葬式と「体育会系のおっさん」の思い出――「生き死にの間際に」

[第535回]
  1995年1月というと、阪神淡路大震災があった月であるが、私にとっては母方の祖母が他界した月でもある。母方の祖父が他界したのが1985年だったので、その10年後、その間、介護施設に入ったり、そこで転倒して骨折したりといったことを経て、とうとう、亡くなった。
  祖父の葬式の時は5人兄弟の一番上だった伯父が喪主をつとめたが、伯父は「クリスチャン」として洗礼を受けていたことと娘はあっても息子はなかったことから、5人兄弟の一番下だった叔父が祖母の葬式の時には喪主を務めていた。
  祖母が他界する時、私にとっては、今も後悔することが2つある。祖母は私が子供の頃、かわいがってくれたのだが、祖父が他界した後、私は離れた場所に勤めていたので、なかなか会えなかった。それに対して、祖母の子は5人いて孫も何人もいたのだけれども、私と同年齢のイトコは近くに住んでいたこともあって、よく、祖母の所に顔を出していたと聞いた。私は母に、「一度、見舞いに行ってみようか」と言ったのだが、「行かんでもええ」と言うので、祖母の顔をたまには見たかったし、イトコが祖母の世話をけっこうしていたと聞いたけれども、私も何かひとつくらいはやりたかったのだけれども母が「行かんでもええ」と言うので行かなかったが、なんで、うちの母親はああいう場面で「行かんでもええ」と言うのだろうか。今から思えば、母が何と言おうがもっと強く言って、一度くらいは見舞いに行っておきたかった。
  どうも、うちの母はそのようなところがあるようで、母の兄である伯父が他界した時にも、葬式がすぎた少し後くらいに「◇◇さんが〇日に亡くなって、☆日に葬式やったそうや」と教えるので、「なんで、葬式の前に教えてくれなかったの」と言うと、「ほら。あんた、葬式の日を教えると行くやろ」と言うので、「行くよ」と言うと、「あんたは、葬式の日を教えると行く人間やから、そやから教えんかったんや」と言うので、どういう理屈や・・と思ったものだったが、伯父の葬式にも行けなかった。人それぞれには、それぞれの人に対する思いがある。伯父の葬式には行きたかったし、当然、行くつもりにしていたのだったが、知った時にはすでに葬式はすんでいた。

  祖母の葬式の際に、今もって後悔していることがひとつある。祖父の葬式の時には伯父が喪主を務めたので、「◇◇家の葬儀」としておこなわれたが、叔父は体育会系の人間、ラグビーの人間だったので、ラグビーの関係の人間の来訪者が多く、それは来てかまわないのだが、親戚の人間で来ている人が何人もあるにもかかわらず、「◇◇家の葬儀」ではなく「ラグビー葬」みたいにしやがった・・・という点で、そのあたりについて、叔父の対応は良心的とは言えないように思えた。・・そして、もう、この人が実施する「ラグビー形式の儀式」へ出席するのは今度が最後かな・・という気持になった。「ラグビーは一番エライ」みたいな意識の連中の集まりに、そうでない者が顔を出してもしかたがない。おそらく、出席していた親戚の人間で私と同様の気持ちになった人はいたと思う。
  大阪市天王寺区のお寺で葬式をおこなった後、大正区の斎場に移り、遺骨を叔父が受け取った後、クルマで移動すると、ある喫茶店に叔父はクルマを停めて、「ちょっと、ここ、入っていこう」と言ったのだ。伯父が喪主を務めた祖父の葬式の時には、祖父母が住んでいた戸建の家があり、そこへ皆で戻ったものだったが、祖母が他界した時にはその家はなかったので、叔父としては仏壇を自宅に引き継いだとはいえ、自分の家に親戚の人間を何人も来させたくなかったようで、「仕上げ」のかわりに喫茶店に入ろうとしたようだった。
  しかし、その時の叔父の行動を見て、「この人とは、あまりつきあいたくないなあ」と思うようになったのだ。祖母、叔父からすると母親の遺骨の箱を、クルマの助手席にポイと置いて、それで、「おい、ここ、ちょっと、入っていこう」と言って喫茶店に入るので、なんとも、えらいことする男やなあ・・と思ったのだ。普通、そんなことするかなあ~あ・・・と思った。たとえ、喫茶店に入るとしても、母親の遺骨をクルマの助手席にポイと置いて、自分たちだけで喫茶店に入るなんて、あんまりそんなことするものじゃないと思うんだけどなあ~あ・・・と思い、この人と関わっていると、そういった行動の「共犯者」にされてしまう危険があると思い、今後、この人とはあんまりつきあいたくないなあ・・と思うようになったのだ。もしも、喫茶店に入るとしても、お骨は持って入るべきであろう。もしも、喫茶店から出てきてクルマに乗ろうとしたら遺骨がなかった・・・なんてことになったら、おっさんはいったいどうするつもりだったのだろうか? ラグビーのおっさんにとっては母親の遺骨というのは、その程度のものだったのか?
  「私は今までから、この人のことを『特別に賢い』とかいうようには思ってなかったけれども、しかし、ここまでアホとは思わんかった」。
 「頭がラグビーでできてる」人というのは、そういうことをやるようだ。そういう態度のことを「体育会系の礼儀作法」とか「さわやかスポーツマンシップ」とか言うらしい。

  私は、叔父が祖母の遺骨をクルマの助手席にポイと置いて、「おい。ちょっと、ここ、入ろうや」と言って喫茶店に入ろうとした時、えらいことしよるなあ~あ・・・と思ったが、喪主である人がやることなので異議を挟むわけにはいかないか・・と、その時は思ったのだった。しかし、そうではないと今は思う。そうではなく、せめて、「喫茶店に入るのなら、それならそれで、お骨は持って入るようにした方がいいのと違いますか」と言ってよかったと思うし、言うべきだったと思う。 伯父(叔父の兄)は、自分は喪主を退いたのだからと遠慮していたようだが、伯父が喪主をやっていたならば、こういったことはしなかったと思う。
  祖母の子は5人あったが、息子2人のうちの兄の方は喪主を退いたということから喪主になった弟に遠慮して言わなかったようで、上から4番目の叔母はすでに他界していたので、娘2人というとうちの母ともう1人だが、どちらも、「え?」と思っても言えなかったようだ。孫はというと、私の姉くらいの世代の孫は女ばかり5人、私くらいの世代の孫は男が5人・女が1人で、その中間世代の孫の女性が1人。そのうち、男の孫2人はラグビー屋のおっさんの息子で、別の2人はラグビー屋の配下であったから、言えるのは私しかいなかったのだ。だから、今から思えば、言えた人間は私しかいなかったのだから、それは私が言わないといけなかった。いきなりでびっくりしたということがあるが、「喫茶店に入るのなら、せめて、お骨を持って入るべきではありませんか」と言うべきだったのに、なんで、あの時、遠慮して言わなかったのだろうかと今も後悔している。それが2つめの後悔である。

  うちの父親は ””「ええかっこしい」やりたがる人間症候群”” のおっさんやった。「この病気は簡単には治らない」という「不治の病」だった。私が幼稚園の年長組の年の1月、父方の叔父夫婦とイトコ2人が家に来たが、帰りに、母が私に、私が12月のクリスマスに幼稚園でもらった、16マスに15の数字が入ったコマが入り、移動させて並べ替えるゲーム ↓ を、それをイトコにあげなさいと言うのでびっくりした、ということがあった。
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「なんで、そんなもの、あげないといけないの」と言うと、母は「これ、2つあるから、どちらかをあの子らにあげなさい」と言うのだった。2つあるといっても、私が1つでいいものを2つ買ってもらったのではない。私は姉が2人あったが、上の方の姉も私が幼稚園でもらったものと同様のものを幼稚園でもらっていて、それが家にあった。上の姉は私が幼稚園でもらう前には私にそれを使わせてくれていた。だから、我が家には2つあるから、だから、「どちらかをあげなさい」と母は言うのだったが、姉がもらったものを私がよその子にあげていいなどと言うわけにはいかない。私は「それはお姉ちゃんのやから、お姉ちゃんに訊いて」と言うと、母は「それやったら、こっちをあげるということでええな」と言って、1週間前に私が幼稚園でもらったばかりのものを、「これ、あの子にあげるで」と言うので、普通、母親がそんなこと言うかなあ~あ・・と思い、「それ、クリスマスに幼稚園でもらったばっかりのものやで」と言ったのだ。もしも、私が成人した後に、甥か姪かに「これ、△△ちゃんにあげてもいいか」と言うのならわからないこともない。しかし、幼稚園児がクリスマスにもらったばかりのものを、私より1つ年上のイトコ(女)と1つ年下のイトコ(男)に「あげなさい」とは、普通、親がそんなこと言うかあ~あ? と思ったのだ。 姉がもらったものを、姉に断りなくよその子にあげていいわけはない、又、私がクリスマスに幼稚園でもらったものを、正月によその子にあげるとはとんでもない。よく、そういうことを言うと思ったが、「我儘言いなさんな。どっちをあげるのか言いなさい」と母は言うのだった。「どっちも、あかん」と言うと、「勝手なこと言いなさんな。甘ったれなさんな、あんたはあ」と言うのだ。「あの子らも、もらってるはずや」と私は言ったのだ。1つ年上のイトコ(女)はその時は小学校1年だったが幼稚園は卒園したはずだから、幼稚園の時には自分が行った幼稚園で何かもらったはずで、1つ年下のイトコ(男)はその時は幼稚園の年少組で幼稚園に行っていたのだから、行っている幼稚園でクリスマスに何かもらったはずだ。だが、母は「2人とも、持ってないらしいねん」と言うのだが、その幼稚園によって、園児にクリスマスに「幼稚園からのプレゼント」として渡す物はその都度違うから、「15ゲーム」はもらっていなかった可能性はあるが、しかし、他の物をもらっていたはずで、もしも、私が幼稚園でクリスマスにもらったものを取り上げてそれをイトコが持ち帰るのならば、「相互主義の原則」として、イトコが幼稚園でもらったものを私に渡すのが筋であるはずだ。結局、母は「わかった。それなら、こっちをあげなさい」と言って姉がもらったものの方をイトコに差し出して、叔父夫婦とイトコは帰っていったが、どうも、「後味の悪い」正月だった。
  その後、小学校1年の時、母は私に、「オルガンを中心としたヤマハの音楽教室」に通わせた。教室に来ていた他の子供は、たいてい、ヤマハの電気式オルガンを買ってもらって練習していたようだったが、我が家には「足踏み式オルガン」があったので、それで練習しなさい! ということになった。うちの姉は私に「あんたは何でもあってええなあ」などと何度も言ったが、そんなことはない。姉が使用した「お古」があるから、「それを使いなさい」ということになることが多かったが、小学校の同級生などでそういうものがない者は新しい物を買ってもらっていた。使えるものは使えばいいのだけれども、それでも、やっぱり、上の方の兄弟で新しい物を買ってもらえる者の方が、「お古」を使わされる者よりもいいように思えた。小学校の「図画工作」で使う彫刻刀とかは姉が使っていたものでも別にかまわなかったが、嫌だったのは服で、さすがにスカートをはかされることはなく、セーターとかだが、たとえ、もともとは「男女共用」のものであったとしても、女性が着ていた服と言うのは、どこか、女性の体形が服についているようなところがあって、あまりうれしくなかった。私は小学校の4年の途中で小学校を転校したのだが、低学年の時に在籍した方の小学校では学区内に「聖家族の家」と言って親がない女の子が住む施設があって、そこに住んでいる女の子は、もう大きくなってその服を着ることがなくなった女の子の親からもらったお古の服を着ているらしい女の子がいたけれども、女物のお古の服を着ている男はクラスで私一人だけだった。しかし、それでも、だからと言って捨てるのはもったいない・・というものを着るのは、それは「そういうもの」なのだろうと思っていた。しかし、「あんたは、何でもあってええなあ」などと言われると、どうも、違うように思えた。
  「オルガンを中心としたヤマハの音楽教室」は小学校1年から2年にかけての2年間のものだった。ところが、小学校1年の途中、「オルガンをもらいにきました」と家にクルマで来た人がいて、私が毎日練習に使用していたオルガンを持ち去ったのだ。「なんで、オルガン、持っていくのお?」「それ、ぼくが毎日練習してるオルガンやでえ」と言っても、有無を言わさず、その人たちは私が毎日練習に使用していたオルガンをクルマに積み込んで持ち去ったのだった。「明日から、いったい、どうやって練習したらええのん?」と私は母に言ったのだが、母は「うちにはピアノがあります。ピアノの方がオルガンよりも上や。あんたはオルガンよりも上のピアノで練習できるんやから恵まれてるんや」と強弁するのだった。しかし、ヤマハではオルガンの上位のものはピアノではなくエレクトーンと考えていて、ピアノをオルガンの上位の楽器とは考えていなかった。実際、ひいてみるとわかるが、オルガンとピアノは鍵盤だけ見ていると似ているように見えても、鍵盤を叩いた時の感触は全然違うし、音色も違う。「オルガンよりもピアノの方が上だから、ピアノがあればオルガンなんて要らんでしょう」と言うのなら、オルガン教室に通わせるのではなくピアノ教室に通わせればよかったはずだ。なんで、オルガンをひとにくれてやるのにオルガン教室に私を通わせるんだ? 私がオルガン教室に通っているのに、なんで、そのオルガンを他人にくれてやるのだ? そもそも、なぜ、私が毎日練習して、練習後には布で磨き上げていたオルガンをよその人にあげないといけないのか?
  私が毎日練習していたオルガンをもらいにきた人は、父の勤め先の人かと思い込んでいたのだったが、母に訊いても「あれ、どういう人なんやろ?」と言い、今でもどういう人だったのかわからないようだった。おそらくだが、父がたまたま入った喫茶店で、隣のテーブルで話をしていた人で、「オルガンあったら、子供にオルガンの練習させるんやけどなあ」とか話している人がいたのではないか。それを横で耳にしたうちの父親が「そやったら、うちにオルガンあるから、クルマで取りに来てもろうたら、オルガン、あげまっさあ」とか言いよったのではないか。そんなところだろう。オルガンを持ち去られた後、うちの父親は「オルガンみたいなもん、要らん」と言うのだったが、それなら、なぜ、私にオルガン教室に通わせて、毎日、オルガンの練習をさせるのだ?・・ということだ。おそらく、喫茶店で隣のテーブルにいたおっさんが、息子か娘にオルガンの練習をさせたいと思ったが、オルガンは買うにはそれなりの金額がするので、どうしようかと考えていて、それを連れに話していたところ、横のテーブルにいたうちの父親がそれを聞いて、””「ええかっこしい」やらんとおれない人間症候群”” の病気の症状が出て、「それなら、オルガン、あげまっさあ」と、ほとんど知らないような人に言って、私が毎日練習していたオルガンをその人の息子か娘にあげたのだろう。たぶん、そんなところ・・・だと思う。
  私が20歳になる年、うちの父親は「あんたには、子供の頃から、よその子とは違って、欲しいというものはどんなもんでも、何でも何でもええもんばっかしこうてきて、やあってやってやあってやって、やあってやってやってやってきたから」などとびっくりするようなことを言うので、「絶対に違う」と言ったのだ。常に、幼稚園の同級生や小学校の同級生、近所の子供と比較して、私は欲しいというものを買ってもらえないことの方が圧倒的に多かったし、買ってもらえた場合も、よその子よりも安い物である場合が多かった。だから、「絶対に違う」と言ったのだ。「絶対に違う」とともに、幼稚園でクリスマスにもらったものを正月にイトコに取り上げられたし、「ヤマハのオルガンを中心とする音楽教室」ではよその子は新しくヤマハの電気式オルガンを買ってもらっていたのに対して、私は家に「足踏み式オルガン」があったからそれを使用して練習していたが、たとえ、足踏み式・旧式のオルガンでも家にあるのならそれを使うのはしかたがないと思ってそれで練習したが、それでも、新式の電気式オルガンを新しく買ってもらえたその音楽教室の他の生徒の方がいいなあ・・・と思ったものだが、その足踏み式・旧式のオルガンすらも、それすらもよその人間に取り上げられたのだ。「小さい頃から」常にそういうことをされてきたのだ。それなのに、「あんたには、子供の頃から、よその子とは違って、欲しいというものはどんなもんでも、何でも何でもええもんばっかしこうてきて、やあってやってやあってやって、やあってやってやってやってきたから」などと言うので、この男、何を言うかと思い、「絶対に違う」と言ったのだが、すると、うちの父親は「こいつ、こんなこと言いよる。これは病気やから、こういうことを言いよるんや。これは間違いなく病気や。わしはキリストで聖人で英雄で聖徳太子でヒットラー総統で人格者であって、こいつには小さい頃からよそとはちごうて、何でも何でも何でも何でも欲しいものはこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってやってやってきてやってやったたのにからに、こういうことを言いよるというのは、これは病気やわ。薬のませて治療してやらんといかん。それも、少々の量ではあかん。大量に薬を飲ませてやらんといかん。薬ではあかんやろ。ロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん! 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」と言うのだった。↓
スタンガン
スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」 )
それで私は言ったのだ。「たとえ、電気ショックされようとも、ロボトミーされようとも、絶対に違う。人間、譲っていいことと悪いことがある。小さい頃から、よそと違って、欲しいというものは何でも買ってきてもらったなどということは絶対にない! 何でもよその子よりもええもんばっかり買ってきてもらったなどというものは絶対にない! それで気にいらないというのなら、ロボトミーでも電気ショックでもやってもらえばいい!」と、そう言ったのだ。 「自ら虫けらとなる者は後で踏みつけられても文句は言えない」とは、イェーリングが『Recht(権利=法)のための闘争』(岩波文庫)でカントの言葉を引用したものだ。 フィデル=カストロ『わがキューバ革命』では、バチスタ政権から死刑を宣告された時、「私に死刑を宣告せよ。それは何ら問題ではない。歴史が私に正義を宣告する」と述べたものが出ているが、まさにそれと同じである。ロボトミーでも電気ショックでもやればいい。歴史が私に正義を宣告する!
権利のための闘争 (岩波文庫) - イェーリング, Jhering,Rudolf Von, 淳一, 村上
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わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
わがキューバ革命 (1961年) (新しい人間双書) - フィデル・カストロ, 池上 幹徳
  母が90代まで生きてくれたおかげで、もっと早く他界したならわからなかったことでわかったことがある。私は、私がクリスマスに幼稚園でもらった「15ゲーム」を、イトコが「それ、もらって帰る」と言ったのだとばっかり思っていた。それで、なんとも、えげつないやつらやなあ・・と思った。又、私だって、よその家に遊びに行ったなら、よその子が買ってもらって持っていた物で私が持っていないものがあったということは何度もあったが、それを、自分が持っていないからという理由で「それ、もらって帰る」などと言おうものなら、うちの親はかんかんに怒ったものだった。それなら、親が買ってくれるのかというとそうではない。「よそはよそ、うちはうちです」と言われたものだった。私が言ったならかんかんに怒るくせして、イトコが「それ、もらって帰る」と言うと、「それをあの子らにあげなさい」などと言いだすとは、いったい、なんちゅう親や・・と思ったのだった。イトコの姉弟というのは「よその家に行くと、常に、何をもらって帰ろうかと眼を皿のようにして見回している人間」かつ、それを得意・自慢にしている人間なんだな、嫌なやつらだなと思ったのだが、実際、会社という所に勤めてみると、男でも女でもそんな感じの性癖の人間というのは実在するし、そういう人間で営業やっている人でそういう性格が「営業に向いている」と思っている人もいて、そういう態度が顧客から嫌がられているのになんでそれが「営業に向いている」のかと私などは思うのだが、それでもそれが「営業に向いている」と信念もっているような人もいるのだが、イトコの姉弟はそういう傾向がいくらかあったと私は思うのだが、しかし、ふと、気づいたのだ。もしかして、あれは、イトコが「それ、もらって帰る」と言い出したのではなく、””「また、『ええかっこしいやったろ』思うてはるう、てのを常にやらないとおれない人間症候群”” のうちの父親が「ええかっこしい」やったろと思うて、それで、「それ、2つあるから、片方をあげなさい」などと言いだしたのではないか。かつ、うちの母親は「夫に逆らえない女」だから、普通は母親ならば、息子が幼稚園でクリスマスにもらったばかりの物を正月に「それ、あの子にあげなさい」などと夫が言ったならば、「いくらなんでも、それはあんまりでしょ」と言うものだと思うのだが、うちの母親はそういったことを夫に言えない女だったので(そのくらいのことも言えないようでは、そのような夫婦をはたして「夫婦」と言えるのだろうかとも思うのだが)、それで、うちの父親に命令されて、私に「これ、どっちをあげるか」と言ってきたのではないだろうか。それで、「あれは、イトコのRとSが『それ、もらって帰る』と言ったということではなく、うちのおっさんが『それを、あの子らにあげなさい』と言ったのと違うのですか」と90代の母に尋ねてみたところ、「そうや」ということだった。やっぱりなあ・・とわかった。あの時もまた、””始終「ええかっこしい」やりたがる症候群”” のおっさんは、子供が幼稚園でクリスマスにもらったばかりのものを正月によその子にやって「ええかっこしい」やったろ♪ と思いよったようだった。 「また、『ええかっこしい』やったろ、思うてはるう」てことをやったろと思いよった、ということだったようだ。あのおっさんは、常にそういうおっさんやった。
  母が90代まで生きてくれたおかげで、そうでなければ聞けなかった話を聞けたというものがある。私が産まれるよりも前、姉が生まれ、祖父母もおり、父方の叔父(父の弟)もおり、うちの父親の給料は安くて生活に困っていた時、叔父が見合いをして叔母とつきあっていた時、うちの父親はそこでもまた””常に「ええかっこしい」やらんとおれない人間症候群”” を発揮して、「外で食事したらカネかかるから、うちで食事せえ」と言って、そうでなくても生活費に困っていたのに、「叔父のデート費用」まで出さされた・・らしい。
  さらには、母が嫁入り道具として持ってきた「長持ち」を「こんなもん、要らん」と言って会社の部下のTさんにあげた・・・というのだ。母は「嫁入り道具」として持ってきたものであり、母の両親は娘に「嫁入り道具」として持たせたもので、それを嫁の同意もなしに、「こんなもん、要らん」と勝手に決めつけてよその人にあげてしまったらしい。もらった人はずいぶんと感謝されたそうだが、そういうおっさんやった。グリム童話に、嫁入りするお姫様にお母さんの王妃が指を切って血をしたたらせた布を持たせたが、途中でその布を失ったところから、嫁は腰元に逆らえなくなって、腰元に王子の妻になられてしまうという話があるが、親が「嫁入り道具」として持たせる物というのは娘に御守りを持たせるようなもののはずだが、それを、妻の同意もなく勝手に「こんなもん、要らん」と言って会社の部下の人にあげてしまう男というのは、いったい、どういう男なのか・・というと、うちの父親のような男だった。そういうおっさんやった。そういう具合に ””常に「ええかっこしい」やらんとおれん症候群”” の人間で、なおかつ、「しみったれ」「しぶちん」だったから、私には実際には「よそとはちごうて」よその子が買ってもらっていても買ってもらえない物が多く、買ってもらえた場合もよその子よりも安い物であることが多かったが、それにもかかわらず、 ””「ええかっこしい」やらんとおれない症候群”” だったのだ。
  JR「大阪」駅の南側の円ビル(まるびる)のオーナーの吉本というじいさん(吉本新喜劇の吉本とは別みたい・・)が「大日本ドケチ教」なるものを始め、「わしはケチでんねん。ケチでっけど、シブチンとは違いまんねん。ケチいうのは、節約するものはとことん節約するけれども、出すべきところでは出す、というのがケチでんねん。それに対して、シブチンいうのは、出すべきところでも出さん。それがシブチンでんねん。そやから、わしはケチではあってもシブチンとは違いまんねん」とか言うておったと思うが、聞いていると、なるほどなあ・・・と思いそうになるが、しかし、こういうことを言うおっさんというのは、実際には「しぶちん」であって、「出すべきところ」でも出しよれへん・・・ということが一般に多いように思う。・・で、吉本のおっさんがどうであるかはさておき、吉本のおっさんの言葉をもとに考えると、うちの父親というのは息子に対しては「しぶちん」だった。それでいて、よその人間には ””常に「ええかっこしい」やらんとおれない人間症候群”” であり、「この病気は簡単には治らない」という「不治の病」であり、相当の重症であり、何よりも本人に「病識がない」という特徴があった。
  私からオルガンをとりあげていって、その私から取り上げたオルガンを息子なのか娘なのかに与えて練習させようとそのおっさんはしたようだが、おそらく、その息子なり娘なりは、オルガンを失ってもピアノを代用品として練習した私より上達しなかったであろう。むしろ、そうやって、私の練習道具をとりあげたようなやつにだけは負けてはなるものか! と思う。そんな「巨人みたいなやつ」「長嶋みたいなやつ」には絶対に負けてはいかん! ・・と思う・・というよりも、どうせ、私から取り上げたオルガンを与えられたようなやつなんて、たいして上達してないと思うぞ。
※ 《YouTube-氷川きよしさんと阪神ファンのコラボによる東京音頭!》https://www.youtube.com/watch?v=Vt2yXzBWMiA
《YouTube-令和になって初めての阪神ファンによる商魂こめて》https://www.youtube.com/watch?v=ugxjW6OGvhk
  私は子供の頃から、ずっとそういうようにやってきた。「巨人みたいなやつ」「長嶋みたいなやつ」が私よりいい条件でやっていても、「なにくそお」と思い、負けないように努力してきた。 (株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/  で、2001年、栃木県南部営業所の所長にならせてもらっていた私と同じくらいの年齢だった木下(男。当時、40代前半)が、「あんたは宅建主任(宅地建物取引主任者⇒宅地建物取引士)もインテリアコーディネーターもキッチンスペシャリストも何の努力もしないのに簡単に通る。ぼくらはどんなにしても取らないのにからに、ずるい」などと言ったが、よくもまあ、そういうことを言えるものだと思う。特に、インテリアコーディネーターは(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫が取ってくれと言うから、だから、当初、インテリアコーディネーターは取得するつもりはなかったが、勤めた会社の上役が取ってくれというからには、その資格の取得者の能力を必要とする仕事をさせようということで取ってくれということであろうと考えて何が何でも取らなければならないと思って、片方で営業の仕事で実績を残しながら、大変な努力と工夫・苦労の末で取得したのであり、いずれの資格も、相当の努力と工夫・苦労の末、やっと取得したもので「何の努力もしていないのに」通ってなどいないし、そもそも、木下は「ぼくらはどんなに努力しても通らないのに」と言うがどういう努力をしたかというと、何もしてないではないか。要するに、私が毎日練習していたオルガンを取り上げて持ち帰ってそのオルガンをもらったよその息子か娘みたいなものだろうが! この「長嶋みたいなやつ!」「巨人みたいなやつ!」ということだ。

