豊橋ハリストス正教会・聖使徒福音記者マトフェイ聖堂(愛知県豊橋市) 訪問―日本の教会建築(15)
[第264回]日本の教会建築(15)
ロシア正教会の教会堂としては、東京の御茶ノ水にある「ニコライ堂」が有名で、ロシア正教会の信徒でなくとも、御茶ノ水に行った時に、その外観は多くの人間が見て来ていると思う。 かつては、そこで、ロシア語講座が開催されていたが、今はなくなった一方で、特に信徒でなくても、内部も見学させてもらえるようになったようだ。〔《東京復活大聖堂 ニコライ堂 聖堂拝観(見学)のご案内》http://nikolaido.jp/seido-haikan.html 〕
ロシア正教会の教会堂は魅力的だと思うのだが、それは、きらびやかな装飾によるものなのか、本来は、キリスト教にとっては、モーセの十戒として「偶像崇拝の禁止」というものがあるものの、現実にはカトリックの教会堂でもキリストやマリアの像や絵が存在しているが、ロシア正教会では「偶像崇拝の禁止」という考えがあまり強くないのか、そして、教会堂はきらびやかな装飾がなされているという印象があったが、御茶ノ水のニコライ堂は内部に入ってみると、正教会の教会堂にしてはそれほどきらびやかということはない。 しかし、きらびやかなものでなくても、親しみを感じる教会堂であるのはたしかで、装飾豊かであるから魅力があるというものでもないように思う。 ロシアはヨーロッパでは最も東に位置し、もとより、アジアとヨーロッパにまたがって存在してきた国であり、ロシア正教会の建物も、アジアとヨーロッパの融合のような性質があることから親しみを感じるのだろうか。しかし、アジアに近いといっても、やっぱり、日本や中国とは違う。
内井昭蔵『建築巡礼(19) ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』(1991.1.30. 丸善)には、≪ ニコライ伝道師は日本文化を深く理解し、日本を愛し、多くの人材を育て、明治の日本文化に少なからず影響を与えたが、当時、キリスト教といえば、神田駿河台のニコライ堂は最もポピュラーな存在で市民に親しまれたといえる。 函館の初期の教会は安政6年に建てられたが以来明治二四年、第一次の神田ニコライ堂の建築までの間に主に東北地方を中心に正教会独自の空間構造をわが国の伝統的建築手法により、日本人の職人、大工達によりつくられた。 金成、佐沼、豊橋、石巻、箱根塔の沢、湊、涌谷、白河、などである。 それ以後も、仙台、曲田、佐賀、京都、松山、大阪、修善寺、半田、釧路、横浜と続くのである。 これらの数はカトリック教会やプロテスタント教会に比べ少ないが、その形式や建築方法、等は特長があり、かつ独自性をもつものと私は考える。≫と書かれており、同書には、函館ハリストス正教会の教会堂と豊橋ハリストス正教会の写真が掲載されている。 ぜひ、この2つの教会堂には訪ねてみたいと長く思ってきた。
今回、なぜ、豊橋に行ったかというと、ご苦労さんなことに、千葉県から大阪府まで自家用車で往復したのだ。それは、用事があったからなのだが、ご苦労なことに自家用車で東京圏と関西圏を往復するからには、途中でどこか1カ所くらい立ち寄っても悪くないのではないかと思い、インターチェンジからそう遠くなさそうな所としては、東名「静岡」I.C.から近そうな登呂遺跡とか、新東名高速道路と東名高速道路のつなぎの路線の「浜松いなさ」I.C.から遠くなさそうな今は浜松市になった深奥山方広寺とかを思いついたが、深奥山方広寺は、(株)一条工務店に在籍した時、「座禅研修」と称するものに強制的に参加させられたが、単に健康法としての座禅ならともかく、坊主が勝手な講釈をしてきかせ、お経も強制的に読まされたりしたのだが、これは明らかに「信教の自由の侵害」であり、方広寺は、そういった宗教者として自殺行為とも言えることをおこなって、(株)一条工務店が従業員の給料をへつったカネから費用をかすめとり、そのおかげで従業員の給料は少なくなっていたわけで、方広寺の坊主どもは、(株)一条工務店の従業員の生活費を横取りして坊主丸儲け! まったく、ろくな寺じゃないなと思っていたら、それが臨済宗の「本山」の1つというので、そんな程度の低い「本山」があるのかとあきれもしたし、軽蔑もした寺だったので、寺としては魅力はない。 で、新東名の方が東名よりも若干距離も短くシミュレーションでも速く行けそうだったのだが、新東名はその分「山の中」を走っているわけで、街中に行こうとすると、必ずしも、「東京圏-関西圏の途中でいっぷく」という立地でもなくなる。 東名「浜松」I.C.から海側にずらずらと行くと、「東京から最も近い砂丘 中田島砂丘」にたどりつくはずだが、中田島砂丘からさらに進むと浜松市倉松町の(株)一条工務店の本社と浜松工場にたどりつくはずなので、かつて、仕事で行ったことがある場所に行くと、仕事でそこに行くわけでもないのに仕事しなきゃならないような気分になってしまうので、それはやめることにした。 又、せっかく、自家用車で移動するのだから、電車でも行ける所でない所とも考えたのだが、自家用車でないと行きにくい所で一度は行ってみたい所として思い浮かんだのが、今は浜松市になった秋葉神社だが、なにしろ、「山の奥も奥」なので、その付近にも初めて行く者が自分でクルマを運転して行くには難易度が高すぎた・・・なんてことあったらどうしよっ・・とか考えると、会津のスキー場の近くの道路脇には、温暖地のナンバーつけたクルマがよく「落ちてる」という話もあるし、もう少し平地の所の方がいいか。で、難しく考えてもしかたがないので、実際には、「電車でも行ける」所ではあるが、豊橋市の豊橋ハリストス正教会を訪ねることにした。 『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(2014.2.15.JTBパブリッシング)には、≪事前連絡にて見学可能≫≪外観見学自由(聖堂内は1週間前までに予約必要。入館無料) 休 月曜≫と書かれていたのだが、いつの頃からか、日本の教会というもの中に入ることに抵抗を感じ出してしまったし、用事で大阪まで行って帰りに立ち寄る以上、何時に行けるかわからないので、内部の見学はお願いしないで、外観だけ見せてもらうことにした。 ≪P なし≫とも書かれているが、教会として見学者用の駐車場は用意していないとしても、すぐ後ろに旧 吉田城址があり、豊橋市美術博物館もあり、西に市役所もある所なので、時間パーキングの1つや2つはあるのではないかと思って行ったら、あった。
↑ なぜ、こんなに暗いか? ・・・そりぁ、あんた、なにしろ、着いたのは日没後、夜7時くらいだからですがな。 写真は撮ろうと思っても、全体の写真は写らないだろうと思ったら、最近のデジカメはよくできていて、ともかく、撮れたのがこれ。↑
もともとは、少なくとも昼間、日没までには着く予定だったのだが、1620キロヘルツの「高速道路情報」で、東名高速道路の「音羽蒲郡」I.C.付近でトラックの事故があり、「岡崎」I.C.から「豊川」I.C.までの間が渋滞していると言うので、岡崎I.C.で降りて国道1号で豊橋まで行ったら、そっちの方がよっぽど時間がかかった。特に渋滞しているわけでもない国道よりも少々渋滞の高速道路の方が速かったようだ。
『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(2014.2.15.JTBパブリッシング)には、≪明治初期に日本に伝わったロシア正教会の教会。 大正2年(1913)建築のビザンチン様式の教会で、木造建築としては県内最古のもの。聖堂内にはイコノスタシス(聖障)が取り付けられており、・・≫≪2008年4月に重要文化財に指定≫と出ている。 おそれ多くも重要文化財さまなのだ♪
それで、だ。 日本ハリストス正教会豊橋教会は、どこにあるかというと、豊橋市の豊橋市役所のすぐ東、旧吉田城の南、豊橋市美術館博物館のそば。 「音羽蒲郡」I.C.か「豊川」I.C.で高速を降りて西から国道1号を東に行くと、豊川という川を渡ってすぐに左に市役所があり、その交差点を左折してすぐのあたりにあるはず・・・・と思って行ったのだが、見当たらないのだ。 豊橋市役所を過ぎたあたりで、豊橋市公会堂はあった。
今回、インターネットで豊橋ハリストス正教会について検索していくつかのものを見せてもらったが、《豊橋の洋風建築》 http://www.geocities.jp/kz11610/toyohashi.html に、大阪市の中津済生会病院の設計者である中村与資平が設計として掲載されている。 それが、↓
↑ 豊橋公会堂 南面。
↑ 豊橋公会堂 東面。

さらに進むと、北側に豊橋警察署があり、さらに進むと、豊橋美術博物館はあっちという表示が出ているので、その近くのはずなので国道1号から左折。 豊橋美術博物館は、≪豊橋公園の一角に建ち、郷土ゆかりの美術品のほか、歴史・考古・民俗資料などを収蔵展示。1階には企画展や一般利用ができる展示室や喫茶室、2階には常設展示室を備えている。≫と『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(JTBパブリッシング)には出ているが、≪休 月曜≫で、なにより、≪時 9〜17時≫なので、すでにその時刻は過ぎているが、ともかく、豊橋ハリストス正教会はその付近のはずなので、ともかく、どこかに駐車して歩いて捜すべしと時間パーキングを探すと、豊橋市美術館博物館用と決まっているわけでもないかもしれないが、その近くに時間パーキングがあった。
