位という年が多く、それ以外の大学では、東京圏では明治大・日大、関西では関西大・立命館大が何人かあったという感じで、その他の大学からの合格者はほとんどなかったので、合格者が多い大学といえども「多いというだけのことですよ」とか北野高校の3年の時の担任だったO谷郁三などは言うのだが、しかし、その文句は、司法試験なら司法試験を合格者が多くない大学から実際に受けて通ってその仕事について何年かやってきた人が言うのなら参考になるだろうけれども、その資格試験を受けたこともなく、ましてや合格してその仕事についたこともない人に無責任に言われても意味がない「多いだけ」であっても「多いだけでしかない」のか「多いだけのことはある」のか、どちらなのかわからないでしょう。「大学入試でもそうでしょ。ここの高校でも京都大学の合格者が多くても誰でも行けるわけじゃないでしょ」と大谷は言うのだったが、それは違う。やはり、京大合格者が多い高校に行っておいた方が京都大学には進学しやすいし、東大に行きたいなら東大合格者が1位の高校でなく2位の高校でも3位の高校でもいいけれども、ある程度以上の高校に行っておいた方が「絶対行ける」なんてことはなくても「行きやすい」のは間違いない。司法試験にしても、旧型司法試験の時代においては、東大・中央大・京大・早稲田大・慶應大の上位1~5位までの大学に行かない場合、それよりも合格者数が下位でも合格者を何人か出していた関西地域の大学で関西大・立命館大に行った方が旧型司法試験には有利か、それとも、一般的には大学の評価が関西大・立命館大よりも高い大阪大・神戸大に行った方が有利か判断に迷うところで、実際には、京大ならいいけれども、もしも、京大は少々厳しいかと思った場合、阪大・神戸大あたりにするか、司法試験合格者数としては阪大・神戸大よりも多かった関西大・立命館大にするかというと、人間の気持ちとしては阪大・神戸大の方になるようだった。京大を目指していた者に「京大に行けないのなら関西大か立命館大に行け」とか言うのはそれはかわいそうだろう。「受けるのは自分自身であってまわりで通るやつがいても自分が通るわけではない」し、「周りで落ちるやつがいても自分も落ちないといけない義務があるわけではない」のはもちろんそうだけれども、しかしそれでも、合格者数が多い学校に行っておいた方が「情報が入りやすい」し、又、大学に合格までのシステムというものがある所とない所があるということがある。
  慶應大学は東大・中央大などよりも合格者数は少なかったが、それでも司法試験合格のために司法研究所というものが設けられていた。しかし、もっと「底辺の方の大学」にはそういうものはないだろう。但し、司法試験に関しては大学に行かずに司法試験一次試験合格から二次試験を受けて通る人もいるくらいだから、司法試験に対応したものを設けていない大学に行った場合でも「2年修了」で司法試験二次試験受験資格を得るためだけに行くという考え方もあり、東京リーガルマインドとか伊藤塾とかいった大学と関係なく司法試験対策をやっている所もあるのだから、司法試験合格者数0人の大学に行ったとしても合格不可能ということはないだろう・・けれども、一般的には合格者数1位でなくてもある程度合格者数を出している所に行った方がやりやすい条件はあるのではないか・・と思う。
  私が高校3年の時、代ゼミの東大模試を受けた時に代々木ゼミナールで出していた代ゼミ通信だったかそういう無料で配布されていた冊子に、代ゼミで1浪して東大に合格した人の座談会が掲載されていたが、東大文科一類に合格した人が「東大の文科一類に行くと、絶対に司法試験に現役で通るんだあという人間だらけなのでつられて勉強するようになります」と話していたのだが、それに対して慶應大学に行くと「しほうしけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い! やめろおよ、司法試験なんてえ~え。暗い、暗い、暗い!」とか言う人間だらけ・・・だったが、それでも受けたければ受ければいいのだろうけれども、「どっちかというと」かもしれないが、司法試験を目指すのならば「しほうしけえ~ん? 暗いよ、暗い、暗い、暗い! やめろ、やめろ、司法試験みたいなも~ん」と言う人間だらけの大学に行くよりも、「周囲が『絶対に司法試験に現役で通るんだあ』という人間だらけなのでつられて勉強するようになります」という大学に行った方が合格しやすいということは・・ありそうな気もしないでもなかった。「多数につられてなった人」と「多数に埋没せずに自分の意志を通してなった人」なら後者の方が値打ちがある・・という場合もあるかもしれないけれども。
  もうひとつ、ある程度、司法試験合格者が出ている大学に進学しておかないと、「そんな大学に行ったようなやつが司法試験なんか合格できるわけないだろうが」と言われて周囲の協力をえられない、という場合がある。我が家もそうだった。だから、周囲の協力を得ようとすると、ある程度の合格者数を出している大学に行っておいた方がやりやすいというのは事実だ。「どこに行っても一緒ですよ」などという北野高校の教諭の大谷郁三の言い草は無責任だ。
  阪大は関西では京大に次ぐ評価の大学だけれども、司法試験合格者数については京大の次ではなく関大・立命館大よりも少なかった。彼が阪大法学部に入学した頃は、関西の大学で司法試験合格者数が多かった大学というと京大くらいで、他は関大・立命館大くらいに合格者数があって阪大・神戸大からの合格者数は「まったくないということはないかもしれない」程度だったから、
(1)それから考えると司法試験合格を目指すのならば京大法学部に行っておいた方が良さそうなものだったし、浪人中、同じ予備校にいた人で「司法試験を受けるのでなかったら阪大でもいいけれども、司法試験を受けたいので京大の法学部に行きたいんだ」と言っていた人もいたし、そういう考え方もあったが、
(2)他方で、司法試験に早期にに合格する為には大学入試に浪人して1年費やすならその1年を司法試験の学習に費やした方がいい、2年浪人して京大法学部に行くより現役で阪大法学部に行って、その2年を司法試験受験に使った方がいいという考え方もあるので、無理に難しめの所を受けるより合格できる可能性がより大きい所に現役で行くようにした方がいいという考え方もあっただろう。しかし、ここで難しいのは阪大は「京大よりはいくらか易しいであろう」とはいっても決して無茶苦茶易しいわけではないので、浪人して京大に行くより現役で阪大に行った方がいいという考えで阪大を受けたとしても、だからといって「絶対に通る」なんてことはないのだ。その判断で阪大を受けて、その阪大を落ちる可能性だってある。それなら京大にしようか・・と考えがちだが、それで京大にして落ちるということもまたある。
  それでだが、もし、どういう理由でか、ともかく阪大を受験することにした方がいいと判断する理由が彼にあったのなら、それは彼の判断だから他人がいいだ悪いだ言うべきものではないはずだし、言ってもしかたがないことだろうし、だから、もしも彼が京大でも行けた可能性はあったが阪大がいい、もしくは阪大でもいいと判断して阪大に行ったのなら、それならそれでいいのではないか。
  ところが・・・だ。

  このK村哲二というやつは【1】のN口 要の友人だけあって、K村の母親もN口の母親に似ていたのだ。なんとも迷惑な連中である。K村哲二は大阪大学法学部に入学して5年目に司法試験に合格して弁護士になったようで、私は彼に弁護士の仕事を依頼したことはないので弁護士としていい弁護士だったかろくでもない弁護士だったかは知らないが、インターネットで見ると、今、神戸大学法科大学院大学の先生様になっていらっしゃるらしい。うちの父親が今も生きていたら「K村くんの所に行って、爪の垢をいただいてきて飲みなさい」と言うであろうところである。そんなもの、飲んでもあんまり健康に良さそうではないが、自分は飲まなくてもひとに飲ませたがる人間症候群 という人間はいる。ホームページを見ると、彼の弁護士事務所は大阪市内にあって、彼の他に京大法学部卒の男と弁護士2人でやっているらしい。
〔 よその息子の「爪の垢」を飲ませたがるおっさんの話については⇒[第503回]《「爪の垢」を飲ます側の論理・「爪の垢」を飲まされる側の論理。薬漬けで息子を裏口入学させるのは「思考が柔軟」か? 息子に出さない費用をよその子に出す親と出させる牧師。弁護士は「爪の垢」を飲ませる側の人間―父の日に(4)》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202006article_4.html 〕
  K村哲二の母親は「うちは現役で通りました」と言い、さらに「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生が言われましたそうなのだ。最初、「ああ、そうですか」としか思わなかった。彼が現役で阪大の法学部に通ったというのは知っていた。同じ中学校から同じ北野高校に行った人間で、京大の法学部に現役で通った男が1人、京大の経済学部に現役で通った男が1人いたから、もしも、彼もその2人と同じくらいの成績を模擬試験などで取っていたならば「京大でも通る」可能性はあっただろう。私自身も、北野高校に入学した1年の前半、担任だったO田先生が懇談でうちの母親に「入学した時の試験の成績の学年順位で考えるなら、もしも、その学年順位のまま、3年まで行ったとして、実際には入学試験にある科目ない科目といったものもあるから学年順位のままで合否が決まるわけではないけれども、もしも、その学年順位のままで合否が決まるなら、京大に行ける成績です」と言ってくれたらしかった。だから、K村が高校に入学した時の入学試験の成績が私と同じくらいで、高校3年も入学試験と同じくらいの成績であったならば「京大でもねらえます」というものであったとしても不思議はなかったことになる。私はそれを否定しようとは別に思わなかったし、否定しても私に特にメリットがあるわけではなかった。 その頃、北野高校の学区だった大阪府の中学校では、豊能地区の中学校と淀川地区の中学校では全般に豊能地区の中学校の方が学力水準は高めであり、北野高校を含めて府立高校の入試の合否は中学校の内申書と高校入試の筆記試験を合算して決められて、内申書の成績はあくまでもその所属の中学校での相対評価だったから、豊能地区の中学校出身者に比べて淀川地区の中学校出身者は内申書の成績が良くなりがちで、その結果、豊野地区の中学校出身者の方が入学時の成績はいい場合が多かったし、私の出身中学校は豊能地区の中学校の中でも比較的学力水準は高い方の中学校と言われていたので、比較的学力水準が高い中学校から北野高校に進学した者ならば「京大をねらえます」という成績を模擬試験で取れていた可能性は十分あっただろう。私とK村哲二とは同じ中学校から同じ高校に進学した人間だから、高校入学時の学力というものは同じくらいだったであろうと仮定するならば、その部分で私とK村哲二は共通点があったわけだから、もしも、自分と共通点がある者をけなすと、めぐりめぐって結果として自分をけなすことになり、逆に、自分と共通点がある者をほめると、めぐりめぐって自分をほめることにもなる。だから、同じ中学校から同じ北野高校に入学したK村を私がけなしても私に得するものはなかったし、彼も私をけなしても得するものはなかったはずで、私は別に彼をけなしたいなんてちっとも思っていなかった。
  1993年、(株)一条工務店にいた時、同社の営業本部長のA野隆夫がエスバイエル(株)の「ハウス55」という商品を「『ハウス55なんか建てたら地震の時に引っくり返りますよ』とお客さんに言ってやれ」とか新人に吹き込み、論拠のない悪口雑言を「ハウス55」という商品に浴びせたくてしかたがないという態度で、「なんとも、品のない営業だなあ」とあきれたことがあった。天野隆夫のような「同業他社と同業他社の商品に対して、論拠なく非論理的な悪口雑言罵詈讒謗を浴びせる営業」というのは、それが原因で墓穴を掘る、オウンゴールをやることになる可能性が小さくない・・のだが、天野隆夫の場合は、それが営業上有効だからではなく、そういうことをやらないとおれないという性癖がある人間だったようだった。「ハウス55なんかで建てると地震が来た時に引っくり返りますよ」などと論拠もなく言ったならば、その発言は間に入っている見込客を通じて相手方の営業に伝わり、「一条工務店の営業さんは何もわかってないんですね」と言われることになる。相手方には、それに対して「ハウス55が採用している木質パネル一体構造は・・・という構造でこのように在来木造よりも地震に対して強い強度を発揮するようになっているのです」という理論があるわけだから、もしも、それを否定しようと思うのならば、否定するだけの論理を述べないといけないはずで、論理的に否定することなく「ハウス55で建てたら地震の時に引っくり返りますよ」などと理由もなく悪口雑言を浴びせて、「しかし、エスバイエルの人は・・・と言われたのですが、それは違うのですか」と質問を見込客から返されたら、単に悪口雑言を浴びせただけの天野隆夫はそれに対して返すことはできないはずであり、「この人は、単に同業他社のものに悪口を言うだけの人間なんだ」と思われて自分と自分の所属する会社の評価を下げるだけの結果になることが眼に見えていた・・が、そう思って「そんな言い方をしてしまったら・・」と言うと怒るのだった。「おまえは黙ってろ」「おまえは口きくな」と天野隆夫は言うのだった。要するに論拠なく同業他社の商品に悪口雑言罵詈讒謗を浴びせたいという性質・性格が卑しい男は、それを自分がやるだけではなく新人にもさせたい人間シンドロームの「ビョーキ」、同業他社と同業他社の商品について「論理的に問題点を指摘する」のではなく「見当はずれな罵詈雑言を浴びせる」というのをやりたくてしかたがないという「病的」な男で、「そういうことをすると相手方にではなく自分の側にとってマイナスになってしまいますよ」と私などが指摘しようとすると「おまえは口きくなあ!」と怒鳴りつけるのだった。そういう人が(株)一条工務店という会社では営業本部長になっていた。そういう男が(株)一条工務店の営業本部長だったのだ。今もなっているはずだ。むしろ、「ハウス55」というものを「理由もなくけなす」というのは(株)一条工務店にとってはマイナスになったはずで、なぜなら、「ハウス55計画」というのは建設省(現 国土交通省)と通産省(現 経済産業省)とが合同で推進した「1975年(昭和50年)の物価で延べ床面積100㎡の広さの家を500万円台で、良質な住宅を供給できるように」という趣旨でおこなわれたプロジェクトで、それに小堀住研(株)〔⇒エスバイエル(株)〕・ナショナル住宅産業〔⇒パナソニックホーム〕・ミサワホームの3社が入選したというものだったが、その後、「ハウス55計画」の在来木造版として建設省(現 国土交通省)が実施したのが「家づくり85プロジェクト」で、これには3社ではなくもっと多くの会社が入選したのだが、(株)一条工務店もこの「家づくり85プロジェクト」に入選していて「信頼大きく六冠王」と大きく書いたパンフレットを(株)一条工務店は作成して来場客に配布していたのだが、その「六冠王」という6つのうちの1つが「家づくり85プロジェクト」に入選しました~あ・・というもので、自分の会社がその「家づくり85プロジェクト」に入選していたというのを「売り」にしていたわけですから、「家づくり85プロジェクト」と同じ趣旨でおこなわれた「ハウス55計画」に対して非論理的な悪口雑言罵詈讒謗を浴びせたのでは、「ハウス55計画」に非論理的な悪口雑言を浴びせる⇒「家づくり85プロジェクト」をけなす⇒「家づくり85プロジェクト」を「売り」にしている(株)一条工務店とその商品をけなす・・という結果になるはずでしたから、そういうことはしてはいけないはずでしたが、それを指摘しようとすると「おまえは口きくな!」と言って怒鳴りつけられるのでした。(株)一条工務店の天野隆夫という男は、営業本部長ではあっても、営業にプラスになることをやりたいのではなく・営業にプラスになることをやらせたいのではなく、営業上マイナスにならないことでも「同業他社の商品に非論理的な耳を塞ぎたくなるような卑しい悪口雑言を浴びせるという自分の性癖・病癖を満たす」ということを優先してやりたい・新人に教えてやらせたいというそういう人間だったのです。会社の利益よりも天野隆夫の個人的な病癖を満たすことを優先する人間だったのです。
  さらには、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株) の商品では「ハウス55」は「高品質低価格」タイプの商品、「その内容から考えると低価格」「その価格から考えると高品質」というタイプのもので、それより高価格帯の「新 桂」があり、「ハウス55」はクルマにたとえればカローラくらいの商品で「けっこうよくできたカローラ」だったのですが、小堀住研(株)⇒エスバイエル(株)はその後、2代目社長の中島昭午が安物路線に突き進んで会社をつぶしてしまいましたが(アホちゃうかて感じ( 一一) ですが)、天野隆夫がその発言をした1993年頃までは(株)一条工務店とは違ってけっこう広い価格帯で建てていた会社で、クルマにたとえればカローラぐらいの「ハウス55」もあれば、クラウンにあたるものもセンチュリーにあたるものも建てていた会社で、(株)一条工務店の場合は「クラウンくらい」のものしかない、「カローラ」も苦手、「センチュリー」も苦手という会社で、その「クラウンくらい」のもので、かつ「地方向け」のものを得意としていたという会社であり、「クラウンくらい」しか商品がない会社が他社の商品でも「クラウン」ではなく「カローラ」の方に対して必死こいて悪口雑言罵詈讒謗を浴びせるというのは意味不明・理解不可能なことでした。そもそも、「クラウン」しかない会社が他社の「カローラ」と競合になっているのなら、まず、それがおかしいのです。ひとつには「浜松中心主義」の(株)一条工務店では、浜松・掛川・名古屋においては無茶苦茶なダンピング販売をしていて「セゾン275S1」と名付けていたものを「施工面積」という延べ床面積よりも広くなるようにした(株)一条工務店独自の面積で東京都では坪あたり55万円で販売させられていたものを、浜松・掛川では坪48万円でウルトラのダンピング販売をしていて、名古屋でも坪49万5千円でウルトラのダンピング販売を、東京圏ではやらないテレビ広告付きでやっていたため、東京都では「クラウン」の(株)一条工務店の商品が浜松・掛川・名古屋においては「カローラ」に価格の上で近づいていたのです。その為、東京圏では「クラウン」であって他社の商品と競合になるなら他社の「クラウン」と競合になり他社の「カローラ」とは競合にならないものが、浜松・掛川・名古屋の営業は他社の「クラウン」と競合ではなく他社の「カローラ」との競合で営業やっていたのです。(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫は東京営業所長・松戸営業所長だと言いながら「渋谷て言ったら小岩の東の方だらあ。新宿といったら平井の北のほうだら。そうだら。よく知ってるだら。ぼく、東京はよく知ってるんだから」とか何度も何度も大きな声で胸張って言う人で、東京営業所長・松戸営業所長であっても自分自身は東京圏で営業やった経験はまったくない人だったので、東京圏においては「ハウス55」なんてガチガチの競合になることはほとんどないという状況を認識できず、競合にならない他社の商品をけなしても「他社の商品に論理的でない悪口を言う下品な営業」と自分の方の評価が下がるだけ!・・であるのに、自分と自社の評価が下がるだけであることをやらないとおれない症候群の「ほとんどビョーキ」を発揮しないとおれないのでしたが、実状を考えるなら、競合にならないような同業他社の商品なんてけなしても「単に、他社の商品に理由のない悪口を言う下品な営業」と自分と自分の会社の評価を下げるだけということが天野隆夫はその程度のことすらも理解できていなかったのです。その時、入社して2か月目に入ったか入っていなかったかの松田が松戸展示場で接客した来場客が「エスバイエルのハウス55というの、あれでいいのじゃないかと思ってるんだ」と言われたということから、それで天野隆夫は「『ハウス55なんて建てたら地震の時に引っくり返りますよ』と言ってやれ」などと言い出したのですが、「ハウス55」というのは、「在来木造でなら、ある程度以上の費用を出さないと地震・台風に強い家はできませんが、木質パネル一体構造のハウス55では低価格でも地震・台風に強い家を実現することができたのです」というもので、それはどういう理由によるものか・・という理由づけ・理論づけがある商品だったわけですから、それに対して理由・理論なく悪口雑言を浴びせるというのは、それは個人大工がよくやることだったのですが、「程度低いなあ」と思われるだけの結果を招くもので、何より、「うちは特別の金持ちでもないからカローラくらいでいいと思ってるんだ」とその来場客は言われていたわけで、そういう相手に対して「クラウン」しかない会社の営業がやるべきこととしては、自社の「クラウン」は「カローラ」よりも高いけれども、それだけにいいところがあり、それはどういうところか・・といったことを話すべきで、見当はずれな罵詈雑言を浴びせても自分と自社の評価を下げるだけでしかないだけでなく、「クラウンしかない会社」が同業他社の「カローラ」をけなしても意味はなかったのです・・・が、それでも同業他社の「カローラ」に非論理的な悪口雑言を新人に言わせたがる男というのが(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫だったのです。 ・・ちなみに、(株)一条工務店の天野隆夫は同業他社の「カローラ」に「カローラなんて買ったら、ブレーキ踏んだら加速しますよ」みたいな悪口を新人に言わせようとしていたのですが、カローラは「リーズナブル」な価格帯のクルマでありながらなかなか良くできています。「ブレーキ踏んだら加速する」のはプリウスであってカローラは「ブレーキ踏んだら加速する」なんてことはありません。
  民間企業の営業においても、同業他社の商品が自社の商品と共通点がある場合に、自社の商品と共通点がある物を攻撃したならば、結果として自社の商品を自分で攻撃している結果になることがあるわけで、その例が ↑ であげた(株)一条工務店の営業本部長のA野隆夫さんによる「エスバイエル ハウス55」への見当はずれな悪口雑言でした。
  私とK村哲二とは、同じ中学校から同じ高校に行った人間であり、その点だけでも共通点があったわけで、私は彼をけなしたいなんてちっとも思っていなかったし、私が彼をけなすと結果として自分をけなすことにもなったでしょうし、彼もまた私をけなすと結果として自分をけなすことにもなったはずだったのです。
  ところが、K村哲二のお母さんというのはそうは考えなかったみたいでした。あのおばはん、ええかげんにしてもらいたいもんだ・・と思いました。ほんまに、ほんまに、うるさいおばはんやなあ、ほんまに!