   ・・で、その””常に「ええかっこしい」やらんとおれない人間症候群”” だったうちの父親が、母方の祖父が他界した後、ひとりになったお祖母に、伯父がどうしたものかと思案していた時、「わしが、おばあさん(祖母)に、わしがお金だして、こういうことをやったげまひょと言うたろか。Kのやつ(伯父)はあっかんやつやから、Kではあかんから、わしがやってあげまひょと、こない言うたろか」と言うので、「やめとき」と私は言ったのだ。「なんでやねん」とうちの父親が言うので、「だから、そんなこと、やめとき」と言ったのだが、わからないようだった。
  うちの父親は言うのだった。「Kのやつはあっかんやつやから、そやから、えらいえらいこのわしいが、おばあさんのためにやってあげまひょかと言うてあげようかと言うとるんやろうが。おばあさん、喜びはるやろ」と言うので、「やめとき。そんなこと言ったら、御祖母さん、怒りはると思うよ」と私は言ったのだ。「『絶対に要りません』と言わはると思うよ」と。
  「なんでやねん、Kのやつは、あっかんやつやから、そやから、えらいこのわしがお祖母さんのために、お金をだしてやってあげまひょかと言うてやろうと言うておるんやろうが。喜びはるやろうがあ~あ」と言うので、「だから、そんなこと言ったら、お祖母さん、怒りはると思うよ」と私は言ったのだが、「なんで、怒るんや。喜びはるやろうが」と言ってきかなかった。「もし、うちもいくらかお金を出してもいいと思うのならば、お祖母さんに言うのではなくて、Kさんに、『うちもいくらか出してもいいで』と言ったらどうですか。それなら、喜びはるかもしれんけれども、『Kのやつは、あっかんやつやから、そやから、わしが出してあげてあげまひょか』やなんて言ったら、お祖母さん、絶対に怒りはると思う」と言ったが、「なんでなんじゃ。なんでじゃ」と言って、おっさんは理解できなかった。そういうおっさんやった。

