瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回 〔引越掲載〕

〔(建築家+建築屋)÷2 のブログ 第23回〕 
  「箕面山瀧安寺(みのおさん りゅうあんじ)」と言っても、関東圏の人は、知らない人がほとんどで、箕面大滝(みのお おおたき)もまた、関東圏の人はほとんどの人が知らないのではないかと思います。 東海自然歩道が、東は東京都の明治の森高尾国定公園から出て、西は大阪府の明治の森箕面国定公園に至る、その箕面(みのお)にあると言えば、多少はわかる方もあるかもしれません。
  在関東圏関西人として、しばしば、気分を害することがあるのですが、東京圏の人間が1泊2日か2泊3日で大阪に行ってきたという時、「大阪のどこに行ってきましたか?」ときくと、まず、一番よく出てくる地名が、なんといっても、ダントツで飛田新地(とびたしんち)であり、大阪で、1泊か2泊しかしていないのに、わざわざ、そういう大変なところへ行ってきて、それで、「いやあ、大阪って、すご~い所ですね~え。」とか言うのです。私は、大阪で生まれ育ち、今は千葉県に住んでいますが、いまだかつて、飛田新地なんて行ったことないし、どこにあるのかもよくわかりません。私だけではない。大阪の人間、10人に飛田新地に行ったことあるか、ときくと10人中9人は行ったことないと言うし、場所を知らない、飛田(とびた)という地名を聞いたことないという人間も少なくありません。それが、東京の人間は、飛田新地をよく知っているのです。
  東京圏の人間が、大阪で知っているものといえば、第一に飛田新地、第二に(最近は東京でもやっている)吉本新喜劇、第三に大阪市浪速区の「新世界」と言われる地域の串カツ店から有名になったらしい串カツで、第四が(大阪だけではなく全国で売っている)たこ焼き、第五に(私は良く知らない)食い倒れ太郎、第六に阪神タイガースで、第七に鶴橋(つるはし)の(私は行ったことがない)高麗市場。 飛田新地には行っても、住吉大社にも四天王寺にも大阪城にも観心寺にもヴォーリズ設計の大阪教会にも箕面大滝にも行かず、それで、「大阪なんて、なんにもない」とか言うのです。 自分が知らないだけじゃないですか。自分が飛田新地が好きなくせに、大阪人のせいにして 
  さらには、ビッグローブニュースのコメント欄を見ると、大阪は在日韓国人の街だなどというコメントもしばしば書かれています。大阪には、在日韓国人の方が住んでいる地域もありますが、当然のことながら、そうでない地域もあり、大阪以外にも関東圏にも在日韓国人の方は住まれています。
(インターネットで、「高麗市場」と入れて「検索」をクリックすると、「Yahoo!トラベル」とか「じゃらん観光ガイド」その他において、おすすめ観光地のように取り上げられていますが、大阪市の生野区に在日朝鮮人・在日韓国人の方が多く住んでいるのは、たしか、戦中・戦前に、平野川の改修工事の為に、朝鮮の人を、朝鮮半島から無理矢理強制的に連行して連れてきて作業をさせたことから、この付近に在日朝鮮人・在日韓国人の人の住む地域ができたということであったはずであり、観光気分で行くところではないように思うのですが、いかがでしょうか。〔同様の地域は大阪府以外にも関東地方にもあるはずです。〕)
  「京のぶぶづけ」みたいな、「ぶぶづけでもどないどす」とか言われて、そこまで熱心に勧められる誘われるならと思って、断るのは悪いように思って誘いにのるとあつかましいとか言われるという、そういうのが嫌だ、とか言う人がいたりしますが、それは、文字通り、京都でしょ。 大阪人でも「京のぶぶづけ」は嫌だという人はいますよ。京都と大阪の違いもわからんのか
  さらに、「河内のおっさんの歌」みたいなガラの悪い言葉が嫌いだとか言う人。 あの歌は、特別に誇張した文句にしてあるのでしょうが。 だいたい、私なんかは、大阪でも、昔の国でいえば、「摂津」にあたる所で生まれて暮らしてきたのに、それでも、大阪人だから河内の人間だとか決めつけてからに。 東京人というのは思考が混乱しているのじゃないのか?
  今東光(こん とうこう)みたいなスケベエが嫌い、とか言って。 私だって、あんなオッサン、好きじゃないよ。 河内や大阪府八尾市(やおし)を売りにしていたけれども、今東光自身は横浜の生まれらしいし。
  清原みたいなつけあがりが嫌い、とか言う人も。 あれも、昔に比べれば、最近はちょっとはマシになったんじゃない? あのアホを増長させたのは、埼玉の西武でしょうが。
  テレビでやっていた駐車違反取締りに怒る「大阪のおばさん」にはかなわない、とか。 あれは、わざわざユーモアを交えて演技してるんでしょ。そのくらいわからないの? 名演技で座布団1枚あげたいくらい。
  大阪人は電車に乗るのに、マナーがなってない、とか・・・。 あんた、そんなにけっこうなマナーしてますのん? 東京人もけっこうマナー悪いよ
  関西の子供はしつけが悪いとか・・。 はァ? うちの近所のクソがきの方がよっぽどしつけが悪いわ。 おのれの子供の顔見てから言いなさい!
・・・・・・・と、東京人が激怒するようなことを述べたところで、瀧安寺と箕面大滝のお話が、始まり、始まり

