さらば、北野高校。 「人類普遍の原理」である「国民主権」を否定する学校に存在価値はない。さらば。

〔第98回〕
    もう、30年以上経つが、私は大阪府立北野高校を卒業した。 過去を振り返ると月日の経つのは早いもので、2~3日前のような気がする。
    行きたい行きたいと思って行った学校であったが、卒業してしばらくして考えてみると、はたして、良かったのかどうかよくわからないように思うようになった。 ひとつには、進学についてであるが、北野の先生は、北野の授業が良いと言いたいらしいが、他の学校と比べて良かったのかどうかは、他の学校に行っていないのでそれはわからない。 しかし、理想的なものはどうかというところから考えるならば、必ずしも理想的でないものはあったと思う。こういう言い方をすると世話になった先生は気を悪くされるかもしれないが、理想的なものから考えるならば、問題点がないわけではない。結論を言いきってしまうと、問題点はいっぱいある。しかし、それなら、どこへ行けば良かったか、どこが良かったのかというと、それはよくわからない。私が行った頃の北野高校は、私が入学するまで、京都大学合格者数1位を毎年続けていた学校であったが、東大には毎年10人以上20人未満くらいしか行かない学校であったので、もし、東大に行きたいのであれば、灘にでも行っておいた方が行きやすかったであろうけれども、京大・阪大であれば、京大合格者数1位の北野で悪くなかったはずだと思う。
   在学中、家庭の問題について、先生に相談に乗ってもらえないかと思ったことがあったが、力にはなってもらえなかった。今、思うと、その能力がなかったのだと思う。もっとも、本当に家庭の問題に相談にのる能力というのは、実際問題として、ない人の方が多いと思う。簡単に口出しできると思う方が間違っている。 他の学校に行っておればどうかというと、それは行っていないのでわからない。
   一浪して行った予備校は、不親切だったし、何にしても、料金に入っているかどうかという問題がすぐ出て来るのに対して、公立の北野高校においては、公立とはいえ、全額税金から費用が出るわけではなく、学費は払っていたけれども、料金に入っているかどうか何をする場合にでもでてくるというようなことはなく、先生に何か話をすれば、1回いくらとかいうようなものはなく、学校とか教育というものは、やはり、そうでないといけないと思い、公立の学校の方がいいなあ、と、その時は思った。しかし、慶應義塾大学の私が行った頃の塾長が、慶應義塾の新聞において述べていたが、「国立の学校は、設立母体は国であって、東大も京大もすべての国立大学の設立母体は国で一緒だが、私立の学校は、『私』という団体が運営しているのではなく、私立はすべて異なる。」というようなことを述べていたのを見た。(表現のしかたは少々違ったかもしれない。) 要するに、「しょーもない私立の学校と慶應義塾を一緒にするな」と言いたいらしかった。但し、比較的、新設の大学でも、特色を出して魅力のある学校にしようと相当の努力をしているところもあり、歴史が浅いとか入学時の試験の難易度が高くないとかいうことで価値が無いとは必ずしも言えないと思う。 しかし、「しょーもない私立の学校」というのはあると思う。 私は一浪で行った予備校をひどいと思った。そう思っていると、駿台や河合塾・代ゼミなどが関西に進出してくるとともに、あっという間に淘汰された。私は淘汰されて当然と思っている。私は二浪までしてしまったので、結果として、現役で通った人よりも、模擬試験などを受けた経験も多くなったが、駿台や河合塾の担当者は、単に模擬試験を受けただけでしかない者にも親切に相談に乗ってくれたのに対して、「キリスト教精神」を口にするだけのY予備校は不親切で独善的で傲慢であった。かつて、5校あったのが弱体化して、インターネットで見ると、まだ、1校だけ残っているらしいが、行く奴・行かせる親はバカだと私は思っている。 私は浪人した時に行ったY予備校を見て、私立の学校はだめだなあ、と思ったが、かつての慶應の塾長(石川忠雄)が述べていたように、「『国立はすべて国立』であるが私立はひとつひとつ違う」ので、私立の学校のひとつを見てだめだと思っても、他の私立の学校もだめとは限らない、というのは確かだと思う。
   私は、大阪府の生まれであるが、小学校の途中で引っ越したので、もし、その時、引っ越さなければ、その時の住所であれば、その学区の一番手校は天王寺高校であった。 もし、小学校の時に引っ越さず、中学校まで成績が十分伸びれば、天王寺高校に行くことになったと思う。 阪急宝塚線の沿線に引っ越したので北野高校の学区になったが、もし、阪急京都線の沿線に引っ越していれば、第2学区の一番手校は茨木高校になった。 北野高校のある第一学区の二番手校は豊中高校であった。一番とか二番とか簡単に言うべきものではないとは思うが、それでも、あえて言うとそうなる。もし、中学校の時に、思うように成績が伸びなければ、豊中高校を受けることになったと思う。 私は中学生の時、一番行きたかった高校は北野高校で、私立は兵庫県の灘高校を受けようかとも思った。 