  まず、何よりも断っておきたいのは、私は川村に「すんませんけど、京大は受けんといてもらえませんか」なんて頼んだことは一度もないでえ。誤解せんといてやあ。
  「京大でも通りますと北野高校の先生が言われました」かどうか知らんけども、もしも、京大に行きたかったのなら受けて行けばよかったじゃないか。なんで、京大を受けへんかってん? わし、川村に「お願いですから京大は受けんといてください」なんて頼んだことは一回もないでえ。 京大を受けずに阪大を受けたのは自分やろうが。違うのか。私が京大を受けずに阪大を受けてくれなんて、一言でも頼んだか? 頼んでないだろうが!
  な~にをわけのわからんこと言うとるんじゃ、何を!!!

  京大を受けようか阪大にしようか迷った末、阪大を受けて阪大に行った人間には、入学後、「京大でも通ったかな」とか思う人がいるようだが、そう思ったとしても京大を受けずに阪大を受けると決めたのは自分だろうが! 誰かに京大を受けられないように妨害でもされたわけではないからには、「京大でも通ったかな」とか思うことがあったとしても気持ちはわからんこともないが、それでも、自分が阪大を受けることに決めて行った以上、しようがないだろうが。
  又、京都大学という大学は「アカデミックな伝統」とか「反骨の学風」とか言って、それにあこがれる人がいるけれども、別の見方をすると「アカデミックな伝統」というのは「必ずしも実務的ではない」とも取れるところがあり、「学校の先生みたいな人間ばっかり養成している大学」みたいな面もある大学なのだ。だから、関西では「別に東大に行かなくてもいいじゃないか」と考える人はいるわけだが、同様に、京大にしょうか阪大にしようか考えて、受けたとして通るかどうかと別の問題で「別に京大に行かなくてもいいじゃないか」と考えて阪大か神戸大に行く人というのもあるみたいなのだ。そういう人が、もしも、京大を受けていたならば通ったか落ちたかは受けていない以上はわからない。「京大でも通ったのではないか」と本人が思うのならば、思うのは心の内面の問題だから好きに思えばいいが、「京大でも通りますと北野高校の先生が言われました」とかギャースカぎゃーすかギャースカ言われても、「ああ、そうですか」とでも言うしかない。いいかげん、うるさい!

  「京大でも通りますと北野高校の先生が言われました」と川村のお母さんは、太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして近所中に言ってまわるようだったが、私が北野高校の先生にもしもなっていたならば「模擬試験の点数で見るならば、京大でも通る可能性はありそうな点数です」くらいなら言う可能性はあるとしても、「京大でも通ります」なんて、そんなことは言えへんなあ。もしも、模擬試験でけっこういい成績を取っていたとしても、模擬試験というのはあくまでも模擬試験であって、模擬試験でけっこういい成績を取っていて、それでいて落ちたなんてことは「あること」であり、「通ります」というような表現は私が北野高校の先生ならしないな。
  北野高校の音楽のN先生が「私は1年生の担任をやってくれと言われるならやりますが、3年生の担任はやってくれと言われても断ります。もしも、芸大に行きたいというような人なら自分が受けた時の経験とかを話してあげることもできますけれども、京大とか阪大とかの受験のことは私はわかりませんから、だから、3年生の担任は大学入試にある科目を担当している先生で自分自身が京大とか阪大とかを受けた経験がある先生が担当した方がいいと思います」と言われていたが、その点について良心的だと思う。しかし、実際には体育の先生で3年生の担任になっていた先生もあったし、又、「大学入試にある科目を担当している先生」でも自分自身は「京大とか阪大とか」そういう大学を受けた経験なんてない人、自分自身はそうではない大学卒の人もいたみたいなのだ
  卒業してしばらくして思い出した。私が北野高校に入学した年、3人の教諭が北野高校に赴任されたのだが、その際、校長が紹介した時、どういう表現だったかというと、
「数学のS先生は北野高校を卒業された後、大阪大学理学部数学科に進学され、大阪大学の大学院に行かれて修士課程を修了され、今年から母校の数学の先生として赴任していただくことになりました」
「化学のM先生は奈良女子大学の理学部化学科を卒業されて大手前高校で教えておられましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」
「日本史のO谷先生は大手前高校で日本史を教えてこられましたが、今年から北野高校に来ていただくことになりました」
・・・・ぼけっと聞いてると気づかないが、あれ? 大谷だけ出身大学の名前がないやんけ! な~んでだ?
  私が3年の時にO谷と話していた時に「京都に行っていた時に・・」なんて彼が話したことがあったので、彼は京都大学卒なのかな・・と思ったことがあったが、どうも、はっきりした言い方をしないし・・と思っていたのだが、「京都大学」ではなく「京都の大学」てところだったのかな? そんなとこかな?
  大谷郁三が「大学によって人を差別してはいかん」とか何とかかんとかぐじゃぐじゃぐじゃぐじゃ執拗に言いまくるというのは、自分自身があんまり評価されない方の大学出身だったのか・・・て、そんな感じだ。ほかの仕事ならば、「大学はそんなに評価される大学は出ていませんが、仕事についてからは真面目に努力して成果を出しました」とかそういうこともあるかもしれないけれども、「高校は大学入試のためだけにあるものではない」とは思うけれども、しかし、高校を卒業した後、就職するのでなければ進学するわけでしょ。そうすると、高校の3年の時の担任が大学入試についてわかっている人かそうでない人かで、それで行きたい大学学部に行けるか行けないか変わってみたりすることだってあるわけですよ。自分自身に経験がない男に進学校の3年制の受験の指導ができますか?
  自分の所の高校からどこそこの大学に何人合格させたなんて言っても、自分の所の高校から何人か合格したということは、どこかでその分だけ不合格になっている者がいるのだから、別段、自分の所から多く合格させても、それは何ら世の為、人の為になることをやったわけでもない・・といういのはそうであるとしても、それはそうなのだけれども、それでも、自分の目の前にいる生徒には出来る限り行きたいと思う所に合格させてやりたいと思うものと違いますか。
  それを、「傾向と対策」を考えて、「試験に出る」部分を「出る順」に学習すれば京大なり東大なりに合格できる生徒を、試験に出ないようなものばっかり大量に学習させて関関同立とかそこらに行かせて「大学はどこでも一緒や。良かったじゃないか」とか言うようなおっさんて「ええ先生や~あ」て思いますか?
  だいたい、大谷郁三という男は「目の前にいる進学校の生徒」というものに対して敵意を持っていたようなところがあり、「進学校の生徒」に敵意を持っているような男が何もその「進学校の生徒」を教える仕事につかなくてもいいのじゃないか。「進学校の生徒」というものに敵意を持っているが高校の教諭はやりたいという人は、進学校ではない方の高校の教諭になった方がいいのじゃないか・・と思いませんか。
  K村哲二は北野高校の3年の時は私とはクラスは違いましたから、担任は「出身大学不明」の大谷郁三が担任ではなかったが、もしかして、「体育の先生」でも担任だったのか?
  そんなもん、「北野高校の先生」は「阪大なら絶対に通ります」やなんて、そんなもん、普通、言えへんでえ、そんなもん。
もしも、言ったのなら、その先生が間違っている。川村は3年の時、「体育の先生」が担任やったんかあ? 私が北野高校の先生ならば、たとえ、相当いい成績を模擬試験で取っていた生徒に対してでも、「阪大なら絶対に通ります」やなんて、「絶対に」言えへんで、絶対に。大学入試はそういうものとは違うんだよ、そういうものとは! 

  まず、一番の問題として、阪大(大阪大学)というのは「阪大なら絶対に通ります」などと言うほど阪大は易しくないのだ。これは私が北野高校の3年の時に担任だった大谷から言われたことでもあるのだが、「京大と阪大なら阪大の方が易しそうに思えるでしょうけれども、実際にはそんなに大きく違いませんよ」と言うのだ。京大なら通った人4人・落ちた人6人という成績だったとすると、もしも、その成績が模擬試験ではなく本番の試験なら不合格になるが、阪大ならば「絶対に通る」のかというとそうではなくて、京大なら通った人5人・落ちた人5人とくくらい。京大なら通った人5人・落ちた人5人の成績なら、阪大なら通った人6人・落ちた人4人というくらい。そんなものであって、もしも「京大でも通る可能性がある」成績を模擬試験で取っていたとしても、「阪大なら絶対に通る」というほど阪大は京大よりも易しいのかというとそうではない。