※(参考)
「ウィキペディア――飛田遊郭」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E7%94%B0%E9%81%8A%E5%BB%93
「ウィキペディア――吉本新喜劇」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E6%96%B0%E5%96%9C%E5%8A%87
「ウィキペディア――串カツ」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B2%E3%82%AB%E3%83%84
「ウィキペディア――新世界(大阪)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E4%B8%96%E7%95%8C_(%E5%A4%A7%E9%98%AA)
「串カツ 新世界」ホームページ http://www.sin-sekai.com/
「食いだおれ」ホームページ http://kuidaoretaro.com/
「ウィキペディア――食いだおれ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%81%84%E3%81%A0%E3%81%8A%E3%82%8C
「Yahoo!百科事典―鶴橋」 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%B6%B4%E6%A9%8B/
「住吉大社」ホームページ http://www.sumiyoshitaisha.net/index.shtml
「ウィキペディア――住吉大社」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE
「四天王寺」ホームページ http://www.shitennoji.or.jp/
「ウィキペディア――四天王寺」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA
「ウィキペディア――大阪城」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E5%9F%8E
「檜尾山観心寺」ホームページ http://www.kanshinji.com/
「ウィキペディア――観心寺」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E5%BF%83%E5%AF%BA
「日本基督教団 大阪教会」ホームページ http://www.osaka-church.net/homepage/plof.htm
「ウィキペディア――日本基督教団 大阪教会」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3%E5%A4%A7%E9%98%AA%E6%95%99%E4%BC%9A
「ウィキペディア――箕面滝」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E9%9D%A2%E6%BB%9D
「箕面市観光協会」ホームページ http://kankou.minoh.net/
「ウィキペディア――明治の森箕面国定公園」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%81%AE%E6%A3%AE%E7%AE%95%E9%9D%A2%E5%9B%BD%E5%AE%9A%E5%85%AC%E5%9C%92
「瀧安寺」ホームページ http://www.nanokaichi.com/ryuanji/
「ウィキペディア――瀧安寺」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%A7%E5%AE%89%E5%AF%BA
「週刊マナー美人――京の茶漬け」 http://www.tamagoya.ne.jp/manner/072.htm
「You Tube 河内のオッサンの唄  ミス花子 」http://www.youtube.com/watch?v=1_w7qLwhFog&feature=related
「Yahoo!百科事典―今東光(こんとうこう)」 http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%BB%8A%E6%9D%B1%E5%85%89/