私が中学生の頃、大阪府では、五ツ木書房の模擬試験というものがあって、中学3年の時に7回くらい受けたように思うが、1回目の時に併願の私立高校に灘高校を書いたところ、判定は悪くはなかった。 但し、五ツ木書房の模擬試験は3回目以降が信頼できると言われ、又、大阪府の業者の模擬試験なので、兵庫県の灘高校については、大阪府の高校ほどは信頼性は高くないと思われた。中学校の担任の先生から、「もし、北野と灘と両方通ったらどちらに行きたいのか」と言われ、北野に行きたいと言うと、それなら、私立は一般に北野を受ける生徒がよく受ける併願の高校にしておいた方がいいのではないかと言ってもらい、それで、灘はやめて、金蘭千里高校を受けて合格した。金蘭千里高校に手続きや試験に何回か行っているうちに、悪くないなあと思うようになったが、北野に通ったので行くことはなかった。大阪府には大阪教育大学付属池田高校というのがあって、近いし、国立なので私立より学費は安いはずだし、公立高校とは入学試験の日が異なるので、併願に受けられないかと思ったが、「国立」の教育大付属池田高校も「公立」のうちで、公立の学校を2つ受けることは禁止されているらしく、北野高と教育大付属池田高を同時に受けることは、試験の日程は違ってもできないらしく、その為、受けることはなかった。 こういう経緯があったので、私は、卒業したのは北野高校であったが、天王寺高校・灘高校・金蘭千里高校・大阪教育大付属池田高校・豊中高校・茨木高校については、母校ではないけれども、「多少、縁のある学校」のような気がして生きてきた。 北野高校ではなく、もしも、それらのどこかに行っていたとしたら、自分の人生は、もっと良かったか悪かったか、それは、実際のところ、わからない。 
  卒業後、北野高校の進学実績が低下するのを週刊誌などで見たが、私立6年制受験校に問題はあると思うのだが、一方で、確かに、北野高校など「公立名門校」には落ち目になる要素はあったのではないかという気もした。進学成績が移り変わるのはしかたがないが、魅力がないから学力のある生徒が敬遠するのであれば、公立の学校の運営者は、あり方を考える必要があると思う。 東京の大学に行って、東京の人間と話をすると、ある程度以上の進学校からある程度の大学に行った人は、北野高校の名前くらいは知っている人が多かったが、そうでない人は北野高校の名前なんか知らなかった。「野球の強い学校でしょ」とか、たまに言われることがあって、なんか、PL学園のライバル高校みたいに思っている人がいるらしかったが、いったい、どこからそういう話がでてくるかというと、昔むかしは、進学校と野球の強い学校とは別ではなく、北野高校の野球部も全国大会に何度か出たことがあって、特に、戦後すぐの時代(1949年)に、北野高校の野球部が春の選抜大会で1回だけ全国優勝したことがあったらしく、春の選抜大会の時に、甲子園球場の外野の壁に過去の優勝校の名前が載っていて、そこに北野高校と出ていたようで、そこから、「野球の強い学校」というお話ができたらしかったが、当然、私が行った頃の北野の野球部は本番の試合でPL学園なんかに勝てるような状況ではなかった。〔昔むかし、その昔、北野中学校・北野高校の野球部が野球の全国大会に出場した時の記録が、「高校野球記録帳と高校野球画像(写真館)のページ ★甲子園の人気校★(大阪府) 北野中学校 北野高校」http://www.mm24mm.com/kitano.html に掲載されているようです。 又、「高校野球記録帳と高校野球画像(写真館)の頁 第2回選抜高等学校(新制)野球大会 第21回選抜高等学校野球大会 (1949年・昭和24年)」http://www.mm24mm.com/taikaibetsu-1949-24-21.html に、北野高校野球部が全国優勝した1949年 選抜大会の全試合の結果が掲載されています。〕 学校はその学校を出ればそれでいいというものではなく、そこで学んだものを生かして生きていくものであり、知名度の高い学校を出ればエライというものでもなく、有名大学に何人も通っている高校を卒業すればそれでエライというわけでもないのであるが、しかし、東大合格者数何位とか京大合格者数何位と週刊誌などに掲載されるのと、「落ち目の学校」になるのとでは、卒業して何十年も経っている者までも、人からの評価が変わってみたりするということは、実際問題として、まったくないわけではない。だから、あくまで、「どっちかというと」であるが、進学成績は落ちない方がいい「かもしれない」。 あくまで、「どっちかというと」「かもしれない」である。なぜかというと、同じ学校の誰かが出世して金持ちになっても、私にいくらかくれるわけでもないと思うからだ。くれるなら大喜びでもらうけど。でも、くれないのでしょ。 それで、進学成績は、あくまで「どっちかというと」落ちない方がいい「かもしれない」くらいであるが、下がるなら下がるでやむをえないようにも思っている。学校は移り変わるものであり、自分たちが行っていた頃と違うものになっても、進学成績が多少落ちるくらいはしかたがないと思う。