そこから西に歩くと、豊橋市美術博物館はあった。↓
↑ 写真にすると、1階の全面に柱が並んでいることくらいしかわからないが、日没後でも、肉眼で見て、全体の形状はともかくも見えた。

豊橋美術博物館の南側を西に進むと、豊橋市公会堂がある。 豊橋公会堂は国道1号に面していて、その西には豊橋市役所がある。 さて、豊橋ハリストス正教会はこの付近のはずだがと思って見まわすが見当たらない。ふと、見ると、↓ なんてのがある。
↑ 豊橋警察署。 一瞬、ケーサツできいてみるか? という誘惑にかられるが、そこは、日本国の善良なる市民として、又、建築探偵団としての良識を働かせて常識で判断しなければならない。 なんといっても、 「君子危うきに近寄らず」であるし、建築屋としては「安全第一」である。 建築探偵団としても「安全第一」は基本中の基本である。
「君子危うきに近寄らず」とは、折井英治編『暮らしの中のことわざ辞典』(1962、9.20.集英社)には、≪教養あり徳のある者は自分を慎むものだから危ないところにははじめから近づかない。≫と書かれている。さらに、≪ 君子はビルの工事場などには近寄らないほうがよい。 ≫と書かれているのだが、建築現場で実際に働いてみると、たしかにそうかもしれん・・・て気がしてくる・・・・・よねえ・・・!!!
そういえば、埼玉県の川口市に本社がある川口土木建築工業(株)という会社が施工者として2014年から2015年に東京都墨田区蔵前で建てた三菱地所レジデンス(株)のマンションの工事現場に、設計会社の「安宅」という新宿にある会社の「設計士」と称する若造が来たことがあったのだが、「設計士」という若造は建築現場に来てどうしたかというと、建築現場の隣にある雑居ビルの2階にあった「現場事務所」に行って、川口土木建築工業(株)の工事担当者からコーヒーいれてもらって談笑し、「来年もよいお年を」と言ってにこやかにお帰りになった。工事現場には一歩たりとも立ち入ることなしに・・・。 あれも、「君子はビルの工事場などには近寄らない方がよい」と「君子危うきに近寄らず」という判断をしていたということなのかもしれない。 なにしろ、おのれが「設計」した工事現場なんて危ないことこのうえない! と判断して、それで建築地工事現場には「君子危うきに近寄らず」と一歩も立ち入らずに帰ったのか・・・? 隣接地の地盤の補強もせずに深く掘り下げたものだから、地表面にクラックがはっきりと出ていたことから考えても、隣接の建物も必ずしも安全ではなかったのではないかとも思えるのだが、ともかくも、おのれが「設計」した建物の工事現場には立ち入らないというのは、「君子危うきに近寄らず」の教えを実行したのかもしれない・・・。
で、ケーサツの危なさは、建築現場の比ではないので、君子は近づかない方がよろしい・・ということで、とりあえず、その付近を歩いてみようではないか。 夜、痴漢が徘徊していても、襲われる側じゃないから大丈夫♪ なんて思っていると、今は昔、1999年だったか2000年だったか、(株)一条工務店に在籍していた時のこと、栃木県南部においてだが、夜、来てほしいと言われて訪問して話をしていると、突然、こちらの下腹部に手を伸ばしてきた男がいたのだ! 女なら客宅にひとりで訪問していいかと考えるかもしれないが、男を襲う男なんてあるわけないと思っていたら、あったんだわ! 逃げ帰って来て、「日報」にそれも記載してファックスで所長の◇◇嵐がいた宇都宮市だか石橋町だかにあった営業所(展示場)に送ったところ、「○○くん、大丈夫だったか」と所長ならそのくらいは言うものではないかと思ったのだが、彼は一言として言わなかった。それで所長かとも思ったし、これでは何のための日報かわからないが、かわりに、所長の◇◇嵐がいた営業所(展示場)の人間から「○○さん、ホモに襲われたんだってえ♪」と言って何人もで大笑いされた。笑いごとじゃないのだ。当事者にとっては相当ショックであり、そういう経験を従業員がしているのに、かつ、それを報告しているのに、所長として何ひとつ配慮しないというのは、所長としての存在価値があるのか、何のための所長なのかということにもなるし、会社として 「保護義務違反」でもあるのだが、そういう会社だった。(株)一条工務店という会社は。
で、も〜しも、ホモに襲われたらどうしよっ・・・とか思っていたら、どこも行けなくなってしまうし、ケーサツに場所をきくのとどちらが危険性が高いかと考え、ケーサツなんかに尋ねるくらいなら、ホモに襲われた方がマシ? ・・・・と判断したわけでもないが、まあ、いざとなったら、「敵の出足を止めるため、もしくは、攻撃の突破口を開くため、左肘を脇から離さぬ心がけで、えぐりこむようにして・・・、打つべし、打つべし、打つべ~し!」と、「あしたのために、その1」を実行・・・したとして効果があるかどうかわからんが〔⇒《YouTube―ジョーの子守唄.mp4》https://www.youtube.com/watch?v=1v0DkrnILrg 〕、そんなことを考えているうちに、豊橋ハリストス正教会は見つかった。
今は昔、霞が関の法務省で警備員の仕事をしたことがあったのだが、その頃、来ていた若いおにいちゃんが、周辺の施設の場所を調べて地図を作成したという話を警備長から聞いたことがあった。 法務省と検察庁は隣接していて、その前に立っている警備員というのは、その施設の警備の仕事をしているのであって道案内は仕事ではないのだが、現実に付近のものの場所を尋ねる人はいるので、きかれた時に教えてあげることができるようにしようと親切心から、勤務時間外に付近の施設の場所を調べて地図まで作ったおにいちゃんがいたというのだ。 そこまでやるのは仕事ではないと思うが、警備員をやっている人には、人から場所を尋ねられたら、教えてあげようという気持ちになる人が多いように思うのだが、ところが、ケーサツ漢というのは、あんまり、そういう気持ちにならないみたいなのだ。 なにより、知らない!(唯一、共産党の人間はどこに住んでるかとかはよう知っとる、という話があるが) ケーサツ漢というのは。 東京で催しごとがあって、外国の「要人」が来日したとかいう時に、地方の県警から「応援」で東京に来たとかいうケーサツ漢がその付近を知らないというのは、(そんな「おのぼりさん」みたいのが役に立つのか? という疑問は感じるが)現実に知らないのはしかたがないのかもしれないが、普段からそこにいる人間でも、知らない。もとより、教える気がないから「知らない」のかもしれないが、ケーサツに付近のものの場所を尋ねるというのは、不愉快な思いをするだけなので、きかない方がよい。
今は昔、1989年、小堀住研(株)の千葉県松戸営業所に在籍した時、見込客宅に原付で行った帰り、道に迷い、セブンイレブンがあったので道をきこうと思い、何も買わずに道だけきいては申し訳ないと思って、特に必要でもないものを無理に買った上で、地図を見せて、「ここはどこになるでしょうか」「▽▽に行くにはどちらに行けばいいでしょうか」と言うと、「そういうのはけっこうですねえ~え。はい、次の人お」と言いやがったということがあった。 それ以来、セブンイレブンでは道はきかないことにした。ましてや、道を尋ねるのに何も買わないできいては申し訳ないと思って無理に何かを買うということは絶対にしないことにした。
ケーサツなんてのに、道をきくために訪問するなんて、ましてや、非常識である! 「君子、危うきに近寄らず」であるし、そもそも、答える気のない人間に尋ねるのは間違っている。 イタリアに旅行した時、『地球の歩き方 イタリア』だったか『地球の歩き方 ヨーロッパ』だったかに、≪はじめて海外旅行をする多くの人は、道を尋ねる場合、英語が話せそうなインテリのような人に尋ねようとすることが多い。 しかし、これは正しくない。 なぜなら、言葉が通じるかどうかは、語学ができるかどうかで決まるのではないからだ。語学ができるかどうかではなく、その人に伝えようという意志があるかないかによって決まる。 たとえ、語学ができない人でも、教えてあげようという気持ちのある人は、伝えることができるのだ≫と書かれていたのだが、ナポリに行って、路上の屋台みたいな店で、ここはどう注文するのだろうと遠慮がちに見ていたところ、労務者みたいなあんまり上等ではなさそうな服を着たおっさんが、イタリア語で、遠慮するなよ・・みたいな感じで説明してくれた、そのおっさんのイタリア語は理解できなかったのだが、なぜか、言っている意味はわかったのだ。 たしかに、語学ができようができまいが、伝える意思のある人間の言うことというのは、だいたい、わかったりするのだ。 それと同様に、日本国内においても、伝える意思のない人間に場所を尋ねるのは不適切。セブンイレブンで道をきくのは愚の骨頂であり、それ以上に、ケーサツで場所を尋ねるというのは、非常識極まりない!