  もうひとつ、模擬魏試験で行きたいと思う大学学部に「通った人5人・落ちた人5人」という成績を取ったとすると、この成績をどう解釈するべきか、ということがある。「通った人5人・落ちた人5人」の成績というのは、「もしも、その模擬試験が模擬試験ではなく本番の試験であったとすると、合格最低点あたり」という成績であり、それより少しでも上の成績であれば合格、それより少しでも下の成績であったなら不合格という成績だ、ということになる。しかし、別の見方をすると、「通った人5人・落ちた人5人」ということは合格確率50% と見ることもできるわけだ。 「合格確率50%」というと、過去にその点数を取った人間の半分は落ちているわけであり、落ちたくないと思うと「合格確率80%以上」くらいの成績を取らなきゃならない・・みたいに考えがちだ。・・しかし、京大に「通った人8人・落ちた人2人」の成績て、それは相当の成績だ。それだけ取らなきゃ受けてはいけないとか言われたら、受けることができる所というのは「相当下の所」になってしまう。
  その「通った人5人・落ちた人5人」というのを「合格確率50%」と解釈すべきなのかどうかという問題がある。模擬試験でも、これはYMCA予備校の「主事」という藤井という男に私は説明してあげたのだが、どんなに説明してあげても理解しなかったのだが、大学入試の模擬試験と言われるものには「模擬試験型の模擬試験」と「学力テスト型の模擬試験」がある。資格試験の模擬試験は「模擬試験型の模擬試験」だけで「学力テスト型の模擬試験」というものはない。大学入試の模擬試験で「模擬試験型の模擬試験」としては、私などが高校を卒業した頃のものでは、河合塾の東大オープン・京大オープン、駿台予備校の東大模試・京大模試、代々木ゼミナールの東大模試といったものがあり、大阪北予備校が実施していた三大学判定模試というのは「三大学」というのは京大・阪大・神戸大の3大学でこの3つの大学の問題を想定したものだから「模擬試験型の模擬試験」に入れていいだろう。北野高校の模擬試験はどこの大学を対象としていると明言はしていなかったが現実に京大・阪大・神戸大には相関関係が大きい模擬試験だが東大にはそれほど相関関係は大きくはなく、早稲田大にはさらに相関関係はない模擬試験だったと思うので、「模擬試験型の模擬試験に近い」と考えて良かったのではないか。駿台・代ゼミ・河合塾などが実施していた模擬試験で「共通一次対策模試」といったものは共通一次試験を想定した「模擬試験型模擬試験」だろう。駿台・代ゼミ・河合塾などが実施していた「全国総合模試」といった名称の模擬試験というのは、これはどこの大学というものをはっきりと想定したものではないので「学力テスト型の模擬試験」の要素があるけれども、その模擬試験によって相関関係が比較的大きいところとそうでないところというものがあり、比較的相関関係が大きいところを受ける場合には「模擬試験型模擬試験」に近い要素も持ったのではないか。
  それで、その「模擬試験型模擬試験」というものは1回だけではなく何回か受けるようにした方が良いと思うのだ。もしも、模擬試験型模擬試験を5回受けて、5回とも「通った人5人・落ちた人5人」の点数より少しだけでも上の成績を取れていたとすると、「合格確率」として考えると、50%と考えるべきではなく、「合格可能性は十分、低くない」と考えていいのではないか。もしも、「通った人51人・落ちた人49人」の成績を毎回取れていたならば、合格可能性は「51%」と考えるべきではなく、「合格可能性は低くない」と考えていいのではないかと思うのだ。「51%」と考えるならば「通るか落ちるか半々」みたいだが、「毎回、合格最低点よりも高い点数を取れていた」わけで、「合格最低点より1点だけ高い点数」というのを模擬試験ではなく本番の試験で取ったならば、それは「51%合格で49%不合格」ではなく「100%合格」なのです。高校が実施する模擬試験でも「業者の模擬試験」でも、本番の試験にそのままあてはまるわけではないところもありますから、「毎回、通った人51人・落ちた人49人」の成績だとまだわからないかもしれないけれども、しかし、片方で京大とか東大とかに行こうとする場合に毎回「通った人90人・落ちた人10人」以上の成績・・・なんて、そんなもの、簡単に取れると思うか?
 「結果として取った」人はいると思う。1992年、私が宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の試験に通った時、自己採点では50、満点で35点だったか36点だったかだったが、その年の合格最低点は30点だったと後から聞いたので、十分余裕をもって合格できたみたいだったが、しかし、それは「結果として」であり、受ける前には「合格最低点を1点でも上回る点数を出来る限り高い確率で取る」ということを考えた。満点取りたいとは考えなかった。その試験は満点取らなきゃ通らない試験ではないのだから、満点取ろうなんて考えたらかえってうまくいかなくなる。1992年に宅地建物取引主任者(⇒宅地建物取引士)の試験に私が通った時は、「合格最低点よりも1点でも高い点数を、できるだけ高い確率で取れるように」という姿勢でやって、「結果として、けっこう余裕をもって合格できる点数を取れた」というものだった。大学入試においても「結果として、余裕をもって合格できる点数を取れた」という人はいるだろうけれども、受ける前から「相当高得点で通らないといけない」とか考えていたならば、むしろ、そんな考えは「勝負弱さ」みたいなもの、逆に「ともかく、通ればええんや」と思って受ける方が「勝負強さ」であり、「合格最低点よりも高いか低いか」だけが問題とされる試験を受ける場合には「ともかく、通ればええんや」という姿勢でやった方がいいと思うのだ。
  「野球でホームランというのは外野のフェンスを越えたらホームラン」であって場外ホームランを打っても余計に点数をもらえるわけではないのであり、もしも、1番で合格できても、入学式の時に「新入生代表」とかいって挨拶に出してもらえる?・・くらいのもので、中にはそういうのに出たい人もいるのかもしれないが、私なら別に大学の入学式で、そんなもの出たくもないなあ・・・。そんなもん、めんどくさいだけやろ・・。「新入生代表」でなかったら、ええかげんな格好して適当な場所におればいいものを、わざわざ、堅苦しい格好して演壇に出て行かなきゃならんなんて、ああめんどくさ・・て感じ。
  大学の入試というのは、そんなものなんだよ。一般に阪大は京大よりはいくらか易しいのではないかと思われているけれども、無茶苦茶易しいわけではなく、「京大でも合格できます」なんて「北野高校の先生」がそんな言い方をしたのならその先生はあまり良心的ではないと思うが、「京大でも合格できる可能性は十分考えられる成績」を模擬試験で取っていたとしても、「阪大ならば京大よりは合格できる可能性は大きいかもしれない」くらいなら言えても、たとえ、「京大でも合格できる可能性は十分考えられる成績」を取っていたとしても、「阪大なら絶対に通ります」なんてことはない。阪大はそこまで無茶苦茶易しいわけではないし、大学入試において「ある程度以上のところ」を受ける限り、「絶対に」なんてものは、ない!
  中学校の「数学」で反比例のグラフというのをやったと思うのだが、正比例のグラフと違って反比例のグラフというのは、X軸の数値が大きくなるとY軸の数値は0(ゼロ)に近づくが、いくらX軸の数値が大きくなっても0(ゼロ)にはならない。Y軸の数値が大きくなってもX軸の数値は0(ゼロ)にはならない。大学入試において「ある程度以上のところ」を受ける限り、どんなに模擬試験で高得点を取っても、合格する可能性が「より大きくなる」ということはあっても、落ちる可能性が0(ゼロ)になるということはない、いわば、反比例のグラフみたいなものだと思うのだ。・・そうはいっても、京大・阪大くらいを目指している人が亜拓大東帝国あたりを受けたならば、氏名や受験番号を書き忘れたとか、あほくさいから白紙で出してきたとかいったことがなければ、まあ、落ちる可能性はあまりないかもしれないけれども、逆に、そういう所に通っても、「行く気持ちになれない」のではないか。だから、百パーセント満足できるかどうかは別として、「行こうという気持になれる可能性がある所」を受ける限り、「絶対に通ります」などということは、絶対にない! はずだ・・と私は思うのだ。「北野高校の先生」が「絶対に通ります」なんて本当に言ったのならば、その先生は良心的ではない・・か、もしくは大学受験をわかっていない人か、どっちかだろう。誠実さがないか無能かどっちかの先生だったということになる。(・・両方かもしれん?)

  今もそうかどうかわからないが、私が高校を卒業した1970年代後半からしばらくの頃は、東大は合格発表の時に合格者の受験番号を発表するだけだったが、京大・阪大・神戸大は合格発表で合格者の受験番号を発表するだけではなく、合格の場合も不合格の場合も出身高校に何点だったか教えてくれたのだ。だから、川村のお母さんは「北野高校の先生が京大でも通りますと言われました」などと、実際にはたぶんそんなこと言わないだろうと思えて、もしも本当に言ったのならその教諭は無能か不誠実かどっちかか両方かと思われるようなことは言わずに、自分の所の息子は優秀なのだと言いたいのならば、むしろ、「阪大の試験の成績は合格最低点よりも△点も上の成績を取りましたあ」と阪大の本番の試験での成績はぎりぎり合格ではなく相当良かったとそっちを言えば良さそうなものだった・・のだが、それはまったく言わない・・ということは・・、そっちは合格はしたけれどもそれほどものすごいいい成績ではなかったてことかあ? ・・・と思えてくるのだ。そんな感じしませんか?
  「雉も鳴かずば撃たれまい」という言葉があるが、「北野高校の先生が京大でも通りますと言われました」とかギャースカぎゃーすかギャースカぎゃーすかと太鼓を叩きラッパを吹き鳴らして、まさに「は~れるや、はれるや、はれるや、はれ~るや♪」て感じで歌いまくる・・・と〔⇒《YouTube-ヘンデル:オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤ・コーラス”》https://www.youtube.com/watch?v=15zcY3r7BYk 〕
逆に、「そっちを言うのなら、なんで、実際の阪大の法学部の入試の点数の方は言えへんねん? そっちはあんまりいい点数やなかったんかあ~あ?」とか思われる・・てことになる。まさに「雉も鳴かずば撃たれまい」である。
・・別にいいんだけどね。入学試験というのは合格最低点よりも1点でも上か下かが問われる試験であり、それこそ、2021年の日本シリーズの第二戦の後、「オリックスの宮城投手も好投したんですけれどもね」と言う解説者が多い中、落合が「『好投した』というのは勝った試合で言うことです」と言っていたのと同じで、落ちた者が「悪い成績ではなかったんですけど」とか言ってもしかたないし、ましてや「うちの子は一発勝負に弱いんですわあ」だのとしょーもないこと言いまくりしてもしかたがないのであり、それと逆に、入学試験というものはぎりぎりでも通ればいいのであって、無茶苦茶高得点で通ってもぎりぎりの点数で通っても合格は合格だからね。
※ 「雉子(きじ)も鳴かずば射(う)たれまい・・・キジも鳴かなければ居所を気づかれず、射たれることもなかったろうにということから、いらないことをしゃべったばかりに自分からわざわいを招くことのたとえにいう。 [出典]神道集。
( 折井英治編『暮らしの中の ことわざ辞典』1962.9.20.集英社)

  しかし、それにしても、うるさいおばはんやった。迷惑やった。ほんまに うるさいおばはんやった。

  そんなおばはん、ほっておけばええやろ・・・と思うのだったが、うちの親は「アホはほっとけ」と「ほっておく」ことができない親で、私が高校3年の時には「こいつ、現役で大学に通ったら思いあがった人間になって女を泣かせる男になりよるから、こいつ、絶対に落したるう! 落ちろ~お! こいつう~う!」と言って、私が、夜、家で学習中に、私の服の背中の部分をつかんで背後にひっくり返したり、箒でボコボコなぐりつけたり、私が使用していた部屋の電気を洗面所にあったブレーカーを落として照明をつかないようにして学習できないようにしたり、高校から家に帰ると電気を消してインタホンのソケットを抜いて音がならないようにして、雨戸を閉めて入れないようにした上で、高校に電話して「息子が帰ってきませんねえ~ん」と言ってみたりと、「な~にが何でも、こいつ、落したるねえ~ん!」とやったうちの母親は、K村の母親から「うちは現役で通りました」「阪大なら絶対に通ると北野高校の先生から言われました」「京大でも通ると北野高校の先生が言われました」と、「そんなもん、普通は言わんがなあ」と思うようなことを言われて、それで、「川村が通ったのに、おまえはなんで落ちてるんじゃあ~あ」と言って怒るのだったが、あんた、私が高校3年の時に言ったことと言うことが全然違うじゃないか・・と思ったものだったが、それにしても、神戸大学法科大学院大学の先生様のお母様にはずいぶんと迷惑したものだった。法科大学院大学の先生様ならば、自分の母親が近所にはた迷惑なことを吹きまくっていたことに対して、「しょーもないことやめてよ」くらい言ったらどうかとも思うのだが、神戸大学法科大学院大学の先生様はおっしゃらなかったみだいだった。
  ・・・法科大学院大学の先生様なんて・・そんなもんか?