   しかし、こうなってしまっては、もはや、母校ではないという問題がある。

≪  君が代斉唱時に起立しない教職員などへの処分を定めた大阪府の「職員基本条例」施行後、府立学校で初の入学式が2日、北野高校(大阪市淀川区)であった。府立全193校の入学式は15日まで続き、9日にピークを迎える。
  楠野宣孝校長は3月末の職員会議で、起立斉唱を命じる府教委の職務命令を順守するよう念押ししていた。
  知事や校長の権限を強化する「教育行政基本条例」「府立学校条例」も1日に施行された。楠野校長は取材に「条例ができたからといって強権的に振る舞うわけではない。最終的に決めるのは私でも、生徒の成長のために何ができるか教諭らと話し合っていきたい」と語った。≫(「毎日新聞」4.2.夕刊 8頁)
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 ↑ 「毎日新聞」2012.4.2.<夕刊> 8頁 〔クリックすると大きくなります。〕

   楠野宣孝という男、≪3月末の職員会議で、起立斉唱を命じる府教委の職務命令を順守するよう念押ししていた≫というが、やることが違うのではないか!?!  「念を押す」ならば、日本国憲法においても確認されている「人類普遍の原理」である「国民主権」に反する内容の「君が代」などという文言を入学式というもので、唱和するなどという蛮行は絶対におこなわない、たとえ、橋下徹・中西正人一派が何を言ってきても、全員で協力して拒否しようと「念を押す」ものであるはずだ。 校長であるならば、それをやらないといけない。 それをやらずに校長という資格があるか!
   ひとり、ふたりだけで闘うのでは「蟷螂の斧」となってしまうかもしれないが、≪職員会議で≫憲法でも確認されている「国民主権」を踏みにじる「君が代」礼拝式の強行には全員で闘おうと校長が≪念押しして≫、全員で立ち向かえば、拒否することは可能であったはずである。大阪府で最も歴史がある高校で、公立高校では今も進学成績が一番の北野高校で「君が代」礼拝式を拒否することができれば、他校でも拒否の動きはとりやすくなったはずである。それを、率先して、「君が代」礼拝式を強行するだけでなく、それを≪職員会議で≫≪念押し≫したとは、もはや、楠野宣孝という男は教員とは言えないし、学問を仕事とする人間と認めることもできないし、校長という役割を果たす意志もない人間と見るしかない。 
恥を知れ、楠野宣孝! この恥知らずめ!
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 ↑ 北野高校 (北側)
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↑ 北側歩道橋上から見た北野高校(道路の左側〔南側〕)

   ただ、ここで、ひとつ、気づいた点がある。 大学の場合は、学長は教員の中から教員の総意で選ばれるのに対して、高校の校長は、教員の総意で選ばれるのではなく、教育委員会から決められるらしいという点である。そのあたりが、公立の高校をおかしくしている。
   しかし、そういう事情があったとしても、である。 「国民主権」(「主権在民」)、及び、「信教の自由」は、学問を進める上において、最低限の条件である。 それを入学式から否定するような学校に何ができるというのか。

