日本キリスト改革派神港教会・カトリック六甲教会・神戸松蔭女子学院 と 安藤忠雄「六甲の集合住宅」
[第197回]日本の教会建築(5)+安藤忠雄設計「六甲の集合住宅」(「ジークレフ六甲の丘」「パラマウント六甲」「ザ六甲アパートメンツ」)
「建築家」安藤忠雄 設計の「六甲の集合住宅」、マンション名としては「ジークレフ六甲の丘」「パラマウント六甲」「ザ六甲アパートメンツ」を見学させていただきました。 「させていただきました」と言っても、公道から外観を見せていただいただけでルパン三世のごとく忍びこんだのではない。 《YAHOO!知恵袋―安藤忠雄設計の六甲の集合住宅というのは、六甲山のどこにありますか?》http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116600981 を見て yxfqh456さん の回答による地図を見て行ったのですが、別の回答者shonan_sea_rexさん が≪写真撮ったりしていると管理人らしきじいさんが駆けつけてきて怒られます。 なんでも安藤忠雄から見せるなと言われているとか。≫と書かれていたので、見学目的で敷地内に立ち入って見たり写真を撮ったりするならばマンション管理人がやめてくださいというのはわかるし、今までに見たものでは東京都港区の青山の青山アパートで、写真撮影はお断りしますという表示があったように思います。 「有名建築物」であっても、今も人が居住中の場合は、居住者にとっては自分の家であるので、敷地内に立ち入って覗きこまれたりしたのではうれしくないでしょう。 しかし、公道を歩くのは誰が歩こうが自由であるはずで公道を歩く者は視力障害者でなければ見えるものは見えるのであり、「見えた」として何をとがめられなければならないのか。我が家の前の道を歩くなと言うわけにもいかないのと同じく「六甲の集合住宅」の前の道を歩くなと言われる筋合いはないはずなのです。 部屋の中を覗き込むような写真の撮り方はよくないであろうけれども、全体の写真とかは撮るなと言う方が間違っているのではないだろうか。 安藤忠雄さんというのは、撮られては困るようなものを設計しているのだろうかと思い、だいたい、マンション管理人というのは態度でかすぎで感じ悪いのが多いので、もし、マンション管理人が出てきて「安藤忠雄から見せるなと言われている」とか言うなら、「安藤忠雄て誰やねん?」とでも言うたろかいなあと思い、「安藤忠雄先生を知らんのか?」とでも言うなら「知りまへんなあ。 かろやん なら知っまっけども」とでも言うたろかい、という誘惑にかられて行ったものの、残念なことにか幸いにしてか、雨が降っていたこともありマンション管理人は出てこなかった。 文句言う方がおかしいと思う。 各部屋の中を覗き込むとか覗き込むような写真の撮り方をするならやめてくれと言うのが妥当であろうが、全体を見たり全体の写真を撮ったりするのをとがめる方がおかしいと思う。 住人だって、「建築家 安藤忠雄設計のマンション」というもったいつけたフレーズを条件として購入して入居しているのだろうし。 そう思いませんか?
(知らない方もあるかもしれないので説明しますと、「安藤 かろやん」は相撲の琴欧州が帰化した時に名のろうとしているらしい日本名です。)
[1]日本キリスト改革派 神港教会
阪急神戸線の「六甲(ろっこう)」駅を降りて北西方向に歩きますと、右手(東側)に 日本キリスト改革派 神港教会 が見えます。↓
(写真は、すべて、クリックすると大きくなります。)

「日本基督改革派」とは、「ウィキペディア―日本基督改革派教会」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%94%B9%E9%9D%A9%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A によると、プロテスタントのカルヴァン派で、≪1946年 戦前の日本基督教会(日本基督教団の第一部。現在の日本キリスト教会とは別)の中で、南長老教会および中央神学校の信仰を受け継ぐ人たちが中心となって、日本基督教団を離脱した。 創立時のメンバーは、岡田稔、常葉隆興、松尾武、春名寿章らである。創立宣言には「思想と生活に於ける、迷信と無神論を打破して真理の柱なる教会を樹立せんとす。」[1]とある。戦前の教会はその多くが宗教団体法によって国家に従属し、戦争協力と国家神道儀礼を拒絶することができなかった。日本キリスト改革派教会は、『創立宣言』において、そうした罪を「神の御前に深く恥ぢ」、その反省を踏まえて出発した。≫とある。
※「日本基督改革派教会 神港教会」のホームページは http://shinkou-kyoukai.org/
[2]カトリック 六甲教会
さらに進み、「六甲登山口」という交差点の信号を渡り、山側(北)へ歩くと右手に、カトリック 六甲教会 が見える。 ↓

※「カトリック 六甲教会」のホームページは http://www.rokko-catholic.jp/
[3] 神戸松蔭女子学院
さらに山側に歩み、けっこう坂だなあ、昔はこのくらいの坂はなんとも思わなかったはずだが歳いってしまったのか運動不足なのか・・とか思いだした頃、左折すると右手(山側、北側)に神戸松蔭学院 大学・短大が見える↓
という表現でわからない方は↓を見てください。

地図に☆マークで「いまいち」「普通」「好き/良い」「かなり好き/良い」「とても好き/良い」を選ぶことになっているが、女子大を「好き」にするとなんか品性を疑われそうで怖いが、別に「嫌い」でもないし、それより、ここは、壷井栄『あしたの風』(角川文庫 他)の舞台の女子大のはずで、『あしたの風』の話を思い浮かべながら見ると、「好き」を選択して悪くない気持になる。