  N口とK村は「友だち」だっただけに、その母親も、なんか、やることが似ている・・よなあ・・( 一一) はた迷惑なおばはんども・・。

《2》 それだけではないのだ、神戸大学法科大学院大学の先生様のご母堂さまは。
  結局、二浪もして、行きたくもない慶應大商学部に入学させられてしまったのだが、その夏休み、京大に行った人に聞いた話では、京大では体育実技は1年で週に1コマ・2年で1コマ、基本体育として中学校・高校と同じような体育の授業があるらしかったが、慶應大は基本体育というのが1年で週に1コマあって、それと別に「選択体育」と言って慶應大の体育会がおこなっている競技を希望により選択して、それを夏休みか春休みに2週間ほど固めて履修するということになっていた。同じことなら、他ではできないことをと思って「馬術」を選択して、夏休みの初めにそれを終えて大阪の家に帰宅すると、その翌日、うちの父親が「あんた、あしたからうちの会社の工場でアルバイトすることに決めてきたっ」などと言い出したので驚いた。
  2浪目の3月初め、もう何度も行ったことがある場所だが、それでも試験の前日に東大駒場キャンパスに行ってみて、その帰り、京王帝都電鉄井の頭線「駒場東大前」駅から乗った電車が「渋谷」駅について降りようと思った時、同じ中学校から同じ北野高校に行った人間で私より1歳下だったが現役で東大文科三類に合格して行ったUくんと会った。「来てもらえたらうれしいです。ぜひ頑張って合格してください」と言ってくれたのだったが、私はまたもや落ちてしまった。Uくんは、その後、渋谷でコントラバスを習っていてそこに行くということだった。東大文科三類に行った、もしくは行かせてもらった者は東大の講義にでるとともにコントラバスを習うのであり、私は化粧品屋の工場で肉体労働をさせられるのだった。
  東京で知り合った人で私より2つ年上の人で、麻布高校から1浪で東大文科三類に行き、東大の文学部哲学科に進んだ人がいたが、家庭教師のアルバイトをしていたようだったが、アルバイトはそれだけで化粧品屋の工場で肉体労働なんてしていなかった。「なんで、そんなもん、すんねん」て感じやった。
  日吉台学生ハイツの同じフロアに、やはり私より1つ年上で、兵庫県の甲陽学院高校から1浪で東大文科一類に行き、法学部卒で国家公務員1種試験合格で外務省に勤めた加藤という男がいたが、この男などは家庭教師のアルバイトすらもしていなかった。そのうち、うちの父親が「いらいらっとしたから仕送り、送るのやめたってん」と言って送金してこなかった時、食べるものがなくて、水だけ飲んで1週間ほど過ごしたことがあったが、自動販売機の底に50円玉か100円玉かでも落ちてないかと思って日吉の街を歩き回った時、ある清涼飲料水の自動販売機の下に50円玉が落ちているのを見つけて、道路に腹ばいになって手を伸ばして、それでも届かないから、そのへんにあった箒だったか何だったか忘れたがそれを延ばして手前に引き寄せた上で手を伸ばしてつかんで、その50円玉と財布に残っていた10円玉を合わせて、80円のメロンパンを買って食べたということがあったが、あの時のメロンパンほどおいしいと思ったものはこれまでにない。そうやって、自動販売機の底から50円玉を引っ張り出した時、その前あたりにあった「不二家」というけっこう高いレストランからアルバイトなんて何一つやっていない加藤が友人何人かと一緒に出てきた。まさに、このあたりに「民族の違い」「階級の違い」というものがあるのだろう。加藤はアルバイトなんて家庭教師や塾の講師のアルバイトすらもちっともしなくても、それでもけっこう高いレストランで当たり前みたいに食事をさせてもらっている。こちらは空腹を抱えて日吉の街を歩き回り、道路に腹ばいになって自販機の底から50円玉を引っ張り出してメロンパンを食っている。まさに「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」てものだ。「不二家」から何人かと一緒に出てくる加藤を見た時、私の耳元ではロシア民謡の「ドビヌーシカ」が鳴っていた。この時から私にとっての第一の愛唱歌は「ドビヌーシカ」になった。
※ 《YouTube-【ロシア語】仕事の歌 (Дубинушка ドビヌーシュカ) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=rk0C1GputJ8
  そういえば、同じ日吉台学生ハイツに住んでいた同じ中学校から同じ北野高校に行って、慶應大経済学部に現役で行ったS本て安物のビスコみたいな顔して、「なまたまご(生卵)」を「なまなまこ」と発音する男がいたのだが、こいつもアルバイトなんて何ひとつやっていなかった。S本から仕送りの額をいくら送ってもらっているか聞かれて正直に答えたところ、S本から「よく、そんな金額で1か月生活できるなあ」と言われたことがあった。S本はそれよりも1万何千円だったか2万円だったか1か月あたり多い金額を送金してもらっていたが、「それでも、かつかつやで」ということだった。S本 明 は、最初、日吉台学生ハイツに住んでいたが、後に白金台に1軒家を親が借りて住むようになった。私とは「民族と階級が違う」ようだった。
  ↑ の【1】のうちの親が大好きなN口要というシェイクハンドラケット ↓ みたいな顔した男は、
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( ↑ シェイクハンドラケット。)
京大に1浪で行って京都で下宿して京大に行き、週末ごとに大阪府北部の実家に帰宅して月曜日の朝にまた京都に行くという生活をしていたが、大阪府に帰ってくる金曜日の午後だったか、豊中市の曽根の学習塾の講師のアルバイトをやっていたようだったが、アルバイトはそれだけで、そんなもん、化粧品屋の工場の肉体労働やなんて、そんなもん、するわけなかった。
〔⇒[第295回]《自分も浪人した・自分も下宿しているという自覚がない大学生1-東京で下宿して大学に行くとカネがかかるか》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201705article_3.html
[第296回]《自分も浪人した・自分も下宿しているという自覚がない大学生2―浪人・2浪して大学に行くとカネがかかるか》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201705article_4.html 、
[第562回]《「『好投した』は勝った試合で言うこと」と入試に落ちた息子を「しっかりしてますわあ」と言いまくる母親。それを本気にする「尊敬」されるらしい未成熟な息子。》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/202111article_5.html 〕
  東京で知り合った人間で私よりも1歳年下だが、兵庫県の六甲高校から慶應大法学部に現役で通ったので慶應大では私より1つ上の学年にいたYもアルバイトなんて何一つやっていなかった。Yは両親ともに医者屋だったと聞いたのでうちよりも金持ちだったのかもしれないが、最初、日吉で「普通の下宿屋」に住んでいたが、そのうち、多摩川園で月5万何千円らしい何部屋かあるアパートに引越した。一度、呼んでもらったが、呼んでもらっておいてこんなことを言うのは何だが「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」て感じやった。なにしろ、「わしぁ日陰の月見草」・・・。
  北野高校で同じクラブにいた私より1歳上の男性で1浪して結局、滋賀大経済学部に行ったOさんはアルバイトなんて何もしていなかった。けっこう金持ちの方の家の人みたいだったが、そのわりにやることがせこい根性がせこい男だったが、アルバイトなんてものは何もしていなかった。
  やはり、同じクラブにいた私より1歳上で大阪大文学部に行った女性のなんとかさんは親の知り合いの子を見る家庭教師のアルバイトをやったり塾の講師のアルバイトをやったりしていたようだったが、「家庭教師とか塾の講師とか以外のアルバイト」なんて何一つやらず、私などとは全然違って、家庭教師や塾の講師の報酬で得たカネで大学生の間に2回もヨーロッパ旅行に行ったようだった。私とは「民族と階級が違う」ようだった。「ええなあ」「うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」・・・なにしろ、わしぁ日陰の月見草・・・「民族と階級が違う」ようだ。
〔⇒[第300回]《「東京で下宿して」大学に行くと費用がかかると思っている「自宅から歩いて行ける大学」の女》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201706article_4.html
同様の例はゴマンとある。すべて列挙しようなどと思ったら、どれだけの字数を費やしてもきりがない。
  うちの母親が市が企画している趣味のサークルに行ってそこに来ていた人で知り合ったらしい人で、娘が私より2つほど年下で北野高校から大阪大薬学部に行き、その弟は箕面高校から関西大に行ったという人がいたのだが、その人がうちの母親に「あらあ、お宅の息子さんはアルバイトを決めてこられたら嫌がられるんですかあ。変わってますね。うちの息子ならアルバイトを決めてもらったら喜びますよお」などと言いよった。私はそのおばさんの顔を見たことはなかったのだが、よく言ってくれると思う。その人の息子が「喜ぶ」というのは、「こういうアルバイトがあるけれども、もし、行くのなら紹介できるし採用してもらうように頼めるけれども」と話をもらって、その上で本人がどうするか判断してどちらかするということなら「喜ぶ」ということだろうが。うちの父親はそうではなく、「あしたから、あんたはうちの会社の工場のアルバイトに行くことに決めてきたっ!」と言って、本人に無断で「決めてきた」のだ。うちの父親というのは本人の都合も何もきかずに勝手に「決めてくる」のだ。そんなものを「喜ぶ」人間なんてあまりないと思うぞ!
   私はうちの父親に言ったのだ。「そんなにアルバイト、アルバイトと言ってアルバイト漬けにされるのならば、もう、学費も生活費も出していりません。自分で生活して働いて、それで自分で計画して自分が行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行きますから」と。ところが「そうはいくかい。おまえが産まれてこなかったらよかったのに産まれてきおったおかげで、わしはおまえを育てるのにカネかかって迷惑しとるんじゃ。そやから、これからおまえに働いて、これまでにかかったカネをまどてもらわんといかんのじゃ。とってちってたあ~あ」と言うのだった。私は「夏休みというのは高校でも大学でも、学校は休みでも勉強は休みとは違うのです。学校は休みでも夏休みでもやらないといけないことがあるのです」と話したのだが、「そんなもん、あるか! 大学生ちゅうもんは、暇や。大学生みたいなもん、な~んもやることなんてあらへん! 甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはこのチャンコロろすけイタコ浪商! 大学生ちゅうもんはヒマです、暇、ひま、ヒマ!」と言うので、「そんなことありません。夏休みでもやらないといけないものはあります」と言ったし、又、「大学の勉強を真面目にやろうと思えば、講義1コマに対してその3倍から4倍の自習が必要と言われているんです」とも話したのだ。 うちの父親の若い頃からの友人だったという人で大阪府立の高校の英語の先生をやっている人があって、その人の知り合いで数学の先生をやっていた人から「大学の勉強というのは本当に真面目に勉強しようと思ったら講義1時間に対して自習が3時間は必要だと言われる」と言われていたし、又、慶應大学の司法研究所の先生だったある助教授が「大学の勉強というのは、講義1コマに対して予習をその倍、復習をその倍やる必要があります。普段、4倍の時間は確保できないでしょうから、復習の方は夏休みとかにやってもいいですけれども、夏休み・春休みなども利用して、合計で講義1コマに対してその4倍は自習しないといけません」と言われたことがあったのだ。ところが、そういった話をしても、うちの父親は「そんなもん、嘘に決まっとる。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはこのチャンコロろすけイタコ浪商!」と言うのだった。そして、「ぼけっとしとってもしゃあないぞ」と言うので、「『ぼけっと』なんてしてませんよ」と言うと、「そうか。ぼけっとしてないか。そやけど、ぼけっとしとってもしゃあれへん」と言うのだった。
  さらには、うちの上の姉のダンナ(義兄)がうちの父親に加担した。「そんなの、大学生なんか何にもやることないよ」などと言うのだ。この男、俺に何の恨みがあるんだ? そう言われてうちの父親は「そうや、そうや。大学生なんか、ヒマは。やることなんか、な~んもあらへん」とか言うのだった。ポン大のやつと一緒にされたら迷惑なんだよ、ポン大と一緒にされたら。うちの母親の叔母だが、母は5人兄弟の上から2番目で、6人兄弟の下から2番目の叔母というのは母からすると姉くらいの年齢で、その姉くらいの年齢の叔母の息子、母からするとイトコにあたるが年齢としては母のイトコというよりも私の姉のイトコくらいの年齢の息子(もう、今は引退した年齢だが)は、1960年代、大阪の天王寺高校から1年浪人して東大文科二類(⇒経済学部)に進学したが、姉のダンナになった人が天王寺高校から現役で東大文科一類(⇒法学部)に行くのを見て、それで自分も東大に行こうと考えたと聞いている。そういう話を聞くと、いいなあと思ったものだった。実際のところ、ポン大のやつは迷惑なんだよ。うちの父親は、私が産まれなかったらよかったのに産まれたために、私が小学校1年の時に奈良女子大を受けた上の姉が落ちた、私さえ産まれてこなかったら、私を育てるのにかかったカネで上の姉に全科目、毎日、家庭教師に来てもらうことができて、もっと「応援」してやることができて、そうすれば奈良女子大に通ったのに、産まれなかったら良かったのに私が産まれたためにそれができなかったから、その為に「ほんまやったら絶対に奈良女子大に通っているT子さん」が私に奈良女子大を落とされたと毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらい言いまくってきたが、又、下の姉は「ほんまやったら絶対に東大に通った人やった」らしいが、下の姉もまた「ほんまやったら東大に行っている人やのにからに」私が「東大に行けんようにした」らしいのだが、高校生の時にはタイガースの後ばっかり追いかけまわしていたやつが〔念のため、「タイガース」ちゅうのは阪神とちゃうで。〕、なんで東大に通るのかさっぱりわけわからんし、逆に下の姉が高校生の時には私に「A子とつきあったらアホが移るからA子とつきあったらいかん」と言ったと下の姉は今でも恨み言を言うのだが、実際のところ、タイガースの後ばっかり追いかけてるおねーちゃんではなくて、たとえ、女でも旧帝大系国立大学くらいに行くようなおねーちゃんの弟だったら、弟は大学受験はずっとやりやすかっただろうなあ・・とかこちらは思ったものだったが、「ほんまやったら絶対に奈良女子大に通っているエライえらいおねーさん」というのも、ポン大卒のおっさんと結婚するのではなく、東大でなくても旧帝大系国立大学くらい卒の男と結婚してくれていたら、私にとっても、もうちょっと生活しやすかったのではないかと思う。うちの父親はそのポン大卒のおっさんを「決して悪い人ではない」とか言っていたが、「悪い人」とは別に言わないけれども、私ならば、結婚相手の弟に結婚相手の父親が何か言ったとして、それが適切なものか不適切なものかにかかわらず、自分は関係ないのに「そんなの、大学生なんか何にもやることないよ」などと言ったりはしないものだ・・が、あの男は毎度毎度そういったことを言う男だったのだ。一回だけではないのだ。そういう口をきいたのは。そういう「余計な口きく男」だったのだ。ポン大は黙ってろ! 迷惑なんだ・・が、そういう男に限って黙らないのだった。
  慶應大学の商学部の教授が夏休みに課題を出すことがあり、「夏休み、2か月もあるのですから、このくらいできるでしょ」と言って、けっこうハードな研究課題を出すのだが、「夏休み、2か月もあるのですから」と言っている側は、「その課題作成に1か月費やしたとしてもまだ1か月あるのだから、夏休みに、少々、レジャーやってもいいけれども、2か月のうちの半分の1か月くらいは課題作成に費やすくらいしても別に悪くないでしょ」くらいの意味で言っていたのであろう・・が、私にはその課題を作成する「夏休み」なんてないのだ。私にとっては「夏休み」というのは最初から最後まで「あるばいとお、アルバイトお、あるばいとお、アルバイトオ! いっらいっらしてきたあ」と言われて正社員と同様の勤務のしかたのアルバイトをさせられる期間であり、課題を作成する時間なんかどこにもないのだ。 又、ゼミの面接で「日吉(教養課程)の間に、あなたはどういう本を読みましたか」といった質問を教授がすることがあるそうで、その場合、「どういう本を」というのは「司馬遼太郎『坂の上の雲』なんてのはやめてくださいよ」ということで、「この場合、経済学の古典と言われるものでどういうものを読みましたかという意味」だそうだ。経済学の古典というと、たとえば、アダム=スミス『諸国民の富』は岩波文庫の大内兵衛訳のもので5分冊、カール=マルクス『資本論』は岩波文庫の向坂逸郎訳のものでは9分冊、それも1冊あたり、けっこうな厚みがある。『資本論』は『経済学批判』の続編として書かれたものだから、『経済学批判』と合わせると10冊。仮に1冊読むのに3日かかったとして、10冊読むのに30日かかるという計算になる。それを、1年の夏休みか1年から2年になる春休みか、2年の夏休みにじっくりと読めば、それなりに身につくものもあるだろう。『資本論』でなくても近代経済学者のものでも、ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』でもマックス=ウェイーバー『経済と社会』でも、分量も多ければ内容も噛み応えがある。慶應のある先生が言われた表現だと「きみたちは慶應義塾の学生なんだから、『離乳食のような本ではなく噛み応えがあるビフテキのような本』を読んでもらいたい」というそういう本を夏休み・春休みに読もうと思っても、私にはその夏休みも春休みもないのだった。うちの父親は言うのだ。「大学は勉強する所とは違うねんぞ、勉強する所とは。心得違いを起こすなよ。大学ちゅうところはアルバイトする所であって勉強する所とは違うねんぞ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとってはチャンコロろすけ、イタコ浪商!!!」「うちの会社の ぴん大のやつとか、きん大のやつとか、大阪けえ~え大のやつとかとおまえもおんなじようにせえ。ポン、キン、カンじゃポン、キン、カン♪ ポンキンポンキンぽ~んき~んか~ん♪」と。 夏休みに箱根の保養所で住み込みで「雑務」のアルバイトを2か月やった後、後期、初めに少人数の授業で助教授から「夏休み、何、やってた」ときかれて、「箱根の保養所で雑務のアルバイトをずっとしていました」と答えたところ、「きみ、そんなもの、保養所の下男なんかやってたら勉強できんだろう」と言われた・・が、実際、そうだった。しかし、うちの父親は「甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。大学は勉強する所とは違うねんぞ、大学は。そおれ、テッテコッコてっててって、ラッタラッタらったら、テッテコッコてっててって、ラッタラッタらったらあ~あ! 撃ちてしやまん、い~ちおく火の玉~あ! とってちってたあ~あじゃあ~あ!!! そんなもん、大学生はヒマでみんな、遊んどる。大学生はやることなんか、な~んもあらへん。ヒマでヒマでしゃあれへん」と言うのだった。「そんなこと、ありません」と言うと、「アルバイトを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気にかかっている人間です。慶應大学医学部の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~い、ものごっつうエライという先生がそうおっしゃってる。こいつ、電気ショック療法やって治療してやらんといかん。こいつがこういう口をきけんように電気ショックやったらんといかん! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! 電気ショックやったらんといかん、電気ショック!」と言うのだった。実際のところ、その小此木啓吾てやつ、ぶっ殺してやりたい・・・が、2003年9月にもう死んでまいよった。
  「うちの会社に来とる大学生も、みんな、いつでもアルバイトしとる。ぴ~ん大(桃山学院大)のやつとか、き~ん大(近畿大学)のやつとか、大阪け~え大(大阪経大)のやつとか、みんな、いつでもアルバイトやっとる。おまえも、ぴ~ん大とか、き~ん大とか、大阪け~え大とかのやつと同じようにせえ、チャンコロ!」と言うのだった。たしかに、うちの父親の勤め先の工場に来ていた桃山学院大・近畿大・大阪経大の学生はその工場に来ていた時は「いつでもアルバイトして」いたが、それはその工場にはアルバイトに来ていたので、それで「いつでもアルバイトして」いたのだったが、その工場以外にいる時も「いつでもアルバイトしておる」かというとそうではなかったのではないかと思う。
  アルバイトばっかりさせられていたのでは何もできない。私はずいぶんいろいろなことを提案した。ひとつは「これからでも自治医大を受けて行きます。自治医大ならば学費はタダで、全寮制で寮費もタダですから学費も生活費も出してもらう必要はありませんから」と言ったのだが、それも認めてもらえなかった。

  うちの父親は「わしの月に1回ある遅くまでの会議の日と、あんたの時間割の一番授業が少ない日を比べてみ。あんた、ものごっつい暇。あんた、暇で暇でしかたない」と言うのでした。「会社というのは、基本的には会社で勤務している時間に仕事をするものですが、大学の場合は授業の時間だけ行っておればいいというものではなくて、授業時間以外に自分で学習しないといけないのです。特に語学なんかは授業時間に学習するものではなく授業時間以外に自分で学習する性質のものですし」と説明したのですが、言っても言ってもうちの父親は絶対に理解しないのでした。こういったことを説明しなくても理解している親の息子と、どんなに説明しても絶対に理解しない父親の息子とでは条件が全然違います。実際、あのおっさんとつきあうのは疲れました。
  又、「わしの月に1回ある遅くまでの会議の日」と「あんたの時間割の一番授業が少ない日」を比べるというのも、それも、一番時間が長い日と一番時間が長い日を比べるか、一番時間が短い日と一番時間が短い日を比べるのならまだしも、なんで、一番遅くまでの日と一番少ない日を比べるのか・・とも思ったのですが、そういうおっさんやった( 一一)

