チェルノブイリに比べて甘い福島第一原発事故後の規制。 及、日経新聞はやはり御用新聞なのか?
[第199回]
3月11日(火)は2011年3月11日の東日本大震災から3年経った日であった。 東日本大震災と福島第一原発から3年を過ぎたのだが、放射能汚染というのは3年や4年で消えるものではなく、まだまだしばらく油断できそうにない。
しかし、人間の気持というものは、そう長く緊張状態を続けられるものでもない。 自分自身のことを言うと、1995年1月17日の阪神淡路大震災の後、私は住宅建築業の会社に勤めていたので、地震とそれによる被害についての書物・雑誌を相当に読んだし、新聞やテレビなどで見る写真・映像はショッキングなもので、自然と関心を引かれたのだが、何カ月か後、地震とその被害状況について見たり読んだりするのに疲れてきたというのか、最初、自然と関心を引かれたのと逆に地震とその被害状況について見るのに抵抗を感じだした。
裁判において、民事事件では、本来は「和解」などできる性質のものではないにもかかわらず、「和解」をするケースには、裁判を継続する経済的余裕がなくなったというものもあるだろうけれども、それだけではなく、精神的に限界に達したため、やむなく「和解」したというケースがあると思う。 刑事事件では「和解」しようとしてもその手段がない。米国などでは「司法取引」という制度もあるようだが日本にはない。 刑事事件で「被疑者」とされた人で自殺してしまう人がいるのは、自分が犯人ではなくとも、犯人扱いされて裁判を受けさせられるという状況を脱するためには、民事と違って「和解」がない刑事事件では自ら自分の命を絶つことしかないからではないかと思う。 いいかげんな対応をしている日本の「警察→検察→裁判所」は殺人鬼である。
1995年の阪神淡路大震災の後しばらくして、阪神淡路地域以外の住人が地震とその被害状況についての記事から関心が薄くなってしまったのは、地震とその被害状況についての記事に「疲れてしまった」ということとともに、新聞記事の大きな話題としてオウム真理教の地下鉄サリン事件が阪神淡路大震災の約1カ月後に起こったため、地震以外のもので大きな話題となるものが発生したということもある。
2011年3月11日の東日本大震災では、福島第一原発事故とそれによる放射能汚染の問題が発生し、その時の政権担当政党が自民党でなく民主党だったことから報道規制も少なめであったのか(?)マスコミでも原発事故と放射能汚染についての報道が連日なされた。
しかし、3年経った2014年3月。 政権担当政党も自民党に変わり、民主党政権時より報道規制がなされるようになったのかどうかはよくわからないが、原発事故と放射能汚染についての報道も減ってきたし、また、原発を再稼働するべきではないかという方向の報道も出てきた。
陸上競技の中距離走では「スタートダッシュ」で加速して走り始め、「中間疾走」ではスタートダッシュで出たスピードに乗って走り、そして、残りわずかとなったところで「ラストスパート」で全力疾走するというのだが、2011年3月の福島第一原発事故直後、我々は放射能汚染への対応いおいて「スタートダッシュ」兼「ラストスパート」のような態度を取らざるをえなかった。 しかし、原子力関係の仕事についている人は別としてそうでない人間は放射能汚染のことだけを考えて生きていくことはできないし、精神的にも放射能汚染のことばかり考えて生きるのはもはや限界である。 だから、実際問題として、放射能汚染のこともある程度考えながら日常生活を送るようにせざるをえない。 又、食事の内容を考えるのも、外食を控えるのも、あまり厳しい基準で長期に及ぶとストレスがたまることになり、妥協せざるをえなくなってきてしまう。
しかし。 最近の新聞やテレビ、あるいはインターネット上のニュースなどを見ると、なんだか、原発事故による影響を軽く見過ぎているのではないか。 「軽く」とともに、地震や津波による被害のように地震から何年か経てば、直接、地震や津波で亡くなった方や遺族は別として、そうでない地域の人間には影響はなくなるかのような感覚になってきていないかという印象を受ける。
1週間程前の事だが、埼玉県内のある料理店で昼食を食べていた時、隣りのテーブルに座っていた年配者の3人だか4人だか連れのあるおじいさんが「福島第一原発の事故なんて、あんなもの、広い大海に水1滴おとしたような事故なのに、それを大変な事故がおこったみたいに大騒ぎしてからに。 日本人にはそういう人間がいるんだよ。おかしなのがねえ」などと話していた。「おじいさん、違いますよ、それは」と言いたい気持になったが、食事中、他人が家族だか友人だかと話しているのを他人がどうこう言うべきものでもないだろうから黙っていたが、そんなこと思っている人がいまだにいるんだと思った。
「福島第一原発の事故は、『放射能漏れ』とかいう程度の事故ではない。」 まず、このことを頭に入れなければならない。
「放射能汚染による影響は、その時、すぐに出るものもあるけれども、一般に『即死』は少なく、その影響は徐々に出てくるものだ」 ということも頭に入れなければならない。 飲食店の隣りのテーブルにいたおじいさん、相当自信を持ってご親戚だかご友人だかに話されていたけれども、違いますよ、それは。
ひとの文章を引用ばかりしたブログはやめようと思ったのだが、知らない人が今も多いようで、かつ、どういう本を見ればよいか知らない人もいるらしく、また、私が持っている本で絶版になっているものもあるようなので、ここで引用する。
瀬尾 健(せお たけし)(1940―1994 京都大学原子炉実験所助手。)著・日本消費者連盟 共同企画『完全シミュレーション 原発事故の恐怖』(2000.1.25. 風媒社) に、日本の原子力発電社で事故が起こった場合、どういう影響がでるかについてのシミュレーションが出ている。
