日本基督教団田園調布教会(1)高すぎる樹木、鎧をかぶったよう、倉庫みたい-田園調布と教会【5/14】
[第369回] 日本の教会シリーズ
田園調布駅の西側、道路が放射線状になった地域の外縁部、宝来公園の斜め向かいに 日本基督教団 田園調布教会 があります。 日本基督教団ですからプロテスタントです。↓


※ 日本基督教団 田園調布教会 http://den-church.jp/
私は、幼稚園は大阪市内のカトリック系の幼稚園に行きましたが、それは住んでいた地域に幼稚園はカトリック系の幼稚園と生長の家の系統の幼稚園の2つがあって、我が家の場合は、そのどちらが「家風」に近いかというと、生長の家というのはあまり近くなかったので、それで、消去法でいくとカトリック系の方の幼稚園に行くことになったようです。母は子供の頃、大阪市内のプロテスタントの系統の幼稚園に行っていて、そこの印象が良かったのでキリスト教系の幼稚園に行かせたかったようですが、母も私が行ったカトリックの幼稚園と母が行ったプロテスタントの幼稚園とでは印象が違ったようでした。小学校の同級生で天理教の家の息子(この場合、天理教の信者という意味ではなく、親が天理教のお坊さんというのか宮司さんというのか何というのかよくわかりませんが、そういう家の息子)がいたのですが、彼の場合も、カトリックと生長の家とでは、どちらも天理教とは相容れないはずですが、どちらの幼稚園に行くかという場合、彼の場合も消去法で、結果としては我が家と逆で生長の家の系統の幼稚園に行ったようでした。 私は、小学校の3年くらいの頃、大阪市内の日本基督教団の教会の「日曜学校」に毎日曜日、通っていました。幼稚園の時には、幼稚園と同じ敷地内にカトリックのお堂があって黒い服を着たシスターがそこにいましたが、日本基督教団の教会は幼稚園の時に行ったカトリックの教会堂とは「ちょっと違う」という印象を受けていました。まず、カトリックでは黒い服を着たシスターがいて、幼稚園児の時、どうも、その黒い服を着た人というのが「怖い」という印象があったのです。実際に何か怖いことをされたことがあったのかというとそうではないのですが、どうも、幼稚園児にとっては、その黒い服を着た人はイメージとして「怖い」印象がありました。幼稚園の先生でも黒い服を着た人と「普通の人」がいて、担任を持たれるのは「普通の人」だったらいいなあと思っていましたら、年少組の時も年長組の時も「普通の人」が担任でしたが、黒い服を着た人はどうもイメージとして怖い印象が幼稚園児の私にはありました。最近、ヨーロッパの教会に行った時など、その黒い服を着たシスターを見かけると親しみを感じますし、黒い服を着たシスターはけっこう親切な人が多く、幼稚園児の時とは印象がずいぶんと違います。小学校の3年の頃に行った日本基督教団の教会の日曜学校では、日曜学校の先生は、その教会の付属の幼稚園の先生の女性と教会員の男性が「先生」だったのですが、その頃の私は日曜学校の先生というのは小学校の先生とか習字教室の先生とかピアノ教室の先生とかと同様に報酬をもらって「先生」をやっているものと思いこんでいて、まったく何の遠慮もなく遊んでもらっていたのでしたが、日本基督教団の教会というものは、カトリックの幼稚園とは違って「優しい」という印象がありました。
その頃は、カトリックとプロテスタントというものがあるということくらいは知っていたような気がするのですが、そのうち、プロテスタントの教会が日本基督教団であって、それに加わっていない教会には、日本基督教団とは別に、誰か、キリスト教について学んだ人が集まって集会を持つようになったというものがあり、そういうものには、「異端」と言われるようなものとか、さらにはキリスト教を名乗っているがキリスト教とは言えないような団体もあるが、真摯にキリスト教を考えるからこそ、別団体になっているというものもあるのかもしれない・・・くらいに思っていたのです。 しかし、「日本基督教団」というのは、《ウィキペディア-日本基督教団》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3 には、≪ 教団の設立当時は日中戦争中で、宗教団体への政府の統制を目的とした宗教団体法に基づく政府の強い要請により、1940年10月17日の皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会における「プロテスタント諸教派が合同して宣教・伝道の任にあたる」という決議に基づき成立している。そのために、戦時中はもっぱら戦時体制に貢献した。 戦後に戦時下の合同をよしとしなかった諸教派・諸教会が分離した後に、改めて平和と和解のために仕える合同教会としての再形成を図るべく「日本基督教団信仰告白(1954年)」や日本基督教団総会議長名による「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(通称:戦争責任告白)」(1967年)」の制定・発表を通じてその実現を期そうと試みる。・・・≫というものらしく、プロテスタントの教会で日本基督教団に所属している教会が正統で所属していない教会は「正統ではない」というものでもないらしく、又、日本基督教団として最初からできたのではなく、もともとは、プロテスタントの教会の「派」がいくつかあって、それが合同して日本基督教団になったらしい。だから、今は日本基督教団でも、プロテスタントの教会が合同して日本基督教団になるより前においては、「◇◇派」だったという教会があります。もっとも、今、教会に通っている人には、そこまで考えずに、プロテスタントの教会であればいいということで自宅から近いプロテスタントの教会で日本基督教団に属している教会なら「そんな変な教会ではないだろう」くらいの気持ちで行っている人が少なくないと思います。
もっとも、何が「異端」なのか、何が「キリスト教を名乗っているがキリスト教と言えない団体」なのかという判断はなかなか難しいと思います。たとえば、森山諭(さとる)『原理福音 統一教会-勝共連合のまちがい』(1966.初版 1985.第三版 ニューライフ出版社)や森山諭『エホバの証人-ものみの塔‐のまちがい』(1970.初版 1984.改訂版 ニューライフ出版社)を読むと、なるほどと思うものはあります。森山諭氏のニューライフ出版社から発行されているシリーズとしては他に『モルモン教のまちがい』という本も出ています。又、上杉聰『日本会議とは何か―「憲法改正」に突き進むカルト集団』(2016.5.15.合同出版)など見ますと、「宗教右翼」と言われる新興宗教団体には、一般的には神道系が多いのですが(中小零細企業のあまり教養水準の高くないオーナー経営者にとりいって、「社長の命令」だとしてその団体の集会への参加を強要することで成り立っている「倫理研究所」=「倫理法人会」〔戦前の「ひとのみち」〕も神道系です)、中には「原始福音・キリストの幕屋」などという「キリスト教系」を名乗る団体もありますが、これなども「異端」もしくは「キリスト教を名乗るが実質はキリスト教の団体ではない」と考えて良いかと思います。『実話ナックルズ 2013年6月号 大特集 狂気の宗教』(ミリオン出版)では、「宗教の闇 データ5 『宗教といえばやっぱり色っぽい女 美人が多い教団トップ5』」として、1位:ラエリアンムーブメント、2位:摂理、3位:幸福の科学、に続いて、4位に「ヨハン早稲田キリスト教会」というのが出ていて、≪韓国系教団のため、ニューカマーの韓国系美人が多い。ただ、信者を増やすためなら偽装勧誘も厭わない教団だからか、ちょっとキツめのキャラが多い印象。怒らせるとうるさい。≫とでている(5位は「アレフ」〔元 オウム真理教〕だそうです)・・・・・が、しかし、他方、それなら、カトリックの教会がやっていることは『聖書』の教えから考えてすべてが適切なのか、プロテスタントの日本基督教団の教会がやっていることは『聖書』の教えから考えてすべてが適切なのか、というと、なかなか難しいところがあります。
で、この日本基督教団 田園調布教会は、日本基督教団に合流する前は何派だったのか・・・というと、日本基督教団 田園調布教会HPhttp://den-church.jp/ の「教会の歴史」http://den-church.jp/history/index.html を見ると、
≪ 日本基督教団が成立する以前の田園調布教会は日本福音教会に属していました。日本福音教会とは、ドイツの敬虔主義運動の影響を受けたドイツ語を話すアメリカ開拓者たちの教会( Evangelical Church〔福音教会〕)の日本宣教によって建てられた教会(教派)で、 メソヂストの系統にあります。米国福音教会は、その後Brethren Church〔同胞教会〕 と合同し、さらにメソヂスト教会と合同して、現在の米国合同メソヂスト教会となっています。 福音教会は、ドイツ敬虔主義運動の影響により、外国伝道に熱心な教派です。・・・ ≫
と出ています。