神戸松蔭女子学院大学のHP《歴史と教育の特色》http://www.shoin.ac.jp/guide/philosophy/idea.html に《1876年、イギリス国教会の海外伝道機関S.P.G.(Society for the Propagation of the Gospel)は、H.J.フォスを神戸に派遣し、伝道を開始しました。しかし、フォスは明治時代の男尊女卑社会にあって、女性も人間としての尊厳を享受できる教育が必要であると痛感し、遅れて日本にやってきた女性宣教師H.M.バーケンヘッドと協力して、1892年、異人館の町、神戸市北野町に「松蔭女学校」を設立しました。》と出ており、キリスト教でもイギリス国教会の伝導機関が設立した学校らしい。
大阪府にも「しょういん」と読む女性の学校 樟蔭学園http://www.osaka-shoin.ac.jp/index.html があるが神戸松蔭とは別のようだ。
神戸松蔭女子学院大学のHPの《校地・校舎》http://www.shoin.ac.jp/guide/campus/area.html を見ると、敷地の中央付近に「チャペル」があるらしい。 どんなチャペルか外観だけでも見たかったが、なにしろ女子大である。 大学でも頭狂大学とか低能未熟大学とか狂徒大学とかいうような大学は、そこの学生・教員でなくても、なんかいけまへんか~あて調子で歩いていってもどうってことない。 慶應の日吉キャンパスには「構内を御通行の皆様へ」「樹木を折らないでください」とか書いた札がある。 もともと、近所の皆さまが通行するという前提で立て札が立っているのだ。 三田キャンパスに土曜午後とか日曜に行くと、昔、慶應に行きたかったけれども行けなかった・・のかなという感じのおにいちゃん(違うかもしれんけど)が来て福沢諭吉像の前で記念撮影していたりする。かえってそういう人の方が、実際に入学して志が途中で曲がってしまったような人間よりもまともな感じすらする・・が、女子大の場合はうかつに男性が「あのう、チャペルってどんな建築なのか見学したいんですけど~お」とか言おうものなら、な~んか下心でもあるのと違うんかい?みたいな眼で・・・見られたわけではないが、なんかそういうことでもありそうで・・・、やっぱり、建築探偵団としては、
★ 建築探偵団 心得
その1 「安全第一」
「君子危うきに近寄らず」
ということで門前にておしまい。
建築探偵団の歌を歌おうではないか♪
⇒《YouTube―少年探偵団の歌 》http://www.youtube.com/watch?v=LmBouLSmUlw
・・・・て、女子大の前でそんなもの歌ってたら、それこそ、へんた~い♪とか喜ばれそうなので心の中でこっそり歌おう。
私は、インテリアコーディネーターの試験を1次を3回目で通り、2次を1次に通った年の翌年に通ったが、1次の2回目・3回目と1次免除で2次のみ受けた年は試験会場は東京都港区の青山学院だったが、最初に1次を受けた年は試験会場が東京都千代田区の九段下の 大妻女子大の千代田キャンパス http://www.gakuin.otsuma.ac.jp/university/access/map_chiyoda.htmlだった。 私は試験日の前にインテリア産業協会に電話をして「私は男性ですが、試験会場が女子大というのは間違いということではありませんか」「女子大って男性が入らせてもらっていいのでしょうか」と質問したところ、間違いではなく入っていいという返事だった。 そして「ふつつかなことをうかがいますが、女子大って男性用のトイレってあるのでしょうか」ときくと、「あります」という返事だった。 そして、試験を受けに大妻女子大に行くと、大妻女子大には男性用トイレがあったのだ。 おおっ、すごい! と感動したが試験にはその年は落ちた。 あほなこと感動しているから落ちた・・というわけでもないと思うが、わかっている人には不思議なことでもないのだろうけれども、女子大にも男性用トイレはあったのだ。 それがどうしたかというとそれだけなのだが、やっぱり、試験を受けるだけでも女子大に男性が入るというのは、何も悪いことしているわけではないのだが、なんか居心地がよくなかった。
※インテリアコーディネーター については
⇒《インテリア産業協会 インテリアコーディネーターについて》http://www.interior.or.jp/ic/about_ic/
≪ 駅を出て五分も歩くと、もう田圃道へ出た。はなやかな都会を夢みていた百合子は、すっかりおどろいて、
「こんな田舎! まるで小豆島みたい」
とはいえ、期待がはずれてがっかりしたというのではなく、それはむしろ田舎育ちの百合子にとって、安心のゆく風景だった。灌漑用らしい小さな流れが縦横に走っていて、その田圃の中をトラックの走る広い道が通っていた。・・・・
「ほら、流れがきれいでしょう。小豆島の水と、水がちがうでしょう。おかあさん、ここの景色がすきでね。日曜なんて、半日ぐらいこの流れの中へ降りて遊んだことがある。――その晩、熱を出してね」
はるかなまなざしで過去をたどる母の顔の、いつにない若さに百合子はおどろいた。・・・・≫
≪ ゆくての丘と田圃を区ぎる小さな流れの石橋を渡ると、道は校門への一筋であった。 なだらかな坂道は緑の木立で挟まれている。「藤蔭学院」の銅板のはめこまれた石の門柱をくぐると、門衛の部屋があったが、人はいなかった。 ・・・・≫(壷井 栄『あしたの風』 角川文庫)
『あしたの風』に「藤蔭学院」として出てくるのが、立地から考えても名前から考えても松蔭学院ではないかと思うのですが、壷井栄の『あしたの風』にでてくる描写とは周囲の環境は今はずいぶんと異なり、「田圃道」も「田圃」もなく「灌漑用らしい小さな流れ」も見当たりません。壺井栄の『あしたの風』という小説は2つありますが長い方の『あしたの風』です。
[4] 「六甲の集合住宅」(「ジークレフ六甲の丘」「パラマウント六甲」「ザ六甲アパートメンツ」)(神戸市灘区篠原伯母野山町)