日本ハリストス正教会 の 豊橋ハリストス正教会 に行きたいと思った者としては、正教会の建物として、東京のニコライ堂、函館の正教会に次いで知名度がある教会堂で重要文化財に指定されている教会堂・・・と思って訪問する者の意識としては、国道1号に沿ってあるか、そうでないにしても、けっこう広い通りに面してあるのではないかと思ってしまうのだが、実際に行ってみると、そうではない。 豊橋公会堂の東側、国道1号と豊橋美術博物館の前の道との間の道を西から東に進んでみると、あった。↓
全体の写真は無理だろうと思って撮ってみたら、それなりに撮影できたのだが、撮った写真を見てみると、それは肉眼で見たものとはまた印象は異なる。 しかし、肉眼で見たものと異なるから写真の方がにせものというわけでもないと思う。 又、デジカメを「発光禁止」にして撮影した場合と、「Auto」でフラッシュが発光するようにして撮影したのでも撮れ方は異なる。 ある程度、その付近に光がある場所において、全体の写真を撮影しようとすると、むしろ、「発光禁止」にして撮影した方がきれいに撮れるようだ。 で、撮影のしかたによって撮れ方が異なった場合、どちらが正しいのかというと、これも、こっちや!と決まるものでもないように思うのだ。 リゼット=ショール『眼鏡よ さようなら』( 1987.7.10.立風書房)では、「1.0」という「視力」をあまり絶対視しない方がよいのではないか、といったことが書かれている。 近視になってしまった人は、1.0とか1.5という視力で見えたものが正しい見え方で、0.1や0.2の視力の者が見えるものは間違いだという認識は捨てた方がよいのではないか、と。 0.1や0.2の視力で見えるものもまた、ひとつの見え方であると認めてよいのではないのか。 そもそも、とんぼ の眼では人間が見ているものとは異なった見え方をしているはずであるし、とんぼ に限ったことではなく、他の動物はそれぞれが異なる見え方をしているはずで、どれが正しい間違っているとは言えないのではないか、と。
そう思って考えた時、肉眼で見えたものとカメラで撮影したものとが異なる場合、どちらが正しいとはいちがいに言えないのではないか。 あるいは、カメラの設定を異なる設定にして撮影した場合に異なる撮れ方をした時、どちらが正しい間違っているとは言えないのではないか。
で、↓のアングルも、けっこういいと思うのですが、どうでしょう。↓
↑ 但し、右上の光源は何かというと、お月さんなのですが、手がぶれないように気をつけて撮影しても、肉眼ではきれいに形状が見えるお月さんが、写真になると、どうも、光源がそこにあるという程度にしか写らないのは、写真の技術が未熟だということなのか・・・・。 でも、これ↑、けっこう気に入っているのです。 どうでしょうか。
建築屋に勤めて以来、有名建築物・歴史的建造物を見に行った時に、工事中だったという場合、それまでなら、な~んだあ~あ、残念と思うところを、そうではなく、へ~え、こんなふうにやるんだあ・・・と感心したりする経験を持つようになりました。 それとともに、昼間に行くつもりが遅くなって日が暮れてしまったという場合でも、日没後にはまた違った見え方をする場合があり、夜、見るとこう見えるんだあ・・という経験をすることもあります。 夏場みた感じと冬場に見た感じが違うということもあります。フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区〕の自称「設計士(さま)」の若造が好む真っ黒けのカラスみたいな家というのは、夏、見るといかにも暑苦しい! というのを、設計担当した者は一度見てみるべきで自分自身で感じてみるべきだと思うのですが、そのあたりの謙虚さがあるかないか。
宗教施設の場合、基本的には昼間に訪問するものでしょうし、豊橋ハリストス正教会の場合は、周囲には民家があったりオフィス事務所があったりする場所で、周囲の道は日没後でも人は通る所ですから、歩いていけないことはないでしょうけれども、それでも、訪問は基本は昼間でしょうが、夜は夜で異なる見え方で見えるということで、結果として日没後になったというのは、それはそれで悪くはなかったかと思います。 もっとも、できれば、次回は昼間に訪問したいと思いますが。
で、↓の図柄は何か。
↑ 教会ですから、十字架があっておかしくないのですが、カトリックやプロテスタントの教会では、この図案はあまり見かけませんが。 《ウィキペディア―正教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A によると、これは、≪八端十字架。スラヴ系の正教会でよく使われる十字。≫だそうで、 《ウィキペディア―八端十字架(はったんじゅうじか)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%AB%AF%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6 によると、これは≪ロシア正教会・ウクライナ正教会で頻繁に用いられ、ブルガリア正教会、セルビア正教会などのスラヴ系正教会でよく用いられる十字・十字架である。アメリカ正教会、フィンランド正教会、日本正教会でも広く用いられている。また、古儀式派でも頻繁に用いられる・・・≫ものだそうで、一番上の左右の棒は、「ユダヤ人の王・ナザレ人イエス」と書かれたキリストの罪状書きが書かれた板で、一番下の左右の棒は、正教会の伝承では十字架に足台があったとされているそうで、その足台を意味するらしい。
↑ 教会堂の入口の左手前に、この案内書きと縦長の表示があるのですが、縦長の札には、「豊橋ハリストス正教会 重要文化財」と書かれているのですが、樹木で下の方が見えません。 できれば、下まで見えるように植木の手入れをお願いしたいと思います。
↑の写真はクリックすると大きくなります。≪ 設計者は河村伊蔵(知多郡内海村出身)で、聖堂建築のため、地元の大工は京都まで赴き、京都正教会を手本として西洋風のドームを建築したといわれています。 ≫と書かれています。 ≪木造銅板葺き1階建て≫とも出ています。 木造だと思わずに見ていましたが、木造で地元の大工が作った聖堂建築のようです。


↑ 《ウィキペディア―豊橋ハリストス正教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A によると、≪ 「豊橋ハリストス正教会」は教会の名であり、聖堂の正式名は聖使徒福音記者マトフェイ聖堂である ≫らしい。
場所は、豊橋市役所の東の豊橋市公会堂の東、豊橋警察署の裏(北)、豊橋市美術博物館より南。
国道1号は豊橋市の豊橋市役所の所で90度曲がっています。 この道を路面電車が走っている。 「市役所前」という停留所というのか駅というのかがあるようです。 『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(JTBパブリッシング)には、≪JR・名鉄豊橋駅から市内電車で7分、市役所前電停下車、徒歩3分≫と書かれています。 次回は、路面電車に乗ってみたいものです。 1993年だったか1994年だったか、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、営業所にいたS(男。当時、40代)が、「仙台はすっげえどお~お。 ち~かてつがあるんだどお。 おら、仙台でち~かてつ、乗ってきたんだどお。 どうだ、おめえ、地下鉄、見たことねえだろ。地下鉄、見たことあるか、ねえだろ」と私に言うので、言っている意味がよくわからず、「ありますよ」と言うと、「え、おめえ、地下鉄、見たことあるのけ?」とSさんは言い、「乗ったことはねえだろ」と言うので、「ありますよ」と言うと、「いったい、どこで乗ったんだ、地下鉄。 おめえ、いったい、どこで乗ったんだ?」と言うので、「東京でも大阪でも名古屋でも横浜でも乗りましたけど」と言うと、「乗ったことあんのけ、おめえ。おめえ、地下鉄乗ったことあんのけ?・・・・、おめえも、なかなかたいしたもんだなあ~あ・・・」と感心されたということがありましたが、何を言ってるのかよく意味がわからなかったところ、そのおっさんが出て行った後、M(男。当時、20代)が、「さっきのこのおやじの言うこと聞いてて、もう、嫌んなっちゃった。 何が、『地下鉄乗ったことあんのけ』だ。 このいなかもんが。 何が、『おら、仙台でち~かてつ乗ってきたんだどお』だ。 もう、嫌んなっちゃった、あれ聞いて」と言うので、Sさんは、仙台に行って地下鉄に乗ってきたということを自慢したかったらしいとその時になって気づいた、ということがありました。まさか、地下鉄に乗ってきたなどということを自慢する人なんて、今の日本にいるとは思わなかったので、何を言ってるのか意味がよくわからなかったのですが、自慢する人というのがいたようです。「おら、ち~かてつ、乗ってきたんだどお~お」と。
で、・・・私、“ち~かてつ” よりも、路面電車の方が好きです。 私が小学校の低学年の時、大阪市の市電はなくなりました。 市電に乗っても、自動車が市電の線路の上にまで来てしまって市電は走れなくなり、大阪の市電はなくなってしまいました。 阪神北大阪線という路面電車が野田阪神から阪急の中津駅の前を通って、天神橋筋六丁目まで走っていて、一度、乗ってみたいと思って中津―野田阪神の間を乘り、中津―天六(天神橋筋六丁目)間も乗ってみたいと思っているうちになくなってしまいました。 京都の市電に乗ったところ、なかなか着かないので、なんか、遅い電車だなあと思っていたところ、母が、「昔から、大阪の市電は走って乗らないと乗せてもらえないけど、京都の市電は乗るのを待ってくれるという話があった。 でも、だから、京都の市電は親切でいいかというと、待ってくれるのは自分だけじゃないので、なかなか、目的地に着かないので大阪の人間は京都の市電に乗るといらいらする、と言われてきた」と説明してくれたことがありましたが、京都の市電もなくなりました。 地下鉄が絶対に悪いということはありませんが、道路でも、「クルマは道、人は溝」みたいに、U字溝にフタをしてそこを「歩道」だとしているような道がありますが、地下鉄というのはそれに似たところがあります。「クルマは地上、人は地下」というのは本来的ではないように思います。 路面電車が活用される街づくりと地下鉄でないと動けない街では路面電車が活用される街の方が文化的だと思うのです。
今回、豊橋では市電に乗ることはできませんでしたが、実は、3年ほど前、地震の前の熊本に行って、おら、路面電車に乗ってきたんだどお~お・・・。 それから、4年前でしたか、東京で唯一残っている都電の荒川線に雑司ヶ谷の鬼子母神に行く時に乗ってきたんだどお~お。 大阪の市電はなくなりましたが、南海電鉄の子会社の阪堺電気軌道は阪堺線と上町線をその多くの部分を路面通って走らせていますが、何年か前、住吉大社に行った際に、住吉大社から天王寺まで阪堺電車に乗ってきたんだどお~お・・と自慢したくなります。 地下鉄というのは、地下を走らせるしかしかたがないという場所でやむをえず地下鉄にするもので、路面電車が有効に活用できる都市では路面電車の方がいいはずです・・・・・が、「おら、仙台いって、ち~かてつ、乗ってきたんだどお~お」と自慢するおっさん、というのは・・・・、悪いとは言わんが、なんかこう・・・・なんというのか・・・、まあ・・、仙台行って地下鉄乗ってきたというのを自慢するのは別にいいけどね・・・。問題は、そういう頭の悪いじいさんというのは、この人は頭が悪いんだからしかたがないと思ってその人のめんどうを見てあげ世話してあげると、世話してもらえるのが当たり前めんどうみてもらうのが当然と思うようになり、さらに、そういう頭の悪いじいさんというのは人畜無害ではなく「恩を仇で返す」ようになりますから、そこが問題・・・。 かつ、そのあたりを理解できる経営者でない会社だと・・。
夜の豊橋ハリストス正教会も悪くはないけれども、次回は明るい時間帯に来てみたいものです。 クルマで行かないといけない所ではないし、時間に余裕があれば豊橋駅から歩いても悪くなさそうだし。
(2016.9.14.)