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↑ 福島第一原子力発電所は、1号炉から6号炉のうち、≪1号炉が46万キロワット、2号炉から5号炉までが78.4万キロワット、6号炉が110万キロワットである。≫≪ここではこの最大規模の6号炉の事故≫が起こった場合のシミュレーションが書かれている。
この図では、「緩い避難基準」「厳しい避難基準」が示されているが、「厳しい」というのはこの基準を採用すれば絶対に大丈夫というもののことではなく、≪チェルノブイリ原発事故に際して旧ソ連が設定した、1平方メートルあたり148万ベクレル(40キュリー/平方キロメートル)のセシウム137という地面汚染濃度を、避難基準の目安の一つ≫として、これを「緩い避難基準」とし、もうひとつ、≪白ロシア共和国が設定した約3倍厳しい避難基準(15キュリー/平方キロメートル)についても合わせて示した≫もので、これを「厳しい避難基準」として地図に示したというものである。(下線はブログ作成者による)
≪ 図(3)は長期避難をするべき領域を示す図である。 つまりこれは長期間居住不可能となる領域でもある。長期避難というのは、セシウム137のよな半減期の長い放射能の汚染量をもとに設定されるもので、何十年にもわたる居住不可能地域を意味する。 ≫ ≪・・・これらの被害はあらゆる方向に発生するわけではなく、風の吹く方向15度の開き角の内側だけだということである。 風向きのふらつきが大きければ、開き角度は広がるけれども、その分、放射能濃度が薄められるので、影響の及ぶ距離は短くなる。≫ということらしい。
≪本計算を行うに際して選んだ設定条件・・・。
● 事故の型=PWR(加圧水型原発)についてはPWR2型。 BWR(沸騰水型原発)についてはBWR2型。(・・)
● 気象条件=風速2メートル、大気安定度はD型。したがて放射能雲は風下に向って15度の角度で広がっていく。(・・)
● 被曝線量の計算は、放射能雲からと、汚染地面からの直接被曝(地面からの被曝は5年で打ち切り)、それに吸入で体内に入った放射能による被曝の3つの合計を考える。≫ というものだそうです。
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福島第一原発事故と旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は、いずれも「レベル5」の重大事故であったが、
1. 同じ「レベル5」でも事故の内容・性質は同じではない。
2. 瀬尾健氏も≪これらの被害はあらゆる方向に発生するわけではなく≫と述べているように、図に円が書かれているけれども、原発からの距離が同じでも被害が強くでる地域とそうでない地域がある。
・・・ということはあるとしても、そうであるとしても、最近、日本で言われている「避難地域の解除」とかなんとかいうテレビや新聞での話題は、あまりにも基準が緩すぎないか?
私は福島県いわき市に約5年間、住んだことのある者であり、福島県には親しみを感じ、自分自身何パーセントかは福島県人だと思っていた人間なので、福島県の東部中部が放射能の影響を強く受けてしまったというのはとても悲しいと思うのだが、だからといって、 「避難地域」を解除してその地域の住人に戻ってもらおうとかいうニュースは喜べない。 それが本当に安全だから「戻ってもらおう」ということなら良いのだが、どうも、そうではないのではないか、という気がするのだ。 その地域の人たちをすべて他に転居させるべく補償するのが嫌だから安全でもないのに戻らせようとしているということはないか? あくまで、放射能について専門でも何でもないしろうとの意識としてであるけれども、「戻ってもらおう」という話は、とても、素直に喜べるようなものではないように思える。
上で述べた埼玉県某所の飲食店で隣りのテーブルに座っていたおじいさんが「福島第一原発の事故なんて、あんなもの、太平洋のような大海に1滴おとした程度の事故でしかないのに、大騒ぎして・・」などと言っているのは認識を間違えているとともに身勝手ではあるが、埼玉県あたりに住んでいる人にとっては直接の大きな被害にはつながりにくいかもしれないが、福島県東部中部などの住人がそんなこと思っていたとしたら、とんでもない結果になるのではないか。 埼玉県あたりの住人でもそんなこと思っていたならば、食品や放射性物質をかぶった「がれき」を各地で燃焼させたものの拡散から被害を受ける可能性も考えられるのではないか。
上に引用した「緩い避難基準」(旧ソ連の避難基準)・「厳しい避難基準」(白ロシア共和国の避難基準)のいずれと比較して考えても、日本の避難基準は甘すぎないか? この「旧ソ連の避難基準」「白ロシア共和国の避難基準」は≪これは長期間居住不可能となる領域≫≪何十年にもわたる居住不可能地域≫のことで、原発事故直後に避難して3年経てば帰還できる地域のことではない。
「日本経済新聞」2014.3.14.<朝刊>に、≪原発ゼロ 夏にも解消≫≪再稼働へ選別進む≫≪川内の優先審査 決定≫という記事が1面に出ていた。↓
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又、「日本経済新聞」2014.3.13.<夕刊>には、≪川内原発を優先審査≫≪規制委 今夏にも再稼働≫という記事が1面に↓、≪地震対応「妥当」と評価≫≪川内原発再稼働へ 政府の指導力カギ≫という見出しの記事が2面に出ていた。↓
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≪原子力規制委員会は13日、九州電力川内(せんだい)原子力発電所を優先的に審査すると決定。・・≫という記事を掲載したのはいいとして、≪原発ゼロ≫でなくそうという動きを、なにゆえ、日経新聞は「解消」とプラスの価値判断をした表現にするのだろうか?