  「ええかっこ」と「ええかっこしい」は同じではないが、””常に「ええかっこしい」やらんとおれない人間症候群”” の人間は、子供がクリスマスに幼稚園でもらったばかりのものを、自分が「ええかっこしい」やるためによその子にやるし、子供が毎日練習しているオルガンを自分が「ええかっこしい」やるために、よその子にくれてやる、といったことをする。
  1970年代後半、北野高校で2年の時に担任だった旧姓 作野礼子(女。当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当科目:「現代国語」「古文」)は「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」というのを最大の自慢にしていた女だったが、どうも、「父親がいなかった」という娘はその点で父親がいた息子・娘よりもえらいえらいえらいえら~いと常に人からほめてもらう権利がある、父親がいた息子・娘は自分を「作野さんはお父さんがおられなかっただけあってえらいわあ~あ」とほめる義務があると考えていたらしかったが、そんな「権利」も「義務」もないはずだ。なにより、父親がいると、幼稚園でクリスマスにもらって1週間経つかどうかというものを正月に取り上げられてよその子にあげられてしまうし、父親がいると毎日練習してきたオルガンをある日、突然、よその子にあげられてしまう・・といったことを経験する・・ということを旧姓作野礼子はまったく知らないようだった。一度、経験させてあげた方が本人にとって良かったのではないかと思うが、””「父親がいなかった」ことから父親のおかげで嫌な思いをする経験をすることなく育った女シンドローム””の「患者」に、その「病気」の人間の欠点を理解させようと思っても、まず、無理であった。なにより、「私は両親が離婚したから」「私は父親がいなかったから」と、 ”” 普通、そういうものは自慢することとは違うと思うがなあ・・ということを自慢しないとおれない人間シンドローム”” の重症者を「治療」しようと思っても、これを治療するのは相当困難だった。寺地礼子(旧姓作野)については、私も最初は「北野高校卒」「北野高校教諭」ということで少々買いかぶってしまっていたのだが、落ち着いて考えてみると、あのおばはん、あんまりかしこない!・・・というのか、落ち着いて考えなくても、あんまりかしこない! あんなやつに「現代国語」なんてわかるのか・・て感じがする・・というのか、わかってないと思う。旧姓作野礼子の「現代国語」なんてものは、デマカセでしかない。〔旧姓作野礼子の「現代国語」がどのようにデタラメかについては、できるだけ近いうちに別稿できっちりと述べたいと考えています。〕
ー・-・-・-・-・-・-
わが生は、下手な植木師らに
あまりに夙く(はやく)、手を入れられた悲しさよ!
由来わが血の大方は
頭にのぼり、煮え返り、滾り泡だつ。
・・・・
( 中原中也『山羊の歌』「つみびとの歌 阿部六郎に」より )
  旧姓作野礼子は私に「あなたはブンケー(経済学部)よ」と言いまくり、私がそこだけは首をもがれても行かされたくないと小学校1年の時から思い続けてきたところにな~んとか行かせてやろうと必死になったのだが、なんで、あの女は生徒に、本人が「そこだけは嫌!」「お願い、そこだけはやめてえ!」・・と言っているところにな~にがなんでも行かせようとするのか・・と思ったが、今から思うと、あの女は、高校教諭として生徒の立場に立って生徒のために力になろうという気持は完全に欠落している人間で、生徒のために尽力するのではなく親の機嫌を取ることが高校教諭としての処世術と考えていたようだった。そういう女だった、あの「入学式の日に有給とって海外旅行に行く女」は。旧姓作野礼子こそ、高校の教諭には適性がない人間で、文学部国文科に不向きな人間であると「適性診断」してやるのがふさわしい。 「私は両親が離婚したから」「私は父親がなかったから」というのを最大の自慢にしていて、「父親がいない女はともかくエライ」という意識をもっているという女が、なぜ、父親との関係に苦しんだ中原中也の詩を「現代国語」の授業で扱うのか、摩訶不思議である。「両親が離婚したから」「父親がいなかったから」というのを最大の自慢にする女は、たとえ、高校の教諭になるにしても、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という女で、かつ、性格がいくらかいがんでいて、ぎすぎすしているような女専門の教諭になるべきで、男性および「両親が離婚」していない女性は教諭として担当するのはやめるべきだ。たとえ、高校の教諭をやるにしても、「両親が離婚した」「父親がいない」娘で、性格がいくらかいがんだ・性格がいくらかぎすぎすしたタイプの女生徒専門にするべきで、たとえ、「現代国語」を担当するにしても、旧姓作野礼子には、どうせ、中原中也などは理解できるわけないのだから、中原中也の詩などは他の教諭に担当してもらうようにして、「両親が離婚した」「父親がいなかった」という女性の「文学者」「詩人」専門でやるようにすべきであろう。 《「両親が離婚した」「父親がいなかった」という女性の「文学者」「詩人」》というのがどれだけいるかというと、そうではない方の「文学者」「詩人」の方が圧倒的に多いはずだが、旧姓作野礼子に《「両親が離婚した」「父親がいなかった」という女性の「文学者」「詩人」》の思いなど絶対に理解できるわけないし、理解しようという意思のない女にそれを理解させようというのは無理であるはずだから、無理なことを授業でさせようとしない方がいい。
汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集 (角川文庫) - 中原 中也, 佐々木 幹郎
汚れつちまつた悲しみに…… 中原中也詩集 (角川文庫) - 中原 中也, 佐々木 幹郎
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《 一体日本人は生きるということを知っているのだろうか。小学校の門を潜ってから(くぐってから)というものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである
 現在は過去と未来との間に劃した(かくした)一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。・・・》
(森鴎外『青年』新潮文庫)
《 余は私に(ひそかに)思ふやう、我母は余を活きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。・・・》
(森鴎外『舞姫』 〔森鴎外『阿部一族・舞姫』新潮文庫 所収。〕 )
  ・・・うちの父親は「すべて王すべて央、わしのために。すべて翁すべて欧、会社のために。てってこっこ、てっててって、らったらったらったらあ~あ♪ とってちってたあ~あ♪」と、毎日、私の眼を指で突きさすようにして叫んでいた。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしにわしにわしにわしにい~い! すべてを犠牲にしてわしのために捧げ尽くす、捧げ尽くす。とってちってたあ~あ♪ んが、んが、んがあ~あ!」と毎日毎日、朝から晩まで叫んでいた。「わしは人に号令かけるのが得意やねん。そんで、あんたは号令かけられることを喜ぶねん」とうちの父親は私に言うのだったが、「私、そんなもん、喜びませんけど」と言うと、「何を言うとんじゃ、何をお! チャンコロは号令かけられることを好み喜ぶ民族なんじゃ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな、チャンコロ!」と言うのだった。「わしはドイツ人の民族で人に号令かけなければならないと産まれる時点で『天の神さま』というお方から命じられて産まれてきたドイツ人の民族。あんたは、常に人から号令かけられなければならないと産まれる時点で『天の神さま』というお方から決められて産まれてきたチャンコロの民族なんや。チャンコロという民族は、号令かけられることが何よりもうれしいんや。あんたはチャンコロであって、チャンコロは号令かけられることを何より喜ぶ人間として『天の神さま』という方から決められてこの世に産まれてきた人間なんじゃ。それ、喜べ、チャンコロ! 喜べ、チャンコロ! 喜べ喜べ喜べチャンコロ! それ、チャンコロうれしい、チャンコロうれしいうれしいねえ~え♪ 号令かけてもらってうれしいうれしい、チャンコロうれしいうれしいねえ~え♪」と私の眼を指で突きさすようにして毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうくらいに言い続けるのだった。うちの父親は「ドイツ人」で「アメリカ人」で「慶應の民族」だそうだったが、「ドイツ人」「アメリカ人」「慶應の民族」というのはそういう人間らしかった。「民族」というのは血液型と一緒で親子で異なることがあるらしく、うちの父親は「世界に冠たるドイツ人」という「民族」らしかった。〔⇒《YouTube-Wagner "Ride of The Valkyrie" Karajan Bph カラヤン ワルキューレの騎行》https://www.youtube.com/watch?v=ZOTdIhaGEuw&fmt=18  ほら、人種差別主義者リヒャルト=ワグナーのこの「ワルキューレの騎行」も「てってこっこ、てっててって、らったらったらったら~~あ♪」て感じの「音楽」でしょ。〕 それに対して、私は「おまえはロスケじゃ!」〔⇒《YouTube-【ロシア語】ヴォルガの舟歌 (Эй, ухнем) (日本語字幕)》https://www.youtube.com/watch?v=b4jxCRfHwd4 〕、「おまえはイタコじゃ!」〔⇒《YouTube-ヴォメロの洗濯女》https://www.nicovideo.jp/watch/sm12444943 〕、「おまえはニグロじゃ」〔⇒《YouTube-Nobody Knows the Trouble I've Seen(誰も知らない我が悩み), performed by Chor Leoni Men's Choir》https://www.youtube.com/watch?v=wCQyqnldBQQ 〕、「おまえはプエルトリコじゃ!」〔⇒《ニコニコ 『ウエスト・サイド物語』 “アメリカ”》https://www.nicovideo.jp/watch/sm17974180 〕という「民族」らしかった。たしかに、あのおっさんとは「民族の違い」があり「階級の違い」があるようだった。 私はうちの父親から、毎日毎日、「民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな」と言われ続け、そして常に「民族の恨みを忘れるな(不忘民族恨)」「階級の苦しみを忘れるな(不忘階級苦)」と思い続けてきた。うちの父親は私に、毎日毎日、「この『民族の違い』『階級の違い』をいうものは『天の神さま』というお方がお造りになったものであって、『天の神さま』がお造りになった『民族の違い』『階級の違い』というものは、それを変えようと思っても決して変えることはできないし、変えようとする者を『天の神さま』は決して決してお許しにはならぬぞチャンコロ!!!」と、私の眼を指で突きさすようにして毎日毎日叫び続けたのだったが、それに対して私は「造反有理(反逆には理由がある。反逆は正しく、抑圧は間違っている。)」「革命無罪(革命は無罪である)」と思い続けたのだった。
 「辞書たらんは猶お堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず」・・といったことを思うのが人間であり「正常」な人間ではないか・・と私は考えたのだが、ところが、慶應大学医学部助教授の小此木啓吾という男はそうではなく、こういったことを考える人間のことを「モラトリアム人間病」と「診断」し、もしくは「未成熟」とか「診断」するか「自我が確立れていない」と「診断」するとか、あるいは「ノイローゼ」と「診断」するか、ほかにも「なんたらかんたらシンドローム」「なんじゃかんじゃ症候群」といった「病名」を発明してその「レッテル」を自分以外の人間に、次から次へとぺったんこぺったんこと貼ってやろうとするのであり、片方でうちの父親みたいに、小此木啓吾とそのシンパによって「レッテル」を貼りつけられて「治療」されるのは自分以外の誰かであると勝手に決めつけて喜んでる人間症候群がいた。在原業平の歌に、
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし
という歌があって、これは恋敵の誰やらがおらんかったらええのになあ・・という裏の意味があるとかいう話だったが、
世の中に たえて小此木啓吾のなかりせば 春の心はのどけからまし(字余り)
もしくは、
世の中に たえて心理学のなかりせば 春の心はのどけからまし(字余り)
と、まさに言えると思われる。 ””「心理学」「精神医学」「精神分析学」と称して、おのれのこと棚に上げてひとに勝手なことばっかり言いまくる小此木啓吾みたいなやつ症候群”” てのがいて、その流派の仲間になりたいなりたいシンドロームみたいなやつてのもいた。特に、慶應にはそういう類の程度の低いのがわんさといた。そういうのを「慶應ボーイ」と言い、そういうのを「スマート」とか「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神がある」とか「アイデンティティーをもっている」とか、さらに「企業はそういう人間を喜ぶ」とか、さらにさらに「ギャルにもてもて」とか、「慶應心理学」は「診断」するようだった。だいたい、その「ギャル」とかいうやつ、よっぽどバカじゃないか・・て感じがするのだが、””そういうアホ男(「慶應タイプ」)が好きな女症候群”” の女というのも世の中には棲息しているらしい。・・あほくさ・・
  やっぱり、「現代国語」とか「文学」というのは、森鴎外『青年』で《一体日本人は生きるということを知っているのだろうか。小学校の門を潜ってから(くぐってから)というものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである。・・》と述べられ、森鴎外『舞姫』で《我母は余を活きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。》と述べられているようなことを考える人間が授業をおこなうべきものであり、特に、《我母は余を活きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。》の前半、《我母は余を活きたる辞書となさんとし》といったことに苦しむ者の思いこそ「文学」であり「現代国語」であるはずだが、旧姓作野礼子は父親との「家族の政治学」に苦しむ必要がない「父親がいなかったから」ということを自慢にしていた人間であり、その点において「文学」「現代国語」を理解する素質が完全に欠けている女だったのだ。そういう女は、高校の教諭になるにしても、「国語」の教諭はやめた方がいいし、たとえ「国語」の教諭になっても特に「現代国語」は担当しない方がいいと思う。
  森鴎外『青年』では、
《 丁度純一が上がって来たとき、上り口に近い一群の中で、誰やらが声高に(こわだかに)こう云うのが聞こえた。
「とにかく、君、ライフとアートが別々になっている奴は駄目だよ」
  純一は知れ切った事を、仰山(ぎょうさん)らしく云っているものだと思いながら、・・・ 》
と述べられているが、旧姓作野礼子の「現代国語」「文学」は、いわばその「ライフとアートが別々になっている奴」だった。その点で旧姓作野礼子は「慶應タイプ」だったと言えるかもしれない。慶應の教授というのは「ライフとアートが別々になっている奴」が多い・・とは多くの人間が考えているものだった。《大学入試の「現代国語」で出題される可能性が大きい》と言われた人が、「蛍雪時代」とか「受験の国語 学燈」とか、それ以外にもいくつかのもので出ていたが、大学教授という肩書の人では大学別で見ると慶應大学の教授は少なかったが、唯一、名前が出ていたのが文学部哲学科教授の沢田允茂(のぶしげ) 教授だったが、慶應の内部進学の人間から聞いた話では同教授は「サロン的哲学」などと言われていて、要するに「サロン的」とはどういう意味かというと、かつて毛沢東が『湖南省農民運動視察報告』で「我々の使命は、刺繍に花をつけたすことではなく、雪に閉じ込められた地方に石炭を送ることである」と語ったが、「文学哲学の目的は、刺繍に花をつけたすことではなく、精神的に雪に閉じ込められた者に精神的石炭を送ることである」と考えるのではなくその逆、「文学哲学とは、刺繍に花をつけたすことであって、『精神的に雪に閉じ込められた地方に精神的石炭を送る』などということは夢にも考えてはいかん」という姿勢のもので、「哲学」を「サロン」で議論して楽しもうというようなそんなもの・・という意味のようだった。ほかの教授でも、講義で「文学と政治を一緒にしてはいかん」と主張する教授がいらっしゃって、要するに、「文学の立場から現代の人間のあり方や社会のあり方に対して意見を述べるということは絶対にしてはいけない。文学はあくまでも『刺繍に花をつけたすこと』であり、『精神的に雪に閉じ込められた人たちに精神的石炭を送る』ことで社会を動かそうなどとはゆめゆめ考えてはならない・・という主張のようだった・・が、どうも、慶應の教授というのはそういう人が大変多い。慶應はそういう教授が他の大学より多い大学であった。沢田允茂 教授についてはそんな話を耳にしたことがあるものの、実際にそうであるのかないのかはわからないが、「ライフとアートが別々」というのを得意にしているタイプの人というのが「慶應タイプ」には大変多いようだった。
  また、森鴎外『青年』では、
《 「君も寂しがる性(たち)だね」と云って、大村は胡坐(あぐら)を掻いて、又紙巻を吸い附けた。「寂しがらない奴は、神経の鈍い奴か、そうでなければ、神経をぼかして世を渡っている奴だ。酒。骨牌(かるた)。女。Haschisch(ハシッシュ)」
  二人は顔を見合わせて笑った。
  それから官能的受用で精神をぼかしているなんということは、精神的自殺だが、・・・ 》
と書かれているが、その「官能的受用で精神をぼかしている」「精神的自殺」をやって得意がっている男(および、その裏返しの女)というのが慶應には多く、特に内部進学に多い。そういう連中はそれを得意にしており、そのタイプである小此木啓吾はそういう人間の世界観で「診断」して、気に食わない人間、そういう人間のあり方に疑問を感じる者に対して「モラトリアム人間病」と「診断」したり、「未成熟」とか「適応障害」とか「ノイローゼ」とか「なんちゃらかんちゃら症候群」「なんだもんだシンドローム」と「診断」したり、あるいは「受験勉強の悪影響だ」と「診断」、特に森鴎外『青年』『舞姫』なんてのを読んで考える人間を「病気」「準病気」「性格異常」と「診断」して、内部進学および「準内部進学」「アタマが内部進学」の人間に多い「官能的受用で精神をぼかしている」タイプ、即ち「慶應タイプ」を「正常」とか「思考が柔軟」とか「自我が確立されている」とか「福沢精神を身に着けている」「独立自尊の精神がある」「受験勉強の悪影響を受けていない」と「診断」して持ち上げるのだった。そういう人間が幅をきかせている「大学」が慶應である。まさに、
世の中に たえて小此木啓吾のなかりせば 春の心はのどけからまし
である。 旧姓作野礼子も「小此木啓吾からほめてもらえるタイプ」だったのではないか・・ということは、森鴎外『青年』とか『舞姫』とかの登場人物を「病気」「準病気」「未成熟」「性格異常」等々と悪口雑言を浴びせて喜ぶタイプ・・・ということであり、そんな人間が文学部国文学科に行くことないのではないのか? そんな人間が「国語」の教諭になんてなることないのではないのか? ・・と思えるのだが、なにしろ、公立高校教諭というのは、親方日の丸で私が勤めた三流以下企業みたいに「賃金未払い」とかいった心配はないし、倒産することもないし、不当解雇のおそれもないし、夏休み・春休みは長くて、休んでいても給料もらえるし、それと別に有給休暇があって入学式の日に有給休暇とって海外旅行に行くこともできるし、まったく、たまらんたまらん♪・・・て仕事、三日やったらやめられんわ♪・・・てもののようだった。森鴎外『舞姫』は、私が高校生の時には高校3年の「現代国語」の教科書でとりあげられていて、旧姓作野礼子は「国語」の教諭としてそれを扱ったはずだが、今から考えても、あんな女が森鴎外なんてのを扱うなんて、これほど天地逆さま な行為はないであろう。
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  《 一体日本人は生きるということを知っているのだろうか。小学校の門を潜ってから(くぐってから)というものは、一しょう懸命にこの学校時代を駆け抜けようとする。その先きには生活があると思うのである。学校というものを離れて職業にあり附くと、その職業を為し遂げてしまおうとする。 その先きには生活があると思うのである。そしてその先には生活はないのである
 現在は過去と未来との間に劃した(かくした)一線である。この線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。・・・》
(森鴎外『青年』新潮文庫)
《 余は私に(ひそかに)思ふやう、我母は余を活きたる辞書となさんとし、我官長は余を活きたる法律となさんとやしけん。辞書たらむは猶ほ堪ふべけれど、法律たらんは忍ぶべからず。・・・》
(森鴎外『舞姫』 〔森鴎外『阿部一族・舞姫』新潮文庫 所収。〕 )
・・・といったことを考える人間が「まとも」であり「正常」であるのか、そのようなことを考える人間は「異常」で「病気」もしくは「未成熟」とか「性格異常」とか「なんちゃら症候群」「なんだかんだシンドローム」であり、考えもしない人間が「正常」なのか?
 そこが問題だ。森鴎外はそのあたりを考える人間が「まとも」で「正常」な人間であると考えて、これらの小説を書いたはずだが、「慶應心理学」はそうではない方を主張する。「慶應心理学」というのは慶應の内部進学の人の世界観をもとにできており、それらの人の世界観というのは《官能的受用で精神をぼかしているなんということは、精神的自殺だが》というそういう人間の世界観であり、そういう人間を正当化し、そういう人間を「まとも」で「正常」で「自我が確立されている」で「独立自尊の精神がある」で「アイデンティティーをもっている」ということにするための「心理学」である
  ニューヨーク州立シラキュース大学の「精神科」教授トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術出版社)で「彼らが言っていることを聞くのではなく、彼らがやっていることを見るべきだ」というアインシュタインの言葉を引用して、「精神科医」と称する人間が「言っていること」を聞くのではなく「やっていること」を見るべきだと言う。彼ら「精神科医」と称する人間が「やっていること」は文学・哲学・倫理学・社会学といったことであり、医学をやっているのではないのであり、文学・哲学・倫理学といった次元で話をする限り、どのような主張に対しても反論することもできれば同意しないこともできるのに対し、医学だと称して「医者」と称する者が「診断」すると、その「診断」した者が正しく「診断」された者が間違っているということにされてしまうのであり、その行為こそファシズムの行為であると言うが、まさにその通りであろう。↑ で中原中也や森鴎外が述べていることは、きわめてまともなことであるはずだが、ところが、「心理学」「精神医学」「精神分析学」の側に立つと、国民に号令かけて何も考えずにファッショ的に働かせるのが「正しい」行為であって、国民は疑問を感じずにせっせせっせと働くのが「正常」で「まとも」であり、疑問を感じる人間は「病気」であるか「未成熟」なのか「なんちゃらシンドローム」なのかという結論にされることになる。ファッショ的政治家・支配者にとっては「心理学」「精神医学」「精神分析学」ほどありがたいものはないであろう。逆に民主主義の側の人間からすれば、「心理学」「精神医学」「精神分析学」は人民の敵であり、学問の敵と考えるしかないはずである。 最近、「実学重視」などといって、文学・哲学などを軽視する風潮が出てきていますが、その分だけ、社会が民主的ではなくファッショ的な方向に進んでいるのではないのか・・・と懸念いたします。
  福沢諭吉は「実学」を重んじたと言いますが、森川英正『日本経営史』(日経文庫)によると、慶應義塾出身の村井保固という人が森村組を受けた時に、森村組の採用条件は1に健康であること、2に英語と簿記ができることであったが、面接で「語学と簿記は不得手な方です」と答えて不採用になったということに対し、「実業家を志す者が語学と簿記は不得手な方とは言語同断だ」と怒ったという話が出ていますが、たしかに福沢諭吉は実業家を志す者には語学と簿記が必要だと認識していたようですが、それなら、文学・哲学などは「虚学」だと考えていたのかというとそうではないはずです。最近、韓国の人が福沢諭吉は『脱亜論』の作者で、韓国は学ぶ者はない国だと言ったと言って怒っているようですが、しかし、『脱亜論』には2通りの意味があり、1つは、中国や韓国の孔子など儒教道徳による思想というものは社会を停滞させこそすれ役に立つものではなく、ヨーロッパの近代思想こそ学ぶべきものだというのが福沢諭吉の前半の方の『脱亜論』であり、戦後、中国では毛沢東らによる孔子批判がおこなわれ、儒教思想によって国民の自由な精神を奪われることを批判して克服しようとしたのであり、福沢諭吉の『脱亜論』の前半はその中国における孔子批判と共通するものがあり、孔子らの儒教道徳などというものは「虚学」であって国民に益があるものではなく、それらを批判して国民が誰もが幸福な生活をできるように西洋の近代思想を学ぶべきで、それこそが「実学」だという認識だったと思われます。 但し、それなら、アジアの国への侵略を支持していなかったかというと、『脱亜論』を読むと、残念ながらそうではないようですが、しかし、福沢諭吉の『脱亜論』の前半の方の考え方は、孔子など儒教思想が人民を束縛することに対し、それらを中国・韓国から学ぶのはむしろ害があるという主張だったのであり、「実学」を勧めるというのは、文学・哲学にも「実学」の文学・哲学と「虚学」の文学・哲学があるという認識だったと思われます。どうも、最近、そのあたりを誤解して、簿記や英語、あるいは工業技術のようなものを「実学」と考えて、文学・哲学・倫理学・社会学といったものを「虚学」だと罵って軽視しようとする風潮があるように思われますが、福沢諭吉はそういう意味で「実学」「虚学」という言葉は使っていないはずですし、文学・哲学を軽視して、「心理学」「精神医学」「精神分析学」で国民を精神支配しコントロールするのが「実学」だというような主張は、それはそのままファシズムの主張であり、国民は認めるべきではありません。
  大谷愛人(ひでひと)『古典入門 キルケゴール『死に至る病』』(有斐閣新書)では、キルケゴールが好んだというレンテンマルクの言葉「このような作品は鏡のようなものである。猿がのぞいても使徒の顔は浮かんでこない」という言葉が書かれているのですが、これは「心理学者」特に「慶應心理学」者について、又、「精神医学者」「精神分析学者」と称するブタ人間どもにあてはまるでしょう。
「これらの人は鏡のようなものである。小此木啓吾がのぞいても使徒の顔は浮かんでこない」
トマス=サズは『「精神医学」という神話』(岩崎学術研究社)で、「『精神科医』の言うことをきく前に、その『精神科医』を見てください」と述べているがもっともなことである。
「小此木啓吾の言うことを信奉する前に、小此木啓吾を見てください」