  大学生でアルバイトをする人というのは、その目的は4種類あると思う。
(1)ひとつは生活費・学費が不足しているからアルバイトで補うというものだが、学費については親の年収が少なければ日本育英会奨学金から「学費分」を出してもらえたのだが、我が家の場合は父親の年収が日本育英会奨学金を受給できる基準よりも多かったので受給できなかった。生活費については、慶應大学の場合は慶應義塾奨学金というものがあって、日本育英会奨学金を受給して「学費」を出してもらった人には自動的に慶應義塾奨学金から「生活費」を支給するという制度があったが、うちの父親の年収が日本育英会奨学金を受給できる基準を上回っていたのでこれも受給できなかった。自治医大の場合は、卒業後、出身地の都道府県で何年か以上、へき地の診療所に勤務するという条件で学費はタダ、全寮制で寮費もタダというすんばらしい条件だったが、「だ~れがそんなもん、行かすかあ~あ」とうちの親が言うので行けなかった。
  うちの父親が「そんなに、自分が行きたい大学の行きたい学部にと言うのなら新聞配達やって行きなさい」と言うので、それで、東京のサンケイ新聞の奨学生センターに行って話を聞いたり情報を集めた上で「新聞配達やって、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行きます」と言ったところ、うちの父親が読売新聞の新聞奨学生募集という紙を持ってきて、「読売新聞が奨学金をくれるらしい。あんた、これを申し込みなさい」と言うので、「それじゃ、慶應はやめてよろしいね」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何を」と言うので、「ですから、私は慶應みたいなもんに行かされる筋合いはないし、経済学部だの商学部だのに行かされたくないから小学校の1年から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのですから、学費も生活費も出してもらわないからにはどこに行くかは私が自分で決めてよろしいでしょ」と言ったところ、「ええかげんにせんか、このチャンコロ!」と言うのだった。「そやからやなあ。どこの大学のどの学部に行くかはこのわしとM川先生とで決めることなんや。おまえが決めることとは違うねんぞ、おまえが決めることとは。おまえがこの読売新聞奨学生として新聞配達やって、そんで、わしとM川先生から決められたとお~り、せえっせせっせ、せっせせっせと働いて慶應の商学部に行って、そんで勤めたら、すべてをすべてをわしの為に働けとこない言うとんのんじゃ、こない。甘ったれとってはいかんぞ、このチャンコロ! おまえが産まれてこなんだら良かったのに産まれてきおったがためにわしは迷惑しとるんじゃ。その罪をつぐなうために、産まれて子なんだら良かったのに産まれてきたという罪をつぐなうために、すべてをすべてをわしのために働かんといかんねんぞ、お前はこのチャンコロいたこロスケ浪商!」と言うのだった。
  うちの母親は私が小学生・中学生の時、「親というものは、子供が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行ってやりたい勉強をやって、つきたい仕事につけるようにと思えばこそ、無理矢理にでも勉強させようとするものなんや」と言っていて、私はそんなヨタ話を本気にしてしまったのだったが、愚かだった。騙された。
  新聞配達というのは、私は短い期間だったが実際にやったことがあるのだが、新聞屋の業務は配達・集金・拡張の3業務を「正社員」の人はやるわけだが、新聞奨学生はそのうちの配達だけをやり、新聞屋が用意したアパートに住んで、給料をもらえて、それと別に大学でも専門学校でも予備校でも学校でさえあればどこでも、その学校の授業料を支給してもらえるというもので、「奨学金」という表現をしているけれども、それは「給料の一部分」だったのだ。うちの父親は「読売新聞が奨学金をくれるらしいから」などとわけのわからんことを言うのだったが、読売新聞社が慈善事業をやっていたわけではなく、新聞の配達というけっこう体力的にきつい仕事をやるかわりに、給料と別に学費を「給料の一部分」として支給するというものだったのだ。私が勤めた新聞販売店にいた実際に新聞配達をやっていた人というと、大学でも言っちゃなんだが底辺の方の私立大学の生徒、専門学校生、それから実際に合格する気持ちはなさそうですでに何浪もしている浪人生(たぶん、その人は永遠に大学には通らずにいずれは新聞屋になるのではないかと思われる)、すでに40を過ぎて独身の人で新聞奨学生をやって趣味で「学校」に行っているという人・・などだった。実際にやっていた人は、新聞配達という業務については職人芸みたいにうまくても、それ以外については言っちゃなんだが「アホちゃうか」みたいな人が多かった。客の立場で新聞屋に電話して、「伝えておきます」と言われてもちっとも伝わっておらんじゃないか・・ということがよくあるが、新聞奨学生やってるにーちゃんなんて「そんなもの」なのだ。普通、東大・京大や慶応大・早稲田大なんか行っているような学生は新聞奨学生なんてやらない。経験として「新聞配達」というものをやってみたいということでやる人はいるが、新聞奨学生として新聞屋から学費を出してもらって大学に行くくらいなら、日本育英会奨学金を受給して学費を出してもらって行った方がいいに決まっているのだ。それなら、新聞奨学生やっている人はなんで日本育英会奨学金を受給してもらって大学に行かないかというと、日本育英会奨学金というのは学業成績と親の年収とで需給できるかどうか決まったのだが、東大・京大や慶応大・早稲田大あたりに行った学生は学業成績の方は日本育英会奨学金を受給できる基準を満たす場合が多いらしく、親の年収の方が問題だったらしいのだが、新聞屋で配達やりながら新聞奨学生やっていたようなにーちゃん・ねーちゃんというのは、東大・京大や慶応大・早稲田大なんて行ってない、それとは逆側の方の学校に行っている人たちなので、日本育英会奨学金なんて学業成績の方でもらえるわけなかったのだ。そういうものをうちの父親は「あんたあ、新聞屋の奨学生やって大学に行きなさい」と言うのだった。「わかりました。それをやりますから、もう、慶應はやめていいですね」と言ったところ、「何をわけのわからんこと言うとるんじゃ、何を。この読売新聞奨学生やって新聞配達をやって慶應の商学部に行って卒業してわしに親孝行せえと言うとるんじゃ、このチャンコロ! 考え違いを起こすでないぞ、ろすけ!」と言うのだった。
  ついでに、昔、水前寺清子が歌っていた「新聞少年の歌」というのがあって、「水前寺清子さんが新聞配達の少年の心を歌います」とかアナウンサーが言い、水前寺清子は自分は新聞配達やってる人間の気持ちがわかるんですみたいな顔してテレビに出ていたが、あの歌は嘘だからね。水前寺清子という女は、あいつ、嘘つきだからね。・・「雨や嵐にゃ~あ、慣れ~たあけええど~お。やっぱり、夜明けは眠たいぜ」て、そんなことないですからね。人間の身体というのは、毎日、その時刻に起きていると、しばらくすると起きれるようになるのです。それが生活のリズムになると起きれます。それに対して、雨の日、嵐の日というのは、毎日あるわけではないので経験するのは「起きる」ことの経験よりも後になります。慣れるかというと、雨だの嵐だのには慣れません。雨でぬれた新聞を入れると入れられた者は怒りますが、怒られても、どうすればいいの・・てものです。自転車の荷台に非常識なほど大量に新聞を積んで短時間で配達しようとしても、マンションのドアポストに入れるためにマンションに入って戻ってくると自転車が風で横転していたりするのです。〔朝日新聞の配達をやっている者の自転車は、新聞を持ってマンションの中に入っている間に警察官が自転車を蹴り飛ばして横転させているという噂話もありましたが、それはどうかわかりません。〕地震が発生すると、その地震でマンションに被害は出なくてもエレベーターは停止して、「無事の確認」をやらないとエレベーターは動かない。すぐに点検やって動かしてくれれば良さそうなものですが、早朝、新聞を配達しているような時間に点検なんてやりません。そうなると、普段はエレベーターで登っている10階くらいまで階段を駆け上がることになります。その分だけ時間は多くかかりますが、配達される先のおばさんはそんなもの知ったことじゃないて態度です。なんで、俺だけ、こんなことしてなきゃならないんだろうなあと思います。実際、配達先のバカ息子・アホ娘なんて新聞配達なんてやってませんしね。配達していて、この配達している地域で、自分が住んでる新聞屋のアパートより粗末な家なんて1軒もないなあ・・と思ったものでした。水前寺清子には不快感を覚えます。事実とかけはなれた歌を得意がって歌いやがってからに、なんだ、あの女は・・と思いますね。それから、「新聞少年の歌」なんて言いますが、労働基準法では15歳未満の「少年」に労働させることは禁止されており、言葉の通り、「少年」に新聞配達させることはできません。実際には中学生で新聞配達をやりたいと言ってやっている人がいるらしいけれども、産経新聞の奨学生センターの人に聞いた話では教育委員会に届を出して許可をもらった上でさせているということでしたが、労働基準法で求められているものは、たしか、教育委員会ではなく労働基準監督署長の許可だったはずです・・が、それでも、中学生であって、言葉の通りの「少年」は新聞配達なんかやってません。そこからして、あの歌は嘘です。「僕のあだ名を知ってるかい。朝刊太郎と言うんだぜ」とかいう歌詞もおかしい。朝刊を配達している時には周囲に人は他の新聞屋くらいしかいません。「あだ名」なんか誰もつけません。あの歌を聞いてすぐに本気にする・簡単に信じるうちの父親みたいな人間がいますから、あの歌は迷惑です。
  さらについでに、私なんかが小学生の頃、1960年代後半、『巨人の星』という漫画があったのですが、読売ジャイアンツを辞めた星 一徹が、その後、「日雇い人夫」をやって生活していたのですが・・・落ち着いて考えてみると、あの話も「なんか変」で、あれ、野球選手を辞めたとしても、「日雇い人夫」やらなくても他にも仕事あると思いませんか? 実際、私が過去に勤めた会社にも、どこそこの部署の何何さんはプロ野球のどこそこの選手だったと言われていた人がいましたし、大活躍までしなくても一軍の試合に出たことがある人なら、営業だと「あの☆☆選手ですか♪」ということで、それが「売り」になったりもしますし・・元中日ドラゴンズの宮下投手が「営業やると『クロマティにぶつけた宮下』というのが『売り』になります」てどこかで述べていたのを見たように思うし(笑)・・・、『巨人の星』みたいに、貧民窟みたいな所に住んで「日雇い人夫」やらなくてもいいのじゃないか・・て思いませんか。ましてや、わざわざ、よりによって慶應義塾高校か青山学院高等部か? みたいな私立高校受けなくたっていいと思いませんか(笑)
  新聞配達というのは、けっこう体力がいる仕事だが、別段、英語力なんて要らないし、「旧帝大系国立大学か早慶」に合格できる学力なんても必要はない。雨の日も風の日も、原発事故で放射性物質が空から降ってくる日も、ひたすら配達する・・という仕事であり、実際のところ、東大・京大や慶応大・早稲田大なんかんじ行ったような人間がやる仕事ではないよ。そんなの、やるくらいなら、受験勉強をやり直して、自治医大にでも行った方がいいよ。自治医大に行けば学費もタダで寮費もタダなんだから。かつ、卒業後、へき地の診療所に何年か勤めないといけないというけれども、逆に、卒業時に就職活動をしなくても就職先を用意してもらえるのだから、かつ、「へき地」なんて言っても、普通の会社に勤めても転勤はあるし、国家公務員も転勤はあるし、裁判官・検察官も転勤はあるし、ゼネコンさんに勤めて現場監督なんてやったらモロッコとか南アフリカとかインドネシアとかブラジルとかに行ってくれと言われるもので、それに比べたら「大阪府のへき地」なんてへき地のうちに入らんだろ。悪い話ではないでしょ。
  ちなみに、うちの下の姉のダンナはゼネコンの現場監督をやっていたのだったが、たしか、勤務先は東京都か千葉県のどちらかになると話していたはずだったが、会社にも都合はあったのか神奈川県の工事現場に行くようになった時があったが、「東京都か千葉県かと言っていたのに」と話すと「そんなことない。外国にだって行くことある」と言うので、「モロッコとかサウジアラビアとか南アフリカとかインドネシアとか・・」と私が話すと、「何、言ってんのよ、失礼ねえ。何がモロッコとかサウジアラビアよお!」と言って怒るのだったが、あんた、何か勘違いしとりぁせんか・・・てもんだ。ゼネコンの監督やってる人が「海外に行く」となると、モロッコとかサウジアラビアとか南アフリカとかインドネシアとかブラジルとか、そういった所であって、どうも、うちのお姉さんはミラノとかパリとかそういう所に行くみたいに思っておったらしいが・・・バカ言ってんじゃないわあ♪ てもんだ(笑)。〔⇒《YouTube-3年目の浮気 ヒロシ&キーボー》https://www.youtube.com/watch?v=H8vISMbjK7g 〕 よく言うわ、私が何にも知らないとでも思っているのね・・(笑)