≪原子力発電所再稼働に向けた安全審査がようやく一歩踏み出した。≫と「再稼働に向けた」動きがあるのをなにゆえ、「ようやく一歩踏み出した」とプラスの価値判断をした表現にするのだろうか?
30年ほど前、慶應義塾大学の商学部の教授が「日経新聞を読んでくださいよ」と講義の中で言われたことがあり、それで、それまで、「朝日」「毎日」「東京」「読売」「サンケイ」を3カ月ごとに購読紙を変えて読んでいたところを、教授がそう言われるのならと思って購読紙を日経に変えたのだが、日経新聞を朝夕刊定期購読してみると、日経というのは、株価が上がった下がったとか為替レートがどうか貴金属の価格がどうかといったことを見るにはいいが、そうでない一般・政治・社会関係の記事は記事のレベルが低く、読むにたえない不快指数が上昇する下等新聞で、およそ、ある程度以上学問を学んできたインテリが読むような新聞ではないという印象を受けた。30年ほどまえに「朝日ジャーナル」に載っていた記事によると、「日経新聞というのはもともとは野村証券が作った株屋の新聞」だそうで、しょせん、その程度の新聞という印象を受けた。
それを読まそうとする慶應の教授というのも人間としてのレベルが低い、という印象を受けた・・・し、実際に、経済面だけの専門バカ教授もおられたのではないかとも思うのだが、しかし、「読売」は記事の内容・レベルが低く教養水準の低いブルーカラーの読む新聞(読売新聞某販売店の店長が言った表現によれば「バカの読む新聞」)であり、サンケイ(産経)は、40年ほど前、自民党の執行部が「『自由新報』では『赤旗』に勝てないから一般新聞をひとつ買収しよう」と主張したと「朝日新聞」に掲載されていたことがあったがそれに該当するのかと思われる新聞で、自民党の中でもタカ・右翼・反動の方の自民党の方の意向を受けた右翼新聞で記事の内容もそういう傾向の「右は右でもレベルの低い右の新聞」であるとして、経済問題、それも、経済体制をひっくり返すような「経済問題」ではなく世界の経済状況がどうなっているかを見るには、日経新聞、及び、日経流通新聞(MJ)は「朝日」「毎日」「東京」よりも詳しく内容があり、日経・日経MJでなければ見れない記事があり、かつ、いきなり読もうとしてもスポーツ新聞などと違って日頃から目を通す習慣をつけておかなければ、突然、読もうと思っても読めないところがあるので、慶應の教授が「日経新聞(を、意図的に、意識して、読もうと自覚して) 読んでくださいよ」と講義で言われたのもわかる・・と思うようになった。
しかし、30年ほどまえは、日経新聞はその時その時の景気がどうかといった経済記事を見るにはいいが、やはり、社会・政治問題などについては「朝日」「毎日」「東京」にはるかに記事の内容が劣るというのは否定のしようがなく、又、新聞というものは、その時その時の政治権力・経済支配勢力の言いなりになっていたのでは新聞の存在価値がなくなってしまうものであるはずだが、日経新聞は政治権力・経済的支配勢力のお言いつけに従って記事を作成するワンちゃん新聞のごとく思われるところがあった。 だから、私は「日経と朝日」「日経と毎日」「日経と東京」というように2つ新聞を購読した時期もあったが、新聞を2つ読むのは大変だったので、日経を宅配で定期購読して、時々、コンビニやキオスクで「朝日」「毎日」を買って読む、「朝日」もしくは「毎日」を宅配で定期購読して、時々、コンビニ・キオスクで「日経」を読む、とした時もあった。
しかし、最近、日経新聞の広告で、かつては日経新聞の読者は、「朝日」「毎日」「読売」「東京」などと「日経」とを2つ購読する人が多かったが、最近では日経のみ購読するという人の割合が増えてきている、と書かれているのを見た。 かつては、自宅で「朝日」「毎日」「東京」などを購読し、会社が「日経」をとって、昼休み時間に会社員がそれを読んだり、朝、通勤時に駅の売店で「日経」を買って読む会社員がいたりしたのだが、最近は、日経のみを自宅で購読する人の割合がかつてに比べて多くなったらしい。 そう思って日経新聞を読むと、かつてに比べると、経済記事以外の分野でも「朝日」「毎日」「東京」に比べてもそん色ない記事があると思えた。 同時に、30年ほど前には「日経」の経済面以外の記事を読むと、「右は右でもレベルの低い右」というサンケイ並みの記事があって、嫌悪感と不快感を覚えたものだが、最近はそうでもなくなり、かつては、自民党政権に同調する記事ばかりだったが、最近はそうでもなく、自民党政権に対しても批判的な書き方をする時もあり、自民党政権の主張にたいして賛成意見とともに反対意見も併記する時もあり、必ずしも、「財界と自民党政権の御用新聞」でもなくなってきたように思えて、日経も新聞らしくなってきたと歓迎していた・・・のだが、↑の記事を見ると、やっぱり、日経新聞は御用新聞だったのか!?! とも思えてしまう。
静岡県の浜岡原発が鹿児島県の川内原発などより優先順位が後になっていますが、「南海トラフ巨大地震の想定震源域に立地」ということもあるでしょうけれども、それだけではなく、「東京に近いから」「前の海の海流が東京の方に向って流れているから」ということも関係ありそう・・と思いませんか?