《ウィキペディア-日本基督教団》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3 を見ると、≪1941年に合同したプロテスタント33教派は、当初、それぞれの教派の伝統を維持したまま、以下の11部に編成された。≫と出ているのですが、「日本福音教会」は第三部、「日本メソジスト教会」は第二部、「日本自由メソジスト教会」が属する「日本聖化基督教団」は第八部、「ウェスレアン・メソジスト教会」が属する「日本独立教会同盟」は第十部、と分かれており、実際のところ、どこがどうなのか今一つよくわかりません。 その教会のホームページを見ても、自分のところは何何だと記載している教会もありますが、戦前においては、日本基督教団は軍国主義化の過程で体制からの圧力で合同させられたかもしれないけれども、もはや、今となっては日本基督教団は日本基督教団であって、その前が何かは重要ではないという姿勢の所もあるのではないでしょうか。 又、その団体の過程がどうであったにしても、もともとは、ナザレのイエスとその継承者のペテロやパウロが始めたものが基本なのですから、無理に分ける方がナンセンスかもしれません・・・・が、「メソジスト」とは何ぞや、「日本福音教会」とは何ぞや・・というそのあたりは確認しておきたいと思います。 《ウィキペディア-メソジスト》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88 には、≪メソジスト (Methodist) とは、18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム (Methodism) に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。日本では美以教会とも言われていた。≫と出ています。 ジョン・ウェスレーというと、東京の渋谷と表参道の真中より表参道よりにある青山学院を入ってすぐ右に立っていらっしゃる巨大な像がウェスレーさんのはずです。≪特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。≫と出ています。 青山学院では入口脇の建物の中ほどにウェスレーさんの像があり、奥の方の右手にガウチャー記念聖堂があるのに対し、関西学院(かんせいがくいん)では、入ってすぐ右手にランバス記念礼拝堂があります。青学での有名人はウェスレーとガウチャーであるのに対し、関学ではランバスですから、青学と関学は別の「派」かと思うと、そうでもないらしく、《ウィキペディア-メソジスト》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88 には、≪メソジスト派のミッションスクールとしては、日本では青山学院大学・関西学院大学が著名であり、≫と出ています。
※ 青山学院のウェスレー像は⇒[第270回]《青山学院 “参拝” 及、青山界隈《1》 ウェスレー像、Ao、スパイラル、国際連合大学》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201702article_2.html
ガウチャー記念礼拝堂とウェスレーホールは⇒[第271回]《青山学院“参拝” 及、青山界隈《2》 ガウチャー記念礼拝堂、「学生時代」碑と蔦のからまる建物、他 》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201702article_3.html
関西学院とランバス記念礼拝堂は⇒[第100回]《関西学院 時計台・文学部・経済学部・神学部・ランバス記念礼拝堂・他~ヴォーリズさんの建築(3) 》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201207article_1.html
[第201回]《関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂、関学神学部 他―日本の教会建築(7)》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
「日本福音教会」について、ウィキペディアで見ると、《ウィキペディア-日本福音教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%95%99%E4%BC%9A には、≪戦前に存在し、現在は日本基督教団に吸収され消滅したメソジスト系団体≫の「日本福音教会」と、≪ 戦後に創立され現在も存在する福音派のバプテスト系の団体≫があることが書かれています。 だいたい、カトリックと正教会(オーソドックス チャーチ)とプロテスタントとイスラム教の違いくらいは何とか理解できますが、「メソジスト」とか「バプテスト」とか言われてもようわからん。 どっちでもええわ・・・なんて言うと怒られるかもしれませんが、実際問題として、大事なのは聖書を自ら読んで自分自身でその意味を考えることであって、メソジストとバプテストがどうなのかなんて、「どうでもいい」とまでは言いませんが「二番目以降の問題ではないのか」という気が私などはします。
《ウィキペディア-日本福音教会(メソジスト)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%95%99%E4%BC%9A_(%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88) には、≪ 1807年に米国でヤコブ・アルブレヒト(en:Jacob Albright)によって組織された福音教会の宣教師たちによって1877年11月に来日。元来はペンシルベニアのドイツ人の間で始まったグループで、ルーテル派の影響もあるがメソヂストの制度を取り入れ監督制度であり、大体メソヂスト教会と信仰内容は同じである。よって独逸メソヂスト教会とも言われた。信仰背景としてはルーテル派の敬虔主義の流れにある、・・・≫ と出ています・・・ので、そうなのでしょう。
さて、ここの教会には、今となっては40年近く前、何度も通いました・・・が、知らないうちに教会堂が新しい建物に変わっていました。 日本基督教団田園調布教会HPの「教会の歴史」http://den-church.jp/history/index.html に、
2011年 8月21日 新会堂起工式
2012年 7月 新会堂完成
2012年10月7日 新会堂献堂式
・・・と出ていますので、2011年から2012年にかけて、教会堂が建て替えられたようです・・・・が、結論を先に言ってしまいますと、申し訳ないけれども、とりあえず、外観だけで言うと、私は、前の教会堂の方が好きです。申し訳ないけれども。
[1] まず、↓ の西側の樹木。 背が高すぎますよね。
これは、意図的にこの高さの樹木にしたものなのか、それとも、植木の手入れができていない、植木を植えたのはいいが、造園屋に頼むカネを出すのが嫌で、なおかつ、個人の家と違って自分で木を刈ろうという人もいない、あるいは、入口に「ご自由にお持ちください」と置かれていた「教会案内」に掲載されている「パイプオルガン、聖歌隊とハンドベル」の写真を見ても、「前期高齢者」くらいの世代の人ばかりで、教会の構成員で、実質、参加する人に「現役世代」の人間が少ない、あるいは、元はいても、「前期高齢者」世代が主として運営するようになって、「ちょっと、そこ、・・・にしてちょうだい」と口ばっかり出して体は動かさないという「前期高齢者」が「指導」する状態になると、「現役世代」はあほくさくなってだんだんと行かなくなる・・・・という状態になって、誰も刈る人間はなくなった・・・・ということか? ・・・・どうかは知りません・・・・が、現実に↑の樹木は高すぎます。
我が家の近所の「自治会」も、私は最初は総会にも行ったのですが、行っても、「前期高齢者」の人が自分たちの会だと思ってしまっているので、そんな会に行ってもしかたないと思って行くのをやめました。「自治会」の班長とかになろうという「前期高齢者」のじいさんが「あんたがやってくれるんならいいけど、そうじゃないんだろうから、私たちがやってやってあげているんだ」などと言うのであほくさくなってしまった、ということがありました。私は自治会長なり班長なりをやってもいいかと思っていたのです。もう、10年程前ですが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職者支援セミナー」で講師のおっさんが話していたのですが、「私はひとの奥さんと仲良しになるのが得意なんです」と話した男性がいたといい、「ひとの奥さんと仲良しになるのが得意」て、そりぁいったい何だと言うと、その男性は保険の営業をやっていたらしいのですが、PTAの役員になって、そこでよその奥さんと顔なじみになり、その縁で契約をもらうというのが得意だったらしいのです。それで、その男性はPTAの役員とかそそういった役を意図的に引き受けていたらしい。私も住宅建築業の営業の仕事を長くやりましたが、(株)一条工務店で、山梨県に勤務していた時、「消防団の集金」だとして来られたことがあって、それは払わないといけないという義務まではないらしいのですが、消防団は消防署と違ってそれを職業としているわけではなく、他に職業を持っている人が地元のためにとやっているものなので、消防団に入っていない人はそのかわりにいくらか出してもらえたらということだったようです。山梨県では営業の職種ではなかったのですが、営業の職種で勤務した福島県・栃木県にいた時なら、そういうものにでも入れば良かったか、消防団でなくても、自治会にしても入って役でもやれば近所の人と顔なじみになってそこから仕事をもらえた、なんてこともあったかもしれないし、たとえ、なかったとしても、特に変なつきあいでなければ「人的つながり」はないよりもあった方がいいだろう・・・などと考えたのです。