山側(北側)に松蔭学院を見ながら西に進むと突き当りに見えてくるのが、「マンション管理人が怖い」らしい 「建築家」安藤忠雄 大先生が設計された「六甲の集合住宅」「ジークレフ六甲の丘」です。↓
こういうやつ↓があるというあたりが「“建築家”の建物」なのでしょうか。

『安藤忠雄のディテール』(彰国社)には、
≪320×900の断面をもつ壁柱が土圧を受ける均等ラーメン構造体≫
≪仕上げはコンクリート打ち放しで、構造体がそのまま表面に現れる。≫
≪5.4m×4.8mのユニットが3個ないし5個組み合わされて一つの住戸となる。≫
と書かれています。 この「ジークレフ六甲の丘」は、鉄筋コンクリート造でも、一見、壁式構造か?と見えるのですがラーメン構造らしい。
鉄筋コンクリート造には、「ラーメン構造」 と 「壁式構造」があり、「ラーメン構造」には、「無壁ラーメン構造」「壁式ラーメン構造」「耐震壁付ラーメン構造」があるというが、これは、「壁式ラーメン構造」でしょうか。
南側にまわると、「パラマウント六甲」と「六甲アパートメンツ」が見えます。
↓ 「ザ六甲アパートメンツ」
↑この付近には、現在は、ある程度以上の高層のマンションがけっこういくつも建っている。 関西には「阪急沿線が一番高級住宅地だ」と思っている人がおり、なおかつ「阪急でも神戸線が一番」と言いたい人がいるらしい。 宝塚線沿線住民は宝塚線は十三から池田までは大阪府だが神戸線沿線は兵庫県だから大阪府に住みたい者には宝塚線沿線の方がいいと思っている者がおり、京都線沿線住民には京都線の方が上だと思っている人もいるらしい。 まあ、自分で思っている分には好きに思ってればいいのですが、しかし、仮に「阪急神戸線が一番」であるとしても、この付近は阪急「六甲」駅からそれほど距離はないものの駅から坂を登らなければならず、見晴らしはいいとはいえこれだけ坂を登って住むなら、戸建住宅なら登りがいもあるとしても、マンションなら何もここに住まなくても、もっと都心部、街中、駅近のマンションでいいことではないかという気もしたのです。 そう思って安藤さんの「六甲の集合住宅」とその他のマンションを見比べると、この↑「ザ六甲アパートメンツ」は、斜面に沿って各部屋を後ろに後退させることによりマンションでありながら戸建の良さも持っています。
↓ 「パラマウント六甲」
↑「“建築家”の建物」の特徴として、構造と利用勝手の上では必要がない装飾がついているという点があります。 この建物もそうで、入居者にとっては必要ない部分にカネがかけられているとも言えます。 実際には、このマンションの仲介の広告を見ても「安藤忠雄設計のマンション」と「建築家 安藤忠雄」が設計したということで付加価値がついたようなものですから、住むのに必要がない部分にカネをかけても、マンションを財産のひとつと考えるならば、もし売却する場合には、居住するのに必要のない装飾がついてもその分は十分「とりかえしている」可能性が考えられるのでいいのかもしれません。 十分「とりかえしている」ことから考えると、公道から外観の見学や撮影くらいさせてもらったって悪くないような気もします。 そう思いません?
まず、無名の人間の設計であろうが良い物は良いはずであるのに、「有名建築家」が設計したものが「名建築」と認定されて、水戸黄門の印籠でも出されたかのように「はは~あ」とひれ伏さなければならないかの雰囲気があるのは、どうもいい感じがしません。
⇒《pedeo 水戸黄門10_印籠》 http://www.pideo.net/video/youtube/fa295ee1bde0187f/
だいたい、東京都文京区関口にある「世界の丹下健三」が設計したという 東京カテドラル聖マリア大聖堂 て、あれは鎌倉の大仏と同じく中に入ることはできてもあくまで巨大な彫刻ではあって、中に入って使うことを主たる目的として作られていないもので教会堂としては邪道の建物だと思うのです。 又、新宿の西口に最近できたコクーンタワーもあれも悪趣味だと思います。 それでも「世界の丹下」が設計したということから「名建築」に認定されるわけです。そのあたりがおかしいと私は思うのです。
私がかつて勤めた居酒屋(チムニー株式会社)の建設部が店舗の内装の設計を依頼していた「デザイナー」に慶應義塾大学の日吉キャンパスにある日吉新図書館の話をしたところ、私は「有名建築家の槇文彦先生が設計された」というわりに、なんか使いにくい、利用上必要のない装飾ばかりついてそういう面にばかり気を使った建物で良い印象はなかったのですが、「デザイナー」は「槇文彦が設計した」と、「槇文彦」という名前だけで価値があるかのように言いだしたのです。 バッカじゃなかろかと思い、「建築家」「デザイナー」ぶりたい人間がしばしばかかっている「権威主義的パーソナリティー」というビョーキにあきれたのですが、そういう人が、建築学科卒の人、「建築士」の人、「建築家」ぶりたい人には少なくないようです。
但し、「建築家の建物」に良い所もあるようだとこの「集合住宅」を見て思ったのです。「普通の人」が設計したマンションは、マンションの分譲会社の言いなりになって、できるだけ多くの部屋を確保しようとする場合が多い。 その結果、近隣の先住戸建住宅住民の居住環境が悪くなっても知ったことか! という姿勢で建てられる。最近では、何十年か前に建てられた4~5階程度の中層マンションの近くに何十階の高層マンションを建てて上から威圧し、先住中層マンション住民の居住環境を圧迫する高層マンションが多い。 かつ、それを何が悪いかという態度の場合が多い。 何より気に食わないのが、山のすぐ前にマンション等を建てる場合には、私は、背後の山の高さより高いものは建ててはならないと思うのですが、「そんなこと知ったことか! 甘ったれるな!」みたいな感じで背後の山より高いマンションを平気で建てている場合がけっこうあるのです。 ↓
↑ 「コスモフォレスタ箕面」(大阪府箕面市如意谷 )