↓ ヤフーニュースには、福島県いわき市 の塩屋埼灯台に、2014年2月22日、観光客への一般公開が始まったという記事が出ていた。
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(YAHOO!ニュース)
塩屋埼灯台に観光客=3年ぶり「復興のシンボル」―福島
時事通信 2月22日(土)16時24分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140222-00000101-jij-soci
東日本大震災で被災した福島県いわき市の塩屋埼灯台で22日、3年ぶりに一般公開が始まった。美空ひばりさんが歌った「みだれ髪」の舞台で、震災前は年10万人が訪れた県内有数の観光地だ。
地元の介護士佐藤和義さん(35)は家族4人で訪れ、「復興のシンボルがまた一つ増えた。ここで子どもたちの写真を撮り続け、成長の記録にしたい」と笑顔で話した。
福島海上保安部が開いた記念式典に合わせ、この日は無料で開放された。県内外から家族連れや団体客らが訪れ、灯台の上から海の景色を楽しんでいた。
灯台は震災でレンズ部分のガラスがすべて割れ、近くの歩道が一部崩落した。約9カ月後には点灯したが、のり面の復旧工事などが続いていた。
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↑ 地元の人が行く場合と遠くの人間がわざわざ行くのとは意味が違う。 いわき市中部よりも放射線量の低い地域に住む人がわざわざ行くのは愚かだと思う。 塩屋碕灯台の付近は風景もきれいで、原発事故がなければ自然環境もいいところだった。 塩屋埼灯台の下の海辺に美空ひばりの歌の碑があって前に立つと歌が流れるようになっていた。 いわき市平薄磯の海岸から見た塩屋埼灯台もきれいだった。 いわき市には「いわき なんて、な~んもねえ」とか言う住人がけっこういたが、そんなことはない。 薄磯海岸から見た塩屋埼灯台、勿来の関跡など、「きれいな所だなあ」と感心した。 そういう場所がいわき市や双葉郡には何か所もある。 だから、原発事故がなければ、いわき市には、まだ、二度でも三度でも行きたいと思っていた。 しかし。 原発事故はあった。 事実として原発事故はあったのだ。 そうなると、そこよりも放射線量の低い地域に住んでいるのに、わざわざ、「自分が住んでいる場所よりも放射線量の高い所」に、仕事でもないのに行く人間はバカである。 地元の人間も、観光・レジャーでどこかに行こうかと思うなら、「自分が住んでいる所よりも放射線量が低い所」へ行くべきだ、と思う。
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↑ 福島第一原発事故の後、東京圏における食料品店では「九州産」と書かれた食品が見られるようになった。砂糖は、沖縄のさとうきび、北海道のてんさい から採られるものがほとんどで、福島第一原発事故の影響が強い県で生産されているものはほとんどないようで、その点は助かったが、もし、川内原発で事故が起これば、砂糖も影響を受けるであろうし、「九州産」の農産物も影響を受けるだろう。日本海側の水産物も影響を受けるだろう。


我が家は、父の先祖が鹿児島県出身だったため、鹿児島県出身の人とのつきあいがあった。 鹿児島県は大阪府と仲がいい県のひとつらしく、鹿児島県から大阪府に働きに来ていた人もけっこうあった。 母が聞いた話だが、大阪で勤めてきて、定年退職の後、鹿児島県に帰って住もうという方が「鹿児島というのは、台風がよく来るし、目の前に桜島があってしょっちゅう火山灰が降ってきて、あんまりいい所じゃないですよ」と言われたというのだ。 それで、「いい所じゃない」から、もう鹿児島に帰らないのかというと、そうではなく、やはり、故郷に帰りたいらしく、定年退職の後は鹿児島に帰って住みたいそうだった。 遠藤周作の『火山』(角川文庫)という小説の舞台は鹿児島市であろう。 日本の県庁所在地の中で、目の前に火山があるというのは鹿児島くらいだと思うのだが、鹿児島県の北西部の川内市にある川内原発って、近くの火山の噴火に対しては十分に対策が建てられているのだろうか?
原子力発電所について、「原発は地震や津波に対しても十分すぎる対策がたてられているが、人間のやることに絶対はないということを考えると、やはり、もしものことがあった時を考えれば危険すぎるので賛成できかねる」と思っていたのだが、福島第一原発事故では周囲の普通の戸建住宅でも倒壊などしていないものがいくつもあったようなのに、原発は大事故を起こした・・ということは、実は、「地震や津波に対しても十分すぎる対策がたてられて」いるだろうなどというのは幻覚で、実際はそうではなかったようである。 火山の噴火や火山灰に対しても、安全でもないのに「安全で~す」とか言っている可能性も、ないとは言えない気がする。 川内原発で大事故が起これば水俣病以上の被害が出るだろう。 我が家は父の先祖が鹿児島県出身だったということもあり、鹿児島県が東京あたりに比べて軽視されているのか? と思える川内原発再稼働への動きは特に喜べない。
(2014.3.20.)