だから、我が家の近所でも、自治会長なり班長なりをやってもいいかなとも思っていたのです・・・・・が、自分がここのヌシだみたいな「前期高齢者」が多くて、「現役世代」が出てこない・「前期高齢者」ばかりで・そこに出席すると、実質、自分の親(後期高齢者)をほったらかしにして他人の親(「前期高齢者」)の世話をさせられるというのと一緒・・・ということになるとなると、そんな会に出席しても何の益もない・・ということになり、自治会には会費は払っていますが出るのをやめました。 何年か前、週刊誌に載っていた話ですが、自民党の麻生太郎が府中市での街頭演説で「体だけ元気な年寄てのは困りますよね。府中にもいませんか、体だけ元気な年寄が。永田町にもいるんですよね、体だけ元気な年寄が」と話したというのが出ていたのですが、千葉県船橋市の我が家の近所にもいるんですよね、「体だけ元気な年寄」が。私なんかも健康診断のと時に「高脂血症」「高コレステロール血症」なんて言われて、医者から、毎日、30分、できれば1時間歩くようにしてくださいと言われたため、毎日、歩くようにしたいのですが、ところが、家の近所なんて歩くと、自分の息子や息子の嫁に相手にしてもらえない「体だけ元気な年寄」が寄って来る、逃げても逃げても寄って来る・・・ので自宅の近所は歩けないので歩くのはやめました。 どうも、そういう所、そういう会というのは、日本全国にけっこうあるのかもしれない、と思います。我が家の近所でも、年に1回、「クリーン船橋の日」なんて言って、近所の人達で道路などの掃除をして街をきれいにしましょうなんて日があるのですが、一度は出ましたが、現役世代の人間は出てこず、「前期高齢者」にリクリエーションで出席させて、よその現役世代の人間に世話させてやろうという家があるようで、かつ、そういう「前期高齢者」はそういう場になると、「そこ、・・・にしてちょうだい」「あんた、そこ、・・・にして」と現役世代の人間に命令したがり、自分は命令する役、体を動かすのは「若い人」という感覚で、その場合、「若い人」といっても私くらいの年代、実際にはたいして若くもない年代の人間・・・ということになりますから、そんなあほくさい、現役世代の人間は出てこないで「前期高齢者」を出席させてよその現役世代の人間に自分の家の「前期高齢者」の守りをさせてやろうという魂胆の卑怯なやつのために出席するべきではない、と考えて出るのはやめました。 そういう経緯でかどうかは知りません・・・・が、一般的傾向として、年寄てのは、カネもってても出したがらないし、かつ、命令はしたがるが体は動かしたがらないという傾向がありますから、だから、誰も刈らない? ・・・のかどうか・・・・? それなら、牧師が刈ればいいだろうが、牧師は牧師が職業なんだから、一般の信者は他に仕事を持っているから賃金をもらえない仕事をそれほどはできないとしても、牧師は給料もらってるんだからやればいいだろうが・・・・と思っても、自分のことを「先生」だとか思いだしたやつてのは、なかなかやらない・・・・、(株)一条工務店におりました時なんかでも、「設計」という職種についた人間には、私立五流大学の建築学科しか出てないできそこないのくせに、建築現場に行って他の従業員がひいひい言いながら何かを運んでいても、「設計」は風が吹こうが嵐がこようが天地がひっくり返ってもシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはなるものか!という信念もってるようなヤツてのがいましたし、一般に「設計」なんて職種の人間にはそういう類の人間が多いので、だから、建築業界では、「地方」では「大工さま」の評価が高く、都市部においては「設計」の評価が高く、同じ会社に勤めていても「設計」と名のるアホをなぜかありがたがる人というのがいましたが、建築現場に行っても、ひとりだけ、ポケットに手をつっこんで見物してきたようなヤツが、おのれの体を動かしておのれの体で学んできた者よりも知っているかというと・・・、私はそんなことないと思うのですが・・・、それにもかかわらず、「設計」をありがたがる人というのがいて、なんか、もしかして、アホちゃう・・・??? とか思ったりしたことがけっこうあります・・・・が、建築業界の「設計」と一緒で、牧師なんてのは、なにしろ、特にやることなんてなくて暇もてあましていても、植木を刈るなんて「先生」は絶対にやってはならないと信念もってる!・・・てことなのかどうかも、知らん・・・けど、もしかするとそうなのか? ・・・なんてことあるのかないのか知らんが、いずれにしても、↑の樹木は背が高すぎます。
東急「田園調布」駅の西側の広場に建っている「田園調布会 会長 矢野一郎」の文章に、
≪・・・この都市全体を一つの公園のように明るく美しいものにする為 建築その他に関し色々な申し合せを固く守り殊に道路との境界には一切土塀板塀などを設けず 花垣か生け垣の低いものゝ程度とすることなどを 厳格に実行した その協力の結果 この明るい住宅地と美しい散策地が生まれたのであります ・・・≫
と書かれています。↓
(↑ クリックすると大きくなるので、大きくして読んでください。なかなか、もっともなことが書かれています。)

( ↑の「旗」マークの位置に↑の「田園調布の由来」の碑は建っています。田園調布の西側を訪ねたら、一度は立寄って読んでみてください。 )
↑ (1)敷地内にある程度大きな樹木を植えるのは悪いことはないと思います。又、道路との境界付近においても、1本か2本、大きな樹木があっても悪いことはないと思いますが、↑のように大きな樹木が何本も敷地と道路との境界部分に森のように生い茂るという状態は、これは、駅前の田園調布会の掲示に書かれている文章の趣旨に反すると思えます。
(2)又、教会という所は、神を求める人が誰もがそこに集える場所、足を踏み入れることができる場所であるべきではないか、という考え方からいくと、道路と敷地との間を大きな樹木で完全にさえぎるというのは、教会のあり方としても好ましいとは言えないのではないか、と思いました。
(3)又、防犯上ということを考えた場合にも、道路と敷地との間を「刑務所の塀」のような背の高い塀で区切るのは、あまり防犯の上で良くないとされています。住宅建築業の仕事をしていますと、「刑務所の塀みたいな塀」といった表現を使う人がけっこういるのですが、その「刑務所の塀」というものを見たことがあるのかというと、見たことないにもかかわらず、この「刑務所の塀みたいな塀」という表現を使う人がいます。私は「刑務所の塀」を外から見たことがあります(中からはないけれども)。JR武蔵野線「北府中」の駅で降りて東に直進しますと、府中刑務所の北側の東西の通りに行きます。なるほど、こういうのを「刑務所の塀」と言うのだなあと思いました。刑務所という所には刑務官とかがそれを職業として勤務しているわけですから、それだけ高い塀でいいのでしょうけれども、一般家庭の場合は、道路と敷地との境界にあまり背の高い人の視線を完全に遮るような塀を設けると、いったん、中に入られた時に外から見えないことから、むしろ、防犯上は良くないと言われています。 ↑の田園調布教会の道路との境界のあまりにも背の高い樹木群も、むしろ、その樹木群の内側に入ると、道路から見えにくく、防犯上は良くないでしょう。
(4)又、個人の家であれば、道路からあまり見られたくないということもあるかもしれませんが、教会という所においては、教会堂の外側を見られて困ることは特にないと思われます。この点で、↑の樹木群は背が高すぎるし、生い茂り過ぎています。
[2] そして、この新しい教会堂ですが、↓の写真など見ていただくとわかると思うのですが、「なんだか、要塞みたい」とか、「なんだか、鎧を着ているみたい」という印象を受けませんか? もしくは、亀の甲羅みたいな感じがしませんか?
一度、考えてみていただきたいのですが、教会堂が鎧を着る必要があるでしょうか? 教会堂が要塞である必要があるでしょうか?
「讃美歌」の517番の歌詞は、
1. 「われに来よ」と主は今、
やさしく呼びたもう。
などて愛のひかりを
避けてさまよう。
「かえれや、わが家に
かえれや」と主は今呼びたもう。
2. つかれはてしたびびと、
重荷をおろして、
きたりいこえ、わが主の
愛のみもとに。
「かえれや、わが家に
かえれや」と主は今呼びたもう。
3. まよう子らのかえるを
主はいま待ちたもう、
つみもとがもあるまま
きたりひれふせ。
「かえれや、わが家に
かえれや」と主は今呼びたもう。
というものです。 『新約聖書 福音書』には「放蕩息子の帰還」という話がありますね。 親の財産を分けてもらい、それで放蕩して使いつくした息子が、その日、食べる物にも困るようになり、実家に帰り、父に「私は神にもあなたにも罪を犯しました。どうか、息子としてではなく使用人として扱ってください」と言おうと思って帰ってくると、父は息子を遠くから見ただけで大喜びして迎えた。「こんなに喜ばしいことがあるものか。この息子は死んでいたのに生き返ったのだ」と。 キリスト教の教会堂というものは、「放蕩息子」が神の道に戻ろうとして訪ねるような場所ではないか。とするならば、鎧を着てはねつける理由はない・・・・と思わないか。
「本当にあった愉快な話(ほんゆ) 2018年7月号 世にも奇妙な場所に行ってきた」(2018.5.30.竹書房)に掲載の丸山ゴンザレス 取材・村田らむ マンガ『行ってはいけない! 海外編』に、
「(バングラデュでは)イスラム教徒がテロを起こすことが多い」
「異教徒 特にキリスト教徒がターゲットになることが多い
特に教会は襲われやすい」
「だから バングラディッシュに行ったら キリスト教会に行っちゃダメーッ」
・・という話が載っている。 もしかして、日本基督教団田園調布教会のこの新教会堂を設計した人というのは、その「バングラデシュの教会」でも見てそれを真似たつもりなのだろうか?