「コスモフォレスタ箕面」は、「有名建築家」の設計ではなく「普通の人」の建物らしい。 背後の山は明治の森箕面国定公園に指定されている地域に隣接する山で、そういう山の山際に背後の山より高い建物を建てるというのは野蛮人のすることだと思うのですが、そういう配慮はまったく感じられません。
1998年、イタリア カンパーニャ州ソレントに行った時、予約して行ったホテルに行くと、山際に衝立のように建つ高い建物で、海側の部屋は「世界中を旅行した人も、こんなに美しい所はないと言う」と歌に歌われるソレントの街と港(⇒《YouTube-Torna A Surriento》http://www.youtube.com/watch?v=IKngNZxgg18 )を見下ろせる部屋だったのに対し、私が泊まった山側の部屋は山の岩肌が見えるのみで、そのホテルでは安いプランで申し込んだからそうなったのか部屋の希望を言わないとそうなるのかなめられていたのかわかりませんがそういう状況でした。そのホテルも背後の山より高くは建てられていなかったのを覚えています。 景観をうたわれる町では、山際に建てる建物の高さは最高で背後の山の高さまでと考えるべきではないでしょうか。 ソレントではそれが考慮されていたのに対し、日本では明治の森箕面国定公園のすぐ近くで無粋な山より高いマンションが建てられていたのです。
「コスモフォレスタ箕面」の前には過去に建てられた4~5階建の集合住宅が何棟も建っていますが、新築高層マンションと既存中層マンションとの軋轢が発生しそうな状況ですが、その点にも配慮は感じられません。この写真を撮影したのは3年程前ですが、周囲のことなどおかまいなしにでっかいマンションを作り、そして、管理人に聞いた話では全部は売れずに残っているそうです。 バッカじゃなかろかという感じです。 ([第122回]《野蛮な 千里タワー。 大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由。》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201302article_1.html で述べた千里タワー も野蛮。)
「六甲の集合住宅」、特に、「ザ六甲アパートメンツ」と「パラマウント六甲」は、その点、周囲の自然環境に馴染む配慮があるように思え評価できる建物ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
『安藤忠雄のディテール』(彰国社)によると、「六甲の集合住宅」は「設計期間 1978年10月~1981年10月」「工事期間 1981年10月~1983年5月」だそうです。
↓「ジークレフ六甲の丘」の東側の植栽。
↑ 何気に植栽もかっこいい、という点は「建築家の建物」だけある・・といういより「フツーの人」の建物でも、建築は建物だけで建築ではなくその周りの植栽も合わせて建築なので、もっと植栽のあり方も配慮するべきだと思うのですが、配慮のないものが多いように思います。
※ 訪問に際し、
《YAHOO!知恵袋――安藤忠雄設計の六甲の集合住宅というのは、六甲山のどこにありますか?》http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116600981 の他、
《ROSSさんの大阪ハクナマタタ―六甲山の集合住宅(その1) 》http://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/e/fdb8167964b6f04ee3aafd49eb93d131 など参考にさせていただきました。
[5] 「ジークレフ六甲の丘」のすぐ山側に 六甲学院 六甲中学校・六甲高校があります。 30年程前、慶應義塾大学に入学した時、六甲高校卒の男がおり、「大阪では北野・天王寺・大手前が進学校ですが、兵庫県では灘・甲陽・六甲ですね」と彼から言われたが、申し訳ないが灘と甲陽は知っていたが六甲はその時よく知らなかった。彼は私の5倍ほどの家賃のアパートに住んでいた。私は大阪に帰る時、夜行バスや夜行の大垣行き普通に乗ったが彼は新幹線で帰った。私は夏休みや春休みはアルバイト漬けだったが彼はアルバイトなどしなかった。その六甲高校がここにあった。 六甲学院HPの《創設と沿革》http://www.rokkogakuin.ed.jp/public_html/academy/history/index.html に≪・・イエズス会は1913年に日本で最初のカトリック大学である上智大学を創立する。その後、中等学校の設立について検討し、適当な場所を探したが、最終的にこの六甲山のふもとに1937年に六甲中学校を設立する。≫と出ており、カトリックの学校のようです。 今は六甲中学校・六甲高校は知っています。同校出身の人には悪いけれども、私には、学業は中程度でお金持ちの息子が多い学校という印象があります。キリスト教系の学校として「インテリ」の子息が多いが同時にキリスト教系ゆえに灘高のような受験専門校、ある意味「変な学校」にならないのかもしれません。
☆ 日本の教会建築シリーズ
1 日本基督教団 南大阪教会 (大阪市阿倍野区)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_2.html
2 慶應義塾大学 YMCAチャペル (横浜市港北区)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_3.html
3 日本基督教団 清水が丘教会 (横浜市南区) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
4 神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)(神戸市灘区)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
(2013.12.8.)