  親の年収が日本育英会奨学金を受給できる基準よりは多いけれども多くはないという人で、生活費を補うためにアルバイトをするという人はあったかもしれないし、学業成績の方が日本育英会奨学金を受給できる基準を満たしていないが大学なり専門学校なりに行きたいということでアルバイトをする人というのもあったであろう。
(2) もうひとつは、学費と最低限の生活費は親から出してもらえるけれども、小遣い銭の部分は自分でアルバイトをして稼ごうという人だ。 特に貧乏でなくても、親としても大学生になったなら、生活費と学費は親が出すとしても、小遣い銭の部分くらいはアルバイトして稼いだらどうかと考える親はいる。
(3) 「小遣い銭」というよりも、夏休みに海外旅行に行こうとか、そういう費用を稼ぐためにアルバイトをするという人もあったのではないか。家庭教師やって得たお金で大学生の間に海外旅行したという者もいた。
(4) 体験として、こういうアルバイトを体験したいということでやるという人もあっただろう。新聞配達にしても「体験としてやる」という人もあるようだ。
  慶應大学の経済学部にいた男だが、お父さんが大学卒業までに家庭教師・塾の講師以外の「普通の仕事」のアルバイトを何か1つ経験するといいとアドバイスしたそうで、何やろうかとか言っていたが、実際問題として大学生がやることはけっこう多く、結局、その男は卒業まで何もやらなかったようだ。大学卒業後、私みたいに不良企業ばっかり勤めて転職することになる者は転職することで複数の職場を経験するが、ある程度きっちりした会社に勤めて定年までそこにいるという人は、いったん正社員として勤めると他の職場を経験しようとしてもできない。大学在学中に司法試験に合格して裁判官になったような人は裁判官以外の職業を知らずに人生を送ることになる。大学卒業後、小学校・中学校・高校の先生になる人、国家公務員1種合格で国家公務員に勤める人・地方公務員の上級職になる人、そういった人というのは、できれば、大学生の間に何か1つ、家庭教師・塾の講師以外の「普通の仕事」をアルバイトとして経験しておいた方がいいというものはあるかとは思う・・が、私みたいに、「もう、・・もやったし△△もやったし、◇◇もやったから、もうアルバイトはこのくらいでいいでしょう」と言っても、親から「まだ、☆☆やってませんでしょうがあ」と言われて、この世のアルバイトというものを一通り経験しないことには大学の勉強はさせてもらえないみたいなそんな状況は、それは結局「バカ見さされるだけ」だった。
(5) 男ばっかりの大学に行っている学生で、女性が多い職場にアルバイトに行って、そこで彼女を作ろうということで行く人というのもいるらしい。これも、本気でつきあいたいと思っている男と、そうではなく、最初から「やるだけやって逃げる」つもりの男とがいる。
  うちの父親は、自分の勤め先の工場に私にアルバイトに行かせたのだが、その上でこう言ったのだ。「うちの会社の工場にいるような女の子はやめときや」と。アホか!・・・私はうちの父親が他界後、うちの母親に話したことがある。「ああいう女の子と仲良くなったらいいと思って、その職場にアルバイトに行かせるというのならわかる。ああいう女の子は良くないと思ってそこには行かさないというのもわかる。しかし、そこにアルバイトに行かせておいて『ああいう女の子は良くないからやめときや』て、それはいったい何ですか」と。「私が親ならば、かわいそうで、そんなことはよう言わんわ」と。「そんなお父さんなんや、あの人は」と90代になったうちの母親は言うのだったが、そういうおっさんやった。
  うちの母方のハトコで私より少し年下の女性がドイツに音楽の留学に行って、行った先のドイツの男性と仲良くなってドイツ人と結婚してしまった・・という人がいた。祖母の葬式の時にそのハトコのお母さんと会った時、「反対しましたよ。でも、そういう年齢の時にその場所に行っていたんだから、しかたがないかと思いました」と言うのだった。仲良くなってからだめだと言うのは、両方の人間にかわいそうでしょ・・と思うのだが、うちの父親というのは、そういうことはまったく考えない人間だったのだ。
  うちの父親は私にこう言うのだった。「結婚というのは大変大事なもんやねんぞ。そやからやなあ。おまえの結婚相手はわしが決めたるわあ。わしとM川先生とで決めたるからやなあ。そやから、わしとM川先生のお気に召すような女をとりあえず10人ほど用意して連れてこ~い。そしたら、その中から『こいつがええ』と決めたるわあ。その中にええのんがおらんかったら『みんな、あか~ん』言うたるから、そしたら、また別の10人をわしの所に連れてこ~い。その中にもまたええのんがおらんかったら、また、『みんな、あか~ん』言うたるから、また、わしのお好みに沿うような女で別の10人を連れてこ~い」と言うので、「要りません。決めて要りません」と言ったのだが、そうすると、「何が要りませんじゃ、何が。甘ったれとってはいかんぞ、このチャンコロろすけイタコ浪商プエルトリコ! どういう女とつきあうかというのは、これは大変大事なことやねんぞ、大事な事。そういう大事なことは、おまえが決めたらいかんねんぞ、おまえが決めるものとは違うねんぞ。わしいとかM川先生とかいったドイツ人で謙虚な人間が決めることやねんぞ、ドイツ人で謙虚な人間が。わしとM川先生は、謙虚、けんきょ、ケンキョ、謙虚な人間やねん。チャンコロのおまえが決めることとは違うねんぞ、チャンコロが決めることとは。のぼせあがっとってはいかんぞ、このチャンコロめがこのチャンコロろすけっ! わしとかM川先生とかのドイツ人に決めてもらうもんやねんぞ。ドイツ人の民族のこのわしがチャンコロのおまえの為に言うてやってやってやってやてやったっとんねんぞ、このチャンコロ。感謝せんとばちあたるぞ。このチャンコロいたこ浪商!!!」と言うのだった。「わしのお好みに沿うような女をとりあえず10人ほど用意して連れてこ~い」とか叫びまくるおっさんが、なんで「謙虚」なのかなあ・・とかも思ったが、おっさんとその親友のM川はそういうのを「謙虚」と言うそうだった。
  ・・・だたいやなあ、うちの父親は「つきあう前に連れてくるねんぞ、わかっとるか。このわしに無断で女とつきあうような甘ったれたのぼせあがったつけあがったことはしてはならんぞ、このチャンコロ! つきあう前に女をとりあえず10人用意して連れて来るねんぞ」と言うておったのだが、普通に考えて、つきあって結婚しましょうということになったならば、男は相手の女の親に会うべきだし、女は男の親に会うべきであろうけれども、つきあってもいない男に親と会ってくれと言われても「なんでやのお~ん?」てなるのとちゃうか? そんなもん、つきあってもいない男の親に会うか? そんなもん( 一一) あのおっさんと関わると疲れる( 一一)
  で、私が高校を卒業した頃には、女性と知り合いになるためにアルバイトに行くなんて不謹慎でもってのほか・・みたいに思っていて、うちの父親の勤め先にアルバイトに行っていた時に、そこにアルバイトに来た高校生の男が「関学、行こうぜえ、関学に。関学に行くと女にもてるぞお~お」とか言っていたので、こんなやつ、大学に行くな! と思ったものだったのだが、実際には「関学に行くと女にもてるぞお」とか言って関学に行きたがるエロガキ高校生というのは過半数は関学には通らないのかもしれないが、そういうエロガキ高校生なんて、大学行くな! ・・と高校から大学に行く頃の私は思っていたのだった・・が、自分が親であってもおかしくない年齢になってみると、そんなに厳しく言わなくてもいいのじゃないか・・と思うようになった。むしろ、勤めたら自由がきかなくなるようなところがあるから、大学生の時に、つきあう女性でも見つけられたらその方がいいかもしれないと親の立場で考えると思うくらいだ。
  それで、この(1)~(5)の理由でアルバイトをする人はいたのだが、私の場合はそのどれでもない。どれでもなく、「ぼけっとしとったらいかんぞ、ぼけっとしとったら」とうちの父親は言うのだが、「何も、ぼけっとなんてしてませんよ」と言っても言っても「ぼけっとしとったらいかんぞ、ぼけっとしとったら」と言い、さらには「アルバイトを嫌がる人間はモラトリアム人間病です。慶應大学医学部の小此木啓吾先生というエライえらいエライえら~い、ものごっつうエライ先生がそうおっしゃってる」と言うのだった。しかし、それなら、その「ものごっつうえらい小此木啓吾先生」というのは慶應大医学部の学生だった時に私みたいにアルバイトぉ、アルバイトぉ、アルバイトぉ、アルバイトおとアルバイトばっかりしていたのか・・・というと、慶應の内部進学、それも「幼稚舎から慶應」がそんなものやるわけないだろうが! アホか!
   さらには、うちの父親の親友の医者屋M川〔 男。1980年頃当時、50代前半。自称「金沢大医学部卒」だが嘘くさい。ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたというのが自慢。おそらく、M川自身も私立金権関西医大裏口入学卒か、そうでなければ「かわいいキンタマ」(崎医大+知医大+沢医大+埼医大)くらいだろう。当時、大阪府豊中市在住〕は、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りやって稼いだカネで、ドバカ息子を私立金権関西医大に裏口入学させたということを自慢していたのだったが、「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネは私立金権関西医大に裏口入学する際のカネとして使うだけではなく、ドバカ息子は私立金権裏口関西医大の学生になると、やはり父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネでゴルフバッグを購入し、そのゴルフバッグで、やはり父親が「患者」を薬漬け・検査漬け・毒盛りして稼いだカネでゴルフやって遊んでおったらしかった・・のだが、うちの父親は私に言うのだった。「おまえ、キャディーやれ、キャディーを。キャディーのアルバイトをやって裏口入学なさったお方のゴルフバッグをかつがせていただきなさい。裏口入学の方のゴルフバッグをキャディーやってかつげ!」と。
  「なんで、キャディーみたいなもん、させられなきゃならんのですか。裏口入学のやつのゴルフバッグをなんで私がかつがされなきゃならんのですか」と言うと、「キャディーやってゴルフバッグをかつぐのを嫌がる人間というのは、モラトリアム人間病という病気です。これは慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生がおっしゃってることや。慶應大学の小此木啓吾先生というエライえらいエライえらい先生が。病気は治さんといかん、病気は! こいつに電気ショックとかロボトミーとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん! 電気ショックやったるべきや、電気ショック! 電気ショック療法やって、こいつめが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん、電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ とってちってたあ~あ!」と言うのだった。
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )
  「わかっとんのか、おまえは。民族の違い・階級の違いというものをゆめゆめ忘れてはならんぞ、チャンコロ!」とうちの父親は言うのだった。「わしとかM川先生とかM川先生の息子さんとかはドイツ人でアメリカ人やねんぞ。そんでもって、わしは慶應の階級、M川先生やM川先生の息子さんは医者の階級。医者というのは普通の人間よりもえらい階級やねんぞ、医者というものは。心得違いをおこしてはいかんぞ。そんでもって、おまえはチャンコロの民族で浪商の階級やねんぞ、浪商でチャンコロ! わかっとんのか。わしとかM川先生とかM川先生の息子さんとかとおまえとは民族と階級が違うねんぞ、民族と階級が! 階級の違いを忘れるな! 民族の違いを忘れるな!」・・とそう言うのだった。何回も何回も。
  毎日、毎日、ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃう・・くらいに言われ続けて、そして、私は、
「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」
「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」
と思うようになった。
中国の旅 (朝日文庫) - 本多 勝一
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南京への道 (朝日文庫) - 本多 勝一
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  ちなみに、うちの父親が言うところの、
「ドイツ人」・「アメリカ人」というのは、産まれる時点からして「天の神さま」から常に人を支配しなければならない、常に人に命令しなければならないと命じられてこの世に産まれてきた民族・・だそうで、うちの父親とその親友の医者屋のM川先生というのがそれだそうで、
「チャンコロ」は中国人のことで、「常に人から支配されなければならない」「常に人に支配されるのがふさわしい民族」「人から命令されたり号令かけられたりすることが何よりも喜びである民族」だそうで、それが私だそうだ。
「ロスケ」はロシア人のことで卑怯者を意味し、「イタコ」はイタリア人のことで根性無しを意味し、いずれも私のことだそうだった。
「プエルトリコ」はというと、これは単なる語呂合わせだ・・と思う。
うちの父親と医者屋の「M川先生」は「ドイツ人」だそうだ。⇒《YouTube-Wagner "Ride of The Valkyrie" Karajan Bph カラヤン ワルキューレの騎行》https://www.youtube.com/watch?v=ZOTdIhaGEuw
かつ、その2人は「英雄」だそうだ。⇒《YouTube-ベートーヴェン - 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55《英雄》 カラヤン ベルリンフィル》https://www.youtube.com/watch?v=FMyhF0iOylk
それに対して、私は「ロスケ」で「イタコ」で「チャンコロ」で「浪商」で「ニグロ」で「プエルトリコ」の民族で階級らしかった。
そして、うちの父親とその親友の医者屋のM川先生というのは、「何よりも謙虚な人間」で「聖人」で「キリストと聖徳太子の生まれ変わり」だそうで「常に人に命令しなければならない」「常に人に号令かけなければならない」と「天の神さま」から命じられた人間だそうで、「ドイツ人」で「アメリカ人」であり、うちの父親は「慶應の階級」で医者屋のM川先生というのは「医者の階級」だそうだった。
「医者」というのは「普通の人間よりも特別にえらい階級」だそうで、「お顔を拝ませてもらえるということをありがたいと思わないと罰が当たる」というお方だそうだった。また、「医者」というのは「超能力者」で「ぱっと人の顔をひと目見ただけで、その人間が何を考えているか読み取る能力がある」お方で、「ぱっと人の顔を見ただけでその人間の将来を予測する能力がある超能力者」だそうだった。
私は「ロスケ」だそうだ。⇒《YouTube-【ロシア語】ヴォルガの舟歌 (Эй, ухнем) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=b4jxCRfHwd4
私は「イタコ」だそうだ。⇒《ニコニコ動画ーヴォメロの洗濯女》https://www.nicovideo.jp/watch/sm12444943
私は「ニグロ」だそうだ。⇒《YouTube-Nobody Knows the Trouble I've Seen sung by Chor Leoni》https://www.youtube.com/watch?v=wCQyqnldBQQ
私は「プエルトリコ」だそうだ。⇒《YouTube-ウエストサイド物語~アメリカ(America)》https://www.youtube.com/watch?v=qFw6yyZD_i4

  うちの母親が市の趣味サークルで知り合った娘が北野高校から大阪大薬学部に行き、息子が箕面高校から関西大に行ったという人が「うちの息子なら、アルバイトを決めてもらったら喜びますのに」というのは、それは「こういうアルバイトがあるけれども、もしも、行きたいなら頼めるけれどもどうするか」という話をもらったらということであろう。うちの父親の場合はそうではなく、「あんた、あしたからうちの会社の工場にアルバイトに行くことに決めてきた」と「行くことに決めてきた」のだ。本人に話をまったくしないで、本人が話を聞く前に。本人の意志などまったく無視して。
  私はうちの母親に言ったことがあるのだ。「日本の労働基準法では、親が未成年の息子の労働契約を結ぶということは禁止されています」と。ところが、私は、未成年の子供の労働契約を結んではならないと規定されているのだから、当然、20歳を過ぎた息子の労働契約を親が結ぶということは認められないはずだと思っていたのだった。ところが、うちの母親は言うのだった。「それは未成年の子供のことでしょうが」と。「あんたは20歳を過ぎているんだから、当然、親に労働契約を結ぶ権利があるでしょうが」と。
  そして、うちの母親は言うのだった。「あんたの体はあんたの物ではないでしょうが。あんたの体は親が産んだものであって、あんたが産んだものとは違うでしょうが」と。「親が産んだ体である以上、あんたの体の所有権は親にあるでしょうが」と言うのだった。「だから、あんたの体が働きに行って給料もらったら、その給料はあんたの体の所有者である親のもんでしょうが」と、そう言うのだった。
  産んだ者に所有権があるそうだった。ひりだした者に所有権がある・・てことは、なんか、俺って、う〇こ みたいやなあ・・と思った。
  但し、この点について、うちの父親は別の見解だった。「息子の所有権は母親にあるのとは違うねんぞ」と言うのだ。それなら誰に所有権があるのかというと、「茄子でも胡瓜でもそうやろ。種が畑から芽を出したのであって、畑が芽を出したのとは違うんじゃ。畑に種を植えてくださってあげてやってやってもらっていただいてくださってあげてもらってやってやってやっていただいてくださったお方のおかげで、その種が畑から芽を出したのであって、畑が芽を出したのとは違うんや。そやから、種を植えていただいてくださったお方に対して感謝せんといかんねんぞ。畑に感謝するものとは違うねんぞ、わかっとんのかチャンコロ」と言うのだった。
  「そんで、種が畑から芽を出したら、育てるのは畑の役目じゃ。心得違いを起こしたらいかんぞ、心得違いを起こしたら。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては。育てるのはすべて畑の仕事やねんぞ、種を植えた者の仕事とは違うねんぞ。畑が育てるものやねんぞ、畑が」と言うのだった。
  「そんでもって、畑から芽をだしたものが大きくなって実を結ぶようになったら、その時には、その実は種を植えた者に所有権という権利があるんじゃ。畑に権利があるのとは違うねんぞ、畑に権利があるのとは。ましてや、茄子や胡瓜に権利があるわけないねんぞ、茄子や胡瓜には。わかっとんのか、この茄子! わかっとんのかこの胡瓜! 茄子や胡瓜には権利はないねんぞ、畑に種を植えた者に権利があるねんぞ、種を植えていただいてくださってもらってあげてやってやっていただいてくださったお方に」・・と言うのだった。
なんか、そんなたいそうな「種」なら、別に植えてもらってあげてやってやって要らんのだがなあ・・と思ったものだった。
  そして、うちの父親は言うのだった。
「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに、わしに、わしにわしにわしにわしに。わしの為に、わしの為に。すべてをすべてをすべてをすべてをわしの為に、わしの為に。ささげ尽くす、ささげ尽くす、わしの為にささげ尽くす。すべてをすべてを犠牲にする。犠牲にする、犠牲にする、すべてをすべてを犠牲にする。わしの為に、すべてをすべてを犠牲にする。朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に。わしにじゃ、わしにじゃ、わしにわしに、わ、し、にいい~い♪
んが、んが、んがぁ~あ、あ~いらいらあ!
わし、今まで、あんたに『わしに孝行せえ』なんて言うたことは、いっぺんとしてないやろ」と。
はあ? あんた、今まさに言うたんとちゃうんかい? 「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしにじゃ、わしにじゃ、わしにわしに、わ、し、にい~い。あ~いらいら」言うとったやないか・・と思ったのだが、
「わしは、今まで、あんたに『わしに孝行せえよお』なんてことは、一言とすら言うたことはないはずや。いくらなんでも、このくらいのことはわかってもらわんといかん。わからんかあ?」と言うのだったが・・・、あんた、まさに今、言いまくっておったやろうが。あんた、「わしに孝に、わしに孝に」「すべてをすべてをわしのために」言うて言いまくっておったやろうが。「いっぺんとして言うたことない」て、あんた、アタマ、大丈夫か?・・・と思ったのだが、
「わしは、今までおまえに『わしに孝行せえよお』なんて、一言として言うたことはないのにからに、おまえはそんなことすらもわからんのか。こりぁ、難儀やなあ。こいつ、絶対に病気や。こいつ、電気ショック療法やって治療してやらんといかん。電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」と言うのだった。そういうおっさんやった( 一一) ・・疲れる。
教育勅語 (朝日選書) - 山住 正己
教育勅語 (朝日選書) - 山住 正己
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行
天皇制 (FOR BEGINNERSシリーズ) - 菅 孝行

   うちの母親が言うには「牛でも馬でもそうやろ。その牛が働いて稼いだら、その稼いだものの所有権は牛の所有者のものやろ。同じように、親には息子の所有権があるんやから、息子が働きに行ってお金をもらったらそのお金は全額、親のもんやろうが。甘ったれなさんな」と言うのだった。私が働きに行ってその報酬をもらったとしても、私の体の所有権は親のものであって私のものではないので、正社員として働いてもアルバイトとして働いても、その報酬は私のものではないらしかったのだ。なんだか、鵜飼の鵜みたいだ・・と思った。
   うちの父親は「おまえは産まれてこなかったらよかったのに、それを産んでやってやってやってあげてやってやったったんじゃ。感謝しろお!」と言うのだったが、別に産まれてくる必要はなかったのじゃないか・・と思ったのだ。自分の体の所有権は親が持っていて、たとえ、働きに行って報酬をもらったとしても、その報酬は当然、体の所有者のものだというのなら、働くだけあほくさいということになるし、別に、産んでもらう必要もなかったのではないか・・とも思った。
※ 《YouTube-Soon Ah Will Be Done- The Master's College Chorale》https://www.youtube.com/watch?v=gyVjlaeHGlA