  瀧安寺(りゅうあんじ)も箕面大滝(みのおおおたき)も、住所としては、大阪府箕面市(みのおし)箕面公園 にあります。 最寄駅は、阪急箕面線の「箕面(みのお)」駅です。 箕面駅から箕面大滝まで、箕面川(みのおがわ)に沿って車両進入禁止の「滝道(たきみち)」がのびており、駅から大滝まで、2.7キロか2.8キロくらいで、その中間より少し駅よりに瀧安寺があります。瀧安寺は、今は、大滝と駅の真ん中より駅よりにあるものの、もともとは、大滝のすぐそばに瀧安寺はあったと言われています。「もともとは」と言っても、10年や20年前のことではなく、織田信長の頃までという話です。 
  私が子供の頃、1960年代には、箕面駅から箕面大滝までの間を馬車が走っていましたが、滝道が車両通行禁止になって、馬車は別の道を通るようになり、そのうちなくなりました。 昔、乗せてもらった馬さん、どうしたかな、とか思ったりもしますが、しかし、大阪の街中から1時間もかからない場所に、駅から滝まで、自然の残っている箕面川に沿った道があるのですから、馬車で行って滝だけ見物して、又、馬車で帰るよりも、特に足が悪いとかでない人は、自分の足で歩いて行き、歩いて帰るという方が本来だと思います。 瀧安寺も駅と滝の中間付近(より少し駅より)にあり、他にも途中に、昆虫館とか、野口英世が箕面に母を連れて来たことから建てられた野口英世の像とか、箕面川が曲がっているところで川べりに出て休憩できる場所とかもありますし、駅から乗り物に乗って滝まで行って滝だけ見て、又、乗り物に乗って駅まで帰るというのはもったいないように思います。
※(参考)
「箕面公園昆虫館」ホームページ http://www.pref.osaka.jp/ikedo/insect/
 
  瀧安寺は、今は、滝道の途中にある、それほど大きくないお寺という感じですが、江戸時代の末期においては、箕面大滝も滝道も含めて滝安寺の寺域であったそうです。「遠くの神さん、ありがたい」とかいう言葉があるように、私などは、自分が住んでいる所の近くにあったので、正直なところ、たいしたことないみたいに思っていたのですが、「修験道本山」という、けっこう格式のある寺らしいのです。
  大阪の観光案内書などを見ると、滝安寺について、「日本四弁天のひとつ」とか「日本最古の弁財天」とか書かれているものがあります。インターネットでも、「箕面市観光協会」のホームページ http://kankou.minoh.net/02_02.html や、瀧安寺のホームページ http://www.nanokaichi.com/ryuanji/benzaiten/benzaiten.html を見ると、「四弁財天の一として知られ」と書かれているのですが、他の3つ、広島県の宮島の厳島神社(いつくしまじんじゃ)、滋賀県の竹生島(ちくぶしま)の宝厳寺、神奈川県の江ノ島神社と比べると、箕面山瀧安寺は、全国的な知名度において劣るように思います。 この4つで、全国区として、最も知名度が高いのは広島県の厳島神社で、竹生島は関西中心、江の島は逆に関東中心で、箕面大滝は東京の人は知らなくても、大阪では認知されており、箕面は阪急電鉄の前身・箕面有馬電気軌道(俗称“箕面電車”)が最初に走った所として知られ、サルのいる所としても有名であっても、瀧安寺は、そういえば、滝に行く道の途中にお寺があったねえ・・・くらいの知名度ではないでしょうか。 群馬県の館林であったか邑楽であったかに、竹生島の末寺というのでしょうか、があって、そこに立っていた看板には「日本三弁天のひとつ」と書かれていました。ここで、「日本三弁天」と言っているのは、全国的に知名度のある広島県の厳島神社と関東で有名な江ノ島神社と自分のところだ、という主張らしく、関東では飛田新地よりもはるかに知名度の劣る瀧安寺は「四弁天」からはじき出されて「三弁天」になってしまっていたのです。 志村有弘監修『図説 日本の魔界地図』(2007. PHP研究所)では、厳島・竹生島・江ノ島に、宮城県石巻市の金崋山弁天と奈良県天川村の天河弁天で「五大弁才天」と書かれ、≪竹生島、厳島、江ノ島は、三大弁才天ともされる。≫と述べられており、箕面山瀧安寺は「五大弁才天」からもはじきだされています。