  内部進学小此木啓吾独善主義のビョーキ本シリーズを喜んで買って読む女・・及び男というのが慶應の学生あたりにはけっこういた。「作家で精神科医」の なだ いなだ が『パパのおくりもの』(文春文庫)で、日本には「精神分析教の信者」とでもいった人と、逆に精神分析嫌いの人がいる・・ということを述べているのだが、「精神分析教の信者はあまり身勝手な解釈はやめた方がいいと思う」と なだ いなだ は書いているが、「身勝手な解釈」をやりまくる「精神分析教の信者」とは、一に小此木啓吾、次いで土居健郎のことであろう。ある精神分析教の信者はこう言った。「フロイトは巨人である。我々は小人である。しかし、巨人の肩の上に乗った小人は巨人よりはるかに遠くを見ることができる」と。しかし、その小人は現実を知ったならそうは言わなかったであろう。フロイトという巨人の後からついて行く小人が見たものは巨人の大きな背中でしかない・・ということを なだ いなだ は述べている。さらに、百歩譲って、もしも、小人が巨人と同じものを見ることができたとしても、小人はしょせん小人であり、巨人と同じように考えることはできない・・と。まさにそうだと思う。フロイトの後からついて行っているつもりらしい小此木啓吾は、決してフロイトと同じようには見ることはできないし、たとえ、見えても、小人は小人の思考しかできず、内部進学小此木啓吾は内部進学の観念的世界観を「精神分析」用語で表現することしかできない。 そして、なだ いなだ は、精神分析嫌いの人は、「精神分析教の信者」が書いたようは本を読むのではなくフロイトの著作を読むべきだという。たしかにそうだと思う。ところが・・・だ。慶應大学にわんさといた小此木啓吾のビョーキ本シリーズの愛読者の女および男というのは、””精神分析についての本を読むのならば、小此木啓吾などという胡散臭いやつの本なんか読むのではなく、フロイトとかライヒとかフロムとかそういう人の著作を読めばいいと思うのだが、ところが、小此木啓吾のビョーキ本シリーズの方を好む人間シンドローム”” というのがゴマンといたのだ。しょーもない本を大量に発行してアホに売りつけて小此木啓吾は印税で相当儲けたはずだ。慶應大学の「近代思想史」という講義で、教授が「私のゼミの人で、『ナチスのようなものは、ああいうものは悪くないと思う』と言う人がいたので、それで私は『あなた、ナチスのようなものが悪くないと言うのであれば、それは、自分がナチスの親衛隊になって迫害してまわるのが悪くないということではありませんよ。自分がユダヤ人の立場になってガス室で殺されるのが悪くないということですよ。わかっていますか』と話してあげたんです」と話されたことがありましたが、その話しを聞いて、やっぱり、慶應だけあって、そういう人が少なくないんだなあ・・と思ったものでした。うちの父親は「わしは慶應やぞお、わしは慶應」と言いまくっていたのですが、実際には小学校・中学校・高校・大学・大学院のいずれも慶應には行っていないにもかかわらず「わしは慶應」というおっさんだけあって「アタマが慶應」で、うちの父親が会社の仕事でアメリカ合衆国に行くことがあった際に、「アメリカ(合衆国)ちゅう国はエライ人間はちびっとでカスの人間がいっぱいおる国らしいなあ。わしいみたいなエッライえっらいエッライえっらいエッライえっらい人間はちびっとでやなあ、ニグロとかプエルトリコとかスパニッシュとかけったいなやつがいっぱいおる国らしいな」と言うので、「日本人もアメリカ合衆国のワスプ(WASP)(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント White AngloSaxsons Protestant)からすれば、『けったいなやつ』の側と違うのですか」と言ったところ、「なんでじゃ。わしのようなエッライえっらいエッライえっらい人間が、なんで、『けったいなやつ』になるんじゃ。わけのわからんことを言うなよ、チャンコロ! 突拍子もないことを言うてはならんぞ、チャンコロ! 突飛なこと言うなよ、チャンコロ! おまえとは違うねんぞ、おまえとは。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは! わしはドイツ人でアメリカ人やねんぞお。おまえとは違うねんぞ、チャンコロとは。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! わしのようなエライえらいエライえらい人間が『けったいなやつ』であるわ~けがない! 甘ったれるなあ!!!!!」と言うのだった・・・が、うちの父親みたいな感覚の人間が「慶應タイプ」には多いようだった。そういう人間に「あなた、ナチスのようなものが悪くないと言うのであれば、それは、自分がナチスの親衛隊になって迫害してまわるのが悪くないということではありませんよ。自分がユダヤ人の立場になってガス室で殺されるのが悪くないということですよ。わかっていますか」と話してわからせようと思っても、これは簡単ではない。””小此木啓吾のビョーキ本シリーズを買って喜んで読んでる女および男シンドローム”” の人間というのは、小此木啓吾が制作した「精神医学的レッテル」を貼りつけられるのは「自分以外の誰か」だと勝手に思っているのである。小此木啓吾制作の「精神医学的レッテル」をぺったんこぺったんこと貼りつけられ、そして「治療」される危険にさらされるのは「自分以外の誰か」だと勝手に決めつけて、そして、小此木本を読んで、「こんななってないやつがいるんだよなあ」とか感心して、そして、「自分以外の誰か」にその「レッテル」を貼りつけようという意識で自分の周りを見回すのである。小此木啓吾はその類の人間に大量に本を売りまくって印税で稼ぎまくったのである。小此木啓吾製作の「精神医学的レッテル」を貼りつけられるのは「自分以外の誰か」だと勝手に決めつけて小此木本を喜んで読んでるシンドロームの人間というのは、ナチスのような政治形態に社会がなったなら、ナチスによってガス室に送られて殺されるのは「自分以外の誰か」だと勝手に思っている人間と大変良く似ています。小此木啓吾はその類の精神構造の人間が日本には一定量以上棲息しているということを認識した上で、そういう人間が喜んで買うような本をいくつも買いて発行してもうけまくったのです。 そういう小此木本愛好者に、「そんなくだらないものを読むくらいなら、フロイトかライヒかフロムかユングか、そういった人の本を読むようにした方がいいということはありませんか」・・・なんて言ってあげても、まず、きかない! 
そういう人には「小此木啓吾の言うことをきく前に、小此木啓吾を見てください」
と、実に有益なことを教えてあげても・・・、まあ、きかんだろうなあ・・・・。

  ””小此木啓吾製作の「レッテル」を「自分以外の誰か」に貼りつけたい貼りつけたいわあシンドローム”” の人間というのは、「エスカミリオ症候群」と似ている。 エスカミリオとは、オペラ『カルメン』に登場する闘牛士の名前である。メリメの小説『カルメン』とビゼーのオペラ『カルメン』は部分的に似ているような感じがしても内容は全然違う。メリメの小説『カルメン』は相当内容のある小説であるが、ビゼーのオペラ『カルメン』は音楽がいいかどうかは別として話の筋としてはくだらない。カルメンという蓮っ葉な女にほれたドン=ホセが軍隊の役職を捨てて盗賊団のカルメンの仲間になりカルメンと仲良くなるが、蓮っ葉な女のカルメンは、そのうち、闘牛士のエスカミリオに気が移り、気持ちを元に戻してくれというホセに対し、カルメンはホセからもらった指輪を投げつけて断ると、怒ったホセはカルメンを殺す・・・という、なんか、小此木啓吾なら「大人になれない症候群」とか「診断」しそうな話である。それがオペラ『カルメン』だがメリメの小説『カルメン』(岩波文庫)はそんなしょーもない話ではない。メリメの小説『カルメン』にはエスカミリオという名前の男は登場しない。最後の方でちょろっと出てくるのは闘牛士のルーカスという男で、カルメンが財産持ちの男をたらしこんで防禦が弱い所を聞きだし、それを盗賊団の男どもが襲って財産家の男を殺して奪うという生活をしてしばらく暮らしたホセが、もう人を殺して財産を奪うという生活に嫌になり、自分と2人でアメリカ大陸に渡ってまっとうな生活をするようにしてくれとカルメンに懇願し哀願し、カルメンはそれを断ってホセからもらった指輪を投げつけるのであって、オペラ『カルメン』のように他の男に気が移った尻軽女に未練たらしく哀願する男に指輪を投げつけるのではない。小説『カルメン』では、闘牛士ルーカスはホセがどうこうするより前に、闘牛士の仕事で失敗して牛に踏みつけられて重傷を負う。オペラ『カルメン』の闘牛士エスカミリオのような男は小説『カルメン』には登場しない。オペラ『カルメン』の闘牛士エスカミリオというのは、1970年代なかば、「オーケストラがやってきた」というテレビ番組では山本直純が「言ってみれば、長嶋みたいなスターですね」と「解説」していたのだが、その「長嶋みたいなやつ」は、かつて、自分のようにカルメンに魅かれたホセとカルメンはつきあったものの、尻軽女は簡単にエスカミリオの方に気が向いてきたというのを得意にしている・・・が、もし、私ならば・・というか、普通の男なら「この女、もしも、俺がこの女とつきあったならば、いずれは俺もこのホセという男みたいに捨てられるのではないか?」と警戒するものではないか・・と思うのだが、エスカミリオはそういうことをまったく考えない。そして、「闘牛士の歌」というのを得意になって歌うのだ。エスカミリオという山本直純が言うところの「長嶋みたいなやつ」というのは、自分はその対象にはならないと勝手に思い込んでいる男なのだ。そういうやつて、時々、いると思いませんか? 自分はその尻軽女からホセのように突き放される対象にはならないと勝手に決めつけているやつ。その「エスカミリオみたいなやつ」のことを「エスカミリオ症候群」と私は名付けたのだが、ほら、あなたの周りにもいませんか? ・・で、その「エスカミリオ症候群」というのは、小此木啓吾製作の「レッテル」を貼りつけられるのは「自分以外の誰か」に決まってる♪・・・と勝手に決めつけて、それで小此木ビョーキ本シリーズをいっぱい買って読みまくって喜んでおった人たちとよく似ています。小此木啓吾製作の「精神医学的レッテル」というのは、小此木啓吾以外の人間は誰もが小此木啓吾とその取り巻きによって貼りつけられる危険があるものだ・・・という事実に、そのくらいのことに気づかんのか?・・と思うのだが、気づかんやつは気づかんようだ。小此木啓吾とその取り巻き、小此木啓吾にヘコヘコアザラクへこへこざめらくヘコヘコアザラク・・しまくる連中、いわゆる「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神をもっている」とか「診断」される連中以外は、誰もがその「レッテル」を貼りつけられる危険がある・・・てわからんかなあ・・と思うのだが、わからんやつはわからんようだ。 慶應にはそういう男と女がいっぱいおったのです。アホちゃうか・・と思うが、彼らはそれを得意にしていたのです。「慶應タイプ」にはそういうやつが多い。そして、そのタイプの人間は、フロイト・ライヒ・フロムといった全面的に賛成するかどうかはさておき、読むと価値があるような骨のある精神分析の本は読まずに、小此木啓吾ビョーキ本シリーズという読んでも害があるだけの本を読みたがるのです。
「小此木啓吾の言うことを聞く前に、小此木啓吾を見てください」
・・・これ、せっかく言ってあげても、わからん人はわからんでしょうねえ・・・・。

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  うちの父親は、母方の祖父・祖母からすると、「婿さん」であり、血のつながりはない人間であるが、私は外孫とはいえ、孫であり血のつながりがある人間だ。 だから、うちの父親は、叔父が葬式およびその後にやることについて、あまり出しゃばったことは言えない。しかし、私は祖母からすると孫であり、私からすると祖母は血のつながりがある直系親族である。だから、祖母の遺骨を粗末にするようなことは困りますと言ってよかったと思うのだ。 私以外にも祖母の孫(私からするとイトコ)は何人か出席していたが、婿にあたる人はその時点で3人ともすでに他界しており、孫というと、私の姉くらいの世代の孫は女性ばかりで5人、私くらいの世代は男が5人・女が1人で、その中間世代に女性が1人。男の孫のうち、2人はラグビー屋のおっさんの息子で、他の2人はラグビー屋の配下に入っていたから、私しか言える人間はいなかったのだ。だから、その時、私は「えらいこと、しよるなあ~あ・・・」とびっくりしたものの、ラグビー屋のおっさんが喪主で息子であったことから遠慮して言わなかったが、あれは言うべきだった。「たとえ、喫茶店に入るにしても、お骨をクルマの助手席に置いて入るのではなく、せめて、持って入るべきではありませんか」と。言っても、「頭がラグビーでできてる」あのおっさんはきかなかったかもしれないが、それでも、言うべきだった、と思う。これが、今もって後悔してもしきれないことの2つめである。
  葬式帰りの人間が来るなら、その前に塩ふりかけてからにしてほしいという家もあるかもしれないが、客商売やっている店はそうも言えないだろうし、斎場の近くの喫茶店というのは、斎場に行った帰りの人が普段からよく来る店のはずだから、骨箱を持って入っても嫌がられるということはおそらくないと思うが、もしも、嫌がられるようであるならば、叔父は自宅まで親戚の人間に来られたくなかったのならば、あらかじめ、斎場の帰りに立ち寄ってもいい店を捜しておくべきであったであろう。又、たとえ、お骨を持って入らずにクルマの中に置いたままで入ったとしても、その喫茶店に入ろうとする客が斎場帰りであることに違いがあるわけではない。

  「体育会系の礼儀作法」というのは、必ずしも礼儀正しくない、「さわやかスポーツマンシップ」というのは、実際にはあまり「さわやか」ではない。
  江本孟紀『プロ野球 勝てる監督・使える選手』(1998.4.10.三笠書房)では、
《 アマチュアリズムの牙城といわれるのがラグビー界であった。
  そのラグビーですら今はプロ化の波にさらされているが、それでもフェアプレー精神が金科玉条とされている。
  ノーサイドの笛が鳴ると同時に敵味方が健闘を讃え合う。なるほど、麗しい光景。しかし、実際の試合ではフェアプレーもヘチマもない。審判の目が届かないところでは「何でもアリ」がフェアプレーの真の姿なのだ。そういう世界に住む人間に模範的人物であれと求めてどうする。・・》
《 ・・プロは見せ物なのである。選手は曲馬団の団員なのだ。曲馬団という言葉をご存じだろうか。昔はサーカスのことをこういった。
「悪いことをすると曲馬団に売り飛ばしてしまうぞ」
 ジンタの懐かしい音色が聞こえてきそうだ。》
《 チームを優勝させた監督には企業などから、講演の依頼が殺到する。途端に監督は人格者になり「世の道、人の道」を説きはじめる。それに頷く人たちというのはいったい何なんだ。人事や組織論を書いた解説者や監督、大選手の座右の銘にして、会社の経営を考える経営者が結構いるそうだが、そんなこっちゃから会社が左前になるのだ。・・・・》
と書かれているが、さすがは江本、ええこと言う♪
・・・と思う。
プロ野球 勝てる監督・使える選手―ゼニを稼げる男と稼げない男の頭と体の使い方 - 江本 孟紀
プロ野球 勝てる監督・使える選手―ゼニを稼げる男と稼げない男の頭と体の使い方 - 江本 孟紀

  ””「葬式の時になると変なことする人間」症候群”” のおっさんというのは、「なかなか、その病気は治らない」ようだ。「病識がない」という点も困ったものだ。
  1995年、祖母の葬式の時、自分の母親の遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて、「おい、ここ、入ろうや」と言って喫茶店に入った叔父は、その10年前、1985年、祖父の葬式の時、お寺の部屋に何人もが集まっている所に、「香典、中味、入ってないのん、2通あったらしいでえ~え。そのうち、1通は某さんらしいでえ~え」と、まさに、その「某さん」もそこにいる場所で、大きな声を張り上げて叫んだのだった。 香典を中味を入れ忘れて渡してしまうということは、これは実際に「あること」のようだ。某さんも悪気で入れ忘れたのではないはずだ。 だから、中味が入ってなかったのなら、それならそれで、他の人がいない所で、当人にそれを話せばいいことだ。それを、お寺の広い部屋で、何十人もいる所で、大きな声を張り上げてそういったことを叫ぶというのは、この人、こんな人だったのかあ?・・・と思った。
  自分の父親の葬式の時にはそういうことをやったおっさんは、母親の葬式の後には、母親の遺骨をクルマの助手席にぽ~いと置いて、「おい、ここ、入ろうや」と言って喫茶店に率先して入って行った。 ラグビーやると、ああいう人間になるのだろうか・・?