※ 今回、訪問に際し、インターネット上で、下記のものなど参考にさせていただきました。
日本ハリストス正教会 豊橋ハリストス正教会 聖使徒福音記者マトフェイ聖堂 http://www.orthodoxjapan.jp/annai/n-toyohashi.html
ウィキペディア 豊橋ハリストス正教会 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A
文化財ナビ 愛知 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太(マトフェイ)聖堂 https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunisitei/0113.html
レトロな建物を訪ねて 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂 http://gipsypapa.exblog.jp/18988033/
豊橋の洋風建築 http://www.geocities.jp/kz11610/toyohashi.html
東京復活大聖堂教会 ニコライ堂 http://nikolaido.jp/
函館ハリストス正教会 http://orthodox-hakodate.jp/
☆ 日本の教会建築シリーズ
東京都
日本キリスト教団 本郷中央教会(ヴォーゲル)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201412article_1.html
日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂(ミハイル=シチュールポフ・ジョサイヤ=コンドル) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201512article_2.html
神奈川県
慶應義塾大学 YMCAチャペル(ヴォーリズ)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_3.html
日本キリスト教団 清水が丘教会https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
愛知県
豊橋ハリストス正教会 〔今回〕
大阪府
日本キリスト教団 南大阪教会(村野藤吾)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_2.html
カトリック大阪梅田教会《1》 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
同 《2》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_5.html
高槻カトリック教会(高山右近記念聖堂) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
日本キリスト教会高槻教会https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
日本基督教団東梅田教会(一粒社ヴォーリズ建築事務所) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_1.html
日本基督教団扇町教会 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_2.html
兵庫県
神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)(ウィグノ―ル)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201312article_1.html
関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂(一粒社ヴォーリズ建築事務所)、関学神学部棟(ヴォーリズ) 他https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
カトリック夙川教会 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201406article_1.html
ロシア正教会の教会堂としては、東京の御茶ノ水にある「ニコライ堂」が有名で、ロシア正教会の信徒でなくとも、御茶ノ水に行った時に、その外観は多くの人間が見て来ていると思う。 かつては、そこで、ロシア語講座が開催されていたが、今はなくなった一方で、特に信徒でなくても、内部も見学させてもらえるようになったようだ。〔《東京復活大聖堂 ニコライ堂 聖堂拝観(見学)のご案内》http://nikolaido.jp/seido-haikan.html 〕
ロシア正教会の教会堂は魅力的だと思うのだが、それは、きらびやかな装飾によるものなのか、本来は、キリスト教にとっては、モーセの十戒として「偶像崇拝の禁止」というものがあるものの、現実にはカトリックの教会堂でもキリストやマリアの像や絵が存在しているが、ロシア正教会では「偶像崇拝の禁止」という考えがあまり強くないのか、そして、教会堂はきらびやかな装飾がなされているという印象があったが、御茶ノ水のニコライ堂は内部に入ってみると、正教会の教会堂にしてはそれほどきらびやかということはない。 しかし、きらびやかなものでなくても、親しみを感じる教会堂であるのはたしかで、装飾豊かであるから魅力があるというものでもないように思う。 ロシアはヨーロッパでは最も東に位置し、もとより、アジアとヨーロッパにまたがって存在してきた国であり、ロシア正教会の建物も、アジアとヨーロッパの融合のような性質があることから親しみを感じるのだろうか。しかし、アジアに近いといっても、やっぱり、日本や中国とは違う。
内井昭蔵『建築巡礼(19) ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』(1991.1.30. 丸善)には、≪ ニコライ伝道師は日本文化を深く理解し、日本を愛し、多くの人材を育て、明治の日本文化に少なからず影響を与えたが、当時、キリスト教といえば、神田駿河台のニコライ堂は最もポピュラーな存在で市民に親しまれたといえる。 函館の初期の教会は安政6年に建てられたが以来明治二四年、第一次の神田ニコライ堂の建築までの間に主に東北地方を中心に正教会独自の空間構造をわが国の伝統的建築手法により、日本人の職人、大工達によりつくられた。 金成、佐沼、豊橋、石巻、箱根塔の沢、湊、涌谷、白河、などである。 それ以後も、仙台、曲田、佐賀、京都、松山、大阪、修善寺、半田、釧路、横浜と続くのである。 これらの数はカトリック教会やプロテスタント教会に比べ少ないが、その形式や建築方法、等は特長があり、かつ独自性をもつものと私は考える。≫と書かれており、同書には、函館ハリストス正教会の教会堂と豊橋ハリストス正教会の写真が掲載されている。 ぜひ、この2つの教会堂には訪ねてみたいと長く思ってきた。