  さて、弁天、弁財天とは、どういう神様なのか。 そして、修験道とは、何なのか、確認いたしましょう。
≪ (江戸時代において)民衆の間では、開運、商売繁盛、家内安全、病気なおし、厄よけなどの現世利益信仰が流行し、現世利益神をまつる寺院、神社がにぎわいました。・・・・・さまざまな現世利益神が祀られ、民衆の信仰を集めるとともに、それぞれの神の効験の種類もさだまってきました。とくに流行した現世利益神には、稲荷(いなり)、観音、地蔵(じぞう)、金毘羅(こんぴら)、不動をはじめ、恵比寿(えびす)、大黒天、弁天などの福神があります。・・・・・福神では、古代以来の弁天(弁財天)、中世にひろがった大黒天、恵比寿(夷、戎)の信仰を受けついで、江戸時代には、七福神の信仰が流行しました。弁天は、インドの知恵、音楽、財物の女神で、日本ではイチキジマヒメノミコトとされ、琵琶湖の竹生島、東北の金崋山、安芸国の宮島(厳島)、江戸上野の不忍(しのばず)などに祀られました。・・・・・・七福神は、弁天、大黒天、恵比寿に毘沙門天(びしゃもんてん)、布袋(ほてい)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)の四神を加えたものです。・・≫と、村上重良『日本の宗教』(1981. 岩波ジュニア新書)には書かれています。 七福神の中でも主要なメンバーであり、七福神の中で唯一の女性の神さんで、知恵・音楽・財物の神様のようです。
  戸部民夫『日本の神様がわかる本』(2005. PHP研究所)には、≪本来、インドのヒンドゥー教の河の神である弁天様は、財宝・美・音楽・芸能をつかさどり、日本では水の神、農業神としても広く祀られている。≫と書かれ、瀧安寺のホームページを見ると≪古代インドの河の女神「サラスヴァティ」と同格≫と記されています。 インドの河の神「サラスバティー」が「弁財天」「弁才天」「弁天」のようです。
  『日本の神様がわかる本』の「宗像三神(むなかたさんしん)」(福岡県宗像市の宗像大社)のところを見ると、≪宗像三神(むなかたさんしん)は、タギリヒメ命(ノミコト)、イチキシマヒメ命(ノミコト)、タキツヒメ命(ノミコト)、の総称で、宗像三女神とも呼ばれる。≫と書かれ、≪もともと宗像三女神は、北九州地方を基盤とする海人(あま)集団(通説では筑紫国の宗像君(むなかたのきみ))の信奉する海の神であった。≫とされ、≪宗像三神のなかでも、とりわけ美人とされて人気のあるイチキシマヒメ命(ノミコト)は、神仏習合で仏教の弁才天と同神とされ、妖艶な「弁天様」として広く一般に信仰されている。≫と書かれています。 「とりわけ美人」と言われると、本当かあ~あ???とか言いたくなったりもしますが、もともと実在した人間でもないので、本当か嘘か議論しても意味はありません。 どうやら、北九州の海の民の神様のひとりであった「イチキシマヒメノミコト」とインドの河の神「サラスバティー」が結びついたようです。
  さらに、『これだけは知っておきたい神社入門』(2007 洋泉社ムック)には、≪厳島神社(広島県廿日市市)の祭神は本来、宗像神とは異なるものであったが、のちに同一視されるようになり、各地の厳島神社でも宗像三女神が祀られている。≫と書かれており、宗像三女神の次女のイチキシマヒメノミコト~厳島神社の神~インドの「サラスバティー」~「弁財天」「弁才天」「弁天」 とつながってくるようです。 
  江ノ島神社では、イチキシマヒメノミコトを祀る中津宮(なかつのみや)ではなく、タキツヒメノミコトを祀る辺津宮(へつのみや)の境内の奉安殿に弁財天を祀っているようであり、又、江ノ島神社は龍神を祀った話があって、やはり、厳島神社と同じく、宗像三神を祀るようになったのは、後からのことのようです。
  「弁財天」「弁才天」「弁天」はインドの河の神「サラスバティー」で、北九州の海の民の神「宗像三女神」の次女「イチキシマヒメノミコト」につながり、厳島神社の神ともつながったということのようです。