   又、うちの母親は「五流大学に行ったような子は、小学校から高校まで勉強させてもらえなかったから五流大学にしか行けなかったんでしょうが。だから、五流大学に行った子はアルバイトなんかさせずに勉強させてあげんといかんでしょうがあ。あんたは小学校から高校まで勉強してきたんやから、大学に行ったらもう勉強みたいなもんせんとアルバイトせんといかんでしょうがあ! 甘ったれなさんな」と言うのだった。それって逆と違うのか? 「小学校から高校まで勉強してきた人間なんやから、大学に行ったらやりたい勉強を好きなだけさせてやるべきや」というのはわかるし、「どうせ、五流大学に行ったようなやつなんて勉強なんてしよれへんのやから、それなら、せめて、アルバイトでもせえ」というのもわかるが、「五流大学に行ったような子は、小学校から高校まで勉強させてもらえなかったから五流大学にしか行けなかったんでしょうが。だから、五流大学に行った子はアルバイトなんかさせずに勉強させてあげんといかんでしょうがあ。あんたは小学校から高校まで勉強してきたんやから、大学に行ったらもう勉強みたいなもんせんとアルバイトせんといかんでしょうがあ!」では、なんや、それなら「勉強ちっともしな~いでえ~え♪」五流大学に行った方が得みたいや・・( 一一)  小学校の1年の時から同級生が遊んでいる時も勉強してきたのは、こういうことを言われる為やったということか・・・。
  うちの母親が行っていた日本基督教団の牧師屋のS田さんは「家が貧乏やったから慶應大学なんか行かせてもらえないから大阪経大に行ったんや」とおっしゃる方だったのだが、なんで「家が貧乏やった」ら慶應大学に行けないのかよくわからない。本当に「家が貧乏やった」のなら日本育英会奨学金を受給して「学費分」を出してもらって行けばいいのであり、日本育英会奨学金で出してもらえる金額は「学費分」であり、慶應大学は昔から「国立大学よりは高いけれども私立大学の中では安い方」の大学だったが、大阪経大(大阪経済大学)もまた「私立大学の中では安い方」の学費の大学で、もしも大阪経済大学の方が慶應大学よりもより学費が安かったとしても日本育英会奨学金を受給して行くならば受給できる金額は「学費分」だから大学に行く人間にとっては一緒のはずで、特に慶應大学には慶應義塾奨学金といって、日本育英会奨学金を受給して「学費」を出してもらった人には自動的に「生活費」を支給するという制度があって、他の大学に同様の制度があるかどうかは知らないが、ない所の方が多いのではないか。だから、もしも、「家が貧乏やった」けれども慶應大学に行きたかったのならば日本育英会奨学金で学費分を出してもらい、慶應義塾奨学金で生活費を出してもらって行けば良かったはずなのだ。だから、「家が貧乏やったから慶應大学には行かせてもらえなかったから、だから、大阪経大に行ったんや」なんて話は、どう考えても本当とは言い難い・・というより、嘘やろ( 一一) 「家が貧乏やった」といっても、日本育英会奨学金を受給できる基準よりは親の年収が多いけれども、決して年収が多い方ではないというケースもあると思うが、それならば、東大にでも行けばいいではないか。国立大学の東大の方が大阪経済大学よりも安いであろうが。大阪の人間が東京の東大に行くには下宿代と往復の交通費がかかるというのならば、大阪大学なり神戸大学なり大阪市立大学なりに行けばいいではないか。なんで、大阪経大に行かなきゃならんのだ。それが「神のおぼしめし」なのか? だいたい、大阪経済大学卒で牧師になることはできないのであり、「家が貧乏やったから慶應大学なんか行かせてもらえないから大阪経大に行ったんや」とか何度も何度も言いまくるようだったが、大阪経大卒では牧師屋になることはできないのであり、おっさんは大阪経大出た後、トーシンダイ(東京神学大学)に行って卒業して牧師屋になったのであり、「家が貧乏やったから慶應大学なんか行かせてもらえなういから大阪経大に行ったんや」とか言いまくるわりには私立大学を2つも行っとんねやないかい! ええかげんなこと言うな、コラ!・・てものだが、そういうええかげんなことを信者に教えろと「天の神さま」は教えておられるのか? そういうええかげんなことを信者に言えとトーシンダイで教えられたのか?  そういう「大阪経大にしか行かせてもらえんんかった」とか何とかかんとか言いまくるおっさん症候群の人には「五流大学に行った子は小学校から高校まで勉強させてもらえんかったから五流大学にしか行かせてもらえんかったんやから、大学に行ったらアルバイトなんかせんと勉強させてあげんといかんでしょうがあ。あんたは小学校から高校まで勉強してきたんやから、大学に行ったら勉強みたいなもんせんとアルバイトせんといかんでしょうがあ!」ということになるらしいのだ。
  私は大阪桐蔭高校と履正社学園の経営者というのはたいしたもんだなあ・・と思うのだが、履正社学園というのは私が高校生だった頃、1970年代後半は福島商業高校と言って、元は大阪市福島区にあった商業高校だったからそういう名称だったが、1970年代後半には大阪府豊中市にあって普通科だったが、野球もそれほど強くないし、最近では履正社学園から京大とか阪大とかに1人か2人通る年があるらしいのだが、私らが高校生だった頃には福島商業高校から大学なんか行く人はほとんどなかった。そういう私立高校が今では京大や阪大に合格する生徒が1人か2人出る年があり、野球の方は大阪桐蔭高校に次ぐ「名門」、公立進学校で「文武両道」とか言っている所とは違って大阪桐蔭高校とか履正社学園とかの場合は「文武分業」、野球で甲子園大会に出るスポーツクラスのやつと京大や阪大に通る進学クラスの人間は別人なのだが、それにしても、この2つの私立高校の経営者の「企業努力」はたいしたもんだ・・と思う。で、大阪でジェットコースターのペンキ塗装の補助の仕事のアルバイトを1か月間やったことがあったのだが、その際、ペンキ屋のおっさんがアルバイトに来ていた人間に「あんたら、どこの大学や?」とききよるもんやから、正直に答えたところ、「えらいええ大学やなあ」と言い、そして、「わしらは高卒や」と言って、「東大には行きたいとは思わんかったけれども、早稲田くらい行かれへんかなあ思うたんやけど、家が貧乏やったもんやから行かせてもらえんかってん」と・・そう言いよったのだ。いい人でしたよ。けっこう親切な人でしたよ。悪い人じゃないですよ。でも、「東大には行きたいとは思わんかったけれども、早稲田くらい行かれへんかなあ思うたんやけど、家が貧乏やったもんやから行かせてもらえんかってん」と言われると、北野高校か天王寺高校かそこらの高校に行って、家が貧乏でさえなかったら、旧帝大系国立大学か早慶くらいに最終的に合格するかどうかはさておき、そのくらいの所に行ける可能性があったのに家が貧乏やったがために高卒で働くことになったのかあ・・気の毒になあ~あ・・とか思いそうになりませんか?・・で、卒業した高校はどこだったかというと・・・「福島商業や」ということでした。別に福島商業が悪いとは言いませんよお。しかし、「家が貧乏やなかったら、早稲田にでも行きたかったんやけど貧乏やったもんやから行かせてもらえんかったんや」て、あんた、悪いけど、それは「家が貧乏」であるかないかの問題とは違うんやないかあ? ・・まあ、ええけどな。なんでも好きなこと言うてたら、言うのはタダやしな・・( 一一) ・・と思うのだが、うちの父親はそういう話を聞くと「そうや、その通りや。おまえとは違うねんぞ、おまえとは。おまえなんかとはちごうて、家が貧乏やったから大学に行かせてもらえんかったんや。おまえとは違うねんぞ、おまえとは」と言い出すのだ( 一一) 疲れるおっさんや・・・・( 一一)
  うちの父親の勤め先のうちの父親の部下でモリ〇ツとかいうやつの息子が、なんと、大阪経大みたいなもん落ちよったそうで、それで、大阪経大の教授になっていたうちの母親の弟に裏口入学させてもらわれへんかとか頼みよったらしいのだが、さすがに、叔父は、あんなおっさんでも「とんでもないですわあ。一千万もろても二千万もろてもお断りしますわあ」と断りよったらしい。そして「もうちょっと他の所ならまだしも、大阪経大やなんて大学を裏口で入ろうやなんて、いったいどんな人間やねん( 一一) ハハハハハア~あ!」とバカにしとったそうだ。(私もそう思った。)しかし、実際、大阪経大やなんてそんなもんに裏口入学やなんて、よう頼むわ( 一一)  そもそも、大阪経済大学やなんて、受験番号と氏名さえ書けば合格するようなそんな大学、いったい、どないしたら落ちることできるねん? モリ〇ツの息子ちゅうのも器用なやっちゃなあ( 一一) だいたい、大阪経大やなんてそんな学校まで落ちるようなやつ、何も「大学」に行くことないのとちゃうのか・・と思うのだが・・また、私が高校生の時、うちの父親は「明治やたら法政やたら専修やたら東洋大やたらポン大やたら、近大やたらピン大やたら大阪経大やたらそんなもんに行くやつが大学に行くちゅうのが間違ってる。そんなやつ、全員、自衛隊に入れたるべきや、自衛隊に」とそう言っていたのだった。私が高校生の時には自分がそう言っていたくせに、モリ〇ツの息子には大阪経大みたいなもんに裏口入学させようとする・・て、どういう頭の構造をしているのか理解不能だった・・が、そういう大阪経大みたいなもんに裏口入学で行こうと考えるような人には「小学校から高校まで勉強させてもらえんかったから五流大学に行くことになったんやから、そやから、大学に行ったらアルバイトなんかさせずに勉強させてあげんといかんでしょうがあ!」ということになるようで、「それに対して、あんたは小学校から高校まで勉強してきたんやから、大学に行ったら勉強みたいなもん、することないでしょうがあ! あんたは大学に行ったら勉強みたいなもんせんとアルバイトせんといかんでしょうがあ! アルバイトをおお!!!」ということになるらしかった( 一一)  その上で「親というものは、よその子よりも自分の子のことをええようにええように思うもんやから」とうちの親は父親も母親も言うのだった。そういう「心理学の学説」というものがあるそうだが、それにしても「心理学の学説」というのはつくづく嘘っぱちが多いもんだとあきれる。
  うちの母親がそう言うのを聞いて、うちの父親は「そうじゃ。その通りじゃ。おまえは、小学校から高校まで勉強みたいなもん、せんでもええのに、それをさせてもらってもらってきたんや。そやから、大学に行ったら勉強みたいなもんすることないんじゃ。このチャンコロろすけイタコ浪商めが、このチャンコロ! チャンコロは大学行ったら勉強せんでもええんじゃ。大学は勉強する所とは違うんじゃ。大学はアルバイトする所なんじゃ。心得違いを起こすでないぞ、チャンコロ浪商イタコろすけプエルトリコ!!!」と言うのだった。
  ・・・私は、今でも、そんなもん、大阪経大やなんてそんなもんまで落ちるようなやつが、何も「大学」に行かなくてもいい・・のではないか・・と思っている・・し、そもそも、大阪経大て、そんな受験番号と氏名さえ書けば通るような「大学」を、いったい、どないしたら落ちることができるのか、マカ不思議である。 ペンキ屋のおっさんは・・、マア、何でも好きなこと言うとったらええけどな。そんなに悪い人やとは思わんし、言うだけなら何でも好きなこと言うとったらええけどな。誰も本気にせんけども・・・と思うし、言ってる方も本気にされるとは思わずに言っていたと思うのだが、私は本気にしないがうちの父親は本気にしよるのだ、うちの父親は。自称「ドイツ人でアメリカ人で沈着冷静・泰然自若・百戦錬磨・頭脳明晰で英雄でほんまは慶應のお父さん」てやつは本気にしよるのだ。だから難儀なのだ、だから。

  それで・・・うちの父親が「あんた、うちの会社の工場にあしたからアルバイトに行くことに決めてきたっ!」と言って「決めてきたっ」ことで、大阪市北区にあった工場に1か月半ほど肉体労働のアルバイトに行かされたのだ。
  2年浪人すると、どういうプラスがあってどういうマイナスがあるか・・1970年代、「二浪の功と罰」と題した文章を「朝日新聞」の「声」欄に書いていた人があったのだが、そこに「二浪の功」として「英語力がつく」というものがあった。
  もしも、本番の試験や模擬試験で取れる点数が横ばいであったとしても、英語のような「覚える」科目の場合は、何もしなかったら忘れていき、点数は下がるわけで、点数が横ばいならば、たとえ、浪人しても落ちた前年と同じ点数しか取れなかったら、せっかく浪人しても合格できないことになるが、英語に関しては、もしも、点数が横ばいであったならば、それだけ、頭に定着したということであり、頭に入った度合いとして見ると「横ばい」ではなく「英語力がつく」という状態になったと考えることはできると思うのだ。そして、横ばいではなく、少しでも点数がアップしていたならば、「浪人したのに、こんなに少ししか上がらなかったか」という点数であっても、「英語力がつく」という度合いとしては必ずしも「少し」ということはないと思う。だから、結果として二浪もしてしまったが、たしかに「英語力がつく」ということはあったと思うので、又、実際、東大に行くために浪人したのであり、受けていないからにはわからないとはいえ、慶應大なら高校を卒業した時点で通ったのではないかと思える者が二浪したのであって、高校卒業時には行ける大学なんかない者が「1浪で慶應の経済」とか「1浪で慶應の文学部」とかを目指して「大成功」でその目的を達成したなんてやつと比べたら、ずっと英語力はあるはずだったので、それを活かして英語検定1級を取得したい、1級は簡単でなかったとしても、とりあえず2級をとって、それを足掛かりに1級を目指す・・といったことも考えていたのだが、その為には、毎日、2時間とかのアルバイトならば残った時間を工夫してやればなんとかなるとしても、1日の仕事を1か月半もさせられたのでは、その間は語学の学習なんかもできなくなり、せっかく二浪までして身に着けた英語力も低下してしまうことになった。
さらにそのうち、大学入学時においては私より英語力はずっと下だった者に追い抜かれることになった。
その為のアルバイトだった。あほくさいことこのうえない。馬鹿らしいことこのうえない。
うちの父親は「うちの会社の工場に来とる大学生、ぴ~ん大のやつとか、き~ん大のやつとか、大阪けえ~え大のやつとか、みんな、アルバイトに来とる」と言うのだったが、その「ぴ~ん大のやつとか、き~ん大のやつとか、大阪けえ~え大のやつとか」そういう大学の大学生は最初から英語力もへちまもないから失うものはなかったはずだ。失うものだらけだったのは私だけだ。

  その化粧品屋の工場のアルバイトからの帰りのことだ。大阪大学豊中キャンパスは大阪府豊中市・池田市・箕面市の境目付近の豊中市にあるが、最寄駅の石橋駅(最近、石橋阪大前駅と名称を変えたらしいが)は豊中市・池田市・箕面市の境目付近の池田市に駅がある。その石橋駅で、阪急宝塚線から箕面線に乗り換える際のことだったが、同じ小学校・同じ中学校・同じ府立 北野高校から大阪大学法学部に進学したK村哲二と会ったのだ。 K村が「どこ、行ってきた~ん?」と尋ねるので、特に考えずに正直に「うちの父親の会社の化粧品屋の工場で肉体労働のアルバイトに行ってきた」と答えたのだが、そうすると、彼はこう言ったのだ。
「へえ~え。そんなもん、あんのお~おん!」と、
馬鹿にしたように、彼はそう言ったのだった。
彼としては、別に馬鹿にしたつもりはなかったかもしれない。しかし、馬鹿にしたようなものだった。
彼がそうきくので、私も同じように「どこ、行ってきたん?」と尋ねたところ、彼はこう言ったのだ。
「阪大の図書館に行って法律の本を読んできた」と・・・。

  同じような場所に同じくらいの家に住んでいて、同じ小学校から同じ中学校に行き、世間の評価はそれほど変わらないくらいの大学に進学しても、その生活はこれだけ違ったのだ。時給何百円の安い金額で、冷房なんかきかない工場で私が汗をだらだら流しながら乳液とか作っていたまさにその時に、川村哲二は石橋の阪大の図書館で、冷房の効いた図書館で椅子に座って「法律の本を読んできた」そうだった。
まさに「民族の違い」「階級の違い」というものを実感した。
  私は川村が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいる時に、冷房なんか効かない暑い工場で汗をだらだら流しながら安い時給で乳液作っていても、それでも「モラトリアム人間病です、あんたは」とか言われる。川村哲二は私が冷房なんか効かない工場で汗をだらだら流しながら安い時給で乳液作らされているまさにその時、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいても、「モラトリアム人間病」などとはまったく言われない。まさに、そのあたりが「民族の違い」「階級の違い」というものだった。
※ 《YouTube-Deep River / Roger Wagner Chorale》https://www.youtube.com/watch?v=a3t1T-jn7n0&list=RDEM394kD-DL_QEzavZ9kaZ3ew&start_radio=1
  その時は、「なんだ、このくらいのハンデ。負けるもんかあ」とも思い、又、「なんだ坂、こんな坂、なんだ坂、こんな坂」とも思ったが、後から考えてみると無理な話だった。ハンデあり過ぎだ。「王さん1枚では勝てない」。
  将棋でも「飛車角落ち」とか、「飛車角香車桂馬落ち」とかならば、工夫して努力してやればなんとか勝負できることもあるかもしれないが、「王さん1枚で戦え」などと言われても、それは無理だった。
あんな不利な条件で、よくまあ、頑張ったものだと思う。 何十年か前の自分を、「まあ、よく頑張ったものだ」といたわってあげたい。
※ 《YouTube-Joshua Fit The Battle Of Jerico / Roger Wagner Chorale》https://www.youtube.com/watch?v=Ptx95C_0WcU&list=RDEM394kD-DL_QEzavZ9kaZ3ew&index=2