3月11日(火)は2011年3月11日の東日本大震災から3年経った日であった。 東日本大震災と福島第一原発から3年を過ぎたのだが、放射能汚染というのは3年や4年で消えるものではなく、まだまだしばらく油断できそうにない。
しかし、人間の気持というものは、そう長く緊張状態を続けられるものでもない。 自分自身のことを言うと、1995年1月17日の阪神淡路大震災の後、私は住宅建築業の会社に勤めていたので、地震とそれによる被害についての書物・雑誌を相当に読んだし、新聞やテレビなどで見る写真・映像はショッキングなもので、自然と関心を引かれたのだが、何カ月か後、地震とその被害状況について見たり読んだりするのに疲れてきたというのか、最初、自然と関心を引かれたのと逆に地震とその被害状況について見るのに抵抗を感じだした。
裁判において、民事事件では、本来は「和解」などできる性質のものではないにもかかわらず、「和解」をするケースには、裁判を継続する経済的余裕がなくなったというものもあるだろうけれども、それだけではなく、精神的に限界に達したため、やむなく「和解」したというケースがあると思う。 刑事事件では「和解」しようとしてもその手段がない。米国などでは「司法取引」という制度もあるようだが日本にはない。 刑事事件で「被疑者」とされた人で自殺してしまう人がいるのは、自分が犯人ではなくとも、犯人扱いされて裁判を受けさせられるという状況を脱するためには、民事と違って「和解」がない刑事事件では自ら自分の命を絶つことしかないからではないかと思う。 いいかげんな対応をしている日本の「警察→検察→裁判所」は殺人鬼である。
1995年の阪神淡路大震災の後しばらくして、阪神淡路地域以外の住人が地震とその被害状況についての記事から関心が薄くなってしまったのは、地震とその被害状況についての記事に「疲れてしまった」ということとともに、新聞記事の大きな話題としてオウム真理教の地下鉄サリン事件が阪神淡路大震災の約1カ月後に起こったため、地震以外のもので大きな話題となるものが発生したということもある。
2011年3月11日の東日本大震災では、福島第一原発事故とそれによる放射能汚染の問題が発生し、その時の政権担当政党が自民党でなく民主党だったことから報道規制も少なめであったのか(?)マスコミでも原発事故と放射能汚染についての報道が連日なされた。
しかし、3年経った2014年3月。 政権担当政党も自民党に変わり、民主党政権時より報道規制がなされるようになったのかどうかはよくわからないが、原発事故と放射能汚染についての報道も減ってきたし、また、原発を再稼働するべきではないかという方向の報道も出てきた。
陸上競技の中距離走では「スタートダッシュ」で加速して走り始め、「中間疾走」ではスタートダッシュで出たスピードに乗って走り、そして、残りわずかとなったところで「ラストスパート」で全力疾走するというのだが、2011年3月の福島第一原発事故直後、我々は放射能汚染への対応いおいて「スタートダッシュ」兼「ラストスパート」のような態度を取らざるをえなかった。 しかし、原子力関係の仕事についている人は別としてそうでない人間は放射能汚染のことだけを考えて生きていくことはできないし、精神的にも放射能汚染のことばかり考えて生きるのはもはや限界である。 だから、実際問題として、放射能汚染のこともある程度考えながら日常生活を送るようにせざるをえない。 又、食事の内容を考えるのも、外食を控えるのも、あまり厳しい基準で長期に及ぶとストレスがたまることになり、妥協せざるをえなくなってきてしまう。
しかし。 最近の新聞やテレビ、あるいはインターネット上のニュースなどを見ると、なんだか、原発事故による影響を軽く見過ぎているのではないか。 「軽く」とともに、地震や津波による被害のように地震から何年か経てば、直接、地震や津波で亡くなった方や遺族は別として、そうでない地域の人間には影響はなくなるかのような感覚になってきていないかという印象を受ける。
1週間程前の事だが、埼玉県内のある料理店で昼食を食べていた時、隣りのテーブルに座っていた年配者の3人だか4人だか連れのあるおじいさんが「福島第一原発の事故なんて、あんなもの、広い大海に水1滴おとしたような事故なのに、それを大変な事故がおこったみたいに大騒ぎしてからに。 日本人にはそういう人間がいるんだよ。おかしなのがねえ」などと話していた。「おじいさん、違いますよ、それは」と言いたい気持になったが、食事中、他人が家族だか友人だかと話しているのを他人がどうこう言うべきものでもないだろうから黙っていたが、そんなこと思っている人がいまだにいるんだと思った。
「福島第一原発の事故は、『放射能漏れ』とかいう程度の事故ではない。」 まず、このことを頭に入れなければならない。
「放射能汚染による影響は、その時、すぐに出るものもあるけれども、一般に『即死』は少なく、その影響は徐々に出てくるものだ」 ということも頭に入れなければならない。 飲食店の隣りのテーブルにいたおじいさん、相当自信を持ってご親戚だかご友人だかに話されていたけれども、違いますよ、それは。
ひとの文章を引用ばかりしたブログはやめようと思ったのだが、知らない人が今も多いようで、かつ、どういう本を見ればよいか知らない人もいるらしく、また、私が持っている本で絶版になっているものもあるようなので、ここで引用する。
瀬尾 健(せお たけし)(1940―1994 京都大学原子炉実験所助手。)著・日本消費者連盟 共同企画『完全シミュレーション 原発事故の恐怖』(2000.1.25. 風媒社) に、日本の原子力発電社で事故が起こった場合、どういう影響がでるかについてのシミュレーションが出ている。