建物の外観イメージとして、私は、
(1)「重厚な外観」と「軽快な外観」があり、
(2)建物の外壁素材として「イメージとして、はねつける素材」と「イメージとして、吸いよせる素材」があり、
(3)「堅固に守るイメージの素材」と「守ろうというイメージを特に与えない素材」
があると思うのです。
(1)最初の「重厚な外観」と「軽快な外観」に気づいたのは、(株)一条工務店に在籍して、福島県いわき市の営業所に勤務していた時、いわき市やその周辺の市町村の人もそうなのですが、一般に「地方」の人というのは「重厚な外観イメージ」を好み、都市部の人は「軽快な外観イメージ」を好む傾向があるのではないかと感じたのです。1990年頃までの小堀住研(株)と住友林業(株)では、小堀住研(株)の方が「斬新」で「現代的」な建物であったのに対し、住友林業(株)は「いなかくさい」「あか抜けない」デザインだったのです。そのあたりが小堀住研(株)の「売り」であったのですが、ひとによっても感じ方は違い、その小堀の「売り」であった「斬新」で「現代的」なデザインというものが好きではなく、むしろ、小堀の多くの従業員は住友林業(株)の建物について「いなかくさい」「あかぬけない」「じじむさい」と感じていたデザインが、その方がいいと言う人もあったのです。ですから、この点において、小堀住研(株)の和風と住友林業(株)の和風では住友林業(株)の方が「地方」向け、小堀住研(株)の方が都会向けだったのです・・・・が、ところが、(株)一条工務店の和風となると、これは住友林業(株)よりも「地方」向けで、(株)一条工務店と比べると住友林業(株)の方が「都会的」であったのです。小堀住研(株)が木質系の会社でありながら「地方」では苦戦した原因の1つはそのあたりにあったとも言えます。住友林業(株)は小堀住研(株)との比較であれば「いなかくさい」「じじむさい」「あかぬけない」デザインではあったけれども、(株)一条工務店との比較となると、たとえば、福島県あたりの人間に聞くと、「木造だと言うけれども、プレハブみたい」とか言われたのですが、そんな感じ。 これは、基本的にはほめているのでもなければけなしているのでもない。 福島県あたりに行くと、住友林業(株)の一般的なデザインのものでも、「都会的」ならまだいいのですが、「プレハブみたい」とかいう印象を福島県人は受けたのです。 「プレハブ」というのは、本来は「プレファブリケイト(prefabricate)」「プレファブリケーション(prefabrication)」の略称で、「前もって形作る」という意味で、いいということでもなければ悪いということでもないのですが、福島県人からすると、「プレハブみたい」というのは、「東京や大阪に本社がある会社が作ったもので、都市部ではそれでもいいのかもしれないが福島県では合わないもの」というくらいの印象を言います。で、浜松なんて「何かと都会ぶりたい人間が多いけれども、現実にはいなか」という地域で発祥の(株)一条工務店なんてのは、その点、「地方」の方が向いているところがあったのです。「地方」に行くと、(株)一条工務店の東京などの都市部では「いなかくさい」「いかにも、いなかて感じがする」「ここ、浜松じゃないですよお」「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と言われるようなものでも、それでも、「相当に都会的」だったりするのです。福島県などの「地方」に行きますと、(株)一条工務店よりもまだもっと「地方」的なものを作る業者として、「大工さん」(個人大工、地元の工務店)というのが存在します。「入母屋の家」なんて東京で建てたい人、あんまりないのですが、福島県ではあります・・・し、和風でも、「現代的な和風」「現代の都会に合った和風」「桂離宮であるとか、そういった瀟洒な和風建築のデザインを現代の住宅にとり入れる」あるいは「江戸東京たてもの園に移築保存されている前川國男自邸のような和風」、そういう和風なら東京圏でも建てて住みたいという人はありますが、福島県ではあまりありません。もとより、「和風」で「民家」と言っても、「民家」にも武家と町家(商店)と農家があって、少しずつ違います・・・・が、(株)一条工務店が1990年代にけっこう建てていた「百年」という和風は基本的には「農家」の和風を基にして現代的なものを部分的にとりいれた、というものであり、だから、「地方」の兼業農家や今は農業はしていなくても親戚に兼業農家はある、もしくは、周囲に農家の家はあるという場所で建てる人にはけっこう合ったのです。それに対して、東京圏や関西圏の住宅地・分譲地で「和風がいい」にそんなものを勧めても、「うち、農家じゃないですよお」とか「ここ、浜松じゃないですよお」とか言われるのがオチでした・・・・・が、遠州人にそれをそのまま言うと、「そういうことを言うからいかんのだあ!」と激怒します。「浜松でいいものは日本全国どこででも、東京でも大阪でもいいに決まってるんだあ~あ!」と言って怒りますが、そういう「浜松の中のカエル」「『空の広さは浜松の広さと同じだ』と信じている人」「太陽・月・星といった宇宙の天体はすべて浜松を中心として回転していると心の底から信じている人」には何を言っても無駄で、疲れるだけですから、言わない方がよろし。言わない方がいいと頭で理解しても、私なんかは根が正直なものですから、「それでも地球はまわっている」とガリレオ=ガリレイみたいに、つい、ぽろっと口に出しそうになるのですが、そうすると遠州人は怒るのです。「浜松でいいものはどこででもいいんだ」という浜松中心主義・浜松独善主義というのは、「それは違いますよ」と説明して教えてあげようなどと考えても疲れるだけですから、「黙ってよなあ~あ」と思うのですが、正直者はつい口に出てしまって・・・、まったく、困ったものです。 で、「地方」の人間と「都会」「都市部」の人間の感覚の違いとして、これはどちらがいいとか悪いとかいうことではないのですが、和風の建物でも洋風の建物でも、「地方」の人間の方が重厚なデザインを好み、「都会」「都市部」の人間の方が軽快なデザインを好む傾向があるように感じたのでした。タイル貼りの建物、レンガ調タイルを貼った建物というのは、これは「重厚」なイメージを持つのです。 但し、辰野金吾設計の東京駅なんてのは鉄骨造と煉瓦造をミックスした建物らしいのですが、重厚といえば重厚ですが、「いなかくさい」てことはありません。 この「重厚」(悪く言えば、「どてえっとした感じ」)か「軽快」(悪く言えば、「存在感が軽そうな感じ」、福島県人に言わせれば「プレハブみたい」)かは、「好みの問題」もあるのですが、教会堂って、重厚であった方がいいのかな? という問題が出てきます。そうではないような気がするのです。教会堂は「重厚」である必要はないのではないか。 どうでしょうか。
※ 辰野金吾設計の東京駅 については、
[第357回]《東京駅丸の内駅舎 と 東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【1/6】「鉄骨煉瓦造」丸の内駅舎 》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201803article_2.html
[第358回]《東京駅丸の内駅舎と東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【2/6】―駅舎内部、煉瓦、内部の意匠》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201803article_3.html
[第359回]《東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【3/6】行きたい学部、大学院に行けた人と行けない者》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201803article_4.html
ふと、思ったのです。↑の写真、田園調布教会の新教会堂のファサードの写真見て、「なんか、倉庫みたい」て。 思いませんか? 横浜か函館か小樽かなんかそういう港町に行くと、↑みたいな感じの倉庫がありませんか? ・・・というより、建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986. 文春文庫)に、横浜市中区の「新港埠頭煉瓦倉庫2号倉庫」のカラー写真が出ているのですが、屋根の形状は違いますが、外壁については、色合いといい、↑の田園調布教会とそっくり(^^)/
・・・・なんで、教会堂を「倉庫みたい」な建物にしたいのか、どうも、ようわからん・・・。
ブログの字数制限のため、
(2)建物の外壁素材として「イメージとして、はねつける素材」と「イメージとして、吸いよせる素材」があり、
(3)「堅固に守るイメージの素材」と「守ろうというイメージを特に与えない素材」
については、次回 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_6.html
、述べます。
(2018.6.1.)