  1995年の祖母の葬式の時、叔父は私に、「俺は、あんたが、今、どこに住んでるか、いっこうに知らんねんけどな」と、こう言ったのだ。はあ? はあ~あ?
  私は、その時、(株)一条工務店に勤務して福島県いわき市の営業所にいて、いわき市の住所から住所を明記した年賀状や暑中見舞いをこの叔父に何度も出したのだが、叔父は私の姉には年賀状など出していたらしいが、私が何度出しても、伯父(母の兄、ラグビー屋の叔父の兄)は律儀に年賀状など返してきたが、この「ラグビー界の重鎮」らしい叔父は私が何度出しても、この叔父からは年賀状も来なかった。お返しも出さないということは、「俺はそれだけえらいんじゃ」と思っていたのかもしれない・・・が、それでも、私の住所を明記した年賀状などを何度も受け取っていたはずであるから、私の住所は当然知っていたはずだが、それにもかかわらず、「俺は、あんたが、今、どこに住んでるか、いっこうに知らんねんけどな」と、そういう口をききやがった。
  さらに、叔父は「俺は、あんたが、今、どこに勤めてるかも知らんねんけどな」と言うので、この男はそういう男か・・・と思った。私は、祖母の葬式の時、叔父にあった時に、「今、ここに勤めています」と言って(株)一条工務店の名刺を叔父にも渡し、叔父はそれを受け取ったはずなのだ。勤め先の会社名を明記した名刺を受け取った上で、「俺は、あんたが、今、どこに勤めてるかも知らんねんけどな」などという口をきくというのは、それは社会人として失礼ではないか。それは社会人としての礼儀作法として無礼であろう・・と思うが、「体育会系の礼儀作法」としてはそうではないらしいのだ。慶應の社会科学系学部卒の人間にとっては、それはいくらなんでも無礼であろう・・と思われることでも、「日体大のおっさん」にとってはそれが普通だったのかもしれない。そういう態度のことを「さわやかスポーツマンシップ」とか言うらしいのだ。

  1985年、祖父が他界した時、通夜に出た後、翌日の葬式を控えて、高齢の祖母を1人だけで家に泊まらせるよりも誰かの家に連れて帰った方がいいということで、タクシーで母と我が家に連れて帰ったのだが、ところが、祖母は通夜に出て疲れてしまい、翌日になると「疲れたから葬式は出ない」と言い出したらしく、母が「葬式はもう出ないとお祖母さんが言ってるから」と言うので、「そんなわけにはいかないでしょう」と言い、「たとえ、もう、疲れているから葬式には出ないということなら、それならそれで、黙って行かないのではなく喪主のKさんにそれを電話して話しておかないと」と言うと、母は「それもそうやな」と言って伯父に電話すると、伯父は「来てもらわなきゃ困る」と言い、伯父が祖母に電話で話すと、祖母も行こうという気持になったらしい。それで、いったん行かないつもりになった祖母に行く用意をしてもらってタクシーを呼んで天王寺区の寺まで行くと、なんと、すでに集合写真を撮影した後だった。母に「私らを入れずに写真を撮るというのならまだわかるけれども、御祖父さんのお葬式の集合写真にお祖母さんを入れずに写真を撮るて、いくらなんでもそれはおかしくないか」と言ったのだが、母は「そんなものや」と言うのだった・・・が、祖父の葬式は何度もあるものではないのだから、葬式の親戚一同の集合写真を撮るのは、他の人ならともかく、お祖母さんが来るまでは待ってもらうべきだと思ったのだが、伯父はなんで待ってくれなかったのかと思ったのだが、今、考えてみると、これは当事者は両方とも他界してしまったので確かめようもないことだが、なんだかんだ言ってもそう変なことはしない伯父がやったことではなく、「頭がラグビー」の叔父の方が「そんなもん、お婆さん、待ってんでも、先に写真だけでも撮っとけばええだろ」と言って、伯父がそれを断り切れなくなって、それで、祖父とは最も関わりが深い人間である祖母と祖母とその日は行動をともにしていた私と私の母を写真に入れずに集合写真を撮ってしまった・・・ということではないか・・と思う。ラグビー屋がやりそうなことだ・・と思う。

  そして、母方の祖父の葬式と祖母の葬式のちょうど中間くらいの時に、うちの父親が他界したのだが、うちの父親の葬式の時には、「ラグビー界の重鎮」は、葬式の当日に私にこう言ったのだ。「これからは、あんたは、うちには絶対に頭は上がらんのやからな。覚えておけよ。うちの息子は男の兄弟が何人もおるんやから、就職するにしても、保証人になってもらおうと思ってもあんたに頼まんでも、うちの兄弟で保証人にお互いになれるけれども、あんたは兄弟はねーちゃんばっかりで男の兄弟は一人もおらんのやから、保証人を頼むにしてもうちに頭下げて頼むしか、Kのおっさんはあんなおっさんやし、頼める人間はうちしかおらんのやから、あんたは今後はうちには絶対に頭は上がらんのやから、覚えておけよお」と、人の親の葬式の日にそういう口をききやがった。「覚えておけよ」と言われなくても、この男が人の親の葬式の日に口にした文句は死ぬまで忘れはしないし、死んでも忘れはしない。
  その後、それほど経たない時のことだった。この叔父は息子(私のイトコ)の結婚式に出てくれと言ってきたのだ。ありぁ? 「今後、あんたがうちに何か頼むことはあっても、うちがあんたに何か頼むことは絶対にない」のと違ったのかな? それを「覚えておけよ」とおっさんは私に私の親の葬式の日にそう言ったのではなかったのかな?  どの口が息子の結婚式に出てくれと頼んどるのかな?

  結婚式に出て欲しいと頼むというのは、頼む側が「出て下さい」とお願いするという面もあるが、出てもらいたいと言ってもらえるという面もあるわけであり、イトコから出て欲しいと言われれば、出ない理由はない、万難を排して出るものだと私は考えていたが、しかし、それでも、「あんたがうちに頼むことはあっても、うちはあんたに頼むことは何一つとしてないんやからなあ。覚えておけよ」とおっしゃったのはどこのどなたでしたっけ?  「頭がラグビー」でできていても、そのくらいは覚えていらっしゃるのではないのかしらん。どの口が、頼んでいらっしゃるのでしょうかね・・・。
  イトコの結婚式には出たけれども、「出てもらった」という面もあるが、「呼んでもらった」という面もあると私は思っていたし、実際、そういうものだと思うのだが、それにしても、「これからは、あんたは、うちには絶対に頭は上がらんのやからな。覚えておけよ。うちの息子は男の兄弟が何人もおるんやから、就職するにしても、保証人になってもらおうと思ってもあんたに頼まんでも、うちの兄弟で保証人にお互いになれるけれども、あんたは兄弟はねーちゃんばっかりで男の兄弟は一人もおらんのやから、保証人を頼むにしてもうちに頭下げて頼むしか、Kのおっさんはあんなおっさんやし、頼める人間はうちしかおらんのやから、あんたは今後はうちには絶対に頭は上がらんのやから、覚えておけよお」という口を人の親の葬式の日に大きな声で口にしておいて、たいして経たないうちに、息子の結婚式に出てくれ・・・て平気で頼むとは、さすがは運動選手だけあって「ええ根性してる」。慶應の「体育理論」という必修科目で体育会の教授が「体育会の人間は学力はないが、根性がある」とのたまわれたのだが、さすがに、「体育会系」だけあって、「ええ根性」しとるわ・・・、ほんま。感心する。私なんかは、そんな「根性」はないわ。ああいうのを「ラグビーで根性が身についた」とか言うのではないか。ラガーマンだけあって「根性で勝負するタイプ」のようだ。

  イトコの結婚式は出るべきではなかったか? ああいう口をきかれてまで、出ることなかったか・・とも思うが、それでも、叔父はうちの父方の祖母の葬式の時も来てくれたし、父が他界する前にも病院に来てくれたようだし、そういう時に「来てくれる人」だったので、そういうところを見ると、「結婚式に出て下さい」と言ってくれるからには出るべきだと思ったのだが、それにしても、、「これからは、あんたは、うちには絶対に頭は上がらんのやからな。覚えておけよ。うちの息子は男の兄弟が何人もおるんやから、就職するにしても、保証人になってもらおうと思ってもあんたに頼まんでも、うちの兄弟で保証人にお互いになれるけれども、あんたは兄弟はねーちゃんばっかりで男の兄弟は一人もおらんのやから、保証人を頼むにしてもうちに頭下げて頼むしか、Kのおっさんはあんなおっさんやし、頼める人間はうちしかおらんのやから、あんたは今後はうちには絶対に頭は上がらんのやから、覚えておけよお」という口をきいたおっさん、なおかつ、そういうえらそうな口だけきいて、一回も保証人になることなく死んだおっさん〔一般に、えらそうな口ばっかりきくやつというのは、たいしたことしない人間が多い傾向があるが〕の息子の結婚式になんて、なんで、出たらんといかんねん・・・という気もする・・が、「挨拶」というものは、人に挨拶をしたのに、相手が挨拶を返さなかったなら、挨拶した方が悪いのかというとそうではないと思う。『新約聖書』の「福音書」に、イエスが弟子に、訪れた街で、その街の平安を祈って、その街があなたがたを受け入れたならば、その平安はその街に及ぶであろう、その街が受け入れなければ、その平安は祈った者に及ぶであろう・・だったか述べた場面があったと思う。挨拶して返さないやつがいたならば、挨拶を返さない者に挨拶した人間が悪いのではない。『ルパン三世』という漫画で、人工的に作られた機械の巨大な「女」が「私は愛されたい。私は愛してもらえない」と叫んで、自分を愛してくれない「男」というものを破壊しようとするのに対して、ルパン三世が「まったく、『愛されたい』だの『愛してもらえない』だのばっかり言いやがってからに、おまえは『愛した』ことがあるのか!?!」と言う場面があった。ルパン三世は、なかなか、いいことを言う。人に愛してもらえるかどうかよりも、自分が人を愛することができるかの方がより大事だ・・と、なかなかの名言である。・・だから、なんで、あの男の息子の結婚式になんか、出てやらんといかんねん・・・と思っても、そういう気持に人をさせるような男に問題があるのであって、それでも、出てくれと言われて出た者は悪くない・・と考えていい・・かな?・・・とも思ったのだ。

  その叔父は私が嫌いで、今は千葉県に住んでいる母の所に大阪からはるばる訪ねてくるおっさんだったが、何をしに来るのかというと私の悪口を言いに来るのだった。来るな! ボケ! 二度と来るな! 死ぬまで一生ラグビーやってろ、この「頭がラグビー」の体育会系!・・・と私はずっと思っていたのだが、母は「せっかく、来てくれるのだから、お土産を買ってきて」と私に頼むのだったが、「私はあの人は来ていらんのですけども」「私はあの人は来てもらわない方がいいのですけど。むしろ、来られたら迷惑なんですけど」「私の悪口を言うためにはるばる『千里の道を通しとせず』やってくる人に渡すお土産を、なんで、私が買ってこなきゃならんのよ。他の誰かに頼んでください。私は、あの人は来ないでもらいたいのですから。私にとっては、あの人は来られたら迷惑な人なのですから」と言ったのだが、「そんなこと言わないで。あんたしか頼む人間いないんだから」とうちの母親が言うので、しかたなしに、お土産になるものを買って母に渡したが、私の悪口を言うためになら、自分自身もけっこう高齢になって若い頃に比べると元気でもなくなってきても、それでも「雨にも負けず、風にも負けず」「千里の道を通しとせず」私の悪口を言うためにはるばるやってくるというそういう男だった。それから、その叔父は、””渡す必要が特に感じられないような相手に「名誉教授」と書いた名刺をばらまきたがるおっさん症候群”” の男やった。あのおっさんらしいなあ~あ・・と思った。「この病気は簡単には治らない」と「診断」されるべきであろう。本人に「病識がない」というのも「治療」が困難な原因のひとつである。

  いずれは、あのおっさんが死ぬ時も来るだろうけれども、私に恨みをもっていて、私の悪口を言うためになら「千里の道を通しとせず」「雨にも負けず、風にも負けず」万難を排して実に精力的にやってくるおっさんの葬式みたいなもんに、たとえ、親戚とはいえ、私は出てやる必要はあるだろうか? なにより、「これからは、あんたは、うちには絶対に頭は上がらんのやからな。覚えておけよ。うちの息子は男の兄弟が何人もおるんやから、就職するにしても、保証人になってもらおうと思ってもあんたに頼まんでも、うちの兄弟で保証人にお互いになれるけれども、あんたは兄弟はねーちゃんばっかりで男の兄弟は一人もおらんのやから、保証人を頼むにしてもうちに頭下げて頼むしか、Kのおっさんはあんなおっさんやし、頼める人間はうちしかおらんのやから、あんたは今後はうちには絶対に頭は上がらんのやから、覚えておけよお」と、そのおっさんは言いよったのだから、いつ言ったかというと、忘れにくいように、わざわざ、うちの父親の葬式の日に言いよったのだから、そして、「覚えておけよ」と言いよったからには忘れてはいかんのだから、そのおっさんの葬式なんて出るべきではない、出てはいけない・・と考えるべきではないか。
  しかし、そうはいっても、おっさんは、うちの父親の葬式にはなんだかんだ言っても出てくれたし、父方の祖母(父の母)の葬式の時にも来てくれたし、そういう時には「来てくれる人」で、それも、何も暇だから来てくれたのではなく、行くべきだと思って他に用事があっても来てくれたのだと思うし、そうであるからには、おっさんが死によった時には、「こんちくしょう」と思っても、それでも、出席するだけは出席するべきではないか・・・とも思ったが、しかし、それでもやっぱり、「うちは、今後、あんたに何か世話になることは絶対にないんやからなあ」と言い、「覚えておけよ」と言いよったからにはその文句は忘れてはならないはずで、そうであるからには、そう言ったおっさんの葬式には出てはいけないはずであった。・・だから、その時にはどうしたものか・・と思ってきたのだった。
  ところが・・・。

  なぜか私に恨みを持っていたらしい叔父だったが、私の姉には優しかったらしい。母は5人兄弟の上から2番目で、一番下だった叔父とは15歳、歳が離れていたので、母が23歳で産んだ上の姉とは叔父は8歳ないし9歳違い、下の姉とは10歳ないし11歳違いだったので、姉からすると叔父というよりも兄に近いような年齢差だったようで、私が産まれるよりも前、叔父が高校生の時、叔父が行った高校がうちの家に比較的近い場所だったこともあって、時々、家に来ていたようだ。