   私が中学生の時、中学校の社会科に「公民」という授業があった。高校の社会科には「政治経済」という授業があった。いずれも、教科書の最後尾には日本国憲法が掲載されていた。 日本国憲法の内容を読み、その意味を考えるのは「公民」「政治経済」の学習のひとつであったはずであり、今もそうであるはずである。 日本国憲法には「国民主権」(「主権在民」)が明記されているが、これは「人類普遍の原理」を確認したもので、憲法は法令の中で最も優先されるものであり、憲法に反する法令は無効で、「教育公務員」も含めて公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負うものである、ということを学ぶのが「公民」であり「政治経済」の学習で、それに協力するのが学校であり「教育公務員」である公立学校の教師であるはずである。入学式早々に、「教育公務員」がそれを踏みにじる行為をおこなってどうするのか。 口では、「人類普遍の原理」や「憲法は最も優先される」と述べて、一方で、入学式でそれを土足で踏みにじるのか。 「数学」や「英語」を教えている者には関係ないとでも開き直るつもりか? それではすむまい。父兄にも踏みにじらせようとするのか。それが「教師」のすることか。
   ある程度以上の大学の出身者には、法学部・経済学部に行って大企業に勤めるか国家公務員にでもなった方が出世できて年収も多くなる可能性があったが、それでも、教育の仕事に携わりたいと思って文学部や理学部に行って教諭になったという人達もいると思うが、そういう人達には、自分たちは価値のある仕事として天職として自ら教員という職業を選んだのだという矜持があったはずであるが、楠野宣孝他北野高校の教員は、誰もがその矜持をドブに捨てたのか?
   時代の移り変わりとともに、進学成績が良くなったり悪くなったりするのは、多少、やむをえない。しかし、学校で学ばなければならない内容と正反対のことを入学式で強行するようでは、その学校に存在する価値があるのかということになる。
   極右勢力から指示を受けて、憲法でも確認されている人類普遍の原理である国民主権を土足で踏みにじる行為をおこない、平気でいるような者は、もはや、教師とは言えないし、「教育公務員」とも言えない。その高校は、極右勢力のテカ(手下)になった者の採点により、進級・卒業させてもらい、「高卒」の資格・学歴を取得するためだけのものでしかないことになる。 もはや、北野高校は、≪「臥薪嘗胆」「韓信の股くぐり」で「極右勢力のテカ」に睨まれないように3年間送り、「高卒」の資格を取得して大学に進学するためだけのもの≫でしかなく、それは、もはや、「学ぶ」所とか「教え育む」所ではない。 「学校」と呼ぶに値するものではない。 入学式でそう宣言したのである。
   私が行った頃の北野高校には「君が代」礼拝式などはなかった。「そんなことをやっている時間があったら勉強しろ」という学校だった。 私が行っていた頃の北野高校には北野高校出身の教諭が何人もおられたが、今の北野にはいないのだろうか。 「そんなことをやっている時間があったら勉強しろ」というかつての北野の雰囲気は忘却の彼方に行ってしまったのだろうか。

   北野も変わったと思う。 インターネット上のYouTubeなどに出ている北野高校のサークル活動や文化祭を見ても、私たちが行っていた頃の北野高校とは、ずいぶんと違う。 それも、しかたがないこととは思う。自分が卒業した学校が自分が行っていた頃とは違ったものとなるのは、やむをえない。多少、さびしい思いをすることがあっても、学校というものは、かつて卒業した者の学校ではなく、今、行っている人の学校なのだから。 そして、違ったものとなっても、それでも、自分が卒業した学校には思い入れがあり、たまに、そのあたりに行ってみて、今の高校生を見かけた際には、半分、親か兄のような気持ちで見たりもしてきたものである。 そういう思いを持たせてもらうくらいは悪くもあるまい。 だから、進学成績が少々低下しても、そこに行く生徒の雰囲気が多少変わろうとも、やはり、そこは母校だと思ってきた。

   しかし、入学式から「国民主権」(「主権在民」)・「信教の自由」という人間の存在ににとって特に重要な要件であり、学問をする上においての大前提を土足で踏みにじるような行為を入学式でおこなうような学校、特に、そういう勢力に加担してしまう教員がひとりふたりいてしまったというならともかく、≪職員会議で、起立斉唱を命じる府教委の職務命令を順守するよう念押し≫するような学校、それに従うような学校は、もはや、学校と言うに値しない。