☆ 田園調布と田園調布の教会
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_2.html
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_4.html
5 日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 〔今回〕
6. 同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_6.html
7. 同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_7.html
8. 同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_8.html
9. 同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_9.html
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_12.html
13.カトリック田園調布教会と聖フランシスコ修道院 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_14.html
田園調布駅の西側、道路が放射線状になった地域の外縁部、宝来公園の斜め向かいに 日本基督教団 田園調布教会 があります。 日本基督教団ですからプロテスタントです。↓
※ 日本基督教団 田園調布教会 http://den-church.jp/
私は、幼稚園は大阪市内のカトリック系の幼稚園に行きましたが、それは住んでいた地域に幼稚園はカトリック系の幼稚園と生長の家の系統の幼稚園の2つがあって、我が家の場合は、そのどちらが「家風」に近いかというと、生長の家というのはあまり近くなかったので、それで、消去法でいくとカトリック系の方の幼稚園に行くことになったようです。母は子供の頃、大阪市内のプロテスタントの系統の幼稚園に行っていて、そこの印象が良かったのでキリスト教系の幼稚園に行かせたかったようですが、母も私が行ったカトリックの幼稚園と母が行ったプロテスタントの幼稚園とでは印象が違ったようでした。小学校の同級生で天理教の家の息子(この場合、天理教の信者という意味ではなく、親が天理教のお坊さんというのか宮司さんというのか何というのかよくわかりませんが、そういう家の息子)がいたのですが、彼の場合も、カトリックと生長の家とでは、どちらも天理教とは相容れないはずですが、どちらの幼稚園に行くかという場合、彼の場合も消去法で、結果としては我が家と逆で生長の家の系統の幼稚園に行ったようでした。 私は、小学校の3年くらいの頃、大阪市内の日本基督教団の教会の「日曜学校」に毎日曜日、通っていました。幼稚園の時には、幼稚園と同じ敷地内にカトリックのお堂があって黒い服を着たシスターがそこにいましたが、日本基督教団の教会は幼稚園の時に行ったカトリックの教会堂とは「ちょっと違う」という印象を受けていました。まず、カトリックでは黒い服を着たシスターがいて、幼稚園児の時、どうも、その黒い服を着た人というのが「怖い」という印象があったのです。実際に何か怖いことをされたことがあったのかというとそうではないのですが、どうも、幼稚園児にとっては、その黒い服を着た人はイメージとして「怖い」印象がありました。幼稚園の先生でも黒い服を着た人と「普通の人」がいて、担任を持たれるのは「普通の人」だったらいいなあと思っていましたら、年少組の時も年長組の時も「普通の人」が担任でしたが、黒い服を着た人はどうもイメージとして怖い印象が幼稚園児の私にはありました。最近、ヨーロッパの教会に行った時など、その黒い服を着たシスターを見かけると親しみを感じますし、黒い服を着たシスターはけっこう親切な人が多く、幼稚園児の時とは印象がずいぶんと違います。小学校の3年の頃に行った日本基督教団の教会の日曜学校では、日曜学校の先生は、その教会の付属の幼稚園の先生の女性と教会員の男性が「先生」だったのですが、その頃の私は日曜学校の先生というのは小学校の先生とか習字教室の先生とかピアノ教室の先生とかと同様に報酬をもらって「先生」をやっているものと思いこんでいて、まったく何の遠慮もなく遊んでもらっていたのでしたが、日本基督教団の教会というものは、カトリックの幼稚園とは違って「優しい」という印象がありました。
その頃は、カトリックとプロテスタントというものがあるということくらいは知っていたような気がするのですが、そのうち、プロテスタントの教会が日本基督教団であって、それに加わっていない教会には、日本基督教団とは別に、誰か、キリスト教について学んだ人が集まって集会を持つようになったというものがあり、そういうものには、「異端」と言われるようなものとか、さらにはキリスト教を名乗っているがキリスト教とは言えないような団体もあるが、真摯にキリスト教を考えるからこそ、別団体になっているというものもあるのかもしれない・・・くらいに思っていたのです。 しかし、「日本基督教団」というのは、《ウィキペディア-日本基督教団》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3 には、≪ 教団の設立当時は日中戦争中で、宗教団体への政府の統制を目的とした宗教団体法に基づく政府の強い要請により、1940年10月17日の皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会における「プロテスタント諸教派が合同して宣教・伝道の任にあたる」という決議に基づき成立している。そのために、戦時中はもっぱら戦時体制に貢献した。 戦後に戦時下の合同をよしとしなかった諸教派・諸教会が分離した後に、改めて平和と和解のために仕える合同教会としての再形成を図るべく「日本基督教団信仰告白(1954年)」や日本基督教団総会議長名による「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(通称:戦争責任告白)」(1967年)」の制定・発表を通じてその実現を期そうと試みる。・・・≫というものらしく、プロテスタントの教会で日本基督教団に所属している教会が正統で所属していない教会は「正統ではない」というものでもないらしく、又、日本基督教団として最初からできたのではなく、もともとは、プロテスタントの教会の「派」がいくつかあって、それが合同して日本基督教団になったらしい。だから、今は日本基督教団でも、プロテスタントの教会が合同して日本基督教団になるより前においては、「◇◇派」だったという教会があります。もっとも、今、教会に通っている人には、そこまで考えずに、プロテスタントの教会であればいいということで自宅から近いプロテスタントの教会で日本基督教団に属している教会なら「そんな変な教会ではないだろう」くらいの気持ちで行っている人が少なくないと思います。
もっとも、何が「異端」なのか、何が「キリスト教を名乗っているがキリスト教と言えない団体」なのかという判断はなかなか難しいと思います。たとえば、森山諭(さとる)『原理福音 統一教会-勝共連合のまちがい』(1966.初版 1985.第三版 ニューライフ出版社)や森山諭『エホバの証人-ものみの塔‐のまちがい』(1970.初版 1984.改訂版 ニューライフ出版社)を読むと、なるほどと思うものはあります。森山諭氏のニューライフ出版社から発行されているシリーズとしては他に『モルモン教のまちがい』という本も出ています。又、上杉聰『日本会議とは何か―「憲法改正」に突き進むカルト集団』(2016.5.15.合同出版)など見ますと、「宗教右翼」と言われる新興宗教団体には、一般的には神道系が多いのですが(中小零細企業のあまり教養水準の高くないオーナー経営者にとりいって、「社長の命令」だとしてその団体の集会への参加を強要することで成り立っている「倫理研究所」=「倫理法人会」〔戦前の「ひとのみち」〕も神道系です)、中には「原始福音・キリストの幕屋」などという「キリスト教系」を名乗る団体もありますが、これなども「異端」もしくは「キリスト教を名乗るが実質はキリスト教の団体ではない」と考えて良いかと思います。『実話ナックルズ 2013年6月号 大特集 狂気の宗教』(ミリオン出版)では、「宗教の闇 データ5 『宗教といえばやっぱり色っぽい女 美人が多い教団トップ5』」として、1位:ラエリアンムーブメント、2位:摂理、3位:幸福の科学、に続いて、4位に「ヨハン早稲田キリスト教会」というのが出ていて、≪韓国系教団のため、ニューカマーの韓国系美人が多い。ただ、信者を増やすためなら偽装勧誘も厭わない教団だからか、ちょっとキツめのキャラが多い印象。怒らせるとうるさい。≫とでている(5位は「アレフ」〔元 オウム真理教〕だそうです)・・・・・が、しかし、他方、それなら、カトリックの教会がやっていることは『聖書』の教えから考えてすべてが適切なのか、プロテスタントの日本基督教団の教会がやっていることは『聖書』の教えから考えてすべてが適切なのか、というと、なかなか難しいところがあります。
で、この日本基督教団 田園調布教会は、日本基督教団に合流する前は何派だったのか・・・というと、日本基督教団 田園調布教会HPhttp://den-church.jp/ の「教会の歴史」http://den-church.jp/history/index.html を見ると、
≪ 日本基督教団が成立する以前の田園調布教会は日本福音教会に属していました。日本福音教会とは、ドイツの敬虔主義運動の影響を受けたドイツ語を話すアメリカ開拓者たちの教会( Evangelical Church〔福音教会〕)の日本宣教によって建てられた教会(教派)で、 メソヂストの系統にあります。米国福音教会は、その後Brethren Church〔同胞教会〕 と合同し、さらにメソヂスト教会と合同して、現在の米国合同メソヂスト教会となっています。 福音教会は、ドイツ敬虔主義運動の影響により、外国伝道に熱心な教派です。・・・ ≫