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↑ 福島第一原子力発電所は、1号炉から6号炉のうち、≪1号炉が46万キロワット、2号炉から5号炉までが78.4万キロワット、6号炉が110万キロワットである。≫≪ここではこの最大規模の6号炉の事故≫が起こった場合のシミュレーションが書かれている。
この図では、「緩い避難基準」「厳しい避難基準」が示されているが、「厳しい」というのはこの基準を採用すれば絶対に大丈夫というもののことではなく、≪チェルノブイリ原発事故に際して旧ソ連が設定した、1平方メートルあたり148万ベクレル(40キュリー/平方キロメートル)のセシウム137という地面汚染濃度を、避難基準の目安の一つ≫として、これを「緩い避難基準」とし、もうひとつ、≪白ロシア共和国が設定した約3倍厳しい避難基準(15キュリー/平方キロメートル)についても合わせて示した≫もので、これを「厳しい避難基準」として地図に示したというものである。(下線はブログ作成者による)
≪ 図(3)は長期避難をするべき領域を示す図である。 つまりこれは長期間居住不可能となる領域でもある。長期避難というのは、セシウム137のよな半減期の長い放射能の汚染量をもとに設定されるもので、何十年にもわたる居住不可能地域を意味する。 ≫ ≪・・・これらの被害はあらゆる方向に発生するわけではなく、風の吹く方向15度の開き角の内側だけだということである。 風向きのふらつきが大きければ、開き角度は広がるけれども、その分、放射能濃度が薄められるので、影響の及ぶ距離は短くなる。≫ということらしい。
≪本計算を行うに際して選んだ設定条件・・・。
● 事故の型=PWR(加圧水型原発)についてはPWR2型。 BWR(沸騰水型原発)についてはBWR2型。(・・)
● 気象条件=風速2メートル、大気安定度はD型。したがて放射能雲は風下に向って15度の角度で広がっていく。(・・)
● 被曝線量の計算は、放射能雲からと、汚染地面からの直接被曝(地面からの被曝は5年で打ち切り)、それに吸入で体内に入った放射能による被曝の3つの合計を考える。≫ というものだそうです。
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福島第一原発事故と旧ソ連のチェルノブイリ原発事故は、いずれも「レベル5」の重大事故であったが、
1. 同じ「レベル5」でも事故の内容・性質は同じではない。
2. 瀬尾健氏も≪これらの被害はあらゆる方向に発生するわけではなく≫と述べているように、図に円が書かれているけれども、原発からの距離が同じでも被害が強くでる地域とそうでない地域がある。
・・・ということはあるとしても、そうであるとしても、最近、日本で言われている「避難地域の解除」とかなんとかいうテレビや新聞での話題は、あまりにも基準が緩すぎないか?
私は福島県いわき市に約5年間、住んだことのある者であり、福島県には親しみを感じ、自分自身何パーセントかは福島県人だと思っていた人間なので、福島県の東部中部が放射能の影響を強く受けてしまったというのはとても悲しいと思うのだが、だからといって、 「避難地域」を解除してその地域の住人に戻ってもらおうとかいうニュースは喜べない。 それが本当に安全だから「戻ってもらおう」ということなら良いのだが、どうも、そうではないのではないか、という気がするのだ。 その地域の人たちをすべて他に転居させるべく補償するのが嫌だから安全でもないのに戻らせようとしているということはないか? あくまで、放射能について専門でも何でもないしろうとの意識としてであるけれども、「戻ってもらおう」という話は、とても、素直に喜べるようなものではないように思える。
上で述べた埼玉県某所の飲食店で隣りのテーブルに座っていたおじいさんが「福島第一原発の事故なんて、あんなもの、太平洋のような大海に1滴おとした程度の事故でしかないのに、大騒ぎして・・」などと言っているのは認識を間違えているとともに身勝手ではあるが、埼玉県あたりに住んでいる人にとっては直接の大きな被害にはつながりにくいかもしれないが、福島県東部中部などの住人がそんなこと思っていたとしたら、とんでもない結果になるのではないか。 埼玉県あたりの住人でもそんなこと思っていたならば、食品や放射性物質をかぶった「がれき」を各地で燃焼させたものの拡散から被害を受ける可能性も考えられるのではないか。
上に引用した「緩い避難基準」(旧ソ連の避難基準)・「厳しい避難基準」(白ロシア共和国の避難基準)のいずれと比較して考えても、日本の避難基準は甘すぎないか? この「旧ソ連の避難基準」「白ロシア共和国の避難基準」は≪これは長期間居住不可能となる領域≫≪何十年にもわたる居住不可能地域≫のことで、原発事故直後に避難して3年経てば帰還できる地域のことではない。
「日本経済新聞」2014.3.14.<朝刊>に、≪原発ゼロ 夏にも解消≫≪再稼働へ選別進む≫≪川内の優先審査 決定≫という記事が1面に出ていた。↓
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又、「日本経済新聞」2014.3.13.<夕刊>には、≪川内原発を優先審査≫≪規制委 今夏にも再稼働≫という記事が1面に↓、≪地震対応「妥当」と評価≫≪川内原発再稼働へ 政府の指導力カギ≫という見出しの記事が2面に出ていた。↓
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≪原子力規制委員会は13日、九州電力川内(せんだい)原子力発電所を優先的に審査すると決定。・・≫という記事を掲載したのはいいとして、≪原発ゼロ≫でなくそうという動きを、なにゆえ、日経新聞は「解消」とプラスの価値判断をした表現にするのだろうか?