  修験道(しゅげんどう)とはなんぞや、というと、村上重良『日本の宗教』によれば、≪原始社会の山岳信仰は、仏教、道教と結びついて発展し、中世には、山伏(やまぶし)の宗教として修験道(しゅげんどう)が成立しました。平安時代には、僧や聖(ひじり)の山岳修行がさかんに行われ、密教では、山岳に籠って修行した僧の加持祈祷(かじきとう)は、とくに効験(こうげん)があるとして重んじられました。山岳修行によって、効験をもたらす力を身につけることを修験(しゅげん)といい、修行者を修験者(しゅげんじゃ)(験者〔げんじゃ〕)とよびました。修験者は、山中の大地に身を伏せて、山の霊力を直接、身に受けることから、山伏ともよばれました。 修験道では、役の小角(えんのおづぬ)を開祖と仰ぎ、南大和の大峰山系とよばれる吉野、金峰山(きんぶせん)、大峰(おおみね)から紀伊国の熊野にかけてのけわしい山岳地帯を最高の霊場としました。≫というもののようです。
  日光修験道 法頭・伊矢野美峰(いやの びほう)氏の『目からウロコの修験道』(2006. 学研 わたしの家の宗教シリーズ)には、役行者(えんのぎょうじゃ)とも言われる役の小角(えんのおづぬ)は≪役行者は、俗姓は賀茂役君(かものえんだちのきみ)で、大和の葛城(かつらぎ)、茅原(ちのはら)に御降誕されました。・・・・十七歳で葛城の峰に修行し、十九歳で大峰(おおみね)に入峰されたとも伝えられています。三十六歳の時に、箕面(みの)の龍窟にて龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)が普現色身三昧(ふげんしきしんさんまい)という三昧(さんまい)の力で出現され、秘密潅頂(かんじょう)を授けられました。・・・・≫と書かれています。
  修験道の開祖とされる役の小角(えんのおづぬ)〔役行者(えんのぎょうじゃ)〕が、箕面大滝で修行をし、弁財天の助けを得て悟りを開いた・・・というのが箕面(みのお)の大滝で、役の小角が修行をするために、滝の付近に設けられた施設が瀧安寺の前身らしいのです。
  「日本最古の弁財天」と言うだけあって、江ノ島などよりも、弁財天の話としては、むしろ、正統的な話で、瀧安寺は、有名な厳島・竹生島・江ノ島の3つとくっついて値打ちをあげてやろうとして「日本四弁天」と主張しだしたわけでもなく、むしろ、瀧安寺の方こそ、弁財天の話としては、“本家”みたいなところがあります。
   付近の山には、役の小角(えんのおづぬ)が、そこから雲に乗って中国まで飛んで行ったという話がある「天上か(てんじょうか)」という場所もあります。

  その箕面大滝が、これです。↓
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   私は、子供の頃から、箕面大滝には何度も行って見て、日本の滝として、代表的なものは箕面大滝だと思ってきたのですが、最近、日光の華厳の滝に行って見て、華厳の滝の方が「すごい!」と思ったのですが、その後に、箕面大滝に行き、「すごい!」かどうかという点では華厳の滝の方が「すごい!」けれども、箕面の滝の方が、「滝として古典的な滝」ではないか、とも思い、役の小角(えんのおづぬ)が修行をするなら、箕面大滝の方が修行するに適する滝だとも思ったのでした。実際に、どちらが上か下かなどとは、簡単に言えるものではありませんが、「すごい!」のは華厳の滝の方が「すごい!」としても、渓谷の道を歩み、滝のもとで、「悟りを開く」とまでいかなくても、こころを落ちつけて気持ちを整理するのにふさわしい滝として、箕面の滝は全国規模で見て悪くないと思いました。
※(参考)
「ウィキペディア――華厳の滝」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E6%BB%9D

    「ウィキペディア―瀧安寺」や瀧安寺の説明書きによると、瀧安寺は、南北朝の争乱の時に、後醍醐天皇が隠岐に流された時、大塔宮護良親王(おおとうのみやもりながしんのう、おおとうのみやもりよししんのう)から帰還の祈祷を依頼されて、その際に「瀧安寺」という寺号を受けたといいます。
  箕面大滝の近くにあったものの、織田信長に焼き討ちにあうとともに、箕面大滝付近の地盤が地震で崩壊し、江戸時代になって、箕面大滝と箕面駅の中間より駅よりの今の場所に再建されたというもののようです。
  『目からウロコの修験道』によると、≪・・・明治元年(1868)に、政府は「神仏分離令」を出し、これらの山々から、仏教と修験(しゅげん)を排除し、堂を壊し、仏像を焼き、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を引きおこし、古代から神社のみであったかのごとくしてしまいました。 ・・・・さらに、明治政府は「修験道禁止令」を出し、修験自体を葬り去ろうとしたのです。修験は、世界観を共有していた天台宗・真言宗のどちらかに入るか、修験を捨てて神主になるか、帰農するかの選択を迫られました。・・・≫ということらしく、瀧安寺が天台宗となったのも、そういう経緯ということなのでしょうか。