今回、なぜ、豊橋に行ったかというと、ご苦労さんなことに、千葉県から大阪府まで自家用車で往復したのだ。それは、用事があったからなのだが、ご苦労なことに自家用車で東京圏と関西圏を往復するからには、途中でどこか1カ所くらい立ち寄っても悪くないのではないかと思い、インターチェンジからそう遠くなさそうな所としては、東名「静岡」I.C.から近そうな登呂遺跡とか、新東名高速道路と東名高速道路のつなぎの路線の「浜松いなさ」I.C.から遠くなさそうな今は浜松市になった深奥山方広寺とかを思いついたが、深奥山方広寺は、(株)一条工務店に在籍した時、「座禅研修」と称するものに強制的に参加させられたが、単に健康法としての座禅ならともかく、坊主が勝手な講釈をしてきかせ、お経も強制的に読まされたりしたのだが、これは明らかに「信教の自由の侵害」であり、方広寺は、そういった宗教者として自殺行為とも言えることをおこなって、(株)一条工務店が従業員の給料をへつったカネから費用をかすめとり、そのおかげで従業員の給料は少なくなっていたわけで、方広寺の坊主どもは、(株)一条工務店の従業員の生活費を横取りして坊主丸儲け! まったく、ろくな寺じゃないなと思っていたら、それが臨済宗の「本山」の1つというので、そんな程度の低い「本山」があるのかとあきれもしたし、軽蔑もした寺だったので、寺としては魅力はない。 で、新東名の方が東名よりも若干距離も短くシミュレーションでも速く行けそうだったのだが、新東名はその分「山の中」を走っているわけで、街中に行こうとすると、必ずしも、「東京圏-関西圏の途中でいっぷく」という立地でもなくなる。 東名「浜松」I.C.から海側にずらずらと行くと、「東京から最も近い砂丘 中田島砂丘」にたどりつくはずだが、中田島砂丘からさらに進むと浜松市倉松町の(株)一条工務店の本社と浜松工場にたどりつくはずなので、かつて、仕事で行ったことがある場所に行くと、仕事でそこに行くわけでもないのに仕事しなきゃならないような気分になってしまうので、それはやめることにした。 又、せっかく、自家用車で移動するのだから、電車でも行ける所でない所とも考えたのだが、自家用車でないと行きにくい所で一度は行ってみたい所として思い浮かんだのが、今は浜松市になった秋葉神社だが、なにしろ、「山の奥も奥」なので、その付近にも初めて行く者が自分でクルマを運転して行くには難易度が高すぎた・・・なんてことあったらどうしよっ・・とか考えると、会津のスキー場の近くの道路脇には、温暖地のナンバーつけたクルマがよく「落ちてる」という話もあるし、もう少し平地の所の方がいいか。で、難しく考えてもしかたがないので、実際には、「電車でも行ける」所ではあるが、豊橋市の豊橋ハリストス正教会を訪ねることにした。 『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(2014.2.15.JTBパブリッシング)には、≪事前連絡にて見学可能≫≪外観見学自由(聖堂内は1週間前までに予約必要。入館無料) 休 月曜≫と書かれていたのだが、いつの頃からか、日本の教会というもの中に入ることに抵抗を感じ出してしまったし、用事で大阪まで行って帰りに立ち寄る以上、何時に行けるかわからないので、内部の見学はお願いしないで、外観だけ見せてもらうことにした。 ≪P なし≫とも書かれているが、教会として見学者用の駐車場は用意していないとしても、すぐ後ろに旧 吉田城址があり、豊橋市美術博物館もあり、西に市役所もある所なので、時間パーキングの1つや2つはあるのではないかと思って行ったら、あった。
↑ なぜ、こんなに暗いか? ・・・そりぁ、あんた、なにしろ、着いたのは日没後、夜7時くらいだからですがな。 写真は撮ろうと思っても、全体の写真は写らないだろうと思ったら、最近のデジカメはよくできていて、ともかく、撮れたのがこれ。↑
もともとは、少なくとも昼間、日没までには着く予定だったのだが、1620キロヘルツの「高速道路情報」で、東名高速道路の「音羽蒲郡」I.C.付近でトラックの事故があり、「岡崎」I.C.から「豊川」I.C.までの間が渋滞していると言うので、岡崎I.C.で降りて国道1号で豊橋まで行ったら、そっちの方がよっぽど時間がかかった。特に渋滞しているわけでもない国道よりも少々渋滞の高速道路の方が速かったようだ。
『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(2014.2.15.JTBパブリッシング)には、≪明治初期に日本に伝わったロシア正教会の教会。 大正2年(1913)建築のビザンチン様式の教会で、木造建築としては県内最古のもの。聖堂内にはイコノスタシス(聖障)が取り付けられており、・・≫≪2008年4月に重要文化財に指定≫と出ている。 おそれ多くも重要文化財さまなのだ♪
それで、だ。 日本ハリストス正教会豊橋教会は、どこにあるかというと、豊橋市の豊橋市役所のすぐ東、旧吉田城の南、豊橋市美術館博物館のそば。 「音羽蒲郡」I.C.か「豊川」I.C.で高速を降りて西から国道1号を東に行くと、豊川という川を渡ってすぐに左に市役所があり、その交差点を左折してすぐのあたりにあるはず・・・・と思って行ったのだが、見当たらないのだ。 豊橋市役所を過ぎたあたりで、豊橋市公会堂はあった。
今回、インターネットで豊橋ハリストス正教会について検索していくつかのものを見せてもらったが、《豊橋の洋風建築》 http://www.geocities.jp/kz11610/toyohashi.html に、大阪市の中津済生会病院の設計者である中村与資平が設計として掲載されている。 それが、↓
↑ 豊橋公会堂 南面。
↑ 豊橋公会堂 東面。
さらに進むと、北側に豊橋警察署があり、さらに進むと、豊橋美術博物館はあっちという表示が出ているので、その近くのはずなので国道1号から左折。 豊橋美術博物館は、≪豊橋公園の一角に建ち、郷土ゆかりの美術品のほか、歴史・考古・民俗資料などを収蔵展示。1階には企画展や一般利用ができる展示室や喫茶室、2階には常設展示室を備えている。≫と『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(JTBパブリッシング)には出ているが、≪休 月曜≫で、なにより、≪時 9〜17時≫なので、すでにその時刻は過ぎているが、ともかく、豊橋ハリストス正教会はその付近のはずなので、ともかく、どこかに駐車して歩いて捜すべしと時間パーキングを探すと、豊橋市美術館博物館用と決まっているわけでもないかもしれないが、その近くに時間パーキングがあった。
そこから西に歩くと、豊橋市美術博物館はあった。↓
↑ 写真にすると、1階の全面に柱が並んでいることくらいしかわからないが、日没後でも、肉眼で見て、全体の形状はともかくも見えた。
豊橋美術博物館の南側を西に進むと、豊橋市公会堂がある。 豊橋公会堂は国道1号に面していて、その西には豊橋市役所がある。 さて、豊橋ハリストス正教会はこの付近のはずだがと思って見まわすが見当たらない。ふと、見ると、↓ なんてのがある。
↑ 豊橋警察署。 一瞬、ケーサツできいてみるか? という誘惑にかられるが、そこは、日本国の善良なる市民として、又、建築探偵団としての良識を働かせて常識で判断しなければならない。 なんといっても、 「君子危うきに近寄らず」であるし、建築屋としては「安全第一」である。 建築探偵団としても「安全第一」は基本中の基本である。
「君子危うきに近寄らず」とは、折井英治編『暮らしの中のことわざ辞典』(1962、9.20.集英社)には、≪教養あり徳のある者は自分を慎むものだから危ないところにははじめから近づかない。≫と書かれている。さらに、≪ 君子はビルの工事場などには近寄らないほうがよい。 ≫と書かれているのだが、建築現場で実際に働いてみると、たしかにそうかもしれん・・・て気がしてくる・・・・・よねえ・・・!!!