  同じ名前がついていて、同じ場所にあっても、もはや、別の学校である。さらば。
  さらば、北野高校。 橋下らに凌辱されて消え去った。 私が愛した北野高校は、橋下徹・中西正人らに凌辱されて滅び去った。 楠野宣孝という人がどういう人かは知らなかったが、北野高校の校長になるような人ならば、学問を仕事とする者として、多少は抵抗してくれるかと期待したが、橋下徹・松井一郎・中西正人らのテカ(手下)となる能しかない男であったらしい。 抵抗もできないような男は教員の長と言うに値しない。 学問の敵・楠野宣孝よ、おまえに教えるものは何もない。 「生徒の成長のために何ができるか教諭らと話し合っていきたい」とはチャンチャラおかしい。 「国民主権」を土足で踏みにじる者、「信教の自由」を土足で踏みにじる者に「生徒の成長のために」「できる」ものなど「何」もない。 恥を知れ! あえて、何ができるかといえば、そのような者は、教育の世界から去ることだ。それが「生徒の成長のために」楠野宣孝に「できる」唯一のことだろう。 
  北野高校は滅び去った。さらば。 大阪市淀川区新北野にある北野高校の校舎は、かつてあった北野高校の墓碑のようなものかもしれない。 そこは、高校の墓場である。 いつしかそれもなくなるかもしれないが。
  同じ名前がついていても、今年度の北野高校は私が卒業した北野高校とは別のものである。 もしも、高校の卒業証明書などを発行してもらう必要があった時には、その手続きをしてもらうことはあるかもしれないが、それだけのものでしかない。 さらば。

   母校に泥を塗った男、橋下徹。 次は母国に泥を塗るのか? 
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 ↑ 橋下徹の「維新の挑戦」というポスター。 大阪府のある市の駅前に貼られていた。撮影日:2012年4月3日。 「街頭演説」の日程12月23日を3カ月以上経っても貼られている。
       (2012.4.6.)
(追記) 「文理1期生」を名乗る方からコメントをいただいたが、それに対しての返答は、次のようにしたい。
   「もっと、自分でまともに勉強しなさい。」
この回答をする理由は2つある。
  ひとつは、北野高校に何年か前に「文理科」というものができたそうだが、「文理1期生」というのは、その1期の者という意味らしいが、もっと、学歴の低い方なら、かんでわかるように説明するべきかもしれないが、もし、北野高校の生徒・卒業生なら、自分自身で学び考えるべきであるからだ。
〔 今回、北野高校のホームページで、文理科について、文理科と普通科の違いについて述べてあるものなどを見て、気にかかったことがある。 どうも、○科では何何を学べるというようなニュアンスを感じるのだ。杞憂なら良いが、「基本的には、『学校というものは、それを利用して学ぶもの』であり、○科に行かなければ学べない、○科なら学べるというものではなく、また、学問とは、おのれで考えるものであり、決して、◇科で『たたきこまれる』ような性質のものではない」のであるが、その認識・姿勢が、私が在学・卒業した頃に比べて、減退しているのではないかという印象を受けた。〕
  もうひとつは、コメントの内容が、あまりにも稚拙であり、高校までまともに学んだ人間のコメントと思えないものであるから、かつ、私のブログの文章も十分に読んだ上でのものではないからである。
  進学状況どうこうよりも、この「文理1期生」という人の文章を見ると、北野もレベル落ちたなあ・・という印象を受けるが、それはあくまで ニックネーム「文理1期生」さんのことで、これで全体を論じるのは早計であろう。 
  このコメントのようなことを言っているようでは、もし、本当に北野の生徒・卒業生であるならば、北野の生徒・卒業生としてなさけない。
  (2012.6.26.)