  会社の「社員教育」というのは、くだらんなあ~あ・・と思うことがしばしばあるのだが、1980年代後半、その頃は東京都千代田区の神田神保町に本社があったコンピュータ関連のT社(同社のホームページによると、現在もこの会社はあるようだが本社の場所は東京都内の別の場所に変わったようだ)の入社式の後、社員教育担当部署のおっさんが、新入社員全員を前にして、「皆さん、親が子供に何かをもらった時と、子供が親に何かをもらった時とでは、どこが違うか知ってますか。教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか、教えてあげましょうか」と何度も何度も言ったけれども、誰ひとりとして「教えてください」と言う者はなかったので、「そうですか、それならやめておきましょう」と言って言うのをやめるか、それとも、「まあ、そう言わずに聞いてくださいよ」と言って話すかどちらかであろうと思っていたら、「わかりました。それでは、教えてあげましょう」と言って話し出したので、それでは日本語になっておらんだろうが・・と思ったのだが、「子が親から何かをもらったり、何かをしてもらった時には、その物に喜ぶのです。それに対して、親が子から物をもらったり、何かをやってもらった時には、物に喜ぶのではなく気持によろこぶのです。そこに親が子に何かをもらったり何かをしてもらった時と、子が親から何かをもらったり何かをしてもらったりした時との違いがあるんです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・」と何度も何度も言うのだったが、わからんかった。あんた、違うで、それは・・と思ったものだった。
  私が小学校1年の時、担任の先生が、「算数」の「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」を学ぶ時に、興味深く学べるようにと考えてだと思うのだが、トーナメント大会として、隣の席の人間と2人並び、先生が問題を出して、正解を先に答えた方が勝ちとして、勝ち抜き戦をやり、優勝者と準優勝者には、先生が「連絡帳」に「たいへん、よくできました。・・」と書いてくれるということをした。その時、うちの父親が、「次、優勝したら、プラモデルを買ってやる」と言ったのだ。で、次、優勝した。 「プラモデルを買ってやる」と、うちの父親の方から言ったのだから、買ってもらえるとは思ったけれども、別に優勝しなくても一回戦負けでも買ってもらっていた者が同級生にはいたのだけれども、そういった同級生が買ってもらっていたプラモデルのような高いものはうちは買ってはもらえないだろうなあ、と思っていた。私が小学校1年の時、1960年代半ばだが、我が家から小学校に行く途中にあったプラモデル屋のショーウインドウには「ゴジラ」と「バラゴン」のプラモデルが置かれていた。その店以外にも「プラモデル屋」ではなく「文房具屋」だけれどもプラモデルも置いている店もあって、「ゴジラ」など置いている店があったと思う。それが欲しかったのだ。しかし、同級生で「足し算」「引き算」のトーナメント大会では1回線負けだったけれども、両方買ってもらって持っていた男に聞いた話では、「ゴジラ」は4000円したということで、その頃、アイスクリームは10円のアイスクリームと20円のアイスクリームがあって、よその子は10円のアイスクリームも20円のアイスクリームも買ってもらっていたようだが我が家は10円のアイスクリームは買ってもらえても20円のアイスクリームは絶対に買ってもらえなかったが、最近、コンビニやスーパーで売っているアイスクリームの値段を見ると、百何十円とか二百何十円というものがあるので、アイスクリーム価格による「物価スライド制」を実施して考えると、今の物価だと4万円くらいということになるか。もしくは、官製葉書の値段が5円だったので、官製葉書の値段から「物価スライド制」を実施して考えても4万円くらいかと思う。同級生で「ゴジラ」を買ってもらって持っていた人間は何人もおり、「ゴジラ」と「バラゴン」の両方を買ってもらって持っていた人間もいたので、よその子との比較であれば、買ってもらったとしても、決して、よそよりも高い物を買ったということにならないのだが、それでも、今、自分が親ならばという視点で考えても、今現在、4万円程度するようなプラモデルを小学校1年生に買っていいものか、という気持にもなる。その頃の4千円が今の4万円にならなかったとしても、それでも、ともかく、相当高いことに間違いはない。そして、「よそはよそ、うちはうちです」と、私はよくうちの親から言われて、よその子が買ってもらっていたものをあきらめさせられたことがあったのだが、「よそはよそ、うちはうちです」という考え方は間違いではないとも思う。しかし、それでも、プラモデル屋や文房具屋のショーウインドウに置かれていた「ゴジラ」は小学校1年生にとって魅力的だったのだ。
  うちの父親が「よっしゃ。そしたら、プラモデルをこうたろ。あんたは、どういうのが欲しいか」と言うので、「ゴジラが欲しい」なんて言ってもうちは絶対に買ってもらえないだろうと思っていたが、ともかく、言うだけ言ってみようと思い、「ゴジラが欲しいけれども、4000円もするから無理やと思う」と言ったのだ。そう言えば、おそらく、「そうやな。いくらなんでも、4000円もするようなものは買えんわ。もうちょっと、安いもん、ないんか。何百円というくらいのものなら買ってやるけれども、ないのか。一度、一緒にプラモデル屋に行って、もうちょっと安いものないか、訊いてみようや」とでも言うのではないか、と思ったのだ。ところが、予想に反して、うちの父親は「なんで、無理やねん。4000円したら、なんで、無理やねんな。ええがな。こうたるがな。そんなもん、怪獣のプラモデルが4000円なんてするわけないがな」と言うので、「するよ。Yくんが持ってるんだけれども、Yくんにいくらしたか訊いたら、4000円だと言っていたもの」と言ったのだ。すると、うちの父親は「たとえ、4000円したってこうたるがな。何をしょーもない心配しとんねん。たとえ、4000円したってこうたげますて。心配すんな、そんなもん。他でもないこのわしが、こうたると言うておるんやないか。このわしが、いったん、こうたると言うたからには4000円しようがいくらしようが絶対に買ってあげます。しょーもない心配すな。わかっとんのか。このわしが言うとるんやぞ、このわしが。このわしが、いったん、こうたると口にしたからには、何があっても絶対に買ってやるがな。このわしが言うとるんやぞ、他でもないこのわしがあ~あ!」と言うのだった。え? 買ってもらえるの? ・・・と驚き、これほどうれしいことはない・・と思ったのだ。それで、4000円の「ゴジラ」を買ってもらえるものだと思って、うちの父親と一緒に我が家から西に少し行ったあたりにあったプラモデル屋に行ったのだ。ところが、店の中に入って、店の奥さんに、うちの父親が「あの、そこに出てます『ゴジラ』いうのん、あれ、いったい、なんぼしますのん?」と言ったところ、奥さんは「4000円です」と答えたのだが、それを聞くと、うちの父親は「ふええ~え。ひえええ~え。ぎょええ~え。ほんまに、4000円もしますのん、怪獣のプラモデルみたいなもんが?」と言い、奥さんが「はい。4000円します」と言うと、「ふええ~え。ぎょええ~え。ひいええ~え。かなんなもう。かなんなもう~う。冗談やないで、ほんまにもう。あかん。そんなもん、怪獣のプラモデルみたいなもんに、4000円も出したらあかん。絶対にそんなもん、こうたらあかん! 冗談やない! 怪獣のプラモデルみたいなもんに4000円なんて、何があっても絶対に出したらあかん」と何度も言うのだった。あんた、さっき、「たとえ、4000円したって絶対にこうたげますがな」と言うたのとちゃうんかい? 「他でもないこのわしが、こうたると言うとるんやろうが」と言うたのとちゃうんかい? 「誰が言うとると思うとるんや。このわしがこうたる言うとるのやろうが」と何度も言うたのとちゃうんかい?  「ふええ~え。ぎょええ~え。ひいええ~え」と言いたいのは、あんたやのうて、こっちやがな。「冗談やないで」という文句も、あんたが言う文句やのうて、こっちが言いたい文句やろうが! ほんま、「冗談やないで、ほんまあ!!!」。
  うちの父親が「冗談やない! 怪獣のプラモデルみたいなもんに、4000円も出すやなんて、そんなこと、絶対にしたらあかん」と言うのだったが、あんた、ちょっと前に「4000円したっていくらしたって、このわしが、いったん、こうたると言うたからにはこうたるがな」と言ったのと違うんかい?・・と思ったし、「冗談やないで」と小学校1年の時の私の方が思ったのだが、うちの父親が「あんた、絶対にゴジラでないとあかんのか」と言うので、「バラゴンでもいい」と言ったのだ。すると、店の奥さんが「バラゴンはもっと高いですよ。バラゴンは4200円です」だったか言ったのだ。すると、うちの父親が「何? バラ、バルゴン?」と言い、奥さんが「バルゴンなら安いです。バルゴンなら200円です」と言ったところ、うちの父親は「それがええ、それが。あんた、バルゴンがええねんなあ」と言うので、「バルゴンじゃなくて、バラゴン」と言ったのだが、「バルゴン、バルゴン。あんたが欲しいのはバルゴン」と言ってきかず、「よっしゃ。あんたが欲しいババルゴンを買ってやろう」と言い、4000円の「ゴジラ」を買ってもらえるものだと思い込んでプラモデル屋に行ったのに、200円の「バルゴン」でこまかされてしまったのだった。そして、帰り道々、「あんた、お父さんにバルゴン、買ってもらった。あんた、幸せやねえ~え♪ あんた、うれしいねえ~え♪ あんた、恵まれてるねえ~え♪ あんた、いいお父さんを持って幸せ、幸せ。よかったねえ~え、あんたあ。あんた、うれしいねえ~え、あんたあ♪ よかったね、よかったね、よかったよかったよかったね♪ あんた、幸せ、幸せ。あんた、このうえもなく、幸せ、幸せ。よかったよかったよかったね♪ うれしいうれしいうれしいね♪」と、家に着くまで言い続けるのだった。バルゴンどうこうよりも、その父親の態度が嫌だった。
  4000円の「ゴジラ」はいくらなんでも高すぎる、小学生に買うべきものではないと思ったのなら、買わないという選択肢もある。何が何でも買わないといけないことはない。逆に、小学生向けのプラモデルでその頃の物価で4000円というのは高そうに思えるけれども、小学校の同級生などでは、買ってもらっていた者は何人もいたし、間違いなく我が家よりも貧乏であったであろうと思われる家庭の子でも買って持っていたやつがいたので、たとえ、買ったとしても、よその子との比較で考えるならば、決してよそよりも高いものを買っているということではない。だから、どちらであっても絶対に悪いということはないだろうが、「たとえ、4000円したっていくらしたって、絶対にこうたるがな。他でもないこのわしが、いったん、こうたると言うたからには、何があっても絶対にこうたるがな」と言ったからには買ってやるべきだし、そうでないなら、そのようなことは言わないものだ・・と思う・・が、うちの父親というのは、そういうおっさんやったのだ。
  うちの父親というのは、そういったことを毎年毎年やってきた男であった。その上で、私が20歳になったかならないかの時、「あんたには、子供の頃から、よその子とは違って、欲しいというものはどんなもんでも、何でも何でもええもんばっかしこうてきて、やあってやってやあってやって、やあってやってやってやってきたから」と言い、私が「絶対に違う。絶対にそんなことない!」と言うと、「こいつ、こんなこと言いよる。これは病気やから、こういうことを言うんや、これは。病気は治してやらんといかん。こいつにロボトミーとか電気ショックとかやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん。ロボトミーやったるべきや、ロボトミー♪ 電気ショックやったるべきや、電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪ 電気ショック♪」・・と言いまくるのだった。
現代の医療被害 (1978年) - 青年医師連合
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告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年) - ロイ・メドヴェーデフ, 石堂 清倫
  この「4000円のゴジラ」を「200円のバルゴン」でごまかされた話を、うちの下の姉にしたところ、下の姉は「あんた、なんだか、私とよく似た経験してるねえ~え」と言うのだった。「4000円のゴジラ」を「お人形さん」に変えて、「200円のバルゴン」を「チョコレート」に変えただけで、それ以外はそっくりそのまま同じ話を下の姉は経験していたらしかった。「年年歳歳、花相似たり、歳歳年年、人同じからず」といったところか。うちの父親は「わしはキリストやねん、わしは。わしはキリストやねんぞ、知ってたか」と言うのだったが、知らんかった。「わしはスーパーマンやってんぞ。知ってたか」と言うのだったが、知らんかった。「パーマン」かと思うとった。
  もしも、最初から「申し訳ないけれども、よその家で4000円のゴジラとかバラゴンとか買ってやってる家があるかもしれないけれども、うちは4000円もする物は買えないわ。もうちょっと安いものないのか。もし、何百円というくらいのプラモデルがあるなら買ってやれるけれども、そういうものではだめか。一度、一緒にプラモデル屋に行って、何百円というくらいのものがないかどうか、訊いてみようや」と言ってプラモデル屋に行き、それで「200円のバルゴン」になったのなら、たとえ、同級生が「4000円のゴジラ」や「4200円のバラゴン」を買ってもらっているところを自分は「200円のバルゴン」しか買ってもらえなくても、それでも喜んだと思うし喜べたと思う。しかし、行く前には「たとえ、4000円したってこうがるがな。誰が言うとると思うとんねん、誰が。このわしが、こうたると言うとんねんぞ。わかっとんのか、おまえは。他でもないこのわしが、いったん、こうたると言うたからには、4000円しようがいくらしようが絶対にこうたるがな」と言いまくってプラモデル屋に行って、それで、「ふえええ~え。ぎょえええ~え。ひいえええ~え。冗談やないで、ほんまあ」とかされたあかつきには、「ふええ~え。ぎょええ~え。ひいえええ~え。冗談やないで、ほんまあ」と言いたいのはこっちやった。喜べなかった。父のその態度が嫌だった。その態度を喜べなかった。 だから、「親が子から何かをもらった時には、親はその気持ちに喜ぶのですが、子が親から何かをもらった時には、あくまでも物に喜ぶのであって、気持ちに喜ぶのではないのです」というTコンピュータサービス(株)の社員教育担当の部署のおっさんの説は絶対に間違いであった。
  そのうち、父が他界する前、病院に入院中、うちの父親がチャイコフスキーの『くるみ割り人形』を聴きたいと言うので、それで、私がFM放送からカセットテープに録音したものを東京都大田区のアパートから大阪市内の病院まで持参したところ、うちの父親は「あんた、それ、ラジオから録音したもんやろ。そんなもん、このわしが聴けるかあ~あ! そんなも~ん! 持って帰ってんか、そんなもん!」と言うのだった。「ラジオから録音したもんなんか、音悪い。このわしが、そんなもん、聴けるかあ! あんたが聴きなさい、あんたが。チャンコロが聴きなさい、チャンコロが!」と言うのだった。それで、東京都大田区のアパートから大阪市内の病院まで持って行ったものを、また、東京都大田区のアパートまで持ち帰ったのだった。情けなかった。 「子が親から何かをもらったり何かをしてもらった時には、その物に喜ぶのですが、親が子から何かをもらったり何かをしてもらった時には、物に喜ぶのではなくその気持ちに喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・」という(株)Tコンピュータサービスの社員教育担当の部署のおっさんの説は、ここでも事実と正反対やった。しかし、それにしても、「社員教育」というのはつくづくくだらんなあ~あ・・と思った。そんな無茶苦茶、わかってたまるか! しかし、あの社員教育担当の部署のおっさんも、よく言うなあ・・と思う。
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原
家族の政治学 - R.D. レイン, Laing,R.D., 良男, 阪本, 嘉, 笠原

  私が嫌いだったらしい母方の叔父(元ラグビー選手)は、私は嫌いだったがうちの姉2人には「優しいお兄ちゃん」だったらしく、私が産まれるよりも前、叔父が高校生の時、うちの家に来て、まだ、小学校に行っていないうちの姉2人を近くの神社の御祭に連れて行ってくれたりしたらしい。 うちの父親から聞いた話では、その時、チビスケ2人が、夜店に置かれていたお人形さんを欲しい、欲しいと言ったそうなのだ。それはそれほど高いものではなくて、高校生の叔父が持っている財布のお金でも買える程度のものだったらしいが、もっと歳をいって自分自身にそのくらいの年齢の娘がいてもおかしくないくらいの年齢になったらそうでもないのだろうけれども、高校生だった時の叔父にとっては女の子が欲しがるお人形さんというものを買うのがとても恥ずかしかったらしい。それでも、チビスケ2人が、欲しい、欲しいと言うものだから、高校生だった時の叔父は一生懸命頑張って、それをチビスケ2人に買ってあげたらしいのだ。 「親というものは、子から何かをもらった時には、物に喜ぶのではなく、その気持ちに喜ぶのです。それに対して、子はそうではないんです。子はあくまでも物に喜ぶのです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・・」というTコンピュータサービス(株)の社員教育担当部署のおっさんの説は絶対に間違いだ。 親も子も、その物と相手の気持ちとの両方に対して喜ぶもので、あえて言えば、親か子かということではなく、精神的に成熟した人は、その両方に喜ぶのに対して、精神的に未熟な人というのは親であろうが、人の気持ちというものを土足で踏みにじるようなことを、即ち、「4000円したって絶対にこうたるがな。このわしがこうたる言うとるんやろうが」とか言いまくった上で、「ふええ~え。ぎょええ~え」と言って「200円のバルゴン」でごまかした上で、「あんた、よかったねえ~え♪ あんた、幸せ、幸せ♪ あんた、ものごっついうれしいねえ~え♪ うれしいうれしい♪ よかったよかったよかったね♪ それ、よかったよかったよかったね♪」とかやることになるのだ。 まだ、小学校に行かない年齢のうちの姉2人が、近くの神社の夜店で、高校生だった時の叔父からお人形さんを買ってもらったという時の話を聞いて、その件については、あのおっさんも、いいところがあるじゃないか・・と思ったものだった。少なくとも、「あんた、バルゴン、お父ちゃんに買ってもらった。よかったねえ~え♪ あんた、うれしいねえ~え♪ あんた、恵まれてるねえ~え♪」のおっさんよりはずっといい・・・と思ったのだ。うちの父親の話では、買ってもらった娘2人は、いつまでもいつまでも、「Mにいちゃんにお人形さんを買ってもらった」と言い続けた・・ということだった。やっぱり、「子は物に喜ぶのであって、気持ちに喜ぶのではないんです。わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか、わかりましたか・・」というおっさんの説は間違いだ。そういうことを言わないとおれないシンドロームのおっさんというのは、精神面が貧困・貧弱なのだと思う。会社の人事・総務関係にはそういう「総務デモさせておくシカないおっさん」というのが、時々いて、そういうくだらない話をするのを得意にしていることがよくある。
  うちの父親から、その話を聞いた時には、あの「体育会系」のおっさんも、いいところもあるじゃないか・・・と思ったものだったのだ。そのおっさんが死によった時、葬式の連絡くらいは、おっさんは私が嫌いだったらしいので私には連絡しないとしても、母は叔父の姉であり数少なくなってしまった親戚であり、少なくとも、母には連絡するものだと思っていたら、そうではなく、一昨年、2019年、大阪府北部で相当大きな地震があった時、叔父の一家は大阪府高槻市という震源に近い場所に住んでいて、叔父夫婦が住んでいた家のあたりは相当震度が大きい数字がニュースにも出ていたので、それで、母に「電話して、様子をきいてみてあげたらどう?」「あの人、俺は嫌いらしいけれども、お母さんとは兄弟なんだから、電話されて嫌がることはないでしょ」と私が言い、母が電話したところ、驚いたことに、すでにその時、叔父は他界して3年ほど経っていたらしい。葬式に出てくれと言われたなら、あのおっさんはうちの父親の葬式にも出てくれたし、うちの父方の祖母の葬式にも来てくれたし、うちの姉の結婚式にも来てくれたし、うちの父親が入院した病院にも来てくれたし、そういう時に「来てくれる人」だったから、葬式くらいは行かないといけないと考えるべきか、あおのおっさんは私がとことん嫌いだったらしいので、嫌われている者が行く必要ないと考えるべきか、そうではなく、あのおっさんは「これからは、あんたは、うちには絶対に頭は上がらんのやからな。覚えておけよ。うちの息子は男の兄弟が何人もおるんやから、就職するにしても、保証人になってもらおうと思ってもあんたに頼まんでも、うちの兄弟で保証人にお互いになれるけれども、あんたは兄弟はねーちゃんばっかりで男の兄弟は一人もおらんのやから、保証人を頼むにしてもうちに頭下げて頼むしか、Kのおっさんはあんなおっさんやし、頼める人間はうちしかおらんのやから、あんたは今後はうちには絶対に頭は上がらんのやからな。あんたはうちに世話にならんといかんけれども、うちはあんたに何か世話になることは絶対に何ひとつとしてないんやからな。覚えておけよお」と、まさにうちの父親の葬式の日に言いおったのだから、「覚えておけよ」と言われたからにはその文句は忘れてはいかんわけで、「うちはあんたに何か世話になることは絶対に何ひとつとしてないんやからな。覚えておけよお」と言いよったその文句は、別に忘れてはいかんと必死にならなくても絶対に忘れはしないし、地獄の底まであの男が言った文句は忘れはしないしするから、「うちはあんたに何か世話になることは絶対にないんやからな」と言いよったからには、そう言った男の葬式なんて出てはいかん、出席するようなことは絶対に許されることではない! ・・と考えるべきなのか。 ずいぶんと考えたものだったが、こちらが出るか出ないかより前に、死んでしまって、葬式の連絡もしよらんかった。しかし、あの叔父は私がとことん嫌いだったらしいが、母は叔父からすると姉であり、母が言うには「あの子にはいろいろとやってあげた」そうで、そうだからこそ、母が結婚後も家に来ていろいろとやってくれて、姉を神社の御祭に連れていってくたりもしたらしいが、うちの母には葬式の連絡くらいはしてよさそうなものだったが、叔父が他界したことも知らせず、葬式の連絡もなかったようだ。そのあたりが「体育会系の礼儀作法」「さわやかスポーツマンシップ」というものだったのか。
  又、叔父は私が嫌いだったらしいが、姉とは仲がよかったらしく、私が叔父に年賀状など何度も出しても無視して向こうからはお返しの年賀状も絶対に来なかったのに対して、姉の家には叔父は年賀状など出していたらしいので、姉には連絡しても良さそうなものだったが、姉にも連絡はしなかったらしい。
  結局、叔父は、大阪府北部で相当の地震があった時に、叔父が一番嫌いだった私が母に「一度、電話してみたら」と言ったことから母が電話したことで、その死亡が我が家に確認されたのだった。
  叔父が他界していたことを、「お人形さんを買ってもらった」という姉2人に話し、「私はあの人には嫌われていたから、私が葬式に行っても故人は『何しにきやがった』と思うだけだろうけれども、あんたらは仲がよかったんだから、連絡くらいもらってもよかったてことない?」と言い、「お人形さん、買ってもらったんでしょ」と言うと・・・・・。
  そうすると、姉2人はどう言ったかというと、「知らんわ。そんなもん」・・・と。 そう言ったのだった。
  それを聞いて、考えてみれば、あのおっさんも、かわいそうなおっさんやなあ、せっかく、頑張ってお人形さん、買ってあげたのに、「そんなん、知らんわ」て、そりぁ、ないだろう・・・と思うが、案外、子供というのは、大人からすると、覚えてないだろうと思うことを覚えていても、覚えているだろうと思うことは忘れているものなのかもしれない。 あのおっさんも、なんか、かわいそうなおっさんやなあ・・・と思うと、とことん、私が嫌いだったようで、眼の仇にしていた男であり、あの野郎、覚えておけよ・・とこっちも思っていた男だったが、いくらか、留飲が下がり、むしろ、なんか、かわいそうなおっさんやなあ・・・という気持にもなった。
  もっとも、「『Mにいちゃん』にお人形さん、買ってもらった」という話はうちの父親が言いまくっていた話で、買ってもらったという側の2人が2人とも「そんなん、知らんわ」と言うということは、実際にはおっさんがふくらませた話であってそこまで言うほどのものではなかった可能性も考えられる・・が、しかし、そうであったとしても、「4000円しようがいくらしようがこうたるがな」と言ってプラモデル屋まで行っておきながら、「ふええ~え。ぎょえええ~え。ひいえええ~え」と叫ぶおっさんよりはいいのじゃないか・・と思う。