そういえば、埼玉県の川口市に本社がある川口土木建築工業(株)という会社が施工者として2014年から2015年に東京都墨田区蔵前で建てた三菱地所レジデンス(株)のマンションの工事現場に、設計会社の「安宅」という新宿にある会社の「設計士」と称する若造が来たことがあったのだが、「設計士」という若造は建築現場に来てどうしたかというと、建築現場の隣にある雑居ビルの2階にあった「現場事務所」に行って、川口土木建築工業(株)の工事担当者からコーヒーいれてもらって談笑し、「来年もよいお年を」と言ってにこやかにお帰りになった。工事現場には一歩たりとも立ち入ることなしに・・・。 あれも、「君子はビルの工事場などには近寄らない方がよい」と「君子危うきに近寄らず」という判断をしていたということなのかもしれない。 なにしろ、おのれが「設計」した工事現場なんて危ないことこのうえない! と判断して、それで建築地工事現場には「君子危うきに近寄らず」と一歩も立ち入らずに帰ったのか・・・? 隣接地の地盤の補強もせずに深く掘り下げたものだから、地表面にクラックがはっきりと出ていたことから考えても、隣接の建物も必ずしも安全ではなかったのではないかとも思えるのだが、ともかくも、おのれが「設計」した建物の工事現場には立ち入らないというのは、「君子危うきに近寄らず」の教えを実行したのかもしれない・・・。
で、ケーサツの危なさは、建築現場の比ではないので、君子は近づかない方がよろしい・・ということで、とりあえず、その付近を歩いてみようではないか。 夜、痴漢が徘徊していても、襲われる側じゃないから大丈夫♪ なんて思っていると、今は昔、1999年だったか2000年だったか、(株)一条工務店に在籍していた時のこと、栃木県南部においてだが、夜、来てほしいと言われて訪問して話をしていると、突然、こちらの下腹部に手を伸ばしてきた男がいたのだ! 女なら客宅にひとりで訪問していいかと考えるかもしれないが、男を襲う男なんてあるわけないと思っていたら、あったんだわ! 逃げ帰って来て、「日報」にそれも記載してファックスで所長の◇◇嵐がいた宇都宮市だか石橋町だかにあった営業所(展示場)に送ったところ、「○○くん、大丈夫だったか」と所長ならそのくらいは言うものではないかと思ったのだが、彼は一言として言わなかった。それで所長かとも思ったし、これでは何のための日報かわからないが、かわりに、所長の◇◇嵐がいた営業所(展示場)の人間から「○○さん、ホモに襲われたんだってえ♪」と言って何人もで大笑いされた。笑いごとじゃないのだ。当事者にとっては相当ショックであり、そういう経験を従業員がしているのに、かつ、それを報告しているのに、所長として何ひとつ配慮しないというのは、所長としての存在価値があるのか、何のための所長なのかということにもなるし、会社として 「保護義務違反」でもあるのだが、そういう会社だった。(株)一条工務店という会社は。
で、も〜しも、ホモに襲われたらどうしよっ・・・とか思っていたら、どこも行けなくなってしまうし、ケーサツに場所をきくのとどちらが危険性が高いかと考え、ケーサツなんかに尋ねるくらいなら、ホモに襲われた方がマシ? ・・・・と判断したわけでもないが、まあ、いざとなったら、「敵の出足を止めるため、もしくは、攻撃の突破口を開くため、左肘を脇から離さぬ心がけで、えぐりこむようにして・・・、打つべし、打つべし、打つべ~し!」と、「あしたのために、その1」を実行・・・したとして効果があるかどうかわからんが〔⇒《YouTube―ジョーの子守唄.mp4》https://www.youtube.com/watch?v=1v0DkrnILrg 〕、そんなことを考えているうちに、豊橋ハリストス正教会は見つかった。
今は昔、霞が関の法務省で警備員の仕事をしたことがあったのだが、その頃、来ていた若いおにいちゃんが、周辺の施設の場所を調べて地図を作成したという話を警備長から聞いたことがあった。 法務省と検察庁は隣接していて、その前に立っている警備員というのは、その施設の警備の仕事をしているのであって道案内は仕事ではないのだが、現実に付近のものの場所を尋ねる人はいるので、きかれた時に教えてあげることができるようにしようと親切心から、勤務時間外に付近の施設の場所を調べて地図まで作ったおにいちゃんがいたというのだ。 そこまでやるのは仕事ではないと思うが、警備員をやっている人には、人から場所を尋ねられたら、教えてあげようという気持ちになる人が多いように思うのだが、ところが、ケーサツ漢というのは、あんまり、そういう気持ちにならないみたいなのだ。 なにより、知らない!(唯一、共産党の人間はどこに住んでるかとかはよう知っとる、という話があるが) ケーサツ漢というのは。 東京で催しごとがあって、外国の「要人」が来日したとかいう時に、地方の県警から「応援」で東京に来たとかいうケーサツ漢がその付近を知らないというのは、(そんな「おのぼりさん」みたいのが役に立つのか? という疑問は感じるが)現実に知らないのはしかたがないのかもしれないが、普段からそこにいる人間でも、知らない。もとより、教える気がないから「知らない」のかもしれないが、ケーサツに付近のものの場所を尋ねるというのは、不愉快な思いをするだけなので、きかない方がよい。
今は昔、1989年、小堀住研(株)の千葉県松戸営業所に在籍した時、見込客宅に原付で行った帰り、道に迷い、セブンイレブンがあったので道をきこうと思い、何も買わずに道だけきいては申し訳ないと思って、特に必要でもないものを無理に買った上で、地図を見せて、「ここはどこになるでしょうか」「▽▽に行くにはどちらに行けばいいでしょうか」と言うと、「そういうのはけっこうですねえ~え。はい、次の人お」と言いやがったということがあった。 それ以来、セブンイレブンでは道はきかないことにした。ましてや、道を尋ねるのに何も買わないできいては申し訳ないと思って無理に何かを買うということは絶対にしないことにした。
ケーサツなんてのに、道をきくために訪問するなんて、ましてや、非常識である! 「君子、危うきに近寄らず」であるし、そもそも、答える気のない人間に尋ねるのは間違っている。 イタリアに旅行した時、『地球の歩き方 イタリア』だったか『地球の歩き方 ヨーロッパ』だったかに、≪はじめて海外旅行をする多くの人は、道を尋ねる場合、英語が話せそうなインテリのような人に尋ねようとすることが多い。 しかし、これは正しくない。 なぜなら、言葉が通じるかどうかは、語学ができるかどうかで決まるのではないからだ。語学ができるかどうかではなく、その人に伝えようという意志があるかないかによって決まる。 たとえ、語学ができない人でも、教えてあげようという気持ちのある人は、伝えることができるのだ≫と書かれていたのだが、ナポリに行って、路上の屋台みたいな店で、ここはどう注文するのだろうと遠慮がちに見ていたところ、労務者みたいなあんまり上等ではなさそうな服を着たおっさんが、イタリア語で、遠慮するなよ・・みたいな感じで説明してくれた、そのおっさんのイタリア語は理解できなかったのだが、なぜか、言っている意味はわかったのだ。 たしかに、語学ができようができまいが、伝える意思のある人間の言うことというのは、だいたい、わかったりするのだ。 それと同様に、日本国内においても、伝える意思のない人間に場所を尋ねるのは不適切。セブンイレブンで道をきくのは愚の骨頂であり、それ以上に、ケーサツで場所を尋ねるというのは、非常識極まりない!