(追記) ニックネーム「高校でも話題になりました」様からコメントをいただきました。
  1985年だったと思いますが、公害問題などを事実を事実として指摘してきたために、50代になっても東大工学部で助手に据え置かれていた 宇井 純 が沖縄大学に転出する際に、もはや、東京大学という腐りきった大学に未練はない、として、「さらば、東大」という文章を「朝日ジャーナル」に3回だったか4回だったかの連載で掲載したことがありました。 この回のブログを公開する時点で、心情的にその時の宇井順に共通するものが幾分あったとは思うのですが、心情的に共通するものは幾分あっても、違うところもあるのです。
1. 「大騒ぎせず静かに去ってほしい」とニックネーム「高校でも話題になりました」様は言われるのですが、宇井 純 は東大の工学部の助手であったので、「さらば」ということで東大の教員を辞めて沖縄大学の教授だったかに転出したし、去ることができたのですが、私は、数えてみると、もう何十年も前に北野高校を卒業して出て行っておりますし、今、北野高校の教員をやっているわけでも他の高校の教員をやっているわけでもなんでもないので、「去ってほしい」と言われても、去りようがないのです。 わかりますよね、この程度のことは。
2. 「大騒ぎせず静かに去ってほしい」と言われても、まず、義務教育終了以前の人間でもわかることだと思いますが、「大騒ぎ」しているのは、橋下徹とか中原徹とかであって、私ではないのです。 まさか、この程度のこともわからないなどということはありませんよね。  実際のところ、橋下徹らには「大騒ぎせず静かに」して「ほしい」のです。
3.  何十年も前、慶應義塾大学のある教授が、講義の中で、「白痴インテリ」という言葉を使い、「一流大学」の出身者でも根本的な認識ができていない白痴が多くいると指摘されたことがありました。 同時に「『白痴』はインテリじゃないんだけどね」とも言われました。私もそう思います。 「君が代」の強制という行為がどれだけ野蛮であるか、そんなこともわからないような者はどんな大学に通ろうが落ちようが卒業しようがしまいが白痴です。 「一流大学」に入った、卒業したということで「インテリ」ぶったとしても白痴であるし、そもそも、白痴をインテリとは言えません。
   今となっては何十年も前、北野高校の2年の時、「倫理社会」の先生が「夏目漱石の『こころ』、三木清の『人生論ノート』、太宰治の『人間失格』、プラトンの『ソクラテスの弁明』『饗宴』、ドストエフスキーの『罪と罰』、カミュの『異邦人』、こういった本も読んだことのない人間というのは、ぼくは人間として欠陥があるんじゃないかと思いますね。このくらいの本はぜひとも読んでおいてもらいたい。大学に通るかどうかよりもよっぽど大事だと思うわ」と言われたことがありました。 「人間として欠陥がある」という表現は穏やかではないかもしれないけれども、基本的な物事の考え方としては間違いではないと思います。しかし、「大学に通るかどうかよりもよっぽど大事」かというと、それはちょっと・・とも思ったのですが、しかし、「君が代」強制、特に、入学式や卒業式にこじつけての強制に抵抗を感じないような人というのは「人間として欠陥がある」と思いますし、「君が代」強制などという行為は許されてはならないものだと理解するということは、「大学に通るかどうかよりもよっぽど大事」なことです。 又、「君が代」強制に抵抗を感じないような高校の教諭というのは、高校の教師として欠陥があるし、その前に、高校生として欠陥がある。  又、学校に暴漢が入りこんできて生徒を襲おうとしたならば、教師は自分が犠牲にならなくてもいいけれども、生徒を守ろうと努力をするものではないか。 同様に、「君が代」の強制を学校でおこなおうという勢力から生徒を守ろうという意志をまったく持たないような教師は学校を去るべきである。
   今となっては何十年も前のこと、北野高校に入学した1年の前半、「地理A(系統地理)」の某先生が「ここの学校に3年間おれば、びっくりするほど賢くなる」と言われたことがありました。その場合の「賢く」というのは、どこの大学に通るとかどうこうではなく、人間として、高校生として学ぶべきもの理解しておくべきもの認識しておくべきものが身につくという意味であったと思います。 当時の北野高校には、高校生として学んでおくべきもの理解しておくべきもの認識しておくべきものを理解習得する場が高校であり、その結果が大学入試にも役立つというそういう姿勢があり、新興私学6年生受験校などは、高校生として学んでおくべきものを理解習得した結果としてそれが大学入試にも役立つという北野高校など「公立名門校」と違って、大学入試に成功したとしても、大学入試のための受験予備校であって入試のためだけの存在でしかない、とまで言い切ると言い過ぎかもしれないけれども、北野高校など「公立名門校」と新興6年生私学受験校とを比較すると、全般的にそういう傾向はあったと思います。私は百年以上かけてそこに到達したという北野高校のそういうところが好きでした。また、それゆえ、新興私立6年制受験校は大学受験のためだけの存在であるのに対し、北野高校は高校自体に価値がある学校であると思っていました。 しかし、この私のブログに北野高校在学生だとしてコメントくださった方のコメントの内容を見ると、もし、その人が本当に北野の生徒であるのなら、北野高校も、もはや、そういう人間として高校生として学んでおくべきもの理解しておくべきもの認識しておくべきものを身につけて、その結果が大学入試にも役立つというそういうスタンスの学校という性格はなくなってしまったのだろうか、単に、「灘高校など私学受験校よりひと回り進学成績が下の学校で私学よりは学費が安い学校」でしかなくなってしまったのだろうか、とも思えてきます。 もし、そうであるとすると、やはり、卒業生として寂しいですね。
4.   橋下・中原一派の横暴を批判する稿を何度か公開しましたが、北野高校の卒業生として、同校の教員や生徒は、大阪府立高校の教員や生徒は、もちろんのことながら、橋下・中原らの被害者であると思い、卒業生としての友情というのか、今、生徒である人とは年齢も差がついてしまいましたから、「親心」というのかような気持もあって、何度か、応援する意味、エールを送る意味もあり、文章を公開しましたが、もしかすると、生徒の中にも、あるいは教員の中にも、被害者ではなく加害者である人もいるのかもしれませんね。
 (2014.5.6.) 