  そういえば、うちの姪(上の姉の子)は、産まれた時、姉が何かしたい時には「ちょっと、この子、抱いてて」と言って中学校3年だった私の膝の上に姪を乗せて何かしていたもので、私からすれば、「私の膝の上で育った子」のような気がしていたが、当人はそんなこと思ってないようだ。だから、姪に何かしても、覚えてくれているなどと期待するのはやめた方がいいのかもしれない・・・が、だからと言って油断していると、思いもしないことを覚えているかもしれない。
  うちの上の姉は奈良女子大を受けて落ちたが、うちの父親が言うには、それは私のせいだそうだった。「心理学」によるとそういうことになるらしかった。「T子さんはおまえなんかと違って優秀やねんぞお。チャンコロとは違うねんぞ、チャンコロとは。T子さんはわしと同じくドイツ人やねんぞ、ドイツ人! 民族の違いを忘れてはいかんぞ、チャンコロ! 決して決してゆめゆめ、民族の違いというものを忘れるではないぞ、チャンコロ!」とうちの父親は、毎日毎日、私の目を指で突きさすように叫び続けてきた。
  上の姉が高校3年だった時、私は小学校1年だった。いったい、小学校の1年生が、何を妨害するようなことをしたのか?・・というと、「いた」というのがいかんらしかった。 「おまえさえおらんかったら、T子さんに、もっと、応援してやれたんや。それをおまえが産まれなければよかったのに産まれたために、応援してやれんかったから、それでT子さんは奈良女子大に落ちたんや。人のせいにすんなよ、チャンコロ! T子さんが奈良女子大に落ちたのはおまえのせいやねんぞ、チャンコロ! 人間、人のせいにするようになったらおしまいやぞ、チャンコロ! T子さんが奈良女子大に落ちたのはすべておまえのせいやねんぞ、チャンコロ! チャンコロが百パーセント悪いねんぞ。こいつめ。よくも産まれやがってからに。産まれなければよかったのに産まれおってからに。ちゃんちゃんコロコロ、ちゃんこ~ろころ! いっらいっらしてきたあ~あ!」と毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれていやになっちゃうくらいに言い続けたものだった。 又、「おまえが産まれなければよかったのに産まれたおかげで、おまえを育てるのにカネかかって迷惑なんじゃ、チャンコロ。おまえが産まれなければよかったのに産まれたおかげで、そのために、そうでなければ、T子さんに全科目、毎日、家庭教師をつけてやればT子さんは奈良女子大に通ったのにからに、それをできんかったから、それで、T子さんは奈良女子大に行けんようにされたんじゃ。反省しろよ、チャンコロ! 産まれてきたことを心の底から反省しろよ、チャンコロ!」と、毎日毎日、言うのだった。「産まなかったらよかったのと違うんですか」と言うと、「何を言うとるんじゃ、何を。女が産みよったんじゃ、女が。産まなければいいものを産みよったんじゃ。迷惑なんじゃ、チャンコロ!」と言うのだった。そして、父は「たとえ、奈良女子大に落ちたとしても、おまえさえ産まれていなかったならば、私立の4年制大学に行かせてやることができたのにからに、おまえが産まれなければよかったのに産まれてきたおかげで、短大にしか行かせてやれんかったんや。人のせいにすんなよ、おまえがT子さんを落としたんやぞ、おまえが悪いねんぞ。おまえが百パーセント悪いねんぞ、チャンコロ。チャンコロがT子さんを奈良女子大を落としてんぞ、チャンコロ! チャンコロさえ産まれてこなければ、T子さんは絶対に奈良女子大に通ったし、たとえ、奈良女子大に落ちても、私立の4年制大学に行かせてやることができたのにからに、チャンコロが産まれてこなければ良かったのに産まれてきたおかげでT子さんを短大にしか行かせてやれんようになってんぞ。反省しろよ、チャンコロ! 産まれてきたということを心の底から反省しろよ、チャンコロ!」と何度も何度も言うのだった。 しかし、女性の兄弟が2人いると、「片方が他方の嘘をばらす」ということが時としてあるようなのだ。下の姉から教えてもらったのだ。「あの人、4年制大学は奈良女子大しか受けてないのと違うよお。私立の4年制大学もいくつか受けてるよお」と。それに、何よりも、私が高校3年の年まで、国公立の大学には一期校と二期校の制度があって、一期校で受けた奈良女子大を落ちたとしても、「ほんまやったら絶対に奈良女子大に通る人やったのに、おまえが落としたんやぞ、チャンコロ」というような「えらいえらい人」であったのならば、たとえ、一期校で奈良女子大に落ちたとしても、二期校で奈良女子大よりいくらか合格難易度が易しい所、具体的には大阪教育大とか和歌山大学とか、大阪府立大学とか、もしくは大阪外大(現 大阪大学外国語学部)の比較的入試の難易度が易しい学科とか、神戸市立外大とか、そういった所を受けておけば、通ったのではないのかと思ったのだ。なんで、二期校を受けなかったのだろう・・・と長く不思議に思ってきた。しかし、上の姉の口から「学大を受けた時・・」といった文句を聞くことがあり、「学大」て何のことなんだ? ・・・と思ったのだが、「学大」というのは大阪教育大の旧称で、姉が受けた年くらいまでは大阪学芸大だったかそういう名前だったらしい。姉が受けた少し後で名称を変更して大阪教育大学となったらしい。だから、二期校も受けていたのであり、今でいう大阪教育大を受けてそれも落ちたらしかったのだ。だから、私が落としたのは奈良女子大だけではなく大阪教育大もまた私が落としたらしかった。
  「なんで、私が悪いねん」「なんで、小学校1年の俺のせいやねん」などと言うと、「心理学」から「外罰的性格」と「診断」されることになる。ロボトミーとか電気ショックとかされるおそれがある。小学校の1年の弟のせいにするおっさんは「外罰的性格」とは違うんかい? ・・というと、「そういったことを言って認めないというあたりが、外罰的性格の特徴ですね」とか「病気が重い」とか「診断」される危険がある。怖い、こわい、コワイ、コワイ。ほんと、「心理学」はコワイ怖いこわい怖い だから、T子さんが奈良女子大を落ちたのも大阪教育大を落ちたのも百パーセント小学校1年の弟が悪いということに「心理学」の「診断」によるとなるらしかった。それが「専門家の言うこと」だそうだった。「ちゃんちゃんころころ、ちゃんころころ。いっらいっらしてきた、いっらいっらしてきた。わしほど精神的に安定した、気持ちの落ち着いた人間はおらんのにからに、いっらいっらしてきたっということは、おまえのせいやぞ、おまえのせい! ひとのせいにしてはならんぞ、チャンコロ! 人間、ひとのせいにするようになったらおしまいやぞ、チャンコロ! ほんまやったらいらいらすることはない人間のわしがいらいらしとる! ということは、おまえのせいやぞ、おまえのせい! おまえが産まれたためにわしはいらいらしとるんやぞ、チャンコロ! ちゃんちゃんころころ、ちゃんころころ、ちゃんちゃんころころちゃんころころ! いっらいっらしてきた、いっらいっらしてきたいっらいっらしてきたあ~あ♪」とそういうことらしかった。そして、上の姉は私立の4年制大学も受けとったはずなのだ。うちの父親は小学校1年生は覚えてないだろうと思って、「おまえさえ産まれてこんかったら、T子さんに私立の4年制大学を受けさせてやることができたはずやのにからに、それを、おまえが産まれてこなければ良かったのに産まれやがったおかげで、それで、えらいえらいドイツ人のT子さんには短大しか受けさせてやれんようになってしもうてんぞ。すべて、悪いのはおまえやねんぞ、チャンコロ。産まれてこなければ良かったのに産まれてきたっということを心の底から反省しろよ、チャンコロ。産まれてこなければ良かったのに産まれたということを、決して決して忘れてはならんぞ、チャンコロ!」と毎日毎日言い続けるのだった・・・が、その「ドイツ人のT子」さんが私立の4年制大学を受けるということで、どこを受けようかという話をしていた時、小学校1年の弟はすぐ横にいてその話を聞いていたのだった。奈良女子大は通りたいけれども絶対に通るかどうかはわからないようだったが、私立の4年制大学は、あくまでも「すべりどめ」なので落ちることはまずないみたいな話だったけれども、それも、み~んな落ちよったのだ。落ちてしまったのはしかたがないとしても、「おまえがすべて悪いねんぞ、おまえが。チャンコロが百パーセント悪いねんぞ、チャンコロが。ドイツ人のT子さんはまったく悪いことないねんぞ。チャンコロのくせしやがってからに、落ちたのはT子さんが落ちたからにはT子さんが悪いのと違うのかなんて、とんでもないことをぬかしたらいかんぞ、チャンコロ! ひとのせいにすんなよ、チャンコロ! 悪いのはおまえやねんぞ、チャンコロ! T子さんは悪いことないねんぞ。T子さんはほんまは奈良女子大に通ったお方やのにからに、落ちたのはおまえが百パーセント悪いねんぞ。T子さんを奈良女子大を落として申し訳ございませんでしたと言うて、地面に頭すりつけてこのわしに謝らんか、このチャンコロ! ロスケ! イタコ! 浪商!」と毎日毎日言うのだった。「わしはほんまは慶應やねんぞお、ほんまは慶應」とうちの父親は言うのだったが、行けなかったのは、それも私が悪いのかと思ったが、さすがに私が産まれる前のことまでは「おまえが悪いねんぞ、チャンコロ!」とは言わないようだった。うちの父親を見ると、ああいうのは、「ほんまは慶應」だけあって、やっぱり「慶應タイプ」やなあ・・・という感じがする。ああいうのを「自我が確立されている」とか「独立自尊の精神をもっている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「企業はそういう人間を喜ぶ」とか「スマート」とか「ギャルにもてもて」とか言うようである。「慶應タイプ」の思考は私なんかとは全然違う。なんで、あんなのがいいのか、「ギャル」とかいうやつの思考は私には理解不能である。うちの父親は、私が小学校1年の時のことなど、すべて覚えていないだろうと思い込んで嘘を言っていたようだが、下の姉の言葉をきっかけにして思い出した。4年制大学は奈良女子大しか受けなかったのではなく、大阪教育大も受けよったのだ。それから、私立の4年制大学もいくつか受けとったはずなのだ。だから、「たとえ、奈良女子大に落ちても、おまえさえ産まれてこなかったならば、私立の4年制大学に行かせてやれたのにからに、おまえが行けんようにしてんぞ、チャンコロ」というのは嘘だったのだ。小学校1年の時の記憶は蘇ったのだ。「ドイツ人」め、よくも嘘つきまくりやがったな・・・。

  ラグビー屋のおっさんは、うちの父親が他界する前、病院に入院していた時に来てくれたことがあった。この人はそういう時に「来てくれる人」だった・・という点は感謝すべきであろうと私は思っていたのだったが、そうでもないかなとも思ったのだ。
(1)「無菌室」ということで入室する時には両手を殺菌して入らないといけないことになっていた病室に、又、その病院は入口で履物をスリッパに履き替えることになっていたはずだが、それも履き替えず、この叔父は「無菌室」の中まで土足でドカドカと入ってきた。それは、気づかなかったのであって「悪気ではなかった」のかもしれない。しかし、「病院に入院していて、見通しはあまりよくない」と聞いておれば、そのあたりのことも入室する前に考えるというのが大人ではないかと思う・・が、そのあたりは「スポーツマンらしい無邪気さ」というもの〔 ( 一一) 〕だったのかもしれない。不注意でそういう失敗をしてしまうということは「誰でもすること」ということではないと思うが、私だって絶対にやらないとまでは言えないことかもしれない。しかし、自動車を運転している時の事故や違反はないように注意していても、それでも起こすことはあるかもしれないが、しかし、事故を起こしやすい人や違反常習の人というのはいると思うのだ。この人が入口で履物を履き替えることになっている病院の入口で履物を履き替えず、「無菌室」にそのまま土足で入ってきたというのは、それは「たまたま」ではないと思うのだ。その後、
(2)私が目の前にいるのに、うちの父親の長男にあたる私が「どうも、わざわざ来ていただきまして」と挨拶しているのに、それは無視して、私には口をきいてたまるものかという態度でひょいとよけて「T子ちゃん、T子ちゃん」と言って、母と私と姉2人の中で一番最後に来た上の姉を一生懸命捜してその「T子ちゃん」と話をしようとしたのだった。このおっさん、いったい何? なんや、変わったおっさんやなあ~あ・・・。病人を見舞いに行ってそのような態度を取るのでは、それでは見舞いに行って良かったのかかえって悪かったのか・・ということになる。・・そこまでは、「まあ、この人はそういう人なんだなあ」ですますしかないかもしれない。おそらく、そういう態度のことを「体育会系の礼儀作法」とか「さわやかスポーツマンシップ」とか言うのだろう。しかし、
(3)うちの父親は、最後、病院で口をきくことができなくなってしまったけれども、意識がなかったわけではない。片手は握ることができたので、そちらの手を握れば握ってきたし、喉から口に血と吐しゃ物がでてきて口にたまるので定期的にそれを取り除かないといけないのだが、それを取り除いてほしいと意思表示もしたのだ。そして、まったく口をきけないということではなく、家族でどうしたものか話していると、口をきけない状態になってしまった人が、私と姉2人と母と4人ともそこにずっといることはできないので、交替で誰かがいるようにして他の者は帰らせてもらっていいかと話していたところ、「(そうすれば)ええがな」とぼそっと口にしたりもしたのだった。ところが、ラグビー一家の総帥のおっさんは、うちの父親は口をきくことができないと思うと、もう、植物人間状態で意識もないと勝手に決めつけて、うちの父親の横で、「もう、こんなになってしもうたら、もう、あかんもんやと思わんとあかん。もう、あかんもんやと思うて、その前提で考えんとあかんからな」などと言うのだった。しかし、病人は口をきくことはできなくなっていたが意識がなかったわけではなく、周囲で何が起こっているか認知できていた可能性が大きいのいだ。それを、この人、何、言うんだ・・・と思ったものだった。医者は早いか遅いかの違いはあっても、そう長くはもたないでしょうとは言っていたけれども、本人は治って家に帰るつもりでいたのに、それを本人の横でいったい何を言うのか・・と思ったが、「アタマがラグビー」の人というのはそういう人だったのだ。
「私は今までからこの人のことを『特別に賢い』とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」。・・だから、「来てもらった」という点については感謝すべき面はあるとは思う一方で、この人にはあんまり来てもらいたくないなあ・・という面もまた実際問題としてあったのだ
  その男が、うちの父親が他界した後、葬式の当日に「うちの子は兄弟は男の兄弟がおるから、就職するのにも保証人にしてもお互いになりあいすることができるから、あんたに何か頼むことは絶対にないけれども、あんたはうちに頭下げて頼むしかないんやから、今後はあんたはうちには絶対に頭上がらんのやから、そう思っておけよお。」と、人の親の葬式の日にそういう口をきいたのだった。その上で、「わかったなあ。覚えとけよお!」とそう言ったのだった。私としては、この「冠婚葬祭があると毎回、必ず変なことする人」は、あんまり呼びたくないなあ~あ、しかし、叔父であるからには呼ばんわけにもいかんかなあ~あ・・とか思っていたのだったが、そう思われているとは毛の先ほども思っていないようだった。そのあたりが「スポーツマンシップ」とかいうものだったのかもしれない。 そして、「覚えとけよお」とそこまで言って、それからたいして経たないうちに、息子(私からするとイトコ)の結婚式に出てくれと言ってきたのだった。いったい、どの口が頼んどるんじゃい、どの口があ?!? ・・ということになるが、ラグビー屋というのはそういう民族の人間だったようだ。そういう「民族の違い」というものがあるようだった。・・そして、「あんたが、どこか勤めるにしても、うちに保証人頼むしかないんやからなあ。だから、あんたはうちには絶対に頭が上がらんのやからなあ。覚えとけよお」と言った男は、結局、一度も私の保証人になることなく死んで行った。「覚えとけよお」とおっさんは行ったのでそれは忘れてはいかんなあと思いよく覚えているのだが、それだけ、口にしておきながら、一度も保証人になることなく死んでおらんようになるというのは、それはいったいどういうことだろうか? ラグビーやると、そういう人間になるということだろうか?・・・・それが「ラグビーの成果」というものだったのか・・・?

  ・・・ということで、私が嫌いだったらしい葬式のたびに「変なこと」するおっさんは、ふと気づくと他界してこの世にいなかった。そのおっさんの葬式に出るべきか出ないべきか、ずいぶんと考えたが、叔父の嫁はんなのか、イトコなのかは他界したことも葬式の日程も知らせてくれなかったのだ。叔父が嫌いだったらしい私に知らせないならまだしも、叔父からすると姉にあたる母にまで知らせないというのは、どういうことなんだ・・・と思うが、そういうことだったようだ。
  あのおっさんも、自分の嫁からも息子からも自分が死んだことを自分の姉にすらも通知してもらえないというのでは、かわいそうなおっさんやなあ・・・という気がする。そう思うと、よくもまあ、あそこまで言いやがったものだとも思うし、私はあの叔父にあそこまで嫌われなければならないことをあのおっさんにしてないはずだが、よくもまあ・・・とも思うが、まあ、かわいそうなおっさんやな・・・と思う。かつ、その程度のおっさんやったようだ。「体育会系」とか「スポーツマン」とかいうのは、あんな感じかなあ・・・と思う。人にもよるかもしれんが、「体育会系」てのは、あんまり好きではない。叔父がいつ死んだのかも知らない。祖母が他界したのが1月の後半、阪神大震災のすぐ後だったので、これは覚えている。だから、あの「体育会系」のおっさんのことを思いだすのも、祖母の命日付近ということにしておく。 私は祖母には大事にしてもらった。だから、祖母の遺骨をクルマの助手席にぽいと置いて、「おい、ちょっと、そこ、入っていこ」などと言って喫茶店に入るというのはやめてほしかった。うちの父親も、祖父や祖母のことを、あくまでも自分の父親・自分の母親と思っていて、私の祖父・私の祖母というようには考えない男だったが、叔父もまた自分の母親のことを私やそれ以外の叔父からすると甥・姪にとっての祖母とは考えず、あくまで自分の母としか考えない男だったようだが、孫からすると、祖母の遺骨を粗末にする男というのは、たとえ、その男が祖母の息子であっても、その態度はうれしくない・・・が、叔父の奥さんなのか息子なのかは、叔父のことを自分の夫もしくは父親とは考えても、私の母の兄とは考えない人間だったのか、叔父が他界したことすらも伝えなかったのであり、自分がやったことが自分に返ってきた、ということだったのかもしれない。

  母方の祖母が他界したのは1995年の1月。阪神淡路大震災のすぐ後だった。伯父の家は倒壊などしなかったらしいが、近所の家で倒壊した家が何軒もあり、伯父の家もガスが出ないので風呂に入れないなどしたらしい。イトコの家も「ライフライン」が損傷して困ったらしい。我が家は被害はなかったわけではないが、倒壊などはしなかった・・が、被害が出なかったわけではない。墓石がずれるというようなこともあったようだ。そういう時に、私が勤めていた(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ は私から給料天引きで「義援金」というのを盗った。 被災者から「義援金」を給料天引きで盗る会社とはいったい何だ! ・・という感じだが、(株)一条工務店という会社はそういう会社だった。又、日本国の労働基準法では「控除払いの禁止」と言って「給料天引き」にして、引いた額を支払うというのは禁止されており、給与はいったん全額を支払った上で、義援金を従業員に払ってもらいたいのなら、別に義援金を募集するべきものであるが、(株)一条工務店という会社は「『労働基準法は守らない』というのが一条工務店の方針で会社のルールだ」と初代社長の大澄賢二郎の義理の弟で営業本部長の天野隆夫が何人もを前に宣言する会社だった。(株)一条工務店の初代社長の大澄賢二郎が主唱したということで、(株)一条工務店は浜松市に300億円の寄付をして、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友と静岡県知事で2011年3月の福島第一原発事故の直後に静岡県産茶葉の放射線量検査を拒否して静岡県産農産物というのは良心的な商品ではありませんよおと全国に発信した川勝平太の2名が大絶賛したが、浜松市長で慶應大ア法学部卒の鈴木康友が大絶賛した会社は、「『労働基準法は守らない』というのが会社のルールだ」と初代社長の大澄賢二郎の義理の弟である営業本部長の天野隆夫が何人もを前にして宣言する会社だった。行政がそういう不良企業から寄付を受け取っていいのか? もしかして、「一条屋、ぬしもワルよのお、くっくっく」「いえいえ、お市長さまほどではおじゃりませぬ。いっしっし」という類のものなのか?