日本ハリストス正教会 の 豊橋ハリストス正教会 に行きたいと思った者としては、正教会の建物として、東京のニコライ堂、函館の正教会に次いで知名度がある教会堂で重要文化財に指定されている教会堂・・・と思って訪問する者の意識としては、国道1号に沿ってあるか、そうでないにしても、けっこう広い通りに面してあるのではないかと思ってしまうのだが、実際に行ってみると、そうではない。 豊橋公会堂の東側、国道1号と豊橋美術博物館の前の道との間の道を西から東に進んでみると、あった。↓
全体の写真は無理だろうと思って撮ってみたら、それなりに撮影できたのだが、撮った写真を見てみると、それは肉眼で見たものとはまた印象は異なる。 しかし、肉眼で見たものと異なるから写真の方がにせものというわけでもないと思う。 又、デジカメを「発光禁止」にして撮影した場合と、「Auto」でフラッシュが発光するようにして撮影したのでも撮れ方は異なる。 ある程度、その付近に光がある場所において、全体の写真を撮影しようとすると、むしろ、「発光禁止」にして撮影した方がきれいに撮れるようだ。 で、撮影のしかたによって撮れ方が異なった場合、どちらが正しいのかというと、これも、こっちや!と決まるものでもないように思うのだ。 リゼット=ショール『眼鏡よ さようなら』( 1987.7.10.立風書房)では、「1.0」という「視力」をあまり絶対視しない方がよいのではないか、といったことが書かれている。 近視になってしまった人は、1.0とか1.5という視力で見えたものが正しい見え方で、0.1や0.2の視力の者が見えるものは間違いだという認識は捨てた方がよいのではないか、と。 0.1や0.2の視力で見えるものもまた、ひとつの見え方であると認めてよいのではないのか。 そもそも、とんぼ の眼では人間が見ているものとは異なった見え方をしているはずであるし、とんぼ に限ったことではなく、他の動物はそれぞれが異なる見え方をしているはずで、どれが正しい間違っているとは言えないのではないか、と。
そう思って考えた時、肉眼で見えたものとカメラで撮影したものとが異なる場合、どちらが正しいとはいちがいに言えないのではないか。 あるいは、カメラの設定を異なる設定にして撮影した場合に異なる撮れ方をした時、どちらが正しい間違っているとは言えないのではないか。
で、↓のアングルも、けっこういいと思うのですが、どうでしょう。↓
↑ 但し、右上の光源は何かというと、お月さんなのですが、手がぶれないように気をつけて撮影しても、肉眼ではきれいに形状が見えるお月さんが、写真になると、どうも、光源がそこにあるという程度にしか写らないのは、写真の技術が未熟だということなのか・・・・。 でも、これ↑、けっこう気に入っているのです。 どうでしょうか。
建築屋に勤めて以来、有名建築物・歴史的建造物を見に行った時に、工事中だったという場合、それまでなら、な~んだあ~あ、残念と思うところを、そうではなく、へ~え、こんなふうにやるんだあ・・・と感心したりする経験を持つようになりました。 それとともに、昼間に行くつもりが遅くなって日が暮れてしまったという場合でも、日没後にはまた違った見え方をする場合があり、夜、見るとこう見えるんだあ・・という経験をすることもあります。 夏場みた感じと冬場に見た感じが違うということもあります。フリーダムアーキテクツデザイン(株)〔本社:東京都中央区〕の自称「設計士(さま)」の若造が好む真っ黒けのカラスみたいな家というのは、夏、見るといかにも暑苦しい! というのを、設計担当した者は一度見てみるべきで自分自身で感じてみるべきだと思うのですが、そのあたりの謙虚さがあるかないか。
宗教施設の場合、基本的には昼間に訪問するものでしょうし、豊橋ハリストス正教会の場合は、周囲には民家があったりオフィス事務所があったりする場所で、周囲の道は日没後でも人は通る所ですから、歩いていけないことはないでしょうけれども、それでも、訪問は基本は昼間でしょうが、夜は夜で異なる見え方で見えるということで、結果として日没後になったというのは、それはそれで悪くはなかったかと思います。 もっとも、できれば、次回は昼間に訪問したいと思いますが。
で、↓の図柄は何か。
↑ 教会ですから、十字架があっておかしくないのですが、カトリックやプロテスタントの教会では、この図案はあまり見かけませんが。 《ウィキペディア―正教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A によると、これは、≪八端十字架。スラヴ系の正教会でよく使われる十字。≫だそうで、 《ウィキペディア―八端十字架(はったんじゅうじか)》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%AB%AF%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6 によると、これは≪ロシア正教会・ウクライナ正教会で頻繁に用いられ、ブルガリア正教会、セルビア正教会などのスラヴ系正教会でよく用いられる十字・十字架である。アメリカ正教会、フィンランド正教会、日本正教会でも広く用いられている。また、古儀式派でも頻繁に用いられる・・・≫ものだそうで、一番上の左右の棒は、「ユダヤ人の王・ナザレ人イエス」と書かれたキリストの罪状書きが書かれた板で、一番下の左右の棒は、正教会の伝承では十字架に足台があったとされているそうで、その足台を意味するらしい。
↑ 教会堂の入口の左手前に、この案内書きと縦長の表示があるのですが、縦長の札には、「豊橋ハリストス正教会 重要文化財」と書かれているのですが、樹木で下の方が見えません。 できれば、下まで見えるように植木の手入れをお願いしたいと思います。
↑の写真はクリックすると大きくなります。≪ 設計者は河村伊蔵(知多郡内海村出身)で、聖堂建築のため、地元の大工は京都まで赴き、京都正教会を手本として西洋風のドームを建築したといわれています。 ≫と書かれています。 ≪木造銅板葺き1階建て≫とも出ています。 木造だと思わずに見ていましたが、木造で地元の大工が作った聖堂建築のようです。
↑ 《ウィキペディア―豊橋ハリストス正教会》https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A によると、≪ 「豊橋ハリストス正教会」は教会の名であり、聖堂の正式名は聖使徒福音記者マトフェイ聖堂である ≫らしい。
場所は、豊橋市役所の東の豊橋市公会堂の東、豊橋警察署の裏(北)、豊橋市美術博物館より南。
国道1号は豊橋市の豊橋市役所の所で90度曲がっています。 この道を路面電車が走っている。 「市役所前」という停留所というのか駅というのかがあるようです。 『楽楽 名古屋 瀬戸・三河』(JTBパブリッシング)には、≪JR・名鉄豊橋駅から市内電車で7分、市役所前電停下車、徒歩3分≫と書かれています。 次回は、路面電車に乗ってみたいものです。 1993年だったか1994年だったか、(株)一条工務店の福島県いわき市の営業所にいた時、営業所にいたS(男。当時、40代)が、「仙台はすっげえどお~お。 ち~かてつがあるんだどお。 おら、仙台でち~かてつ、乗ってきたんだどお。 どうだ、おめえ、地下鉄、見たことねえだろ。地下鉄、見たことあるか、ねえだろ」と私に言うので、言っている意味がよくわからず、「ありますよ」と言うと、「え、おめえ、地下鉄、見たことあるのけ?」とSさんは言い、「乗ったことはねえだろ」と言うので、「ありますよ」と言うと、「いったい、どこで乗ったんだ、地下鉄。 おめえ、いったい、どこで乗ったんだ?」と言うので、「東京でも大阪でも名古屋でも横浜でも乗りましたけど」と言うと、「乗ったことあんのけ、おめえ。おめえ、地下鉄乗ったことあんのけ?・・・・、おめえも、なかなかたいしたもんだなあ~あ・・・」と感心されたということがありましたが、何を言ってるのかよく意味がわからなかったところ、そのおっさんが出て行った後、M(男。当時、20代)が、「さっきのこのおやじの言うこと聞いてて、もう、嫌んなっちゃった。 何が、『地下鉄乗ったことあんのけ』だ。 このいなかもんが。 何が、『おら、仙台でち~かてつ乗ってきたんだどお』だ。 もう、嫌んなっちゃった、あれ聞いて」と言うので、Sさんは、仙台に行って地下鉄に乗ってきたということを自慢したかったらしいとその時になって気づいた、ということがありました。まさか、地下鉄に乗ってきたなどということを自慢する人なんて、今の日本にいるとは思わなかったので、何を言ってるのか意味がよくわからなかったのですが、自慢する人というのがいたようです。「おら、ち~かてつ、乗ってきたんだどお~お」と。