と出ています。
《ウィキペディア-日本基督教団》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3 を見ると、≪1941年に合同したプロテスタント33教派は、当初、それぞれの教派の伝統を維持したまま、以下の11部に編成された。≫と出ているのですが、「日本福音教会」は第三部、「日本メソジスト教会」は第二部、「日本自由メソジスト教会」が属する「日本聖化基督教団」は第八部、「ウェスレアン・メソジスト教会」が属する「日本独立教会同盟」は第十部、と分かれており、実際のところ、どこがどうなのか今一つよくわかりません。 その教会のホームページを見ても、自分のところは何何だと記載している教会もありますが、戦前においては、日本基督教団は軍国主義化の過程で体制からの圧力で合同させられたかもしれないけれども、もはや、今となっては日本基督教団は日本基督教団であって、その前が何かは重要ではないという姿勢の所もあるのではないでしょうか。 又、その団体の過程がどうであったにしても、もともとは、ナザレのイエスとその継承者のペテロやパウロが始めたものが基本なのですから、無理に分ける方がナンセンスかもしれません・・・・が、「メソジスト」とは何ぞや、「日本福音教会」とは何ぞや・・というそのあたりは確認しておきたいと思います。 《ウィキペディア-メソジスト》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88 には、≪メソジスト (Methodist) とは、18世紀、英国でジョン・ウェスレーによって興されたキリスト教の信仰覚醒運動の中核をなす主張であるメソジズム (Methodism) に生きた人々、および、その運動から発展したプロテスタント教会・教派に属する人々を指す。日本では美以教会とも言われていた。≫と出ています。 ジョン・ウェスレーというと、東京の渋谷と表参道の真中より表参道よりにある青山学院を入ってすぐ右に立っていらっしゃる巨大な像がウェスレーさんのはずです。≪特徴としては、日課を区切った規則正しい生活方法(メソッド)を推奨した。メソジストという名称は「メソッド」を重んじることから「几帳面屋」(メソジスト)とあだ名されたことに始まった。≫と出ています。 青山学院では入口脇の建物の中ほどにウェスレーさんの像があり、奥の方の右手にガウチャー記念聖堂があるのに対し、関西学院(かんせいがくいん)では、入ってすぐ右手にランバス記念礼拝堂があります。青学での有名人はウェスレーとガウチャーであるのに対し、関学ではランバスですから、青学と関学は別の「派」かと思うと、そうでもないらしく、《ウィキペディア-メソジスト》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88 には、≪メソジスト派のミッションスクールとしては、日本では青山学院大学・関西学院大学が著名であり、≫と出ています。
※ 青山学院のウェスレー像は⇒[第270回]《青山学院 “参拝” 及、青山界隈《1》 ウェスレー像、Ao、スパイラル、国際連合大学》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201702article_2.html
ガウチャー記念礼拝堂とウェスレーホールは⇒[第271回]《青山学院“参拝” 及、青山界隈《2》 ガウチャー記念礼拝堂、「学生時代」碑と蔦のからまる建物、他 》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201702article_3.html
関西学院とランバス記念礼拝堂は⇒[第100回]《関西学院 時計台・文学部・経済学部・神学部・ランバス記念礼拝堂・他~ヴォーリズさんの建築(3) 》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201207article_1.html
[第201回]《関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂、関学神学部 他―日本の教会建築(7)》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
「日本福音教会」について、ウィキペディアで見ると、《ウィキペディア-日本福音教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%95%99%E4%BC%9A には、≪戦前に存在し、現在は日本基督教団に吸収され消滅したメソジスト系団体≫の「日本福音教会」と、≪ 戦後に創立され現在も存在する福音派のバプテスト系の団体≫があることが書かれています。 だいたい、カトリックと正教会(オーソドックス チャーチ)とプロテスタントとイスラム教の違いくらいは何とか理解できますが、「メソジスト」とか「バプテスト」とか言われてもようわからん。 どっちでもええわ・・・なんて言うと怒られるかもしれませんが、実際問題として、大事なのは聖書を自ら読んで自分自身でその意味を考えることであって、メソジストとバプテストがどうなのかなんて、「どうでもいい」とまでは言いませんが「二番目以降の問題ではないのか」という気が私などはします。
《ウィキペディア-日本福音教会(メソジスト)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%95%99%E4%BC%9A_(%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%88) には、≪ 1807年に米国でヤコブ・アルブレヒト(en:Jacob Albright)によって組織された福音教会の宣教師たちによって1877年11月に来日。元来はペンシルベニアのドイツ人の間で始まったグループで、ルーテル派の影響もあるがメソヂストの制度を取り入れ監督制度であり、大体メソヂスト教会と信仰内容は同じである。よって独逸メソヂスト教会とも言われた。信仰背景としてはルーテル派の敬虔主義の流れにある、・・・≫ と出ています・・・ので、そうなのでしょう。
さて、ここの教会には、今となっては40年近く前、何度も通いました・・・が、知らないうちに教会堂が新しい建物に変わっていました。 日本基督教団田園調布教会HPの「教会の歴史」http://den-church.jp/history/index.html に、
2011年 8月21日 新会堂起工式
2012年 7月 新会堂完成
2012年10月7日 新会堂献堂式
・・・と出ていますので、2011年から2012年にかけて、教会堂が建て替えられたようです・・・・が、結論を先に言ってしまいますと、申し訳ないけれども、とりあえず、外観だけで言うと、私は、前の教会堂の方が好きです。申し訳ないけれども。
[1] まず、↓ の西側の樹木。 背が高すぎますよね。
これは、意図的にこの高さの樹木にしたものなのか、それとも、植木の手入れができていない、植木を植えたのはいいが、造園屋に頼むカネを出すのが嫌で、なおかつ、個人の家と違って自分で木を刈ろうという人もいない、あるいは、入口に「ご自由にお持ちください」と置かれていた「教会案内」に掲載されている「パイプオルガン、聖歌隊とハンドベル」の写真を見ても、「前期高齢者」くらいの世代の人ばかりで、教会の構成員で、実質、参加する人に「現役世代」の人間が少ない、あるいは、元はいても、「前期高齢者」世代が主として運営するようになって、「ちょっと、そこ、・・・にしてちょうだい」と口ばっかり出して体は動かさないという「前期高齢者」が「指導」する状態になると、「現役世代」はあほくさくなってだんだんと行かなくなる・・・・という状態になって、誰も刈る人間はなくなった・・・・ということか? ・・・・どうかは知りません・・・・が、現実に↑の樹木は高すぎます。
我が家の近所の「自治会」も、私は最初は総会にも行ったのですが、行っても、「前期高齢者」の人が自分たちの会だと思ってしまっているので、そんな会に行ってもしかたないと思って行くのをやめました。「自治会」の班長とかになろうという「前期高齢者」のじいさんが「あんたがやってくれるんならいいけど、そうじゃないんだろうから、私たちがやってやってあげているんだ」などと言うのであほくさくなってしまった、ということがありました。私は自治会長なり班長なりをやってもいいかと思っていたのです。もう、10年程前ですが、厚生労働省委託で東京リーガルマインドが実施していた「求職者支援セミナー」で講師のおっさんが話していたのですが、「私はひとの奥さんと仲良しになるのが得意なんです」と話した男性がいたといい、「ひとの奥さんと仲良しになるのが得意」て、そりぁいったい何だと言うと、その男性は保険の営業をやっていたらしいのですが、PTAの役員になって、そこでよその奥さんと顔なじみになり、その縁で契約をもらうというのが得意だったらしいのです。それで、その男性はPTAの役員とかそそういった役を意図的に引き受けていたらしい。私も住宅建築業の営業の仕事を長くやりましたが、(株)一条工務店で、山梨県に勤務していた時、「消防団の集金」だとして来られたことがあって、それは払わないといけないという義務まではないらしいのですが、消防団は消防署と違ってそれを職業としているわけではなく、他に職業を持っている人が地元のためにとやっているものなので、消防団に入っていない人はそのかわりにいくらか出してもらえたらということだったようです。