  2018年6月18日、大阪府北部、高槻市などで大変大きな地震が発生した( 2018年6月「大阪府北部地震」)。2018年後半、大阪府高槻市のJR「高槻」駅の北にある上宮天満宮の授与所に立ち寄った際には「ものすごく揺れて。怖かったですよお」と言われたが、2018年6月の地震の時点ではすでに他界していたらしい叔父の大阪府高槻市の家も相当揺れたらしいが、全壊・半壊などすることはなかったらしいが、窓ガラスが割れたらしい
※ 《ウィキペディアー大阪府北部地震》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%8C%97%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87
 1993年、(株)一条工務店の営業本部長の天野隆夫(男。当時、40代前半)が、「地震で窓ガラスが割れることなんて、ないわ!」と私に言ったのだが、2018年6月18日の「大阪府北部地震」において、高槻市の叔父の家では窓ガラスが割れたらしい。(株)一条工務店の営業本部長というのは、なぜ、従業員に嘘を教えたがるのか、 不思議に思うが、そういう性格の人間だったのだろう。・・もしくは、 ””従業員に嘘を教えたい教えたいという人間シンドローム”” という「病気」だったのか。ロボトミーとか電気ショックとかして「治療」してあげた方がいいのか、それとも、「精神安定剤」の大量投与による「化学的ロボトミー」という手法で「治療」するのがふさわしいのか? ともかく、おそらく、「あの病気は一生、死ぬまで治らない」であろう。本人に「病識がない」という点も「治療」を困難にしている原因であるが、本人が自覚することは死ぬまでなさそうである。

  (2021.1.29.) 

  2021年1月29日の「産経新聞」の1面で、「朝日新聞」の慰安婦について適切と言えない記事があったらしいということから、それにもかかわらず、文部科学省は慰安婦の存在を否定しないという主張を「産経新聞」はしていたのだが、「朝日新聞」の慰安婦についての記事に適切でないものがあったとしても、それなら、従軍慰安婦という人がいなかったかのように言いたい「産経新聞」というのは、前から問題が多いメディアだと思ってきたが、変わらんなあ・・と思う。 「従軍慰安婦」と言われた女性はいたのだ。うちの父親は戦中、学徒動員で「満洲」に行っていたらしいのだが、従軍慰安婦という女性はその部隊に「いた」らしい。母が「あんた、その人とやってきたの」と尋ねると、「どこの誰やらわからん人間とやる気にはならんかった」そうで、当人は「やらなかった」らしいが、慰安婦という女性は間違いなく「いた」そうだ。それがどこの国籍の人かは「やらなかった」からわからないみたいだったが、ともかく、「慰安婦」という女性は「満洲」のその部隊に「いた」というのは間違いないようだった。どうも、「産経」と「慶應」の人間というのは ””「従軍慰安婦」は「いなかった」ことにして、「南京大虐殺」を「なかった」ことにしたい症候群”” の人間が多いようだが、「従軍慰安婦」は「いた」のだ。「従軍慰安婦」が「いる」のを見たことがある人は戦争に行った世代の人では少なくないはずだが、その女性がどういう経緯でそこに来たかを知っている人は多くないと思われ、うちの父親も「いる」のは見たらしいが、その女性がどこの国籍の人でどういう経緯でそこに来たのかといったことは知らないようだった・・が、ともかく、「いた」か「いなかった」かというと「いた」のだ。
  (2021.1.30.) 

  森喜朗がまたもや、「しょーもないこと」言いよったみたいだが、 〔《ラグビー協会の女性理事「私のことだ」だ」 森氏の発言に 朝日新聞》https://www.asahi.com/articles/ASP24628ZP24UTIL040.html 〕かつて、総理大臣だった時に、選挙の直前に「中間層は選挙に行かずに家で寝てろ」とか「しょーもないこと」を言い、その結果として、「どっちかと言えば非自民・反自民の中間層」に不快感を持たせて選挙に行かせるように仕向けて自民党が選挙で惨敗する結果を招き、田中真紀子さんから「私は今までからこの人のことを『特別に賢い』とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」と言われた””実績””のある男が、またもややりよった。 戦後、中華人民共和国と中華民国(台湾)の両方から、これからは自分たちを「支那(しな)」とは呼ばないでもらいたいと言われ、中華人民共和国から「中華人民共和国」もしくは「中国」と呼んでもらいたいと言われて、日本政府としてそれを了承したはずなのに、森喜朗は、わざわざ、「支那(しな)」と発言したこともあった。最近の中華人民共和国の世界政策を見ていると、自分の国を「中国」(「世界の中心の国」)と呼べと言われてもてそんな傲慢な名前では呼びたくないと考える人もいるのではないかと思うが、政府として過去にそういう返答をした経緯があるものを、あえて、その呼び方はしないでもらいたいと相手の国が言っている言葉を口にするというのは総理大臣として軽率であろうと思われるが、そういう軽率な発言をした””実績””もある男だった・・・が、それにしても、時津海と一緒で、一回、やって痛い目にあっても学習能力に欠けるようだ。この男も、「ちょっとは学習しろよな」て感じがする・・が、頭の脳味噌の99%以上がラグビーでできている男というのは、こんなものなのか・・。どうも、この男のビョーキは治らんようやな。「ロボトミー」とか「電気ショック療法」とか、もしくは「精神安定剤」の大量投与による「化学的ロボトミー」とかそういう「治療」でも受けるかしないとこの男のビョーキは治りそうにない。「病識がない」という点も「治療」を困難にする点だ。 発言の内容がいい悪いより以前に、ここでこういうことを言うとどうなるか・・ということを、ちょっとは考えたらどうかと思うのだが、考える頭というものがもともとないのかもしれない。 「アタマがラグビー」の男というのは、どうしようもないようだ・・・。 ほんと、「私は今までからこの人のことを『特別に賢い』とかいうようには思ってなかったけれども、ここまでアホとは思わんかった」という田中真紀子の言葉は実に名言・名文句だと思う。他にもラグビー関係者で同類がいっぱいおるのと違うか・・・(笑)
   (2021.2.4.) 

  そういえば、慶應大学に私が在学した時、1980年代前半のことだが、商学部で「経済史」「産業史」を担当されていたU教授が、「私が大学生だった頃、戦争が進んでいた頃で、音楽なんてものをやっていると、『男のくせして音楽なんてものをやるとは女々しいやつだ』などと言われたものだったが、何をおかしなことを言うか。何が悪いかと思って、ワグネルに入って声楽とバイオリンを私はやってやった。何が悪いかあ!」と言われたことがあったのだが、体育会の人間は ””「体育会の人間は学力はないが根性がある」と言いたがる症候群”” の人間が大変多いのだけれども、「男のくせして音楽なんてやるとは女々しいやつだ」などとわけのわからんことを言う者がいた時に、「何が悪いかあ!」と声楽とバイオリンをやってやった」という人と、「男のくせして音楽なんてものをやるとは女々しいやつだ」などと言って芸術を弾圧しようとする者がいると、ひょいひょいとその尻馬に乗るヤカラと、いったいどっちが「根性がある」のか? ・・・ということだ。
  私は「経済史」の講義でU教授の話を聞いて、慶應は昔から「財界の御用大学」で骨なんてまったくない軟体動物みたいな教授ばっかりの大学かと思っていたら、慶應にもこういうことを言える教授がいるのか・・と驚いたのだったが、ところが、その頃、大阪府の某私立大学の「教授」だったうちの叔父・・「教授」といっても教えているのはラグビーなのだが、そのラグビーの教授は息子2人と娘1人があったのだが、息子2人はラグビー屋の息子なのでラグビーやっていたが娘はラグビーやるわけにはいかないから剣道やったというのだが、うちの母親に「うちの娘は女やけど、剣道やっとんねんで。たいしたもんやろ! 男になんか負けよれへんで。根性あるんやでえ」と言いよった・・らしい。アホやな・・と思ったのだ。あの人、前から「特別に賢い」とかいうようには思ってなかったけれども、このタイプのアホやったんかあ・・? と思ったものだった。うちの身内にそのテのアホがおるとは思わんかったが、おったのか・・( 一一)
  剣道やりたいならやっていいと思うよ。(私も剣道選手ではないけれども、木刀1本もっていて、毎日、10分程度、木刀を振ったりしており、剣道は嫌いではないのだが、)しかし、剣道やったら「根性がある」ということになるのか? そんなこと思うのならそんな剣道ならやめてしまえ! 剣道やりたいならやってもいいけれども、剣道やってる人間が「根性がある」だと主張して、声楽やバイオリンをやったら「男のくせして、女々しいやつだ」「けしから~ん!」と迫害する野蛮人症候群・・というのは、なんというのか、程度低いなあ~あ・・・・と思ったものだったが、どうも、うちの親というのは、よその人間から何か言われると、何でもそれに従ってしまう傾向があったようで、””ラグビー屋の運動バカ症候群””がしょーもないこと言いよった場合にも、すぐにそれに従ってしまうようだった。「ラグビー屋のおっさん」てのは迷惑なんだよな、ほんと・・・。
  (2021.2.5.)

  うちの母親は、あの叔父が娘の御守りをするのは喜んだようだが、子供の頃の私とはあまりつきあわせたくなかったようだった。叔父はそれが面白くなかったようだが、なにしろ、あのおっさんと関わると、誰でも「ラグビー」にならされてしまう・・というおっさんで、「ラグビーのやり方や上達法を教えてくれる」のなら悪くはなさそうに思えるかもしれないが、北野高校で私の1年上の学年の人で高校3年の11月だかまでラグビー部でラグビーやって京大の医学部に現役で通ったという人がいたが、そんな感じで、「ラグビーもやるが勉強もして京大あたりに進学する」という方法を教えてくれるのなら悪くはないだろうが、「ラグビーばっかりやってちっとも勉強しよれへん」というのを教えよるものだから、息子を持った親としては、あのおっさんとはあまり息子を関わらせたくない・・という気持になるのであり、おっさんはどうもそれに感づいていたようで、それで面白くなかったようだが、私が親の立場でも、やっぱり、「ラグビーばっかりやってちっとも勉強しよれへん」というのを誰にでも教えるおっさんとは息子をあまり深く関わらせたくないという気持になると思う。「ラグビーを教える」のではなく「ラグビーばっかりやってちっとも勉強しよれへん」というのを教えるおっさんというのは・・、当人、悪気ではないつもりだったのだろうけれども、内村鑑三が『基督信徒のなぐさめ』(岩波文庫)で「動機善意」と「結果善意」という言葉を使っているが、たとえ、「動機善意」であったとしても「結果善意」ではないことになる。
  (2021.2.5.)

  今となっては30年ほどまえになるか、徳弘正也(とくひろ まさや)という漫画家が『シェイプアップ乱』という漫画を描いていて、そこに「走るため””だけ””に生まれてきた女 カール=ルイ子」なる女が登場した。「人は彼女のことをこう言う。『走るためだけに生まれてきた女』と。『走るために生まれてきた女』ではなく『走るためだけに生まれてきた女』と」・・・と書かれていたのだが。・・・下ネタの多い漫画で、徳弘正也は「子供の頃に永井豪の漫画を見て『こんな漫画を描いたら恥ずかしいだろうなあ』と思ったが後にそれ以上に恥ずかしい漫画を描くようになった」と自分でどこかに書いていたが、しかし、下ネタも多いけれども、徳弘正也の漫画はなかなか含蓄のある話がある・・と思う。 「走るために生まれてきた女」ではなく「走るため””だけ””に生まれてきた女」に該当するような人間、女ではなく「◇◇するため””だけ””に生まれてきた男」、この「◇◇」にスポーツ競技の名称を入れれば、これにあてはまる男というのは現実にいると思うのだ。
  毛沢東は『体育の研究』(『毛沢東の体育の研究』ベースボールマガジン社)で、これまで、中国では、体が頑丈な人は頭脳が優秀ではない、頭脳が優秀な人は体が弱いとされてきたが、これからはそうではなく、すべての国民が自ら体を鍛えるスポーツマンであるとともに自ら学び考える哲学者となるべきだ、といった主張をしているのだが、ところが、日本においては、「スポーツするため””だけ””に生まれてきた男(もしくは女)」というのが現実におり、「自ら体を鍛えるスポーツマンであるとともに自ら学び考える哲学者」とは正反対の人間がスポーツ関係者には少なくない。
  森鴎外『青年』(新潮文庫)では、
《 それから官能的受用で精神をぼかしているなんということは、精神的自殺だが、神経の異様に興奮したり、異様に抑圧せられたりして、体をどうしたら好いか分からないようなこともある。そう云う時はどうしたら好いだろうと、純一が問うた。大村の説では、一番健全なのはスエエデン式の体操か何かだろうが、演習の仮設敵のように、向うに的(まと)を立てなくては、倦みやすい。的を立てるとなると、sport(スポルト)になる。sport(スポルト)になると、直接にもせよ間接にもせよ競争が生ずる。・・・》
といったことが述べられているが、心を静め安定させるようなスポーツなら悪くないと思うのだが、最近の日本における「スポーツマン」のやることというのは、そういうものとは異なるように思われる。
  そういえば、2000年頃、ラジオの野球中継で解説者の板東英二が「最近ねえ、『野球は頭でやるもんや』とか言いすぎですよお。だいたい、そんなもん、野球みたいなもん、やってるような人間が頭つかうのん得意なわけないでしょうが。頭つかうのん、嫌いやから野球みたいなもんやっとんねんがな。頭つかうのん、得意やったら野球みたいなもんやらんと、もっと他の仕事やってるわ」(笑)・・と発言。板東英二は自分自身も元野球選手ということで笑いをとろうと思って言ったのであろうけれども、ある面、真理を語っているか・・と思ったものだった。 さらには、1980年代半ば過ぎだったか、プロ野球のオールスター戦のラジオの中継で、ゲストの前川清が「しかし、プロのピッチャーというのは、よく、これだけ速い球を投げますねえ。また、プロのバッターというのは、よく、それを打ちますねえ」と言ったところ、解説者の江本孟紀が「ええ、そりあもう、なにしろ、それしか知らんのですから」・・・と(笑)。 『味いちもんめ』という板前を扱った漫画で、新宿の割烹料理店の熊野さんという板長が「職業に貴賤はないというのはほんまや。それぞれの職業の中に貴賤がある。立派な尊敬すべき勤め方をする人もおれば、卑しい態度で仕事をするやつもおる」と語る場面があったが、運動選手でも人にもよるかもしれない。法隆寺宮大工棟梁だった西岡常一さんが「大工の棟梁というのは腕が良ければいいというものではなく、大工としての腕も一流、人間としても一流でないといけないと言われたものです」とどこかで語っていたが、運動選手でもスポーツも一流で人間としても一流になろうと努める人もいるのかもしれない・・・が、しかし、実際、「◇◇するため””だけ””に生まれてきた男(もしくは女)」という人、あるいは「そんなもん、頭つかうのん得意やったら運動選手みたいなもんやってないわ。頭つかうのん嫌いやから運動選手みたいなもん、やっとんねんがな」という人というのは現実に存在する。
※ 《ウィキペディアー徳弘正也》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%BC%98%E6%AD%A3%E4%B9%9F
《ウィキペディアーシェイプアップ乱》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%97%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E4%B9%B1
  (2021.2.6.)

いのちの半ばに (岩波文庫 赤 312-1) - アンブローズ・ビアス, Ambrose Bierce, 西川 正身
いのちの半ばに (岩波文庫 赤 312-1) - アンブローズ・ビアス, Ambrose Bierce, 西川 正身

この記事へのコメント

王島将春
2021年03月06日 20:58
はじめまして。福井市在住の王島将春(おうしままさはる)と言います。聖書預言を伝える活動をしています。

間もなく、エゼキエル書38章に書かれている通り、ロシア・トルコ・イラン・スーダン・リビアが、イスラエルを攻撃します。そして、マタイの福音書24章に書かれている通り、世界中からクリスチャンが消えます。その前に、キリストに悔い改めて下さい。ヨハネの黙示録6章から19章を読めば分かりますが、携挙に取り残された後の7年間の患難時代は、苦痛と迫害の時代です。患難時代を経験しなくても良いように、携挙が起きる前に救われてください。

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