「建築家」安藤忠雄 設計の「六甲の集合住宅」、マンション名としては「ジークレフ六甲の丘」「パラマウント六甲」「ザ六甲アパートメンツ」を見学させていただきました。 「させていただきました」と言っても、公道から外観を見せていただいただけでルパン三世のごとく忍びこんだのではない。 《YAHOO!知恵袋―安藤忠雄設計の六甲の集合住宅というのは、六甲山のどこにありますか?》http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116600981 を見て yxfqh456さん の回答による地図を見て行ったのですが、別の回答者shonan_sea_rexさん が≪写真撮ったりしていると管理人らしきじいさんが駆けつけてきて怒られます。 なんでも安藤忠雄から見せるなと言われているとか。≫と書かれていたので、見学目的で敷地内に立ち入って見たり写真を撮ったりするならばマンション管理人がやめてくださいというのはわかるし、今までに見たものでは東京都港区の青山の青山アパートで、写真撮影はお断りしますという表示があったように思います。 「有名建築物」であっても、今も人が居住中の場合は、居住者にとっては自分の家であるので、敷地内に立ち入って覗きこまれたりしたのではうれしくないでしょう。 しかし、公道を歩くのは誰が歩こうが自由であるはずで公道を歩く者は視力障害者でなければ見えるものは見えるのであり、「見えた」として何をとがめられなければならないのか。我が家の前の道を歩くなと言うわけにもいかないのと同じく「六甲の集合住宅」の前の道を歩くなと言われる筋合いはないはずなのです。 部屋の中を覗き込むような写真の撮り方はよくないであろうけれども、全体の写真とかは撮るなと言う方が間違っているのではないだろうか。 安藤忠雄さんというのは、撮られては困るようなものを設計しているのだろうかと思い、だいたい、マンション管理人というのは態度でかすぎで感じ悪いのが多いので、もし、マンション管理人が出てきて「安藤忠雄から見せるなと言われている」とか言うなら、「安藤忠雄て誰やねん?」とでも言うたろかいなあと思い、「安藤忠雄先生を知らんのか?」とでも言うなら「知りまへんなあ。 かろやん なら知っまっけども」とでも言うたろかい、という誘惑にかられて行ったものの、残念なことにか幸いにしてか、雨が降っていたこともありマンション管理人は出てこなかった。 文句言う方がおかしいと思う。 各部屋の中を覗き込むとか覗き込むような写真の撮り方をするならやめてくれと言うのが妥当であろうが、全体を見たり全体の写真を撮ったりするのをとがめる方がおかしいと思う。 住人だって、「建築家 安藤忠雄設計のマンション」というもったいつけたフレーズを条件として購入して入居しているのだろうし。 そう思いませんか?
(知らない方もあるかもしれないので説明しますと、「安藤 かろやん」は相撲の琴欧州が帰化した時に名のろうとしているらしい日本名です。)
[1]日本キリスト改革派 神港教会
阪急神戸線の「六甲(ろっこう)」駅を降りて北西方向に歩きますと、右手(東側)に 日本キリスト改革派 神港教会 が見えます。↓
(写真は、すべて、クリックすると大きくなります。)
「日本基督改革派」とは、「ウィキペディア―日本基督改革派教会」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%94%B9%E9%9D%A9%E6%B4%BE%E6%95%99%E4%BC%9A によると、プロテスタントのカルヴァン派で、≪1946年 戦前の日本基督教会(日本基督教団の第一部。現在の日本キリスト教会とは別)の中で、南長老教会および中央神学校の信仰を受け継ぐ人たちが中心となって、日本基督教団を離脱した。 創立時のメンバーは、岡田稔、常葉隆興、松尾武、春名寿章らである。創立宣言には「思想と生活に於ける、迷信と無神論を打破して真理の柱なる教会を樹立せんとす。」[1]とある。戦前の教会はその多くが宗教団体法によって国家に従属し、戦争協力と国家神道儀礼を拒絶することができなかった。日本キリスト改革派教会は、『創立宣言』において、そうした罪を「神の御前に深く恥ぢ」、その反省を踏まえて出発した。≫とある。
※「日本基督改革派教会 神港教会」のホームページは http://shinkou-kyoukai.org/
[2]カトリック 六甲教会
さらに進み、「六甲登山口」という交差点の信号を渡り、山側(北)へ歩くと右手に、カトリック 六甲教会 が見える。 ↓
※「カトリック 六甲教会」のホームページは http://www.rokko-catholic.jp/
[3] 神戸松蔭女子学院
さらに山側に歩み、けっこう坂だなあ、昔はこのくらいの坂はなんとも思わなかったはずだが歳いってしまったのか運動不足なのか・・とか思いだした頃、左折すると右手(山側、北側)に神戸松蔭学院 大学・短大が見える↓
という表現でわからない方は↓を見てください。
地図に☆マークで「いまいち」「普通」「好き/良い」「かなり好き/良い」「とても好き/良い」を選ぶことになっているが、女子大を「好き」にするとなんか品性を疑われそうで怖いが、別に「嫌い」でもないし、それより、ここは、壷井栄『あしたの風』(角川文庫 他)の舞台の女子大のはずで、『あしたの風』の話を思い浮かべながら見ると、「好き」を選択して悪くない気持になる。
神戸松蔭女子学院大学のHP《歴史と教育の特色》http://www.shoin.ac.jp/guide/philosophy/idea.html に《1876年、イギリス国教会の海外伝道機関S.P.G.(Society for the Propagation of the Gospel)は、H.J.フォスを神戸に派遣し、伝道を開始しました。しかし、フォスは明治時代の男尊女卑社会にあって、女性も人間としての尊厳を享受できる教育が必要であると痛感し、遅れて日本にやってきた女性宣教師H.M.バーケンヘッドと協力して、1892年、異人館の町、神戸市北野町に「松蔭女学校」を設立しました。》と出ており、キリスト教でもイギリス国教会の伝導機関が設立した学校らしい。