山梨県では営業の職種ではなかったのですが、営業の職種で勤務した福島県・栃木県にいた時なら、そういうものにでも入れば良かったか、消防団でなくても、自治会にしても入って役でもやれば近所の人と顔なじみになってそこから仕事をもらえた、なんてこともあったかもしれないし、たとえ、なかったとしても、特に変なつきあいでなければ「人的つながり」はないよりもあった方がいいだろう・・・などと考えたのです。だから、我が家の近所でも、自治会長なり班長なりをやってもいいかなとも思っていたのです・・・・・が、自分がここのヌシだみたいな「前期高齢者」が多くて、「現役世代」が出てこない・「前期高齢者」ばかりで・そこに出席すると、実質、自分の親(後期高齢者)をほったらかしにして他人の親(「前期高齢者」)の世話をさせられるというのと一緒・・・ということになるとなると、そんな会に出席しても何の益もない・・ということになり、自治会には会費は払っていますが出るのをやめました。 何年か前、週刊誌に載っていた話ですが、自民党の麻生太郎が府中市での街頭演説で「体だけ元気な年寄てのは困りますよね。府中にもいませんか、体だけ元気な年寄が。永田町にもいるんですよね、体だけ元気な年寄が」と話したというのが出ていたのですが、千葉県船橋市の我が家の近所にもいるんですよね、「体だけ元気な年寄」が。私なんかも健康診断のと時に「高脂血症」「高コレステロール血症」なんて言われて、医者から、毎日、30分、できれば1時間歩くようにしてくださいと言われたため、毎日、歩くようにしたいのですが、ところが、家の近所なんて歩くと、自分の息子や息子の嫁に相手にしてもらえない「体だけ元気な年寄」が寄って来る、逃げても逃げても寄って来る・・・ので自宅の近所は歩けないので歩くのはやめました。 どうも、そういう所、そういう会というのは、日本全国にけっこうあるのかもしれない、と思います。我が家の近所でも、年に1回、「クリーン船橋の日」なんて言って、近所の人達で道路などの掃除をして街をきれいにしましょうなんて日があるのですが、一度は出ましたが、現役世代の人間は出てこず、「前期高齢者」にリクリエーションで出席させて、よその現役世代の人間に世話させてやろうという家があるようで、かつ、そういう「前期高齢者」はそういう場になると、「そこ、・・・にしてちょうだい」「あんた、そこ、・・・にして」と現役世代の人間に命令したがり、自分は命令する役、体を動かすのは「若い人」という感覚で、その場合、「若い人」といっても私くらいの年代、実際にはたいして若くもない年代の人間・・・ということになりますから、そんなあほくさい、現役世代の人間は出てこないで「前期高齢者」を出席させてよその現役世代の人間に自分の家の「前期高齢者」の守りをさせてやろうという魂胆の卑怯なやつのために出席するべきではない、と考えて出るのはやめました。 そういう経緯でかどうかは知りません・・・・が、一般的傾向として、年寄てのは、カネもってても出したがらないし、かつ、命令はしたがるが体は動かしたがらないという傾向がありますから、だから、誰も刈らない? ・・・のかどうか・・・・? それなら、牧師が刈ればいいだろうが、牧師は牧師が職業なんだから、一般の信者は他に仕事を持っているから賃金をもらえない仕事をそれほどはできないとしても、牧師は給料もらってるんだからやればいいだろうが・・・・と思っても、自分のことを「先生」だとか思いだしたやつてのは、なかなかやらない・・・・、(株)一条工務店におりました時なんかでも、「設計」という職種についた人間には、私立五流大学の建築学科しか出てないできそこないのくせに、建築現場に行って他の従業員がひいひい言いながら何かを運んでいても、「設計」は風が吹こうが嵐がこようが天地がひっくり返ってもシャープペンシルより重い物は絶対に持ってはなるものか!という信念もってるようなヤツてのがいましたし、一般に「設計」なんて職種の人間にはそういう類の人間が多いので、だから、建築業界では、「地方」では「大工さま」の評価が高く、都市部においては「設計」の評価が高く、同じ会社に勤めていても「設計」と名のるアホをなぜかありがたがる人というのがいましたが、建築現場に行っても、ひとりだけ、ポケットに手をつっこんで見物してきたようなヤツが、おのれの体を動かしておのれの体で学んできた者よりも知っているかというと・・・、私はそんなことないと思うのですが・・・、それにもかかわらず、「設計」をありがたがる人というのがいて、なんか、もしかして、アホちゃう・・・??? とか思ったりしたことがけっこうあります・・・・が、建築業界の「設計」と一緒で、牧師なんてのは、なにしろ、特にやることなんてなくて暇もてあましていても、植木を刈るなんて「先生」は絶対にやってはならないと信念もってる!・・・てことなのかどうかも、知らん・・・けど、もしかするとそうなのか? ・・・なんてことあるのかないのか知らんが、いずれにしても、↑の樹木は背が高すぎます。
東急「田園調布」駅の西側の広場に建っている「田園調布会 会長 矢野一郎」の文章に、
≪・・・この都市全体を一つの公園のように明るく美しいものにする為 建築その他に関し色々な申し合せを固く守り殊に道路との境界には一切土塀板塀などを設けず 花垣か生け垣の低いものゝ程度とすることなどを 厳格に実行した その協力の結果 この明るい住宅地と美しい散策地が生まれたのであります ・・・≫
と書かれています。↓
(↑ クリックすると大きくなるので、大きくして読んでください。なかなか、もっともなことが書かれています。)
( ↑の「旗」マークの位置に↑の「田園調布の由来」の碑は建っています。田園調布の西側を訪ねたら、一度は立寄って読んでみてください。 )
↑ (1)敷地内にある程度大きな樹木を植えるのは悪いことはないと思います。又、道路との境界付近においても、1本か2本、大きな樹木があっても悪いことはないと思いますが、↑のように大きな樹木が何本も敷地と道路との境界部分に森のように生い茂るという状態は、これは、駅前の田園調布会の掲示に書かれている文章の趣旨に反すると思えます。
(2)又、教会という所は、神を求める人が誰もがそこに集える場所、足を踏み入れることができる場所であるべきではないか、という考え方からいくと、道路と敷地との間を大きな樹木で完全にさえぎるというのは、教会のあり方としても好ましいとは言えないのではないか、と思いました。
(3)又、防犯上ということを考えた場合にも、道路と敷地との間を「刑務所の塀」のような背の高い塀で区切るのは、あまり防犯の上で良くないとされています。住宅建築業の仕事をしていますと、「刑務所の塀みたいな塀」といった表現を使う人がけっこういるのですが、その「刑務所の塀」というものを見たことがあるのかというと、見たことないにもかかわらず、この「刑務所の塀みたいな塀」という表現を使う人がいます。私は「刑務所の塀」を外から見たことがあります(中からはないけれども)。JR武蔵野線「北府中」の駅で降りて東に直進しますと、府中刑務所の北側の東西の通りに行きます。なるほど、こういうのを「刑務所の塀」と言うのだなあと思いました。刑務所という所には刑務官とかがそれを職業として勤務しているわけですから、それだけ高い塀でいいのでしょうけれども、一般家庭の場合は、道路と敷地との境界にあまり背の高い人の視線を完全に遮るような塀を設けると、いったん、中に入られた時に外から見えないことから、むしろ、防犯上は良くないと言われています。 ↑の田園調布教会の道路との境界のあまりにも背の高い樹木群も、むしろ、その樹木群の内側に入ると、道路から見えにくく、防犯上は良くないでしょう。
(4)又、個人の家であれば、道路からあまり見られたくないということもあるかもしれませんが、教会という所においては、教会堂の外側を見られて困ることは特にないと思われます。この点で、↑の樹木群は背が高すぎるし、生い茂り過ぎています。
[2] そして、この新しい教会堂ですが、↓の写真など見ていただくとわかると思うのですが、「なんだか、要塞みたい」とか、「なんだか、鎧を着ているみたい」という印象を受けませんか? もしくは、亀の甲羅みたいな感じがしませんか?
一度、考えてみていただきたいのですが、教会堂が鎧を着る必要があるでしょうか? 教会堂が要塞である必要があるでしょうか?
「讃美歌」の517番の歌詞は、
1. 「われに来よ」と主は今、
やさしく呼びたもう。
などて愛のひかりを
避けてさまよう。
「かえれや、わが家に
かえれや」と主は今呼びたもう。
2. つかれはてしたびびと、
重荷をおろして、
きたりいこえ、わが主の
愛のみもとに。
「かえれや、わが家に
かえれや」と主は今呼びたもう。
3. まよう子らのかえるを
主はいま待ちたもう、
つみもとがもあるまま
きたりひれふせ。
「かえれや、わが家に
かえれや」と主は今呼びたもう。
というものです。 『新約聖書 福音書』には「放蕩息子の帰還」という話がありますね。 親の財産を分けてもらい、それで放蕩して使いつくした息子が、その日、食べる物にも困るようになり、実家に帰り、父に「私は神にもあなたにも罪を犯しました。どうか、息子としてではなく使用人として扱ってください」と言おうと思って帰ってくると、父は息子を遠くから見ただけで大喜びして迎えた。「こんなに喜ばしいことがあるものか。この息子は死んでいたのに生き返ったのだ」と。 キリスト教の教会堂というものは、「放蕩息子」が神の道に戻ろうとして訪ねるような場所ではないか。とするならば、鎧を着てはねつける理由はない・・・・と思わないか。
「本当にあった愉快な話(ほんゆ) 2018年7月号 世にも奇妙な場所に行ってきた」(2018.5.30.竹書房)に掲載の丸山ゴンザレス 取材・村田らむ マンガ『行ってはいけない! 海外編』に、
「(バングラデュでは)イスラム教徒がテロを起こすことが多い」
「異教徒 特にキリスト教徒がターゲットになることが多い
特に教会は襲われやすい」
「だから バングラディッシュに行ったら キリスト教会に行っちゃダメーッ」
・・という話が載っている。 もしかして、日本基督教団田園調布教会のこの新教会堂を設計した人というのは、その「バングラデシュの教会」でも見てそれを真似たつもりなのだろうか?