その瀧安寺の「日本最初の弁財天」の弁天堂が、これです。↓
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 横から見たところが、こちらです。↓
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 左が拝殿(江戸時代末期)、右が奥殿(本殿)(江戸時代初期)です。↑

  瀧安寺は、もともとが修験道であったからか、弁天堂も、「寺」でありながら、「神社形式」の建物です。
  神社の形式といっても、いくつもの形式があるのですが、近いものとしては、京都の北野天満宮(京都市上京区馬喰町)や大阪の大阪天満宮(大阪市北区天神橋2丁目)などの「石の間造り(いしのまづくり)」、あるいは、仙台の大崎八幡宮(仙台市青葉区八幡)や日光東照宮(栃木県日光市山内)、上野東照宮(東京都台東区上野公園)などの「権現造り(ごんげんづくり)」に近いと言えるでしょうか。「石の間造り」とは、神さまの居場所である「本殿(ほんでん)」と人が拝む「拝殿(はいでん)」があって、その間が「弊殿(へいでん)」としてつながっている造りを言い、東照権現・徳川家康を祀った日光東照宮から言われる「権現造り」という名称が一般的ですが、大崎八幡宮では、大崎八幡宮の方が、日光東照宮より先だということから「権現造り」と言わずに「石の間造り」と言っているということですが、拝殿・弊殿・本殿という造りを「石の間造り」と言い、それに、日光東照宮のように、にぎにぎしく飾りまくり刻みまくり塗りたくった建て物を「権現造り」と呼ぶならば、大崎八幡宮は、単に拝殿・弊殿・本殿で構成される「石の間造り」というより、にぎにぎしく飾られた「権現造り」になるでしょう。
  瀧安寺の弁天堂は、にぎにぎしく飾り立てた建物ではないので、にぎにぎしく刻みまくり塗りたくったという点を「権現造り」の特徴のひとつとするならば「権現造り」ではないことになります。拝殿と本殿の配置関係を考えると「石の間造り」に近いと思いますが、上野東照宮などでは、拝殿と本殿の間が「弊殿」でつながっており弊殿も建物の屋内になっていますが、瀧安寺では、拝殿と本殿の間は塀があって外とは仕切られていますが屋根はなく、拝殿と本殿はまったく別棟になっています。

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 修験道本山として、「修験根本道場」の石碑が建っています。↑
 後ろは、山伏が集まって「採灯大護摩供」が行われる場所。

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 鳳凰閣(登録文化財)  (内部は非公開)↑ 手前は瑞雲橋
鳳凰閣って、上の方が、西本願寺の飛雲閣に少々似ているように思うのですが、そう思いませんか?

※飛雲閣については、
「ウィキペディア――ファイル:Hiunkaku Nishi Honganji.jpg」 
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hiunkaku_Nishi_Honganji.jpg
「ウィキペディア――西本願寺」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9C%AC%E9%A1%98%E5%AF%BA 
「浄土真宗本願寺派本願寺(西本願寺)」ホームページ「国宝 飛雲閣」
 http://www.hongwanji.or.jp/about/kenzo/04.html  他をご参照ください。