  K村哲二は、私が冷房なんか効かない暑い工場で汗をだらだら流しながら安い時給で乳液作らされていたまさにその時、冷房のきいた図書館で椅子に座って「法律の本を読んできた」ということで、K村が法律の本を読んでいた時に乳液作っていたやつは司法試験になんか通るわけがない。私が乳液作っていた時に法律の本を読んでいたやつは、大阪大学法学部に入学して5年目に司法試験に合格した。司法修習の後、弁護士先生様におなりあそばした。・・・ええなあ、うらやましいなあ、わしが冷房なんかちっとも効かない工場で汗だらだら流しながら乳液作ってた時に冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本読んでからに、わしが行った先・行った先で「なんで、慶應の学生がこんな所にアルバイトに来るのお?」「なんで、北野高校の卒業生がこんな所にアルバイトにくるのお?」と言われてアルバイト漬けさせられていた時に、川村哲二は据え膳の条件で法律の勉強させてもろうて司法試験にお通りになったとは、ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ。巨人みたいや、長嶋みたいや。長嶋と一緒や、長嶋そっくりや。長嶋とあんまり変わらん。長嶋とちっとも変わらん。ええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ、長嶋は。わしぁ日陰の月見草や・・・・と思ったものだった。
  今は見かけなくなった夕刊紙に「大阪新聞」という産経系列の新聞があって、それに司法試験合格者の氏名が掲載されたようなのだが、うちの父親というのは、なぜか、私と同じ年に北野高校に行った人間の氏名をチェックしていて、そこに川村哲二という名前があるのを発見して、そして、その大阪新聞を切り抜いて私の所に送ってきたのだった。「川村くんの爪の垢を飲みなさい」と書いて。
  あのおっさんらしいなあ・・・と思ったものだった。 そして、うちの父親は私の所に電話してきた。「新聞、切り抜いて送ったん、着いたかあ。川村くんの爪の垢を飲めよお~お。わかったなあ。飲めよ、ほんまに飲むんやぞ、ほんまに。ほんまに飲めよ、川村くんの爪の垢を」と。そう言ってきた。「これから、今すぐ、川村くんの家に行って、『すいませんが、爪の垢を分けていただけないでしょうか』と言ってお願いしてきなさい。おい、わかってんのか。おい、聞いてんのか。川村くんの家を訪ねて行って『誠に申し訳ありませんが、私の為に爪の垢を分けてください』と、今すぐ行ってお願いしてこい」と、そう言うのだった。
  実際問題として、私は川村哲二の爪の垢を飲みたかった。あの男の爪の垢を飲めば、私もあの男と同じだけの条件を回復させてもらえるのならば、爪の垢でも ち〇ぽ の垢でも、喜んで飲むわ。そのかわり、飲むかわりに、過去に戻って川村哲二と同じだけの条件を回復させてもらわないといけない。「やらずぶったくり」は許されない。アルバイトなんて、私とはまったく違って、家庭教師のアルバイトを1回2時間のものを週に2回やっていただけで、それ以外は何もやらず、私が化粧品屋の工場で乳液を作らされていたまさにその時に冷房のきいた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた男。この「長嶋みたいなやつ」、この「巨人みたいなやつ」。ただではおかんぞ、ただでは。
この恨み、何十年間、忘れたことはないんだからな。
※ 《YouTube-くたばれ読売で盛り上がった東京音頭》https://www.youtube.com/watch?v=_lGaI9y6XVA

  これで終わりではないのだ。川村哲二の母親はまたもややりだしたのだ。
「司法試験もうちの子は現役で通りました」と。
またもや、ラッパを吹き鳴らし太鼓を叩いて近所中に吹きまくったようだった。
おばはん、ようやってくれるな、ほんま・・( 一一)

  ・・で、他の仕事ならば、1年くらいごまかしてもわかりにくい。しかし、弁護士というのは、ある程度大きな図書館に行くと弁護士名簿というのがあって、そこに掲載されているのだ。司法試験合格年というものも。
  「司法試験に現役で通りました」というのは、大学に入学して3年目か4年目に合格したというものを「司法試験に現役で通りました」と言う。法学部は4年間のものだが、川村哲二のように、それを5年行って5年目に司法試験に通ったというものを「司法試験に現役で通りました」とは言わない。
この巨人野郎めが!!!
※《YouTube-巨人 阪神 東京ドーム 最終24回戦の商魂こめて》https://www.youtube.com/watch?v=PPC6oECFuQM
  弁護士ならば、「すぐばれる嘘をつくと、裁判官の『心証を悪くする』ことになってマイナスになる」とか、そういったことくらい考えたらどうかな?
  最近では、インターネットも普及して法律事務所もホームページというものを持つようになったようだが、川村哲二はそこでは正直に自分が何年に司法試験に合格したか書いているようだが、阪大に入学した年から5年目に司法試験に合格したというものが、なんで、それが「司法試験も現役で通りました」なのか、御説明いただきたいものだ。川村先生!

  裁判所の書記官というのは、本人訴訟をやると、本人に対しては「☆☆さん」と呼びながら、弁護士には「△△先生」と呼ぶのだが、これは不公平というものであろう。裁判所が裁判の両当事者を差別してはいかんだろうが。本人訴訟やっている者に「☆☆さん」と呼ぶのならば、弁護士にも「△△さん」と呼ぶべきであろう。裁判所の書記官は、そういったところで「差別」している。
  神奈川県人権啓発センター の宮部さんの動画で、部落解放同盟の人の話の仕方が入っていたと思うが、そこでは「ごらあ。差別すんのんか~い」という文句があったと思うのだが、裁判所の書記官には言ってやった方がいいのではないかと思うのだ。本人訴訟をやっている者には「☆☆さん」で弁護士には「△△先生」と呼ぶ裁判所書記官には「ごらあ、差別すんのんか~い!」と。
  今、思い出したが、今となっては20年近く前、東京地方裁判所にて私が本人訴訟をした時、裁判所書記官が私には「〇〇さん」と呼びながら、相手方弁護士には「☆☆先生」と呼ぶことに対して強く不快感を覚えて見ていたところ、書記官が私にも「〇〇先生」と呼んだので、気色悪いなあ・・と思ったが、あれは、私が裁判の両当事者に対して片方には「さん」づけ、他方には「先生」づけというのは、本来、両当事者に対して公平でないといけない裁判所として不適切だと思って見ていたのに気づいたが、本来なら本人にも弁護士にも「さん」づけにするべきものだが、弁護士に「さん」づけで呼んだら弁護士が怒りよるもんだから、それで「両方『さん』づけ」ではなく「両方『先生』づけ」にしたのか?・・とも思ったが、そうではなく、単に私の方も本人ではなく弁護士が来ていたと勘違いした・・ということ・・かな。

  ・・それにしても、建築業界では ””「いっきゅうけんちくしい」と叫びまくれば「人は言うことをきく」と勝手に思い込んでるおっさんシンドローム”” の「『建築専門学校卒』の設計事務所のおっさん」「バカでも入れる私大の建築学科卒の設計課従業員」がわんさといる、うんとこさいる・・のだが、そういう連中にはもう、あきあきしている、うんざりしているのだが、そういう連中というのは「『先生』と呼ばれたい人間シンドローム」の重症患者でもある。建築業界には、””しょーもない図面しか作れんくせしやがってからに「先生」と呼んでほしがるしょーもないやつ症候群”” てのがいるのだ。そういうやつって、精神安定剤の大量投与(「薬物療法」)とか電気ショック療法とかロボトミーとか、もしくは逮捕監禁療法(「入院療法」)とか強制労働労働搾取療法(「作業療法」)とか緊縛療法とかやると「治療」されるのなら、そういうやつは、一度、「治療」受けてほしいようにも思うのだが、「この病気は簡単には治らない」みたいだ。「病識がない」やつが多いというのもこの「病気」の特徴だ。 又、そういうしょーもないやつに自分もなりたいなりたいとか思ってるような変な若造というのもけっこう棲息している。
  「先生」なんて呼ばれたいかあ? 私なら「先生」なんて呼ばれたら気色悪いけれどもなあ・・。もしも、「小学校の先生」「中学校の先生」「高校の先生」「大学の先生」といった「先生」という職業についている人を「先生」と呼ぶのはいいし、自分がそういう職業についているのなら「先生」と呼ばれてもいいけれども、””「先生」という職業でもないのに「先生」と呼ばれたいしょーもないやつ症候群”” てのがいるのだが、なんか、ちっぽけな野郎だなあ・・と思う。フリーダムアーキテクツデザイン(株)にいた時、インターネットで検索してしらべた業者に電話したところ、相手のおっさんが「先生」なんて言うので、誰のことを言うとんねん? どこに「先生」がおんねん?・・と思ったが、フリーダムアーキテクツデザイン(株)は「一応、設計事務所」だから、それで、俺に「先生」言うとったんか、気色の悪いこと言うおっさんやな・・・と思ったということがあるのだが、弁護士てのも ””「先生」と呼ばれたいしょーもないやつ症候群”” の人間というのがけっこう多いように思う。 ひとつには、大学進学の時、もしくは就職の時に失敗して、それで「敗者復活戦」で司法試験に挑戦して合格したという人間には「先生」と人に呼ばせることで「ざまあみろお!」とか思ってるやつというのがいるのではないか・・と思うが・・、あんまり、そんなところで「ざまあみろ」なんて思わない方がいいと思う。あんまり、いい趣味ではない・・と思う( 一一)
  むしろ、弁護士というのは、まがりなりにも・少なくとも建前としては「法を守る仕事」「法の精神を守る仕事」であるはずなのだから、相手方が本人が裁判所に出頭していて、自分の側は弁護士が出頭しているという時に、裁判所書記官が片方の人間を「さん」づけで呼び、他方の人間を「先生」づけで呼ぶというのは、それは公平であるべき裁判所のあり方として好ましくないと考えるべきであり、弁護士の方から書記官に「相手の方を『さん』づけで呼ばれるのであれば、私にも『さん』づけで呼ぶようにしていただけませんか」と言うべきであろう・・・と思うのだが、もしも、私が弁護士になっていたならそう言うが、ところがどっこい、「『先生』と呼ばれたいしょーもないおっさんども症候群」の弁護士は逆に「先生」と言わないと怒りよるみたい( 一一)
  むしろ、弁護士というのは、そういうところで、相手方を「さん」づけで呼ばせ、自分を「先生」づけで呼ばせることで精神的に優位に立ったろ・・とか思うておるのかもしれん・・( 一一) せこいやっちゃ・・

  その「差別する側」の弁護士先生様の川村哲二様は、実際には大阪大学法学部に入学して5年目に司法試験にお通りあそばしたにもかかわらず、「うちの息子は司法試験も現役で通りました」と太鼓を叩きラッパをぷっぷくぷっぷく吹き鳴らして、近所中にふれまわりあそばしたのだったが、そのおかげで「川村くんは司法試験も現役で通りました。川村くんに爪の垢を分けていただいて飲みなさい」と何万回も言われてきた者としては、「おい。ごら、どうしてくれるんじゃ~い」とでも言いたいところである。
  司法試験に「現役で」なんて通ってないくせしやがってからに、何が「うちの息子は司法試験も現役で通りました」じゃ。嘘つき野郎めが!
釈明せんかい、こら。

  慶應大学の司法研究所の「民法」を担当していた助教授から聞いた話だが、慶應義塾高校から慶應大学法学部には内部進学で進学することができ、慶應の内部進学で慶應大学に進学するのは、一般入試で東大・京大に入学したり、慶應大に一般入試で入ったりする場合よりも、「高校の勉強および大学受験の勉強」をそれほどしなくても進学できる、その部分の負担が相当軽いので、慶應義塾高校の1年から司法試験の勉強を始めて、慶應大法学部4年で司法試験に現役で合格したという人があったらしい。慶應の教授(内部進学)は「高校の勉強というものは受験勉強だ。害があるんだ」とおっしゃるのだが、私は少なくとも「害」はないと思うし、むしろ、たとえ司法試験に大学4年で通ったとしても、そうやって「高校の勉強」をおろそかにしていいのだろうか・・などと思ったりもしたのだが、そうであっても、ともかくも、高校1年から大学3年までの6年間の学習で大学4年の時の司法試験に通ろうとするのと、大学入学後、大学1年から3年までの3年間で大学4年の時の司法試験に通ろうとするのとでは、3年の学習で通ろうとするのと6年の学習で通ろうとするのとでは、さすがに6年の方が有利であるようだった。そういう人を「現役で司法試験に通りました」と言う。
  『司法試験機械的合格法』『東京大学機械的合格法』の著者の柴田孝之は、東大法学部の4年の時に司法試験二次試験を受けたけれども、論述試験まで受けた結果、落ちた・・と自分で思い、合格発表も見に行かなかったところ、友人から電話をもらって「おめでとう」と言われたが何のことかわからなかったが、自分では落ちたと思ったが実は通っていた・・ということだったらしい。柴田孝之は東大文科一類⇒法学部に入学して4年目の試験で通ったということだから、これは「司法試験に現役で通りました」と言ってよいであろう。
  それに対して、川村哲二の場合は、大阪大学法学部に入学して5年目の司法試験で合格しており、そういうものを「司法試験に現役で通りました」とは言わない! 嘘ついたらあかんやろうが、嘘ついたら。
  神戸大学法科大学院大学の学生さん、これ、先生に質問してみたらどないや。「せ~んせえ~え。 司法試験に現役で通っていないのに『司法試験に現役で通りました』と近所中にふれまわるというのは、これは詐称か何かで法的に問題になることはありませんか~あ?」と。
<法科大学院&新司法試験対応>司法試験機械的合格法 - 柴田 孝之
<法科大学院&新司法試験対応>司法試験機械的合格法 - 柴田 孝之

  実際のところ、迷惑なおばはんやった。神戸大学法科大学院大学の先生様ならば、おのれの母親が近所に迷惑かけんように、ちょっとは考慮なさったらどないなもんか・・と思いまんねんけどもねえ・・・・。そう思いまへんか?

  法科大学院大学という制度ができて、司法試験は法科大学院大学に行かないと合格できないということになるのか・・と思ったらそうでもないようで、予備試験ルートと法科大学院大学ルートとの2本立てのようになったようだ・・・が、私も還暦過ぎてしまったから今さら司法試験を受けるというのも・・と思ったりもするが、それでも、もしも、司法試験を受けるならば、法科大学院大学ルートなんて取りたくないなあ。 なんでかというと、「私が冷房なんか効かない暑い工場で汗だらだら流しながら乳液作っていたまさにその時に、冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた男」というのがその法科大学院大学の先生様をやっておられるのだから。そんなやつから学ぶものなんか、何にもねえよお!!! おのれの爪の垢でも ち〇ぽ の垢でも飲みやがれ!

  「弁護士は役に立たない」というのはなぜか? ひとつの理由として、「同じ小学校・同じ中学校・同じ高校から同じくらいの社会的評価の大学に行った者が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた時に、冷房なんか効かない暑い工場で汗だらだら流しながら乳液作っていた人間」が弁護士になっているのか、それとも、「同じ小学校・同じ中学校・同じ高校から同じくらいの社会的評価の大学に行った者が冷房なんか効かない暑い工場で汗だらだら流しながら乳液作っていたまさにその時に冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた人間」の方が弁護士になっているのか? 
  そこだが、「同じ小学校・同じ中学校・同じ高校から同じくらいの社会的評価の大学に行った者が冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた時に、冷房なんか効かない暑い工場で汗だらだら流しながら乳液作っていた人間」が弁護士になっているのではなく、「同じ小学校・同じ中学校・同じ高校から同じくらいの社会的評価の大学に行った者が冷房なんか効かない暑い工場で汗だらだら流しながら乳液作っていたまさにその時に冷房の効いた図書館で椅子に座って法律の本を読んでいた人間」の方が弁護士になっているのだ。そのあたりに「弁護士は役に立たない」理由の1つがある・・・と思う。そう思いませんか?

  【1】【2】で字数がけっこう多くなったので、迷惑なおばさん3人目【3】は別稿で述べます。

  (2021.12.6.) 

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