大阪府にも「しょういん」と読む女性の学校 樟蔭学園http://www.osaka-shoin.ac.jp/index.html があるが神戸松蔭とは別のようだ。
神戸松蔭女子学院大学のHPの《校地・校舎》http://www.shoin.ac.jp/guide/campus/area.html を見ると、敷地の中央付近に「チャペル」があるらしい。 どんなチャペルか外観だけでも見たかったが、なにしろ女子大である。 大学でも頭狂大学とか低能未熟大学とか狂徒大学とかいうような大学は、そこの学生・教員でなくても、なんかいけまへんか~あて調子で歩いていってもどうってことない。 慶應の日吉キャンパスには「構内を御通行の皆様へ」「樹木を折らないでください」とか書いた札がある。 もともと、近所の皆さまが通行するという前提で立て札が立っているのだ。 三田キャンパスに土曜午後とか日曜に行くと、昔、慶應に行きたかったけれども行けなかった・・のかなという感じのおにいちゃん(違うかもしれんけど)が来て福沢諭吉像の前で記念撮影していたりする。かえってそういう人の方が、実際に入学して志が途中で曲がってしまったような人間よりもまともな感じすらする・・が、女子大の場合はうかつに男性が「あのう、チャペルってどんな建築なのか見学したいんですけど~お」とか言おうものなら、な~んか下心でもあるのと違うんかい?みたいな眼で・・・見られたわけではないが、なんかそういうことでもありそうで・・・、やっぱり、建築探偵団としては、
★ 建築探偵団 心得
その1 「安全第一」
「君子危うきに近寄らず」
ということで門前にておしまい。
建築探偵団の歌を歌おうではないか♪
⇒《YouTube―少年探偵団の歌 》http://www.youtube.com/watch?v=LmBouLSmUlw
・・・・て、女子大の前でそんなもの歌ってたら、それこそ、へんた~い♪とか喜ばれそうなので心の中でこっそり歌おう。
私は、インテリアコーディネーターの試験を1次を3回目で通り、2次を1次に通った年の翌年に通ったが、1次の2回目・3回目と1次免除で2次のみ受けた年は試験会場は東京都港区の青山学院だったが、最初に1次を受けた年は試験会場が東京都千代田区の九段下の 大妻女子大の千代田キャンパス http://www.gakuin.otsuma.ac.jp/university/access/map_chiyoda.htmlだった。 私は試験日の前にインテリア産業協会に電話をして「私は男性ですが、試験会場が女子大というのは間違いということではありませんか」「女子大って男性が入らせてもらっていいのでしょうか」と質問したところ、間違いではなく入っていいという返事だった。 そして「ふつつかなことをうかがいますが、女子大って男性用のトイレってあるのでしょうか」ときくと、「あります」という返事だった。 そして、試験を受けに大妻女子大に行くと、大妻女子大には男性用トイレがあったのだ。 おおっ、すごい! と感動したが試験にはその年は落ちた。 あほなこと感動しているから落ちた・・というわけでもないと思うが、わかっている人には不思議なことでもないのだろうけれども、女子大にも男性用トイレはあったのだ。 それがどうしたかというとそれだけなのだが、やっぱり、試験を受けるだけでも女子大に男性が入るというのは、何も悪いことしているわけではないのだが、なんか居心地がよくなかった。
※インテリアコーディネーター については
⇒《インテリア産業協会 インテリアコーディネーターについて》http://www.interior.or.jp/ic/about_ic/
≪ 駅を出て五分も歩くと、もう田圃道へ出た。はなやかな都会を夢みていた百合子は、すっかりおどろいて、
「こんな田舎! まるで小豆島みたい」
とはいえ、期待がはずれてがっかりしたというのではなく、それはむしろ田舎育ちの百合子にとって、安心のゆく風景だった。灌漑用らしい小さな流れが縦横に走っていて、その田圃の中をトラックの走る広い道が通っていた。・・・・
「ほら、流れがきれいでしょう。小豆島の水と、水がちがうでしょう。おかあさん、ここの景色がすきでね。日曜なんて、半日ぐらいこの流れの中へ降りて遊んだことがある。――その晩、熱を出してね」
はるかなまなざしで過去をたどる母の顔の、いつにない若さに百合子はおどろいた。・・・・≫
≪ ゆくての丘と田圃を区ぎる小さな流れの石橋を渡ると、道は校門への一筋であった。 なだらかな坂道は緑の木立で挟まれている。「藤蔭学院」の銅板のはめこまれた石の門柱をくぐると、門衛の部屋があったが、人はいなかった。 ・・・・≫(壷井 栄『あしたの風』 角川文庫)
『あしたの風』に「藤蔭学院」として出てくるのが、立地から考えても名前から考えても松蔭学院ではないかと思うのですが、壷井栄の『あしたの風』にでてくる描写とは周囲の環境は今はずいぶんと異なり、「田圃道」も「田圃」もなく「灌漑用らしい小さな流れ」も見当たりません。壺井栄の『あしたの風』という小説は2つありますが長い方の『あしたの風』です。
[4] 「六甲の集合住宅」(「ジークレフ六甲の丘」「パラマウント六甲」「ザ六甲アパートメンツ」)(神戸市灘区篠原伯母野山町)
山側(北側)に松蔭学院を見ながら西に進むと突き当りに見えてくるのが、「マンション管理人が怖い」らしい 「建築家」安藤忠雄 大先生が設計された「六甲の集合住宅」「ジークレフ六甲の丘」です。↓
こういうやつ↓があるというあたりが「“建築家”の建物」なのでしょうか。