  建築探訪・建築巡礼の第2回として、瀧安寺を取り上げましたが、瀧安寺の場合は、建物だけで考えるのではなく、付近の山・渓谷・滝といった自然と合わせ、自然の中にある建物としてとらえてこそ、価値があるものと言えるでしょう。
   白土三平の『カムイ外伝』に、「月影のこころ」という話がでてきます。 抜け忍(ぬけにん)(忍び・忍者の世界を抜けた者)・カムイが、追忍(ついにん)(抜けた忍び・忍者の命を奪う指示を受けた忍び・忍者)として来る「モモカのウツセ」に追われます。 カムイとウツセは、身体機能では五分と五分、忍びとしての技も五分と五分だが、剣術の技術がカムイは我流であるのに対して、ウツセは柳生(やぎゅう)で修行を積んできただけに動きに無駄がなく、今まで何人もの追忍を振り切ってきたカムイもウツセを倒すことができない。その時、阿多棒心(あたぼうしん)という老人の剣術家がカムイに「月を切ってみろ」と言う。 「月は切るものではない」と言うカムイに「切れないのだな」と言い、「あなたは切れるのですか。」と言うカムイに、「それ」と言って池の水に映った月を棒でつきさして見せる。 「それは月を切ったのではない」と言うカムイに阿多棒心は「いや、同じことだ。」と語る。「池に映った月を切る」と。 私は、この話を30歳前に読み、この意味をずいぶん考えました。 月とは、その人間の心・精神面のことで、池とは、その人間の技術・能力のことであり、人との勝負において、相手の技術(池の水)だけを見て、かなわないと思ったとしても、その人間の心・精神面・心がけ(月)がたいしたものでなければ、十分に倒せる・・・。成果とは、技術・能力という池の水に映った、その人間の心・精神面という月の姿であり、技術・能力と心・精神面が合わさったものが池の水に映った月として成果として現れる・・・・という意味だろうか・・・・。 はたして、作者の意図はそういうことか、どうでしょう。
  白土三平の考えがどうかはわかりませんが、建築の仕事をするにおいても、技術・能力を通して心・精神面が表れたものが成果・・・ということはあると思います。
※(参考)
「ウィキペディア――カムイ外伝」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E5%A4%96%E4%BC%9D

  今の勤め先で採用してもらう前、求職活動をしていた時に、千葉県のあるリフォームの会社で、「インテリアコーディネーター」という職種名において、面接の際に採用するような話をされ、それで、私は求職活動を中止して1か月ほど待ったあげく、いつまでも連絡がなく、何度電話で訪ねても「ちょっと時間がかかっている」「もう少しかかる」といった話で、紹介してもらった職安からきいてもらうと「採用しないことになった」と職安には言われたという、わけのわからない会社がありました。面接の時に、その会社の社長から、むこうしばらくのこちらの予定を尋ねられて、私は大阪に行かなければならない用事があったのでそれを話すと、「串カツ食ってくるわけですね」と言われ、悪気ではないのでしょうけれども、なんだかいや~な思いをしたことを覚えています。 なぜ、「大阪→串カツ」なのですか? 大阪市浪速区の「新世界」といわれる(一般的にはガラが良いとは言われていない)地域に串カツの店があって、それが大阪以外の地域にも知られて名物のように言われているようですが、私は大阪に用事があって行くのであって食道楽や遊びに行くのではなく、大阪に行くといっても(大阪の)新世界に行くわけではないのに、「大阪→新世界→串カツ」と単細胞的に決めつけた上で、間の「新世界」を省略して「大阪→串カツ」と決めつける思考というのは、あまり健全な思考ではないように思うのですがどうでしょう。
  建築の成果・実績とは、建築の技術・能力という池の水を通して表れる その人の心・精神面・文化・教養という月であるという面があると思います。 
  技術だけ良ければ良いのではない。大阪と聞いて、串カツ・吉本・飛田新地しか思い浮かばない人は、その程度の建築しか成果としてだすことはできないと私は思います。 建築の仕事に携わる者で、大阪と聞いて串カツ・吉本・飛田しか思い浮かばない人は、「便所の水で顔を洗ってこい」とは言いませんが、一度、箕面の大滝へ行って、箕面川の水で顔を洗ってきた方が良いと思います。

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以上は、「私が勤務する建築会社のホームページとリンクした私のブログ」に掲載した、そのブログの第23回のもので、この第23回≪瀧安寺と箕面大滝に行ってきました。~建築探訪・建築巡礼 第2回≫は、2010年(平22年)11月2日に「公開」させていただいたものです。 事情により削除いたしましたが、私は、削除したものは内容のあるものと思っており、又、いったん、「公開」したものは、作成者のみのものではなく、賛否にかかわらず、読んでくださった方・読みたいと考えてくださる方と共有のものという性質をもっており、作成者といえども、「記憶違い」のものの訂正、補足、「入力ミス」の訂正などは良いと思いますが、完全な削除は、好ましくないと考え、ここに、「引っ越し掲載」させていただきます。(建築家+建築屋)÷2 〔より正確には (49×建築家 + 51×建築屋)÷100〕 のブログ 、もしくは、。(建築家+建築屋)÷2のブログ と記したものは、「引っ越し掲載」です。 よろしくお願いいたします。
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〔 この稿は、「哲建ルンバ」としては、第25回ということになります。 〕


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