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この記事へのコメント

文理1期生
2012年06月22日 20:28
国民主権とは何か知っておられますか?
君が代が日本の国歌とは知らないのですか?
率直に、あなたみたいな先輩を持って恥ずかしいです。
Urs
2012年10月01日 09:36
余りにも稚拙な文章! 北野高校の劣等生でしたか?
高校でも話題になりました。
2014年05月06日 12:41
要するに、負け犬の遠吠え?非難されると品性のない返信。さらば、と思うなら大騒ぎせず静かに去って欲しい。後輩として恥ずかしく思います。
蜜柑
2015年12月06日 00:45
私は去年まで北野の文理学科生だった者です。

非常に共感して読みました。
私の場合、高校に対して3年間、強烈な違和感と不愉快を感じてきました。
考えてみれば橋下府政の全盛期の北野だっただけあって、
北野の歴史の中でも特にひどい時期に出くわしてしまったのかもしれません。
学力を養成する場所としても、人間性を高める場としても
とても褒められた場所ではなかったように思います。

勉強の面でいえば、
生徒の通塾率は3年生になれば9割を越え、学内の試験なども1年生から塾に通い詰めた生徒の独壇場でした。
この点は他の進学校も状況は似たり寄ったりだと思われますが、私を含め、公立に授業の質を期待して、一生懸命勉強して入った生徒が可哀想でならないです。

数学の授業などは、多少先生によって違いはあったでしょうが、予習はするなと言われ、授業の内容は薄っぺらで、にも関わらず授業中は質問攻めで、塾にも行っていなかった私などは恥を搔かされるばかりでした。
数学が大好きでしたので、それでも必死の思いで試験前には勉強を続け、定期試験では数学だけは上位20位あたりを三年間必死にキープし続けました。
それでも模擬試験などは塾通いの生徒には遠く及びませんでしたし、他の科目はボロボロでした。

私が生物で赤点を取ったとき、

授業の最初の40分を使って、
赤点を取った生徒を一人ずつ名前を呼んで別室で説教する
(その間授業はなし)

という信じがたい(?)ことが行われたことがあり(一度だけだったので先生の気まぐれだったのでしょうか?)、
物凄く恥ずかしく、屈辱的な思いをしたことをよく覚えています。
蜜柑
2015年12月06日 00:46
学内には、過剰に競争原理を賛美するような雰囲気が蔓延していたように思います。

そしてなにより、非常に権力に対して迎合的で、反骨の精神に欠いたものがあるように思いました。
まるで、人間ロボット養成所です。
「楠野宣孝校長は3月末の職員会議で、起立斉唱を命じる府教委の職務命令を順守するよう念押ししていた」
というのもなるほどなと納得できます。

こういった品性下劣の高校が、大阪で一番を名乗ることは非常に腹立たしいことだと思います。

他の学校・塾が完璧でないにしても、北野ほど悪いところも珍しいのではないか、と思われるほどです。
先日の選挙でも維新派が勝ち、ますます状況は悪くなっていくのかもしれません。

いずれ何らかの形で、北野で苦しんでいる生徒を救済できるような取り組みができたらいいなとは思っていますが、
まだまだ先は長そうです。

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