『安藤忠雄のディテール』(彰国社)には、
≪320×900の断面をもつ壁柱が土圧を受ける均等ラーメン構造体≫
≪仕上げはコンクリート打ち放しで、構造体がそのまま表面に現れる。≫
≪5.4m×4.8mのユニットが3個ないし5個組み合わされて一つの住戸となる。≫
と書かれています。 この「ジークレフ六甲の丘」は、鉄筋コンクリート造でも、一見、壁式構造か?と見えるのですがラーメン構造らしい。
鉄筋コンクリート造には、「ラーメン構造」 と 「壁式構造」があり、「ラーメン構造」には、「無壁ラーメン構造」「壁式ラーメン構造」「耐震壁付ラーメン構造」があるというが、これは、「壁式ラーメン構造」でしょうか。
南側にまわると、「パラマウント六甲」と「六甲アパートメンツ」が見えます。
↓ 「ザ六甲アパートメンツ」
↑この付近には、現在は、ある程度以上の高層のマンションがけっこういくつも建っている。 関西には「阪急沿線が一番高級住宅地だ」と思っている人がおり、なおかつ「阪急でも神戸線が一番」と言いたい人がいるらしい。 宝塚線沿線住民は宝塚線は十三から池田までは大阪府だが神戸線沿線は兵庫県だから大阪府に住みたい者には宝塚線沿線の方がいいと思っている者がおり、京都線沿線住民には京都線の方が上だと思っている人もいるらしい。 まあ、自分で思っている分には好きに思ってればいいのですが、しかし、仮に「阪急神戸線が一番」であるとしても、この付近は阪急「六甲」駅からそれほど距離はないものの駅から坂を登らなければならず、見晴らしはいいとはいえこれだけ坂を登って住むなら、戸建住宅なら登りがいもあるとしても、マンションなら何もここに住まなくても、もっと都心部、街中、駅近のマンションでいいことではないかという気もしたのです。 そう思って安藤さんの「六甲の集合住宅」とその他のマンションを見比べると、この↑「ザ六甲アパートメンツ」は、斜面に沿って各部屋を後ろに後退させることによりマンションでありながら戸建の良さも持っています。
↓ 「パラマウント六甲」
↑「“建築家”の建物」の特徴として、構造と利用勝手の上では必要がない装飾がついているという点があります。 この建物もそうで、入居者にとっては必要ない部分にカネがかけられているとも言えます。 実際には、このマンションの仲介の広告を見ても「安藤忠雄設計のマンション」と「建築家 安藤忠雄」が設計したということで付加価値がついたようなものですから、住むのに必要がない部分にカネをかけても、マンションを財産のひとつと考えるならば、もし売却する場合には、居住するのに必要のない装飾がついてもその分は十分「とりかえしている」可能性が考えられるのでいいのかもしれません。 十分「とりかえしている」ことから考えると、公道から外観の見学や撮影くらいさせてもらったって悪くないような気もします。 そう思いません?
まず、無名の人間の設計であろうが良い物は良いはずであるのに、「有名建築家」が設計したものが「名建築」と認定されて、水戸黄門の印籠でも出されたかのように「はは~あ」とひれ伏さなければならないかの雰囲気があるのは、どうもいい感じがしません。
⇒《pedeo 水戸黄門10_印籠》 http://www.pideo.net/video/youtube/fa295ee1bde0187f/
だいたい、東京都文京区関口にある「世界の丹下健三」が設計したという 東京カテドラル聖マリア大聖堂 て、あれは鎌倉の大仏と同じく中に入ることはできてもあくまで巨大な彫刻ではあって、中に入って使うことを主たる目的として作られていないもので教会堂としては邪道の建物だと思うのです。 又、新宿の西口に最近できたコクーンタワーもあれも悪趣味だと思います。 それでも「世界の丹下」が設計したということから「名建築」に認定されるわけです。そのあたりがおかしいと私は思うのです。
私がかつて勤めた居酒屋(チムニー株式会社)の建設部が店舗の内装の設計を依頼していた「デザイナー」に慶應義塾大学の日吉キャンパスにある日吉新図書館の話をしたところ、私は「有名建築家の槇文彦先生が設計された」というわりに、なんか使いにくい、利用上必要のない装飾ばかりついてそういう面にばかり気を使った建物で良い印象はなかったのですが、「デザイナー」は「槇文彦が設計した」と、「槇文彦」という名前だけで価値があるかのように言いだしたのです。 バッカじゃなかろかと思い、「建築家」「デザイナー」ぶりたい人間がしばしばかかっている「権威主義的パーソナリティー」というビョーキにあきれたのですが、そういう人が、建築学科卒の人、「建築士」の人、「建築家」ぶりたい人には少なくないようです。
但し、「建築家の建物」に良い所もあるようだとこの「集合住宅」を見て思ったのです。「普通の人」が設計したマンションは、マンションの分譲会社の言いなりになって、できるだけ多くの部屋を確保しようとする場合が多い。 その結果、近隣の先住戸建住宅住民の居住環境が悪くなっても知ったことか! という姿勢で建てられる。最近では、何十年か前に建てられた4~5階程度の中層マンションの近くに何十階の高層マンションを建てて上から威圧し、先住中層マンション住民の居住環境を圧迫する高層マンションが多い。 かつ、それを何が悪いかという態度の場合が多い。 何より気に食わないのが、山のすぐ前にマンション等を建てる場合には、私は、背後の山の高さより高いものは建ててはならないと思うのですが、「そんなこと知ったことか! 甘ったれるな!」みたいな感じで背後の山より高いマンションを平気で建てている場合がけっこうあるのです。 ↓
↑ 「コスモフォレスタ箕面」(大阪府箕面市如意谷 )
「コスモフォレスタ箕面」は、「有名建築家」の設計ではなく「普通の人」の建物らしい。 背後の山は明治の森箕面国定公園に指定されている地域に隣接する山で、そういう山の山際に背後の山より高い建物を建てるというのは野蛮人のすることだと思うのですが、そういう配慮はまったく感じられません。