≪原子力発電所再稼働に向けた安全審査がようやく一歩踏み出した。≫と「再稼働に向けた」動きがあるのをなにゆえ、「ようやく一歩踏み出した」とプラスの価値判断をした表現にするのだろうか?
30年ほど前、慶應義塾大学の商学部の教授が「日経新聞を読んでくださいよ」と講義の中で言われたことがあり、それで、それまで、「朝日」「毎日」「東京」「読売」「サンケイ」を3カ月ごとに購読紙を変えて読んでいたところを、教授がそう言われるのならと思って購読紙を日経に変えたのだが、日経新聞を朝夕刊定期購読してみると、日経というのは、株価が上がった下がったとか為替レートがどうか貴金属の価格がどうかといったことを見るにはいいが、そうでない一般・政治・社会関係の記事は記事のレベルが低く、読むにたえない不快指数が上昇する下等新聞で、およそ、ある程度以上学問を学んできたインテリが読むような新聞ではないという印象を受けた。30年ほどまえに「朝日ジャーナル」に載っていた記事によると、「日経新聞というのはもともとは野村証券が作った株屋の新聞」だそうで、しょせん、その程度の新聞という印象を受けた。
それを読まそうとする慶應の教授というのも人間としてのレベルが低い、という印象を受けた・・・し、実際に、経済面だけの専門バカ教授もおられたのではないかとも思うのだが、しかし、「読売」は記事の内容・レベルが低く教養水準の低いブルーカラーの読む新聞(読売新聞某販売店の店長が言った表現によれば「バカの読む新聞」)であり、サンケイ(産経)は、40年ほど前、自民党の執行部が「『自由新報』では『赤旗』に勝てないから一般新聞をひとつ買収しよう」と主張したと「朝日新聞」に掲載されていたことがあったがそれに該当するのかと思われる新聞で、自民党の中でもタカ・右翼・反動の方の自民党の方の意向を受けた右翼新聞で記事の内容もそういう傾向の「右は右でもレベルの低い右の新聞」であるとして、経済問題、それも、経済体制をひっくり返すような「経済問題」ではなく世界の経済状況がどうなっているかを見るには、日経新聞、及び、日経流通新聞(MJ)は「朝日」「毎日」「東京」よりも詳しく内容があり、日経・日経MJでなければ見れない記事があり、かつ、いきなり読もうとしてもスポーツ新聞などと違って日頃から目を通す習慣をつけておかなければ、突然、読もうと思っても読めないところがあるので、慶應の教授が「日経新聞(を、意図的に、意識して、読もうと自覚して) 読んでくださいよ」と講義で言われたのもわかる・・と思うようになった。
しかし、30年ほどまえは、日経新聞はその時その時の景気がどうかといった経済記事を見るにはいいが、やはり、社会・政治問題などについては「朝日」「毎日」「東京」にはるかに記事の内容が劣るというのは否定のしようがなく、又、新聞というものは、その時その時の政治権力・経済支配勢力の言いなりになっていたのでは新聞の存在価値がなくなってしまうものであるはずだが、日経新聞は政治権力・経済的支配勢力のお言いつけに従って記事を作成するワンちゃん新聞のごとく思われるところがあった。 だから、私は「日経と朝日」「日経と毎日」「日経と東京」というように2つ新聞を購読した時期もあったが、新聞を2つ読むのは大変だったので、日経を宅配で定期購読して、時々、コンビニやキオスクで「朝日」「毎日」を買って読む、「朝日」もしくは「毎日」を宅配で定期購読して、時々、コンビニ・キオスクで「日経」を読む、とした時もあった。
しかし、最近、日経新聞の広告で、かつては日経新聞の読者は、「朝日」「毎日」「読売」「東京」などと「日経」とを2つ購読する人が多かったが、最近では日経のみ購読するという人の割合が増えてきている、と書かれているのを見た。 かつては、自宅で「朝日」「毎日」「東京」などを購読し、会社が「日経」をとって、昼休み時間に会社員がそれを読んだり、朝、通勤時に駅の売店で「日経」を買って読む会社員がいたりしたのだが、最近は、日経のみを自宅で購読する人の割合がかつてに比べて多くなったらしい。 そう思って日経新聞を読むと、かつてに比べると、経済記事以外の分野でも「朝日」「毎日」「東京」に比べてもそん色ない記事があると思えた。 同時に、30年ほど前には「日経」の経済面以外の記事を読むと、「右は右でもレベルの低い右」というサンケイ並みの記事があって、嫌悪感と不快感を覚えたものだが、最近はそうでもなくなり、かつては、自民党政権に同調する記事ばかりだったが、最近はそうでもなく、自民党政権に対しても批判的な書き方をする時もあり、自民党政権の主張にたいして賛成意見とともに反対意見も併記する時もあり、必ずしも、「財界と自民党政権の御用新聞」でもなくなってきたように思えて、日経も新聞らしくなってきたと歓迎していた・・・のだが、↑の記事を見ると、やっぱり、日経新聞は御用新聞だったのか!?! とも思えてしまう。
静岡県の浜岡原発が鹿児島県の川内原発などより優先順位が後になっていますが、「南海トラフ巨大地震の想定震源域に立地」ということもあるでしょうけれども、それだけではなく、「東京に近いから」「前の海の海流が東京の方に向って流れているから」ということも関係ありそう・・と思いませんか?