建物の外観イメージとして、私は、
(1)「重厚な外観」と「軽快な外観」があり、
(2)建物の外壁素材として「イメージとして、はねつける素材」と「イメージとして、吸いよせる素材」があり、
(3)「堅固に守るイメージの素材」と「守ろうというイメージを特に与えない素材」
があると思うのです。
(1)最初の「重厚な外観」と「軽快な外観」に気づいたのは、(株)一条工務店に在籍して、福島県いわき市の営業所に勤務していた時、いわき市やその周辺の市町村の人もそうなのですが、一般に「地方」の人というのは「重厚な外観イメージ」を好み、都市部の人は「軽快な外観イメージ」を好む傾向があるのではないかと感じたのです。1990年頃までの小堀住研(株)と住友林業(株)では、小堀住研(株)の方が「斬新」で「現代的」な建物であったのに対し、住友林業(株)は「いなかくさい」「あか抜けない」デザインだったのです。そのあたりが小堀住研(株)の「売り」であったのですが、ひとによっても感じ方は違い、その小堀の「売り」であった「斬新」で「現代的」なデザインというものが好きではなく、むしろ、小堀の多くの従業員は住友林業(株)の建物について「いなかくさい」「あかぬけない」「じじむさい」と感じていたデザインが、その方がいいと言う人もあったのです。ですから、この点において、小堀住研(株)の和風と住友林業(株)の和風では住友林業(株)の方が「地方」向け、小堀住研(株)の方が都会向けだったのです・・・・が、ところが、(株)一条工務店の和風となると、これは住友林業(株)よりも「地方」向けで、(株)一条工務店と比べると住友林業(株)の方が「都会的」であったのです。小堀住研(株)が木質系の会社でありながら「地方」では苦戦した原因の1つはそのあたりにあったとも言えます。住友林業(株)は小堀住研(株)との比較であれば「いなかくさい」「じじむさい」「あかぬけない」デザインではあったけれども、(株)一条工務店との比較となると、たとえば、福島県あたりの人間に聞くと、「木造だと言うけれども、プレハブみたい」とか言われたのですが、そんな感じ。 これは、基本的にはほめているのでもなければけなしているのでもない。 福島県あたりに行くと、住友林業(株)の一般的なデザインのものでも、「都会的」ならまだいいのですが、「プレハブみたい」とかいう印象を福島県人は受けたのです。 「プレハブ」というのは、本来は「プレファブリケイト(prefabricate)」「プレファブリケーション(prefabrication)」の略称で、「前もって形作る」という意味で、いいということでもなければ悪いということでもないのですが、福島県人からすると、「プレハブみたい」というのは、「東京や大阪に本社がある会社が作ったもので、都市部ではそれでもいいのかもしれないが福島県では合わないもの」というくらいの印象を言います。で、浜松なんて「何かと都会ぶりたい人間が多いけれども、現実にはいなか」という地域で発祥の(株)一条工務店なんてのは、その点、「地方」の方が向いているところがあったのです。「地方」に行くと、(株)一条工務店の東京などの都市部では「いなかくさい」「いかにも、いなかて感じがする」「ここ、浜松じゃないですよお」「やっぱり、お宅は浜松ねえ」と言われるようなものでも、それでも、「相当に都会的」だったりするのです。福島県などの「地方」に行きますと、(株)一条工務店よりもまだもっと「地方」的なものを作る業者として、「大工さん」(個人大工、地元の工務店)というのが存在します。「入母屋の家」なんて東京で建てたい人、あんまりないのですが、福島県ではあります・・・し、和風でも、「現代的な和風」「現代の都会に合った和風」「桂離宮であるとか、そういった瀟洒な和風建築のデザインを現代の住宅にとり入れる」あるいは「江戸東京たてもの園に移築保存されている前川國男自邸のような和風」、そういう和風なら東京圏でも建てて住みたいという人はありますが、福島県ではあまりありません。もとより、「和風」で「民家」と言っても、「民家」にも武家と町家(商店)と農家があって、少しずつ違います・・・・が、(株)一条工務店が1990年代にけっこう建てていた「百年」という和風は基本的には「農家」の和風を基にして現代的なものを部分的にとりいれた、というものであり、だから、「地方」の兼業農家や今は農業はしていなくても親戚に兼業農家はある、もしくは、周囲に農家の家はあるという場所で建てる人にはけっこう合ったのです。それに対して、東京圏や関西圏の住宅地・分譲地で「和風がいい」にそんなものを勧めても、「うち、農家じゃないですよお」とか「ここ、浜松じゃないですよお」とか言われるのがオチでした・・・・・が、遠州人にそれをそのまま言うと、「そういうことを言うからいかんのだあ!」と激怒します。「浜松でいいものは日本全国どこででも、東京でも大阪でもいいに決まってるんだあ~あ!」と言って怒りますが、そういう「浜松の中のカエル」「『空の広さは浜松の広さと同じだ』と信じている人」「太陽・月・星といった宇宙の天体はすべて浜松を中心として回転していると心の底から信じている人」には何を言っても無駄で、疲れるだけですから、言わない方がよろし。言わない方がいいと頭で理解しても、私なんかは根が正直なものですから、「それでも地球はまわっている」とガリレオ=ガリレイみたいに、つい、ぽろっと口に出しそうになるのですが、そうすると遠州人は怒るのです。「浜松でいいものはどこででもいいんだ」という浜松中心主義・浜松独善主義というのは、「それは違いますよ」と説明して教えてあげようなどと考えても疲れるだけですから、「黙ってよなあ~あ」と思うのですが、正直者はつい口に出てしまって・・・、まったく、困ったものです。 で、「地方」の人間と「都会」「都市部」の人間の感覚の違いとして、これはどちらがいいとか悪いとかいうことではないのですが、和風の建物でも洋風の建物でも、「地方」の人間の方が重厚なデザインを好み、「都会」「都市部」の人間の方が軽快なデザインを好む傾向があるように感じたのでした。タイル貼りの建物、レンガ調タイルを貼った建物というのは、これは「重厚」なイメージを持つのです。 但し、辰野金吾設計の東京駅なんてのは鉄骨造と煉瓦造をミックスした建物らしいのですが、重厚といえば重厚ですが、「いなかくさい」てことはありません。 この「重厚」(悪く言えば、「どてえっとした感じ」)か「軽快」(悪く言えば、「存在感が軽そうな感じ」、福島県人に言わせれば「プレハブみたい」)かは、「好みの問題」もあるのですが、教会堂って、重厚であった方がいいのかな? という問題が出てきます。そうではないような気がするのです。教会堂は「重厚」である必要はないのではないか。 どうでしょうか。
※ 辰野金吾設計の東京駅 については、
[第357回]《東京駅丸の内駅舎 と 東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【1/6】「鉄骨煉瓦造」丸の内駅舎 》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201803article_2.html
[第358回]《東京駅丸の内駅舎と東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【2/6】―駅舎内部、煉瓦、内部の意匠》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201803article_3.html
[第359回]《東京ステーションギャラリーと「くまのもの」展【3/6】行きたい学部、大学院に行けた人と行けない者》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201803article_4.html
ふと、思ったのです。↑の写真、田園調布教会の新教会堂のファサードの写真見て、「なんか、倉庫みたい」て。 思いませんか? 横浜か函館か小樽かなんかそういう港町に行くと、↑みたいな感じの倉庫がありませんか? ・・・というより、建築探偵団+増田彰久『スーパーガイド 建築探偵術入門―東京、横浜の西洋館230を追跡する』(1986. 文春文庫)に、横浜市中区の「新港埠頭煉瓦倉庫2号倉庫」のカラー写真が出ているのですが、屋根の形状は違いますが、外壁については、色合いといい、↑の田園調布教会とそっくり(^^)/
・・・・なんで、教会堂を「倉庫みたい」な建物にしたいのか、どうも、ようわからん・・・。
ブログの字数制限のため、
(2)建物の外壁素材として「イメージとして、はねつける素材」と「イメージとして、吸いよせる素材」があり、
(3)「堅固に守るイメージの素材」と「守ろうというイメージを特に与えない素材」
については、次回 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_6.html
、述べます。
(2018.6.1.)
☆ 田園調布と田園調布の教会
1. 魅力のある街(東京圏)。田園調布はどこまでか。態度の悪い不動産屋にへつらうな。https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_1.html
2. 放射線状道路の扇の要の位置の田園調布駅はおしゃれ https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_2.html
3. 放射線状道路の扇の要の位置の広場。 独特のデザインの田園調布駅 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_3.html
4. 居住環境を考えた田園調布の街並み。居心地のよい宝来公園 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_4.html
5 日本基督教団 田園調布教会(1) 高すぎる樹木、鎧をかぶったみたいな教会堂、倉庫みたいな建物 〔今回〕
6. 同 (2) 跳ね返す素材、教会堂は重厚である必要があるか。「セコム、必要ですか」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_6.html
7. 同 (3) 牧師館がなぜ教会堂の脇にないのか。遮る扉の玄関扉 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_7.html
8. 同 (4) 「ああ、無情」 「太客」vs「どうでもいい来場者」vs「酔っ払い」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_8.html
9. 同 (5) バザーの際の違和感。 新教会堂ファサードは・・・みたい https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_9.html
10. 同 (6) パイプオルガン・ハンドベルと偶像崇拝・惑溺 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_10.html
11.台(うてな)人体実験と精神医学ファシズム 吉益脩夫 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_11.html
12.今は見当たらない「矢野一郎邸」と「旧人見純一画室」 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_12.html
13.カトリック田園調布教会と聖フランシスコ修道院 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_13.html
14.日本福音ルーテル田園調布教会、事故物件田園調布警察署 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201806article_14.html
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