1998年、イタリア カンパーニャ州ソレントに行った時、予約して行ったホテルに行くと、山際に衝立のように建つ高い建物で、海側の部屋は「世界中を旅行した人も、こんなに美しい所はないと言う」と歌に歌われるソレントの街と港(⇒《YouTube-Torna A Surriento》http://www.youtube.com/watch?v=IKngNZxgg18 )を見下ろせる部屋だったのに対し、私が泊まった山側の部屋は山の岩肌が見えるのみで、そのホテルでは安いプランで申し込んだからそうなったのか部屋の希望を言わないとそうなるのかなめられていたのかわかりませんがそういう状況でした。そのホテルも背後の山より高くは建てられていなかったのを覚えています。 景観をうたわれる町では、山際に建てる建物の高さは最高で背後の山の高さまでと考えるべきではないでしょうか。 ソレントではそれが考慮されていたのに対し、日本では明治の森箕面国定公園のすぐ近くで無粋な山より高いマンションが建てられていたのです。
「コスモフォレスタ箕面」の前には過去に建てられた4~5階建の集合住宅が何棟も建っていますが、新築高層マンションと既存中層マンションとの軋轢が発生しそうな状況ですが、その点にも配慮は感じられません。この写真を撮影したのは3年程前ですが、周囲のことなどおかまいなしにでっかいマンションを作り、そして、管理人に聞いた話では全部は売れずに残っているそうです。 バッカじゃなかろかという感じです。 ([第122回]《野蛮な 千里タワー。 大阪 に超高層ビルが ドバイ ・ 東京 と異なり不適切な理由。》https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201302article_1.html で述べた千里タワー も野蛮。)
「六甲の集合住宅」、特に、「ザ六甲アパートメンツ」と「パラマウント六甲」は、その点、周囲の自然環境に馴染む配慮があるように思え評価できる建物ではないかと思うのですが、どうでしょうか。
『安藤忠雄のディテール』(彰国社)によると、「六甲の集合住宅」は「設計期間 1978年10月~1981年10月」「工事期間 1981年10月~1983年5月」だそうです。
↓「ジークレフ六甲の丘」の東側の植栽。
↑ 何気に植栽もかっこいい、という点は「建築家の建物」だけある・・といういより「フツーの人」の建物でも、建築は建物だけで建築ではなくその周りの植栽も合わせて建築なので、もっと植栽のあり方も配慮するべきだと思うのですが、配慮のないものが多いように思います。
※ 訪問に際し、
《YAHOO!知恵袋――安藤忠雄設計の六甲の集合住宅というのは、六甲山のどこにありますか?》http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1116600981 の他、
《ROSSさんの大阪ハクナマタタ―六甲山の集合住宅(その1) 》http://blog.goo.ne.jp/luckyhillson/e/fdb8167964b6f04ee3aafd49eb93d131 など参考にさせていただきました。
[5] 「ジークレフ六甲の丘」のすぐ山側に 六甲学院 六甲中学校・六甲高校があります。 30年程前、慶應義塾大学に入学した時、六甲高校卒の男がおり、「大阪では北野・天王寺・大手前が進学校ですが、兵庫県では灘・甲陽・六甲ですね」と彼から言われたが、申し訳ないが灘と甲陽は知っていたが六甲はその時よく知らなかった。彼は私の5倍ほどの家賃のアパートに住んでいた。私は大阪に帰る時、夜行バスや夜行の大垣行き普通に乗ったが彼は新幹線で帰った。私は夏休みや春休みはアルバイト漬けだったが彼はアルバイトなどしなかった。その六甲高校がここにあった。 六甲学院HPの《創設と沿革》http://www.rokkogakuin.ed.jp/public_html/academy/history/index.html に≪・・イエズス会は1913年に日本で最初のカトリック大学である上智大学を創立する。その後、中等学校の設立について検討し、適当な場所を探したが、最終的にこの六甲山のふもとに1937年に六甲中学校を設立する。≫と出ており、カトリックの学校のようです。 今は六甲中学校・六甲高校は知っています。同校出身の人には悪いけれども、私には、学業は中程度でお金持ちの息子が多い学校という印象があります。キリスト教系の学校として「インテリ」の子息が多いが同時にキリスト教系ゆえに灘高のような受験専門校、ある意味「変な学校」にならないのかもしれません。
☆ 日本の教会建築シリーズ
1 日本基督教団 南大阪教会 (大阪市阿倍野区)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_2.html
2 慶應義塾大学 YMCAチャペル (横浜市港北区)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201206article_3.html
3 日本基督教団 清水が丘教会 (横浜市南区) https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201309article_1.html
4 神戸文学館(旧・関学 ブランチメモリアルチャペル)(神戸市灘区)https://philoarchi2212.seesaa.net/article/201311article_1.html
(2013.12.8.)
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