↓ ヤフーニュースには、福島県いわき市 の塩屋埼灯台に、2014年2月22日、観光客への一般公開が始まったという記事が出ていた。
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(YAHOO!ニュース)
塩屋埼灯台に観光客=3年ぶり「復興のシンボル」―福島
時事通信 2月22日(土)16時24分配信 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140222-00000101-jij-soci
東日本大震災で被災した福島県いわき市の塩屋埼灯台で22日、3年ぶりに一般公開が始まった。美空ひばりさんが歌った「みだれ髪」の舞台で、震災前は年10万人が訪れた県内有数の観光地だ。
地元の介護士佐藤和義さん(35)は家族4人で訪れ、「復興のシンボルがまた一つ増えた。ここで子どもたちの写真を撮り続け、成長の記録にしたい」と笑顔で話した。
福島海上保安部が開いた記念式典に合わせ、この日は無料で開放された。県内外から家族連れや団体客らが訪れ、灯台の上から海の景色を楽しんでいた。
灯台は震災でレンズ部分のガラスがすべて割れ、近くの歩道が一部崩落した。約9カ月後には点灯したが、のり面の復旧工事などが続いていた。
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↑ 地元の人が行く場合と遠くの人間がわざわざ行くのとは意味が違う。 いわき市中部よりも放射線量の低い地域に住む人がわざわざ行くのは愚かだと思う。 塩屋碕灯台の付近は風景もきれいで、原発事故がなければ自然環境もいいところだった。 塩屋埼灯台の下の海辺に美空ひばりの歌の碑があって前に立つと歌が流れるようになっていた。 いわき市平薄磯の海岸から見た塩屋埼灯台もきれいだった。 いわき市には「いわき なんて、な~んもねえ」とか言う住人がけっこういたが、そんなことはない。 薄磯海岸から見た塩屋埼灯台、勿来の関跡など、「きれいな所だなあ」と感心した。 そういう場所がいわき市や双葉郡には何か所もある。 だから、原発事故がなければ、いわき市には、まだ、二度でも三度でも行きたいと思っていた。 しかし。 原発事故はあった。 事実として原発事故はあったのだ。 そうなると、そこよりも放射線量の低い地域に住んでいるのに、わざわざ、「自分が住んでいる場所よりも放射線量の高い所」に、仕事でもないのに行く人間はバカである。 地元の人間も、観光・レジャーでどこかに行こうかと思うなら、「自分が住んでいる所よりも放射線量が低い所」へ行くべきだ、と思う。
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↑ 福島第一原発事故の後、東京圏における食料品店では「九州産」と書かれた食品が見られるようになった。砂糖は、沖縄のさとうきび、北海道のてんさい から採られるものがほとんどで、福島第一原発事故の影響が強い県で生産されているものはほとんどないようで、その点は助かったが、もし、川内原発で事故が起これば、砂糖も影響を受けるであろうし、「九州産」の農産物も影響を受けるだろう。日本海側の水産物も影響を受けるだろう。
我が家は、父の先祖が鹿児島県出身だったため、鹿児島県出身の人とのつきあいがあった。 鹿児島県は大阪府と仲がいい県のひとつらしく、鹿児島県から大阪府に働きに来ていた人もけっこうあった。 母が聞いた話だが、大阪で勤めてきて、定年退職の後、鹿児島県に帰って住もうという方が「鹿児島というのは、台風がよく来るし、目の前に桜島があってしょっちゅう火山灰が降ってきて、あんまりいい所じゃないですよ」と言われたというのだ。 それで、「いい所じゃない」から、もう鹿児島に帰らないのかというと、そうではなく、やはり、故郷に帰りたいらしく、定年退職の後は鹿児島に帰って住みたいそうだった。 遠藤周作の『火山』(角川文庫)という小説の舞台は鹿児島市であろう。 日本の県庁所在地の中で、目の前に火山があるというのは鹿児島くらいだと思うのだが、鹿児島県の北西部の川内市にある川内原発って、近くの火山の噴火に対しては十分に対策が建てられているのだろうか?
原子力発電所について、「原発は地震や津波に対しても十分すぎる対策がたてられているが、人間のやることに絶対はないということを考えると、やはり、もしものことがあった時を考えれば危険すぎるので賛成できかねる」と思っていたのだが、福島第一原発事故では周囲の普通の戸建住宅でも倒壊などしていないものがいくつもあったようなのに、原発は大事故を起こした・・ということは、実は、「地震や津波に対しても十分すぎる対策がたてられて」いるだろうなどというのは幻覚で、実際はそうではなかったようである。 火山の噴火や火山灰に対しても、安全でもないのに「安全で~す」とか言っている可能性も、ないとは言えない気がする。 川内原発で大事故が起これば水俣病以上の被害が出るだろう。 我が家は父の先祖が鹿児島県出身だったということもあり、鹿児島県が東京あたりに比べて軽視されているのか? と思える川内原発再稼働への動きは特に喜べない。
(2014.3.20.)
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