で、・・・私、“ち~かてつ” よりも、路面電車の方が好きです。 私が小学校の低学年の時、大阪市の市電はなくなりました。 市電に乗っても、自動車が市電の線路の上にまで来てしまって市電は走れなくなり、大阪の市電はなくなってしまいました。 阪神北大阪線という路面電車が野田阪神から阪急の中津駅の前を通って、天神橋筋六丁目まで走っていて、一度、乗ってみたいと思って中津―野田阪神の間を乘り、中津―天六(天神橋筋六丁目)間も乗ってみたいと思っているうちになくなってしまいました。 京都の市電に乗ったところ、なかなか着かないので、なんか、遅い電車だなあと思っていたところ、母が、「昔から、大阪の市電は走って乗らないと乗せてもらえないけど、京都の市電は乗るのを待ってくれるという話があった。 でも、だから、京都の市電は親切でいいかというと、待ってくれるのは自分だけじゃないので、なかなか、目的地に着かないので大阪の人間は京都の市電に乗るといらいらする、と言われてきた」と説明してくれたことがありましたが、京都の市電もなくなりました。 地下鉄が絶対に悪いということはありませんが、道路でも、「クルマは道、人は溝」みたいに、U字溝にフタをしてそこを「歩道」だとしているような道がありますが、地下鉄というのはそれに似たところがあります。「クルマは地上、人は地下」というのは本来的ではないように思います。 路面電車が活用される街づくりと地下鉄でないと動けない街では路面電車が活用される街の方が文化的だと思うのです。
今回、豊橋では市電に乗ることはできませんでしたが、実は、3年ほど前、地震の前の熊本に行って、おら、路面電車に乗ってきたんだどお~お・・・。 それから、4年前でしたか、東京で唯一残っている都電の荒川線に雑司ヶ谷の鬼子母神に行く時に乗ってきたんだどお~お。 大阪の市電はなくなりましたが、南海電鉄の子会社の阪堺電気軌道は阪堺線と上町線をその多くの部分を路面通って走らせていますが、何年か前、住吉大社に行った際に、住吉大社から天王寺まで阪堺電車に乗ってきたんだどお~お・・と自慢したくなります。 地下鉄というのは、地下を走らせるしかしかたがないという場所でやむをえず地下鉄にするもので、路面電車が有効に活用できる都市では路面電車の方がいいはずです・・・・・が、「おら、仙台いって、ち~かてつ、乗ってきたんだどお~お」と自慢するおっさん、というのは・・・・、悪いとは言わんが、なんかこう・・・・なんというのか・・・、まあ・・、仙台行って地下鉄乗ってきたというのを自慢するのは別にいいけどね・・・。問題は、そういう頭の悪いじいさんというのは、この人は頭が悪いんだからしかたがないと思ってその人のめんどうを見てあげ世話してあげると、世話してもらえるのが当たり前めんどうみてもらうのが当然と思うようになり、さらに、そういう頭の悪いじいさんというのは人畜無害ではなく「恩を仇で返す」ようになりますから、そこが問題・・・。 かつ、そのあたりを理解できる経営者でない会社だと・・。
夜の豊橋ハリストス正教会も悪くはないけれども、次回は明るい時間帯に来てみたいものです。 クルマで行かないといけない所ではないし、時間に余裕があれば豊橋駅から歩いても悪くなさそうだし。
(2016.9.14.)
※ 今回、訪問に際し、インターネット上で、下記のものなど参考にさせていただきました。
日本ハリストス正教会 豊橋ハリストス正教会 聖使徒福音記者マトフェイ聖堂 http://www.orthodoxjapan.jp/annai/n-toyohashi.html
ウィキペディア 豊橋ハリストス正教会 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%A9%8B%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A
文化財ナビ 愛知 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太(マトフェイ)聖堂 https://www.pref.aichi.jp/kyoiku/bunka/bunkazainavi/yukei/kenzoubutu/kunisitei/0113.html
レトロな建物を訪ねて 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂 http://gipsypapa.exblog.jp/18988033/
豊橋の洋風建築 http://www.geocities.jp/kz11610/toyohashi.html
東京復活大聖堂教会 ニコライ堂 http://nikolaido.jp/
函館ハリストス正教会 http://orthodox-hakodate.jp/
☆ 日本の教会建築シリーズ
東京都
日本キリスト教団 本郷中央教会(ヴォーゲル)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201412article_1.html
日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂(ミハイル=シチュールポフ・ジョサイヤ=コンドル) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201512article_2.html
神奈川県
慶應義塾大学 YMCAチャペル(ヴォーリズ)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_3.html
日本キリスト教団 清水が丘教会https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
愛知県
豊橋ハリストス正教会 〔今回〕
大阪府
日本キリスト教団 南大阪教会(村野藤吾)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_2.html
カトリック大阪梅田教会《1》 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_1.html
同 《2》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_5.html
高槻カトリック教会(高山右近記念聖堂) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_2.html
日本キリスト教会高槻教会https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201510article_4.html
日本基督教団東梅田教会(一粒社ヴォーリズ建築事務所) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_1.html
日本基督教団扇町教会 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201604article_2.html
兵庫県
神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)(ウィグノ―ル)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
日本基督改革派神港教会・カトリック六甲教会https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201312article_1.html
関西学院教会 と 関学 ランバス記念礼拝堂(一粒社ヴォーリズ建築事務所)、関学神学部棟(ヴォーリズ) 他https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201405article_2.html
カトリック夙川教会 https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201406article_1.html
この記事へのコメント